D・ヒ ュームの経験論的人間学の研究︵六︶
1懐疑主義と自然主義一
古賀 勝次郎
序文
第一章 ヒ昌童.ムのキリスト教神学批判︵第四十一・二号︶
第二章 ヒ昌ーム体系の哲学的基礎
第一節 ヒ昌ームの知覚箇︵第四十三号︶
第二節 ヒュームの因果諭︵第四十四・五号︶
第三章 ヒ晶ームの方法論
第一節 懐疑主義と自然主義 近代以前の懐疑主義
㈹ デカルト的懐疑主義と帰結的懐疑主義批判
㈱ ピ昌ロニズム批判とアカデメイア派懐疑主義
−過度の懐疑主義と適度の懐疑主義一
適度の自然主義︵以上本号︶
弟二節 ヒ昌ームの社会科学方法論︵以下次号︶
早稲田社会科学研究 第46号 93(H5).3
47
㈲ ㈹伍Hi}
自然科学と社会科学
経験︵実験︶的方法
歴史的方法
﹁存在﹂と﹁当為﹂
48
第三章 ヒュームの方法論
第一節 懐疑主義と自然主義
ヒュームの人間学は︑前章で述べたような哲学的基礎の上に︑情念論︑道徳論︑政治論︑経済論等が展開されてい
る︒そして前者の哲学と情念論以下の後者との間には︑一貫した方法論が採られている︒それは︑ヒュームの言葉を
使えば︑﹁適度の懐疑主義﹂︵ヨ凶二σq象︒ユω8艮三ωヨ︶である︒だが︑この﹁適度の﹂の程度において前者と後者とで
はかなりの違いが見られる︒即ち︑前者においては﹁過度の﹂︵①×O①ωω一く①︶に近く︑後者においては極めて﹁適度
の﹂といってよいだろう︒極めて適度の懐疑主義とは︑懐疑主義とはいえない程希薄な懐疑主義ということである︒
こうした微妙なしかし重要な違いが︑ヒュームの方法論をめぐって︑これまで懐疑主義か自然主義かという議論を惹
起してきたのである︒
︸般に︑ ヒューム生存中から前世紀まで︑ ヒゴームを懐疑主義者︑しかも過度の懐疑主義者と見倣す者が多かっ
た︒J・ビーティー︑T・リード︑L・ステイーヴン︑T・H・グリーン等がその代表者である︒これ等の人々によ
D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
れば︑デカルト︑ロック︑パークリ等によって展開されてきた懐疑論をより一層徹底したのがヒュームということに
なる︒しかし今世紀に入ると︑ヒュームを自然主義者と考える者が多くなってきた︒こうしたヒューム理解の反転に
大きな役割を果たしたのが︑ケソプ・スミスであった︒だが︑スミスの議論は︑それまでのヒューム理解への批判を
余りに意識的に出しているため︑過激な自然主義者ヒュームといった印象を与える︒しかしこれは明らかに誤りであ
り︑恐らくスミスの本意でもないであろう︒
ヒュームの体系は適度の懐疑主義で一貫している︒だが上述したように︑その哲学の領域と︑情念論︑道徳論︑政
治論⁝⁝等の領域との間には方法論上微妙な違いが見られる︒即ち前者においては︑過激︑に近い適度の懐疑主義が︑
後者においては︑極めて適度の懐疑主義が採られている︒両者におけるこの違いは微妙だが極めて重要な違いであ
る︒何故そうなのか︑そのためには何故そのような違いが生じたのかが問われねばならない︒
① 近代以前の懐疑主義
ヒ昌ームの体系が︑適度なものとはいえ︑ともかく懐疑主義に立つのは︑もとよりその根本性格に由来するのであ
るが︑しかしまた︑ヒュームの意図とも密接な関係があった︒ヒュームが意図したのは︑ロックに始まりバークリ等
によって展開されてきた経験論的人間学を完成させることであった︒しかしそのためには︑ロックやパークリ等の経
験主義の結論をただ発展させるだけでは十分でなく︑彼等が暗碧に︑従って不徹底にしか議論.批判しなかったギリ
シア哲学︑キリスト教神学そして近代の合理主義を取り上げもっと徹底的に批判する必要があった︒ロックやパーク
リ等も近代の合理主義を批判するために懐疑主義的方法に槌つた︒従って︑彼等よりより徹底して︑キリスト教神学
や近代合理主義を批判しなければならなかったヒュームが懐疑主義の立場を採ったのは当然だったのである︒そうし
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た態度は︑ギリシア時代の懐疑論者達のそれに似ている︒彼等は何れも︑当時支配的であった思想︑もっともらしく
思われ受け入れられていた理論や議論に対抗しそれ等を批判するために懐疑主義の立場を採った︒勢いヒュームも彼
等の懐疑主義に︑興味を持つことになるのである︒
ヒュームは︑ ﹃人闇知性研究﹄の最終章﹁アカデメイア派あるいは懐疑派哲学について﹂の中でギリシア時代の懐
疑主義として︑ピュロン派懐疑主義日ピュロニズムと︑アカデメイア派懐疑主義の二つを取り上げている︒言うまで
もなく︑ピュ戸ニズムは︑アレクサンド目ス大王の東方遠征に従ったといわれるエリスのピュ目ンによって創められ︑
彼の弟子ティモンによって継承・発展を見たものである︒ピュロンは何も書き残さなかったが︑その思想は︑セクス
トス・エンペイリコスの﹃ピュロン哲学の概要﹄によってある程度知ることができる︒それによると︑懐疑主義と
は︑﹁いかなる仕方にせよ︑現われるものと思惟されるものとを対立さぜる能力であり︑その結果としてわれわれが︑
相対立せしめられるところの事物や言説における同等な力のゆえに︑まずはじめに判断保留︵エポケ丁︶へ到り︑つ ︵1︶いで平静な悟脱の心境︵アタラクシアー︶に到るところの︑そのような能力のことである﹂︒また︑アカデメイア派
懐疑主義は︑この言葉からも窺えるように︑プラトンのアカデメイアから出てきたもので︑アルケシラオスやカルネ
アデス等によって展開された︒彼等の考えを一言で示すと︑ ﹁彼らはすべてのものが把握不可能であることを主張﹂
︵2︶
した︑ということになる︒しかしピュロニストによれば︑それも独断的主張となる︒ ︵3︶ これ等二つの懐疑主義は︑その後のギリシア哲学の発展に大いに貢献したのであるが︑キリスト教がヨーロッパに拡まるにつれて次第に衰えていった︒懐疑主義への関心に止めを差したのは︑キリスト教神学の基礎を築いたアウグ
スティヌスであった︒アウグスティヌスは︑回心後間もなく︑ ﹃アカデメイア駁論﹄を書いたが︑それは︑アカデメ
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
イァ派の懐疑主義を批判することによって︑当時の懐疑的な思潮を克服せんとしたのである︒そしてそれを︑アウグ ︵4︶スティヌスは新プラトン主義老︑就中プロティノスを通して行なった︒これは︑プロティノスの哲学︑いや哲学一般
