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地場産業の経営史に関する研究序説

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Academic year: 2021

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(1)地場産業の経営史に関する研究序説 森. 大. 弘. I . 経営史研究の概説 且. 地場産業の史的考察 皿 地場産業の経営史. I. 経営史研究の概説 過去の中に未来の兆を観るという姿勢が大切であり, 必要である。 イタリ アの哲学者クロ. ー. チエが「歴史叙述の理論および歴史」 において「すべての. 真の歴史は現代の歴史である」というとき, 歴史は現代のためにあり, 未来 にむかって叙述されねばならないものであろう。 われわれが経営史を課題とするときも, 経営の歴史を叙述することが, 過 去の中に未来の兆を観る姿勢で, 現代の経営のためのものであり, 未来の経 営に向おうとするものでなければならない。 またひるがえって現代の経営な り, 未来への経営を志向するときには, 現在を創造してきた歴史をひもとく ことの大切さ, あるいは必要を痛感させる。 経営の問題を史的に研究する, ないしはいわゆる経営史が学問の領域にお いて取上げられたのは, そう以前ではないといわれる。 一般には, 1925年, アメリカ において,. ハ ー バ ー ド大学大学院(the. Harvard Uinversity. Graduate School of Business Administration)のド ー ナム博士(Wallance Brett Donham) の提唱により, 経営史協会 (Business Historical Society, Inc.)が設立され, 1927年, 同大学にグラ. ー. ス博士 (Norman Scott Brien. Gras) を主任教授として, 経営史講座が開設されたのを端緒としている。 - 40 (2678) -. I).

(2) こうして経営史の研究は,. 「現代における経営の世界で働く 人々 を訓練す. るには経営史 を教 える要のある こと」を提唱したド ー ナム にささえられ, 実 例収集と事例研究によって 一段ずつの礎石 を築き上げ研究のメッカにしてい ったのがグラ. ー. スであり, その スタッフであったラ. Larson) である。. グラ. ー. ー. スが「経営史J(Business. ソン等(Henrietta M. History,. Economic. History Review, Apl. , 1934)についていうと ころによると,「経営史は経営 の政治的,社会的活動 を 一般的に問題とするのではなく ,経営者あるいは経営 活動の歴史 を被述するもの」で「そ こでは経営がいかに組織され統制されて きたかを解明する ことが中心的諜題となる。 」また ラ. ー. ソンは「経営史の手. 引」(Guide to Business History, Materials for the Study of American Business History and Suggestions for their Use. 1950 ) においてつぎの ようにいう。. 企文(enterprise) ないし経営(business) というのは, 利益. の猥得 を目的として, 財貨あるいは用役の生産ならびに販売の た めに, 労 働, 資源, 資本 を結合して経営(administration) する経済活動(economic activity) をいう。. この経営(administration) には, 政策の設定(the for­. mulation of pol icies) をはじめ,. 統制(control )竹理 (management) の. 機能がある。 かかる経営について, 歴史的な相対性の重要さを認識する こと が,経営史 の調査や研究にとって本質的なものであるという。(To grasp the importance of historical rel ativity is essential to research and study in business history. ) このような経営史が, まずなによりも, 個別の企業経営について, いわば 企業経営史(history of a business)として展開されるのは, 固有の経営史 の領域 である意味で当然である。 さ らに グ ラ ないし時代別の, より一般化された経営史が,. ー. ス のいう, 制度別, 国土別. 一. 般経営史(a synthesis of. business history)として領域づけられよう。 そしてそれらの中間の領域 に, ラ. ー. ソンもいうような, ある産業の発展と関連づけながら, その産業 を構成. しているもろもろの経営の管理と迎営の 一般的な様相(general ized picture) - 41(2679)-.

(3) を記述するものがあり,それは管理という観点からする産業の研究(industry study f rom the point of view of administration) として, 産業経営史 (business history of an industry or a trade)といわれるべきものがあ る。 われわれはここで, 経営史という学問の意義をふまえつつ, なかんずく 産 業経営史の立協にたって問題をとらえようとしている。 すなわち, 地場咤業 の経営史を研究するという課題である。 ただこの課}』を追究するまえに, そ の経営史を研究する接近の方法なり, 態度につ いてふれ て おく 必要があろ. つ。 「経営史の研究」2) についてグラ. ー. スおよびラ. ー. ソンの提唱した経営史の特. 色を要約すると,「経営ないし管理 (administration) , 換言すれば 政策を選 択し, 統制し, 指図するという一連の活動に研究の焦点をさだめる。」 そのた め「企業経営における代替可能性の選択の領域 (the area of. choices of. alternatives) に注目する。」したがって「 また企業経営における試行錯誤 の 過程に注目する。」そして「最近この学問は, 企業者史をはじめとする隙接 諸科学の発達に刺激されて, 叙述的歴史からより分析的歴史へ, また個別企 業中心の行き方からより総合的な研究成果をえようとする方向へと展開しつ つある」。 われわれはい ましばらく, 必要なかぎりにおいて, こうした企業者史の最 近の業績について理解しておきたい。 企業者史 (Entrepreneurial History) は,. ハ ー バ ー ド大学大学浣の経済学部教授であるたシュンペ ー タ ー. (Joseph. A. Schumpeter)の革新の理論をよりどころとし, 1948年から「企業者史 研 究センタ ー 」(the Research Center in Entrepreneurial History) を拠点と して研究され展開されていった。 そ の中心人物はコ. ー )レ(ArthurH.. Cole ). である。 その研究成果はその著苫「経営と社会I 3>に取覇められている。 そ こで企業者史について「企業者についで学ぶことは近代的経済発展の中心的 主役 (the central figure) について学ぶことであり, また 私の考え方では - 42 (2680) -.

