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『三玉挑事抄』注釈 雑部(五)

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(1)

『三玉挑事抄』注釈 雑部(五)

著者 岩坪 健

雑誌名 人文學

号 200

ページ 153‑198

発行年 2017‑11‑30

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000065

(2)

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

岩 坪

本 稿は

﹃三 玉挑 事抄

﹄の 巻末

︑雑 708部 750〜 番︵ 巻軸 歌︶ と跋 文を 掲載 する

︒凡 例は 雑部

︵二

︶と 同じ であ るの で省 略す る︒ 担当 者は すべ て本 学博 士課 程在 学者 で︑ 以下 の通 りで ある

︒な お各 項目 末尾 の︵

︶ 内に

︑担 当者 の氏 名を 示し た︒ 森 あか ね︑ 嶋中 佳輝

︑橋 谷真 広︑ 八木 智生

︑丹 羽雄 一︑ 溝口 利奈

︑湯 本美 紀 亀井

の水 を掬 て

708ま れに 来て むす ふか めゐ のみ つか らや うき 木に あへ るた くひ なる らん 阿 含 経 曰︑ 仏 告

諸 比丘

︒﹁ 如

大 海

中有

亀 寿 無 量 劫

︒ 百 年

︑有

一 木

︑ 正 有

︑漂

流海

︑ 随

流 東

西

︒盲

亀 百

︑得

﹂ 云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 四三 四番

︒涅 槃玄 義発 源機 要︑ 巻第 四︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 亀 井の 水を 掬て

│諸 堂巡 礼︑ 宝 蔵 にて 霊 宝 ども こ と ごと く 拝 見︑ 宿 縁浅 か ら ず有 り が たく

― 153 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(3)

覚 え 侍 り︑ 聖 霊院 に て 御影 ど も をが み 奉 り て奥 の か た見 め ぐ りら し 侍 れば

︑浄 土 曼 陀羅 く ち 損じ て か た ば か り な り

︑こ れ な む 西山 上 人︑ 不 断念 仏 勤 行あ り し 所 なる べ き と往 事 を 感じ て 涙 を なが し 侍 り ぬ︑ 亀 井 の 水 を 掬 び て﹂

﹃涅 槃玄 義発 源機 要﹄

﹁仏 告諸 比丘

│告 諸比 丘﹂

﹁ 百年 一過 出頭

│百 年一 遇出 頭﹂

﹁浮 有一 木正 有一 孔│ 復有 浮木 止有 一 孔﹂

﹁ 随流

│随 風﹂

﹇ 訳﹈

亀 井の 水を 掬っ て 以 下 の 四 首 は 紀 行 中 に 詠 ん だ も の た まに 来て 亀井 の水 を両 手で 掬う 私︵ 実隆

︶は

︑盲 目の 亀が

︵百 年に 一度

︑海 上に 顔を 出し たと き︶ 浮き 木に

︵空 い てい る穴 に︶ 出会 った よう なも のだ ろう か︒ 阿 含 経 に よる と

︑仏 が 多 く の 僧 侶 に お 告 げ に な る こ と に は

︑﹁ 大 海 の 中 に 一 匹 の 盲 目 の 亀 で

︑無 量 劫 の 時 間

︵無 限の 長い 時間

︶を 生き るも のが いた

︒そ の亀 が百 年に 一度

︑海 上に 顔を 出し て浮 かぶ と︑ 一つ の木 があ り︑ そ れに は一 つの 穴が 開い てい て︑ 波に 漂流 して 流 れ の まま に あ ちこ ち 移 動し て い た︒

︵ 仏の 教 え に会 う こ とが 難 し い の は︶ その 盲 目 の 亀 が 百 年 に 一 度︑ 海 上 に 顔 を 出 し た と き に

︑こ の 穴 に 出 会 え る よ う な も の で あ る﹂ 云 々︒

﹇ 考察

﹈歌 肩に

﹁以 下四 首紀 行中

﹂と 注す 通り

︑以 下 の 四首 は 三 条西 実 隆 が七

〇 歳 に なっ た 大 永四 年

︵一 五 二四

︶の 四 月下 旬か ら五 月初 旬に かけ て︑ 住吉

︑天 王 寺︑ 高 野 山に 参 詣 した 際 の 詠作 で

︑当 歌 は 四天 王 寺 での 詠 歌︒

﹃ 雪玉 集

﹄に 付 け ら れた 詞 書 によ る と︑ 実 隆は 四 天 王 寺聖 霊 院 で︑ 法然 の 弟 子で 浄 土 宗 西山 派 の 開祖 と な っ た 西 山 上 人

︵証 空︶ が勤 行に 励ん だ所 を見 て︑ 感涙 を 流 した

︒出 典 の﹁ 盲 亀の 浮 木﹂ は︑ め った に な い 幸運 に め ぐり 合 う こと の たと えで

︑こ こで は実 隆が 四天 王寺 に参 拝し たこ とを 指す

︒当 歌は

﹁か めゐ のみ つか ら﹂ に﹁ 亀﹂ と﹁ かめ ゐの

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 154 ―

(4)

み づ﹂

︵ 亀井 の水

︶︑

﹁ みづ から

﹂︵ 自ら

︶を 重ね る︒

﹇ 参考

﹈出 典の 話は

﹃雑 阿含 経﹄ 巻一 五に ある が︑ 本文 異同 が多 いの で︑ 異同 の少 ない

﹃涅 槃玄 義発 源機 要﹄

︵中 国北 宋 代の 僧︑ 智円 が記 した

﹃涅 槃経

﹄の 注釈 書︶ を取 り上 げた

︵溝 口利 奈︶ 夢殿 より 持来 の法 花経 なと 拝見 し奉 る 709む は玉 の夢 殿よ りや 見ぬ 世を もこ ゝに 伝へ し法 のこ との 葉 聖 徳 太 子 伝曰

