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THE PLUMED SERPENTの批評をめぐって

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Academic year: 2021

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(1)Title. THE PLUMED SERPENTの批評をめぐって. Author(s). 石田, 洋至. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 25(1): 26-34. Issue Date. 1974-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4031. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 石田洋至:THB PLUMBD SERPENT の批評をめぐって. THE PLUMBD S日RP日NT の批 評をめ ぐって 石. 田. 洋. 至. D, H. ロ レ ンス の 批 評 に 関 して よく あ り が ち な, ま っ た く 両 極 端 に わ か れ た 評 価 は, 特 に, rゐB PZ“’ ’ zgd seγ力の“ (1926) の 批 評 に お い て 顕 著 で あ る, こ の 事 実 を 考 察 し, ロ レ ンス 批 評 の 望 ま し Z の評価を試みたい. 7 z z ‘“zed s8γPe い方向性を示すと共に, r卿 PZ. ロレンスは, 小説家, 詩人であると同時に, 宗教家でもあり, 哲学者でもあり, 予言者で もある と 一 般 的 に い わ れ て い る, も ち ろ ん, ロ レ ンス が 小 説 家 で あ り 詩 人 で も あ る と い う こ と に は 疑 い の. 余地はない し, また宗教家的な, 哲学者的な, そ して予言者的な側面もあることも否定できない事 実である. しかし重要なことは, 宗教家, 哲学者, 予言者であるという ことと, 宗教家的な, 哲学 者的な, 予言者的なところがあるということとはまったく別のことであり, 決して同じことを意味 して い る の で は な い と い う こ と で あ る. な ぜ な らこ の こ と に は, ロ レ ンス が 宗 教 家 と して の, 哲 学. 者としての, そ して予言者としての自己の思想を伝達する手段として, 詩とか小説とかいう芸術の 表現形式を利用 したのか, また芸術家として書いた小説や詩のなかに, 宗教的, 哲学的, 予言的 な思想が現われているのであって, ロレンス はあくまでも芸術家としての活動をしていたか, とい う重要な問題が含まれているからである, 文学作品のなかに, たとえば W, B, Yeats の詩にみら れるように, 宗教的, 哲学的, 予言的な要素 が含まれていても不思議ではない, かえってそういう 要素があることが, 作品をよりよいものに していることもある, 作品が生命に満ちていることもあ る, しかしロレンスの場合, 作品中における宗教的, 哲学的, 予言的な思想の持つ意味が大きく, またその思想が, 極端なほど異端的--もちろんヨーロ ッパの精神を基準に して考える場合で ある が--なのである. この点が, ロ レンスを宗教家, 哲学者, 予言者とみなす大きな根拠となってい るのである, だが, こうしたことだけで結論を下すのは危険なことなのである. ey が ロ レ ン ス につ い て 小説家であり, ロレンスとは深い親交を持っていた A, Huxl ’” The words are from a letter motto is ‘Art for my sake . “ ite--if l don’ t want itten by Lawrence before the war lf l want to write l wr wr . , ’ i k i l f d i l 負 d t t h r s r l won’ Th 缶 i t - -wo to t n t e a s s o e or P oduced e cu y s o n e×ac y ーD on s p , , ‘. AL帆ァAYs say, my. i by passion with me l くe th you 一Wants to ta1 t wi -ーi く sses si e ki . ,l ” Art f “ t i h l ar, Lawrence wasalways ake .gh for my s or my sake, But even t ot ,stl 1) ist and unescapably an art ,. とい っ て い る よ う に, ロ レ ンス は あ く ま で も芸 術 家 な の で あ り, ロ レ ンス の よ う に 常 に 自 己 を み つ め, い か に して 自 己 に 忠 実 に 生 き る べ き か, い か に して 自 己 と 自 己 を と り ま い て い る 人々, 社 会, 26.

