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徒然草における「道」の一考察―儒釈道との関連をめぐって―

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はじめに 「道」という語 は徒然草において頻出するが、 実に多様な意味 合いを担って使われている。 それらの用例を一っずつ検討してみ ならば、 学問・芸能・武術·技術などの専門の分野を指して一百 う「迫」の語例が最も多く、 一段、二十二段、五十一段、 五十七 段、 七十三段、 七十九段、八十段、百十段、百二十二段、百三十 段、 百四十五段、百五十段、 百六十七段、百六十八段、 百八十五 段、 百八十七段、 百八十八段、百九十三段、 二百十九段、 二百三 十二段、 二百三十八段などの諸段に見出される。他方、 神仏、聖 賢の教え、 または仏道を意味する例 は四十九段、五十八段、 七十 ・五段、 九十二段、 九十八段、百七十四段、 二百四十一段などの諸 段に見出される。兼好が「道」の第一義を仏道に位いていること は言うまでもないが、 宮倉徳次郎氏が「この道という言薬も勿論 道を意味しているのであるが、 しかし兼好にとって、『仏道] そのものが、多分に哲学的色合いの濃い仏道で、 老荘思想とも相 通じ、 更に当時禅学が宋学と結ぴついて翰入せられていたことも

徒然草における

「道」

の一考察

ー儒釈道との関連をめぐって

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考えられて、そこに、兼好のいう『迫』という語のニュアンスが 考えられなくてはならない」と述ぺられているのは示唆的である (注ー)。今成元昭氏は、 徒然草二百四十一段の「直ちに万事を 放下して道にむかふ時、 さはりなく、 所作なくて、 心身ながくし づかなり」という一文を例として、中世の作品であれば、この「道 j が仏道であることは常識的なことであるが、 徒然箪にあってはそ のような一般性は通用しないと説かれている(注二)。 また、 村惑治氏は、 徒然草の「まことの道」は本来仏道として使われて いた曾薬に、 兼好は老荘思想 における「至道」「真道」という意 味合いを込めて使っていると論じ、 徒然草 に説かれる「道」を考 える際には、 仏道だけでは捉え切れぬ場合が多く、それに老荘・ 備家など様々な要素が混融したものと見ることができるという見 解を示されている(注三)。 以上の先行研究を踏まえつつ、本稲では従来「仏道」を指して いうと思わ れる、「道」に関する幾つかの章段を取り上げて、佃 家思想、道家思想及ぴ仏教思想の三方面との関連の視座から徒然

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-. 草 における「道」の様相 をあらためて考察し、 その内実を明らか にしたい。 「なぐさめ草」に「此段、 弓いる事にたとへて、 万人の心のゆ るまる事をいましめたる 義也(後略)」と述べるように、 九十二 . 段 は弓術の師の教訓に基づいて人間の心の裡に潜む悌怠の心への 自省を述べる章段である。 二本の矢を持って的に向かった弟子に 対して、「後の矢を頼みて、初めの矢になをざりの心あり。毎度たゞ 得失なく、 此一箭に定まるべしと思へ」と教訓する師匠の言に兼 好は共感を覚え、「此戒、 万事にわたるべし」と、 それを万事に 通ずる普選的な実践の戒めとして受け止める。弓道の技術そのも のを語るのではなく、 弓道という狭い一分野を超えた、 人間の生 き方の根本にかかわるものとして兼好は弓の師の発言を捉えてい るのである。 そして、 章段の後半部においては 「道を学する人 j の朔怠の心に説き及んで、「何ぞ` たゞ今の一念にをひてするこ とのはなはだかたき、 直ちに用ゐること甚かたき」と、 自己の人 間的弱さ・脆さまでをも吐露している。 ここには、 徒然草の本源. 的なモチーフである「たゞ今の 一念」の意義が提示されているが、 これは百八段に見られる「されば、 道人は遠く日月を惜しむぺか らず。 た`、今の一念空しく過ぐることを惜しむべし」という思考 と軌を一にするものである。 本段の主題は惜怠の自戒にあ るが、「道を学する人」の「道」 については、 これを学問・芸術などを含む広範囲の諾道と取る説 と(注四) 、仏道だけを指すとする説(注五)とがある。前引し た百八段の記事との思想的脈絡が認められる事実 と、 辞注釈搭が 指摘する「正法眼蔵随聞記 j の記事との類似性を考感するならば、 本段の 「道」が仏道を 意味する可能性は高いと思われる。「諸注 集成 j は『正法眼蔵随間記」巻三の十三「夜話に云はく、 古人云 はく、「朝に道を岡かば、 夕に死すとも 、可なり」。 今、 学道の人、 この心あるぺきなり」、 同・巻五の八「学道の人は、 ただ、 明日 を期する事なかれ、今日・今時ばかり、 仏に随ひて行じゅ<べき なり」 などの記事との思想上の吻合に注意し、「論語 j 里仁茄の「朝 開道、 夕死可突」とい う章句が「正法眼蔵随冊記」に引用される ことにも注意を促している(注六)。 また、 安良岡康作氏は九十 二段に述ぺる 「道を 学する人」は「学道人」を和訳した語だとさ れ、 本段との間に類縁が認められる「正法眼蔵随聞記 j の記事を も数条列挙する。「正法眼蔵随開記」は道元禅師の垂示を 、高 弟 である懐拌が忠実に記録したものである。「学道の人」の心得と して寸陰愛惜と仏道修行の即行を道元が懐拌に説示した文営がし ばしば見出され、 徒然草九十二段後半部の思考とよく一致してい る。安良岡氏は、「道を学する人」の立場を自己の立場とし、 寸 険の愛惜を自己の修行の問題として反省し自戒するところに徒然 草と『正法眼 蔵随間記」との相 違が存することに留意しつつも、 43

