『三玉挑事抄』注釈 雑部(五)
著者 岩坪 健
雑誌名 人文學
号 200
ページ 153‑198
発行年 2017‑11‑30
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000065
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
岩 坪
健
本 稿は
﹃三 玉挑 事抄
﹄の 巻末
︑雑 708部 750〜 番︵ 巻軸 歌︶ と跋 文を 掲載 する
︒凡 例は 雑部
︵二
︶と 同じ であ るの で省 略す る︒ 担当 者は すべ て本 学博 士課 程在 学者 で︑ 以下 の通 りで ある
︒な お各 項目 末尾 の︵
︶ 内に
︑担 当者 の氏 名を 示し た︒ 森 あか ね︑ 嶋中 佳輝
︑橋 谷真 広︑ 八木 智生
︑丹 羽雄 一︑ 溝口 利奈
︑湯 本美 紀 亀井
の水 を掬 て
以下 四 首
︑紀 行 中
708ま れに 来て むす ふか めゐ のみ つか らや うき 木に あへ るた くひ なる らん 阿 含 経 曰︑ 仏 告玉 フ 二
諸 比丘
ニ 一
︒﹁ 如シ
大 海ノ
中有
ン 二
一ノ
盲︱ 亀 寿 無 量 劫一
︒ 百 年ニ
一タ ヒ
過テ
出シ レテ
頭ヲ
浮ニ
︑有
二
一 木一
︑ 正 有二
一︱
孔一
︑漂︱
二
流海︱
浪ニ 一
︑ 随テ レ
流 東︱
西ス
︒盲︱
亀 百︱
年ニ
一タ ヒ
出テ
︑得
レ
遇二
此ノ
孔ニ 一
﹂ 云云
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六 四三 四番
︒涅 槃玄 義発 源機 要︑ 巻第 四︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 亀 井の 水を 掬て
│諸 堂巡 礼︑ 宝 蔵 にて 霊 宝 ども こ と ごと く 拝 見︑ 宿 縁浅 か ら ず有 り が たく
― 153 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
本 ノマ マ
覚 え 侍 り︑ 聖 霊院 に て 御影 ど も をが み 奉 り て奥 の か た見 め ぐ りら し 侍 れば
︑浄 土 曼 陀羅 く ち 損じ て か た ば か り な り
︑こ れ な む 西山 上 人︑ 不 断念 仏 勤 行あ り し 所 なる べ き と往 事 を 感じ て 涙 を なが し 侍 り ぬ︑ 亀 井 の 水 を 掬 び て﹂
︒
﹃涅 槃玄 義発 源機 要﹄
﹁仏 告諸 比丘
│告 諸比 丘﹂
﹁ 百年 一過 出頭
│百 年一 遇出 頭﹂
﹁浮 有一 木正 有一 孔│ 復有 浮木 止有 一 孔﹂
﹁ 随流
│随 風﹂
︒
す く
﹇ 訳﹈
亀 井の 水を 掬っ て 以 下 の 四 首 は 紀 行 中 に 詠 ん だ も の た まに 来て 亀井 の水 を両 手で 掬う 私︵ 実隆
︶は
︑盲 目の 亀が
︵百 年に 一度
︑海 上に 顔を 出し たと き︶ 浮き 木に
︵空 い てい る穴 に︶ 出会 った よう なも のだ ろう か︒ 阿 含 経 に よる と
︑仏 が 多 く の 僧 侶 に お 告 げ に な る こ と に は
︑﹁ 大 海 の 中 に 一 匹 の 盲 目 の 亀 で
︑無 量 劫 の 時 間
︵無 限の 長い 時間
︶を 生き るも のが いた
︒そ の亀 が百 年に 一度
︑海 上に 顔を 出し て浮 かぶ と︑ 一つ の木 があ り︑ そ れに は一 つの 穴が 開い てい て︑ 波に 漂流 して 流 れ の まま に あ ちこ ち 移 動し て い た︒
︵ 仏の 教 え に会 う こ とが 難 し い の は︶ その 盲 目 の 亀 が 百 年 に 一 度︑ 海 上 に 顔 を 出 し た と き に
︑こ の 穴 に 出 会 え る よ う な も の で あ る﹂ 云 々︒
﹇ 考察
﹈歌 肩に
﹁以 下四 首紀 行中
﹂と 注す 通り
︑以 下 の 四首 は 三 条西 実 隆 が七
〇 歳 に なっ た 大 永四 年
︵一 五 二四
︶の 四 月下 旬か ら五 月初 旬に かけ て︑ 住吉
︑天 王 寺︑ 高 野 山に 参 詣 した 際 の 詠作 で
︑当 歌 は 四天 王 寺 での 詠 歌︒
﹃ 雪玉 集
﹄に 付 け ら れた 詞 書 によ る と︑ 実 隆は 四 天 王 寺聖 霊 院 で︑ 法然 の 弟 子で 浄 土 宗 西山 派 の 開祖 と な っ た 西 山 上 人
︵証 空︶ が勤 行に 励ん だ所 を見 て︑ 感涙 を 流 した
︒出 典 の﹁ 盲 亀の 浮 木﹂ は︑ め った に な い 幸運 に め ぐり 合 う こと の たと えで
︑こ こで は実 隆が 四天 王寺 に参 拝し たこ とを 指す
︒当 歌は
﹁か めゐ のみ つか ら﹂ に﹁ 亀﹂ と﹁ かめ ゐの
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 154 ―
み づ﹂
︵ 亀井 の水
︶︑
﹁ みづ から
﹂︵ 自ら
︶を 重ね る︒
﹇ 参考
﹈出 典の 話は
﹃雑 阿含 経﹄ 巻一 五に ある が︑ 本文 異同 が多 いの で︑ 異同 の少 ない
﹃涅 槃玄 義発 源機 要﹄
︵中 国北 宋 代の 僧︑ 智円 が記 した
﹃涅 槃経
﹄の 注釈 書︶ を取 り上 げた
︒
︵溝 口利 奈︶ 夢殿 より 持来 の法 花経 なと 拝見 し奉 る 709む は玉 の夢 殿よ りや 見ぬ 世を もこ ゝに 伝へ し法 のこ との 葉 聖 徳 太 子 伝曰
︑太 子 在二
斑 鳩ノ
宮一
︒入
二
夢 殿ノ
内一
︒ 設二
御 牀 褥一
︑ 一 月三 度
︑沐︱
浴 而入
玉 フ
︒ 明ル
︱
旦タ
談リ 玉 フ 二
海︱
表ノ
雑 事ヲ 一
︒及 製シ 給 フ 二
諸︱ 経ノ
疏ヲ 一
也︒ 若有
レ ハ レ
滞ル コト レ
義ニ
︑ 即入
二
夢殿
一
︑ 常ニ
自二
東 方一
金 人到
テ
告ル ニ
以二
妙︱
義ヲ 一
也︒ 閉テ レ
戸ヲ
不レ
開 七 日七 夜︒ 不レ
進二
御 膳ヲ 一
︒不
レ
召二
侍 従一
︒妃 已下 不レ
得レ
近コ トヲ レ
之ニ
︒時
ノ
人︑ 大ニ
異レ
之ヲ
︒恵 慈法 師ノ
曰︑
﹁殿︱
下入
リ 玉 ヘリ 二
三︱ 昧︱ 定ニ 一
︒ 敢テ
莫レ
驚ク コ ト
﹂︒ 八 箇日
ノ
之晨
︑玉
︱ノ
机ノ
之上
ニ
有二
一巻 経一
︒ 設レ
筵 引二
恵慈 法 師一
告テ
曰
