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『孔子三朝記』の構成とその思想

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Academic year: 2021

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全文

(1)

著者

末永 高康

雑誌名

鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編

63

ページ

1-22

別言語のタイトル

On the Structure of Konzisanchaoji and it’s

Thought

(2)

 

 

 

*

︵ 二 〇 一 一 年 一 〇 月 二 五 日   受 理 ︶           ﹃ 大 戴 礼 記 ﹄ の 千 乗 等 七 篇 ︵ 千 乗 、 四 代 、 虞 戴 徳 、 誥 志 、 小 辨 、 用 兵 、 少 間 の 七 篇 ︶ は ﹃ 漢 書 ﹄ 芸 文 志 ・ 六 芸 略 ・ 論 語 類 に 著 録 さ れ る ﹃ 孔 子 三 朝 記 ﹄ 七 篇 ︵ 以 下 ﹃ 三 朝 記 ﹄ と 略 す ︶ に 当 た る と さ れ る 。 七 篇 は と も に 哀 公 と 孔 子 の 対 話 の 形 で 構 成 さ れ て い て 、 そ れ 故 に 論 語 類 に 分 類 さ れ て い る の で あ る が 、 現 代 の わ れ わ れ の 目 か ら み て 、 そ の 対 話 篇 と し て の 完 成 度 は 高 い と は 言 え な い 。﹃ 孟 子 ﹄ 梁 恵 王 篇 の よ う な 躍 動 感 の あ る 対 話 篇 を 期 待 し て こ れ ら の 篇 に の ぞ む な ら ば 、 少 な か ら ぬ 失 望 感 を 味 わ わ さ れ る こ と に な ろ う 。 四 代 篇 冒 頭 の 、     公 曰 、 四 代 之 政 刑 、 論 其 明 者 、 可 以 爲 法 乎 2 。       哀 公 は 言 わ れ た 。︵ 虞 夏 商 周 の ︶四 代 の 政 治 刑 罰︵ の 制 度 ︶に つ い て 、 そ の 目 ぼ し い も の を 選 ん で 、︵ 守 る べ き ︶ 法 と す る こ と が で き る だ ろ う か 。     子 曰 、 何 哉 。 四 代 之 政 刑 皆 可 法 也 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 ど う い う こ と で し ょ う か 。 四 代 の 政 治 刑 罰 ︵ の 制 度 ︶ は い ず れ も 法 る べ き も の で あ り ま す 。     公 曰 、 以 我 行 之 、 其 可 乎 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 わ が 身 を も っ て そ れ を 実 行 し た い が 、 で き る だ ろ う か 。     子 曰 、 否 。 不 可 。 ⋮       孔 子 は 言 わ れ た 。 い い え 、 で き ま せ ん 。 ⋮ の よ う に 、小 気 味 よ く 対 話 が 展 開 さ れ る 部 分 が 無 い わ け で は な い が 、 こ の よ う な 部 分 は む し ろ 例 外 で 、 孔 子 が 一 方 的 に 長 広 舌 を 揮 う 場 面 が 目 立 ち 、 ど う し て こ れ を 語 る の に 対 話 篇 と い う 形 が 選 択 さ れ た の か 首 を か し げ た く な る 部 分 が 少 な く な い 。 形 式 的 に は 、﹁︵ 哀 ︶ 公 曰 ﹂ と ﹁ ︵ 孔 ︶ 子 曰 ﹂ が ほ ぼ 規 則 的 に 繰 り 返 さ れ て い て 、 対 話 篇 と し て の 形 が 崩 さ れ る こ と は な い も の の 、 内 容 的 に は 対 話 が 連 続 し な い 部 分 も 多 く 、 現 代 の わ れ わ れ の 目 か ら 見 て 、 一 篇 を 通 じ て 対 話 の 内 容 が 連 続 し て い る と 感 じ ら れ る の は 、 小 辨 の 一 篇 く ら い で あ ろ う 。 そ し て 、こ の 篇 に し て も 、前 半 部 の 話 題 の 中 心 が ﹁ 辨 ﹂ で あ る の に 対 し 、 後 半 部 の そ れ は ﹁ 忠 ﹂ で あ っ て 、 両 者 の 関 係 が そ れ ほ ど 明 確 に 語 ら れ て い る わ け で は な い 3 。 ま た 篇 末 も 孔 子 の 長 広 舌 で 対 話 が 打 ち 切 ら れ て い て 、 篇 を 締 め 括 る は ず の 哀 公 の 語 が 記 さ れ て は お ら ず 、 尻 切 れ ト ン ボ の 感 は 否 め な い 。   も っ と も 、 こ の よ う な 感 を 懐 か さ れ る の は 、 今 本 の 不 備 に 由 来 す る の で あ っ て 、 も と も と の ﹃ 三 朝 記 ﹄ は よ り 完 成 度 の 高 い 対 話 篇 で あ っ た 可 能 性 は あ る 。 今 本 の ﹃ 大 戴 礼 記 ﹄ に 読 み 難 い 部 分 が 多 い の は 周 知 の こ と で 、 た と え ば 上 の 小 辨 篇 で 話 題 が ﹁ 辨 ﹂ か ら ﹁ 忠 ﹂ に 原 著 論 文 *  鹿 児 島 大 学 教 育 学 部   教 授

(3)

移 る 部 分 に 挟 ま れ た 対 話 に し て も 、     公 曰 、 然 則 吾 何 學 而 可 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 な ら ば わ た し は 何 を 学 ん だ ら よ い の だ ろ う か 。     子 曰 、 禮 樂 而 力 忠 信 其 君 其 習 可 乎 。 ︵ 訳 は 省 略 。︶ と な っ て い て 、 こ の ま ま で は 読 み 難 く 、 こ の 部 分 の 孔 子 の 語 は 、 兪 樾 に 従 っ て ﹁ 君 其 習 ﹂ の 三 字 を ﹁ 禮 樂 ﹂ の 上 に 移 し て 、     子 曰 、 君 其 習 禮 樂 而 力 忠 信 、 其 可 乎 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 公 が 礼 楽 を 学 ば れ 、︵ 為 政 に お い て ︶ 忠 信 に 努 め ら れ れ ば 、 そ れ で よ ろ し い か と 思 い ま す 。 と 読 ま な け れ ば な ら な い 。 ま た 四 代 篇 の 、     公 曰 、 嘻 、 美 哉 、 子 道 廣 矣 。       哀 公 は 言 わ れ た 。あ あ 、す ば ら し い 。先 生 の︵ 語 ら れ る ︶道 は 広 大 だ 。     子 4 曰 、 由 德 徑 徑 。 吾 恐 惽 而 不 能 用 也 、 何 以 哉 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 す み や か に 徳 に お 従 い く だ さ い 。 わ た し は 道 理 に 暗 く て ︵ そ の 道 を ︶ 用 い る こ と が で き な い の で は な い か と 恐 れ て お る 。 ど う し た ら よ い か 。     公 曰 、 請 問 圖 德 何 尚 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 お 教 え い た だ き た い 。 徳 に 従 お う と す る な ら ば 何 を 貴 ば な け れ ば な ら ぬ の か 。 な ど も 、 こ の ま ま で は 対 話 が 成 り 立 っ て お ら ず 、 戴 震 が つ と に 指 摘 す る よ う に 、 傍 線 部 は 哀 公 の 語 の は ず で 、﹁ 子 道 廣 矣 ﹂ の 後 ろ に あ る べ き も の の は ず で あ る 。 後 述 す る よ う に 千 乗 篇 な ど に は 二 〇〇 字 を 越 え る よ う な 錯 簡 が 想 定 さ れ て い る 部 分 も あ る か ら 、 こ の よ う な 錯 簡 故 に 今 本 で の 対 話 が 内 容 的 に 断 絶 し た も の の よ う に 見 え て い る 可 能 性 は あ ろ う 。   し か し 、 今 本 の 対 話 に 見 え る 内 容 的 断 絶 が 多 少 の 錯 簡 に よ っ て す べ て 説 明 で き る と も 思 わ れ な い 。 た と え ば 、 少 間 篇 に 次 の よ う な 部 分 が 見 え て い る 。     公 曰 、 善 哉 、 上 與 下 不 同 乎 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 す ば ら し い 。︵ 位 の ︶ 上 の も の と 下 の も の は 同 じ で は な い の か 。     子 曰 、 ① 將 以 時 同 時 不 同 。 上 謂 之 閑 、 下 謂 之 多 疾 。 君 時 同 於 民 、 布 政 也 。 民 時 同 於 君 、服 聽 也 。 上 下 相 報 、而 終 於 施 。 ② 大 猶 ︵ = 猷 5 ︶ 已 成 、 發 其 小 者 。 遠 猶 已 成 、 發 其 近 者 。 將 持 6 重 器 、 先 其 輕 者 。 先 淸 而 後 濁 者 、 天 地 也 。 ③ 天 政 曰 正 、 地 政 曰 生 、 人 政 曰 辨 。 ④ 苟 本 正 、 則 華 英 必 得 其 節 、 以 秀 孚 矣 。 ⑤ 此 官 民 之 道 也 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 ① 同 じ 時 も あ り ま す が 、 同 じ で な い 時 も あ り ま す 。︵ 法 令 に つ い て ︶ 上 の も の は ﹁ 閑 ︵ 悪 を 防 ぐ も の ︶﹂ と 呼 び ま す が 、下 の も の は ﹁ 多 疾 ︵ 自 分 を ひ ど く 害 す る も の ︶﹂ と 呼 び ま す 。 ︵ こ れ が 上 下 が 同 じ で な い 時 の 例 で す 。 他 方 、︶ 君 主 が 民 と 同 じ︵ も の を 望 む ︶ 時 は 、︵ 民 に ︶ 政 を 施 し 、民 が 君 主 と 同 じ ︵ も の を 望 む ︶ 時 に は 、︵ 君 主 に ︶ 服 従 し ま す 。︵ そ の 場 合 に は ︶ 上 下 が 互 い に 報 い あ い ︵ ま す が 、 上 の も の は 下 の も の に 報 い を 求 め な い の で 、 上 か ら の ︶ 施 し で 終 わ る こ と に な り ま す 。 ② 大 き な 謀 り ご と を し た 後 に 、 そ の 小 さ な 部 分 か ら 手 を 付 け 、 将 来 を 見 通 し た 謀 り ご と を し た 後 に 、 そ の 直 近 の 部 分 か ら 手 を 付 け る も の で す 。 重 い も の を 持 と う と す る 時 に は 、 ま ず は 軽 い も の を 持 ち あ げ て み る も の で す 。 清 す ん だ も の を 先 に し て 、 濁 っ た も の を 後 に ︵ し て 分 化 ︶ し た の が 、

