博士(獣医学)森嶋康之 学位論文題名
北 海 道 に お け る多 包条 虫
Ec カ励ococctts 絖Ultiloc Ularis の動物疫学 学 位 論 文 内 容の 要旨
多包条虫Echinococcus multilocularisは公衆衛生上重要な人獣共通寄生虫である。そ のため北海道では住民検診による二次予防の拡充が推進されてきた。しかし近年,主 た る終宿主のキソネにおける有病率が急激に上昇し,より根本的な感染源対策が強 く望まれている。
感染源対策,すなわち終宿主における寄生虫コントロールでは,感染状況を正確 に 把握することが必要である。本研究では,北海道における多包条虫流行の現状を あきらかにし,今後の終宿主対策におけるべースラインーデータの提供を目的として 疫学的調査をおこなった。
1.実際の調査への応用にあたり,キッネ野外材料を用いて従来の診断法と比較し,モ ノク口ーナル抗体EmA9を用いた多包条虫成虫に対する糞便内抗原検出法の調査ツー ルとしての信頼性を検証した。
(1)札幌市近郊のキッネ76頭の腸管全域について虫体検索し,ABC―ELISAおよび虫 卵検 査と 診断 結果 を比 較した 。多 包条虫は5513%(42/76)で検出された(検出虫体 数1−199,577,中央値239)。虫体検出状況を腸管部位別(6等分した小腸を上部から 順にI‑VIとした)にみると虫体出現率は小腸IV部でもっとも高かった。74頭から回 収 し た 直 腸 便を 用い た診 断で は, 虫体 陽性42頭 中,ABC‑ELISAによ って40頭 が陽 性判定された(感度(陽性一致率)95.2%)。虫体陰性32頭では,他種蠕虫の感染例 でも偽陽性は認められなかった(特異度(陰性一致率)100%)。偽陰性2頭は少数寄 生例 (検出虫体数1および4)だったが,同様の軽度感染3頭(検出虫体数2,4,6) は陽 性で ,ABC‑ELISAの 検出 限界 は10虫体以下と推測された。テニア科条虫卵は虫 体陽 性42頭中20頭から検出され(感度47.6%),虫体陰性例からは検出されなかっ た(特異度100%)。
(2)北 海 道 ( 行 政 ) が 小腸 下 部6分 の1(VI部 )に つい て検 査し たキッ ネ89頭の 直 腸便を用い,糞便内抗原検出法(Anti―Ig−ELISAおよびABC−ELISAの2系),虫卵検
査と のブ ライ ンド― テストをおこなった。剖検では44 頭が陽性だったが,Anti ―Ig‑
ELISA
で は
46頭
(51.7% ) ,
ABC−
ELISAで は
67頭
(75.3% )が 陽性 判定 され た。虫 体検出との陽性一致率はAnti ーIg ―ELISA が72.7 %,ABC‑ELISA が97.7 %であった。虫 体陰性の45 頭中,Anti −Ig‑ELISA では14 頭,ABC −ELISA では24 頭が陽性であった(陰 性一致率は68 .9 %と46.7 %)。テニア科条虫卵は89 頭中44 頭(49.4 %)から検出され た( 虫体 との 陽性一 致率 は59.1 % )。
VI部 のみ の虫体検出結果を真の陽性とすると
ELISAの偽 陽性 率は 高いが,検索部位を限定した剖検による有病率の過小評価に原因 すると考えられた。
以上の結果から,ABC −ELISA による多包条虫感染終宿主の診断は優れた感度と特異 度をもち,疫学的調査における有用性が示された。
2
.家畜における多包条虫感染状況
(1 ) 都市 部の イヌ の多 包条 虫感 染を 推定す るた め,
