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密教文化 Vol. 2000 No. 204 005白川 歩「密教と現代生活――南方熊楠・土宜法龍往復書簡を中心にして―― PL73-L107」

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密 教 文 化 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て-白 川 歩 序 論 一 な ぜ 生 活 と 現 代 が 重 要 な の か 一 私 が、 この論 文 の中 で 考 えて ゆ く中 心 と した い の は"生 活"で あ る。 な ぜ 生 活 な のか。 そ れ は、 「密 教 」 が 「宗 教 」 で あ るか らで あ る。 私 の考 え る宗 教 と は、 人 々が(あ る い は、"私"が)ど の よ うな ス タ ン ス で 毎 日 の 生 活 を 送 って ゆ くの か、 と い う一 言 に尽 き る。 一 般 的 に生 活 の ス タ ンス と言 う と毎 日の 食 事 で あ った り、 職 業 観、 休 日 の過 ご し方 で あ っ た りす るわ けで、 な にか 日々 の 平 凡 な感 じを 思 い浮 か べ る人 も多 い と思 う。 しか し、考 え て み る と生 活 と い うの は、 か な り大 き な 範 囲 に ま たが る言 葉 で あ る。 臓 器 移 植 の 手 術 を 受 け るの もそ の 人 の 生 活 の 一 部 で あ る し、公 害 病 で 肉 親 を 亡 くす の も又生 活 の一 部 で あ る。 私 は、 そ う い う人 生 にお け る大 小 の 様 々 な側 面 で 密教 と い う もの が、 現 代 の 我 々 に と って どの よ うな ス タ ンスを 提供 で き る可 能 性 を持 って い るの か、 どの よ うな メ ッセ ー ジを 投 げ か け るの か、 とい う こ と に耳 を澄 ま せ て み よ う と思 う。 しか し私 が こ こで 意 図 して い るの は、 密教 に対 して性 急 な即 物 的効 果 を求 め て い るの で はな い。 い わ ば 自分 の生 活 の思 想 的バ ック ボ ー ン と も い うべ き、 あ らゆ る こ と に対 応可 能 で柔 軟 な"本 質 的 ライ フ ス タイ ル"と し て の性 格 を 密 教 が 持 つ 為 に は どの よ うな ス タ ンス が求 め られ る の か、 と い う こ とを論 じて ゆ きた い。 私 は この論 文 の 中 で重 要 な キ ー ワ ー ドと な る言 葉 も う一 っ 設 定 す る。 "現代"で あ る。 この言 葉 が宗 教 の重 要 事 項 とな る要 因 を考 え る の はた や す い。 宗 教 は、 あ らゆ る意 味 で常 に"最 新"で あ るべ きで あ り、 な ぜ な ら

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(74) ば それ は、 常 に我 々 の"最 新 の生 活"を 舞 台 と して い るか らだ。 も ち ろん 私 が こ こで 使 う最 新 の生 活 とい うの は、 流 行 最 先 端 の モ ー ドフ ァ ッシ ョン に 身 を 包 ん で い る こと で も、 ほ とん ど だれ もま だ使 って な い よ うな 電気 製 品 を 先 駆 けて 使 う こ とで もな い。 我 々、 地 球 に住 む全 て の人 々 は、 好 む と 好 まざ る に関 わ らず 歴 史 的 な時 間 の流 れ にお いて最 先 端 であ るこの"現 代" に生 活 せ ざ るを得 な い と い う事 実 で あ る。 その"現 代"か ら溢 れ 出 す、 今 ま で の 時代 か ら は考 え られ な か った よ うな 諸 問 題 に対 して 宗 教 が メ ッセ ー ジを与 え られ な い の で あ れ ば、 っ ま りそ れ を 以 て 生 活 す る の が不 可 能 で あ る の で あ れ ば、 そ の宗 教 は も う宗 教 で は な い。 密 教 は"現 代"と"生 活"を 切 実 に求 め て い る。 そ して、 それ は これ か ら現 代 を生 活 す る我 々 自身 が獲 得 しな け れ ば な らな い こ とだ。 そ こで、 私 は この テ ー マ を南 方 熊 楠(1867-1941)と 土 宜 法 龍(1854-1923)の 対 話 に お け る 「南 方 マ ンダ ラ」 の思 想 を中 心 に して論 じて ゆ きた い。 二 人 は現 代 に続 く時代 の 価 値 観 が 変 貌 を遂 げ る渦 中、 自 由 な議 論 を行 い そ の 重 要 な 要 素 を密 教 に見 出 した。 彼 らの議 論 は こ の論 文 に と って あ らゆ る示 唆 に満 ち、 輝 い て い るの だ。 第1 章 南 方 熊 楠 と 土 宜 法 龍 a二 人 の 出 会 い の 重 要 性 『南 方 熊 楠 ・土 宜 法 龍 往 復 書 簡(1)」にお け る南 方 マ ン ダ ラの 思 想 に 注 目 した の は二 人 の資 質 と境 遇 が 偶 然 に も交 わ った ことで、現代 に も大 きな メ ッ セ ー ジを 持 っ"な にか"が 生 まれ た はず だ と確 信 した か らで あ る。 そ して そ れ は、 密教 と現 代 を考 え る上 で 極 めて 重 要 な"な にか"の はず だ。 それ は、 な ぜ か。 ま ず 時代 的 に観 る と彼 らが 生 きた 時 代 は、 押 し寄 せ る巨大 な ア メ リカ、 ヨー ロ ッパ 的物 質 文 明、 価 値 観 に対 して の 対 応 が否 が応 で も求 め られ た時 代 で あ る。 土 宜 は、 新 しい 時代 に真 言 密 教 は存 在 価 値 を失 わ ず に生 き残 っ 密 教 と 現 代 生 活 ー 南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 て ゆ け るか と い う事 を常 に考 え て い た。 熊 楠 は、 ま ず 自 ら海外 に身 を置 き、 新 しい近 代 科 学 の 合 理 性 の利 と欠 点 にっ いて 時代 に飲 ま れ る こ と な く考 え た。 そ して 南方 熊 楠 にお いて 注 目す べ き ポイ ン トは、 彼 が僧 侶 で はな く土 宜 法 龍 の1友 人 で あ り、 真 言 教 団 に対 して 全 く しが らみ が な い立 場 で あ った とい う点 で あ る。 だ か ら公 然 と批判 論 も展 開 で き る し、 い わ ば"ぶ っ ち ゃ け た"話 が聴 け るの で あ る。 もち ろん、 僧侶 とい う立 場 で あ って も教 団 に 対 して疑 問 を投 げ か けた 僧 侶 は多 い。 しか し、 そ の場 合、 遠 慮 や力 み を感 じ させ られ る こ と も少 な くな い の で あ る。 彼 は、 もっ と 自然 で 自 由 だ。 そ の上、 ま ず密 教 あ り き とい った形 で は な く結 果 的 に彼 の思 想 が密 教 的 な色 彩 を、 帯 び て い く過 程 は ス リ リン グで さ え あ る。 ま た彼 が 「柳 田国 男 と と もに 日本 の民 俗 学 者 の草 創 者 で あ る。」(鶴 見 和 子、 『南 方 熊 楠 」、講 談 社 学 術 文 庫、1981年、 ま えが き)点 で あ る。 思 想 そ の もの に対 して価 値 を見 つ け るの で は な く、 そ の思 想 が 様 々 な背 景、 環 境 を背 負 い実 際 に"生 活"す る人 間 を常 に視 野 に入 れ た 民 俗 学 者 的 視 野 は、 この論 文 に大 き な ヒ ン トを与 え る要 素 とな る だ ろ う。 次 に彼 が粘 菌 と い う動 物 と植 物 の境 界 領 域 に あ る よ うな 生 物 の研 究 に お い て、 国 際 的 研 究 者 あ った点 も見 逃 せ な い。(2)彼の そ の 生 物 学 者 と して の セ ンス は、 机 上 の宗 教 論、 密 教 論 に は な い、 よ り実 際 的 で 身 体 的 な要 素 が 自然 と に じみ 出て い る の で あ る。 こ の よ うな要 素 を持 っ南 方 熊 楠 の資 質 と、 高野 派管 長、 栂 尾 山 高 山 寺 住 職、 仁 和 寺 門 跡 御 室 派 管 長、 真 言 宗 各 派 連 合 総 裁 な ど数 々 の 真 言 宗 の要 職 を後 に務 め、1893年 シ カ ゴで の万 国 宗 教 大 会 に出席 し、帰 途 ロ ン ドンに立 ち寄 っ た土 宜 法 龍 が 出会 っ た。 彼 らは密 教 が世 界 の も っ と多 くの 人 に メ ッ セ ー ジ を持 っ と考 え て い た。 二 人 は、 友 人 とな り晩年 まで書 簡 を交 わ した。 そ して、 そ の 往 復 書 簡 の中 で南 方 熊 楠 の 思想 の 中心 とな る 「南方 マ ンダ ラ」 は生 まれ た。 この 事 実 は も っ と注 目 さ れて もい い事 で はな い だ ろ うか。