(3) . 石田 洋 至:THE PLUMED SBRPENT の批評をめ ぐって. 宇宙とを調和させるか--結果としては調和す ることはなかったのであるが-- 人間の真の ある , べき姿は一体どういうものなのかというような問題を追求している芸術家には 宗教家的 哲学者 , , 的, 予言者的な側面が, 特に大きな比重を占ていることは否めないのである , ロレンスはあくま でも芸術家であった, 彼の宗教, 哲学, 予言は 芸術家としての目をとお した , 宗教, 哲学, 予言なのであっ て, . 宗教家, 哲学者, 予言者の宗教, 哲学 予言では決してないの , で あ る と い う こ と が, ロ レ ンス の作 品 を 批 評 す る 場 合 は っ き りさ れ て い な け れ ば な らな い の で あ , る, 1 I. rゐe P粥 粥ed seγ汐8 7α の 批 評 は ふ た つに 大 別 さ れ る. も ち ろ ん ひ と つ は こ の 作 品 を 文 学 作 , ,. 品として扱う立場 からの批評である. もうひと つは, この作品を宗教 政治 思想の書と してとら , , え, そ の 思 想 を 否 定 す るこ と に よ っ て rたe P 彰 粥gd s好め禦ご を 失 敗 作 と 決 め つ け る 批 評 で あ る . こ う した 批 評 の代 表 的 な 批 評 家 が E1 i seo Vivas で あ る. 彼 は そ の 著 ‘D, ”. L卿クγe“GB: rゑ8 vve can ca・ l it a l lovel on.y in the widest and most permiss ive use 。f the tern fori i t s C1early a book writtell with the intention of conveying a message. Lawrence t wro e this novel with t he exp i i l tintention ofproposing a program fortheregeneration c 2 ) 1d of Mexico and of the w。r ,. と の べ て い る よ う に, Vivas は r卿 P‘ z ‘” 28d seγPe〃Z を 小 説 と み な す よ り は む し ろ, ロ レ ンス ・ が自己の思想 を伝えるために小説という形 式を借用 した, つまり 思想の書とみなしてい るのであ , る. 従 っ て Vivas が r卿 PZ“’ Z を 批 評 す る の に, ふ た つ の 章 を 費 して い る の も こ 〃〃d seγPB ; 2 , の 作 品に 含 ま れ て い る ロ レ ンス の キ リ ス ト教 に 対 す る 考 え 方 i M の c 現 e o 実 社 会 x と ンス の作 ロ レ , 品 に あ らわ れ てく る Mexi co の 社 会 と の 比 較 検 討 ど な を と お して, ロ レ ンス の 思 想 の 不 合 理 性 を ・. 強調 しようとす る意図によるものなのであ る, Vivas の ロ レ ンス 攻 撃 の 根 本 的 理 由 は Vivas 自 身 け ん 命 に 否 定 して い るに も か か わ ら ず , ,彼 の 宗教 理 念 と ロ レ ンス が rたe P 粥 伽ed sg〆PB Z でくりなす Quetza l J Z l の宗教世界 がま たく coat っ 1 相 反 して い る と い う こ と で あ る. 従 っ て, キリ ス ト 教 の 認 識 の 相 違 か らく る 反 感 が 「7 た / P e ““ ⑦ed , seγPB〃Z に で て く る Mexio や Mexico 人 の 描 き 方 が 現 実 の Mexi co や Mexi co 人とは違って , い る. だ か らこ の 作 品 は 信 じ られ な い」 と い う よ う な こ と を い わ せ る 要 因 と な て い る の で あ る っ . H, M, Da l eski は, r卿 P/ z ‘“2ed s好め雛Z の 前 半 に で てく る Mexi co や Mexi co 人の描写に関 して. , The 。Pening chapters of the novelf ly suggest that 入江exic。 is much needin orceful. ) 3 saving,. Nor unti l the Quetzalcoat l movement is launched does there seem t b , o e much , f t h M i t i r o b 4 ex cans e ng raised to l e ife p sPec o .). と の べ, r棚 P卿 粥ed se PB ご と い う 小 説 の な か で の Mexi ’ z co 1 coat , , Mexico人 の 描 写, Quetzal 27.

