慣習法って何だい。 さあ、〓盲で巧く言ひ素はすことは容易でないが、解り易く富へば﹁制定に依らず慣習に基いて存在する港律﹂ とでもいふかな。制定に依らザといふのは、普通の法律のやうに試食の協賛とか天皇の裁可公布などゝいふ形式 尋糖を経すして出来上るといふことで、慣習に基いて存在す.るといふのは慣習が内容となり基礎となるといふこ とだ。 では慣習といふのは。それから協賛裁可公布など1いふ手紙が不要だとすれば、慣習は椙密のま1で港律にな るとでもいふのかい。 慣習法と法の本質
慣習法ヾ﹂法の本質
−⊥朝撃者へ の入門ビLて
清 水 谷 隆 寛
︵二九︶ 二九蜜はそこがむつかしいところなのだ。 先づ慣習の意味から詮明しよう。 日本では結婚の際に、三々九皮の盃といふ奴をやるだらう。始は誰かゞ定めたものだらうが、今ではそれとは 無関係に唯民間の﹁ならはし﹂として全紺〓般に行はれてゐる。叉日本の祀服として、日本人は結締式や葬式には 必つと紋付と袴を着用するだらう。叉旗館へ宿れぼ大抵は茶代を温くだらう。此等も別に誰が定めたといふ繹で はなからうが永年の慣行として観内山般に行はれてゐる。慣習といふのはかやうに何時からともなく叉誰が定藍 たともなく永年問披行されてゐる行為不行鵠をいふのだ。日常の言葉としての﹁ならはし﹂﹁慣行﹂などは之と同 意並のものである。尤も慣習の行はるゝ範固は国際配合といふやうに庶きに亙ることもあれば、叉二闘とか仙地 方とか或る職業とかいふやうに狭い範囲に限られることもある。叉内容からいつて慣習の関する番項は、外交政 − 治など1いふやう應困窮生活に関することもあり、婚姻とか取引といふやうに赦禽生活に関することもある。従 って種類も多く範囲も院々であるが、永年間借行されてゐるといふ鮎に於ては軌を叫にしてゐる。そこで単著は 慣習を定義して、輯家問、国民間、地方佳良問、或る職発着間、或る階級著聞に永年問粒行された行薦不行為で あるとしてゐる。永年問糖行された行馬不行為の集積、その結果とLて人の行馬の犠則となつたもの、之が党づ 慣習といふものだらう。 慣習の意味はよくわかつた。だがまさか慣習がそのま1で法律ではあるま、い。鴨召が慣習法たる灯は何か傑仰 があるだらう。 弟十−春 希 劇 渋 ︵三〇︶ ≡○
その通りだ。慣習が慣習法ぉるには強要し得る慣習でなけれぼならぬα強要L得る慣習といふのは他人に射し そ秒内容を強制蓼求し得るといふことで、その結英としてその他人にはその要求を容れることが義務である場合 を云ふのだ。抽象論をしてもわかり難いから例歓畢げて見よう。前例の茶代だが、あれにはこの張蟄性がない。 茶代を置かないからといつて、旗館に請求の樺利がある詣ではなく、客忙も義務造反はない。かやうな慣習は慣 習法たる資格のないものだ。紋付袴の慣習もどうかといへばこの部難だ。ところが三々九靡の盃には強要性があ る。三々九慶の盃をした者は、戸荊吏への届出をしなくとも、せ間では夫婦と認めて呉れる。傾りに妻が姦通を したとして見紛へ。世間は琴々として之を非難するよ。これがその誇嬢だ。即ちせ問些二々九慶の盃をした者k 封し相互に夫婦としての礁利あり義務盾りと認めて屠る。三々九慶の盃はこの意味で慣習迭たり得る慣習だ。も う山つ慣習法たる資格ある慣習の例を出さう。他人に土地を貸した場合に、其の後租税その他の公課に増加があ り、又は地傾が騰嘉し、又は比隣の土地に比し地代が安くなつた場合には契約の條件に拘らす賂釆に向つて地代 を増融し得るといふ慣習がある。増顆し得るといふのは増額を仙方的に決定し得るといふことで、この慣習には 艶姿性がある。即ちこの慣習には法たる資格がある。単著はかやうな慣習を法的内容に関する慣習であるとか、 権利確信の件ふ慣習であるとかいつてゐるが、慣習法たる慣習には常にこの件質が憤ってなければならぬ。 では、この仲野を備へて居れぼ慣習はすべて憤督放たり得るといふのだね。 僕自身は少くもさう思つてゐる。ところが山般の単著は必ずしもさうでない。斯謂通説は、この外に伺二つの ◆ 慣習法と法の本質 ○ニー︶ ニ〓
遵守を誠嬰し得るといふ筋∴の性質と、公序良俗に反しないといふ鋳二の性質を備へて屠れば閥家はその慣習
