• 検索結果がありません。

@姦狐

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "@姦狐"

Copied!
90
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

平成24年度修士論文

首都圏整備言十画策定期における東京近郊の観光地整備に関する研究          一調布市深犬寺地区を事例として一

首都犬学東京大学院 都市環境科学研究科       観光科学域

11842405佐藤圭太

指導教官 川原音

2013年3月

(2)

目次

第1章はじめに

1−1、研究の背景と目的 1−2、研究の視点

1_3、研究の亥橡と枠組み・方法と構成 1・3−1、研究の対象と枠組み

1−3・2、研究の方法 1−3−3、研究の構成 1−4、既往研究の整理

第2章 東京近郊の観光地について

2−1、本章の目的と構成 2−1−2、本章の目的

2−1−2、既往研究と本章の位置づけ 2−1−3、本章における研究の方法 2−2、江戸期の観光地

 2−2−1、江戸期の行楽地を描いた資料  2−2−2、江戸期の名所の質的変遷  2+3、行楽対象範囲の変遷

2−3、明治から戦前こおける東京近郊の観光地の変遷 2−3−1、江戸から続く名所の変遷

2−3−2、風致地区制度と西郊の観光 2−3−3、東京緑地計画と景園地の指定 2−3−4、国立公園と都立自然公園の指定

24、近代以降の新しい形の観光地

(3)

第3章 東京犬都市圏一体整備の動き

3−1、 本章の目的と構成  3+1、本章の目的

 3−1−2、既往研究と本章の位置づけ 3−1−3、本章における研究方法 3−2、東京緑地計画

 3−2−1、東京緑地計画の成立  3−2−2、環状緑地計画

 3−2−3、防空緑地としての整備  3−2−4、防空緑地としての整備

東京緑地計画から首都圏整備計画

3−3、首都圏整備計画

 3−3−1、戦災復興と首都建設法 3−3−2、首都圏整備法の制定

 3−4−3、多摩地域における近郊地帯への反対運動 3−3−4、首都圏整備計画における観光

3−4、小結

(4)

第4章 戦後調布市の観光地化政策と深大寺地区

4−1、 本章の目的と構成 4−1−1、本章の目的

4+2、資料の整理と本研究の位置づけ 4+3、研究の方法

4−2、行政資料に見る神代村/町による観光地整備

4−2−1,

4−2−2,

4−2−3,

4−2−4,

4−2−5,

4−2−6,

4−2−7、

当時の神代町/村の概要 調布市建設計画

昭和26年度の事務報告書の分析 昭和27年度の事務報告書の分析 昭和28年度の事務報告書の分析 首都圏整備法による近郊地帯への対応 山岡柳吉の市長辞任と観光投資の終わり 4−3、調布市建設計画に記載された観光地割庸内容

(5)

第5章 東京都による首都圏整備と調布市による衛星都市建設の相互関係と都市整    備への影響

5−1、本章の目的と位置づけ 5−2、調布市の観光地割篇の流れ  5−2−1、神代町による観光地整備  5+2、調布町による観光地整備

 5−2−3、調布市建設計画の観光地整備に至る背景 5−3、東京都による観光地整備

5−4、影響関係の分析

第6章 縞諭

 6−1、各章のまとめと得られた知見の整理  6−2、結論と今後の課題

<参考文献・資料>

<謝辞>

4

(6)

第1章導入

1−1、研究の背景と目的

本研究は行政による観光地整備の手法・あり方を示すことを目的としている。行政が主導し観光 地整備を行った事例として、首都圏整備計画が策定される昭和20,30年代の調布市深大寺地区を事 例として、特に行政による観光地整備の実態を明らかにし、行政による観光地整備に関して利用可 能な知見を得ることを目的とするものである。

 平成19年に観光立国基本法が制定されるなど、近年観光が新たな産業として期待されてい る。地域資源を活かし観光地としての発展を目指す自治体が全国的に数多く見られる。これら は行政主導で進められているものが多いが、民間による観光関連産業の立地は容易ではなく課 題となる(1)。既存の産業からの転換や新規開業をいかにして進めるかが観光地として発展

のためには問題となる。

 本研究はこのような背景を受け、行政指導による観光地形成を成功させるための知見を得る ことを目的として研究を進める。この事例として調布市深大寺地区を取り上げる。調布市は昭 和30年の合併に際し作成された、町村会佛足進法に基づく新市建設計画である「調布市建設 計画」において、観光都市を目指すことを明記し、観光都市を目指し新市建設を進めることを 計画した。この詳細は明らかではないが、昭和35年から深大寺門前町を中心とする深大寺地 区では、名物である深大寺そばを扱うそは屋が急速に増加し、現在に続く観光地の形が形成さ れたことが明らかになっている。この事例では行政が観光都市を目指した中で観光地が発展し たのである。

 本研究ではここに着目したい。調布市によるいかなる施策が行われたことで、民間による観 光関連産業であるそぱ屋が立地したのか。この要因を検証することで、観光関連産業の立地・

発展のために必要な行政の施策について知見を得ることを目的として研究を進める。具体的に は深大寺地区の観光地形成に、調布市の観光都市建設が果たした役割を行政文書の整理分析か

ら明らかにすることで、現代の観光地形成につながる示唆を得る。

1−2、研究の視点

本研究を進める上での視点として、国や都道府県といった広域行政と、基礎自治体である市町村

(7)

