第5章 東京都による首部圏整備と調布市による衛星都市建設の相互関係と都市整備 への影響
ll 4 予算関係
業汽
条例/制度関係 1118119≡20111 予算関係
5 条例/制度関係 条例/制度関係
11
委員会関係6 条例/制度関係 条例/制度関係 委員会関係
7 条例/制度関係 条例/制度関係 助役選任
8 条例/制度関係 条例/制度関係 収入役選任
9 条例/制度関係 委員会関係 第3回; 条例/制度関係
19i
条例/制度関係、 道路修繕予算関係 2 予算関係
11 道路修繕1、. 3 予算関係
1蕃
予算関係 4 条例/制度関係21 専決処分 21 5 条例/制度関係
11
条例/制度関係条例/制度関係 萎1ぎ 67 予算関係予算関係税制関係 8 予算関係
馴躍備開陳
予算関係 条例/制度関係 条例/制度関係
21 予算関係 条例/制度関係
11 了嶺甑
5 水路整備関僚一9 条例!制度関豚
繋呂1 第6臥二1。,室、 町制施行繊、.. 31 111 予算関係
2 予算関係
蚕
専決処分2 委員会関係 3 条例/制度関係 条例/制度関係
3 委員会関係 4 予算関係 予算関係
4 委員会関係 5 税制関係 税制関係
与ま・ 6 委員会関係 第7回1 1 予算関係 第4回1 1 委員会関係
帖路公目計画繭 2 委員会関係 2 条例/制度関係
第7回1 1 学校建設.
Q 室員会関係 3 委員会関係 第5回一 1 委員会関係
4 委員会関係 2 条例/制度関係
第8回1 1 予算関係 第8回1 1 予算関係 3 条例/制度関係
41 2 条例/制度関係 41 2 予算関係 第6回 1 寄付関係
11
3 条例/制度関係4 条例/制度関係421
3 予算関係 2 寄付関係11
4 予算関係 3 税制関係5 委員会関係 5 条例/制度関係 4 義援金関係
第9回1 1 条例/制度関係 6 条例/制度関係 第7回1 1 予算関係
2 条例/制度関係 7 条例/制度関係 2 予算関係
3 予算関係 第9回1 1 委員会関係 3 予算関係
4 委員会関係 2 寄付関係 4 予算関係
第10回1 1 予算関係 3 …会関係 .5
2 条例/制度関係
6
、学校設置懸 道路翻定、。
51 3 条例/制度関係 第8回. 1 委員会関係
劃
4 条例/制度関係5 条例/制度関係 23 条例/制度関係寄付関係6 委員会関係† 道路整備 4 税制関係
第9回= 1 条例/制度関係
第1個1 1 公国整備 10回一 1 1 I
2 道路整備 R 条例/制度関係 4 、、道路修健,
第12回1 1 予算関係
61 2 予算関係
11
3 条例/制度関係4 予算関係5 条例/制度関係 6 委員会関係 実1301 7、{.予算関係A 失業対策
2 関
図5・3 ネ申代村議会の議案
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5−3、調柿において観光都市建設が目指された背景政治との関係に着目して
ここまで神代村時代の昭和25年頃から昭和30年代初頭にかけて、深大寺と神代緑地を中心とし た深大寺地区の観光地化が行政を中心として、地元も交えつつ目指されてきたことを示した。この ように観光地としての発展が目指された背景はなんであったか。3つの視点から考察していく。1 つ目の視点は神代村/町、調布市の政治である。一般に小規模な基礎自治体ほどその時の首長の政策 方針の影響を強く受ける。地域に根ざし、小規模であった神代、調布も首長の施政方針を強く反映
したものとなっていることが考えられる。2つ目の視点は多摩地域の申における調布市の位置づけ である。調布市が位置する多摩地域は明治以降、東京の市街地の拡大や鉄道網の発達とともに大き
く地域が変遷してきている。住宅地としても発展してきたし、同時に観光地も発展した。こういっ た市街化の流れによる影響は多摩地域のほぼ全体に共通することであり、この流れの申での調布市 の存在を明確にしていくことが必要である。ここから、多摩地域の中での観光地としての調布市の 位置づけを考察する。3つ目の視点は東京都の施策との関係である。調布市の区域内も当然東京都
による施策が行われる糠となっており、そこから何らかの影響を受けることが考えられる。
(1)観光地整備に深く関わった首長山岡柳吉
はじめに政治に着目すると、神代村/町・調布市を通じて一連の観光地化の動きに関与している人 物が浮かび上がる。それが山岡柳吉である。山岡柳吉は昭和23年9月に神代村長に就任、以降神代 町時代を通じて合併まで一貫して村・町長を務め、さらに調布町と合併した昭和30年には波乱もあ
