人間の特殊性(特殊地位)の問題
塚 本 正 明 目 次 序 §1 ゆっくりした発達 §2 世界への開放性膚一表象カ§3 自己再帰隆一自己制御
§4 言語(以下次号以降) §5 人間の内的全体性 序 ソクラテス(S6krates,470∼399B.C.)が,哲学(4)(九00・04)′Eα)の視線を 宇宙から人間自我へ転じて以来,人智の歴史的進展を経た今日でもなお,「人 †/間」(c(z/Opa・7rOE,homo,human being,humain,Mensch)それ自身の意感づ
けに関してほ必ずしも・一義的な定説が確立されているとほ言い難い。むしるシ 工−ラ・−(M.Scheler,1874∼1928)が明言したよう紅,,「われわれほ人間に(1)(2) 関する統一的理念を所有してほいない_t というのが実状であろう。例えば一一方
(い では,人間を「万物の霊長」として把握し,宇宙遷化・地球進化・生物進化の
最終段階に.位置づけるような見方もある。また他方では,動物の側からみて人(4) 間ほむしろ「欠陥生物」(ヘルダーJ.G.Herder.1744∼1803)であるという
negativeな見方も成立する。こ.れら以外に.もさらに.種々の人間理解のタイプが 存在することは歴史の示すところであり,一々枚挙に暇のない程である。この ような事情にも拘らず,敢えて端的紅.要約するとすれば,人間はそれ自身では 中途半端な生命存在である,と言えるであろう。有限な人間存在ほ,全智全能 の理念の絶対具現者としてのく神>とはなりえず,さりとてただの動物にも甘んじて留まることのない中間存在であり,中途的存在であるとも考えられる。
けれども,人間が両端何れか紅固定して位置づけされないということば., (5) positive紅みれば,人間が日昌広い,いろどり豊かな,多様な事物」であるこ
ととしても解釈できる。人間を規定するものとしてのl ̄中間」概念には,実に.
多様な意味ファクタ−・が含まれているのである。 そこでわれわれほ,われわれ自身それであるl ̄人間」をできるだけ公正に.意 義づけようと努めるならば,まず第一紅人間を余りに.もち上げ過ぎてはならな (6) い。しかし第二に,その反対に・「生物学的還元」紅よって人間の特殊性を徒ら に腰小化してしまうことも,−・種の自虐趣味に堕するであろう。「常に動物以上 (ア) または.動物以下であり,決して−一一個の動物ではありえない」とは,背からの至 言である。以下の論述は,それらの点軋顧慮を払いつつ,さしあたり人間と自 (8) 余の動物との比較考察に.よって:指摘されうる基本的な差異のメルクマ−ルを抽 出・分析し,なるべく思弁的先入見に依拠しない客観的な立場で人間の特殊性 ●●● の問題を考えてみようとする一つの試みである。 §1 ゆっくりした発達 (9) スイスの動物学巻ボルトマン(A.Portmann,1897∼)の著名な研究が示す とおり,人間でほ自余の動物に.比較して成長および発達の期間が驚くはど長く 延び,そのためその期間中特別な保護が必要となっている。ボルトマンの比較 研究によって,人間固有のl、ゆっくりした発育_lという特殊性が実証的に.明ら か乾されたのである。例えば高等哺乳動物の主要成長期を平均数値で示すと, 長いものでも,ゾウで14∼15年,チンパンジ岬・で11∼12年,オラン・クL一夕ン で12∼14年であると報告されているが,これらに較べ人間の場合紅は19年とな っている。個体差や環境要因に.よる若干の偏差を考慮に入れたとしても,人間 の成長期が格別長いという事実に疑問の余地はない。 人間個体が一人前把.なるまで紅長い年月を要するという事実は,何よりも人 間の「■頼りなさ」を示している。誕生後の人間はど頼りない地上の生物もまず ない。ボルトマンの表現に.拠れば,人間は「確定されていない−1生物なのであ る。ところが,この人間の不確定的・未完成的存在性は,同時紅或る積極的意 味をも有している。それは,言うまでもなく自余の動物に優る脳髄(とく紅大脳皮質)の発達,とりわけ知能の発達という意味である。人間という頼りない (10) 生物の生存ほ,知能の営み,就中予見(予科,未来把持)に.基づいて環境世界 に進んで変更を加え,これを自らの生宿に.役立たしめること「知能的目的行為)
