英国における企業経営史の方法について
−−エリック・ロ」−ルとシドニニサー・ポラ−ドの比較を介して−
井 上 信 一
Ⅰ序
本稿ほ,英国における企業経営の史的研究の方法上の特質を,エリック・ロ
−ルとシドニー ・ポヲ−ドの研究の比較を介しで−・瞥することを意図する。
(11
エリック・ロ−ルの「ボールトン=ワット商会_lの研究は,英国の企業経営 史研究の古典であり,現在もなお連綿と続いている英国の企業史研究の畏重な ひな形でもあり,現在の研究にも仙・賞している英国の企業史の伝統の端緒をな すものである。
(2)
他方,シドニ−・ポラ−ドのl ̄近代経営管理の生成」の研究は,豊富な産業 革命期の企業史研究を資料として当時の企業経営仙・般を対象にんた経営管理の 史的研究であり,これほ,それまでの英国の企業経営の史的研究において画期
($)
的なものである,といわれている。
このよう把.,ロー岬・ルの研究も,そして,ポラードの研究もともに英国の企業 経営史研究紅.おける貴重な成果である。そこで以下2人の研究の特賀を,英国 の企業経営史研究と関連づける作業を通じて,そ・して,その限りにおいて英国
(1)EI・ic Roll,AクヱE〃7■√γ及ガββ′ よ椚釦ば玩り九九5f′よαJOγg(Z乃よ一都励0〝,β扇昭r d」兢∫ね㌢ツ
(,TIh{F〃′1t O/Bo((/tolt&Tra((.1丁75H1805,London,1930.(以下Roll..BozL[to]t
&∵坪冠〃 と略記する。)
(2)Sidney PollaId,rカβ Cβ〝βSよ√9 βノ■肋dβγ■〝 几勉〝αgβ∽¢〝≠,A j協励/扉■≠カβ J〝d〟5≠7■ね仁凪粕漬止血=〝Gγβαf劫■去fα玩,London,1965.(以下PollaT・d,Gβ乃βS友\ざ
と略記する。)
(3)米川伸一・稿,「イギリス紅おける経営史研究の動向」,『ビ汐ネス・レビューー血:算14 巻3号,1966,および同著『経営史学一生誕・現状・展望.』,束洋経済新報社,1973,
第7章を参照のこと。
英国におけ・る企業経営史の方法について
−JO5−
637
の企業経営の史的研究の方法上の特質を考察する。
ⅠⅠ英国の企業経営史の基本的性格
この節では,英国の企業経営史の方法上の特質を概瓢することにより,ⅠⅠⅠ節 以下でなされるロ−ルとポラードの企業経営史の研究方法の特質を,明らかに するためのプレイム・ワ一−クを提供する。以下,(1)歴史学との関係(2)
経済理論との関係(3)経営資料の問題(4)経営者教育 およぴ(5)経 済史との関係という5つの観点から考察してみよう。
まず,籍−・に歴史学との関係である。英国でほ,企業経営の史的碗究は,現 在まで歴史学の・−・環として行われて:きている。たとえ.ば,P.L.ペインに・よれ げ,「『歴史の主要な目的ほ,現在に先立つことを説明し理解すること。そして,
現在そのものを理解するために有効な関係を見い出すことである。歴史ほ,現 在をより意義あるものに.し,そして,将来を理解可能なものにする種類の知的
(4) 志向である。』」また,ポヲ−ドも同様の趣旨を,次のように述べている。すな
わち,「歴史の任務ほ『人々に過去の社会を理解させ,そして,現在の社会を 支配する能力を増大させること』であると考えたい。歴史の内部にある論理
的なつながりよりは,むしろ,このことが歴史に対し,科学としての客観的な
(5) 規準を究極的に.与える。」
ぺインもポラードも言及しているように・,英国でほ,過去の社会を理解し,そ のことに.より現在をよりよく理解可能なものにするところに.,歴史研究の意義 を見い出している。 企業経営の史的研究の場合も,こ・のような歴史研究の一 環として考えられている。すなわち,英国社会における企業経営の、歴史を理解 することは,英国社会の−・面を理解することであり,そのことにより現在およ
(4)P.L.Payne(ed),Studiesi?ScoitiShBusineisHistory,London,1967,pp.
xiii一軍iv.(以下Payne,∫f〟d査¢ざと略記する0)なおこれは1964年インディアナ一大 学で行なわれた第1回経営史学会でのA.K・・Steigerwalt の報告要旨よりの引用 である。
(5)SidneyPollard,EconomicHistory−AScienceofSociety?,lPasiandPYeSeni,
No.30,ApIil,1964,p.21∩ シトニー・ポラ−ド稿,「経済史は社会の科学か」,
ノト松芳香監修,『経済史の方法』,弘文堂,1969年,244ぺ一汐。(以下PollaI−d,Pα頭 α〝d Pγ・β.Sβ〝fと略記する。)
努51巻 第5号
・−ヱ∂6叫
638び将来の社会がより理解可儲に.なる。たとえば,ペインはそのことを次のよう に言っている。「もし,企業経営史に.意義があるならば,創造的思索家の注目 を集めねはならないし,そして,創造的思索家ほ,企業経営史の中に人間経験
(6)
の理解の一つの鍵を見つける。」そして,歴史を理解することが】【変化と不破 実性の時代に.うまく適応しうる将来の指導者を養成するため紅は,すぐれて現
(7)
実的で有用である。」そして,「企業の経営資料に関心をもっている人々で,企
(8)
業経営史を経済史の一分科と考えない人々ほほとんどいない。」以上のことか らわかるように,英国では,企業経営の史的研究ほ,基本的紅・歴史学の一層と して一考えられてきているといえよう。
次に.,経済理論との関係を考えてみよう。F.E.ハイデほ.,経済理論と企 業経営の史的研究の関係について,次のように.述べている。企業経営の史的研 究は,「経済理論そのものを否定するのでほなく,経済理論のプレイム・ワ−
(9) クの申で生じる困難さを問題にする。」 たとえば,経済理論では人間は1 ̄経済
人(economic man)」であるという仮説をたて,それ償従って,企業は.r利潤 極大化(profit−maXimization)」を志向するものであるという理論的仮構が行 われている。そして経営史家は,研究の過程で「利潤極大化」という概念を用 いることに.より,経済理論の応用の限界を知る。他方,経済理論家は,経営史 家に.よって提示された事実を研究することにより,「利潤極大化」という概念 に.議論の余地を残し,必要な場合にはその理論の再定義を行う。すなわち,
「利潤極大化」という経済理論上の仮構ほ,具体的な企業経営の場でほ純粋紅 規則的紅作用しているのでほなく,色々と歪みをもつて現われている。そ・のた め,経済理論をより現実的なもの,具体的なもの紅するためには,経済的合理 性という面で人間行動を捉えるだけでなく,その他の面の人間行動をも考慮把
(6)P.L.Payne,The Usesof Business History,A contribution to the Dis・
cussion,β〟∫∠〝♂・5ざj苅5ね′:γ,Vol.5,No.1,1962,p.ユ5.
