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中央学術研究所紀要 第10号 070勝山恭男訳「「アジアにおける平和,安全および人間の尊厳」スジャトモコ著」

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アジアの現状に一つ一いての認識と将来への関心の中で国際平和 と国家の安全の諸問題に関する中心的課題は、諸間脳が人間の尊 厳の条件に及ぼす影響にふかく関係するものである。 過去十五年において多くの重大な変化が国際レベルにおいて起 こっている。この重要で、複雑で、方向の矛盾する変化は、相互 依存のますます進展する世界において、今アジアに進行しつつあ る開発と自己刷新の過程に固有な内在的緊張と、国家レベルの諸

研究ノト

アジアにおける平和、安全および人間の尊厳

問題と複雑な織物の目のようにからみあって起きている︽﹄ 人間の尊厳への関心と、これらの諸問題に対処する能力を高め るため、精神的資源を動員する上でアジアの諸宗教が果たしうる 役割についての関心が、これらの課脳に対する注意ぶかい考察へ と我々をみちびくのである。 核の均衡を実現し、かたい教条主義的構造をもった地球全体に およぶ同盟の崩壊と共に冷戦が終息したあとには、力の新しい国

スジャトモコ著

勝山恭男訳

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ア ジ ア に お け る 平 和 安 全 お よ び 人 間 の 尊 厳 際均衡と平和ための新しい構造が急速に具体化されるであろうと 期待した夢は、新しい国際現実の岩に打ちあたって、いかにはか なく砕け散ってしまったことか、誰でも容易に思い起こすことが できる。 ポスト冷戦時代の背景にあった新しい認識は、ベトナム戦争の 終結を可能としたが、一方、韓国・朝鮮、中国・台湾等の分裂国 家の未解決の問題をのこした。〃デタント〃として知られる米ソ 間の国際緊張の緩和は、主としてヨロッパに限定されるにすぎ ないことがわかるのである。アジアを含む第三世界が、南北問題 を増大させずにはおかない緊張と紛争を内包した主要強国による 敵対行為の継続地帯に、かたちはそれぞれ違っているにしても、 なるであろう兆しがすでにあらわれている。第三世界は、もはや 過去数世紀にわたって第三Ⅲ界を植民地としてきた柵造的二元論 によらず、より公正で民主的な国際秩序への道を開く新国際経済 秩序の実現のために努力しようとしており、我々は今その出発点 にある。我々が現在目撃していることは、いわゆる第三世界の 〃連合化″と呼ばれる第三世界の組織化のための苦闘にみちた試 みである。この苦闘は、国際緊張を引き延ばし、国際秩序の崩壊 さえもたらすかもしれないし、おそらく第三世界にとってより公 正な地球全体にわたる力の再配分がおこなわれるまでは終わらな い︲ものである差フ。 さらに第二次大戦の終結をもってはじまった植民地解放の長い 苦難にみちた道程における最近の状況は、国際平和に影挫を及ぽ きずにはおかない。ここにもまた、国際平和の脅威となる紛争の 火種がくすぶっているのである。たとえば、南アフリカにおける 植民地解放の過程において、超大国による直接、間接の介入によ る暴力的な解決は、アジアを含む世界の他の国々に対してふたた び深刻な衝撃を与えるものである。 また超大国が、アジアの陸地と海洋における彼等相互の関係を 明確化しようと努めるかたわら、主要な工業国間の経済的対抗が アジアにおける平和の諸条件に影響を及ぼしている。さらに第三 世界に向けての無制限な武器の販売や、核兵器製造工場の販売競 争は、アジアの平和にとって新しい脅威を生み出している。第三 世界に対するこの資源の流入が、我々の大陸のいくつかの地域 で、過去の恐れ、過去の敵対行為および古くて新しい地域覇権主 義の夢をすでに再燃させているという現実に目をそむけてはなら ない。 専断的にきめられたかつての植民地の境界線を原因とする敵対 行為や論争が起こることを可能としたのは、皮肉にも植民地解放 の過程と、冷戦ブロックの崩壊の両者であった。またこれは、し ばしば深刻な国際的な掛り合いをともなった自治体や宗教間の紛 争の問題として、国内の社会的緊張を浮上させるものであった。 今日、国家の経済政策にとって避けがたい国際的な影響力や、 国際的な経済取引、資本の流動、および電子通信手段の国境をこ えた浸透性は、いかなる国も他国の合法的な利益をまったく無視 して自国の利益を追求することを許さない。各国は、国益の見地 01入 ワー