 東京を事例に考えると、スフロ』ルの中の都市は東京で、そこは東京特別区であるが、東京とい う都市を支える人口を受け入れ、スプロールによる地域変容を受ける地域の範囲は東京都多摩地域 や神奈川県、埼玉県、千葉県、さらに茨城県や栃木県、群馬県、山梨県など広範囲に及ぶ。そのた め、この問題をコントロールするのは市町村単位の地域行政である特別区各区ではなく、東京都を 中心として、国レベルの問題としてこれを扱ってきた。これは広域的視点に立ち、全体最適の視点 からトップダウンのアプローチにより広域圏計画を策定する立場である。この視点から策定された 計画が首都圏整備計画であり、昭和30年代において東京のスプロールをコントロールすることを 試みた計画である。この計画はスプロールをコントロールする手段として、開発を抑制し自然風致 や緑地環境を保全する地域を帯状に都心周辺に配置し、グリーンベルトを形成しようと試みたもの で、個別の地域特性に基づいてではなく、あくまで都市圏の中心である東京を中心として、その周 辺の土地利用を考えたのである。これが本研究の着目する1つ目の立場である。

 一方で、市町村単位の基礎自治体もそれぞれの地域特性に応じた地域の理想像を描き、計画を策 定している。昭和30年代、東京の近郊である多摩地域は住宅地として急速に発展したが、それ以 前は近郊農村的一性格が強く、自然を色濃く残し、観光地として繁栄した地区もあった。実際にはほ

とんどの地区が住宅地としての発展を遂げるが、それ以前の地域の特性としては観光地として適正 な環境を有した地区もあったのである。地域行政としては、それまで観光地として繁栄してきた地 区に関しては、その環境を維持し、住宅地ではなく観光地としての発展を指向することもできる。

地区ごとに地域特性は様々であり、地域行政としては全市一律的なかたちでの発展を指向すること はむしろ考えにくいといえるだろう。こういった地域に根ざし、地域の個別の状況を考慮した上で ボトムアップアプローチで地域の計画を策定していく立場が、2つ目の着目する立場である。こう いった形で、観光地として繁栄した地区をもち、昭和30年代以降においても観光地としての発展 を試みた地域行政の1つが調布市である。調布市は住宅地としてだけではなく、それと並んで観光 地としても発展を目指すことを計画していた。

 この2つの立場による計画は、計画策定の目的と出発点が違い、互いに相容れない部分が数多く あることは想像に難くない。本研究が着目するポイントとして、2つの立場の関係がある。昭和30 年代、首都建設法が制定され、東京都を中心として首都圏整備計画が策定されるが、その対象範囲

となる基礎白治体も、それぞれの地域特性に応じた計画を策定していた。これら計画はそれぞれ目 的も方向性も異なる。そのため、どちらも計画の通りにことを進めることは容易ではなく、実際の ところどちらも計画通りには進まなかった。こういった中で、観光地に関する整備計画はどうなっ たのか。これが本研究が明らかに遷都することである。双方の計画の観光に関する部分に着目し、

6

(8)

実際に行われた観光地整備と比較することなどにより、スプロールをコントロール仕様と試みる計 画と、限られた範囲の中での成長を試みる政策のなかで、観光地がどういった経緯で整備されてい

くのか、それに着目したい。

1−3、研究の文橡と枠組み・方法と構成 1−3−1、研究の対象と枠組み

本研究は大都市広域圏計画の中における観光地整備を大きな枠組みとして設定する。その事例と して、東京近郊の調布市深大寺地区における観光地整備を対象とする。研究を進める視点としては、

前述の通り、大都市広域圏計画である首都圏整備計画を策定し広域行政を対象とする東京都と、地 域の特性を生かした計画を策定し狭域な地域行政を支橡とする調布市の布達の計画の流れに着目す る。大都市圏広域計画の枠組みの中での観光地整備であるが、それには東京都だけではなく、調布 市のような基礎自治体による計画も大きな役割を担っていることが考えられるため、これらを共に 見ていく。

 対象となる地域は、以下の図1に示した通りである。大都市広域圏計画にあたる首都圏整備計画 は東京都を中心として神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、山梨県を対象範囲と するが、本研究が対象とするのはそのうち緑で塗られた近郊地帯にあたる地帯の東京と部分に属す

る。

 東京との中における近郊地帯と調布市の位置関係を示したものが図2である。東京都区部のすぐ 外側に位置している。

(9)

簿 鷹酸L\\

      、

・マ、」 タ

  /

.刺協④応○業8

章ポ、l1首都圏 概要

,.山Vダ率I、

        o■o●■量   □●口。■

  帥一●・

        ○真書●●■■舳・

  長。o口1{1・

       査■o●蛯●奏

  }凸冊■●時舳

       ,離業■■真{

        i ■ ■ ● 辞    舳舳●

  榊舳帖・榊榊鮒・ ,o書●雪道日   口n量雌■ 端  ・ヰ。一.o

  脚舳榊申  出, .集壁

図1・1本研究の対象範囲1 『首都圏整備計画資料図集1961』レ1「首都圏概要1」を基に筆者作

成。

真参■o

□■高

80與j ,旧

■■□一

      1■生富

.口利 五m  ㎝I富

[コ調肺一醐輸嗣

      N

←些Ll△

^王子1,,

■■ll,

回11π

80■

o■1}

三□富

●■塵

検。【

口6I害【

     足■匿

■1■日 ヨ掘

    1I8

●属官

棚  畑舳胆

■●1

□駆柵  醐胴

■㎜

■目

・1,美 m

宍日8㎜年

図L2対象地拡大図。

1−3−2、研究の方法

8

(10)