りながら初代市長に就任し、以降昭和32年3月まで市長を務めた。観光地整備が行われたのは昭和 25年から昭和35年が中心であり、山岡はこの時期の半分以上で首長を務めていることがわかる。
山岡が関わったものとして①深大寺公園計画による神代村/町時代の観光地整備、②調布市建設計画 の策定、が挙げられる。①に関しては、昭和25年から始まった神代村/町による深大寺公園計画を 基とする観光地整備は全て山岡政権時代のものである。村・町長であった山岡はこれを指揮する立 場にあった訳であり、この計画に関与していることは間違いないであろう。そして②調布市建設計 画は調布町と神代町によって設置された合併準備委員会で策定された。新市建設計画は主に両町の 町長の間を書簡で往復し、議論された。この両町の合併は規模の大きな調布町と小さな神代町が対 等合併したもので、簡単に成し遂げられたものではなかった。
(2)調布町・神代町合併の顛末
町村会佛足進法が施行中の昭和30年、神代町は調布町との対等合併を実現する。むしろ、神代町
がった一因と考える。
この両町の合併の経緯は複雑である。合併協議は昭和29年2月に始まり、当初この2町に加え狛 江町も参加していた。しかし、狛江町では当時の町長は調布・神代との合併を目指すも、市議会・
市民の間には世田谷区との合併を目指す動きもあり、住民投票が行なわれるなど混乱もあり、結果、
狛江町は世田谷区との合併を目指すこととなり、調布・神代との合併協議会からは萬離することに なる。これにより3町合併は立ち消えとなり、調布・神代による2町の合併が進められることとな る。しかし、調布町が合併に際し要求した新市名と市長人事という2点が争点となり、なかなか合 意に至らない。規模の大きな調布町としては主導権を握りたいところであろうが、神代町としては 受け入れられるものではないであろう。神代町長である山岡は調布町の要求に対し、新市名に関し ては何らこだわるものではないが全く新しいものを希望するとしたにとどまるも、市長人事に関し ては「・・。この合併が不成立に終わりたるときには、貴町よりの申入れの本件が原因であると見 倣し本町に於いてはその責任を負わず貴町側の責任を認めます」と強硬な態度でこれを認めない意 向を示す。町村会榊足進法は昭和28年11月から31年11月までの3年間の時限立法であり、合併 協議が進まないと合併自体が立ち消えになりかねない。こういった事情もあり、新市名は調布市と
なるも、市長人事は選挙にてこれを決めることで合意し、昭和29年5月22日に東京都に合併の意 向が伝えられる。そして両町合併市制促進協議会が設置され、合併に向けた準備が進められる。こ の中で調布市建設計画は策定される。
いくつもの波乱を引き起こしながらも昭和30年4月1目、調布市は誕生する。その前日、3月31 目には選挙までの職務代行者として、調布町長だった安沢秀雄が市長職務執行者に就任するが、5 月16目には選挙が行われ山岡柳吉が正式な市長として就任する。結果として、調布町が要求した市 名と市長人事は新市名こそ調布市となるも市長は神代町長だった山岡となり想定の通りにはいかな かった。合併協議会における調布町の要求は実現されなかったばかりか、結果として市政の主導権 は神代町が獲得していった。合併協議会の時点ですでに主導権は神代町にあったと見え、調布市建 設計画は神代町の方針が強く反映されたものになったと見ることができる。特に産業面においては 両町共通の農業を除いては観光が強く押し出されたものとなり、実態としては神代町が主導権を握 っていたことが例える。
以上のような経緯をたどった調布市への合併の中で、神代町が主導権を握ったことで調布市建設 計画では観光が重視され、観光都市という言葉とともに深大寺公園の計画が進められることとなっ ていく。さらに、神代町長として観光地整備を進めた山岡が市長となるなど合併後も主導権を握り、
観光都市が目指されていく。
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(3)山岡の施政方針
市長山岡の施政方針が市報に示されている。それを見ると、成長戦略として農業と住宅開発とと もに観光が示されている。多くの紙面は都市基盤整備、特に生活必需に関するものに当てられてい る。観光や農業が成長戦略の重点施策としてあげられる一方で、工業は書かれていない。首都圏整 備法が制定されて以降、目指された工業化はこの時点では重点施策ではなかったことがわかる。