精神遅滞・自閉児等の障害児とその親に対するカウンセリング的考慮の基本的な考え方(その2)
14
0
0
全文
(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 1巻 第1号 i ion(Sec ion IC) VO lof Hokkaido Univers ty ofEducat t I jouma .41 .I , No. 平成2年9月 Septembe r ,1990. 精神達滞, 目閉児等の障害 児とその親に対する カウセリン グ的 配慮の基本的 考え方-その2-. 奥. 村. 晶. 子. l v 障害児と危機 日常, 子どもが安定して教師や指導員の理解できる範囲内で動いてく れているときには 障害の , ために正常 ではない行動があっ ても, その子どもなりの特性として受け入れ られる しかし 教師 , ‐ や指導員の理解を越えた状況が起きると,援助者は困惑することになる.理解できず困惑だけであっ ては, 子どもは危機に陥る であろう‐ 危機について, 整理しておくことも, 障害児, 者の援助においては必要なこと である ‐ 1.. つ じつ ま の 合 わ な い こ と. 子どもがつじつまの合わないことを言ってきたとしても, 注意深く聴くことを原則 としたい 言 . 語的表現だけ でなく, 非言語的表現でも, 普段の子どもと比較 してつ じつまの合わないときも同様 と考えてよいだろう. つじつまの合わないというのは, 教師や指導員のほうの感じ方 であっ て, 子どもは何か訴えたい こと, 伝達したいことがあるに相違ないの である. 子どもは, 何か用事があるか, 教師や指導員と 関係をもっ て安定したいか、 目分の混乱を教師や指導員にぶっ つ けるか, とにかく何か原因がある はずである‐ 原則的には, 正しく相手をして聴いていく‐ しかし, 集団生活のなか では 時間 人 , , 数など物理的な制約があるだろう. そのときに でも, 困った子どもとして受け取るのではなく 子 , どもに十分 に相手をすることができないことを悩めるような繊細さは持っ ていたい そう した心を . もって居れば, 何らかの問題 で子どもが混乱したときにも, 慌てずに対応していけるだろう ‐ 2.. そ の 子 特 有 の 危 機 の サイ ン を 知 っ て お く こ と ‐. 障害児, 者を援助する日常のなか では, 一人ひとりの 障害児, 者に, 何らかの葛藤や欲求不満が あるとき, それを克服することは困難になると, その人特有の危機のサイ ンが出現する ことを知っ ておくことは重要 である. そしてそれは, 注意深く観察していけば把握できるはずである 例えば , ‐ 精神科臨床で精神医は一人ひとりの分裂病者について, 不眠傾向 心気傾向 過敏傾向 不機嫌傾 , , , 向, 拘泥傾向等など, 特有のサイ ンを把握し対応することは常識 であることと同様であろう . 障害児の場合でも, 落ち着かない, 集中できない, 排個が多い, 妙に訴えがしつこくなっ た い , つもよりおとなしす ぎる, いらいらして不機嫌である, 墳 事に拘泥して進まない いつもより笑顔 , が少ない等などの,特有の反応を把握することが可能 であろう こう したその子どものサインを知っ . ていれば, 早期に, その子どもの心的不安定を把握し, 援助的人間関係を形成していくことが可能 であ る.. 少なくとも, 普段の子 どもとは相違しているときに, 気が付く ことが必要である ‐ 163.
(3) . 奥 村 晶 子. 3. 危機の要因の理解も広く する 心理的危機というときには, 一般に心理的環境 的な要因が問題にされる. もちろん, それは原則 的には正しい. 子どもの人間 関係や課題に無理や 困難がないかを検討することは重要である. 特に, 障害でなくとも, 一般に人間が最も危機 的状況に陥るのは人間 関係においてであるから, 危機とい うとき子どもが人間関係につまずいていないかに注目することは大切 である. 環境的要因に 注目し た い.. しかし, それだけではないことにも留意しなくてはならない‐ 即ち, 身体的, 或は生理的要因も 障害児では 大きく関係することがあるからである. 疲れている, 空腹である, 風邪気味である, 寝 不足であると言うような, 正常児では我慢できる何ともないようなことが問題になることも多い. 特に, 月経前, 月経中など, 非常に不安定になる場合がある. 身体的な問題で, 容易に感情状態が 変化することは見逃され勝ちだけに注意したい. これは, 器質的な障害の ある場合だけ でなく, 器 質的に何等障害のない障害児でも同様変化が起りうる. 註) 正常児でも, 同様であるが, 問題なく考えられるのは, 子ども自身が自己制御できるからである. 但し, 思春 期の月経に伴うものは正常児においても問題になる場合がある. こうした場合には, 精神科臨床では, 生理的変化に 伴う問題として, 対症療法としての投薬をすることも 多い.. 4‐ 危機としての症状 ” L rは, その教科書において “子どもの精神症状の特徴 として, 身体症状として 出易い, ‐Kanne 行動異常の形のみで出ることもあるとしている が, 正常 児は勿 論, 障害児ではその特徴が端的であ る‐ 年少児だけでなく, 年長 児でも, 身体的訴えをしたり, 行動異常が出たりする時に, 子どもの 心の危機のサインとして重要視したい. こう したことを, 知識として知 っているとき, 日常教師や 指導員にとっ て手のかからない, 扱い やすい子ども が, そう した状 況になっ たときには対応は正しく出来るだろう. 何らかの困難を子ど もが持っていると感じていると探究することは容易である‐ しかし, 問題は, 始終そう した状況を出してしまっ ている子どもの場合である. 何かあるとすぐ に, 身体的故障を訴える 子どもは, ずるい, 甘えている, 逃げていると 評価される. 何度教えても 悪いことをする悪い子 どもと把握される.どうしようも ない子どもと放置されるというこ とになる. しかし, 放置しては, 子どもは援助されないことになろう. 子どもの 心が健康であれば, 身体的故 障は乗り 越えられるし, 行動の統制は取れてくるはずである. 長期にわた って, 身体的故障で, 或 は行動異常の形で, 心の危機を訴え続けている 子ども, 援助を必要としている子どもと把 握される 必要がある. それだけに, そうした場合には, 短期的な危機よりは, 長期に亙る危機 的状況として 把握し, 長期に亙る援助をしていく 必要がある子どもと してみていきたい. 5. 危機としての 退行 子どもに ”退行” が出現したとき, それ自身を危機とするのは, 子どもの精神科臨床の常識であ る‐ 子どもは安 定しているときに は退行せ ずに, その子どもなりにや っていける. 危機に陥っ たと きに退行して援助を求める のである. 最近の過保護過干渉のなかで育っている子どもは, 耐性が極 端に喪失して成長している から,大人から見ると,甘っ たれてばかり居るということに なってしまっ ている が, 子どもの方から見る と危機的状況であるに 相違ない. 一歩前進, 二歩後退のなかで耐性 が育てられていく であろう. 164.