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すべてこれらの問越は平和と国際の安全について新しい方式 で考えることを我々に強要する。もはや、平和を単に国家間に暴 力の存在しないこと、あるいは核および通常兵器の軍事的鯵着状 を知らねばならない。 らも、当面する国内の経済、環境等の諸問題を明確にすべきこと からだけでなく、主権による決定の及ぼす国際的影響の琵能性か もちろん、アジアの平和、安全、人間の尊厳を追求するにあた って、力の均衡や一連の国際協定が無視できないもう一つの側面 がある。 来たる二十年にアジアの人口は倍増し、かつ青年人口は全人口 に対する比率においても実数においてもきわめて増大する過程に あるので、とくに人口過重の諸国においては、絶対的貧困者、文 盲、幼児期の栄養失洲による結神機能の障害者、および失業者の 増大等を阻止する上で、現在の開発努力はすでに不適当である。 人間の尊厳を基盤とした基本的な挑戦が、国家レベル、国際レベ ルにおけるこれらの諸問題に対応しうるよう、より適切な能力を 要求することは明白である。 さらに、地球生態系の均衡のもろさ、第三世界の資源にとぼし い国々における食糊術蓄、エネルギ供給の不安定さが急速に認 識されるにつれて、ますます過密化し競争化する世界において、 それにどう対応すべきかの問題が起きている。 三 態として考えることは明らかに不十分である。第三世界における 開発への努力を成功裡に追求しようとする世界において、椛造的 二元論を克服できない平和は、せいぜい一時的なものにすぎな い。平和は、平和を支える国際秩序がそれ自身の構造変革を平和 裡に遂行しうるとき、はじめて永続性をもち得るのである。 新国際経済秩序を目指す苦闘は、国際的な社会正義と人間の尊 厳と両立する国際平和の維持のために最少限度の前提条件を保証 する努力の一環である。これに関連して、受諾され管理され得る 範囲において、強大国、弱小国間の関係の釣合を維持する手段と して、国家間の関係の民主化が必要とされる。また相互依存のす すんだ今日の世界においては、もはやいかなる国家も一国だけの 条件で安全保障を明確にし維持することはできない。超大国を含 めてすべての国家が、国際秩序の永続的な条件として、未曾有の 脆弱性と同居している事を知らねばならないのである。この事実 は、各国に対して、他国の公正な利益、願望、恐れを認識し、他 国の利益と願望の追求を卒直に受け入れる役割について、より積 極的な自発性とより高度の能力とを求めるのである。 平和は、これまでかつてなかった規模と水準における強力な国 際協力を推進する我々の能力にかかっている。この目的のため に、我々は、社会制度、イデオロギおよび開発への取組み方に おいて大幅に異なる諸国を包含する必要があり、多様な共存を可 能とする効果的な手段を開発しなければならない。またさまざま な特殊の業務を遂行するために多様な機能を有する国際機関を開 ワワ j 今

