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駒澤大學佛教學部研究紀要 56 - 004吉津 宜英・柴崎 照和「義天編纂『圓宗文類』巻第一 : 解題と翻刻」

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(1)

1

 

 

 

1

崎 津

は じ め に  

天 が 編

し た 『 圓 宗 文

』 二 十 二

の う ち の 巻

一 は 、

谷 大 学 図

に 所 蔵 さ れ て い る 。 『 圓

文 類 』

一 の

見 等 の 周 辺 の 事

に つ い て は 大 屋

城 の

文 「

と 高

の 仏

」 (

教 研

一 年

、 昭

十 四

十 二 月 二 十 目 発

 

三 三 頁 。 後 に 『

史 の 諸 問 題 』 に

) に 「 李 能 和 氏 の 余 に 語 る

に 依 れ ば 、 斯 本 は も と

涼 里 の 開 運 寺 に

つ た も の で や が て

氏 に

し 、 同 氏 か ら 更 に 崔 南

氏 に 移 つ た も の で あ る 」 と 述 べ ら れ て い る 。

能 和 が 本 書 を 一

し て い た こ と は 、

氏 の

『 朝

                             

 

 

 

 

        パ             テ

』 下 編 (

正 七 年

) 四 五 頁 に 「 園 宗 文

於 ニ ノ   ニ         カ ラ       ル コ ト   ル ニ     ニ ハ         シ           ト 此 土 聞 不 レ 可 レ 得 レ 見 。 而 日

。 現 二 存 巻

十 四 。

ニ ニ 之 駒 澤 大 學 佛 敏 學 部 研 究 紀 要 第 五 十 六 號   甼 成 十 年 三 月       ガ   リ             ニ     ヲ   ダ   サ       ト

本 二

二 續 蔵

レ 為 二 全 部 也 。         ヲ     ト シ ラ       ス     ヲ

一 巻 つ 費

 

レ 之 L る 。

麗 續 蔵 騅 造 攷 』 昭

六 十 三 年 四 月 二 十 日 再 版 ) に が

さ れ て い る が 、 そ れ に は 従 っ て 上

大 屋

に 掲 載 の 版 は 、

善 所

本 に よ っ た も の で あ る 。 谷 大

館 に 所 蔵 さ れ る こ と に な る 。   な お 同

書 館 に は 、

倉 期 の 写

と さ れ る 第 十 四 が

蔵 さ れ て い る 。 記 大 屋

に 掲

さ れ て い る も の あ る 。

 

シ ク シ テ ル

 

と 述 べ ら れ て い る 所 か ら 知 り

    (

十 二

一 月 十 日

。       『 圓

文 類 』

一 の 図 版     「 京 城

善 氏

」 と あ る 。   『

文 類 』 巻 第 一 の 一 部 の 図             こ の

         

 

 

 

『 圓 宗 文

』 巻 こ の 写

も そ の

に よ っ て 、 上       (

文 庫 旧

) と 同 一 で 八 七

(2)

義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 ) 二   『

宗 文 類 』 巻 第 隔 に つ い て 『 園 宗 文

』 の

は 義 天 の

の も と 多 く の 知 識 が 参

し て 行 な わ れ た も の で あ る 。 そ れ に

加 し た 人 々 の

前 が 『 圓

第 一 の

に 示 さ れ て い る 。 以 下 そ れ を 示 す と

の 如 く で あ る 。

臣 興 王

首 教 観 義 学

王 寺 弘

教 観

賢 首 教 観

教 観 義 学

興 王 寺 弘

教 観 義 学

王 院

教 観 義 学

妙 智

教 観

日 寺

伝 賢

学 沙 門

寺 住

沙 門

寺 住 持

首 教

沙 門 花

住 持 伝 賢 首 教

沙 門

持 伝 賢 首

門 興

持 伝 賢 首 教

… … 首 座 理

處 俊

應 靈 楽

稟 精

惟 景 緇

道 鄭 碕 元 韶 闡 悟

賢 瑩 請 之 儼 宜 秀 宣 隣 先 入 八

 

佛 日

伝 賢 首

… … 首 座  

 

處 淵

 

興 王 寺 住 持

賢 首

天 台 教

鈔 因 明

 

… 弘

 

 

以 上 は

書 に 示 さ れ た 『 圓 宗 文

』 の

纂 に 携 わ っ た 人 々 で あ る 。 こ の う ち 義 天 の 門

は 、 「

国 師 門

名 開 坐 碑

」 に よ れ ば 、 興 王

院 の 道

、 惟 儼 及 び 興

理 碕 、 奉 先

應 闡 、

韶 の

が 見 い 出 さ れ る 。 こ の 碑

に は

が 見 ら れ ぬ も の の 、 興 王 寺 弘

の 慧 宣 は

の 碑

で あ る 『 般 若

王 師 碑 』 に 、

天 の 入 宋 に

し た

子 三 名 、 楽 真 、 慧 宣 、

隣 の 中 に そ の

前 が 見 い 出 さ れ る か ら 、 慧

は 義 天 の 門

で あ る 。

っ て 同

の 景 宜 も

天 の 弟 子 と 見 る こ と が

る 。

に 『 圓 宗 文

』 は 興 王 寺 弘 教 院 に 住 し て い た 道 隣 等 の

天 の 弟 子 、

寺 の 住 持 と な っ て い る

天 の

子、

に は

寺 の 諸 知

の 参 加 に よ っ て 、

天 の 指

の も と に 編 纂 の

な わ れ た こ と が 知 ら れ る 。

 

と こ ろ で こ の

書 は 、

に 道 隣 ( 詳

) 、 慧 宣 ( 詳 校 ) 、 理 碕 ( 重

) の

前 を 出 し た 後 、 半

が 空 白 に な っ て お り 、 こ の 後 に

秀 以 下 十 七 人 の

を 記 述 す る 。 こ の 中 に は 道 隣 、 慧 宣 、 理 埼 の 名

が 重

し て 出 て い る 。 こ の

な 奥

の 記 述 の

を ど う 考 え た ら よ い で あ ろ う か 。 こ れ に つ い て は 後 の

に 待 つ 。

(3)