(4) . 精神遅滞, 目閉児等の障害児とその親に対する カウセリング的配慮の基本的考え方. 障害児でも同様である. ”退才デ が出現したときには, 甘えと取るよりも, 先ず危機と把握しなく てはならない‐ 退行をしなければならない子どもの心を問題にする必要がある‐ それだけでも, 子 どもは救われる. 悪いことではなく, 苦しいのだということを受け取る作業である‐ ここで, 危機として退行を受け取るということと, 退行を全て許すということは, 厳密に区別さ れなくては子どもは, いつま でも, 耐性欠如のままに行く‐ 退行しなければならない子どもの心を 受け止めたうえで, その危機を乗り越えていくのはその子ども自身であることを, 子どもに受け取 らせていくことをしなくてはならない. 単純な事柄であれば, 励ましのなか で頑張らせることでも 良いだろう. その子どもに無理なときには代行してや っ て手本を見せ, 次の機会には子ども自身が するという約束をすることも できる. しかし, 人間関係, とくに親子関係の葛藤のなかで起きてき ている退行の場合には, 相当長期に亙る退行を受け入れるなかで, 成長が期待されることも知っ て いなくてはならない‐ そうした場合には, 教師や指導員はいつまでも子ども扱いにしてよいのかと 戸惑うことも 多いかもしれない. しかし, 親とのなかで安定を得られなかっ た子どもが,“治療的退 行“ が安定できる大人とのなか で起きていて, 人間関係における成長をしている場合も 多い. 教育や指導の現場では ”退行” が悪いこととされることが多いだけに, 子どもの退行を正しく把 握し, 子どもはやがて克服してその子どもなりに成長することを期待して見守っていきたい. 6. 身体症状の対応 一般に, 障害児では身体症状が訴えられることが多いだけに, 現場の教師や指導員はその子ども にあっ た対応を心得ている‐ そしてそれは, 大低正しい‐ 一つ, ここで注意しておかなくてはならないのは, 教師や指導員が, 身体的訴えの子どもに身体 的障害として対応しないことである. 身体的に対応してしまうと, 身体固着して子どもの不安定さ は増幅される. (但し, 本当に身体的障害のある場合は除くのは当然である)‐ 症状を訴えている子どもの症状を受け止め, 保証し励ます. 大低の簡単な場合には, 子どもは納 得して安定していける訳で, 日常していることだろう‐ しかし, 子どもの訴えが教師や指導員の保 “ “ “ 証や励ましにもかかわらず, 執勘に繰り返される, 持続してくると, “しつこい” , く どい , 面倒 な 子” と さ れ る‐ そ の 通 り に は 相 違 な い が, 子 ども の 方 か ら 見 る と, 2つの場合がある . 1) 不安な感情が著しい場合~教師や指導員が子どもに与えた保証や励まし では満足できないほど に, 子どもの心が不安定であるときには訴えは執勘になる‐ 子どもが安定できるまで, 訴えを聞い て, 心を受け入れてや ることが必要である‐ どれだけ必要かは教師や指導員が決めるのではなく, 子どもが安定できるまでであるから, 子ども力ぃ決めるということになる‐ 気長な対応が要求される. 2) 身体的病気を心配している場合~心配性の子どもな どでは, 非合理的な考えで身体の病気を気 にすることもある. 大人の知識として “そんなことは考えられない” と否定できるような現象で, 身体にこだわるようなときには, 保証や励ましよりも, 専門家に任せたほうが良いこともある. 養 護教論や看護婦の保証や励ましである‐ それで納得いかなければ, 医療に任せる. 医学的に保証さ れれば安定 できることは, 正常児や大人の心気症な どでもよく経験するところで, 障害児でも同様 と考えてよい. 7‐ 行動異常に出る場合 俳個, 大声を上げる, 悪戯をする, 落ち着かないなどの, 教師や指導員にとっ て些少であるが困っ 165.