を全部承認するといふ意味に於て観家の承認といふ條件を通説は盤げてゐるのかといふのだ。
香、さうぢやない。第一弟三の條件を僻へたもの1申開家の承認したるもの∼みが慣習法となるといつてるの磨。今日のやうな成文法の時代には観衆は現に樺山の成文法を持ってゐるから、成文法の不備を補ふ矯めか、成
第三容 発心沸
三二︶ ≡二億件を潟げてゐる。その叫つは公序良俗に反しないといふこと、その二は園家の承認といふこと、これがそれで
ぁる。公序艮俗といふのは法律で‖よく使ふ百薬で、その申公序といふの竺般釜ハの利益、良俗といふのは其の
時代、其の場朗に於ける遺徳観念皇息昧してる。一般公共の利益と時代の道徳観念に反してはならないといふの
がその鵬つだ。だが、これは法の理想であつて、時代の推移に伴ひ成文法でさへこの性質を失つて行くことがあ
る。香、始より全然之を備へざることさへある。悪法も文法なりといふのはこの轟だ烏ガからこれを傑件とする
のも怪しなものだ。それは兎も角として第二の條件たる観衆の承認といふの咋闘家の承認がなければ法には▲なれ
ないといふのだ。自然に囲する肇のみが炭の法だといふ自然法の考へも随分欒な考だが、国家の息のかゝつたも
めでなければ放でないといふのも建な考へさ。兎も角慣習法たる馬にはこの三の條件を具備トなけれぼならぬと
いふのが通説の考へだ。
劇寸伺ふが、さうすると第二破堤鱒二の條件と琴この僚件とはどういふ紬備に奉るのかね。
といふと。文法よりも憤習迭に超はせることを安富とする場合の外は恨習法を承認はトない◇従つてその範囲も囲に依って
兵り、方法も観によりて同じくない。日本の場合を云ふならば、日本に於ては﹁法令ノ規写−依ヴテ認メラレク ●ル場合、叉ハ法令ニ規悪政ケク空琴合テ限り憶智ハ法律卜同義カヲ﹂凰興されてゐる。こゝに法令の規定に依
り認められたる坂合とは、例へぼ民法弟二百三十六億が同第二百三十測候の、塵物を築出するには彊界級よゎ二
尺五寸以上の距離を焼せといズ規定を受けて前二億正典る慣習あるときは其の慣習に綻ふといつてるのがそれで
ぁる。それから法令に規定琴き禦。に於ける慣習とは、前に奉げた地代の借上に関する慣習がそれである。公課
の増加其の他に関する費用の増加ある場合に於て、契約の條件に拘らす、地代の値上を請求し得るといふ撥利は
借地法施行慣域に於ては成文の閲家法となつてゐるが、他の地域にはかやうな成文法はなく逆に同高容の慣習
が存してゐる。
條件相互の開係はよくわかつた。だが、通訟のいふところにも何だかまだ遭痴があるやうな戴がするがどうか
しら0いや、それは大間逮ひだ。通詮は法そのものに封する考からして根本的に聞達ってゐる。法例第二傭の閉篭と
しても解鐸に又重大な誤がある。同債は・﹁公ノ秩序叉ハ善良ノ風俗二枚セザル慣習ハ法令ノ規軍産リテ認メラ
レタルモノ及ビ法令ユ規定ナキ事項三関スルモノ1庭り法律卜同ブ効力ヲ有ス﹂と云ってる。同僚は閑寂の立勒から慣習の慣個別断をしてゐるだけで何虚にも本傭の條件に常飲る慣習は之を慣習法とするとは云ってない。
憤習法と淡の本質 ︵三≡︶ 三三第十︼金、発 ︼ 況 ノ ︵き担︶ 三四 殊に本億の條件を愉ふるととに依少成文法と同工効力を輿へられる慣習ほ始めから線的内容に閲する慣習であ る。それ白煙既佗内に強要性を持ってゐる。国家の承認の菊無はこの性質に何物をも加ふるも紆でなく叉滅する ものでもない。慮守を弧要し得る性質、即ち艶要件を酔って居る限り慣習はそれ自照郎に法律だと供は思ふ。瑛 に商法第一備は、普通なら慣習と云ふべき應を、慣習法と云ってゐる。尤も南淡第二僚の﹁商婁一−・開シ水洗1こ規 定ナキモノニ付テ︵商慣習法ヲ適用シ商侶暫訟ナキトキハ民法ヲ適用ス﹂といふ條文については、同債は法例第 二條に射する特例を愛めつ1同時に法律の適用順序を定めたものであるから、特に慣習と云はやして慣習法なる 言葉を使ったとも解絆される。併し昔々の立場から解稗すれば、明に強要性を愉へてゐる憤習は、閲家の承認な くとも、それ自鰹法で 慣習法の成立に閥家の承認が不蓼だといふ君の見解は大鰐了解した。併卜君の見解の論梯となつてゐる﹁円に 強要性を具へてゐる慣習は、聞家の承認がなくともそれ白腰が法だから﹂といふ鮎については未だ充分の了解が ● 出来ない。この鮎についてもう少しく紛明が願ひ慶い。 宜しい。この鮎は本間題解決の鍵ともいふバきものだ。さうしてそれは同時に法の本質に関する開局だ。これ から少し詮明して見よう。 〓