︑太 子 在

斑 鳩

︒入

夢 殿

︒ 設

御 牀 褥

︑ 一 月三 度

︑沐

浴 而入

︒ 明

雑 事

︒及 製

也︒ 若有

︑ 即入

夢殿

︑ 常

東 方

金 人到

也︒ 閉

開 七 日七 夜︒ 不

御 膳

︒不

侍 従

︒妃 已下 不

︒時

人︑ 大

︒恵 慈法 師

曰︑

﹁殿

下入

︒ 敢

﹂︒ 八 箇日

之晨

︑玉

之上

一巻 経

︒ 設

筵 引

恵慈 法 師

︑﹁ 是 吾先

衡 山

︑ 所

持之 経 也︒ 去

年︑ 妹

子将

者 吾 弟 子

経 也

︒三

丘 不

吾 所

蔵 之 処一ヲ

︑取

︒ 故

吾 頃︑ 遣

﹂︒ 指

落字

而 示

法師

︒ 師大

︑奇

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 四三 三番

︒聖 徳太 子伝 暦︑ 巻下

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 聖徳 太子 伝暦

﹄﹁ 取他 経送

│取 佗経 送﹂

﹇ 訳﹈

夢 殿か ら齎 され た法 花経 など を拝 見し 申し 上げ る 夢 殿か ら︵ もた らさ れた の︶ だな あ︒ 見た こと のな い過 去世 をも 現世 に伝 えた 仏の 言葉 は︒ 聖 徳太 子伝 暦に よる と︑ 太子 は斑 鳩宮 にい らっ しゃ り︑ 夢殿 の中 にお 入り にな る︒ 寝台 に敷 物を 用意 し︑ ひと 月 に三 度︑ 沐浴 をし て︵ 夢殿 に︶ お入 りに なる

︒明 くる 朝︑ 海外 のい ろい ろな こと をお 話し にな る︒ また

︑諸

― 155 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(5)

経 の注 釈書 をお 作り にな る︒ もし 注釈 に行 き詰 まる こと があ れば

︑す ぐ夢 殿に お入 りに なる と︑ いつ も東 方か ら 仏 が︵ 夢 の 中に

︶来 臨 し て優 れ た 解釈 を 授 け る︒ 戸を 閉 じ たま ま 参 籠な さ る こ と 七 日 七 夜 の 間︑

︵ 太 子 は︶ お 食事 をさ れな い︒ 侍従 をお 呼び にな らな い︒ 妃を はじ め誰 も近 づく こと がで きな い︒ 人々 はた いそ う不 思議 に 思っ た︒ 恵慈 法師 が言 うに は

︑﹁ 殿 下︵ 太 子︶ は精 神 を 集中 し て︑ 深 い瞑 想 に 入 って お ら れる

︒ま っ た く驚 く こと はな い﹂

︒ 八日 目の 朝︑

︵太 子 の︶ 美 し い机 の 上 に一 巻 の 経が あ っ た︒

︵ 太子 が

︶筵 を 敷き

︑恵 慈 法 師を 引 き入 れて おっ しゃ るに は︑

﹁ これ は私 が 前 世に お い て︑ 衡山 で 修 行し た 時 に 持っ て い た経 で あ る︒ 去年

︑小 野 妹子 がも たら した 経は 私の 弟子 のも ので ある

︒三 人の 老僧 は私 が︵ 経を

︶納 めた 場所 を知 らず

︑他 の経 を取 っ て

︵妹 子 に︶ 持 たせ た の であ る

︒そ の ため 私 は 先 ご ろ︵ 衡 山 に︶ 魂 を 飛 ば し て

︵経 を

︶取 っ て 来 た の で あ る

﹂︒

︵ 太子 は妹 子が 持っ てき た経 の︶ 脱字 を指 して 恵慈 法師 にお 示し にな る︒ 恵慈 法師 は大 変驚 き︑ 不思 議に 思 った

﹇ 考察

﹈﹁ 金人

﹂は 金色 の人 の意 で︑ 仏や 仏像 をい う︒

﹁ 恵慈

﹂は 高句 麗か ら渡 来し た僧 で︑ 聖徳 太子 の仏 法の 師︒

﹁慧 慈

﹂と も書 く︒

﹁ 三昧

﹂と

﹁定

﹂は

︑心 を集 中し て安 らか で静 かな 状態 を指 す︒

﹁比 丘﹂ は出 家し て具 足戒 を受 けた 男 子の こと

︒当 歌は

﹃聖 徳太 子伝 暦﹄ に記 され た夢 殿と 経に 纏わ る伝 説に 思い を馳 せて 詠む

︒ 第一 句の

﹁む は玉 の

﹂は

﹁夢

﹂に 掛か る枕 詞︒

﹇ 参考

﹈﹃ 雪玉 集﹄ の詞 書に は︑ 大永 四年

︵一 五二 四︶ 四月 一九 日に 伏見 へ向 かい

︑小 坂に 着い て一 泊す るま での 船旅 と

︑翌 二〇 日に 光明 院か らの 迎え で聖 徳太 子の 創建 と 伝 え る四 天 王 寺を 参 詣 する 様 子 が 記さ れ て いる

︒﹁ 夢 殿 より 持 来の 法花 経な と 拝見 し 奉 る﹂ は その 一 部 分︒ 実隆 の

﹃高 野 参詣 日 記

﹄︵

﹃ 群書 類 従﹄ 所 収︶ にも

︑﹃ 雪 玉 集﹄ の詞

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 156 ―

(6)

書 と同 様の 記述 が見 られ る︒

︵丹 羽雄 一︶ 内よ りた まは りし 御爪 のき れを 納め 奉る つゝ み紙 に書 付し 710爪 のう への 土よ りま れの 身を うけ て仏 の道 は手 にと りつ へし 涅 槃経 三十 一曰