『 圓

』 二 十 二 巻 は 、 上

の 鄭

所 で 「

先 書 」 と

さ れ て い る こ と か ら

を 担 当 し た こ と が 知 ら れ る 。

っ て 『 圓

』 は 編

さ れ た 段

で は

写 本 と し て

し て い た 。 そ こ で 『 圓 宗 文

』 が 木 版 本 と し て 上 梓 さ れ た 時 期 は 何 時 で あ ろ う か 。 以 下 こ れ に つ い て

す る 。 『 圓

文 類 』 で

本 と し て

存 す る の は 巻

一 、 巻 第 十 四 、

第 二 十 二 の 三

で あ る が 、 後

の 二

に は 巻 第 一 の 奥

に 見 ら れ る 様 な

語 は

し な い 。

っ て

す る 資

か ら す れ ば 、 『 圓 宗 文

』 の

に 参 加 し た 人 々 を 示 す

語 は 、 同 書 巻

… の

に の み

し た も の と

え ら れ る 。   現

す る 『

文 類 』 巻

一 の 印 行 さ れ た

な の か 、 こ れ を

王 諱 の 観 点 か ら

じ た の が

屋 徳

孜 』 で あ る 。 そ れ に よ る と 本 書 に は 、

九 一 八 〜 九 四 三 ) の

「 建 」 ( 一 〇 左

5

、 一 二 右

8

) 、 第 十 一

( 在 位 一 〇 四 七 〜 八 二 ) の 諱 「

」 ( 三 三 左

3

) 、 第 十 三 代 宣 宗 の 諱 「 運 」 ( 二 右

2

、 七 左

3

、 二 八

3

、 三 二 左

3

、 四 二 左

7

、 四 三 左

5

) の

画 が 欠

と な っ て お り 、 こ れ か ら 本 書 の 印 行 は

( 一 〇 八 四 〜 九 四 )

い は

の 献

( 一 〇 九 五 ) の 時 と す る 。

に 本 書 に は 印

に つ い て 肉

や 肥

ら れ る と い う 。 以 上 に よ っ て 『 圓

第 一 の 印 行 は 、 宣

( 一 〇 八 四 〜

四 ) 又 は

( 一 〇 九 五 ) と し 、 重 修 の 時 期 に つ い て は 李 朝

( 明 の

の 天 順 の

義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 )

 

                  ( 1 ) ( 一 四 五 七 〜 六 三 ) ) と す る 。 大 屋

文 で は 門 弟 の 覚 純 が 編

し た

天 の

『 釋 苑 詞

』 に 見 ら れ る 避

に つ い て も 言 及 し て い る が 、 こ の う ち

二 代

( 九 四 四 〜 九 四 五 ) の

「 武 」 に つ い て 、 本

( 四 二

8

、 四 三 左

4

) に お け る も の に ま で 言 及 し て は い な い 。 更 に

を よ く

査 し て み る と 、 欠 筆 と さ れ る

の 中 で 、 次 の 「

」 ( 一 七 左

3

) や 「 運 」 ( 一

9

) は 欠 筆 と な っ て い な い 。 こ れ は 重 修 を す る 段

で 校 訂 を し

し た こ と を 示 す も の で あ る 。 ま た 「 法 」 ( 八 左

5

) 、 「

」 ( 三 十 七

9

) は 、 そ の

体 は

明 で あ る が 、

字 は 略 字

で そ の 上 に 字 の 一 画 を 欠 き 、 そ の ま ま で は 判 読 出

な い 。

 

に 『 圓 宗 文

一 の 印

は 、 義 天 の

世 年 代 ( 一 〇 五 五 〜 一 一 〇 一 ) で 、

朝 以

期 に 行 な わ れ た こ と 。 そ し て 現

す る 『 圓

文 類 』 巻 第 一 は そ の 重 修

で あ る こ と が 知 ら れ る 。 で は 本

さ れ た

は 何 時 か 。 大 屋

文 で は 上

の 如 く 『 圓

』 巻

一 は 李

( 天

) の 重

と す る 。

に お け る 仏 典 の 刊 行 は 、

経 都 監 に お い て 行 な わ れ た 。 そ の

世 祖 の 天

( 一 四 六 一 ) か ら

成 宗 の

七 年 ( 一 四 七 一 ) 迄 の 十 一 年 間 で あ る 。 朝

国 刊

都 監 か ら は

麗 仏

、 す な わ ち

天 の

蔵 経 や

の 仏

刻 さ れ て い る 。

蔵 経

 

                                      ( 2 ) 以 外 の

来 る も の は 十 六

で あ る 。 こ の

に は 『 圓 宗

』 の 一 部 の 文 句 を

釈 し た 廓 心 『 圓

八 九

(4)

    義 天 編 纂 『 囿 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 )

』 上 中 下 三

( 巻 中 の み

存 ) が あ る 。 こ れ は 李

化 四

( 一 四 六 八 )

に お い て

刻 さ れ た も の で あ る 。 と こ ろ で

す る 『 圓 宗 文

』 巻 第 一 の

書 に は 、

鮮 国 刊 経 都 監 の

を 示 す

記 は 無 い 。 こ の こ と か ら 『 圓

文 類 』 巻 第 一 は 、 李 朝

期 の

国 刊

が 設 置 さ れ る

、 天 順 五 年 ( 一 四 六 一 ) 以 前 に 重 修 さ れ た も の と 考 え ら れ よ う 。   注   ( 1 )   同 著 作 一 二 九 頁 。 補 遺 九 〜 一 〇 頁 。   ( 2 )   吉 津 宜 英 ・ 柴 崎 照 和 「 廓 心 『 圓 宗 文 類 集 解 』 巻 中 に つ い         て 」 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 第 五 十 二 号 、 五 八 上 下。  

に 巻 第 一 の

容 に つ い て 見 て み る 。 本

は 諸 部 発 題 類 と し て 二 十 六 の

の 序

が 収 め ら れ て い る 。 以 下 そ れ を 示 す と

の 通 り で あ る 。 な お

序 の 頭 に

さ れ た 記 号 に つ い て は 、 ◎ は 著 作 の 巻 頭 に

さ れ た 序 文 で あ る こ と を 示 し 、 ○ は

首 の 文 か ら

き 出 し て 序 文 と し た こ と を 示 す 。 以 上 の 記 号 が 附 さ れ て い な い も の は そ の

か ら な い も の で あ る 。  

 

一 、 進 新 譯

 