(5) . 奥 村 晶. 子. た行動を子どもが示す場合, 大低子どもは注意されることになる. 日常的には, そうした行動 が大 したことでは なく, 注意されることで納まることも 多い. 子どもは 本来, いたずらっ こであり落ち 着かないものである から, 障害児ならずとも, 集中のために 注意を要する場合も 多いわけで, 障害 児の場合には, 余計そう した場面が 多発するだろう. しかし, ここで注意しなくてはならないのは, 子どものそうした行動にも原因は あるということ である. 障害児援助においては, 教育や訓練に集中させようとするとどう しても注意したり叱責し たりすることが 多くなりがちである が, その時, 子どもの感情の動きに注目してみることは正しい ことである‐ 楽しい気分, 浮き浮きした 気分 のなかで行動問題が出てきているときには, 注意は 必 要 である が, 子どもがいらい らしたり, 不機嫌であったり, 怒りの感情をもって行動問題に 出てい るときには, 注意や叱責は逆効果である. むしろ, 子どものマイナス 感情を受容することのほうが ” ” “ “ 肝要である. 注意したり するよりも, 怒っ ているのね , いらいらしている のね というような支 持的な理解を示すだけで, 次第に落ち着いてきて, 子ども自身 が自分を表現できるようになってき たりする. 普段と相違して, 子どもが大したこと でもないと 思われるときに, 臆病になったり, 恐怖をもつ ことも, 小心な子どもの場合の行動問題と考えてよい. その場合には無理に強制したりせ ず, 時期 をおいて, また挑戦させるこ とにすることで良いだろう. 臆病な子どもは, 恐怖を体験すると余計 臆病になり, 劣等感に繁っ ていく. 臆病といえばマイ ナスであるが, デリケートといえ ばプラスで ある‐ 行動問題のときに は, そうした読み替えで子どもの 心を受容していきたいものである. 8‐. Ac i c などの行動問題 ng out,Pani. i tや Pan cに子どもが陥ったときには, 教師や指導員は困惑することも多い. し ngou 激し い Acti. かし, 我々は困惑が大きければ大きいだけ, 子ども自身が混乱していると考えて, 対処していかな ければならない. こう した問題行動は, 必ずその子どもなりの原因があるはずである. 子どもとの 関係のなかで, 教師や指導員 が上から下への関係で見ているかぎりは, その原因が見えないことも 多い‐ 教師や指導員が, 子どもの横に並んで, 子どもそのものを感じられれば理解できるはずであ る‐ 文字通りの“ 内側からの理解” を要するところである. ある施設で, 正月に帰宅する子どもが多いとき, 重症の障害児で帰る家がないために 帰宅できな i cに陥っ たときに, 指導員は子どもが可哀 想で涙が出て い子どもが居た. その子どもが極端な Pan しまったということを述懐していたことを思い出すが, そうした理解は子 どもにとっ て慰めになる だろ う‐ ingou i tや Pan cに陥らないように 配慮したい‐ 子どもも傷つく 更 に, 我々 と し て は 子 ども が Act. だろうし, 教師や指導員も困惑する. 出来るだけ避けたいことである. そのためには, 子どもがど んなことで反応しやすいか日常から留意しておくことが望ま しい‐ 身体的問題, 人間関係, 環境変 化, 課題の問題などウイークポイントがあるものである. 教育や指導の場合に, そうした特徴を知っ ていて予防的に接していきたい. i ing out Act c に た い して の 対 応 に つ い て は, 次 の よ う に 考 え て いく‐ , Pan. 1) 教師や指導員に, 先ず要求されるのは, 感情的に反応しないことである‐ 感情的にならないこ とは, 障害児, 者援助の場合に は, 基本的資質である‐ 日常的に余裕を持っ ている教師や 指導員 で あっても, その場にのぞんでは なかなか難しいことであるが, 大切である. 人間援助をするものは, 安定した心理状態を維持していくことが必須要件である. 166.
(6) . 精神遅滞, 目閉児等の障害児とその親に対する カウセリング的配慮の基本的考え方. 2) 出現してきた行動は, 毅然として抑止されることが必要である‐ 行動は子どもの混乱の表現で あるから, 行動を押えることは混乱を静めることである‐ 身体的に押え込むことも必要 で, 時に別 室に隔離して行動が納まるまで監視していなく ではならないこともある. 感情が激して行動の抑止 が効かなくなっ ている子どもを放置しては, 子どもは自分を押えることに失敗するかもしれない. 外傷を起こすかもしれない. 納まっ て後に, 劣等感にさいなまれるかもしれない‐ 出来るだけ, 行 動自身は早く押え込むほう が良い. 3) その場合に, 教師や指導員は, 子どもの行動を抑止しているだけで, 人格を押え込んでいるわ けではないことを伝達するように心掛けねばならない‐ 行動を身体的に押え つつ, 言語的に受容を 表現していく. 暖かい心が子どもに伝わるように努力する. i t 4) 現実には, 教師や指導員も人間であり, 相手が障害児で激しい Ac c の と き に は, ngout , Pani 感情的になるし, 自分 を失うこともある. 理想としていても現実には困難なことも 多い‐ それだけ に, 我々に要求されるのは, 日常から自分自身を自己吟味して客観的に 見ていける自己自身への厳 しさであろう. 9‐. 危機に陥らないよう子どもに処理方法の学習を. Act ing out i c に は でき る だけ 陥 ら な い よ う に 子 ども が 育 っ て い っ て く れ る こ と が望 ほ し い , Pan. のは勿論である‐ それには, 子どもが混乱したり困っ たりしたときに, す ぐに教師や指導員に訴え てくる関係を形成しておくことが肝要 である‐ 混乱した子どもがす ぐに, 教師や指導員のところへ 来て甘えたり, 泣いて訴えてくれる関係があればこちらも助かるし子どもも助かる であろう. 子ど もに日常から ”何か困っ たらいいに来なさい” ということを伝達しておく. 来たら, 必ずきちんと 対応してくれるという体験を持たせておくことが必要である. 言葉以上に子どもにとって “先生に 認めてもらえている“ という体験ができていることが重要である‐ 換言すると, 教師や指導員と子 ども の 間 の.人 間 関係 が で き て い る と い う こ と で あ る.. もう一つ, 我々 が注意しておかなくてはならないのは子 どもの特性を知 っておくことである‐ 全ての子どもが何かあっ たらすぐ教師や指導員のところに訴えてこなければならな い と いう こ と ingoutに 陥 ら な く と も 解 消 し て い け て い る 場 合 も 結 構 では なく, 子 ども に よ っ て は, Pandc や Act. 多いものである. 困ったり混乱したりしていても, それなりに表現して解決できる子どもも居るの である‐ 臨床経験的にそう ではできにくい子どもは次の3つの場合と整理したい‐ 1) 子どもの性格が内向的であるとき~外交的性格 で何でも表現しやすい子どもも居るが, 生来的 に内向的な性格の子どもも居る‐ その場合には, 感情表現が無意識のうちに欝積しているので, 些 細なことでも感情爆発に結び付く ことがある‐ 障害児ならずとも, 人間は否定的感情が欝積すると き, 普段のその人から想像もできないような爆発が起きることがある. マイナス感情は小出しにで き て い る ほう が 良 い. 内 向 的 な 子 ども に は, そ れ が な か な か でき な い ま ま で, 見 過 ごさ れ て い る ‐. 2) 教師や指導員との関係のなか で緊張している場合~教師や指導者に受け 入れられ許されている と感じている子どもでは, 緊張せずにいることができるが, 受け入れてもらえてはいない, 見られ ていると感じて緊張していまう子ども では, そのこと自身 St re s sの 多い状態 である. 子ども自身, 自分 に自信がないので自己受容できず, それが教師や指導員に投影されているわけ である . 167.