(7)Payne,ふ知成β・S,p.Xiv.
(8)Payl】e,ふ物成βぶ,p.Xiii.
(9)F.E.Hyde,Economic Theory and Business History−a COmment On the theory o王profit maximization,Bu・SinesIS HirstoYツ,Vol.5,No.1,1962,P.2.
(以下Hyde,βαゞ∠〝♂5Sβ盲.sねタ■.γと略記する。)
英国における企業経営史の方法について −ヱ07・−
639
入れる必要が生じてくる。経営史家に.とっては偶然的で個別的な人間行動およ び企業現象をも考慮に入れて一考察するのが,その特質である。このように.,人 間行動を経済的側面からだけでなく,その他,政治的,社会的,心理的側面な
ど学際的な分析を行うことにより,より詳しく現実的な解釈が可能になる。そ の結果,たとえば,上述の例の場合,企業は「利潤極大化」よりも満足を極大 化するというより現実的な前提に,経営史家も経済理論家も達するのである。
これは,長期的紅ほ「利潤極大化」という経済理論のトゥ−ルが有用であり,
(10)
短期的に.はミクロ的な企業経営史的研究が必要になってくることを意味する。
このように,企業経営の史的研究は「経済理論を用いることによって,歴史家 は単なる記述という退屈さからのがれて,自分の研究を生き生きとした,そし
〈11) て,価値あるものにする。_1
かくして,経済理論は企業経営の史的研究のプレイム・ワークを提供すると ともに.,また,そ・の帰結でもあるといえよう。ここに.,経済理論と企業経営の 史的研究の緊密な協力が必要であり,そのことにより,具体的で現実的な企業 経営の解明が可能紅なる。すなわち,l【企業経営史は,経済史と経済理論を結
(12)
びつける学問]であり,r−つの補助学(a help study)」である。このよう
(10)たとえば,英国のこのことについての研究の最近の動向を,ポヲ、−ドは次のように 指摘している。「経営史の背景については,イギリスはアメリカ紅比べて遅れている。
古典的な経済学の影響がいまだ紅尾を引いている。ここで仮定されていることは,利 潤最大化の原理なのだが,これがかなり頭に.こびりついている。と.の仮説に.基づけば,
ビ汐ネスマンが手を下さなくてもコンビュ一夕ーーでより早く簡単乾そ・の目的が達成で きることに.なる。そして,企業の意思決定が数学的な操作で可能となり,ピ汐ネスマ
ンは一つの歯車の記号または符号としての働きしかないことに.なる…1という議論が でてくる。しかし,現実はもっと複雑である。企業はいろいろな目標を持っており,
利潤の最大化だけが企業の目標ではない。・そのうえ,同じ利潤の最大化でも長期か短 期かによっても違う。企業行動を撃.に利潤だけの観点からでなく,企業全体の戦略か
ら見直すことが必要である。つまり,利潤の最大化というようなメカニックな冷たい ものでなく,人間的要素を入れなければならない。 ……したがって,今後の企業史,
経営史を考える場合,変化が生じた時,ビジネスマンやビジネスが,いかなる反応の 仕方をするか,という観点からも見直す必要がある」。(S・ポラーード稿,「イギリス における経営史研究の動向」,『経営史学』,Vol.12,No.2,1978。
(11)F.E.Hyde,月初一S去〝βざS月盲Sわ′二γ,p.9.
(12)P。L.Payne,Business Archives and Economic History,the Case for RegionalStudies,Archives,Vol.VI,1963,pル22L.(以下Payne,Archi vesと 略記する。)
鰭51巻 算5号
ーヱ0β− 640
に.,経済理論との密接な関係の中で,企業経営の史的研究がなされているの が,英国での企業経営史の位置であり,その特質でもある。
策3に,英国に・おける「経営資料」の問題を考えてみよう。英国では,企業経 営史研究は,経営資料の鬼集と,それに.もとづく企業史と産業史が中心課題で
(13)
あった。そのことば. β〝ざよ■〝♂ざぶ.跳ざわγ〆 紅掲載される論文をみればわかる。
J.G.スミスは.,当時,産業革命期の英国の企業経営史の研究で,経営資料
が豊富なのは,ごく限られた少数の企業であり,それらの企業ほ.,豊富な経営 資料に.基づいて,個別企菜の歴史や企業者史を書くととが,可能であったこと
(H)
を指摘している。しかし,残りの大部分の企業の場合は,経常内部資料自体が 存在しない。そ・こに,英国に‥おける企業経営史研究の困難さがある。それ紅加 えて,企業は経営資料を公開することを嫌うし,戦争などによって焼失してし
(15)
まったものもたくさんある。このような状況のため紅,アメリカ合衆国はもち ろん,他の西欧の国々と比べても,経営資料の公開は非常に遅れている。こ ぁため,多くの企業経営史研究家ほ,経営内部資料の不足をカバ岬するため に,外部資料に依存して企業経営史を書くこ.とを,強いられているのが現状で ある。これは,経営内部資料の豊富なアメリカ合衆国の場合と比較して,非常
(13) β鱒S査犯¢ぶざ戊ざねγ〆掲載論文
1959−196511966−・1971【1972−1977
・−・般経営史】 3 4
22 11
02
20 21
0 4
6
企 黄 史 産 業 史 経 営 資 料 経営史方法論 経 済 史 そ の 他
9 0
1 】 4
合
計1 61 l 48 ‡ 57
なお,論文の分類方法および1959・−1965,1966−1971の分類は,米川伸一・著,前掲 審,による。
(14)Roll,及瑚仇腋成り靴沼,p.Xiii.
