平成二十五年度日本大学大学院文学研究科学位請求論文
金 森 徳 次 郎 の 憲 法 思 想 の 史 的 研 究
日本史専攻霜村光寿
平成二十五年十一月七日
金森徳次郎の憲法思想の史的研究
序章歴史学としての憲法研究一頁
第一節問題の所在
第二節先行研究の整理
第三節課題の設定と分析の視角
第四節本論の構成
第一章憲法思想の形成一四頁
はじめに
第一節法制局入局までの経歴
第二節憲法思想の源流―金森にみられる外国法思想の影響―
おわりに
第二章緊急勅令論―帝国議会の権限をめぐって―四二頁
はじめに
第一節帝国議会と勅令に対する考え方
第二節諾否未決問題―穀類収用令の失効を中心に―
第三節事後承諾の性質―震災関連法令―
第四節治安維持法改正緊急勅令
おわりに
第三章国務大臣の輔弼の範囲―統帥権を中心に―六六頁
はじめに
第一節大臣輔弼と副署
第二節大正末期における国務大臣論
第三節昭和初期における国務大臣論
おわりに
第四章国体論―天皇機関説事件を中心に―九六頁
はじめに
第一節『帝国憲法要綱』にみる国体論
第二節天皇機関説事件当時の金森の国体論
おわりに
第五章昭和一〇年代における憲法論一〇八頁
はじめに
第一節二・二六事件「戒厳令」廃止緊急勅令の事後承諾
第二節無任所大臣をめぐる問題
第三節憲法改正論
おわりに
第六章日本国憲法の制定―第九〇回帝国議会での審議―一三四頁
はじめに
第一節敗戦直後の金森の活動と憲法論
第二節国務大臣就任までの金森の憲法論
第三節第九〇回帝国議会における審議
おわりに
第七章日本国憲法施行後における憲法思想一八二頁
はじめに
第一節国体論と明治憲法改正の法理―日本国憲法施行前後の憲法論―
第二節再軍備と新憲法第九条の改正問題―講和前後における憲法論―
第三節晩年の憲法論―「日本国憲法制定に関する談話録音」から―
おわりに
終章金森徳次郎の憲法思想の歴史的位置二一一頁
第一節各章のまとめ
第二節総括―金森徳次郎の憲法思想の歴史的位置―
第三節歴史学研究における憲法研究の意義
表二一九頁
金森徳次郎著作目録(戦前編)一九一〇‐一九四五二三三頁
参考文献二四八頁
金森徳次郎の憲法思想の史的研究
序章歴史学としての憲法研究
第一節問題の所在
近年の政治状況で注目されることの一つに、現行憲法である日本
国憲法の改正問題が取り沙汰されていることがある1。周知の通り、
日本国憲法は施行されてから六七年間一度も改正されていないが、
恒常的にではないものの、政治状況の変化期には必ずと言っていい
ほど問題となってきた2。そして現在、日本国憲法を取り巻く環境は
ひとつの転機にさしかかっているのである。このような問題を考え
るにあたり、その前提として歴史的背景を研究することは重要であ
る。日本国憲法であれば、今日これだけ問題となっている発端は、
いうまでもなくその成立に遡ることができる。では、現在の憲法を
とりまく問題を考える糸口として、日本国憲法の成立過程だけを研
究すれば事足りるのかといえば、答えは否であろう。それは、日本
国憲法が大日本帝国憲法(以下、「明治憲法」とする)の改正法とし
て制定されたことからも明らかである。明治維新以降、太平洋戦争
の敗戦までの日本の歴史を考える上で、当時の基本法規とされた明
治憲法の歴史的意味について考察を深めることは必須である。
近代日本は戦前に明治憲法、戦後に日本国憲法という二つの憲法
を持った。両憲法は性格こそ大きく異なるが、前述のとおり、日本
国憲法は明治憲法を改正するという手続によって生まれたものであ
り、戦前・戦後の憲法に関する研究をそれぞれ行った上で、両者の
関係性を考察することも重要である3。憲法運用を考察する上で、政
治に影響を与えた学説を検討することも欠かせない。敗戦により憲 法は改正されたが、戦前の憲法学者がすべて排除されたわけではな
いため、これら学者の学説を追うことで、戦前・戦後の憲法の変化
した側面、連続している側面が見えてくるはずである。
戦前から占領期にかけての代表的な憲法学者としては、美濃部達
吉、清水澄、佐々木惣一、宮澤俊義などが挙げられよう4。美濃部達
吉(一八七三~一九四八)は戦前、明治憲法の解釈をめぐり、政治
的に大きな問題となった一九三五(昭和一〇)年の天皇機関説事件
で攻撃対象となったことで有名であるが、日本国憲法施行の翌年に
没しており、日本国憲法に関し論を体系化するには至らなかった。