今度は僕の方から聞ぐが、常は∴餞﹁法﹂をどんなものと考へてゐるかね。 さあ、そう改ま・つて聞かれると返答に困るが、衆人考では放と云へ.濾、何となく強制的なもので、圃家といふ か、政治的植力といふか予何かかういふ梗力と繋がりのある規則のやうに思へるね。 無理もない考腎今8法と云へば、国家か闊家内め自治囲髄が制定したものが大部分であつて、此等はすべて 閑寂の持つ政治的な横列に依って支持され強制されてゐる。併し、政治的櫛力と不可離の紺備にあるものでなけ れば法でないとするとJ差嘗り閥際法は法の〓異聞念の申に包擁せしめ得なくなるC国際法はその強制の横様を 国家の横力に竃くものでないからである。尤も僕の此の見解に封しては、開家を以て法律秩序と見、法律秩序と 由家とを同二些観念せんとするケルゼン流の図表親からは非難を受けるだらう、法と政治的僚力とは歴史的に不 可離の閲係にある。政治的標力によりて支持される規範のみが放である。閑除法を法として概念せんが薦め本来 法に内癒せる政治的要素を駆逐せんとするが如き以ての外である。政治的樵力より分離し歴史的関係より▲訪離せ る法概念は到床尾の法概念たり得ない。まあこんな非難が加へられるだらう。併し僕のカから云へぼ同家と法律 秩序とを同一だとする彼等の論嬢自鰭が問題なのだ。供の考へにょれぼ、法は固家たのみ特有なる現象ではな い。法は、眈に図家以前にも存し、閑寂以外にも存してゐる。唯此等の法は、閲豪健力に依って緋持せられる蜘 療法程の強制力を持ち得ないだけだ。 団家と法律秩序とを別個の概念でをるといふならば君は観衆をどういふものと考へてゐるのかね。 ● 慣習法と法の本質 ニュ五︶ 三五
供の考では、問家は政治的橙力に依って統制されてゐる祀倉であると思ふ。氏族融愈は血縁を紐帯とし、血族 愛に依って統制さ 鎖経済に止ることを不可能ならしめた。即ち人口の増加から来る負櫓の歴迫を免れ、増進ノせる拝啓的欲望を満足 せしむる馬には、交換援臍を可能ならしむる、より大なる酢愈が必要であつた。この必要は血縁によつて繋がれ ぎる、革に地域を同じくすること1、経済的なる協働関係から結び付いた異民族異種族より成る大耐命を成立せ しめた。それは明に氏族敵倉の解鰭を意味する。而るにかLる計骨ば血縁によつて繋がれざる酢愈であるから、 此の赦愈を統制し之に秩序を興ふるものは力の外忙ない。この力によつて統制されてゐる敢愈が即ち閑寂であ る。国家はこの力を利用して敢愈踊係の外的形式たる法を制定し、この力によつて之を支持する。故に閥家に於 ては、法は、敢食用條の外的形式たる各程庇昏的鋭敏中の首位を占め、他の抽象的規範の上に慣低利断を行ひ、 敵愈の秩序を殆んど猶占してゐる。しかし、図家は赦禽関係の外部形式として法を探崩せるに止り、法律秩序廊 観衆ではない。法は駅家以前の氏族敢愈にも存し、叉観衆以外にも存してゐる。 すると、君は法の本質を何鹿に求めようとするのだい。叉国家法以外の放といふと仙鰹どんなものだ。 供の考では、汝の本質は法のみのもつ放の強要性にあると思ふ。法の弧変性とは、之を迩守骨ざるものに封し 運守を弘要し得ると・いふ性質である。宗教的戒律や道徳には之の性質は備ってゐない。面白い例がある。もう十 粗五年前のことであるが基合祀が、木内共に判して、金銀横棒を樟つてゐて、それが判決で確定されてゐた。しか 弟十三管倭押 劇 濾 ハ三六︶ 三六