沙 門 弘

等 上  

 

二 、

譯 大 方

厳 経 偬 目 ◎

 

三 、

製 新 譯

序 〇   四 、 晉 譯

探 玄 記 序  

法 蔵 述 〇

 

五 、

略 疏 刊 定 記 序  

門 慧 苑 述

 

000

000

O

◎ ◎ ◎ ◎

五 四 三 ニ ー ニ ー               、   、   、   、   、   、  、 二 六 、 九 〇

厳 経 疏 序

 

述 新 譯

清 涼

 

述 新 譯

疏 序   沙 門 澄 観

隨 疏

鈔 序

 

門 澄

述 貞 元

厳 経

 

沙 門 澄 観 奉 詔

略 疏 序   中 書 侍

平 章 事

略 疏 序   圭 峯

密 述

略 疏 序

 

法 蔵 述 金 剛

 

沙 門

疏 序

 

良 賁 奉

述 首 楞 厳 経 疏 序

 

丞 王 隨

梵 網

疏 序   沙

法 蔵 述

 

法 蔵 述 起 信

 

元 暁 述

摩 訶 衍

通 玄 鈔 引 文

 

天 佑 皇

法 界

別 論 疏

 

沙 門 法 蔵 述 十 二

論 疏 序

 

門 法 蔵 述

尽 還 源

 

沙 門 法 蔵 述

法 界 観 門

 

州 刺 史 裴

隨 品 讃 引 文

 

中 監

魏 国 公

禧 奉

宗 止

引 文

 

政 事 臣 劉 読 奉 勅

(5)

 

に 示 し た 諸

の 中 で 撰

前 が 明 記 さ れ て い な い の が 、 二 「

佛 華

榴 目 」 と 三 「

序 」 と で あ る 。

に つ い て は 、 そ の 文 の 初 め に 「 天 冊 金

聖 神 皇

法 筵

序 」 と い う 言

が あ る 。 以 下 こ れ を 手 懸 か り と し て そ の 撰

及 び 撰 述

を 考 え る こ と に し た い 。 則 天 武 后 は 天

( 六 九 〇 ) 九

九 日 に 自 ら 聖 神 皇

称 し 、

( 六 九 二 ) 五 月 一 日 の 記 が あ る 「

綿

迴 文 記 」 ( 『 全

文 』

七 ) の

に は 「 大

天 冊 金

皇 帝 」 と あ る 。 天 冊 万 歳 元

( 六 九 五 ) 十 月 二 十 六 日 の 記 が あ る 明 倫

定 衆

』 序 に は 「

周 天 冊 金

聖 神 皇 帝 陛 下 」 と 記 し て い る 。

っ て 天 冊 金

聖 神 皇

と 尊 称 し た の は 、 天 冊 万 歳 の

と 同

で あ る か ら 、 「

仏 華 厳

愡 目 」 は 、 天

( 六 九 五 ) 九 月 九 日 の 改 元 以 後 に

述 さ れ た も の で あ る 。  

開 元 十 八

( 七 三 〇 )

の 智 昇 『 開 元 釈 教 録 』

九 、 沙 門 実 叉 難 陀 の

( 大 正 五 五 ・ 五 六 六 上 中 ) に 、     テ         ヲ テ         ニ ス   ヲ     以 二 天 后 證 聖 元

一 於 二

遍 空 寺 一 譯 二

厳 経 一 天       シ ク   ミ         ニ         シ     ヲ     ラ   ン デ       ズ             ワ     后

臨 二 法

一 自 運 仙 二 毫 首 題 名 品 一   と あ る 。

は 則 天

后 が

聖 元 年 ( 六 九 五 ) に 、 遍 空 寺 に お い て 行 な わ れ て い た 八 十

華 厳 経 の 訳 場 に 臨 席 し て 序 文 を 煥 発 し 、 そ の 首 題

品 を

毫 し た こ と を 述 べ る 。 こ こ に

わ れ る 序 文 と は 、 「

譯 華

序 」 で あ る 。 ま た 首

義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 )

品 を 仙 毫 し て い る が 、 こ れ は 『

譯 大

掘 目 の

の 「 天 冊

聖 神 皇

製 序 」 以 下 の 文 を

す 。

に 「

譯 大

厳 経 愡 目 」 と は 、 則 天 武 后 が 仙

し た

を 指 す 。 「

新 譯

」 に つ い て は 、

印 寺 に 現

す る 高 麗 大 蔵

は 再 騅

で あ る が 、 そ の 中 の 八 十 巻 華

の 巻 頭 に 天 冊 金

聖 神 皇 帝

新 譯

厳 経

」 が

さ れ て い る 。

造 年 代 は 巻 末 に あ る 「 乙 巳

國 大

監 奉 勅 騅

」 の 刊 記 に よ っ て 、 高

三 十 二 年 ( = 一 四 五 ) で あ る 。

雕 大

経 は 高

( 一 二 三 二 ) 蒙 古 の

入 に よ っ て

失 し 、

二 十 三

( 一 二 三 六 )

に 大

を 監 設

し て 再 雕 を 開 始 し て い る 。

天 が 見 た 八 十

で あ り 、 こ の 巻 頭 に は

天 武 后 の

序 も

ま れ て い た 。 当 然 そ の

の 撰 者 が

后 で あ っ た こ と を 知 っ て い た は ず で あ る 。

何 な る 理 由 に よ っ て 義 天 は 撰

名 を

い て 「

」 の 題 名 の み を 挙 げ た の で あ ろ う か 。 ま た

に 示 し た と 同 じ 題 名 を も つ

は 『 全 唐 文 』

八 、

皇 后 の

に も 収 録 さ れ て い る 。 従 っ て 「

製 新 譯 華

序 」 は 、

后 が

述 し た 「 大

新 譯 大 方

仏 華

序 」 で あ っ た 。

 

以 上 に よ り 「

掘 目 」 と 「

新 譯

経 序 」 と は

后 の

述 で あ る こ と が 知 ら れ た 。 一 、

「 進 新 譯

表 」 九 一

(6)

 

 

義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 )  

 

 

 

 