(4) . 石田洋至:THE PLUMED SERPBNT の批評をめ ぐって co 人の描写をとお co や Mexi で 示 さ れ るロ レ ンス の 思 想 の 妥 当 性 を の べ て い る. 小 説 で は, Mexi して 社会主義者による革命 キリスト教な ど で は Mexico や Mexico 人は救われえな い こ とを. ,. ,. 強調 し,. が出てくる必然性を設 定するように しくまれているのであるが, もう小説ということなどは眼中になく, 小説中にでてくるロレンス の思想, 事. l‐movement Quetzal coat. Vivas にとっては,. 実関係な どを断片的にとりあげて, ロレンスを攻撃, 批難するのに 夢中になっ て ion that Je His not susis not a Saviour to the Mexicansisa theory made up entirely. l i ty th M【 i t l d exican rea t h th r l e to do wi f hi , out o s own head , an one t a as ve y. The. l l ivi l eged classes of M[exico--the lndian peasant and perhaps, though to a esser ess pr i r t f l d h t ty worker--are a deeply pious people; nor oes e pe secu on o reigion i extent the c ,. ini ia tedby the revolution seem to have mーade much headway, l am not speaking of a t f t l s ectual l i i . l re er o tant and more1or less literate・Marxists or ofintel ty of mi minor i ty ofthe population, The Mexicans are a deeply religious people, the major Chit t th Vi in of Guadalupe, and to the saints.5) pray to God ,toJesus rs, o e rg. They. ion that jesus is no it would seen, the Carrasco-Lawfence not on these grounds , d ic Church oes not possess the key th t the Roman Cathol Saviour to the N[ exicans , a ther of whose i oncocted by Don Ram6n (ano ican soul word to the Mex , s an oplmon c iases i s own lucubrations and not an oplnlon that either s Don Lorenzo) out of hi al 6 ) ity be fore hi ssimply false. seyes. lti Don Ranゐn or Don Lorenzo drew from the real ‘a fat “the e regious bad taste“7 ) ‘ lure of intel- g , な どと の ベ, こ う した こ とは ロ レ ン ス の ’ ’ ‘l ) を 示 す も の だ と して い る の で あ る. ) ‘ igence”8 l ack of common sense 9 , l l -movement coat i リ ト 教 が 実 際 に 果 して い る 役 割, Quetza Vivas は , Mex co に お い て キ ス. に. iano に よ る暴 漢 た ち の 処 刑 な どが, 現 実 的 に あ よ る キ リ ス ト像, マ リ ア 像 な ど の 焼 き 打 ち, Cipr. 1 りえない不 合理さを示 しているとして, 7海. PZ z ‘“⑦gd s好め8郷. を失敗作と決めつけているのであ. o ) の, 地 道 で 学 究 的 な 研 究 に よ っ て 否 定 さ arkl る, もちろ ん こ う した Vivas の 考 え は, L, D, C1 れ て い る. しか し, こ こ で 問 題 な の は, Vivas のような批評が文学批評として正しいか どうかとい Z に お け る ロ レ ンス の キリ ス Z 〃ed s好かe ’ z う こ と で あ る. 確 か に Vivas の い う よ う に r卿 P “’ が r卿 PZ““ zgd ト教 の 扱 い 方 は, キ リ ス ト教 者 に と っ て は 不 当 な も の で あ ろ う, が しか しそ れ s好PB”≠ の文学作品と しての価値を左右するほど重要なものなのであろうか. l to look for ion of the novel as such there is no need at al for an appreciat 1 ) i l f1 anything beyond what is contained within the work tse , ‘“zed igion that Lawrence creates in the pages of rゑe PZZ l The context ofthe re 12 ) d r or ancient Mexico d t l f t . se seγpの偽 we must remember,is the noveli ,an no mo e n. shtar が の べ て い る よ う に 答 は 否 であ る, 問 題 な の は, ロ レ ンス の キ リ ス ト教 の 扱 い 方 が と Yudhi. 異端であるかどうかという ことではなく, それの小説とい う虚構の世界における--決 して現実の 世界においてではなく --役割であり, その妥当性が小説的現実のなかにあるかない かということ 28.

