ABERに就いての一考察 : Harald Weydtの解釈を巡 って
著者 諏訪田 清
雑誌名 人文論集
巻 45
号 1
ページ A177‑A192
発行年 1994‑07‑30
出版者 静岡大学人文学部
URL http://doi.org/10.14945/00001090
ABERに就 いての一考察
一 一 Harald Weydtの解釈 を巡 って 一 ―
何 は ともあれ,次の ドイツ文 を読 まれたい。
Nehen Sie an,Sie wohnen in elnenl gro3en rnodernen Gebaude,wO slch
die Mieter kam kennen, I〕 ines Tages―
Sie sind gerade beirn Kochen―
stellen Sie fest,da3 Sie kein Salz in der Wohnung habeno Sie gehen also
zu lhrer Nachbarin,Frau Meier,und klingelno Was sagen Sie,als sie dieTtir aufmacht Pl)
このような場合 に,人はどのような依頼 の仕方 をするだろうか。 ある ドイツ 人 は,Harald Weydtが 調査 した ところによれば,次のように依頼 した との こ
とである。
(1)Ach entschuldigen Sie bitte die StOrung, aber ich bin gerade beiln
Kochen und stelle fest,da3 ich kein Salz hab'。 Konnten Sie rnir vlelleicht aushelfen P2)
この依頼 の仕方 は,Weydtによれば,ドイツ人 の間では極 めて普通の もので あるようだ。問題 は Ach entschuldigen Sie bitte die StOrungの 次 に現れ る
aberで
ある。 このaberは
どの ような役割 を果 しているのであろうか。Weydt
は
"4BER,″
IS UND ByP(1983)の 中で このaberの
役割 を考察 してい る。Ach entschuldigen Sie bitte die StO― g,aberと
い う話の切 り出 し方 は ド イツ人に特有な ものなのか,そ
れ とも他国の人 の間で も使われているのか,そ
の ことを彼 は多 くの言語 において検証 した。あるフランス人 は次のような言い 方 をした との ことである。
清
田
(2)Bo■
our,Madame Meier.Euh.Excusez―moi de vous
ranger,mais iesuis en tFain de faire la cuisine et je rn'apercois que je.… qu'il Fne rnanque du sel.Vous n'pourriez pas■ 1'en prtter un peu?3)
フランス人 はいかなる理 由か ら
Excusez―
moi de vous daanger,maisとい う言い方 をするのだろうか。本稿 は
aberに
限定 して,Weydtの考察 を検討す ることにその目的がある。但 し,彼の考察 に異 を唱 える積 もりは毛頭 ない。彼 は ドイツ人である。 ドイツ 語 は彼 に とって母国語 なのである。 ドイツ人が問題 としている事柄 を ドイツ人
と同一 レベルで問題 とす る日本人が相当多 く見 られ る。 しか し
,そ
うした 日本 人 の ドイツ語 はどの位のレベルにあるのだろうか。筆者の考 えでは, ドイツ人 と同 じように ドイツ語がで きる日本人,換言す るな らば, ドイツ語 を内側か ら 見 ることがで きる日本人 は殆 ど皆無であろう。そうな らば,日
本人が ドイツ語 を研究す る場合 には,あるいは, ドイツ人 による ドイツ語の考察 を研究する場 合 には,
ドイツ人 とは思考様式の異なる日本人の立場,即ち,日
本語か ら行 う 以外 に他 に方法があ りうるだろうか。参考文献 として多 くの ドイツ人 による論 文 を挙 げる ということは,確かに「恰好が よい」。 しか し,そ
うい う手法 を採用 した論文の殆 どすべてが,
ドイツ語 を理解す るのに全 くと言 つてよいほ どに役 に立たないの も事実である。 ドイツ語が ドイツ人 ほ どにで きないのに, ドイツ 人 の疑間 とす る事柄 を ドイツ人 と対等の立場で論 じようとした ことが もた らす 必然的な結果である。本題 に戻 ろう。
Weydtは
,この ようなaberは
自分 の考 える「普通のaber」
(die no・ 11lale ABER)か
ら多少かけ離れている, と考 えている。Weydtは先 ず「普通のaber」
がいかなるものかを考察す る。zlmachst zur Erklarung der nollllalen ABERo Es gibt beijedem VOrkom‐
men von
αι′″
zwei Propositionen,die zueinander in Beziehung gesetztwerdeno Sie sonen in.f。
lgenden"Theseund"Antithese genannt werden。
