• 検索結果がありません。

村 上 春 樹 『 1 Q 8 4 』 に お け る サ ブ ・ シ ス テ ム

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "村 上 春 樹 『 1 Q 8 4 』 に お け る サ ブ ・ シ ス テ ム"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

大学院研究年報 第47号 2018年 2 月

要     旨

定と見なすこともできる。だが矛盾しているのは、そのよう 害者を抹殺しようとしている「柳屋敷」は、急進的な暴力否 するという村上春樹の考えが現れた。一方、完全に暴力の加 ず、「システム」という形で存在する限り、暴力もまた存在 明らかになった。それによって、メイン、サブにかかわら り様と村上春樹が語るようなサブ・システムの役割の差異が 作ってしまった。であるならば、「柳屋敷」のこのような有 イン・システムと同じ、システムから外れた人(青豆)を 用した。その結果、サブ・システムとしての「柳屋敷」はメ 追放するために、「柳屋敷」は「私刑」という暴力の形を利 に「暴力」そのものである。加害者がもたらした「暴力」を 外れた人を作った。そのような結果をもたらした原因はまさ テムから外れた人々を受ける一方、自分自身もシステムからる。 の「柳屋敷」はサブ・システムの機能として、メイン・シスを合わせて描くのが「総合小説」だと村上春樹は考えてい サブ・システムとしての否定的な面も無視できない。作品中ちろん問題だが、急進的な暴力否定も負の側面がある。それ テムの位置付けから端的に見られる。一方、「柳屋敷」の、新たにメイン・システムから外された人間である。暴力はも 面は「柳屋敷」の受け入れ対象と組織においてのサブ・シスは加害者と被害者の逆転だけではなく、「青豆」のような、 ステムの役割はより評価されるべき面がある。その評価する上春樹の思想も窺われる。そして更なる暴力がもたらしたの を果たしている。「さきがけ」に比べ、「柳屋敷」のサブ・シ的な暴力否定自体には更なる暴力を起こしかねないという村   『1Q84』での「柳屋敷」はサブ・システムとして役割もっと深刻な暴力行為をしてしまったことだ。ならば、急進 な暴力を排除しようとする「柳屋敷」が、逆に私刑という

目    次はじめに一、サブ・システムとしての「柳屋敷」二、「柳屋敷」と「さきがけ」、二つのサブ・システムの成立について三、「柳屋敷」という名称と「蝶」をめぐって四、「広汎な正義」に潜むカルト的なもの

疑似宗教の「柳屋敷」をめぐって五、「信者」から「棄教者」へ

疑似宗教の闇に彷徨う青豆についておわりに

査読付論文

村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム

戴    暁    晨

(2)

1002

は じ め に

そのものが実際には「システム」として機能していると指摘す る

1

) なく、対立の両方とも「正義」を掲げて戦う、そのような意味作用 「 個 」 を 制 限 す る 国 家 権 力 や イ デ オ ロ ギ ー の よ う な 単 純 な も の で は 受賞スピーチを踏まえて、演説の中での「システム」とは、自由な て い る 研 究 者 も 少 な く な い。 内 田 樹 は 村 上 春 樹 の「 エ ル サ レ ム 賞 」 る。 「 シ ス テ ム 」 を 村 上 春 樹 研 究 に お け る 一 つ の テ ー マ と し て 論 じ   「 シ ス テ ム 」 の 問 題 は、 し ば し ば 村 上 春 樹 に 取 り 上 げ ら れ て い

( 。 山 下 真 史 は、 『 ダ ン ス・ ダ ン ス・ ダ ン ス 』 を 取 り 上 げ て、 自 己 探 し に成功した「僕」の超常体験は、新霊性運動のモチーフから生まれ て き た も の で あ り、 「 反 社 会 的 と い う よ り は、 非 社 会 的 で あ り、 内 閉的な宗教」と述べ、そして「システム批判を巧みに組み込みなが ら、よりいっそうシステムとして成長していこうとする」と指摘す る )

2

( 。これまでの先行研究は村上春樹が考える「システム」の概念、 あるいは「システム」批判に注目する傾向があるが、直接サブ・シ ステムに触れる先行研究はまだ数少ない。にもかかわらず、村上春 樹 作 品 に お い て の サ ブ・ シ ス テ ム の 問 題 は 重 要 な 位 置 を 占 め て い る。 ま ず、 村 上 春 樹 本 人 は 地 下 鉄 サ リ ン 事 件 を 踏 ま え、 「 日 本 社 会 というメイン・システムから外れた人々(特に若年層)を受け入れ るための有効で正常なサブ・システム=安全ネットが日本には存在 し な い 」 と 指 摘 し、 そ の よ う な サ ブ・ シ ス テ ム の 欠 如 は「 本 質 的 な、 重 大 な 欠 落 」 だ と 述 べ て い る )

( 。「 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人」は様々であるが、村上春樹のこの指摘が、オウム真理教の問題 を意識した上で出されたものなので、その「外れた人」には一般性 が あ る と と も に 特 殊 性 も あ る。 『 約 束 さ れ た 場 所 で ―

under-ground2

』 で イ ン タ ビ ュ ー を 受 け た オ ウ ム 真 理 教 の 元 信 者 と 現 役 信 者の場合、現実社会に対して物足りなさを感じていた人は少なくな い )

4

( 。それはアイデンティティの発達段階の特徴なので、その一般性 が認められる。一方、彼らの年の若 さ )

( と周りの人により生じた無力 感 )

( に は 特 殊 性 も あ る。 彼 ら を 受 け 入 れ る た め の「 有 効 で 正 常 な サ ブ・システム」がないからこそ、オウム真理教もしくは「オウム的 なるもの」が登場してくると村上春樹は指摘す る )

7

( 。したがって、村 上春樹に取り上げられたサブ・システムとは、若者向けの、強い相 互 性 が 重 視 さ れ て い る 団 体 で あ る こ と が わ か る。 そ し て、 「 本 質 的」 、「重大」とまで問題視されたサブ・システム(もしくはサブ・ システムのようなもの)は、たびたび村上春樹の作品に登場した。 例 え ば、 『 ね じ ま き 鳥 ク ロ ニ ク ル 』 中 で の 人 々 を 癒 す 効 果 が あ る 「 仮 縫 い 室 」、 『 海 辺 の カ フ カ 』 の 中 の 田 村 カ フ カ を 受 け 入 れ た「 甲 村 図 書 館 」、 そ し て『 1 Q 8 4』 で の 家 庭 内 暴 力 の 被 害 者 に 安 全 な 居 場 所 を 提 供 し て い る「 柳 屋 敷 」。 だ が、 サ ブ・ シ ス テ ム は 頻 繁 に 村上春樹の作品に表現されたものの、村上春樹自身が語る「サブ・ システム」に近い存在はやはり限られている。日本に必要とされて いるのは「メイン・システムから外れた人々(特に若年層)を受け 入れるための有効で正常なサブ・システム=安全ネット」であると い う 村 上 春 樹 自 身 の 指 摘 か ら 見 れ ば、 「 仮 縫 い 室 」 は 明 ら か に そ の よ う な サ ブ・ シ ス テ ム で は な い。 な ぜ な ら ば、 ま ず、 「 仮 縫 い 室 」 に癒されていた対象は「少数の限られた上流階級の人々 」 )

8

( であるか ら だ。 こ れ は 村 上 春 樹 が 語 る 若 年 層 の 人 々 と 食 い 違 っ て い る。 次 に、 「 仮 縫 い 室 」 に 癒 さ れ て い た の は 様 々 な 精 神 障 害 に よ り 一 時 的 にメイン・システムから離れざるを得ない人たちだ。一旦「仮縫い 室」を通して回復できれば、彼らはまたメイン・システムに戻って いくので、必ずしも「メイン・システムから外れた人々」とは言え な い )

( 。

か ら 考 え る と、 「 甲 村 図 書 館 」 は「 仮 縫 い 室 」 よ り 村 上 春 樹 が 語 る   「 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人 々」 と い う 村 上 春 樹 自 身 の 指 摘

(3)

戴:村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム

100( 「 サ ブ・ シ ス テ ム 」 に 近 い 存 在 で あ る。 家 出 し た

のしれない る。僕は君を受け入れる。佐伯さんは僕を受け入れる。君が身もと かというと、大島が「僕は君を理解し、佐伯さんは僕を理解してい 「 甲 村 図 書 館 」 は 田 村 カ フ カ の よ う な 家 出 少 年 を 受 け 入 れ ら れ る の と い う サ ブ・ シ ス テ ム で は な く、 大 島 個 人 で あ る。 そ し て、 な ぜ 受 け 入 れ 経 緯 の 中 で 大 き な 役 割 を 果 た し て い た の は「 甲 村 図 書 館 」 ら も 窺 え る。 「 甲 村 図 書 館 」 は 確 か に 田 村 カ フ カ を 受 け 入 れ た が、 えば、システマティックな運営はサブ・システムの受け入れ経緯か れるために、システマティックな運営はほぼ不可欠である。逆に言 システムが「メイン・システムから外れた人々」を効率的に受け入 テムに用いるシステマティックな運営に注目すべきである。サブ・ 常」の有り様はいかに表現されていたかと言えば、そのサブ・シス う か。 村 上 春 樹 作 品 に お い て の サ ブ・ シ ス テ ム の「 有 効 」 と「 正 春 樹 が 語 る よ う な「 有 効 」、 し か も「 正 常 」 な サ ブ・ シ ス テ ム だ ろ ス テ ム で あ る よ う に 見 え る。 だ が、 「 甲 村 図 書 館 」 は 果 た し て 村 上 た「甲村図書館」は確かに「若年層を受け入れるための」サブ・シ 間だと考えられる。だとすれば、田村カフカに居場所を提供してい フカは、日本社会のメイン・システムである「学校」から外れた人