研究卯の方法は当時の計画文書や行政の事務報告などの行政文書を対象として分析を行い、当時 の計画の意図とその実施の実態を明らかにすることによる。

1−3−3、研究の構成

 本論文は6章で構成される。

 第1章には、研究の背景と目的、研究の枠組み、既往研究整理と論文の構成、調査方法を記した。

第2章では、研究の前提として、江戸期から始まる東京の観光地、特都市に近郊における観 光地の実態を明らかにする。東京の観光地について体系的にまとめた研究はこれまでなく、一 部の公園などに関する既往研究や、『江戸名所図会』、『武蔵名勝図絵』といった資料に描かれ た観光地の分析によってこれを明らかにする。

 第3章では、戦後昭和20,30年代、東京を中心とし周辺3県をも含む広域都市圏を一体的 なものとして捉え、一体的に整備する事を試みた首都圏整備計画を主軸に、その背景である東 京緑地計画や首都建設法について計画文書などを基に検証する。

 第4章では、昭和20,30年代の調布市における観光地整備の実態を明らかにする。調布市 においては、昭和30年の合併に伴う新市建設計画である「調布市建設計画」が示され、ここ において調布市は第一に「文化的住宅都市」を、第二に「観光機能を備えた『衛星都市』」を

目指して新市を建設するとした。この実態を明らかにする。

 第5章では調布市建設計画に伴う観光地整備の背景について、第3章、第4章で得られた結 果と、調布市成立以前から続く神代町と調布町の観光地整備の流れを併せて検証することで、

観光地が目指された背景を検証する。着目するのはそれぞれの政策の影響関係と、計画の策定 時点における観光地の状況の2点である。

 第6章では5章までを総括した上で、スプロール期における都市近郊の観光地形成に関する 計画技術に関する知見を示す。

 研究の構成を図で示したものが図1−3である。大きな枠組みとして3つの部分からなり、第 1章、第2章が前提条件の整理である。第3章、第4章で大都市広域圏計画の東京との流れと 地域狭域計画の調布市の流れを明らかにする。第5章、第6章はまとめてあり、第5章におい て東京と調布市の事例における、大都市広域圏計画である首都圏整備計画と調布市による地域 計画の影響関係を、歴史的視点から論じ、第6章において普遍的な大都市広域圏計画における 観光地計画の技術として有用な知見に関して論じる。

(11)

第一章序文

}究の目的、視座、枠組み

第2章

結桙フ観光螂εついて

第3章

結梃「都市圏・体整備の動き

第4章

甯纈イ布市の観光地化政策と探天寿地区

第5章

結桙ニの政策と調布商の政策の影響閥係と背景

第6章

図1−3 論文の構成

10

(12)

1−4、既往研究の整理

本研究は観光地整備という視点から、一時代の一地域で行われた活動の実態を明らかにするもの だが、その背景は多岐にわたる。観光地発展の歴史や、東京の市街地の拡大の歴史、また首都圏整 備計画など多様である。ここでは総論に関わる部分に関してのみ既往研究を整理する。その他各章

ごとに単一の章だけに関わる既往研究を整理する。

 これまでに本研究と同じく昭和20,30年代に行われた首都圏整備法を中心とする首都整備の動き に着目して行われた研究として、首都圏整備法とその支橡地域への影響について歴史的に考察し、

首都圏整備法近郊地帯において、開発規制がかえって無秩序な開発を生んだことを明らかにしたも の(成戸ら1999)や、首都圏整備法制定期の緑地計画に着目し、緑地施策の実態を明らかにしたも の(竹内2010など)などがある。首都圏整備計画時代の多摩地域の都市計画について通史的に扱っ たものとしては「多摩都市計画史」がある。また、観光都市建設に関しては、観光関係特別都市建 設法に基づく観光都市建設を扱ったもの(高橋ら2003)などがある。これら既往研究では首都圏整 備法と地域への影響と、観光に近いものでは緑地施策についてその実態が明らかにされている。し かし、観光という開発を伴う視点から研究を行ったものは見当たらず、この時代における東京近郊 における観光地整備の実態は明らかでない。観光都市建設の文脈でも、観光関係特別都市建設法に よらない東京近郊などの事例を扱ったものはなく、その実態は不明な点が多い。

(13)

第2章東京近郊の観光地について

2−1、本章の目的と構成 2−1−2、本章の目的

本章の目的は昭和20,30年代における調布市の観光地整備を、東京近郊における観光地の展開の 流れの中で捉えることを目的とする。東京近郊の観光地は江戸期の早い時期に成立し、明治以降郊 外の開発とともに急速に変遷してきた。当然深大寺地区もこの流れの中にある。この流れは基本的 には都心近くから徐々に外へと変遷していくのだが、深大寺地区は例外的にかなり新しい時期に、

比較的都心に迅位置において観光地として成立したという経緯がある。調布市が観光都市建設を 目指し、深大寺地区が観光地として成立したという事実を理解するには、この時期にこの場所で観 光地が発展した理由を明らかにすることが必要であろう。本章では東京という都市が成立した江戸 期から昭和戦後までの観光地の展開を既往研究や資料を整理することでこれを明らかにし、その中

における調布市の観光地整備の位置づけを示す。

2−1−2、既往研究と本章の位置づけ

東京を文橡として、その観光地を研究対象としたものは数多く存在する。特に多いのは江戸期の 行楽地に関する研究である。例えば樋口ら1981や小野1983などが挙げられる。これに関する研究 は、樋口ら1981にはじまる。その後も現在まで多数の研究が行われてきているが、その多くは『江 戸名所図会』や『江戸名所記』などの案内記を分析対象とする物がほとんどである。こういった資 料に描かれた場所や人、その所在範囲などを分析することで、行楽地の姿やその行楽形態、さらに その立地などに関して論じられている。