                                ( 1 ) 『

伝 』 巻 第 五 、

荊 洲 玉

景 伝 に よ れ ば 、 そ の 生 没

は 貞

天 元 年 ( 六 三 四 〜 七 一 二 ) 九 月 二 十 五 日 で あ る 。  

陀 は 八 十 巻 華

を 證 聖 元

( 六 九 五 ) 三 月 十 四 日 大

に て 翻 訳 を

始 し 、 聖 暦 二 年 ( 六 九 九 ) 十

八 日 仏  

 

 

 

 

          ( 2 ) 授 記

に て 訳 し

え て い る 。 慧 苑 『

定 記 』

一 に 訳 経 に 参 加 し た

に つ い て 、

浄 、 弘

、 円 測 、

、 宝

11

法  

 

 

 

 

                                    ( 3 ) 宝 ) 、

上 (

蔵 ) 等 が

し 、

礼 は

文 と

す 。 『 刊

記 』

一 で は 弘

何 な る 訳

わ っ た か 示 し て は い な い が 、 『 開 元 釈

録 』

の 記 述 に よ り 弘 景 は 法 宝

 

 

 

 

 

    ( 4 ) と 証 義 を

め て い る 。 ま た 永 昌 元

( 六 八 九 ) か ら 天 授 二

 

 

 

 

 

                                        ( 5 ) ( 六

一 ) で の 提

の 訳

で も 同 じ く

め て い る 。 聖 暦 二 年 ( 六 九 九 )

授 記 寺 に お い て 、 法 蔵 は 詔 を う け て 八 十 巻

じ 、 そ の 中 の

蔵 世

品 に 至 っ て

堂 や 寺

の 地 面 が

す る と い う 出 来 事 が あ り 、 弘

は こ の

異 を 上  

 

( 6 )

し た 。  

の 講 経 に よ る 神

に 記 し た の が 慧

定 記 』  

 

 

 

 

                                ( 7 )

第 一 、

八 部

訳 、 三

通 感

に お い て で あ る 。 そ れ に よ る と 八 十 巻 華

の 翻 訳 が

え た 後 に 、 法 蔵 は 諸 大 徳 か ら

の 乞 請 が あ り 、

年 十 月 五 日 に

し 、 十 二 月 十 二 日 の

に 至 り

蔵 世 界

を 講 じ た

に 、 上 記 の

が あ っ た 。 こ の

異 を 実 叉 難 陀 、 明 詮 ( 佳 ) 、 徳 感

に 見 て い る 。 聖                                   九 二   ( 8 ) 暦 三 年 ( 七 〇 〇 ) 臈 月 ( 十 二 月 ) 十 九 目 に 都 維 那 の 慧 表 が 上 首 と な っ て 上 奏 し て い る 。 こ の

に よ る 神

は 崔 致 遠 『 唐

福 寺

主 翻 経 大

蔵 和

』 ( 以 下 『 法

』                       へ 9 ) と 略 称 ) に も 述 べ ら れ て い る 。 神

が あ っ た の は 臘 月 望

三 日 ( “ 十 二 月 十 二 日 ) の

と し 、

11

が 上 奏 し た と す る 。 こ れ に

す る 則 天 武 后 の 返

は 、 語

の 一 部 が

違 す る の を

け ば 、 『

定 記 』 巻

一 に 記 載 さ れ て い る 文 と 同 一 で あ る 。 以 上 の 『

』 及 び 『 法 蔵 和

』 の 記 述 か ら 見 る と 『 宋 高 僧

』 の 記 述 と の

は 大 き い 。 ω 、 『

定 記 』 『 法 蔵 和 尚

』 で は 、 講 経 を 諸

徳 の 乞

に よ る も の と す る に 対 し 、 『

伝 』 は 詔 に よ る も の と し て い る 。

 

、 講 経 に よ る 神 異 の 日

を 、 『 刊

』 『 法

和 尚 伝 』 で は 十 二 月 十 二 日 の 晩 で の

世 界

経 に

す る と 言 う の に 対 し て 、 『 宋 高 僧

』 で は 十 月 八 日 の 華

品 の

に 因 る と い う 。 こ れ は 『

』 が 八 十

の 訳

わ っ た 日 と 、 法 蔵 の

に よ る 神 異 の あ っ た 日 と を

同 し た も の で あ る 。   、 法 蔵 の

に よ る 神 異 を 上 奏 し た 者 に つ い て 、 『 刊 定 記 』 で は

維 那 慧 表 、 『 法 蔵 和

』 で は 当

授 記

) の

と す る 。 こ れ に 対 し て 『 宋

』 で は 、

維 那 僧 弘 景 と す る 。

(7)

  以 上 か ら 『

僧 伝 』 に 記

さ れ た 法 蔵 の 講 経 に よ る 神

は 、

末 の 混 乱 に よ る

料 の

と 、 こ れ に よ る 不

か な

づ い た も の で あ る 。  

記 の 上 奏 に 対 す る 勅 (

天 武 后 か ) が あ る 。 そ の 文 は 『 刊 定 記 』 『 法 蔵

』 『 宋

』 に 見 ら れ る 。 し か し 三

の 間 に は 語 句 に お い て

同 が 見 ら れ る 。

の 二

は 『

記 』 の 記 述 に よ っ た も の と 考 え ら れ る が 、

し た 写

が 異 な っ て い た の で あ ろ う 。 「 進 新 譯

表 」 は 、 そ の 中 に 「 伏 . テ

. , 生 天

金 輪 聖

皇 帝 陛 下 云 々 」 と あ る か ら そ の 上

期 は 、

天 武 后 の 名 称 か ら し て 如

( 六 九 二 ) 五 月 一 日 以

で あ る 。 注 ( 1 )   明 佳 『 大 周 刊 定 衆 経 目 録 』 巻 第 十 五 末 、 訳 場 列 位 に 「 翻 経     大 徳 荊 州 玉 泉 寺 弘 景 」 ( 大 正 五 五 ・ 四 七 五 下 ) と あ る か ら 、     弘 景 が 本 来 の 名 前 で あ る 。 (