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天 地 な の で す 。 ③ 天 の 政 ︵ = 職 掌 ︶ は ﹁ 正 す ﹂ こ と に あ り 、 地 の 政 は ﹁ 生 む ﹂ こ と に あ り 、 人 の 政 は ﹁ 辨 わ か つ ﹂ こ と に あ り ま す 。 ④ か り に も 根 が 正 常 で あ り さ え す れ ば 、 必 ず そ の し か る べ き 時 節 に 花 が 咲 き 開 く も の で す 。 ⑤ こ れ が 民 衆 を 治 め る 道 で あ り ま す 。 孔 子 の 答 え の 内 、 ① の 部 分 は 哀 公 の 問 い に 対 す る 答 え と な っ て い る が 、 ② 以 下 の つ な が り が は っ き り し な い 。 そ の 内 、 ④ は 後 文 に 、     凡 草 木 根 鞁 ︵ = 被 ︶ 傷 、 則 枝 葉 必 偏 7 枯 。 偏 枯 是 爲 不 實 。 * 政 8 亦 如 之 。       お よ そ 草 木 は 、 そ の 根 が 傷 つ け ら れ れ ば 、 枝 葉 は 必 ず 枯 れ 干 乾 び 、 枯 れ 干 乾 び れ ば 、 実 を 付 け る こ と が あ り ま せ ん 。 * 政 治 も ま た こ の よ う で あ り ま す 。 と あ る 、 * に 本 来 あ る べ き も の で あ ろ う が 、 こ れ を 錯 簡 と す る と ③ の 三 句 が 浮 く 。 千 乗 等 七 篇 に お い て 、﹁ 辨 ﹂ を 話 題 に す る の は 小 辨 篇 だ け で あ る か ら 、 こ れ を 錯 簡 と 見 て か り に 小 辨 篇 の 、     是 故 昔 者 先 王 學 齊 ︵ = 濟 ︶ 大 道 、 以 觀 於 政 。 * 天 子 學 樂 辨 風 、 制 禮 以 行 政 。 諸 侯 學 禮 辨 官 、 政 以 行 事 、 以 尊 事 天 子 。 ⋮       そ れ ゆ え 古 い に し え の 先 王 は 大 い な る 道 を 実 現 す る こ と を 学 び 、 そ う し て 政 治 に つ い て 考 え ま し た 。 * 天 子 は ︵ 各 地 の ︶ 音 楽 を 学 び ︵ そ の ︶ 民 風 を 弁 別 し て 、︵ そ れ に 基 づ い て ︶ 礼 を 制 定 し て 政 治 を 行 い ま す 。 諸 侯 は ︵ 天 子 の 制 定 し た ︶ 礼 を 学 ん で 官 職 を 弁 別 し 、︵ 天 子 の 行 う ︶ 政 治 に 従 っ て 事 を 行 っ て 、 そ う し て 謹 ん で 天 子 に 仕 え ま す 。 ⋮ の * に 投 げ 込 め た と し て 、 そ れ で も ① と ② の つ な が り の 悪 さ は 解 消 さ れ な い 。 ⑤ に 似 た 表 現 は 虞 戴 徳 篇 に ﹁ 此 唯 官 民 之 上 德 也 ﹂ と あ る か ら 、 ② と ⑤ を く っ つ け て 、 か り に 虞 戴 徳 篇 に 投 げ 入 れ た と し て も 、 上 の ① に 続 く の は 、     公 曰 、 善 哉 、 請 少 復 進 焉 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 す ば ら し い 。 さ ら に も う 少 し 進 め て ︵ 教 え て ︶ い た だ き た い の だ が 。     子 曰 、 昔 堯 取 人 以 9 、 舜 取 人 以 色 、 禹 取 人 以 言 、 湯 取 人 以 聲 、 文 王 取 人 以 度 。 四 代 10五 王 之 取 人 、 以 治 天 下 如 此 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 昔 、 堯 は 容 貌 に よ っ て 人 を 登 用 し 、 舜 は 顔 付 き に よ っ て 人 を 登 用 し 、 禹 は 言 葉 に よ っ て 人 を 登 用 し 、 湯 は 話 し 声 に よ っ て 人 を 登 用 し 、 文 王 は 志 節 に よ っ て 人 を 登 用 し ま し た 。 四 代 の 五 王 が 人 物 を 登 用 し て 、 天 下 は 治 め た の は こ の よ う で あ り ま し た 。 と 四 代 五 王 の 取 人 の 法 と な る か ら 、 内 容 の 断 絶 は 覆 い 様 も な い 。 投 げ 込 ま れ た 先 の 虞 戴 徳 篇 に し て も 、﹁ 此 唯 官 民 之 上 德 也 ﹂ に 続 く 哀 公 の 問 い は 、     公 曰 、 三 代 之 相 授 、 必 更 制 典 物 、 道 乎 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 三 代 の 変 遷 に お い て 、 必 ず 改 め て 制 度 や 礼 物 を 定 め る の は 、 道 に か な っ た こ と な の か 。 と 三 代 改 制 に 関 す る も の で あ る か ら 、こ こ で も 対 話 は 断 絶 し て い る 。 今 本 の テ キ ス ト と し て の 不 備 を 考 慮 に 入 れ て も 、﹃ 三 朝 記 ﹄ の 対 話 篇 と し て の 完 成 度 が そ れ ほ ど 高 か っ た と は 思 わ れ な い 。   対 話 と し て の 形 式 は 保 た れ な が ら 、 内 容 的 に は 断 続 す る 部 分 が 少 な く な く 、孔 子 が 長 広 舌 を 揮 う 場 面 も 多 い 。 こ の﹃ 三 朝 記 ﹄の 特 徴 は 、 こ の 文 献 が 哀 公 と 孔 子 の 問 答 の 実 録 で は あ り 得 な い こ と を 示 す と と も に 11、 こ れ が 何 ら か の 資 料 を 寄 せ 集 め て 対 話 の 形 に 再 編 成 さ れ た

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も の で あ る こ と を 示 し て い る と 言 え る 。 そ し て 、 こ の 寄 せ 集 め 的 性 格 が 、﹃ 三 朝 記 ﹄ と い う 文 献 の ﹁ 思 想 ﹂ に つ い て 語 る の を 困 難 に し て い る の で あ る が 、﹃ 三 朝 記 ﹄ の ﹁ 思 想 ﹂ に つ い て は 後 に 検 討 し よ う 。 さ し あ た っ て は 、 も う 少 し 、 こ の 文 献 の 寄 せ 集 め 的 性 格 に つ い て 見 て い く こ と に し た い 。 と い う の も 、 今 本 の 千 乗 等 七 篇 は 二 重 の 意 味 で 寄 せ 集 め 的 性 格 を 有 し て い る と 考 え ら れ る か ら で あ る 。           ﹃ 三 朝 記 ﹄ と 他 の 文 献 と の 重 複 句 、 類 似 句 に つ い て は 、 前 稿 ﹁﹃ 孔 子 三 朝 記 ﹄ 初 探 ﹂ ︵﹁ 鹿 児 島 大 学 教 育 学 部 研 究 紀 要 ︵ 人 文 ・ 社 会 科 学 編 ︶﹂ 第 六 二 巻 、 二 〇 一 一 年 。 以 下 ﹁ 前 稿 ﹂ と 呼 ぶ ︶ で す で に 検 討 し た が 、 現 存 す る 他 文 献 と の 重 複 句 、 類 似 句 か ら ﹃ 三 朝 記 ﹄ の 編 者 が 用 い た 資 料 を 特 定 す る こ と は で き な い 。 措 辞 の 上 か ら 最 も 重 複 の 目 立 つ の は ﹃ 左 伝 ﹄ と ﹃ 礼 記 ﹄ 王 制 篇 で あ る が 、﹃ 左 伝 ﹄ と の 重 複 に お い て は 、 む し ろ ﹃ 左 伝 ﹄ の 編 者 が ﹃ 三 朝 記 ﹄ を 利 用 し た も の の 如 く に 見 え 、 王 制 篇 と の 重 複 に お い て は ど ち ら が 先 行 す る と も 判 断 し か ね る ︵ 前 稿 参 照 ︶ 。 た だ し 、 千 乗 篇 が 何 か 王 制 篇 に 類 似 し た 資 料 を 利 用 し て 作 ら れ て い る こ と は 、 そ の 構 成 か ら 明 か で あ る 。   現 行 の 千 乗 篇 は 大 き く 分 け て 次 の 三 つ の 部 分 よ り な る 。 ︵ 1 ︶﹁ 公 曰 、 千 乘 之 國 、 ⋮ 為 化 12如 何 ﹂ の 哀 公 の 問 い を 発 端 と し て 、 ﹁ 子 曰 、 不 仁 國 不 化 。﹂ ﹁ 公 曰 、 何 如 之 謂 仁 。﹂ ﹁ 子 曰 、 不 淫 於 色 。﹂ と 短 い 対 話 が 続 く 部 分 。 ︵ 2 ︶﹁ 子 曰 、 立 妃 設 如 太 廟 ﹂ か ら ﹁ 此 國 家 之 13所 以 茂 也 ﹂ ま で 。 こ の 部 分 で は ﹁ 立 妃 ﹂﹁ 立 子 ﹂﹁ ︵ 立 ︶ 卿 ﹂﹁ ︵ 立 ︶ 四 輔 ﹂ に つ い て 順 に 述 べ ら れ て い る が 、 各 項 目 は そ れ ぞ れ ﹁ 此 國 家 之 所 以 崇 也 ﹂、 ﹁ 此 國 家 之 所 以 大 遂 也 ﹂、 ﹁ 此 國 家 之 所 以 和 也 ﹂、 ﹁ 此 國 家 14之 所 以 長 也 ﹂ と 同 じ 形 式 の 末 尾 を 持 ち 、 最 後 に ﹁ 下 無 用 、 則 國 家 富 ﹂ 以 下 の ﹁ 六 者 ﹂ が 挙 げ ら れ て 、﹁ 昔 者 先 王 立 此 六 者 而 樹 之 德 、 此 國 家 之 所 以 茂 也 ﹂ で 締 め く く ら れ て い る 15。 ︵ 3 ︶﹁ 設 16其 四 佐 而 官 之 ﹂ よ り 末 尾 。 こ こ で は 、﹁ 四 佐 ﹂ す な わ ち 、 ﹁ 司 徒 ︵ 典 春 ︶ ﹂﹁ 司 馬 ︵ 司 夏 ︶ ﹂﹁ 司 寇 ︵ 司 秋 ︶ ﹂﹁ 司 空 ︵ 司 冬 ︶ ﹂ に つ い て 順 に 述 べ ら れ 、 各 項 の 末 尾 は そ れ ぞ れ 、     方 春 三 月 、 ⋮ 於 時 有 事 、 享 于 皇 祖 皇 考 、 朝 孤 子 八 人 、 以 成 春 事 。     方 夏 三 月 、 ⋮ 於 時 有 事 、 禘 17于 皇 祖 皇 考 、 爵 士 之 有 慶 者 七 人 、 以 成 夏 事 。     方 秋 三 月 、 ⋮ 於 時 有 事 、 嘗 18于 皇 祖 皇 考 、 食 農 夫 九 人 、 以 成 秋 事 。     方 冬 三 月 、 ⋮ 於 時 有 事 、 蒸 于 皇 祖 皇 考 、 息 國 老 六 人 、 以 成 冬 事 。 と 同 じ 形 式 で 結 ば れ て い る 。 そ の 後 に ﹁ ① 民 咸 知 孤 寡 之 必 不 末 19也 、 ② 咸 知 有 大 功 之 必 進 等 也 、 ③ 咸 知 用 勞 力 之 必 以 時 息 也 。 推 而 内 之 水 火 、 入 20也 弗 之 顧 矣 、 而 況 有 強 適 在 前 、 有 君 長 正 之 者 乎 ﹂ が 付 け 加 え ら れ て 、 最 後 は ﹁ 公 曰 、 善 哉 ﹂ の 哀 公 の 語 で 篇 が 結 ば れ る 。 諸 家 が 指 摘 す る よ う に 、 ① が 春 の ﹁ 朝 孤 子 八 人 ﹂ に 、 ② が 夏 の ﹁ 爵 士 之 有 慶 者 七 人 ﹂ に 、 ③ が 秋 の ﹁ 食 農 夫 九 人 ﹂ と 冬 の ﹁ 息 國 老 六 人 ﹂ に 対 応 し て い て 、 こ れ が こ の 部 分 を 締 め 括 る も の で あ る こ と を 示 し て い る 。   さ て 、 こ の 篇 と 王 制 篇 と の 重 複 は ︵ 3 ︶ の 部 分 に 限 ら れ る の で あ