︑生

人趣

︑如

爪上

︑堕

三 途

︑如

十 方

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 四五 三番

︒往 生要 集︑ 巻上

︑大 文第 一︑ 厭離 穢土

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ た ま は りし

│給 は り たり し

﹂﹁ つ ゝみ 紙 に│ 裹 紙に

﹂︒

﹃ 往 生 要集

﹄﹁ 涅 槃 経三 十 一 曰│ 大経 云

﹂︒

﹇ 訳﹈

主 上︵ 後柏 原天 皇︶ から 頂戴 した 御爪 の切 れ端 を納 め申 し上 げる 包み 紙に 書き 付け た 爪 の上 の︵ わず かな

︶土 より も希 少な 生を 享け たの だか ら︑ きっ と仏 の︵ 説か れた

︶道 を︵ 主上 は︶ 手に する に違 い ない

︒ 涅 槃経 の巻 三十 一に よる と︑ 人間 世界 に生 まれ る者 は爪 の上 に載 せた 土の よう に少 なく

︑三 悪道 に生 まれ る者 は 世界 中の 土の よう に多 い︒

﹇ 考察

﹈﹁ 人趣

﹂は 六 道︵ 地 獄︑ 餓 鬼︑ 畜生

︑阿 修 羅︑ 人 間︑ 天上

︶の う ち の人 間 界︒

﹁ 爪 上の 土

﹂は 爪 につ ま ん だ僅 少 の土 の意

︒﹁ 三 途﹂ は地 獄道

︑餓 鬼道

︑畜 生道 の三 悪道

︒﹁ 十方 の土

﹂は 無量 無辺 に存 在す る土 の意 で︑ 数の 多い こ とを いう

︒当 歌は 後柏 原天 皇の 爪を 高野 山に 奉 納 す るに あ た り︑ 天皇 の 成 仏が 間 違 い ない こ と を詠 む

︒﹃ 実 隆公 記

﹄大 永四 年四 月一 六日 の条 には

﹁自 禁裏 御扇 被下 之︑ 御爪 可納 高野 之由 同仰 也﹂ とあ り︑ 実隆 は後 柏原 天皇 の爪 を 高野 山に 納め るよ うに と命 じ られ た

︒﹃ 高 野 詣真 名 記﹄

︵﹃ 実 隆 公 記﹄ 所収

︶同 年 四 月 二四 日 の 条に は

﹁主 上 御爪

― 157 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(7)

別 而申 事由 奉納

﹂と あり

︑奥 院に 納め た︒ 爪の 奉納 は︑ 高野 山へ の分 骨埋 葬の 信仰 によ る︒

﹇ 参考

﹈﹃ 大般 涅 槃経

﹄の 訳 本 は北 本

︵﹃ 大 正新 脩 大 蔵 経﹄ 第一 二 巻︑

No.374

︶と 南 本

︵﹃ 大 正新 脩 大 蔵経

﹄第 一 二 巻︑

No.375

︶が あり

︑﹁ 如爪 上土

﹂﹁ 如 十方

﹂の 記述 があ る﹃ 大般 涅槃 経﹄ 巻第 三一 は南 本に あた るが

︑本 文は 一致 しな い

︒﹃ 往 生要 集﹄ の記 述は

﹃大 般涅 槃経

﹄の 取意 とさ れ︑

﹁大 経﹂ は﹃ 大般 涅槃 経﹄ を指 す︒

︵丹 羽雄 一︶ 年頃 おち たる 歯と も取 をか せた る︑ おさ むと て 711い かは かり 法を そし りし むく ひと かお ちつ くし ける 恥し の身 や 譬喻 品 曰︑ 其 有

斯 経

一ヲ

︒見 有 読 誦書 持 経 者︑ 軽賤 憎 嫉 而懐 結 恨

︒此 人 罪報 汝 今 復 聴

︒其 人 命 終 入

阿 鼻獄

︑具

一 劫一ヲ

︑々 尽更

︒如

此 展転

二ン

無 数劫

一ニ

︒従

地 獄

出当

畜生

云云

︑ 諸

根不 具

云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 四五 五番

︒妙 法蓮 華経

︑巻 第二

︑譬 喩品

︑第 三︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 年 頃お ちた る歯 とも 取を かせ た る おさ む と て│ みづ か ら のと し ご ろ おち た る 歯ど も と りお か せた る︑ 二は 観音 の像 あた らし く造 立さ せ侍 るに 腹身 し奉 りて

︑の こり 廿あ まり 侍る をを さむ とて

﹂︒

﹃ 妙法 蓮華 経

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

年 来抜 け落 ちた 歯を 取り 置か せて いた が︑ 納め ると して ど れほ ど仏 法を けな した 報い なの だろ うか

︒︵ 阿 鼻地 獄に

︶堕 ち尽 くし た恥 ずか しい 身で

︑︵ 歯が

︶す べて 抜け 落ち て しま った 恥ず かし い身 であ るな あ︒ 譬 喩品 によ ると

︑こ のよ うな 経典

︵法 華経

︶を 誹謗 する 者が いて

︑経 を読 んだ り書 き写 して 持っ たり する 者を

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 158 ―

(8)

見 て︑ 軽蔑 して 憎み 嫉み

︑深 い恨 みを なす

︒こ の人 たち の罪 の報 いを

︑あ なた は今 また 聞く がよ い︒ 彼ら の命 が 尽き ると 阿鼻 地獄 に入 り︑ まる 一劫

︵ほ とん ど無 限に 近い 時間

︶を 経て も︑ また

︵阿 鼻地 獄に

︶生 まれ 変わ る だろ う︒ この よう に何 回も 同じ 所に 生ま れ変 わり

︑永 遠に そこ で過 ごす こと にな るだ ろう

︒地 獄か ら出 られ て も

︑畜 生 界 に 堕 ち る だ ろ う 云 々︒

︵彼 ら は 人 間 に︶ 生 ま れ て も 聾 啞 で あ り

︑身 体 に 障 害 が あ る だ ろ う 云 々︒

﹇ 考察

﹈﹃ 妙法 蓮華 経﹄ 譬喩 品の 一節 は︑ 経典 をそ しる 者の 罪報 を説 く︒ 平安 後期 から 仏像 の胎 内に 各種 の品 を納 入す る 習慣 が行 なわ れ︑ 経典 や舎 利︑ 文書 が多 いが

︑遺 骨や 奉納 者の 髪な どを 納入 する 例も ある

︒当 歌は 三条 西実 隆が 高 野山 に行 き︑ 後柏 原天 皇の 爪を 奉納 し た際 710︵ 番 歌︶

︑ 新造 観 音 像に 自 分 の歯 を 二 つ︑ 奥 院に 残 り の歯 を 二 十余 り 納め て詠 んだ もの

︒第 四句

﹁落 ち尽 くし

﹂に 加齢 によ り歯 がす っか り抜 け落 ちる と︑ 悪道 にす っか り落 ちる とを 重 ねる

︒結 句の

﹁恥 ずか し﹂ は歯 が無 いか らと

︑成 仏で きな いか ら︒

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄の 詞書 は︑

﹁ 高野 山道 の記

﹂︵ 別称

﹁住 吉紀 行﹂ 等︒

﹃ 実隆 公記

﹄所 収︶ と一 致す る︒

︵八 木智 生︶ 神祇 712あ らは るゝ 光を あふ けこ れそ 此か けし 衣の たま つし まひ め 法 華経 要文

︑見 于釈 教歌

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 二五 二番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

神 祇

― 159 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(9)