(15)たとえば,チャーールズ・クイルソン,「英国紅おける経営史研究の動向」,『▲経営史 学』,Vol.9,No.3,1975,Payne,∫fα♂∠β5,などを参照のこと。
英国における企業経営史の方法に.ついて −ヱ09−
641
紅異る点で,英国の企業経営史の性格に.も大きな影響を与えている。そこで,
英国の企業経営史の研究家たちほ,企業の社会依存性の側面を強調し,企業史 は,歴史の専門家紅よって書かれる方が良いこと,そして, そのためには,資 料の公開と,それらの経営内部資料を,図書館や公共の記録保存所紅収集する
(16)
必要のあることを,強調し′ている。
このように,企業経営史を書くために.最も良い立場にいるのが歴史家,とり わけ経済史家である。彼は,一つにほ,経済−・般に・ついての全体的背景砿精通
して.いるし,経営資料の取扱いもよく心得てル、るためである。
このように.,歴史家たちの間で,実業界が経営資料を公開することが強く叫 はれてきた結果,ようやく経済史家による企業史および社史の稚成が盛んにな
しlニ1
つてきた。
(16)たとえば,T.C.BaIkeIは次のように述べている。「ある企業の歴史を書く際の 主要な問題ほその文脈一叫企業の成長の色々な時期における−・般経済情勢やエ業全体 のさまざまな動向山の中に特定の企業の歴史な位置づけるととである。その場合,
背恩紅なる知識がかなり要求されるし,あるいはそのような知識を早急に・身につけ,
その詳細K.つぃて溝口る能力が必要である」。(T.C.Barker,BusinessHistoryand・
Business−・man仁勧扁乃β5ざf茄√S才0㌢.γ,Vol.1,No.1,p.17.)たと.え.ば,輸出市場 車輸入市場の動向,国内環境の変化などの経済動向についての知識が必要である。そ
しで社会経済史,産業史などの知識なしには,理念的にほ,良い企業史は書けない。
(17)主要なものを列記すれば次のとおりである。 E・M.SigsIVOI■th,郎郁々功痴
Muls;A mstor・y,1953,A.Raistrick,pyna.St.y OfZYO7?fbunders:ihe DarbyS and Coalbrookdale,1953,C.Wilson,The Hi畠toY二yof thdleveY,1954,F.E、
Hyde,βJ〝βダα〝乃βJ,1957,丁・・P.Addis,rカβC㌢■α紺Sカqγざ砂〝α√S秒J■Aざね戒γゐ
Indu5tria10rgani−zatlon,1957,R.S.Fitton and A.P.Wadsworth,The ぶわ・〟鉦sα乃dfゐβA㌢ 血肌わgカ≠√ゞ,1958,A.H.Jobn,Aエ粛即■♪ク∂J〃々′ βカβわオ助〟ざβ
朗勿g抽β 蛾Sね7一γ扉■AJノ′♂dβ00〃z α乃d C〃沼♪α紹.γ ヱβ63−ヱ95β,1959,臥
Erickson,B㌢iti一ShIndustrialiSt:SieelandHoISiery1850−19SO,1959,W.G.
Rimmer,Mar・5hal[s ofLeeds:FlaxsPinners,1960,T.C.Barker,Pilkington
βれ毎払〃・.Sα撼〃zβGJα.SSJ乃ゐ・Sわ′二γ,1960,P.L.Payne,助川料の適r R由一J紗qγぶ
in the Nineteenth CentuY二γ.:ASiu4yofiheS?encerbabers,1961;M.W.FIinn,
〝β好げJγ・♂ガ;TゐβC70紺Jβ.γ・S∠紹才力e βαデ(γ∫γ0乃∫〝d〝19わ′.γ,1962,F.E.Hyde,
ShibPing EnterPri5e and Management,1967,D.C.Coleman,Courtaulds:An Economic a詑d SocialHisioY:γ,1969,W.G.Reader,Z.C.Z.;・A msto7:y,
1970,Bl.W.E.AlfoI・d,Ⅳ.β.のぬ仁打.0.耶〃・Sα乃d才ゐβかβぴ♂わ♪班β乃才げf彪¢
け‖方.Td∂αC以)ム机九ざ≠γ二γ,J7β6−J96■5,1973,S.D.Cbapman,Jβ・S5gβク〃f O/β¢ク才S≠カ¢C血針山・SfS,1974等々。
第51巻 第5号
642
−・Jヱ0−・
こうして;英国における企業経営史研究の中心である企業史研究ほ,最近よ うやく盛んになってきたが,アメリカ合衆国紅比べて,経営資料の公開は遥か
に.遅れている。
第4に,英国におけるl ̄経営者教育」に対する歴史家の態度を考えてみよ う。アメリカの「ビi>ネス・ヒストリ−(Business History)」でほ,将来の 経営者養成のため「ケーース・スタディ方式」
は,ハーグァード大学の経営大学院などア.メリカのビジネス・スク−ルで行わ れている教育方式であり,その影響が全国的に広がった結果でもある。このよ
うに.,アメリカの「ビジネス・ヒストリ−」ほ,企業経営者に必要な経営諸技 術を「ケース・スタディ方式」に.よる教育訓練を通じて習得させることを目的 に・し牢,非常に実践性の強い学問である。このことは・,.J・A・シュンぺ ̄タ
q,A.H.コ−ルなどの提唱する企業者史(EntrepreneurialHistory)に ついても言えることで,アメリカの経営風土に根ざした特質である。
これに対して,英国の企業経営の史的研究でほ,アメリカの場合とは異な り,経営者教育への研究の有用性咋間接的であり,消極的である。P.L.ぺ インは,そ・のことを次のように.説明して/いる。「企業経営史が経済史に有用な 貢献をしてきたことは.,時折認められる。しかし,企業経営史の機能を,経済 史家のより確実な−・般化に・資することに,多くの人はその有用性をみて来たと V、うのが真実であろうと思う。このことほ.,−・部では.,企業経営上の意志決定 を強調することが非常紅少なく,また,アメリカの開拓時代に典型的な社史
(CompanyHistory)が,比較的欠けている説明に・もなる。何故なら,英国人 ほ,自分たちの企業経営史の論文を,経営者の訓練紅潜在的咤価値のあるグー
(18)
ス.スタディの資料とほ.,決っして考えなかったためである。_lそれよりも,
(19)
むしろ「経済史の一分科として考えてきた。」すなわち,20世紀の現代では,
企業は,とりわけ大企業ほ,西洋諸国の運命を左右するはど大きな社会的影響 力を持った制度になってきたため,】■より多くの歴史家が,企業や企業シネテ
(18)Payne,Studies,p.Xiii.