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る が 、 こ の 部 分 で は ﹁ 司 徒 ﹂ 以 下 の 各 項 の 文 字 数 の 差 が 大 き い 。 孔 広 森 の テ キ ス ト で 数 え る な ら ば 、﹁ 司 徒 ﹂一 三 二 字 、﹁ 司 馬 ﹂九 五 字 、﹁ 司 寇 ﹂ 一 五 七 字 、﹁ 司 空 ﹂ 四 八 〇 字 で 、﹁ 司 空 ﹂ の 部 分 が 圧 倒 的 に 多 い 。   こ の ﹁ 司 空 ﹂ の 部 分 は 、﹁ 司 空 司 冬 、 以 制 度 制 地 事 。 ⋮ 治 地 遠 近 、 以 任 民 力 、 以 節 民 食 ﹂ と ﹁ 司 空 ﹂ の 職 掌 に つ い て 述 べ た あ と ︵ 以 上 を a と す る ︶ 、﹁ 以 節 民 食 ﹂ を 受 け る 形 で 、﹁ 太 古 食 壯 之 食 、 攻 老 之 事 ﹂ と 述 べ ら れ 、 そ れ に つ い て 、﹁ 公 曰 、 功 事 不 少 而 餱 糧 不 多 乎 ﹂ と の 哀 公 の 質 問 を 挟 ん で 、﹁ 子 曰 、 太 古 之 民 、 秀 長 以 壽 者 、 食 也 。 在 今 之 民 、 羸 醜 以 胔 者 、 事 也 ﹂ 云 々 と ﹁ 太 古 之 民 ﹂ と ﹁ 在 今 之 民 ﹂ が 対 比 し て 語 ら れ る 部 分 が 続 き ︵ 以 上 を b と す る ︶ 、 そ の 後 に 文 意 の つ な が り が そ れ ほ ど 明 ら か で な い 形 で ﹁ 是 故 立 民 之 居 、必 於 中 國 之 休 地 ﹂ 以 下 、 五 方 の 民 に つ い て 述 べ る 部 分 が 置 か れ て ︵ 以 上 を c と す る ︶ 、 ﹁ 及 量 地 度 居 ﹂ 以 下 、ま た ﹁ 司 空 ﹂ の 職 掌 に つ い て 述 べ る 内 容 に も ど っ て 結 ば れ て い る ︵ 以 上 を d と す る ︶ 。   こ の 内 、 b に つ い て は 于 鬯 に よ り 錯 簡 が 疑 わ れ て お り 、 于 鬯 は こ の 二 一 〇 字 を 、︵ 1 ︶ の ﹁ 子 曰 、 不 淫 於 色 ﹂ の ﹁ 子 曰 ﹂ の 後 ろ に 移 し 、﹁ 不 淫 於 色 ﹂ を ︵ 2 ︶ の ﹁ 立 妃 設 如 太 廟 ﹂ の 下 に 移 し て い る 。 于 鬯 が 指 摘 す る よ う に 、︵ 1 ︶ の 部 分 で ﹁ 何 如 之 謂 仁 ︵ ど の よ う で あ れ ば 仁 と 言 え る の か ︶ ﹂ に 対 し て ﹁ 不 淫 於 色 ︵ 女 色 に 溺 れ な い こ と で す ︶ ﹂ と 答 え る と い う の も 奇 妙 で あ る か ら 、 あ る い は 于 鬯 の 言 う 通 り で あ る の か も 知 れ な い が 、 于 鬯 説 に 従 っ た 場 合 で も ︵ 1 ︶ と ︵ 2 ︶ の 部 分 の つ な が り の 悪 さ は 否 め な い 。 た だ 、 こ れ を 錯 簡 と 見 る に せ よ 見 な い に せ よ 、 b の 部 分 が 前 後 と 異 質 な も の で あ る こ と は 確 か で あ ろ う 。 ま た 、 五 方 の 民 に つ い て 述 べ る c の 部 分 も ﹁ 司 空 ﹂ の 職 掌 と 関 連 は し て い て も a 、 d の 文 章 と は か な り 異 な っ て い る か ら 、 か り に こ れ ら を 除 い て 、 も っ ぱ ら ﹁ 司 空 ﹂ の 職 掌 の み を 述 べ て い る a 、 d を つ な げ る な ら ば 、﹁ 司 空 ﹂ に 関 す る 部 分 は 一 二 六 字 と な っ て 、 他 と 大 差 が な く な る 21。   ﹁ 司 空 ﹂ の 部 分 を こ の よ う に 縮 め て 考 え る と 、 今 度 は ﹁ 司 寇 ﹂ の 一 五 七 字 が や や 多 く 感 じ ら れ る が 、 こ れ も 中 間 に 挟 ま れ た 各 種 刑 罰 を 列 挙 し て 定 義 的 に 述 べ て い る 部 分 ︵ 五 五 字 ︶ を 除 い て 数 え れ ば 一 〇 二 字 と な っ て 、﹁ 司 徒 ﹂ 一 三 二 字 と ﹁ 司 馬 ﹂ 九 五 字 の 間 に お さ ま る 。 お そ ら く は 、 千 乗 篇 の 編 者 が 利 用 し た ﹁ 四 佐 ﹂ に つ い て の 資 料 の 原 型 は こ の よ う な も の で あ っ た と 思 わ れ る 。 そ こ に 、 五 方 の 民 に 関 す る 記 述 や 、刑 罰 に つ い て の 記 述 ︵ 錯 簡 説 を 取 ら な い の で あ れ ば 、 さ ら に 太 古 の 食 に 関 す る 記 述 ︶ を 加 え 、 前 後 に 文 章 を 付 け 足 し て ︵ 3 ︶ の 部 分 が 構 成 さ れ た と 見 て 大 過 は な い で あ ろ う 。   ︵ 2 ︶ が ︵ 3 ︶ と は 別 系 統 の 資 料 に よ る も の で あ る こ と は 、 そ の 文 章 構 成 の 違 い か ら 明 か で あ る が 、︵ 2 ︶ に ﹁ 四 輔 ﹂ が 見 え 、 孔 広 森 が 注 す る よ う に こ れ が ︵ 3 ︶ の ﹁ 四 佐 ﹂ と 同 一 の も の で あ る と 考 え ら れ る こ と か ら も 、 そ の こ と が う か が え よ う 22。 別 系 統 の 資 料 が 繋 ぎ あ わ さ れ た 結 果 、 同 一 の 官 職 が 別 の 名 で 呼 ば れ て し ま っ て い る の で あ る 23。   た だ 、 多 少 の 不 整 合 が あ る と は 言 え 、︵ 2 ︶︵ 3 ︶ の 資 料 を 組 み 合 わ せ た の は 、 千 乗 篇 の 編 者 自 身 で あ る に 相 違 な く 、 こ の 組 み 合 わ せ に よ っ て 、 立 妃 、 立 子 か ら 立 官 に 至 る 国 家 の あ る べ き 姿 を 示 し て 、 ︵ 1 ︶ の 哀 公 の 問 い へ の 答 え と し た の で あ ろ う 。   し か し 、 次 の 用 兵 篇 の 例 と な る と 、 そ の 接 合 が は た し て こ の 篇 の

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編 者 の 作 為 に よ る も の で あ る の か 疑 わ し く な っ て く る 。 こ の 篇 は 孔 広 森 に よ れ ば 全 四 四 四 字 で 千 乗 等 七 篇 の 内 で 最 も 短 い 一 篇 で あ る が 、 そ の 前 半 と 後 半 で は 内 容 が 全 く 異 な っ て い る 。 前 半 は ﹁ 用 兵 ﹂ と ﹁ 作 兵 ﹂ ︵ 兵 器 の 起 源 ︶ に つ い て の よ く ま と ま っ た 問 答 で 、 末 尾 は ﹃ 詩 ﹄ の 引 用 で 締 め く く ら れ て い る 。 つ づ く 後 半 は 、     聖 人 愛 百 姓 、 而 憂 海 內 。 及 後 世 之 人 、 思 其 德 、 必 稱 其 人 24、 故 今 之 道 堯 舜 禹 湯 文 武 者 、 猶 依 然 至 25今 若 存 。 夫 民 思 其 德 、 必 稱 其 人 、 朝 夕 祝 之 、 升 聞 皇 天 、 上 神 歆 焉 、 故 永 其 世 而 豐 其 年 也 。       聖 人 は 民 衆 を 慈 し み 、海 内 の︵ す べ て の ︶こ と に 心 を 砕 き ま す 。︵ で す か ら 、 当 時 の 人 々 だ け で な く ︶ 後 世 の 人 に お よ ぶ ま で 、 そ の 徳 を 思 い 、 必 ず そ の 人 の こ と を 称 賛 い た し ま す 。 で す か ら 、 今 の 人 が 堯 舜 禹 湯 文 武 を 語 る 場 合 に も 、 あ た か も ︵ 彼 ら が ︶ 現 存 し て い る か の よ う に 語 る の で す 。 さ て 民 衆 は 彼 ら の 徳 を 思 っ て は 、 必 ず そ の 人 を 称 賛 し 、 朝 夕 に そ の 人 を 言 こ と 祝 ほ い で 、 皇 天 に ま で 昇 せ 聞 か し め 、 天 つ 神 は ︵ そ れ を ︶ 嘉 納 さ れ ま す 。 そ れ ゆ え 、︵ 天 は ︶ そ の 世 を と こ し え に し 、 そ の 実 り を 豊 か に さ れ る の で す 。 と ﹃ 大 戴 礼 記 ﹄ 盛 徳 篇 、     夫 民 善 其 德 、 必 稱 其 人 、 故 今 之 人 稱 五 帝 三 王 者 、 依 然 若 猶 存 者 、 其 法 誠 德 、 其 德 誠 厚 。 夫 民 思 其 德 、 必 稱 其 人 、 朝 夕 祝 之 、 升 聞 於 皇 天 、 上 帝 歆 焉 、 故 永 其 世 而 豐 其 年 。 ︵ 訳 は 省 略 。︶ と 非 常 に よ く 似 た 文 章 の 後 に 26、 夏 桀 、 商 紂 の 暴 政 と 、 そ の 暴 政 に 対 し て 天 が 降 す 災 に つ い て 述 べ 、 末 尾 は ﹁ 公 懼 焉 と し て 曰 く 、 民 の 上 に 在 る 者 、 以 て 懼 る る 無 か る べ け ん や ﹂ と の 哀 公 の 言 葉 で 結 ば れ て い る 。 形 の 上 で は 、 前 半 に 引 き 続 い て 孔 子 が 語 っ て い る こ と に な っ て は い る の だ が 、こ の 部 分 に は も は や 一 字 の ﹁ 兵 ﹂ 字 も 現 れ ず 、 内 容 的 な 断 絶 は 明 ら か で あ る 。 こ の 前 半 部 と 後 半 部 の 接 続 が 、 こ の 篇 の 編 者 に よ る も の と は 思 わ れ な い 。   こ の 後 半 部 に 見 え る 、 桀 紂 の 暴 政 に 対 し て 天 が 降 す 災 に つ い て 語 る 部 分 は 、 思 想 的 に は 誥 志 篇 で 聖 人 が 国 を 治 め た 場 合 の 瑞 祥 に つ い て 述 べ る 部 分 と 対 を な す も の で あ る し 、 誥 志 篇 で は こ の 部 分 の 直 前 に ﹁ 堯 ﹂﹁ 舜 ﹂﹁ 禹 ﹂﹁ 湯 ﹂﹁ 文 王 ﹂ へ の 言 及 が あ っ て 、﹁ 故 今 之 道 堯 舜 禹 湯 文 武 者 ﹂ と 対 応 す る か ら 、 あ る い は こ の 後 半 部 全 体 が 誥 志 篇 か ら の 錯 簡 で あ る の か も 知 れ な い 。 た だ 、 こ れ が 錯 簡 で あ る と す る と 、 用 兵 篇 の も と も と の 文 字 数 は わ ず か 一 八 九 字 と な っ て 、 他 篇 と の バ ラ ン ス を 大 き く 欠 く こ と に な る 27。 も と も と の ﹃ 三 朝 記 ﹄ が 、 こ れ だ け を 独 立 さ せ て 一 篇 と し て い た と は 思 わ れ な い 。   目 を 誥 志 篇 の 方 に 移 す な ら ば 、 用 兵 篇 後 半 部 を 錯 簡 と し て 、 か り に 誥 志 篇 の ﹁ 國 家 之 昌 、 國 家 之 臧 、 信 仁 ﹂ の 下 に 置 く な ら ば 、 こ の 錯 簡 の 末 尾 で 対 話 が 閉 じ ら れ 、 同 篇 末 の     是 故 不 賞 不 罰 、 如 ︵ = 而 ︶ 民 咸 盡 力 4 、 車 不 建 戈 、 遠 邇 咸 服 4 、 胤 使 來 往 、 地 賓 ︵ = 濱 ︶ 畢 極 4 、 無 怨 無 惡 、 率 惟 懿 德 4 。 此 無 空 禮 、 無 空 名 9 、 賢 人 並 憂 ︵ = 優 ︶ 、 殘 毒 以 時 省 9 、 舉 良 良 、 舉 善 善 、 恤 民 使 仁 、 日 斅 仁 實 28也 。       そ れ 故 、 賞 罰 を 行 わ な く て も 、 民 衆 は み な 力 を 尽 く し て ︵ は た ら き ︶、 兵 車 に 戈 を 建 て ︵ て 威 を 示 さ ︶ な く て も 、 遠 国 も 近 国 も み な 服 従 し て 、︵ 各 国 の ︶ 世 継 ぎ が 使 者 と し て 往 来 し 、︵ そ の 使 者 が や っ て く る 範 囲 は ︶ 地 の 果 て ま で 極 め 尽 く し 、︵ 民 衆 は ︶ 怨 む こ と 無 く 、 憎 む こ と 無 く 、︵ 主 君 の ︶ 美 徳 に 従 い ま す 。 こ こ に は 空