(7) . 奥 村 晶. 子. 3) その場の環境に緊張している場合~学校とか作業場とか, 今居る環境に安定できない場合であ る. 新しい環境では, どの障害児でもそう であろうが, やがて慣れていける. しかし, 同じ環境の なかに居ながら慣れるこ とができず, 緊張している場合 が危険である. これは多くの場合, その人 間関係のなか で周囲の人に受け入れてもらえている, 許されていると 感じられない子どもの心が問 題なのである. そうして, そう した子どもの状況は, 周囲の人には愉快なことではないので, 自然 に阻害される ような雰囲気を形成して, 悪循環を作っ ていき, 子どもにとっ てはさらに辛いことに なっ ていく. 孤立, 阻害されている 子どもに注意するだけでなく, おとなし過ぎる, 無口すぎる子 どもにも十分 に注意しなくてはならない. 失敗し, 他者受容することにも 2) , 3)の場合は, 子どもが無意識にしろ, 自己受容することに 失敗している 形である‐ これは, 厳密に見れば幼少児期からの成育環境のなかでの基本的信頼感の 欠如かもしれないだけに, 相当留意して子どもが自己受容できる情緒的安定を得るま での援助が必 要な場合が多いことを心しておかねばなるまい. 子どもと接する我々の 自己吟味 最後に, 障害児, 者に接していくときの 我々の問題について 一言しよう‐ 1) 教育や指導というときに, 我々は彼らの 成長を期待しその援助をしているわけ で, そこでは熱 心であればあるほど子どもと対 決的になり, 子どもに要求するようになりがちである. その真拳な 熱心さが子どもには大切であろう. 障害児だから等という偏見をもっ ていい加 減に済ますような人 が居たとしたら, それはすぐ見抜かれていまう. きちんと子どもに人格的尊重をもって接すること においてのみ援助関係が生れる‐ しかし, これは, 大人と子どもとの関係, 障害をもつものとの関 係においては言うは易く, 我々にとっ て困難なことでもあることを心しておく必要がある. 2) 同時に, 忘れてはならないのは, 教師や指導員の余裕をもった心 である. 我々の余裕が子ども の余裕になっ て, 安定感のなかで修得し成長していけるのである. 得てして, 教師や指導員の 熱心 は余裕のない厳しさや焦りを子どもに植え付け, 楽しくない気分にさせてしまう. 厳しい 反面, 常 に遊べる, 楽しめる心の 余裕が維持されていくことは必要なことである. 3) 教師や指導員の 感動する心も必須の要件 である. 我々が, 豊かな感受性, 純粋な童心というも のを失わずに子どもに接していけるとすれば, 子どものなかにある 感能性はそのまま尊重され, 成 長していけるはず である. 障害があっても, 感動する心はその子どもなりに豊かに持っ ている‐ 個 性として尊重, 成長されるべきである.. V. 障害児の親について 障害児の親援助 は, 児童精神医学臨床では, 障害児そのものへの臨床診断, 適正な治療教育的配 慮とともに, 欠かせないところである. そこで, 治療者をはじめ教師や指導員の親への取り組み, 援助におけ る要点について総括して見よう. 1. 親援助の基本的考え方 1や aus Kenne 障害児の親について の研究では, 急性の悲嘆, 慢性の悲嘆な どを問題に した K1 168.