● しその後人正六年五月八日に合歓と木内との間に債務の新釈について、即時金石五園を玄孫ふこと、六月十日ま でに金囲十五聞を支彿ふこと、蔑額については木内が徳義的に任意に支排ふ、愈敢は之に封しては強制的に安沸 を請求しない、といふ契約が出来たっ然るに脅酢はこの契約に反して右の雄編につき強制執行をしようとした。 大審院は之に封して﹁徳義上任意干支彿ヲ受クべキ債槽ナルモノ存在スルコトナケレバ、⋮⋮:之ヲ徳添上真珠 フベずモノト焉スノ契約成立シタリト認メタル以上ハ、此部分二付キ債樵ノ拗棄アリクリト馬スべキモノ﹂だと 判示した。︵大審大正十年六月十三日判決︶此の判決に封しては反封諭もあるが、僕は法と道徳との隔別をよく認 識した名判決であると思ふ。養務者を狽要し得ないやうな樵利、横利着から強要を受けないやうな我務は法律上 の健利兼務でない。法律上の椎利義務従って法は、之を遅守し紅い場合に於て之を弘要し得又は強要を受くべき 性質のものである。法の本質はこの強要性にある。併し強要といつてもそれは制裁を意味するのではない。旗に は制裁を伴ふことが多いが、之監件はぎるものも抄くない。併し制裁を件はなぐとも捷はその支持者から弧制的 にその運守が貨求せられ、法が偶人に要求の倍利を輿へた場合に於てはその硬利者は法律上その童務者に封し強 制的にその超守を要求する可能力を持つものである。この鋸を供は法の強要性といつてゐるヤ終解を避ける蔑め にこの﹁強制的に﹂といふ言葉にもう少し説明を加へて濃かう。弘制的にといつても、それは韮繚者が之を▼責苛せ ざる場合に於て、常に債務者の肉腰又は財産に封し強制手段を許すといふ意味ではない。又常に強制嘗現が可能 だといふ意味ではない。強制資魂が可能なりや、弧利手段が許さる∼や否やは童籍丙容の性質如何、その強制が 慣習法と汝の本官 ︵三七︶ 二三七
︵三八︶・ニ仙八 第十一巻〟 琴−躾 公序良俗に反するや乱や、もう血つ法を支持する酢倉力の醸さ如何にか1つでるっ金銀債務の如きは慨質上強制 が叶能であ㌣綺を誘く債務は性質上強制は不可隊である。金線胤務は金銭を弧制的に債務者より取上げ債樵斉 に灸付すれば債膝は目的を達し得るに反し、給を轟く阻務は強制的に之を履行せしむるも車術・品としての慣倍を 持ち得ないからである。臆人の薦めに努綺を提供することを内容とする雇傭契約上の債務は多くの場合に強制履 行を可能とするJ併し強制的に履行せしむることは﹁般公共の利谷にも反し、少くも時代の道徳戟念には反して 各。婚姻後約の履行を撃制することは債務の性質からいつても公序良俗の方かちいつても許されない。民法第囚 百十四偲ば同様の趣旨に於て、債務の性質が之を許す場合には憤横着は張制執行に依り債櫻の満足を得べき旨、 債務の性質が之を許さゞるものについては代替執行に依るべき旨を定めて左の如く寄ってゐる。 債務者汐任撃一債務ノ履行ヲ馬ササルトキハ僑椎茸ハ英独制履行ヲ裁判例孟宗スルコ斗ヲ得但債緒ノ特質カ ︶ 之ヲ許ササルトキハ此限二在ラス 偵務ノ性質オ弘制履行ヲ許サ・サル場合三称号五ハ債務力作馬ヲ目的トスルトキハ債樺者ハ債務者ノ費用ヲ亘ア第 三者主之ヲ篤サシムルコトヲ裁判所一一請求スル′コトヲ得但法律行為ヲ目的トスル債務言付テハ裁判ヲ以テ債務 者J意思表示一卿代フルコトヲ得 不作馬ヲ目的トスル債務二伸テハ債持寄ノ費用ヲ以テ其璃シタルモノヲ除却シ且将来ノ馬メ通常ノ魔分ヲ馬ス コトヲ請求スルコトヲ得 ■
前≡項ノ規定ハ損宰賠償ノ請求ヲ妨ケス 偵務の性質上は許されても、髄制が公序良俗に反しなくとも、之を支持する敵倉カが弱ければ嘗甥は叉困難とな 畠。陶家法を除けぼ他の敢脅の迭はこの鮎について遺憾がある。要するに強要と御裁、弘要と強制驚現とは錮偶 の観念だ。・ :叫寸待つて貰ひ虔い。強制といつても強制賛現の可能藍息味しないとすれぼ、その緯度の強制なら道徳にも宗 教的戒律に⑥ついてゐるぢやないかしら。背徳行為をすれぼ軟骨は非難をする。乗数的戒律に背けば信者仲間か らは療折されるだらう。これは立派な制裁だ。すると道徳も宗教もかういふ制裁を以てその遅守を弥要してゐる ′ ので・強要性絵法律のみの特異性ではあるまい。 成程∵叫應はさういふことも考へられる。けれども宗教や道徳の歩合には唯遵守が要求され▼てるだけで、遵守 王ない斉ある場合に於てもその迩守を外部の者が弧制的に要求し得るかといふとさうでない。此等の規範は道徳 の場合疫ぬ遵心、素数の場合には信仰が内部から心理的に本人を強制して之を賛現せしめ七ゐる磨けだ。若し外 部からの親御要求が許されるとせば、それは道徳宗教たると同時に法であるといつてよい。他人を殺す勿れとか 盗む勿れといいふ道穂規範偲今日に於ては道絶域範たると同時に宗教規範であり文法でもある。道徳、宗教、.法律 など㌧分化する前の氏族敢倉の原始敢愈規範も叉これだ。その現変性ある鮎に於て氏族政令の原始規範は叉之を 法と呼んでよい。飴談だが僕は通論に反し原始規範は珊の柿威によつて即ち倍利巧よつ、て維持され.て.はゐるがト ︵三九︶ 童九 慣習法と港の本質