1(

歳 の 少 年 田 村 カ

ない 」

((

1(

歳の家出少年であったとしても、とくに問題にはなら

( と説明している。すなわち、その受け入れ経緯には大島の個 人 的 な 判 断 が 多 い た め、 「 甲 村 図 書 館 」 の、 サ ブ・ シ ス テ ム と し て 有すべきシステマティックな運営はほぼ見当たらないということな のである。したがって、少なくとも田村カフカを受け入れる経緯か ら 見 れ ば、 「 甲 村 図 書 館 」 は 村 上 春 樹 が 語 る よ う な「 サ ブ・ シ ス テ ム 」 で は な い と 言 え よ う。 「 仮 縫 い 室 」 と「 甲 村 図 書 館 」 に 比 べ、 『 1 Q 8 4』 の「 柳 屋 敷 」 は 村 上 春 樹 が 指 摘 し て い る「 サ ブ・ シ ス テ ム 」 に よ り 近 い 存 在 で あ る。 ま ず、 受 け 入 れ 対 象 か ら 見 る と、 「 柳 屋 敷 」 が 受 け 入 れ た の は 家 庭 内 暴 力 に 苦 し ん で い る 女 性 た ち で ある。行き場を失った彼女たちは普通の生活を送ることができなく な っ た た め、 「 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人 々」 だ と 考 え ら れ る。 ま た、 小 説 の 隅 々 か ら 見 え る が、 「 柳 屋 敷 」 に 受 け 入 れ ら れ た 女性たちの年齢は

10

代から

(0

代半ばまでであることがわか る

((

( 。その ような年齢設定は村上春樹が述べる「若年層の人々」とほぼ一致す る。次に、 「柳屋敷」の相互性も度々書かれている。 「お互いに助け 合 い な が ら 一 種 の 共 同 生 活 」( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

三 九 一 頁 ) を 送 るというのは「柳屋敷」にいる若い女性たちの日常である。それを め ぐ り、 小 説 に は よ り 詳 し く 描 か れ て い る )

(2

( 。 す な わ ち、 「 柳 屋 敷 」 は若者向けの、より強い相互性を有する組織である。そのような特 徴は村上春樹が指摘するサブ・システムとほぼ同じである。

  サブ・システムは頻繁に村上春樹作品に登場したが、作家自身が 語 る「 サ ブ・ シ ス テ ム 」 に よ り 近 い 存 在 と い え ば や は り『 1 Q 8 4』 の「 柳 屋 敷 」 で あ る。 し か し、 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人 々 を 受 け 入 れ る 一 方、 「 柳 屋 敷 」 自 身 も 様 々 な 問 題 を 抱 え て い る。サブ・システムの欠如は「本質的な、重大な欠落」という村上 春樹自身の言論から見れば、サブ・システムの存在そのものが評価 さ れ る べ き で あ ろ う。 だ が、 『 1 Q 8 4』 に お い て の、 サ ブ・ シ ス テムとしての「柳屋敷」には評価できる面があるものの、それ自身 が 抱 え て い る 問 題 も 無 視 で き な い。 そ れ に、 そ れ ら の 問 題 を 通 し て、村上春樹が述べるサブ・システムの役割と矛盾する側面も「柳 屋 敷 」 か ら 見 え て し ま う。 本 論 は、 『 1 Q 8 4』 に お い て の「 柳 屋 敷」は如何にサブ・システムの役割を果たしているのか、その役割 を果たす経緯からどのような問題を生じたのか、そして村上春樹は なぜあえてそれらの問題を描いたのかという課題を明らかにする。

一、サブ・システムとしての「柳屋敷」

  「 柳 屋 敷 」 は『 1 Q 8 4』 で の 唯 一 の サ ブ・ シ ス テ ム で は な い。

(4)

る。 無 論、 「 急 速 に 信 者 を 獲 得 し、 強 大 化 し つ つ 」( 『 1 Q 8 4』 効で正常な」サブ・システムではないということも確かなことであ システムとして認められるようになった。一方、カルト教団は「有 るものだからである。その前提により、カルト教団も一つのサブ・ なカルト教団(つまり、オウム真理教のこと)を意識した上で述べ のサブ・システムについての言論は村上春樹が「さきがけ」のよう 1004  

underground2

ぜ な ら、 そ も そ も『 約 束 さ れ た 場 所 で 』 に お い て 「柳屋敷」の比較対象として、 「さきがけ」は目立つ存在である。な

BOOK1

四 三 六 頁 ) あ る「 さ き が け 」 に 対 し て、 「 柳 屋 敷 」 は た だ の 弱 小 の ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 の よ う に 見 え る。 し か し な が ら、 「 さ き が け 」 に 対 抗 で き る よ う な 実 力 を、 「 柳 屋 敷 」 も 有 す る。 た だ し 「柳屋敷」の実力は、 「さきがけ」のように、第三者を通して詳しく 叙述されるのではなく、小説の隅々にほのめかされるものである。

し た 」 の で あ る。 「 柳 屋 敷 」 の 施 設 は 十 数 人 を 受 け 入 れ ら れ る

((

) る。 そ し て そ の た め の 費 用 に つ い て、 「 老 婦 人 」 が「 個 人 的 に 負 担

BOOK1

同 生 活 を 送 っ た 」( 『 1 Q 8 4』 三 九 一 頁 ) と 描 か れ て い や着替えが支給され、彼女たちはお互いに助け合いながら一種の共 注)滞在する。当面の生活に必要なものは常備されている。食料品 「彼女たちは落ち着き先が見つかるまで、そこに( 「柳屋敷」引用者   「 柳 屋 敷 」 で 暮 ら し て い る 女 性 た ち の 状 況 に つ い て、 小 説 に は

( の で、その十数人の生活用品を「老婦人」一人で支度することに無理 が あ る か も し れ な い。 む し ろ そ こ に は 何 ら か の 運 営 団 体 が あ り、 「 老 婦 人 」 が 全 て の 費 用 を 負 担 す る と と も に リ ー ダ ー の 役 目 も 負 う と理解したほうが自然であろう。また、家庭内暴力を振るっている 男性を「別の世界に移す」際に、似たような団体も現れたことがあ る。 「別の世界に移す」男を特定するために、 「すべての要素を拾い 上げて公正に厳密に検討し、この男には慈悲をかけるだけの余地が な い 」( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

三 九 二 頁 ) と い う よ う な 条 件 は 必 要 だ と「 老 婦 人 」 が 述 べ て い る。 し か し、 い く ら 有 能 な「 老 婦 人 」 と 言っても、一人だけで「すべての要素」を拾い上げ、しかも「公正 に厳密に」検討することはやはり考え難い。従って、大量の情報収 集と分析ができる、しかも「老婦人」の最終的な判断に参考情報を 提 供 で き る よ う な チ ー ム の 存 在 が 十 分 に 考 え ら れ る。 さ ら に、 「 さ き が け 」 内 部 の 少 女 レ イ プ 事 件 に つ い て、 「 老 婦 人 」 が こ の よ う に 述べている。

た。 ( 中 略 ) つ ば さ ち ゃ ん の ケ ー ス だ け で は あ り ま せ ん。 我 々

00

け て 通 れ な い 関 門 な の だ と。 両 親 は そ れ を そ の ま ま 信 じ ま し こに生じる激しい痛みは、ひとつ上の段階に上がるための、避 ない少女にしか、純粋な霊的覚醒を与えることはできない。そ いうのが、両親に告げられたことです。そのようなまだ汚れの した。初潮を迎える前に、その儀式を終えなくてはならないと   「 霊 的 な 覚 醒 を 賦 与 す る と い う 口 実 を つ け、 そ れ を 強 要 し ま

が得た情報によれば、教団内のほかの少女たちに対しても同様 の こ と が 行 わ れ て き ま し た。 」( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

四 三 七 頁

  傍点引用者)

  警 備 の 厳 し い 教 団 に も か か わ ら ず、 「 老 婦 人 」 が 事 件 の 経 緯 を そ こまで詳しく知っていて、彼女、もしくは彼女の裏にある何らかの チ ー ム の 情 報 収 集 の 能 力 が 窺 わ れ る。 特 に、 「 我 々」 と い う「 老 婦 人」が使っている表現から見れば、その情報収集の主体は個人より 団体である可能性のほうが高い。