こ の世 に姿 を現 した

︵仏 の︶ 光を 讃仰 せよ

︒こ れこ そが 衣に 縫い 付け た︑ 玉津 島姫 のよ うに 美し く輝 く宝 珠で ある な あ︒ 法 華経 の要 旨は

︑釈 教歌 に見 える

︒︵ 692 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈出 典は

﹃妙 法蓮 華経

﹄五 百弟 子受 記品 に 見 え る﹁ 衣裏 繋 珠﹂

︒ ある 貧 者 が親 友 の 家 で︑ 酒に 酔 い 寝て い た 間︑ 親 友は 彼の 衣に 宝珠 を縫 い付 ける

︒貧 者は 気づ かな いま ま帰 り︑ 貧し い生 活を 続け てい たが

︑親 友に 再会 して 宝珠 を 知る

︒か つて 大乗 の教 えを 受け てい たの に︑ 後に 法華 経を 聞く まで 知ら ずに 悟ら なか った こと に例 える

︒法 華七

喩 682︵ 番歌

︑参 照︶ の一 つで

︑当 歌 は こ れを 踏 ま えて 仏 を 賛美 す る︒

﹁ 衣 のた ま つ しま ひ め﹂ に﹁ 衣 の玉

﹂と

﹁玉

津 島 姫﹂ を 重 ね る︒ 玉 津 島 姫 は 和 歌 山 市 の 和 歌 浦 に あ る 玉 津 島 神 社 に 祭 ら れ て い る 衣 通 姫 の 異 称︵ 750番 歌

︑参 照

︶︒ 記 紀に 登場 する 伝説 上の 女性 で︑ 身の 光が 衣を 通し て輝 くよ うな 美し さで あっ たと いう 713︒ 番歌

︑参 照︒

︵八 木智 生︶ 713か らこ ろも とを るひ かり をや はら けて 名も くも りな き玉 津嶋 姫 日 本紀 十三 巻曰

︑皇 后 不

而奏

︑﹁ 妾

弟︑ 名 弟姫 焉﹂

︒弟 姫 容

姿 絶

比︒ 其

色 徹レリ

而 晃之

︒是

以時

人 号

衣 通 郎 姫

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 六一 二番

︒日 本書 紀︑ 巻一 三︑ 允恭 紀七 年一 二月

︑一 一五 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 日本 書紀

﹄﹁ 容姿 絶妙

│容 姿絁 妙﹂

﹇ 訳﹈

︵神 祇︶ 美 しい 衣を 通る 光を 和ら げて

︑名 声も 輝か しい 玉津 島姫 だな あ︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 160 ―

(10)

日 本書 紀の 巻十 三に よる と︑

︵ 允恭 天皇 の︶ 皇后

︵忍 坂大 中姫

︶が やむ をえ ず天 皇に 申し 上げ るに は︑

﹁私 の妹 で

︑名 は弟 姫﹂ と︒ 弟姫 は容 姿が 絶妙 で比 べよ うも ない

︒そ の美 しい 色つ やが 衣を 通し て輝 く︒ これ によ り時 の人 は

︑名 付け て衣 通郎 姫と 申し 上げ た︒

﹇ 考察

﹈衣 通郎 姫は 712番 歌の 玉津 島姫 と同 一視 され

︑住 吉 神 とと も に 和歌 神 と して 仰 が れ た︒ 当歌 は 色 つや が 衣 を通 し て耀 くと いう

︑そ の名 のと おり の衣 通郎 姫の 美し さを 詠む

︒第 二・ 三句 の﹁ 光を 和ら げて

﹂は 和光 同塵

︵仏 が本 来 の威 光を 和ら げ︑ 煩悩 の塵 に同 じて 衆生 を救 済す るこ と︒ とく に仏 が日 本の 神と して 現れ るこ と︶ の﹁ 和光

﹂の 訓 読み

﹇ 参考

﹈衣 通郎 姫は

﹃古 事記

﹄︵ 七一 二年 成立

︑太 安万 侶撰

︶に も登 場す るが

︑﹃ 日 本書 紀﹄ とは 設定 が異 なる

︒﹃ 古事 記

﹄で は允 恭天 皇の 皇女

︑軽 大郎 女の 別名 で︑ 同母 兄の 軽太 子と 情を 交わ し︑ 伊予 に流 され た軽 太子 を追 い︑ 合流 し た の ち 心中 し た と語 ら れ る︒ 当歌 の 作 者︑ 三 条西 実 隆 は︑ 永 正 一

〇 年

︵一 五 一 三

︶頃 に

﹃日 本 書 紀

﹄を 書 写 し た

︵湯 本美 紀︶ 714い まも かも 聞へ あけ なん すへ らき の絶 せぬ 天の 神の よこ とを

旧 事本 紀曰

︑天 種子

命奏

天 神寿 詞

︒ 即︑ 神世 古事 類︑ 是也 云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 四六 四番

︒先 代旧 事本 紀︑ 巻七

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃先 代旧 事本 紀﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵神 祇︶ き っと 今も 申し 上げ てい るの だろ うな あ︒ 天皇 への 絶え ない

︑天 つ神 の祝 いの 言葉 を︒

旧 事本 紀に よる と︑

︵ 神武 天皇 即位 の時 に︶ 天 種子 命が 天つ 神の 祝い の言 葉を 申し 上げ た︒ すな わち

︑神 代以

― 161 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(11)

来 の古 い風 習の 類が これ であ る云 々︒

﹇ 考察

﹈天 種子 命の 子孫 であ る中 臣氏 は︑ 古代 にお い て 神事

・祭 事 を 司っ た 豪 族で

︑天 皇 の 御 代の 繁 栄 を祈 っ た 祝い

の 言葉

︵祝 詞や 寿詞

︶を 奏上 した

︵湯 本美 紀︶ 715さ らに この 冬の まつ りや 千早 振か もに いろ そふ 松の こと の葉 古 今集

︑廿 巻云

︑冬 の賀 茂祭 の歌

︑藤 原敏 行朝 臣 千 早振 かも の社 の姫 小松 よろ つ世 ふと も色 はか はら し 古 今童 蒙抄 云︑ 冬の 賀茂 祭と いふ は臨 時の 祭を 云︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 八六 八番

︒古 今和 歌集

︑巻 二〇

︑一 一〇

〇番

︒古 今集 童蒙 抄︑ 冬の 賀茂 の祭 のう た︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁

︵ 神祇

︶│ 神社

﹂︒

﹃ 八代 集抄

﹄﹃ 古今 集童 蒙抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

︵神 祇︶

︵例 祭に 加え て︶ さら にこ の冬 の祭 は賀 茂社 に趣 を添 え︑ 松の 葉に 深み を添 え︑ 和歌 にも 趣を 添え るこ とだ なあ

︒ 古 今和 歌集 の第 二十 巻に よる と︑ 冬の 賀茂 祭の 歌︑ 藤原 敏行 朝臣 賀 茂社 の姫 小松 は︑ どれ だけ の時 が過 ぎよ うと も色 あせ るこ とは ない だろ う︒ 古 今集 童蒙 抄に よる と︑ 冬の 賀茂 祭と いう のは 臨時 の祭 をい う︒

