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中央銀行の本質とは何か : 中央銀行論の再構築をめざして

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滋賀大学博士論文

中央銀行の本質とは何か

―中央銀行論の再構築をめざして―

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i

はじめに

中央銀行は、その原型ともいえるイングランド銀行の設立以来長い歴史と伝統を有 しているが、近年のグローバリズムや情報通信技術の進展、さらにグローバル金融危機 を契機に再び大きな変貌を遂げている。本論文は、中央銀行のあり方が改めてクローズ アップされる状況の中で、以下のような問題意識から現代における中央銀行の本質と は何か、その解明にチャレンジするものである。 第1 は、中央銀行の業務のうち最も本源的な銀行券の発行に対する原理的な関心で ある。中央銀行は銀行券を自己の債務と認識し、中央銀行のバランスシートの負債にそ の発行金額を記載している。金への兌換もない不換銀行券が中央銀行の債務であるこ との意味は何か、債務という場合の支払約束は何か。これが筆者の中央銀行研究の発端 をなす最大の問題意識であった。このテーマは、かつて不換銀行券論争において論じら れた内容に連なるものであるが、今日においても銀行券の本質を探るフロンティアを 拓く課題である。銀行券に関連し、政府紙幣やヘリコプターマネーの性格を検討するこ とも中央銀行券の特徴を浮き彫りにする上で重要である。中央銀行の原点ともいえる 銀行券の本質を検討することは中央銀行の本質を探究する途でもある。 第2 は、中央銀行の「最後の貸し手」機能に対する強い問題意識である。金融シス テムの安定を使命とする中央銀行はモニタリングや考査を通じて金融機関の経営状況 の把握に努めているが、もし金融危機が発生した場合には「最後の貸し手」として迅速 に対応しなければならない。わが国ではバブル崩壊以降の不良債権処理の過程におい て、世界的にみても今次グローバル金融危機の中で中央銀行は「最後の貸し手」機能を 頻繁に発動するとともに、その概念を拡張してきた。歴史を振り返れば、「最後の貸し 手」機能を通じた金融の安定が中央銀行の主要な役割と考えられてきた。「最後の貸し 手」機能を定式化したのは周知のバジョット(Bagehot)であるが、今日改めてバジョッ トの学説を精査し、その意義や教訓を再検討することは中央銀行論の再構築をめざす 上で大変意義のあることと考えられる。 第3 は、中央銀行の近年の政策がこれまで経験したことのない未踏の領域に踏み込 んでいることへの危機感である。非伝統的政策への傾斜は日本銀行がフロントランナ ーであったが、その後グローバル金融危機の中で米国連邦準備制度や欧州中央銀行、イ ングランド銀行等の主要国中央銀行も同様の政策を実行するに至った。さらに新型コ

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ii ロナウイルスの感染拡大に伴う経済ショックへの対応策として異例の政策は一段と強 化された。こうした中で、政府と中央銀行の関係も大きく変化し、中央銀行の独立性の 議論がチャレンジを受けている。また、異例の政策実施に伴い、中央銀行の損失やイン ソルベンシーの問題も表面化し、財務の健全性も注目されている。 中央銀行の将来の姿はどうなるのか。中央銀行の本質や中央銀行が保持すべき原則 は何か。こうした課題を考察することが今日ほど必要とされているときはない。本論文 は以上のような問題意識の下に執筆したものであり、「中央銀行原論(セントラル・バ ンキング論)」の再構築をめざす試みの一環である。

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iii

目次

はじめに ... i 序章 ― 中央銀行論の再構築をめざして ... 1 1.中央銀行論の再構築の試み ... 1 2.中央銀行の本質と伝統理念 ― 市場の中の銀行 ... 2 3.中央銀行の目的・役割 ― 不易と流行 ... 3 4.本論文の構成 ... 12 第Ⅰ部 銀行券の債務性とシーニョレッジ ... 17 第1章 銀行券の本質と債務性 ... 17 はじめに ... 17 第1節 銀行券の債務性を認める見解 ... 18 1.銀行券の無形資産見合い論 ― 日本銀行の見解 ... 18 2.銀行券の信用通貨論 ― 銀行券の債務性の理論的根拠 ... 21 第2節 銀行券の債務性を認めない見解 ... 24 1.不換銀行券=フィアット・マネー論 ― 従来の通説 ... 24 2.不換銀行券=現在財論 ― ミーゼスの見解 ... 28 第3節 通常の意味での債務性に疑問を持つ見解 ... 28 1.銀行券の特殊債務論 ... 29 2.銀行券の形的式債務性、実質的非債務性 ... 30 第4節 不換銀行券=商品貨幣としての信用貨幣 ― 不換銀行券の債務性論のフ ロンティア ... 32 第5節 評価 ― 結びにかえて ... 36 第2 章 セントラル・バンキングとシーニョレッジ ... 38 はじめに ... 38

