陸軍六週間現役兵制度と沖縄への徴兵制施行
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(2) . 陸軍六週間現役兵制度と沖縄県への徴兵制施行. 遠. 1. 藤. 芳. 信. は じ め に. 日本近代史研究, 特に日本近代教育史研究等において, 戦前の日本の国民教育と軍隊との関係を 示す主要な内容の一つとして, 師範学校卒業者で小学校教員従事者を対象とする短期間 の陸軍現役 制度の意義が強調されてきた. この短期間の陸軍現役制度とは, 1889年1月徴兵令改正における 六ヵ月現役兵制度であり, これは同年11月の徴兵令中改正によって, 六週間現役兵制度になり, 服 役がさらに短縮されていっ た. その後, 191 8年徴兵令中改正によって 一年現役兵制度になりr 7 , 192 年兵役法によ って 「短期現役兵制度」 と称されるようになった (1年間の現役に服させるが, 師範. 学校在学時の教練合格者は5ヵ月, 不合格者は7ヵ月の現役服役の後に帰休させる). 本稿は, 以上のような師範学校卒業者を対象とする短期の陸軍現役制度の中で, 六ヵ月 現役から 六週間現役に短縮された問題と, 沖縄県に徴兵制施行のトッ プを切っ て六週間現役兵制度が導入さ れた問題を中心に検討を加えることによって, 六週間現役兵制度が含む教員養成観を考 察すること が目的である.. 1 1 六週間現役兵制度の成立 ( 1 ) 1 88 9年11月徴兵令中改正における 「六ヵ月」 から 「六週間」 への現役短縮 六ヵ月 現役兵制 度は1 889年1月 徴兵令改正において設定さ れたもの である が, 陸軍省はこの 1 889年徴兵令改正の省内での調査段階では, 師範学校卒業者も一年志願兵として採用・服役させ, 予備・後備の将校として養成することを構想していた. しかし, 同徴兵令改正が内閣段階で調査さ れた時, 文部大臣森有礼は師範学校卒業者を 六ヵ月の現役と してあつかうことを求めるの であっ 1 ) この森有礼の要求を反映させて成立したのが 1 た{ 9年1月改正の徴兵令第11条第3項第4項 . , 88 である. すなわち, 次のように規定されている. 満十七歳以上二十六歳以下ニシテ官立府県立師 範学校卒業者ノ・六箇月間陸軍現役ニ服スルコト ラ得其服役中ノ費用ノ・当該学校ヨリ之ヲ弁償スルモノトス ノ・七箇年間予備役ニ服シ三箇年間後備役ニ服ス. 前項志願兵ニシテ現役ヲ終りタル者 (傍点は遠藤). ところで, ここでは, 師範学校卒業者の六ヵ月現役の服役は 「志願」 という文言で規定されてい るが, その服役関係の表現としては適切さを欠いている. すなわち, 六ヵ月の服役とは, 一般兵員. の現役服役が3ヵ年という点からしても, 非常な特典であって, 徴兵検査合格者の師範学校卒業者 はすべてこの六ヵ月現役に服することは必至であったからである.すなわち, 事実上, 強制的な六ヵ 月の服役と同一内容であった. 17.
(3) . 遠 藤. 芳. 信. 2 { }が兵役義務に関 なお, 森有礼は, 師範学校卒業者の兵役に関しては,「親シク兵役ヲ務メタ ル者」 する教育に責任を果す ことができると指摘 し, 師範学校卒業の教員 が卒先 して六 ヵ月 現役に服役 することによっ て兵役義務を説明・教育していくことの意義を強調している また, そこでは 「唯 . , 師範学校ヲ卒業シタルノミニテハ末タ足ラス, 兵役ヲ務メタ ル後ニ於テ充分ナル教員資格ヲ具シ得 3 ( )と指摘されているように 森においては 教員 資格の具備とは兵役と合体 ルト定ムヘキモノナリ」 , , して始めてなしとげられるものと把握されていくのであっ た. そのため, 師範学校卒業者は,「出来 得ルナラ バ」「近 眼ト云フ不具ナ者デモ自分カラ頼 ンデ是非六ヵ月ノ兵役ノ・勤メタイ ト云フ事」の目 的のもとに六ヵ月間服役し, 特に, 「師範学校デ出来得ザル事」や「野営演習ノ如キハ十分陸軍省ニ ( 4 )と 森は府県学務課長に対しても強調した 於テ課シテ貰ハネ バナラヌ」 , . 以上のような1 889年1月徴兵令改正における師範学校卒 業者の六ヵ月 現役を,服役関係の文言の 整備も含めて, さらに六週間現役 に短縮 したのが1 889年11月12日法律第29号徴兵令中改正 で あ っ た.. 1 889年11月徴兵令中改正の準備がどのように して着手されたかは不明 であるが, 『公文類繋』に 5 }という付義が貼付 ( は, 「徴兵令改正案提出ノ節添付スヘキ理由書 八月十六日陸軍大臣ヨリ受取」 された陸軍省の徴兵令中改正案理由書 (陸軍省罫紙2枚 墨書) が収録されている・ これは, 同年 . 8月 上旬ま でに陸軍省において起案され, 同年8月16日に内閣に提出されたものと考えられるが, 師範学校卒業者の六週間現役への変更は主として服役期間中の経費負担問題から説明されている . すなわち, 現行令第十一条三項ノ如 ク服役中ノ費用ヲ当該学校ヨリ弁償セシムルトキハ既ニ卒業退学シタ ル者ニ向ヒ猶校費ヲ支給スルハ事理允当ナラサルノミナラス其費用ノ・地方費ノ支出ニ係り随テ地 方費ノ負担益々 重キラ加フ ルノ患アリ且六個月ノ服役時間ノ、長キニ過キ教員ノ職務ヲ嘘廃 スルラ 以テ右服役時間ヲ縮メテ六週間トナシ服役中ノ費用ノ・陸軍ヨリ支弁スルコトノ趣意ナリ と, 服役を六週間に短縮 し, 費用を陸軍から支出すると述べ ている. 以上の陸軍省の徴兵令中改正案 の起案は, 内閣法制局 と文部省およ び陸軍省の三者 でさ らに協 議・検討されたものと考えられるが, 最終的には 「内閣起案」 という形で閣議に提出された この . 「内閣起案」の徴兵令中改正案は, 「本案′・内閣ノ起案ニ係ル 元老院ノ・検視ニ付セラルルコト」と いう付範が貼付されているもの である (文部省罫紙1枚 墨書) , そこ では, 徴兵令第11条第3項 6 ) 第 4 項 は 次 の よ う に 規 定 さ れ て い る{ ,. .. 満十七歳以上満二十六歳以下ニシテ官立府県立師範学校ノ卒業証書ヲ所持シ官立公立小学校ノ 教職 瓢 鰯 員二在ル者ノ・六週間陸軍現役二服セシム其服役二関スル費用ノ、官給トス 前項ノ現役ヲ終りタル者ノ・直チニ国民兵役ニ服セシム すなわち, 師範学校卒業者で官公立小学校 教職者を 「六週間陸軍現役ニ服セシム」 と規定してい るように, 現役服役関係は強制的な服役を強調するような文言 でもって表記されていった. ところで, この 「内閣起案」 の徴兵令中改正案には, 「改正案理由」 (墨書3枚) が添付されてお 7 ) り, 徴兵令第11条第3項第4項の改正理由を次のように説明している( . 第一に, 師範学校卒業者に対して予備士 官の資格を与えることの意義が述べられているが, 上記 の陸軍省と文部省と法制局との協議で削除・修正されている文言があることである すなわち, 「改 . 18.