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ア ジ ア に お け る 平 和 安 全 お よ び 人 間 の 尊 厳 発しなげればなるまい。現在推進されている地域機関を開発する 努力は、新国際秩序の一環として、より大きな構造のために必要 なブロックづくりと見なすことが出来よう。 このような地域レベルでの協力は、一国が自国に損害をうける ことなしに他国に損失を与えることを不可能とするので、ある意 味で地域内のさまざまな分野における国益を混ぜ合わせることを 要求するであろう。そしてさらに、戦争あるいは防衛のための同 盟ではなく、平和のための共同作業に取り組むための同盟、す なわち、共同の地域河川流域開発、共同の工業化プロジェクト、 食粗の適正な生産と供給のための共同プロジェクト、共同の環境 の管理、保護および改善、地域の均衡に影群を及ぼす無制限な武 器販売を統制する共通の努力、および世界の最貧地域の共同開発 などを、我々は考えはじめなければならない。 終わりに、植民地時代、第二次大戦および冷戦時代においてア ジアを苦しめた紛争の多くは、たとえすべてではないにしても、 地域外の主要強国の認識、対抗、および紛争の延長であったこと を指摘しなければなるまい。 アジアにおけるいくつかの戦争は、アジア人による代理戦争で あった。ベトナム戦争の終結を可能とした要因の一つは、米国に おける中国への認識の変化であった。 アジアの平和は、今後アジア諸国が、世界史の動向、および世 界史の中におけるアジアの共通の未来の動向を認識する能力を高 めることに大きくかかっている。アジアは、地域外の主要強国に よって作られた認識によるのではなくまた主要強国に奉仕する ためでなく、アジア自身の条件による問題の認識を可能としなけ ればならない。アジアをその方向に推し進める強い力がすでに存 在している。 たとえば南北間の緊張のたかまりは、第三世界のつよい団結を 要求するのである。第三世界における経済面での集団的自己依存 は、たとえその実現はきわめて遅々としているにせよ、すでに主 義として受け入れられている。さらにアジアには、共通の利益を 求めるためにイデオロギ的分水嶺に橋渡しを可能とする地域機 椛や地域協力を作り出す必要性への認識が高まりつつある。 アジアの多くの弱小国は、効果的な地域機関をもたなければ、 国際社会において真剣にその声を聞きとどけられ取り上げられる ことは実際的に不可能であろう。もしアジア諸国が、そのような 新しいアジア自身の考えを明らかに示し、それによって自らを組 織し、イデオロギ的、政治的相違から起こる緊張を処理しうる 固有の制度を作り出さないかぎり、アジアは外圧によって生じ、 歪曲され、小細工された紛争をともなった外部強国による抗争の 場にとどまることを余儀なくされよう。東南アジアを平和と局外 中立地州とするPの国Pzの考え方、およびインド洋を非核地榊 とする考え方は、その方向における努力の実例である。一方、今な おアジアが、東西と南北の紛争の接点となっていることは、いま だアジアが伝統的な束縛から脱し切れずにいることを意味する。 ワ Q j J

