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新国誠一のコンクリート・ポエトリーに見られる文字の具体化の可能性

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Academic year: 2021

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(1)     平成23年度修士課程学位論文. 新国誠一の1コンクリート・ポエトリーに見られる.       文字の具体化の可能性. 教科・領域教育学専攻. 芸術系コース美術分野  M10214K吉田侑右.

(2) 目次 はじめに.... .1. 第1章 新国誠一とは....  .2.  1−1 仙台時代....   ....... ...、...2.  1−2 新国とモダニズム.......  .4  .5.  1−3 詩集『0音』の刊行..... 第2章 コンクリート・ポエトリーとは.、.、.......、...........        .8.  2−1 アルファベ!ト______.._._1__.....、..、。.       __..。.8.   2−1−1 成り立ち.....,...            ......   .8   2−1−2 抽象性・合理性.............................、.....、.、           .8   2−1−3 芸術言語..............,........................、.....、...           .9.   2−1−4 西欧コンクリート・ポエトリーの誕生.         ......10  2−2 漢字......................,......................................           .12.   2−2−1 成り立ち.........、..........、.......             .12   2−2−2 図形性・形象性......、...............................          ..12.   2−2−3 諸感覚の僻成..___。._..、           ___. .13   2−2−4 ソシュールの記号諭.............................           .14. 第3章 文字の具体化とは...................... .............、....        .17.  3−1 新国のコンクリート・ポエトリー.........           .17.   3−1−1 『O音』の「NOTE」.....       ........  、17.  3−2 文字の具体化.................          ...20.   3−2−1 「人間の観念の死」..、..、... ......            ...20.   3−2−2 「言葉の原初経験」一■...........           .21.   3−2−3 道具言語と具体言語...........  ......           .22.  3−3 二つのコンクリート・ポコニトリー............  ......   ......    .23.   3−3−1 混成芸術.の否定..........、......           .24           .24.   3−3−2 コンクリート・ポエトリーの危険性..... 第4章文字の具体化の可能性... ..{.、.  4−1 仙台時代.....、、.、................  4−2 「象形詩」時代...................           .29           .29 ......              .30.

(3) 4−3 『O音』時代..................          ....31.  4−3−1 『O音』収録の作品分析.、、...、............           .31           .33           .34           .34.  4−3−2 『0音』未収録の作品分析............、.. 4−4 r第3回空間主義宣言書」...、....  4−4−1 宣言書の分析.ll..................  4−4−2 作品分析.........、.........  .......           .35. 4−5 「空間主義東只宣言書」.           .37          ..37           ,40           .41           .44           .47           .47.  4−5−1 宣言書の分析..、............  4−5−2 グリッドに沿った作品分析.........  4−5−3 グリッドに沿わない作品分析..........  4−5−4 実験的な作品分析............. 4−6 「ASA宣言書」..........................  4−6−1 宣言書の分析..、...................  4−6−2 晩年の作品分析.................. @  .,.....      .48 ........ 4−7 新国の日指したものとは............           .50一.  4−7−1 言葉の具体化...................... .......        ...........,.50.  4−7−2 コンクリート・ポエトリーの終焉....          、.51.  4−7−3 新国誠一の人間性..............          ..・51. おわりに........................................................................................53. 参考文献........................................................................................54.

(4) はじめに  私は大学院でデザイン分野を研究するにあたり、大学時代に文学を研究していた経 験を活かすことが出来るテーマを模索していた。その過程で、グラフィック・デザイ. ンと詩を組み合わせたような「コンクリート・ポエトリー」を見つけたとき、自分の 研究対象として最適であると考えた。.  コンクリート・ポエトリーは1950年代にドイツ、ブラジルで生まれた詩の運動で あり、一般的には「視覚詩」の領域に区分される。「視覚詩」とは、視覚的な要素を 含んだ詩の総称である。そして仙台出身の詩人である新国誠一が、日本におけるコン クリ』ト・ポエトリーの先駆者であることを知った。  私にとって視覚詩とは文字による「お絵かき」程度の認識に過ぎず、文字を装飾的 に並べたものだと考えていた。ところが、新国誠一の作品は単なる「お絵かき」では なく、配置された文字によって画面がデザイン的に完成されていた。また、漢字を部 品として扱うことでテーマを表現する試みは、文学的でありながらも強いデザイン性 を帯びているキうに私には感じられた。.  新国誠一の名はおろかコンクリート・ポエトリー自体も現代においてはほとんど聞 かれることがない。コンクリート・ポエトリーの誕生から半世紀以上が経過し、両者 とも忘れ去られた存在となっていた。日本国外で誕生した、詩とグラフィック・デザ インとの交差する領域としてのコンクリート・ポエトリーを考えるとき、.日本にいな. がらにして同様の手法にたどり着いた新国誠一を研究する意義は大きいと考えるに 至った。.  新国の作品には大別して二種類あり、どちらもが通常の詩の形式ではなかった。そ れは「現るための詩」と「聞くための詩」である。彼はこの二つをまとめて「コンク リート・ポエトリー」としていたようだが、私の求めるも.のは詩的領域とデザイン領 域の交差点セある「現るための詩」である。よって本稿では「現るための詩」のみを 研究対象とした。.  まず、新国の残した詩論などを考察し、彼のコンクリート・ポエトリーに対する考 えを明らかにする。次に作品の分析を通して、彼の意図がどこまで実現されていたの かという点を評価することを本稿の目的とする。そのために、アルファベットや漢字 という文字に注目してコンクリート・ポエトリーの誕生について榊敢的に解説する。  新国の残した作品は少なく、死後も含め刊行された詩集は二冊しかない。そのため 作品の分析には、新国の死後初めて行われた2008年g回顧展の図録をおもな手がか りとする。. 1.