(4) . 陸軍六週間現役兵制度と沖縄県への徴兵制施行. 正案理由」 の原文は, 軍事ノ教育ノ・間接ニ普通ノ教育ヲ益スルノ実アルラ以テ若シ教職ラシテ其服役中予備士官タ ル ノ資格ヲ得セシムヘキモノトセハ他日教務二従事スルノ際別二一種ノ効益ヲ見ルコトアノい シ論 シテ比ニ至レハ亦ー概ニ其服役ノ短キラ必スヘカラス是し現行令ノ爾ク規定セラレシ所以ナリ (傍点と傍線は遠藤) とされているが, 傍点部は削除され, 傍線部はそれぞれ 「望ミ難キモノアリ」 と 「ニ於テ六ヵ月 ノ服役ヲ」 に修正されている. 以上の削除・修正 で注目すべきことは, 師範学校卒業者に予備士官 の資格を与えることの意義の強調を断念していること である. これは, 師範学校卒業の小学校教員 が予備士官という将校の身分で学校教育に従事することは, 軍隊側からの学校教育側に対しての- 方的なかかわりあいをあまりにも印象づける結果を生ん でしまう, と判断したからであろう. すな わち, 師範学校卒業者の小学校教員が短期の陸軍現役という特典や恩恵をうけつつ, 森有礼が期待 するような兵役義務の説明や教育をする場合は, 将校の身分ではなく, 一般人民の身分・立場で行っ た方が効果的である, と判断したからであろう. 第二に, 現役期間との関係で, 六ヵ月現役では予 備士官の資格を与えることはできないとしたことである. すなわち, 予備士官の資格を与えるには 一年間の服役が必要であるが, その場合は, 教職の「職務ヲ嘘廃セシメ」としまうとした. 第三に, 以上のようにして, 師範学校卒業者に対して予備士官の資格を与えない場合は,「六箇月 ト六週間ト ノ差」 は 「兵政上」 よりも 「学政上」 の得失において 論じられるべき であって, 「学政上」 は短期 で あることが一層望ましいと指摘したことである. 第四に, 「現行ノ文ニ『現役ニ服スルコトラ得』ト アルラ改メテ 『現役ニ服セシム』 トナシタルハ此短期服役ノ事タル本来国家教育ノ必要上ト国防義 務ノ原則上ヨリ特ニ規定シタル所ノモノナルラ以テ敢テ本人ノ志願スルト否トニ任スヘキモノニ非 ス之ヲ強制シテタモ此ノ如ク為ササルラ得サルモノナレハナリ」 と, 師範学校卒業者の六週間現役 は本人の自由意志的な志願にならないように, 条文を整備したと強調したことである. したがって, 強制的服役なので, 服役中の費用は 「官給」 にすると述べるのであっ た. 以上のような 「内閣起案」 の徴兵令中改正案は10月16日の閣議で決定されたが, その閣議決定 文は, 特に,「本令改正第十一条第三項中六週間陸軍現役ニ服セシムトアルハ志願及抽 箸ノ法ニ依ラ ス現役ニ服セシムルノ趣 意ニシテ他ニ明文アリテ延期及猶予等ヲ許スモノハ各其本条ニ依ルモノト 8 ( }と 付記され 師範学校卒業者で小学校教員従事者に対する文字通りの強制服 ス為念此旨付記ス」 , , 役としての六週間現役 兵制度が成立したのである. ( 2 ) 六週間現役兵制度の施行をめぐる諸規程等 889年11月徴兵令中改正の後に, 六週間現役兵の徴集と服役に関する 陸軍省は, 以上のような1 具体的な諸規程等を定めた. まず, 内務大臣山県有朋と文部大臣榎本武揚およ び監軍大山巌との協議を経て, 陸軍大臣大山巌 8 90年2月1 は, 翌1 5日に 「徴兵令第十一条第三項ニ依り陸軍現役ニ服スヘキ者ノ徴集及服役ニ関 9 ) これは 3月 7 日勅令第22号として公布されたが 六週間現役兵は スル件」を閣議に請議した( , , . 「其教職ニ在ル地ヲ包括スル師管ノ歩兵隊ニ編入ス」 と規定され, 身体検査不合格者は国民兵役に 編入することになっ た. また, 入営期日は毎年6月1日とされた. 次に, 陸軍省内務省の訓令甲第2号 (師団司令部, 道庁府県宛) が3月10日に発され, 道庁府県 は, 官立府県立師範学校を卒業し官立公立小学校の教職にある 者の身幹尺度を調査し, 毎年5月1 日までに当該者の族籍氏名と共に師団司令部に通知すること, などが規定された. 19.
(5) . 遠. 藤. 芳. 信. さらに, 監軍参謀長 児玉源太郎は1 1日付をもって陸軍次官桂太郎に 「六週間現役兵 890年6月1 1 0 } これは 陸軍省の賛意を経て(6 教育之儀文部省ヨリ提出ノ主旨ニ基キ」訓令したいと照会した( , . 月17日) 同月に監軍訓令第3号六週間現役兵教育訓令として発された , . そこでは,「臣民ラシテ必 任義務ノ精神ヲ函養セシムルハ小学校教職ニアリ国家教育ノ職務ヲ負担スル者ノ任」 なることが強 調され, また 「国家教育ニ任スル者ノ・先ツ目ラ其ノ精神ヲ養ヒ軍隊勤務ノ梗概ヲ学ハサルヘカラス 故ニ此教育 (六週間現役兵の教育)ノ・隊伍ノ動運武器ノ使用及行軍ノ概略ヲ授ケ軍隊精神ヲ養成シ 軍紀ニ慣熟セシムルラ以テ目的トス」 と六週間現役兵の教育の目的と内容の大略が示さ れていった. ()内は遠藤), ( 次に, 六週間現役兵制度は1890年度から実施されていっ たが,1 890年度における各歩兵連隊での 六週間現役兵教育の内容をみてみよう. 各歩兵連隊から提出された報告書にもとづ いて監軍部が調 1 ( 1 )によれば 次の通り である すなわち 名隊ほぼ共 製した「明治二十三年度六週間現役兵学科目」 , , . 通に設定されたものは, 1 882年 「軍人勅論」・1 882年 「読法」 888年陸軍礼式, 1 887年軍隊内務 ,1 書, 衛戊勤務, 野外勤務, 1881年陸軍懲罰令, 射撃学~ 銃の取扱, 服従法, 1 881年陸軍刑法, 武官 の階級, 上官姓名, 起居の定則, 部隊の識別, 服制, などである. その他, 「忠君愛国ノ志操ヲ発起 セシムルノ説」(歩兵第1 7連隊) , 「予備後備役中ノ心得」(歩兵第7連隊) , 「軍人ノ一般人民ニ対ス ル態度」 (歩兵第24連隊) などは, 軍人と一般国民との関係を主題としたもので注目される.. 1 1 1 1895年陸軍六週間現役兵条例と沖縄県への徴兵令施行 日清戦争直後の1895年1 0月 4 日勅令第141号陸軍六週間現役兵条例の制定は, それまでの六週 間現役兵の服役に関する諸規程を一つの条例として合体化したものであっ たが, 特に次の二点が新 たに法制化されていっ た. その第一は, 六週間現役兵 で 「勤務勉励品行方正ニシテ第二国民兵ヲ以 1 2 { }に対しては師団長の認可によって 「国民軍幹部適 テ編成スル部隊ノ幹部タル得へキ材幹ア ル者」 任証書」を授与することが規定されたことである. 第二は, 同年1 0月 4 日勅令第1 42号の「沖縄県 ニ徴兵令ノ一部施行ノ件」の公布とともに, 沖縄県に徴兵令第1 3条第3項第4項(六週間現役兵の 服役)が1 896年1月1日から施行されることになっ たこと である. ここ では, 第二の問題, すなわ ち, 六週間現兵役制度と沖縄県への徴兵令施行の問題を検討してみよう. それは, 沖縄県における. 小学校教員の六週間現役と徴兵令施行が, 六週間現役兵制度と徴兵制の国民教化対策の一典型を示 しているものと考えられるからである. ( 1 ) 沖縄県の軍作戦上の位置と兵役制度 1879年4月の 「琉球処分」の後, 沖縄県には歩兵第13連隊から分遣隊 (一個中隊) が分遣されて いたが, 沖縄県民と兵役との関係はほとんど皆無 であっ た. 1889年1月徴兵令第33条は, 「本令ノ・ (中略) 沖縄県並東京府管下小笠島ニハ当分之ヲ施行セス」 と, 沖縄県には徴兵令を当分施行しな いことを規定していた(中略は遠藤) . こうしたなかで, 監軍部副官中岡黙は1890年5月15日付で 陸軍省副官児島益謙宛に, 沖縄県人の教導団生徒志題と採用 を許可 してよいか否かを照会してい 1 3 ) こ れ に 対 し て 陸 軍 省 は 5月1 る( 9日に沖縄県人の教導団生徒志願と採用の許可を決定し, 監 , , . 軍部に回答した (陸軍省送達送乙第161 8号) . ただし, 採用試験は沖縄分遣隊で施行するとされて いっ た. 以上のような沖縄県人の教導団生徒採用の許可以降, 沖縄県人の教導団生徒志願者の詳細 20.