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(76) 上 記 した様 な 出会 い と要 素 か ら、密 教 で現 代 を生 活 す る とい う テ ー マ に大 き な ヒ ン トを この二 人 の対 話 は持 って い る と、 私 は確 信 した。 そ し て、 それ が 『南 方 熊 楠 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 」 に お け る南 方 マ ン ダ ラの 思 想 を 中 心 と な る資 料 に据 え た理 由で あ る。 第2章 南 方 マ ン ダ ラ の 思 想 a『 南 方 熊 楠 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 」と 南 方 マ ン ダ ラ の 言 葉 の 定 義 『南 方 熊 楠 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 』(以 下 『往 復 書 簡 」)は、 南 方 熊 楠 (以 下 熊 楠(3)) と土 宜 法 龍(以 下 土 宜)が 異 国 の地 で 出会 った 直 後 か らの ロ ン ドンパ リ往 復 書 簡 と帰 国 後 の和 歌 山京 都 往 復 書 簡、 そ して熊 楠 の 思 想 の 到 達 点 が 密 教 の思 想 や 大 日如 来 の存 在 と結 びっ い た南 方 熊 楠 書 簡(那 智) に分 け られ る。 こ の時 代 の 熊 楠 の生 活 は 「か くて小 生 那 智 山 に あ り、 さ び し き限 りの 生 活 を な し、昼 は動 植 物 を観 察 し図 記 して、 夜 は心 理 学 を 研 究 す る」(『南方 熊 楠選 集6、 履 歴 書 』、平 凡 社、1992年、P. 31)と い っ た も の だ った。 ち な み に土 宜 に と って この 時 期 は高 野 山 時 代 で あ る。 ま た 「南 方 マ ン ダ ラ」 とい う言葉 の 定 義 で あ るが、 まず この言 葉 は中 村 元 氏 の命 名 で あ る。 そ の経 緯 は熊 楠 の研 究 者 で あ り社 会 学 者 で あ る鶴 見 和 子 氏 が 中 村 氏 を 自宅 に招 い て 図1を 見 せ た と こ ろ、 「こ れ は南 方 曼 陀羅 で す ね 」 と い わ れ た こ とが 始 ま りで あ る。(4) この 論 文 で 私 は、 図1、 図2、 図3、 な どを用 い て展 開 され る熊 楠 の思 想 を"総 称"し て 「南 方 マ ンダ ラ」 と呼 ぶ。 こ こで留 意 しな けれ ば な らな い こ と は、厳 密 な 密 教 的 意 味 で の 「曼 茶 羅 」 とは違 う意 味 で あ る と い う こ とで あ る。(5)そして図 そ の もの だ け が 「南 方 マ ン ダ ラ」 で は な く、 図 を 用 いて 説 明 しよ う と した思 想 大 系 を 含 めて 「南 方 マ ン ダ ラ」 で あ る、 と い う こと で あ る。 これ はあ る意 味 で は矛 盾 を 持 っ た捉 え方 と もい え る。 しか し 熊 楠 が 往 復 書 簡 の 中 で描 く図 は、文 章 を補 足 す る い わ ば"ス ケ ッチ"で あ り、 それ だ け を 「南 方 マ ン ダ ラ」 と考 え て は彼 の 思 想 は理 解 で きな い ので 密 教 と 現 代 生 活-南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し

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て-密 教 文 化 あ る。 で あ るか ら して熊 楠 が那 智 時 代 以 後 に展 開 す る神社 合 祀 反 対 運 動 な ど は、 日本 で初 め て の エ コ ロ ジカ ル な立 場 か らの 政 治運 動 と言 わ れ る が、 広 い意 味 で は こ れ ら も 「南 方 マ ンダ ラ」思 想 の発 展 形 で あ る。 む しろ、 こ の 章 で 扱 う 「南 方 マ ンダ ラ」 は狭 義 の 「南方 マ ン ダ ラ」 と言 え る。 b 土 宜 法 龍 書 簡 の 位 置 づ け 『往 復 書 簡』 にお け る南 方 マ ンダ ラを考 え る とき、 最 も重 要 な位 置 を 占 め る熊 楠 の那 智 時代 に お け る土 宜 書 簡(高 野 山 時 代)は 未 だ 発 見 され て お らず 往 復 書 簡 の形 式 を とれ て い な い。 現 在 そ の内 容 を想 像 す る に は ロ ン ド 図1 全 体 連 鎖(明 治36年7月18日 付 南 方 熊 楠 書 簡) 図2 大 日滅 心 → 印 ・名(明 治36年 8月8日 付 南 方 熊 楠 書 簡) 図3 物 と心 で事 を 成 す(明 治26年 7月18日 付 南 方 熊 楠 書 簡) 図2 を整 理 した 図

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(78) ン ・パ リ往 復 書 簡 な ど の土 宜 書 簡 の位 置 づ け をす る事 で 那 智 時 代 の土 宜 書 簡 の イ メ ー ジ も浮 か び あ が って くる だ ろ う。 一 つ 目 に いえ る の は仏 教 ・密 教 の専 門 家 と して の 「ア ドバ イ ザ ー」 的立 場 で あ る。 そ の 立 場 が 端 的 に表 れ て い る のが ロ ン ドン ・パ リ往 復 書 簡 に お け る熊 楠 の3書 簡(以 下、 書 簡 番 号 は前 掲 『往 復 書 簡」 に 準 ず る。)の 冒 頭 で熊 楠 が土 宜 に対 して1, 不 空 羅 索 にっ いて2, 春 日 まん だ らと 『大 般 若 心 経 』 に っ い て3, 融通 念 仏 宗 にっ いて4, 浄土 宗、 一・向宗、 時 宗 にっ い て5, 金 剛 界、 胎 蔵 界 の 区別 に つ い て の5つ の質 問 を して い る部 分 で あ る。 例 え ば 疑 問(中 略)五、 金 剛界、 胎 蔵 界 とは、 ち ょ っ と申 せ ば、 な に を 基 と して 分 か ち名 つ く る こ とに候 や(『 往 復 書 簡 」P. 10) に対 して、13土 宜 書 簡 は た し 御 尋 ね 降 され 候 件(略)一、 金 堂 の曼 茶 羅 は金 剛 界、 胎 蔵 界 に槌 か に 有 之 候。 しか し金 剛 界、 胎 蔵 界 を一 々言 え と有 りて は、 実 に容 易 の こ と に無之 候。(金 剛界 九 会 曼 茶 羅 の 図)こ れ を金 剛界 の 曼 茶 羅 と い う。 大 日翔 摩 会 よ り降 三 世 三 摩 耶 会 まで 九 会 あ る な り。… …」(『往復 書簡 」 P. 111。 引 用 部 分 以 下 に金 剛界 九 会、 胎 蔵 界 十 二 大 院 に っ いて の 詳 細 な説 明) と回 答 しア ドバ イ ザ ー と して の土 宜 の 位 置 は明 確 に書 簡 中 に表 れ て い る。 そ の他 の書 簡 に も梵 字 に っ い て土 宜 の 回 答 が あ った り、 「宿 曜 経 」 に つ い て の熊 楠 の質 問 が あ った り多 数 の質 疑 応 答 が 見 られ る。(も ち ろ ん 仏 教 ・ 密 教 以 外 の分 野、 例 え ば 自然 科 学、 世 界 宗 教 で は立 場 は逆 転 し、土 宜 は活 発 に熊 楠 に質 問 し熊 楠 もそ れ に答 え て い る。) 二 っ 目 と して は、 「司 会 者 」 と して の土 宜 の立 場 で あ る。 っ ま り書 簡 の 中 で熊 楠 の 自分 に は な い密 教 的 思 想 を早 くか ら見 出 した彼 は、 怒 り、挑 発 し、悲 しみ、 な だ め、 賞 賛 し、彼 の思 想 を展 開 させ る舵 を取 った。 熊 楠 の 時 に飽 きや す く、時 に病 的 な ほ ど情 熱 的 な性 格 を知 り尽 く した 彼 は有 能 な ホ ス トと して、 理 解 され に くい彼 の思 想 を優 し く迎 え た。 そ ん な彼 の 姿 は 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 ま さ に南 方 マ ンダ ラを 語 る上 で 最 高 の 司 会 者 で あ った。 これ を 説 明 す る に は4, 5土 宜 書 簡 が 最 もわ か りや す い。 土 宜 は4書 簡 の 最 後 の部 分 で い う。 小 生、 宗 教 上 の 取 り調 べ に関 し、有 形上 の こ と、無 形 上 の こ と、 種 々 に苦 慮 致 し候。 しか して 当 地 す べ て有 形 上 の こ と。 しか して 何 か 支 末 の物 知 りに止 ま り、 心 内 の妙 味 はな し。故 に予 は深 く宗 教 の た め に慨 歎 す る と ころ に候。 貴 君、 英 国学 者 の宗 教 上 に対 す る観 念 は、 如 何 に や。 貴 君 また 然 り。 貴 君 は、 宗教 を もは や哲 学 と見 倣 し、 槁 木 死 灰 の ご と くわ が身 心 を み るか。 … … も し貴 君 に して宗 教 上 い か な る思 考 を 持 ち た ま うか、 これ を 聞 くか ん と欲 す。 た だ し予 は貴 君 の今 の 世 の い わ ゆ る八 方 睨 み の学 問、 す な わ ち学 事 に迫 遙 した ま わ ん は、 事 々 賛 成 す る もの な り。(『往 復 書 簡』P. 26) この部 分 を見 た だ け で も彼 の名 司会 者 ぶ りが わか る。 彼 は、 熊 楠 の 学 ん だ ヨー ロ ッパ タイ プ の 学 問 を挑 発 し、宗 教 に価 値 を見 出 せ な い こ とを 悲 し み、 彼 の学 問 が独 特 で あ る こ とを賞 賛 し、総 合 的 な熊 楠 の思 想 を導 こ う と した。 ま た5書 簡 に お い て は、 神智 学 な ど オ カ ル テ ィ ックな 分 野 に興 味 を持 っ た土 宜 に熊 楠 が激 しい 言葉 で批 判 した の に対 し、大 い に怒 る。 「左 道 と か 盤 惑 とか 天 下 に断 言 す るは、 取 り調 べ の済 み しの ち に して 初 め て公 言 す べ きな り。」 「取 り調 べ も作 さず して左 道 と は いか な る論 理 そ や。」(『往 復 書 簡 」P. 27) そ うか と お もえ ば、 と って返 して 貴 下 は博 学 な り。故 に そ の説 は な はだ 貴 し。か っ記 憶 よきそ うと見 え、 いか に も混 々 と して来 る の観 え あ り。 小 生 は貴 下 よ り種 々の説 を聞 く。 ま こ と に面 白 し。 か の八 珍 を嘗 む る よ り は味 わ い よ く、か っ 消化 よ く、 ま こ と に精 神 の食 物 この上 な し。醍 醐 の骨 董 飯、 精 神 の大 日、 頬 らを た た いて 弾 舌 せ り。(『往 復 書 簡 』P. 29) と、 ま く したて る よ うに賞 賛 す る。