 明治以降の観光地や行楽地に関する研究は、江戸期に比べるとその数は多くない。主なものとし て樋口ら1982や羽生ら2003、羽生2005などが挙げられる。これらは江戸期に名所であった場所 を主な対象とし、明治以降昭和戦前までの変遷について論じている。しかし、明治以降観光対象地 は江戸期からの名所だけではなく、テーマパークの発達や、レクリェーション地としての西郊にお ける風致地区と公園の成立、鉄道の発達に伴う観光亥橡地の郊外化・広域化などがあり多様化して いる。これらに関する研究としては、テーマパークに関しては安野・篠野による1990年代後半の 一連の研究がある。観光対象地として、大正から昭和戦前にかけて発達した風致地区に関しては、

特にその運営団体である風致協会や保勝会に関しての研究が盛んである。例えば中島2003.2006 などが挙げられる。

12

(14)

 これらにより、観光地の樹鯛1に研究が進められているが、それらを共通の目的により利用され る観光地として扱い、その展開を歴史的に明らかにしたものは見当たらない。本研究で必要とする 知見は、東京近郊における観光地の歴史的展開である。その中において調布市の観光地整備を位置 づけることが必要である。そこで、本章においてはこれら既往研究の知見を観光地という視点から まとめ、その大まかな歴史的展開を明らかにする。

2+3、本章における研究の方法

研究の方法は、文献調査による。基本的には既往研究で明らかにされた知見を用いて全体的な東 京近郊の観光の流れを整理する。主に着目するのは観光糠地の広がりと、その成立年代である。

どの日制犬にどんな観光地が繁栄し、どんな場所が観光地になったのか、これを整理する。

2−2、江戸期の観光地

 江戸期の観光地に関しては多くの既往研究が存在する。当時、観光地は行楽地と呼ばれているこ とがほとんどであり、行楽に関する流れを整理する。

2−2−1、江戸期の行楽地を描いた資料

 始めに江戸の行楽地を描いた資料について検討する。主な資料を図2・1にまとめた。名所案内と して描かれたもので最も古いのは、1662(寛文2)年に書かれた『江戸名所記』である。その後、

江戸期を通じて数多くの案内書が書かれている。主なものを古いものから挙げると、1683(天和3)

年『紫のひともと』、1687(貞享4)年『江戸鹿子』、1693(天禄6)年『江戸惣鹿子』、1732(享 保17)年『江戸砂子』、と続き、1827(文政10)年に四季の名所のみを集大成した『江戸名所花暦』

が書かれる。1834(天保5)年には江戸のすべての名所を地域ごとに網羅した『江戸名所図会』、

1838(天保8)年には年中行事と四季の名所を集大成した『東都歳時記』と、江戸後期には名所を 網羅的にまとめたものが多数書かれた。概観すると1662年の江戸名所記から定期的に名所案内が 書かれており、江戸期を通じて江戸の周辺に行楽地が存在し、行楽も成立していたことがわかる。

これらは既往研究でも用いられた主なものだけであり、実際にはこれ以外にも様々な名所案内書が 書かれている。当時から行楽が盛んだったことが例える。

(15)

江戸名所記 1662 寛文2年

紫のひともと 1683 天和3年

江戸鹿子 1687 貞享4年

江戸惣慶子 1693 天禄6年

江戸砂子 1732 享保17年

江府名勝志 1746 延享3年

江戸名所花唐 1827 文政10年

江戸名所図会 1834 天保5年

東都竃時記 1838 天保8年

江都近郊名勝一覧 1847 弘化4年

図2−1江戸の名所を描いた主な資料

2→一2、江戸期の名所の質的変遷

 これら資料と既往研究の成果を用いて江戸近郊の名所の成立を見ていく。江戸の名所の成立につ いて、樋口らによる「江戸の四季の名所について」(1981)では1600年に書かれた『慶長見聞集』

の記述をもとに、1600年頃は四季の名所は成立しておらず、杜寺への参拝などが主な行楽の対象地 であったとしている。それが1630年頃、春の東叡山の桜に始まり、1650年頃夏の隅目ヨ川の納涼と 季節の名所が成立していき、1670年頃には秋の月と紅葉、冬の雪が各所で楽しまれるようになる。

江戸期の名所は四季の名所として形成されてきたのである。これをまとめたものが『江戸名所花暦』

であり、さらに広くこれらをまとめたものが『江戸名所図会』である。

江戸期の観光対象地である名所の展開をまとめると、1600年ごろは杜寺が主要な行楽支橡であっ たものが、1640年の東叡山の桜に始まり、四季の名所へと広がっていくという流れがあることがわ かる。名所案内も盛んに書かれ、江戸後期には『江戸名所図会』に広く名所がまとめられた。これ は江戸の行楽地の質的側面の変遷を明らかにしたものである。

14

(16)

2−2−3、行楽対象範囲の変遷

江戸名所記〔寛文 1 割 …工店名園志〔緩享3{η蝸牛〕 江戸名所図会候侵718 年〕 証書近提名勝一量弘化 184

、、

f } 1

一 …㌧㌔

・㌧

.1

・口  q{

  一.リ」、 ...。・・一Gj.・ 」㌔一

   .一

   ・■

o .F→

・●

、一 .、一L

@ ..、 .■

 ヴノ㍉三

…7

、、 ㌔㌔.、

@ 1

.ゾ I

1

o

h』

@、

ター

一\㌧ ,パ【

へ 一  I

  IP.