  日常品の提供から特定な男性への調査、さらに巨大化しつつある 教団に対しての情報収集まで、そこから見えるのは「柳屋敷」とい う 組 織

00

の 厳 密 さ で あ る。 「 柳 屋 敷 」 と い う 組 織 が 具 体 的 に ど の よ う に 運 営 さ れ る の か、 小 説 に は 詳 し く 描 か れ て い な い。 た だ し、 「 老

(5)

戴:村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム

100( ステムとして成り立つ可能性も十分にある。 実 力 に 疑 い は な い。 そ し て そ の 実 力 に よ り、 「 柳 屋 敷 」 は サ ブ・ シ 婦 人 」 が 得 た 様 々 な 情 報 と 彼 女 の 実 行 力 か ら 見 る と、 「 柳 屋 敷 」 の

二 、「柳屋敷」と「さきがけ」 、二つのサブ・システムの成立 について

  そ れ で は、 サ ブ・ シ ス テ ム と し て の「 さ き が け 」 は ど の よ う に 『1Q84』で表現されていたのか、 「柳屋敷」に対してそのような 表 現 は ど の よ う な 比 較 の 意 味 を 持 つ の か。 こ こ か ら は「 さ き が け 」 の成立の経緯を踏まえながら論じたい。

三つの段階に分けられる。 「タカシマ塾」 、「さきがけ」の分裂前、 「さきがけ」の分裂後という も 常 に 変 化 し 続 け て い た。 大 雑 把 に 言 え ば、 「 さ き が け 」 の 発 展 は 敷 」 と 違 っ て、 「 さ き が け 」 の 受 け 入 れ 対 象 と 作 品 に お い て の 役 割 き が け 」 の 成 立 の 経 緯 は よ り 詳 し く 描 か れ て い る。 そ れ に、 「 柳 屋 頁 ) と い う や や 曖 昧 な 時 間 帯 に 成 立 し た「 柳 屋 敷 」 に 対 し て、 「 さ   「

BOOK1

老 婦 人 」 の「 娘 が 自 殺 し た 翌 年 」( 『 1 Q 8 4』 三 九 一

だ。 し た が っ て、 「 タ カ シ マ 塾 」 を 通 し て 自 給 自 足 の 知 識 や 技 術 を 保 」 が「 タ カ シ マ 塾 」 に 満 足 で き な く な る こ と も 時 間 の 問 題 な の を 持 つ た め、 「 徹 底 し て 自 分 の 頭 で も の を 考 え よ う 」 と す る「 深 田

BOOK1

外 し て し ま う 」( 『 1 Q 8 4』 二 二 二 頁 ) と い う よ う な 傾 向 ボットを作り出す」 、「人の脳から、自分でものを考える回線を取り ウ 」 も 提 供 し て い た。 だ が、 「 タ カ シ マ 塾 」 は「 何 も 考 え な い ロ 受け皿として「深田保」の一群を受け入れる一方、彼らに「ノウハ の 一 群 に と っ て、 そ の 役 割 は 依 然 と し て 大 き い。 「 タ カ シ マ 塾 」 は

BOOK1

き 場 所 が 必 要 だ っ た 」( 『 1 Q 8 4』 二 二 一 頁 )「 深 田 保 」 治運動によって「大学から除籍されていた」 、「とりあえずどこか行   「 タ カ シ マ 塾 」 は「 深 田 保 」 が 創 立 し た 組 織 で は な い も の の、 政 与 え た

((

) り、特に宗教法人の認可はそれからの「さきがけ」に大きな影響を が起こった。その一連の事件はいずれも「さきがけ」の発展に関わ 年 )、 そ し て「 あ け ぼ の 」 の 壊 滅( 一 九 八 一 年 ) と い う 一 連 の 事 件 ( 一 九 七 七 年 )、 「 さ き が け 」 の 宗 教 法 人 と し て の 認 可( 一 九 七 九 た の は 一 九 七 六 年 の 出 来 事 で あ る。 そ の 後、 「 ふ か え り 」 の 脱 出 を 節 目 と し て 捉 え ら れ る。 「 あ け ぼ の 」 が「 さ き が け 」 か ら 分 裂 し   次に「さきがけ」の場合、その発展の経緯は「さきがけ」の分裂 け」の中核メンバーである。 か ら 独 立 し た。 「 深 田 保 」 の 率 い た 分 離 派 は ま さ に の ち の「 さ き が 身 に つ け た「 深 田 保 」 は、 自 分 の 一 派 を 引 き 連 れ て「 タ カ シ マ 塾 」

( 。「 さ き が け 」 の 分 裂 は「 さ き が け 」 自 身 の 発 展 と 転 換 に 大 きく関わるので、重要な節目として捉えられる。分裂前の「さきが け 」 の メ ン バ ー に は、 「 大 学 紛 争 で 挫 折 し た 左 翼 」 の よ う な メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人 も い る し、 「 新 し い 精 神 世 界 を 求 め 」 て 自 ら の 意 思 で「 さ き が け 」 に 加 わ っ た 人 も い る( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

二 二 三 頁 )。 そ の よ う な メ ン バ ー は 初 期 に「 タ カ シ マ 塾 」 に入ったメンバーとやや違う。メンバーの殆どは政治運動によって 大 学 か ら 除 籍 さ れ て い た 学 生 で あ る「 タ カ シ マ 塾 」 に 対 し て、 「 さ き が け 」 の 受 け 入 れ 対 象 者 の 範 囲 は 明 ら か に 広 げ ら れ た。 す な わ ち、メイン・システムから外れた人だけではなく、自らメイン・シ ステムから離れた人たちもその時期の「さきがけ」の受け入れ対象 と な っ て い た。 そ れ が 一 九 七 四 年 の こ と だ( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

二二五頁)と作品の中に記されている。そして「さきがけ」の受け 入れ対象も次第に変化していった。その受け入れ対象について、作 品にはこのように書かれている。

  金銭や情報に追いまくられる現実の世界を逃れ、自然の中で 額に汗して働きたいという人間が世間には少なからずいたし、

(6)

100(

『 さ き が け 』 は そ う い う 層 を 引 き 寄 せ て い っ た。 希 望 者 が や っ てくれば面接をして審査をし、役に立ちそうであればメンバー に 加 え た。 来 る も の は 誰 で も 受 け 入 れ た わ け じ ゃ な い。 メ ン バーの質とモラルは高く保たれなくてはならなかった 。男女の 比 率 を 半 々 に 近 づ け た い と い う こ と も あ り、 女 性 も 歓 迎 さ れ た。 (『1Q84』

BOOK1

二二七頁   傍線引用者)

  傍線部に示されたように、その時期の「さきがけ」の受け入れ対 象は徐々に組織に「役に立ちそう」な人へと変化していった。しか も「 メ ン バ ー の 質 と モ ラ ル は 高 く 保 」 つ た め に、 「 さ き が け 」 は 「面接」まで設けた。無論、 「面接」を通して「さきがけ」に加わっ た人たちの中に、村上春樹が語るような「メイン・システムから外 れ た 人 々」 も 含 ま れ る が、 「 メ ン バ ー の 質 と モ ラ ル は 高 く 保 」 つ た め、 「 さ き が け 」 の 受 け 入 れ 対 象 は 明 ら か に 狭 く な っ て く る こ と も 否 め な い 事 実 で あ ろ う。 更 に 言 え ば、 「 さ き が け 」 は 確 か に「 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人 々」 を 受 け 入 れ る 役 割 を 果 た し て い る が、 し か し そ の 一 方、 「 さ き が け 」 は 意 識 的 に 受 け 入 れ 対 象 を エ リ ー ト 化 さ せ る 傾 向 も 持 ち 始 め た。 に も か か わ ら ず、 「 深 田 に と っ てはいちばん平穏で希望に満ちた時代だった」 、「さきがけ」を耳に し、 「 そ こ に 加 わ り た い と 希 望 し て や っ て く る 人 々 も 増 え て き た 」 などの描写から見れば、分裂前の「さきがけ」はほぼ「有効で正常 なサブ・システム」と言えよう。だが、そのような順調な状況は長 く 続 け ら れ な か っ た。 「 さ き が け 」 に 再 び 変 化 が 起 き た の は、 分 裂 後のことである。

  作 品 に お け る 時 間 軸 の 流 れ に よ る と、 一 九 七 六 年 に「 さ き が け 」 が分裂し始めた。しかも「さきがけ」から分裂したのはまさにのち に警官隊と銃撃戦を起こした武闘派の「あけぼの」である。そして 一 九 七 九 年、 「 さ き が け 」 は つ い に 宗 教 法 人 と し て 認 可 さ れ た。 宗 教法人としての「さきがけ」はどのようなメンバーで構成されてい たのかというと、深田保の友人戎野隆之は次のように述べている。

BOOK1

4』 四一八頁) 向きには農業を営みつつ、厳しい修行に励んでいる」 (『1Q8 気の高い、良質で戦闘的な宗教団体ができあがった。彼らは表 る。あるいは能力のあるものをリクルートする。その結果、士 い。 入 れ て く れ と や っ て き た 人 々 の 中 か ら、 面 接 し て 選 抜 す 者 を 勧 誘 し た り は し な い。 誰 で も 受 け 入 れ る と い う の で も な の専門的な能力を保つ、健康で年若い信者だ。だから無理に信 るのは金銭よりはむしろ人材だ。目的意識が高く、様々な種類   「   ( 前 略 ) 彼 ら( 「 さ き が け 」 の こ と 引 用 者 注 ) が 求 め て い