(11) によって辛うじて可能に.なるのである。「歴史」やl ̄文化」や「伝統」が有する
窪みも実はここに.存している。人間の進化は,単に生物学的遺伝紅よってのみ ならず,さら紅本質的に」は,歴史的文化的伝統(これは個体に於て−,学習・記 憶・習慣形成,等を通して思考バク−ンや行動パタ−ンに.影響力をもつ)に.よ って■規定される。ミ/ェ−ラーの記述に拠れほ,人間は伝統に於てl ̄■過去の暗示 (12) にかかる」とも言える。人間にほ,「技術的社会的達成の伝逢」という「新しい (13) 塑の遺伝」が刻印されてル、るのである。かくて「文化」という人間存在の根本 (14) 要因ほ.,「人間の自然的生存条件の一つ」とみなさねばならない。人間がその生 存を維持する紅は,「文化」という栄養源から養分を摂取同化することが必要で ある。(これほ,「文化」に.よる人間の自己培養というぺき現象である。)そして 人間固有のゆっくりした発達は,人間が自らの歴史的文化的伝統(但し通常想 定される如く,単紅因習的或いほ非合理的に機能するのみならず,ガーダマL−・ H.−G.Gadamerが強調する如く,批判的理性的態度の形成すら可能にするも 〈15) のとしての)から養分を摂取同化しつつ心的精神的発達(分節化の進展)を遂 げるための不可欠の要件として意味理解しうるのである。またこのゆっくりし た発達は,動物学者ヘツケル(E.H.Haeckel,1834∼1919)の「個体発生は 系統発生を再演する_】という著名な(今日そのままでほ認められて1、ないけれ ども)テ・−ゼとの連関で考えてみると,人類が長い歴史経過に於て得た,直立 歩行。手の発達・脳の発達・言語使用・文化的人格形成,等の一一連の成長現象 〔■一・種の系統発生〕が,個体紅於て必要最小限の期間紅反復される過程〔個体 発生〕である,とも解釈されうるのである。(蛇足までに付言しておくと,本節 の論述ほ,「歴史」や「文化」や「伝統」が人間自らの形成産物である点を前提 にした上で,逆に.それらの存在制約が人間形成紅及ばす影響面を強調している のである。) §2 世界への開放性一義象カ一般に生物は,一定の環境阻於て生存し生活している。別言すれば,環境と の物理的・生理的作用連関のうちでその生命を維持している。そして普通紅†’環 境」とは,「生態学的状況」(グqレンA.Gehlen,1904∼)を意味する用語 である。そこで動物とくに家畜化されていない野性の動物の行動を考えてみる と,それほ−・一般にり 環境に盾接制約され拘束された行動(反作用紅専念した行 動)であり,同時紅自然本能によって保証された行動でもある。別の観点から (1ぐ) みると,「動物把.於てはそのすべての要素が,そ・の身体の上に居座っている。」 つまり,動物軋は自然本能紅よって導かれる行動パターンがあり,これが動物 の行動紅一席の安定性を与えてし、るのである。そして,このような動物の側か らみた場合,人間は生物学的,形態学的な r欠陥存在」(Mangelwesen)とす
(17ノ らみなされうる。この場合l ̄欠陥」とほ,算・−紅,純粋の自然本能に㌧支えられ
た一定の行動バク−ンの図式性を欠くために.生命の危険すら感じられる,とい (18) う意味である。さら紅貨こに,道具の形成紅よる一部の身体器官の発達停止や 退化現象という形態学的な意味である。けれども,こ.のような人間紅・於ける 「欠陥」ほ,逆説的なこと紅,pOSitiveな強味に転ずるこ.とができる。すなわ ち人間の行動ほ,「世界」(Welt)に開かれた創造的行動(作用紅従事する行 (19) 勤),或いは自然本能的衝動から解放され,意思決定の自由に基づく行動ともな りうるのである。人間的行動パターンの特殊性ほ.,「世界への開放性.」(Welt・ (20) offenheit)に.存している。換言すれば,人間は,「環境_Eに直接的束されない 面を有するのである。 