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-その原理 を抽出するならば、 芸能習得の条件·方法・態度などに は仏道精進の過程とも相通ずるものがあり、 その習得の過程にお いて人間性の秘奥が示現するところに兼好の芸能に対する関心・ 輿味の原点が求められると 述べられている(注七)。 九十二段に 煎われる道念保持の工夫は諸緑放下による一道集中 と、 寸険愛惜 に立つ一念の精進とに要約できると思われるが、 それは芸能や技 芸を習得する上での本質的な課姻でもある。弓道の一局面から「万 事」に説き及ぴ、 最終的に 「道を学する人」へと論を展開する兼 好の真意は、 仏道梢進に おける憚怠の心を戒めることにあるので ろう。 九十二段における兼好は弓道の師範の至言に人間性の機 微を観じ、 そこに諸道における普退的原理として、 仏道の修行に も通ずる本質的なものを見出しているのである。四十九段は徒然草全篇の中で飛初に仏道梢巡の覚悟を直示する 章段として注目される。前半では人生の短さを指摘し、 無常の自 党とそれに根ざしての発心を勧めている。後半部には天台浄土教 系の衛物である「往生拾因」の文言を引用 し、 心戒上人の逸話な の具体例を以て万事を捨てて仏道修行の道につくぺきことを ] する。冒頭の「老来て、 始て道を行ぜんと待っことなかれ。古 き墳は多 くはこれ少年の人なり」 という一文について、「寿命院 j がその出典として「寒山頌」を掲げるもの の、 現存する文献 には同一の文言を見出すことができない。「野槌』は明の李卓吾 絹「浄土決」にある「古人句曰。英待老来方学 道、 古墳盛是少年 人」という文首を引くが、 これは兼好より時代が下るものである。 一方で、四十九段の冒頭二句とほぼ同一の首が、梵舜本窃〉石集」 巻五本の十一「学生 の歌好みたる事」及び「婦元直指集」に「古 人日」という形で見出されることが、 近代の徒然翠研究において 指摘されている(注八)。梵舜本「沙石集」巻五本の十一「学生 の歌好みたる研」 には、 恵`心俯都の語や緑忍上人の歌を引いて仏 逍修行を怠るなと説いた後、「サレバ、 若クサカリニツヨク、 カラム時ツトメヲ、コナ7ペシ。老ヲ待ツ事ナカレ。古人云、「老 来リテ、 初メテ道ヲ学セント云事ナカレ。 古墳ヲホクハ是少年ノ 人ナリ」卜。 老少不定ノ国ナレパ、 若シトテモ、 不J"レ喝。衆 苦充満ノ境ナレパ、 団リトモ安穏ナルペシト思事ナカレ。 フルキ 硲をトプラ〔へ〕 パ、 オホクハ、 ワカクシテ世ヲハヤウセル人ナ リト云ヘリ」と述ぺている。同じ箇所が米沢本「沙石集 j 巻五本 の十四「和歌の徳の甚深なる事」では、「され ば、 若く盛りにし て強く、 病なからん時、 勤め行ふべし。老を待っ事勿れ。「古墳 多くはこれ少年の人なり」と。老少不定の国なれば、若しとて頼 むぺからず。 古き墳を訪へば、多くは若くして、 世を早くせる人 なりといへり」 となっているが、「古人云」の句を欠き、「老来リ テ、 初メテ道ヲ学セント云事ナカレ」という匝句が略されている ものの、梵舜本の内容とほぽ一致してい る。いずれ にしても、「沙 - 44 _