2

)   『 開 元 釈 教 録 』 巻 第 九 ( 大 正 五 五 ・ 五 六 五 下 ) (

3

)   続 蔵 一 ー 五 ー 一 ・ 二 四 左 下 (

4

)   『 開 元 釈 教 録 』 巻 第 九 ( 大 正 五 五 ・ 五 六 六 上 ) (

5

)   同 五 六 五 中 (

6

)   『 宋 高 僧 伝 』 巻 第 五 法 蔵 伝 ( 大 正 五 〇 ・ 七 三 二 中 ) (

7

)   続 蔵 一 ー 五 ー 一 ・ 二 五 右 下 〜 左 上 (

8

)   聖 暦 三 年 は 五 月 に 久 視. 兀 年 と 改 元 し て い る か ら 聖 暦 二 年       の 誤 り で あ る 。 こ れ は 書 写 の 際 の 誤 写 に よ る も の で あ ろ う 。 (

9

) 大 正 五 〇 ・ 二 八 一 下   義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 ( 吉 津 ・ 柴 崎 ) 五 、 慧

新 華

略 疏 刊 定

」   こ の

は 『 績

記 』

の 文 「

〜 世 主

厳 品

一 」 を 以 て 序 と し た も の で あ る 。  

の 生 没 年 代 は

か で は な い 。 坂

男 氏 は そ の

に お い て 、 慧

の 生 没 年 代 を 咸 亨 四

〜 天 竇 二

( 六 七 三 〜 七             ( 1 ) 四 三 )

と す る 。 慧

記 に 関 す る

料 は 少 な い 。 そ の

で も 『

伝 』

第 六 の 記 述 は 纏 ま っ て い る 方 で あ る が 、 そ こ か ら は

く の こ と は

り 得 な い 。 た だ 『 開

』 巻                       ( 2 )                             ( 3 )

九 の

厳 経 音

の 項 や 、 崔

『 法 蔵 和 尚 伝 』 に よ っ て 、 慧

が 法 蔵 の 上 足 の 門 人 で あ る こ と が 知 ら れ る の み で あ る 。 『

定 記 』 が 撰 述 さ れ る 事

に つ い て は 、 『 刊 定

首 に

べ ら れ て い る 。 そ れ に よ る と

は 、 法 蔵 の

の 遺

稿

で あ る 新 訳

の 注

け 継 い で

さ せ た も の で あ る 。 そ の 撰

代 は 、 『 華

』 に 言 及 し て い る こ と か ら 、 そ れ 以

で あ ろ う と さ れ て い る 。  

宗 の

慶 十

( 一 八 冖 四 )

誥 等 撰 『 全

九 一 四 に 「

譯 大 方

華 厳

音 義

」 が 収 め ら れ て い る 。

注 ) ( 2 ) 『 華 厳 教 学 の 研 究 』 第 一 部 慧 苑 の 華 厳 教 学 の 研 究、 静 法 寺 慧 苑 の 伝 記 、 六 頁 。 大 正 五 五 ・ 五 七 一 上 九 三 第 一 章

(8)

義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 )

 

3

)   大 正 五 〇 ・ 二 入 五 上 六 、 法

疏 序 」 『

僧 伝 』

に よ れ ば 、 そ の 生 没

は 開 元 六

〜 大 暦 十 三

( 七 一 八 〜 七 七 八 ) 十 一 月 七 日 で あ る 。

記 と し て は 、 他 に 清 昼

抗 州 霊

山 天 竺

名 並 序 」 ( 『 全

文 』 九 一 六 ) が あ る 。

 

に よ れ ば 、 故 地 恩

( 慧 苑 か ) に 就 い て

厳 を 学 ん で い る 。 法

は 天 寶 六

( 七 四 七 )

に て

那 仏 の

い て 大 衆 を

し 、 次 い で 大 暦 二

( 七 六 七 ) 常 州

興 寺 に て

を 講 じ て い て そ れ は 十 遍 に も 及 ん だ と い う 。 そ し て 「

記 十 二

」 を 撰 し た 。 法

に つ い て 、 『

天 録 』 巻 第 一 に 「 華 厳 経 疏 三 十 一

 

述 」 「 刊

釈 二 十 一

、 或 一 三

 

法 銑 創 造 、 正 覚 再

」 と あ る . 「

記 十 二 巻 」 に つ い て 、 『

天 録 』 に は 「 刊 定 記

釈 」 に 二 十 一

本 と 十 三

本 と の 二

の あ る こ と を 言 う 。

か ら す れ ば 「

記 十 二

」 は 、 「 刊 定 記

」 十 三

本 に 相 当 か 。 『

疏 』 三 十 一

は 『

天 録 』 に の み

録 さ れ て い る 。 「 新 譯

」 は こ の 序 文 で あ る 。 『

厳 経 疏 』 は そ の 一 部 で あ る 第 一 上 ( 『 圓

文 類 』

四 所 収 ) が

高 『

 

                                ( 2 ) 信

記 』 巻

三 本 に

か れ て い る 。 『

』 に 採 録 さ れ て い な い 法 銑 の 著

に 『

疏 』 が あ る 。 永 超 『 東 域

灯 目 録 』 や

然 『 華 厳 宗

目 録 』 九 四 で は 二 巻 と し 、 霊 典 『

山 寺 聖 教 目 録 』

上 で は 四 巻 と す ( 3 ) る 。 『 梵 網

』 で

す る も の は 、

上 之 上 ( 日

仏 教 研

報 第 】 所 収 ) 、

上 之 下 (

蔵 一 − 六 〇

1

三 ) で あ る 。 前

は 宗 性 転 写

で 、

旧 蔵

で あ る 。   注   ( 1 )   大 正 五 五 ・ 一 】 六 六 上   (

2

)   仏 全 九 二 ・ = 一 五 上 下   (

3

)   「 林 ル 網 経 疏 四 巻   法 銑 」 ( 昭 和 法 宝 目 録 第 三 巻 、 九 = 二 上 ) 七 、

譯 華 厳 経 清 涼 疏 序 」  

〜 七 九 九 ) の 事

書 一 四 五

九 五 等 に 出 て い る が 、 そ こ に は 彼 の 生

年 代 を 知 る 手 懸 か り は

い 。 し か し 同 じ 巻 の 劉 全 諒 及 び 董

伝 に よ る と 、 董

は 貞 元 十 五 年 ( 七 九 九 ) 二 月 に 没 し た が 、 彼 の 没

十 日 も た た な い う ち に 兵 乱 が

こ り 、 こ の 乱

長 源 は

さ れ た 。 こ れ か ら

長 源 は

元 十 五

( 七 九

) 二 月 頃 に 没 し た こ と が 知 ら れ る 。

長 源 は 貞 元 十 二 年 ( 七

六 ) に 検

禮 部

を 授 か っ て お り 、 汝

は こ れ 以

職 で あ る 。 澄

は 五 台 山 に 入 山 し て 、 貞 元 三

( 七 八 七 ) に 『 華

』 二 十 巻 を

述 し て い る 。

っ て 陸 長 源 の 「

譯 華 厳 経

涼 疏 序 」 は 貞 元 三

か ら 同 十 二 年 迄 の 間 に 撰

さ れ た も の で あ る 。   金 沢 文 庫 に は

代 の 古 写

厳 経 疏 』 二 十

本 が

さ れ て お り 、 そ の

頭 に 陸 長 源 「 大 方 廣 仏

厳 経

序 」 と

(9)