(19)Payne,Studies,p.Xiii.
英国における企業経営史の方法についで −ヱヱJ−
643
ムの革新について多くを知れぼ知る程都合がよく,そして,現在の諸問題は,
企業に.おV・、て生起しているいくつかの歴史的側面を考えることなしに.は,理解
(20)
できない。」このように,企業の大規模化と,社会的影響力の増大の中で,英 国での企業経営史研究の目的は,直接的な経営者の養成よりも,むし今,l ̄企 業経営の史的発展の客観的理解を,単紅経営者ばかりか,・−・般社会人紅対して
(21)
も,要請している」と言える。ここに,英国に.おける企業経営史の研究および 教育が経済史研究の一−・環として行われてきている理由の一億が存する。
このように,経営者教育軋関してほ,英国でほアメリカとは対照的な考え方 が存在するようである。すなわち,アメリカは,ビジネスの社会であり,ビ汐 ネス紅直接役立つ経営諸技術の研究ほ,有意儀であると共に,ビジネス。スク
−ルで研究,教育するに催する学科目であるとみなされているの紅対して,英 国でほ,企業経営史は経済史の・一・環として,ひいてほ,歴史学の−・環として,
(22)
社会を理解するため紅研究されている。
(20)P.Mathias,BusinessHistoryandManagementEducation,BuSine55mSioY二γ,
Vol.xvii,No.1,1975,p.4.
(21)米川伸一礪,『、経営史』,有斐閣,1977,3〜4ぺ−ジ。
(22)なおど汐ネスの史的研究が,英国では歴史学(直接に.は経済史)の−・環として∴行わ れている理由の−・部は,アメリカにおけるビジネス申社会的評価と英国に・おけるそれ
との差異紅もとづいてこいる。すなわちアメリカでは職業としてのビジネスの社会的価 値が高く,ビジネスで成功することは社会での成功を意味しているから,ビジネスで
成功するためにあらゆる努力がなされる。
それに対して,英国では,ビジネスの社会的地位は政治家,教育者,弁護士などと比 較して−・般的に低く,ビジネスで成功した者ほ田舎で土地を買って大地主(countIy−
gentleman)になりたがり企業経営から引退するのが通例である。このような背景の ため,英国ではビジネスの研究が経済史の−・環として行なわれてきた理由の一つが存 するのでなかろうか。そのため英国の企業経営史研究の性格を明らか把するには経営 風土との関係を考察する必要がある。/たとえば,米川伸一腐,『ヨ一口ツパ・アメリ カ・日本の経営風土』,有斐閣,1978,森嶋通夫著,『日本人とイギリス人』,岩波 書店,1977,を参照のこと。
なお最近の経営史教育および研究ほ少し変化してきている。ポラードによると,「イ ギリスの経営史ほ,経済史の一部として論文形式で出現し,1968年から大学教育の場 に.導入された。現在,8大学で経営史が講じられている。すなわち,古い1大学と,
新しい3大学,そしで他は技術関係の4大学で教えられている。最初ほ,ク・エルチエ 科大学(WelchTechnicalCollege)のような技術関係の大学から出発したが,1973 年からクランプイルド大学(CranfildInstitute of Technology)のように.経営管 理教育の−・環として経営史が教えe,れたり,イ−リング工科大学(EalingTechnical
第51巻 第5号 644
…Jヱ2−
それでほ,以上のような特質をもつ英国の企業経営の史的研究の方法の特 徴はどこにあるのか。結論を先に言えは,企業経営史は」 ̄経済史に.対する基礎
(23)
的研究(the gTaSS rOOtS apprOaCh to economic history)」であり,それほ
(24)
「地域研究(regionalapproach)」として考えられている。
l ̄地域研究」とほ,たとえば,次のような方法である。スコットランドの西 部の経済革新が,、どのようにして起ったかを解明しようという企画があるとす
る。そこでほ,「このような特定地域の脈絡の申に各企業の財産の推移を位置 づけようとする個々の研究は,同∵・産米の他の企業で起っているこ.と,関連産 業で起っていること,そして,その特定地域全体で起っていることが助け合っ て,より明確軋なる。『相互関連(interTelation)』というのが我々のキL−・ワ ードであり,このような意味で『企業はその企業の運命の主人であり,その雑 談の外で生起していることは,企業の成功・共助に・はほとんど関係がないとい
う考えで,大部分の企業経営史を終る』といった批評には耳をかさない論文を
(25)
書くことを期待する。_Ⅰこのように,特定地域全体の研究の中匹個別企菜の研 究を位置づけていくこ.とに、より,個別企業をその地域の政治,経済,産業など
との相互関連の中でより包括的に.理解することに,「地域研究」の主眼がある。
この「地域研究」の方法により,応々にして断片的な経営資料のため,問題 が「孤立化_】してしまうのを防止することができ,断片的な情報(資料)を最 大限に活用することが可能である。かくして,企業経営史は,「経済史に.対す る基礎的研究となり,上述の諸々の計画を含む特定地域の研究の脈絡の申で行 われる時,有意義な結果を生むことが最も可能である。このようにして,企業 経営史は経済史に.対して新しい手引きとなり,企業経営史家の業績が深みを増 す方法ともなり,そして英国の経済革新にまつわる歴史に・組みこまれていくこ
College)のように会計史や労務管理史の−・部として論じられたりしている。一・般の 大学では,経済史の中に凝営史が含まれている。また他の大学や会社でぺバ/ンポジク ムの形態で経営史が研究されている。」(S‖ ポラード,前掲寄,73ぺ−ジ。)
(23)Payne,A7■Cゐ∠むβざ,p・29・
(24)Payne,A7■d毎ぴβ5,p・・27n
(25)Payne?Aγ■C肋β・S,p,27,
英国における企共経営史の方法について −ヱヱβ−
645
とも,非常に.たやすく可能紅なる。そうして,−・般大衆にもより広範に読ま
;れi専門的な経済学者や経済史家たちに.よって充分に評価されるであろう。さ
(2tり ら紅企業経営史は社会科学の発展の中でますます重要に.なってくるであろう。」
このような意味で,英国における企業経営史は」 ̄1地域研究」であり,また,経 済理論と経済史をつなぐ「補助学_トであり,そして結び目の学問でもある。
以上が英国における企業経営の史的研究の方法上の主要な特質である 。これ をプレイム・ワ−ク忙して,次に.ロールの企業史の方法とポラードの経営管理
史の方法を検討しよう。
ⅠⅠⅠエリック・ロ−・ルの方法
−− =A隠見卯・/.γ且材卵・去■研創扉よ■形′乃ゐざわよ■αJOrgα〝左■gα如循 の研究を通 じて−
1 方 法
1930年頃における英国の企業経営史研究の況状を,J.G.スミ.スは次のよう
に述べている。「企業経営史として知られている論文の不足のため,その結果 利用可能な少数の論文を過度に.重要視し,特定の産業領域に.限って適用が可能
(27)
な,不適当な基礎や事実紅基づいて経済史家ほ・−・般化を行ってきた。」
こ.のように,産業革命期の工業化のプロセスやエ場制度についての経営資料 ヰ企業史の研究が不充分な状態でもって,経済史レベルでの−・般化が行われる のほ,資料的に.も不充分,不適切である。このような個別企業経営研究の不充 分さをカバー・する研究の仙・環として,ロノールのポ−ルトンコワット商会の研究 は位置づけられる。
次紅,ロールは研究の動機を以下のように.述べている。「ポ−ルトンコワ ット商会のパートナ−・シップ制紅ついてのこの論文ほ,.現在進行中の個別企業 の歴史あるいは現代企業の先駆者たちの,歴史に関する・−・速め著作に,もう一−
項目をつけ加えることである。特紅この企業を選択したのは次の3つの理由に
(26)Payne,Aγ■Cカ≠ぴβS,p.29.