(4) 経済学の中心的存在について学ぶ ことでもある。」すなわち企業者史研究は 経済学的で あることを まずもって 理解しておかねば ならない。 しかし その 研究成果に経営史的に摂収すべきものがおおい。 経済的変化の中心像といわ れる企業者あるいは企業者活動 (entrepreneurship) を「経済的財貨および 用役の生生と分配とを目的とする利益指向的企業を創始し, 絋持し, あるい は拡大しようとして, 個人 または共同する個人の巣団が営むと ころの合目的 活動」であると意味づけたうえで, 三つの局面における社会現家として把握 する。 すなわち企業者活動を, 企業者をとり まく もろもろの組織との関係に おいて「企業と その組織」として企業者的単位の相互作用との関係において 「企業者的流れ」として, そして企文者の経済的, 文化的環境との関係にお いて「企文者活動の社会的品条件」として相互に辿関させながら理解する。 しかも企文者活動の これらの局面を考察するのに, いく つもの注目すべき分 析渋具を用意しながら科学的接近を試みている。 それは実証的研究に必要な 社会科学の諸分野 一 社会学, 統計学, そして行動科学などの知識を動員して おり, 例えば, 「企業者の社会的地位ないし格付」の概念, 「役割と承認の理 論」 そして「有効な承認{主体の位置」ないし「有効な承忍の位謹の変化」の 概念などであろう。 とく に企業者活動に使lする「有効な承忍の位置の変化」 が, 地域中心的 (Conmunity-f ocused)な も の か ら産業中心的 (industry­ f ocused)なものへ, さらに山民経済中心的 (nation-f ocused)なものへ発展 していく 傾向のある ことを把握した概念などは, これから研究課題としよう とする地場産業の経営史の分析用具としても まさに有効であろう。 1)井上忠勝他紺「経営史の研究」4�5頁, ミネルヴァ書仄, 昭和4�年刊 2)井上忠勝他著「経営史の研究」11�34頁までの内容による。 3) A. H. Cole, Business Enterprise in its Social Setting 1959. 中川敬一郎成「経営と社会_企業者史序説」,ダイヤモンド社, 昭和40年刊. - 43 (2681) -.

(5) II. 地場産業の経営史的考察 地場産業の経営研究の 一環として, 経営 史的な考察を試みようとするわけ であるが, ここで取政えず 地場産業そのものの歴史的な 流れのみを追跡し ていくことにしたい。 そこで まず地場産業という言葉の意味なり, 脹念の規 定をしておくのが常套であろう。 学問としてl収上げるからには, 定義を厳密 に, かつ迅確にしておくことは当然である。「とはいえ,「地場産菜」という 4) 地場産業の 言葉は学問的にこれといった定義をもたない言葉なのである。」. 類語には, 在来工業, 伝統工業や産地産業, 地方産菜などいくつかあげられ ようが, それぞれにニュ アンスの差異をもっている。 そこで地場涯業の要件 について 一 ,二の所説を理解してみたい。. まず伝来的製品生産と小零細経営. という「このような生産の系諮と経営規板とが先ず地場産業の要件である。 さらに地場という地域的な言葉から まと まった産地集団を形成している必要 がある。」「 また, 生産流通形態が問屋機能と結合して発展してきたものであ り, その機能の影膀力が強いものなのである。 」5) また 「ここで, 地場産業 をば, 産地産業あるいは 地方産業と よばれる中小企業とほぼ同義語に解釈 し, 地域との関辿で, その問頌を考えてみよう。J. そして「その多くの共通. する特性は, 伝統をもつ産業として, 地域的に産地を形成し, 地元質本がそ の地域の豊富低廉な労働力を動員しつつ, 特産品を生韮していることであ る。」6) すなわち伝統産業として生成発展, 地域的集団で産地形成,地元夜本 による成長, 労働集約的な生産, 多種少量の特産品というような特性がある と指摘されている。 われわれは, これらの地場産業に関する要件や特性をここで吟味する意図 はない。 むしろ, 地場産業の実態の闊査から抽出された共通した特性をその ま ま卒直に受取り, 地場産業の定義を討議するより, 当面する課図である経 営学的あるいは, 経営史的な考察に必要な対象となる枠組ないしフレ ー ムワ ークだけを明確にしておいて, 内容の検吋を通じて定義づけにフィ. - 44 (2682) -. ー. ドバッ.