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虚 な 礼 も 空 虚 な 名 も 無 く 、 賢 人 は み な 和 ら い で 、 人 を 害 す る 者 ど も は 時 々 に 除 か れ 、 善 良 の も の を ︵ 上 に ︶ 持 ち あ げ て は 、︵ 民 も ︶ 善 良 と な り 、 民 を 慈 し ん で 仁 者 を 用 い 、 日 々 仁 の 実 を 学 ん で い き ま す 。 が 浮 く こ と に な る 。 た だ 、 こ の 浮 い た 部 分 は 誥 志 篇 の 中 で 押 韻 が 確 認 で き る 数 少 な い 部 分 の 一 つ で あ っ て 29、 文 体 的 に 他 と 異 質 で あ り 、 内 容 的 に も ど う し て も こ の 篇 に な け れ ば な ら な い よ う な も の で は な い 。 こ れ も も と も と は 他 篇 に あ っ た も の の よ う に 感 じ ら れ る の で あ る 。   と 、 こ の よ う に 今 本 の 千 乗 等 七 篇 を 眺 め て い る と 、 今 本 に つ ら な る テ キ ス ト は 一 度 大 き な 攪 乱 を 受 け て 、 ち ょ う ど 現 在 の わ れ わ れ が ば ら ば ら に な っ て 出 土 し て き た 竹 簡 を つ な ぎ 合 わ せ る よ う な 形 で 、 再 綴 合 さ れ て で き た も の で は な い か と 疑 わ れ て く る の で あ る 。 そ の 際 、 も と も と の ﹃ 三 朝 記 ﹄ が 対 話 篇 と し て そ れ ほ ど 緊 密 な 構 成 を 持 っ て い な か っ た が た め に 、 綴 合 上 の 困 難 が 生 じ て 今 本 の よ う な 形 に な っ た の で は な か ろ う か 。   こ の 疑 い を 更 に 強 く す る の は 、 千 乗 等 七 篇 に お い て は 、 指 示 語 の 指 し 示 す も の が 篇 中 で 明 示 さ れ て い な い 場 合 が あ る こ と で あ る 。 四 代 篇 に 、     子 曰 、 有 天 德 、 有 地 德 、 有 人 德 、 此 謂 三 德 。 三 德 率 行 、 乃 有 陰 陽 。 陽 曰 德 、 陰 曰 刑 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 天 の 徳 、地 の 徳 、人 の 徳 が あ っ て 、こ れ を ﹁ 三 徳 ﹂ と 言 い ま す 。 こ の 三 徳 が と も に 行 わ れ る に は 、 さ ら に 陰 陽 と い う も の が あ り ま す 。 陽 を 徳 と 言 い 、 陰 を 刑 と 言 い ま す 。     公 曰 、 善 哉 、 再 聞 此 矣 。 陽 德 何 出 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 す ば ら し い 。 ふ た た び こ の こ と を 聞 け る と は 。 ︵ そ れ で 、 そ の ︶ 陽 徳 は 何 を 生 み だ す の か 。 と あ る ﹁ 再 聞 此 矣 ﹂ の ﹁ 此 ﹂ は 、 す な お に 考 え る な ら ば 、﹁ 三 徳 ﹂ も し く は ﹁ 陰 陽 刑 徳 ﹂ に つ い て の 言 で な け れ ば な ら な い が 、 こ の 篇 の 手 前 の 部 分 で こ れ ら に 言 及 す る 部 分 は な い 。 洪 頤 煊 や 黄 懐 信 は 前 文 の ﹁ 興 民 之 陽 德 ﹂ を 指 す と す る が 、 こ の 語 は 哀 公 に よ っ て 語 ら れ た も の で あ っ て 、 孔 子 が 語 っ た も の で は な い 30。 こ の 篇 を 見 る だ け で は な ぜ 哀 公 が ﹁ 再 び ﹂ と 言 っ た の か 不 明 で あ る 。 ま た 、 虞 戴 徳 篇 の 冒 頭 部 の 、     公 曰 、 昔 有 虞 戴 德 何 以 、 深 慮 何 及 、 高 舉 安 取 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 昔 、 有 虞 氏 舜 は 何 に よ っ て 徳 を 積 み 、 そ の 深 慮 は ど こ ま で 及 び 、 そ の 高 い 行 い は 何 に 倣 っ た も の か 。     子 曰 、 君 以 ︵ = 已 ︶ 聞 之 。 唯 ︵ = 雖 ︶ 丘 無 以 更 也 。 君 之 聞 如 ︵ = 而 ︶ 未 成 也 、 黄 帝 纂 31脩 之 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 そ の こ と に つ い て 公 は す で に お 聞 き に な っ て お ら れ ま す 。 わ た し と し ま し て も 変 更 し て お 答 え す る も の は あ り ま せ ん 。 も し お 聞 き に な ら れ て ま だ 十 分 で な い と 思 わ れ ま す な ら ば 、 継 い で は 黄 帝 ︵ の 道 ︶ を お 修 め く だ さ い 。 も 、 読 み 難 い 部 分 で は あ る が 、 か り に 上 の よ う に 読 む な ら ば 、﹁ 以 す で に 之 を 聞 け り ﹂ の 具 体 的 な 内 容 は こ の 篇 に は 見 え て い な い こ と に な る 。 あ る い は 七 篇 が 一 連 の 対 話 と し て 理 解 さ れ て い た か ら こ の よ う な こ と が 起 こ り 得 る の か も 知 れ な い が 32、 篇 の ま と ま り を 越 え て 、 他 篇 で の 言 葉 を 指 示 語 で 指 し 示 す よ う な 先 秦 文 献 は 他 に 例 を 見 な

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い 。   も と よ り 、 こ れ は 今 本 か ら 受 け る 印 象 に 過 ぎ な い の で は あ る が 、 上 の 疑 い が 真 に 根 拠 の あ る も の で あ る と す れ ば 、 今 本 の 千 乗 等 七 篇 は 二 重 の 意 味 で 寄 せ 集 め 的 性 格 を 持 つ と 言 え る で あ ろ う 。 一 つ は も と も と の ﹃ 三 朝 記 ﹄ が 持 つ 資 料 の 寄 せ 集 め 的 性 格 で あ り 、 一 つ は そ れ が 一 度 ︵ お そ ら く は 秦 禍 の 際 に ︶ 攪 乱 さ れ て ふ た た び 寄 せ 集 め ら れ た と い う 意 味 で の そ れ で あ る 。 も っ と も 、 後 者 の 意 味 で の 寄 せ 集 め 的 性 格 の 存 在 を 言 う の で あ れ ば 、 今 本 の 千 乗 等 七 篇 を 再 び 編 集 し な お し て 、 原 本 の ﹃ 三 朝 記 ﹄ と 思 わ れ る も の を 復 元 し な け れ ば な ら な い の だ が 、 そ の 作 業 は 現 在 の 論 者 の 力 を 超 え る 。 こ こ で は 、 こ の あ た り で ﹃ 三 朝 記 ﹄ の 構 成 に つ い て の 話 を 一 度 打 ち 切 っ て 、 そ の 思 想 の 検 討 に 移 り た い と 思 う 。           今 本 の 千 乗 等 七 篇 が 上 述 の よ う な 寄 せ 集 め 的 性 格 を 持 つ も の で あ る な ら ば 、 今 本 の 各 篇 の ま と ま り を 絶 対 的 な も の と 見 な し て 、 篇 ご と に そ の 思 想 に つ い て 議 論 し て い く こ と は あ ま り 意 味 を 持 た な い こ と に な ろ う 。 今 本 の 各 篇 は 内 容 的 に そ れ な り の ま と ま り を 有 し て い る か ら 、 篇 ご と の ま と ま り は 一 応 は 尊 重 さ れ る べ き で あ る に し て も 、 こ こ で は 篇 の 垣 根 を 払 っ て 千 乗 等 七 篇 全 体 か ら う か が え る 思 想 的 傾 向 を 以 て 、﹃ 三 朝 記 ﹄ の ﹁ 思 想 ﹂ に 当 て る こ と に し た い と 思 う 。 さ い わ い 、 前 稿 で 示 し た よ う に 千 乗 等 七 篇 は 各 篇 の 間 で 共 通 す る 表 現 が 少 な く な く 、 同 一 の 編 者 が 比 較 的 短 期 間 の う ち に ま と め た も の と 推 定 さ れ る か ら 、 こ の よ う な 意 味 で の ﹃ 三 朝 記 ﹄ の 思 想 を 論 ず る こ と は 、 そ れ ほ ど 不 当 な こ と で は な い で あ ろ う 。 ま た 、 も と も と の ﹃ 三 朝 記 ﹄ の 持 つ 資 料 の 寄 せ 集 め 的 性 格 を 考 え る な ら ば 、 厳 密 に 言 え ば 、﹃ 三 朝 記 ﹄ の 編 者 が 利 用 し た 資 料 の 持 つ 思 想 と 、 そ の よ う な 資 料 を 組 み 合 わ せ て 対 話 篇 を 組 み あ げ た ﹃ 三 朝 記 ﹄ の 編 者 の 思 想 は 区 別 し て 論 じ ら れ な け れ ば な ら な い が 、 そ の 原 資 料 を 特 定 で き な い 現 状 で は 、 こ の よ う な 分 析 は 望 む べ く も な い 。 し た が っ て 、 こ こ で は か な り 粗 い 議 論 で 満 足 し な け れ ば な ら な い こ と に な る 。   さ て 、 先 に 誥 志 篇 末 尾 の 有 韻 の 部 分 に 触 れ た が 、 千 乗 等 七 篇 に は 他 に も 韻 を 踏 ん で い る と 思 わ れ る 部 分 が あ り 、 そ れ が ま た 一 つ の 思 想 的 傾 向 と 結 び 付 い て い る 。 ま ず 、 こ の 点 か ら 確 認 し て い く こ と に し た い 。 千 乗 等 七 篇 に お い て 脚 韻 を 意 識 し て い る と 思 わ れ る の は 次 の 部 分 で あ る ︵ 上 述 の 誥 志 篇 末 尾 の 例 と 詩 の 引 用 を 除 く ︶ 。   ・ 四 代 篇 ⋮ 天 道 以 視 4 、 地 道 以 履 4 、 人 道 以 稽 4 。 ︵ 視 、 履 、 稽 = 脂 部 ︶   ・ 虞 戴 徳 篇 ⋮ 天 事 曰 明 4 、 地 事 曰 昌 4 、 人 事 曰 樂 33、比 兩 以 慶 4 。 ︵ 明 、昌 、 慶 = 陽 部 34︶   ・ 虞 戴 徳 篇 ⋮ 昭 天 之 福 4 、 迎 之 以 祥 9 。 作 地 之 穡 4 35、 制 之 以 昌 9 。 興 民 之 德 4 、 守 之 以 長 9 。 ︵ 福 、 穡 、 德 = 職 部 。 祥 、 昌 、 長 = 陽 部 36︶   ・ 誥 志 篇 ⋮ 天 曰 作 明 37、 維 天 是 戴 4 。 地 曰 作 昌 、惟 地 是 事 4 。 人 曰 作 樂 、 惟 民 是 嬉 4 。 ︵ 戴 、 事 、 嬉 = 之 部 ︶   ・ 千 乗 篇 ⋮ 壯 狡 用 力 4 、 於 茲 民 游 9 、 薄 事 貪 食 4 、 於 茲 民 憂 9 。 ︵ 力 、 職 = 職 部 。 游 、 憂 = 幽 部 ︶   ・ 虞 戴 徳 篇 ⋮ 故 有 子 不 事 父 、 必 38順︵ 4 = 訓 ︶ 。 有 臣 不 事 君 、必 刃 4 。 ︵ 順 、