E)ie Antithese entspricht der mit αιιγ eingeleiteten Proposition. Beide Propositionen schlie3en sich nicht gegenseitig aus.Sie sind sogar durch‐
aus nliteinander kompatibelo αみι″hat in dieser Konstenation die Funk‐
tion,einern vom Sprecher beirn Gesprachspartner filr rnёglich gehaltenen Fehischlu3 zuvorzukorrlmen und ihn zu verhindern.4)
― ‑178‑
「普通の aber」 は
,Weydtによれば ,こ のように定義される。では ,「 普通
の aber」 とは具体的にはどのようなものであろうか。それに該当するものとし
て
,Weydtは次の aberを 挙げる。
(3)Karl ist gro3,aber schwach.助
日本人 もよく知っている ,そ れこそ極 く「普通の aber」 ,「 しかし」という訳 語 を与 えることので きる
aberである。 Weydtの 定義 は (3)に 現れた「普通の
aber」 において
,次のように妥当することになる。
In einem Satz wie(3)wird von Karl gesprochen,der groS ist.Der Sprecher nimmt an,da3 der Horer,宙
elleicht aufrnd seiner bisherigen Erfa―‐
gen,der Meinung sein konnte,da3 Karl,wem er groS ist,auch stark ist.Einenl solchen FehlschllJ3 will er durch die Antithese zuvorkommeno Er
verbindet These und Antithese durch《五
e adversative KoniunktiOnαι′″
,wn darauf aufmerksam zu machen, da3 das zweite Element eben als Antithese in《 五
esem Sinn verstanden werden so■.6)この注釈 は 日本人 に とって も何 ら抵抗 な く受 け入 れ る ことので きる もので あ ろ う。 しか し
,非常 に興 味深 い こ とに
,Weydtは,(1)の
aberも「 普通 の aber」
と同 じように説明 され る
,と言 うので あ る。 Weydtに よれ ば ,(1)の aberに お い て も ,Theseと
Antitheseが次 の よ うに認 め られ る こ とにな る。
These: Ich kenne die gesellschaftliche Regel, da3 man andere Leute
nicht storen soll.
Antithese:Ich habe G」
山口山3,Sie trotzdenl zu storen.7)
ドイツ人 は Weydtの 解釈 を どの よ うに評価 す るだ ろ うか。それ は
,残念 なが ら
,少な くと筆者 には知 る由 もない。翻 って ,日 本人 には ,日 本人 の思考様 式 か ら くるので あ ろ うが ,こ れ は とて も受 け入 れ る こ とので きない解釈 で あ ろう。
少 な くとも筆者 には
,Weydtの言 う
Antitheseは考 え られ ない。
では,この
(1)の aberを
日本人の立場から考察するためには,何が行われなければな らないだろうか。ドイツ人の書いた
aberの
文献 を読 む こと,そ んな こと は必要ではない。そうではな くて,何よりも先ずaberの
用例 をで きるだけ多 く 収集す ること,それが肝要なのである。その時 に始めて,aberの働 きを日本人 が知 ることがで きるであろう。本稿 はWilhelm Hauffの
"Die Karawane の中か ら"Die Geschichte vom
Kalif Storch
と"Die Geschichte von dem kleinen Muck を選び,この2作 品の中で使 われているaberを
検討 し,ま
た,必要 に応 じて他の作品に現れたaberを
も援用 し,以 てaberの
働 きを究明す ることとす る。その2作品には全部 で103個
のaberが
使われていた。Weydtに
よるaberの
定義 は紹介 したが,参考 までに他の ドイツ人がaberを
どのように考 えているか,そ れに一寸触れてお く。Dudenの Deutsches U亜ver‐
sal WOrterbuchに
よると,aberの機能 はGegensatzを
表す ことにあ り,そ
の 意味 はDe]doch,dagegenと
い うことになる。他の辞典,例えば,Dudenの
DasgroSe Wё
rterbuch der deutschen Worterbuch, lBrockhaus― Wahrig̀D]Deu中tsches Worterbuch, Klappenbach―
Steinitz 6D Worterbuch der deutschenGegenwartsspracheで
も,ま た,Gerhard Helbigの Lexikon deutscher Parti‐