(6) クさせることのほうが, より建設的であるようにおもわれるからである。 さ らにわれわれが取扱おうとしている課題は, 地場産業としても, 地場産業そ の一般でなく , 産業経営史としての一 事例研究であるため, 定義づけの如何 にかかわりなく , 対象が明確であるためでもある。 すなわち地場産業として の桜井木材業界(奈良県桜井市周辺地域)を産業経営史として研究していこ うとしいるからである。. 7). 地場産業としての桜井木材業界を取上げるに先立って必要な準備は, 我国 における林業の概観である。 とく に産業経営史の問題としては, 農林水産業 を経済の基礎としていた封建時代のいわゆる幕藩社会から第二次大戦後にい たる までの歴史的な流れのなかにおいて, 林業がいかに産業として生成し, 発展していったか, また経営として成長し, 展開しきたったか, 桜井木材業 界との関連, そしてその原木供給源である吉野山系林業と関係させながら概 括してみたい。 我国の林業が, 幕藩体制のもとにおいて如何ようであったかは, 林野の所 有と利用によって制約されることは いう までもないことであろう。 「林野利 用と林野所有」8) について「幕藩体制下における上地所有は,. 一. 般に貢租納. 入を可能とする限度内において容認され, しかもその使用, 収益の範囲は強 い領主的規制下におかれていた。 貢租の納入を村落共同体 の連帯責任とした ほか, 経営面では作付強制を強行することによって貢租の確保をはかるとと もに, 土地永代 売買の禁止, 分 地の制限などによって, 貢租納入単位として の土地ぐるみ隷農の保持につとめてきたのである。 」 これが原則的には幕藩体制における林業の基礎である。 かかる封建社会に おける林野は, 肥飼源, および薪炭材, 手柴材の供給源として, 農業生産を 補完する物的基礎であるにすぎず, いわゆる林業的土地利用の展開は期待で きない。 林野の所有形態は大別して, 幕藩有林野, 農用入食林野そして私有 林野に区分されるが, かろうじて地主的林業が, きわめて限られた局地的市 場固を媒介として展開され, 献植, 科料植裁など無価の労 働力を基礎とした. - 45 (2683) -.

(7) 領主的林業が存在するにすぎず, まさに例外的土地利用方式だったといわれ る。 そのなかにあって吉野山 系の林業経営は, 1680年代 9) にいちはやく育成林 業および企業的林業の成立時期をもつといわれている。 封建的林野支配は, 賦役による藩営林業を成立させはするが, 民有林業を林業経営として展開さ すには, 局地的市場固を 対象とするとともに, 封建的支配の弱みを縫 う 形で 発現せざるをえない。. 「東北, 西南の諸藩には 民営林業 が成立せず, 両者の. 中間地帯に発展 がみられた。 」. 10). また「藩による林政の差が私有林の消長を. 生 じた。 藩が林政に力を傾倒 せる所 では反って私有林の 生長 は 遅 れ た が吉 野, 尾鷲, 静岡, 埼玉の如く山林の処理を地方民に委 ね 租税徴収のみに 当 っ た所ではこの時代に民間林業の基 礎 が 築 かれる 。 」. ID. 我国の民間林業で代表的といわれる吉野においても, 林業経営 が市場生産 と連結するのは豊 臣 秀 吉の大阪築城 (天正 11年) 伏見城築城, 方広 寺建立な ど, 上方建築材の需要が, 急速に増加する近世初頭 であったとい う 。 それ ま では紀 ノ 川 , 熊野川など搬 出系路に恵 まれて採取的林業が栄え, 育 成的林業 の成立は採取的林業の一 定の発展の基礎の う えに, 市場需要の増加を必須の 与件としている。. 一. 般的には, すでに室 町 末 期 から徳川 初期にかけて植林の. 起源をもつ といわれる が, 本 格的に植林が開始されるのは元禄期から享保期 にかけてであ り , それは京都, 大阪の建築材需要とともに, 摂津の伊丹や灘 の 酒 樽需要の増大に相 応するものである。 このよ う にして吉野の林業は樽 丸 需要とい う 特異な市場条 件にささえられて林業経営を成立させていく が, ぁ わせて木材 商業資本 の形成を進展させることともなる。 村落の総有地におけ る共同造林や私有地の個人造林にも, 市場需要の生産としてはおのずから限 界 があ り , いわゆる借地林制度 が徳川中期以降に広く滲透し, 封建社会に 対 立する林業生産関係として生成する。 すなわち土地所有者たる地主と立木所 有者たる林業経営者, およびその管理代行者としての 山 守, さらに採取業務 担 当 の 伐 出 業者とそれに従属する林業労 働者とい う 一連の関係である。 そこ - 46 (2684 )-.