その意味に於て宗教的規範とも云へるそれ自照は法でこの淡から弘勢牲を具へざる宗教規範即ち純粋の宗教 規範及道徳規範が分化したのではないかと思ふ。法光春設だ。国家以前に法ありとなす見方だ。 すると、君の考へは法と道徳宗教等との別をその内容に求めすして、この弧嬰性にのみ蔑見しようといふのだ ね。 その過りだ。前に奉げた裁判の例に戻るが、増額に付て峰徳義的に住着に彿って慨只う、之に封しては強制的に 文飾は請求しないといふ合意は、法律上の義紡をして遺徳上の或務たらトめるものだ。而も栽汚内容には何等の 婁栗はない。強要性を得れば法となり、強要怖を失へぼ邁徳となる。放と道徳との相違は正しく強要悼にある。 然るに着から法と箪徳との相違を内容の差異に求めるものがある。遺徳は人の心に関するもの、法は人の行馬に 関する洩の、といふのがをれである。カント流の考だ。しかし、供の方から旨へぼ、この考方は法わ放としてゐ 性質と迭の敢愈約数典とを混同するものだ。例へぼ∴長者を敬すペし﹂といふ遺徳規範でも、国家が之む法律と L、その迩守を強要するならば、立派に法律たり得る。唯法律は人の心までも動かし得るものでないから、かi る法律が朗期の目的を達し得るや否やは撰はしい。従って観衆がか1る内容佗採り上げて法律とすることは恐ら く安濃でない。しかし、それが為に、之を内容ょするものは淡律でないとは言へない。宗教に付ても同じことが 冨はれる。欧洲諸観には曾って関数なるものがあつた。描問は之を法律を以て強制し、逮灰者には廟刑を以て望 んだ。島原の乱以後基督敦に封し日本も同様のことを行つた。しかし、其の法は心の閃電に開Lてるから法でな 雰十仙巻 算﹂ 鶉 ︵四〇︶ 四〇
いとは云へない。無論斯様な法律は教典的でない。しかし、数規約でないことL法律でないことは別個の問慈で あるl︶法の本質に関するこの見解の相違は、帝閉塞法第二十八催の解繹の上にも規はれてゐる。法五以て外形的 行場に銅する規範であるとするものは東條を以て僧者の自由自牌即ち心の閉篭に関する規粟と見すして、穐拝所 避鼓、磯丼、布教其の他自己の偏する宗教に関する外形的行馬に付ての日由と解してゐる。しかし、侠の考へで は、本億は直接に心の問題に関する規見であつて、一面に国家の安寧秩序を妨げ、臣民たるの兼務に反する宗教 の信仰せ禁じっ1他面に、臣民ねるの義務に反せす、閑寂の安寧秩序を薫らざる宗教の信仰を認めたものであ る。外形的行焉の如きは抑々末である。 域程、君のいふ所は尤だ。しかし或る規範が法なりや否やを判定するにつき唯山の強要怖のみを標準とすると きは、或る規範が法なりや否やを判定することは非常にむつかしくなりはしないかしら。 そりや無論むつかしい。しかし、それは単に賓際上の困難であつて理論そのもの1妖鮎ではない。賢際上の困 難を趣くるが為に、唯それだ万の薦に確論を曲げるといふことは許さるべきことでない。 そりやその通だ.して見ると法の本質は結局法のみの持つ強要性に棟準を求めるより外に仕方がないことにな るね。併し観家法の外に法と呼ばれ得るやうなそんな規範があるものかね。 無論ある。慣習法もその血つだ。飼際法もその山つだ。だが之等は既に問題となつた規範だから外の例から許 して行かう。 慣習法と法の本質 ︵四∵︶+四∵