本節では,二つの用語1 ̄世界」と「環境_l(「環境世界」)との区別は.極めて 重要な意味をもっている。「世界」は,直接的具体的には経験されえない。人間 (21) が(感光的に)経験しうるのは,ただ「環境世界_lだけである。「世界」とし ての「世界」は,さしあたりほ「理解しうる理念」(ロ・一夕ツか−,E.RothackeI■, 1888′−1965)である。「世界_l理念は,人間がl ̄環境」を1 ̄環境」として把握す る陰に.,一種の統制的(regulativ)な機能を果たす,とも言える。「環境」は, 常紅特定の生活体との関係把.於て成り立つ相関概念であるが,「世界」は普遍的 な絶対理念なのである。 「環境」という相関概念は,人間の場合にほ厳密紅考えると多義的であるが,大まかに分ければ,自然的環境と文化的環境(歴史的社会的人為的環境)とに 一応区別できる。そして−一般に人間も,自余の動物と同様に,様々の自然的環 く22) 墳(地球上の気候風土,等)の下で生存している点に.変わりほない。けれども, 野性動物の生存が,特定の自然的環境(アフリカ大陸ならアフリカ大陸,オー ストラリア大陸ならオーストラリア大陸)に.於て初めて可能であるの紅対して, 人間(また厳密軋言えば,馴化した飼育動物もー一一定限度内で)の生存は,特定 の環境紅限定制約されずに,地球上の多様な環境に於て現紅可儲となってⅤ、 る。(勿論,文明や文化の諸条件が前提された上での話しである。)それゆえ, レェ−ラーやゲ−・レンが説いたように.,人間は野性動物と同じ意味では「環境」 しご3) をもたない(環境紅距離をもつ)とも言えるのである。けれども,仮に人間が 特定の自然的環境に.拘束されないとして−も,人間自身が形成し来たった文化的 環境をも,人間は超えうるのであろうか。むしろ,特定の環境を超える(環境 に遊離をもつ)という能作さえもが,文化的環境紅於て▲培われた人間知能の特 殊な営みではないのであろうか。このような疑問ほ,く行為>の問題を考慮すれ ば,単なる疑問ではなくなる。く行為>は,「具体的な状況的環境性界」に於て (餌) のみ可能である。人間をく行為存在>とみなし,また人間の環境を「行動的環 (25) 境_】ないしトむ理学的環境」(コフカK.Koffka,1886∼1941)或いは文化的 環境を重層的に.包括するl ̄人間的環境僅界」(ロ一夕ッか−)とみなすならば, (26) 人間は距離をもつゆえ紅環境博界をもたぬ,とするレエ」−ラーーやグーレ∵/の説 よりは.,むしろ彼等紅反論したロー・クッカー説が正しいのである。すなわち, 「人間は,環境世界に〔行為に於て〕束縛されていると同時に〔表象に.於て〕 (27) 距離を置くことができる。」 人間は,「環境世界」に.於て生存し,行為する生物である。と同時紅,人間は, 「環境世界」(当面の状況)のその時々に変動するl ̄かく有る事態」に、左右され ずに,理論上かつ実践上の独立を保つこと,換言すると,その都度の「■状況」 (28) に.引き渡されている受動状態を超えること,もできる。人間が環境世界に.直接 (29) 拘束されず軋,逆に自主的能動的創造的に.働きかけること(また場合によって
は,新たな環境世界に適応すること)ができる,という可能性は.環境世界(状
況)からの可能的自由,環境世界に.対する距離とりや間接的態度とり(対象を対象として客観化する能作−・こ.れは後に.みる如く,表象力や言語と関連す る),そして世界への開放性,という人間の特殊存在様式と不可分離の関係把.あ る。 l■世界」に開かれているという人間的行動パタ−ンの特殊性ほ,シ㌧−・ラ−・ の如く「椅神的存在者_】としての人間の形而上学的精神性を導入するまでもな (30) く,さしあたり経験的に.「表象する」能力を基礎とする,と言うだけで十分で あろう。ところで,表象力の発達ほ,形態学的に.みれば,直立歩行や手の発達 (親指を自余の指と対向させ,物を強く握りうる)を前提とし,また生物学的 発生論的紅は大脳皮質部の発達と連関してもいる。け・れども表象カの本質内容 は,必ずしも−一義的に.規定されてはいないのである。ただ−・■・般的紅言えば,j ̄表 象する_lとは,観念をもつことやイメL−一汐をえがくこ.とを意味する。知覚軋部 分的把.与えられているだけのものを断えず多面的に.補うこと,或いは感覚的に は直接与えられて.いないもの(時間的空間的に.<今・此処>からの感覚儀野を 超えたもの)紅よって知覚の直接与件を補完すること,つまりいわゆる想像 (Imagination,Phantasie)の能作が,表象カの重要な機骨Elである。想像力ほ,