(5) . 石田 洋至:THB PLUMED SERPENT の批評をめ ぐって. である, もしそうでないとすれ ば, 異なった宗教的精神風土を持つ民族に育てられてきた文学-- も っ と広 く 芸 術 と い っ て も よ い が - - が, 決 して た が い に 理 解 さ れ る こ と は な い で あ ろ う , Vivas. のように, 小説を扱う以前にまず先見的な宗教意識をもっ て小説とは関 係のない次元での 基準を持ち出すのは, その意見が独断的にな りやすい ばかりでなく, 危険さえはらんでいるのであ る.. このように, 文学作品 を文学作品として扱わず, そのなかに含まれているものを断片的, 部分 的 に抽出し, それの持つ意味の有無を論ずることによって--たとえその評価が客観的な論理に基づ いていようとも--小説の 価値を決める批評態度は明らかに誤りであって, ‘fai To say that Lawrence is “ worse than s i ly “ and displays a ‘ l lure of intel l i- “ i b l l i h t t l 13 s o e ray a we -n g tota lack of understanding of the novel gence .). 1彰 PZ tar が の べ て い る よ う に, 7 と Yudhi s z ‘伽gd s好ゑ鋤f 自 体 に 問 題 が あ る と い う 以 前 に, 1傷 P彰 粥gd seγ e郷 を 扱 う 批 評 家の 態 度そ 7 P の も の に 問 題 が あ る の で あ る. ロ レ ンス 批 評 の 場 合, Vivas のように偏見を持ってロレンスに接する批評家が多いのは残念なことである . 7 28d sのPe〃≠ の 「テ ー マ」 と 「構 成」 に つ い て 考 え て み た い, 次に r棚 PZ”’. Graham Hough. や H. M. Dal eski が そ れ ぞ れ. rみe P友好”gd s8γPB“Z then i l tertheratherd i葺use ‐scal ecreation af , s a return to ful , 1 4 ) and desultory Writing of Aαγo“’s 尺○α and 有給αク zgαγoo ,. The 行rmness of 比l ive the mo ove l 町 L ent of the novel is i ・ P L resosince wecannot Press , ’ l he 1 t wi th the slackness of Aαγo力s 左od and Z‘”7 5 2gαγoo p contrasting i ,). 1 みe PZ とい っ て い る よ う に, 7 ‘ z ’ ””〆.Se幼 の” は, あ らゆる 面 で, 月αγo〃s 兄od, 鼠の姪αγの の 延 ’ 1 長 線上 に ある 作 品 で あ る こ と は, す べ て が 認 め て い る こ と で あ る, 4αγのz s 尺ひび , 嵐の増αγの, 7 廟 ’ P‘”7 7 28α SeγPB郷 に お い て ロ レ ンス は 同 じテ ー マ の 追 求 を して い た の で あ る が 4α 4“z 7 s 尺od ,. も. 1海 PZ“’ 嵐α〃gのγの も, 小 説 と して 失 敗 作 で あ っ た の に 対 し, 2 7 28d s好Pe“≠ は必ずしも失敗作と t は い い えない. こ れ は 小 説 の s ructure か らく る 結 論 で あ る が, 次 章 で 扱 う こ と に して, こ こ で. 1 7 Z に 共 通 して い る と い わ れ て い る テ ー マ に つ は, 4αγoばs 尺od ”〃d s好めβ i z , 技研増αγの, 脚 P卿メ. いて考えてみようと思う. ly, 薦の増αγの の Sommer l 4α知れ’ s 元od の Li s が小説中で, ロ レンス自身の化身としての役 割 を 持 ち な が ら, 読 者 に 伝 え よ う と して い た こ と, つ ま り, Aαγの海 品od の 中 心 と な る 考 え で あ 、 1 瓦 t る Holy Ghos , 解7gαγの の 中 心 と な る 考 え で あ る Dark God の 意 味 す る も の が 当 然, 7ゑe 1鰯 P/ ed s8γゑ8 z ‘ ’ ’ z 7好 の テ ー マ と 直 接 的 な 関 連 が あ る の で あ る, 月α知“’ ぴ鯖 の, 7 s 元od, 広α惚 PZ z ‘ ’ 7 zed s好めe形 を 書 い た 頃 の ロ レ ンス に つ い て, C s は, , Day Lewi They have learnt a l You rememberthata t esson f rom D. H, Lawrel f lce t erthe , oo,. l l l tin i war Lawrence f e lpe ed to try and constructasoc algroup round himself ,. Hi ssense 29.

(6) . 石田洋至:THE PLUMBD SERPENT の批評をめ ぐって ic though he was a great and magnet But al , i i d i d l d i b i aー t l v u i t h a n n l man, he f ed sa warn ng at noSoc a group u roun ai . vveseeinthi 1 6 ) can succeed today. ion drove him to it of chaos and isolat ,. と語っている し, また一般的にこれらの小説を社 会的, 政治的なものとみなそうと している傾向が あるのも事実である. しかし And he int ended the program of reform not only for ハ【exico but for the whole This is Lawrence’ s l d:each country was to revive its old, pre-Christian gods . wor 1 ) 7 ion of the book, intention and the intent. という Vi s のような考えは危険である. なぜなら小説の価値が, 断片的にとりだされた思想の va 現実的合理性, 有用性, あるいは作品に含まれ ている思想の現実的な影響力の有無によって決せ ら. 1 ) 8 ば助 川o脚Z l 2gZ z お 塊B E7 e が A〃 厳 かod“励め7 れがちだからである. こ の こ と は, Arnold Kett izabeth Stowe (1811一1896) の びカメ〃 i et E1 で い っ て い る よ う に, Harr. o粥’ s Cのみz(1852) が. 奴隷解放に対して大きな影響力を与えたにもかかわらず, その文学的価値は高くないという事実 か らも 明 らか な の で あ る, ま た ロ レ ンス の 思 想 が ドイ ツ ナ チ ス に 利用 さ れ, フ ァ シス トの 具 と さ れ た と ロ レ ンス を 批 雛 す る こ と は, ダイ ナ マイ トを 作 っ た と い う こ と でノ ー ベ ル を 批 難 す る こ と と 同 じ ほ どば か げ た こ と な の で あ る. r彰 PZ“タ フ ・ed s好めe郷. では一 体 ’ 1 9 ) theme’. でもなけれ ば,. Ghost , 比の壌αγ卿. ‘sexual ‘ の テ ー マ は 何 で あ る の か. Vivas の い う よ う な. ’ ‘ ol ‘ 2 0 ) igious theme’ ico‐rel p it. ’ s 元od の で も な い. Aαγの2. Holy. の Dark God に 示 さ れ る 人 間 の 本 質 的 な 存 在 の 探 求 と い う こ と で あ り,. Yudhi shtar が ‘ ‘ ’ ・ γ 兎e P勿“ ZBd s好か勿房 continues Lawrences unremitting researchfor wholenessof ’ 1 2 ) being’. と い っ て い る よ う に, 人 間 が い か に 完 全 な 存 在 と な り え る の か と い っ た 問 題 が テ ー マ と な っ て い る. ので, 当然, 政治的なもの, 宗教的なものが入っ てくるのであるが, ただ単にロ レンスの政治思想, 1 ’ ②βα SeγPB郷 で ロ レ ンス は, 政 治, 宗 教 な どす 宗 教 観 を 実 現 しよ う と した の で は な い, 7ルB PZ“’. べての要素が含まれてい る当時の社会の中で, 真の人間の存在はい かにあるべきかという, 包括的 テ ー マ を 追 求 して い た の で あ っ た,. l ot あ る い rゑe P‘z ‘ ’ ’ ⑦βd s好Pe“Z の 評 価 を す る 際 問 題 と な る の は, 先 に の べ た テ ー マ と 共 に, p structure で あ る. つ ま り. は. Z に 小 説 と して の 構 成 が あ る か どう か と い う rゐB PZ’ 2 7 7 zed seγPe ’ z. こ と で あ る. Vivas は ied to the work--consists ‘ lot, ’ of the ” novel“-一i f these terms Can be appl The ‘ p 2 2 ) l iein N1exico. ftheexperiencesof Kate Les of astraightfoward, chronologicalaccount o. 30.

(7) . 石 田 洋至 :THB PLUMBD SBRPBNT の批評をめ ぐって. t の役割の重要性という点では否定的 l o と の ベ, pl ot の存在を一応認めながらも, 小説における p l ot があることを認めて なのであっ て, 簡単にいうならば, あら筋があるといった程度の意味で p 1 l 7 P粥 d s t 脳 eγPB幼 の po の意義を認めていないのである, 粥e い るに す ぎな い の で あ っ て, rルe PZz ‘“zed seγPe郷 の structure についてもいろいろな意見 があるが, 大きくふたつにわけ られ る, ひ と つ は, Kate を point of view とする意見であり, もうひとつは, Kate を中心とす lot か ら成 り 立 っ て い る story と, Quetzalcoatl‐movement を 中 心 と す る story とのふたつの p. るという意見である. ivingcharacter it i d t fshei i thati storemain al .,.we as rea ers are n a pos on o see M i l fe in exico hasto o賃er d to whatl i l ly re t ne ther tota she mus e ject nor altogether yi 2 3 ) to her .. int of vi Z ‘ ’ 7 zgd sのPB昭 の ew と して の Tゐe PZ と の べ て い る Yudhi shtar は, Kate を po t structure を考えている批評家である. しかし Ka e を 客 観 的 な 立 場 を 守 っ て い る pointof view. とすると, どうしても説明できない部分がたくさん出てくる, その代表的な例は, 物語の進展と l - coat 共に, 小 説 中 で 大 き な 比 重 を 持 っ てく る Don Ram6n, Don Cipriano らに よ る Quetzal l l e の 役割に coat ‐movement が 登 場 す る ま で の 小 説 中 に お け る Kat movement で あ る, Quetza. は, 一見, 客観的な point of view 的 な 要 素 が あ る よ う に み え る し, 実 際, Kate は, す べ て の t e 自身が直接判断を下したりする ものに対し距離をおいてながめているという立場にあって, Ka ような主観的態度はとっていない人物であるように思われる, しかし Quetzalcoatl‐movement に 対す る Kate の反応が中立的なも の か ら,. 事件 や. 次第に. l Quetzal ‐movement に 接 近 し, い ろ い ろ な coat. l iano と の 結 婚 な どに よ っ て, Quetzal Cipr -movement の 一 員 と な る と い う よ う に coat. i Kate は 変 身 して しま う の で あ る こ の 点 に つ い て Yudh shtar ,. が. ial recoi l l these go to make Kate whatshei t Doubts reservations part s;andi s--al , ,. ly wi thout doing violence to her l inqui i f f i t to imagine her re shing these abrupt s di cul , 2 4 character ,). ructure の 発 見 の 方 向 に 進 む の で とのべているのも, こうした説明不能な部分を包含するような st はなくて, あくまでも Kate を point of view としての立場に固定しようとする固定的な発想が. あるからであり, 従って当然, 小説の. structure. に不備があるという結論に進まざるをえないであ. ろ う, Hough は l l tory と, Quetza -movement を 中 心 と す る story の ふ coat , Kate を 中 心 とす る s. たつの plot から小説が成立していると主張している批評家である, ここで問題となるのは, この ふたつの plot が 小 説 の な か で う まく 融 合 して い る か どう か と い う こ と で あ る, しか しこ う した 見 方にも無理 が生じるのである, ’ d b ime l lt is notable that here we desert Kate 1e arstt sconsciousnessfort ,an o serve ion, lt is here f Ra] i ly, wi thout her medi tat the actions o 口通n and h s companions direct ion begins isfact that the sense of dissat , ized. adequate and real. Everything seen through the eyes of Kate is. it ical consciousness ic but cr lt is seen through a sympathet 31.