を宗教としてのキリスト教の中に組み入れたということであって︑ここに哲学は﹁神学の碑﹂︵昌︒崇匪8一8貯︒︶
となった︵この点にういては第一章参照︶︒こうした神学が支配的な中では︑懐疑主義が活動できる空間は殆どない︒懐
疑主義はあくまでも哲学という空蘭においてその・存在意義を有するからである︒かくしてアウグスティヌス以後約幽 ︵5︶千年の間︑懐疑主義は窒息させられることになる︒懐疑主義が再び登場するのは︑近代になってからである︒多くの
思想家が︑古代ギリシアの懐疑主義に改めて意義を見出し︑それに新しい解釈を施し︑それを通して中世のキリスト
教神学に代わる近代の思想体系を打ち建てようとした︒ヒュームもその一人だった訳である︒
ヒュームは︑﹃人間知性研究﹄の最終章で︑四つの懐疑主義に言及している︒①先行的懐疑主義︵暫馨99窪酔圏睾
膏♂ヨ︶︑即ちデカルト的懐疑主義︵6僧﹁けO閉一口 6●OOOけ一〇印oo昌P︶︑②帰結的懐疑主義︵8塞き巨働8冥§⑲ヨ︶︑③過度
の懐疑主義︑即ちピュロン派懐疑主義︑④適度の懐疑主義︑即ちアカデメイア派︑懐疑主義︑がそれである︒このう
ち︑ギリシア時代の懐疑主義と関わるのは︑善うまでもな.く③〜④とである︒しかし︑藍・賛︑ポプキンやD.F. ︵6︶ノートンなどが夙に指摘しているように︑ヒュfムのいうピュロソ派懐疑主義やアカデメイア派懐疑主義の内容ぱ︑
ピ・pソやチ・モン・あるいはアルケシラオズやカルネアデス等の懐疑主義とは必ずしも同一ではな脆そこにはヒ
ュ︸ム独自の解釈と議論誤見られる︒しかしその意図︑即ち稜疑主義を︑当時支配的であった患想や理論に対抗する
ための武器として使おうという意図においては︑ヒュームとギリシア時代の懐疑論者達との商には語りほない︒
め デカルト的懐疑主義と帰結的懐疑主義丑翻 ︵
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近代に入ると色々なところがら多くの懐疑主義が頭をもたげてきた︒キリスト教的懐疑主義もその一つで︑その最
も早い表現をモンテーニュの思想の中に見出せる︒モンテーニュは︑自らはカトリックであると公言したが︑煩鎖で
硬直化したキリスト教神学や猪突会の内実を伴なわない護をピニ・ズムに・・て批判し解・.♂ア・ル・が現れる
までにはそれから一世紀も要しなかった︒
デカルトは︑ポプキンの表現を借りれば︑ ﹁ヨーロッパ思想を巻き込んだ懐疑主義の廃虚の上に新しい哲学を構築
しよう﹂とし麗デカルトは・モ・テ三;的懐疑主義を穫して︑疑い得ないような真理を発見しようとした︒デ
︵9︶.カルトは︑僅かでも疑わしいものはこれを絶対に誤りとして拒否した︒しかしどのように疑っても疑い得ないのは︑﹁われ思う︑故にわれ在り﹂︵oooq凶8騨臼σqoωロ箏︶ということである︒このコギトが何故疑い得ない真理なのかを解
明すれば︑われわれは真の認識の方法を見出すことができる︑とデカルトは主張した︒これが一般にデカルトの方法
的懐疑と呼ばれるものだが︑勿論ヒュームはこうした事実を承知した上で︑先行的懐疑主義即ちデカルト的懐疑主義
を取り上げるのである︒
ヒュームによれば︑先行的懐疑主義は︑ ﹁デカルトおよびその他の人々によって﹂説かれているが︑それは︑ ﹁研
究や哲学に先立つ﹂懐疑主義で﹁以前のあらゆる意見や諸原理ばかりでなく︑我々の能力そのものについても︑普遍
的な疑念を推称する﹂もので︑﹁誤りでも偽りでもある筈のない︑重る根源的な原理から演繹される一連の推論によっ
て・それらの真実性を確幽ようとする方法である・しかし三ームは・のようなデ・ル・的懐疑主義を批判する︒
何故なら︑ ﹁自明であり︑また説得的である他の諸原理以上に特権を有する何かこのような根源的原理﹂はないから
で︑ ﹁また仮にあるにしても︑既に自信を失っていると想定されている当の諸能力の使用以外には︑それを越えて︑
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
︵11︶我々は一歩も進むことはできないであろう﹂からである︒要するに︑自明且つ確実な根源的原理といったものは存在
しない︑例え存在するとして︑いかに方法的懐疑を駆使しても人間の理性に限界がある限りそのような根源的原理に
達することはできない︑というのである︒このようにヒュームのデカルト的懐疑主義批判は︑人間の理性に対する懐
疑が根本にある︒ところが︑デカルト的懐疑主義においては理性は無限の能力を持つとされている︒ヒュームはこの ︵12︶無限の能力を有すとされる人間の理性を︑過度ともいえる懐疑主義で攻撃する︒
上述のように︑ヒュームは知識を絶対的知識︑立証的知識︑蓋然的知識の三つに分ける︒この中で︑絶対的知識
は︑ ﹁観念の関係﹂に関わる知識で︑代数学や幾何学に見られる規則である︒従ってこの規則は絶対確実で誤りがな
いとされる︒だがヒュームは︑ ﹃人性論﹄第一篇第四部第一節﹁理性に関する懐疑論に就いて﹂の中で︑このような
絶対的知識も﹁その応用に際して︑我々の誤り易い不確実な諸機能は︑ともすれば屡々規則から逸脱して錯誤に陥り
易函と述べ・人間の理性1による推論−に過度の懐疑を浴びせている・も・とも・・一・は﹁理性﹂︵霧8︶
という語を極めて広く使っている︒そのため︑その都度この語が使用されている文脈の中で理解する必要がある︒で
は同節ではどういう意味で使われているか︒同節の最初の段落に︑理性は︑ ﹁真理を自然な結果とする一種の要因と ︵14︶考えられなければならない﹂とある︒ノートンの整理に従っていえば︑ここにいう理性は︑ ﹁真偽への到達としての
理性﹂︵HO帥吻0口 器 件ずO櫛O﹃一Φ︿O昌PO一日け︶︑﹁論理的推論としての理性﹂︵門88昌霧畠︒目︒霧茸象貯︒吋8︒︒o口冒oq︶という ︵15︶意味で使われていると思われる︒
だが︑こうした意味の理性による推論であっても︑その導く結果H真理は︑﹁他の様々な原因の聞入によって︑また ︵16︶我々の心的能力の非恒常性によって﹂往々にして妨げられる︒そのため︑すべての絶対的知識は︑立証的知識︵﹃人
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性論﹄の中ではこれには言及していないが︶︑そして蓋然的知識に堕する︑とヒュームはいう︒明らかにここには︑
人間の理性に対する露骨な懐疑が表明されている︒もっともヒュームが与えている説明は必ずしも説得的とはいえな