(27)Roll,β∂〝Jf∂〝&l机zf′,p.Xiii.
希51巻 第5・弓
・−JJ4− 646
よる。すなわち,この企業が非常に重要であること,完全かつほとんど稀な程 紅保存された記録が,バーミンガムに集中していること,および,18世紀末か ら19世紀初頭紅かけて最初の機械工業であるこの企業について,数冊の著書が
(28) あるにもかかわらず,経済学者の視座からの徹底レた研究が欠如している」た
めである。換言すれば,英国の産業革命期に.重要な役割を演じた個別企業の歴 史の一つであり,しかも機械工業匪」おける先駆的企業として,ボールトン;ワ ット商会が位置づけられている。次には,歴史研究紅ほ不可欠な資料が,ポ・−
ルトンニワット商会の場合にほ,当時ロー・ルの住んでいたバーミンガムの,
「バpミンガム鉱石分析所(Birmingham Assay Office)」と r/ミー・ミ.ンガム 市立図書館(BirminghamMunicipalLibrary).」の2ケ所に,はば完全な形で 保存されていたという点,そして最後に,これが最も重要な理由なのだが,そ れまでのボ−ルトン=ワット商会の歴史的研究が技術的側面に偏っていたた や,経済史家であるロ−ルの関心を充分満たすものでほなかったという理由の
しこp\
ためである。
そこで,エリック・ロ−ルほ,ボールトンゴワット商会を次のような視産よ り研究している。】 ̄この論文は,ソホ一工場の歴史を経済的観点から
(80) する。」 この場合の「経済的視座」というのは「経営組織の問題(problems of
($】)
businessorganization)」である。すなわち,「ポ−ルトン=ワットおよび二世 たちが会社を組織し,内部的紅発展させ,煮気機関の注文を確保し,そしてこ れらの契約を履行する方法について・・…・。また,会社の労働者の採用,訓練,
労働者のための福祉計画の初期的準備,そして,それ紅よって会社が,英国で
(82)
最大の一つになった1795−96年以後の大変更_lに・伴う組織変革という企業の内
(28)Roll,放勅勘朋β=机沼,p.Vii.
(29)たとえば,J.P.M−1iIbead,rカβ肋cゐα〝よcαJ′力むβ〝抽〝・=げ./d肌♂・ざ酌Jf,1854,
S.Smiles,Lives of Boulton and Watt,1865,H.W.Dickson and Rhys
.Tenkins,。わ∽βS晩方fα紹d≠カ♂ ぶ≠βα∽β乃gよ■〃β,1927,などの研究があるが,いず れも社会経済史および技術史的研究が中心で,経営学的視点が欠けている。
(30)Roll,β0〝〃〃〝&l侮ff,p.Viii.
(31)Roll巨翫融加〝&Ⅵ触佑 p…Viii.
(32)Ro11,助〝〃¢乃&W厄才f,COVeI
英国における企栄経営史の方法について −ヱJき−
647
部経営の問題を中心に.取扱かっている。
以上が,ポ・−ルトン=ワット商会をロ−ルが研究した動機,目的および方法 に.ついての概略である。以下ボールトン;ワット商会に.ついての具体的内容を 略述することにより,ロ一−ルの方法をより具体的に跡付けてみたい。
2 具体的内容
エリック。ロ−ルに.よると,ボールトソニワット商会の企業経営の歴史は大 きく2つに分けられる。第1期は「ソホー←パー・トナーシップ制」下で相談技 師として:の事業を中心紅企業経常を行っていた1775年から1795年まで(マッシ
ュー・ポ−ルトンと汐エ−ムズ・ワットの出合いからl ̄ソホー・鋳造工場」_設立 直前まで),第2期ほ「ソホ一鉢造工場_!の設立から1805年に,創設時からのパ
一一トナ−であるマッシュ一丁・・ポ−ルトンが企業経営から引退した年までであ る。
ロー・ルの意図する r経営観織(business organization)ptの問題が本格的に 生じて来るのほ,兼萄機関の・一・賢生産体制をとった策2期である。以下ポ−ル
トンぉワット商会成立の経緯,「パートナ−・シップ制」下の企業経営,「ソか−
鋳造工場_】での企業経営(実体的側面と計数的側面)について,ロ−ルの企業 経営史の性格を明らか紅するのに必要な範囲で,内容を要約,紹介しよう。
ロ−ルは,まず事業前史として蒸気機関の実用化の年代史と,・そこ払おける ニュ−コメン・エンジンゐ登場,普及とその限界(燃料の浪費という欠点),
およびそれをカバーーするものとしてワットの蒸気機関の技術的,経済的優位性 を蒸気機関の発展史の中で展開している。
次紅,技術者のジェームズ・ワットと実業家のマッシュ−・掛−ルトンの出 合いから,パ−トナーレップ契約を結んで新しい事業を開始するまでの過程が ワットとブラック博士,ローーバック博士,スモ−ル博士との出合い,およびポ
−ルトンの事業経営の変遷という企業者史的プレイム・ワ−クの中で論述され ている。以上が事業前史の主要な出来事である。