(5) 第1章新国誠一とは  新国誠一は日本における「コンクリート・ポエトリ』」をめぐる運動を語るうえで 避けては通れない詩人である。主な出来事を追いながら、彼の詩作について榊敢する。. 1−1 仙台時代  1925年に宮城県は仙台市に誕生した新国は萩原朔太郎に憧れて詩作に取り組むよ うになった。仙台工業高等学校で建築を専攻、東北学院大学では英文学科に所属して いた。.  1952年、27歳になった彼は仙台を拠点として活動していた同人雑誌『氷河』に参 加する。『氷河』自体は仙台出身の詩人である石川善助1を追慕する文芸誌であった。 石川善助は高村光太郎をして「徹頭徹尾北方人」といわしめた詩人として知られるが、 詩に記号的要素を取り入れるなど詩と図形の関係に関心を持っていたことがうかが える。金澤」志2は、新国が石」■1にむけていたまなざしを以下のように分析している。.     善助の図形的な詩作を、新国は《精神のゼロの地点へ接近する》もので、思    想も感情もない絵画的な世界だと指摘する。気になる「ゼロ」の意味について    は、《詩=ゼロという詩的思考あるいは認識の方法とは、無限の可能性をぶ・ぐむ    精神のつぎめ》であると説明している。懐旧的な同人のなかで新国誠一の拘泥    はあきらかにちがう色の石であり、同郷という理由以上に、芸術至上の視線を    確認する媒介者として石」l1善助が選ばれていたようにみえる。 (金澤一志「新国賊」の《具体詩》」『新国誠一works1952−1977』、思潮杜、2008年). パ び は し イ ろ ん よ プ う ど ん.  ど る ぼ く    り. だ の き け   る ち も る る.  も. 花 つ.  と.   の   あ 兜い わ.   ぼ   か 火 ん な   っ   い が さ な   て       ん い.   ゆ   つ さ  て.   く  め ひな     た い  あ.     く ろ カ が.      に モ き.     う  メ.     れ う  え. v      いめ を ぐ 喪       く  る 箪      の  よ の       と ぼ酔. ブ・トろうiつ レ      脅 り  て 1    さ      な. キ    ら   と ^    り.      く.    さ  す.   もほのれいまあ   え1手 いんつや   て 兄  て う さ 繊. か に じ う ね. リ 空. ず じ つれ は. ボ部 ン 農.   も       な く.  み   げ.    み   ん つ お の.   え    フ  醤る   て    移  睡 し.          み   つ        かが一. て み と わ っ ら こ   し ち に     に の. さ      パ び       イ. を. つ け た. め. す.   め         糞   た       あ カ. し      プ く. ふ .. ヒ  偽        ぎ色. ナ      あ イ      ん フ      う. そ. ぐ   い        え ツ. つ  曹      なに し.   の        が う て   ぺ         ら つ.   ル        や せ つ.         っ き め   き        て し て 〉   え        く て.   る        る. く. つ.     つ     な     ペ     ン     キ.    ら   ぶ    り   つ.      て 図1 新国誠一「うれいをパイプにつめて」1952年  新国が作品発表の場を『氷河』としたのは、石」l1善助に対する慕情からだけでなく 彼の詩作に学ぶところが多かったからであると考えられる。.  同年7月発行の『氷河』の第五号にはじめて新国の詩が掲載される。作品は「うれ いをパイプにつめて」(図1)である。記号や空白、改行を巧みに用一いて文字列を構 成し、文字の表記自体にも心を砕いた様子がうかがえる。 1詩人。1901年仙台市生まれ。漁船員をしていた経験からか、生命に対する詩を多く書き、激しく もおおらかな作風。. 2評論家、詩人。1959年東京生まれ。美術、デザイン、写真、詩歌の論評を発表。.

(6)  そして1955年発行の『氷河』10号に、二篇の「現るための詩」が掲載される。 「[81臨床学的画面構成」(図2)と「[191空間断面」(図3)の二つの作品である。. 時     決          鉄. 間   象  勝     穴 雪   柵  ゴ. の暗三  点   璽  の 晴 三ビ. 湾礁越   低49が  な壁面冬輪の. パ. 曲の  気05氷赤黄か喬十至車砂 し 飾機  圧  山緑黒の の に塵. た 窓帆 恋の  に  鋸鋭音 のに 予 は船 文透サ 咲腸  角譜 るね 約 力の新を明ビ く結     ぎむ 金  1服間よなシ ひ石 淫  水やる   ル飾記む木イ まの ぶ  のし東    学者基馬ピ燭わ伝 鱗疾砲なや京   マ講と督 力発り統伏の走丸いな駅   ル座モ  ソすではせスす カ大の. ス     天. カ. ル 火 海.   クオ林るあ喋る力るス伴白. 傘スッ檎鯨る裸1乳ピ旅夜   のアの  女卜母海人   耳  ル  会       車火の     ト 議        炎壷.            朝. 図2 新国誠一r[81臨床学的画面構成」1955年. 図3 新国誠一一r1191空間断面」1955年. 作品名と作品が別の頁に分けられた形式に特徴がある。そして作品名には次に挙げ る但し書きが付随している。.   この作品は従来の伝統詩のように読まれるものではなく、どこから読んでも、   またどう考えてもよいのであり、むしろ読むよりは、より自由な心でr現る」   「眺める」ものと考えていただきたい。題名は撃理番号だけとして、別に前掲   のようにとりまとめることにした。この詩のメトードについては近々理論的裏   付をもって詳解することにしたい。        (新国誠一『新国誠一works1952・1977』、思潮杜、2008年) 図2のr[8】臨床学的画面構成」では図1rうれいをパイプにつめて」と比べるとひ らがなの使用率が下がっていることがわかる。わずかに助詞としてひらがなが使われ ているが、そもそも助詞自体が少なく、それぞれの名詞が紐で吊るされているかの一よ うである。また、カタカナが見られるのは「ゴビ」や「カスピ海」「スカート」「モオ ツァルト」「カール・マルクス」といった固有名詞で、例外的に「サビシイピカソ」. のrサビシイ」だけがカタカナ表記になっている程度だ。 用いられている語に注目してみると、漢語の割合が多い。r砂塵」r白夜」からはじ まりr冬至」やr鋭角」r暗唱」など漢語ばかりである。漢語はひらがな表記に適し ないことは明白であり、ひらがなばかりのrうれいをパイプにつめて」に和語が多い こととは対照的だ。. 図3の「[191空間断面」は異質である。同じように扱われる図2「[81臨床学的両面 構成」と比べてもそれは明らかで、新国の言うように「従来の伝統詩のように読まれ る」ものではない。このころの彼の作品はガリ版で刷られていたというか一ら、図のよ.