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すべてこれらの問題は国家レベルの基本的性質に閃する態度 の変革を必要とする。先ず第一に、今日まで一般的であったより 以上のたかい水準において諸文化間の理解を可能ならしめ、異な る文化、宗教および政治的イデオロギに対して共感をもちうる 能力が不可欠である。我々は、我々がそうすることを可能ならし める体制を建設しなければなるまい。また我々は、仙人レベルに おいても、それぞれの社会においてこの関心を育て、異なるグル プの人びとに対する感受性を育て、信頼を助長する体制をつく る必要がある。過去において、宗教団体が各々の信仰の範囲内で はあったが、この感受性を育てる役割を果たして来た。今や、我 我はそれを乗り越えて行かねばならないのである。 第二に、我々はすべて、我々の恐れをより効果的に建設的に処 理することを知らねばならない。恐れの処理は、アジアにおける 人間の尊厳にとってのかなめであろう。相互依存の世界における 永続的なもろさは、平和と必要な社会変革、政治的調整のための 危険を冒し、また今日の国際社会のふかい不確実性の現実を容認 する大きな勇気を必要とするのである。それは唯、偏仰と明確な 地球的倫理観のみが与え得る勇気である。我々の地域には、国家 の安全と国民の生活に対する実際の脅威が疑いなくあるし、また 疑いなく継続するであろう。外部からの小細工による転覆、分離 あるいは分裂の脅威が、植民地支配からの独立剛争の時期と、植 民地解放後の両期にわたる歴史の一部をつく一︾てきた一これ健 国民の意識の中に無視できない傷跡をのこし、国家の統一、国家 の建設、および国家規律への消えがたい先入観の原因となってい る。 なお、外圧による転覆の恐れは、各国に自己防衛の軍伽のため に経済力以上の支出を強いる結果、経済開発のための能力を大幅 に減少させ、その本来の目的を挫折させてしまうのである。 さらにまた、外圧の脅威に対する恐れは、意見の州違に対する 抑圧、必要不可欠な社会変革への盲目的抵抗、政沿的椛利の制 限、および最後には人権の侵害へと導くのである。意兄の相違 は、アジアの多くの開発途上国の継続的な生存発展にとって絶対 不可欠の条件である自己修正、自己刷新および社会的、政治的変 革のため一国の生存における必要要件なのである。 第三世界の近年の歴史にみられるいくつかの例は、いかなる国 もきわめて貧しくなり、ついには国の政治的生命の豊かさと力強 さを損うことなしに、国内の安全のためにより長期にわたって、 社会のより広い目的と価値を犠牲にすることはできないことを示 している。 一方において、公共の秩序、安定および安全の必要性と、他方 それらのすべての転位、不確実性および不安をともなう社会変革 を継続する必要性との間における絶え間のない緊張は、一面にお いて開発の過程自身に内在する矛盾の延長である。開発は、一面 において新しい目標を追及し、新しい挑戦に応ずることを可能な 74

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ア ジ ア に お け る 平 和 安 全 お よ び 人 1 の 尊 厳 らしめるための社会の管理された変革でありその再緬一成、再 構築である。そのように、我々は動員と国家規律をともなう上か らの変革の政策を取り扱う。 一方、開発はまた人民の解放であり、古臭い伝統的、教条的社 会櫛造と体制から人民を解き放つことである。この意味における 開発は、人間の成長、人間の自己充足、率先的・自発的参加、お よび新しい責任を自由に引き受けること等に関係する。つまりこ の意味における開発は、人民と彼等の仙人的、集団的能力を新し い仕事と機会に向けて創造的に対応させ、且つ組織化するのであ る。それが下からの社会の自己刷新の過程である。 開発の過程に関するこの二つの本質的要素は、しばしば相互に 矛盾しあう異なった要求と力学をもつ。この矛盾こそが、開発の 過程における多くの内的緊張の根元である。これらの緊張は、最 善の状況下においても、意図的あるいは非意図的な社会変革に不 可避的にともなう不安や欲求不満、および開発過程自身の避けが たい遅延によって、とくに青年の大きな期待との関係において、 しばしば悪化されるのである。加えて、開発の過程における優先 順位の変更は、たとえば第一段階の成長のあと、成長から社会正 義へ優先順位を移すことは、予想以上の困難をともなう。明らか に成長は、成長自身の力学構造をつくり出し、収益の再配分およ び開発の社会基盤拡大を目的とした成長成果の再割当は、それか ら直接利益を得てきた人びとにとってしばしば脅威とうけとられ テ︵︾。 これらの考察にかんがみて、もはやいかなる宗教もアジアにお ける深刻な社会変革とそれに付随する多くの諸問題に取り細むこ とを避けられないことは明白である・それは、貧困と不正義が宗教 の慈善という伝統的方法によって対処される単に個人レベルの問 題にかぎらず栂造的諸関係の紡果であるとする認識と共に、貧困 と不正義を不道徳であるとする認識の高まりによるところの当然 の帰結である。もし過去において宗教が、個人と個人の救済にの み格別の注意をはらい、これらの条件下にある諸問題に取り組む ことを避けてきたのであれば、今やこれらの諸問題の構造的本質 の理解は、宗教を力の問題および力と道徳間の永遠の緊張の問題 その結果としてこの移行に失敗したいくつかの開発途上国 は、それ故に社会の全体的分極化を阻止できず、増大する暴力の きりもみ状態に入ってしまった。したがって、開発途上国がその 開発軌道の進行において優先順位を効果的に変更しうる能力は、 成長、安定と安全、および社会正義の三角形の三つの頂点の間に 不安定ではあるが本質的な均衡を維持することにかかっているよ うに思える。多くの国の経験は、この均衡が人間の基本的要求を 充足し、さらに人椛の順守および仙人の自由と人間の尊厳をもた らすための基本的な前提条件であることを示唆している。そのよ うな均衡が存在する時においてのみ、国家規律、社会の団結、自 主的な自制が、自川と人間の尊厳と川立するのである。 五 負J ワー