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訓 、 刃 = 文 部 ︶   ・ 虞 戴 徳 篇 ⋮ 祀 則 得 福 4 、 以 征 則 服 4 、 此 唯 官 民 之 上 德 4 也 。 ︵ 福 、 服 、 德 = 職 部 ︶ 最 後 の 例 は あ る い は 韻 を 踏 ん で い る わ け で は な い か も 知 れ な い が 、 こ う 抜 き 出 し て み る と 、﹁ 天 ﹂﹁ 地 ﹂﹁ 人 ﹂ の 三 才 を 並 列 す る 部 分 で 多 く 韻 を 踏 ん で い る こ と が わ か る 。 三 才 を 並 列 す る の は 他 に 、   ・ 四 代 篇 ⋮ 有 天 德 、 有 地 德 、 有 人 德 、 此 謂 三 德 。   ・ 誥 志 篇 ⋮ 天 作 仁 、 地 作 富 4 、 人 作 治 4 。 ︵ 富 = 職 部 。 治 = 之 部 。 職 、 之 は 陰 入 対 転 ︶   ・ 少 間 篇 ⋮ 天 政 曰 正 4 、 地 政 曰 生 4 、 人 政 曰 辨 。 ︵ 正 、 生 = 耕 部 39︶ が 見 え る が 40、 四 代 篇 の 例 は 置 く と し て も 、 他 の 二 例 に お い て 三 才 の 内 の 二 つ に つ い て は 韻 が そ ろ っ て い る か ら 、 こ こ で も 韻 を 合 わ せ よ う と す る 意 識 を 読 み 取 る こ と が で き る 。 そ し て 、 千 乗 等 七 篇 は 全 体 と し て は 有 韻 の 文 章 で は な い か ら 、 こ れ ら の 部 分 は 、 そ の 編 者 が 何 ら か の 資 料 か ら 抜 き 出 し て き た も の で あ る こ と を 示 唆 し て い よ う 。   先 秦 文 献 で 天 地 と 人 を 結 び 付 け て 語 る も の は 少 な く な い が 、 上 に 示 し た よ う な 形 で き れ い に 三 才 を 並 べ る 資 料 は 比 較 的 限 ら れ て い る 。 た と え ば 、﹁ 三 才 ﹂ の 語 の 見 え る ﹃ 周 易 ﹄ に し て も 、﹁ 天 ﹂﹁ 地 ﹂﹁ 人 ﹂ を き れ い な 形 で 並 列 す る の は 、﹁ 三 才 ﹂ の 語 の 見 え る 繋 辞 下 伝 と 説 卦 伝 の 二 か 所 だ け で あ る 41。 千 乗 等 七 篇 と 重 複 の 多 い ﹃ 左 伝 ﹄ に し て も 、 宣 公 十 五 年 伝 ﹁ 天 4 反 時 爲 災 、 地 4 反 物 爲 妖 、 民 4 反 德 爲 亂 ﹂ と 、 昭 公 二 十 五 年 伝 ﹁ 夫 禮 、 天 4 之 經 也 、 地 4 之 義 也 、 民 4 之 行 也 ﹂ の 二 例 を 数 え る に 過 ぎ な い 。 し か も 、 こ れ ら の 例 に お い て は 押 韻 さ れ て い る わ け で は な い 42。 三 才 を 並 列 し て 、 か つ 韻 を 踏 ん で い る 例 は 少 な く 、 現 存 の 先 秦 文 献 で は お そ ら く 次 の 五 例 だ け で あ ろ う 43。   ・ ﹃ 荀 子 ﹄ 天 論 篇 ⋮ 天 有 其 時 4 、 地 有 其 財 4 、 人 有 其 治 4 、 夫 是 之 謂 能 參 。 ︵ 時 、 財 、 治 = 之 部 ︶   ・ ﹃ 呂 氏 春 秋 ﹄ 序 意 篇 ⋮ 天 曰 順 、 順 維 生 4 。 地 曰 固 、 固 維 寧 4 。 人 曰 信 、 信 維 聽 4 。 ︵ 生 、 寧 、 聽 = 耕 部 ︶   ・ ﹃ 管 子 ﹄ 内 業 篇 ⋮ 天 主 正 4 、 地 主 平 4 、 人 主 安 靜 4 。 ︵ 正 、 平 、 靜 = 耕 部 ︶   ・ 馬 王 堆 帛 書 ﹃ 称 ﹄ ⋮ 天 制 寒 暑 4 、 地 制 高 下 4 、 人 制 取 予 4 。 ︵ 暑 、 下 、 予 = 魚 部 ︶   ・ 楚 竹 書 ﹃ 三 徳 ﹄ 簡 一 ⋮ 天 共 ︵ = 供 ︶ 時 4 、 地 共 材 4 、 民 共 力 4 、 明 王 無 思 4 、 是 謂 三 德 4 。 ︵ 時 、 材 、 思 = 之 部 。 力 、 德 = 職 部 。 之 、 徳 は 陰 入 対 転 ︶   ﹁ 天 ﹂﹁ 地 ﹂﹁ 人 ﹂ を 並 べ る 発 想 自 体 は 、﹃ 孟 子 ﹄ あ た り で も 兵 法 に 結 び 付 け て ﹁ 天 時 は 地 利 に 如 か ず 、 地 利 は 人 和 に 如 か ず ﹂ ︵ 公 孫 丑 下 篇 ︶ と 語 ら れ て い て 、 こ の ﹁ 天 時 ﹂﹁ 地 利 ﹂﹁ 人 和 ﹂ の セ ッ ト は 銀 雀 山 漢 簡 の ﹃ 孫 臏 兵 法 ﹄ 月 戦 篇 に も ﹁ 天 時 、 地 利 、 人 和 、 三 者 得 ざ れ ば 、 勝 つ と 雖 も 央 ︵ = 殃 ︶ 有 り ﹂ と 見 え て い る か ら 、 も と も と は 兵 法 思 想 に 由 来 す る も の で あ ろ う が 44、 こ の 発 想 は 戦 国 期 に お い て は 学 派 の 枠 を 超 え て 広 く 受 け 入 れ ら れ て い る 。 上 の 五 例 も ま た 一 つ の 学 派 に 括 ら れ る も の で は な い も の の 、﹃ 荀 子 ﹄ 以 外 の 四 例 が 黄 老 思 想 と の 関 連 を 示 し て い る こ と は 注 目 に 値 し よ う 。 馬 王 堆 帛 書﹃ 称 ﹄ を 含 む 、﹃ 経 法 ﹄、 ﹃ 十 六 経 ﹄、 ﹃ 原 道 ﹄ ︵ 以 下 ﹁﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 ﹂ と 呼 ぶ ︶ は ﹃ 漢 書 ﹄ 芸 文 志 ・ 道 家 類 の ﹃ 黄 帝 四 経 ﹄ に 比 定 す る 説 が 有 力 で あ る し 、 楚 竹 書 の ﹃ 三 徳 ﹄ も ﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 と の 類 似 が 指 摘 さ れ 、 黄 老 思 想 を 伝 え る 文 献 と 目 さ れ て い る 45。﹃ 呂 氏 春 秋 ﹄序 意 篇 の 例 も﹁ 嘗