(6) . 陸軍六週間現役兵制度と沖縄県への徴兵制施行. 1 ( 4 } (全314名) には 894年4月の 「教導団歩兵科生徒卒業人名」 は未詳であるが, 日清戦争直前の1 3 5名の沖縄県人の名 が見える. この5名は, 4月1日に二等軍曹に任じられ, それぞれ, 歩兵第2 ) 歩兵第2 4連 広島 歩兵第1 小倉 ) 歩兵第2 1連隊( 連隊(熊本) 4連隊( , , , 歩兵第13連隊(熊本) , 隊 (福岡) の各隊に赴任した. 18 98年 1 896年入校)に1名, 第11期( その他, 陸軍士官学校には, 士官候補生として, 第9期( 1 5 ( ) している . 入校) に4名, 第1 2期 ( 1 899年入校) に1名, が入校t ・ ところで, 軍は沖縄県を作戦上どのように位置づけただろうか. まず, 沖縄県への部隊設置の構 想から考察してみよう. まず, 沖縄県への警備隊設置の計画がある.1885年12月 26 日付をもって参謀本部長織仁親王は 陸軍大臣宛に「警備隊条例」の制定を協議した. この条例案には, 「分営ノ内小笠原島佐渡隠岐大島 1 6 ( } (第1条 ・・は遠藤) 沖縄対馬ノ諸島哩ニハ警備隊ヲ置キ管地ヲ守護シ管内ノ警備ニ任セシム」 , と, 「沖縄」に警備隊を設置することも含まれていた. 以上の協議に対して, 陸軍大臣は同意し, 翌 1 886年6月21日に閣議を請議した. しかし, 内閣法制局は, 同条例案の第1条に「漸次警備隊ヲ置 1 7 ) そして 11月 2 日に閣議決定され 11月 30 日に勅令第75号 ク」 と 「漸次」 の語句を挿入した( , , . 警備隊条例が公布された. 以上のように, 警備隊は 「漸次」 設置されることになったが, その後の 経過をみると, 警備隊が設置されたのは対馬のみであっ た. その後, 沖縄への警備隊設置計画の施 行が求められたことがあったが, これも実現されなかっ た. すなわち, 日清戦争後の1895年9月に 起案された参謀本部第一局の「陸軍軍備拡張案」(陸軍大臣の協議と上奏を経て裁可)は, 沖縄警備 隊の新設を計画している. その理由を,「沖縄警備隊ノ設置ノ・従来既ニ計画アリ唯国庫ノ財政ニ制セ 日日ノ如ク之ヲ緩慢ニ付スルラ ラレ其実施ヲ遅延セリ然ルニ今日ノ形成ノ・転夕其設置ヲ催シテ復ター { 1 8 ) 得ス」 と述べ, 警備隊設置の急務なることを指摘している. また, 従来の設置計画が実現しなかっ たことの理由として, 財政的事情を述べている. しかし, 沖縄には, その後, 警備隊設置の計画は 実現されていなく, 太平洋戦争ま では要塞さえも設置されなかった. 日本の西南諸島で要塞が設置 0年8月の築城部奄美大島支部の設置であっ た. されたのは, 奄美群島であり, 192 以上のように, 太平洋戦争前までに沖縄に部隊が設置されなかっ たが, そのことの理由として, ( 1 9 )も含んだ日本軍の1900年代以降の作戦観が作用 しているも 沖縄住民の旧来からの「非武装感情」 のと考えられる. 松下芳男なども指摘しているように, 日本軍の作戦地域は陸海軍ともに 「外地」 での戦場を想定 2 0 ) 逆に強調するならば 日本軍は国内での戦闘作 し, 「渡洋作戦, 外戦作戦」 をとるものであっ た{ , . 戦行動を否定してきたことである. すな ・わち, 国内での戦闘作戦行動の否定に立って, 「国防」「防 1 90 7年4月) 等に 衛」を想定してきたのである. こうした 想定はその後の「日本帝国ノ国防方針」 ( も明確にされているが, この作戦行動は, 自国の広範な国民・住民の団結力に依拠して戦闘するこ との否定を反映しており, また, 自国の国民・住民の持続的な援助と支持に対する不信感を前提に 2 1 ) すなわち たとえば 国内を戦場にした場合 国民・住民の一部に反戦的分子が発生し している( , , , . た時には, その戦闘力行使等は住民側に逆利用され, 軍は軍隊として機能・成立でき ず, 逆に軍は 国民・住民に対して敵対的行動をとることもありうるからである. 以上のような日本軍の戦闘作戦 行動に含まれる対自国民・住民との対応関係 (住民不信など)を象徴的に示しているのが沖縄であっ たものと考えられる. すなわち, 軍は, 沖縄への常備軍としての部隊・警備隊の設置は, 対沖縄住 民との敵対的関係も発生しやすいと判断し, 太平洋戦争前までに常備軍を設置しなかったものと考 えられるのである. このようにみてくると, 日清戦争後の沖縄県への徴兵制施行とは, 沖縄 (県民) を防衛・軍備か 21.
(7) . 遠. 藤. 芳. 信. ら隔離し, もっ ぱらイ デオロギーな 「皇民化政策」 の重要な一環として実施されていくことを意味 して い た.. ( 2 ) 日清戦争における沖縄分遣歩兵中隊への助卒配属の計画と軍の沖縄県民観 ところで, 日本軍の戦闘作戦行動と対沖縄県民との対応関係 (住民不信など) を示しているもの と考えられるものが, 日清戦争における沖縄分遣歩兵中隊への助卒配属の計画である. 沖縄への分遣隊は毎年5月に一ヵ年交代することになっ ていた. そして,1 894年度も, 5月1 7日 に歩兵第1 3連隊から第3中隊が分遣された. その後, 参謀総長織仁観王は7月18日付をもって, 動員下令に際して沖縄分遣の歩兵中隊は充員 しないことなどを第6師団長に達することを陸軍大臣 に照会した.これに対して,大山巌陸軍大臣は7月1 9日に同趣旨の内訓を第6師団長宛に発した(密 2 2 ( } この内訓によって 歩兵第13連隊においては 第3中隊の空位は新たに編成された 発第72号) , . , 一個中 隊によって補填された」 同時に, 沖縄分遣の第3中隊は, 「沖縄分遣歩兵中隊」と称されて特 2 3 ) 設隊になり, 第6師団の直轄に属することになった( . さらに, その直後, 参謀総長織仁親王は7月 29 日付をもって陸軍大臣に, 沖縄県の警備の強化の ために,「該地ニ在ル警察官ラシテ機ニ臨ミ銃器ヲ執ラシメ分遣隊長ノ指揮ニ属シ警備之任務ヲ補助 ( 2 4 )と 沖縄県の警察官をして分遣歩兵中隊の補助任務に従事させ セシメ候義ノ・必要之事ト被存候」 , ・ ることを照会した. これに対して, 大山巌陸軍大臣は8月 5 日付をもって参謀総長宛に,「該県警察 ノ・其人員二百名ニ満タス且各地ニ分駐シ居ルモノト被考候就テハ百五十名以内ノ助卒ヲ沖縄分遣歩 2 5 ( )と回答を発し 以下のような「上奏案」と 「沖縄分遣歩兵中隊助卒志願者 兵中隊ニ配属致シ置度」 , 心得」 (案) を添付して沖縄分遣歩兵中隊に助卒を配属することをさらに協議した. この 「上奏案」 は,「朝鮮事件ニ付沖縄島守備上ノ兵員ノ増加ヲ要スルラ以テ事変ノ間同島在住ノモノニシテ志願者 2 6 { }と 助卒を軍属として採用 百五十名 以内ヲ召募シ分遣歩兵中隊ニ助卒(軍属)トシテ配属為致度」 , { 2 7 ) すると述べている. また, 「沖縄分遣歩兵中隊助卒志願者心得」 (案) の主な内容は, ①助卒は沖 縄島に在住する者の中で志願者をもっ て充てること, ②召募の取扱は沖縄県知事と協議する, ③助 卒は軍属とし, 勤務は歩兵卒に準じる, ④助卒の中に若干名の 「組長」 を設ける, ⑤助卒の被服は 一着を貸与する, ⑥助卒の給料は, 組長は1日50銭, その他は1日35銭とする, ⑦教育中は, 食 糧を自弁し通勤すること, 戦闘参与の時は分遣歩兵中隊の兵卒に準じて現品を給与すること, ⑧解 散の時はその勤労に応じて相当の慰労金を給する, などが規定されていた. 以上の陸軍大臣の回答と協議に対して, 参謀総長は8月 7 日付をもって, 助卒を軍属としないこ との修正を求めて, 陸軍大臣とさらに協議した. 他方, 陸軍大臣は8月13日付をもって内務大臣井 8 ( 2 )の中から助卒に志願させ沖縄分遣 上馨宛に,「沖縄県沖縄島ニ他府県ヨリ転籍若クハ寄留スル者」 歩兵中隊に配属することを照会し,翌14日付をもって内務大臣より異存なしの回答を得た.そして, 陸軍大臣は8月・15日付をもっ て上記の参謀総長の協議を了承し, かつ「沖縄分遣歩兵中隊助卒志願 者心得」(案) に修正を施し (助卒を一級 〈給料は1日5 0銭〉 と二級 〈給料は1日35銭〉 の二種に ( 2 9 } 分ける) , さらに参謀総長と協議した .これに対して, 参謀総長は8月15日付をもって陸軍大臣に 異存なしの回答を発するとともに, 翌1 6日に 上奏し, 沖縄分遣歩兵中隊への助卒配属が裁可されて い っ た.. 以上のように して, 沖縄分遣歩兵中隊に助卒配属が決定された後, 陸軍大臣は8月21日付をもっ て, その旨を第6師団長と沖縄県知事に達した(密発第261号) . そして, さらに, 陸軍大臣は同日 付をもって第6師団長と沖縄県知事宛に, 助卒配属の決定は直ちに召募配属することの精神ではな 22.