︑﹁ 是 吾先︱ 身ニ
修二
行セ シ 時
衡 山ニ 一
︑ 所レ
持之 経 也︒ 去︱
年︑ 妹︱
子将
︱
来ル ハ
者 吾 弟 子ノ
経 也
︒三
ノ
老︱
比︱
丘 不レ
識二
吾 所レ
蔵 之 処一ヲ
︑取
二
他ノ
経ヲ 一
送レ リ
︒ 故ニ
吾 頃︑ 遣シ テ レ
魂ヲ
取︱
来レ リ
﹂︒ 指二
所ノ レ
落字
ヲ 一
而 示シ 玉 フ 二
法師
ニ 一
︒ 師大
ニ
︱
驚テ
︑奇
ト ス レ
之ヲ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六 四三 三番
︒聖 徳太 子伝 暦︑ 巻下
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 聖徳 太子 伝暦
﹄﹁ 取他 経送
│取 佗経 送﹂
︒
も た ら
﹇ 訳﹈
夢 殿か ら齎 され た法 花経 など を拝 見し 申し 上げ る 夢 殿か ら︵ もた らさ れた の︶ だな あ︒ 見た こと のな い過 去世 をも 現世 に伝 えた 仏の 言葉 は︒ 聖 徳太 子伝 暦に よる と︑ 太子 は斑 鳩宮 にい らっ しゃ り︑ 夢殿 の中 にお 入り にな る︒ 寝台 に敷 物を 用意 し︑ ひと 月 に三 度︑ 沐浴 をし て︵ 夢殿 に︶ お入 りに なる
︒明 くる 朝︑ 海外 のい ろい ろな こと をお 話し にな る︒ また
︑諸
― 155 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
経 の注 釈書 をお 作り にな る︒ もし 注釈 に行 き詰 まる こと があ れば
︑す ぐ夢 殿に お入 りに なる と︑ いつ も東 方か ら 仏 が︵ 夢 の 中に
︶来 臨 し て優 れ た 解釈 を 授 け る︒ 戸を 閉 じ たま ま 参 籠な さ る こ と 七 日 七 夜 の 間︑
︵ 太 子 は︶ お 食事 をさ れな い︒ 侍従 をお 呼び にな らな い︒ 妃を はじ め誰 も近 づく こと がで きな い︒ 人々 はた いそ う不 思議 に 思っ た︒ 恵慈 法師 が言 うに は
︑﹁ 殿 下︵ 太 子︶ は精 神 を 集中 し て︑ 深 い瞑 想 に 入 って お ら れる
︒ま っ た く驚 く こと はな い﹂
︒ 八日 目の 朝︑
︵太 子 の︶ 美 し い机 の 上 に一 巻 の 経が あ っ た︒
︵ 太子 が
︶筵 を 敷き
︑恵 慈 法 師を 引 き入 れて おっ しゃ るに は︑
﹁ これ は私 が 前 世に お い て︑ 衡山 で 修 行し た 時 に 持っ て い た経 で あ る︒ 去年
︑小 野 妹子 がも たら した 経は 私の 弟子 のも ので ある
︒三 人の 老僧 は私 が︵ 経を
︶納 めた 場所 を知 らず
︑他 の経 を取 っ て
︵妹 子 に︶ 持 たせ た の であ る
︒そ の ため 私 は 先 ご ろ︵ 衡 山 に︶ 魂 を 飛 ば し て
︵経 を
︶取 っ て 来 た の で あ る
﹂︒
︵ 太子 は妹 子が 持っ てき た経 の︶ 脱字 を指 して 恵慈 法師 にお 示し にな る︒ 恵慈 法師 は大 変驚 き︑ 不思 議に 思 った
︒
﹇ 考察
﹈﹁ 金人
﹂は 金色 の人 の意 で︑ 仏や 仏像 をい う︒
﹁ 恵慈
﹂は 高句 麗か ら渡 来し た僧 で︑ 聖徳 太子 の仏 法の 師︒
﹁慧 慈
﹂と も書 く︒
﹁ 三昧
﹂と
﹁定
﹂は
︑心 を集 中し て安 らか で静 かな 状態 を指 す︒
﹁比 丘﹂ は出 家し て具 足戒 を受 けた 男 子の こと
︒当 歌は
﹃聖 徳太 子伝 暦﹄ に記 され た夢 殿と 経に 纏わ る伝 説に 思い を馳 せて 詠む
︒ 第一 句の
﹁む は玉 の
﹂は
﹁夢
﹂に 掛か る枕 詞︒
﹇ 参考
﹈﹃ 雪玉 集﹄ の詞 書に は︑ 大永 四年
︵一 五二 四︶ 四月 一九 日に 伏見 へ向 かい
︑小 坂に 着い て一 泊す るま での 船旅 と
︑翌 二〇 日に 光明 院か らの 迎え で聖 徳太 子の 創建 と 伝 え る四 天 王 寺を 参 詣 する 様 子 が 記さ れ て いる
︒﹁ 夢 殿 より 持 来の 法花 経な と 拝見 し 奉 る﹂ は その 一 部 分︒ 実隆 の
﹃高 野 参詣 日 記
﹄︵
﹃ 群書 類 従﹄ 所 収︶ にも
︑﹃ 雪 玉 集﹄ の詞
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 156 ―
書 と同 様の 記述 が見 られ る︒
︵丹 羽雄 一︶ 内よ りた まは りし 御爪 のき れを 納め 奉る つゝ み紙 に書 付し 710爪 のう への 土よ りま れの 身を うけ て仏 の道 は手 にと りつ へし 涅 槃経 三十 一曰
︑生
二
人趣
一
者
︑如
二
爪上
ノ
土一
︑堕
二
三 途一
者
︑如
二
十 方ノ
土一
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六 四五 三番
︒往 生要 集︑ 巻上
︑大 文第 一︑ 厭離 穢土
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ た ま は りし
│給 は り たり し
﹂﹁ つ ゝみ 紙 に│ 裹 紙に
﹂︒
﹃ 往 生 要集
﹄﹁ 涅 槃 経三 十 一 曰│ 大経 云
﹂︒
﹇ 訳﹈
主 上︵ 後柏 原天 皇︶ から 頂戴 した 御爪 の切 れ端 を納 め申 し上 げる 包み 紙に 書き 付け た 爪 の上 の︵ わず かな
︶土 より も希 少な 生を 享け たの だか ら︑ きっ と仏 の︵ 説か れた
︶道 を︵ 主上 は︶ 手に する に違 い ない
︒ 涅 槃経 の巻 三十 一に よる と︑ 人間 世界 に生 まれ る者 は爪 の上 に載 せた 土の よう に少 なく
︑三 悪道 に生 まれ る者 は 世界 中の 土の よう に多 い︒
﹇ 考察
﹈﹁ 人趣
﹂は 六 道︵ 地 獄︑ 餓 鬼︑ 畜生
︑阿 修 羅︑ 人 間︑ 天上
︶の う ち の人 間 界︒
﹁ 爪 上の 土
﹂は 爪 につ ま ん だ僅 少 の土 の意
︒﹁ 三 途﹂ は地 獄道
︑餓 鬼道
︑畜 生道 の三 悪道
︒﹁ 十方 の土
﹂は 無量 無辺 に存 在す る土 の意 で︑ 数の 多い こ とを いう
︒当 歌は 後柏 原天 皇の 爪を 高野 山に 奉 納 す るに あ た り︑ 天皇 の 成 仏が 間 違 い ない こ と を詠 む