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て 黄 帝 の 顓 頊 に 誨 ふ る 所 以 を 学 ぶ を 得 た り ﹂ で 導 か れ る 部 分 に 記 さ れ て い る か ら 、 黄 老 思 想 と の 関 係 を 窺 わ せ る も の で あ る 。 内 業 篇 は い わ ゆ る﹃ 管 子 ﹄四 篇 ︵ 心 術 上 下 、内 業 、白 心 の 四 篇 ︶ の 一 つ で あ る が 、﹃ 管 子 ﹄ 四 篇 と ﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 に 類 似 し た 語 句 が 見 え る こ と が 知 ら れ て い る 46。﹃ 荀 子 ﹄ の 例 に し て も 、﹃ 三 徳 ﹄ の そ れ に 似 る か ら ︵﹁ 財 ﹂﹁ 材 ﹂ は 通 用 ︶ 、 あ る い は 何 か も と づ く と こ ろ が あ る の か も 知 れ な い 47。   ﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 を は じ め と し て 、 い わ ゆ る 黄 老 文 献 に 三 才 の 並 列 が 顕 著 で あ る こ と 、 ま た 、 有 韻 の 部 分 が 目 立 つ こ と は よ く 知 ら れ て い る し 48、 上 に 引 い た 虞 戴 徳 篇 の よ う に 千 乗 等 七 篇 に お い て も ま た 黄 帝 に つ い て の 言 及 が あ る こ と を あ わ せ 考 え る な ら ば 、 三 才 に 関 す る 有 韻 の 記 述 は 、 何 ら か の 黄 老 文 献 に 依 っ て い る 可 能 性 が 高 い と 言 え よ う 。 上 に 引 い た 四 代 篇 で 天 地 人 の ﹁ 三 徳 ﹂ を 語 る 部 分 の 後 ろ に 見 え て い る 陰 陽 刑 徳 説 も ま た ﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 に 見 え て い る か ら 49、 こ れ も ま た 何 ら か の 黄 老 文 献 に 基 づ い た も の と 思 わ れ る 。も っ と も 、 千 乗 等 七 篇 に 見 え る 三 才 に 関 す る 記 述 と 全 く 同 じ も の は 、﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 な ど の 現 存 す る 黄 老 文 献 に は 見 え て い な い か ら 、 七 篇 の 編 者 が 具 体 的 に ど の よ う な 資 料 に 基 づ い た の か ま で は わ か ら な い 。た だ 、 千 乗 等 七 篇 の 編 者 が 、 黄 老 思 想 と 何 ら か の 接 点 を 持 っ て い た こ と は 確 か で あ ろ う 。   千 乗 等 七 篇 に せ よ 、﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 に せ よ 、 三 才 を 並 列 し て 語 る の は 、﹁ 天 ﹂﹁ 地 ﹂﹁ 人 ﹂ そ れ ぞ れ の あ り 方 に 何 ら か の 恒 常 性 や 規 則 性 を 認 め 、 そ れ に 従 う べ き で あ る と 考 え る か ら で あ る 。 千 乗 等 七 篇 で は ﹁ 天 に 率 し た が ひ 地 に 祖 の っ と り 、 能 く 民 の 徳 を 用 ふ ﹂ と 語 ら れ た あ と に 、 そ の 則 る べ き ﹁ 天 地 人 の 常 道 ﹂ ︵ 孔 広 森 補 注 ︶ が ﹁ 三 常 ﹂ の 語 で 括 ら れ て い る し ︵ 虞 戴 徳 篇 ︶ 、 四 代 篇 で 三 才 を 語 る の も 次 の 対 話 に お い て で あ る 。     公 曰 、 所 謂 民 與 天 地 相 參 者 、 何 謂 也 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 民 と 天 地 と で 三 と な る と 言 わ れ て い る が 、 ど う い う 意 味 か 。     子 曰 、天 道 以 視 、地 道 以 履 、人 道 以 稽 。 廢 一 曰 失 統 、恐 不 長 饗 國 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 天 の 道 に よ っ て ︵ 物 事 を ︶ 見 て 、 地 の 道 に よ っ て ︵ 物 事 を ︶ 行 い 、 人 の 道 に よ っ て ︵ 物 事 を ︶ 考 え る 、 と い う こ と で す 。︵ 天 道 、地 道 、人 道 の ︶一 つ を お ろ そ か に す る の を﹁ 失 統︵ 綱 紀 を 失 う ︶﹂ と 言 っ て 、︵ そ う な れ ば ︶ 長 く 国 を 保 つ こ と は で き な く な り ま し ょ う 。 一 方 、﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 に お い て も 、﹃ 経 法 ﹄ 道 法 篇 ﹁ 天 地 に 恒 常 有 り 、 万 民 に 恒 事 有 り ﹂ や ﹃ 十 六 経 ﹄ 果 童 篇 ・ 行 守 篇 ﹁ 天 に 恒 幹 有 り 、 地 に 恒 常 有 り ﹂ 50を 代 表 と し て 、﹁ 天 ﹂﹁ 地 ﹂﹁ 人 ﹂ そ れ ぞ れ の 恒 常 、 常 道 が 語 ら れ 、 そ れ に 従 う こ と が 求 め ら れ て い る 。 こ の 意 味 で 両 者 は 共 通 の 思 想 的 基 盤 に 立 つ が 、 千 乗 等 七 篇 に お い て は 、﹃ 経 法 ﹄ 等 四 篇 の よ う に ﹁ 道 ﹂ の 形 而 上 学 が 語 ら れ た り 、﹁ 無 為 ﹂ や ﹁ 無 私 ﹂ が 強 調 さ れ る こ と は な く 、 道 家 に 特 徴 的 な 要 素 は 完 全 に 取 り 除 か れ て い る 。 か わ り に 目 立 つ の は 、 暦 に 対 す る 強 い 関 心 で あ る 。 虞 戴 徳 篇 で は 、     天 子 告 朔 於 諸 侯 、 率 天 道 而 敬 行 之 、 以 示 威 於 天 下 也 。       天 子 は 各 月 の 朔 日 を 示 し た 暦 を 諸 侯 に 授 け 、 天 の 道 に 従 い 、︵ 天 の 道 が 示 す も の を ︶ 敬 い 行 っ て 、 そ の こ と に よ っ て 天 下 に 対 し て 威 厳 を 示 し ま す 。

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と 天 子 の 告 朔 の こ と が 記 さ れ 、 用 兵 篇 で は 、 桀 紂 の 暴 政 を 描 い て は 、     暦 失 制 、 攝 提 失 方 、 孟 鄒 ︵ = 陬 51︶ 無 紀 、 不 告 朔 於 諸 侯 。       暦 は 混 乱 し 、︵ 十 二 月 の 辰 を 示 す ︶ 攝 提 も 正 し い 方 角 を 示 さ ず 、 年 の 始 め ︵ の 置 き 方 ︶ も で た ら め で 、 朔 を 諸 侯 に 告 げ な く な り ま し た 。 と 記 さ れ る 。 誥 志 篇 で は 、     丘 聞 周 太 史 曰 、 正 52不 率 天 、 亦 53不 由 人 、 則 凡 事 易 壞 而 難 成 。 虞 史 伯 夷 曰 、 明 、 孟 也 。 幽 、 幼 也 。 明 幽 、 雌 雄 也 。 雌 雄 迭 興 而 順 、 至 正 之 統 也 。       わ た く し 丘 は 聞 い て 居 り ま す が 、 周 の 太 史 が 言 い ま す に 、︵ 暦 の 上 の ︶ 正 月 ︵ を 定 め る こ と ︶ が 天 ︵ の 運 行 ︶ に 従 わ ず 、 ま た 人 ︵ の 生 活 の リ ズ ム ︶ に 則 っ て い な い な ら ば 、 す べ て の 事 は 破 れ や す く 成 り が た い 、と 。︵ ま た ︶ 虞 史 の 伯 夷 が 言 い ま す に は 、明 ︵ 太 陽 ︶ は 、 孟 ︵ 年 長 者 ︶ で あ り 、 幽 ︵ 月 ︶ は 、 幼 ︵ 年 少 者 ︶ で あ り 、 明 幽 は 、 雌 雄 で あ り 。 雌 雄︵ 日 月 ︶が か わ る が わ る 照 ら し て 秩 序 が あ る の が 、 最 も 正 し い さ だ め で あ る 、 と 。 と 周 太 史 と 虞 史 伯 夷 の 言 を 引 い て ﹁ 虞 夏 の 暦 ﹂ に 説 き お よ び 、 さ ら に は 、     日 月 成 歳 、 暦 再 閏 以 順 天 道 、 此 謂 歳 餘 54汁 ︵ = 叶 ︶ 月 。       日 月 ︵ の 動 き ︶ が 、 一 年 を 定 め 、暦 は ︵ 五 年 に ︶ 二 度 閏 月 を 置 い て 、 天 の 運 行 に 従 う 。 こ れ を 歳 余 が 月 ︵ の め ぐ り ︶ に 適 う と 言 い ま す 。 と 置 閏 の 法 ま で が 語 ら れ る 。 正 し い 暦 を 作 成 し 、 そ れ を 天 子 が 告 朔 の 礼 を 通 じ て 諸 侯 に 頒 布 し 、 そ の 暦 に し た が っ て 時 節 に か な っ た 礼 を 行 う こ と が 求 め ら れ る の で あ る 。   こ の 考 え 方 が 時 令 説 と 近 縁 で あ る こ と は 見 や す い が 、 時 令 説 と の 関 連 は 、 す で に 検 討 し た 千 乗 篇 の ﹁ 四 佐 ﹂ を 述 べ た 部 分 の 各 項 の 末 尾 な ど に も 明 確 に 現 れ て い る 。 た だ 、 時 令 を 守 る だ け で 十 分 で あ る と 考 え ら れ て い る わ け で は な く 、 誥 志 篇 で は 次 の よ う に 言 わ れ て い る 。     夫 禮 會 其 四 時 、 四 孟 、 四 季 、 五 牲 、 五 穀 順 至 、 必 時 其 節 也 、 丘 未 知 其 可 以 爲 遠 災 也 。       さ て 、礼 は 四 時 と 歩 み を あ わ せ て 、四 孟 、四 季 も 、︵ 祭 り に さ さ げ る ︶ 五 牲 、 五 穀 も 順 序 を た が え ず ︵ 祭 礼 を ︶ 行 い 、 必 ず 時 節 に 合 す る よ う に 致 し ま す が 、 わ た く し に は そ れ で 災 害 を 遠 ざ け る こ と が で き る か ど う は 分 か り か ね ま す 。 続 く 対 話 は 、     公 曰 、 然 則 爲 此 何 以 。       哀 公 は 言 わ れ た 。 な ら ば 何 に よ っ て 災 害 を 遠 ざ け る の か 。     子 曰 、 知 仁 合 則 天 地 成 、 天 地 成 則 庶 物 時 、 庶 物 時 則 民 財 55、 民 財 以 時 作 。 時 作 則 節 事 、 節 事 以 動 衆 56則 有 極 。 有 極 以 使 民 則 勸 、 勸 則 有 功 、 有 功 則 無 怨 、 無 怨 則 嗣 世 久 、 唯 聖 人 。       孔 子 は 言 わ れ た 。︵ 君 主 の ︶ 知 と 仁 が 合 わ さ っ て ︵ そ の 力 が 発 揮 さ れ れ ば 、 そ れ が 天 地 に 及 ん で ︶ 天 地 が ︵ そ の 本 来 の は た ら き を ︶ 成 し 遂 げ 、 天 地 が ︵ そ の 本 来 の は た ら き を ︶ 成 し 遂 げ れ ば 、 万 物 は 時 を 得 て ︵ 成 長 し ︶、 万 物 が 時 を 得 て ︵ 成 長 す れ ば ︶ 民 の 財 が あ つ ま り 、 民 の 財 が あ つ ま っ た 上 で 時 に 従 っ て ︵ 民 に ︶ 仕 事 を さ せ る 。 時 に 従 っ て ︵ 民 に ︶ 仕 事 を さ せ る な ら ば 、 民 の 仕 事 は 節 制 さ れ 、 民 の 仕 事 を 節 制 し て 民 衆 を 動 か す な ら ば 、︵ 民 を 使 う ︶ 中