(8) に展開された造林経営は. 1 町 歩 8, ooo�10, ooo 本 という密植主義 を基礎とし. てお り , そ の生産技術はきわ めて集約的 な も のであり, その発達した流送技 術とと も に, 吉野だけが築きえた林業経営の 一つの到達点を示す も のといえ よう。 こうした吉野 山系の林業を背景に, や がて桜井が内陸木材集 散市場として 他に例 をみな いほどの展開をとげる朋芽を見出すのである。 桜井木材史が歴 史的に前史として準備されるのは, 江戸末期, 文 化 , 文政以 降のことである。 江戸末期から明治中期(明治30年頃) までを, 市場および生産関係から, 桜 井木材前史とよぶにふさわしい時代であったろう。 広義 での吉野山系の 一 角 である多 武峯は, 藤原 釜足を祭る談山神 社の寺社領として古く , 神 社 自 体 が 文化, 文 政 以 降 は 大植林事業を興し, 享保以 降にな ると 山 郷において も 育成 林 業が盛ん で, 天保期には他 国芸州から木挽が進 出 してく る状態であり, こ れ は 元禄期から享 保期にかけて総 預 ケ 山の林地私有が進展し, 寺社, 領主の 保護の も とに, 多 武 峯 門前木材業者は大商人として成長していき, 桜井の木 材業者 も 大正初期頃 までは多 武峯の木材で商売をしていた状況である。 しか し多 武峯 門前の大商人たる木材業者は明治期に入り封建的保護を失い, 明治 初 年二 度の大 火によって, こと ご とく没落し, 明治期の桜井木材市場の展開 に 連 繋しえな かったといえる。 ただ多 武 峯 門 前の大商人が成長期に集中した 山 林は, 中 小の商 人の手に渡 り , この過程で林地所有権は村外に流出し, こ こに山 守が生成しきたったわけである。 そ してこれら中小の商人の 自 伐から 桜井の木材業は成長することになる。 この 当 時の原則的な市場および生産関 係の図式は, 私有林 な いし借地林による山林所有者が, 山守といわれる山元 木材業者をへて, 木挽を も つ村中木材業者に木材を売買する流れで, 消 費市 場 も 桜井周辺の地方を 対象とする も のであった。 これが明治30年をへて, 明治後期から昭 和 14�5 年 頃 までの期間は, 私有 民営林 業を基盤とする吉野およ び桜井の木材業界が市場生産に直結して一躍 の雄飛をする時期と な る。 すでに吉野川流域の林野を背景に山 林所有者と山 - 47(2685)-.

(9) 守制度は成立しており, 山守は摂津の伊丹や灘の酒 樽の生産のために樽丸師 を か かえ, 流送では和歌山をへて灘に, 陸送ではすでに明治35年に委託市場 として桜井をへて灘に売り込 むという流れを図 式 化 していた。 やがて, 吉野 山系でも中心となっていた東吉野村の山元木材業者が, 市場に連結している 桜井に進 出 してくるようにな り , 桜井の木材業者は樽 丸をは じめ建材な ど上 方市場の術要と直結して製材加工を内隆木材集散地として繁栄さすにいたる わけである。 当 時の有力 林業者は, 富 田 , 大塚, 角 谷, 津 田 , 尾上, 大浦, 木源, 西垣, 杉垣, 菅生といわれるが, これらのかな り の業者は現在もなお 盛んな営業をしている。 したがって この時期 は 市場生産時代とよべると思う し,. これに 対比して前史を地場 消 費 時代 といえると考える。 つ い に 昭 和 15 年. から昭和 24�5 年 頃 までを経済統制時代の時期 として区画して考察したいわ けであるが, その まえに これ までの時代のなかに経営的に関辿のある事 象 を 取上げて素 描しておきたい。 日 本の林業は農業と 対比して技術的にも経営的にも, たとえ 伝 統農法とい え どもそのように体系 化されたものは確立されて こなかった。 それは前提と して幕藩領主的な林野土地所有と封建的支配 があった ことも確実であるが, あわせて土地利用経営として林業が成立しえな かった ことに基本的な 原 因 が ある。 たとえ林業経営として生成しても, せいぜい農業経営から不規則的に もたらされる小規模な過 剰労 働を媒介として, しかも費用節約的で労力節約 的な零細経営として発現するにと ど まったのである。 そして明治初年の海外 留学を契機に, 実質 的には明治 3 0 年代 から 輸入された西欧林業の方式が, 国有林経営に埒入される ことによって, 初めて新たな展開 を み せ る の で あ る。 そういう系譜のな か に あって, 吉野林業および桜井木材の推 移は如 何 に展 開したであろうか。 そ こでいえる ことは, 国有林経営に 直訳輸入された西洋 林業を技術的にも経営的にも消 化しながら, 私有民営林業の経営として環境 的特殊性や主体的個 別性で摂取しつつ異質なもの に 展開しきたった ことであ - 48 (2686) -.