﹇ 考察

﹈藤 原敏 行が 賀茂 社の 小松 の色 は不 変と 詠ん だの に対 して

︑当 歌は

﹁松 の葉

﹂の みな らず

﹁言 の葉

﹂︵ 和歌

︶や

﹁賀 茂﹂ にも

﹁色 添ふ

﹂と 見な す︒

﹁臨 時祭

﹂は

︑賀 茂神 社に おい て四 月の 中酉 日に 行わ れる 例祭 に対 し︑ 十一 月の 下 酉日 に同 社で 行わ れ てい た 祭 233︵ 番歌

︑参 照

︶︒ 寛 平元 年

︵八 八 九︶ に始 ま り︑ 応 仁・ 文 明の 乱 が 終結 し た 一四

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 162 ―

(12)

七 七年 以降 は中 絶し た︵ 所功 氏﹁ 賀茂 臨時 祭の 成立 と変 転﹂

︑﹁ 京 都産 業大 学日 本文 化研 究所 紀要

﹂3

︑一 九九 八年 三 月︶

︒ 詠者 の後 柏原 天皇 は一 四六 四年 に生 まれ 一五

〇 年に 践 祚 した が

︑戦 国 動乱 の 最 中 で朝 廷 の 経済 は 逼 迫し て

︑即 位式 も一 五二 一年 によ うや く執 り行 なわ れた ほど であ るの で︑ 当歌 は賀 茂の 臨時 祭を 想像 して の詠 作で あろ う

︵橋 谷真 広︶ 賀茂 716い にし への かも の川 霧立 かへ りま たか け見 はや 山あ いの 袖 本 朝神 社考

引︑ 寛平 御記

︑見 于秋 部︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四

〇四 七番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

賀 茂 か つて 川霧 が立 って いた 賀茂 川で

︑も う一 度ま た︑ 川面 に映 った 影を 見た いも のだ

︑あ の山 藍の 袖︵ の影 を︶

︒ 本 朝神 社考 に引 かれ た寛 平御 記は

︑秋 部に 見え る︵ 233番 歌︑ 参照

︶︒

﹇ 考察

﹈﹁ 霧立 ちか へり

﹂に

﹁霧 立ち

﹂と

﹁立 ち返 り﹂

︵ 再び

︑と いう 意味 の副 詞︶ を重 ねる

︒﹁ 霧﹂ は﹃ 寛平 御記

﹄の 一 節﹁ 天陰 霧降

﹂を 踏ま える

︒﹁ 山 藍の 袖﹂ は山 藍で 模 様 を摺 り 染 めに し

︑神 事 奉仕 の た め に物 忌 の 印と し て 着る

小 忌 衣︒ 715番 歌と 同じ く︑ 賀茂 の臨 時祭 の復 興を 願っ た歌 であ ろう

﹇ 参考

﹈﹁ 月さ ゆる みた らし 河に 影み えて 氷 に す れる 山 藍 の袖

﹂︵ 新 古 今和 歌 集︑ 神 祇︑ 一 八八 九 番︑ 文 治六 年 女 御入 内 の屏 風に 臨時 祭か ける 所を よみ 侍り ける

︑皇 太后 宮大 夫俊 成︶

︵橋 谷真 広︶ 神社

― 163 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(13)

717あ らは れし 塩の 八百 会の 幾重 共し らぬ ちか ひや 住吉 の神 神 代巻 曰︑ 浮

濯 於潮 上

︑因 以生

︑凡

︒其

表 筒男 命︑ 中筒 男命

︑底 筒男 命︑ 三神 鎮座 焉︒ 中 臣祓 曰︑ 荒塩 塩

百道 八

塩道 塩

百会

云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 六三 九番

︒日 本書 紀︑ 巻一

︑神 代上

︑四 八頁

︒中 臣祓

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大 観﹄ ナシ

︒﹃ 日 本 書 紀﹄

﹁凡 有 九 神│ 凡有 九 神 矣﹂

﹁其 表 筒 男 命︑ 中筒 男 命︑ 底 筒男 命

︑三 神 鎮座 焉

│其 底筒 男命

︑中 筒男 命︑ 表筒 男命

︑是 即住 吉大 神矣

﹂︒

﹃ 中臣 祓﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

神 社 多 くの 潮流 の集 まる 所で は︑

︵ 全貌 が︶ 露わ にな って も 潮 が幾 重 に なっ て い るの か 分 か らな い が︑ こ の世 に 現 われ た 住吉 の神 への 誓い も︑ 幾度 立て たか 分か らな いな あ︒

︵日 本書 紀の

︶神 代巻 によ ると

︑︵ 伊 弉諾

尊 が︶ 潮の 上 に 浮い て す すが れ る と︑ こ れに よ っ て神 を 生 み︑ 全部 で 九神 であ る︒ その うち 表筒 男命

︑中 筒男 命︑ 底筒 男命 の三 神が

︵住 吉に

︶鎮 座し てい る︒

中 臣祓 によ ると

︑︵ 速 開津 比売 とい う神 は︶ とて も多 くの 激し い潮 流が 交じ り合 う場 所に おら れる 云々

﹇ 考察

﹈神 代巻 は︑ 黄泉 の国 から 戻 っ た伊 弉 諾 尊が 禊

・祓 を した 場 面︵ 136番 歌

︑参 照

︶︒

﹃ 中臣 祓

﹄は 海 へ運 ば れ た罪

や 穢れ を速 開津 姫が 呑み こむ 箇所

︒﹁ 八 塩道

﹂は 多く の潮 路︑

﹁塩 の八 百会

﹂は 多く の潮 流が 集ま るこ と︑ また その 場 所︒ 当歌 の﹁ あら はれ し﹂ は潮 と神 を︑

﹁ 幾重 とも 知ら ぬ﹂ は潮 と誓 いを それ ぞれ 修飾 する

﹇ 参考

﹈﹃ 中臣 祓﹄ の本 文は 諸本 によ り異 なる が︵ 詳細 は﹃ 神道 大系

﹄所 収﹁ 中臣 祓註 釋﹂ 解題

︑参 照︶

︑﹃ 延 喜式

﹄所 載 の大 祓詞 と一 致す る︒

︵嶋 中佳 輝︶

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 164 ―

(14)