(7) うな活字体ではなく手書き文字であった。手書きによる「天」や「火」「海」といっ た文字がばらばらと配置されており、通常の文章のようには読むことができない。ま さに「現るための詩」であった。以降、1960年に『氷河』を脱退するまで、同人と して合計八篇の詩を発表する。うち「現るための詩」は四篇であった。. 1−2 新国とモダニズム  新国の詩作のきっかけは萩原朔太郎であったようだが、西脇順三郎3の『超現実主 義詩論』が彼に与えた影響はより大きい。      rメタファLだよ。詩はメタファーだよ。」.     少しの間をおいて、こころもちうつむき加減の姿勢で西脇氏が答えた。それ    は自分自身にいいきかせるようでもあった。確信に満ちた言葉でもあった。「詩    の本質はなんでしょうか。」、これが私の質問であった。     (中略).     詩論を手にしたとき私は非常な喜びと複雑な挫折感をいだいたことを、今で    も決して忘れてはいない。     私の詩の出発は萩原朔太郎であったが、以来私が詩をつくり、詩を考えてき    た中心には、たえずメタファーの問題があった。私の詩のなかに西脇順三郎が    登場したのは、そして村野四郎もそうであったが、当然のことながらそのすぐ    れたメタファーのためである。ある意味で、私は、私のメタファーに絶望を感    じたのかも知れない。同時にそこにメタファーの限界を感じたのである一一一い    や、感じるように自分に言いきかせたのかも知れない。そこには私にメタファ    日そのものに決意を迫らせるなにかがあったのである。     (新国賊」「メタファーのこと」『無限』二十九号、政治公論杜、1972年)  叙情詩から出発した新国青年は日本におけるモダニズムの代表者である西脇順三 郎や村野四郎4に憧れるようになった。それは彼等のメタファーの巧みさに由来する ものであったが、『超現実主義詩論』を読んだ新国はそこに疑問を抱くようになる。 西脇の詩論『超現実主義詩論』では自然主義によるメタファーを超えた「超自然主義」 によって目指される詩を論じ、「連想として最も遠い関係を有する概念を結合する」 ときに「ある対象と対象との間を表現せぬ様にその関係を出来るだけ不明に」するこ とだと説明した。.  メタファーとは転義を伴う比喩のうち、隠喩もしくは暗喩のことを指す。つまりあ る対象を、類似する性質をもつ別の対象を用いて表現することだ。西脇は、ある対象 との関連性が不明な別の対象を結合させることが目指されるメタファーだと考えた. よう牟     私が現在取組んでいるコンクリート・ポエトリィの仕事は、その出発点にメ    タファーの止揚が一あった。そこに言語そのものに注目する動機も生れ、メタフ    アーよりもアナロジーに詩の本質をみようとする姿勢が生じたのである。その    意味ではメタファーは私の詩の揺藍セある。     (新国賊」「メタファーのこと」『無限』二十九号、政治公論杜、1972年). 3詩人、英文学者。1894年新潟県生まれ。詩におけるモダニズムの指導者的役割を果たし、日本の 詩の画期的な境地を開拓した。. 4詩人。1901年東京生まれ。知的な認識論的な詩は谷川俊太郎らに影響を与えた。.

(8)  新国が白身のメタファーに絶望したのかどうかはわからないが、西脇の描くメタフ ァーの未来に限界を感じ取ったことは確かだろう。新国は、モダニズムが生み出した 詩の道具の一つであるメタファーを否定し、また否定することをきっかけとして「言 語そのもの」に目を向けるようになった。  新国は詩学や絵画だけでなく現代音楽にも興味をもっていたようで、1959年『音 楽芸術』一月号に「現代音楽の理解のために」が掲載されている。.  1960年に『氷河』を脱退したのち『文芸東北』の同人となった新国は行分け詩を 発表していく。『文芸東北』には四篇の詩を掲載。うち漢字と写真によるコラ』ジュ 的な作品が一篇、残りは行分け詩であった。  1962年には『文芸東北』時代の知人ら二名と『球』を創刊する。金澤は、『球』二 号の巻頭に掲載された「ナイロンの詩」という短文から、彼の考えの一端を読み取っ ている。.    《木綿の肌着しかつけたことのない人にとっては、ナイロンの肌ざわりは永遠    に分らない》という文脈から《かつて見ることの出来なかったもの、かつて聞    くことの出来なかったもの》を求めようとする趣意書のような筆致。性急な近.    代のトレースがあったとはいえ、まがりなりにもここまでに手にしたr現る」    「聴く」に特化した手法の果てに、さらにだれも書いたことがない詩を見通そ    うとする決意と純情があふれる。. (金澤一志編「新国賊」年譜」、『新国誠一works1952・1977』、思潮杜、2008年)  文中の「『揮る』に特化した手法」とは、もちろん前述した「現るための詩」に用 いられた手法を指す。いまひとつの「『聴く』に特化した手法」とは、「視・るための詩」. と対をなす新国のもうひとつの発見である「聴くための詩」の手法である。『文芸東 北』三巻四号に掲載されたr作品ア」をその起源とすることが出来るだろう。  r現るための詩」とr聴くための詩」という新しい詩作の方法を手にした新国は『1962 年版年間現代詩集』に掲載されたことも手伝ってか、同年の秋に上京する。 1−3 詩集.『O音』の刊行.  翌年、新国38歳の九月に生前唯一となる詩集である『O音』(ZER0・ON/NIIKUNI. SEIICHI COLLECTED POEMS1960・1963)を昭森杜から刊行する。『0音』には 「NOTE」という序文と「現るための詩」九篇、「聴くための詩」十二篇が収録され ている。それぞれ別項で詳解したい。.  新国の上京と前後するが、1960年の4月16日から24日にかけて国立近代美術館 である展覧会が行われた。rブラジルの形象詩展」という題名で、r形象詩」の部分に は「ポエマ・コンクレート」とルビが振られていた。この展覧会はブラジルで活動す るノイガンドレスという詩のグル』プによる作品を展示するもので、規模としては小 さなものであったようだ。初目にノイガンドレスのメンバーであるし・C・ヴィニョ ーレス5らによって解説が行われ、そこに掲出された北園克衛6による解説文では「コ ンクリート・ポエトリー」をr真体詩」と訳している。これが、コンクリート・ポエ トリーが日本に伝わった瞬間であった。. 5詩人、作曲家。1933年ブラジル生まれ。ブラジルの前衛詩グル]プ「ノイガンドレス」の一員。. 6詩人。1902牛三重県生まれ。モダニズムの影響を受け、前衛詩を発表するグループ「VOU」の 中心人物。. 5.