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石集』では「古人云」とするだけで、 その典拠を明示していない。 「全注釈」では「兼好はある いは、「沙石集」のこの個所によって 壼いたかもしれな い」としつつ、「茄元直指集 j の「行脚求師開 示序」に「古人云、 莫待老来方学道、 孤瑣盛是少年人 j という一 文が見出されることを指摘し、 無住や兼好は同街に「接すること 可能であった」と説いている。 一方、福田秀一氏は、梵舜本「沙 石集 j に「古人云」とし て記さ た二句は、 徒然草の記事と若干 字句に相述は見られるものの、 出所は同じと見 て誤りないであろ うと述べ、「兼好·無住の一方もしくは両方が、 出典など意識せ ずに、 一種の諺として引用している のではあるまいか」と説かれ ている。 「帰元直指集 j の作者円照宗本は宋の元符二年(10九九年) に没し、 時代的には無住や兼好に先行する人物ではある が、 日本 における K 帰元直指集 j の流布状況は不明であり、 無住や兼好が 同掛に接した直接、 IUJ接の証拠は見出されず、 文酋の上では極め て近 似しているも のの、 帰元直指集 j を徒然草や「沙石集 j 出典として断定することはできない。他 方、 四十九段の「老来て、 始て逍を行ぜんと待っことなかれ。 古き墳は多くはこれ少年の人 なり」という冒頭の一文は明ら かに漢節か仏 典等の章句を読み下 したもの と考えられるが 舜本「沙石集」の記事とともに語序 としてやや不自然なところが見られることに留意したい。福田秀 一氏のようにその不自然さは耳で記憶したところを文字に記した ために発生したと する見方もありう るで あろうが、 徒然草と梵舜 本「沙石集」が同様の説み下し方を することは単なる偶然ではな いと考えてよい。福田氏が首われるように、 無住が「古人云」と して引く文言は鎌念時代には仏者の間で胞炎してい て、 兼好が一 種の諺としてその 文句を引用したという可能 性も無視はできない であろう。 しかしな がら、 徒然草と E 沙石集」の両害が研序の上 での 不自然さま で共用すること、 徒然草四十九段にはもう一箇所 「沙石集 j から の引用が認められ(注九)、 両書は仏道勧進とい 、?王題において共通しているこ と、 また、 兼好と無住とはともに 同じ時代を生きて共通の地緑を有していたこと(注十)などの事 柄を併せて考えてみると、 やはり「沙石染」を媒体として「老来 て、 始て道を行ぜんと待っことなかれ云々」という文言を兼好が 摂取した可能性は相当に高 いのではないかと 思抵されるのである。 「沙石集」の前引記事との近似性、 また仏道への梢進を唱える 全段の趣旨や「仏道を勤むる心もまめやかならざらん」という一 文から考えれば、 四十九段冒頭の「老来て、 始て迫を行ぜんと待 つことな かれ」という記述でいう「道」とは、「仏道」を意味す ることが自明であろう。 五十八段は遥世を勧める章段である が、 仏道修行の食衣住行の 生活面を問題にして、 現実的な論を展開している。 一段の主題は、 45

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-出家・巡世して山林に住む生活がど んな に 修行のために煎要であ るかを主張するところにあり、 持論の根拠として、 兼好は「心は 縁に引かれて移る物なれば、 閑かなら では 、 道は行じがたし」と 述べている。「閑かならでは、 道は行じ がたし」で言う「迫」が 仏道を意味することは、「道に入て世を厭はむ人 」という文言や、 同段結尾の 「 世を逸れんことこそあらまほしけれ(中略)菩提に 赴かざるは、 よろづ密類には変る所あるまじくや」という叙述に よって明らかである。 「閑かならでは、 道は行じがたし」について、 「 新大系」は 「 庶 詞止観」四下にある「閑居静処」の条を引いている。「庶詞止観』 四下の「閑居浄処」は「二十五方便」の最初に値かれた「具五縁」 に属している 行法であるが、「第三湘居静処者。雖具衣食住処云何。 若随自意触処可安。三種三味必須好処。好処有=―。 -深山遠谷、 二頭陀科撤‘ =-OO若迦藍。 若深山遠谷途路歎険。 永絶人蹂誰相悩 乱。恣意禅観念在道。 毀労不起是処最勝。(中略)若離三処餘則 不可。(中略)市辺岡寺復非所宜。身入道必須選択。慎勿率爾」 となっている。「身 を安んじ道に入るには、 必ずすべからく選択 すべき」「好処」として 、「止観jでは「一には深山遠谷、 二には 頭陀科撤、 三には閾若迦藍 なり」 の三例を挙げているが、「深山 遠谷 」とは徒然草五十八段に述べる、 世 を 捨てて「山林に入」る 迎世生活の環境によく近似し、「閑居 静処」 の条は五十八段の論 旨ともよく一致していると思われる。 小稿(注十一)で考察を 行 ったように、『庶洞止観 j は中世の知識人に親しい柑物であ って 、 徒然草七十五段にも瞥名を明記しての引用を為している ところか ら考え て、 兼好 が「庶詞止観」に対して梢極的な関心を抱いてい たこと が容易に想像される。文言を直接に引用しての論説ではな いものの、 五十八段において「摩詞止観」の記事の受 容が認め ら れてよいかと推祉されるのである。 「寿命院抄 j が 「 前段、 余論也。静ニシテ性ヲ守事ヲ肝要トス ル義也」と述べるよ うに、 七十五段の主眼は「つ れづれ」 という 心身の安楽境を求めることにあ る。 生活の閑寂境・心身の安楽境 を志向する点において五十八段と思想的脈絡を有しているが、 末 尾に「摩阿止観 j の文言を例証としつつ 、「いまだまことの道を 知らずとも、 縁 を 離れ て 、 身 を閑かにし、事に与らずして 、 心 を 安くせむこそ、 しばらく楽しむとも言ひつぺけれ 」と述べている。 七十五段と「摩詞止観」との 関辿については前掲した小稿で詳 述したところで 、 こ こ で再説することは差し控えたいが、 四十九 段において仏道梢進を強烈に唱えた兼好が 「まことの道」、 つま り仏道が悟得できなくても世俗の縁務を離れて心身の閑寂を保つ ならば、 それこそ「しばらく楽しむ」境地であるとするところに あ ら ためて留意されたい。それについて田村憲治氏は「仏道修行 という点からす れば中途半浩なやや不徹底な物言い であるのだが、 46