718見 すや その から 神と ても すへ らき の御 垣の 内に あと をた れけ る 延 喜式

︑三

︑名 神祭 部曰

︑園 神社 一座

︑韓 神社 二座

︑已 上座

二ス

宮内 省一ニ

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五二 三番

︒延 喜式

︑巻 三︑ 神祇 三︑ 臨時 祭︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ あ とを たれ ける

│跡 をた れけ り﹂

︒﹃ 延 喜式

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

︵神 社︶ 知 らな いこ とが あろ うか

︒そ の韓 神︵ は渡 来の 神で ある

︶と いっ ても

︑天 皇の

︵住 む︶ 皇居 を囲 む垣 根の 中に 垂迹 さ れた こと を︒ 延 喜式

︑巻 三の 名神 祭の 部に よる と︑ 園神 社が 一座

︑韓 神社 が二 座︑ 以上 が宮 内省 に鎮 座す る︒

﹇ 考察

﹈園 神も 韓神 も宮 中に 祭ら れて いた 神で

︑﹃ 延喜 式﹄ では

﹁名 神祭 二百 八十 五座

﹂の 最初 に置 かれ てい る︒ 韓神 と は 朝 鮮 半島 か ら 渡来 し た 神 の 意 で あ り 318︵ 番 歌 参 照︶

︑ 当 歌 は 異 国 の 神 が 宮 中 の 守 護 神 に な っ て い る こ と を 詠 む

︵嶋 中佳 輝︶ 社頭 榊

719松 もい さい く度 霜に 顕れ て神 代お ほゆ る榊 葉の 陰 朗 詠詩 句︑ 見于 恋部

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 八七 四番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

社 殿の 榊 松 もさ あ何 度︑ 霜枯 れの 中か ら現 われ たか 知ら ない が︑ 同じ よう に何 度も 霜の 中か ら現 われ て︑ 神々 の時 代の こと

― 165 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(15)

が 思い 出さ れる 榊葉 の姿

︵も また 不変

︶だ なあ

︒ 和 漢朗 詠集 の詩 句は

︑恋 の部 に見 える

︒︵ 389 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察 389﹈ 番歌 の出 典﹁ 十八 公栄 霜後 露﹂ を当 歌は 踏ま え て︑ い かな る 環 境に も 負 けず 不 変 の 緑を 保 つ 松を 引 き 合い に 出し

︑同 じく 常緑 樹で ある 榊の 不変 さを 詠む

︵溝 口利 奈︶ 720霜 さや く暁 さむ し神 垣に とる もう たふ もさ かき 葉の 声 梁 塵愚 案抄

︑神 楽部

︑同 採物 歌︑ 榊︒ 榊葉 の香 をか くは しみ

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五三 二番

︒梁 塵愚 案抄

︑巻 上︑ 神楽 部︑ 採物 歌︑ 榊︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 梁 塵愚 案抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

︵社 殿の 榊︶ 霜 が 音 を た て る ほ ど の 夜 明 け 前 は 冷 え こ む な あ

︒神 社 で 手 に 取 る

︵神 降 ろ し の 物︶ も 榊︑ 神 を 招 く 歌 も 神 楽 歌

﹁榊

﹂で

︑榊 の葉 擦れ の音 がす るな あ︒

梁 塵愚 案抄

︑神 楽の 部︑ 同じ 採物 歌︑ 榊︒ 榊の 葉の 香り がよ いの で︵ 下略

︶︒

﹇ 考察

﹈出 典の 歌の 全文 は﹁ 賢木 葉の 香を かぐ はし み尋 め来 れば 八十 氏人 ぞま とゐ せり ける

﹂︵ 榊の 葉の 香り がよ いの で

︑そ の場 所を 求め て尋 ねて くる と︑ 多く の氏 の 人 た ちが 楽 し そう に 寄 り集 ま っ て いる こ と だ︶

︒神 楽 歌 とは

︑広 義 では 神前 で舞 楽と 共に 唱和 され る歌 謡︑ 狭義 では 宮中 で行 われ る神 事歌 謡を いう

︒採 物歌 は︑ 神が 降り る物 を持 っ て演 じる 曲の 部類

︵採 物に つい て 722は 番 歌 の解 説 参 照︶

︒当 歌 の 結句

﹁榊

﹂に

︑舞 い 人 が 手に 持 つ 榊と 神 楽 歌の

﹁榊

﹂を 重ね る︒

︵溝 口利 奈︶

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 166 ―

(16)

寄榊 神祇 721か く山 の榊 ほり うへ し其 跡を 世々 にう つせ る神 あそ ひ哉

神 代 巻 曰︑ 於是 天

児屋 命

︑ 掘

天 香 山 之真 坂 木

︑ 而上

以鏡

祖 天抜 戸 児 巳 凝 戸 辺 所

作 八 咫

云云

︒広

称辞 祈啓 矣︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 八四 五番

︒日 本書 紀︑ 巻一

︑神 代上

︑八 五頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ か く山 の│ 香久 山の

﹂︒

﹃ 日本 書紀

﹄﹁ 掘│ 握﹂

﹇ 訳﹈

榊 に寄 せる 神祇

香 久山 の榊 を掘 り取 り︵ 天 石窟 の前 に︶ 植え たと いう

︑そ の事 跡を 代々 に伝 えて いる 神楽 だな あ︒

神 代巻 によ ると

︑こ こに 天児 屋 命 は天 香 久山 の真 坂木

︵榊

︶を 根の 付い たま ま 掘 り取 り

︑上 の 枝に は 鏡 作り

の 遠祖 天抜 戸の 子で ある 巳凝 戸辺 が作 った 八咫 鏡 を掛 ける 云々

︒︵ 天 児屋 命は 太 玉 命に 榊 を 持た せ て︶ 広 く懇 ろ に祝 詞を 祈り 申し 上げ させ た︒

﹇ 考察

﹈当 歌の 結句

﹁神 遊び

﹂は 神楽

︵神 を祭 るた め の 舞楽

︶を 指 す︒ 当 歌は 天 石 窟に 籠 っ た 天照 大 神 を誘 い 出 すた

︑諸 神 が 祈 祷す る 場 面を 踏 ま え︑ その 事 跡 を 伝承 す る 神楽 を 詠 む︒ 香久 山 は

︑高 天原 の 山 が 地 上 に 降 っ た と さ

︑﹁ 天 の香 久山

﹂と 称さ れる

︵丹 羽雄 一︶

722神 わさ や声 のう ちに も榊 葉の 末葉 もと つ葉 茂り あふ まて

神 楽︑ 採物 歌︑ 榊︒ さか き葉 の香 を│ 神

かき のみ むろ の山 の榊 葉は 神の みま へに 茂り あひ にけ り

― 167 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(17)