(8) . 陸軍六週間現役兵制度と沖縄県への徴兵制施行. いこと, および, 「今回事件一般ノ状況ヲ察シ(同県) 民情ノ如何ヲ顧慮シ必要ト認ムル場合ニ召募 3 0 )と内訓を発した(密発第260号 ()内は沖縄県知事宛にはなし) すなわち 沖 ( 可致義ニ有之候」 , , . 縄県の民情を考慮して慎重に召募することを注意させるのであった.また,陸軍大臣は同日付をもう て第6師団長宛に, 助卒配属として召募すべき者は 「他府県ヨリ沖縄県ニ転籍若クハ寄留 スルモノ 1 { 3 }ことを指示 し ①助卒は1 882年の 「軍属読法」 を行うこと, ②中隊長は肋卒を適宜隊中 ニ限ル」 , に配属すること, ③助卒の携帯兵器はスナイ ドノ嚇しとすること, などを内達した (密発第262号) , なお, 陸軍次官は, 以上のスナイ ドノ嚇しに関して, 8月13日付をもって沖縄分遣歩兵中隊に予備と 2 3 } を第6師団参謀長に内牒した(8月21日 密発第263号) して備えられた500挺を応用すること{ , , . 以上のような沖縄分遣歩兵中隊への助卒配属の計画は実施されなかった. しかし, 助卒配属の計 画と経過からみると, どのような沖縄住民を助卒として召募配属するかという点について, 軍の沖 縄県民観が如実に現れていて興味深い. すなわち, 助卒には 「沖縄県ニ転籍若クハ寄留スルモノ」 に限って召募配属するとさ れているように, 沖縄県民に対して比較的に地縁血縁的関係が薄い者を 助卒に召募配属しようとしている点である. これは, 共同体的結合関係が強いとされている沖縄県 民の間において, 沖縄県外出身者を助卒として沖縄分遣歩兵中隊という武装集団に編 入させておけ ば, 反日本的分子の暴動等にも十分に対応できるし, かつ, その武装集団の戦闘力行使を逆利用さ れることも少いだろう, と判断したからに他ならないと考えられるのである. このように, 生粋の 沖縄県出身者自体が沖縄で武装することに対しては, 相当の警戒を示していった. ( 3 ) 六週間現役兵条例と徴兵制の施行 沖縄県への徴兵制施行は, 日清戦争中の189 4年1 1月から具体的に構想されていった. すなわち, 3 ) その 4年11月に, 軍務局は, 徴兵令中改正追加法律案を起案して陸軍大臣に上申している力 3 1 89 , 第33条は, 徴兵令は 「漸ヲ以テ (沖縄県並東京府管下小笠原島に) 施行ス其時期 区域及特ニ徴集ヲ ()内は遠藤)と改めることが規定されている. 免除シ若クハ猶予ス可キモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム」( 軍務局起案の徴兵令中改正追加法律案は,翌1 895年3月 1 3日に法律第15号として公布されていっ た.. しかし, 沖縄県への徴兵令施行に先立って, まず, 小学校教員の六週間現役の意義が陸軍中央に 895年8月 7 日付をもって陸軍大臣に「六週間現役兵 おいて注目されていっ た. まず, 軍務局長は1 条例同施行細則制定及徴兵令第十三条第三項第四項ヲ沖縄県ニ施行ノ件」 を上申し, 内務文部両大 臣と協議することを述べるのであった. この内務文部両大臣に発される協議文には( 1 895年9月19 日の陸軍大臣の閣議請議文と同文) , 「(沖縄県の)該地人民志操ノ発達ヲ計ルー手段トシ テ子弟薫陶 ノ任ニ当ル小学校教員ヲ六週間現役ニ服セシメ之ニ国民精神ヲ注入シ以テ 子弟ノ薫陶上ニ及ホサシ ( 3 4 } ムルハ頗 ル有益ノ事 ト存候右ノ・沖縄県知事上申ノ趣旨モ候間来二十九年ヲ期 シ之ヲ実行致度」. ()内は遠藤) と, 「国民精神」 の 「注入」 (すなわち 「皇民化」) を目的として沖縄の小学校教員を ( 六週間現役に服役させることの理由が強調されている. 以上の軍務局長の上申により (日付記載は 1 89 0年だが,18 95年が正しい) 95年8月 9 日付をもって内務文部両大臣宛に,六週 , 陸軍大臣から18 間現役兵条例同施行細則の制定およ び徴兵令第13条第3項第4項を沖縄県に施行する件の協議が 行われた. 以上の陸軍大臣の協議に対して, 内務大臣野村靖と文部大臣西園寺公望は, それぞれ9 月1 7日付と18日付をもって異存なしの回答を発した. そして, 閣議決定を経て,1 895年1 0月 4 日 に勅令第141号をもって陸軍六週間現役兵条例が制定され, その施行は翌1 896年4月とされた. ま た, 同日, 勅令第142号をもっ て, 「沖縄県ニ徴兵令ノ一部施行ノ件」 が公布され, 徴兵令第1 3条 23.