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(80) そ して や は り思 想 体 系 を語 ろ う と しな い熊 楠 を 挑発 し思 想 の 到達、 整 理 に導 こ うと した。 ま と 貴 下 は何 か 一 つ 纒 ま りて 書 物 を書 い た ら如 何 に。 それ は組織 に困 るか。 貴 下 の 脳 で はず いぶ ん 絶 玄 も出 て 来 るな らん。何 に とな く、ヒ ョイ ヒョ イ と出 る じゃ。 しか らば これを規 則立 て て、一 つ 出 して見 せた まえ。 …… ロ ン ド ン方 丈 の 大 居士、 学 考 如 何。(『往 復 書 簡 』P. 30) そ して そ れ は仏 教 に よ り解 き明 か され る物 だ と断 言 す るか の よ うに、 彼 は熊 楠 に 出家 を勧 め 「貴 下 は、 仏 教 中興 の 祖 師 の 一 人 と な る所 存 な きか。」 と彼 の思 想 が現 代 の仏 教 を救 う もの に他 な らな い こ とを示 唆 す るので あ る。 彼 の司 会 は、 ま こ とに うま い。 土 宜 書 簡 の一 言 一 言 に、 興 奮 し、頭 を 抱 え、 小 躍 りす る熊 楠 の姿 が 鮮 明 に浮 か び上 が って くる。 しか し、 それ が 全 て 土 宜 の熊 楠 を乗 せ るた め の虚 言 で あ った か とい え ば そ うで はな い。 土 宜 は 「陳 ぶ れ ば高 等 中学 林 教 授 に尊 台御 召 還 申 し上 げ た き儀(中 略)御 了 認 願 い上 げ 候。」(『往 復 書 簡」P. 255)と 京 都 の真 言 宗 の学 校 に熊 楠 を 教 授 と して招 いて い る。 こ の事 実 は、 宗 教 者 と して の彼 を 認 め て い た に他 な らな い。 ま た熊 楠 は、 海 外 で 客 死 す る こ とが あ れ ば蔵 書 を真 言 宗 の しか るべ き所 へ納 め て ほ しい と し、土 宜 円寂 ま で は、 土 宜 に そ の管 理 を頼 ん だ。 ま た経 済 的 に 困窮 して い る に もか か わ らず 土 宜 が 頼 む か ら料 金 を請 求 して くれ と恐 縮 す る ほ ど、 重 要 な 書 籍 を買 い土 宜 に送 り続 け た。 そ して 二 人 は 中国 経 由 の チ ベ ッ ト行 きを 計 画 し、お 互 い の死 の覚 悟 を 書 簡 に確 認 しあ っ た。 私 が3っ 目 に挙 げ る土 宜 の 位 置 付 け は こ の よ うな熊 楠 との 「絶 対 的 な信 頼 と友 情 」 の対 象 と して の土 宜 で あ る。 っ ま り熊 楠 の 生 涯 を通 じて あ らゆ る意 味 で 一 番 の 「親 友 」 で あ った 土 宜 にの み 彼 は思 想 の全 て を語 った の で あ る。 以 上 の様 に 「ア ドバ イザ ー」 「司 会 者 」 「親 友 」 の3っ の 側 面 か ら私 は、 『往 復 書 簡」 にお け る土 宜 の立 場 を捉 え た。 そ して、 そ れ が 失 わ れ た 高 野 山 時 代 に お け る土 宜 書 簡 の 内容 が、 南 方 マ ンダ ラの思 想 の到 達 に与 え た 影 響 の 大 き さや、 ど の様 な土 宜 書 簡 が書 か れ た のか を想 像 す るの に有 効 な ぞ 密 教 と 現 代 生 活-南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し

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て-密 教 文 化 して重 要 な要 素 に な る と考 え るの で あ る。 熊 楠 を論 じ る時、 『往 復 書 簡 」 の重 要 性 は何 度 も繰 り返 さ れ る が、 土 宜 の メ ン タ リテ ィー に ま で言 及 す る事 は少 な い。 私 は熊 楠 の思 想 を探 る上 で 土 宜 の上 記 の様 な位 置 付 け が極 め て重 要 に な る こと を こ こに 問題 提 起 した い。 c 事 の 学 い よ い よ南 方 マ ンダ ラの思 想 体 系 を論 じて ゆ く。 こ こか らは 『往復 書簡 』 に加 え南 方 熊 楠 研 究 の代 表 的 な研 究 者 で あ る鶴 見 和 子 の熊 楠 に関 す る ほ と ん どの仕 事 を網 羅 した鶴 見 和 子 『鶴 見 和 子 曼 茶 羅 水 の 巻 南 方 熊 楠 の コ ス モ ロ ジー」(以 下 『水 の 巻』)と 密 教 の立 場 か らの 熊 楠 に も大 き く注 目 し た 中沢 新 一 『森 のバ ロ ッ ク』(せ りか書 房、1992年、 以 下 『森 のバ ロ ック』) に お け る両 氏 の見 解 な ど も参 考 に しなが ら、 自分 の見 解 と照 ら し合 わ す こ とで よ り正 確 な南 方 マ ン ダ ラ像 を把 握 した い。 熊 楠 が 彼 の思 想 の核 心 にっ い ぞ語 り始 め たの は、1893年 の ロ ン ドンパ リ 往 復 書 簡 時 代 で あ る。 そ れ は図3と 共 に以 下 の 引 用 部 分 に よ って 述 べ られ て い る。 小 生 の事 の学 とい うは、 心 界 と物 界 とが 相 接 して、 日常 あ らわ る る事 (『往 復 書 簡 」、P. 46) この心 界 が 物 界 と ま じわ りて生 ず る事(す なわ ち、 手 を持 っ て紙 を と り鼻 をか む よ り、教 え を立 て人 を利 す るみ 到 る まで)と い う事 に は そ れ ぞれ 因 果 の あ る こ と と知 らる。 その 事 の 条理 を知 りた き こ と な り。 (略)今 の学 者(科 学 者 お よび 欧州 の哲 学 者 の一 大 部 分)、 た だ箇 々 の こ の心 この物 につ い て論 究 す る ばか りな り。小 生 は何 と ぞ心 と物 とが ま じわ りて 生 ず る事(人 界 の現 象 と見 て 可 な り)に よ りて 究 め、 心 界 と物 界 と は いか に して相 違 に、 いか に して 相 同 じき と こ ろあ るか を知 お そ りた き な り。仁 者 あ ま り西 洋 の哲 学 書 よ まね ば、 畏 ら くはか よ うの論 は入 らぬ な るべ し。 そ れ は是 非 もな し。(『往 復 書 簡 』、PP. 46-47)

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(82) 今、 小 生 の い う と ころ は、 さ て物 に は そ れ ぞ れ力 あ りて、 あ る い は動 き、 あ る い は静 に して お る。 ま た心 界 に は い ろ い ろ考 え欲 し、感 じお る。 こ の心 界 の諸 現 象 が 右 の物 に摂 して、 そ の物 の力 を起 こ さ しめて 生 ず る ものが 事 な り(心 物 両 界 連 関 作 用)。 この 事 の一 切 の 智 識 を 得 た しと い う。(『往 復 書 簡」、P. 48) この事 の学 で 熊 楠 は世 界 の 構成 にっ いて 述 べ て い る。 っ ま り今 の学 問 は 心 理 的 な もの と物 質 的 な もの を完 全 に相 対 化 して 別 々 に論 じて い る けれ ど、 世 界 は そ れ らが交 じわ り合 った数 多 くの 「事」 に よ っ て構 成 さ れ て い るの だ と して い る。 っ ま り世 界 は 「事 」 の永 久 的 な連 な りで構 成 され る重 層 的 な もの で あ る こ と を熊 楠 は表 現 した。 そ して この事 の連 鎖 か ら原 則 的 な もの を見 出 そ う と した。 この思 想 は熊 楠 の思 想 を論 じる上 で非 常 に重 要 で あ る。 「仁 者、 欧 州 の科 学 哲 学 を採 りて仏 法 の た す け とせ ざ る は、 これ玉 を淵 に 沈 め て 悔 ゆ る こ とな き もの な り」 熊 楠 の この よ うな言 葉 は、 そ の ま ま読 む と単 な る西 洋 崇 拝 だ。 しか し、熊 楠 は 『往 復 書 簡 』 にお いて 科 学 の限 界 を破 るの は真 言 密 教 で あ る と も繰 り返 し言 う。熊 楠 に と って はそ の 両 方 が 大 切 な要 素 を 含 ん で お り、そ れ らが 出 会 う こと に よ り初 め て我 々 が ま だ知 る こ との な い真 理 が 見 え て くる と考 え て い た の だ。 そ れ は、 ち ょう ど図3 の よ うに重 な り合 い、 出 会 うべ き もの だ っ た。 鶴 見 氏 は 「事 の学 」 はま だ勃 興 期 で あ った 人 類 学、 社 会 学 が解 き明 か す もの で あ る と して い る。 ま た鶴 見 氏 の い う熊 楠 は専 門 化、 体 系 化 の され て い な い当 時 の学 問 に体 系 を与 え よ う と した、とい う指 摘(『 水 の巻』、P. 462) は 「物 」 「心 」 と二 極 化 した専 門 性 や 近 代 学 問 の全 体 性 を 失 っ た 専 門 化 を 徹 底 的 に嫌 っ た熊 楠 の評 価 と して 矛 盾 して い る よ う に も感 じ る。 しか し 「事 の学 」 の よ うな学 問 も探求 され るべ きだ と い う熊 楠 の 本 質 的 な欲 求 と は矛 盾 して いな い。 d 5っ の 不 思 議 と 全 体 の 連 鎖(明 治36年7月18日46書 簡 を 中心 に) 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し

