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【学位論文審査の要旨】

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Academic year: 2021

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【学位論文審査の要旨】

本申請論文は、日本で作家活動をする外国人陶芸家を通して、日本産アートのグローバ ルな流通・受け入れのされ方から、日本文化及び日本社会のコスモポリタンな性格を明ら かにしようとする意図の元に書かれたものである。そのために、外国人陶芸家が日本の陶 芸を学ぶために国境を越えてきたそれぞれの人々のライフヒストリー、作家自身の世界観 に対する解釈、作家自身の陶芸作品の技法を総合的な観点から理解することが目指される。

具体的には、作家個人にとっての物語り(個人的な物語)と日本のアートを巡る語り(グ ローバルヒストリーに位置づけられるような日本をめぐる語り)及びこの二つの語りの交 錯するところに発生するイメージの生成と消費を社会学的に解明することが、申請者の研 究成果として目論むものである。

海外でもウェッジウッド、ジノリ、ヘレンドといった高級陶器メーカーは存在し、19 世 紀の初頭には製造を始めている。だが、現代のそれら高級陶器メーカーでは、絵付けにお いて手作業が残っている商品はあっても、決して一点ものではなく工業生産物である。一 点一点を職人が手工業的に制作する陶器の産地が残っているところは西欧先進国のなかに はない(マイセンやリモージュの陶器なども同様)。ところが、日本には全国各地にそうし た職人が全制作過程に関わる陶器(焼き物)が残っており、伊万里、有田、信楽のような ブランド産地だけではなく、全国的にはさして有名でなくても地元の焼き物がある地域は 消して珍しくはない。しかも、そうした一点ものでつくられたモノが装飾品として飾られ るのではなく、日常使いのモノの一つとして受け入れられてもいる。申請者はそうした日 常使い志向の陶器産地の代表的な焼き物として益子焼をとりあげて、そこで活躍する西欧 人作家に着目する。その際には他産地で活躍する西欧人作家とも比較することで、産地間 の違いを浮き上がらせつつ、それでも共通に見られる共通項から海外から見たときの日本 文化を論じていく。

第一部Historical and Theoretical Backgroundの第一章Images of Japan: from

Orientalism to Cosmopolitanismは、なぜ外国人陶芸家は日本を目指すのか、の前提条件 を明らかにする部分である。日本で作家活動に勤しむ外国人は、そのほとんどが西欧人で あってアメリカやヨーロッパ各国から渡ってきた白人である(申請者自身もこのカテゴリ ーに入る)。なぜ、こうしたことが起こるのか、ということを申請者はバーナード・リーチ や柳宗悦らによって展開された民芸運動に求める。民芸運動は、ある種の自然主義運動で、

西欧でもフランスのミレーに代表される農民の風景や庶民の日常生活を描くスタイルが一 方での急速な産業の進展のなかで広く受け入れられた。こうした流れに位置づけられる西 欧由来で日本伝来の美を見いだす運動として民芸は存在し、西欧人であるバーナード・リ ーチの存在なくしてはこの運動は考えられない。こうした時間的関係のなかから、いかに して日本の陶器を見る目が西欧からの視点と日本国内の伝統的視点との往復運動のなかか ら形成されてきたのかを論じたのが、第2章Traditional Arts and Crafts in Modern Japan:

Historical Trajectories, Political Constructions and Sociability Netsである。

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そして、第二章で論じられつつ、第三章の Materiality and Spirituality in Japanese Ceramics でより明示的に論じられるのは民芸運動が伝わったのと同じ時期に、英語圏でブ ームになっていた鈴木大拙の禅の思想に焦点が当てられる。このようにしてみると、民芸 運動の海外での伝搬のあり方はフォルムとしての日本の陶器が伝わりそれを理解するとい うではなくて、作品と作品をつくる作家の精神の理解という側面に欧米人(特に英語圏)

の人々の興味関心が集まったことに目を向けなければならない。そして、ここでもっとも 鍵となるのが禅(Zen)であり、禅の伝える精神=正確には英文化された禅の研究とその受 け取り方だ。なぜ鈴木大拙の著作が英文化され、それが広く読まれたのか。申請者はこの 受け止め方に、日本にやってきた西欧人陶芸家を理解する基礎を見いだす。民芸運動と禅 が英文テキストによって媒介されたときに、形としての陶器とともに精神論としての日本 の美への関心が高まっていく。第一部では、こうした日本と西洋との関係の理論的整理が なされる。そしてこのことは第二部で論じられる日本に渡ってきた個別の陶芸作家が国境 を越えてやってくることの出発点となるものでもある。

第二部は部のタイトルを Ethnography of Western Potters in Japan と題したように、

テーマは西欧人陶芸作家のエスノグラフィーにおかれる。

第二部の冒頭を飾る第四章 Western Potters in Japan は、第二部の調査対象者の全体的 特性を概観する。現代の西欧人陶芸家に連なる人々の流れは、第一部で論じた民芸運動や 禅の思想が西欧で伝えられて、すぐに生じるようになったというものではない。明確な今 に連なる流れの生成は、1970 年代以降におきたものだ。それは日本政府が文化政策のなか の芸術交流として、日本の陶器を学ぶための呼び寄せを、文化庁がプログラムによって行 ったことによって端を発している。今でも活躍する西欧人の高齢陶芸作家の多くはこのプ ログラムがきっかけで来日したものであり、その多くの人々にとって英語で紹介された民 芸運動と禅の思想は共通のバックボーンであった。ところで、来日する人々は当時のヒッ ピー文化の影響を強く受けていたが、1970 年代、80 年代に来たのは男だけであった。その 後、芸術交流プログラムは 90 年代が始まる頃に終了する。だが、政府の支援する文化プロ グラムがなくなっても、日本を目指す陶芸家の流れはなくならない。しかし、新しい兆候 がみられるようになった。明確に異なるのは、1990 年代以降に定着していく外国人陶芸作 家に多くの女性が含まれるようになったことだ。しかし、男性中心の流れから、男性も女 性もやってくる流れには変わったが、欧米圏の白人層が陶芸家になっているのである。