  分裂前の「さきがけ」はすでに受け入れ対象をエリート化させる 傾向を持っていたが、分裂後、とりわけ宗教法人と認定された後の 「さきがけ」はさらにその傾向を徹底的に行い、 「様々な種類の専門 的 な 能 力 」、 「 健 康 で 年 若 い 」 こ と ま で 受 け 入 れ 対 象 に 要 求 し て い く。そして「さきがけ」はついに「士気の高い」 、「良質で戦闘的な 宗 教 団 体 」 に な っ た。 宗 教 法 人 に 認 定 さ れ た 後 の「 さ き が け 」、 そ の 受 け 入 れ 対 象 は 村 上 春 樹 が 語 る「 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人々」と明らかに違う。前者の受け入れ対象はエリートであるのに 対して、後者の場合はエリートとは限らない。しかも、受け入れ対 象の相異により、宗教法人としての「さきがけ」と村上春樹が考え る「サブ・システム」の質的な違いも浮き彫りになってきた。村上 春 樹 が 考 え る「 サ ブ・ シ ス テ ム 」 の 場 合、 そ の 最 も 重 要 な 役 割 は 「 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人 々 を 受 け 入 れ る 」 と い う こ と で あ る。すなわち「人々」は「サブ・システム」に何らかのものを求め るという傾向はほぼ決定的である。しかし宗教法人としての「さき

(7)

戴:村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム

1007   「 きるほどの、新たなシステムとなった。 シ ス テ ム 」 の 代 わ り に、 「 さ き が け 」 は メ イ ン・ シ ス テ ム に 対 抗 で け 」 は「 サ ブ・ シ ス テ ム 」 と さ え 言 え な い の で は な い か。 「 サ ブ・ 恐らく「士気の高い、良質で戦闘的な宗教団体」としての「さきが しての「さきがけ」はすでにそのような役割を失ったと言えよう。 が考える「サブ・システム」の重要な役割だとすれば、宗教法人と 「 メ イ ン・ シ ス テ ム か ら 外 れ た 人 々」 を 受 け 入 れ る こ と が 村 上 春 樹 に 徐 々 に 形 成 さ れ た も の だ と 考 え ら れ る。 い ず れ に し て も、 も し 特 徴 は 最 初 か ら 決 ま っ た も の で は な く、 「 さ き が け 」 の 発 展 と と も に も か か わ ら ず、 「 さ き が け 」 の 成 り 立 ち か ら 見 れ ば、 そ の よ う な 種 類 の 専 門 的 な 能 力 」、 「 健 康 で 年 若 い 」) を 求 め る よ う に な っ た。 が け 」 は ま っ た く 逆 で、 組 織 が「 人 々」 に 何 ら か の も の( 「 様 々 な

さ き が け 」 の 成 立 の 経 緯 か ら 見 れ ば、 そ の 受 け 入 れ 対 象 は 常 に 変 化 し て い る こ と が わ か る。 そ の 変 化 に よ っ て、 「 さ き が け 」 の、 サブ・システムとしての役割も徐々に失われていって、やがて「士 気の高い、良質で戦闘的な宗教団体」にまで変質してしまう。ただ し「柳屋敷」はそうではない。家庭内暴力に苦しんでいる女性たち に居場所を提供することは「柳屋敷」の設立当初の目的であり、そ の目的は最後まで変わらない。そのような女性たちについて、作品 で は「 行 き 場 を 失 っ た 」 人 間( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

三 九 一 頁 ) と して描かれている。つまり彼女たちも「メイン・システムから外れ た 人 々」 と し て 読 み 取 ら れ る。 な ら ば、 「 柳 屋 敷 」 の サ ブ・ シ ス テ ムとしての役割は明らかにされた。しかも「柳屋敷」においてのサ ブ・システムの役割と「さきがけ」の役割を対照的に見ることがで き る。 「 さ き が け 」 と「 柳 屋 敷 」 の 違 い に つ い て、 こ れ ま で 論 じ て きた受け入れ対象の変化は一つの焦点であるが、これは表面的なも のに過ぎない。そもそもなぜ「さきがけ」の受け入れ対象はエリー ト に ま で 変 化 し た の か、 ま ず『 1 Q 8 4』 の

BOOK1

に は 次 の よ う な興味深い内容がある。

ですよ、とは決して言わなかった。 (二二八頁) 話を学生たちの頭に植え付けたのだ。これはカッコつきの革命 代の流れに乗って血湧き肉躍る話をして、そんなあてもない神 が流れる、実物の革命だった。むろん深田にも責任はある。時 て。ところが彼の率いてきた学生たちが求めたのは、本物の血 に と っ て 不 可 欠 だ と 信 じ て い た。 い わ ば 健 全 な ス パ イ ス と し だった。そのような反体制的、破壊的意思の発動が健全な社会 の 革 命 で あ り、 更 に い え ば 比 喩 と し て の、 仮 説 と し て の 革 命 悟っていた。そして彼が念頭に置いていたのは、可能性として 代 の 日 本 に は 革 命 を 起 こ す 余 地 も 気 運 も な い こ と を お お む ね   (   前 略 ) そ の 頃 に は 彼( 深 田 保 引 用 者 注 ) も、 一 九 七 〇 年

  この部分は「さきがけ」の分裂の原因だと考えられる。つまり、 「 さ き が け 」 の 一 部 の 学 生 は「 さ き が け 」 の よ う な 農 業 コ ミ ュ ー ン 生 活 を、 あ く ま で「 革 命 の 予 備 段 階 」 と し て 捉 え て い た( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

二 二 八 頁 ) と い う こ と な の だ。 し か も そ の よ う な 思 想 は、まさに深田に植え付けられたものなのである。それによって、 「 さ き が け 」 は つ い に 武 闘 派 と 穏 健 派 に 分 裂 し た。 し か し 問 題 な の は、学生たちはいつから革命思想を持ち始めたのかということであ る。 「 さ き が け 」 の 分 裂 直 前 に 学 生 た ち は い き な り 革 命 思 想 を 持 ち 始めたということはまず考え難いだろう。それより、むしろ「タカ シマ塾」に入った時から、その革命思想がすでに植え付けられたと い う こ と の ほ う が 理 解 し や す い の で は な い か。 す で に 論 じ た よ う に、深田保を含めて、最初に「タカシマ塾」に入ったメンバーは当 時の政治活動に敗れた人々である。それはどのような政治活動なの か、作品には次のように描かれている。

(8)

1008

BOOK1

した。 (『1Q84』 二二一頁) どきの先鋭的な部隊を学内に作り上げ、大学ストライキに参加 ションにさえなっていた。彼は一部の学生を組織し、紅衛兵も を 掲 げ る こ と は 一 部 の イ ン テ リ に と っ て、 一 種 の 知 的 フ ァ ッ は当時ほとんど我々の耳には入ってこなかったね。毛沢東語録 がどれほど酷い、非人間的な側面をもっていたか、そんな情報 信奉しており、中国の文化大革命を支持していた。文化大革命   (   前 略 ) 彼( 深 田 保 引 用 者 注 ) は 当 時 毛 沢 東 の 革 命 思 想 を

  つ ま り、 深 田 保 の「 政 治 活 動 」 と は、 「 毛 沢 東 の 革 命 思 想 」 を 信 奉した上で行われたものと考えてよいだろう。そして「紅衛兵もど きの先鋭的な部隊」はその革命思想の裏付けである。後に「タカシ マ塾」に入ったのもそのような「革命思想」を持っていた「紅衛兵 部 隊 の 中 核 」 で あ る( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

二 二 一 頁 )。 な ら ば、 そ も そ も「 さ き が け 」 に お い て の サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 と は、 実 は 「 革 命 思 想 」 を 実 現 す る た め の 予 備 段 階 な の で は な い か。 す な わ ち、 「 さ き が け 」 の サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 は あ く ま で 革 命 過 渡 期 の 産物であり、リクルートの手段なのである。そして受け入れ対象の エ リ ー ト 化 は も は や 時 間 の 問 題 で あ る。 な ぜ な ら ば、 そ の よ う な 「 革 命 思 想 」 が あ る 限 り、 組 織 に 役 に 立 ち そ う な 人 材 を 求 め る と い う傾向はほぼ決定的であるからだ。要するに、深田保が植え付けた 「 革 命 思 想 」 は 政 治 活 動 の 失 敗 に よ っ て 消 え た わ け で は な い。 政 治 活動の失敗はその「革命思想」を潜伏期に入らせただけだった。そ して「さきがけ」においてサブ・システムの役割を果たしたのは、 まさにその「革命思想」の潜伏期のことである。一旦サブ・システ ムの役割を通して一定の規模に達すれば、組織に潜んでいる「革命 思想」はまた蘇っていった。そして組織自身のサブ・システム役割 の終焉を迎えていくことになる。だが、 「柳屋敷」はそうではない。