1996年10 月から1997 年3 月まで の期 間中 ,札幌 市動 物管 理センター福移支所の収容犬の検査をおこなった。14 群129 頭(2 ―27 頭)から採集した糞便112 検体すぺてが抗原陰性であった。虫卵検査でもテ ニア科条虫卵は検出されず,都市部におけるイヌの中間宿主捕食の可能性が低いこと が示唆された。
(2) 1996‑1997
年,小清水町の農家で飼育されていたイヌおよびネコを調査した。イヌ では0.4 %(1/275) ,ネコでは18.8 %(1/14) が抗原陽性を示した。テニア科条虫卵は 検出されなかった。
飼育管理ならびに飼育動物のネズミとの接触歴について,畜主に対する質問票調査 をおこなった。ネズミとの接触歴はイヌの5.2 %,ネコの61.8 %で認められた。とくに イヌの畜主の回答を主成分分析とロジステイック回帰分析を用いて検討したところ,
放し飼いとネズミとの接触に有意な関係が認められた(オッズ比1.786 ,95 %信頼区間
1.134ー2.809) 。イヌやネコでは断面的な有病率は低かったが,感染獲得の可能性は高 く.これらの動物に対する調査では,糞便内抗原の検出に加え,血清疫学調査をおこ なって感染圧を評価する必要があると思われた。
(3)
雑 種オ スの 成猫
3頭に 多包 条虫 北海 道株 を投 与し,糞便内抗原の検出によって感
染 経過 をモ 二夕 リン グした。ネコの多包条虫感染はOD 値の推移から次の2 つの型があ
ると考えられた。1 っは虫体の定着率が高く,かつ長期にわたって宿主腸管での発育を
続 ける もの ,も う1 っは腸管への定着率が低く,残存した虫体も比較的早期に脱落す
るものである。ただし,観察例中,虫体の定着ならびに発育がもっとも良好と考えら
れ た ネ コ で も 感 染 後
48日 目 ま で 虫 卵 排 出 は 認 め ら れ な か っ た 。
3.野生動物における多包条虫感染状況
(1)都市と その近郊におけるキッネの多包条虫感染状況を把握するため,札幌市市街 地ならびに野幌森林公園で調査をおこなった。
札 幌市では1997/98年に合計17ケ所の巣 穴で糞便94検体を採集 し,そのうち33検体 (35.1% )が抗原 陽性,24検 体(25.5%)が虫卵陽性を示した。感染キッネと非感染キ ソ ネの存在 するメッ シュ,そ の周囲メ ッシュの人口に有意な差はな<,都市部におい て 虫卵曝露 人口がき わめて多 いことが 示された。札幌市市街地のキッネの多包条虫感 染 は今回の 調査では じめて確 認され, また,両調査年を通じて陽性の巣穴を認めたこ と か ら , 市 街 地 で も 多 包 条 虫 の 生 活 環 が 確 立 し て い る と 考 え ら れ た 。 野 幌森林公 園では1997年 に養鶏舎 周辺でキッネの糞便を採集し,同時に中間宿主の 捕 獲調査を おこなっ た。採集 糞便24検体 中13検体(54.2%) が抗原陽 性,9検体(37.5
%)が虫卵陽性であった。養鶏舎周辺の夕.イリクヤチネズミには高有病率(58.3%,18/
30)が 認 め ら れ , キ ッ ネ が 頻 繁 に 利 用 す る 環 境 の 濃 厚 な 虫 卵 汚 染 が 示 さ れ た 。
(2) 1997年度, 小清水町 において キッネの巣穴を特定し,その周辺で採集した糞便を 用いて多包条虫有病率の季節変動を観察した。
巣穴35ケ 所で採集 した糞便 のうち53.2%(284/534)が糞便内 抗原陽性であった。抗 原陽性率は四季を通じて安定し(51.6−66.7%),有意な季節差は認められなかったが,
陽 性OD値 は夏 と冬に上 昇した。虫 卵は2314%(117/499)から検出 され,陽 性率はOD 値と同 様の変動 を示した 。そこで これら2季 節の有病率 に関与す る要因を検討した。