(き1) 「人間に・特有な性質」であり,「創造の根源_lとさえも言われる。仮に.「表象す
る_lという高度な能作の芽生えが自余の動物に.あるとしても,・それは人間紅於(32) けるその能作の程度とほ比較にならないであろう。とく紅人間でほ,「表象」ほ,
§4でみる如く言語を介して,或いは.言語として「概念化」される。そしてそ れに.伴って,単なるi ̄表象」(知覚,想像)の段階から抽象的思考(概念的。カ($8) チ∵プリ一的把撞,判断推論,等)への進展がみられるようになる。こうして人
間は,さしあたり「表象生物」であり,「主観的な世.・界」を有している,と言え し3▲い る。但し,主観的世界を有するということは,単に.ego−Centricな主観的思念 (仮象)のうちで生きることだけを意味するのではない。いわゆる学的客観的 認識もまた,それが人間自身に.よる認識である限り,或る意味で人間の有する (85) 主観的世界を離れては成立しえない,とすら言えるのである。勿論その場合, 例えばスピノザ(Spinoza,1632∼1677)が,表象知(imaginatio)より高次の理 性知(Ⅰ・atio)の段階で初めて必然性〔例えば因果関係〕の普遍的認識〔学的自 然認識〕が成り立つと考えた如く,主観性(Subjektivitat)の有り方により高い知の普遍性が付与せられねば,学的認識は成立しない,とも言えるのである。 ただ此処でほ,「−表象」に関する経験心理学的,或いほ現象学的な綿密なる分析 はさし控えておきたい。また一・般に,知能活動(知覚,直観,理性,統覚,等) (36) や或いはシェ−ラ−が「理念化作用」(AktderIdeierung)と呼ぷ高次の「精 神」の機能,等々に.関する立入った分析も保留しておきたい。 §3 自己再帰隆一自己制御 人間固有の可能的存在様式を特徴づけるもう一つの、エレメントは,人間が自 分自身を】 ̄表象」に.よって捕捉された劇偶の対象として把え,それを算三者と
(37) して自分と対置しうる,というこ.とである。人間ほ,自己他在的な館三者の立
場に立って,自余の対象や出来事と同様に眉己自身をも観ずることができる。 これは,人間の特殊な存在可能態である。人間ほ,egO・Centricな自己意識の 事実態に留まらず,さらに自己対象化的表象の可能態に.進み,客観的な立場に 立って自分をみうるようにもなる。へ−ゲル的解釈に拠れば,このような↑対 (88) 象化」はr自己疎外」(Selbstentfremdung)の一形態とみなされるけれども, われわれほ人間の立場(anthropo・Centric という意味ではない)から,「対象 化」(「自己対象化」も)を人間固有の positiveな可能性として理解しておき たい。「表象」に於けるこの高次の可能性(自己認識の可能性でもある)は, 人間の対自的またほ超自的な存在様式を示している。因みに,プレッスターー (39) (Plessner,1892∼)が人間の根本規定とみなす「脱中心性」(Exzentrizitat)な る存在様式(動物が中心的に生きるの紅対し,人間ほ脱中心的に生きる,と言 われる場合の)も,自己対象化的な対自的超自的存在様式を前提にして初めて, その積極的意義をもちうるのである。 プァインは,この「人間の,自分紅距離を置く能力」のことを「再帰性」と (40) 呼び,またロ′一夕ッカ−は,それを「自己を向かいに.立てるという自己解放的 (41) 能力_iと理解している。