(10) る。 まず技術的な経 由 か ら観察 してい こ う 。 製材技術についてみると, すでに 明治39年に木挽製材か ら 機械製材に転換 してお り , 当 時 5 基の製材機械が母 入されている。 これ が 大正 8 年, 動カ モ ー タ ーによる機械製材に う つると, 大正年間で 倍増して 1 0基とな り , 昭 和 6 年で 1 5 基, 昭 和 1 1 年になると 3 1 基 となり総計 289 H P の製材機械を設 盗するにいたっている。 また輸送手段に ついてみると, 和 歌山を中継地としていた紀 ノ 川 , 熊野川 などによる流送は やがて停滞 し, もっぱ ら 桜井 を 中 継 地とした陸送が, 吉野山系の木材 集 散の 手段となっていく のであるが, その趨磐をささえたもの は 鉄道と 自 動車であ る ことは周 知の ことである。 まず咀治26 年, 大 阪鉄道が天王寺と桜井の区間 に開通した こ とは, 大 阪とい う 大消 費地をバ ッ クにもつ集散地としての地位 を確固たるものとし,. それに し たがって木材集 荷 幽も多 武 峰, 挨原とい う 周. 辺地域か ら さ ら に 拡大されて, 東吉野村を中 核とする吉野山系全域へとわた っていった。 ついで 明治 3 2 年には京都 か ら 桜井の区間が囲通して 鉄迫とな り , 神戸地区の高, 伊丹とい う 従 来 からの市場の関係を 含めて, 今 日 でい う 京 阪神の地区を市場として辿結しえるよ う になったわけである。 これに相 応 して集 荷 困 内 での輸送体 制も整 価が急がれ, す ぐ 翌年, 明治33年 には多武峰 街迅が改修され, 佐合峠も改修されて, 集 荷輸送の主要ペ イ プ でしかもボ ト ル ネ ッ ク に なっていた道路も準備 されてきた。 そ こへ大正 6 年, いちはやく ト ラ ッ クの使用を 開 始 し はじめて, 集 荷は勿論の こと 出 荷の輸送手段として も一 躍の進展をもた ら しえた こととなる。 このような技術 的な発達は, 木材製品をよく 商 品 化する こととな り , 市場 的な開発も進展し, 市場圏は桜 井周 辺, 奈良全域はい う におよばず, 京 阪 神 地域を こえて, すで に 名 古辰をは じめとする 中 京地区 ま でも, その販応網が 伸びるに至ってく る。 そ う し た市場的な展開は, 市場の需要なり要望を反映 して, ますます木材の商 品 化を進展さす こととな り , 第 一 次産業的な造林業 としての林業をさら に 製材業にとどめず, むしろ 市場なり問 屋の要望を充足 - 49 (2687)-.