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て-密 教 文 化 熊 楠 は ロ ン ドン時代 の 「事 の学 」 を発 展 させ 明治36年 那 智 時 代 に南 方 マ ン ダ ラの思 想 を さ らに追 求 す る。 そ れ の 直接 の原 因 な った の は さ き ほ ど の 「事 の 学 」 にっ いて 熊 楠、 土 宜 のそ の 後 の 応 酬 が あ った。 熊 楠 の 「事 の学 」 を読 ん だ土 宜 は26書 簡 に置 いて 「前 月、 事 の説 明 を な す。 か の ごと き は随 分 説 き明 か して面 白 し。 これ は(当 否 は と もか くも) 金 栗 王(*熊 楠 の 自称)の 一 段 の見 識 と予 は覚 え た り。」(『往 復 書簡 」、P. 180)と 触 れ る。 しか し熊 楠 は それ に対 し29書 簡 にお い て 「汝、 前 状 に 金 栗 王 如 来 の事 を説 明 せ しを、 分 か らぬ くせ に、 当 否 は さて置 き面 白 しと は、 何 の こ とそ や。 実 に文 殊 大 士 再 現 す と も説 き得 ざ る大 発 明を授 けや り しに、 一 向 気 づ か ぬ は何 ごと そ や。」(『往 復 書 簡 』、P. 203)と 大 い に反 応 す る。 それ に対 し土 宜 は31書 簡 で、 そん な もの は、 何 に も妙 な もの で は な い と し 「か か る こ とを天 狗 で言 うの を、 小 生 は奇 態 に思 うの み」(『往 復 書 簡」、P. 230)と 熊 楠 を突 き放 す。 そ の こ とが、 よ ほ ど悔 しか った の か 「事 の 学 」 の 話題 は那 智 ・高 野 山 往 復 書 簡 で も再 び採 り上 げ られ、 「南 方 マ ンダ ラ」 は完成 に近 づ く。 この 辺 りの 土 宜 の 役 割 は、 前述 した通 り見 逃 せ な い。 熊 楠 は明治36年7月18日 の46書 簡 に お い て有 名 な図1を 描 き以 下 の 引 用 部 分 の よ うな説 明 を した。 こ こに一 言 す。 心 不思 議 とい う こ とあ り。事 不 思 議 あ り。物 不 思 議 あ り。心 不 思 議 あ り。理 不 思 議 あ り。大 日如 来 の大 不思 議 あ り。予 は、 今 日の科 学 は物 不 思 議 を ば あ らか た片 づ け、 そ の順 序 だ け ざ っと立 て な らべ 得 た る こ と と思 う。(人 は理 由 とか原 理 とか い う。 しか し実 際 げん しょ う は原 理 に あ らず。 不 思 議 を解 剖 して現 像 団 とせ し ま で な り。 こ の こ と、 前 書 に い え りQ故 に省 く)心 不 思 議 は、 心 理 学 とい う もの あれ ど、 こ れ は脳 とか 感 覚 器 官 とか を離 れず に研 究 中 ゆえ、 物 不 思 議 を は な れ ず。 したが っ て、 心 ば か りの不 思 議 の学 と い う もの今 はな し、 ま た は い ま だ な し。次 に事 不 思 議 は、 数 学 の一 事、 精 微 を究 め た り、 ま た今 も進 行 しお れ り。(中 略) さて 物 心 事 の上 に理 不 思 議 が あ る。 これ は ち ょ っ と今 は いわ ぬ 方 よ

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(84) う しか ろ う と思 う。右 述 の ご と く精 神 疲 れ お れ ば十 分 に言 い あ らわ し 得 ぬ ゆ え な り。 これ らの諸 不 思 議 は、 不 思 議 と称 す る もの の、 大 い に 大 日如 来 の大 不 思 議 と異 に して、 法 則 だ に たん に は、 必 ず人 智 に て 知 り う る もの と思 考 す。(『往 復 書 簡 』、PP. 307-308) これ に よ って 「物 」 「心 」 によ る 「事 」 に よ って構 成 さ れ て い た 「南 方 マ ン ダ ラ」 の 世 界 に 「不 思 議 」 の概 念 が 加 わ る。 っ ま り 「心 不 思 議 」 「物 不 思 議 」 「事 不 思 議 」 と新 し く加 わ った 「理 不 思 議 」 そ して 「大 日如 来 の 大 不 思 議 」 が加 わ るの で あ る。 こ の 「不 思 議 」 とい う概 念 の 発 生 につ いて 中沢 氏 は二 っ の見 解 を示 す。 一 っ 目 は存 在 世 界 に は底 が な い、 とい う直感(熊 楠 の言 うtact)を、 強 調 しよ うと した とい う見 解 で あ る。二 っ 目 は、世 界 は全 体 運 動 を行 っ て い る 神 秘 性 の表 現 で あ る。 っ ま り どん な微 少 な部 分 で も全 体 との っ なが りを失 わ ず、 直感(tact)を 働 か せ る こ とで全 体 を見 通 せ る とい う不 思議 で あ る。 (『森 の バ ロ ック」、PP. 76-78) 私 は上 記 の 二 っ に加 え、 さ らに二 っ の可 能 性 を加 え た い。 一 っ 目 は未 だ 説 き 明 か され て な い 物 と して の 「不 思 議 」 で あ る。 っ ま り引用 部 分 か ら分 か る よ うな諸 不 思 議 の まだ 創 設、 あ る い は解 明 さ れ て い な い学 問 を 示 す 言 葉 と して の 「不 思 議 」 で あ る。 二 っ 目 は客 観 化 で き な い不 思 議 で あ る。 っ ま りあ らゆ る物 が、 あ らゆ る物 と関 連 して 発 生 す る ので、 そ れ ら は全 て の 物 の 要 素 を持 ち単 体 で は客 観 視 で きな い事 を よ り正 確 に表 現 しよ う と した 「不 思 議 」 で はな い だ ろ うか。 また 熊 楠 の科 学 に対 す る疑 問 の 目に も彼 の先 見 性 が 見 っ け られ る。 っ ま り人 々 が 物 不 思 議 の原 理 だ と思 って い る こ と は、 現 象 にす ぎ な い と して い る。 これ は、 近 代 科 学 が 人 々 に更 な る繁 栄 を約 束 し、全 て の謎 を解 明 す る と考 え られ て いた 当 時 の風 潮 の 中 で は極 め て新 しい考 え で あ る。 イ ノセ ン トな原 理、 原 則 と考 え られ て い た科 学 は、 ま だ重 層 的構 造 体 の薄 い皮 を何 枚 か剥 が した に過 ぎな か っ た ので あ る。 そ して この 図1で 熊 楠 は な に を言 お う と して い るの か。 そ れ を知 る に は 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 以 下 の引 用 部 分 が解 りや す い。 さて 妙 な こと は、 この世 間 宇 宙 は、 点 は理 な り と いえ る ご と く(理 は た け す じみ ち)、 図 の ご と く(図 は平 面 に しか画 き えず。 実 は 長、 幅 の 外 に、 厚 さ もあ る立 体 の もの と見 よ)、 前 後 左 右 上 下、 い ず れ の 方 よ り も事 理 が 浸 透 して、 この宇 宙 を成 す。 そ の数 無 尽 な り。 故 に ど こ一 つ ふ えん と りて も、 そ れ を 敷 術 追 求 す る と き は、 い か な る こ とを も見 出 し、 い か な る こ とを もな し うる よ うに な って お る。(『往 復 書 簡 』、P. 308) こ こで熊 楠 が 表 現 して い る こ とを、 ず ば り一 言 で い う と 「全 体 の連 鎖」 で あ る。 つ ま り世 界 は あ らゆ る方 向 へ、 全 て の要 素(諸 不 思 議)が ラ ン ダ ム に、"む ち ゃ くち ゃ"に 飛 び か う一 見 カ オ スで あ る。 しか し ど ん な 小 さ な要 素 も、 そ れ を た ぐ って ゆ けば 全 て と繋 が って い る。 熊 楠 は ミク ロか ら 全 体 を垣 間 見 る こ とを 知 った。 そ れ は、粘 菌 を じ っと観 察 す る生 活 と 自分 の中 に蓄 積 され た あ らゆ る学 問 との 出会 い に よ り生 まれ た認 知 論 だ った。 中 沢 氏 は そ の思 想 的 根 拠 を 「人 間 の知 性 自体 が 宇 宙 そ の もの の 全 体 運 動 の中 か ら生 み 出 さ れ て きた もの で あ るか らだ。」 と し 「認 知 科 学 の 思 想 と して も、熊 楠 の この視 点 は、 ま った く現 代 的 で はないか」(『森 のバ ロ ッ ク」、 P. 81)と した。 ま た 原 田健 一 は こ の 図 の連 鎖 を 「打 ち 寄 せ る"物"と "心"の 波 が ぶ っ か り合 い、 新 た な波 しぶ き とな って 飛 び 散 る」(松 井 竜 五+月 川 和 雄+中 瀬 喜 陽+桐 本 東 太=編 『南 方 熊 楠 を 知 る辞 典 』 講 談 社 現 代 新 書、1993年、P. 493)と 表 現 して い る。 こ こで 私 が 重 要 だ と感 じる の は、 熊 楠 は ミク ロか ら全 体 の 本 質 や存 在 を いわ ば ワ ー プ的 に直 感 した。 しか し、そ こに 至 るま で の細 か い道 筋 の 内 容 は研 究 に よ って 調 べ るべ き、 あ る い は調 べ る しか な い、 と い い た い の で は な い だ ろ うか。 っ ま り それ こそ が 熊 楠 の い う真 の 「学 問 」 で あ り、 そ こか ら宇 宙 全 体 の 活 動 か ら矛 盾 しな い形 で 人類 を利 す る可 能 性 を 持 っ た テ ク ノ ロ ジー、 思 想 が 生 まれ るの だ。 そ れ を裏 付 け るよ うに彼 は そ の 具 体 的 認 識 方法 に話 を進 め る。 はか ど す いて ん そ の捗 りに、 難 易 あ る は、 図 中(イ)の ごと き は、 諸 事 理 の 葦 点 ゆ