「表象」に於て可能なこの段階紅至って初めて,人間の 自我意識を内包する意識する自我の自律性(Autonomie)が確立されてくる。 自我は,意識するだけでなく,さらには意識する自我それ自身をも意識する。 (動物ほ,植物と追って意識は有するが,意識する自我の意識ほ有しないであろう。)こうして,既紅カント(Kant,1724∼1804)が明言した如く;「人間が その表象のうちに自我をもちうるということは,人間を地上での自余のすぺて (l131 の生命存在以上に.無限軋高める」こととしても解釈できるのである。自己客観 化的・対自的意識態,或い濾再帰的・自己省察的意識態附この高次の意識存 在態の次元に.於て,自律的主体としての自我が,自余の存在物,対象世.界匿対 する一一方の極として自覚定立されてくる。すなわち,主客の未分化状態を打破 るこの段階に.至って,自我極(Ich−Pol)と対象世界の極(Gegenstand・Pol)と への分極化現象が顕在化するのである。〔因み把.,この分梅化を世界観的紅確定 した哲学的表現の典型が,かのデカルト(Descafte,1596∼1650)軋於ける二 元論(dualism)−reSCOgitans(思惟する物)とres extensa(延長した物) (43) との二元定立−である,とも解釈できよう。〕 この場合,自我極の成立を,フロイト(S.FI・eud,1856∼1939)の学説紅拠 (44) って,「超自我」(super・egO,Uber・Ich)の形成過程として説明することも,確 かに.一つの可能な道ではある。け・れども此処では,観念論的反省哲学(とくに. ドイツ観念論から現象学に.至る一つの道筋)の轍を踏んで,自我論究の藩無限 (補注) 的反省に陥るようなことは避けて∴おきたいと思う。 ところで最後に,自我の自覚的意識に.伴って,人間に.特徴的な行動パターン が成立する。いわゆる目的意識把基づいた知能的行動,目的行為がそれに他な らない。勿論,自余の動物の行動バク・−ンをも,合目的性(Zweckmaβigkeit) のカテゴリ一に.よって理論上説明することも確か紅可能ではある。けれども, 今われわれが重視したい点は,客観的に魂た合目的性(アリストテレス紅於け る自然の合目的性)ではなくてニ,目的意識(デイルタイ紅於ける「主観的内在 的合目的性」のエレメント)の有無という点なのである。また,へノレダーの如 く,動物の目的論的適合性を認めるとしても,それは前述したように,環境世 界に.直接束縛された行勤バク・−ンの次元紅留まるのである。物理的な身体運動 が,環境世界紅対して距離を置き,しかも遠くの目標を目ざして制御された目 (45) 的行為たりうるのほ,やはり自覚的再帰的意識と意思の自由決定性を伴う人間 的行動パターンに於でである。〔この点については,人間的自由の問題と関連さ せて,後の機会紅立入って論ずることにしたい。〕
さて,自覚的な目的行為(目的意識を伴う点紅於て,習慣的行為や遊戯的行 為〔こ.れは動物でもみられる〕から区別されうる)という人間的行動パターン (4り にほ,ポッパ−(K.Popper,1902∼)が「柔軟規制」(plastic control)と呼 (4ア) ぷ一種の統御システムが伏在している。これをわれわれほ,‘‘feed back”をそ なえた制御として説明することもできるであろう。その場合,人間の行動バク −ン匿於ける目的論的或いほ合理的な制御が遂行される上でとりわけ重要なモ ーメントは,言語の進化によって成立することを得た抽象的意味の働きなので ある。抽象的意味ほ.,断片的な或いは系統だった理論や仮説を構成し,意識(心 的プロセス)を通して,具体的な行動に働きを及ばす。この意味の働きかけ(一 種の「精神的作用連関_ト…岬ディルタイ,Dilt‡1ey,1833∼1911)に.よって,合 理的かつ批判的に問題解決(最も切実なのは生存問題の解決)や目的実現紅向 かう自覚的行動(洞察力ある行為鵬ボルトマン)が可能になってくるのであ (48) る。こうして,人間に於ける自覚的目的行為の成立要件(少くともその重要な 一つ)ほ.,言語と結びついた意味的観念操作に.よる自己制御(self−COntrOl)で ある,と言ってよいであろう。そして,敢えて逆説的なレトリックを用いるな ら,「人間が動物とは違って,まさに.もはや生物学的紅〔したがって客観的に.〕