(9)  新国は『0音』上梓ののち、「文芸東北」に「詩と音楽のためのクロッキー」とい う評論を掲載するが、ここではじめて「コンクリート・ポエトリー」に近い語を使用 した。上京した後、ノイガンドレスがもたらしたコンクリート・ポエトリーの概念を 知った上で、自分の詩作との共通点を見出していたのだろう。  1964年、鍵谷幸信7が自宅で開催していた、カミングズ8研究会にて藤富保男9に会 う。藤富と意気投合した新国は、二人が創始者となって「芸術研究協会」というグル ープを立ち上げた。英語表記では「AssociationofStudyofArts」であり、略称は「ASA」 である。ASAの目的はrコンクリート・ポエトリィの基礎研究とその他の指摘実験 の試行」であり、その実践の場として定期的に展覧会 を開催し、会誌を発行するようになった。ASA展はグ ループ展として五回行われ、会誌『ASA』は第七号ま で発行されることになる。. 新国1ヴ/一コーレスを引きあわせたのも藤富であ_鷲鱗鰯灘. る。同年6月には藤富とヴィニョーレスの助力により、  舳舳舳、、、. アロルド・デ・カンポスの詩集『屈辱通行』を新国が        灘襲薯鍵8鵠…葛…害. 翻訳するなど・交流は活発であったよ悦そして・議議搬鰯㎜ ヴィニョーレスの勧めにより、新国は『0音』をフラ  灘雪... ... シスの詩人ピエール・ガルニエに送ることになる。     この大地の見知らぬ処に、見知らぬ詩人が、    異なった言葉で私とほぼ同じようなことを目指    し、同じような作品を発表しているのを目前に    して、私はある種の霊的な戦懐を感じたのであ    る。これが、私が国際運動に参加した必然性と.    いえばいえるものであろう。. (新国誠一rコンクリートホエトリィ十年一ASAの成 立とその展開」『無限』三六号政治公論杜、1975年) ピエール・ガル」ニエもまた、コンクリート・ポエトリ.                           図4 ピエール・ガルニエ ーの詩人であった(図4参照)。彼はコンクリート・ポ                            「SO1ei1」1968年 エトリーの概念をさらに発展的にとらえたr空間主義」 を提唱していた。『O音』を見たガルニエは、自分と同じことを目指す新国に驚き、 返信した。それ:を読んだ新国による感想が上記の引用部分である。新国はいくつかの 手紙のやりとりの後、「空間主義」に同意し、196芦年9月の『ASA』一号発行に次ぐ. 11月、ガルニエと連名で「第3回空間主義宣言書」を発表した。彼らのとなえる空 間主義はコンクリート・ポエトリーをふくむ広義の実験詩の概念である。詳しくは第 4章で解説したい。  翌1966年にはガルニエと共作の詩集を発行する。タイトルは『日仏詩集』で、直 接会って打ち合わせることはなく、フランスと日本で交互に原稿を送りあって製作さ れた。.  図5「プロメテウスの火」のような制作の手法はミクロポエムと名付けられ、『目. 7詩人、英文学者、音楽評論家。1930年北海道生まれ。西脇順三郎に師事。rASA」の一員。 8詩人、画家、劇作家。1894年アメリカ生まれ。先鋭的かつ伝統的な作風。 9詩人。1928年東京生まれ。詩誌rgui」同人。i rASA」の一一員。. 6.

(10)      。三。三舳iさ三;三;益;;:主:主:圭:圭:主:1       仏詩集』刊行後も何度か行わ       {  ^  ^          吐ユ.    w叫{舳帖㍗ミ;1   れたが・以降の発展はなかっ  :………  ..工二d;新;三;i、;益二、…; 三三        た。.  =1…1。、州一’1^4一^そ’111ゴ=1 這      1967年6月から半年ほど  ……1養  舳㎜’茂:㌔ 圭 三:1       北里病院に入院する。胸を患. 1㌻llll、ノ叙……l1 幕1鰐終竺1.  1= …二・:1三…三呼.言味宇土ニニ、、‘三d =:三 。㌧       ころ海外の詩誌にコンクリー  ユ・・ 二■1鮎。工。ユ●工。ユ●1砒。ユ。二.二^^oi   o工・.  、実 舳 舳舳舳㍗。二^1叶 簑=       卜・ポエトリー特集が組まれ、  舳       …     ^  ..工.  、三1  ・、^、 ・   。二.エ:1:圭       新国の作品も収録される。ま  一i・工山二〇“ユO“ユO1.工・舳舳ユ中ユ山1一一.  ㌧呼枠ユ斗叫}・川。川^1^’。凸、          た、海外の主要なアンソロジ.                         一にも一収録され、海外での認 図5 新国誠一、ピエール・ガルニエ                         知度が高まっていた。 「プロメテウスの火」                          1968年「空間主義東京宣言 書」一を発表。これは後に『ASA』三号にも掲載されたもので、署名は新国誠一ただ一 人となっている。第4章で詳解する。  海外での認知度の高まりからか、チューリヒで開催されたrイン・コンクレト」展 に作品を出品している。海外での展覧会は新国にとって初めての経験であり、自身の 認知度の高まりを感じたことだろう。以降、海外でのコンクリートの作品展に何度か 出品する。.  翌年にはドイツの「第一回ドイツ・ヴィシュアル・ポエジィ展」に招待出品、ブエ ノスアイレスで開催された「国際視覚詩展」に出品、と海外での発表の場を得る。ま た、コンクリート・ホエートリーについての評論が『みづゑ』に掲載されるなど、コン クリート・ポエトリーの運動は日本国内でも高まりを見せつつあった。  1971年には、「音声詩」と「音素詩」を収録した17cmレコード『空間主義の音声 詩』を発売する。ガルニエ夫妻と新国誠一による録音である。. 1974年、新国誠一49歳にして初の個展「SEIICHINIIKUNI V1sua1poems」がロ ンドンで催された。彼の生前の個展はこの一度のみであり、死後も2008年の国立国 際美術館での回顧展までほとんど行われなかった。同年12月に『ASA』七号が発行 される。「ASA+周年記念号」と銘打ったものであったが、1977年7月の新国の急 死により最終号となってしまった。.  以上が日本におけるコンクリート・ポエトリーの先駆者といえる新国誠一の略歴で ある。52歳で亡くなった彼が遺した作品数は少なく、また個展がほとんど行われな かったことも現在の国内での認知度の低さの要因となっているだろう。現在ほとんど 知られていないのは、新国誠一だけでなくコンクリート・ポエトリー自体も同様であ る。コンクリート・ポエトリーについては次章で確認する。.