(8) . 精神遅滞, 目閉児等の障害児とその親に対する カウセリング的配慮の基本的考え方. 0l hemsky などの研究をはじめ, 援助に関しても多くの著書を見る。 s i 古く Lev nson ‐A は, 子どもの障害に親が気着いてから子供にうまく適応できるまでの過程を7 段階に分けている‐ 1) 衝撃期~初めて発見したことの 驚き 2) 拒否期~診断され たことを受け入れないで拒否する 3) 恥辱期~このような子をもっ た事を恥ずかしく思う 4) 自責, 葛藤期~何らかの罪による罰であると考える 5) 苦痛, 嫉妬期~度重 なる苦痛と他の親への嫉妬 6) 過保護, 排斥期~可哀想だと甘やかし厄介迷惑だと排斥する 7) 適応期~子どもを正しく理解し, その事態を調整し適応する 障害児の親たちは, 多かれ少なかれこう した段階を踏んで我が子の事実を認め ていくが, この経 過には非常な個人差があり, 子どもの成長に後追いして適応して いく場合など, 5~6年掛けての 援助を必要とすることもあるので, 息の長い関係をもつことが要求さ れる 親の適応過程は 親の , . 性格や親への支援機関の有無などが関係するが, 子どもの障害が重度の場合よりも軽度中等度の場 合のほうが, 適応に時間が掛かることが多いように思われる. 重度の場合は親はいやおうなしに障 害の事実に直面させ られるが, 軽度中等度では, 成長のなか での期待を持っ ていたい それが, 時 ‐ に親の苦痛を倍加することもある. 治療関係, 福祉関係, 教育関係などの援助者がいつ どんな形で親に障害の事実を認識させて いく かは非常に難しいこと で, 親に衝撃を与えずしかも正しくということになれば, 臨床的に慎重でな くてはならないが, 避けることもなるまい. 次の諸点に注意したい‐ 1) 医学的, 心理学的, 発達的な各種資料を揃えたうえ で, 素人でも分かるよう な言葉ではっきり 説明 す る‐ ごま か さ な い .. 2) 一方の親特に母親だけに説明せず, 両親揃っ た場面で説明する . 3) 予後について軽率に確定的なことは言わず, これから取り組ん でいく方向を示して, 励ます . 4) 長期にわたっ て子どもの発達を共に見ていく という覚悟を付けさせる . 5) そのためには疑問には できるだけ親切に答える. こう したことを, 親が納得できるまできるまで繰り返ししていくだけの根気が要求されよう そ ‐ のうえで親援助の基本を次の3点に要約できると考える. この3点を親の心理的状況に合せてして いくことが ‐援助の基本だろう. 1) 長期的に, 親が混乱したときに相談に乗っ てもらえる専門機関をもつこと~精神科 小児科な , どの医療機関は初期 には診断的に Approach す る が, 其 の 後 の 経 過 観 察 は lnterval が 長 い 児 童 相 ‐. 談所を利用するほか, 地区の保健婦な どの社会資源が活用される 勿論 親にとっ ては教師も身近 , ‐ かな援助をしてくれる社会資源とされるので, 教師にもそれだけの覚悟をもった関わりが要求され る. 身近かに相談 できる誰かが居るという ことは, 親にとっ て混乱を最小限に食止めていけること に なる.. 2) 障害児であっ ても, 現在成長し発達しつつあるということを認識させ る事~親は我が子が障害 があると, 将来の不安から予後を知り たい‐ しかし現在成長途上にある子どもにとっては 障害児 , は障害児なりに最大 限保証され, 阻害されないようにする ことが肝要 である 予後に悲観的になっ ‐ 169.
(9) . 奥 村 晶 子. た親は子どもに諦めをもっ てしまうかもしれない. 或は, 愛情からであっ ても子どもの成長を阻害 長 発 して過保護過干渉に陥るかもしれない. 障害児といえ ども, 子どもはその子どもなりに 今成 、 達の途上にあり, 親は成長促進 的に作用すること が必要なこと を認識させ ることが大切である. そ のためには, 育児書や他の 子どもと 比較するのでは なく, 自分の子どもを経時的に追ってみていく も 視点を導入するように励ま す. 以前にできなかったことが今出来るように なったら, それは子ど の成長である‐ 3) 基本的取り扱い方は健常児と同 じと考える 事~障害児と健常 児で養育態度が相 違するものでは 合せ ないことを認識させる. 障害児は 発達が遅いの で, 年長になっ てからでもその子どもの発達に 木目細かく, 時間をかけてゆっくりしていくのでという決心をしてもらえるように親の努力を励ま していく. 親の失敗や焦り をあげつらうのではなく, 親ができた 僅かの努力を認め, 確認すること で親は勇気を持っていけるだろう‐ 助し こうした基本的姿勢のうえに 立って, さらに 親を見ていくとき, 我々は社会に生きる親を援 を ていることの社会精神医学 臨床の見方も要求されているのとを考 える‐ 以下, そう した側面に論 進めたい. 2. 障害児, 者についての偏見の克服 も 障害についての偏見は, 社会的に常に問題になるところであるが, 治療者, 教師, 親のなかに 早さなど 識 強さ , 偏見が意 外に根深く存在して いることに留意したい. 現代社会にある豊富な知 , 身価値 それ自 となどは 助を要するこ 人の援 , が価値であり, 知識のないこと, 鈍い事, 弱いこと, あろ のないことであるという 能率万能主義 的偏見が, 親や教師, 治療者の 基底にあることは事実で 偏見があ う. 現代社会が持っ ているそう した考え方の基底に ある思想そのものに, 障害児, 者への ない人 ることに 我々は目覚めることを要する‐ 多面的価値というは簡単であるが容易には改革でき 間社会の論理であろう‐ ら 更に, それとは別に, 理解したつ もりの認識が偏見になってしまう 危険にも留意しなくてはな 自由 彼らを不 上がりで , ない. 愛情や理解からの努力が, 障害児, 者の側から見る とこちらの思い なの である とも事実 にさせ阻害してしまっている場合のあるこ . 入れら 例えば, 以前に取り 扱った目閉性の情緒障害児は, 多少回復して きたところで普通学級に 普通児と離し れたが, 担任教師は悪意からでは なく, 障害児に 負担になっては可哀 想であると考え させては て席を別にクラスの片隅に寄せ, 学習も, 教師は障害児は何もできないだろうから無理を た そ いけないと考えて与えず, 子どもは何もすることがなく呆然としている状況になってしまっ . た雰 そうし こで母 親が ドリルやクレヨンなどを用意し学校ですることを指示して通学させていた‐ ゆくので, 囲気では当然, 周囲の子どもたちは誰もその子に口を利かず, 無視していまい, 孤立して “ 学校へ行くことに極度に緊張して 自家中毒を起こ し登校拒否に陥った. しかし教 師は 教師として, 仕方がな その 子に特別の席を与え, なにも 無理をさせなかっ たのに, それでも不適応に陥るのでは 明白であろう. “ い”という. “特別の配慮 が教師の 無知から出た偏見に満 ちた障害児観によることは 意したい 多いかに注 ‐ 主観的に間違った障害観が, 障害児, 者を如何に苦しめていることが 子ども集団は 意したい とに留 拒否に陥るこ て偏見と , . 我々の見方がともすると普通を基準にし け入れれ 者を受 害児 ととして障 人が普通のこ 周囲の大 も拒否もない , どには偏見 大人が考えるほ . もそう ば, 子どもも抵抗なく受け 入れるものであるが, 周囲の大人が偏見と拒否になると子どもに した気持が容易に作ら れていってしまう. 170.