︒﹃ 実 隆公 記
﹄大 永四 年四 月一 六日 の条 には
﹁自 禁裏 御扇 被下 之︑ 御爪 可納 高野 之由 同仰 也﹂ とあ り︑ 実隆 は後 柏原 天皇 の爪 を 高野 山に 納め るよ うに と命 じ られ た
︒﹃ 高 野 詣真 名 記﹄
︵﹃ 実 隆 公 記﹄ 所収
︶同 年 四 月 二四 日 の 条に は
﹁主 上 御爪
― 157 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
別 而申 事由 奉納
﹂と あり
︑奥 院に 納め た︒ 爪の 奉納 は︑ 高野 山へ の分 骨埋 葬の 信仰 によ る︒
﹇ 参考
﹈﹃ 大般 涅 槃経
﹄の 訳 本 は北 本
︵﹃ 大 正新 脩 大 蔵 経﹄ 第一 二 巻︑
No.374
︶と 南 本
︵﹃ 大 正新 脩 大 蔵経
﹄第 一 二 巻︑
No.375
︶が あり
︑﹁ 如爪 上土
﹂﹁ 如 十方
﹂の 記述 があ る﹃ 大般 涅槃 経﹄ 巻第 三一 は南 本に あた るが
︑本 文は 一致 しな い
︒﹃ 往 生要 集﹄ の記 述は
﹃大 般涅 槃経
﹄の 取意 とさ れ︑
﹁大 経﹂ は﹃ 大般 涅槃 経﹄ を指 す︒
︵丹 羽雄 一︶ 年頃 おち たる 歯と も取 をか せた る︑ おさ むと て 711い かは かり 法を そし りし むく ひと かお ちつ くし ける 恥し の身 や 譬喻 品 曰︑ 其 有レ
誹二
謗ス ル コト
如レ
斯 経︱
典一ヲ
︒見 有 読 誦書 持 経 者︑ 軽賤 憎 嫉 而懐 結 恨
︒此 人 罪報 汝 今 復 聴
︒其 人 命 終 入二
阿 鼻獄
一
︑具
二︱
足シ テ
一 劫一ヲ
︑々 尽更
ニ
生レ ン
︒如
レ
此 展転
シ テ
至二ン
無 数劫
一ニ
︒従
二
地 獄一
出当
︱ニ
堕二
畜生
一
云云
︒中 略
生ナ カラ
輙チ
聾︱
啞ニ シ テ
︑ 諸︱
根不 具ナ ラ ン
云 云︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六 四五 五番
︒妙 法蓮 華経
︑巻 第二
︑譬 喩品
︑第 三︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 年 頃お ちた る歯 とも 取を かせ た る おさ む と て│ みづ か ら のと し ご ろ おち た る 歯ど も と りお か せた る︑ 二は 観音 の像 あた らし く造 立さ せ侍 るに 腹身 し奉 りて
︑の こり 廿あ まり 侍る をを さむ とて
﹂︒
﹃ 妙法 蓮華 経
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
年 来抜 け落 ちた 歯を 取り 置か せて いた が︑ 納め ると して ど れほ ど仏 法を けな した 報い なの だろ うか
︒︵ 阿 鼻地 獄に
︶堕 ち尽 くし た恥 ずか しい 身で
︑︵ 歯が
︶す べて 抜け 落ち て しま った 恥ず かし い身 であ るな あ︒ 譬 喩品 によ ると
︑こ のよ うな 経典
︵法 華経
︶を 誹謗 する 者が いて
︑経 を読 んだ り書 き写 して 持っ たり する 者を
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 158 ―
見 て︑ 軽蔑 して 憎み 嫉み
︑深 い恨 みを なす
︒こ の人 たち の罪 の報 いを
︑あ なた は今 また 聞く がよ い︒ 彼ら の命 が 尽き ると 阿鼻 地獄 に入 り︑ まる 一劫
︵ほ とん ど無 限に 近い 時間
︶を 経て も︑ また
︵阿 鼻地 獄に
︶生 まれ 変わ る だろ う︒ この よう に何 回も 同じ 所に 生ま れ変 わり
︑永 遠に そこ で過 ごす こと にな るだ ろう
︒地 獄か ら出 られ て も
︑畜 生 界 に 堕 ち る だ ろ う 云 々︒
中 略
︵彼 ら は 人 間 に︶ 生 ま れ て も 聾 啞 で あ り
︑身 体 に 障 害 が あ る だ ろ う 云 々︒
﹇ 考察
﹈﹃ 妙法 蓮華 経﹄ 譬喩 品の 一節 は︑ 経典 をそ しる 者の 罪報 を説 く︒ 平安 後期 から 仏像 の胎 内に 各種 の品 を納 入す る 習慣 が行 なわ れ︑ 経典 や舎 利︑ 文書 が多 いが
︑遺 骨や 奉納 者の 髪な どを 納入 する 例も ある
︒当 歌は 三条 西実 隆が 高 野山 に行 き︑ 後柏 原天 皇の 爪を 奉納 し た際 710︵ 番 歌︶
︑ 新造 観 音 像に 自 分 の歯 を 二 つ︑ 奥 院に 残 り の歯 を 二 十余 り 納め て詠 んだ もの
︒第 四句
﹁落 ち尽 くし
﹂に 加齢 によ り歯 がす っか り抜 け落 ちる と︑ 悪道 にす っか り落 ちる とを 重 ねる
︒結 句の
﹁恥 ずか し﹂ は歯 が無 いか らと
︑成 仏で きな いか ら︒
﹇ 参考
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄の 詞書 は︑
﹁ 高野 山道 の記
﹂︵ 別称
﹁住 吉紀 行﹂ 等︒
﹃ 実隆 公記
﹄所 収︶ と一 致す る︒
︵八 木智 生︶ 神祇 712あ らは るゝ 光を あふ けこ れそ 此か けし 衣の たま つし まひ め 法 華経 要文
︑見 于釈 教歌
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 二五 二番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
神 祇
― 159 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
こ の世 に姿 を現 した
︵仏 の︶ 光を 讃仰 せよ
︒こ れこ そが 衣に 縫い 付け た︑ 玉津 島姫 のよ うに 美し く輝 く宝 珠で ある な あ︒ 法 華経 の要 旨は
︑釈 教歌 に見 える
︒︵ 692 番歌
︑参 照︶
﹇ 考察
﹈出 典は
﹃妙 法蓮 華経
﹄五 百弟 子受 記品 に 見 え る﹁ 衣裏 繋 珠﹂
︒ ある 貧 者 が親 友 の 家 で︑ 酒に 酔 い 寝て い た 間︑ 親 友は 彼の 衣に 宝珠 を縫 い付 ける
︒貧 者は 気づ かな いま ま帰 り︑ 貧し い生 活を 続け てい たが
︑親 友に 再会 して 宝珠 を 知る