ついで,草葉史の第1期,すなわちソか−・バ・−トナーーシップ制下の企業経 営(1775−95年)では,ポ・−ルトンとワットがパ−トナ」−シップ契約に・より共
第51巻 欝5号
ーJJ6− 648
回して乗気機関製造販売事業紅乗り出してから,蒸気機関の金製造工程をポ−
ルトン=ワット商会で行うためソホ一鉢造工場を創設する直前までの事業活動 が考察されている。すなわち,好一ルトンが金属製造巣に.多忙であったこ.と,
蒸気機関の主要部品であるシリンダーの申ぐり工法の特許権を,ジョ∴/Jウ イルキンソンが独占してル、たことなどのため,ポ−ルトン=ワット商会は蒸気 機関の「設計および図面の提供と組立作業の監督」を主要な業務とする相談技 師として事業経営を行ってきた。こ.のような条件下における事業の発展史が,
具体的に展開される。そして蒸気機関の相談技師という新しい草葉経営に.あた っての経営方針,蒸気機関の販路とその契約条件,および事業経営の結果を示 す営業成績(販売実績)という企業経営上の問題と結果がのべられる。そして パ−トナー・シップ制下の企業経営の成果である「1在庫制度」「製品の標準化」
および「−取換え部品の生嵐」という,企業経営の合理化の成果が述べられ,こ れらは大患生産体制の論理的な端緒を示すことが言及されている。
次に.ポー・ルトン=ワット商会の事業史の第2期ほ,ソれ−・鋳造工場下の企業 経営である。この時期の経営組織の研究にロL−ルの関心の重点がある。1800年 は,ワットの兼気機関が自由競争に.晒される年でもあり,それに.処する経営政 策の必要から,ポ−ルトンコワット商会ほ1795年に新しくl ̄ソホー・鋳造工場_i を建設し,新しい工場計画がつくられ,それに.基づいて工場整備,拡張が1803 年まで続けられた。そして新た紅2世たちが,パ・−トナ・・−・シップに.参加して
「ポーIルトン㍉ワット父子商会(Boulton,Watt and Sons)」という形態紅 企業経営が拡張された。以下産業革命期に最も注目された企業であるボー・ルト
ン;ワット父子商会の経営組織に.関するロ−ルの説明を実体的側面と計数的側 面に.分けて紹介する。
(1)実体的企業経営
週1台の剖で蒸気機関が生産されるけか⊥鋳造工場」、の生産組織は次のよ うであった。まず職場ほ次の10の部門より成り立っていた。(1)鋳型職場,
(2)鋳造職場,(3)鍛造職場,(4)穿孔・中ぐり職場,(5)、畢旋盤職場,
(6)ノズル仕上組立職場,(7)特別仕上組立職場,(8)軽仕上組立職場,
英国に.おける企業経営史の方法について −ヱJ7−
649
(83) (9)蚕仕上組立職場,(10)総仕上組立職場より成る。それぞれの職場の必要
に応じて旋盤・甘−・ル盤などの機械が配置され,それを基礎にして,48人の労 働者が配置・作業分配がなされ,進行作業は.「一機械ゴ」の単独作業として,仕 上組立作業はl ̄班長十助手一+・少年」という集団作業が行われていた。生産過程
の管理ほ,作業の種類に応じて:出来高給制度と時間給制度が用いられていた。
基本的には資本主義的な賃金の支払形態である種々の差別的出来高給制度が用
く34)
いられて几・、たことが,エ程別酷評しく説明されている。
(2)計数的企業経営
計数的企業経営の主要内容は,(1)価格形顔の問題,.(2)簿記・会計制度 およぴ(3)企業の営業成績と財政状態に.ついての展開である。
前述のように.1800年ほ,ワットの特許権の切れる年であり,それまでワット の蒸気機関の価格決定は,ボールトンコワット商会の自由裁盈にまかされてい たが,それ以降ほ自由競争に入る。そのため,ポ−・ルトン±ワット商会でも価 格政策の問題が経営政策の中心課題に.なってきた。その給果,蒸気機関の価格 ほ従来の馬力数軋感づくプレミアムを毎年支払う方式から,1795年に.は,その プレミアムの「−・定敬一時払い」方式へと移行していった。それと
種類かの兼気機関紅標準化が行われ,各兼気機関の価格は,それぞれの1 ̄金属 材料糞+一・定のプレミアム」という方式で決定された。
このような方式に.価格決定の方法が変更されると,必然的紅・原価計算や簿記
・会計制度もその影響をうけた。そのため,帳簿ほ!一商品勘定」】 ̄人名別元帳」
など22の帳簿がつくられ,兼気機関の原価計算に必要な帳簿だけを上げても次 のものがある。鍛造エ・仕上組立工簿,仕上組立簿,振替帳簿,差引き簿,
(お) 蒸気機関簿があり,これらの帳簿から兼気機関の製造原価が次の公式紅より求
められた。
(33)Roll,Boulion&Waii,Appendix.
(34)なお詳しいことほ.,塩見治人稿,「機械製作工場」,堀江英一・編著,『イギリス工場 制度の成立.』,ミネルヴァ書房,1971,を参照のこと。
(35)Roll,β0〝〆ね乃&Ⅵ物ff,pp.別5−6.