噴所籔 78 他に抑牲150、寺 1600陰入600 650

寺社がほとんど 寺社,町並,地形I ,集中行 ,町並,地形,古晩年中行 寺社が6割

鏡・

■深大寺

図2−2江戸期の行楽地の変遷 岡野ら2000.図3を引用、筆者加筆。

名所の成立に続き、名所の範囲を検討する。これはつまり、行楽範囲の変遷を見るということで ある。行楽範囲を研究したものとして、岡野らによる「江戸市中及び近郊の行楽圏域とそれを支え た仕組みに関する研究」が挙げられる。岡野らは1662年の『江戸名所記』、1746年の江府名勝志、

1836年の『江戸名所図会』、1847年の『江都近郊名勝一覧』に描かれた名所の所在位置から、江戸 近郊の行楽範囲の変遷を明らかにしている。それを示したものが下の図2−2である。図中太い点線 で書かれた範囲が名所の所在範囲で、細い実線の内側が市中から20キロ圏を、外側が40キロの範 囲を示している。江戸の初期である1662年は行楽範囲は概ね市中から10キロ程度の範囲に収まっ ているが、それが徐々に拡大するとしている。1746年の江府名勝志では1662年と大きく変わらな いが、1800年を過ぎた江戸名所図会と江都近郊名勝一覧ではその範囲は大きく拡大し、市中から 30〜40キロの範囲まで行楽支橡地が広がっていることを示している。江戸の行楽地の質的側面とし て、1650年頃までに四季の名所が形成され、行楽が盛んになったことがわかったが、その対象範囲 はそれ以降に拡大していくということである。そして、特に江戸後期に行楽対象地は大きく広がる ということである。本研究の対象地である深大寺が範囲に含まれるのは1836年の江戸名所図会か らである。実際に江戸名所図会には深大寺が描かれた。

(17)

、1物

理翻鰍翻然紬…

図2−3江戸名所図会に描かれた深大寺

   制大鵬↓

@姦狐

ヲ . 1 1

1 ・

へ.。謳轣D仰い:. ^

@  、

㍉ ぺ.

B鮎

}竜

?黶

D一

ll y .,、}

■一

H■主

一Il ・ム

6

3重

.議.

88● 蛯X⑭ρ8一・●8 I ●

●・

黶f 一も・■一

、1.Iニニ

一一

D ^

『江戸名所図会』より。

   c甲、旧リ風城㌻.ゾグ㌦戸

   一ミ〃・ざ   溝

  ・念調構  m三鵜

        s

謝嘗馳螂∴ま

   .㌧・;.、   。、。

       ○      融8

    、…  .9

    ..:

         亮    .   創一0

       図4近郊行楽め圏域

5 10 15 利■

圏域

■深大寺

図}4行楽の圏域岡野ら2000.図4を引用、筆者加筆。

16

(18)

行楽範囲に続いて、行楽の形体を見る。江戸期は交通手段は基本的に徒歩であり、行楽範囲も限 られる。江戸市中から遠い行楽地には宿泊が伴った。その実態についても岡野ら(2000)が明らか にしている。現在の東京近郊の観光の主要な形である日帰りが可能な行楽地の範囲は、図2−4にお いて示した範囲である。深大寺はこれに含まれた。甲州街道沿いに着目すると、西側は概ね府中市 あたりまでが日帰り可能な範囲であったことがわかる。本研究と関わりが深いのは日帰り可能な範 囲であろう。

1600年

都心からの概ねの距離

    10Km      15Km  社寺

四季の名所

日帰り圓

一20Km      25Km

30Km

1700年

社寺、町並み、地形、古跡、年中行事など

1800年

社寺、町並み、地形、古銭、年中行事など

1900年

図2・5観光文橡地の広がり。

2−3、明治から戦前における観光地の変遷 2−3−1、明治以降の江戸から続く名所の変遷

 江戸からの名所は明治以降、公園という形になるものが多かった。これは明治6年の太政官布達 によるもので、その内容は「三府を始、人民輻鞍の地にして古来の勝区名人の旧跡等是迄群集遊観 の場所、(東京に於いては金竜山浅草寺、東叡山寛永寺境内の類、京都に於いては八坂杜、清水の境 内、嵐山地或は公有地の類、)従前高外除地に属せる分は永く万人信楽の地とし公園と可被相定に付、

府県に於て有地所を択び、其の景況巨細取調、図面相添大蔵省へ可伺曲事 明治六年一月十五目 太 政官」というものであった。つまり、江戸期の名所を公的に公園として整備していくことがここに

(19)

た花の名所であった飛鳥山などが挙げられているが、実際に東京では浅草、上野、飛鳥山、深川、

芝の5公園が指定された。これら5公園に続き、東京周辺各地の名所は公園に指定され、整備され る。大正8年に制定された史跡名勝天然記念物保存事業も名所を公的に扱うことを試みた事業で、

江戸からの名所に影響のあったものとされている(羽生・岡野2003)。それに続き都市計画法に設 定された風致地区も名所を保全したもののひとつであった。風致地区は大正15年の明治神宮内外 から指定が始まり、昭和5年、8年には西郊を中心に8箇所が指定される。指定は都心部は明治神 宮内外だけで他はすべて近郊であり、保全すべき風致は郊外に移っていたことが例える。明治後期 以降の案内書では、都心部の増上寺や上野などは市街化の整備に伴って名所としての価値が現代し ていることが書かれている。都心部の名所は市街化や開発により魅力が減退したことが指摘されて いる。その結果として、名所は郊外が中心になったと考えられる。

2−3−4、風致地区制度と西郊の観光

大正8年に都市計画法が制定される。その中に風致地区制度があり、大正15年の明治神宮から 指定が始まる。風致地区は多分に観光的一性格を有していたと見られ、その核となる公園における事 業による多量の収益があったこともわかっている。風致地区はそのほとんどが区部西郊の練馬、杉 並、世田谷に位置していた。これはこのエリアが観光対象地であったことを示している。