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正 を 得 る こ と に な る 。 中 正 を 得 て 民 を 使 え ば ︵ 民 は ︶ 勤 勉 と な り 、 ︵ 民 が ︶ 勤 勉 で あ れ ば 功 績 が 上 が る 。 功 績 が あ が れ ば ︵ 民 は 上 を ︶ 怨 む こ と な く 、︵ 民 が 上 を ︶ 怨 む こ と が な け れ ば 世 よ ︵ 為 政 者 と し て の 位 を ︶ 継 ぐ こ と に な り ま す 。 た だ ︵ こ れ は ︶ 聖 人 だ け ︵ が で き る こ と ︶ で す 。 よ っ て 、為 政 の 根 底 に は 為 政 者 の ﹁ 仁 ︵ 知 ︶ ﹂ が 置 か れ る こ と に な る 。 こ の 孔 子 の 答 え の 最 初 の 部 分 に 出 て く る ﹁ 知 仁 合 す れ ば 則 ち 天 地 成 る ﹂ は 、王 聘 珍 が ﹃ 礼 記 ﹄ 中 庸 篇 ﹁ 己 を 成 す は 、仁 な り 。 物 を 成 す は 、 知 な り 。 性 の 徳 な り 。 内 外 を 合 す る の 道 な り ﹂ を 引 い て 注 す る よ う に 、 中 庸 篇 と の 関 連 を 示 す も の の よ う に 見 え る 。 あ る い は 両 者 の 間 に 何 ら か の 関 係 が あ る の か も 知 れ な い が 、 た だ 、 中 庸 篇 に お い て は 、 ﹁ 仁 ﹂﹁ 知 ﹂ が 為 政 者 の 内 面 的 な 徳 と し て と ら え ら れ て い る の に 対 し 、 千 乗 等 七 篇 に お い て は 、 そ の 内 な る 徳 と し て の 性 格 が 強 調 さ れ な い こ と に 注 意 し て お く 必 要 が あ ろ う 。 た と え ば 、 千 乗 篇 で ﹁ 不 仁 な れ ば 、 国 は 化 せ ず ﹂ と ﹁ 仁 ﹂ が 問 題 に さ れ て も 、 そ れ に 続 く の は ︵ 錯 簡 を 認 め る に せ よ 、認 め な い に せ よ ︶ 国 家 の 制 度 に つ い て の 議 論 で あ っ て 、為 政 者 の 内 面 的 な 徳 の あ り 方 に 向 か っ て い か な い 。 し た が っ て 、 誥 志 篇 で 次 の よ う に 、 仁 者 た る 聖 人 57の 治 世 に お い て 災 害 が 無 く 瑞 祥 の 下 る こ と が 語 ら れ る の も 、 聖 人 の 内 な る 徳 に 天 が 応 じ た も の で は な く 、 聖 人 が 現 実 に 行 っ て い る 仁 政 に 対 し て 天 が 応 じ た も の と 解 す る べ き な の で あ ろ う 。     聖 人 有 國 、 則 日 月 不 食 、 星 辰 不 勃 ︵ = 孛 ︶ 、 海 不 運 、 河 不 滿 溢 、 川 澤 不 竭 、 山 不 崩 解 、 陵 不 施 ︵ = 阤 ︶ 、 川 浴 ︵ = 谷 ︶ 不 虚 58、 深 淵 不 涸 。       聖 人 が 国 を 治 め る な ら ば 、 日 食 月 食 は 起 こ ら ず 、 星 ぼ し が 彗 星 等 に お か さ れ る こ と も な く 、 海 に は 大 波 が 立 た ず 、 河 が 満 ち 溢 れ る こ と も な く 、 沼 沢 が 干 上 が る こ と も な く 、 山 や 丘 陵 が 崩 壊 す る こ と も な く 、 川 や 谷 の 水 が 無 く な る こ と も な く 、 深 い 淵 が 涸 れ る こ と も あ り ま せ ん 。     於 時 龍 至 不 閃 59、 鳳 降 忘 翼 、 鷙 獸 忘 攫 、 爪 鳥 忘 距 。 蠆 不 螫 嬰 兒 、 ︵ = 蟁 60︶ 蝱 不 食 夭 駒 、雒 出 符 61、河 出 圖 。 自 上 世 以 來 、莫 不 降 仁 。 國 家 之 昌 、 國 家 之 臧 、 信 仁 。       こ の 時 に は 、 龍 も 人 界 に 降 り て き て 人 か ら 逃 げ ず 、 鳳 凰 も 下 っ て 翼 あ る を 忘 れ ︵ て 飛 び 去 ら ず ︶、 猛 獣 も 襲 い か か る の を 忘 れ 、 猛 禽 も け づ め あ る の を 忘 れ ︵ て 人 を 襲 わ な い よ う に な ︶ り ま す 。 蜂 や 蝎 が 子 供 に か み つ く こ と も な く 、 蚊 や 虻 が 子 馬 を 刺 す こ と も な く 、洛 水 は ︵ 神 霊 な ︶ 符 を 、黄 河 は 図 を 出 し ま す 。︵ 以 上 の 瑞 祥 は ︶ 上 世 よ り 以 来 、 仁 者 に 降 ら な い と い う こ と は あ り ま せ ん で し た 。 国 家 が 昌 え 、 国 家 が 正 し い の は 、 実 に 仁 に よ っ て で あ り ま す 。 反 対 に 、 桀 紂 の よ う な 不 仁 者 の 世 に お い て 下 る 災 に つ い て は 、 す で に 指 摘 し た よ う に 用 兵 篇 に 、     於 是 降 之 災 、 水 旱 臻 焉 、 霜 雪 大 薄 62、 甘 露 不 降 、 百 草 嫣 ︵ = 蔫 ︶ 黄 、 五 穀 不 升 、 民 多 夭 疾 、 六 畜 瘁 胔 63、 殀 傷 厥 身 、 失 墜 天 下 。 夫 天 64 之 報 殃 於 無 德 者 、 必 與 其 民 。       そ こ で ︵ 天 は ︶ 彼 ら に 災 を 下 し 、 水 旱 の 害 が 起 こ り 、 霜 や 雪 が 大 い に 下 っ て 、︵ 草 木 を 潤 す ︶ 甘 露 は 降 ら ず に 、 草 々 は 黄 色 く 枯 れ 、 五 穀 は 実 ら ず 、 民 は 多 く 病 に 倒 れ て 夭 折 し 、 家 畜 た ち は 病 ん で や せ 細 り 、 自 ら の 身 を も 傷 つ け て 、 天 下 を 失 う こ と に な り ま す 。 さ

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て ︵ こ の よ う に ︶ 天 が 徳 無 き 者 に 禍 を 下 す 場 合 に は 、 必 ず ︵ そ の 害 が ︶ 民 に も 及 ぶ こ と に な る の で す 。 と 見 え て い る が 、 こ れ も 直 前 に 桀 紂 の 暴 政 が 具 体 的 に 述 べ ら れ て い る か ら 、 そ の 外 面 に あ ら わ れ た ﹁ 無 徳 ﹂ に 対 し て 天 が 降 し た 殃 と 考 え て よ い 。 こ の よ う な 休 祥 災 異 を 説 く の も 千 乗 等 七 篇 の 特 徴 の 一 つ で あ る 。   こ れ が 漢 代 の 災 異 説 と 共 通 の 思 想 的 基 盤 に 立 つ も の で あ る こ と は 見 や す い 。 が 、 災 異 説 と は い ま だ 一 定 の 距 離 を も つ も の で あ る こ と も 見 逃 さ れ て は な ら な い で あ ろ う 。 董 仲 舒 の 災 異 説 を 基 準 と し て 考 え る な ら ば 、 災 異 説 が 成 立 す る た め に は 、 為 政 者 の 個 々 の 失 政 と 、 個 々 の 災 異 が 対 応 し て い る と す る 考 え 方 が そ の 根 底 に な け れ ば な ら な い 。 災 異 を 天 意 の あ ら わ れ と 解 す る に せ よ 、 陰 陽 の 機 械 的 な 感 応 と 解 す る に せ よ 、 こ の 考 え が 前 提 と さ れ て は じ め て 個 々 の 災 異 が 解 釈 さ れ 得 る わ け で あ る 65。 そ れ に 対 し て 、 上 の 休 祥 災 異 の 記 述 に お い て は 、 聖 人 の 治 政 の 全 般 的 な 状 況 に 対 し て 祥 瑞 が 、 暴 君 の 乱 政 の 全 般 的 な 状 況 に 対 し て 天 災 が 下 る の で あ っ て 、 個 々 の 失 政 に 対 す る 個 々 の 災 異 の 対 応 ま で は 想 定 さ れ て い な い 。 そ も そ も 、 桀 紂 の 暴 政 が も は や 単 な る 失 政 の レ ベ ル で と ら え ら れ て い な い こ と は 、 次 の 少 間 篇 の 対 話 か ら も 明 ら か で あ る 。     公 曰 、 所 謂 失 政 者 、 若 夏 商 之 謂 乎 。       哀 公 は 言 わ れ た 。﹁ 失 政 ﹂ と い う の は 、 夏 ︵ の 桀 ︶ 商 ︵ の 紂 ︶ の よ う な も の を 言 う の か 。     子 曰 、 否 、 若 夏 商 者 、 天 奪 之 魄 、 不 生 德 焉 66。       孔 子 は 言 わ れ た 。 い い え 、 夏 ︵ の 桀 ︶ 商 ︵ の 紂 ︶ の 如 き は 、 天 が そ の 魂 を 奪 い 去 り 、︵ 国 を 保 つ ︶ 徳 を 与 え な い ︵ で 国 を 滅 ぼ し た ︶ も の ︵ で 失 政 と は レ ベ ル を 異 に す る も の ︶ で す 。           と こ ろ で 、上 に 引 い た 誥 志 篇 で﹁ 虞 史 伯 夷 ﹂の 言 が 引 か れ て い た が 、 武 王 を 諫 め た と さ れ る 殷 周 の 際 の 伯 夷 で は な く 、 唐 虞 の 時 の 伯 夷 に 言 及 す る 文 献 は 少 な い 。 千 乗 等 七 篇 以 外 で は わ ず か に ﹃ 尚 書 ﹄ 堯 典 ︵ 今 文 ︶ 、呂 刑 と ﹃ 国 語 ﹄ 鄭 語 ︵ 史 伯 為 桓 公 論 興 衰 ︶ お よ び ﹃ 大 戴 礼 記 ﹄ 五 帝 徳 篇 を 数 え る の み で あ る     67。 し か も 、 そ の 記 述 は き わ め て 簡 単 で あ っ て 、 堯 典 で は 舜 が 四 岳 に 諮 っ て 伯 夷 を 秩 宗 ︵ 礼 官 ︶ に 任 じ た こ と が 記 さ れ る だ け で あ り 、 呂 刑 篇 で も 伯 夷 が 刑 典 を 定 め た こ と 、 穆 王 が 当 時 の ﹁ 司 政 ﹂﹁ 典 獄 ﹂ を 戒 め て ﹁ 今 爾 な ん ぢ は 何 を か 監 み る 。 時 こ の 伯 夷 が 刑 を 播 し き し 迪 み ち に 非 ず や 68﹂ と 語 っ た こ と が 記 さ れ る に 過 ぎ な い 。 鄭 語 に し て も 姜 姓 を 伯 夷 の 後 と す る 記 事 と 、﹁ 伯 夷 は 能 く 神 に 礼 し て 以 て 堯 を 佐 た す け し 者 な り ﹂ と の 記 事 が 見 え る の み で あ り 、 五 帝 徳 篇 に お い て も 堯 の 時 に﹁ 伯 夷 、礼 を 主 る ﹂と 言 わ れ る の み で あ る 。 そ れ に 比 し て 、千 乗 等 七 篇 の 伯 夷 へ の 言 及 は 詳 し い 。四 代 篇 で は 、﹁ 規 矩 凖 繩 鈞 衡 ﹂ と ﹁ 水 火 金 木 土 穀 ﹂ の 六 法 六 府 を 伯 夷 が ﹁ 二 帝 之 眇 ︵ 堯 舜 二 帝 の 政 治 の 小 さ な 部 分 ︶ ﹂ と 呼 ん だ こ と が 記 さ れ 、 そ れ を 受 け て ﹁ 大 節 無 廢 、 小 眇 其 後 乎 ︵ 為 政 の 大 体 を 守 っ て お れ ば 、 小 さ な 部 分 は 後 回 し で よ い の で は な い か ︶ ﹂ と 言 う 哀 公 に 対 し て 、 孔 子 が 次 の よ う に 答 え て い る 。