(11) さ していく 第二次産業的 な 生産業の 意 識に 転 化 さ せ, 市場的 な 試練 をへつ っ, 生産業者とし て の 製材業を洗練していく こととなる。 す な わちすでに大 正 年 間 の 初 頭から木材の関連製品が開発 さ れ, 事業化 さ れている。 まず大正 元年には樽丸材が出産 さ れて おり, 吉 野 の 伝来的な 生産を脱皮することに な るが, こ の 商品 化 さ れた樽 丸材も, やがて大正 9 年に大幅 な 値下りで業者は 大打撃を受け市場 の 危 険 を 回 避 し 冒 険 を 克服する知 恵 を 体得する機会としな がら業界は団結 し , 発展 し ていく 経過をつく りだ し ていく の で ある。 そ のほ か大正 2 年 の 経 木生産, 大正 4 年 の 桧 縄生産もそ うした事例の典型である。 こうした桜井木材業界の 生産業者 の 果 敢 な 活動は, ただ技術面や販売面そ し て 商品面にとどまらず, ま さに「利は元にあり」と仕入面にも 対策してい る。 すでに明治3 5年には小川 郷木材委託市場 を 開設 し, 山元で な い不利 を 克 服し, 吉野材の良質かつ多量の 供給源 を安定的に制度 化 し て しまう, いわば 革新を遂行 し て いる の で ある。 それ を さ らに明治45年には, 木材委託株式会 社として設立したの は, 当 時と し て は法 制的にまったく 進 取 の 気性 の 表現 で あると受取れよう。. これによって 木 材 の 山 元からの 流 通は, 一元的かつ安定. 的に制 度化 さ れる 傾 向となり, 市場需要へ の 適 応が成果をお さ めたもの と理 解 さ れる の で ある。 この ような 業界活動として の 生産業者の 姿勢は, 地場産 業の 業界人たる態度に具現 さ れて, 法制的 な 要望や規制に関 係 な く , 自 成的 に組合という組織 を いちはやく 形成することになる。. 明治 30 年, 木材業組. 合が15業者の 団結によって結成 さ れた の を 端緒と し て, 幾多 の 組織的な 変遷 を へな がらも終始, 業界活動の中心を な す団 体として対策 し成長しきたって いる。 明治 41 年には木材業組合は同業組合とし て 3 5 業者 を 集 団 さ せている にすぎな かったもの を, 大正 10 年に改 組して 木材 同業組合として 当 時には すでに150 業者の 木材, 製材, 運 輸 の業者 を 団 結 さ せ, 昭 和 10 年, 木 材 商 業 組合と し て 改組 し ても な お組合活動 の強靱 さ は我国 の 木 材 業界の 行 方 をます ます指導するもの をもっていく ようになる。. 12). われわれは すでに, 昭 和 15 年から 昭和 24� 5 年 を経済統制時代と名付け )- 50 (2 688.

(12) てよんだ。. 目 山な競争を前提 と する市場での生産に取組んできた桜井は, そ. して我国それ 自 体 も, やがて戦時体化IJに準備する統制の時代を受入れる こ と になる。 こ こ で桜井木 材業界に と って経済統 制 時代 と いう時期をさらに区分 して, 昭 和 15 年から昭和 18 年にかけての 統制準価 期 と ,. 昭 和 18 年 より昭. 和 20年人の統 制 本 格期 そして昭 和 2 0 年から 昭 和 24� 5 年への統制解除 期 に 三大別してみる必度があるよう におもう。 経済統 制 時 代における統制準備 期 での特徴的な こ と は, 昭 和 16年 4 月 の地 方 木 材 株式会社, いわゆる地木 社の 設立によって表象される。. こ の会社は重要資 材である木材の統制のために設. 立されたものであるが, 社長が北村又左衛門氏をはじめ経営 幹部 ー 同, 地 )j の有力 者で構成さ れ ている。 ち な みに北村氏は東吉野村を中 心に我国屈 指の 山 林 家であ り , 今 日 も北村林業 と して全国に山 林業者 と しての地位は不動で ある と いわれる。 地木ヤtは こ の時期に小規校の 木 材 業者を吸収していって, 直営事業に一 部 乗 出す と と もに, 大 中 規板の木 材業者や意欲的な木材業者が 事業の整理などを理 由 に 昭 和 18 年 頃 まで 営業していたのに対し, こ れら業 者によって桜井木材 供 出 組合を結成させ, 木材販売の ト ンネ ル会社的な性格 をも持ち合わせていたのである。 こ の 当 時は軍需等の増加 に より商磐は活況 を呈していたため, 地 木 社は設立されたものの, なお 仕入は 自 由 にお こ なう こ と が業者に 出来た こ と から, 阪 元 においても一 応の割 当 を 消 化しえたうえ は他に販売する こ と も可能であった時期である。 また価 格についても 「 一 般 木 材の価格統 制は,. 昭 和 14 年 10 月 24 日 に価 格統制令が発命され,. あらゆ. る物価を同法に基く 指定期 日 たる 9 月 18 日 の価格を越えて 販売してはなら ぬ と 規定された 。 」奈良県においても一 般木材については価格統制されたが, 桜井が取扱う吉野材については特殊 材 と して別途の価 格が設定されるような 次第であった と いう。 しかし 昭 和 18 年, 我国が 第二次大戦の 渦 中 に入る頃 から, 地 木 社を通 じ ての統制は本 格的に強化され, いわば統制本 格期 と して 昭 和20年の終戦を迎 える までの時期を画する こ と になる。 地木社は奈良市に本店をも ち , 各地域 - 51 (2 689) -.