(10) . 精神遅滞, 目閉児等の障害児とその親に対する カウセリング的配慮の基本的考え方. 障害児, 者に関係のある大人は社会の偏見を身を以っ て感じているから, そういう 感じになるの だろうが, 障害の偏見打破をいくら叫んだとしても, 周囲の人間に対して何 がなしの劣等感, 引け こ接する大人自身が劣等意識を 目を持ちながらでは, 少しの実りもないことに なるだろう. 障害児も なく し, 人間としての人格を認めるとき初めて偏見は解消していく. 換言すると, 障害の事実を正 しく, 劣等なものとして ではなく特殊なものとして 受け入れるということが, 要請されるだろう‐ 障害は, それ自身、 偏見を持たれやすいものであるが, 我々のなかに特殊なものを見るときに 潜在 する偏見を真撃に顧みる要がある だろう‐ 3‐ 障害の事実の受容について 親が, 障害の事実を知的に知っ ているということと, 正しく受け止められるということは根本的 に相違していることに留意する必要がある. 医療機関, 児童相談所で “精神遅滞, 精神薄弱” とい われ病名として知っ てゐても, 事実として どんなものであるかを理解できずに受け止められないで いる場合など“精神薄弱といわれているが, この子はこんな事もできない. 後で自分が困るのに~” というような訴えになる‐ そう した混乱を経過して, 親が障害の事実の意味を正しく受け止めることができるようになっ た ときには, 障害児自身も自分で自分を受け入れることができるようになる. 障害児, 者の自己受容 は, 彼らの精神的安定に繋がっ て行くことになるので非常に大切な事である. この場合, 親が我が子の障害の事実を受け入れるといっ ても, 親がどんな感情で受け入れている かが重要な鍵になる‐ 危機的気分, 厄介事, 困っ た事という感情はどんな親にもあるであろうが, その感情を克服し愛情をもっ て受け入れる努力をしようとしているのか, 困難に打ちのめされ困惑 の窮みを受け入れざるをえない状況で, 子どもの状態に諦め, 恨みの感情をもってのことなのかは, 親自身の育児や養育態度への努力に影響し, 子どもに対する接触でも情緒的に微妙に影響するもの であ る‐. 長い経過 で見ていくと, 障害に偏見を持たずその範囲内でベ ストを尽くそうと割り切れている 親 や, 障害児, 者のほうが社会適応していく方向になり, 周囲の人とも良い関係になる‐ 病気や障害の事実をマイナス感情を持たず, そのままに受け入れるということは非常に困難な作 業に違いないが, それにもかかわらず障害の現実を事実として受け止められるときに, 親も障害児, 者もともに気力をもち, 前向きに現実に立ち向かっていけるわけ で, その強さは敬服に価するとい う こ と であ る‐. くれぐれも注意するべきは, 事実を受け入れるというとき, 不幸な事であっ てもマイナス感情で 受け入れることは結局は拒否していることである‐ 障害の事実を,“障害があっ てもこの子はこの子 なりに生きているんだ” との プラスの意味をもっ て受け入れていくことが必要なのである‐ 治療者 や教師, 親が, 障害があるということでマイナスイメージで見ていると, 子どもは周囲の大人の感 情を敏感に感じ取っ てしまい, 自己に対してマイナスイメージを作っ ていっ てしまうだろう‐ どん な人間でも自分にたいしてマイナスイメージをもってしまっ たら, 人間関係のなか で自信を失い失 敗経験を多くしてしまう‐ 成功感とか自己受容感が持てないのである‐ 逆に, 障害があっ ても, 自 分 に た い して プラ スイ メ ー ジ を も っ て 居 れ ば, 自 己 尊 重 の 気 分 を も っ て そ の 子 な り に せ い い っ ぱ い. の生き方を努力する自信が培われるものだろう‐ はっ きり言えることは, どんな人間でも他の人が 自分にたいしてどんな感情をもって接してくれているかということには, 非常に敏感でありこれは 援助の根本にかかわる姿勢である‐ 障害児, 者といえども, 人格的に扱われるとき, その子どもの なかに自己受容的気分, 障害受容的気分が育っていくということである‐ これは我々が, どんな障 171.