清水澄(一八六八~一九四七)は、大正天皇や皇太子時代の昭和天
皇に憲法を進講し、中学教科書の編纂に関わるなど影響力の大きい
憲法学者だった5が、日本国憲法施行後、明治憲法に殉じて自殺した。
佐々木惣一(一八七八~一九六五)は戦前、いわゆる京都学派の憲
法学者として活躍、戦後は日本国憲法第九条の解釈をめぐり、自衛
戦力を合憲とする立場を打ち出して注目を浴びた6が、主流の学説と
はならなかった。宮澤俊義(一八九九~一九七六)は戦後、「八月革
命説」で日本国憲法成立の法理を説明し憲法学界をリードしたが、
戦前に宮澤が憲法講座を担当するようになったのは天皇機関説事件
の直前であり、宮澤独自の明治憲法論を展開することができたとは
言い難い7。このように、戦前・戦後を通して憲法に関わった人物は
多くはない。
そこで注目されるのが金森徳次郎8である。金森徳次郎は、一八八
六(明治一九)年名古屋に生まれた。一九一二年に東京帝国大学法
科大学法律学科(英法)卒業後大蔵属となり、一九一四(大正三)
年五月に法制局参事官となる。以後、二〇年余りにわたり法制官僚
としてのキャリアを積み、一九三四(昭和九)年七月に成立した岡
田啓介内閣で法制局長官を務める。一九三五年に起きた天皇機関説
事件の影響を受け、一九三六年一月に法制局長官を退官したが、そ
の後は公職には就かず、敗戦を迎えた。戦後は一九四六年六月に第
一次吉田茂内閣の憲法改正担当国務大臣となり、第九〇回帝国議会
において日本国憲法に関する答弁にあたった。日本国憲法施行後に
国務大臣を辞し、一九四八年二月に国立国会図書館初代館長に就任、
没する直前の一九五九年五月までその職にあった。
後述するとおり、金森は第一次吉田茂内閣での憲法改正担当国務
大臣としての活躍が知られるが、戦前は天皇機関説事件では美濃部
や一木喜徳郎とともに攻撃の対象とされるなど、憲法学者としても
認知されており、戦前・戦後と憲法に深く関わった数少ない人物で
ある。筆者が金森という人物とその憲法思想に着目したのは、金森
の戦前・戦後の憲法思想を検討することにより、大正期から一九五
〇年代までの憲法において、憲法運用の実際と、憲法理論の転換し
た部分と連続面について考える手掛かりになり得ると考えるためで
ある。
第二節先行研究の整理
(一)歴史的視点からの憲法研究の必要性
金森徳次郎に関する先行研究を整理する前に、歴史学の立場から
憲法を研究することの意義について考えておきたい。憲法を研究す
るにあたっては、通常、法学において行う歴史的研究(法制史)や、
憲法学において行う歴史的研究(憲法史)という方法が考えられる。
法学的視点から近代日本における憲法を研究する場合、重要な問題 が現出する。それは、法学者の平野武氏が法制史における憲法研究
を整理した際に記した、次の言葉に端的に表れている。
とくに憲法学研究者にとっては、帝国憲法はもはやあまり関心
を引くものではなくなっているようである。帝国憲法は否定さ
れた憲法であり、今日これを研究することに積極的な意味を見
いだすことはできないと考えられているようである。9このことから、現在の日本の憲法学では明治憲法は興味を引くテー
マにはなっていないのである。したがって、歴史学からのアプロー
チが必要なのである。
さて、歴史学から憲法を研究したものとして触れるべきは、家永
三郎の研究である。家永は一九六七年に『日本近代憲法思想史研究』
を刊行している10。同書は明治憲法を歴史学的手法で検討した初め
てのものであり、明治憲法を解釈学としてではなく、学者をはじめ
とする憲法に関わった人物の思想から分析することで、日本におけ
る近代憲法思想の形成発展過程を明らかにした。同書における検討
は明治憲法のみを対象としているが、この手法は日本国憲法に適用
して、同様の研究成果が見込まれるものである。
家永の著作には、戦前・戦後を通して検討した『歴史のなかの憲
法』がある11。この著作はその序文でも触れられているように、憲
法の歴史ではなく「歴史のなかの憲法」というタイトル通り、憲法
に焦点が当てられているのが特徴であり12、憲法を歴史学的手法で
検討したものである。ただし、ここで注意せねばならないのは、家
永は実体験として、明治憲法から日本国憲法への「転換」を経験し
ている点である。周知の通り家永は戦後、教科書検定が憲法違反で
あるとしていわゆる「教科書裁判」を起こすなど、社会運動に積極