ステッ プワイズ 回帰分析 の結果, 網走地方のキッネの冬期有病率に影響する変数と して1月 最深積雪 が選択さ れた。積 雪によっ て中間宿主 捕食が制 限され,有病率が変 動すると考えられた。夏の観察結果を宿主齢クラス別に検討したところ,抗原陽性率・
陽 性OD値 ・検 出虫卵数 クラスで幼 獣は成獣 より有意 に高<, 夏の有病 率の上昇 は初 感染の幼獣が示す高感受性に原因すると推測された。
以上, キッネの 多包条虫 感染にお いて夏と 冬の2季節が 注目され たが,とくに虫卵 排出量からみて疫学的に重要な時期は夏と考えられた。
(3)キッネの 多包条虫 感染にお ける齢差 の変化を 知るため, 札幌市近郊の冬期狩猟個 体の検査 結果を統 計学的に 検討した 。有病率・検出虫体数・虫卵陽性率のいずれにお いても, 亜成獣は 成獣より 高いが, 有意な差ではな<,齢クラス間の感受性の差が夏 以降減少 したと考 えられた 。
4. 効率的な 感染源対策として,時期もしくは場所を限定してキソネに駆虫薬を投与す る 方法を提 案した。 幼獣から の虫卵排 出量を低減させるため,育児期における駆虫薬 投 与が有効 と考えら れた。ま た,畜産 廃棄物に寄食する個体に対する駆虫薬投与の有 効 性を考察 した。
学位論文審査の要旨 主査
副査 副査 副査
教 授 助 教授 教 授 教 授
神谷正男 奥 祐三郎 高島郁夫
土井陸雄(横浜市立大学)
学 位 論 文 題 名 北海道における多包条虫
Ec カ i710cocctts 7nz.tltilocztlaris の動物疫学
多包条虫Echinococc sm ltiloc larisは公衆衛 生上重要な人獣共通寄生虫である。感 染 源 対 策 上 , 終 宿 主 に お け る 感 染 状 況 の 正 確 な 把 握 が 必 要 で あ る 。 申 請 者 は , 北 海 道 に お け る 多 包 条 虫 流 行 の 現 状 を あ き ら か に し , 今 後 の 終 宿 主 対 策 に 資 す る べ ー ス ラ イ ン ー デ ー タ の 提 供 を 目 的 と し て 疫 学 的 調 査を おこ なっ た。 内 容は 以下 のよ うに 要 約される。
1. 糞 便 内 抗 原 検 出 法 の 調 査 ツ ー ル と し て の 信 頼 性 の 検 証 : 札 幌 市 近 郊 の キッ ネ76頭 の 腸 管 全 域 に つ い て 虫 体 検 索 し た も の , お よ び 北 海 道 保 健 環 境 部 が 小 腸 最 下 部6分 の1に つ い て 検 査 し た キ ソ ネ89頭 の 直 腸 便 を 用 い , 糞 便 内 抗 原 検 出 法 , 虫 卵 検 査 と の 診 断 結 果 の 比 較 を お こ な い ,ABC−ELISAに よる 糞便 内抗 原の 検 出が 高じ 、検 査特 性 値 を も っ こ と を 示 し た 。 ま た , 検 索 部 位 を 限 定 し た 剖 検 で は 有 病 率 を 過 小 評 価 す る こ と を 指 摘 し , 多 包 条 虫 感 染 終 宿 主 の 診 断 に お い て 糞 便 内 抗 原 検 出 法 の 有 用 性 を 示 した。
