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戦後調布市の観光地化政策と深大寺地区

ドキュメント内 @姦狐 (ページ 35-44)

牛1、本章の目的と構成

本章では、昭和20,30年代の調布市における観光地整備の実態を明らかにする。調布市は昭和 30年に調布町と神代町の合併により誕生した。新市成立に伴い、新市建設計画である「調布市建設 計画」が示された。この計画では調布市は第一に「文化的住宅都市」を、第二に「観光機能を備え た『衛星都市』」を目指して新市を建設するとしている。この計画は観光を市の成長戦略に位置づけ ており、当時の東京近郊で観光地整備を行おうとした事例として興味深い。調布市建設計画では深 大寺地区に遊園地機能をもつ「深大寺公園」を、多摩川地区に「緑地公園」を、観光地整備として 行うとした。この整備の実態について、行政や議会の事業や事務のすべてを記した「事務報告書」

を用いて検証する。

4−H、本章の目的

本章の目的は、研究を構成する2つの大きな流れの1つである、基礎自治体による狭域的な地域 計画における観光地計画の実態を明らかにすることである。調布市は合併当初の総合計画に相当す

る新市建設計画である調布市建設計画において、住宅都市としての発展と同時に観光地としても発 展を試みた。この時代、基礎自治体によって進められた観光地整備は周辺の三鷹市や府中市、武蔵 野市や小金井市などでは見られず、近郊地帯では数少ないものの1つであるといえる。観光を成長 戦略として位置づけた調布市建設計画とその実際の展開に着目し、具体的な観光地としての整備内 容を明らかにする。

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調布市を文橡とした研究は郷土史研究として行われたものが数多くある。しかし、近現代の昭和 20,30年代に着目し、この時代を詳しく扱ったものは多くない。当時の調布市の行政や調布市建設 計画などを扱ったものとして『調布市史下巻』がある。これは自治体史として1997年に編纂され たもので、調布市の行政や当時の様子について最も詳しくかつ詳細に記したものといえる。『調布市 史下巻』において観光に関して指摘されていることは、

・調布市建設計画において文化的住宅都市と同時に観光都市を目指したこと。

・旧神代町時代から、武蔵野自然公園の指定を受け深大寺地区の観光地整備が目指されていたこと の2点である。調布市建設計画に関しては、観光に関しては僅かな記述があるにとどまり、その計

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画の進展に付いては触れられていない。深大寺地区の観光地整備に関しては、昭和28年に武蔵野自 然公園指定を受けて観光協会を設置し、「深大寺自然公園」の区域を決定したということの2点が挙 げられている。観光協会に関しては、深大寺に関しては古くから深大寺の檀家を中心とした観光協 会である「(旧)深大寺観光協会」が存在しており、この組織に神代町が加わり行政と民間の一帯と なった「(新)深大寺観光協会」を設立したことが明らかにされている。しかし、解っていることは これだけであり、新旧深大寺観光協会の詳細については資料が現存せず不明な点が多い。一方「深 大寺自然公園」については昭和28年に区域を決定したが、農業委員会の反対により区域の指定は出 来なかったということが明らかにされている。ここで決定された範囲や、試みたができなかった指 定の実態などは触れられていない。また、『調布市史下巻』では観光についてそれに関してまとめ た項目などは設定されておらず、調布市における観光の実態に付いて体系的にはまとめられていな い。本研究では、『調布市史下巻』において明らかにされた知見を基に、特に調布市建設計画の進 展や深大寺自然公園の整備についてその実態を明らかにする。

 調布市の観光に関する研究があまりなされていない一方で、深大寺地区だけを対象とした郷土史 研究もわずかに存在する。しかし、その多くは深大寺そのものに関してのものであり、深大寺の周 辺を観光地として一帯なものとして捉えた視点をもつものは、郷土史家竹内が当時の記憶を基に振 り返った『郷土の七十年』にわずかにあるくらいである。行政による調査報告書としては、深大寺 や神代植物公園を中心としたエリアを対象として行われたものとして、1964年東京都教育委員会に