(8) . 石田洋至 :THE PLUA便じD SBRPENT の批評をめ ぐって 2 ) 5 ind of vision we have already been brought to understand, whose k. と Hough 自 身 い っ て い る よ う に, Kate を中 もと す る plot か ら, Quetzalcoatl-movement を中 心 と す る pl ot への 移行に不自然さがどうしても生じて しまうのである, しか し, こ う した 矛 盾 は, 純 粋 に 構 成 上 の 問 題 と して, st ot e を Kate を 中 心 と す る pl ractur l と Quetzal coat ‐movement を 中 ひと す る plot と の ふ た つ に わ け た 時 に 生 じ る 矛 盾 な の で あ っ. て, 内容, テーマといった点から見ると物語の進展上, ふ た つ の pl ot の 移 行 に は, 妥 当 性 が あ る こ と を Hough は 認 め て い る の で あ る. Bes ide this 云rst plot and interwoven with i l ti 1e who estory ofthe sanotherone--tl ly the Quetza l l movement th Kate’sstory.,, Morefundamental coat s interwoven wi . 1ti , Quetzalcoat l revivali sintended to provide an explanation ofthechangesthat are going f i l th on in Kate’ s nature . , e way o her sympathy Hows and reco s. igion l lt is ther e. 2 6 i i i is meaning to her new way ofl ) fe i whi ch , whether she know it or not , , s g v ng t. と Hough がい み じく も の べ て い る よ う に, rたe P‘“7 7 28d seγP例Z の テ ー マ を Kate ’ を 示 そ う と しよ う と す る こ と で あ り ま た Kate fl i fe’ way o , ,. ‘new に ‘. の ”progress from. f one modeo ) を示 す も の と 考 え る な らば i i fe to another“27 K t t t る 中 ae を もとす , こ の 小 説 の sruc ure を l と Quetzal coat -movement を 中 心 と す る story とにわけないで, 別の説明ができないで i th sagar が r卿 4γZ o あ ろ う か, また, Ke ゾ D. 亙 .乙隣り陀“” で ,. story. The novel has been fortunate in i ts more recent critics,. l Jascha Ke s s er ,John B.. Vic l ly L. D, C1ark have test (ery and particular i行ed most Persuasively to its coherence , , i Kate’ ) as art ic quest for a source of renewal2 8 s myst , stress ng .. ’ に焦点 を合わせた と い っ て い る よ う に, Kate の ” mystic quest for a source o f renewal’ ・ structure の解釈は成立しないのであろうか. ,. V. The f i th one ofthe book’scentralimages:,., Peopleand places r st chaPter closes wi 2 l ikeseem characterised by ugl 9 ) ing malevolence, iness l l brutal i ty a id evi eer ,squa ,j ,. と Sager が の べ て い る よ う に, ま た 前 に 引 用 した Daleski が, “ The opening chapters ofthe ‐ ” ly suggest that Mexi novelf orceful coi s much in need ofsaving , と の べ て い る よ う に, 7ゐB PZ Z ‘mBα Seγゑ8 co に住む人々 7鷲 は, そ の は じま り か ら, 何 か が 起 らな け れ ば, Mexico や Mexi. i は救われないという強烈な印象を読者に与えているのである. 何かが起 らなければ, Mex co や Mexi l id evi l ing malevolence“ か ら逃れることができな iness co に 住 む 人 々 は, “ug ,squal ,jeer い の で あ る. 何 か が 起 る, こ れ は も ち ろ ん Quetzalcoatl‐movement という形で現われ る の である int of view - として登場 が, Kate は, こ の Quetzalcoatl‐movement を 客 観 的 に 見 る 目 - po しているのだろうか. 綿密に読むと実はそうではないのであ る. Kate 自 身 も, Mexico や Mexico に 住 む 人々 と 同 様 救 わ れ な け れ ば な らな い 人 物 と して 登 場 して い る の で あ る. Kat e は な ぜ, ア イ 32.