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-老荘の 「道」を考えるとよく理解できる」と述べ、 本米仏道の意 として使われていた「まことの道」という言業に、「兼好は老荘 思想における「至道」という意味合いを込めて使っている」と綸 じられている(注十二)。「至道」は E 荘子」在宥館の「吾語女至 道。至道之枡、 窃窃冥冥。至道之極、 昏昏黙黙。(後略)」という 記事に由来する言業で、 最上の根源的な真理、 究極根源の実在、 すなわち無為自然の道そのものを意味する言葉であり、 いわば道 家思想の軸心である「道」そのものである。「荘子」田子方岱 の 「 夫 得是至美至楽也。得至美而遊乎 至楽、 開之至人」という一節が示 すように、 この無為自然の道を己れの境地として身につければ至 上の善美と愉楽が実現でき、 その至上の善美を吾がものとして至 上の愉楽すなわち無為自然の道 を己れの境地とする生活に悠々自 適する人こそが至人であるという 3 箪者は兼好が目指す「しづか」 なる境地を考える際に、 老荘思想に説かれる「虚静」己無為」と の関辿が留意されてよいかと考察を行った が、 七十五段の末尾に 「緑を離れて、 身を閑かにし、 事に与らずして、 心を安くせむ」 ことを「楽しむ」と述ぺるように、 心身の閑静と人生の安楽とを 関連付けて論ずる兼好の思考と『荘子」天道篇に見られる「言以 虚静推於天地、 通於万物。此之謂天楽」という一文との類似に注 目し、「虚静」と「天楽」とを関述して論ずるところに、 徒然草 七十五段との親近性が見出されることを指摘した(注十三)。『荘 子 j にいう「天楽」とは「天」、すなわち超越的な真理 である 「道」 と闘和して一体になった境地で、 絶対世界の愉楽のことを指して いると理解されるが、 天道篇の当該の文酋と同趣の思想は至楽篇 の「今俗之所為、 与其所楽、 吾又未知楽之呆楽邪。果不楽邪。吾 観夫俗之所楽、 挙群趣者、 捏捏然如将不得巳、 而皆曰楽者` 吾未 不楽也。亦未之不楽也。果有楽、 無有哉。吾以無為誠楽突。 又俗 之所大苦也。故曰、 至楽無楽、 至搭無搭」という文言にも見出さ れる。至楽茄は無上の快楽、 すなわち人生の至福がいかなるもの で、 いか にして得られるかについて綸 ずる一章であるが、「吾以 無為誠楽癸」のように、 見出した解答は「無為」、 すなわち前述 した「虚静活淡」たる境地そのものにあると述ぺている。「虚静 活淡寂漠無為」といった「箭」なる境地への安住や無為自然の道 を志向する境地を「誠楽」と説く「老子」「荘子」の思想と、 徒 然草に見られる閑寂の境地への勧説との親近性を念頭に岡きつつ、 「荘子 j に述ぺる「至道」「至美至楽」という言説と七十五段の 当該の文言とを併せて再考應するならぱ、「「至美至楽」という最 高の楽しみの境地である「まことの道」は兼好のいまだ至り得な い、 超越したものであり、 兼好は何者にも束縛されない閑暇な中 に生を生きる在り方を、「しばらく楽しむ」 と炊揚したのである」、 という 田村惑治氏の発首はよく的を 射た見解であるように思われ る。 七十五段は諸緑放下の提唱の衷付けとして『庶洞止観」の文 酋を引用し、 仏教思想との脈絡を有することは確かであるが、 本 来仏道を意味する「まことの道」という首莱(注十四)を用いつ 47