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(86) え、 そ れ を と る と、 い ろ い ろ の理 を見 出 す に易 く して は や い。(ロ) の ご と きは、(チ)(リ)の 二 点 へ 達 して、 初 め て事 理 を見 出 す の途 に 着 く。 そ れ ま で は まず は無 用 の もの な れ ば、 要 用 の み に汲 々 た る人 間 に は ち ょ っと考 え及 ば ぬ。(二)ま た然 り。(ハ)ご と きは、 さ して要 用 な らぬ こ と なが ら、二 理 の会 葦 せ る と ころ ゆ え、 人 の気 にっ きや す い。(中 略) す な わ ち図 中 の、 あ る い は遠 く近 き一 切 の理 が、 心、 物、 事、 理 の 不 思 議 に して、 そ れ らの 理 を(動 か す こと は な らぬが)道 筋 を追 躍 し げん し ょう え た るだ け が、 理 由(実 は現 像 の 総 概 括)と な りお る な り。(『往 復 書 簡 』、PP. 308-309) 熊 楠 は そ の認 識 方 法 と して諸 不 思 議 と諸 不 思 議 が 出 会 う場 所 を 比 較 対 照 す る こと で認 識 しや す くな る と した。 そ して、 図1の(イ)の 様 な 場 所 を す い てん す いて ん 葦 点 と呼 ん だ。 この葦 点 を多 く発 見 し全 体 の 理 解 を 深 め る事 こそ 彼 に と っ て の 学 問 で あ っ た。 私 が考 え る に は世 界 構 造 だ けで な く(6)その 中 で の 諸 要 す いてん 素 の 発 見、 っ ま りこ の 「葦 点 」 を見 出 す こ とに っ い て も、仏 教、 特 に華 厳 思 想 の 「縁 起 」 の影 響 が 色 濃 く出 て い る。 っ ま り華 厳 哲 学 に お い てA, B, C, D… … の 諸 要 素 は 「空 」 と され 「自性 」 は否 定 され るが、 そ の 関 係 性 は 保 た れ る。 した が ってAの 存 在 に はB, C, D以 下X, Y, Zの 全 て の要 素 が 関 わ り、 そ の 関係 性 を失 え ば 全 て は存 在 しな くな る。 つ ま りAと い う個 体 が 「自性 」 を もた な くて も、他 の一 切 との 相 関 関 係 に お い てAで あ る わ け だ。 これ は 華 厳 哲 学 の存 在 論 的 関係 性 と よば れ る思 想 だ が、 熊 楠 の あ らゆ る事 理 の 「接 点 」 に存 在 の 本 質 が 現 れ て い る とい う思 考 ス タイ ル は、 こ の影 響 を 強 く受 けて い る と考 え られ る。 ま た、 熊 楠 の 思 想 は明 らか にす べ て の存 在 に 対 し完 全 な リア リス トで あ り、「一 切 皆 空 」(す べ て は"空"で あ る)の 華 厳 思 想 と は根 本 的 に立 場 が違 うの で は な いか と い う指 摘 も考 え られ る。 し か し 「華 厳 の"空"の 表 現 は、 何 もな い こ とを 示 して い るの で は な く、 む し ろ無 限 に"有"の 可 能 性 を秘 め て い るの で あ る。"理 法 界"の"空"は、 無 と有 の微 妙 な両 義 性 を は らん で い る。」(河合 隼 雄 『ユ ング心 理学 と仏 教』、 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 岩 波 書 店、1995年、P. 141。)と い う見 方 か らす れ ば、 必 ず し も両 者 の 存 在 に対 す る価 値 観 に本 質 的 相 違 が あ る と は考 え られ な いの で あ る。 しか しこ こ に新 た な疑 問 が 生 じる(ル)の よ うな一 見、 なん の接 点 もな い よ うな不 思 議 を我 々 は知 る こ とが で き な いの か、 と い う疑 問 で あ る。 そ の 疑 問 に は熊 楠 は以 下 の よ う に答 え る。 さて これ ら、つ い に は可 知 の理 の 外 に横 た わ りて、 今 少 し く眼 鏡 を (こ の画 を)広 く して、 いず れか に て(オ)(ワ)ご と く触 れ た点 を求 め ね ば、 到 底追 躍 に手 が か りな きな が ら、(ヌ)と 近 い か ら多 少 に影 響 よ り、 ど うや ら こん な もの が な くて か な わ ぬ と想 わ る る(ル)ご と きが、 一 切 の分 か り、 知 り う るべ き性 の理 に対 す る理 不 思 議 な り。 さ て す べ て 画 に あ らわ し外 に何 が あ るか、 そ れ こそ、 大 日、本 体 の 大 不 思 議 な り。(『往 復 書 簡』P. 309) 熊 楠 は人 間 に は、全 体 へ の 「直感 」 の他 に現 象 界 に接 点 の な い分 野 で も 「推 論 」 の 力 に よ って 存 在 を認 識 で き る と し、そ れ を 「理 不 思 議 」 と 呼 ん だ の で あ る。 中沢 氏 は この 明確 な成 果 が湯 川 秀 樹 の π 中 間 子(7)の発 見 の プ ロセ ス に現 れ て い る と し 「推 論 の力 が、 未 知 の素 粒 子 を この世 に 引 き出 し た」(『森 の バ ロ ッ ク』、P. 83)と して い る。 原 田氏 は 「か ろ う じで理 解 で きるか で き な いか の境 界 線(ル)が、 我 々 の存 在 の輪 郭 を形 成 す る もの と して の理 不 思 議 に な る。 そ こか ら先 は、 ど ん な に複 雑 な線 の魂 が あ った と して も、 ま た、 なん らか の 関 与 が あ った と して も、 この世 に存 在 す る我 々 に は理 解 で き な い世 界 で あ る。」(『南 方 熊 楠 を 知 る辞 典 』、P. 492)と す る。 私 は熊 楠 は宇 宙 そ の もの で あ る 「大 日如 来 の大 不 思 議」 と近 代 科 学 の知 りう る要 素 の 「距 離 」 と して 「理 不 思 議」 を 設定 した ので はな いだ ろ うか、 と考 え る。 そ して そ の距 離 を埋 め る、 も っ と許容 範 囲 の広 い もの こ そ真 言 密教 で あ る と した の で あ る。 これ は熊楠 の書 簡 に 明確 に現 れ て い る思 想 で あ る。 「科 学 とい う も、実 は予 を も って知 れ ば、 真 言 の 僅 少 の 一 部 に過 ぎ ず。 た だ そ の 一 分 の 相 を順 序 づ けて整 理 し、人 間社 会 を利 す る に便 す る を

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(88) い うに過 ぎざ るな り。」(『往 復 書 簡 』、P. 314)「 科 学 と は他 の宗 は知 らず、 真 言 曼 陀 羅 の ほん の 一 部、 す な わ ち この微 々 た る人 間 界 に あ らわ るる もの、 さて あ らわ る る もの の うち、 さ し当 た り 目前 役 に立 っ べ き もの番付 を整 え、 一 目了 然 で早 く役 に立 っ よ うに す る献 立 帳 を作 る方 に過 ぎ ず。」(『往 復 書 簡 』、P. 320) ま た鶴 見 氏 は 「理 不 思 議 」 を単 に学 問 と して 「数 学 お よ び論 理学 に よ っ て究 め られ る」(『水 の巻 』、P. 82)と す るが、 こ れ は この領 域 を知 的 行 為 の み で 行 わ れ る学 問 と定 義 づ け て い る か らだ と思 わ れ る。 e大 日 滅 心 か ら印 へ、 や り あ て(tact)、 そ し て 偶 然 性 と して の 縁 起(明 治36年6月8日47書 簡 を中 心 に) 熊 楠 は 明治36年47書 簡 にお いて 図1の よ うな思 想 を、 さ らに 図2と 以 下 の引 用 部 分 の よ うな 思 想 に展 開 させ るの で あ る。 た だ し、予 は 自分 に腹 案 な き こ とを 虚 喝 す る もの に あ らず。 簡 単 に 示 せ と の こ とな が ら、曼 陀羅 ほ ど複 雑 な る もの な き を簡 単 に は い い が た し。 い い が た い が、 大 要 と して次 に 述 べ ん。 す な わ ち 四種 曼 陀羅 の う ち、 胎 蔵大 日中 に金 剛 大 日あ り。 そ の 一 部 心 が 大 日滅 心(金 剛 大 日 中、 心 を去 り し部 分)の 作 用 に よ り物 を生 ず。 物 心 相 反 応 動 作 して事 を 生 ず。 事 ま た は力 の応 作 に よ りて名 と して 伝 わ る。 さて 力 の応 作 が 心 物、 心 事、 物 名、 名 事、 心 物 心、 心 物 名、 … … 心 名 物 事、 事 物、 心 名、 … …事 物 心 名 事、 物 心 事、 事 物 … …心 名 物 事 事 事 事 心 名、 心 名 名 名 物 事 事 名 物 心 と い う あん ば い に、 い ろ い ろ の順 序 で 心 物 名 事 の 四 っ を組 織 す るな り。 (中 略) 右 の ご と く真 言 の名 と印 は物 の 名 に あ らず して、 事 が 絶 え な が ら (事 は物 と心 と に異 な り、止 め ば 断 ゆ る もの な り)、胎 蔵 大 日中 に名 と し て の こ る な り。これ を 心 に映 して 生 ず るが 印 な り。故 に今 日西洋 の 科 学 ク リー ド ラ ンゲー ジ ハ ビ ッ ト ヘ レジ チ トラジ シ ョン 哲 学 等 にて な ん の解 釈 の しよ うな き宗 旨、言 語、 習 慣、 遺 伝、 伝 説 等 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 は、 真 言 で これ を実 証 を証 す る、 す な わ ち名 な り。(『往 復 書 簡 』、P. 333) 熊 楠 は世 界 の 運動 と構 造 につ いて、 よ り細 か く、深 く追 求 して い る。 図 1は、 図2に よ り さ ま ざ まな プ ロセ ス の生 じ る構 造 を与 え られ た の だ。 まず、 「大 日滅 心 の作 用 に よ り物 を生 ず 」 の 「大 日滅 心 」 が 非 常 に 重 要 な フ ァ ク ター に な る。 こ こで熊 楠 は今 ま で論 じて き た 「物 」 や 「心 」 はそ もそ も どの よ うな プ ロセ スで発 生 す るの か、 そ の構 造 を解 き明 か そ う と し て い るの だ。 熊 楠 は胎 蔵 大 日如 来 を す べ て の世 界 を包 む 現 象 界、 金 剛界 大 日如 来 を全 宇 宙 の発 生 体 と して捉 え て い る。 そ の金 剛 大 日が 宇 宙 に対 して 一 種 の"運 動 性"を 持 ち、 空 間 に広 が る動 きを見 せ た 瞬 間、 そ の金 剛 大 日 は100パ ー セ ン ト純 粋 な"運 動 体""エ ネル ギ ー体"と で も い うべ き存 在 とな る。 そ の瞬 間、 大 日如 来 は 「心 」 的 要 素 を持 た な い 存 在 と な り、 そ こ に一 切 「心 」 的 要 素 を持 た な い純 粋 な 「物 」 が 発 生 す る。 これ が 熊 楠 の い う 「大 日滅 心 」 だ。 ま た中 沢 氏 が 大 日滅 心 の理 論 を現 代 の宇 宙 論 に例 え て 「空 間 も時 間 もな い初 期 宇 宙 にお こる"量 子 ゆ らぎ"か ら、空 間 と して の宇 宙 と物 質 が 作 り 出 され て くる。」(『森 の バ ロ ッ ク』、P. 87)と 説 明 して い るの は興 味 深 い。 つ ま り大 日滅 心 は宇 宙 論 で い う否 定 性 の ジ ャ ンプで あ り、 そ こか ら根 元 的 なす べ て が 発 生 す る と熊 楠 は推 測 して いた の だ。 この 「大 日滅 心 」 と い う理 論 の 着 想 自体 を熊 楠 は ど の よ うに して 得 た の だ ろ う。 私 はそ の 「心 を去 る」 と い う否 定 性 の ジ ャ ンプ は 「空」 の 思 想 か ら得 た発 想 で は な い か と想 像 す る。熊 楠 は そ の 「空 」 に瞬 間 的 な運 動 を 閉 じこめ、 無 限 の 無 を生 み 出 す パ ワー を永 遠 の叡 智 体 で あ る大 日如 来 の 心 に 転化 し、 す べ て の存 在 を リアル に感 じて い た の だ。 この よ うに して生 ま れ て くる 「物 」 と 「心 」 は 出会 い 「事 」 を生 み 出 し 続 け る。 そ して そ の世 界 は様 々 な要 素 の ぶっ か り合 うこ とで生 まれ た 「力」 一 エ ネ ル ギ ー に満 ち て い た。 熊 楠 が こ こで重 要 視 す'るの は 「名 」 「印 」 は、物 質 上 の 単 な る 名 称 で は