︒か つて 大乗 の教 えを 受け てい たの に︑ 後に 法華 経を 聞く まで 知ら ずに 悟ら なか った こと に例 える
︒法 華七
たま
喩 682︵ 番歌
︑参 照︶ の一 つで
︑当 歌 は こ れを 踏 ま えて 仏 を 賛美 す る︒
﹁ 衣 のた ま つ しま ひ め﹂ に﹁ 衣 の玉
﹂と
﹁玉
つ し ま ひ め
そ と お り ひ め
津 島 姫﹂ を 重 ね る︒ 玉 津 島 姫 は 和 歌 山 市 の 和 歌 浦 に あ る 玉 津 島 神 社 に 祭 ら れ て い る 衣 通 姫 の 異 称︵ 750番 歌
︑参 照
︶︒ 記 紀に 登場 する 伝説 上の 女性 で︑ 身の 光が 衣を 通し て輝 くよ うな 美し さで あっ たと いう 713︒ 番歌
︑参 照︒
︵八 木智 生︶ 713か らこ ろも とを るひ かり をや はら けて 名も くも りな き玉 津嶋 姫 日 本紀 十三 巻曰
︑皇 后 不レ
獲レ
已ム コ トヲ
而奏
︱
言
︑﹁ 妾カ
弟︑ 名 弟姫 焉﹂
︒弟 姫 容︱
姿 絶︱
妙ニ シ テ
無レ
比︒ 其ノ
艶︱
キ
色 徹レリ テ
衣ヨ リ テ ル
ソ ト ヲ リイ ラ ツ ヒメ ト
而 晃之
︒是
︱ヲ
以時
︱ノ
人 号テ
曰二
衣 通 郎 姫一
也
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 六一 二番
︒日 本書 紀︑ 巻一 三︑ 允恭 紀七 年一 二月
︑一 一五 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 日本 書紀
﹄﹁ 容姿 絶妙
│容 姿絁 妙﹂
︒
﹇ 訳﹈
︵神 祇︶ 美 しい 衣を 通る 光を 和ら げて
︑名 声も 輝か しい 玉津 島姫 だな あ︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 160 ―
日 本書 紀の 巻十 三に よる と︑
︵ 允恭 天皇 の︶ 皇后
︵忍 坂大 中姫
︶が やむ をえ ず天 皇に 申し 上げ るに は︑
﹁私 の妹 で
︑名 は弟 姫﹂ と︒ 弟姫 は容 姿が 絶妙 で比 べよ うも ない
︒そ の美 しい 色つ やが 衣を 通し て輝 く︒ これ によ り時 の人 は
︑名 付け て衣 通郎 姫と 申し 上げ た︒
﹇ 考察
﹈衣 通郎 姫は 712番 歌の 玉津 島姫 と同 一視 され
︑住 吉 神 とと も に 和歌 神 と して 仰 が れ た︒ 当歌 は 色 つや が 衣 を通 し て耀 くと いう
︑そ の名 のと おり の衣 通郎 姫の 美し さを 詠む
︒第 二・ 三句 の﹁ 光を 和ら げて
﹂は 和光 同塵
︵仏 が本 来 の威 光を 和ら げ︑ 煩悩 の塵 に同 じて 衆生 を救 済す るこ と︒ とく に仏 が日 本の 神と して 現れ るこ と︶ の﹁ 和光
﹂の 訓 読み
︒
﹇ 参考
﹈衣 通郎 姫は
﹃古 事記
﹄︵ 七一 二年 成立
︑太 安万 侶撰
︶に も登 場す るが
︑﹃ 日 本書 紀﹄ とは 設定 が異 なる
︒﹃ 古事 記
﹄で は允 恭天 皇の 皇女
︑軽 大郎 女の 別名 で︑ 同母 兄の 軽太 子と 情を 交わ し︑ 伊予 に流 され た軽 太子 を追 い︑ 合流 し た の ち 心中 し た と語 ら れ る︒ 当歌 の 作 者︑ 三 条西 実 隆 は︑ 永 正 一
〇 年
︵一 五 一 三
︶頃 に
﹃日 本 書 紀
﹄を 書 写 し た
︒
︵湯 本美 紀︶ 714い まも かも 聞へ あけ なん すへ らき の絶 せぬ 天の 神の よこ とを
ヨコ ト ヲ
旧 事本 紀曰
︑天 種子
ノ
命奏
二
天 神寿 詞一
︒ 即︑ 神世 古事 類︑ 是也 云云
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 四六 四番
︒先 代旧 事本 紀︑ 巻七
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃先 代旧 事本 紀﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
︵神 祇︶ き っと 今も 申し 上げ てい るの だろ うな あ︒ 天皇 への 絶え ない
︑天 つ神 の祝 いの 言葉 を︒
あ め の たね こ の みこ と
旧 事本 紀に よる と︑
︵ 神武 天皇 即位 の時 に︶ 天 種子 命が 天つ 神の 祝い の言 葉を 申し 上げ た︒ すな わち
︑神 代以
― 161 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
来 の古 い風 習の 類が これ であ る云 々︒
﹇ 考察
﹈天 種子 命の 子孫 であ る中 臣氏 は︑ 古代 にお い て 神事
・祭 事 を 司っ た 豪 族で
︑天 皇 の 御 代の 繁 栄 を祈 っ た 祝い
の り と
よ ごと
の 言葉
︵祝 詞や 寿詞
︶を 奏上 した
︒
︵湯 本美 紀︶ 715さ らに この 冬の まつ りや 千早 振か もに いろ そふ 松の こと の葉 古 今集
︑廿 巻云
︑冬 の賀 茂祭 の歌
︑藤 原敏 行朝 臣 千 早振 かも の社 の姫 小松 よろ つ世 ふと も色 はか はら し 古 今童 蒙抄 云︑ 冬の 賀茂 祭と いふ は臨 時の 祭を 云︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 八六 八番
︒古 今和 歌集
︑巻 二〇
︑一 一〇
〇番
︒古 今集 童蒙 抄︑ 冬の 賀茂 の祭 のう た︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁
︵ 神祇
︶│ 神社
﹂︒
﹃ 八代 集抄
﹄﹃ 古今 集童 蒙抄
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
︵神 祇︶
︵例 祭に 加え て︶ さら にこ の冬 の祭 は賀 茂社 に趣 を添 え︑ 松の 葉に 深み を添 え︑ 和歌 にも 趣を 添え るこ とだ なあ
︒ 古 今和 歌集 の第 二十 巻に よる と︑ 冬の 賀茂 祭の 歌︑ 藤原 敏行 朝臣 賀 茂社 の姫 小松 は︑ どれ だけ の時 が過 ぎよ うと も色 あせ るこ とは ない だろ う︒ 古 今集 童蒙 抄に よる と︑ 冬の 賀茂 祭と いう のは 臨時 の祭 をい う︒