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-つも、「いまだまことの逍を知らずとも、 縁を離れて、 身を閑か にし、 事に与らずして、 心を安くせむこそ、 しばらく楽しむとも 言ひつべけれ」のように、「荘子』の「無為誡楽」という思想を 受容し加き記すところに、 徒然草における道仏磁和の一側面が示 されていると理解されるのである。 百七十四段は鷹犬を例に出して人が 仏道に粒進すべきことを説 いた説示的な章段である。「文段抄 j が「此段は。世の人大道の ・気味深きをしらぬゆへに無益の事をなせ り。 万事を拾て道を味ひ たのしむぺしとの心也」と評する如く、 一段の主眼は「人事多か る中に、迫を楽しむより気味深きはなし。 是、 まことの大事なり」 という一文にあるが、 兼好の道念を明示するものとして韮要視す べき記事であろう。「道を楽しむ」という詞について、「句解」は 「愚案するに、 道とは仏道をさす l と述べるが、「参考抄」は「此 道の字佃釈道の三教にわたるべし」と注する。近代の注釈杏は糾. 仏いずれの道を指すかということでは必ずしも意見が一致せず、 多分仏道を頭に浮べて記したものであるとする説(注十五)、 迫 を仏迫とのみ限る必要はない、 神偲仏にわたる説(注十 六)、 仏 の逍とする説(注十 七) に分かれている。『全注釈」は七十五段 の「いまだまことの道を知らずとも、 縁を離れて、 身を閑かにし、 事に与らずして、 心を安くせむこそ、 しばらく楽しむとも酋ひつ ベけれ」という考え方との関辿から、「道一般ではなくて、仏道(仏 の教えに随って、悟りに至る 道)への梢進に喜ぴを持つ意となる」 と説き、「評釈」はそれに従うべきであろうとする。「気味深きは なし」については、 早く『なぐさめ草」に「白氏文集」巻三十ー―― 「老来生計」の「人間栄耀因縁浅。林下幽閑気味深」という詩句 との関辿が指摘されているが、 当該の詩句は「和淡朗詠集」巻下 雑.閑居にも見出され る。 稲田利徳氏は「方丈記 j の「魚ハ水二 アカズ。 イヲニアラザレパ、 ソノ心ヲシラズ。 トリハ林ヲネガフ。 烏ニアラザレバ、 其ノ心ヲシラズ。 閑居ノ気味モ又ヲナジ」とい う一文とも 煎なるとこ ろが あると述べつつ、 前引の漢詩(「白氏 文集」 の詩句)などを念頭に囮いて記したかもしれないとする(注 十 八) 。 先述した如く、 近代の注 の多くは甜緑放下の上での「道を楽し む」ことを「まことの大事」とし、 本段は仏道に志すことへの勤 めを唱えるものであると理解している。 しかしながら、「道を楽 しむ」という言い回しは仏辺修行 の意としては少なからぬ述和感 を党える表現である。前引した「全注釈」の見解や、「全訳注」 の「仏道によって心が滴たされる」「仏逍の中で心身が安らぐ」 という釈文はいずれも理に適った説明ではあるが、 本綸では、 兼 好が熟院した「除語」に唱える「楽之」 「楽道」 という思想との 関辿の視座からの再考を試みたい。 「綸語」湘也に「子曰、 知之者、 不如好知者。好之者、 不如楽 48

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-之者」という有名な章句が存する。「論語集解」 が「庖氏日。学 問知之者。不如好之者節。好之者。又不如楽之者深也」と注する ように、孔子は学問に向かい合う姿勢を「知る J 「好む」「楽しむ」 という一ー一段階に分けてそれぞれの態度の深浅を比べ述べている。 「知る」とはそのもの、 あるいはその事柄の存在を知ること、「好 . む 」とは自らの向かい合う対象に対して特別な惑情を抱くことで` 「楽しむ」とは自他融和して一体 になった状態である。「楽しむ」 ことがもっとも賞揚される態度とされていることは、 当該の章句 によ り明らかである。「論語義疏」では「好之者、 不如楽之者」 につ いて、「楽謂観楽之也。 好有盈厭、 故不如性歓而楽之。 如顛 淵楽在其中也。 故李充曰、 好有盛衰、 不如楽之者深也」と注し、 願回を「楽之者」の例と して挙げている。「義疏」の当骸注文に 照応する ものとして、「論語」苑也に「子曰、 賢哉回也。 一箪食、 一瓢飲、 在洒巷。 人不堪其憂。 回也不改其楽。賢哉回也」という 章句が見出される。粗末な食事に甘ん じ、 住宅は狭い露地という 貨しい生活にもかかわらず、「其楽」を 貫き通している顔回に対 して孔子は焚人だと賞校する。当該の章句について「集解 j では 「孔安国曰。顔淵楽道。 雖箪食在洒 巷。不改 其所楽也」と注し、 また「義疏 j では「所楽則謂道也」「美其楽道情態、 故歎始末言 既也」と疏しているが、 孔子が言う「其楽」とは「道 を楽しむ」 ことであることは明らかである。 「楽しむ」と いう境地を提唱する発言としては他に、「論語」学 而に「子貢日、 貧而無詔、 宮而無矮何如。子日、 可也。未若貧而 楽、 冨而好礼者 也(後略)」という章句が見出される。「貧しくし て詔うことなく、 宮んで騒ることなき」ことの徳を認めつつも、 孔子は「貧くして楽しみ、 冨んで礼を好む」というさらに上の段 階を唱えるのである。「未若貧而楽」について「義疏 j では「孔 子更説貧行有勝於無陥者 也、 貧而無詔乃是為可、 然而不及於自楽 也。故孫綽云。顔氏之子、一.箪一瓢、人不堪憂、回也不改其楽也」 と疏しているが、 顔回の「安貧楽道」の精神が再ぴ引用され言及 されている。 また、「貧而楽」と いう当該の一節が岩崎文庫蔵論 語集解正和四年本をはじめ、 日本に現存する綸器の古抄本のほと んどにおいて「 貨而楽道」とされていることも留意される(注十 九)。章句になかった「道」という 語を 自ら補うのは、 当該の箪 句に対する「集解 j の「郊玄日。 楽腑志於逍不以貧賤為憂苦之也」 「孔安国曰。 能貧而楽迫。冨而好礼者。 能自切磋琢磨者也」とい う注文の影響を受けての作為と考えられてよいであろうが` ここ まで検討してきた如く、「好之者、 不如楽之者」「回也不改其楽」 「貧而楽道」に見ら れるような「楽しむ」という境地 、 つ まり自 他融和して一体になる状態は梱家思想において最も質揚される至 高の境地であり、 その至高の坑界に達することを得た代表的人物 が頻回なのである。「義疏』の疏文に即して 言うと、 頗回は「道 を楽しむ」境地の実践者であり「楽之者」なのである。 顔回と言えば、 徒然草百二十九段、 二百十一段に登場する人物 49