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(90) な い と い う事 だ。 っ ま り 「物 」 「心 」 は 「大 日滅 心 」 の 作 用 に よ り世 界 に 絶 え ず充 満 して い る要 素 だ。 しか しそ の 「合 体 」 「連 鎖 」 は時 に ほ ど け、 再 び結 び あ う、 そ ん な 運 動 を 繰 り返 して い る。 そ して そ の 「事 」 が ほ ど け た こ とで、 本 質 的 な 意 味 で の 「名」 が 生 まれ る。 お そ ら く熊 楠 は この 「名」 と い う言 葉 を 「体 系 」、「ジ ャ ンル」 とい っ た よ う な意 味 で 用 い た と私 は考 え る の で あ る。 しか し、 こ こで の ジ ャ ンル は人 為 的 な 区 分 けで は な く、元 来 存 在 す る宇 宙 構 成 と して の 「体 系 」 で あ る。 そ して こ の 「名 」 を、 本 能 や知 性、 感 性 な どが享 受 し我 々 の まえ に実 質 的 な要 素 と して、 は っ き り と姿 を見 せ る。 そ れ を熊 楠 は 「印 」 と した。 ま た、 そ の よ う な宇 宙 的 規 模 の複 雑 な経 路 で、 「印 」 で あ る習 慣、 言 語 な ど は生 ま れ て くる こ と を説 明 しよ う と した の だ。 こ こで熊 楠 は全 体 性 か ら 目 を そ む け、 た だ 細 か く専 門 化 され た学 問 に よ って の み世 界 を知 ろ う と して い た西 洋 科 学 の 限 界、 弱 点 を 指摘 して い る の だ。 しか し繰 り返 し述 べ るが、 彼 は西 洋 科 学 を否 定 して い るの で はな い。 現 代 に お い て も宗 教 者、 宗 教 研 究 者 が、 近 代 科 学 の盲 点 を っ い て、 「こ れ か らは、 宗 教 だ。」 と近 代 科 学 を 全 否 定 す る場 面 を よ く見 か け る。 しか しこの ス タ ンス は熊楠 の見解 とは ま っ た く異 な る こ と を知 らな け れ ば、 正 確 な熊 楠 像 を 知 る こ と は で きな い。 「しか して、 か くの ご と く今 日の 科 学 の 不 満 足 な る を い う と、 宗 教 家 は喜 悦 す(仏 徒 に限 らず)。 これ は 自分 の 愚 を あ らわ し誇 る も の に て、 は な は だ謂 わ れ な き こ と」(『往 復 書 簡 』、P. 337)こ れ が熊 楠 の ス タ ンス だ。 私 は この思 考 ス タ イ ル(大 日滅 心 ⇒ 「名 」 「印 」)こ そ が、 熊 楠 が 宗 教、 特 に真 言 密 教 を 単 な る空 想 上 の"ま や か し"と み ず(科 学 隆 盛 の当 時、 そ うい った風 潮 は 顕 著 だ った。)近 代 科 学 が論 理 的 に説 明 で き な い こ と を 認 識 す る こと が、 可 能 な 存 在 と して み た 理 由 で な い か と考 え る。 っ ま り、我 々 の脳(も っ と限定 す る な ら 「ア ラヤ識 」、熊 楠 は書 簡 中 に 何 度 か こ の語 を使 う。)や 身 体 は、 普 段 の生 活 の 中 で 無 意 識 に 原 理 や 現 象 の整 理、 認 識、 直感 な ど を行 って い るの だ。 それ らが 体 系 化 され た結 晶 と して、 習慣 や 言 語 が生 ま れ る。 そ して、 そ れ らは言 うま で もな く我 々 の生 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 活 に と って有 効、 い や必 要 不 可 欠 な存 在 に な る。 そ う した存 在 とま った く 同 格 な存 在 と して 「宗 教 」 は あ る の だ。 我 々 に と って 宗 教 は欠 く こ との で き な い 「ッ ー ル」 的 側 面 を多 分 に持 って い る。 ここで 使 う 「ッ ー ル」 は機 械 的 に何 か を処 理 す る と い う意 味 で は な く、「生 活 に と って 必 要 不 可 欠 な 要 素 」 と い う意 味 だ。 この ツ ー ル の獲 得 こ そが、 私 が この 論 文 の主 題 と し て 扱 って い る 「本 質 的 ライ フ ス タ イル 」 の 獲 得 な の だ。 しか し、一 見 完 全 な 論 理 性 を持 って い る科 学 と宗 教 を 単純 な対 立 軸 と見 な す こ とで、 我 々 は 宗教 の 本 質 を 見失 お うと して い る。 そ れ はあ り得 な い こ とだ と熊楠 は い い た いの だ。 熊 楠 か ら見 れ ば 宗 教 が戒 律 な どに よ って生 活 規 範 や道 徳 を"の み"唱 え て い る こ と は、 可 能性 を制 限 され た形 で の宗 教 で しか な か った の だ。 そ の可 能 性 を失 い か けた宗 教 の 中 で、 熊 楠 は真 言 密 教 の 「本 質 的 ライ フ ス タイ ル」 と して の 側 面 を失 って い な い部 分 が光 り輝 い て見 え た の で あ ろ う。 そ れ は熊 楠 に と って は行 者 の 直感 に よ って得 た マ ンダ ラの宇宙 観 で あ っ た の だ。 そ して密 教 が他 の宗 教 に比 べ 悪(暴 力)や セ ク シ ャル な部 分 との 対 話 を、 常 に行 って い る とい う点 も 「本 質 的 ライ フ ス タ イ ル」 の獲 得 に大 きな可 能 性 を持 って い る と感 じた大 きな ポ イ ン トで あ ろ う。 しか しそ の真 言 密 教 も熊 楠 か ら見 れ ば、 危 機 的 状 況 に あ っ た。 「仁 者 ら、 た だ 唐 朝 の 故 経、 晋 訳 の古 書 を よ み、 そ の時 代 に大 実 用 あ り し諸 尊 を 敬 礼 す るの み、 今 の 世 に大 実 用 あ るべ き科 学(真 言 の世 間 物 質 開 化 上 の 応 用)を 排 除 す。」 (往復 書 簡 』、P. 316)彼 が 挑戦 した の は、 ま さに密 教 で現 代 を生 活 す る試 み で あ っ た。 また、 言 語 や 宗 教 は長 い スパ ンに よ って 現 れ た人 間 の無 意 識 の結 果 で あ るが、 そ の 無 意 識 の 結 果 につ いて 短 い スパ ンで も起 こ り得 る と熊 楠 は述 べ て い る。 熊 楠 は それ をtactま た は 「や りあ て」 と呼 ん だ。 これ を熊 楠 は 明 治23年 に フ ロ リダで 発 見 した ピソ フ ォ ラ と伺 じ種 類 の藻 が、 吉 田村 の聖 天 に行 け ば あ る とい う夢 を、 帰 国 後熊 楠 が み て実 際 発 見 した と説明 して い る。 ま た 図鑑 で しか 見 た こ との な い ク ラテ レル ス とい う藻 も那 智 の 向 山 に あ る