(9) . 遠 藤. 芳. 信. 第3項第4項 (すなわち, 六週間現役兵制度) が沖縄県に施行されることになった. なお, 陸軍省 は, 沖縄県尋常師範学校卒業学生で身長五尺二寸以上の者を1 4人と算出し ( 1 895年6月 1日から 1 896年5月31日まで) , その内合格者を約9人と見込んでいた(陸軍省は従来の六週間現役兵 の不 { 3 5 } その後 1897年4月 5 日陸軍省令第9号陸軍六週間現役兵 合格率を約3分の1と算出していた) , . 条例施行細則によ っ て, 沖縄県在住の小学校教員は歩兵第45連隊(熊本)に入隊することになった . また, 身体検査は鹿児島連隊区司令部で行うことになった. 以上のように, 日清戦争後に, 六週間現役兵制度は沖縄県在職の小学校教員にも施行され, その 服役対象者を次第に拡大した. しかし, その六週間現役期間中の教育の主眼は, 軍隊が国民教育・ 学校教育に 対して どのよう な要求をもっているかということを小学校教員 をして教育すること で あった. この点は, 軍隊から絶えず注目されている. たとえば, 日清戦争後の 『情行社記事』 に, 一将校が六週間現役兵の教育内容・方法を論じた小論を寄稿しているが, 六週間現役兵の役割を次 のように観察している点は興味深い. すなわち, 六週間現役兵の目的は,「小学校ノ教職ラシテ未来 ノ軍人タル学童ヲ武士的ニ教育セシムル」ことであるが, 「軍事上ノコトノ・彼等自己ノ利害に直接 ノ 関係ヲ有セザルガ故ニ吾輩将校ノ如ク周到ノ顧慮ラナスヘキモノニアラ ス故ニ彼等ノ・悪意ナキモ現 ( 3 6 )と 役中ニ遭遇シタル諸件ノ・彼等(学童~遠藤)ニ対シテハ新奇ナルラ以テ好ン テ談話ノ材料トス」 指摘している. つまり, 軍隊・戦争・戦場等に対して直接的な利害や責任をもたない者が, 軍隊・ 戦争・戦場等の内容を (悪意・善意はともかく, 自己の僅かな軍隊生活の体験を加味して) もっ と もらしく好んで宣伝していくことに注目しているの である. この点に, 師範学校卒業の小学校教員 を一年志願兵として服役させず, 予備将校の資格を与えなかったことの意義の一班が示されていた の であ る.. 次に, 軍務局長は 「沖縄県及小笠原島ニ徴兵令施行ノ件」 を起案し, 内務海軍両大臣およ び参謀 総長との協議を経て閣議に請議することを1 897年5月 5 日付をもっ て陸軍大臣に上申した. ただ し, 沖縄県の壮丁を全面的に徴集するの ではなく, この上申書の勅令案は第2項に 「沖縄県壮丁ニ シテ徴集ニ応スルトキハ従来ノ産業ヲ維持スルコト能ハスト認メタル者ノ・特ニ徴集ヲ免除ス」 と規 定していた. すなわち, 1 895年3月の徴兵令中改正追加(前述)の第33条をより具体化したもので あった, ところ で, 以上の上申書に添付された 「沖縄県及東京府管下小笠原島ニ徴兵令施行ヲ要ス 3 7 ( ) (6月 4 日の閣議請議文に添付される) は 1 ル理由」 , 898年1月からの沖縄県への徴兵令施行の 理由を二点にわたって述べている. 第一に, 民政上, 18 96年より郡区制が帆恒行されたことによ って 「内地ト梢 其撲ヲ同フシタ」 ので徴兵令施行の 「好機」 が訪 れたと指摘している. また, 九州の二 師管は他師管に比べて人口寡少なので沖縄県に徴兵令を施行することは,「人口ニ対スル徴集人員ノ 平均ヲ得セシムル」 ために必要であると指摘した. 第二に, 沖縄県壮丁に限って徴集に応ずるとき 従来の産業を維持できない者に対して徴集を免除する特例を設けるのは,「殊ニ宮古八重山二郡ノ如 キハ依然人頭税ノ賦課ヲ受ケ貧富ノ等差ニ関セス年齢ノ区分ニ依り一様ニ重税ヲ負担シ居ルラ以テ 壮丁現役ニ服スルトキハ其者ノ負担額ノ・他ノ家族代りテ之ヲ納付セサルヘカラス斯ノ如クナルトキ ハ家族ノ負担益々過重トナルノミナラス多クハ壮丁ノ労働ニ依り納税ヲ為シ得ルモノナレハ之ヲ徴 集スルトキハ其産業ヲ維持スルコト能ハサルニ至ルヤ必セリ然レトモ斯ノ如キ多額ノ国税ヲ納ムル 者ヲ以テ直ニ家族自活シ能ノ・サル者トナシ徴兵令第二十二条ヲ適用スルノ穏当ナラサルニ因ル」と, 「人頭税」 納税負担が大きい沖縄県宮古八重山の各戸の産業を維持するためである, と指摘した. そして, 高島踊之助陸軍大臣は内務海軍両大臣と参謀総長の協議を経た後に, 6月4日付をもって 以上の上申書を勅令案として閣議に提出し, 7月 3 日に勅令第258号をもって沖縄県に徴兵令施行 が公布された. 24.
(10) . 陸軍六週間現役兵制度と沖縄県への徴兵制施行. その後, 沖縄県への徴兵制施行の諸体制は次第に整えられていった. たとえば, 1 898年3月 8 日 6号をもっ て沖縄警備隊区司令部条例が制定され, 司令部職員として司令官少佐(大尉) に勅令第3 , 副官大尉 (中尉) 等が配置された. 警備隊区司令部は, 主に, 徴集や召集の事務に従事し, また, 在郷中の予備後備役兵員の異動等を監視することが職務とされていった. また, 同年3月1 2日に勅 令第41号徴兵事務条例補則制定によって, 沖縄県壮丁は第6師団と第12師団の各隊に入営するこ と に な っ た.. なお, 19 03年度の参謀長会議において, 第6師団 (熊本)から, 1 897年7月勅令第258号に おけ る 「産業」 を町村自治体全体の産業にまで拡大し, そうした町村自治体の産業の維持に影響を与え るような壮丁は免役することが要請されている. すなわち,「八重山島有病地ニ在テハ各村共ニ僅々 タル壮健者′・皆協力シテ全村ノ産業ニ従事 スルカ故ニ此ノ壮健者中ノ壮丁ヲ徴集スルトキハ忽チ全 村ノ産業維持ニ大ナル関係ヲ及ホシ幸ニ徴集壮丁極メテ少数ナリセハ他ノ壮健者ニ依テ維持スルラ 得ルモ不幸ニシテ徴集壮丁多キニ至ラバ全ク産業ヲ維持スル能ハス全村遂ニ餓死スルノ大事ヲ見ル ニ至ラン之ヲ以テ該有病地ニ在りテハ状況ニ依り菅ニ自家ノ産業ノミナラスー村ノ産業維持ニ影響 8 ( 3 )と 八 重 山 島 の マ ラ リ ヤ な ど の 流 行 ス ベ シ ト認 ム ルモ ノ ハ 徴 集 ヲ 免 除 ス ル コ ト ラ 定 メ タ レ タ シ」 ,. 病発生の増加を理由にして, 免役の処置を求めていた. しかし, 第6師団の要請は認められず, そ れどころか,1 897年の勅令第2 58号における産業の維持を理由とする徴集免除の制度も廃止される ことになった. この件については, 沖縄県知事奈良原繁が1903年10月 22 日付をもって,1 903年勅 令第275号によって宮古八重山二郡に地租条例と国税徴収法が施行されることになっ たの で18 97 3 9 ) 以上のような沖縄 年勅令第2 58号第2項を削除してもらいたいことを陸軍大臣に上申している{ . 県知事の上申もあって,19 04年2月 26 日勅令第49号によって,189 7年勅令第2 5 8号中改正がなさ れ, 産業維持を理由とする沖縄県壮丁の徴集免除の制度は廃止された. そして, さらに, 1 907年7 5 月 日勅令第255号によって,1897年勅令第258号の第2項が削除され, 産業維持を理由とする沖 縄県壮丁の徴集免除は完全に廃止されていった. また, 沖縄県壮丁が近衛師団に採用されることになっ たのは,190 4年2月 26 日勅令第4 8号徴兵 事務条例補則中改正によ って である. そこでは,「沖縄県ノ壮丁ノ・普通教育程度低キカ為従来近衛師 団兵ニ徴集セサリシモ今日ニ於テハ同師団兵ニ徴集スルモ大ナル支障ナキラ認メ名誉アル禁闘守護 ( 4 0 )と 近衛兵採用の資格・条件として 「普通教育程度」 の ノ任務ヲ同県壮丁ニモ分担セシメムトス」 , 水準が注目されていっ た. さらに, 日露戦争後は,1 907年7月6日陸軍省令第1 0号徴兵事務条例施 行細則中改正によって, 沖縄県壮丁すなわち沖縄警備隊区からの徴集兵員は第6, 第12 1 8師団 , 第・ に 採 用 さ れる こ と に な っ た.. ( 4 ) 沖縄県への徴兵令施行をめぐる諸問題 -- 徴兵忌避防遇をめぐる陸軍省の文部・内務両省 への要求 -- 上述したように,189 8年から沖縄県に徴兵令力防衛テされたが, 沖縄県壮丁は軍隊入営生活におい て, 言語・学力問題等によって苛酷な差別と蔑視の待遇を受けていった. そして, そうした苛酷な 差別と蔑視の待遇を他府県並に「克服」する試みとして, 徴兵令施行後に, 県民の教育に対する種々 の督励施策 (沖縄県私立教育会の 「小学校教育簡閲点呼ヲ設クルノ件」 の建議~1 89 8年, 沖縄県に 「 よる189 8年9月の 現役兵員教育課程」 の規定) が企画され, 徴兵適齢者教育・壮丁教育が実施さ 1 4 ) 以上のような沖縄県への徴兵令施行後の沖縄県の学事や教育の督励の状況は 「従来 れていった{ . , , 同県下に於ける普通教育は教育を受ける者の身にとり,実際の効益を感ずること甚だ稀なりしため, 25.