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-で、 百三十段や百六十七段にも「論語」 から顔回の語を引用する 文言が見出される(注二十)。「顔回は、 心ざし、 人に労を施さじ となり」(百二十九段)、「徳ありと て、 穎むぺからず。顔回も不 幸なりき」(二百十一段)のように、 その名を明記した上で 「論 栢義疏」の注文を踏まえて引用する態度(注二十一 ) からは、 頗 回その人に対する兼好の関心の苅さと「論語」に対する理解の深 さが窺われる。 徒然草全段中に頗回の「安貧楽道」に対する直接 の哲及は見られないものの、「論語集解」「論語義疏」などの古注 釈を媒体にして k 論語 j を熟読したと思われる兼好(注二 十二) .は、 前述した「楽之」どいう境地 を重視する孔子の思想(注二十 ――-)や、「義 疏」に説く如く 「道を楽しむ」顔回その人の生き方 をも十二分に把握していたはずである。儒家思想に 説く 「楽しむ」 という自他磁和の 概念を踏まえて、 百七十四段の「人事多かる中 に、 迫を楽しむより気味深きはなし。 是、 まことの大事なり」と いう一文を再吟味するなら ば、 仏道修行を勧める言説としての速 和感は緩和され、 兼好の真意がより明瞭に理解されるように思わ れる。「道を楽しむより気味深きはなし」という発言は、『論語」 に説 かれる「楽之」や「論語集解」「論語義疏」に述べる「楽道」 という概念を基盤として、 前引した白楽天の詩句を加えて構成さ れたものと考えられるのであって、 儒家思想において最上の境地 とされる「楽之」という態度を以て仏道に臨むことを勧める兼好 の道念を、 そこに読み取り得るのである。 終わりに 以上検討してきた如く、 兼好の仏道に対する精神的希求•仏道 精進への意欲を示す態度は無常の自党に促され てのものである。 「往生拾因」「庶詞止観 j などの仏教 関連僭藉から文酋を引用し、 自説を立証している。 し かしながら、 その一方で、 兼好が仏教の い かなる教理に感激し、 い かなる宗教的撹地を以て心の安らぎを 得た かに関し ては、まった<示されていない。「世俗」から「悟得」 を目指す段階へ、 さらにそこ から衆生の「済度」に生きる段階へ、 とい、つ向上的、 発展的過程こそ仏道を第一義とする宗教的精進の 本筋であるが、 徒然草に見る限り、 兼好の宗教観は か かる真の仏 教的、 求道的立場に徹しているとは言い難い。 世俗の諸縁を放下 して直ちに仏道に入るべしというのは兼好の持論であるが 、 二 百 四十一段の末尾に「直に万事を放下して道に向かふ時、 麻りなく、 所作なくて、 心身永く閑也」と記す如く、 諸縁を放下して仏道の 精進によって開けてくる境地を「煕りなく、 所作なくて、 心身永 <閑也」と定義する。 換哲するならば、 心身の閑沸境を仏道に向 かう最終的目標として捉えているのである。 兼好の求道心の不撒 底は、「心合ひて党えしことども」として九十八段に『一言芳談」 の記事を引く際に、「仏道を願ふといふは、 別のことなし、 暇あ る身に成りて、 世の事を心に かけぬを第一の道とす」と、 原文に ある「道をさきとして」 を省き、「餘事」を「世の串」に改めて 記すところからもよく窺われる。兼好は「仏道をさき」にすると 50