= 緒の展覧倉などへ行くとよく﹁下駄履を禁ず﹂とか﹁脅場内忙於て萬年蟹の使用御断り﹂などといふ掲示が出て ゐる。君はあれを何と思ふかね。 さあヽ道穂でもなし、さうかと云って法律でもなし、兜づ一種の規則とでも名付くべきものだらうか。 では、その炭質昏が文部省主催のものだったらどうかね。 それなれば法律のやう凛猟がするぺ ではもう仙つ聞く。寄宿舎の生徒が申合により舎内に﹁下駄履を禁す﹂といふ掲示を出したらどうかね。 垂校が官立か公立であり、螢校の命令に基き生徒が申合せを作ったのなれぼ法律のやうな束がするね。さもな ければ法律ではあるまい。 しか⊥、個人の主催であらうと文部省の主催であらうと、掲示を無繍し下駄層で入場したり、萬年筆を使用し 凍りしたら必つ.と退去を命ぜられ、それでも贈かねぼ倉坂から押出されるだらう。寄宿舎の場合に於てもことは 同上筈だ。衆論屈党愈が文部省の主催である場合、畢校が官公立である場合には掲示の翰行は容易であらう。し か⊥それは尊家上の問題に過ぎない。命場内に又は寄宿舎内に釆る不特定の多数の人間に封し強要せられる鮎に 於ては宅も轡りは患い。すると単にその規則が文部省主催の尿管愈の規則であるかどうか、官公立嗟校の命令に 第十二啓、一帯′−舞 ︵四二︶ 四二
基くか杏か忙よつて、換言すれは闊豪の樵力に基礎を持つか否かによつて∵芳を法律とし他方を法律でないとす るのは頓る怪しいではないか。 すると君は個人主催の展驚禽の掲示も、私立蓼校の寄宿舎のそれも悉く法律だといふのだね。しかし、個人主 催の展覚脅の場合はその規財は単に主催者の資力によつて支持せられ、文部省主催の場合、官公立単校の命令に 巻く場合には国家の主催によつて支持せられてゐる。従つて規則に強要性があるといつても其の間には何等かの 匿削があるのぢやないかしら。 ふ應は尤もに考へられる。しかし資力と主樵との問には本質的な差異はない。卓樵が主権としてのカを持ち得 るのは、閑民が幸便者に封して理窟を超越せる尊敬心を持ってゐるか、或は皐隠者が兵馬の樵止ハの他の権力を持 っ、て其の命令を貫徹し得る資力を持ってゐるが蔑めである。然らば主催者の嘗力に支祷せられて強要性を持つ規 律と、妾健忙女持せられて強要件を捧つ規則との問に本質的罷別を設くべきでないではないか。 域経、そう言はれて見ると確かにそ㌢だ。するとエ坂の就業規則のやうなものも法律だね。 さケ洛?就業規則の中忙は雇主が∵万的に定めたものもあれば雇主と被掴者双方の協延になるものもあるが、 作成者か何人たるを間はず、筍くも強行される限り就党規則は立派な法律である。同じ意味に於て組合規約も合 酢の蜃飲も放であり、痛の規則、同発着間の規則、スリ博徒間の規則等も法律である。 スリ舵博徒問の規則といふと。 慣習法と法の本質 ︵四三︶ 四三
例へば﹁相互に他人の縄張りを侵してはならぬ﹂とか﹁賂樽で負けた金は即時に支彿へ﹂とか﹁貸元には寺鏡 を鱒へ﹂とかいふものぎ。 成程、しかしかやうな法律は閥家が許さないだらう。 無論そうだ。若し博徒の一人が、他の博徒が自分の絡張りを倹したからといつて国家の裁判桝に救済を求めた としても裁判所はかやうなもの把保護を興へはしない。賭悼で負けた令を支彿はないからといつて訴訟を起した 場合も同じことだ。が、図豪がスリ静徒敢昏の法律を承認すると香とはそれが法律たることには何のか1はりも ないことだ。その敢禽に於てはその規則が何虚迄も運守を強要されて屠り、違反者には繊寒制裁迄も認められて ゐる限り之を法とするに何の妨もない。唯閑寂が之を承忽すると否とは法の贋現性の上に大きな影響があるだ伊 だ。 聞いて見ると成程そうだ。をうすると前に問題とした圃酔汝の如きも何鹿迄遵守されるかといふことは別とし て、蓮守を強要されてゐる限り法律と認めざるを得ないね。 さうた。閥際法は国家間の條約に基き又は国際間の慣習とLて成立した掲ので、陶家潜のやうに之裏面よ少 支持する強大な樺カのやうなものはない。従って雷現俸の掛から云ふと極めて核力な法律といはねばならぬ。し かし各組家は他の固家に越守を姿求し得るし若し聞かない場合には搬評に詐へても嘗硯をはかることが相乗る。 国際法にはこのやうに山丑派忙沈たる性質が具つ、てゐる。 尭十剛令・第 ¶ 択 ︵押四︶ 四四