(11) . 遠 藤. 芳. 信. 自然少年が学術に対する感情甚だ冷淡なりし処, 徴兵令施行以来軍隊内の教育を受くるに当り 学 , 問の素養のなき者は上官の教習を理解するに苦み従て進級遅く, 之に反し, 幸に教育を受け居たろ 者は意外の優遇を受くるより此一事会々 有効の刺激剤となり, 昨年来学校へ入学することを希望す 4 2 { ) と東京の教育ジャ ーナリズムからも注目された る者非常に増加し」 , . 上 そして以 のような沖縄県への徴兵令施行の中で,1903年の簡閲点呼の時期を利用して充員召集 の一部 の演習が実施されていろ. すなわち, 4月15日の島尻, 中頭部の簡閲点呼を利用 して, 沖縄 警備隊区司令官はその前日から首里,那覇の2区と真知志他27間切において召集事務の執行および 応召集合の適否を検閲した. この演習は, 「鳥尻, 中頭両郡長ノ・熱心之レカ演習実施ノ協議ヲ為シ」 4 3 ) とされ, また, 演習費用は「郡区間切ニ設立セル軍人優待会ノ積立金ヨリ支弁ス」とされていろ{ . これをみると, 沖縄県にも徴兵令施行後に, 本州と同様な徴兵援後関係の団体が組織されていたよ 4 4 ) 以上の演習の状況や結果をみると 令状 交 付 人員 総 計 が415名 に 対 して 指定集合場 う である( . , , 5 4 ( )と評価されていろ し 所に到着した人員は397名 であり, 「大体ニ於テハ可ナリノ成績ヲ現ハ シ」 . かし, 細部の状況をみると, 非常に困難な条件の中で実施されたことが報告されている. たとえば, 各役所・役場の召集事務に関しては, 徴兵令施行の歴史が浅いためか, 「一般ニ景況ヲ陳フレハ演習 動員令達又ノ・同令状ヲ受ルヤ主任者多少狼狽シテ直ニ事務ニ着手シ難ク否ラサ ルモ着手順序ヲ誤り 4 ( 6 )と 短時間に事務処理 できな 為メニ時間ヲ徒費スル等少数間切役場ノ外ノ・着実ノ執行ヲ欠ケリ」 , い状況が報告されている. また, 応召員の応召状況に関しても「(令状の)受領時間ノ・間切ニ在テハ 役場若クハ学校ニアラザレバ時針儀ノ備ヘナ ク僅カーカ 間切ニ於テハ吏員及学校教員ノ所持スル者 ヲ使丁ニ貸与シタル他ノ・皆然ラサルカ故ニ応召員皆想像時間ヲ記入シ為メニ令状交付時間表ヲ調製 4 7 ( }と 時計所持者が圧倒的に少ないた 報告スルモ其実甚タ不確ノモノタリ之し止ム得サルコトス」 , めに, 正確な時間を記入できない状況が報告さ れていっ た ( ()内は遠藤) . ところで,沖縄県の就学率は日清戦争前の189 3年には16.64%であったが,日露戦争後の19 07年 ●とはな には92.81%に達した. しかし,就学率の向上がみられても沖縄県壮丁の徴兵忌避は絶えろこ かった. 徴兵忌避の告発者は, 1900年には90名, 1905年には1 39名 であり, 特に北清事変と日露 戦争期に多かっ た. 特に日露戦争後の1910年前後には, 沖縄県壮丁の徴兵忌避の状況が詳細に陸軍 省に報告され, 陸軍省は文部省と内務省に対して種々 の対策を要求した. 8 { 4 )(沖縄警備隊区司令 まず, 190 9年の徴兵検査を通して報告された「沖縄警備隊区徴兵検査概況」 官, 徴兵医官提出, 以下, 「検査概況」と略記)を参考にして, 沖縄県の徴兵検査と徴兵忌避の状況 を検討してみよう. 「調査概況」 は, 第一に, 「八重山郡, 宮古郡 粟 耕す及国頭郡国頭村大宜味村, 島尻郡具志川村仲 里村座間味村渡嘉敷村ヲ除ク外県下到 ル所徴兵忌避ノ念慮旺盛ニシテ甚タ寒心ニ堪ヘス」 と, 全県 的に徴兵忌避者が多いことを指摘している. 第二に, 徴兵忌避の方法手段は, 「言語ヲ詐偽シ, 身体 ヲ傷シテ廃疾ニ陥ラシム ル等種々アリ」 と, 個々 の事例が詳細に指摘されているが, 注目すべきこ とは, 徴兵官の眼前で公然と徴兵忌避の行動や軍隊批判を行っていることである. たとえば,「島尻 郡真壁徴兵署タル文喜小学校ニ於テ徴兵官一行宿舎ノ四隅ニ酒僕ヲ供シー行ヲ呪説スル人民アルラ 見タリ」 とか, 「(国頭郡) 本部村徴兵署ニ婦人ノ発狂者屡々 来司令官ニ面会ヲ求メテ日ク大和ノ役 人′、年々琉球ノ壮丁ヲ兵隊トシテ大和ニ連し帰り戦争ニ於テ皆殺シテ仕舞フ故甚タ迷惑ナリ依テ司 令官ニ其情ヲ訴フヘシト」 ( ()内は遠藤) と報告されている. 第三に, 「調査 概況」 は 「徴兵忌避予 防手段」として, 「本県人ハ ー般ニ旧習ヲ墨守スルノ風アリテ今尚結髪(沖縄伝来の髪型で一旧思想″ の持主とさ れていた~遠藤) スル者多シ而シテ徴兵忌避ノ念最モ旺盛ニシテ頑冥度シ難キカ如キ者 ノ・概シテ結髪士族ナルカ如シ故ニ速ニ断髪ヲ励行シ1 日習ヲ打破シ以テ有形的ノ精神ヲ新ニスルコト 26.