算51巻 第5号 650
−ヱヱβ−
(88) 製造原価=原材料費+直接賃金+間接賃金+一・般経費
そして,これに乗気機関の組立費(組立賓+テスト費)を加えたものが,上 述甲金属材料費である。こ・のような方法で茶気機関の価格見積がなされて小 た。
このような詳しい計算制度の他に,企業の財政状態と経営成績を示すための ばう大な会計制度が整備され,ポーールトン=ワット商会の経営成績と財政状態
(37)
をロールは詳しく跡づけて:いる。そして,その後の企業会計に・とっても新しい 項目を含むものがいくつもあったというのが,ロ−ルの評価である。
最後に,ロールほこのようなポ−ルトン=ワット商会の研究をどのように評 価しているのか。
ポ−ルトン=ワット商会の第1期ほ,他の革新的企業と同じであり,第2期 が,例外的大企業である。ポ−ルトン一世とワット一世は・,蒸気機関を商売ペ ースに乗せた蒸気機関事業の創設者であり,二.世たちほ組織を形成,発展させ 巨大事業へと拡大していった。ポ−ルトγ=ワット商会埠先駆的・例外的大企 業であったため,それが企業一・般の問題軋なるのほ19世紀末から20世紀初儲の 独占資本主義段階に.なってからである。ロ−ルの言葉に・よると1 ̄科学的作業計 画,多くの機械の使用による労働の再分割と専門化,賃金支払いのより正確な 方式,記録や原価計界の方式のような問題は『新しい産業革命』と呼ばれる30
(38)
−40年前までほあらわれなかった。」そのため,ポ・−ルトン=ワット商会の企 業経営の歴史の考察だけから機械工業そして企業一腰に普遍化することはでき
(39)
ない。ボールトン=ワット商会は,「現代の工業時代の夜明け」であり,「最も
(40)
組織化された工場の・一つである_lが,機械工業の他の会社には記録が残っては いないので,一・般化できない。「ある個別の企業のこの研究から,我々は経済
(36)Roll,β〃α〃ク花&勒≠f,p.241
(37)なお詳しくは,拙稿,「英国産業革命期における会計制度の経営政策上の意義につ いて」,『広島経済大学十周年記念論文集』,1977,を参照のこと。
(38)Roll,此励伽〝&Ⅵ物佑p.271
(39)Roll,ββ 摘花&坪kff,p.273
(40)Roll,加 〃∂〃&酌ff,p.273.
英国に.おける企業経営史の方法について ・−ユヱ9−
651
史に.おける大まかな一・般化という弊をおかさないようにという結論を引き出せ る。この革新的な企業の歴史を一腰化しようとする人々には興味深いモラルと
(41)
もなろう_lというのが,ロ−ルの結びである。
ⅠⅤ シドニニーー・ポラードの方法
一−− 7場♂G♂〝♂∫去∫げ肋(おr〝肋〝αg♂沼♂〝′ の研究を通じて∴−
1 方 法
レトニ・−−・ポヲ」−ドの英国産栄華命期の経営管理の研究の動機ほ,次の通り である。英国の産業革命は,世界で最初の工業化の事例であり,工業化を達成 しようとする国々にとってほ,モデル的存在であったため,種々の視座からの 多様な研究が現在までくり返し行われてきた。ただ,このような多面的アブロ
−・チにもかかわらず,経営学的視座よりの研究ほ不充分で,最も遅れた分野に なっているdすなわち,英国の産業革命についてのl ̄現存の再評価の多くの動 きは,英国の産業革命を,すでに.多くの国々が実行し,現在も行われ,そして 将来も行われるであろう工業化のモデルとして見徹そうとする実践より生まれ
(42)
てきた。」そして,現在まで,経済史,産業史,科学技術史などの分野からの 産業革命の研究は行われてきたが,「近代経営管理の生成の歴史」一は未知の分 野のまま残つている。しかも,実業界でも「経営管理の標準と方法」について の知識の不足と,個別の資料が保存されている若干の企業の経営管理の実琴が わかるのみである。このように,実際面でも学問的に見ても存在する経営管理 的視座の欠如を解消することが,ポラ−ドの「近代経営管理の生成」の研究動 機であり,目的でもある。英国の工業化に.おいて,経営管理はどのような役割 を果したのか。フランスではなく英国で,17世紀ではなく18世紀紅塵業革命が 起ったのは,経営管理の豊富さとどう関係があるのか。これらの解明が,ポラ
−・ドの「近代経営管理の生成」研究の動機である。
それでは,ポラ−ドは「準営管理」という言葉でもって,産業革命期の企業
(41)Roll,放眈仇招d=断頭,pp.275−6。
(42)Pollatd,Gβ〃βSgS,p.1.
館51巻寛5号 652
■−ヱ2∂一−・
経営,ひいては英国社会のどの側面の解明を意図して:いるのか具体的に検討し よう。
まず「企業者活動(entrepreneurship)」と「経営管理(management)」の 区分を手がかりにしよう。ポラードほ,G.H.ェプアンズの次のような定義 を援用する。「企業者活動」とほ」 ̄行われる事業の種類の決定…‥・すなわち,
どのような財・サ−ダイスを提供するか,およびその患とどのような顧客に・提
(48) 供するかの決定という活動」である。
それに蘭して,「経営管理」とほ.企業者活動を除く「他の上位の意志決定一一 すなわら,どのような種類の事業を行うかという企業者の意志決定により決め
(44)
られた目的を達成するために.行われる意志決定_‡である。換言すれば,「企業 者活動」ほ「戦略的決定」であり,「経営管理._lとほ1 ̄戦術的決定」である。
このように企業者活動と経営管理とを区分した上で,ポラードはこの研究で は,経営管理を研究の対象に.している。その理由は,企業者の起源,企業資本 の源泉,技術革新の採用,危険負担,不確実性の処現 企業目的や指揮に関す る意志決定,革新,市場構造の修正を必要とする投資戦略,財務安全性の確 保,公共当局との交渉,という職能は,伝統的な企業者の職能に含まれ,シュ
ンぺ一夕ー を始め,ナイト,シャツクル,コール等々紅より既に・繰り返し研究 が行われてきた。しかも,これらの伝統的な企業者職能ほ企業の設立が度々行 われた時代および自由競争の厳しい産業革命期に.ほ特に重要であったが,独占 資本主義段階と呼ばれる現代においては,その重要性が減じ,現代の巨大企業
(45)
の中心課題は「組織形環(organizationbuilding)」であり,その目的ほ,「企 業内における資漁の効率的利用であり,最近は資源の効率的利用を可能にする
(46)
ための,制度上の,および人的プレイム・ワ−クを創造すること」になってき
(43)Pollard,Genesis,p.3.なお上述のように,これはG.H・Evans,ACentury of Entrepreneurshipin the United States Cn1850−1957,ExPloraiionsirn e〝f7・β♪γβ〝β〝7・よα才力≠5紬rγ,Vol.10,No.2,1958,p.91,よりの引用である。
(44)Pollard,GeneSilS,P.3.(注)43と同様に,G・H.Evans,ibid,p・91,より の引用である。
(45)Pollard,Gβ〝βSよ5,p.2.
(46)Pollard,Cβ〝β・SよS,p.2.