い︒そζに︑聞題の難易だけでなく︑理性的推論をなしている者の能力の強弱︑経験の度合などが関っているからで
ある︒立証的知識を黒む蓋然的知識においては一これについては以下で述べる一︑そうした説明は大いに妥当す
る瑛しかし絶対釣知識においてはその妥当性は蕩であ菊だが・次のような説明緒対的知識に対しても妥当す
るし︑その説明は︑今日の科学哲学においても大筋では承認されているのではないか︒曰く︑いかなる優れた数学者
達といえども︑ ﹁潤る真理を発見するとき︑直ちに全幅の信頼を該真理に置いたり︑或は該真理を以て単なる蓋然的
知識以外の何かであると見倣したりすることはないのである︒彼らが自己の立証に目を通すごとに信頼は増す︒が信
頼は︑友人たちの是認によって更に増し︑学者間の普き同意と讃美とによって至高の完全に高まるのである︒さて明
らかに︑横瀬がこのように漸次に増すことは︑新しい蓋然性が付加されることに他ならない︒且つ︑この増加の由来 ︵18︶するとζろは明らかに︑過虫の経験と観察とによる原因結果の恒常的接合にある﹂︒
次にヒュームは︑ ﹁科学と研究の結果生ずる﹂帰結的懐疑主義を取り上げる︒具体的には感官の明陽性に対する懐
疑論である︒これは︑﹃人間知性研究﹄の最終章だけでなく︑﹃人牲論﹄第一篇第四語路二節﹁感官に関する懐疑論に
就いて﹂においても論じられている︒
﹃人間知性研究﹄では先ず︑感官の明証性に対する反論として通俗的な懐疑主義が簡単に述べられている︒今日︑
﹁錯覚論法﹂︵舞ひq信ヨ︒曇h3琴笛二塁︒口︶と呼ばれているものである︒例えば︑水中で擢が屈折して晃えたり︑距離
の遠近によって対象が異なった外観を呈したり︑片方の眼球を圧迫することから生じる二重の映像等がそうである︒
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
しかしヒュームによればこうした例による反論は︑ただ︑ ﹁我々は単に︑感官の領域においても︑それらを真理と虚
偽との適切な基準となすためには︑理性によって︑また考慮によって︑媒介物の性質︑対象の距離および感官の傾向 ︵19︶性等に由来するそれらの明証を︑匡正しなければならないこと﹂を証左しているに過ぎない︒
また︑人間は︑自然的本能や先入見によって︑1従って︑何等推論することなくまた理性も使わない一自らの
感官に信用を置くようになる︒そして︑人間は︑感官が提示する映像自体を外的存在と想定し︑前者は後者の単なる
表象︵帰0唱﹃ΦωO昌什僧け印O昌︒慶︶に過ぎないのではないのかといった疑念は決して抱かない︒我々が白いと見︑固いと感ずる
この卓子が︑我々の知覚と独立に存在し︑それを知覚する我々の心の外にある外的存在だと信じられている︒我々が
居合わせていることがそれに存在を与えるのでもなく︑さりとて我々の不在がそれを消滅させるのでもない︒それは
人間から独立して︑自己の存在を斉合的且つ完全に保持する︒
しかしすべての人が持っているこうした通俗的な見解は最も陳腐な哲学によってさえも駆逐される︒我々が見る卓
子は︑我々が干鯛かるに従い小さくなるように見える︒しかし我々から独立して存在する実際の卓子は︑何の変化も
被らない︒それ故︑心に提示されたのはその映像に外ならないのである︒こうしたことは理性が明らかに指示する︒
この限りでは︑我々は理性による推論によって自然的本能に対立する︒従って︑感官の明証性に関して新しい哲学体
系を採らざるを得ないのだが︑この哲学を一連の明晰且つ説得力ある議論によって弁明することは人間の能力を越え
ている︒心の知覚がたとえ外的対象によって生ずるとしてもそれが何から生ずるか明示することはできない︒また︑
感官の知覚が外的対象によって生ずるとしても︑そして感官の知覚を生じせしめているのは確かに経験であるのだ
が︑この場合経験は全く沈黙しているため︑知覚と対象との結合について︑理性は何等の証明を示すことはできな
い︒ また︑感官の明証性あるいは外的存在に関する哲学的反論としてヒュームが挙げるのは︑あらゆる感覚的諸性質が
心の中に存在し対象には存在しないということが理性の原理であれば︑この考えは理性に反しているという議論であ
る︒周知のように︑ロックは物体の性質を第一性質と第二性質とに分けた︒第一性質は延長とか固体性といった性質
で︑物体と不可分でどんな変化を通じても恒存すると考えられる︒第二性質は︑色や味や音といったもので︑物体の
中にそのまま存在しているものではない︒扱てこうしたロックの分類に反論したのはバークリである︒バークリは第
一性質の観念は﹁抽象﹂によってはじめて獲得できる︒しかし既に第二章第一節㈲﹁抽象観念について﹂において見 ︵20︶たようにバークリは抽象観念に強い疑念を呈する︒ここにおいてヒュームはバークリを懐疑論者と見倣す︒ヒューム
はバークリの説を受け継ぎ︑それにヒューム一流の皮肉った問いを発し︑この問題に結着をつける︒ ﹁物体からその
あらゆる理解しうる諸性質︑すなわち第一および第二性質の両者を共に奪ってみよ︒そうすれば諸君は︑或る意味に ヘ ヘ へおいて物体を消滅させ︑我々の知覚の原因として︑ただ看る未知の説明不可能な何物かだけを残すことになるのであ ︵21︶る︒それは︑甚だ不完全な想念であるので︑いかなる懐疑論者でも駁するに価しないと考えるであろう﹂︒
ヒュームの帰結的懐疑主義の議論の中で︑いま一つ重要な議論がなされている︒それは︑感官の真実性を最高の存
在神の真実性によって証明しようとする考えについてである︒議論は短いが︑問題点は的確に捉えられている︒
﹁いやしくも︑彼︵神一筆者︶の真実性がこの問題に係わるとすれば︑我々の感官は全く誤りなきものとなろう︒
何故ならば︑かりそめにも︑彼が欺くことができるということはあり得ないからである︒もしも外的世界が一度び問
題にされるならば︑あの︹存在︺の実在︑あるいは彼の諸属性のどちらかを証明しうる論議を見いだすのに︑我々が
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
当惑するであろうことは云うまでもな脇﹈・感官の真実性が神の真実性によ・て保証されるならぽ︑ここに過慶の感
官︵覚︶主義が成り立つことになる︒だが︑外的対象︵世界︶といった具体的な問題が起れば︑神の存在︑神の属性
といったことが証明されなければならなくなる︒しかるにヒュームは︑第一章で見たように︑これ等の証明が極めて
困難であることを論証した︒