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に取り組ませるであろう︽︶ このことは、宗教に道徳的論究のためのより高度の能力を要求 する一連の道徳的諸問題を引き起こす。これらの諸問胆のどれも が、黒白を選ぶような単純な道袖主義的な解決に身をまかせるこ とはありえないし、また歴史が教訓劇として身を現わすこともな いのである。 この問題に関して、いかなる社会運動、社会階級あるいはグル プ、国家も、朕史的に道徳の好ましい実現手段と考えることは できない。いかなる運動、いかなる人びとのグルプでも、人間 の不完全性を反映し、たとえ彼等の動機が高貴な道徳的なもので あっても、それは善と悪との混合物なのである。現在アジアに起 こりつつあり、さらに将来数十年にわたって継続して起こるであ ろう変革が、貧困と不正義を道他上ゆるしがたいことであるとし て促進され、また変革が社会的、文化的な自己刷新の過程の一部 であるかぎりにおいて、宗教が信頼を失なうことなしにこの問題 から遠ざかっていることはできない。同時に、そのような運動の すべてが、指導者の個人的特徴および内在的矛盾をともなうと共 に社会の時間的、空間的状況によって歴史的に限定されており、 彼等自身の内部に腐敗と崩壊の火諏をはらむのである。 それ故、いかなる宗教もある特定の社会変革運動と完全に同一 視することはできない。そしてさらに、すべての宗教は道徳的に 望ましく、且つ正当な変革の役割を担うことを要求されるのであ る。また、宗教は自分自身を見失なうことのないかぎりにおい て、それを遂行することが可能である。 一方、彼等は開発の促進の背景に道徳的推進力のあることを認 識し、それを確認しなければならない。同時に、経済発展の向こ う見ずな追求は、開発の努力の出発点において先ず第一にかかげ た人間の尊厳、自由および人権を若干の点で侵害する結果になる ことを認識しなければならない。 宗教は、単に不正義と不法の横行、およびそれを克服する努力 が不十分且つ緩慢であることに対する義憤によってのみ導かれる ものではなく、また一方において国内の合意、国家の団結、統 合、最少限度の安定と安全の維持をともなった社会変革の過程に おける管理の慎重な考察、その原動力、および力の限界などに関 して、盲目的あるいは不感性になることはできない。したがっ て、アジアの宗教は、将理された社会変革としての開発と、解放 および人間の成長と自由としての開発、という相容れない要求と 同居することを知るべきである。宗教は、開発の過程に固有のこ れらの緊張を管理する国家の全般的能力を強化し、さらに全体的 分極化と自滅を防止する責任について、その役割を分担しなけれ ばならないのである。 宗教は、一方において不可避的にとるべき道徳的立場に立つと 共に、他方、国家、国益およびそれに対する我々の追従を、正義 と公正の追求、および社会と人類のより広い価値と目的の基盤で ある超越的構造の意味に従属させることによって、公共の秩序と 社会変革のしばしば相矛盾する要求を、今日の政治的、イデォロ 76