思 っ た。 そ れ に 対 し て、 中 国 の 文 化 大 革 命 を 支 持 し、 「 紅 衛 兵 も ど

BOOK1

く あ る 種 の 狂 気 の 中 に い る 」( 『 1 Q 8 4』 三 九 四 頁 ) と 三頁)ということである。それを聞いた青豆は老婦人が「間違いな

BOOK1

性 に「 何 ら か の か た ち で 消 え て も ら う 」( 『 1 Q 8 4』 三 九 だと言い切る。そして「老婦人」が望んでいるのは、そのような男

BOOK1

価 値 を ま っ た く 見 出 せ な い 連 中 」( 『 1 Q 8 4』 三 九 二 頁 ) 酷評し、そしてそのような男性は「この世界でこれ以上生きていく 「 弱 者 の 生 き 血 を 吸 っ て し か 生 き て い く こ と の で き な い 寄 生 虫 」 と か ら 窺 え る。 例 え ば、 老 婦 人 は 家 庭 内 暴 力 を 振 る う 男 性 の こ と を い嫌悪感を抱いていて、その嫌悪感は時々「老婦人」の過激な表現 けていた「老婦人」が、家庭内暴力を振るう男性に対して極めて強 しての「老婦人」の嫌悪感は印象的である。娘の自殺から刺激を受 る。深田保の「革命思想」に対して、家庭内暴力を振るう男性に対 は実は「革命思想」を実現するために設けられたものだと考えられ 産物である。特に宗教法人になるまでの経緯から見れば、その役割 う に、 「 さ き が け 」 の サ ブ・ シ ス テ ム と し て の 役 割 は 革 命 過 渡 期 の テムの役割の、両組織においての位置付けである。すでに論じたよ 前の「さきがけ」はほぼ一致する。ただし問題なのは、サブ・シス 供 す る と い う よ う な 役 割 か ら 見 れ ば、 「 柳 屋 敷 」 と 宗 教 法 人 に な る らば、メイン・システムから外れた特定な人間のために居場所を提 ちはメイン・システムから外れた人々と言っても差し支えない。な そのような家庭内暴力により、安全な居場所まで必要とする女性た た人々は家庭内暴力により避難場所を必要とする女性たちである。 は「柳屋敷」そのものである。それに、セーフハウスに送り込まれ

BOOK1

た 」( 『 1 Q 8 4』 三 九 一 頁 )。 そ の「 私 設 の セ ー フ ハ ウ ス 」 に 苦 し ん で い る 女 性 た ち の た め に、 私 設 の セ ー フ ハ ウ ス を 用 意 し れ る。 そ の 翌 年、 「 老 婦 人 」 は 自 分 の 娘 と「 同 じ よ う な 家 庭 内 暴 力   「 柳 屋 敷 」 の 成 立 の き っ か け は「 老 婦 人 」 の 娘 の 自 殺 だ と 考 え ら

(9)

戴:村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム

100( か。それについて、作品には次のような描写がある。 と同じような「革命思想」の過渡期もしくは狂気の産物なのだろう 屋 敷 」 に お い て の サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 は、 は た し て「 さ き が け 」 気 を め ぐ っ て サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 を 果 た し て い る。 た だ し、 「 柳 にいるのではないか。そして「さきがけ」と「柳屋敷」は二人の狂 きの先鋭的な部隊」まで作ってしまった深田保もある種の狂気の中

が中にはあります 」と老婦人は言った。 法律をもってしても現実的な救済策を見出せないというケース   「 し か し 私 や タ マ ル だ け で は 処 理 し き れ な い し、 ど の よ う な

  (中略)

を起こします 」 の余地がないという結論に達したときにだけ、止むを得ず行動 拾い上げて公正に厳密に検討し、 この男には慈悲をかけるだけ で、人の存在を左右するわけにはいきません。すべての要素を て、 保 険 金 が す ぐ に 入 る か ら と い う よ う な 実 際 的 な 理 由 だ け   「 も ち ろ ん、 い な く な っ て し ま え ば 離 婚 訴 訟 の 手 間 が 省 け

  (中略)

 

BOOK1

(『1Q84』 三九三頁 傍線引用者) り ま せ ん。 あ く ま で 世 間 の 関 心 を ひ か な い よ う な や り 方 で 」   「 そ の よ う な 人 々 に は 何 ら か の か た ち で 消 え て も ら う し か あ

  右の引用部分は「老婦人」が「柳屋敷」の裏話を青豆に打ち明け た 内 容 で あ る。 す な わ ち、 「 老 婦 人 」 が 家 庭 内 暴 力 に 苦 し ん で い る 女性たちをサポートする際に、どうしても一般的な方法で対応でき ないケースがある。その場合、一旦相手は「慈悲をかけるだけの余 地 が な い 」 人 間 だ と 判 断 さ れ た ら、 「 老 婦 人 」 が「 や む を 得 な い 行 動を起こす」 。「人々には何らかのかたちで消えてもらう」というこ とはまさにその「止むを得ない行動」である。のちに青豆の家庭内 暴力の加害者に対しての暗殺活動から見れば、物理的に人の存在を 抹殺することも「老婦人」の「止むを得ない行動」の一つであるは ず だ。 さ ら に、 「 老 婦 人 」 が そ の「 止 む を 得 な い 行 動 」 を「 広 汎 な 正 義 」( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

三 九 三 頁 ) だ と 言 い、 そ の 違 法 行 為 を 自分の「使命」だと思い込み、共謀者まで探し始めた。そして「老 婦 人 」 の 狂 気 は 端 的 に 見 ら れ る よ う に な る。 し か も、 そ の「 狂 気 」 が も た ら す 危 険 性 に つ い て、 「 老 婦 人 」 自 身 も 自 覚 を 持 っ て い る。 例 え ば、 青 豆 が 指 定 さ れ た 男 を「 別 の 世 界 に 送 り 込 む 」( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

三 二 九 頁 ) と、 「 老 婦 人 」 は 青 豆 に 報 酬 を 渡 し た。 そ の 報 酬 は、 青 豆 が い ら な い と 言 う に も か か わ ら ず、 「 老 婦 人 」 が あ えて払ったものと見られる。その理由について、 「老婦人」が、 「混 じりけのない純粋な気持ち」は危険だと言う。だから「気球に碇を つ け る 」( つ ま り、 報 酬 を 払 う と い う 形 で ) み た い に 地 面 に つ な ぎ 止 め て お く 必 要 が あ る( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

三 三 〇 頁 )。 逆 に 考 え ると、その「混じりけのない純粋な気持ち」を持っている人は「老 婦人」自身ではないか。暴力によって自分の娘が亡くなった翌年、 「 老 婦 人 」 が「 柳 屋 敷 」 を 設 置 し、 娘 と 同 じ よ う な 家 庭 内 暴 力 に 苦 しんでいる女性たちをサポートし始めた。しかもサポートの内容は ついに暗殺活動まで含まれるようになった。しかし、老婦人が女性 たちから報酬をもらうようなケースは、小説にはほぼ描かれていな い。 つ ま り「 老 婦 人 」 自 身 は「 混 じ り け の な い 純 粋 な 気 持 ち 」 を 持っている人間であり、しかもそれによってもたらす危険性につい て 自 分 も 十 分 に わ か っ て い る。 「 老 婦 人 」 が 青 豆 の 能 力 を 必 要 と す る と と も に、 青 豆 が 自 分 み た い な 人 間 に な っ て ほ し く な い か ら こ そ、あえて報酬を払ったわけである。これは「老婦人」の青豆に対 しての個人的な好意だと考えられるが、今までに自分が取っている 行動は如何に危険なのか、その自覚がそこに見える。ただし注意し

(10)

ブ・システムの役割は、いずれ「さきがけ」に捨てられるだろう。 で 非 主 導 的 で あ り、 そ し て 道 具 と し て し か 取 り 扱 わ れ て い な い サ ム の 役 割 に 対 し て、 「 さ き が け 」 の サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 は あ く ま になる。終始主導的な位置を占めている「柳屋敷」のサブ・システ の 役 割 の、 「 柳 屋 敷 」 と「 さ き が け 」 に お い て の 位 置 付 け が 明 ら か 割はむしろ非主導的である。そのように捉えれば、サブ・システム て「革命思想」を実現するために使われていたサブ・システムの役 とっていたのは深田保の狂気(つまり、 「革命思想」 )である。そし き が け 」 と 正 反 対 で あ る。 「 さ き が け 」 の 場 合、 主 導 的 な 立 場 を 非 主 導 的 で あ る と 言 え よ う。 「 柳 屋 敷 」 の こ の よ う な 有 り 様 は「 さ システムの役割が主導的であれば、それに対しての老婦人の狂気は 必要とされるというわけである。ならば、もし「柳屋敷」のサブ・ は サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 を 果 た し て い る 際 に、 「 老 婦 人 」 の 狂 気 が 1010 ポ ー ト と い う 前 提 の 上 で 行 わ れ る も の で あ る。 す な わ ち「 柳 屋 敷 」 た い の は、 「 老 婦 人 」 の「 や む を 得 な い 行 動 」 は 暴 力 被 害 者 へ の サ