(11) 第2章 コンクリートーポエトリーとは  日本のコンクリート・ポエトリーの代表として新国賊」の生涯を榊敢したが、彼はあ くまでも独白の方法論からコンクリート・ポエトリ』と同じ手法に到達レたのであって、 生み出したわけではない。ヴィニョ』レスらによって日本にもたらされた国際運動とし てのコンクリート・ポエトリーの誕生について解説する。 2−1 アルファベット 2−1−1 成り立ち  現在、世界で最も使用者の多い文字体系はアルファベット(ラテン文字)である。な かでも英語を公用語とする国はヨーロッパをはじめ多く存在し、実質的な世界共通の文 字体系ともいえるだろう。.  アルファベッートの起源については諸説あり、いまだ不明なままである。ただ、最初期. のアルファベットであると考えられているものに北セム=フェニキア人の用いていた文 字体系がある。この文字体系に耳子音を示す文字しかなかった。母音が存在しない言語 はありえないので、母音を何らかの方法で判断し、補って読んでいたのだろうと推測さ れている。想像されている子音字アルファベットの作者は、かなり他の文字体系に詳し く、それらから意図的に要素を抽出して「最初のアルファベット」を作り出したのだろ うと考えられている。.  母音字がないこと、また「右から左へ」という文字の順一序、ある単語の頭音の子音の. み音価をもつという「アクロフォニー原理」を用いていることの三点が古代エジプトの 文字と共通しており、ぽぽ間違いなく影響を受けていると指摘されている。また、文字 の線形はクレタ文字からの影響が見られる。  クレタ文字は、A・J・エヴァンズによって発見された二種類の線形文字のことを指し、 それらの線形は、「クレタ・ヒエログリフ」という共通の先祖をもつ。「ヒエログリフ」 は古代エジプトにおいて儀式や祭礼に用いられる絵文字のことであり、rクレタ・ヒエロ グリフ」は古代クレタの絵文字のことをテしている。つまり、アルファベットの起源に っいてはっきりとはわからないものの、牛の頭や人間の手などをかたどった記号から出 発し、それらが簡略化されたものがアルファベットのもとになっていることは間違いな いだろう。.  簡略化が進みアルファベットが現在のような形になる過程には、同じように成立した 漢字とは異なる目的があった。.自然物の姿をかたどった「絵文字」÷意思伝達のための 「文字」は区別され牟ければならない。「絵文字」が、目に見える存在を示す記号として 自然発生的に生まれた記号だとすれば、その記号と自然物を人為的に切り離したものが 「文字」である。記号と自然物を切り離すことで、記号は別の役割を担う。それは口に 出される音声を表現するという役割だ。これは絵文字からその「形」だけを抽.出して、 音声と結び付けたことを示す。そのようにして絵文字は自然物から切り離された。その 目的は、発音をそのままの形で図形化ナることであり、ここに、アルファベットと漢字 の成立の違いがある。. 2−1−2 抽象性・合理性  アルファベットは最も効率的に「音声をそのまま形にするもの」として洗練されてき た。その発生こそ絵文字であったが、長い系譜の中で改良され表音文字として純化され.

(12) てきた。発声に基づいてそれぞれの音節をそのまま記すことが目的であるという点で抽 象的であり、漢字や古代エジプトのヒエログリフなどの文字数の多さを考えるとダイア クリティカルマークのない26文字のアルファベットで事足りる英語をはじめとして多 くとも30字程度でその言語をすべて書き表せるという点で、最も合理的な文字体系だ といえるだろう。.  向井周太郎mは、近代西欧が獲得した「モダニズム」の根底にあるものこそ「アルフ ァベットの合理性」ではなかったかと考えた。このことは漢字文化圏を土壌としてモダ ニズムが誕生しなかったことと比較するためのものではない。     その言語の合理性がルネサンス以降のいわゆる「近代」を生みだす西欧の合理    精神だと思うのです。この言語の特殊化(スヘシャリゼーション)が、自然科学    をはじめとする諸科学の専門分化を促すと同時に、芸術においても、絵画の言葉    「遠近法」や音楽の言葉「五線記譜法」などを生みだし、諸芸術への分化とそれ    それ自立した固有の芸術言語が確立されていったのだといえます。視覚と結びつ    いた絵画の言葉、聴覚と結びついた音楽の言葉、触覚と結びついた彫刻の言葉、    身振りや運動と結びついたダンスの言葉と一いった具合に。.       (向井周太郎「モダン・デザイン」『かたちの詩学』美術出版社、2003年)  象形的方法によって生み出された図形群がまずあり、それらを用いて効率的な表記の ために音節を抽出した文字としてアルファベットが完成したのと同じように、ルネサン ス以降は諸芸術の進歩のための効率的な表記あるいは表現の方法が新しく生み出されて いった。向井の挙げているr芸術言語」とは、r1anguage」としてではなく、意思疎通 のための手段という意味であるだろう。その芸術分野内で、ある効果を生みだすために 有効な方法を経験貝11として抽出したものや、動きや演奏を要素とし一て抽象化したコード のようなものを定めた。それが諸芸術に見られる近代化である。. 2−1−3 芸術言語  やがて近代化は進み、その熟しきったところから芸術における手法の革新であるモダ ニズムが起.こり始める。モダニズムは諸芸術にあらわれ、それまでの伝統的方法から脱 却した芸術運動が展開された。そのひとつの例として挙げられるのはバウハウスの造形 芸術家たちだろう。バウハウスの造形芸術家たちは、建築や絵画を色・形・質感・対比 構造といったような要素に分解してとらえていた。建築や絵画の表現を分析し、それぞ れの要素ヒ注目することで、その要素のもたらす効果や意味を理解しようとした。今度. 1ま・ばらばらにな?たそれぞれの要素を用いて今までになかった表現を目指すことが可 能となっ走。それまで様々な要素は「制作者の表わしたい何か」を表現するためのもの に過ぎなかったが、その役割から解放され、要素自体がもつ美的な機能を発揮すること が出来るようになったことを意味する。  要素それ自体を取り出して扱うことができるようになった舎景には科学的技術や素材 の発達という影響もあったのだろう。音楽においてそれは録音技術であり、それぞれの 音を要素として抽出するだけでなく、電子的な音さえも人工的に生みだすことが出来る ようになった。.  諸芸術に渡ったこの潮流に通底するのは、伝統的な記号体系から芸術における言語=. 10インダストリアル・デザイナー、詩人。1932年生まれ。ウルム造形大でデザインを学ぶ。「ASA」 の一員。. 9.