よくわかった。法礎忙は色々の種類があるものだね。 さうだ。鴫世の中にはかやう・な法律がノまだ/\樺山ある。前に云った三々九匪の盃ね。あれは行はるゝ範囲が図 法のそれと叫威し、他面図法に1も反してるからその存在は忘られ勝ちである。しかし、かやうな内縁関係の婁が 姦通でもして見紛へ。倣闇は正規の届出をした婆と同じやうな非難を加へる。犬が叩由なくして妻を選零した婁 含も同株だ。之は明かに三々九度の盃をしたものを夫婦と見る敵骨法の存すろ誇按だ。そこで困の裁判所も巳む を稗すこれを承認して男が政なく女を楽てた場合に婚姻預約造反として慰粁料と拐帯賠償の請求を認め・︵大審大 正凶年一月二六日判決︶内縁闘係の妾が姦通した婁合に相手の男を他人榊の契約に干渉して之に基く倍秤を侵害 したるものとトて姦夫への損審賠償請求を認めてゐる︵大審大正八年正月十二日制決尺錬七六〇買︶。しかし、裁 判桝は初の三債分立思想に支配され、裁判所は開法により裁判すべきものとの考へから表面はその根掠を婚姻濠 約の違反とか第三者の像横位害とかに求めてゐる。しかし心では明かに姉梱に閲する敢脅法を認めてゐるのだd 裁判所の苦心はこ1にある。 よく解った。放と固家は別物だ。法の本質は矢張り強要性にあるね。 わかったら結構、では始めの慣習法の問題に戻るぜ。強要性を具ふる慣習は圃豪の承認すると否とに拘らすそ れ自餞法律だ。慣習法は始より問家法とは異る部類の法律だ。 すると法例の第二健はどうなるかね。 慣習法と法の本質 ︵四五︶ 四五
ハ四蕊︶ 四六 鹿†仙.巷 帝⊥ 渋 あれは観衆が囲象の立場から圃家外わ法律たる慣習法の放力を認むる梗準を示したものだ。仙固の法律は随分 磨き.に貧り其の数も多数である。しかし百畷の事象佐封七悉ノく法律を持つことは困難であるし、たとひ持ったと してもそれが常に安富やあるとは限らない。法が紋経たる場今に於て他に安富なる法律があるなしらぼ之に鍵はし めるもよし、法あ玖と.するもよ甘受雷なる法ある場合には董に縫醸せ畠ことが〓曙合目的である。法例第二俵は 噛習法に閲しその條伴を澄めた迄だ。決して慣習法成立の億件を定めたものではない。 法例第二億と慣習法身の阻併はざく了解し鷲ふ、憤習法と国家法との銅僻を畳めた畢のは法例第二條だげか ね。 いや、もう∵つ民放第九十三俸があるて民法筋元十二煉と、いふの妊∴法令申ノ公ノ秩序這閲セサ九規定二異サ クル慣習アル場合よ於テ法律行為ノ密事者オ之ノ一︻伐ル意息チ有七九蒜ノ寸語法ぺ吏†帝ハ薮慣習二従フ﹂鳶いふ ・めであるが法例第二條にづき姐改め立場をとる馬のば、︰本條蟻串賛たる慣習と、樹家法との関係を定めた鳩のせ あつで、。慣習法と困家法との幽係を定めたものでな浴とじてゐる用その瑠由はか亘だ。蜘\へば民牲第二更こす血ハ 痕は﹁前こ條ノ規定二異リダル憤召アル・トキ、人血ハ慣習一−従ラ﹂▲⋮と.い?で慣習の存する限サ必ヰその慣習に従ふぺ きことを命じてゐるが.第九十二磯の場合は之に綻ふを香を放資尊者め随意である。即ち漫守を髄要せられざる 慣習は法華㌘望て法にあらざ.争慣習と商家法皆の錦係を定めた米債は慣習法と樹豪放とゐ関係を定めたもの壱 はいへない?とい、ぉの・であるやLかし供の立場かぢ声へぼこの憤朝もーつの慣習法である。観家法に従ふや慣習 ′
に従ふやの自由を常事者に輿へたり上するも、慣習が慣習放である以上は本條は失張慣習法と剛毅経との関係を 定めた條文となつて蘇る。要はその慣習が法なるや香やによる。例を蓼げて詮明をして見はぅ。属法第六百十四 億によ克と家賃や宅地め地代は毎月宋に、其の他の地代は慮年末に支彿ふことになつてゐる。しか十家賃や地代 ゐ文彿時期の如きは公の秩序と関係なき畢項であるから或る地方庭於て宅地の地代は、叫年分繭沸する慣習がある ならば富者者が之に従ふ意思ある場合には之に従つてよい詳である。問題はこの慣習が法であるか香かにある。 通詮は法例節こ備に基普法令濫伐り認められ廃る場合にあちぎることを珊由せしへ自己の宜場から之を否認して ゐる9\しかt∵鎗九十二億にまり認遡られるヱの慣召鴻々の地方に於ては観衆が承認するせ香とに拘らす慣習上 遵守盈艶姿されてる慣習であるイ然ちばこの慣習も矢張り潜で透牒。第九十二條も慣習法と圃家法との関係を定 めたものといつてよい。 慣習法と困窮放との開像に開する限り酎家法が樹家外の法律に封する態度はよく了解した。が、慣習法以外の 旗律忙勤しても図象は隠様な態度駁とつ七かるか吋や さうだ。慣習法以外の様々法敵禽法十巨さう、かやうを法律を供は敢昏迭と呼んやゐを。仲間では敢命政策的 堅止法を敵脅掛と呼んでゐるが阻は掛表外め払律を酪禽放と呼ぶのが通常だと思ぶ。それは兎も角。かやうな祀 合法と閑寂法との楓係、、此専政合法佐敷する観衆砂塵産も水質的に怯慣習法の散骨と攣らない。雨着の関係につ 仏て吟前の詮明に譲って此彪では観衆法が敢合法医封する態度を寂した傭東、開法が統合法を慣値判断する標準 慣習法と法の本質 ︵四克︶ 四克