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と い う夢 を見 て発 見 した、 と して い る。 鶴 見 氏 は熊 楠 の 「や りあ て 」 につ い て ボ ア ンカ レ(8)(Jules Henri Poincare 1854-1912)の 『科 学 と方 法 」 を 引 用 し 「滞 在 意 識 に お け る 直感 ま た は想 像 力 の発 動 」 で あ る と して い る。 さ らに鶴 見 氏 は宗 教 に よ って信 じ られ る宇 宙 の実 在 は、 科 学 に よ って一 部 しか把 握 す る こ とが で き な い、 しか し 「っ ね に、"や りあて"る ことに よ っ て、 限 りな く、 実 在 に近 づ くこ と はで き る。」(『水 の巻 』、P. 338)と 熊 楠 は い い た い の だ、 と して い る。 さ らに熊 楠 は、 フ ロ リダ に い る時 に発見 した藻、 ピ トフ ォラ ・ヴ ァウ シェ リオ イ デ ス や ナ ギ ラ ンに到 って は和 歌 山 で発見 した際、 幽霊 に教 え て もら っ た と し、「今 日の 多 くの 人 間 は我 執 事 に惑 うの あ ま り、 脳 力 く も りて か か る こ と一 切 な きが、 全 く関 寂 の地 に お り、心 に世 の煩 い な き と き は、 い ろ い ろの不 思 議 な脳 力 が 働 きだす もの に候。」(『履 歴 書 」、P. 32)と して い る。 これ を 中 沢 氏 は熊 楠 が 「三 次 元 の以 上 の高 次 元 空 間 を っ う じて、 ひ と っ に結 ば れ た。」(『森 の バ ロ ッ ク」、P. 375)と 考 え られ る と し、熊 楠 に とっ て幽 霊 は 「純 然 た る ひ とっ の空 間 現 象 で あ る と い う」(『森 の バ ロ ッ ク」、 P. 375)と して い る。 こ の あ た りの熊 楠 の メ ンタ リテ ィ ー は非 常 に微 妙 だ。 あ る意 味、 熊 楠 の 学 術 的 認 知 が遅 れ た の も、 この様 な 「奇 跡 」(9)(とい って もい い だ ろ う)的 側 面 の いか が わ しさ が あ った と もい え る。一 般 的 に よ くい わ れ る 「奇 人 」 と して の 熊 楠 だ。 しか し熊 楠 は、tactを 物 理 で言 え ば 「マ ル コ ニ の無 線 電 信、 またX光 線 よ りつ て を 引 い て、 ラ ジ ゥム とい うみ ず か らX光 線 出 す 元 素 を見 出 す ご と く」(『往 復 書 簡 』、P. 313)こ とを 「心 」 の 中 で 行 って い る だ け だ とい う。 そ して そ れ らが、 呪 術 な ど を決 して軽 視 す べ きで は な い 理 由 に もな る とす るの だ。 「これ を、 応 用 し得 た らん に は、 呪 誼、 調 伏、 そ の他 今 日名 もな きい ろ い ろ の心 性 作 用 の 大 所 作、 大 工 事 の で き る こ と疑 い な し。(こ こ に一 言 い い お くは、 呪 誼、 ま じな い等 の 道 理 お よ び応 用 も、 決 して 科 学 外 の もの に あ らず と知 れ。 故 に 理 外 の 理 に あ らず。 物 理 ま た は 今 日の 心 理 外 の理 な り。)」(『往 復 書 簡』、P. 313) 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 私 自身、 真 言 宗 の僧 侶 と して この言 葉 に多 く の メ ッセ ー ジが あ る と感 じ る。 しか し こ こで熊 楠 が 使 う 「科 学 」 とい う言 葉 の認 識 に、 注 意 し な けれ ば な らな い。 我 々 が 固定 概 念 と して持 っ て い る、 論 理 的 説 明 可 能 な"理"の みが 科 学 で は な い。 科 学 は熊 楠 に と って世 界 を知 る、 あ る い は利 す る、 全 て の方 法 論 で あ った。 熊 楠 は直感 に よ る 「や りあて 」 を 重 視 した。 そ れ は、人 間 は科 学 が 知 り得 る こ とが で きな い 認 識 能 力 を持 って い る と い う経 験 か ら得 た確 信 で あ った。 宗 教 を論 じる と き論理 的 な学 術 的立 場 の み か ら、 そ れ を 論 じ る こ と が100パ ー セ ン トの有 効 性 を持 た な い よ う に、熊 楠 を論 じ る際 も この よ うな 「神 秘 を 存 在 と して認 め て い る」 立 場 を とる熊 楠 か ら 目を背 い て はな らな い の で あ る。 私 の論 と は異 な った立 場 と して、 原 田健 一 氏 は 「これ を 神 秘 的 な体 験 と受 け取 る と間 違 え る だ ろ う。」 と し熊 楠 が い い た いの は、 「さ ま ざ ま な因 と果 の 結 節 点 に立 ち現 れ た"事 の条 理'と して の"南 方熊 楠"は な ぜ、 そ う した 藻 を 研 究 しよ うと思 った のだ ろ うか、 とい う問 い を 自分 に発 して い るの だ。」(『南 方 熊 楠 を 知 る辞 典 』P. 495)と して い る。 こ の 指 摘 は、 多面 的 な熊 楠 の 思 想 の 一 側 面 と して 有 効 性 を 持 っ。 しか しそ れ で も な お か っ、 この 『往 復 書 簡 』 や 前 掲 『履 歴 書』 で 熊 楠 が神 秘 体 験 を語 る と き、 彼 は単 に 「神 秘 な体 験 を した こ と」 を いい た い の で あ って、 そ の主 旨 は尊重 され るべ きだ と私 は個 人 的 に は感 じる。松 長 有 慶 氏 は超 能 力 を1、 喩 伽 行 者 的超 能 力 と2、 自己 宣 伝 の た め の超 能 力 に分 け て定 義 して い る(10)が、熊 楠 は那 智 に お け る粘 菌 観 察 と い う、極 め て 瞑想 的 な行 為(こ れ につ い て は、 図4 縁 ・起 が 示 す 「偶然 性 」(明 治36 年 8月8日 付 南 方 熊 楠 書 簡)

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(94) 後 に詳 し く述 べ る。)の 中 で、 極 めて1の 定 義 に近 い性 格 を 自然 に獲 得 し た ので は な い か とい うの が、 熊 楠 の テ キ ス トか ら得 る自然 な推 測 で はな い だ ろ うか。 次 に熊 楠 は、 図2の 左 側 に描 か れ た 「因 果 」 にっ い て語 る。 これ に っ い て 熊 楠 は図4と 共 に以 下 の 引用 部 分 で説 明す る。 因 は それ な くて は果 が お こ らず。 ま た因 異 なれ ば そ こに伴 って果 も へ ざん に ゅう 異 な るの も、縁 は一 因 果 の継 続 中 に他 因 果 の継 続 が 窟 入 し来 る も の、 そ れ が 多 少 の 影 響 を加 うる と き は起、(甲 図。 熊 楠、 那 智 山 に の ぼ り 小 学 教 員 に あ う。 別 に何 の こ と もな き は縁。)(乙 図。 その 人 と話 し古 え の撃 剣 の 師 匠 た り し人 の 智 と き き、 明 日尋 ぬ る と き は右 の縁 が 起。) 故 に わ れ わ れ は諸 多 の 因 果 を この 身 に継 続 しお る。 縁 に至 りて は一 瞬 に無 数 に あ う。 そ れ が心 の と め よ う、体 にふ れ よ うで事 を お こ し(起)、 そ れ よ り今 ま で続 けて来 た れ る因 果 の 行動 が、 軌 道 を はず れ ゆ き、 ま た はず れ た物 が、 軌 道 に復 しゆ くな り。予 の曼 陀 羅 の 〈要 言、 煩 わ し か らず と謂 うべ し〉 とい うべ き解 は これ に止 ま る。(中 略)故 に、 今 日の 科 学、 因 果 は分 か る が(も し くは分 か るべ き見 込 み は あ る が)、 縁 が 分 か らぬ。 この縁 を研 究 す るが わ れ わ れ の任 な り。(『往 復 書 簡 』、 PP. 334-335) こ こで も熊 楠 は世 界 が、 異 な る現 象 の繋 が りで で きて いる と述 べ て い る。 ま た、 そ れ と同 時 に、 そ の中 に は直 線 的 な 「因 果 律 」 だ け で は説 明 の っ か な い 「偶 然 性 」 が必 然 的 に含 まれ て い る の だ、 と い う こと を熊 楠 は い って い る の だ。 つ ま り こ こで 熊 楠 は近 代 科 学 に対 して、 仏 教 的 思 考 ス タイ ル が 新 しい科 学 の可 能 性 を 開 くの に大 き な要 素 を含 有 して い る と い って い る。 「因 縁 」 の 「因」 を熊 楠 は従 来 の 「因 果 律 」、っ ま り直 線 的 な 原 因、 結 果 の相 関 関 係 と して み た。 近 代科 学 はそ う い う物 を、 非 常 に うま く扱 って き た し成 果 も目覚 ま しか った。 しか し、 い うな れ ば 熊 楠 は 「縁 起 」 が表 す 「偶 然 性 」 に注 目 して いか な けれ ば、 さ らに 明確 に世 界 は 把 握 で き な い と した。 そ して そ の 「偶 然 性 」 に も多少 の影 響 が加 わ る 「縁 」 と ドラマ チ ッ 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 ク な変 化 を巻 き起 こす 「起 」 が あ る と した の だ。 鶴 見 氏 は この 「偶 然 性 」 に対 す る視 野 こそ、 熊 楠 の 最 も大 き な先 見 性 で あ り"す ご い こ と"と い う立 場 を と って い る。 つ ま り この 書 簡 中 に、 書 か れ た 「偶 然 性 」 が 実 は そ の後 の学 者達 が必然 的 に向 か い合 わ ざ るを得 なか っ た フ ァク タ ー だ っ たか らだ。 それ を鶴 見 氏 は次 の よ うな様 々 な学 者 の例 を 挙 げ 説 明 す る。19世 紀 の ニ ュ ー トン力学 は必 然 法 則 と して 西 洋 科 学 の基 礎 を な した。 しか し1905年 ア イ ンシ ュ タイ ンの相 対 性 理 論 が で た り ブ ラウ ン 運 動(11)が証 明 さ れ、 初 め て科 学 が必 然 だ け で は捉 え る こ と が で き な い こ と が解 って きた。 生 物 進 化 の 領 域 で は ジ ャ ッ ク ・モ ノー が1970年 『偶 然 と必 然』 で よ うや く 『偶 然 』 に触 れ だ した。 ま た カ ー ル ・ユ ン グが1950年 代 に 『マ ン ダ ラ ・シ ンボ リ ズム』 を発 表 し 「シ ンク ロ ニ シ テ ィ ー」(共 時 性)と い う概 念 で 偶 然 性 を説 明 して い るの だ。 ユ ン グ と熊 楠 の類 似 性 にっ いて は 河合 隼 雄氏 も 「ユ ング は、 物 事 を 因果 律 だ け で は了 解 で き な い、 そ れ と共 時性 とい う二 っ の 原 理 で 見 な けれ ば な らな い と言 った ん で、 そ の 点 で 南 方 熊 楠 と ほ とん ど一 緒 じゃな いで す か ね え。」(『水 の 巻 」P. 515)と 述 べ て い る。 この偶 然 性 の論 理 を 熊楠 は、1903年 に 自分 の思 想 の核 で あ る 「小 生 の 曼 陀 羅 」(南 方 マ ンダ ラ)に 描 き込 ん だの で あ る。彼 の 考 え た 思 想 は論 文 で 書 か れ た もの で は な い。 そ して論 証 さ れ て い る わ けで も な い。 しか しこ の 熊 楠 の思 想 が、 い か に 着 眼 の優 れ た既 成 概 念 に と らわ れ た もの で ないか が、 この 「偶 然 性 」 に もよ く現 れ て い る。 私 の考 え で は、 この 図4の 見方 は も う一 つ あ る。 彼 は 「偶 然 性 」 と と も に 「力 」 つ ま り世 界 を動 か す エ ネ ルギ ーの発生 と交 通 につ い て も同時 に語 っ て い る の だ。 つ ま り図1(全 体 の連 鎖 の 図)の 論 理 か らす れ ば 「縁 」 や すい てん す いて ん 「起 」 は ま さに 「葦 点 」 で あ る。 そ の 「華 点 」 に お け る接 触 に よ り様 々 な フ ァ ク タ ー は、 ひん ま が り、空 間 か らず れ、 あ る い は ほ とん ど影 響 を受 け すいてん ず ま っす ぐ突 き進 む。 この様 に見 る と 「縁 」 「起 」 あ る い は 「葦 点 」 は、 マ ン ダ ラ を動 か す エ ネ ル ギ ー の発 生 体 なの だ。 そ して、 そ の力 の道 筋、 交