﹇ 考察
﹈藤 原敏 行が 賀茂 社の 小松 の色 は不 変と 詠ん だの に対 して
︑当 歌は
﹁松 の葉
﹂の みな らず
﹁言 の葉
﹂︵ 和歌
︶や
﹁賀 茂﹂ にも
﹁色 添ふ
﹂と 見な す︒
﹁臨 時祭
﹂は
︑賀 茂神 社に おい て四 月の 中酉 日に 行わ れる 例祭 に対 し︑ 十一 月の 下 酉日 に同 社で 行わ れ てい た 祭 233︵ 番歌
︑参 照
︶︒ 寛 平元 年
︵八 八 九︶ に始 ま り︑ 応 仁・ 文 明の 乱 が 終結 し た 一四
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 162 ―
七 七年 以降 は中 絶し た︵ 所功 氏﹁ 賀茂 臨時 祭の 成立 と変 転﹂
︑﹁ 京 都産 業大 学日 本文 化研 究所 紀要
﹂3
︑一 九九 八年 三 月︶
︒ 詠者 の後 柏原 天皇 は一 四六 四年 に生 まれ 一五
〇
〇 年に 践 祚 した が
︑戦 国 動乱 の 最 中 で朝 廷 の 経済 は 逼 迫し て
︑即 位式 も一 五二 一年 によ うや く執 り行 なわ れた ほど であ るの で︑ 当歌 は賀 茂の 臨時 祭を 想像 して の詠 作で あろ う
︒
︵橋 谷真 広︶ 賀茂 716い にし への かも の川 霧立 かへ りま たか け見 はや 山あ いの 袖 本 朝神 社考
ニ
引︑ 寛平 御記
︑見 于秋 部︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四
〇四 七番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
賀 茂 か つて 川霧 が立 って いた 賀茂 川で
︑も う一 度ま た︑ 川面 に映 った 影を 見た いも のだ
︑あ の山 藍の 袖︵ の影 を︶
︒ 本 朝神 社考 に引 かれ た寛 平御 記は
︑秋 部に 見え る︵ 233番 歌︑ 参照
︶︒
﹇ 考察
﹈﹁ 霧立 ちか へり
﹂に
﹁霧 立ち
﹂と
﹁立 ち返 り﹂
︵ 再び
︑と いう 意味 の副 詞︶ を重 ねる
︒﹁ 霧﹂ は﹃ 寛平 御記
﹄の 一 節﹁ 天陰 霧降
﹂を 踏ま える
︒﹁ 山 藍の 袖﹂ は山 藍で 模 様 を摺 り 染 めに し
︑神 事 奉仕 の た め に物 忌 の 印と し て 着る
を み ごろ も
小 忌 衣︒ 715番 歌と 同じ く︑ 賀茂 の臨 時祭 の復 興を 願っ た歌 であ ろう
︒
﹇ 参考
﹈﹁ 月さ ゆる みた らし 河に 影み えて 氷 に す れる 山 藍 の袖
﹂︵ 新 古 今和 歌 集︑ 神 祇︑ 一 八八 九 番︑ 文 治六 年 女 御入 内 の屏 風に 臨時 祭か ける 所を よみ 侍り ける
︑皇 太后 宮大 夫俊 成︶
︒
︵橋 谷真 広︶ 神社
― 163 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
717あ らは れし 塩の 八百 会の 幾重 共し らぬ ちか ひや 住吉 の神 神 代巻 曰︑ 浮二
濯 於潮 上一
︑因 以生
︱
神
︑凡
ヘ テ
有二
九︱
神一
︒其
ノ
表 筒男 命︑ 中筒 男命
︑底 筒男 命︑ 三神 鎮座 焉︒ 中 臣祓 曰︑ 荒塩 塩乃
八乃
百道 八乃
塩道 塩能
八乃
百会
仁
座須
云 云︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 六三 九番
︒日 本書 紀︑ 巻一
︑神 代上
︑四 八頁
︒中 臣祓
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大 観﹄ ナシ
︒﹃ 日 本 書 紀﹄
﹁凡 有 九 神│ 凡有 九 神 矣﹂
﹁其 表 筒 男 命︑ 中筒 男 命︑ 底 筒男 命
︑三 神 鎮座 焉
│其 底筒 男命
︑中 筒男 命︑ 表筒 男命
︑是 即住 吉大 神矣
﹂︒
﹃ 中臣 祓﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
神 社 多 くの 潮流 の集 まる 所で は︑
︵ 全貌 が︶ 露わ にな って も 潮 が幾 重 に なっ て い るの か 分 か らな い が︑ こ の世 に 現 われ た 住吉 の神 への 誓い も︑ 幾度 立て たか 分か らな いな あ︒
い ざ な ぎ の み こと
︵日 本書 紀の
︶神 代巻 によ ると
︑︵ 伊 弉諾
尊 が︶ 潮の 上 に 浮い て す すが れ る と︑ こ れに よ っ て神 を 生 み︑ 全部 で 九神 であ る︒ その うち 表筒 男命
︑中 筒男 命︑ 底筒 男命 の三 神が
︵住 吉に
︶鎮 座し てい る︒
は や あ き つ ひ め
中 臣祓 によ ると
︑︵ 速 開津 比売 とい う神 は︶ とて も多 くの 激し い潮 流が 交じ り合 う場 所に おら れる 云々
︒
﹇ 考察
﹈神 代巻 は︑ 黄泉 の国 から 戻 っ た伊 弉 諾 尊が 禊
・祓 を した 場 面︵ 136番 歌
︑参 照
︶︒
﹃ 中臣 祓
﹄は 海 へ運 ば れ た罪
や し ほ ぢ
や ほ あ ひ
や 穢れ を速 開津 姫が 呑み こむ 箇所
︒﹁ 八 塩道
﹂は 多く の潮 路︑
﹁塩 の八 百会
﹂は 多く の潮 流が 集ま るこ と︑ また その 場 所︒ 当歌 の﹁ あら はれ し﹂ は潮 と神 を︑
﹁ 幾重 とも 知ら ぬ﹂ は潮 と誓 いを それ ぞれ 修飾 する
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 中臣 祓﹄ の本 文は 諸本 によ り異 なる が︵ 詳細 は﹃ 神道 大系
﹄所 収﹁ 中臣 祓註 釋﹂ 解題
︑参 照︶
︑﹃ 延 喜式
﹄所 載 の大 祓詞 と一 致す る︒
︵嶋 中佳 輝︶
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 164 ―
718見 すや その から 神と ても すへ らき の御 垣の 内に あと をた れけ る 延 喜式
︑三
︑名 神祭 部曰
︑園 神社 一座
︑韓 神社 二座
︑已 上座
二ス
宮内 省一ニ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 五二 三番
︒延 喜式
︑巻 三︑ 神祇 三︑ 臨時 祭︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ あ とを たれ ける