kelに おいて も,事情 は同 じである。しか し,残念 な ことに,独々辞典 に書かれ ていることは ドイツ人の筆 によるものであるために
,そ
こか らは日本人が疑問 とすることを知 ることがで きない。では, ドイツで公刊 されている論文 はどう であろうか。 ここで も独々辞典 と全 く変わ らない。思考方法の違いか ら, ドイ ツ人 によるaberの
研究論文 は, ドイツ語が ドイツ人 と同 じレベル にある日本 人 にしか役 に立たないのである。今度 は日本 に目を移 してみよう。先ず独和辞典である。殆 どすべての独和辞 典 は
aberの
意味 として,先ず「 しか し」を挙 げ,そ
の機能がGegensatzで
あるとしているPこれはある意味で当然である。独和辞典 は独々辞典の翻訳 と言 っ て も,決して言い過 ぎでないのである。次に論文である。近年
aberに
関 して2
つの論文が公 になった。幸 田薫氏の『発話行為 に係 る不変化詞一一αbι %,,α JJa簿
″鶴ゞ
,あ
滋』と保坂良子氏の『等位接続詞の語用論的用法』である。 ここで両 氏 の論文 に立 ち入 ることはしない。ただ,腹蔵無 く言 えば,両氏 の論文 は,aber が何であるかを他 ならぬ日本人が知 ろうとする時 には,残念 なが ら全 くと言 っ てよいほ どに役 に立たない。では逆 に,ドイツ人が この論文 を読 んで,aberがドイツ人 にとっていかなるものであるか
,そ
れ を改めて知 ることがで きるか と 言 えば,そ
れ は全 く不可能であろう。多 くの文学作品が教科書版 となっている。― ‑180‑
そ うい う教科書 を使 った経験か ら言 うと,必要のない箇所 に注があ り,知りた い箇所 に注がない ことにしばしば出会 う。失礼 を省みずに言えば,同じような
ことしか この
2つ
の言わゆる「論文」か らは見て とれないのである。か ような訳で,当た り前の ことであるが,言わば「注 を必要 とする」
aber,
日本人か ら見たaber,それ を論 じなければ,価
値がないのである。先ず,下線 を施 した次のaberを
考 えてみ よう。(4)。 ..;er(=der andere Storch)putzte sich nlit dem Schnabel seine Fu3e,
legte seine Federrl zurecht llnd ging auf den ersten Storchen zu.Die beiden neuen StOrche(=der Kalif md sein Wesir)aber beeilten sich,in ihre Nahe
zu kommen, und vernah□
n zu ihrem Erstaunen folgendes Gesprach:
《
Guten h/1orgen,Frau Langbein,so frth schon auf der WieseP》(Die Geschichte vOm Kalif StorcD
この aberの 働 きと意味は残念なが ら
,独和辞典 には載っていない。 ここで aberは Weydtが 言 う
,Antitheseを導入するための役割 を果 しているだろう か。即ち
,Gegensatzの働 きをしているだろうか。換言すれば
,この aberの 意 味は「しかし」であろうか。「 しかし」 という訳語を与えると
,断然おかしい。
翻訳がい くつかあるが ,そ の中の 1つ 一二訳者は野本祥治氏である一一はこの aberに 訳語を与えていない。その考えに賛成である。では
,aberはここでいか なる働 きをしているのであろうか。次の
aberも同じ働 きをしているもの と思 われる。
(5)Als sich der Kalif von seinem Erstaunen erholt hatte,bilckte er sich
mit seinem langen Hals, brachte seine dunne Fu3e in eine zierlicheStellung und sprach:《
Nachteule!Deinen Worten nach darf ich glauben, eine Leidensgefartin in dir zu sehen. Aber ach! Deine Hoffnung, da3 durch uns deine Rettung kominen werde,ist vergeblich.Du wirst unsereHilflosigkeit selbst erkermen,werm du urlsere Geschichte horst,》
DieNachteule bat ihn zu erzahlen,der Kalif aber hub an und erzahite,was wir bereits wissen. (Die Geschichte vom Kalif Storch)
訳者 の野本氏 は ここで も aberに 訳 語 を与 えてい ない。 それ で構 わ ない と思
‑181‑
う。察するに
,こ
の(4X5)に
現れたaberは
,ひょっ とすると日本人 には最 も難 し いaberの 1つ
か も知れない。仮 に,こ の二つのaberがどの ような働 きをす るものであるか,と ドイツ人に 尋ね る としよう。 ところが
,こ
れ は彼 らには愚問その ものであろう。 もしこの 質問 を向けられた とした ら,こ こにもGegensatzが認 め られ る,と 彼 らは答 え るであろう。 そうでなければ,あ