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-いう肝要な部分を欠落させたままで、「暇ある身に成りて、 世の 事を心にかけぬ」ことを第一とする。つま り、 世間の雑務から解 放され閑暇ある身となり、 心に世間の俗事を思わぬようにするこ とこそが、 仏道修行の第一になすぺき務めだと述ぺているのであ る。百七十四段の「人事多かる中に、 道を楽しむより気味深きは なし。 是、 まことの大事なり。 一度道を聞きて是に心ざ、む人、 いづれのわざか廃れざら む、 何事をか営まん」 という一文には、 兼好のかかる道念が 如実に具現されていると考えられる。 「 道を 楽しむ」ことを「まことの大事」と明首する兼好の道念は、 仏道 に寄り添いつつも仏道そのものに収紋されるのではなく、 前述し た顔回の「楽道」の精神を支えとするところに自らの追心を定位 するのである。 七十五段について考察したように、 「 縁を離れて、 身を閑かにし、 事に与らずして、 心を安くせむ」という心身の安 静境に兼好は隠遥の至境、 生 を楽しむ最高の生き方を見出してい るが、 その根底には「荘子」の「無為誠楽」という思想の受容が あったと考えられる。「まことの辺」を悟ることとは異なる地点 で生の充実を見つけようとする兼好の態度は、 百七十四段の「人 事多かる中に、 道を楽しむより気味深きはなし。 是、 まことの大 事なり」という一文にも示されているが、ここでは儒家の 「 楽之」 . と い う思想が拠り所とされている。 このような道念の在り方は互 いに相容れないものではなく、 それらがむしろ混じり合ったところ に兼好は自ら生の根拠を囮き、理想境を見出していると 考えられる。 (注一)窟倉徳次郎「徒然草:類纂評釈 J (開文社 一九五六年)。 (注二)今成元昭「徒然草の源泉ー仏典ー」(「徒然草訪座』第四巻 昭和四十九年十一月 有精党)。 (注三)田村憲治「まことの道ー紺•仏·老荘ー」(「OO文学 解釈と 教材の研究」第三十四巻三号 学燈社 平成元年三月号)。 (注四)内海弘蔵「徒 然取評釈」(大正十一年改訂版 明治也院 明 治四十四年初版)。塚本哲三.「徒然草妍釈 J (昭和三年訂正版 有朋裳)。 山岸徳平・三谷栄一共若『徒然草評解」(昭和三十年版 有精業)。 佐 野保太郎『徒然非統義」(昭和二十八年版 福村舟店)白石大二「徒 然草 J (評釈国文学大系 昭和三十年初版 河出害房)などがある(「徒 然草解釈大成 J) 。桑原旭史「徒然平の鑑代と批評」(明治柑院 昭和 五十二年九月)・ (注五)橘純一「徒然雖新講」(昭和二十七年決定版 武蔵野世院)(「徒 然草棺釈大成 j) 「徒然草全注釈 J r徒然草全訳注 j 「徒然草 j (日本の 古典)「評釈」など。 (注六)「正法眼蔵随間記巻二の十四「外典に云はく、「朝に道を開 かば、 夕に死すとも可なり。 l 」(「方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・ 歎異抄」日本古典文学全集 小学館 昭和四十六年)• (注七)安良岡康作「虻好における芸能観の問題」(「国語と国文学 j 昭和二十六年二月)。 (注八)福田秀一「徒然平第四十九段の冒顕」(「中世文学論考」明治 書院 昭和五十年)。 以下の福田説は同柑に拠る。安良岡康作「徒然 草全注釈jo (注九)四十九段の「迷やかにすべきことを緩く し、 緩くすぺき事を 急ぎて、 過ぎにし事の悔しきなり」という一文とかなり類似する表現 - 51 _

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が『沙石集」巻六の七「説経師弛盗に個ふ事」 に見出される。 当該説 話には、「百年の命、 朝露に緩からず。 須く遊の急を存ず ぺし 。緩く すべき所を急 にすぺし。 急にすべき所を緩くす。 登、 一生自ら誤まれ るに非ざらん耶」という嘉祥大師の言を引き、 仏道の実践の重要性を 語る文章が存するが、 その文意と酋辞は、 仏道の修行を勤める徒然ヰ 四十九段の趣旨及び「迷やかにすぺきことを級くし、 緩くすべき事を 急ぎて云々」という一文とよく似通っている。 (注十)拙桜云�住輿兼好」(「台大日本栢文研究」第十一期、 二00 六年 六月)参照。 (注十一)拙稿「徒然章における閑寂の境地ー仏教思想及ぴ道家思想 との関わりを中心に●」(「岡山大学大学院文化科学研究科紀要j第十 八号 二00四年十一月)参照。 (注十二)注_二に同じ。 (注十三)注十ーに同じ。 (注十四)「化城噛品 赤染衛門 こしらへてかりのやどりにや すめ ずはまことのみちをいかでしらまし」(「後拾退和歌集 J (新日本古典 文学大系 岩波世店 一九九四年)雑六.釈教・―]九二〉「上束門 院あま にな らせた まひけるころ、 よみてきこえける 選子内親王 き みすらもまことのみちにいりぬなりひと り やながきやみにまどはん」 (同 ・雑三・_