(12) . 陸軍六週間現役兵制度と沖縄県への徴兵制施行. モ亦改善ノー手段ナルヘシ」 と, 「結髪」 の断髪励行が 「旧習」 を打破し, 徴兵忌避の改善に結合 し て いく と 強 調 し て い る.. 陸軍省軍務局歩兵課は以上のような 「沖縄警備隊区徴兵検査概況」 を整理し, 内務大 臣 文部大 , 臣, 沖縄県知事宛の通牒案や訓示案を起案 して190 9年9月 30 日に大臣官房に提出した (医務局連 帯) . そして, まず, 10月 7 日付で, 陸軍大臣は内務大臣宛に上記の 「検査概況」 を添付し, 「沖縄 4 ( 9 )という通牒を 警備隊区ニ於ケル壮丁ハー般ニ徴兵忌避ノ念旺ナルト共ニ其体格甚不 良ニ有之候」 発した. また, 同日付で文部大臣宛にも上記「検査概況」を添付し, 「沖縄警備隊区ニ於ケル人 民ノ・ 概シテ未タ兵役義務ヲ 尊重スルノ念慮ニ乏シキ者多キカ如 ク甚タ寒心ニ堪へサルモノアリ其ノ状況 ( 5 0 }という通牒を発し 沖縄県壮丁の兵役義務 如何ノ・同島ニ於ケル教育上至大ノ関係可有之被存候」 , 観念の昂揚に対して注意を向けさせていった. さらに, 陸軍大臣より沖縄県知事宛には同日付で「本 年沖縄県下ニ於ケ ル徴兵検査ノ結果ニ依ルニ其ノ成績甚タ不良ニシテ寒心ニ堪へサ ルモノアルコト ハ貴官二於テモ既二知悉セラ ル所ナノメ シ宜シク厳二当事者ヲ戒筋督励シ且関係軍街トモ協力 シ諸 種ノ方法手段ヲ講シテ徴兵忌避ヲ防過シ壮丁ノ 衛生状態ヲ良好ナラシムルニ一層努力セラレンコト 5 1 ( )という訓示が発され 徴兵忌避対策への努力を求めて い た なお 陸軍大臣から第6師 ラ望ム」 っ . , , 5 2 ( )徴兵検査の成績を 団長に対しても,「警備隊区司令官ヲ指導スルハ勿論沖縄県知事ニモ交渉シテ」 向上させることの訓示が発されていっ た ( 1 0月 7 日陸訓第1 4号) . 他方, 文部大臣小松原英太郎も以上のような陸軍大臣の通牒に示された徴兵検査概況は 「教育上 重大ノ関係 ア ルモノト認候ニ付沖縄県ニハ小学校 ニハ勿 論各学校ニ於テモ 篤 ト注意ヲ加 ヘシム 5 3 ( }と指摘し 下記のような文部次官発沖縄県知 事宛の通牒文を添付して 1 ル」 , , 0月 27 日付で陸軍大 臣に申進した. この文部次官岡田良平から日比重明沖縄県知事宛に発された通牒( 1 0月 28 日)は「貴 管内小学校ノ・勿論師範学校其他各学校ニモ篤ト御示達ノ上兵役義務ノ観念ヲ養成セシムル方法ニ於 5 4 )と指摘し 特に兵役義務観念の養成を強く要求したものである テ違算無之様御取計相成度」( , 。 陸軍省は、 以上のように 沖縄県壮丁の 徴兵忌避防遇を文部, 内務大臣に要求し さらに 沖縄県 , , における徴兵検査や徴兵忌避の状況を実視調査するために,翌1910年の徴兵検査時に軍務局の堀吉 彦歩兵大尉を沖縄県に派遣した。 ところが, 5月1 8日午後に堀大尉が国頭郡本部村に到着する直前 に, 同地の徴兵署 (本部尋常高等小学校内に開設) における同村出身の-壮丁に対する検査を不服 5 5 ) これは 身体 として, 村民約2 00名 が同徴兵署に乱入し, 署員6名 を負傷させる事件が発生 した{ . , 検査の際に, 左肘関節が屈曲していると詐偽した同壮丁に対して, 軍医が郡 村長の立会いのもとに 同人の承諾を得て摩酔を執行し, 同人の左肘関節を伸展させ たことに端を発している すなわち . , この検査状況を見物していた村 民が, 同壮丁の腕が折られたかのように考え, 身体検査に対する不 服として発生したものである.しかし,同事件発生の直接的契機は上記のような身体検査方法にあっ たにせよ, 沖縄県民に対する非情な差別と蔑視が待っている軍隊入営の第一 歩としての徴兵検査時 に際して発生した同暴動事件は, 徴兵制施行の約1 0年間にわたる厳しい苦痛と苦悩の ”爆発″を意 味していたものと考えられる. なお, その後, 沖縄県の徴兵事務実視のために派遣された堀吉彦歩 5 6 )( 兵大尉は 「沖縄警備隊区徴兵事務視 察報告」{ 191 0年6月1 8日) を調製し, 同報告は内務大 臣に も 送付された この報告では 特に 兵役義務 尊重の観念を養成するために 19 09年 , 。 , , , 在郷軍人会( に各区町村毎に設立されたとされている) の指導や、 学校教育 (師範学校 中学校 農学校の体操 , , 教師には在郷軍人が特傭されている) の一層の重視が強調されていった。. 27.
(13) . 遠 藤. 芳. 信. I V 日露戦争後の六週間現役兵制度 1 ( ) 190 8年陸軍六週間現役 兵条例改正 1907 年 11月 5 日に, 陸軍省歩兵課は陸軍六週間現役兵条例と同施行細則の改正案を大臣官房に 起案提出した. 歩兵課起案の 「六週間現役兵条例同施行細則改正ノ要領」 では, 主に, ①樺太, 清 国および韓国の地での在職者は, 在職地付近の歩兵隊に編入服役させる, とされ, 植民地等におけ る小学校教員の六週間現役制度を設定し, ②六週間現役兵には「給料ヲ給セサルコトトス」とされ,. ③ 「六週間現役兵ノ入営期日ヲ八月一日トシ以テ普通教育ニ便宣ヲ与フ但シ台湾ニ在りテハ気候ノ { 5 7 )とされていた この中で ③の入営期日に関しては 省議の中で 関係上従前ノ通十月 一日トス」 , , , . 「六月一日ヨリ十月 一 日ノ間ニ於テ師団長地方長官ニ協議ノ上之ヲ定ムコトトシ以テ軍隊教育及普 5 8 )と修正され やや幅がもたせられてい った 以上の陸軍六週間現役 ( 通教育上ノ便宣ヲ図ラントス」 , . 5 9 )およ び統監の協議を経て 兵条例(および同施行細則)改正案は, 教育総監, 外務大臣, 文部大臣{ , 翌1 90 8年2月 3 日に閣議請議され, 2月13日に勅令第9号をもって公布された. 以上のように, 日露戦争後, 六週間現役兵制度は整備され, 植民地等の在職の小学校教員に対し ても施行されることになっ た. しかし, そこでの六週間現役期間中の教育の 主眼は本稿で述べてき たように国民教化対策が基本であっ た. たとえば,1907年12月 24日の名古屋衛戊地学術研究会で の国司精造歩兵少佐の 「六週間現役兵教育法ニ就テ」 という講話においても, 六週間現役兵の教育 内容として 「軍人ノ・如何ナ ル性質ヲ具備スヘキモノナルカ之ヲ敷街スレハ如何ナル心得ヲ有スル壮 丁力軍人トナリ最モ良成績ヲ得ルニ至ルヤラ彼等ニ会得セシメ彼等ラシテ小学児童ヲ如何ニ教育セ 6 0 { )と強 ハ軍人ニ適当ナル壮丁ヲ作り得ラルヘキカラ推考スルラ得ル程度ニマテ 至ラシムルラ要ス」 調し, 将来の軍人養成と小学校教育との結合が指摘されている. 3 そして, 以上のような六週間現役兵教育の主眼およ び内容‘方法を整備して規定したのが, 191 年2月軍令陸第1号軍隊教育令であった. ( 2 ) 1 91 3年軍隊教育令と六週間現役 兵教育 1 91 3年軍隊教育令は, 「建国ノ歴史ニ基キ軍隊教育ノ・延テ之ヲ国民教育ニ及ホスノ必要ナルコト 1 ( 6 } (教育総監部 『軍隊教育令制定理由書』1912年12月) という理由のもとに その綱領 ラ明示ス」 , 末項に 「良兵ヲ養フハ即チ良民ヲ造ル所以ナルラ思ヒ国民ノ模範典型ヲ陶冶スル覚悟ナカルヘカラ ス」 という, 軍隊教育の目標の 「良兵良民」 を明記した. そして, 以上のような軍隊教育の目標に もとづき, 六週間現役兵の目的として, 六週間現役兵教育ノ要ノ・軍人ノ崇高ナル精神ヲ注入シ厳正ナル動作ヲ教習シ併セテ軍事ノ梗概 ヲ知得セシムルニ在り抑々六週間現役兵ノ・小学校ノ教職ニ在ル者ニシテ国民ニ建国ノ大本並兵役 ノ・必任義務タルノ精神ヲ徹底セシムルノ責務ヲ有ス従ヒテ其軍事的修養ノ如何ノ、帝国軍隊継承者 ノ素養ニ関係ヲ及ホスコト至大ナリ故ニ之力教育ノ・此趣旨ニ適スル如ク周到ナル注意ヲ以テ慎重 ニ 施 ス ルラ 要 ス. (第 九 十 七). と, 将来の軍隊継承者 (小学校児童) に対する教官として養成していくことを明確に規定した. また, 「国民ニ軍隊ノ真価ヲ適切ニ紹介セシメ」 (第九十八) ることが重要であると規定した. 191 3年軍隊教育令の「六週間現役兵教育課目表」 (付表第十五)に示された課目内容をみると, 各 28.