  作 品 で は、 「 さ き が け 」 は「 柳 屋 敷 」 と 同 じ よ う に サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 を 果 た し て い た が、 「 革 命 思 想 」 が あ る 限 り、 そ の 役 割 は 一 時 的 な も の し か 見 え て こ な い。 そ れ に つ い て、 「 さ き が け 」 の 受 け 入 れ 対 象 の 変 化 は も ち ろ ん、 サ ブ・ シ ス テ ム の 役 割 の、 「 さ き が け」においての非主導的な位置付けからも窺われる。深田保は「革 命思想」の狂気を持っている。彼は自分の狂気によってメイン・シ ス テ ム か ら 外 さ れ た 人 間 と な り、 「 さ き が け 」 を 作 っ た。 深 田 保 の 狂 気 の 前 で、 「 さ き が け 」 の サ ブ・ シ ス テ ム 役 割 は あ く ま で 道 具 と してしか取り扱われていない。その役割を通して本来の目的(可能 性 も し く は 仮 説 と し て の 革 命『 1 Q 8 4』

BOOK1

二 二 八 頁 ) を 達 成すれば、道具としてのサブ・システムの役割はもはや必要でなく な る。 し か し「 柳 屋 敷 」 の 場 合 は 正 反 対 で、 「 老 婦 人 」 の 狂 気 は 組 織自身のサブ・システムの役割に活かされていたものになった。そ し て「 柳 屋 敷 」 に 対 し て、 「 さ き が け 」 の「 正 常 」 と「 効 率 」 的 で はないことは明らかである。   「

柳 屋 敷 」 の サ ブ・ シ ス テ ム 役 割 は「 さ き が け 」 を 通 し て 強 調 さ れている。 「老婦人」と深田保の狂気をめぐり、 「さきがけ」は「柳 屋 敷 」 の 対 照 的 な 存 在 で あ る。 だ が、 「 さ き が け 」 に 対 し、 サ ブ・ システムの役割を終始果たしている「柳屋敷」には、評価するとこ ろがあるものの、評価できないところもある。しかもその評価でき な い 部 分 は、 「 柳 屋 敷 」 自 身 の サ ブ・ シ ス テ ム 役 割 と 矛 盾 す る と こ ろである。また、 「さきがけ」に比べ、 「柳屋敷」は宗教団体ではな いにもかかわらず、疑似宗教的側面を有している。その疑似宗教的 側 面 が あ る か ら こ そ、 「 柳 屋 敷 」 の 評 価 で き な い と こ ろ は よ り 明 確 に 見 ら れ る。 「 柳 屋 敷 」 の 疑 似 宗 教 的 側 面 は ど の よ う な 構 造 な の か、 「柳屋敷」という名称と「蝶」から論じたい。

三、 「柳屋敷」という名称と「蝶」をめぐって

作品に登場したのかについてから見ていく。 徴 的 な 意 味 が あ る の か。 ま ず、 「 柳 屋 敷 」 と い う 名 称 は ど の よ う に い る の だ ろ う か。 言 い 換 え れ ば、 「 柳 屋 敷 」 と い う 名 称 に は 何 か 象 称ではない「柳屋敷」が、常にその団体を指す言葉として使われて 体の本当の名称は「柳屋敷」ではない。では、なぜ団体の本当の名 指す言葉として使われている。しかし、実は「老婦人」が率いる団 る。 ど の よ う な 場 合 で も、 「 柳 屋 敷 」 は「 老 婦 人 」 の 非 営 利 団 体 を   『 1 Q 8 4』 で は「 柳 屋 敷 」 と い う 名 称 は 特 別 な 位 置 を 占 め て い

  土曜日の午後一時過ぎ、青豆は「柳屋敷」を訪れた。その家 には年を経た柳の巨木が何本も繫り、それが石塀の上から頭を 出し、 風が吹くと行き場を失った魂の群れのように音もなく揺 れた 。だから近所の人々は昔から当然のように、その古い洋風

(11)

戴:村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム 1011

の 屋 敷 を「 柳 屋 敷 」 と 呼 ん で い た。 (『 1 Q 8 4』

BOOK1

一 四 三頁   傍線引用者)

  右の引用部分の「柳屋敷」という名称は、作品での初登場の場面 だと考えられる。しかもなぜ「老婦人」が暮らしている家は「柳屋 敷」と呼ばれるのか、この引用箇所ではよりシンプルに説明されて いる。つまりその家には「巨木の柳」が目立つため、近所の人々は その家を「柳屋敷」と呼んでいたからだ。そうかと言って、その一 見シンプルであるように見える説明は「柳屋敷」が「老婦人」の運 営団体の特有の表現として使われる理由になるだろうか。実は 「柳」 の 象 徴 的 な 意 味 と「 老 婦 人 」 の 過 去 を 合 わ せ て み る と、 「 柳 屋 敷 」 には特別な意味がある。

  ま ず は、 「 ヤ ナ ギ 」 に つ い て、 バ ー バ ラ・ ウ ォ ー カ ー は 次 の よ う に論じている。

く見られ る

((

) 魔術、予言、死者への問いかけの場合、彼女への崇拝は特に多 天界・地上・冥界を支配する原初の三相一体の女神であるが、   「 ヤ ナ ギ 」 は「 ヘ リ ケ 」 の 意 で、 ギ リ シ ア の「 ヘ ラ ケ 」 は、

( 。

  つ ま り ギ リ シ ア 神 話 で は「 ヤ ナ ギ 」( 柳 ) が「 女 神 」 と い う 象 徴 的な意味を持ち、しかもその「女神」は「死者への問いかけ」とい う役割を果たしているということなのだ。また、作品では風に揺れ る柳の様子について「吹くと行き場を失った魂の群れ」と描かれて いる。その二つのイメージはいずれも死者もしくは冥界にアプロー チ す る よ う に 見 え る。 そ れ に、 そ も そ も「 柳 屋 敷 」 は、 「 老 婦 人 」 が自分の娘と同じような家庭内暴力に苦しんでいる女性のために、 用意された施設なのだ。暴力によって自殺した「老婦人」の娘のこ とを合わせて考えると、死の象徴的な意味を持つ「柳屋敷」は、実 は亡くなった娘への鎮魂と言えるのではないか。ならば、 「柳屋敷」 の、 「 老 婦 人 」 の 運 営 団 体 の 特 有 な 表 現 と し て 使 わ れ る 理 由 は 死 者 へ の 問 い か け な の で は な い か。 し か も、 そ の よ う な 死 者 へ の 拘 り は、作品の中の「蝶」というイメージからも明らかにすることがで きる。   「

老 婦 人 」 は 蝶 を 好 む 人 間 と し て 作 品 に 登 場 し た。 蝶 を 飼 う た め に、 「 老 婦 人 」 は ど れ ほ ど 工 夫 を し た の か、 作 品 に は 次 の よ う に 書 かれている。

が か か り ま す。 も ち ろ ん 費 用 も か か り ま す 」( 『 1 Q 8 4』 花をここに運んできて育てなくてはならない 。けっこうな手間 しか咲かない特別な花からしか。この蝶を飼うには、まずその の蝶は一種類の花からしか栄養をとらないの。 沖縄の山の中に が 微 か に 聞 き 取 れ た。 「 沖 縄 で も 簡 単 に は 見 つ か り ま せ ん。 こ は自分の肩口をちらりと見ながら言った。その声には自負の念 く、これまでこの蝶を目にしたことはないはずです」と女主人 と を 知 ら な い よ う に、 そ こ で 眠 り 込 ん だ。 「 あ な た は お そ ら 白い蝶 だった。紅色の紋がいくつも入っている。蝶は恐れるこ 人 」  引 用 者 注 ) の 青 い ワ ー ク シ ャ ツ の 肩 に と ま っ た。 小 さ な   ( 前 略 ) 蝶 が ふ ら ふ ら と 宙 を さ ま よ っ て き て、 彼 女( 「 老 婦

BOOK1

一五一頁   傍線引用者)

は な ぜ「 青 豆 」 の 前 で「 小 さ な 白 い 蝶 」 と「 沖 縄 」 を 強 調 し た の く る と い う こ と は い さ さ か 不 自 然 で は な い か。 す な わ ち「 老 婦 人 」 な白い蝶」のためにだけ、沖縄にしか咲かない花を東京まで運んで 窺われる。しかし、いくら蝶の愛好者と言っても、ただその「小さ   「 老 婦 人 」 は ど れ ほ ど「 蝶 」 を 好 む の か、 そ の 引 用 部 か ら 端 的 に

(12)

いく。 1012 れを論じるため、まず沖縄文化においての「蝶」のイメージを見て か、その強調を通して何か言いたかったのかということである。そ

して考えられ る

((

)   「 蝶 」 は 沖 縄 人 の 死 生 観 に 関 わ る 存 在 で あ り、 常 に 死 者 の 化 身 と

( 。例えば、首里王府が編纂した古謡集『おもろさう し』には次のような歌がある。

吾 あ がおなり御神の 守 まぶ らておわちゃむ やれ   ゑけ 又 弟 おと おなり御神の 又 綾 あや 蝶

はべる

成 な りよ   わちへ 又 奇 く せ蝶なり   よわちへ

おいでになっ た

((

)   ( わ た し の 姉 妹 神 が、 わ た し を 護 ろ う と 美 し い 蝶 に 化 身 し て

( )