これと同様の議論は︑デカルト的合理主義にも︑また︑後述するヒュームに多大な影響を与えたハチソンなどの自 ヘ へ も然主義にも適用できる︒デカルトの合理主義も︑その理性が神によって保証されている故に︑過度の合理主義となっ
ているのである︒デカルトにおいては︑デカルト的懐疑主義も︑神の保証する理性によって克服されている︒デカル
ト的懐疑主義は︑人間の理性への過度の信頼が要請した方法論であった︒だが人間理性への過度の信頼は︑何時かは
神の存在そのものを否定する方向へ向かわないか︵事実その後の歴史はその方向に向かった︶︒ヒュームがそうした
危惧を抱いていなかったとはいえない︒またハチソンは人間の感情を最重視しそれを自然であるとしたが︑この自然 ヘ ヘ へである感情の真実性は神によって保証されていた︒ ハチソンの感覚主義が過度の自然主義となるのはこのためであ
る︒ヒュームは勿論︑合理主義はこれを断固轟けたが︑しかし過度の自然主義の立場も採らなかった︒
最後に︑デカルト的懐疑主義︑帰結的懐疑主義に対するヒュームの議論の結論を︑ ﹃人性論﹄第一篇第四部第二節
の最後の段落の文章で確認しておこう︒ ﹁理性及び感官に関する懐疑的疑惑は︑人生の絶対に根治されない固疾であ
る︒⁝⁝理性と云い︑感官と云い︑体系によって弁護すべく力めればその正体を曝らけ出すだけである︒蓋し︑懐疑 ︵23︶的疑惑は︑理性或は感官のような主題に関する深遠で強烈な省察から自然に起る﹂︒
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㈹ビ・呈ズム批判とアカデ・イア派遷主義
−過度の懐疑主義と適度の懐疑主義−
上述したように︑ピュロニズム即ちピュロン派懐疑主義もアカデメイア派懐疑主義も︑その表現は古代ギリシアの
懐疑主義に由来している︒しかしヒュームが使用しているそれ等の用語の内容は︑古代ギリシアの懐疑主義のそれと
は必ずしも同じではない︒ここではヒュームの用語に従ってこれ等の懐疑主義について論ずることにする︒
ヒュームによれば︑ピュロニズムとアカデメイア派の懐疑主義との違いは程度の差に過ぎない︒即ち︑ピュロニズ
ムは過度の懐疑主義で︑アカデメイア派懐疑主義は適度の懐疑主義であるとされている︒ヒュームはピュロニズムに
対しては明確な定義を下していないが︑アカデメイア派懐疑主義には次のような定義を与えている︒即ち︑アカデメ
イア派懐疑主義が﹁常に唱えるところは︑疑念︑判断の停止︑性急な意志決定の危険︑知性の研究を極めて狭い範囲 ︵%︶に局限すること︑日常生活と実際行動の範囲内に納まらぬあらゆる思弁の放棄である﹂と︒
ヒュームは︑ピュロニズム日過度の懐疑主義とアカデメイア派11適度な懐疑主義との違いについて次のように述べ
ている︒﹁適度の懐疑主義︑すなわちアカデメイア派の哲学が実際に存在するが︑それは永続性があり有益でもあろう︒
またそれは幾分かはこのピュロニズムすなわち過度の懐疑主義の効果であるが︑その場合には︑それの無差別的な疑 ︵25︶念が︑去る程度常識と反省によって匡正されている﹂と︒ここで明らかなことは︑一︑過度の懐疑主義も必ずしも全
面的には否定されていない︒二︑適度の懐疑主義は︑過度の懐疑主義を常識︵OOコρヨO昌 ψ0昌ωO︶と﹁反省﹂︵﹁o楠一〇惹︒昌︶
によって匡正されたものである︑ということである︒では両者は具体的にはどう違うのであろうか︒
﹃人性論﹄の﹁理性に関する懐疑論に就いて﹂の節の中には︑ピュロニズム︑アカデメイア派懐疑主義何れの用語
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
も出てこない︒しかし同節には︑全面的懐疑主義︵8巨ω8冥一9ωヨ︶という用語が出ており︑これが︑J・イマゥ ︵26︶エールも指摘するように︑ピュロニズムに対応するものと考えてよい︒ではこの全面的懐疑主義とはどのようなもの
か︒聖節での議論では︑二つの内容がこの懐疑主義に含まれている︒一つは︑いかなる絶対的知識といえどもその応
用に際しては蓋然的知識に堕すというもので︑これについては既にデカルト的懐疑主義を扱ったところで述べた︒し
かしこれだけでは全面的懐疑主義とはならない︒寧ろそれは︑ヒュームの当然と認める懐疑主義である︒いま一つ
は︑蓋然的知識は︑推論が加えられ繰り返される毎にその蓋然性を減少させ終には無となる︑というものである︒こ
れについていま少し見てみよう︒
ヒュームは次のような議論をする︒蓋量的知識は絶対的知識と異なり︑それ自身の中に既に根源的不確実性を有し
ている︒またこのような蓋然的知識を持ちそれについて判断を加えようとする人間の能力に庵限界がある︒ここに第
二の不確実性が認められる︒しかしまた人間が行なう判断についての評価には常に錯誤がつきまとう︒ここに第三の
不確実性︑即ち疑惑が付加する︒この疑惑は我々が一この場合には︑ノートンのいう蓋然的推論の意味での理性も
含まれる1理性に忠実に従う限り︑その解決を回避できないような疑惑である︒だがこの解決が最初に下した判断
に有利であるとしても︑この解釈の根底はもともと蓋然性に過ぎない︒従ってこの解決は最初の明証性を更に弱める
に違いない︒そして更にまた︑この解決が同種の第四の疑惑によって弱められるであろう︒こうしたことが無恨に続 ︵27︶くならば︑最初の蓋然性がいかに大きくとも終には無に帰することになろう︑つまり︑﹁判断の全面停止﹂︵け99¢⊆ω︐
忘ωooh甘住oqヨ︒暑︶ということが起るであろう︒
以上がヒ昌ームの議論だが︑ここにも二つの懐疑主義が認あられる︒即ち一つは︑蓋然的知識に対して︑一画︑数
回あるいは数多くの理性による推論が加えられることを要請する懐疑主義であり︑いま一つは︑無限に︑つまり限り
無く理性による推論を要請する懐疑主義である︒扱てヒュームによれぽ︑この第二の懐疑主義が︑全面的懐疑主義︑
即ちピュロニズムである︒ヒュームは以上のような議論に些かの錯誤も認めない︒だがヒュームはこのピュロニズム
を愚論として却ける︒何故であろうか︒それは︑﹁︹自己の経験を省みて︺験す価値があると思う者は誰しも経験によ
って十分に承服させられるように︑我々は︑前述の︹徹底的に懐疑的な︺議論に些かも錯誤を見出すことができない ︵28︶に拘らず︑依然として日ごろ行うとおりに信じ続け︑思考し続け︑推理し続ける﹂からである︒つまり我々はともか ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑︵29︶く︑哲学面においても日常生活の面においても︑ ﹁最終極に於て目的に十分な信念﹂を保留するからだ︒その理由を