(14) . 陸軍六週間現役兵制度と沖縄県への徴兵制施行. 個教練, 体操, 銃剣術, 射撃(距離測量ヲ含ム) , 中隊教練, 陳中勤務, 作業, が獣もされていた. ま た, 同付表の 「備考」 には, 「勅諭 ( 1882年 『軍人勅諭』 ~遠藤) ト教育勅語トノ関係」 について特 に注意して教育することや,「軍備ト国家トノ関係等ノ・常ニ之ヲ講説シ深ク脳裏ニ銘刻セシムヘキモ ノトス」 と指摘されているように, 軍隊と国 家およ び国民教育との関係についての教育に相当の注 意を向けていった.. 〈注〉 1 ( ) 拙稿 「戦前日本の中高等教育機関と兵役制度 (上)」45頁, 北海道教育大学函館人文学会編 「人文論究』 第4 2 号, 1982年 3月.. 2 )( 3 ( )大久保利謙編 『森有礼全集』 第1巻6 4一6 6 65頁, 「明治二十二年一月二十八日子爵森文部大臣文部省ニ於テ 直轄学校長等へ説示ノ要旨」 1 2年 宣文堂書店 9 7 , , . ( 4 ) 同上書6 7 5一6 7 7頁, 「森文部大臣御演達」( 1 88 9年2月 5日) . ( 5 ) 国立公文書館所蔵『公文類衆』第12編第1 4巻兵制門五徴兵一第二件所収. 1 88 9年1月徴兵令改正において設 定された師範学校卒業者の小学校教員の 「六カ月現役」 の具体的内容は, 同徴兵令公布当時にはまだ未確定だっ たものと考えられる. たとえば, 同年3月法律第8号は, 官立府県立師範学校卒業生徒で1 9年中に卒業する者 88 はただちに官公立学校の教員になることができることを規定したもの であるが, これは, 森有礼文部大臣が陸軍 大臣の協議を経て2月 6 日に閣議請議したものであり, 3月 2 日に閣議決定したものである. そこでの閣議決定 文には,1 88 9年度に徴兵令第1 1条第3項(師範学校卒業者の六カ月陸軍現役)を実施できないことの理由として, 官立府県立師範学校の予算がす でに決定されて6ヵ月現役兵の費用を捻出できないことや府県会閉会中である ことを指摘した他に, 「六ヶ月志願兵規則′・即今調査ニ付公布セラルマテハ尚ホ彩多ノ時日ヲ要ス」と, 六ヵ月現 役兵の諸規則を調査する構えが指摘されている( 『公文類寮』第1 3編第1 4巻兵制門五徴兵-第四件所収, 傍点は 遠藤) . ( 6 X 7 X8 ) 同上書所収. なお, 城丸章夫「徴兵制度上の特典と師範学校における兵式体操」4 1頁, 『千葉大学教育学部 研究紀要』29巻第1部, 参照, 1 980年12月. 9 ) 防衛研修所戦史部所蔵 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾1 ( 8 90年3月総総第7 6号所収. ) 上掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 坤18 ( i o 9 0年6月総監第32 9号所収. ( 1 1 ) 監軍部 「一年志願兵及六週間現役兵教育学科一覧表」『情行社記事』 第5 6号, 18 1年3月. 9 1 ( 2 ) 「第二国民兵役」には, 1 8 9 5年3月法律第1 5号徴兵令中改正追加によって, 満1 7歳より満4 0歳までの者で, 常備兵役後備兵役補充兵役および第1国民兵役に兵籍がない者が服する (同第6条) . 1 ( 3 0 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 坤18 9 0年5月総監第2 81号所収. ( 1 ) 『官報』 第32 4 28号 ( 189 4年4月 7日) 43号 ( 1 89 4年4月 25日) , 第32 . ( 1 5 0 陸軍士官学校編纂 『陸軍士官学校一覧』 付表 「士官候補生府県別表」1 9 04年. 1 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 坤18 ( 6 8 6年1 2月総参第2 1 4号所収. の 前掲 『公文類衆』 第10編第1 { 1 3巻兵制門二陸海軍官制二第六件所収. ( 噂 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『二十七八年戦役日記 秘』1 89 5年9月第8号所収. ( ー 9 ) ジョージ・H・カー 『琉球の歴史」3 72頁には, 「古い世代に属する人々は, 沖縄に軍隊をおくことは外敵の侵 入を招くことになるだけだと固く信じていた」と指摘し,沖縄住民の非武装感情が根強いことを述べている.19 5 6 年, 琉謡求列島米国民政府. ) 松下芳男 『日本軍事史実話』17 側 3頁, 1 96 6年, 土屋書店. 回 拙稿 「日露戦争と19 09年歩兵操典改正」15 5頁, 『東京大学教育学 97 5年. ,部紀要』 第15巻, 1 鰹 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『二十七八年戦役日記 秘』189 4年7月秘第6 1号所収. ㈱ ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『二十七八年戦役日記』1 895年1 0月乙第2 7 7号所収. α嫌舵餅鰯2蜘9 X 焔1脚) 前掲 く陸軍省大日記〉 中 『二十七八年戦役日記 秘』1 3 0 89 4年8月第8 9号所収. 鰯 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾18 9 5年3月軍第1 1号所収. は姫め 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾1 89 5年1 0月軍第1 5号所収. 6 ) T・E生 「六週間現役兵 ノ教育方案」1 6 1-13頁, 『 1 皆行社記事』 第1 91号, 1 89 8年4月.. 29.
(15) . 遠 藤 芳 信 師 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾18 97年8月軍第1 0号所収. 岡 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『明治三十六年五月参謀長会議書類』 所収. 9 05年2月軍第48号所収. 壌の 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾1 ”の 前掲『公文類衆』第2 1 9 0 4年2月 5日) 8編第15巻軍事門一陸軍第九件所収の陸軍大臣寺内正毅の閣議請議文( 添付 「徴兵事務条例補則中改正要旨」 . ( ) 田港朝昭 「沖縄県社会教育史上の2・3の問題」 参照, 『琉球大学教育学部紀要』 第9集, 1 4 1 96 6年. はめ 『教育時論』 第51 0号, 1 89 9年6月15日, 〈内外雑纂>「沖縄県の徴兵と学事」1 8頁. は ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『密大日記』1 0 3年7, 8, 9月教育演習第8号所収, 1 90 3年9月 14日付第6師団 3 9. 参謀長児島八ニ郎発陸軍総務長官石本新六宛送付の「譲瀞鱒充員召集実施二関スル報告」 .. は 4 ) 日清戦争前後の徴兵援護関係の団体組織化については, 拙稿 「在郷軍人会成立の軍綿 1史的考察」 参照, 現代史 の会編 『季刊 現代史』 第9号, 1 9 78年. は 5 X 4 6 陥の 注はめに同じ. ) は X 4 ) ( 0 ) ( 街の ( ) ( ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾1 9 0 9年1 1月軍第4号所収. 8 9 5 5 1 5 3 5 4 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾19 ( 5 5 1 0年10月軍第6 0号所収, 「沖縄徴兵検査ノ際村民不穏ノ挙アリタ ル件」 . ( 6 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾19 5 10年8月軍第5号所収. X 5 8 )前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『弐大日記』 乾1 6 7 9 08年2月軍第20号所収. 90 8年1月 24 日付で陸軍大臣に発したが, その回答書 ( 5 9 り 注るのに同じ. なお, 文部大臣牧野伸顕は協議の回答を1 の中で, 「内地ニ於テハ六週間現役兵ニ服スル小学校教員ニシテ陸軍ヨリ給料ヲ受ケサルトキハ在職学校ヨリ俸 給ヲ受ケルノ定アルカ故ニ樺太及台湾在職者ニ対シテモ此例ニ準シ給料ヲ支給スル様貴省ヨリ当該官府ニ交渉 セラレ度」 と陸軍大臣に要請した. 回 国司精造 「六週間現役兵教育法ニ就テ」1 80号, 190 8年6月 5日. 4頁, 『情行社記事』 第3 鯨 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『永存書類』 甲輯第函類教育第6号所収. (本学助教授 函館分校). 30.
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