 下の図2−7に示された風致地区のうち、戦前に指定された8箇所がこれに当たる。観光地として の風致地区は戦前までで、戦後は市街化により戦前からのものは住宅地の中の緑地としての性格が 強くなっていく。戦後指定のものは残された僅かな緑地を保全する手段として風致地区指定がなさ れたものがほとんどである。戦後に指定された風致地区は多摩地域が多く、すでに観光地ではなか ったにせよまとまった緑地は多摩地域においても限られたものとなってきており、その価値が認め られていたということであろう。戦前まで区部西郊のが担ってきた、東京から近い観光地の役割が 多摩地域に取って代わられてきているということである。深大寺地区が緑地を中心とした観光地と

して戦後成立するのはこの流れと密接に関係している。区部のすぐ外側に位置する深大寺地区は都 心から一番近いまとまった緑地を有する観光地という位置を獲得し、これが観光地として発展する 基礎となったのであろう。

18

(20)

風致地区指定位■図

真,□電 ..,診

■■日

日8, ■,

      ■同日

8。山 @   .舳。斜資舳真榊

舳帥       生

       洲

劫聞

。^□

lln

^…刊     日■腕

■{■   ・〜■

宣■      =

1一電

■慮  ■・電

岨岬

1■

■■■

6豊

1III88

.、.1

・一●量

^富

8

玄資目

標目

■書

l1

口重田

回重量

。…★目巨

8■6

宮1j118

都内28地区(26箇所)

区部 14地区(14箇所)

  明治得宮内外苑付近風敷地区 0洗足風致地区 9≡■江戸川風致地区 19 書福寺風致地区 I≡1石神井風致地区

■≡■多摩川風致地区 0 和田堀風致地区

11区10市

o

大泉風致地区 乏風致地区 分塵橋風致地区 市ケ谷風致地区 螂茶の水風致地区 上野国致地区 関口台団致地区

多摩部 14地区(12箇所)

西

多真因風致地区 建田風致地区 五日市道口致地区 小山田風致地区 七国山風致地区 8丘国口致地区 玉川上水風致地区 ※立川市

玉川上水風致地区 ※ 』1金井市 玉川上水風致地区 ※小平市 東京道歴致地区 鈴木道風致地区 富樋街道風致地区 北山園致地区

大沢風致地区(三電市指定)

図2−6 現在の東京の風致地区位置図。東京都建設局HPより引用。

(21)

風致地区種別内訳

名 称    指定面積

@(ha) 第1種

iha)

第2種

iha)

指定年月1ヨ 所在

1 明治神宮内外苑付近 27400 6軌80 204−20 T15.洲4 新宿区、渋谷区、港区

2 洗足 2M0 2640 S5.10−27 大田区

3 江戸川 323.30 32&30 葛飾区

4 善福寺 2920 29.20 杉並区

5 石神井 96,70 96.70 練馬区

6 多摩川 1,18Z60 9150 1,17釧0 S8.1.24 大国区、世田谷区

区  部

7 和田堀 151.30 15帖O 杉並区

8 大泉 359.60 359おO 練馬区

9 芝 4η◎ 4λ7◎ S2臥12.η 港区

弁慶橋 31.◎O 31場0 千代田区、港区、新宿区

11 市ケ谷 27.00 27.00 千代田区、新宿区

12 お茶の水 1220 1Z20 千代田区、文京区

13上野 102.00 iOZ00 合東区

i4闘噴台 11,00 1一、◎0 S46.12.一 文京区       

(区部計) 2,674.00 79.30 2.59470 11区

多摩陵 3引0 36−10 S54仰 ハ王子市

16廻国 47場O 1aOO 3Z00 S3引0月 東大和市

η 五日市道 1138 11.98 立川市

18 小山田 60.00 60.00 町田市

19 七国山 12a00 11Z00 帆00 町田市

20 霞丘陵 3脇14 38釧4 青梅市

市  部

2{ 刮11上水 11165 11.65 立川市

22 ミE川上水 16.50 コ6.50 S3η,26 小金井市、小平市

23 玉川上水 4a60 46.60 小平市

24東京適 3000 30場◎ S37.726 小平市、東久留米市

25 青梅街道 52.15 5購5 小平市

26 鈴木道 1 0 似70 小平市

27 北山 5a00 35,OO 21.00 東村山市

28 大沢 1.70 用6,624 三鷹市

(市部計) 897,52 605.14 290168 10市

計  28箇所 3,571,52 684.44 λ88538

図2−7東京都の風致地区一覧東京都建設局HPより引用。

2−3−5、東京緑地計画と景園地の指定

 昭和の初め頃に区部西郊を中心に風致地区の指定があった一方で、昭和7年の東京緑地計画の中

20

(22)

でも公園への指定という形での緑地保全が行われた。緑地は観光対象地であったから当然これは観 光地の保全・開発にもつながるものであった。これは景園地という名で指定された。景園地とは後 の国立公園に近いもので、都市公園のように全域を公園として整備するものではなく、広い地域を 指定するものであった。その区域内には強い規制はかけられることはなく、住宅地や市街地も含ま れていた。これは後の昭和25年の東京都率自然公園条例へとつながっていく。下の図2−7は昭和 10年の東京船井の景園地の一覧である。景園地の指定は東京府によるものと東京都によるものの2 つが存在し、合計で12箇所が指定された。指定された12箇所をみてみると、その全てが多摩地域