(9) . 石 田 洋至:THE PLUMBD SERPENT の批評をめぐって. ル ラ ソ ド, ヨ ー ロ ッ パ を は な れ て Mexi co に き た の で あ ろ う か と い う こ と を 考 え て み る と, Kate. t 自身 も救われなければな らない人物であることがはっきりしてくる. Ka e は二度の結婚の失敗な どをとうして何 を学んだのであろうか, また. Kate. は旧世界に自分の真の生き方を見出せていたの. te は Mexi であ ろ う か. そ う では な い, Ka co に真の新 しい人間 らしい生き方を求めてやっ てきて い た の で あ っ た. こ の こ とは Kate の 回 想 と い う形 で 小 説 中 でく りか え しの べ られ て い る の で あ. る, 従っ て小説のは じめの部分を読んだ読者は, Mexio が, Mexico に 住 む 人 々 が, そ して Kate が, どう救われて, 新 しい生き方をするように変化していくかということに興味を集中 す る よ う ‘new wa o i fe” Sager の い う に 小 説は 構 成 さ れ て い る の で あ る, つ ま り Hough の い う ‘ y fl , “. ic quest for a sourse o f renewal“ myst. た よ うに. に向っ ての物語の進展が期待されるのである. こう し. T卿 PZ Z を み る と, こ の 小 説 は 三 つ の 部 分 に わ け られ る, 第1の部分は Z ‘“ z ‘ 28d s好めg. l l 1 章 か ら7 章 ま で で, Quetza coat -movement 登 場 の 必 然 性 の 設 定 の 部 分 で あ り, 第 2 の 部 分 は l 8 章 か ら19章 ま でで, Quetza coatLmovement と キ リ ス ト教 と の 抗 争 で あ り, 第 3 の 部 分 は20章 l か ら27章 ま で で, Quetzalcoat -movement の勝利とその意味を示す部分である, l l -- 第 1 の 部 分 (1 章 か ら7 章) Quetza ‐movement 登場の必然性の設定 coat この 部 分 で は, 前 に も の べ た よ う に, Mexi co や Mexi co に 住 む 人 々 が どう す る こ と も で き な iness l l い 最 悪 の状 態 の な かに い る こ と を示 して い る. こ れ は bul -6ght で 象 徴 さ れ て い る ”ug , ” l i d i l b l i l ing mal squa ev , ruta ty evo ence で あ る. し か し, キ リ ス ト 教 も, 社 会 主 義 も 決 し , jeer. て彼らを救うことは できず, キリスト教会, 社会主義者たちが, こうした最悪の状態に手をつけれ ば, ま す ま す ひ どい 状 態 に な っ て い く の で あ る, 一 方 Kate は, 40才 に な っ た 日に 自 分 の 人 生 の 意 味, Mexi co にきている意味--旧世界 では得 られない別の生き方の探求--を考える. そ して Kate. も決して完全な人間でなく, 救われなければな らない人間として描かれているのである,. --第2の部分. l l (第8 章 か ら19章) Quetza coat -movement とキリスト教会の抗争--. どのよ う な 手 段 に よ っ て も 救 う こ と が で き な か っ た, Don Ram6n. や. Mexi co や. Mexi co. 人を 救 う た め に,. Don Ci iano に 率 い られ る Quetza l l ‐movement が 起 り, だ ん だ ん そ の 力 coat pr. を増していく, 当然キリスト教会側からの反発 を受け, 両者の抗争は激しくなっていく, Rom6n は, 襲撃されひん死の重傷を負う, たまたまこの事件に出くわした Ka t e はRam6n の面倒を見, l-movement と Ka Quetzal te coat ,. 自身の求めている新しい生き方との共通点などに気 づきは じめ. l-movement に 接 近 して い く の で あ る Quetzal coat ,. --第3 の部分. l (20章 か ら27章) Quetzal ‐movement の勝利とそ の意 味-- coat. こ の 部分 で は, Kate は Quetzalcoatl-movement の一員となり,キリスト教を象徴す る R am6n l l の 教 会 の 開 始, Ram6n を襲撃し の妻 Car ota の 死, キリ ス ト像, マ リ ア 像 の 焼 却, Quetzal coat iano 結 婚 な どを と お して, Quetz- た暴漢たちの処刑, Ram6n と Teresa の 結 婚, Kate と Cipr l coat al -movement. l -move- は勝利するのである, そ し て Kate 自身も真の 生 き 方 を Quetzalcoat. ment の な か に 見 い 出 し, Mexi co co に住む人々もいずれ救われ真の生き方をするだろうと , Mexi ・ いう予感を読者に残して rみe PZ z ‘” ⑦ed se zげ卿 鰯 は 終 る の で あ る, i fe“ “ mystic quest for a source ofrenewal” とい う テ ー マ に 焦 こ のよ う に ”new way ofl , 点 を合わせ て. rゐe PZz Z の st ‘ タ フ zgd se ’ γPB 2 ructure を 考 え, そ の 結 果 と して, 三 つ の 部 分 に わ け 33.