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑二 四〇

〇番

︒雪 玉集

︑四 八四 四番

︒梁 塵愚 案抄

︑巻 上︑ 神楽 部︑ 採物 歌︑ 榊︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新 編 国 歌大 観

﹄﹁ 声 のう ち に も│ 声の 中 に も﹂

︵柏 玉 集

︑雪 玉 集

︶﹁

︵ 寄 榊 神 祇︶

│ 寄 榊 述 懐

﹂︵ 柏 玉 集︶

︒﹃ 梁 塵 愚案 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵榊 に寄 せる 神祇

︶ 霊 妙不 可思 議だ なあ

︒︵ 神 楽歌

﹁榊

﹂の

︶本 歌と 末歌 を 歌 う声 が す るう ち に も︑ 榊の 枝 の 若 葉と 古 葉 が茂 り 合 うほ ど まで

︵に なっ たな あ︶

神 楽︑ 採物 歌︑ 榊︒ 榊の 葉の 香り が︵ 下略 720︒ 番歌 の﹇ 考察

﹈に 掲載

︶︒

神 が降 臨し た神 聖な 山の 榊の 葉は

︵神 を讃 える よう に︶ 神の 御前 で茂 り合 った こと だな あ︒

﹇ 考察

﹈採 物は

︑神 楽の 時に 舞人 が手 に持 つ依 代︵ 榊︑ 幣︑ 杖︑ 篠︑ 弓︑ 剣︑ 鉾︑ 杓︑ 葛の 九つ

︶を いう

︒採 物歌 は︑

人 長︵ 舞い 人 の 長︶ が採 物 を 手 に持 っ て 奏す る 楽 の歌 で

︑本 歌 と 末歌 を 唱 和す る

︒な お﹁ 榊﹂ の 本歌 は

﹃拾 遺 和 歌 集﹄

︵ 巻一

〇︑ 神楽 歌︑ 五七 七番

︶に

︑末 歌は

﹃古 今和 歌集

﹄︵ 巻二

〇︑ 神遊 びの 歌︑ 採物 の歌

︑一

〇七 四番

︶に 採 録

︒末 歌 の 初 句﹁ 神 垣 の﹂ は﹁ 御 室﹂

︵ 神 が 鎮 座 す る 場 所︶ に か か る 枕 詞

︒当 歌 は 第 三 句﹁ 榊 葉

﹂に 神 楽 歌 の

﹁榊

﹂︑ 第四 句﹁ 末葉

﹂︵ 枝 先の 葉︶ に﹁ 末歌

﹂︑

﹁ もと つ葉

﹂︵ 幹に 近い 葉︶ に﹁ 本歌

﹂を 重ね る︒

︵丹 羽雄 一︶ 寄月 神祇

723住 よし や月 もあ らは れ出 るよ はあ はき か原 の影 もく もら て 神 代巻

︑見 于夏 祓註

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 八七 一番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 168 ―

(18)

﹇ 訳﹈

月 に寄 せる 神祇 住 吉で 月も

︵海 上か ら︶ 現わ れ出 る夜 は︑

︵ 住吉 三 神 が潮 か ら 現わ れ た︶ 檍 原の 月 影 も 曇ら な い で︵ 澄ん で い るな あ

︶︒ 神 代巻

︑夏 祓の 注に 見え る︒

︵ 136番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈住 吉神 社の 祭神 は︑ 伊弉 諾尊 が檍 原で 禊祓 をし て生 んだ 表筒 男命

︑中 筒男 命︑ 底筒 男命 の三 柱の 神︒ 当歌 は︑ 檍 原で 生ま れた 住吉 三神 の謂 れ︵ 717番 歌︑ 参照

︶を 踏ま え︑ 住吉 と檍 原の 結び 付き を詠 む︒

﹇ 参考

﹈類 歌﹁ 西の 海や あは きの 浦の 潮路 より 現は れい でし 住吉 の神

﹂︵ 続古 今和 歌集

︑巻 七︑ 神楽 歌︑ 七二 七番

︑卜 部 兼直

︒光 俊朝 臣よ ませ 侍り ける 住吉 社三 十首 に神 祇を

︶︒

︵丹 羽雄 一︶ 寄鏡 神祇

724今 は世 に神 をか ゝみ そ岩 戸出 て見 し影 おも へあ まの かく 山 古 語拾 遺︑ 註于 冬部 神楽 歌︒

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑一 二二 九番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

鏡 に寄 せる 神祇 今 は こ の 世で 神 を 鏡︵ とし て 仰 ぐこ と

︶だ

︒︵ 天 照 大御 神 が︶ 岩 戸を 出 て 見 た

︑天 の 香 久 山 の

︵榊 に 付 け ら れ た︶ 鏡 に映 った お姿 を思 い起 こし なさ い︒ 古 語拾 遺は 冬部 の神 楽歌 に注 す︒

︵ 315番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈﹃ 古事 記﹄ 等に 見え る天 岩戸 伝説 を踏 まえ る︒ 素戔 嗚 尊の 狼藉 に怒 った 天 照 大御 神 は 天の 岩 戸 に隠 れ て しま

― 169 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(19)

︑天 地 は 常 闇と な る︒ 困 った 神 々 は一 計 を 案 じ︑ 祝詞 や 舞 で騒 ぎ 立 てた

︒す る と 大 御神 は 天 岩 戸 の 扉 を 少 し 開

︑﹁ な ぜ︑ その よう なこ とを して い る の か﹂ と尋 ね た︒ 天宇 受売 が

﹁あ な たよ り 貴 い 神が い ら っし ゃ る ので

︑喜

ん で 歌 舞を し て いる の で す﹂ と 言い

︑天 児屋 命 と 布 刀玉 命が 天 照 御大 神 に 鏡を 差 し 出 した

︒不 思 議 に思 っ た 大御

神 が少 しず つ岩 戸か ら出 て︑ 鏡に 映っ た姿 をの ぞき 見さ れる と︑ 隠れ てい た天 手力 男神 がそ の手 を取 って 岩戸 の外 へ 引 き 出 し︑ 世は 再 び 明る く な った