と島喚にあることが糊致である。風致地区と同じく昭和初期の指定ではあるが、自然公園的性格を 持つ景園地はより自然風致を色濃く残す多摩地域にその中心があった。この申の南武蔵野景園地が 深大寺地区も含むものである。後の都立武蔵野自然公園となる区域とほぼ同一である。ここにおい て重要なことは、この時初めて深大寺地区が価値を与えられたことである。景園地に指定されたこ とは後に神代緑地などが整備され、良好な緑地環境を色濃く残す地域としての方向性を決めた出来 事といっていいだろう。

(23)

決定区分 名  称 区         域 面積 下奥多摩 西多摩郡吉野丼g全部,福年町・多西村・西多産村・ ha 景 因 地 調布村 蟹村;小曽木村・青梅町・三田村・古塁村・ 10,800

氷川町の各一部 三 ・

御岳景園地 西多摩郡大久野村・小宮村・桧原村・三田村・古星

村・氷川町の各一部  t 3,710

    .』  』

H川景園地 南多岸部川口村め二部「

西多摩郡戸倉村の全部,小宮村・桧原村の各τ部 12,500

o

高尾景因摂 南多摩郡漬山村・浅川町・元八王子村・恩方村・堺

村の各、部 岬O

北多摩郡昭和町・拝島村の各一部

滝山景園地 南多摩郡加住村の一部 1,670

西多摩郡福生町・東秋留村・西秋留村め客二部一

、奉京府

北多摩郡多磨村∴府中町・西府村・谷保村9各一部

ζ宕婁1 一.,一 南多摩景園埠 亭脅辱郡稲城植「多事舛∴則1村・由木何・七集村・ 4,080

日野町の各一部

。帖  武蔵雪景園地

北多螂綱獅榔碕・勢蝸・岬村∵木和村・砕川村・村山村の各一部西多自都福生村∵瑞詰町一・西多摩村・蟹村の各二部

5,580

払.。

苫機・{ ; 北多岸誠虹ポ柵由・劫鋪希畷・多産村二

甘、よ = 南武1藏野 小金井町三府中町ろ国分寺町・西府村・谷惇村・立

景 園 地 川市・砂川村・昭和町・拝島村の各」部・

今,80φ

人マ o 西多摩郡福生町のブ部

麦・尋 ご   ぺ .・一 、

蜩㈹i園地 大島(一円)づ岡田村・元村・野増村σ差木地村・

波浮港村・泉津村の全部..」三  ㌧由 9,120

9カ所 57,03g

西多摩郡小河内村の全部 一  、 ● ■

昌 再 … ≡ 正負一 多仁 外川町ρ7部。、、/

∵.いミ・, 温ヰ園 1・一地 山梨県非都留郡円波山g全部 27,400

{.} 川 恵一ム 1 一一 I1 一4・

.声 .・   三

東京市

小菅村の一郡.

G真東山梨郡栖金村の一部1

・帖・一@≒ 片厚景園革 西多摩郡氷川町の二部 岳劃■ ≡   ・  一      一       1 一      ■ 州r一一

D亭,与86

狭山景園地 西多岸部瑞穂町・福生村あ各十部

k多摩郡村山村・大和村・東村山村の各一部一 1,550=

{一、1 ぺ

〜 ポ 3カ所 ,      一 .き7,530

合    一計 12カ所 94,56g

図2−7景園地の一覧。『東京の公園120年』p.29より。

22

(24)

2−3−6、国立公園と都立自然公園の指定

 戦後、しばらくは戦災復興に総力が挙げられ、緑地保全などは目立った施策はないが、戦後復興 が一段落した昭和25年には都立自然公園条例ができる。これは戦後急聴に東京の人口が増加する中 で都心部にまとまった緑地を確保することが難しくなり、都市住民の緑地二一ズに答えるため近郊 にまとまった緑地を保全するために制定されたものである。これは8箇所が指定された。これは主 に戦前に指定された景園地の区域を引き継ぐ形で指定される。下の図2−8は都立自然公園の配置図 である。これを見ると、そのほとんどがたま地域に指定されたことがわかる。またその区域も景園 地と同じく広い。都立自然公園も景園地と同じく地域性公園であり、市街地も含む広い区域が指定 されたが、規制手段がなかった。このため後にこの区域内も市街化してしまう。これは戦後すぐの まとまった緑地の所在を示すものでもある。観光夫橡となる緑地はこのように配置されており、こ こが風致地区にとって代わり、都市住民のためのレクリエーション緑地となったのである。深大寺 地区はこの中の武蔵野自然公園に含まれる。武蔵野自然公園は南は野川と国分寺岸線にそって指定 され、調布市を東端として国分寺に向かうものと、玉川上水にそって井の頭公園を東端として小平 に向かうものから構成される。深大寺地区はこの時点では最も都心に近いまとまった緑地の一つと なったということである。戦前の風致地区は、区部西郊が郊外住宅地として開発されて行く時期に 同時に指定されたが、都立自然公園もまた多摩地域が自然公園として開発されて行く時期に指定さ れたものであり、この2つは似た性格を有するといえる。

哨ベド

     秩父多量冒立公口  舳サ     おω.

山1111」徹機蕊宇

   築

・…A      山

 幻  量  県.

、蟷ノ e州ハ∫㌻

診  ・ム  公 。!㌧

       、・一、・、

      \

束点者β自然公園配置図,、

         嗣日』㎜^ ル

騰7 岨喩.