(13) を細分 化して支店とし, 桜井 には北葛, 南葛, 磯城, 高 市, 宇 陀の各地 を 区 域とする地木 社 桜 井 支 店 が 設 立されることになり, 統制の徹底は組織化を通 じ て張り巡らされてい く 。 この時 期には, 木 材 業者はすべて地木 社に買収さ れ,. 一. 部には廃 業した ものも あ る が , 多 数は地木 社の社 貰となり, 右力 業者. が 各支店の幹 部として経営に あ た っ た わけで あ る。 すな わ ち 個 人営 菜 は まっ た く 出 来ず, かろう じて主力工場で あ った 西垣工場と 田 口 工場 が 航 空 機と弾 薬箱の軍孟協力工場として迎営される にとど まり, 能率の悪い小規校工場は 廃止され, 桜井地区 では十数工 場 が 残存するに 止 まった。 こうし た 非 常 時 体 制 に おける軍霊のための強圧 的な統制は, 昭 和 20 年 8 月 の終 戦によって終 止 符 が 打たれ, 戦 巾 から戦後への統 制解除期の時期に急激に突入させられるこ と に な るので ある。 この時期 を 木 材取 引 の終 戦 処理 が 残 糟をな く し,. iii 場ん. 買 が 軌迅にのる までの, 昭 和 20 年から 昭 和 24� 5 年 までの期 間においてみ る。 終戦「直後は周 知の混乱と その回 復と建設のための政府の政令 が 矢継ぎば やに発布されてい く 。 まず昭和 20 年 10 月 8 日 に, 山林局通牒として, 「戦後 木 材生産確保に関する件」 が 知 市宛に発せられ, つづいて同年の 10 月 16 日 には, 「罹 災都市応急 箇 易 住宅建築 用 木 材の 供 出対 策に関する 件」,. 11 月 26. 日 には,「木 材配給統制規則の改正 」 が 出 されている。 この [改正」 では, 附 則第 2 号に「地 方 木 材 株式会社は, 本 令施行の際, 現 に そ の所有する木材に つき,. 日 本 木 材 株式会社, 住宅営団又 は 農林大臣の指定するものより, I悶林. 大 臣の指示する条件 によ り 買 入れの 中 込み あ り た るときは, そ の 申 込みに応 じ 遅 滞な く 之を完渡すべし」 とあ る が , 手持木材の多 い生産地, 地木社の巾 には, この命 令を遵法せず, 社 員 株主等 に 手 持 木 材 を譲渡するもの が 少く な かったといわれている。 桜井支店竹 内でも 14万石の手持材 が あ った が , そ の ほとん どは社員株主等に譲渡されてし まっている。 こうした 背最のもとに, 昭 和 21年春 頃 まで に製材工場はもとの所有者に返還されており, 木材販克の 個 人 営 業 が 再開されたのは昭 和 21 年 11 月 で あ る が , それ までに製材業はす でに個 人 営 業 が 再開されてい たので あ る。 昭 和 22年 1 月 24 日 ,「指定生産資 - 52 (2690 )-.

(14) 材割 当 規則 」 , 昭 和 22 年. 5 月 27 日 ,. 「 木 材 需 給 調 整 規 則 」 な ど 一連 の 規 則 に よ. り , 木 材 も 指定生産資材 と な り , 昭 和 22年 中 に 農林省資材調 整事務所が設置 さ れ, 集 荷 切 符 や配給切 符 が 制 度 化 さ れ, 「菫要物資輸送証 明 規 則 」 に よ っ て 奈 良 検 問所 を は じ め 王寺, 穴 虫 な ど に も 設置 さ れ た の で あ る 。. しか しそ う し. た 環 境 と 条件の な か に あ り な が ら , 私有民営林業 の 伝統 と 市場生産志 向 の 風 土 に 眼覚 め て ,. 昭和. 24 年 の 桜 井 木 材 協 同組 合の 自 主 的 な. の準備 に 努 力 す る わ けで あ る 。. 昭和. 24 年 以 降 ,. 結成 に い た る ま で. 桜 井木材業界 は 協 同組合 を. 中 心 に経済復興 の 社会環 境 に 適 応 し対策 し て , 地場産業 と し て の 吉 野 材 を 骨 子 と す る 製材 を 全 国 的 に 雄飛 さ せ る こ と に な る が,. こ れ は ま さ に 現代史 の 範. 暗 に お い て 検 討 さ る べ き こ と で あ ろ う 。 13) 4) 5). 6). 板倉, 井 出 , 竹内著 「東京の地場産業」 8 頁 大 明堂, 昭和45年刊 「東京の地場産業」 8 � 9 頁 大 内 兵衛監修 「地域 と 産業」 新評論. 昭和 44 年刊. 高度成長下に お け る 地場並. 業問姐, 第 1 章総論 (上田 宗次郎稿) 7). 「桜井木材協同組合経営史」 と し て, 組合記念事業の 一 環 に , 組合史 と 姉妹篇 で刊行す る 予定で, 箪者 も 参加 し て作成中 で あ る 。. 8). 船越昭治著 「 日 本林業発展史」. 25 頁. 地球出版, 昭和. 35 年刊以下,. 林業発達. に つ い て は同 書 に よ る 。 9). 「 日 本林業発展史」. 35 頁。. 10). 塩谷勉著 「部分林制度の史的研究」 88 頁。. 11) 1 2). 松局良雄著 「 ス ギの造 林史」 1 24 頁。. 13). 桜井木材業界の史料 と し て は,. 組合活動 の 内容的吟味 と 理論的検討 は 「地場産業 に お け る 怪営共同体の 研究」 と して別途に 理解 し た い。 「桜井 町史」 そ の ほ かの 郷土資料に よ る も の で. あ る。. m.. 地 場 産 業 の 経 営 史. 「地場産 業 の 史 的 考 察」 こ れ は 経 営 史 的 な 考察で は な い 。 地場産業 と し て の 桜 井 木 材 業 界 そ の も の の 歴史 的 と い う か, 時 間 的 な 流 れ の 中 に 生起 し た 事 実 を , で き る だ け 忠 実 に , そ う い う 意 味で は 史実 と し て 書綴 っ た も の で あ. - 53 (2691) -.