(49) 合目的的に構成されてほいない」(傍点筆者)からこそ,人間という「確定され
ていない」生物ほ,こ.とさら〔主観的に.〕意識的な目的行為を必要としている, という塞からみた解釈もできないことほないのである。 註 釈 (1)筆者自身は,ディルタイと共紅人間(体験主体)を根本から歴史的存在としで理解 しているので(例えば次を参照。Dilthey,GesammelteSchriften,Bd.7,S.291), このような「統一、的理念」を静態的観点から定立することは一層の理論的fiction(或 いはクェ−バ−M.WeberのIdealtyp11Sの如きもの)だと考えて−いる。但し,歴 史を超えたものが一切存在しない,と主張するのではない。(2)ScheleI,Die Stellung des Menschenim Kosmos,Gesammelte WeIke Bd.9, S..11,『レェ・−・ラ一著作集13』16頁。
(3)この用語は,地球中心的・人間中心的な世界観を背景に.しているかの誤解を招く。 なお,シノット『人間・椅神・物質』欝一茸を参照のこと。
(4)Vgl.,Gehlen,Der Mensch,S.83
(6)「宇宙は人間のまわりをめぐって回転するものでも,人間が創造の最高の嶺だとい うのでもなかった。」シ′ノット,前掲番,278貰。
(7)Scheler,Die Stellung des Menschenim Kosmos,G.W.,S,27『シ,=−・ラー
著作集13.』40貫。
(8)ここで取り上げるメルクマール以外にも,「社会性」や「歴史性」その他の存在制 約が全体的に.複合して,人間の特殊存在様式を形成しているのであるが,それらの主
題化は他の機会に譲ること紅したい。
(9)BiologischeFragmentezu einerLehrevom Menschen,1951,邦訳『人間はど こまで動物か』岩波新富。
(1α 「すべての生活ほ予見に.,或いはこう言ってもよいが,帰納匿.基づいている。すべ ての端的な生活の存在確実性がすで紅,最も原始的な仕方で帰納的な働きをしてル、る のである。」Husserl,Die krisis der Europ畠ischen Wissenschaften und die
transzendentalePhanomenologie,§9,h).usw.(Husserliana,Bd.ⅤⅠ,S・48ff・) フツサ−ル『ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学』中央公論社,412貫。 仙 グーレン『人間学の探究』26賞,参照。 任2)Scheler,DieStellungdesMezISChenimXosmos,G・W・,S・26,『vェーラ一 着作集13』38煮。 個 ルイス『人間,この独自なるもの』65貢,参照。 色亜 グーレン,前掲寄,26巽。 (15)H.−G.Gadamer,WahrheitundMethode,SS.264−266,および拙稿「言語と反 省」(『香川大学教育学部研究報曽』Ⅰ部45号)128貫,参照。 ㈹ ロータッカー『人間学のすすめ』213貰。 u7)Gehlen,DerMensch,S.20,およびロ−・クッカー・,前掲召,73貰以下,参月鮎 は8)グーレン『人間学の探究』37貢,参照。 (19)但し,衝動拘束と自由行為を対立させることへの批判がある。例えば,Gehlen,De工 Mensch,S.338ffり或いは,高等動物や人間に.於ける「本能から解放された衝動」
の指摘もみられる。Scheler,Die Stellungdes Menschenim Kosmos,G・W・,S・