                          ( 1 )

序 が 附 さ れ て い る と 言 う 。 し か し

序 の

文 と し て 単 独 に

す る も の で 無 い こ と は 、

に 述 べ る が

く で あ る 。 『 圓 宗 文 類 』 巻

一 に お い て は 、 前

は 「 新 譯

厳 経

序 」 と し て 、 後 者 は 「 新 譯 華

」 と し て 収 め ら れ て い る 。

に 陸 長 源 序 の

の 呼 称 は 、 『

疏 』 巻 頭 に

さ れ て い る 如 く 「 大 方

華 厳 経

序 」 で あ る 。 ま た

撰 『

』 巻 下 に 陸 長 源 「 華

序 」 が

用 さ れ て い る 。 し か し こ れ は 『 圓

』 巻

一 か ら の 引 用 で は な く 、 二 十 巻

経 疏 の 巻 頭 に 附 さ れ て い る 序 を             ( 2 ) 用 い た も の で あ る 。 そ の 理 由 と し て 、 同 じ 巻 下 に 大

文 宗 皇

「 清 涼 国 師 大 和 上

真 讃 」 を 引 い て 、 こ れ は 『 圓 宗 文

』 か ら 引 用 し た と す る 注 記 を 示 し て い る 。 こ れ に

し て

長 源 「 華 厳 大 疏 序 」 に つ い て は 、 そ の 注 記 が

い 。   注   ( 1 )   高 橋 秀 栄 「 陸 長 源 が 撰 述 し た 「 大 方 廣 佛 華 厳 経 疏 序 」 に つ         い て L 金 沢 文 庫 研 究 二 三 五 号、 一 五 〜 一 七 頁 。   (

2

)   『 高 山 寺 聖 教 目 録 』 巻 上 に 「 華 厳 大 疏 二 十 巻   澄 観 造 」 ( 昭         和 法 宝 目 録 第 三 巻 、 九 一 一 中 ) と あ る 。 一 五 、

「 仁 王 般 若

序 」   こ の 序 は 『

王 護 国 般

波 羅 蜜 多

』 巻 首 の 文 「 粤 真 理

〜 序 品 第 一 」 を 以 て 序 と し た も の で あ る 。 『 宋

』 巻 第 五 、 良

伝 に よ る と 、 そ の 生 没 年

は 開 元     義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 」 ( 吉 津 ・ 柴 崎 ) 五

大 暦 十 二

( 七 一 七 〜 七 七 七 ) 三 月 十 日 で あ る 。 良

は 永

二 年 ( 七 六 五 ) 二 月 十 一 目 代 宗 の 詔 を

け 、 同 年 十 一

八 日 に 不 空 訳 『

王 護 国

波 羅 蜜

経 』 七

に 対 す る

           

 

 

 

 

                    ( 1 )

『 仁 王

般 若

羅 蜜 多

』 三

を 著 し た 。 本 序 は こ の 『

王 護 国

羅 蜜 多

』 の 序 文 で あ る 。 良 賁 が 仁 王

を 撰 述 す る

に 詔 を う け た そ の

景 に 、 良 賁 が 不 空 の 『 仁 王

般 若 波 羅 蜜 多

』 の 訳

に 筆 受 を 務 め て い た こ と         ( 2 ) が 挙 げ ら れ る 。

命 に よ る 『 仁 王

国 般 若

経 疏 』 三

の 撰

が な っ た

十 一 月 八 日 に 「

通 経 成 進 表 」 ( 『 全

文 』

一 六 ) を 代

に 上 奏 し 、 こ れ に 対 す る

の 答

「 答 繹

表 進

通 経 詔 」 ( 『 全 唐 文 』

四             ( 3 ) 八 』 ) が 下 さ れ た 。  

は ま た 不 空 訳 『 仁 王

国 般 若

羅 蜜

』 に つ い て 「 新

護 国 仁 王 般 若

」 ( 『 全

文 』 巻 四 九 ) を 著 し て い る 。   注   (

1

)   円 照 『 大 唐 貞 元 続 開 元 釈 教 録 』 巻 中 ( 大 正 五 五 ・ 七 五 八 上         〜 下 )   (

2

)   大 正 五 〇 ・ 七 三 五 中 。   (

3

)   以 上 の 良 賁 の 上 表 、 こ れ に 対 す る 代 宗 の 答 勅 に つ い て の 経         緯 は 、 『 大 唐 貞 元 続 開 元 釈 教 録 』 巻 中 ( 大 正 五 五 ・ 七 五 八         下 ) に 述 べ ら れ て い る 。 一 亠 ハ 、   王 階 … 「 首 楞 厳 経

序 」   王

の 事

に つ い て は 、

巻 三 百 一 十 一 、

第 七 十 に            

 

 

 

 

              九 五

(10)

義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 )