っさ りと次の注釈で説明することであろう。in abgeschliffenerem Sime auch zur blo3en Fortfting der Rede in der
Erzahlung dienend9)
この解釈 は近年
,
ドイツで刊行 されている辞典で も採用 されているようであ る。当然の ことに,日
本で もい くつかの辞典が この解釈 を受 け入れている。in abgeschliffenerem Sirlne(か
な り弱 まった感 じで)と は,恐ら くGegensatzの
ことを言っているのであろう。 しか し
,日
本人である筆者 には,こ
の解釈 を受 け入れ るには,些か抵抗がある。Gegensatzが
弱 まる とい うことは,そ
もそ もどういうことを意味するのであろうか。 この疑間 と関連す ることであるが,仮
に
Gegensatzの
働 きが弱 まった とした ら,aberは必ずblo3e Fottf山
向唖ξder
Rede in der Erzahlung(物 語 における話の単なる続行)の働 きをすることにな るのだろうか。もしそうだ とした ら,aberは undとどこが違 うのだろうか。仮に (4X5)の aberを
undに置 き換えるとした ら ,ド イツ人は絶対 に反対するであ ろう。
ではどうした らよいか。実はこの (4)(5)に 出て くるaberの 働 きを解明するた めの手掛か りになると思われる例が収集 した 103個 の aberの 中にあるのであ る。それは次の
aberである。
(6)Lange betrachtete er(=der Geltte Selim)die Schrift;p10tzlich aber
rief er aus:《
Das ist Lateinisch,o Herr,oder ich lass'mich hangen)10(Die Geschichte vom Kalif Storchl
学者ゼー リムは,宰相が購入 した ものに何が書かれているのか
,そ
れを解読 す る命 を受 けて,王の もとに呼 ばれていたのである。ゼー リムは学者の面子 に かけて解読 しようとす る。その後が上の文である。aberの
出現 によって何が起 きた,と
読者 は思 うであろうか。筆者 はいま「aberの
出現 によって何が起 きた」‑182‑
と言 った。
aberの
出現 は何かが起 きた とい うことを示唆 しているのではなかろ うか。具体的 に言 えば,aberは,書
かれているものをゼー リムが長 い こと見つ めていた という作業が終了 し,こ
れか ら新たなる出来事の展開が始 まるのでは ないか,こ
の ことを読者 に予想 させ る働 きをしているのではなかろうか。内容 を解読で きた とい う報告 をひ ょっとした らゼー リムが これか らするのではない か,とい う新たなる展開 を読者 は期待す ることがで きるのではなかろうか。同じような働 きをしていると思われる
aberを
もう1つ
挙 げよう。(7)Mir war gar nicht wohl zu Mut;ich
Ыieb daher lange in meinem
Verstck;endlich aber trieb mich der Hmger,den ich arger furchtete alsschlage,heraus,und demtitig und lnit gesenktern Kopf trat ich vor rneinen
Vater @ie Geschichte von dem kleinen Muck)
aberの
出現 は,隠れ る とい う「私」の行動が終わ りとな り,これか ら新たな る出来事の展開が始 まるとい うことを読者 に予想 させている,こ
の ように解釈す ることがで きるので はなか ろうか。
この
(6X7)の
例 に認 められ るaberか
ら,恐
らくはaberの
すべての用法 に通底 す るものが何であるか,少な くともその輪郭だけは描 くことがで きるように思 われ る。接続詞aberは
それ までの出来事 に終わ りを告げ,新たなる出来事の展 開が始 まることを読者 に知 らせ る働 きをしているのではなかろうか。換言すれ ば,aberはそれ までの出来事 に終わ りを告 げ,新
たなる出来事の描写 を,接
続 詞 として文字通 り「接続する」働 きをしているのではなかろうか。無論,(6X7) のaberは
接続詞ではない。 しか し,この2つ
の aberも そのような機能 を持 っ ていると解釈 して もよいのではなかろうか。接続詞
aberを
取 りあえず次の ような機能 を持つ もの と定義 しよう。接続詞
aberは
それ までの出来事 に終止符 を打 ち,そ
の出来事か ら離れ るこ とによって,そ
の出来事 の後 に新たなる出来事 を接続す る機能 を持つ ものであ る早速
,こ
の定義の もとに下線 を施 した次のaberを
見てみ よう。(8)Als die Storche an ilrer Mauerlticke dieses (=MutabOr)hOrten,
kamen sie vor Freuden beinahe au3er sicho Sie liefen auf ihren langen
Fti3en so schnell dem Tor der Ruine zu,da3 die Eule kaum folgen konnte.