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ける平和,安全および人間の尊厳 ア ジ ア に ぉ ギ剛的激情を超越した道徳的脈絡の中に関係づげ、調整すること を知らねばなるまい。 アジア社会の柵造的変革は、一挙には起こらず、徐々に円滑に 起こる変化と急激に発作的に起こる変化が連続することによって 推進されよう。我々は両方の実例をすでに見ているのである。 過去数十年にアジアの数か国において起こった大変動は、それ に付随する希望と、増悪、怒り、恐怖の感情の強烈さにおいて、また その暴力の規模において、アジアに重大な変化が起こりつつある ことを当然に認識させるものであり、理性的な理解をはるかに越 えるものであった。この重大な事件に直面して、社会科学者、開 発計画者およびテクノクラトは、現状の社会科学がこのように 重大な事件を理解する手段として不適当であることを認識して、 高慢の鼻をへし折られるのである。 我々は、アジア人として、大陸面の継続的変化による地毅の変 動のような根本的、基本的な自然現象と、歴史の潮流の中におけ る力に直面し、その力を受けていることを感知するのである。 なお、これらの出来事の重大性に比較して人間の力がいかに限 られたものであるにせよ、自然力の盲目性と人間生活に与える影 響の絶対的な任意性との比較が、人間の責任を免除するものでは ない。我々は歴史が示すその意義を探求し、その脈絡の中に我々 自身を位置づける努力をしなければなるまい。何となれば、唯こ の方法によってのみ、人間は彼自身が単なる傍観者でなく、その 過程における参加者であり行為者であるからこそ、逃れることの それ故に個々の変革の遂行にあたって宗教は、変革の社会 的、人的損失の出来る限りの縮少と、変革の過程をより人間らし くすることにおいて出来る限りの努力をする責任から逃れること はできない。これは、いやしくも変革のあるところに、正当な過 程、民主的手続き、法と人権による支配をつよく主張することを意 味する。我々は、急激な変革の時期においては、宗教がなし得る 主要な貢献の一つは、たとえ変革が非暴力的なそして文化に関す る場合であっても、単に人間に関する配慮や人的損失への関心を 通じたものだけであるとは考えられない。それはまた、政府と人 民の両者にとって現実的に役立つ政簸撰択に関係のある方法手段 について、今日の道徳的諸問題を解明しうる高度な能力を必要と するのである。 いかなる国家も、その目指す方向の正義にかなうこと、その基 本目標の道徳的であることにおいて確信を持たずには、長く存続 することはできない。とくに移行と変革の時においては、いわゆ る国家の道徳的中心と呼ばれるものとのつながりを保つ必要性は きわめて高いのである。また、たとえ国家が世俗的基盤の上に建 設された場合においても、明らかに宗教的道徳的枠組のみが提供 しうる確信に対するあこがれがあるのである。 ここに、強烈な専制主義と暴力的行為へと走る傾向をもった社 できない社会的責任を明らかにしうるのである。 一ハ ワ ワ J イ