26,人間紅於てこほ,変様した衝動形態(椅神的知的衝動〔これは人間の幼児に・もはっき り認められる「関心」Interesseという徽候と結びついているように・思われる。〕とい ったものさえ)が載られる。これは,「欲動過剰」(Antriebsuberschuβ)として(Gehlen, Der Mensch,S.356ff.)または「無節制の地平」(fIorizontderMaβlosigkeit) として(ScheIer,Op.Cit・,S.26)分析される。 醐 「世界開放性」という規定は,シェ、−ラ「以後の人間学では人間存在の根本規定と
なった。Vgl.,W.Schulz,Philosophiein der veranderter.Welt,S・428,また
の規定との連関で「重荷からの解放の法則」(EntlastungSgeSetZ)が提示されるが, それについては次を参照のこと。Vgl.,Sch111z,Op.Cit・,S・444
佗2)但し,人間は,現実紅ほ「文化」というクッショーンを通して−自然と関わっている。 (2謡 ニデー・レン『人間学の探究』30貢,参照。
(24)ロ−・タッカ・−,前掲番,254賞,参照。
(25)K.Koffka,Principles of Gestalt Psychology,1936
「26)Scheler,Die Stellung des Menschenim Kosmos,G.W.,S.34『vェ.ラー著 作集13』51貰,参脛。 閉 口ータッカー・,前掲審,234真。ここで「距離」とほ,「思考距離」(「認識的距離」) だけでなく,さら紅「価値に関わる距離」或いは「倫理的−・宗教的一形而上学的な距 離」(理念=「導きの屋」の設定岬人間と動物の根本的違い)をも含意してこいる。 同番,234′}238頁:,参照。 (28)ロー・タッカ−,同番,201貴,参照。 (29)人間は「環境に盲従しないで,計画的にそれを変え,そして支配する唯一の動物」 である。ルイス,前掲沓,65貢。「動物がその環境に継続的な影響を及ばすとしても, それは故意に行われるものではなく,その動物自身にとっては全く偶然のことなので ある。だが人間が動物から遠ざかっていくにつれて,人間の自然に及ぼす影響は,前 もっで考え.た,一定のはじめから知られた目的に向けられる計画的な行動という性格 をますます帯びるようになってくる。」エンゲルス「猿の人間化における労働の役割」 (『マルクス・・エンゲルス選集4』新潮社)14貫。 (30)Scheler,Op…Cit・,SS・31−33,『レェーラー著作集13』46−51貢,参照。 (31)レノット『人間・楷神・物質』144貫,参照。 ㈹ ボルトマン『人間はどこまで動物か』93貢,参照。「動物が表象し感覚しうるもの は,その環境構造に対する生得的な本能の関係に.よってアプリオリに.支配され,規定
されて−いる。」Scheler,Die Stellungdes Menschenim Kosmos,G.W.,S.20
(33)こ・のような人間の精神構造の進展を記述した哲学的表現の典型例は,ヘーゲルの
『栢神現象学』である。Vgl.,Hegel,PIほnomenologiedes Geistes,1807
(弛 グーレン,前掲番,34克,参照。
(35)客観的学(学的認識の客観性)を「生活世界」(日常世界に.於ける相互主観性InteI・ Subjektivit5t)の次元に基礎を有するものとみなす,現象学的方向を想起すればよ
い。Vgl.,Husserl,Die Krisis derIEurop去ischen Wissenschaften und die transzendentale Ph紬OmenOlogie,§34,e),f),uSW.(Husserliana,BdVI,S. 132ff・,Su135ff.) 伽)その純粋の結実は,数学紅於て新著軋みられる。Vgl.,Scheler,Op.Cit.,S.40f. 即 ボルトマン,前掲番,94貢,参照。 C38)Vgl・,Hegel,Ph蝕OmenOlogiedes Geistes,Hoffmeister(Hrsg.)S.347ff., USW