Dort sprach der Kalif ge■
hi zu der Eule:《Retterin meines Lebens urld des Lebens lneines Freundes,rurrln zunl ewigen]Dank ftir das,was du an
uns getan,mich zum Gemahl an!》 Dam aber wandte er sich nach Osten.Dreimal bickten die StOrche ihre langen Halse der Sonne entgegen,die soeben hinter dem Gebirge heraufstieg.《 MutabOr!》
riefen sie;im Nu waren sie verwandelt, und in der hohen Freude des neugeschenkten Lebens lagen Herr und E)iener lachend und weinend einander in den
Amen. lDie Geschichte vom Kalif Storchl
下線部の aberも 日本人 には恐 らく不要 な もの と映 るであろう。訳者の野本 氏 もこの
aberを
訳出 していない。aberは
,ここでは(6X7)の aber以
上 に,その 存在理由が 日本人 に理解 しがたい もの となるであろう。しか し,aberを上述の ように定義すれば,aberがここで果た している役割 もわかって くるのではなか ろううか。変身中は絶対 に笑 ってはな らない とい う掟 を王 と彼の臣下 は破 って しまった。二人 はコウノ トリか ら人間に戻 ろうとして,学者ゼー リムがその内 容 を解読 して くれた ものに書かれてある通 りに,東を向いて脆 き,Mutaborと い う言葉 を発 しようとす る。しか し,最後 のMutaborと いう言葉が どうして も 彼 らの日か ら出て こないのであった。以上 の ことを念頭 に置いて,この文章 を 読 む としよう。Mutaborと い う言葉 を思い出す機会 を与 えて くれた臭 に対 し て,王と彼の臣下 はお礼 を言 う。ここでaberが
出現す る。このaberに
よって,それ までの出来事 に終止符が打たれ,新たなる出来事が描かれ るであろうこと を読者 は容易 に想像することがで きる筈である。 その新たなる出来事が何であ
るか ,そ れは言 うに及ぶまい。二 と彼の臣下である宰相の願望が実現するとい うこと
,即ち
,彼らは東を向いて脆 き,よ うや く
Mutaborという言葉を発 して 人間に戻 ることができるということである。
aberの 定義は Weydtが 言 う「普通の aber」 に対 しても
,勿論
,妥当する筈 である。それを次の例で検証 してみよう。
(9)Seitdem lebt der kleine Muck hier in groSem Wohlstand,並 ein̲
(Die Geschichte von dem kleinen Muck)
-184-
sanl,...
今 まで述べて来た ことか らすれば
,イ
ヽさなムクがin groSem Wohlstand(と
て も幸せな状態で)で
あることは読者 も容易 に想像することがで きるであろう,と作者Hauffは考 えている。しか し
,Hauffの
念頭か ら離れないのは,主
人公 が それにもかかわ らず,einsam(孤
独で)で
あるとい うことである。作者 はそ の ことを読者 に知 らせ る義務があると考 える。 その義務 を果たすために,作者 はaberを
登場 させ る。もはや説明は要 しまい。aberの
出現 によって,主人公がin groSem Wohlstandで
あるとい うことに終止符が打たれ,新たなる出来事の 展開が告 げられ る。その新たなる出来事がいままで述べて きた主人公の状況か らかけ離れた ものであろうとい うこと,貝
口ち,それ までの こととGegensatzで
あること,そ
れ は読者 に も容易 に想像がつ く筈である。Weydtは ,先
に述べた ように,「
普通 のaber」
に認 め られ るTheseとAntithe‐
seは
すべ てのaberに
も等 し く認 め られ る,と考 えてい る。確 か に「普通 のaber」
では,Weydtの言 う通 りであろう。 しか し,その他の aber一 一 この言い 方が奇妙であることは言 うまで もない一一 においては,先に指摘 した ように,日本人の立場か ら見 ると
,Theseと
Antitheseは 認 め られない。 これはどの よ うに考 えるべ きであろうか。「普通のaber」
は「原初的aber」
が もた らす1つ
の所産 に過 ぎないに もかかわ らず,Theseと
Antitheseの 明 白に認 め られ る aber,即 ち,「
普通のaber」
が余 りにもしばしば使われ,そ
の結果,「
普通 のaber」
が「原初的
aber」
その ものであると錯覚 された,このように考 えることがで き るのではあるまいか。ところで
,aberの
全用法 に通底 す るLeitgedankeの
定義 は筆者 の思 いつ き か らきた ものでは決 してない。 この定義 にはそれな りの根拠が ある。Paulの DeutschesWOrterbuchは ,aberの
原初的意味 はweiter weg,spaterで