(11) . 奥 村 晶. 子. 害の重い子であっても人格をもっ た一人の人間として 尊重してみていくということである.人間は, 障害の有無に関係 なく 人間 であることが尊重されるなかで優れて感情交流のなかに 生きる動物であ ” るということを銘 記したい. これは “言うやすく, 行なうはかたし だろう. 親子関係のなか で, 障害児の親として 日々の生活のなかで確実に実行していくことは, なかなか難しいだろう‐ それだ けに我々の援助の基本は, 障害を持っ ている 一人のかけがえのない人間として 尊重できる人間観を 親とともに形成していくことである‐ 4. 悲嘆の徹底操作をさせる事 親として事実を正しく受け入れて, よい親になってもらうために, 悲嘆の徹底操作が必要なこと を知っておくことの方が良い. これが. 我々との関わりの なかでできた時, 親は障害の事実を正し く受け入れる事が可能になる ものである. どんな親でも, 我が子が障害児であるという事は苦しいことであろう. その苦痛を抑圧してしま うことは, 障害の受容に決して プラスに反応するものではなく, むしろ苦しさや悲しさを正直に表 現することは必要な事である. どんな人間 でも, 苦しいこと, 悲しいことを隠して 自分の中に押し 込めて我慢していては, 強くはなれないということである. 悲しみや悩みを抑圧していると, 自分 自身が苦しいので, 子どもに対して罪責感を持っ てしまったり, 無益と知りつつ障害の原因探しを したりして, 実りのない努力にしかならない. 悩みや苦しみは, 障害児の生後, 初期の段階に既に あると同時に, 子どもの成長の中で常につき まとう. それを親はきちんと人間として見, 苦しめることが必要だろう. 親が平気になれるほど簡 単な現実では ない. 苦しい悲しいという 感情は大切にされる 必要がある. 人間は弱いものであるだ けに, 我々も自分 自身弱い事を知っている時, 初めて親を援助しつつ 強くなれるものではないだろ うか. 勿論, 親のこう した感情は子どもには 感じさせなくないし見せたくない‐ 十分な援助の なか で子どもに接する勇気の出るまで支持される 必要があるだろう‐ 親援助には, 長期に亙る根気が要 求されるものである. 5. 愛情ある親子関係の形成を その上に立っ 親子関係の形成の努力をしていけるよう, 親を支持していく事が大切 である. 親子関係については, 社会の流動のなか で家族機能 が変化してきており, 今日は健常児の 場合で さへも, 親の養育機能の問題が大きな社会問題になっている‐ それだけに, 障害児の親子関係 も社 会的風潮を受けて難しい問題であるが, 基本的に子どもの成長に必要な親子関係の 形成ということ は, 健常児と同様と考えてよいだろう. 更に注意しなくてはならないのは, 悲嘆の徹底操作と愛情とは, 見方によ っては相矛盾すること を一人の親がしていくということである‐ 親は大変な苦労をしているのであるが, そこで忘れてな “ らないのは, “一番苦労しているのは障害をもって努力しつつ 成長していっている子ども自身 であ るという事を親とともに知 って, 親が努力していけるよう支持していくことである. それがあると き親は勇気をもっ て頑張っ ていけるだろう. 6‐. l f 親 の Li eの 問題 に つ いて e Cyc. f eCycle の 矛 盾 に つ い て 考 え て いく 障害児の成長にともなって起きてくる新しい問題と, 親の Li ことは治療 上必要である. 障害児が幼少の 時には, 親はまだ, 若さもあり力もある わけで, 苦しく とも我が子のために 頑張っ て努力していくこと は可能であろう‐ しかし, 子どもが次第に成長し, 172.
(12) . 精神遅滞, 目閉児等の障害児とその親に対する カウセリング的配慮の基本的考え方. それにともなっ て新しい問題 に直面しなくては なら なくなる頃 例えば学令を過 ぎて社会生 活に入 , らねばならなく なる頃, 子どもの社会生活の受皿を どう して行くかの 問題に直面する その頃には ‐ 親は, 若さも失せ エネルギーも少なく なっ て来てしまっ ている それでなくとも 暮しにくい今の ‐ , 世の中, 我が子が社会生活をしていけ るか 自分 たちが死ん でしまっ たら子どもは どうなるだろう , との不安も, 大きくなっ てくる 積極的にそう した親の問題に対応する決め手は ないのが現状 であ ‐ るが, それでも次の2つのことを助言する ことは意味があるの ではないだろうか ‐ 1) 親を独り孤軍奮闘する形にすることなく 身近かな相談者を持つようにするということ である , . 学令期にある子ども では教師との信頼関係 を大切にして いけるように 親との人間関係を形成 して , いくということだろう‐ 教師は親に率直に相談されるという ことが 教師としての自分 自身の理解 、 にも大切だろうし, 親にとっても, 一人 で頑張ってということ ではない 心の余裕にな ていくこ っ , とだろう‐ そして, そのことは, 子どもに混乱を起こさせないためにも ぜひ必要なことだろう , ‐ その場合, 教師が全ての支えになる ことは到底不可能であ り 教師として は 身近かな利用しうる , , 社会資源を知 って, 適切な連 携のなかで教師自身の理解を深めていく事が必要である . 2) 親が一 人で閉じ篭らず, Se lp Gr l f He oupに参加 できるように援助することである 手を繋ぐ . 親の会, 情緒障害児親の会, ダウン症親の会等 障害にあっ た親の会に親が参加 して その中で同 , , じ障害をもっ た親たちとともに学び,苦しみを分かち合い努力 していく事が大切 ではないだろうか . 親といえども, 弱い一人の人間 であれば, 一人 では耐えられないこ とでも グルー プに参加するこ , とで力が与えられるだろう‐ 親にたい して決定的な援助 はできない しかし 何もできないと いっ て放置もできな い 援助者 , . . としてともに 考えていくことが, 直接の解決に ならなくとも 親の孤立無援感の軽減に繁るだろう , し, 我々, 障害児問題に関係するものの理解にも繁っ ていくこと であろう ‐ Se l f He lp Group について 7. Se l f He l p Gr ouPにたいしては. , 親を紹介するだけでなく, 側面的な立場から理解者となり支援 活動を通 して支えていくことが望ぎましい リー ダーシ ッ プを取っ たり指示する のではなく 側面的 . , な立場か らの関与 である その場合 次の3つのことが大切であろう . , ‐ 1) グルー プメンバーが心を打ち明け てする仲間同志の 話し合いを大切にする 親同志の連携のな . かで, 同じ苦しみ, 悩みを持っ ている仲間として それを話し合う事 で 情緒的に開放されていく , , ことが重要だろう. 苦しん でいるのが自分 だけ ではなく 同じ苦しみ 悩みを持 ているものが居 っ , , ることを知り 連帯感をもつことができるだろう 更に 心のうちを話すことで 自分と子どもとの ‐ , , 関係を客観的に見る余裕を得, よりよいものにしていけ るのではないか と感じることも多い 相互 . に話し合う ことで, 障害についての正 しい知識や理 解 親として子 どもとの人間 関係の持ち方な ど , も学習 していくことが 可能になっていく だろう 障害克服のために親として我が子に どう接してい ‐ くか援助の学習の場になる はずである . 2) 障害児の親たち が Se l fHelpGroup としてのまとまりを持ち社 会的に存在 していることの意味 を主張していける集団として存在 していく ことが必要ではないかという ことである こ のことは ‐ , 例えば手を繋 ぐ親の会な どでは, もう長い間なされていること で 今更言う必要な ど無いことだが , , 一つの団体として社会に 存在して いることを- 障害に関係のない一般の人に知 てもろうという こ っ とは大切なことではないかと考える 社会的視点に立っ た自己主張と言い換えてもよいかもしれな . 173.