(13) 要素を解放することであり、記号の根源的な機能を回復することであった。  向井はこう述べている。.     制度や規約から自由となった色彩、形態、テクスチュア、空間、リズム、運動    等々の造型言語においても、すでに指摘したように、それらが在来の制度的意味    の脈絡のなかで使用された第二次機能から当然解放され、それ以前の根源的機能    があらためて覚醒されたといってよい。     (向井周太郎「原記号としての色と形」『かたちの詩学』美術出版社、2003年)  「色彩、形態、テクスチュア、空間、リズム、運動」といった要素がその分野の伝統 的な制度や位置づけから解放されたことで、それぞれの要素に本来備わっている機能だ けになった。要素の本来的な機能を向井はr根源的機能」と名付けている。. 2−1−4 西欧コンクリート1ポエトリーの誕生  絵画における造型言語たちが従来の支配から解放されたことで、ばらばらになったそ れらを組み合わせる新しい表現が可能になった。「制作者の表わしたい何か」を表現する ことをやめ、次に目指されるのはそれらの要素を組み合わせるための「新しい構成の論 理」であった。.  このことはバウハウスからウルム造形大学への橋渡しとなったマックス・ビル11が提 唱したr具体芸術」(Konkrete Kunst)の概念に見られる。具体芸術ではこれまで抽象 的であった思考をr具体的なもの」とすることから、r具体」の名を用いている。.     具体芸術とは、抽象的な思考自体を、純控艶三段で可視的にする芸術    であり、その目的のために、新しいものをつくり出すのである。      (下線は筆者による)(Max Bi11「Kata1og“Konkrete Kunst”」、1960年).  ビルのいう「純粋に芸術的な手段」とは、要素の次元にまで分解された形や色、質感 といったものを材料にして表現することを示している。  ビルの「具体芸術」の手法を「詩」の分野にあてはめたところに、「コンクリート・ポ エトリー」の誕生がある。詩は言葉によって作られるものであるから、言葉というもの を要素に分解して捉えなければならない。r言葉」のもつ機能は、三つに分けて考えるこ とが出来る。それはr意味」r音」r形象」である。まずr意味」とはその言葉が単語や 文章としてもっている指し示すべき対象との結びつきのことであり、r音」は、それが口 に出され、空気の振動として誰かに伝わるという現象のことである。最後のr形象」は、. 紙の上に書かれる文 字や頭に思い浮かべ             fruhllng sommer    w.nt6r                {r肺1ing られる際の文字の形             fruhlIng sommer   w■nter            winterfr肺1ing そのものである。三つ      Sommerherbstwmter       he的stwinter のうち、「形象」の要      sommerherbst wlnter   sOmmer herbst w1nter 素を用いた方法論を         he「bstwinte「   S◎mme「he「bstwmte「. 使って詩を作ったの          w■nte「f「uhIIngSOmme「  wInte「                          fruhllng S◎mmer   Wlnter. がドイツのオイゲ ン・ゴムリシガー12で あった(図6参照)。.            図6 オイゲン・ゴムリシガー旺廿h1ing」. llデザイナ」。1908年生まれ。バウハウス卒業後、ウルム造形大の学長となる。 12詩人。1925年ボリビア生まれ。ウルム造形大でマックス・ビルの秘書を務める。. 10.

(14)  ゴムリシガーは、ウルム造形大学の初代学長であるマックス・ビルの秘書を務めた詩 人である。彼は「コンクリート・ポエトリーの父」とも呼ばれ、1953年には最初のコン クリート・ポエトリーによる詩集『星座』(Konste11ationen)を出版している。その背 景にはビルの提唱した具体芸術の影響が多分にあり、諸芸術と同様の方法で詩も具体化 できると考えたのであった。詩の具体化についての理念を進めた彼は、『星座』の出版に 続いて翌年に『線条から星座へ』という宣言書を発表する。さらに1955年に第二の宣. 言書である『コングレーテ・ディビトゥング』(Konkre亡e Dichtmg)を著す。勿論 rKonkrete」はビルのrKonkrete Kunst」に由来する。  向井周太郎はゴムリシガーの宣言書の内容から五つの問題提起をすくい上げている。     (1)「線条から星座へ」という場合の語の背景としてのあそびの空間の重視。     (2)言語のシンタックスそのものの提示、美的機能としての詩。     (3)精神的な日用品としての詩。     (4)環境形成の手段としての詩。     (5)詩人の環境形成への参加、共同作業の必要性。.  (向井周太郎rコンクリート・ポエトリー」『記号としての芸術』1982年勤草書房) 向井はここ1こrデザインは美的機能と実用的機能が複合された日用品である」というマ ックス・ビルの造形観との共通点を見出し、さらに「芸術と技術の統合」「文化から総合 へ」というバウハウスの理念のあらわれを指摘している。  マツークス・ビルの具体芸術には数学や科学といった観点からの接近がみとめられたが、. ゴムリシガーのコンクリート・ポエトリーでは詩とグラフィック・デザインの混成が起 きているといえるだろう。ことばの「形象」の要素とは、文字のかたちそのものである。 文字を具体化するということは、紙に印刷されたり、インクがペン先によって成形され る過程を経でひとつの空間を構成することに外ならない。文字ひとつひとつが空間を構 成する要素として具体化され、その配列によって美的な機能をもった空間を成立させよ うとしたのである。.  言葉の「形象」のみを表現の対象とするということは、それ以外の要素を切り捨てる ことが前提となる。そもそもアルファベットは成立の過程で「意味」が切り離され二音 声を表すことに特化したも一のであるから、言葉を「形象」として捉えた場合、「意味」は. すでに失われている。また、紙に印刷することによってr音声」からも切り離すことが 出来る。. 空間を構成するにあたってアルファベットはまさに素材のように扱うことが可能な、コ ンクリート・ポエトリーに適した文字であったといえる。.  ノイガンドレス・グループは1952年に結成され、ブラジルのサンパウロを拠点とし て活動していた前衛詩のグループである。ウルム造形大学の影響をうけており、主なメ ンバーはデジオ・ピニャタリ、アウグスト・デ・カンポスとアロルド・デ・カンポスの カンポス兄弟、ルイス・カルロス・レサ・ヴィニョーレスなどである。  1955年1とデジオ・ピニャタリがゴムリシガーと会うためにウルム造形大学を訪れた。 二人は新しい詩の概念について話し合い、その結果、rKonkrete Dichtung」をrKonkrete Poesie」として共同で提唱することになる。コンクリ』卜・ポエトリーがドイツとブラ ジルで隆盛をほこったのはこのためである。  1960年の「ブラジルの形象詩展」を開催したのが前述したヴィニョーレスである。彼 は文化担当官としてブラジル大使館に駐在しており、ドイツ、ブラジルで発生したコン クリ』ト・ポエトリーは、ヴィニョ』レスを通じて日本にもたらされたのである。. 11.