ぁる,としている。 また
,Etymologisches WOrterbuch des Deutschenは ,aberの
原初的意味 は
weiter entfemt,spaterで
ぁる,と している。更 にまた,Kluge
の Etymologisches WOrterbuch der deutschen Spracheは
aberの
原初的意味 としてdanachを載せている。 この3つ
の辞典 によれば,aberの原初的意味 は 次の ように,即ち,「
離れ る」ということ,及び「後 に」ということである,と 纏 めることがで きるであろう。 この ように纏 めることがで きれば,あ
る出来事に終止符 を打 ち
,そ
の出来事か ら「離れ」,そ
の出来事の「後 に」新たなる出来 事 を接続 させ る と定義 した,接続詞aberが現在持 っている機能,そ れは容易 に 導 き出せ るではないか。恐 らくこの三つの辞典が指摘する原初的意味 は,現在 で も脈々 と生 き続 けているもの と思われる。aberと い う語 を聞 くと,その意味は「 しか し」である,と直 ぐに考 えがちである。 しか し, ドイツか ら出ている 語源辞典 は,aberの原初的意味 として
,日
本語の「 しか し」に該当す る語 を載 せてはいないのである。 これは注 目に値することである。「 しか し」という意味 は,繰り返 しになるが,あ
る状況 においてaberが
帯 びるほんの1つ
の意味 に過 ぎないのであろう。但 し,ほんの1つ
の意味 に過 ぎない「 しか し」の意の aber が,ドイツ と同 じように日本で も,「
普通のaber」
であると安易 に見なされてい る。そのために ドイツ人 はさておいて,少な くとも日本人 にはaberは
難 しいの であろう。さて
,い
よいよ残 った課題である(4X5)の aberを
検討す ることにしよう。ここ で も先 に行 ったaberの
定義が妥当す る筈である。いずれの例 において も,あ
る 出来事が終了 し,そ
れに対応す る形で新たなる出来事が生ずる。(4)に
おいては,一羽の本物のコウノ トリが これ また別の本物のコウノ トリの許へ駆 け寄 る。他 方,コウノ トリに変身 した王 と彼の臣下 はその2羽の本物のコウノ トリの所へ 近づいて
,そ
の コウノ トリの会話 を盗み聞 く。筆者 はい ま「他方」 とい う語 を 使 つた。「他方」という語 は,話題 の移行 を伝 えようとする時 に使われ るもので ある,と言 うことがで きるであろう。aberも,こ こでは,同
じように話題 を移 そうとす るときに使われている筈である。本物の コウノ トリの話が終わ り,即ち,話が本物のコウノ トリか ら離れ,今度 は話 をい よいよ変身 した2羽のコウ ノ トリヘ移す
,そ
ういった合図をaberは
行 っている,と 見なす ことがで きるの ではあるまいか。話題 を移す ということ,こ れは上 に挙 げたaberの
定義 にそっくり当てはまる。
今度 は
(5)を
検討す ることにしよう。 ここで もaberは (4)と
全 く同 じように考 えることがで きるであろう。果 はヨウノ トリか ら人間に戻れないで困っている 王 に対 して,彼の身に何が起 きたのか を話 して欲 しい と願 う。ここでaberの
出 番 となる。このaberに
よって,話題 の中心が臭 を離れ,王に移行 した ことを読 者 は知 ることがで きるであろう。臭が王 に懇請 しているのであるか ら,今度 は 王がその懇請 に対 して どの ように対応するかが問題 となって くる,と
誰で も考える筈である。
ここで
aberの
位置 について一言触 れてお くことも無駄 ではあるまい。Diebeiden neuen StOrche aber beeilten sich,in ihre Nahe zu kOmlnenと
い うように
,Die beiden neuen Storcheの
次にaberが
出現す る。ある時,さる作品 の教科書版 にかかるaberの
注 を見た ことがある。そこでは,aberは
主語 と定動 詞 との間に入 ることがある,といった注が施 されていた。確かにその通 りであ‑186‑―
ろう。しか し
,こ
れで は余 りにもお粗末す ぎる。問題 としているaberの
位置 は 次のように解釈 す ることがで きよう。aberがDie beiden lleuen StOrcheの 前 に位置 しないで,即ち,Aber die beiden neuerl StOrche beeilterl sich,in ihre
Nahe zu kOInmenと な らないで
,Die beiden neuen StOrcheの
後 に位置 して いるが,これ は,変身 した2羽のコウノ トリか ら話題 の移行が始 まる合図,即ち
,こ
の2羽のコウノ トリにまつわ る出来事が新たに開始 される合図である, その ように解釈 しなければなるまい。尚,先に
(4)(5)に
触れた際 に,ド
イツ人 は このaberを
Gegensatz,あるいは,in abgeschliffenerem Sinne auch zur blo3en Fortfhmg der lRede in der Erzahlung dienendと 見 なすか も知れない,と述べた。 ここでは本物のコウノ
トリと変身 した コウノ トリはお互いにどの ような関係 にあるのだろうか。両者 は「対」の関係 にある,即ち
,「