2. 家 畜 に お け る 多 包 条 虫 感 染 状 況 : (1) 都 市部 のイ ヌの 多包 条 虫感 染を 推定 する た め ,1996年10月 〜 1997年3月 ま で の 期 間 中 , 札 幌 市 動 物 管 理 セ ン タ ー 福 移 支 所 の 収 容 犬 の 検 査 を お こ な っ た 。14群129頭 (2―27頭 ) か ら 採 集 し た 糞 便112検 体 す べ て が 抗 原 陰 性 で , 虫 卵 検 査 で も テ ニ ア 科 条 虫 卵 は 検 出 さ れ ず , 都 市 部 に お け る イ ヌ の 中 間 宿 主 捕 食 の 可 能 性 が 低 い こ と を 示 し た 。(2) 1996‑1997年 , 小 清 水 町の 農家 で 飼 育 さ れ て い た イ ヌ お よ び ネ コ を 調 査 し た 。 イ ヌ で は0.4% (1/275), ネ コで は18.8
% (1/14)が 抗 原 陽 性 を 示 し た 。 同 時 に お こ な っ た 畜 主 へ の 質 問 票 調 査 の 結果 から , イ ヌ の 放 し 飼 い と 中 間 宿 主 と の 接 触 の 関 連 を 検 討 し , 放 し 飼 い に よ っ て ネ ズ ミ と の 接 触 が 増 加 す る こ と を 示 し た 。 断 面 的 な 有 病 率 が 低 い 集 団 に お け る 従 来 の 調 査 法 の 問 題 点 を 指 摘 し た 。(3)雑 種 オ ス の 成 猫3頭 に 多 包 条 虫 北 海 道 株 を 投 与 し , 糞 便 内 抗 原 の 検 出 に よ っ て 感 染 経 過 を モ ニ タ リ ン グ し た 。OD値 の 推 移 か ら , ネ コ の 多 包 条
虫 感 染 状 況 を 初 め て あ き ら か に し , 市 街 地 で も 多 包 条 虫 が 定 着 し て い る 可 能性 を示 し た 。 野 幌 森 林 公I纛Iで は帯 産業 と多 包 粂虫 の伝 播を 関連 づけ ,キ ッネ が頻 繁に 利用 す る 環 境 に 濃 惇 な 虫LJり1染 が 起 き て い る こ と を 指摘 した 。(2) 1997年 度, 小清 水町 に お い て 採 集 し た キ ッ ネ の 炎 便 倹 体 をJHい , 糞 便 内 抗 原 な ら び に 虫 卵 の 検 出状 況か ら多包条虫感染の季節1′|′、Jな変動を検討した。有病率には顕著な季節変動がないが,
夏と 冬の2季 節に 闘fJ艶 の感 染獲 得が 土曽 加す るこ とを 示した。さらに上記2季 節の変化 に 関 わ る 要 因 に 検 甜 をん ‖え ,と くに 高 感受 性の 幼獣 から 排出 され る虫 卵量 が多 い夏 が疫 学的 に重 要なlI、tjWで ある こと を示 した 。(3)キ ッネ の多 包条 虫感 染 にお ける齢 差の 変化 を釦Iる た め, 札幌1け 近交lsの 冬期 狩 猟個 体の検査結果を統計学的に 検討し,
齢 ク ラ ス 問 の 感 受 1、 ′ ト の 斧 が 夏 以 | 午 減 少 す る こ と を 示 し た 。 4. 効 率 的 な 感 染 源 対 策 と し て , 時 刈 も し く は 場 所を 限定 して キッ ネに 駆虫 薬を 投与 する 方法 を提 案し た。 幼獣 から の虫91、J排出 量を 低減 させ るた め, 育児 期 にお ける駆 虫 薬 投 与 が 有 効 と 考 え られ た。 また , 畜産 廃棄 物に 寄食 する 個体 に対 する 駆虫 薬投 与の有効性を考察した。
以 上 の よ う に , 申 請 者 は 今 後 の 感 染 源 対 策 の 策 定 に あ た っ て 注 目 す べ き 疫学 的知 見 を 提 示 し た 。 よ っ て , 審 査 委 員 一 同 は , 上 記 博 士 論 文 提 出 者 森 嶋 康 之 の 博士 論文 は , 北 海 道 大 学 大 学 院 獣 医 学 研 究 科 規 定 第6条 の 規 定 に よ る 本 研 究 科 の 行 う 博 士 論 文の審査等に合格と認めた。