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(96) 通 を描 いた の が 図1だ と いえ る。 f 南 方 マ ン ダ ラ の 総 括 以 上 で 『往 復 書 簡 」 に お け る 「南 方 マ ン ダ ラ」 の 思 想 を論 じて き た わ け で あ るが、 私 は こ こで重 要 な ポ イ ン トを二 っ挙 げ た い。 一 っ 目 は熊 楠 を南 方 マ ンダ ラの思 想 に お け る直感 に導 いた の が、 深 い山 奥 で粘 菌 を 観 る作 業 で あ っ た と い う こと で あ る。熊 楠 に と って、 そ の作 業 は ま さに 瞑想(メ デ ィテ ー シ ョ ン)で あ った。 い うま で もな く密教 の 瞑想 は、 深 い山 を 瞑 想 の最 良 の地 と し、 自分 と全 宇 宙 が 一 体 で あ る こ とを 直感 に よ り感 じる行 為 で あ る。 そ して、 そ の瞑 想 の 特 徴 して行 者 の五 感 を総 動 員 す る こ とが 挙 げ られ る。 っ ま り様 々 な色、 形 を 持 っ た マ ンダ ラや観 想 を イ メ ー ジ し、鈴 の 音 や 真 言 の音 を感 じ、香 の に お い を 感 じ、様 々 な仏 具 と触 れ合 い、 印 を くむ。 これ は非 常 に活 動 的 な 瞑 想 だ と言 え る。 そ して こ の行 為 は熊 楠 の粘 菌 を那 智 で 探 し、 じっ と観 察 す る行 為 に極 め て 近 い要 素 が あ る と私 は感 じ る。粘 菌 の写 真 を見 てみ る と、 粘 菌 は様 々 な 色、 形 を して い る こ とが 解 る。 そ して熊 楠 に は、 そ れ らを 呼 ぶ 水 や風 の に お い を経 験 的 に 知 って い た に違 いな い。 また熊楠 は観 察 に よ っ て 粘 菌 の生 命 が動 くの を顕 微 鏡 で じっ と観 る。 真 言 密 教 の曼 茶 羅 は単 な る シェー マ 図 式 で は な く 「動 く」 もの だ が、(金 岡 秀 友 「マ ン ダ ラ の 哲 学 」、P. 90。 松 長 有 慶+杉 浦 康 平 一編 『マ ンダ ラの世 界 の世 界 』講 談 社、1983年、 収 録。) 粘 菌 は"実 際 に"動 くの だ。 そ の生 命 体 との 対 峙 か ら彼 は大 き な直 感 を得 るの で あ る。"自 分 は全 て と繋 が って い て、 全 て は、 全 て と繋 が っ て い る。"彼 は 「南 方 マ ンダ ラ」 の 思 想 を真 言 密 教 を バ ッ クボ ー ン と しなが ら も、 自 らの 瞑 想 に よ る直 感 を 常 に感 じ続 け た。 これ は ま さに、 真 言 行 者 が 持 っ べ き瞑想 の ス タ ンス の 本 質 を突 いて い る。 二 つ 目 に挙 げ る の は徹 底 した イ ン タ ラ ク テ ィ ブ性(相 互 性)を 持 った、 あ らゆ る要 素 との コ ミニ ケ ー シ ョ ンで あ る。熊 楠 は あ らゆ る対象 に対 して、 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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密 教 文 化 そ れ だ け を取 り込 む の で は な く、 そ れ らが 交 わ り、今 生 き て い る現 代 の世 界(宇 宙)に と って本 質 的 な意 味 を持 っ もの を探 し、選 択 した。 そ れ は、 時 に西 洋 科 学 と東 洋 思 想 で あ り、 西 洋 思 想 と東 洋 科 学 で あ り、 「物」 と 「心 」 で あ り、 個 と全 体 で あ り、我 と宇 宙 で あ っ た。 そ れ らの 両 方 に価 値 を見 出 し、批 判 す る こ とで お 互 いの 交 通 は極 め て 円滑 で あ り、柔 軟 で あ った。 熊 楠 は専 門 性 や組 織 を嫌 っ た。 それ もま た 自分 の 専 門 や 組 織 を守 る た め に 自 己保 身 のみ で な に か を賞 賛 す る恐 れ が あ る危 険 性 を、 彼 が感 じ取 って い たか らで もあ る の だ ろ う。彼 の興 味 は いか に本 質 的 な な に か を見 出せ る か、 と い う一 点 の み だ った。 それ を獲 得 す るた め に、熊 楠 は全 て の対 象 に 対 し自分 の感 情 を中 立 に保 たせ た。 そ して、 そ れ らが イ ン タ ラク テ ィブ に 動 き回 れ る思 考 ス タ イ ル の土 台 を構 築 す る ス タ ン ス は、 驚 くほ ど一 貫 性 を 持 って い る。 第3章 密 教 と 現 代 生 活 a南 方 マ ン ダ ラ と 密 教 思 想 の 近 似 性 こめ章 で は、 「南 方 マ ン ダ ラ」 の思 想 と密 教 思 想、 仏 教 思 想 の 近 似 性 に 注 目 し、我 々 が現 代 で 生 活 す る上 で どの よ うな メ ッセ ー ジが あ るの か、 と い う こ と に注 目 した い。 熊 楠 が常 に行 って きた の は、 ま さ に そ れ と同 じ行 為 で もあ るの だ。 まず は主 体 と客 体 の 問 題 で あ る。近 代 科 学 は そ れ を明確 に分 ける こ とで、 め ざ ま しい成 果 を上 げ て きた。 しか し仏 教 は そ れ らを分 離 す る こ とで 宇 宙 の全 体 像 を把 握 す るの が 困難 に な る とい う立 場 を と る。 っ ま り、主 体 が 持 っ立 場、 性 質 に よ って 客体 とい うの は常 に違 った存 在 に変 化 す る とい う立 場 だ。 これ は、 熊 楠 の 図3(事 の学)に 近 い考 えで あ る。 熊 楠 も 「心 」 的要 素 が必 然 的 に含 ま れ る 「物 」 の客 観 化 が 本 質 的 に は不 可 能 で あ る こ とを述 べ

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(98) た か らだ。 しか し、 そ れ に対 す る発 展 形 態 はか な り違 う。 大 乗 仏 教 は、 主 体 と客 体 の分 離 か ら逃 れ るた め に 「空 」 を と り入 れ た。 っ ま り客 体 の実 在 自体 を 否 定 し、 そ れ に よ って主 体 の実 在 も否 定 した。 しか し熊 楠 は徹 底 的 に対 象 に執 着 し た。 対 象 は確 か に 存 在 す る。 そ の "わ か らな い"の は な に な のか。 それ が、 彼 の興 味 で あった。 そ うい う意 味 で は、熊 楠 は存 在 に対 して は完 全 な リア リス トで あ り認 識 に つ い て は学 問 は不 可 知 な部 分 も あ る と した。 そ の 点 は、 大 乗 仏 教 の ス タ ンス と違 う と い え る。熊 楠 は思 考 ス タ イル と して 「空 」 の思 想 を頭 に入 れ な が ら も、根 本 的 認 識 論 と して はむ しろ対 極 的 な立 場 を と っ た の だ。 ま た唯 識 説 の説 く"認 識 した い"と い う欲 を 「迷 い」 と し、 そ れ を悟 り の 世 界 の 「智 恵 」 に転 化 しな け れ ば な らな い と い う 「四 智(12)」に 法 界 体 性 ほ うか いた い しょうち だ いえ んき ょ うち び ょうどう し ょうち み ょうかん ざ っ ち 智 を加え た密教 の 「五智」(法界体性智、大 円鏡智、平 等性智、妙 観 察知、 じ ょうそ さ ち 成 所 作 智)の 思 想 は、 「南 方 マ ンダ ラ」 が 持 っ 世 界 の 認 識 方 法 に共 通 す る 多 くの 要素 が あ る。 まず大 日如 来 の智 が す べ て の法 の所 依 で あ り、最 高智 で あ る と い う法 界 体 性 智 は、 「南 方 マ ン ダ ラ」 の大 日如 来 が宇 宙 そ の もの で あ り、 す べ て の 中心 と考 え る 「大 日如 来 の大 不 思 議 」 の思 想 と対 応 して い る。 次 に大 円鏡 智 は対 象 を ま さ に鏡 の よ う に、 あ りの ま ま見 る こ との で き る 智 恵 で あ る。 これ は 「南 方 マ ン ダ ラ」 の 対 象 に対 して、 主 体 の 心 的 要 素 が 含 ま れ て い る こ とを 自覚 し、我 々 が 見 て い る の は 純 粋 な 「物 」 で は な く 「事 」 で あ るの こ と を述 べ た 「事 の学 」 と対 応 して い る。 平 等 性 智 は、 す べ て の もの に相 互 に存 在 す る共 通 性 を悟 る智 恵 で あ る。 これ は 「南 方 マ ン ダ ラ」 の 図1の 思 想(全 体 の 連 鎖)と 対 応 して い る。 っ ま り、 す べ て の もの は そ れ ぞ れ が全 く別 の存 在 で は な く、 し っか り と繋 が り連 鎖 して い る と い う、南 方 マ ンダ ラの根 本 と も いえ る思 想 で あ る。 妙 観 察 知 は、 あ らゆ る もの の差 別 の相、 っ ま り特 異 点 を観 察 して獲 得 す す いて ん る智 恵 で あ る。 これ は 「南 方 マ ンダ ラ」 の葦 点 を み っ け る作 業 と対 応 して す い てん い る。 つ ま りい くつ か の要 素 が た くさん 出会 う葦 点 を い くっ か 見 っ け、 そ 密 教 と 現 代 生 活 -南 方 熊 楠 ・ 土 宜 法 龍 往 復 書 簡 を 中 心 に し て ー

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