│跡 をた れけ り﹂
︒﹃ 延 喜式
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
︵神 社︶ 知 らな いこ とが あろ うか
︒そ の韓 神︵ は渡 来の 神で ある
︶と いっ ても
︑天 皇の
︵住 む︶ 皇居 を囲 む垣 根の 中に 垂迹 さ れた こと を︒ 延 喜式
︑巻 三の 名神 祭の 部に よる と︑ 園神 社が 一座
︑韓 神社 が二 座︑ 以上 が宮 内省 に鎮 座す る︒
﹇ 考察
﹈園 神も 韓神 も宮 中に 祭ら れて いた 神で
︑﹃ 延喜 式﹄ では
﹁名 神祭 二百 八十 五座
﹂の 最初 に置 かれ てい る︒ 韓神 と は 朝 鮮 半島 か ら 渡来 し た 神 の 意 で あ り 318︵ 番 歌 参 照︶
︑ 当 歌 は 異 国 の 神 が 宮 中 の 守 護 神 に な っ て い る こ と を 詠 む
︒
︵嶋 中佳 輝︶ 社頭 榊
柏
719松 もい さい く度 霜に 顕れ て神 代お ほゆ る榊 葉の 陰 朗 詠詩 句︑ 見于 恋部
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 八七 四番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
社 殿の 榊 松 もさ あ何 度︑ 霜枯 れの 中か ら現 われ たか 知ら ない が︑ 同じ よう に何 度も 霜の 中か ら現 われ て︑ 神々 の時 代の こと
― 165 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
が 思い 出さ れる 榊葉 の姿
︵も また 不変
︶だ なあ
︒ 和 漢朗 詠集 の詩 句は
︑恋 の部 に見 える
︒︵ 389 番歌
︑参 照︶
﹇ 考察 389﹈ 番歌 の出 典﹁ 十八 公栄 霜後 露﹂ を当 歌は 踏ま え て︑ い かな る 環 境に も 負 けず 不 変 の 緑を 保 つ 松を 引 き 合い に 出し
︑同 じく 常緑 樹で ある 榊の 不変 さを 詠む
︒
︵溝 口利 奈︶ 720霜 さや く暁 さむ し神 垣に とる もう たふ もさ かき 葉の 声 梁 塵愚 案抄
︑神 楽部
︑同 採物 歌︑ 榊︒ 榊葉 の香 をか くは しみ
│
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 五三 二番
︒梁 塵愚 案抄
︑巻 上︑ 神楽 部︑ 採物 歌︑ 榊︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 梁 塵愚 案抄
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
︵社 殿の 榊︶ 霜 が 音 を た て る ほ ど の 夜 明 け 前 は 冷 え こ む な あ
︒神 社 で 手 に 取 る
︵神 降 ろ し の 物︶ も 榊︑ 神 を 招 く 歌 も 神 楽 歌
﹁榊
﹂で
︑榊 の葉 擦れ の音 がす るな あ︒
と り もの
梁 塵愚 案抄
︑神 楽の 部︑ 同じ 採物 歌︑ 榊︒ 榊の 葉の 香り がよ いの で︵ 下略
︶︒
さ か き ば
か
と
く
や そ う ぢび と
﹇ 考察
﹈出 典の 歌の 全文 は﹁ 賢木 葉の 香を かぐ はし み尋 め来 れば 八十 氏人 ぞま とゐ せり ける
﹂︵ 榊の 葉の 香り がよ いの で
︑そ の場 所を 求め て尋 ねて くる と︑ 多く の氏 の 人 た ちが 楽 し そう に 寄 り集 ま っ て いる こ と だ︶
︒神 楽 歌 とは
︑広 義 では 神前 で舞 楽と 共に 唱和 され る歌 謡︑ 狭義 では 宮中 で行 われ る神 事歌 謡を いう
︒採 物歌 は︑ 神が 降り る物 を持 っ て演 じる 曲の 部類
︵採 物に つい て 722は 番 歌 の解 説 参 照︶
︒当 歌 の 結句
﹁榊
﹂に
︑舞 い 人 が 手に 持 つ 榊と 神 楽 歌の
﹁榊
﹂を 重ね る︒
︵溝 口利 奈︶
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 166 ―
寄榊 神祇 721か く山 の榊 ほり うへ し其 跡を 世々 にう つせ る神 あそ ひ哉
コ ヽ ニ
ネ コ シ ニシ テ
神 代 巻 曰︑ 於是 天ノ
児屋 命
︑ 掘二
天 香 山 之真 坂 木ヲ 一
︑ 而上
ツ
︱
枝ニ ハ
懸二
以鏡
︱
作ノ
遠ツ
︱
祖 天抜 戸 児 巳 凝 戸 辺 所レ
作 八 咫ノ
鏡ヲ 一
云云
︒広
︱ク
厚ク
称辞 祈啓 矣︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 八四 五番
︒日 本書 紀︑ 巻一
︑神 代上
︑八 五頁
︒
古 イ
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ か く山 の│ 香久 山の
﹂︒
﹃ 日本 書紀
﹄﹁ 掘│ 握﹂
︒
﹇ 訳﹈
榊 に寄 せる 神祇
か ぐ やま
あま の い わ や
香 久山 の榊 を掘 り取 り︵ 天 石窟 の前 に︶ 植え たと いう
︑そ の事 跡を 代々 に伝 えて いる 神楽 だな あ︒
あま の こ やね の み こと あ まの か ぐ や ま
ま さか き
神 代巻 によ ると
︑こ こに 天児 屋 命 は天 香 久山 の真 坂木
︵榊
︶を 根の 付い たま ま 掘 り取 り
︑上 の 枝に は 鏡 作り
あ ま のぬ か と
を の こり と べ
や た か が み
の 遠祖 天抜 戸の 子で ある 巳凝 戸辺 が作 った 八咫 鏡 を掛 ける 云々
︒︵ 天 児屋 命は 太 玉 命に 榊 を 持た せ て︶ 広 く懇 ろ に祝 詞を 祈り 申し 上げ させ た︒
﹇ 考察
﹈当 歌の 結句
﹁神 遊び
﹂は 神楽
︵神 を祭 るた め の 舞楽
︶を 指 す︒ 当 歌は 天 石 窟に 籠 っ た 天照 大 神 を誘 い 出 すた
た か まが は ら
く だ
め
︑諸 神 が 祈 祷す る 場 面を 踏 ま え︑ その 事 跡 を 伝承 す る 神楽 を 詠 む︒ 香久 山 は
︑高 天原 の 山 が 地 上 に 降 っ た と さ
あ ま
れ
︑﹁ 天 の香 久山
﹂と 称さ れる
︒
︵丹 羽雄 一︶
柏