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二六)など、和歌にその用例は少なからず見出される。 (注十五)吉川秀雄「(新訳)徒然草籾解」(籾文館 昭和二十四年版) 佐野保太郎 R 徒然草鋳義」(福村由店 昭和二十八年版)松尾聡「徒 然草全釈」(符水柑院 昭和三十二年改訂版)(『徒然草肝釈大成」)。 (注十六)塚本哲三 「徒然草解釈」(有朋堂 昭和 三年訂正版)(「徒 然草肝釈大成」)。 (注十七)橘純一「徒然卒新講」(武蔵野柑院 昭和二十七年〉斉藤 ・訂衛 f 徒然草の新しい解釈」(至文堂 昭和三十二年改訂版)佐伯梅 友「徒然草新釈」(金子柑房 昭和二十九年)山岸徳平 ·_二谷栄一共 若「徒然草評解 J (有精党 昭和三十年)冨倉徳次郎同然草:類纂 評釈」(間文社 昭和三十一年)西尾実「方丈記・徒然雄」(日本古典 文学大系 岩波柑店 昭和三十二年 )(「徒伏城解釈大成」)。 (注十八)稲田利徳「徒然草 j (古典名作リーディング4 枇瓜本刊 行会平成十三年。 初版は「徒然草」8本の文学古典閲 株式会社ほ るぶ出版 昭和六十一年)。 (注十九)節者が確認した限りでは正和四年本のほかに、 蓬左文叩蔵 論語集解 (元応二年本)( I 元應紗論語集肝孜文」杉捕翡治 経学研究 会 一 九五八年)` 束洋岩鮒文庫蔵論話集解(南北朝写・宗孤本)、 京 都大学付属図嘗館消家文庫蔵論語染解の甜本は「打而楽道」となって いる。 (注二十 )「笹に誇らず」。 (注二十一)拙稿「徒然草における『論語jの受容」(「中世文学」第 四十八号、平成十五年六月)参照。 (注二十二)注二十一に同じ。 (注二十一―-)吉田賢抗氏は「論語で、 好学・好礼や、 不亦染乎・不改 其楽・楽山ふ宋水・知其楽のように、 孔子は常に楽し み、 営に深く好 み愛するものがあった。 この桁極性が孔子の特徴である」と する (「稔 語」新釈漢文大系、第三十二頁)。 *「徒然草」の本文 は、 正徹本を底本とした「方丈記 徒然郎」(新 日本古典文学大系 岩波世店平成元年)に拠った。米沢本『沙石集」 52

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-は市立米沢図柑館蔵本を底本とした「沙石集 j (新福日本古典文学全 001年 小学館)、 梵舜本「沙石集 j はお茶の水圏術館蔵成 黄堂文血梵舜本を底本とした「沙石集 J (日本古典文学大系一九六六 年岩波附店)に拠った。「摩詞止観」は『大正新修大蔵経」第四十六 巻託宗部三(大正新修大蔵経刊行會 昭和二年)に拠った。「論語」「老 子」「荘子」などの淡紺の引用は「新釈浪文大系」(明治魯院 昭和四

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年i)に拠った。「論語集解 j は菅原本と称される巻子古抄本を 底本とした「論語集解 J (影印有造館縮臨古本刊本 文求堂也店 和十一年)、 B 論語義疏 j は大正十二年快徳堂刊本(「武内義雄全染 j 第一巻論栢篇所収)に拠った。「方丈記」の引用は 「方丈記 徒然草」 (新日本古典文学大系 岩波杏店平成元年)に拠った。 なお、 引用 文中に付した傍線及ぴ「論語梨解」「論語義疏 j 引用文中の句説点は 箪者が私に付したものである。 *本論文で主に参照し引用した徒然草の注釈杏は以下の通りである。 秦宗巴「徒然草寿命院抄 j の引用は吉澤貞人「徒然草古注釈集成」(勉 誡社 平成八年)に拠る。林辺春「徒然草埜槌 J (吉澤貞人「徒然草 古注釈集成」勉誠社 平成八年)。松永貞徳「なぐさめ草 J (吉澤貞人 「徒然草古注釈集成 j 勉誠社 平成八年)。 加栢磐資「徒然卒抄 J (「長 明方丈抄 徒然箪抄」加藤磐京古注釈集成三 有吉保編 新典社 和六十年)。 北村季吟「徒然草文段抄」(北村季吟古註釈集成 新典社 昭和五十四年)。南部草寿 R 徒然草訪解」(同志社大学図囲館蔵本)。 浅香山井「徒然卒甜抄大成」(同志社大学図歯館蔵、 貞卑五年五月刊 の板本)。 田辺爵「徒然草莉注集成」右文西院 昭和三十七年。 三谷 栄一・峯村文人共椙「徒然章解釈大成」(岩崎掛店 昭和四十一年)。 国語教育諭絞(島根大学教育学部国文学会)十八 国語国文学(福井大学言語文化学会)四八 國語國文學報(愛知教育大学国語国文学研究室)六七 国語国文学誌(広島女学院大学日本文学会)三八 国語国文学研究(熊本大学文学部国語国文学会)四四 因梧國文研究(北海道大学国梧国文学会)一三五、 一三六 国語国文論染(安田女子大学日本文学会)一二九 図語と教育(長崎大学国語国文学会)三三、 三四 四八 研究室受賤図書雑誌目録N 語学と文学(群馬大学語文学会)四五 国語学研究(東北大学大学院文学研究科「国語学研究」刊行会) けいけい 台湾大学日本語文学系助理教授) 安良岡原作「徒然草全注釈上下 j 日本古典評釈全注釈叢由(角川む店 昭和四十六年)。 三木紀人「徒然布全訳注(一)1(四) j 講談社学 術文庫 昭和五十四年1昭和五十七年。稲田利徳Eg然草 J (古典名 作リーディング4 投菰本刊行会平成十三年(初版は「徒然草 j 本の文学古典編 株式会社ほるぷ出版 昭和六十一年)。 久保田淳「徒 然草評釈」「国文学招釈と教材の研究」(学燈社 昭和五十三年五月! 平成二十一年七月)。 なお、 研究者の氏名を以て以上の各注釈むを示 すこともある (そう 53

参照

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