(39)Plessner,Die Stufendes Organischen und der Mensch,S.288ff.,S.309
(4切 口一夕ツカー・,前掲寄,201頁,参照。 ㈱ ロータツカー,同=乱225貰,参照。
匝2)Ⅰ.Xant,Anthropologiein pragmatischer Hinsicht,§1(KantWeIkeinzw81f B去nden XII,Suhrkamp,S.407) (姻 デカルト『方法叙説』第4部(「英知的本性」と「物体的本性」の区別に.関して)ま た『哲学原理』第1部48(「思惟サーる実体」と「延長ある実体」の区別),参照。 舶 フロイト「自我とエス」(フロイト選集,寛4巻,日本教文社)参照。 個 『猿の人間化における労働の役割』で人間起源を論じたエンゲルスが,猿の人間化 紅おける基本要因(人間と自余の動物とのすべでの差異の発生源)として一周して強 調する労働的活動〔道具の製作と共に始まった労働が,手の発達と言語の発生を促し たとされる〕も,より本質的にほ目的行為としてこ理解しうる。そして.,労働が人間を 動物から区別するというよりも,目的行為を制御する目的意識性が両者を区別すると いう方が,より正確である。(例えば,耕作紅従事する牛馬の活動は労働と言えるであ ろうか。もしそうとすれば,飼育動物と人間ほ,「労働」概念に.よって:ほ区別されえな い。労働が,目的行為としての労働でありうるため紅は,目的意識性という一・種の観念 的契機が伴っていなければならない。)因みに,『猿の人間化‥・』(l”””Menschwerdung deIAffen)という標題は誤解を招く。最近二の研究では,猿が人間紅進化したという よりも,何らかの共通祖先(現存の猿と同一・では.ない)系列から,人間と猿とに分化 し来たったと解されるからである。 (46)Popper,Ob.iektiveKnowledge,1972(Reprinted,1974),p.232,etC ㈹ フィー・ドバックとは,或るシステム(生活体)が,変化する環境の中で,目的達成 行動を果たすために.ほ,自己の行動を自律的に.制御せねばならぬが,その場合,最初 に,与えられた行勤の庶型(arche−type)と実際紀行われつつある行動との差匪ンついて の情報をもとにしながら,未来の行動を修正し,そのことによって目的紅適しいよう 紀行勒を規制していくこと,を−・般に意味して:いる。人間に於で,行動の制御装置の 中心機関(コントロール・センター=情報処理機関)は朗ack box(暗箱)としての脳 である。聾者は,いささか研究を積んだデイルタイ紅於ける「牡得連関」(e工WOIbener Zusammenhang)とサイ/くネタイツクス理論に.於けるblackbox(その内部機能は.ま だ解明されていない)との間に.,重要な関連性があると予想している。デイルタイは, 「牡得連関」紅ついてこう述べている。「狂得連関ほ,・…極めて微細紅また強く統制 力を発動する。」また「桁神活動のこの連関〔狐得連関〕は,意識の直視点に.ある諸表 象や常状態に.作用を及ぼす。この連関ほ,われわれ紅麓得され,かつ発動しながらも,
しかも意識にのぼらないのである。」Dilthey,Dichterische Einbildungskraft und
Wahnsinn,Gesammelte Schriften VI,S.95,さらに,「内」と「外」との不分明
な分岐点も,こ.の「麓得連関」やblack boxのうち紅存していることも予想される。
両者の比較研究によってこれらの予想を裏づけることは今後の課題である。
問題」と呼び,古典的な身心問題としての「デカルトの問題」と区別している。Cf.,
Popper,ObjektiveKnowledge,6,丈ⅠⅠ,p.230 (49)Schulz,Philosophiein der ver細.derten Welt,S.424
(補注)これをくいとめるための一つの理論的方策がく実体論的自我>の形而上学的定