て い る 。 そ れ に よ る と 王

は 、

期 の

( 一 〇 二 二 〜 六 一 一 ) に 活 躍 し た 人 で あ る 。 進 士 甲

に 合 格 し 、 途 中

余 曲 折 は あ っ た も の の 、

道 年

( 一 〇 三 二 〜 三 三 ) に

使

と な り 、 後 に 宰

と な っ て い る 。 王 隨 は 本 性 か ら

み 、 ま た 裴

を 慕 っ た と さ れ る 。 「 首

序 」 は 子

〜 一 〇 三 八 ) 『 首 楞 厳 義

注 経 』 二 十 巻 に 対 す る 序 文 で あ る 。 本 序 文 の

立 は 、

文 の 中 に 「 大 宋 天 聖 八 年 青

庚 午 孟 冬 二 十 一 日

丑 道 齋 東

」 と あ る か ら 、 天 聖 八

( 一 〇 三 〇 ) 十 月 二 十 一 目 に

述 さ れ た こ と が

か る 。 『

遺 珍 』 上

四 函 に は 、 王 隨 等 撰 『 慱 燈 玉

集 』 十 五 巻 (

一 、 四 、 七 、 九 、

、 一 三 欠 ) が 収 録 さ れ て い る 。 一 九 、 元 暁 「 起

論 疏 序 」   元 暁 の 生

は 義

〜 垂

年 ( 六 一 七 〜 六 八 六 ) で あ る 。   こ の

は 『 起 信

』 巻 首 の 文 「 然

大 乗 之 …

之 耳 」 を 以 て

と し た も の で あ る 。 た だ し 『 圓 宗 文

』 巻 第 一 の 「

序 」 で は 、 然 を 原 に

え て い る 。 二 〇 、

天 佑 皇 帝 (

) 「

訶 衍

通 玄 鈔

」   遼

は そ の 中 期 以 後 の 聖

宗 、

に そ の

期 を む か え た 。

に 研 究 さ れ た の が 慈 恩

厳 宗 と                          

 

 

 

 

        ( 1 ) で あ り 、 そ の 中 で も

は 遼 代 の

教 を

表 す る 。 近 年 相 九 六

い で 発 見 さ れ て い る 遼 代 仏 教 の

資 料 の

に 、

く の

関 係 の

典 が

ま れ て い る こ と が 上 記 の

を 実 証 す る も の で あ る 。   興

一 〇 三 一 〜 五 五 ) の

に 『

』 の

が 行 な わ れ 、 興

の 後 を 踵 い だ

( 在 位 一 〇 五 五 〜 一 一 〇 一 ) も 厚 く 仏

を 保

し 、 か つ

の 騅 造 を も 行 な っ て い る 。 雕

さ れ た 仏

が ど の

あ っ た の か は

明 で あ っ た 。 し か し 近 来 、

河 北

豊 潤

天 宮 寺 仏

か ら

見 さ れ た 十 部 の

典 の

に 、 道 宗 の 勅

に よ っ て 騅

さ れ た 『 大 乗                                  

 

 

 

 

( 2 )

生 心 地

経 』 『

乗 妙 法

』 が

ま れ て い た 。   注   ( 1 )   鎌 田 茂 雄 『 中 国 華 厳 思 想 史 の 研 究 』 第 七 章 、 第 三 節 遼 代 密         教 と 澄 観 の 華 厳 。   (

2

)   竺 沙 雅 章 「 遼 代 華 厳 宗 の 一 考 察

1

主 に 新 出 華 厳 宗 典 籍 の 文         献 学 的 研 究 ! 」 大 谷 大 学 研 究 年 報 第 四 十 九 集 、 平 成 九 年 三         月 刊 、   】 一 〜 一 四 頁 。   こ の

の 勅

に よ っ て 雕

さ れ た

と し て は 、 散 佚 し た と

え ら れ て い た

『 釈

訶 衍

通 賛 疏 』

十 ( 十

の う ち ) 、 『

科 』

下 ( 上

下 三

の う ち ) が 応

塔 木 塔 よ り 発 見 さ れ て い る 。  

宗 は

仏 の 天 子 と し て

ら れ て い る が 、 ま た

に も 造 詣 が 深 く 、 咸 雍 四

( 一 〇 六 八 ) 二 月 に 御

』 を 頌

し 、 同 八 年 ( 一 〇 七 二 ) 七 月 に は

書 『

(11)

』               ( 1 ) を

臣 に 示 し て い る 。

注 ) 『 遼 史 』 本 紀 第 二 十 二 、 第 二 十 三 。   義 天 『

蔵 總 録 』 巻 第 一 に は 、

と し て 「

二 巻 」 「 隨 品

一 巻 」 が 採 録 さ れ て い る ( 大 正 五 五 ・ 一 一 六 七 下 ) 。 上 記 の

『 華 厳 経

』 は 「

経 隨 品 讃 」 一

に 当 た る 。 こ の 「 華 厳 経

」 一 巻 は

天 編

の 『 圓 宗 文 類 』

二 十 二 に 収 め ら れ て い る 。

天 と

宗 と の 関 係 に つ い て は 、 道 宗 が

天 に

の 著 作 『 華 厳

玄 決        

 

 

 

 

                        ( 1 ) 択 』 を 贈 っ て お り ( 「 大 遼

丞 耶 思 齋

三 首 」 ) 、

天 は        

 

 

 

 

                              ( 2 ) 道 宗 に 元 暁 の 著 作 を

っ て い る ( 「 上 大 遼 皇

暁 公 章 疏 表 」 ) 。 こ の 様 な 親

な 関 係 も あ っ て 、 道 宗 の

が 『 圓 宗 文

』 に

録 さ れ た も の で あ ろ う 。 注 (

1

) (

2

) 『 大 覚 国 師 外 集 』 第 八 巻、 韓 国 仏 教 全 書 第 四 巻 、 五 八 二 中 。 『 大 覚 国 師 文 集 』 第 八 巻、 同 五 四 一 上 。 二 五 、 姚

禧 「

隨 品

引 文 」  

禧 の 事

は 、 遼 史 巻 九 六 、

二 六 に 出 て い る 。 そ れ に よ る と 重 熙 五 年 ( 一 〇 三 六 ) に 進 士 乙

に 合 格 し 、 将 作 監 と な る 。 こ の

翰 林 学 士 、 樞 密 副

使

、 参 知

を 歴 任 す る 。

が 即

の 時 、 乞 わ れ て 顧

と な り 、

府 宰

を 務 め 義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 ) る 。 以 上 の 記

に よ れ ば

禧 は 、 道

に 活 躍 し た 人

で あ る 。 「

品 讃

文 」 は 、

宗 御

の 『

経 隨 品

』 一 巻 ( 『 園

』 巻

二 十 二 所 収 ) に 対 す る 序 文 で あ る 。 二 六 、 劉 読 「 諸

引 文 」   こ れ は 道

宗 止 観 ( 正 式 名 『 大 乗 諸 宗 修 行 止

要 訣 』 ) 』 三

に 対 す る 序 文 で あ る 。 「 引 文 」 と い う 言

を も つ 序 文 は 、 こ の 他 に

の 「 御

訶 衍

通 玄 鈔 引 文 」 や 姚 景 禧 「

経 隨 品 讃 引 文 」 、 ま た 耶

孝 傑 「 縄 摩 訶 衍

引 文 」 (

七 ニ

五 ) 趙 孝

「 大 毘 盧 遮 那 成 佛 神 変 加

鈔 引

」 ( 同 一 − 三 七

一 ) が 知 ら れ る 。 こ の こ と か ら 「

文 」 と い う 言 葉 を

文 の 題

に 入 れ る こ と は 、 道

の 一 つ の 特

で あ る と 言 え よ う 。 『 大 乗 諸

行 止 観 要 訣 』 の

で あ る 道 弼 は 、 興

           