(13) . 奥 村 晶 子. ピール lp Gr l f He oupを通じて 社会的に恥じることなく存在を認めさせる働きである. ア ッ い‐ Se. 解される当 をするというより は, 存在している ということが当り前というような形に一般の人に理 り前の行動である. なか で, グ 3) 日本は福祉国家とは言えま だまだ十分ではないこと を我我痛い ほ ど体験し て居る 要求は ルー プと して福 祉的な配慮を要求していくことを粘り強くしていく必要がある. 唯ここで, 担, 自 親の会が自己負 ~ l u H G l f ep ro pとしての 要求として 絶え間なし 努力をしていくと同時に, se だろう. 己奉仕をしていくなかで, 行政の方へ働きかけることではじめて行動力の あるものになる を超え 親という立場 但し日本全体を見るとき, 福祉にたい しての理解は非常に低いので, 親には, ていく て, 教育, 福祉などの 組織化, 予算化をどう するのが良いのか, 日本人のひとりとして考え という視 点が要求されているのではない だろうか. を 以上, 基本的な考えを記述した が, 総括的に親援助というときに, 親にはつぎの ごとき諸側面 留意してみて いきたい. 出していくよう努 1. 我が子を, 他の子と 比較しないこと~その 子自身のユニークさに, 価値を見 力する‐ 2. 我が子のわずかの成長でも喜べ る 感受性と, 優しさを大切にする. 3. 我が子の 感情の動きに敏感になり, 感情の触れ合いを大切に する. 4‐ 他の兄弟姉 妹と区別 しないで, 同じ様に愛し, 同じ様に取り 扱う‐ はしない周 5‐ 出来ることはさせる, 出来ないことは, 率直に 介助してやる, 介助を特別のことと 囲の 反応が子供の プライ ドにつながる. け入れる‐ 介助は, 家族 6‐ 障害児であっても, 家族のなかの一人であっ て, 特別な人では なく受 にとって, 当然のことで, 障害児は 家族から介助を受ける権利があると見なす. なるものと, どう 7‐ 養育において, 計画性は 必要であるが, 先々のことを思い煩って, どうにか 努力はしていく にもなら ないもの とがあることを留意する. どうに もならないこ とについては, が, 割り切ることも必要である. くよく よすることは, 解決にならない. 子供のためにも必 8. 親自身の社会生活を大切にする. 閉じ篭ってしまわ ないように することは, 重症児の場合 要. 子供とともに, 社会生活を楽しめる障害児の場合は, 共にすることが良い が, 十分に 発散 には, 時に子供を離れて, 自分自身で楽しむことに 自責感を持たずにできるように. でき れば又, 十分に養育できる. ている 意味を感 こうしたことを根本に据えて, 障害を持っている 子どもであっ ても 子どもに生き “ “ 生きているのか“ , 人生 じてもらえるとすれば, それは, 根本的なところで, 我我自身が, 何故, とが必要 だろう. の意味とは何か” ということ を, 自分自身の 問題として, しっ かり持っているこ でもごまかして 生 健常 児の場合には, 物質的豊かさ とか, 人との付き合い とか, あまり考えない t 自分自身でs ep by step きていて, 楽しいという 感じでいれるのだろうが, 障害児者の場合には, 要求される の の戦いを継続的にしていくことが人生と, 置き換えてもよいほどの大変な生き方が, れない真掌な問題 ではないだろうか. 障害児が生きていることの 意味という問題を安易には答えら かわらず, そう した, に感じ, 時に, “何故”と, 立ちすくむ 思いを禁じ得ないこともあるが, にもか 本位の生き方が普通 不条理 なことのまえで, 尚, 人間 が, 生きる意 味を喪失して, いい加 減な自分 ていける 根本 社会を正し になってきている今日, 障害児の 存在にかかわる, 意味の追求 が, 人間の 174.
(14) . 精神遅滞, 目閉児等の障害児とその親に対する カウセリング的配慮の基本的考え方. にもなるの ではないかと感じたりもする‐ 何人かの障害児の親から, “最初は, どう して, という気持で苦しんだけれども, 子どもと一緒に 頑張っていくうちに, 次第に生きることの大切さや, 真面目さを, この子どもによって, 教えられ た‐ この子によ って, 成長させられた. 若し, この子が居なかったとしたら, 今の私達の喜びはな かっ たと思う” というようなことを聞くことができた‐ そうしたとき, 本当に, 厳粛な気持にさせ られ, 自身が清められる思いがする‐ そこにあるのは, 人間としての真実そのものであろう. 本当 に, 子どもと親が, 愛情で出会い, ともに生きる経験をしている姿勢だろう. 人が, 人を真実に愛 す る こ と が でき る と き に, そ の 人 は, 生 き て い け る の で は な い だ ろ う か‐. (附記) 精神科臨床では, 障害児も こ, 或はその親達に対応を迫られることも多い. 又, 担当者の研修や親 の会にかかわることもある‐ 基本的なことは成書に 多いが, 臨床経験から対応の心構えについて突 込ん でみたものである. (本 学 教 授. 札 幌分 校). 175.
(15)
関連したドキュメント
その後、徐々に「均等範囲 (range of equivalents) 」という表現をクレーム解釈の 基準として使用する判例が現れるようになり
これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,
ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配
共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果
このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた
わかりやすい解説により、今言われているデジタル化の変革と
自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から
大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場