第十山巻 第 叫 渋 ︵四八︶ 四八 を訟明して見よう。僕の考へでは、民法の第九十保と泣例琴二條以下そp他法令に現れてゐる国際私絵規がそれ であると思ふ。民法第九十傑といふの彗公ノ秩序蕃艮ノ風俗二反スル事項ヲ目的トス几洗練行欝ハ無数トス﹂と いふのであるが、本條は却々適用が贋いむ賭博に負けた者が膠った者に金を支彿ふのは博徒仲間の法律である。 虚が負け方が勝った方に金を彿はないので、勝った方から負けた方を被督として圃家の裁判桝に購棒金請求の訴 を起したとする.無論裁判所はこんな訴を認める筈はない。がこの請求を却下する株療となるものはこの九十條 だ。併しこれは樹家の立場から博徒仲間の法律に低価判断を下したといふだけで、博徒配合の法律忙於てもか1 る義務なしと認定をしたのではない。これはくれ′ぐ・も忘れてはならない。 破綻、聞小て見ると法律も面白いものだ。では序にその歯際私法とかの囲係の鍬も示して貰ひ庇い。 よろしい。法例の第三備によると人の能力は本圃法忙依つて定るが、その外観人が日本で法律行馬をしたる婁 合に、日本の法律に依れば能力者たり得る場合には、其の本閣放では無能力者でも侍能力者とーて取扱はれるこ とになつゐる。例へば木簡放で十八戯が成年になつて居ればその外図人は日本では能力者として罫猫行馬が川 東、本図法では二十五歳が成年となつてゐても現在満二十歳であれば日本では罫猫行馬が出来るといふのであ る。叉手形法第八十九億を見ると、為替手形上及約束手形上の行馬の方式は署名を賎したる他の威する闊の法律 に依るこ上になつてゐる。例へぼ米周の法律に従ひ米固に於て坂椚された手形は日本の法律と方式を異にしてゐ るが、其の手形は月本に於ても宙効力を有する。同様の規定は法例にも、手形法にも小切手法忙も浮出にある。
苗して此等の規定は行偽者が外観人であるか、行為地が外層であ海港合に激て或る経度道外歯の法鹿の致カを認 め、外図法に封する本圃法の態度を表示したものである。そうして此の場合にも此等の規定は慣習法の場合と同 棲外囲法に勤して慣低利断を下したまで1、之に依って外囲法が欒じて日本旗となるのではない。 私法関係の駒豪放の融合法に封する態度、傾低利断の棟準は了解したが、公法関係の国家法も敢愈法政勤して 何棟の態度を取り之に封する低値判断の検挙を持ってゐるかね。 トや、公汝関係に於ては明瞭な横準は示されてない。 ではどうしてるかね。 尭づ大建波公序艮俗といふやうなことを棟準とし、銀歯添の規衷から生する教乗が国家の立場よりするも望ま しい歩合には之を是認してゐる。驚倒を奉げて見よう。田舎へ行くと往々村の法律として村民は年に一回必ヰ追 啓請陀損なければならぬとか冬期は交代で火の番をしなけれぼならぬとかいふ法律がある。そうして違反者には よく村八分等といふ制裁が琴せられてゐる。昭和九年の裳或る桝でこれが硯驚の幽庵となり地元伍長が奉って反 射せるエ婁の設僅に賛成せる三名に封t村の統制の素乱者として例の村八分の刺激が課せられた。そこで違反者 は之を暴力行虜尊慮罰に閲する法律逮夜として督許した。捷律の正儲から云ふそ村の人々が渡り把私的断裁を 加ふることは是認し難いから村民はこの瘍合にも同法第叫備に依り晦断せられ窄。けれども若しかうした裁判が 学されると村の秩序は著しく菜される。折角、善良なる風俗も破壊されるととになる。そこで裁判所は雨音の利 慣習法と法の性質 ︵四九︶ 垣九
︵蕗○︶ 奉○ 策サー巻 兎1劇 既 審を考トた上でこの歩合は整別に値すると判断しつ1他面にその判決理由中に癒て或る程度め私的制裁が訟めゃ れる禦n▲あることを示⊥た。如ち輯交は資際上程々の事情の下に符蟻れ其の鹿因も鱒空であるがそれ自照は背徳 の行為叉′は政廉恥の行路に封する祀交上道穂上の制裁とし三般に藤め、られてるものであるから、、L多数北ハ同の絶