︒鏡 は

﹁天 の 香 久山

﹂か ら 採 っ て き た 榊 に 付 け ら れ て い た 721︵ 番 歌︑ 参 照︶

︵八 木智 生︶ 寄車 神祇 725し めの うち にみ つは さす まて 老ぬ 也く るま をか けよ 神の みや 人 白 虎通 曰︑ 臣 七十 懸

仕 者

︑以

レテ

一ス

︒七 十

道極

目 不

䶊 之属

︒是

以 退

去︑ 避

以長

二ス

廉 恥一ヲ

︒懸

レル

用 也︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 八四 五番

︒白 虎通 義︑ 巻二

︑致 仕︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ み つは

│三 輪﹂

︒﹃ 白 虎通 義﹄

﹁以 執事 趨走

│臣 以執 事趨 走﹂

﹇ 訳﹈

車 に寄 せる 神祇 神 社の 境内 で︵ 長年

︑神 に仕 えて

︶新 しく 歯が 生え るほ ど老 いて しま った

︒車 を懸 けて くれ

︑神 官た ちよ

︒ 白 虎通 によ ると

︑臣 下が 七十 歳に なり 馬車 を 高 い 所に 置 い て引 退 す るの は

︑︵ 臣 下 とい う 者 は︶ 事務 を 取 り仕 切 って 奔走 する のが 仕事 であ るの に︑ 七十 歳に なる とプ ラス のエ ネル ギー が極 点に 達し

︵て

︑そ の後 は衰 える ば かり で︶

︑ 耳や 目も 悪く なり

︑足 を引 きず るよ う な こと が あ るか ら だ︒ そ れゆ え 宮 廷 を去 り 賢 人に 道 を 譲る

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

― 170 ―

(20)

の は︑ 清廉 潔白 で恥 を知 る気 持ち を高 め る 手 段で あ る︒ 馬 車を 高 い 所に 置 く の は︑ もう 車 を 使わ

︵ず 出 仕 し︶ な いこ とを 示す ため であ る︒

﹇ 考察

﹈﹁ 懸車

﹂は 任を 退く こと

︒漢 の薛 広徳 が退 官し た時

︑天 子か ら賜 った 車を 高所 に掛 けて つる し︑ 記念 とし て子

孫 に残 した と いう

﹃漢 書

﹄﹁ 薛 広 徳伝

﹂の 故 事 によ る 644︵ 番歌

︑参 照

︶︒

﹁ しめ の う ち﹂ は 神社 の 境 内の 意

︒﹁ 瑞 歯﹂ は 老齢 にな り抜 けて から もう 一 度 生 えた 歯 で︑ 長 寿の 吉 相︒ 転 じて

︑﹁ 瑞 歯 さ す﹂ は非 常 に 年を と る︑ の 意︒ 当歌 は

︑年 老い た神 官が 辞職 を望 む歌

︵八 木智 生︶ 水石 歴幾 年 726池 水の 世々 の岩 ほも さゝ れ石 にか へし てや みん あま の羽 ころ も 楼 炭経

︑出 于七 夕歌 註︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二三 二番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

水 辺の 石︑ 何年 も経 つ 池 の水 に代 々そ びえ 立っ てい る大 きな 岩も

︑細 かい 石に 戻し てみ よう か︑ 天の 羽衣 をひ るが えし て︒ 楼 炭経 は﹁ 七夕

﹂歌 の注 に掲 出し た︒

︵ 157番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈﹁ 岩ほ

︵巌

︶﹂ は そび え立 つ大 きな 岩

︑﹁ さ ざ れ石

﹂は 細 か い石 の こ と︒

﹁か へ し て﹂ に 巌が 細 れ 石に 戻 る とい う 意の

﹁還 して

﹂と

︑天 の羽 衣を ひる がえ すと いう 意の

﹁返 して

﹂を 掛け る︒ 157番 歌の 出典 によ ると

︑百 年に 一度 だ け天 人が 地上 に降 り︑ 一辺 が四 十里 もあ る大 石を 天衣 で撫 で︑ つい に石 は無 くな って も劫 はま だ続 いて いる

︑と い う︒ また

﹁巌

﹂と

﹁さ ざれ 石﹂ を詠 み合 わせ た例 と し て︑

﹁ わが 君 は 千代 に 八 千代 に さ ざ れ石 の い はほ と な りて

― 171 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

(21)

苔 の む す ま で﹂

︵古 今 和 歌 集︑ 賀︑ 三 四 三 番︶ が あ り︑ 当 歌 は そ れ を 逆 転 し て

︑羽 衣 で 巌 を さ ざ れ 石 に す る と 詠 む

︵湯 本美 紀︶ 松有 歓声 727花 にな くう くひ すも 先万 代の 声に は松 をた めし とや きく 古 今序 の詞

︑た ひ

!

"

し るし 侍り ぬ︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二六 一番

︒古 今和 歌集

︑仮 名序

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵風 の音

︶に 歓声 あり 花 に鳴 く鶯 も︑ まず は万 歳の 声で は松 を模 範と して 聞く だろ うか

︒ 古 今和 歌集 の序 文は

︑た びた び記 しま した

︒︵ 儛 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈﹁ 万代 の声

﹂と は︑ 今の 御代 が永 久 に 栄 える こ と を祈 り 讃 える 声

︒当 歌 は﹃ 古 今和 歌 集﹄ 仮 名序 の 一 節︑

﹁花 に 鳴く 鶯︑ 水に 住む 蛙の 声を 聞け ば︑ 生き とし 生け るも の︑ いづ れか 歌を 詠ま ざり ける

︒﹂

︵ すべ ての 生き 物は 歌を 詠 む︶ と︑ 常緑 樹の 松の 不変 さを 踏ま えて

︑歌 を詠 む鶯 も松 風の 音に 万歳 の声 を聞 くだ ろう かと 詠む

︵ ︒ 湯 本美 紀︶ 七夜 728か そふ れは けふ こそ 七夜 あか 玉の 明る 日毎 に光 そは なむ

神 代巻 曰︑ 既児 生之 後天

孫 就而 問曰 云云

︒于 時豊 玉姫 命

寄 玉依 姫

而 奉

報 歌

︑﹁ 阿 軻娜 磨廼 比訶 利 播 阿利

登 比鄧 播伊 珮耐 企珥 我誉 贈比 志多 輔妬 勾阿 利計 利﹂

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 五

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参照

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