722神 わさ や声 のう ちに も榊 葉の 末葉 もと つ葉 茂り あふ まて
本
神 楽︑ 採物 歌︑ 榊︒ さか き葉 の香 を│ 神末
かき のみ むろ の山 の榊 葉は 神の みま へに 茂り あひ にけ り
― 167 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑二 四〇
〇番
︒雪 玉集
︑四 八四 四番
︒梁 塵愚 案抄
︑巻 上︑ 神楽 部︑ 採物 歌︑ 榊︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新 編 国 歌大 観
﹄﹁ 声 のう ち に も│ 声の 中 に も﹂
︵柏 玉 集
︑雪 玉 集
︶﹁
︵ 寄 榊 神 祇︶
│ 寄 榊 述 懐
﹂︵ 柏 玉 集︶
︒﹃ 梁 塵 愚案 抄﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
︵榊 に寄 せる 神祇
︶ 霊 妙不 可思 議だ なあ
︒︵ 神 楽歌
﹁榊
﹂の
︶本 歌と 末歌 を 歌 う声 が す るう ち に も︑ 榊の 枝 の 若 葉と 古 葉 が茂 り 合 うほ ど まで
︵に なっ たな あ︶
︒
本 歌
神 楽︑ 採物 歌︑ 榊︒ 榊の 葉の 香り が︵ 下略 720︒ 番歌 の﹇ 考察
﹈に 掲載
︶︒
末歌
神 が降 臨し た神 聖な 山の 榊の 葉は
︵神 を讃 える よう に︶ 神の 御前 で茂 り合 った こと だな あ︒
と り も の
よ り し ろ さ か き み て ぐら つ え さ さ ゆ み つ る ぎ ほ こ ひ さ ご か ず ら
﹇ 考察
﹈採 物は
︑神 楽の 時に 舞人 が手 に持 つ依 代︵ 榊︑ 幣︑ 杖︑ 篠︑ 弓︑ 剣︑ 鉾︑ 杓︑ 葛の 九つ
︶を いう
︒採 物歌 は︑
にん じ ょ う
人 長︵ 舞い 人 の 長︶ が採 物 を 手 に持 っ て 奏す る 楽 の歌 で
︑本 歌 と 末歌 を 唱 和す る
︒な お﹁ 榊﹂ の 本歌 は
﹃拾 遺 和 歌 集﹄
︵ 巻一
〇︑ 神楽 歌︑ 五七 七番
︶に
︑末 歌は
﹃古 今和 歌集
﹄︵ 巻二
〇︑ 神遊 びの 歌︑ 採物 の歌
︑一
〇七 四番
︶に 採 録
︒末 歌 の 初 句﹁ 神 垣 の﹂ は﹁ 御 室﹂
︵ 神 が 鎮 座 す る 場 所︶ に か か る 枕 詞
︒当 歌 は 第 三 句﹁ 榊 葉
﹂に 神 楽 歌 の
﹁榊
﹂︑ 第四 句﹁ 末葉
﹂︵ 枝 先の 葉︶ に﹁ 末歌
﹂︑
﹁ もと つ葉
﹂︵ 幹に 近い 葉︶ に﹁ 本歌
﹂を 重ね る︒
︵丹 羽雄 一︶ 寄月 神祇
同
723住 よし や月 もあ らは れ出 るよ はあ はき か原 の影 もく もら て 神 代巻
︑見 于夏 祓註
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 八七 一番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
― 168 ―
﹇ 訳﹈
月 に寄 せる 神祇 住 吉で 月も
︵海 上か ら︶ 現わ れ出 る夜 は︑
︵ 住吉 三 神 が潮 か ら 現わ れ た︶ 檍 原の 月 影 も 曇ら な い で︵ 澄ん で い るな あ
︶︒ 神 代巻
︑夏 祓の 注に 見え る︒
︵ 136番 歌︑ 参照
︶
あわ き が はら
﹇ 考察
﹈住 吉神 社の 祭神 は︑ 伊弉 諾尊 が檍 原で 禊祓 をし て生 んだ 表筒 男命
︑中 筒男 命︑ 底筒 男命 の三 柱の 神︒ 当歌 は︑ 檍 原で 生ま れた 住吉 三神 の謂 れ︵ 717番 歌︑ 参照
︶を 踏ま え︑ 住吉 と檍 原の 結び 付き を詠 む︒
﹇ 参考
﹈類 歌﹁ 西の 海や あは きの 浦の 潮路 より 現は れい でし 住吉 の神
﹂︵ 続古 今和 歌集
︑巻 七︑ 神楽 歌︑ 七二 七番
︑卜 部 兼直
︒光 俊朝 臣よ ませ 侍り ける 住吉 社三 十首 に神 祇を
︶︒
︵丹 羽雄 一︶ 寄鏡 神祇
碧
724今 は世 に神 をか ゝみ そ岩 戸出 て見 し影 おも へあ まの かく 山 古 語拾 遺︑ 註于 冬部 神楽 歌︒
﹇ 出典
﹈碧 玉集
︑一 二二 九番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
鏡 に寄 せる 神祇 今 は こ の 世で 神 を 鏡︵ とし て 仰 ぐこ と
︶だ
︒︵ 天 照 大御 神 が︶ 岩 戸を 出 て 見 た
︑天 の 香 久 山 の
︵榊 に 付 け ら れ た︶ 鏡 に映 った お姿 を思 い起 こし なさ い︒ 古 語拾 遺は 冬部 の神 楽歌 に注 す︒
︵ 315番 歌︑ 参照
︶
す さ の お の みこ と
あ ま てら す お お み か み
﹇ 考察
﹈﹃ 古事 記﹄ 等に 見え る天 岩戸 伝説 を踏 まえ る︒ 素戔 嗚 尊の 狼藉 に怒 った 天 照 大御 神 は 天の 岩 戸 に隠 れ て しま
― 169 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
い
︑天 地 は 常 闇と な る︒ 困 った 神 々 は一 計 を 案 じ︑ 祝詞 や 舞 で騒 ぎ 立 てた
︒す る と 大 御神 は 天 岩 戸 の 扉 を 少 し 開
あ め の う ず め
け
︑﹁ な ぜ︑ その よう なこ とを して い る の か﹂ と尋 ね た︒ 天宇 受売 が
﹁あ な たよ り 貴 い 神が い ら っし ゃ る ので
︑喜
あ め の こや の み こ と ふ と たま の み こと
ん で 歌 舞を し て いる の で す﹂ と 言い
︑天 児屋 命 と 布 刀玉 命が 天 照 御大 神 に 鏡を 差 し 出 した
︒不 思 議 に思 っ た 大御
あ め のた ぢ か らお の か み
神 が少 しず つ岩 戸か ら出 て︑ 鏡に 映っ た姿 をの ぞき 見さ れる と︑ 隠れ てい た天 手力 男神 がそ の手 を取 って 岩戸 の外 へ 引 き 出 し︑ 世は 再 び 明る く な った
︒鏡 は
﹁天 の 香 久山
﹂か ら 採 っ て き た 榊 に 付 け ら れ て い た 721︵ 番 歌︑ 参 照︶
︒
︵八 木智 生︶ 寄車 神祇 725し めの うち にみ つは さす まて 老ぬ 也く るま をか けよ 神の みや 人 白 虎通 曰︑ 臣 七十 懸レ
車ヲ
致レ
仕 者ハ
︑以
二
執レテ