ヒュームは以下のように説明する︒
蓋然的知識に対し︑懐疑を一回︑二回⁝⁝と加えていくと︑心の活動は不自然︵§ロ①言﹁巴︶になり観念も淡く且
つ君門となる︒それ故︑判断の原理も諸原因の比較考量も初めのままとはいえ︑それらが想像︵ヨ90σqり啓9一印Oコ︶に及
ぼす影響は異なってくる︒想像が推論に対し勢いを付加したり殺したりするのである︒心が不自然に活動する時に︑
想像は普通に行う判断や意見から起る感覚を持たない︒勿論︑想像にも二つある︒一つは︑二親的な特性﹂︵oq窪︒噌讐
胃︒需﹃二8︶を持つ想像で︑論証的推論︑必然的推論を支える能力である︒いま一つは︑﹁空想の独特な且つ外見的に ︵30︶些細な特性﹂︵ωぎoq巳碧昌§ヨぎσqζ聴く凶9︒一二︒冨﹃qoh雷蔓紫︶を持つ能力である︒第一の特性が因果的判断の ︵31︶中に見られるのとは違って︑想像の第二の特性は事物の非因果的判断の中に見られる︒ヒュームによれば︑想像が前
者の特性に従って働く時に︑いかなる命題−哲学的と日常生活的なものとを問わず!もその確実性は無に帰す︒
ヘ ヘ へ も ヘ ヘ へ も ヘ へ た ヘ ヘ へそして想像が後者の特性に従って働く時︑ ﹁最終極に於て目的に十分野信念﹂は保留される︒この時我々は全面的懐
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
疑主義︑即ちピュロニズムの愚論に陥らなくて済むのである︒
以上から明らかなように︑ヒュームのいうピュロニズムは︑想像の第二の特性︑即ち︑ ﹁空想の独特な且つ外見的
に些細な特性﹂を認めない懐疑主義ということになる︒しかしここに一つの欠陥があった︒それは︑想像の第二の特
性の中には︑偏見︑迷信︑軽信といったものが含まれているからである︒もしそうしたものまでも容認するならば︑
合理的な説得力ある理論を手にすることはできない︒勿論︑ヒュームもこの欠陥に気づいていた︒ ﹃人間知性研究﹄
の最終章において︑第二の特性の意味で想像という言葉が全く影を潜めたのはそのためである︒ ﹃人間知性研究﹄に
おいては︑アカデメイア派懐疑主義が積極的に明示︑肯定され︑それと対比される形でピュロニズムが示されそして
批判されている︒
繰り返すことになるが︑ヒュームによれば︑アカデメイア派懐疑主義が常に唱えるのは︑疑惑︑判断の停止︑性急
な判断の危険︑知性の研究を狭い範囲に局限すること︑日常生活と実際の活動の範囲に納まらない思弁の放棄であ
る︒これらについていま少しく説明すれば次のごとくであろう︒ ︑
﹃人性論﹄においては︑アカデメイア派懐疑主義については何も明示されてはいない︒しかし︑懐疑主義を巡って
﹃人性論﹄と﹃人聞知性研究﹄との間に見られる議論の違いは︑ピュロニズムの理解に関するものだけであるから︑
それ以外の懐疑主義竺応アカデメイア羨望主義と認められて・聴とす・・︑絶対的知識も蓋然的知識量すと
いう主張1これについてはデカルト的懐疑主義批判の中で述べた一もアカデメイア派懐疑主義の導いたものであ
る︒また︑蓋然的知識に対して一回︑二回⁝⁝と疑惑を加えていけば︑同知識の確実性も次第に減じていくという主
張も︑アカデメイア派懐疑主義の導いたものということができる︒ピュロニズムは︑蓋然的知識に対し無限に疑惑を
61
加えようとする懐疑主義である︒それは︑全面的判断の停止をもたらすので︑アカデメイア派懐疑主義はこれを却け
る︒アカデメイア派懐疑主義は︑性急な判断の危険性を指摘するが︑判断の停止は認めない︒
﹃人性論﹄では︑想像の空想の些細な特性にようてピュロニズムからの逃避が説かれたため︑迷信や偏見といった
ものまでが容認されることになり︑議論が説得力を欠くことになった︒ヒュrムはこれから逃れるため︑ 内人間知性
研究晦矯ほ︑アカデメイア派懐疑主義はピュ騨ニズムを︑上述したように﹁常識﹂と﹁反省﹂によって匡正されたも
のであると修正した︒
アカデメイア派懐疑主義は︑ピュロニズムを含むドグマティズムに対するいわぽ解毒剤である︒ドグマティズムに
とって︑逡巡し比較考量することは︑自らを紛糾させ情念を抑え行動を停止させることを︑意味する︒しかしドグマテ
ィストが人間の知性の限界に︑その最も完全な状態においても︑またそれ然最も緻密に注意深く意志決定を行なう時
も︑気付くならば︑この﹁反省﹂は慎しみと自制の念を自らに与えそのドグマ性を減じるであろう︒ヒュームによれ
ば︑・アカデメイア派の懐疑主義には︑あらゆる種類の吟味と意志決定において︑常にある程度の疑惑︑用心︑そして
慎しみがある︒
またアカデメイア派の懐疑主義は︑我々の研究を人間知性の狭陸な能力に最も適合した主題に制限する︒人間の想
像は生来︑現実から離れ︑無制限に時空の最も遠く離れたところに飛翔する︒これとは違って︑正しい判断は︑あら
ゆる高遠な研究を避け︑自らを日常生活︑日々の仕事や経験の範囲内にある主題に制限し︑それらを超えた主題は詩
人や雄弁家の潤色︑僧侶や政治家の技巧に任せる︒哲学的な人々は︑哲学的な決定が︑整序され・修正された日常生 ︵33︶活の反省︵器h一〇96富Oh8ヨ§三一三差Φ昏&貯9︶に外ならないと考︑兄る︒しかし彼らは︑自らが用いる能力の
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
不完全性を考慮する限り︑決して日常生活の範囲を越えて進む気にはならぬであろう︒
このような懐疑主義が大体アカデメイア派懐疑主義の特質であるが︑しかし以上の説明だけではヒュームの人間学
に見られる方法論的特徴は十分に示され得ないであろう︒ヒュームの懐疑主義は自然主義と表裏の関係を有している
のである︒
旬 適度の自然主義 く 自然主義とはどういうものか︒自然主義ほど様々な意味で使い得る概念はないのではなかろうか︒ある考えあるい
はある理論を自然とし︑それを絶対のものと見倣せば︑自然主義は成立するからである︒また︑ヒュームも指摘して
いるよう哺﹁自然的﹂︵昌き色という用語自体暖昧なのだから・多くの自然主義が成立する・とになる︒ホ・ブ
スのように︑人間を自然界の一部としてそれを絶対のものと見倣し︑そうした考えでもって社会現象を理解しようと
する社会理論も自然主義といってよい︒また︑社会進化を自然の社会過程と見倣しそれを絶対視するスペンサーのよ