よる「調布市深大寺地区における「そば屋」群の形成とその系譜について」(『北多摩文化財総合調 査報告書』p.76〜80)がある。また、地理学からの学術研究として同じく1964年の長津一郎による

「東京西郊における行楽地について」がある。この2つは学術的な視点から、観光地としての深大 寺地区の発展に着目して行われたものであり、深大寺地区のそば屋の発展について参考となる。

 「調布市深大寺地区における「そば屋」群の形成とその系譜について」では、深大寺門前町のそ ば屋の開業年と増加数、その立地、さらに神代植物公園の整備に伴う農地の買収と、農家からそば 屋への転業の関係について調査が行われている。そば屋の開業年に関しては、昭和35年以前は5 件のそば屋が存在し、それ以降昭和38年までに急速に増え、4年間で5件から19件にまで拡大し たとしている。また、その立地に関しては、深大寺門前の寺領内に立地するものが古くからのもの で、新たに開業したものは清吉街道に多いとしている。そば屋の分布を見ると、特に清吉街道西側 にそば屋が多く立地したことがわかる。ここで清吉街道とされているものは、現在の深大寺通りで ある。清吉街道という名前は、この道路の開通に尽力のあった町議会議員の嶋田清吉の名前をとっ

収対象の卯化35件のうち、7件がそば星へと転業したとしている。

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   晦・深大寺周辺地域の閉握」の分布(綴罷嬰礒認識騒誰磁)

図4−1 「調布市深大寺地区における「そば屋」群の形成とその系譜について」Fig.6深大寺周辺地 域の「そば屋」の分布  (昭和38年時点)

 「東京西郊における行楽地について」では、京王帝都沿線の行楽地である芦花公園、深大寺地区、

多摩川地区の3箇所に着目し、その集客圏と来訪者の属性などを調査対象としている。深大寺地区 に関してはそば屋の開業数の変遷、さらに深大寺の入込み客数を調査する手段として、神代植物公 園と深大寺の来訪者の関係について調査がなされている。こちらではそぱ屋の開業年と数が前述の

「調布市深大寺地区における「そば屋」群の形成とその系譜について」と若干ではあるが異なる。

戦前からあるものが1軒、昭和31年が1軒開業、32年から34年は記述がなく、35年1軒、36年2 軒、37年13軒、38年7軒、39年1軒としている。昭和30年時点では1軒、昭和31年に1軒の開 業があり、昭和35年の時点では2軒となり、「調布市深大寺地区における「そば屋」群の形成とそ の系譜について」の5軒と差がある。これは対象とする範囲などの差により出た誤差であると思わ れる。いずれの研究も神代植物公園の開園が深大寺地区のそば屋の急増の要因であるとしており、

昭和37年に急増をしたということは同じである。また、新規開業のそば屋は深大寺通り沿いに多く、

特に西側に向けて広がったことも共通している。昭和37年時点でのそぱ屋の軒数は17軒となり、

2軒の差があるものの全体的な傾向は共通しており、昭和35年までは数件であったそぱ屋は、神代 植物公園の開園以降急速に増加し、深大寺通り西側に広がっていったということは間違いないと見

ていし、。

 長津1964では、深大寺と神代植物公園の入込み客に関する調査も行っている。これは当時の深大 寺地区の観光圏の姿を知る上で参考となるものである。深大寺と神代植物公園に関する統計データ はなく、独自に調査を行っている。それぞれの入り口付近で来訪者がそれぞれに行ってきたか、行

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く予定か、また住所所在地の2項目をそれぞれ250人に尋ねている。その結果として、神代植物公 園への来訪者の95%ほどは深大寺へも行くが、深大寺への来訪者は神代植物公園に行くものは30

〜40%にすぎないことを示した。さらに、来訪者の居住地は、どちらもここより東側の都心に近い 市街地が多いことを示している。これは、当時の深大寺地区が、都心部やその周辺の市街地の住民 を主なターゲットとした観光地であったことを示している。

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図4−2 深大寺と神代植物公園の入込み客の関係 長津1964第8表を引用。

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員15図一深夫寺地区交流調査あ康の行楽客住所

図4−3来訪者の居住地長津1964第14図、第15図を引用、筆者着色。

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