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会変革期においては、宗教がたえず直面する不断の挑戦がある。 すなわち、政治をこえたそのような意味の構造を提供すること、 人間の出来事、人間の責任と行為の方向を道徳的目標と関連づけ ること、人間のもつ固有の不完全性を想起させること、そして変 革の大きな過程である歴史と人間の思想の柵築に関連して、きわ めて重要な人間の心の謙譲さを教えること等々。 また、アジアの各宗教が、他宗教の信奉者に改宗するよう直接 的、間接的にはたらきかけることを自発的にやめること、つまり ますますつよまる圧迫の下で、紛争の制限、暴力の排除、社会変 革の人間化をめざして、文化と人間の尊厳を維持する最低限度の 必要性を保証するための共通の努力と、より強固な団結の必要性 が改宗よりも重要であることを、アジアの各宗教が認識すること に多くがかかっている。 さらにアジアの宗教は、イデオロギを根本的に異にする人び と、あるいは恐れ軽蔑する人びとをも含めて、我々すべてが共有 する基本的な人間性に対する相互の感性をお互いに受容し、且つ 信頼する方向にむかって努力しなければならない。四十億の人び と、次の世代には八十億の人びと、さらに将来は百五十億の人び とと共にこの小さな地球を共有し、共通の未来を共通する必要性 から、我々は共に生活し働き、争い仲直りし、愛し憎しみあうと ころの文化的、社会的調整について再考しなければならないので ある。 そして、アジアの多くの人びとは、その回答を見出すために宗 教が貢献することを待望しているのである“ イ平一 アジアにおける平和、安全および人間の尊厳は、単に国際的、 地域的、国家的水準での洲整を必要とするだけではない。それは 同様に、仙人の態度の変容をも必要とするのである。 町村から国家および国際水準における協力のために必要な勝れ た能力、共感のためのより勝れた能力、および西洋においては望 ましいとされ達成された個性化の度合がみられない社会における 伝統的教条主義的社会の制約からの解放を目指す、個人の権利と 集団の義務の新しい均衡の追求、将来数十年において人間の尊厳 と自由を保証するために必要とされる自発的な自己抑制のための より勝れた能力等々、すべてが価値判断における基本的な変革を 要求するのである。 不確実性と不安定性の中にあって、つねに恐れをいだかずに生 活する勇気は、信仰が個人に与える精神的な安心感や人間的充足 感に関係するものである。 さらに、相対的に欠乏し、混み合い、競争の世界に住む者とし て、慈悲と人間性に対する共感を持つことが必要であることは間 違いないことである。パバラ・ウォドはかつて言った﹁我々 はお互いに愛することを知らねばならない。さもなければ我々は すべて滅びるであろう﹂と。 我々すべてがきわめて必要としていることは、人間についての 78

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ア ジ ア に お け る 平 和 安 全 お よ び 人 間 の 尊 厳 を導くのである。 共有していることを知ることが不可欠となったのである。 ような内的洞察と人間観を、すくなくとも一部において、相互に で、またたとえ宗教を信じない人びとも、人間自身に関するその てくれた。いまや歴史上はじめて、すべての宗教が、各宗教の間 な宗教のそれぞれが、そのような人間自身についての観念を与え 新しい精神的洞察を明確にすることであろう。過去において偉大 この問題を追求するにあたって、アジアの諸宗教が、過去にお ける個々のまた集団のもつ豊かな遺産を考究することはきわめて 重要であろう。人類は自らの新たなる発見をめざして、自然およ び社会環境と人間との関係を再検討し、近代化がしばしばもたら した精神的破壊の克服に努めることによって、自然、同朋および 神に対する人間の関係について、古くからの歴史をもった調和・ 均衡・釣合の観念を再発見するであろう。これは、人生、社会、 および歴史と呼ぶところの人間の出来事の現われに関して、人智 を越えた次元についての認識を再発見し活性化することへと我々 イスラム教は、正義と道徳の社会を創造し維持するための努力 をつづけることを信徒に命じている。他の宗教の信奉者もまた疑 何となれば、人間が人間らしくあるのはただ神においてのみ あるのであるから。 いなく同じ道を歩むであろう。 それでもなお我々すべての前によこたわる問題はアジアの諸 宗教が、いや宗教を信ずる人びとが、来たる数十年において人間 の尊厳をともなった平和の実現に貢献し、且つ大きな危険にもか かわらず人間的手段を用いて我々の社会をより人間性豊かな社会 へと発展させる勇気と政治的意志を各国内において育成するため の力と、道徳的ビジョンと、世俗的知恵とを、個々にまた集団と して、我々自身の中に見出すことができるかどうかということに かかっている。 我々は、我々が欠けたることのないよう唯ひたすら熱望し祈念 するものである。 ︵一九七六・一一・二四ジャカルタにて︶ ︵注︶この論文は、冨尉の○mg胃日○百︵現国連大学学長・イスラム 教徒︶が一九七六年十一月シンガポルで開催されたアジア宗教 者平和会議に寄柚されたものである。 原題は︽もの四○の︾の①。巨昌︺“且国匡日画冒gmaq冒罪の旨薯で ある。 79

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