(15) 2−2漢字 2−2−1 成り立ち  現代日本語はひらがな、カタカナ、数字、漢字など多様な書記文字をもつ言語である。 このうち、本節で扱うのは表音文字であるひらがな、カタカナと表意文字である漢字の 二組である。文字は音声とは違って視覚的な記号であり、そのなかでも唯」相互伝達が 可能なものである。図像や絵文字などの視覚記号でもある程度のやりとりは可能だが、 それでは単語の羅列にしかならない。内容のある文章を伝達するためには、文字に置き 換えることが必要なのである。しかし、そのための前提としてそれぞれの文字を互いが 理解している必要がある。問題は文字のもつr恣意性」である。  文字の恣意性とは、例えばrあ」という視覚記号はra」という発声と結びついている が、その結びつきは恣意的セある。同様に、「犬」という文字が食肉目イヌ科の哺乳類∵ 股を指し示していることも恣意的である。つまり、文字とその対象を結びつけている必 然的な理由がない。逆に言えば、結びつきの組み合わせをすべて記憶していなければ.、 その文字体系によるコミュニケーションは完全には成立しないことになる。「猫」という 文字が何と結びついているのかを知らなければ、独自体を知っていても他者に伝達する ことが出来なくなる。.  人類史上、書記文字の体系として最も数が多いのは漢字である。古代中国で生み出さ れた漢字は現在では十万を超える文字を抱える最大の文字体系となっており、使用され ている期間も最も長い。.  古代中国で漢字が産みだされたのがいつのことなのかはっきりとはわからないが、そ の始原にあったのは漢字ではなく記号としての図像であった。動物の姿や地形などの形 をかたどった図像がその始まりであると考えられている。  ところで、言葉にはその表記と音声が伴っていることが必要となる。なぜなら音声の みのことばでは発声されたその場で消えていくしかなく、それを世界に留めるための装 置が文字であるからだ。つまりある単語を意味し、何らかの発声を伴った記号が複数並 べられ、それが文章を形成していなければそれは文字ではないことになる。  単語の羅列ではない文章を形成するためには名詞や動詞だけでなく代名詞や助動詞、 副詞などが必要だ。物の名前や動作を示す記号を作り出すことはモの点では容易だった が、同じ方法では司号イーできない事柄があ手。動物の姿をか牟どるといったような写実 的方法では表すことができない概念を表現できなければ、ただの絵文字でしかないのだ二 文字をつくった者たちは、文字に音としての要素を組み込むことでこの問題を解決した。 すでにつくった文字から音を抽出し、助動詞や副詞などの意味に用いたのである。やは り文字は音声として口に出されることを前提に成立していった。  そのようにして漢字は三つの要素をもつに至った。文字としての「形」、指し示す意味 である「義」、発音される「声」である。そして生物や地形などの視覚概念を表す文字だ けでなく、抽象的な非視覚概念を奉ず文字も生み出された。. 2−2−2 図像性・形象性  ただの図像にすぎない絵文宇を超克して成立した漢字だが、その図像性は漢字の特性 に大きく関わっている。漢字の特性とは、組み合わせられることである』それぞれの記. 12.

(16) 号を組み合わせることによって、さらに別の意味を合成することが出来る。他の言語体 系と比べて文字数が圧倒的に多いのはそのためである。そして組み合わされている部首 の類似性によってその文字の指す概念を類推する事が可能である。また、長く使用され るうちに字形の修正や線の規則化が進んだことによって膨大な量の文字を識別する工夫 がなされている。.  漢字が日本へ伝来したのは5世紀から6世紀ごろだと考えられている。その際、これ まで書記文字をもたなかった古代目本語(やまとことば)が中国から輸入された漢字と 結びつき、二種類の発音を有するようになった。在来のやまとことばの単語の発音が「訓」. であり、それと紐付けられた漢字の中国語に基づく発音が「音」である。さらに漢字か ら表音文字としてのひらがなとカタカナが考案され、現代目本語のような漢字かなまじ り文に落ち着いた。. 2−2−3諸感覚の混成  アルファベットとは異なる漢字の特性について、向井周太郎の指摘を引用したい。     漢字はま.た触覚的、体性感覚的でもある。そのことは一点一画の運動記憶、漢    字を空に描いてみせる日常の自然の一振舞いなどを思い起こすだけで十分であろう。    やや主観的だが、加えて漢字には色や香りさえ秘められている。     このような漢字と表音文字としてのかな文字の混用、われわれの用いるこの表.    記体系はアルファベット表記と比べて相対的に未丘雌が、それゆえにいま    なお言感曲が混’されているのであり、その統合作用のうちに言語の厘祖的盆圭     が  されているのではないだろうか。乱暴な言い方をすれば、そこには絵画    も、詩も、音楽も、彫塑も、あるいは身振りや舞踏も、なお原初の言葉で息づい    ているのだ。.        (下線は筆者による)(向井周太郎「文化をうつ(映・写・移)す文字」                      『かたちの詩学』美術出版社、2003年)  同じように絵文字から発達したアルファベットと比較すれば、漢字は多くの感覚を残 したままである。やや強引だが、少なくとも単体のアルファベットを見て色や香りを想 起することはないだろう。向井のいう「諸感覚を漢字が秘めている」ことは何を意味す. るのか。表意文字である漢字は基本的に一つの漢字が」つの対象を指している。物の名 前や動き、感情といった、世界のあらゆる事象を等しく認識し、一つの記号にしたもの が漢字であるといえる。言い換えれば、漢字はわれわれ人間が認識できるすベセを文字 として」つずつ保存したものである。文字が読まれ、書かれ、口に出されるなどして再 び世界に再生されるとき、封じられていた感覚さえも呼び起こされる。これが向井のい う「未分化」なままの「原初的な宇宙」である。.  アルファベットを用いる言語の多くはインド・ヨーロッパ語族に属するが、そのほと んどが原則として主語を省略しない。特に話者の多い英語にいたっては、インド・ヨー ロッパ語族に見られる特徴である名詞の性や格変化がほとんど見られないため、語順に よってしか格関係を示すことが出来ない。結果、SV0型の語順に固定されている。  英語のもつこの特徴は、日本の古典文学を紐解くまでもなく主語を省略することがで きる日本語とは対照的だ。主語を省略しない西欧言語について、向井の興味深い指摘を 引用したい。.     それに対して、西欧の言語は、機能的に特殊化し自我の表明に適していますか    ら、近代革命がちょうどこれまでの東洋思想と重なる、いわば光に対する闇の発. 13.