   〔う冒{

〜 、{     、、

・一d\J      }㌧

,恥、    \

 い〆

≧ ∫ 幻奈川県    ・.ハー一、

   手    査

.江」1  梨 宿.公

ψ 723

図2−8都立自然公園配置図。『東京の自然公園』p.8を引用。

(25)

公  園  名 (ヘクタール)面  積 指定年月目 備     考

厚生省告示第/90号 鯨都・埼玉県・山梨

秩父多摩国立公園 砺548 昭和25年ク月/0目

c東京都地域)

県尿ぴ豪野県の各r部

(/24600)

()は国立公園総画頼 内務省告示第3.2号 東家都・神奈川県・静 昭和//年2月 /目 岡県・山梨県の各→戸 富士箱根伊豆国立公園 27495

イチ豆七島地区追加は ()は国立公園総面積

(伊豆七島地域) (/〃,30タ)

厚生省苔示第3/8号 昭和39年ク月 ク目

57043 東京都総蚕頼の28/4%

東京都告示第882号 都立江戸川水郷自然公園 ク23

昭和。25年//月 ク目

〃滝山自然公園 66/ 東鵡暗示第883号

昭和25年//月 78

〃高尾山自然公園 糸/2ク 東京都省示第g36号

昭和25年//月25目

〃多摩丘陵自然公園 ノ;959 東京都告示第g3ク号 昭和25年//月25目

〃狭山自然公園 タク5 東京都告示第245号

昭和26年3月/51ヨ

〃武蔵野自然公園 !;65ク 東京郡告示第2架6号

区域の→陵更(拡張)東京着暗示第292号

昭和26年3月/5目 昭和。2ク年4月3日

〃羽村草花丘陵自然公園 東熊暗示第/ク3号

553 糊口28年 3月/2目

〃秋川丘陵自然公園 !335 東京郡告示第99ク号 聯口28年/0月 /目

/4790 東京考隙面積の58/%

含      計 68833 東京都癌緬積20.2489ヘクタールの3395%

図ト9昭和28年までに指定された都内の自然公園。鯨の自然公園1叫。より引用。

24

(26)

2−4、近代以降の新しい形の観光地

 一方で近代以降は鉄道の発達とともに郊外には新たな形の観光地も誕生していく。テーマパーク である。テーマパークは大正後期に出現し、現代まで続いている。下の図2−10は東京の主に区部西 郊と多摩地域にあるテーマパークの開業年と廃業年をまとめたものである。テーマパークの始まり は大正11年の玉川第二遊園地である。これは二子玉川に位置し、後に二子玉川園となるものである。

この時期にはいくつかのテーマパークが相次いで開業している。多摩川園や豊島園、向ヶ丘遊園や 京王閣がこれに当たる。これらは鉄道の延伸とともに鉄道資本によって開発されたものが多い。そ の位置もターミナルとなる渋谷や新宿から15から20キロに位置している。ちょうど風致地区は区 部西郊に指定が進められていた時期であるが、テーマパークはその一番外側か、そこから少しだけ 郊外に出た市に開発されたことがわかる。戦後の開発を見ると、その開発対象地はさらに郊外にな る。西武によるユネスコ村や西武園などの一連の開発や多摩テックなど、都心から30キロ程度離れ た位置に立地した。この時期は都立自然公園条例ができた頃であったが、それと同じように多摩地 域に広く立地している。この申で調布市に位置する京王遊園について見ると、これは戦前に開発さ れた京王閣と同じ場所に位置しているが、都立武蔵野自然公園と近い位置であることを考えるとテ ーマパークとして開発された区域の東端として見ることができるだろう。

 調布の位置づけを見ると、テーマパーク開発の中ではやや特殊な位置と見える。戦前の大正後期 から開発された一連の流れの申のエリアの最も郊外の位置でもあるが、戦後に開発されたエリアの 東端でもある。戦前、戦後の両時期に開発されている。これは他にはなし位置づけである。多摩川 園や豊島園の周辺は戦後は住宅地となっていくが、京王閣・京王遊園を含む調布市はまだ観光地と しても続いていく。テーマパークの歴史の中で見ても、戦後の調布市は都心から最も近い、現在進 行形で開発される観光地であったということである。

(27)

N

{  { 冒 園

芸長

…蔓

      {

    2 主   暮

      …

■ ■ 優

暮董暮坦坦貝

■    一1  ■

暮 暮 蔓

^    仙   債

三 量 量

8

一1

…;

■        ■    ■ ■

嚢   婁 暮婁

i      官   墓 o 婁      竃   茗 姜

量 量 書養蔓首裏

芸 墓  墓 婁 雲 購 三  姜  § 婁 層 重日

■皇電○}lI8 ●川1■…≡■

■縮■量●○・

1張■口□

τ

ノ。

1Im嶋{榊一■舳■

■■}電 ■}口

3帷…言□1・口売 □□帥

θ

標馬■ミ■■

■ ■I一,■8}

ε一一1一真a■■E坦□

■8一■真一引 ●□E1

蝸電粋縛i茗旧一}日

好事〒伽}口鞘 納咄ヰ1■景■■ロロ売 』■■鵜!■舳…州…H■■□口□

■自書口■■

■自■■記■

雌享 州榊口

τヒロ} 1

参照

関連したドキュメント

見られます。吹田の千里丘陵はタケノコの産地として有名で、各所にモウソウチクが植えられて

八王子の都市計画 ⑨生産緑地地区 平成 3 年

中国の都市における緑地景観の評価 ―高層住宅地内の緑を対象とした CVM

(緑地)政策が強く影響することが考えられる。都市再開発は緑地の分布形状に大きな変化

枚⽅市⽣産緑地地区の区域の規模に関する条例(案) についてご意⾒を募集します 1.条例制定の目的

[ 農政や生産緑地の現状について ] ・宅地のままで農をするのは、農業委員会との話にな

〔緑の都市づくり部門〕 東京都板橋区

 相馬御風先生が講演に来校されたことがあった。訥々とした話し振りだったが,真実の美は素