  右 の 引 用 に 示 さ れ た 通 り、 「 蝶 」 は 人 間 の 化 身 と い う 沖 縄 人 の 思 い が 鮮 明 で あ る。 さ ら に、 「 白 い 蝶 」 に つ い て、 沖 縄 歌 人 桃 原 巴 子 は次のように詠んでいる。

屍を掩える草より沸きたちて限り あらねこの白い蝶

  この歌について、森口豁は「桃原巴子が沖縄戦で失ったわが子へ の 想 い を 詠 ん だ 歌 」 で あ り、 「 人 骨 の 散 ら ば る 草 葉 の な か か ら 飛 び たつ白い蝶に、桃原は国に殺されていった幼い子への哀しみと平和 への願いを託した」と解釈してい る )

((

( 。すなわち桃原巴子は自分の悲 しみを「蝶」に託し、失ったわが子への追憶を詠んでいるというこ と な の で あ る。 『 1 Q 8 4』 に 戻 る が、 娘 を 失 っ た「 老 婦 人 」 は、 「蝶」 、とりわけ「白い蝶」と「沖縄」を強調しているのである。死 者 の イ メ ー ジ を「 蝶 」 に 託 す と い う 沖 縄 文 化 は メ タ フ ァ ー と し て 『 1 Q 8 4』 で 引 用 さ れ、 娘 を 亡 く し た「 老 婦 人 」 に よ っ て 語 ら れ る。 そ し て「 老 婦 人 」 が、 「 白 い 蝶 」 と「 沖 縄 」 を 通 し て 娘 を 失 っ た 悲 し み を 訴 え る。 そ れ だ け で は な く、 「 蝶 」 に つ い て、 「 老 婦 人 」 と「青豆」との間には次のような会話もある。

  (青豆

  引用者注) 「その蝶はずいぶんあなたになついている みたいですね」

  女 主 人 は 微 笑 ん だ。 「 こ の ひ と

00

は 私 の こ と を 友 だ ち と 思 っ て いるの」

  「蝶と友だちになれるんですか?」

  (中略)

  女 主 人 は 小 さ く 首 を 振 っ た。 「 蝶 に 名 前 は つ け ま せ ん。 名 前 がなくても、柄やかたちを見れば一人ひとり見分けられる。そ れに蝶に名前をつけたところで、どうせほどなく死んでしまう のよ。このひとたちは、名前を持たない束の間のお友だちなの です(後略) 」(傍点原文

  『1Q84』

BOOK1

一五二頁)

いる女性のために「柳屋敷」というセーフハウスを用意したわけで ら こ そ、 「 老 婦 人 」 は 自 分 の 娘 と 同 じ よ う な 家 庭 内 暴 力 に 苦 し ん で の拘りは再び「蝶」を通して強調される。そのような拘りがあるか 得 る の で は な い か。 そ し て「 ヤ ナ ギ 」 の 次 に、 「 老 婦 人 」 の 死 者 へ 「 蝶 」 を 借 り て 亡 く な っ た 娘 の こ と を 示 唆 す る と い う 可 能 性 も あ り 者 の 化 身 で あ る と い う 沖 縄 文 化 を 踏 ま え て 考 え る と、 「 老 婦 人 」 は が 飼 っ て い る「 蝶 」 へ の 愛 情 の 表 れ の よ う に 見 え る が、 「 蝶 」 は 死   「 老 婦 人 」 は「 蝶 」 の こ と を「 ひ と 」 と 呼 ぶ、 こ れ は 単 な る 自 分

(13)

戴:村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム

101( ものへ変化し、疑似宗教の中心的な存在となっていく。 ら生み出された。そして「老婦人」の「狂気」は次第にカルト的な

BOOK1

気 に 似 た 」( 『 1 Q 8 4』 三 九 四 頁 ) も の も 死 者 へ の 拘 り か あ る。 一 方、 「 老 婦 人 」 の 暴 力 加 害 者 へ の 強 い 恨 み、 い わ ゆ る「 狂

四 、「 広 汎 な 正 義 」 に 潜 む カ ル ト 的 な も の ― 疑 似 宗 教 の 「柳屋敷」をめぐって

  渡邉学は宗教について次のように論じている。

ことが可能だからであ る

((

) れが社会主義的な団体であったとしても、疑似宗教に分類する れる集団は広い意味で宗教であると言っても過言ではない。そ   ( 前 略 ) 宗 教 学 の 観 点 か ら す る と、 一 般 に〈 カ ル ト 〉 と 呼 ば

( 。

  そ れ に よ る と、 「 カ ル ト 」 は 宗 教 も し く は 疑 似 宗 教 で あ る と い う。その他、カルト問題に対して、歴史的文化的相対主義(通時的 視点)と時代、社会通念の観点(共時的視点)という二つの立場を 志 向 で き る と 渡 邉 学 は 論 じ て い る )

2(

( 。「 柳 屋 敷 」 の 場 合、 そ の カ ル ト 的なものは主に共時的な視点を通して見える。そして私刑(私的な 制裁)は「柳屋敷」におけるカルト的なものの、具体的な表現形式 である。その成り立ちは「老婦人」が家庭内暴力の加害者に対する 対応から明らかにすることができる。

は暴力加害者の男性について次のように述べている。

BOOK1

(『 1 Q 8 4』 三 九 二 頁 ) が あ る。 そ の 場 合 は、 「 老 婦 人 」 際 に、 ど う し て も「 現 実 的 な 救 済 策 を 見 い だ せ な い と い う ケ ー ス 」   「 老 婦 人 」 が 家 庭 内 暴 力 に 苦 し ん で い る 女 性 た ち を サ ポ ー ト す る

  「 (前略)すべての要素を拾い上げて公正に厳密に検討し、こ

BOOK1

中」 (『1Q84』 三九二頁) この世界でこれ以上生きていく価値をまったく見いだせない連 きった精神を持ち、治癒の可能性もなく、更生の意志もなく、 てしか生きていくことのできない寄生虫のような男たち。歪み きにだけ、やむを得ず行動を起こします。弱者の生き血を吸っ の男には慈悲をかけるだけの余地がないという結論に達したと

正に厳密に検討」することが必要だと老婦人は考えている。それだ 行 為( 私 刑 ) を 正 当 化 す る た め に、 「 す べ て の 要 素 を 拾 い 上 げ て 公 い て の 私 刑 の 有 り 様 は、 「 老 婦 人 」 を 通 し て 浮 き 彫 り に な る。 犯 罪 死 を 司 る 権 利 も、 「 老 婦 人 」 が 持 っ て い る。 そ し て「 柳 屋 敷 」 に お ことを指している。つまり人を判断する権利だけではなく、人の生 ば、その「何らかのかたちで消えてもらう」ことは明らかに殺人の ことをする。のちに「老婦人」に雇われた青豆の暗殺行動から見れ ない」人に対して、 「老婦人」は「何らかのかたちで消えてもらう」 る。更に、いわゆる「これ以上生きていく価値をまったく見いだせ 生きていく価値」があるかどうかを判断できるということなのであ い。 す な わ ち、 「 老 婦 人 」 は あ る 種 の 人 間 が「 こ の 世 界 で こ れ 以 上 断 の 権 利 は 実 際 に「 老 婦 人 」 に 属 す る も の と 考 え て も 差 し 支 え な らかに一般の裁判で行われるものではないだろう。ならば、その判 る と、 「 老 婦 人 」 が 言 う「 公 正 に 厳 密 に 検 討 」 す る と い う こ と は 明 と で あ る。 「 現 実 的 な 救 済 策 を 見 い だ せ な い 」 と い う 前 提 か ら 考 え は、そのような人を判断できる権利は誰が持っているのかというこ の の、 現 実 味 を 帯 び る こ と は 確 か な こ と で あ る。 た だ し 問 題 な の ない」という前提の上で行われるものであり、過激な表現であるも と 批 判 す る。 「 老 婦 人 」 の こ の 判 断 は「 現 実 的 な 救 済 策 を 見 い だ せ 「 更 生 の 意 志 」 は な く、 「 生 き て い く 価 値 を ま っ た く 見 い だ せ な い 」   「 老 婦 人 」 は 暴 力 加 害 者 の こ と を「 寄 生 虫 」、 「 治 癒 の 可 能 性 」 と

(14)

1014 いる。 け で は な く、 青 豆 に 対 し て、 「 老 婦 人 」 は ま た 次 の よ う に も 述 べ て

か ち 合 い、 使 命 を 共 に す る こ と が で き る 人 を 」( 『 1 Q 8 4』 私は信頼の置ける有能な協力者を必要としています。秘密を分 どうでしょう、よかったら私の仕事を手伝ってくれませんか。 も個別の復讐のためではなく、より広汎な正義のためにです。 きません。立ち上がって次の行動に移る必要があります。それ しょう。しかしいつまでも座して傷口を眺めているわけにはい く傷ついています。その心の傷が癒えることはおそらくないで   「 私 た ち は そ れ ぞ れ に 大 切 な 人 を 理 不 尽 な か た ち で 失 い、 深