 

 

 

 

                            ( 1 ) 山

厳 寺 の 僧 で 、 道 宗 か ら 通 円 大 師 の 号 を 賜 わ っ て い る 。 『

』 に は 道 弼 の

と し て 、 巻 三 に 「 諸

」 「 同 科 一

」 ( 以 上 大 正 五 五 ・

七 八 上 ) 、 巻 一 に は

』 に 関 す る 著

玄 記 六

」 「

義 逐 難

一 巻 」 ( 以 上 同 一 一 六 六 上 ) が あ げ ら れ て い る 。

『 華

』 十 巻 に は 、 『

集 玄 記 』 が 十 五 ケ 所 に わ た っ て

さ れ て い る 。 「 諸

止 観 引 文 」 の

者 劉 読 に つ い て 、 そ の 事

は 明 ら か で 九 七

(12)

義 天 編 纂 『 圓 宗 文 類 』 巻 第 一 ( 吉 津 ・ 柴 崎 ) は な い 。 し か し 「 諸 宗 止

引 文 」 の 中 に

弼 の 言

用 し て い る か ら 、

と 同 時 代 か 、 あ る い は そ れ 以 後 の 人

で あ ろ う 。

T

注 ) 竺 沙 論 文 四 三 頁 。 覚 苑 『 大 日 経 義 釋 演 密 鈔 』 巻 第   に は                            

        ロ 「 副 留 守 守 衞 尉 卿 朧 西 牛 鉉 守 司 空 悟 玄 通 圓 大 師 弼 公 」 ( 続 蔵 一 − 三 七 − 一 ・ 一 左 下 ) と あ る 。   法 蔵 (

十 七 年 〜 先 天 元 年 ( 六 四 三 〜 七 】 二 ) 十 一 月 十 四 日 ) に つ い て は 、 四 「

厳 経 探 玄 記 序 」 一 三 「 般

心 経 略 疏 序 」 、

 

一 七 「 梵 網 経 疏 序 」 、

 

一 八 「 起

疏 序 」 二 】 「 法 界

疏 序 」 、 二 二 「 十 二 門 論 疏 序 」 二 三 「 華 厳

盡 還 源

」 の 七 つ の 序 を あ げ て い る 。   こ の 中 、 「 般 若 心

」 を 除 い て は 序 と し て は

独 に

在 せ ず

文 巻 首 の 文 を 抜 き 出 し て

と し た も の で あ る 。 す な わ ち 「 晉 譯

厳 経

玄 記 序 」 は 『

記 』

首 の 文 「 夫 以 法 性 … 世

品 第 一 」 を 以 て

と な し 、 「 梵 網

序 」 は 『 梵 網

本 疏 』 巻 首 の 文 「 原

虚 應 … 四 十 八 軽

一 巻 」 を

て 序 と な し 、 「 起 信 論 疏

」 は 『 大 乗 起 信 論

記 』 巻 首 の 文 「

真 心 寥 廓 … 悟 入

矣 」 を 以 て

と な し 、 「

差 別 論 疏

」 は 『

乗 法 界 無 差 別 論 疏 』 巻 首 の 文 「 詳 夫 性 海 … 下

」 を 以 て 序 と な し 、 「 十 二 門

序 」 は 『 十 二 門 論 宗

記 』 巻 首 の 文 「

以 玄 綱

… 義 下

別 繹 」 を 九 八 以 て 序 と な し 、 「

盡 還 源

」 は 『 修

盡 還

観 』 巻 首 の 文 「

教 難 思 …

而 詳 焉 」 を 以 て 序 と し た も の で あ る 。

 

( 開 元 二 十 六

〜 開 成 四

( 七 三 八 〜 八 三 九 ) 三 月 六 日 ) に つ い て は 、 八 「

序 」 、 九 「 隨

鈔 序 」 、 一 〇 「 貞 元

疏 序 」 の 三 つ の 序 を あ げ て い る 。 「

厳 経 疏

」 に つ い て 、 金 沢 文 庫 所 蔵 の 二 十

疏 に は 、 大 正

が 底 本 と し た 明 本 の 様 に 、 そ の 書 名 が 「 大 方 廣

経 疏

序 」 で は な く 、 そ の 書 名 に は 「 并 序 」 が 脱 落 し て い る 。 こ の こ と は 二 十 巻

華 厳

に は 、

は 単 独 に

し な い こ と を 意 味 す る 。

に 本 序 は 『

』 巻 首 の 文 「 往 復 無

… 世 主 妙

品 第 一 」 を 以 て

と し た も の で あ る 。 澄

は 大 暦 十 一

( 七 七 六 ) 五

山 に 入

し 、 大 華 厳

住 閣 院 に お い て

義 を 行 な い 、 こ れ ら を 基 と し て

元 三

( 七 八 七 ) に 『 華 厳 経 疏 』 が 成 立 す る 。 『

疏 』 の 復 註 で あ る 『 大 方 広

厳 経 隨

』 は 、

元 三

後 の 成 立 で あ る 。 「

演 義

序 」 は 『 大

広 仏

経 隨 疏 演 義

』 に 対 す る

で あ る 。

天 は

を 騅

し て い る が 、 そ の 中 に 『

疏 演

鈔 』 四 十

も あ っ た 。 本 序 は こ の 『 隨

義 鈔 』

さ れ て い る も の で あ る 。 「

疏 序 」 は 、 『 貞 元

厳 経 疏 』

首 の 文

参照

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