うな社会進化論も︑自然主義といってよいだろう︒ではヒュームについて言われる自然主義とはどういう内容のもの
か︒ ヒュームの自然主義が注目されるようになったのは︑言うまでもなく今世紀に入ってである︒上にも述べたよう
に︑前世紀末重では︑ヒュームは懐疑主義老︑それも過度の懐疑主義老と見倣されていた︒この意味で︑K.ス︑︑︑ス
が一九〇五年に発表した﹁ヒュームの自然主義﹂︵︐目ぽ①2只言冨一三ヨoh国ロ言︒..︶は︑まさにヒューム研究史上画期
的な意義を有するものであ・蝿スミスはその後・同論文の内容を膨ませ・一九四一年︑・・去の自然主義を体系
的に論じた著書﹃D●ヒ・ームの哲学﹄を公刊し塘.﹂の大著は多くの追随者を生み含塁ぞいる︒同著におけ
63
るスミスの結論は︑ ﹁理性を感情︑本能あるいは自然的信念に完全に従属させているところにヒューム哲学の特徴が
︵37︶ある﹂︵ノートン︶というものである︒勿論一方では︑こうしたスミスの議論に対して多くの批判もなされてきた︒
その中で最も注目されるのはノートソの﹃常識派道徳論者および懐疑主義的形而上学者としてのD℃ヒューム﹄
議論の大半はこれを容認する︒ノrトンもヒュームの思想を自然主義と認めるが︑しかしそれはF.ハチソンやケイ ︵77︶ (《a?ミミミ恥︾Ooミミ︒〒縛蕊恥§ミ︑§置目喜多ミhさミ︑電恥ミ§噂 り◎︒b︒︶である︒もっともノートンはス︑︑︑スの
ムズ卿やG・ターンブルなどの自然主義とは違う︒もし彼等の思想を自然主義というならばヒュームのそれは適度の
自然主義といわねばならない︑とノートソはいう︒このノートンの指摘は極めて重要であるが︑ノートンの議論は後
で述べることにして︑その前にヒュームの文章によってその自然主義あるいは自然主義的傾向を見ることにしよう︒
ヒュームの自然主義︑自然主義的傾向は到るところに見られる︒既に論じたヒュームの因果論においても自然主義
的傾向は明確に現れていた︒ヒュームは関係に︑自然的関係と哲学的関係の二つあるとしたが︑因果性に基づいて推
論できるのは自然的関係においてのみであると論じている︒またヒュームは︑哲学的レベルでは︑ ﹁必然的結合﹂の
観念を否定したが︑しかし心理的レベルではそれは一種の自然的な信念であると認めた︒何れの議論においても︑ヒ
ュームの方法論に自然主義的傾向を見出すことができる︒
また︑ ﹃人性論﹄第一篇第四部の第一章︑第二節においても自然主義的傾向が見られる︒同病一節﹁理性に関する
懐疑論に就いて﹂の最後に︑﹁自然があらゆる懐疑的証明の勢を時と共に弱め︑知性へ著しい影響を及ぼさなくなって
いることは・甚だ多幸であ㊥と書かれているが・三にも自然主義的傾向がハ・キリ出ている・また同第二節﹁感
官に関する懐疑論に就いて﹂で︑ヒュームは上でも見た外的存在について論じているが︑そこでの議論には次のよう
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D.ヒ昌一ムの経験論的人間学の研究(六)
な前提がなされていた・﹁いか蓉爵茄秘憲嚢レで惚霧萄憲謡歌かと訊ねる・とは差支えないが︑
称体淳朴かか無いかと訊ねることは無駄である︒後者は︑我々の行う一切の論究に当って︑初めから許さなければな
らない点なのであ華と・この同節冒頭にある文章から窺える・とは︑・・去の懐疑主義1こ・では外的存在に
対する懐疑!が︑自然主義的前提から出発していることである︒また同節の中に次のような文章がある︒ ﹁主題に
注意を注ぐあいだは︑哲学的であって研鎭を経た原理が打ち勝とう︒しかし︑思惟を弛めればその瞬間に︑人間の自
然の性は本領を発揮して︑我々を以前の︹非哲学的且つ素朴な︺考えに引戻すであろう︒いや︹人間の︺自然の影響
は時おり非常に強く︑いとも深遠な省察の最中にさえ思惟の進行を中止できて︑いかなる哲学的な考︑兄にせよ︑その
一切の帰結を進めないよ嘉することができ下下旨節の最後で・・去は︑全面的懐疑主義二二・ズ・か
︵41︶ら逃れるには﹁粗漏と不注意﹂ ︵8円色︒器口︒器9︒昌傷ぎ1舞8ロけざ口︶を要すると書いているが︑これは上述した外的存在に対する通俗的見解を自然主義的アプローチによって支持したものである︒
このようにヒュームの自然主義︵的傾向︶は到るところに現れており︑その例を挙げればいくらでも挙げ得るが︑
しかしそれが集中的に見られるのは︑ ﹃人性論﹄第一篇の最終節︵第一寛延四部第七節︶と﹃人間知性研究﹄の最終
章である︒
﹃人性論﹄の最終節は﹁本篇の結論﹂となっているけれども︑同旨第一篇の結論というだけでなく︑同著全体の結
論といってもよいもので︑ヒュームの方法論の性格が凝縮的に表明されている︒先に私は︑全面的懐疑から脱出させ
るのは︑.想像の第二の特性︑即ち﹁空想の外見的に些細な特性﹂■であるとヒュームは論じていると述べたが︑これが
出ているのは実はこの節である︒またヒュームはこの節で︑全面的懐疑主義に陥って迷いそして心が錯乱をきたして
65
いる場合︑ ﹁理性がこうした迷いの雲を吹き晴らし得ないとき︑自然それ自身が十分この目的を果たしてくれる︒即
ち︑上記の︹悲惨な冒心的趨勢が︹独ゆでに︺弛むか︑零もなければ感官が他に何らかの気晴しを求め︑生気ある印
象を得て︑ 一切のこうし売妄想を抹殺するか︑そのいずれかによって︑この私を悩ます哲学的憂診及び精神的錯乱
︵曄貯9諌88竃8一目︒す昌90q櫛ロα自Φぎ追記︶ は自然に治癒されるのである︒私は食事を執り︑双六を遊び︑友
人と座談を交えて打ち興ずる︒そして︑三・四時間の娯楽ののち先の思弁に帰ろうとすれば︑その時それらの思弁は
甚だ冷か・無理・滑稽に見えて︑再び深入りする心にはなり得ないのである﹂︒かくしてヒュームは︑﹁私は日常茶飯 ︵24︶の生活に於て他の人々と同じく生き・語り・行うように絶対的且つ必然的に限定されているのである﹂と告白する︒
以上の文章はヒュームの自然主義が表明されたものとして屡々引用される︒
また︑ ﹃人性論﹄第一篇と第二篇のエッセンスを︑同著の宣伝のために要約した﹃人性論摘要﹄にもヒュームの自
然主義は見られる︒ヒュームによれば︑ ﹃人性論﹄で扱われている因果論や外的存在についての議論は極めて懐疑的
になっているがそれは理性を用いる外ないからそうなっているのである︒ ﹁もし自然が強過ぎることがなかったなら
︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︵43︶ば︑哲学は我々を全くピュロンの徒としたであろう︒﹂︒同じような表現は︑﹃人間知性研究﹄の最終章にも見られる︒
﹁自然は常に原理にとっては余りにも強力である﹂と︒そして以下のような文章が続く︒﹁ピュロンの徒が︑彼の深
遠なる推論によって︑自らを︑あるいは他の人々を︑一時的な驚きと混乱とに陥れようとも︑生活上の最初の︑そし
て最も些細な出来事が︑彼のあらゆる懐疑や逡巡を潰走させ︑行動と思弁とのすべての点において︑他のあらゆる哲
学者達︑あるいはいかなる哲学的探求にも係わったことの一度もない人々と︑同じものを彼に残すのである﹂︒
以上︑長い文章もいくつか引用しながら︑ヒ遇ームの方法論の基本的性格を窺った訳だが︑そこから明らかなこと
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
は︑ヒュームの哲学の領域においても自然主義的傾向が看取できるということである︒道徳論その他の領域では一
以下の章が示すであろうようにllもっと明瞭に自然主義的傾向が見られるのであるから︑ヒューム体系の性格を︑
K・スミスのように︑﹁自然主義﹂という用語で表現しても決して誤りではない︒だが︑この自然主義という用語を︑
ハチソンや彼の後継老巧の思想に見られる自然主義と同じ意味で使うならば︑ノートンが指摘するように︑それはヒ
ューム体系︑特にその哲学の性格を誤解することになろう︒ヒュームの体系を自然主義と呼ぶことは間違いではない
が︑しかしそれはハチソン等の自然主義とは明らかに異なっている︒この違いは極めて重要であるので︑詳しくは次
章以下で諭ずることにするが︑要点だけはここに述べておく︒
ヒュームの自然主義とハチソソ︑ターンブル︑ケイムズ等の自然主義との違いは色々あるが︑重要な違いは次の二
点である︒日ハチソン等は︑神の存在証明に関して﹁設計論的証明﹂︵舞陰ヨ0曇h3巳畠︒二曹︶を信じていたので︑ ︵穏︶彼等の自然主義は﹁神意による自然主義﹂︵ロ懐く置①鼻凶器コ藍碧嵩ωヨ︶と呼んでもよいものである︒一方ヒュームは︑
第一章で見たように︑設計論的証明には極めて批判的であった︒従ってヒュームの自然主義は︑神意による自然主義
的性格を殆ど帯びていない︒露霜チソン等は理性よりも感情︵ω⑦昌言ヨ①昌一︶をはるかに重視した︒しかもその感情は
神によって与えられたものであるから︑人間が感情に従って考え行動しても︑その絶対的確実性は保証されるとし
総三ームも理性より感情を重視したが・感情が神によ・て童られたものとまでは考えなか・た︒従・て・r
ムはハチソン等と違って感情を絶対視せず︑理性にも重患な役割があることを認めた︒
以上から導かれる結論は︑ ハチソン等の思想を自然主義と呼ぶならば︑ ヒュームのそれは﹁適度の自然主義﹂ ︵9︒
暑︒q琶︒き﹃器麗と呼ばねばならないということである・従・てでスの三主論愛書正が必要になる
研
ということである︒ ︑ ︑ ︵弼︶ここにややというのは︑スミスも上記の点についてはある程度気づいていたからである︒
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︵1︶ セクトス・エンベイリコス﹃ピュロン哲学の概要﹄ ︵藤沢令夫訳﹃ギリシア思想家集﹂所収︑筑摩書房︶二一九頁︒尚︑ 注
藤沢氏によると︑﹁﹃スケピシス﹄は本来﹃考察﹄の意味であるから︑﹃懐疑派﹄︵スケブティコイ︶をこのギリシア原語の基
本義に沿って直訳すると﹃考察︵主義︶派﹄となるところであるが︑判断を保留し積極的な教説を何も立てないことを建前と
するその考え方から︑﹃懐疑的﹄という意味合いを与えられることになった︒﹂︵同上︑三九六頁︶
︵2︶ 同右︑二五五頁︒
︵3︶ A・H・アームストロングによれば︑これら二つの懐疑主義は︑ ﹁ストア派やエピクロス派の教説よりもずっと深くて価
値のある新しい積極的な教説のために地ならしをし︑道を備えたことによって︑ギリシア哲学の発展に有益な貫献をした︒﹂
︵アームストロング﹃古代哲学史﹄岡野・川田訳︑みすず書房︑一八八頁︒︶
︵4︶ プロティノスの哲学がアウグスティヌスにおいてどのようにキリスト教に組み入れられていったかは︑拙著﹃東西思想の
比較﹄︵成文堂︑平成元年︶の第二章二ω﹁アウグスティヌスの神学﹂を参照︒また︑アウグスティヌスのアカデメイア派
懐疑主義に対する批判は︑金子晴勇﹃アウグスティヌスの人間学﹄︵図心社︑昭和五十七年︶一一六頁以下参照︒
︵5︶ R・H・ボブキンは︑近代に到って懐疑主義が再登場することになるのは︑ ﹁十六世紀に起きた幾つかの途方もない文化
的変動﹂によってであるとし︑大航海︑ルネサンス︑カバラや魔術的教義の衡撃︑近代自然科学の勃興︑宗教改革等を上げ
ている︵ポプキン﹁懐疑主義︵近代思想における︶﹂︑宮武昭訳︒ ﹃西洋思想大事典﹄①所収︶︒またポプキン﹃懐疑﹄ ︵野
田・岩坪訳︑紀伊国屋書店︶も参照︒
︵6︶℃具旦開・=二δpユ隅=二B︒暫巳齢冨等コぎ巳昌9三3く︒﹃堵.︑二口き慧二巴曽ξ︿●ρO冨§滑﹀島︒﹃罫ω曽
H8①.Zo再oPU.閃・・b§&きヨ♪℃ユロ8εロ己附く・勺﹁8ω・ O◎︒駆︒・旨・留㎝−boOO●等参照︒
︵7︶例えばモンテーニュはその﹃随想録﹄の﹁レイモン・スボン弁護﹂の中でピュロニズムについて次のように書いている︒
﹁かれらは探究し討諭するのに自分の理性を用いるが︑決定し選択するためには用いない︒どんな場合であろうとも︑無知
をたえず告白することを思い︑勾配もなく︑傾斜もない判断をいだく者こそ︑ピ昌ロニズムの徒である﹂ ︵関根秀雄訳︑白
D ヒ晶一ムの経験諭的人間学の研究(六)
水社︑=七二頁︶︑また︑﹁この思想は︑﹁私は何を知っているのか﹄という疑問形によった方が︑より確実に表現される︒
わたしはこの句を︑一個の天秤に標語として掲げている﹂︵同上︑二九一頁︒︶
︵8︶ ボブキソ﹁懐疑主義﹂︵前掲書︑三五六頁︒︶
︵9︶ デカルトは︑﹃方法序説﹂の中で次のように述べている︒﹁ほんのわずかの疑いでもかけうるものはすべて︑絶対に偽な
るものとして投げすて︑そうした上で︑まったく疑いえぬ何ものかが︑私の信念のうちに残らぬかどうか︑見るべきことに
すべきである︑と考えた﹂︵野田又夫訳︑中央公論社﹁世界の名著﹄勿所収︒一八七−八頁︒︶
︵10︶ 屠§o層U二向ミミ斎ご署﹄おあ.前掲邦訳為︸=四頁︒
︵11︶ 出犀ヨ︒●∪・●き畿・唱﹄お●鵠掲邦訳︑二一四頁.