(17)    見であったにしても、独創的なものを発見したり創造するカを今日なお内在させ    ているといえるでしょう。       (向井周太郎「モダン・デザイン」『かたちの詩学』1美術出版社、2003年).  日本語と比べると、西欧言語は「自我の表明」に適していると向井は述べている。そ の理由として、語順が厳格に定まっており説明という機能に特化していることを挙げて いるが、原則的に主語が必要であるということも関わってくるのではないだろうか。  意思疎通のためには単語の羅列ではなく、ひとつの文章として構造化される必要があ るが、構文には規則がある。語を並べる際のそれぞれの品詞の関係を規則化したものが いわゆる文法である。ヨーロッパ言語の多くは「SV0型」の語順をもっているし、日本 語の場合は「SOV型」の構文である。ほかにも柔軟な語順をもつ言語がもちろんあり、 日本語には格助詞があるため、構文規則をもちながらも比較的自由な語順が可能である。 これがシンタクティクスと呼ばれる第一の規則である。  しかし、シンタクティクスを成していても文章として意味が通じない場合がある。 「SOV」の順にただ語を並べるだけでは必ずしも内容のある文章にならない。シンタク ティクスに従って語をアトランダムにはめこむだけでは、「部屋がパンを走る」「象が石. を聞く」といったように意味不明な文章が生成されてしまう。それは語と語の関係性に 左右され、何かを伝えるという目的のために辞書的な意味によって拘束される。これが 第二の規則でセマンティクスという。  我々人間が意思疎通をはかる際、シンタクティクス、セマンティクス以上に影響して いる要素が第三のプラグマティクスである。人間が外界に向けて自分の内的な思念や感 情を伝達するために文章を用いるのであるならば、あらゆる内容を表現することが求め られる。構文の規則に従って意味の通る語を並べて文章とするだけでは文字通りの概念 しか表現できないことになってしまう。そこには使用者の意図によって変形が加えられ る余地があるのだ。文章には状況に応じて概念的、感情的な要素が加味されている。  意思を伝達するにあたっては、聞くことのできる音声として自分の口から放つ場合と、 筆記用具やコンピューターによって読むことの出来る文字列として構築する場合がある。 あるいは何かについて思案するとき、自己に問うとき、あらゆる状況で作用しているは ずである。どの場合であっても前述した三つの規則がはたらき、そして受け取る側にも 同様に作用する。そうでなければ発する側の意図した内容を、受.け取る側が理解するこ とが出来ない。つまり、三つの規則がある程度共有されていなければ伝達は成立しない ことになる。では、これを共有せしめる存在とは一体何だろうか。. 2−2−4 ソシュールの記号論  ソシュールは言語記号が「表現している記号」(シニフィアン)と「表現される内容」 (シニフィエ)の相互依存的な構造をもつあることを明らかにしたが、彼の記号論では 「言語記号のもつ春意性」も重要であるだろう。  ソシュ』ルの指摘する恣意性には二つある。第一の恣意性はシニフ.イアンとシニフィ エの関係についてである。ある記号(音声、記号など)と、その示している概念との間 には、なんら必然性がない、ということである。ある記号がその概念を示さなくてはな らない論理的な結びつきは存在せず、その単語が含まれる語彙のなかで定められている にすぎない。’その意味で恣意的な原理である。第二の恣意性は、■記号間の関係について である。語彙のなかで、ある記号のもつ価値は、別の記号との対立関係によって決定さ れる。それぞれの記号の価値は相対的であり、その言語体系のなかで恣意的に定められ. 14.

(18) ている。.  もし、ある記号とその概念の結びつきに必然性があるならば、その概念はすべての言 語において決まった記号によって表現されることになる。実際はありえないことである し、すべての言語体系に渡って記号間の優劣が絶対的に決まっている、ということもな い。つまり言語とは、それぞれの言語体系内でしか通用しない、恣意的に結び付けられ た記号群を、その価値基準によって相対的に価値付けたものの集合であることになる。  シンタクティクス、セマンティクス、プラグマティクスが共有されるのはこの段階で あり、それぞれの話者に共通の了解があるからこそ伝達が可能となる。ある言語の使用 者全員が共通認識として了解している、ある種の約束事のようなものが相互の意思伝達 を可能にしている。ここで言う「共通認識のようなもの」について、詩人ステファヌ・ マラルメ13のr詩の危機」から引用する。     現代における一つの否定し得ない欲望とは、言葉(パ1コール)の示す二重の状    態を、謂わば、それぞれが相異なる別個の職権を持つことを考慮して、とでもい.    う風に、分離するということである。言葉には、一方に圭如一エ籔.    雌鐘と、他方に本質雌饅とがある。.     物語ったり、指示したり、更に、描写することきえも、これらは何の造作もな    く事が運ぶ。そして、〔実を言えば、これは、〕各人にとって、人間が考える思想    を交換するためだけならぱ、恐らく、貨幣を黙って取ったり、黙って他人の手の    中に置いたりすうだけで事は足りる、ということなのだろうけれども、このよう    な言葉(ディスクール)の初歩的な使用行為も、一般的な報道の用は達している    のである。ところで、報道といえば、文学を除いて、現代の諸所のジャンルに亙    る書き物のすべてが、この[報道という〕性質を帯びている。         (下線は筆者による)(ステファヌ・マラルメ「詩の危機」松室三郎訳                      『マラルメ全集■』筑摩書房、1989年)  言葉には「未加工の儀の直接的な状態」と「本質的な状態」の二つの側面があるとマ ラルメは考えた。このうち「直接的な状態」は「報道」の機能を保存している。「報道 」の機能とは、言葉がまるで買い物をする際の貨幣のように取り扱われることを指す。. 言葉は、ただ語ったり指示するだけであれば、伝達の媒介として用いられるだけで事足 りるのである。言葉がまるで貨幣のように用いられるこ一とを、マラルメは「人間が考え る思想を交換するため」のr初歩的な使用行為」だとしている。  ではもう」方の「言葉の本質的な状態」とはどのようなものであろうか。続けて引用 する。.     たとえば私が、花!と言う。すると、私のその声がいかなる輪郭をもそこへ追    放する忘却状態とは別のところで、[声を聴く各自によって〕認知されるしかじか    の花々とは別の何ものかとして、〔現実の〕あらゆる花束の中には存在しない花、    気持のよい、観念そのものである花が、音楽的に立ち昇るのである。     言われた言葉とは、大衆が最初にそれを取り扱ってみる際の、あの流通容易な、    万物を代表する通貨めいた一つの機能とは反対に、何よりもまず、夢であり歌な    のであって、/詩人〉の許にあっては、非現実的創造(フィクシオン)に捧げられ    た」芸術の本質上、必然的に、己れに潜在する非現動のカ(ヴイルチュアリテ)    を再び取り戻すのである。 13詩人。1842年フランス生まれ。英語教師を務める傍ら、膨大な詩作を続けた。. 15.

(19)                   (ステファヌ・マラルメr詩の危機」松室三郎訳                      『マラルメ全集■』筑摩書房、1989年)  前半部を要約すれば、誰かが「花」と口に出して言ったとき、それを聞く人は「現実 には存在しない、観念そのものとしての花」を思い浮かべる、ということであろう。後 半部分で言及されている「通貨めいた一つの機能」とは、前述の「直接的な状態」のも つ報道機能のことである。マラルメはそれとは逆の性質として、言葉が「夢であり歌」 であると捉えている。言い換えれば「言葉」は本質的に「夢」=あるいは「歌」であって、 通貨のようにただ流通するだけのものではない。「花」と耳に=したとき「現実には存在し ない、観念そのものとしての花」を心に思い浮かべられるのは、言葉が「伝達するだけ」 ではない、本質的な存在であるからに外ならない。マラルメは誰かの「夢」や「歌」か ら言葉が生み出されたことを予感していたのだ。  言葉を用いて意思伝達をはかるためには、両者がその言葉を知っていることが条件と なる。もし「花」という言葉が指している内容を知らないままであれば、「観念そのもの としての花」を想起することが出来ないのだ。このことを逆説的に考えると、ある観念 があり、その概念を共有する人間たちの間でそれを指し示す言葉が生まれた、というこ とになる。マラルメはこのことを「言葉の本質的な状態」と呼んでいるが、新国誠一も 同じように感じていたのではないかと私には思われるのである。次の章で解説する。. 16.

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