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    子 曰 、 否 、 不 可 後 也 。 詩 云 、 東 有 開 明 。 於 時 鷄 三 號 、 以 興 庶 虞 。 庶 虞 動 、 蜚 征 作 。 嗇 民 執 功 、 百 草 咸 淳 、 地 傾 水 流 之 。 是 以 天 子 盛 服 朝 日 于 東 堂 、 以 敎 敬 示 威 于 天 下 也 。       孔 子 は 言 わ れ た 。 い い え 、 後 回 し に し て は な り ま せ ん 。﹃ 詩 ﹄︵ 小 雅 ・ 大 東 ︶ に も ﹁ 東 に 明 け の 明 星 あ り 69﹂ と あ り ま す が 、 そ の 時 に お い て は 鶏 が 三 度 鳴 い て 、 山 河 を 目 覚 め さ せ 、 山 河 が 目 覚 め て 、 昆 虫 た ち が 動 き だ し 、 農 夫 は 畑 仕 事 に 精 を 出 し 、 草 々 は み な よ く 生 育 し て 、 地 は ︵ 氷 が 解 け て 、 ち ょ う ど ︶ 傾 け た か の よ う に 水 を 流 し 出 し ま す 。 そ こ で 天 子 は 礼 服 で 身 を 固 め て 東 堂 ︵ 明 堂 東 門 の 堂 ︶ で 太 陽 を 礼 拝 し 、 こ の こ と に よ っ て 天 下 に 対 し て 威 厳 を 示 し て 、 敬 つ つ し み を 教 え ま す 。 以 下 、 祭 祀 の 礼 に よ っ て 天 地 の 神 明 の 存 在 を 明 ら か に す る こ と 、 宴 食 の 礼 に よ っ て 慈 愛 の 存 在 を 明 ら か に す る こ と 等 々 、 礼 に よ っ て 民 を 教 化 す る こ と が 列 挙 さ れ 、     此 昔 先 王 之 所 先 施 於 民 也 。 君 而 後 此 、 則 爲 國 家 失 本 矣 。       古 い に し え の 先 王 は ま ず 以 上 の こ と を 民 に 施 し ︵ て 教 え ︶ ま し た 。 公 が こ れ ら の こ と を 後 回 し に さ れ る の で あ れ ば 、 国 家 を 治 め る 根 本 を 失 う こ と に な り ま し ょ う 。 と 結 ば れ る 。 こ れ ら は 直 接 に 伯 夷 に 結 び 付 け ら れ て い る わ け で は な い が 、 対 話 の 流 れ を 考 え る な ら ば 、 伯 夷 が 礼 官 と し て 定 め た こ と が 反 映 さ れ て い る と 考 え て よ い で あ ろ う 70。   そ し て 、 こ の 後 の 対 話 は 取 人 の 法 、 人 物 を 見 分 け る 方 法 へ と 移 っ て 行 く が 、 こ の 話 題 は 四 代 篇 の 最 後 で も う 一 度 繰 り 返 さ れ て 、 そ の 要 点 が 、     蓋 人 有 可 知 者 焉 、 貌 色 聲 衆 有 美 焉 、 必 有 美 質 在 其 中 者 矣 。 貌 色 聲 衆 有 惡 焉 、 必 有 惡 質 在 其 中 者 矣 。       人 ︵ の 内 面 ︶ を 知 る べ き 方 法 が ご ざ い ま す 。︵ 外 見 の ︶ 容 貌 に 美 し い も の が 多 く あ れ ば 、 必 ず 優 れ た 資 質 を 内 に 持 っ て い る も の で あ り ま す し 、 容 貌 に 醜 い も の が 多 く あ れ ば 、 必 ず 劣 っ た 資 質 を 内 に 持 っ て い る も の で あ り ま す 。 と ま と め ら れ た 後 に 、﹁ 此 者 伯 夷 之 所 後 出 也 ︵ 以 上 は 伯 夷 が ︵ 二 帝 の 眇 の ︶ 後 に 語 っ た も の で あ り ま す ︶﹂ と 言 わ れ る 。 手 前 の 部 分 で は 、     昔 虞 舜 天 德 嗣 堯 、 取 相 十 有 六 人 如 此 。       む か し 虞 舜 は 天 ︵ の 如 き ︶ 徳 に よ っ て 堯 ︵ の 位 ︶ を 嗣 が れ ま し た が 、 ︵ 八 元 八 愷 の ︶ 十 六 人 を 取 り 上 げ て 補 佐 と し た の は 、 こ の よ う な 方 法 に よ っ て で あ り ま す 。 と あ る が 、 こ の よ う な 取 人 の 法 を 二 帝 に 教 え た の も 伯 夷 と 考 え ら れ て い る よ う で あ る 。   ち な み に 、 こ の 取 人 の 法 に 対 す る 関 心 の 高 さ も ま た 千 乗 等 七 篇 の 特 徴 の 一 つ で あ り 、 少 間 篇 で も 、 す で に 引 い た が 、 四 代 五 王 の 取 人 の 法 が 語 ら れ 、 そ れ に 関 す る 対 話 が 繰 り 広 げ ら れ て い る 。   話 を 伯 夷 に も ど し て 、 現 行 の 四 代 篇 で は 上 の ﹁ 此 者 伯 夷 之 所 後 出 也 ﹂ の 孔 子 の 言 の 後 に 、 な ぜ か も う 一 度 ﹁ 子 曰 ﹂ が 繰 り 返 さ れ て 、     伯 夷 曰 71、 建 國 建 政 、 脩 國 脩 政 。       伯 夷 は 言 わ れ た 。 国 を 建 て る に は ︵ ま ず ︶ 制 度 を 建 て 、 国 を 治 め る に は ︵ ま ず ︶ 制 度 を 治 め よ 。 と 伯 夷 の 語 が 引 か れ 、 そ の 後 に ﹁ 公 曰 、 善 哉 ﹂ の 哀 公 の 決 ま り 文 句 で 篇 が 結 ば れ て い る 。﹁ 子 曰 ﹂ が 繰 り 返 さ れ る と こ ろ に 、 今 本 の テ

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キ ス ト の 乱 れ が 感 じ ら れ る が 、 こ こ で の 文 脈 の 断 絶 は 置 く と し て 、 こ こ で 伯 夷 が 語 る ﹁ 政 ﹂ と は 礼 制 を 含 む 国 家 の 制 度 の こ と と 考 え て よ い で あ ろ う 。 と す る と 、 千 乗 等 七 篇 で 礼 の 制 定 者 と し て ま ず 重 ん じ ら れ て い る の は 伯 夷 と い う こ と に な る 。﹃ 論 語 ﹄ あ た り か ら 受 け る 印 象 で は 、 礼 の 制 定 者 と し て 孔 子 が ま ず 重 ん じ て い た の は 周 公 の は ず で あ る が 、 千 乗 等 七 篇 に は ﹁ 周 公 ﹂ は 全 く 現 れ て い な い 。 周 公 は 現 れ な い が ﹃ 論 語 ﹄ 述 而 篇 で ﹁ 竊 に 我 が 老 彭 に 比 す ﹂ と 言 わ れ る ﹁ 老 彭 ﹂ が 虞 戴 徳 篇 で ﹁ 昔 商 の 老 彭 及 び 仲 傀 ﹂ と ﹁ 仲 傀 ︵ = 虺 ︶ ﹂ と 並 べ て 語 ら れ た り し て い て 72、千 乗 等 七 篇 は 全 体 と し て 周 よ り 前 の 古 史 へ の 関 心 が 高 い の で あ る 。   四 代 篇 で 虞 夏 殷 周 の ﹁ 四 代 の 刑 政 ﹂ を 話 題 に し 、 虞 戴 徳 篇 で ﹁ 黄 帝 の 制 ﹂ に 及 ぶ と と も に 三 代 改 制 に つ い て 触 れ 、 誥 志 篇 で ﹁ 虞 夏 の 暦 ﹂ に つ い て 語 る と と も に 、﹁ 堯 ﹂﹁ 舜 ﹂﹁ 禹 ﹂﹁ 湯 ﹂﹁ 文 王 ﹂ の ﹁ 治 ﹂ を 列 挙 し 、 用 兵 篇 で 蚩 尤 作 兵 説 を 否 定 し 、 少 間 篇 で は 上 に 引 い た よ う に ﹁ 四 代 五 王 ﹂ の 取 人 の 法 を 取 り 上 げ 、 ま た 、 か な り の 紙 幅 を 割 い て ﹁ 虞 舜 ﹂ か ら ﹁ 文 王 ﹂ に 至 る 四 代 の 変 遷 の 歴 史 を 物 語 る 。 こ の 少 間 篇 で 四 代 の 変 遷 を 記 し た 部 分 な ど は 、 お そ ら く 楚 竹 書 の ﹃ 容 成 氏 ﹄ の よ う な 資 料 か ら 引 き 抜 い て き た も の で あ ろ う が 、 こ れ ら の 記 述 は そ の 篇 の 編 者 が 古 史 に 対 し て 強 い 関 心 を 懐 い て い た こ と を 示 し て い る 。 こ れ も ま た 千 乗 等 七 篇 の 特 徴 の 一 つ で あ る 。           古 史 へ の 関 心 と と も に 指 摘 し て お く べ き は 、 国 制 を 含 む 礼 制 へ の 強 い 関 心 で あ ろ う 。 国 制 へ の 強 い 関 心 は 、 上 で そ の 構 成 を 考 察 し た 千 乗 篇 に 典 型 的 に あ ら わ れ て い る 。 礼 制 に 関 し て は 、﹁ 天 子 ﹂﹁ 諸 侯 ﹂ ﹁ 大 夫 ﹂﹁ 士 ﹂﹁ 庶 人 ﹂ ︵ の 礼 ︶ が 並 列 し て 語 ら れ て い る 部 分 が 目 立 つ 。 四 代 篇 で は 、﹁ 天 子 ﹂ 以 下 ﹁ 庶 人 ﹂ に 至 る 死 の 呼 称 が 列 挙 さ れ て い る し 、 小 辨 篇 で は ﹁ 天 子 ﹂ の ﹁ 辨 風 ﹂、 ﹁ 諸 侯 ﹂ の ﹁ 辨 官 ﹂、 ﹁ 大 夫 ﹂ の ﹁ 別 ︵ = 辨 ︶ 義 ﹂、 ﹁ 士 ﹂ の ﹁ 辨 言 ﹂、 ﹁ 庶 人 ﹂ の ﹁ 辨 禁 ﹂ が 並 列 さ れ て お り 、 ま た 少 間 篇 で は 次 の よ う に 語 ら れ て い る 73。     故 天 子 昭 有 神 於 天 地 之 間 、 以 示 威 於 天 下 也 。 諸 侯 脩 禮 於 封 內 、 以 事 天 子 。 大 夫 脩 官 守 職 、 以 事 其 君 。 士 修 四 衞 、 執 技 論 力 、 以 聽 乎 大 夫 。 庶 人 仰 視 天 文 、 俯 視 地 理 、 力 時 使 事 74、 以 聽 乎 父 母 。 此 唯 不 同 等 、 民 以 可 治 也 。       そ れ ゆ え 天 子 は ︵ 祭 祀 を 通 じ て ︶ 天 地 の 間 に 神 明 が 存 在 す る こ と を 明 ら か に し て 、 威 厳 を 天 下 に 示 し ま す 。 諸 侯 は ︵ 天 子 の 定 め た ︶ 礼 を 国 内 で 実 行 し て 、天 子 に 仕 え ま す 。 大 夫 は︵ 君 か ら 与 え ら れ た ︶ 官 職 を 守 り 治 め て 、 そ の 君 に 仕 え ま す 。 士 は 四 方 の 守 り を 固 め 、 技 を 磨 き 力 を 競 っ て 、 大 夫 ︵ の 命 ︶ に 従 い ま す 。 庶 人 は 仰 い で は 天 文 を 視 て ︵ 農 時 を 知 り ︶、 俯 し て は 地 理 を 視 て ︵ 土 地 の 宜 し き を 知 り ︶、 時 々 の 農 事 に 努 め て 、 父 母 ︵ の 命 ︶ に 従 い ま す 。 こ の よ う に 等 差 が つ け ら れ て 、 は じ め て 民 衆 を 治 め る こ と が で き る の で す 。 も っ と も 、 こ の 五 者 の 並 列 だ け で あ れ ば 、 四 代 篇 の ﹁ 死 ﹂ に つ い て

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