(15) る。 ただ この小節が, 「経営史研究の概説」を ふ まえて, つぎの経営史的な 考察のための 踏石になればとおもい, 素 描して き た わ け で あ る。 ここでは 「地場産業の経営史」 そのものを論述する余 白 もすでになく , これ までの被述 にのっとって, 地場産業における, 経営史的な考察のための方 向 な り 抱負を 検討して, 今後における研究の糸 口 とするととも に , 本 論の結語としたい。 すでに経営史研究の概説でみた ごとく , 経営史そのものが現代のため に 追 究される目的と意味があることはさておき, 経営(adm inistration) そのも のの追究にあり, 政 策の設定をは じめ 統 制, 指揮の主体的な意思決定 ( de­ cision-mak ing) とその試行錯 誤(trial and error) の過 程を史的に研究する も のである意図を明確にした。 そして広 義におけ る革新の行動を, いわゆる 企業者活動によって, 経営という 場において, その経営組織の管 理として関 係させ, 企業者相 互の作用として関連させ, 社会的環境の条件として連絡さ せながら, 理論的内容を, そして科学的接 近でもって検討していきたいと期 待した。 かかる経営史的な考察を, 桜井木材業界という 地場産業の歴史的な 事実の なかに適用しよう とするとき, すなわち地場産業の経営史という ものを考察 しよう とするとき, いく つかの問 題意識とそれへの 対決方法を想起せ ざるを えない。 まずこの地場産業における「革新」の意味を 奈辺に求めるかという ことがある。. シュ ン ペ ー タ ー. CJ.. A . Schumpeter) のいう 新結 合(Neue. K ombination) ないし革新(innovation) である。 「 新しい財貨」「新し い 生 産方法」 「新しい市場」「原料あるいは 半製品の新しい 供給源の獲得」「新し い組織の達成 」に, コ. ー. ル ( A . H. Cole) のいう 模倣それに 日 常的な管理活. 動 までをふく めた社会的単位としての経営 自 体 に おける機能をく わえて企業 者活動とする必要があろう 。 た ま企業者活動 を経営的 に , したがって ミ ク ロ 的に追跡していく とき, 羅的な理解でなく 質的に経営ないし ミ ク ロ の意 味を 理解しなければならない。 すなわち企業者活動をただ単 に 一 企業との関係に おいてみることではなく , むしろ量的には企業集団 に お け る経営をも積極的. - 54 (2692) -.

(16) に対象づける必要すらあり,. ミ ク ロ 的, 経営的とはまさに経営政策の設定に. は じ まる主体的な意思決定と試行錯誤の過程 を取扱お う とするところに質的 な意 味 が あるといえよ う 。 そこに企業者活動 が 経営 を 通じて, その経営組織 に, それら企業者相 互に, その環境的条件に反 映 をもたらすものであると理 解してい く べきであろ う 。 した が って 桜井木材業界 とい う 地場産業につい て, 企 業 集団としての経営を取上げ, 組合活動を通 じ ての企業者の相 互作用 を検討しな が ら, 革新をは じめとする企業者 活動の展開 を, 政 策設定など主 体的な意思決定と行動的な試行錯誤の過程を, 地場産業および 同業組合の経 営組織との関係そしてそれ を 取巻く 環境や条件との関連で解明していかねば ならないとおも う 。 すなわち地場産業における商品開発と流通市場の史的研 究と, 地場産業とい う 経営共 同体の組織と環境の史的研究の, 縦軸と横 軸 を 科学的な接近によって理論的な内容をもつよ う 包摂するところに, 地場産業 の経営研究として経営史的ないし経営学的な成果 が 期待できるものといえよ う。. - 55 (2693) -.

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参照

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