(10) . 石田洋至;THE PLUMBD SERPENT の批評をめく っ て て み る と, こ の 小 説 の structure は 鮮 明に な る の で あ る,. l l 最 後に 問 題 と な る の は, Kate が Quetza -movement に 示 さ れ る 生 き 方 に 満 足 して い る か coat どう かと い う こ と で あ る, こ の 問 題 に つ い て 満 足 して い る, 満 足 して い な い と 簡 単 に 決 め る こ と が で き な い 要 素 が多 々 あ る. た だ い え る こ と は, ロ レ ンス が rゐe PZ”“ 7綿 に お い て, zgd s8γゑ8 ’ 4αテo〃 葱 Z伽ク増αγの な ど で 試 み た 一 連 の 探 求 が 終 了 し, Aαγo〃’ 尺od s 兄od 2g”知o s , rたe , α7 , P 粥 粥ed s8γPB郷 な どの 作 品 と, rゐβ 尺の“るのり o粥のz 勿 乙oりβ な どの 作 品 と の 融 和 を 目 ざ し, , ”〆 ’ Lαメタ Cた鋭ZB“ays 上oひ好 ヘ と 進 ん で い っ た と い う こ と で あ る. 」 i dous Hux i l t roduc 1) A1 z on ey ひだ”” (He nemann,1956) lnt s ザ D, 亙. Lα ,lx , ,p , T彰 卿‘”r d i i i A汚 l i 刀 ″ 上 T彰 ぱご み r ty Pr F扇白 ( r e器, が n ve s 2) E1 似 ひ だ“” eα 刀 e γ ‘ ? ’ ⑦ z a n Uni seo Vi vas け z f o ; , , , 1960) p .65, r 3) H, M. Dal eski B (FaberandFabe す , 7 G ご ‘の け D, 〃,上αwre ,213 . ,1965)P , r彰 Fの彰α F′の“ A s 3 1 6 4) Z鋭d P ・ , , . 5) ▽!の”s , ,pp ‐81一82. 6) 乃!α, ,83, ,P 7) あ縞“ P.69, ウ粥, 8) み . ,7〇 ,p 9) Z鰯〆,. P,70 , i ず (Univer t ミ 渇, ′ 2 ごof f! s 10) Dα霧 N省弄 g Body; D. 丑 UγB ’ 2cばs r彰 P”“〃Bd sgrpg 2 y oま Texas Pre z .αz .Z 1964) i ′ z cg (0l 11) Yudhi verand Boyd shtar so′ D, 互 上のひだ’ , ,252 . α“#!“ 無 効B MのB ,1969) p 12) ゑ封ゐ p.257, わ溺り P 13) Z .255. 14) Graham Hough ヂ D, 耳,上αwγB”cg (Gerald Duckworth C0, LTD, , 1956) , Dα川 &‘“; A Sカメyo P .122 , 15) DdB s殻,P , ,218 ha LTD, 云お7 16 ) C z 南 下材“ごみ増 (The Eihos s ‘ . ,1966) P .11 . . Day Lewi , 尺B加島 1 7) 下なりαs,p.73, i ′(Hut ive brar ld Ket / l t r t 18) Arno 8 β, ’g万物 人あり B chinson Un s e 2 yLi y ,13, ,1961)p , A” み”γo山居『おれ Zoz 6 5 19 ) y勿αs p 、 . .. 20 ) 21 ) 22) 23). すめ p.65, ゑ う γ 〆 ば納如れ p,25Q ′ 2 ‘. yれαs .p , ,66 , / ””〆 粋メカぞ s ,P ,251.. 24) 那溺, , ,p,251 25) 嵐禦ぎた ,126, 26) 肪′α , ,p,136, 27) 版蔵, ,136, ,p i idge a ty Pr tthe Uni i e s s vers th sager 2cg (Cambr 28) Ke 2 8 4% qf p. 丑 , ,159 ,1969) p , r/ .Lqz“g′ 疑α Z 1 6 1 29) , , ・ ,P. (本学講師・旭川分校). 34.

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参照

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