︵12︶屠§芦炉●さミ●野℃﹂留●そこでヒュームは︑独断的理性が強ければ︑懐疑的理性も等しく強くなる︑と述べている︒
︵13︶ 諸琶稲●O;旨磯ξ噂﹂8●前掲邦駅口︑.五頁.
︵14︶ 夢翼5・O・ザ旨鷺●・︐臼8・前掲邦駅H﹇︑五頁︒
︵15︶ り♂﹁8ロ・O・閃・警&冬一馨り60翌灘︒苧恥婁さ達葬5縛魯ミミさ&㌻鴇紳魯3℃ユロ8ρ8q巳く●写①郵6c︒曝aも℃︒O午
Q︒・ヒュームの蓼住の義念については︑何れ道癒論を論ずるところで詳しく述べるつもりである︒
︵16︶ 属實茜嚇U・●﹂ミ・.唱﹄︒◎ρ前掲邦訳口︑五頁︒
︵17︶ 杖下隆芙﹃ヒューム﹄︵動草書房︑昭和五十七年︶一一五頁参照︒
︵18︶ 踏窪Bo魎︐●宣畿二暑・ 勲Y一・前潟蓼訳H﹇︑ 五一六貰︒
︵19︶ 属§ρU二肉離覧識冨二署﹄苧 ●前掲郭訳︑一=五−六頁︒
︵20︶ 餌§o.Oごま畿;唱﹄呂.ロ・鮮そこでヒ昌ームはパークリについて次のように諭じている︒ ﹁この諭議はパークリ博士に
依るものである︒そして実際に︑あの極めて賢明な著者の作品の大都分は︑ベールをも含めて︑古代もしくは近代の哲学者
達のなかで見いだされうる懐疑主義の最善の教課を形成している︒﹂︵前掲弗訳︑二二〇1一頁︒︶
︵21︶ 属唱旨♪口噂まミ・.◎﹄a・前掲郎訳︑一==頁︒
︵%︶ 出§器●︼︶;母ミ●恩● 器●﹂岡揚叙〃訳︑二一八−九頁︒
︵23︶ 国鐸B①.戸讐﹄↓養輔葬Qミき建旨審臣事噂︐懸︒μ鉾前掲邦訳 口︑五六−七頁︒
69
︵%︶ =震ヨ︒O二駒塁5ユぼ.℃﹄ビ前掲邦訳︑六二頁︒
︵25︶国ロヨ●U・.︑菱二づ﹂O ●前掲銘9訳︑二二八一九頁︒
︵26︶ 一ヨき躍翌︸﹁.9●︐レ貿二〇.④謬﹃塞輔属信§.ω午①ho冨ロ8ho﹃子︒コ﹃ωけ肉ミミ遂︑.●首ミ&きト網§⑦↓S高9
旦●げ﹃戸周.Zo§り男・ξ匪麟艮一ミ鎗﹃ピ・雪景8P9§・﹀岳けぼ差芸評器﹄Oお・
︵幻︶ 議8ρ炉層︑↓鳶誌馬ミき養旨さ量己璽切﹂雲・
︵%︶ 躍員5.︼︾●讐ま&二b・ 鐙●前掲邦訳口︑十一頁︒
︵29︶ 摺§5蟻.U二︑奪鷺●﹄象●前掲邦訳口︑十二頁︒
︵30︶属嵩BρO・讐審ミ・輸旨●8蘭︒◎︒●前掲弗訳口︑一二二頁︒
︵31︶ 一ヨ巴臼ぎぼ●飴δ&二℃●§●
︵32︶ ヨ5理ヨ聾5廟・さミ●●恩・墓︒
︵33︶ =置ヨ︒.∪二助器ミ憂.も・一①bっ・前掲邦釈︑二三〇頁◎
︵34︶ 出ロヨ︒讐U二﹄↓薔葬衡儀さ養隔き鷺遷二Pム刈・
︵35︶ ωヨ津戸戸●象↓9詩窪3詳目9国躍Bo遷.一璽国噂菱響一霧●
︵36︶ ¢ヨ雰7●戸り罫㌍嵩8魯ひ︑ミ・ぎミ聖藤♪=03竃9︒ロ O一●
︵37︶ぎ§O・聞3まミニ噂﹂刈.ノ!トンは︑K・スξスのヒームの自然主義に関する主張を次の六つにまとめる︒①察実
の問魎においては︑理性は全く盲目で指導的役劃は果たさない︒②事実の問題において︑最も威力を振うのは︑絶対的知識
や理性ではなく︑信念であり︑感情であり情念である︒③人間も動物と同じく︑自然︵Zロε﹃o︶の保護の下に生活している
ので︑理性によって正当化されねばならないいかなる計画の中でほなく︑自然の命令の中に︑信念と行動の究極的基準を見
出されねばならない︒④我々が頼るべきは︑理性ではなく曾念を含む感情を通してすべての実力の根本問題に働きかけてい
る自然の導きである︒⑤事実の聞手で︑理性という用語にまだ固執するならば︑それは︑我々が本能的にまた坂り消し得な
い程関っているある遊本的な信念に対して使われるものである︒絶対的知識の領域において可能なような反省的思惟は基本
的信念に従ってあるいは一致して働かねばならない︒道徳というより狭愚な領域におけると同様︑この領域においても︑
理性の機能は我六の本能によって規定される特性に貫灯しなくてはならず貢献するだけである︒⑥ヒ昌!ムのいう﹁当為﹂
70
D.ヒュームの経験論的人間学の研究(六)
︵o口︒腎三︶は︑全く自然主義的に使われている︒それは範疇的﹁当為﹂ではなく︑仮説的﹁当為﹂である︒受け入れねばな
らない信念は︑自然自身が我々に選んだ信念である︒ ﹁自然的﹂信念と同様︑その基本的形態においては︑我々はそれを選
択せざるを得ない︒ ︵︼︶曽く一住 団潜けO ZO﹃けO口讐さミ・曽 尉刈−卜90・︶
︵38︶ 国ロ§ou二さミ・●噂﹄零●前掲邦訳昌︑十五頁︒
︵39︶ 国ロ巳ρU≒Oミニ℃﹄鵯.前掲邦訳目︑十五−六頁︒
︵40︶ 躍ロ目♪畢●毎ミ層戸卜︒Nト前掲邦訳昌︑五一頁︒
︵41︶ =βヨρ∪・︒さミ・も﹄H︒︒.前掲邦訳口︑五七頁︒
︵覗︶ 国ロ言︒︑U二まミ.恒卜︒⑪P前掲邦訳切︑一二四−五頁︒
︵43︶ 国βヨ︒︐缶蕊﹄富鴨達3ピ︾↓§畿恥恥呉穿§鴇冬ミ鳶︐①盟●
︵44︶ 出口30讐︐.吋遷ミ義馬3︐50・前掲邦訳︑二二八頁︒
︵45︶2自8戸︐問り奪ミ.︒冨や↑参照︒
︵46︶.Zo降oP戸男響♂ミ讐︐Oド参照︒
︵74︶ Zoユ︒戸口聞二奪ミ曽︐bっ︒︒9ここにこの表現は出ている︒
︵48︶ ωB犀戸溶↓富聖籍8号ξミbミミきミ馬りづ戸ω〒駆.等参照︒
71