英国における企業経営史の方法について −ヱ2ユー 653
たためである。こ.のような理由から,ポラードは,経営管理を研究の中心把握 えてル、る。
このようなプレイム・ワークをもつポラ−tFの経営管理の内容ほ,実体管理 と計数管理の2つに分けられる。経営管理者,技術者の養成および労働者の雇 用,訓練および工場規律の形成等々という実体管理と,歴史上最初の固定資本 処理の問題から生じた会計,原材料の在庫替理,価格決定のための原価管理等 々という計数管理の問題がその内容をなす。
2 具体的内容
ポラードの経営管理は,前述の通り,(1)実体管理と(2)計数管理の2つ に分けられる。
(1)実体管理
実体管理の内容は,経営管理者の雇用,養成,訓練およびその社会的地位と 経営管理の対象である労働者の雇用,教育,訓練,工場規律の形成および工場 村の諸問題がその内容をなす。
経営管理者の雇用のうち,将来の企業家あるいはパ−トナL−として企業経営 の中心的存在に.なる r中間管理者(middle management)」の採用は,はと んどの場合企業経営者の二世やそ・の血縁の者から採用していたので,雇用に伴
う問題はほとんどなかった。しかし,より下位の管理者である鉱山の現場監 督,土木技師,相談技師,会計担当者,下請人というような専門家を雇用する 場合,その不足のため企業経営者ほ,顧を痛めていたようである。
次の間題ほ,経営管理者の教育・訓練である。これにほ公式の教育制度とし て,−・般的な人間形成を目ざした古典教育があったが,経営管理者の教育とし ては全く役立たなかった。次紅,中産階級の要請から生れて∵きた「新しい学問」
と呼ばれるものがあった。これ紅は政治経済学,商業計算などの「商業科目_】
と,数学,工学などの1 ̄科学,技術に関する学科目」があった。これら新しい 教育はある程度は経営管理者の教育に役立ったが,充分でほなかった。ごく恵 まれた階層の経営管理者(企業者の二世や血縁のもの)たちはl ̄外国へ遊学_l することにより教育を受けた。
第51巻 第5号
・−・J22−
654公式の教育は以上のよう▼紅,経営管理者に.あまり有用でなかったため,経営 管理者の教育は1 ̄経営管理の徒弟制−t と呼ばれる方式でもって,実際の仕事を 通じて教育,訓練が行われるのが普通であった。これほ,産業革命期の経営管 理者および技術者教育としてニ,特に.重視サーる必要がある。
次に,当時産業革命期における経営管理者の社会的評価をみるために.,経営 管理者の報酬の問題が検討される。結論的に言えば,報酬は経営管理者の能力 だけでなく,性格,能力,信頼性,技術などを加味して判断されたため,企業 に.よりその判断が異なり,・−・般的規準ほ存在しなかった。
次に.労働者の管理の問題である。産業革命親という古V、秩序から新しV、社会 秩序への移行の時代であったため,労働者の雇用には色々な困難が生じた。こ のように労働者の雇用が困難をきわめたため,工場内での訓練を通じて熟練工 を養成することほ,企業の重要な役目であった。そのためボールトン=ワット 商会のソホ一鋳造工場のような大工場ほ,技術や教育の1 ̄学校_lとして中心的 役割を果していた。次ほ新しい工場規約の形成に伴う問題である。生産過程へ
の機械の導入に.より,労働者に・要求された作業規律は,正確性と標準化の達 成,および設備や材料を大切に扱うことである。それ應達成するため紅導入さ れたのが,出来高給制度であり,「飴と答」による「成行管理(drifting man−
agement)」である。その他労働者に企業への帰属意識を高め芦ため,ロバ−
ト・オク.エ.ンの「サイレ∵/ト・モニター制度」を始め色々の労働者モラル向上 のための対策がとられていた。最後に.,産業革命期の工場における労働者管理 の問題が典型的k,みられたのはr工場村(factoryvillag9)」に.おいでである。
工場村でほ,購買,生産,販売,財務,労務という企業経営活動だけでなく,
外部サーヴィスと呼ばれる諸々の経営社会対策が必要であった。
以上がポラL−ドが措いている産業革命期の実体的経営管理の概要である。
(2)計数管理
次紅計数管理である。ポラ・−ドが扱っている計数管理の内容は,工業会計の 起源,原価計穿および会計の経営管理への有用性の3つである。まず工業会計 の起源に.おいては,エ業会計の前身として「領主=管理人制度(the master
英国に.おける企業経営史の方法軋ついで −エ2β−
6、55
and steward system).」下の会計,「商業制度(themer・Cantilsystem)」下 の会計,およぴ1 ̄問屋制度(the putting−Out SyStem)」下の会計の特質とエ 業へ・の有用性と限界性という問題声;検討されている。
夜紅原価計算軋おいて.ほ,部分原価計凱全部原価計算および資本会計の企 業に」おける役割と,当時の実状が換討されている。部分原価計算は企業紅とっ
では有用であったが,減価償却などの問題のため,−・部例外的な大企業に.その 端緒ほ女られたが,全般的には全部原価計簸も資本会計も失敗軋帰したようで
ある。
最後に会計制度の経営管理への有用性であるが,ボールトン=ワット商会の
▲ ように・,自由競争に・晒されるように・なって初めて会計制度を経営管理に用いよ
うという端緒的萌芽がみられたが,それが制度として定着するのほずっと遅 れて,20世紀になっでである。当時の会計制度ほ.,窃盗の防止,能率の標準,
在庫管理という r継続性(regularity)」と.r誠実性(honesty)」の導入およ び部分原価計算に.は有用であったが,全部原価計算,資本会計および経営管理
(47)
にはほとんど有用な役割を果さなかったというの承 ポラードの結論である。
Ⅴ 結
以上の考察から,ロ−ルの研究ほ,産業革命期の機械工業の大企業であるポ
−ルトン=ワット商会という,所有単位としての企業艦内在する経営学的研究 であることがわかる。それ.以前の研究が技術史的側面に片寄っていたので,ロ
−ルは,「経営組織」,すなわちポ−ルトン/こワット商会の生産組織と償金制度 を基礎紅した工場管理の問題,および簿記会計制度に基づく計数的経営政策と いう広く企業経営一般にかかわる問題を扱っている。とれは個別企業を対象に した企業経営史と呼ぶことができる。これほ個別企兼の史的研究として,独自 の意義をもつとともに.,ロ−ル自身も言及しているように.,英国社会経済の歴 史的解明という,英国の経済史研究の伝統紅も従っている。したがって,「経
(47)詳しくは前掲拙稿,「英国産業革命期における会計制度の経営政策上の意義紅つい て」,を参鼎のこと。