事ヲ
趨︱
走一ス ル ヲ
為レ
職
︒七 十ニ シテ
陽︱
道極
リ
耳︱
目 不二
聡︱
明一
跂︱
䶊 之属
ア リ
︒是
︱ヲ
以 退︱
去︑ 避レ
賢ヲ
者ハ
所三
以長
二ス ル
廉 恥一ヲ
也
︒懸
レルコ ト ハ
車ヲ
示レ
不レ
用 也︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 八四 五番
︒白 虎通 義︑ 巻二
︑致 仕︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ み つは
│三 輪﹂
︒﹃ 白 虎通 義﹄
﹁以 執事 趨走
│臣 以執 事趨 走﹂
︒
﹇ 訳﹈
車 に寄 せる 神祇 神 社の 境内 で︵ 長年
︑神 に仕 えて
︶新 しく 歯が 生え るほ ど老 いて しま った
︒車 を懸 けて くれ
︑神 官た ちよ
︒ 白 虎通 によ ると
︑臣 下が 七十 歳に なり 馬車 を 高 い 所に 置 い て引 退 す るの は
︑︵ 臣 下 とい う 者 は︶ 事務 を 取 り仕 切 って 奔走 する のが 仕事 であ るの に︑ 七十 歳に なる とプ ラス のエ ネル ギー が極 点に 達し
︵て
︑そ の後 は衰 える ば かり で︶
︑ 耳や 目も 悪く なり
︑足 を引 きず るよ う な こと が あ るか ら だ︒ そ れゆ え 宮 廷 を去 り 賢 人に 道 を 譲る
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
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の は︑ 清廉 潔白 で恥 を知 る気 持ち を高 め る 手 段で あ る︒ 馬 車を 高 い 所に 置 く の は︑ もう 車 を 使わ
︵ず 出 仕 し︶ な いこ とを 示す ため であ る︒
﹇ 考察
﹈﹁ 懸車
﹂は 任を 退く こと
︒漢 の薛 広徳 が退 官し た時
︑天 子か ら賜 った 車を 高所 に掛 けて つる し︑ 記念 とし て子
み づ は
孫 に残 した と いう
﹃漢 書
﹄﹁ 薛 広 徳伝
﹂の 故 事 によ る 644︵ 番歌
︑参 照
︶︒
﹁ しめ の う ち﹂ は 神社 の 境 内の 意
︒﹁ 瑞 歯﹂ は 老齢 にな り抜 けて から もう 一 度 生 えた 歯 で︑ 長 寿の 吉 相︒ 転 じて
︑﹁ 瑞 歯 さ す﹂ は非 常 に 年を と る︑ の 意︒ 当歌 は
︑年 老い た神 官が 辞職 を望 む歌
︒
︵八 木智 生︶ 水石 歴幾 年 726池 水の 世々 の岩 ほも さゝ れ石 にか へし てや みん あま の羽 ころ も 楼 炭経
︑出 于七 夕歌 註︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 二三 二番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
水 辺の 石︑ 何年 も経 つ 池 の水 に代 々そ びえ 立っ てい る大 きな 岩も
︑細 かい 石に 戻し てみ よう か︑ 天の 羽衣 をひ るが えし て︒ 楼 炭経 は﹁ 七夕
﹂歌 の注 に掲 出し た︒
︵ 157番 歌︑ 参照
︶
い は ほ
さ ざ
﹇ 考察
﹈﹁ 岩ほ
︵巌
︶﹂ は そび え立 つ大 きな 岩
︑﹁ さ ざ れ石
﹂は 細 か い石 の こ と︒
﹁か へ し て﹂ に 巌が 細 れ 石に 戻 る とい う 意の
﹁還 して
﹂と
︑天 の羽 衣を ひる がえ すと いう 意の
﹁返 して
﹂を 掛け る︒ 157番 歌の 出典 によ ると
︑百 年に 一度 だ け天 人が 地上 に降 り︑ 一辺 が四 十里 もあ る大 石を 天衣 で撫 で︑ つい に石 は無 くな って も劫 はま だ続 いて いる
︑と い う︒ また
﹁巌
﹂と
﹁さ ざれ 石﹂ を詠 み合 わせ た例 と し て︑
﹁ わが 君 は 千代 に 八 千代 に さ ざ れ石 の い はほ と な りて
― 171 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
苔 の む す ま で﹂
︵古 今 和 歌 集︑ 賀︑ 三 四 三 番︶ が あ り︑ 当 歌 は そ れ を 逆 転 し て
︑羽 衣 で 巌 を さ ざ れ 石 に す る と 詠 む
︒
︵湯 本美 紀︶ 松有 歓声 727花 にな くう くひ すも 先万 代の 声に は松 をた めし とや きく 古 今序 の詞
︑た ひ
!
"
し るし 侍り ぬ︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 二六 一番
︒古 今和 歌集
︑仮 名序
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
松
︵風 の音
︶に 歓声 あり 花 に鳴 く鶯 も︑ まず は万 歳の 声で は松 を模 範と して 聞く だろ うか
︒ 古 今和 歌集 の序 文は
︑た びた び記 しま した
︒︵ 儛 番歌
︑参 照︶
﹇ 考察
﹈﹁ 万代 の声
﹂と は︑ 今の 御代 が永 久 に 栄 える こ と を祈 り 讃 える 声
︒当 歌 は﹃ 古 今和 歌 集﹄ 仮 名序 の 一 節︑
﹁花 に 鳴く 鶯︑ 水に 住む 蛙の 声を 聞け ば︑ 生き とし 生け るも の︑ いづ れか 歌を 詠ま ざり ける
︒﹂
︵ すべ ての 生き 物は 歌を 詠 む︶ と︑ 常緑 樹の 松の 不変 さを 踏ま えて
︑歌 を詠 む鶯 も松 風の 音に 万歳 の声 を聞 くだ ろう かと 詠む
︵ ︒ 湯 本美 紀︶ 七夜 728か そふ れは けふ こそ 七夜 あか 玉の 明る 日毎 に光 そは なむ
ユイ テ
ア カ タ マ ノ ヒ カ リ ハ ア リ
神 代巻 曰︑ 既児 生之 後天
︱
孫 就而 問曰 云云
︒于 時豊 玉姫 命二
寄 玉依 姫一
而 奉二
報 歌一
曰
︑﹁ 阿 軻娜 磨廼 比訶 利 播 阿利
ト ヒ ト ハ イ ヘ ト キ ミ カ ヨ ソ ヒ シ タ フ
登 比鄧 播伊 珮耐 企珥 我誉 贈比 志多 輔妬 勾阿 利計 利﹂
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 五
︶
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