第五章Life-Story of Western Potters in Mashikoはこの学位申請論文におけるもっとも クライマックスになる章と言える。申請者本人にとっても、本章で扱う6名の西欧人(ア メリカ出身3名、オーストラリア出身1名、スペイン1名、ハンガリー1名)へのヒアリン グは、本学入学以来何度も繰り返して行ったケーススタディの集大成と言うべきものでも ある。それぞれの窯元に1ヶ月前後の泊まり込みを繰り返しつつ、焼き物の作り方、販売 の仕方、さらには外国人陶芸家を受け入れる窯業組合の人々への聞き取り調査が元になっ ている。ここでは、益子焼が注目されるようになった益子焼中興の祖・浜田正治の民芸で

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の活動(浜田はバーナード・リーチとともに益子焼の展覧会をイギリス・アメリカで行っ ている)と現代の外国人作家の連続性が問題にされる。そこでは、浜田自身の活動が益子 焼における外国人陶芸作家の受け入れへとつながり、ひいては地域的な取り組みとなって いることが論じられる。

第六章Identities, Traditions and Histories from a Cosmopolitan Perspectives

は、これまでに論じてきた論点が総括的に論じられる。第一には、日本固有の焼き物に対 する語りが、決して日本の中で自己完結的に生まれてきたものではなく、むしろそれが西 欧との邂逅のなかで生じてきたものであり、日本の伝統というもの自体が自明のものでは ない。海外の文化との対抗関係を理解することで土着的と思われるような焼き物文化も理 解できるようになる。第二に、この対抗的関係の発生がいかなるモメントでなされてきた かは、それぞれの時代で異なり、それ故、多様な形態とならざるを得ない。第三に、多様 な形態となるにせよ、絶えずそこに西欧人が呼び込まれ、吸収されることで、西欧と東洋

(日本)とのぶつかり合いによって生じる陶芸のフォルム・様式が再生産されていくこと をコスモポリタンニズム(普遍主義)の観点から整理して、近現代の日本における西欧出 身作家の活動がナショナルヒストリーとグローバルヒストリーの交錯として描き出される。

リリアナ モライスへの口頭試問は2月14日13時より主査丹野、副査中尾、副査山下 の3人の審査体制によって行われた。申請者は、民芸や禅(Zen)の思想の英語文化圏への 翻訳とそのブームに主要なよりどころを求めている。だが、鈴木大拙の禅の主張は決して スタイル(様式)だけの禅であったのではなく、本来は宗教性を色濃くもったものであっ た。少なくても、日本語で読める鈴木大拙の著作の多くにはそうした性格が強く出ている。

もし、禅の翻訳が鈴木の宗教性を欠いた形で進んだものとすれば、それはいかなる意味を 持つのか。そうした禅の西欧的理解と呼応した民芸が日本に入ってきたときに、民芸運動 はどのように受け取られたのかをどのように考えればいいのか。

申請者は最後にコスモポリタンな性格から日本文化を読む説くことに腐心しているが、

本論で展開されたのはコスモポリタンな性格と言うよりは、日本文化のハイブリッドな特 徴ではなかったのか。コスモポリタンと言ってしまうと普遍主義的な一つの価値観から対 象を断じてしまうことになるが、本論は一貫した多様性・多様な価値観を論じたものであ るから、この点でもハイプリッド・パースペクティブからアプローチしたと論じた方が適 切ではなかったのか。

都市ではなく、農村的集落性の色濃く残る焼き物の里に外国人が入るに当たって、集落 の人々の受け入れ方はどのようなものであったのか。火の神等の神々の儀式をも内包して いる陶芸の活動に、外国人はどのように集落にとって位置づけられたのか。西欧人しか見 られないということの根拠を英語文献での紹介のあり方に求めているが、アジアでは、ま だすべてを手でつくる手工業で焼き物(陶器)をつくるあり方が残っており、そうしたこ とがアジアから陶芸家を目指す人がいない原因になっているのではないかといった質問が 投げかけられた。申請者はこれらに対する質問にも、適切に対応し、自身の見解を述べる

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とともに、今の時点の緩急の射程を超えるものについてはそのことを説明した。

同日、16 時より、公開審査が開かれたが、ここでも同様な質問が出たが、それにも正確 にかつ適切に回答をしていたこと。また、外国人作家の持つグローバルなビジネスチャン スの可能性や外国人作家の側の論理だけではなく外国人を受け入れる産地サイドの利益・

関心の有無についての厳しい質問や注文がついた。しかし、申請者はいずれの質問に対し ても、自身の調査研究の限界を明らかにしつつ、答えられることと答えられないことを峻 別し、出席者が納得する回答を行った。以上の事柄に鑑み、本学位申請論文の主査・副査 は、リリアナ・グランジャ・ペレイラ・ディ モライスに対する学位・博士(社会学)を 授与することを満場一致で承認した。

参照

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