対比」されている,こ
の ように考 えることがで きるのではあるまいか。 この「対」,あるいは,「
対比」をGegensatzと
見 なす こ とは 日本人 に も可能 で あ ろ う。 とす れ ば,ド
イ ツ人 が行 うか も知 れ ないGegensatzと
い う注釈 は理解で きることになる。このGegensatzの
働 きをす るaberは
,勿論,aberの定義 を行 った際に述べた「新たなる出来事 の展開」か ら 導かれる。他方,in abgeschliffenerem Sinne auch zur blo3erl Fortfm der Rede in der Erzahlung dienendと い うことも,接続詞aberが
「新たなる出来事の展開」 を接続す るもの と解す ることがで きれば
,こ
れか ら容易 に導 く ことがで きるのではないか。自分 の定義 した
aberを
説明す るために,都
合 の よいaberだ
けを持 ち出 して いると言われかねない。先の定義が他のaberに
も妥当す るか否か,検討 してみ よう。 まず下線 を施 した次のaberである。00 Man denke sich den Schrecken des Hofes!Man schickte sogleich nach
allen Aご
zten der stadt;sie kamen haufenweise,verordneten Pillen undM破
turen;aber die Ohren md die Nasen bliebeno Man operierte einen der
Prlnzen;aber die(Эhren wuchsen nach.lDie Geschchte von dem kleinen Muck)
ムクは濡れ衣 を着せ られて王の侍従飛脚 としての地位 を追われ,あて どな く
放浪す る。食べ物 に困 り
,た
また まイチジクを食べ る。す ると,両耳 と鼻が異 常 に大 き くなる。 しか し,空腹 には勝 てない。彼 はまたイチジクを食べ る。彼の予想 もしない ことに,今度 は鼻 と耳が元通 りになる。 それで,彼はこのイチ ジクで以て王室 に対す る復讐 を企てる。運良 く,彼はイチジクを王室へ売 り込 む ことに成功する。王家の人々 はそのイチジクを食べる。彼 らの鼻 は当然の こ
とに異常 に大 き くなる。 その時の驚 き様が この00で ある。 ここの
aberは
単 にGegensatzの
働 きをしている「普通のaber」
に過 ぎない,こ
の ように簡単 に済 まされ るか も知れない。しか し,こ こで もaberは
これ までの例 と同 じように解 釈 したほうが よい。先ず投薬が行われ る。医師 も患者 も,これで両耳 と鼻 は元 通 りになる,と考 えることであろう。 ここでaberが出現す る。 このaberは
事 態が彼 らの期待か らそれ こそ「離れて」い くことを知 らせている,こ
の ように 解釈す ることがで きるので はなか ろうか。aberが
医師 と患者の期待か ら離れて い くこと一一 それはGegensatzと
い うことである一― を示唆す るとすれば,こ のaberは
で きるだけ文頭 に位置 したほ うが よいであろう。今度 は次の例であ る。α
D Der Kalif tat die Pfeife ein wenig aus dem Mund urld sprach:《
Warummachst du ein so nachdenkliches Gesicht,Gro3wesir?》
Der Gro3wesir schlug seine Arrne kreuzweise uber die Bmst,verneigte
sich vor seinem He..1l urld antwortete:《
Herr,Ob ich ein nachdenkliches Gesicht mache, weiS ich nicht; aber da drunten arrl Schlo3 steht einKramer,der hat so schOne Sachen,da3 es rnich argert,nicht viel uberflus̲
siges Geld zu haben.) (Die Geschichte vom Kalif Storch)
王 は宰相が浮かぬ顔 をしていることに気づ き
,そ
の理 由を尋ねる。 それに対 して,宰相 は王 の問いか けに関心 を示 そ うとしない。そ してaberを
登場 させ る。筆者 はいま,「
王の問いかけに関心 を示 そうとしない」と言 った。 これは王 とのや り取 りか ら宰相が「離れて」い くことであると考 えることができるであ ろう。裏返 して言 えば,こ
の行動 をとることによって,宰相 はある事柄 を王 に 伝 えようとしていると解釈す ることが可能であろう。否,「
離れ る」という行動 を とって始 めて,宰
相 はある事柄 を王 に伝 えようとす る行動 に移 ることで きる,と言 ったほうが よ り正確か も知れない。宰相 は
aberを
導入す ることによって,本題 に入 ることができるのである。この ように考 えれば,こ こで
aberが
使われ ている根拠 は説明で きるであろう。これで ようや く
Weydtが
考察 の対 象 としてい る(1)の aberを
論 ず ることが― ‑188‑―
できる。食事の用意 をしていて塩がない ことに気付 いた主婦 は隣家のベルを鳴 らし