BOOK1

三九三頁)

カルト的なものと言えるのではないか。 熱は明らかにみえる。ならば、その狂熱を帯びている私刑の行為は える。自ら家庭内暴力の加害者を裁こうとしている「老婦人」の狂 の青豆から見れば、そのような「老婦人」の有り様は「狂気」と言 は自分の私刑行為を正当化、更に正義化しようとしている。第三者 ら に 対 し て 私 刑 の 行 為 を し て い る。 そ れ だ け で は な く、 「 老 婦 人 」 た。 「 老 婦 人 」 は 家 庭 内 暴 力 の 加 害 者 を 徹 底 的 に 否 定 し た 上 で、 彼 豆 は「 老 婦 人 」 が「 間 違 い な く あ る 種 の 狂 気 の 中 に い る 」 と 思 っ 刑の行為を更に正義化しようとしている。そしてその話を聞いた青 義」のためだと説明している。つまり「老婦人」は正当化された私   「 老 婦 人 」 は 自 分 の 行 動 に つ い て、 「 復 讐 」 で は な く「 広 汎 な 正

  だが、宗教法人としての「さきがけ」と比べ、カルト的なイメー ジを持つ「柳屋敷」は完全に「宗教」とは言えない。作品の中に形 式 上 の 宗 教 法 人 の 認 可 は さ て お き、 「 さ き が け 」 と「 柳 屋 敷 」 と の 大 き な 違 い と 言 え ば、 や は り 崇 拝 の こ と で あ る。 「 さ き が け 」 の 場 合、崇拝される対象は深田保(のちに教団の「リーダー」になった 人 ) で あ る。 そ れ に 対 し て、 「 柳 屋 敷 」 の 場 合 に は 誰 か が 崇 拝 さ れ る こ と は な く、 あ る 思 想 に 耽 る の が 特 徴 な の で あ る。 そ の 思 想 は 「 老 婦 人 」 の「 狂 気 」 で あ り、 そ れ に 耽 る こ と に よ っ て カ ル ト 的 な も の が 生 じ た。 従 っ て、 「 柳 屋 敷 」 は 疑 似 宗 教 に 属 す る 団 体 で あ る。そして疑似宗教的側面を持つ「柳屋敷」がもたらしたのは暴力 である。言うまでもなく、その暴力性は殺し屋として雇われた青豆 を通して表現される。   「

す べ て の 要 素 を 拾 い 上 げ て 公 正 に 厳 密 に 検 討 し、 こ の 男 に は 慈 悲をかけるだけの余地がない」という前提があるとしても、暴力の 加害者に対して暴力で返すという「柳屋敷」の実情は変わらない。 その対応手段にはカルト的なものがあるものの、いかに有効なのか について作品の中にも詳しく書かれている。青豆が暴力の加害者を 殺したおかげで、被害者たちは「面倒な離婚訴訟も起こらないし、 親権をめぐる争いも起きません。夫がいつか自分のところにやって きて、顔のかたちが変わるほど殴られるんじゃないかと怯えて暮ら す必要もありません」 (『1Q84』

BOOK1

三三〇頁) と 「老婦人」 が言う。ただし、メイン・システムから外れた人々を受け入れると いうサブ・システムが果たすべき役割から見れば、暴力的な解決手 段はその役割と矛盾するところも浮き彫りになった。その矛盾を示 す登場人物は青豆なのである。

五 、「 信 者 」 か ら「 棄 教 者 」 へ ― 疑 似 宗 教 の 闇 に 彷 徨 う 青 豆について  

  青豆が「老婦人」からの殺人依頼を受けることについて、作品に は次のように描かれている。

  老婦人は両手を伸ばし、青豆の手を握りしめた。それ以来、

(15)

戴:村上春樹『1Q84』におけるサブ・システム 101(

青豆は老婦人と秘密を分かち合い、使命を、そして狂気に似た 何か

00

を共にすることになった。いや、それは全くの狂気そのも のなのかもしれない。しかしその境界線がどこにあるのか、青 豆には見きわめることができない。それに彼女が老婦人と共に 遠い世界に送り込んだのは、どのような見地から見ても慈悲を 与える余地を見いだせない男たちだった。 (傍点原文

  『1Q8 4』

BOOK1

三九四頁)

  このように、青豆は「老婦人」の「狂気」を受け入れ、 「柳屋敷」 の 殺 し 屋 と し て 働 く よ う に な っ た。 「 柳 屋 敷 」 の 疑 似 宗 教 的 側 面 か ら見ると、青豆の「老婦人」からの招きに応じる過程はイニシエー ションとも考えられる。そのイニシエーションを反映しているのは 青 豆 の ス ピ リ チ ュ ア ル な 感 覚 で あ る。 「 老 婦 人 」 は 自 分 の 暗 殺 行 為 を「広汎な正義のため」と強調して、そして青豆に対して「よかっ たら私の仕事を手伝ってくれませんか。私は信頼の置ける有能な協 力者を必要としています」と誘う。それを聞いた青豆は深く考えに 耽っていた。その際に青豆が感じていたのは「優しい懐かしさがあ り、 厳 し い 痛 み が あ っ た 」、 そ し て「 ど こ か ら か 入 っ て き た 一 筋 の 細 い 光 が 」、 自 分 の 身 体 を「 唐 突 に 刺 し 貫 い た 」( 『 1 Q 8 4』

BOOK1

三 九 四 頁 ) と い う ス ピ リ チ ュ ア ル な 感 覚 で あ る。 や が て 青 豆 は「 老 婦 人 」 の 誘 い を 承 諾 し て、 通 過 儀 礼 と し て の イ ニ シ エ ー ションが成立した。であるならば、イニシエーションを受けた青豆 は「柳屋敷」の「信者」と言っても過言ではない。

  た だ し、 「 老 婦 人 」 の「 狂 気 」 と の 共 鳴 は「 青 豆 」 の「 信 者 」 に なった根本的な理由ではない。それについて、作品には次のように 書かれている。

  ( 前 略 ) 今 こ こ で 狂 気 な り 偏 見 な り に 身 を 任 せ、 そ れ で 自 分

BOOK1

4』 三九四頁) たところで、失うべきいったい何が私にあるだろう。 (『1Q8 の身が破壊したところで、この世界がすっかり消えてなくなっ

  たとえ「老婦人」の「狂気」が自分の身に破壊をもたらすとして も、 「 私 」 が 失 う も の は も う 何 も な い、 そ う 考 え て い た 青 豆 は「 老 婦人」の殺人依頼を受けるようになった。すなわち、青豆が「老婦 人 」 か ら の 依 頼 を 受 け ら れ る 本 当 の 理 由 は 現 実 へ の 無 念 と 言 え よ う。だが、天吾の子供を孕んだ後、とりわけ天吾の存在に気づき始 める際に、青豆の心境は完全に変わった。その時、青豆が直面せざ る を 得 な い の は、 「 信 者 」 か ら「 棄 教 者 」 へ の 転 換 で あ る。 疑 似 宗 教的側面を持つ「柳屋敷」と自分自身のサブ・システムの役割との 矛盾は、まさにその時から現れるようになった。

いる。 のような青豆の心境の変化について、作品にはこのように描かれて き、天吾の、青豆に対しての存在感もだんだん強くなっていく。そ す。 そ の 後、 青 豆 は 自 分 が 天 吾 の 子 供 を 孕 ん だ こ と に 徐 々 に 気 づ 教団に追われるため、タマルが用意したマンションの一室に身を隠   「 老 婦 人 」 か ら の 依 頼 を 受 け た 青 豆 は、 教 団 の リ ー ダ ー を 殺 し て

  私もいつかそこにあるような、物静かで順当な世界の一部に なることができるのだろうか。青豆は自分に向かってそう問い かける。 この小さなもの

0000000

の手を引いて公園に行き、ぶらんこに 乗せたり、誰かを殺したり、誰かに殺されたりすることを考え ずに、日々の生活を送れるようになるのだろうか。そういう可 能性はこの「1Q84」に存在しているのだろうか。あるいは それは、どこか別の世界にしか存在しないのだろうか。そして 何よりも大事なこと ― そのとき私の隣に天吾はいるのだろう

参照

関連したドキュメント

マイ クロ切削 システ ムの 高度化 にむ けて... 米山 ・陸:マ イク 口旋削加工

閃 三 メ筋 ゾ肉 り色 シ素 例テ

BSP Logistics Discipline Brunei Shell Petroleum Ak Nor Hazman Vin PHA Hamid Senior Marine Engineer. Brunei Gas Carriers Sendirian Berhad Hubert Yong Sales &

③委員:関係部局長 ( 名 公害対策事務局長、総務 部長、企画調査部長、衛 生部長、農政部長、商工

Simon, Herbert A., (997, Administrative Behavior: A Study of Decision-Making Processes in Administrative Organizations,Fourth Edition, New York :

(注)

[r]

[r]