,塩
を借 りようと考 える。しか し,余り話 をした ことのない隣人 に対 して, い きな り塩 を貸 して くれ とは頼 めない。 その ような時 に ドイツ人 は先ずEnt‐
schuldigen Sie bitte die StOrungと
切 り出すのであろう。 この言葉 によって隣 人 に対す る礼 を尽 くした,と ドイツ人 は考 えるのではあるまいか。後 はaberを
登場 させれば宜 しい。aberの
働 きによって,外
交辞令か ら離れ,直
ちに本題 に 入 ることがで きるのである。Entschuldigen Sie bitte die StOrung,aberと
い う形式 は,
恐 らくこのよう│こ 解釈で きるのではないだろうか。 しか し,これはあ くまで も日本人の思考様式 によって行われた解釈 に過 ぎないのである。他の言語 を母国語 とす る者 な らば, あるいは,こ
れ とは異なった解釈 をす るか も知れない。 もし「取 りあえず」 と い う留保 の下 に行 ったaberの
定義が誤 っていない とす るな らば,次
の aberも容易 に説明で きるであろう。
l121 Herr Gerber:Guten Tag,mein Name ist Gerber.Ich komme von der Firlrla lndex,Ist]Herr Fuchs da P
Sekretarin: Tut rnir leid,aber Herr Fuchs ist gerade untepⅣ egs.
これ はある教科書 に載 っていた ものである:D質 問 に答 えて,いきな りHerr Fuchs ist gerade unterwegsな どと言 うことは失ネ
Lな
ことであ り,とて も出来 まい。そのような場合 に, ドイツ人 は先ずTut mir leidと
言 うのであろう。 こ れ は恐 らく期待 に応 えられない際の常套句 と考 えられる。秘書 もこの表現 を使う。同時 に,彼女 は
aberを
登場 させ る。aberを
用いることによって,彼女 はお 詫 びをした と考 え,本題 に入 って,Gerber氏
の質問に答 えようとするのである。次の aberも 同 じように考 えることがで きる。
》 Es tut mir leid《
,sagte er(=ToniO KrOger),》aber ich fl■ re keine Papiere bei mir.《
警官に身分証明書の提示を求められた トニオ 0ク レーガーの文句である。警
官の要請に対 して
,身分証明書を持ち合わせていないということだけをぶっき
らぼうに言 うことは
,常識人にはできない。 トニオ・ クレーガーは文学者であ
る。そこで彼 も Es tut mir leid,aberと 言ったのであろう。
テキス ト
Hauff,Wilhelln:Marchen und NoveⅡ en,Manesse Verlag,1969.
野本祥治編 注 『対訳
ハ ウフ童話選』
第 二書房 1972年
第
12版 Mann,1「hOmas:TO壼
o KIoger.In:̀Fhomas Mann,Gesammelte WerkeBd.8,S.Fischer Verlag,1960.
Wolfgang SchlechtO三
室 次雄著『ハ ロー・ ヴ ィーゲー ツ ?』 三修社
1992年参 考文献
Weydt,H.:4BER,MArS UND Bυ
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幸 田
薫 :発 話行為 に係 る不変化詞一一 αレち
"α JJad′ η邸 ,あ 滋 [『 ドイ ツ文 学』第
88号]1992年保坂 良子 :等 位接続 詞 の語用論 的用法 [『 ドイ ツ文学』第
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Brockhaus―
Wahrig:]Deutsches WOrterbuch.
Duden:]Das gro3e WOrterbuch der deutschen Sprache.
Duden:]Deutsches Universal Worterbuch.
Helbig,G.:Lexikon deutscher Partikel,VEB Verlag.
Klappenbach― Steinitz:Worterbuch der deutschen Gegenwartssprache.
Kluge,F.:Etwlologisches WOrterbuch der deutschen Sprache,Walter de
Gmyter Verlag.
Paul,H.:Deutsches Worterbuch,Max Niemeyer Verlag。
Pfeifer,W.:Etymologlsches WOrterbuch des Deutschen,Akadelnie Ver‐
lag。
Worterbuch der Hauptschwierigkeiten in der deutschen Sprache, San‐
syusya Verlag. .
佐藤通次著『独和言林』
白水社
注
1)Weydt,H.:4班 ,MAS UND
βυT,S.148.
2)Ibidern s.148.
3)Ibidem s.148.
4)Ibidem s.148‑S.149。
5)Ibidem s.148.
‑190‑
6)Ibidem s.149。
7)Ibidem s.149.
8)例