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iv 第1節 セントラル・バンキングの本質とシーニョレッジの歴史 ... 38 1.シーニョレッジの歴史と会計 ... 38 2.銀行券の発行とシーニョレッジの発生プ口セス ... 41 3.貨幣(硬貨)の発行と古典的シーニョレッジ ... 44 4.シーニョレッジを巡る諸問題 ... 44 第2節 シーニョレッジの定式化 ... 46 1.シーニョレッジの定義 ... 46 2.2つのシーニョレッジの比較と会計方法 ... 48 第3節 銀行券と硬貨の具体的な会計方法 ... 51 1.銀行券の製造コスト ... 51 2.銀行券の在庫システム ... 51 3.発行銀行券、流通硬貨の記録 ... 53 4.記念硬貨の会計 ... 54 第4節 シーニョレッジの大きさ ... 55 第5節 シーニョレッジの政府への納付 ... 56 1.シーニョレッジの捉え方 ... 56 2.シーニョレッジの国庫納付に関する工夫 ... 59 3.わが国中央銀行の利益処分方法の特徴 ... 61 結び ... 64 第3章 銀行券の会計的把握 ... 66 はじめに ... 66 第1節 通貨の債務性と統一的な会計把握 ... 66 1.貨幣(硬貨)の場合 ... 66 2.銀行券の場合 ... 69 第2節 バーグルンドの金貨・兌換銀行券と不換銀行券の統一的把握 ... 71 第3節 銀行券の資本性 ... 74 第4節 ボッソネ=コスタの「貨幣の会計学ビュー」 ... 75 結び ... 77

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v 第4 章 政府紙幣の本質およびヘリコプターマネー、MMT ... 79 はじめに ... 79 第1節 政府紙幣の本質について ― 中央銀行券との比較を中心に ... 79 1.スティグリッツの提言 ... 79 2.政府紙幣の特質 ― 中央銀行券との比較 ... 80 3.小括... 90 第2節 通貨発行の仕組みとシーニョレッジ ... 91 1.通貨発行の仕組み ... 91 2.通貨発行のシーニョレッジ ... 92 3. 政府紙幣発行の方法と帰結 ... 94 第3 節 ヘリコプターマネー ... 96 1.ヘリコプターマネーの形態および代替的手段との比較 ... 96 2.ヘリコプターマネーの会計的側面とコスト ... 97 3.ヘリコプターマネーと財政・金融の区別 ... 98 4.ヘリコプターマネーと中央銀行の独立性 ... 99 第4 節 MMT(現代貨幣理論) ... 101 1.MMT の貨幣論 ... 101 2.批判的検討と評価 ... 103 結び ... 108 第Ⅱ部 中央銀行の「最後の貸し手」機能 ... 110 第5章 「最後の貸し手」機能とバジョット再考 ... 110 はじめに ... 110 第1節 LLR 機能の根拠とモラルハザード ... 111 1.LLR 機能の起源と進化 ... 111 2.LLR 機能が必要な根拠 ... 113 3.モラルハザード ... 115 第2節 LLR 機能の発動等に関する主要な見解... 116 1.古典派の見解 ... 117

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vi 2.インソルベント銀行支援派の見解 ... 118 3.公開市場操作派の見解 ... 119 4.フリーバンキング派の見解 ... 120 第3節 「バジョット原則」再考 ... 123 1.バジョット原則 ... 123 2.バジョット原則の検討 ... 124 3.中央銀行と政府の役割分担 ... 133 結び ... 134 第6章 「最後の貸し手」機能についての日本銀行の考え方とその概念の拡張 .... 136 はじめに ... 136 第1節 日本銀行法におけるLLR 機能の位置付け ... 136 1.日本銀行法第37条 ... 136 2.日本銀行法第38条 ... 139 第2節 LLR 機能についての日本銀行の考え方... 142 1.日本銀行の基本的な考え方と具体的なLLR の4原則 ... 142 2.日本銀行原則とバジョット原則の比較検討 ... 146 第3節 LLR 概念の拡張 ... 149 1.LLR 概念の拡張 ... 149 2.「銀行類似機関に対する最後の貸し手」 ... 151

3.「最後のマーケット・メーカー(Market Maker of Last Resort)」 ... 151

4.「最後のグローバル貸し手(Global Lender of Last Resort)」 ... 155

結び ... 157 第Ⅲ部 中央銀行の独立性と財務の健全性 ... 159 第7章 日本銀行の独立性再考 ― 法的位置付けと新しい挑戦 ... 159 はじめに ... 159 第1節 中央銀行の独立性の法的規定と近年の状況変化 ... 159 1.独立性のルーツ ... 159

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vii 2.独立性の法的規定 ... 161 3.日本銀行法の目的規定の特徴と問題点 ... 163 4.中央銀行の独立性を巡る近年の状況変化と新しい挑戦 ... 165 第2節 中央銀行の独立性と対政府信用供与の禁止 ... 167 1.国債の日本銀行引受けの禁止 ― 財政法第 5 条の問題 ... 168 2.政府短期証券の日本銀行引受け ― 財政法第 7 条の問題 ... 170 3.間接的な対政府信用供与と財政規律... 171 第3節 日本銀行の独立性と憲法第65条 ... 173 1.1997 年の日本銀行法改正時における憲法第 65 条を巡る問題 ... 173 2.考察 ― 中央銀行業務と行政権、通貨主権、経済的自由権... 180 第4節 日本銀行の憲法的位置付け ... 184 1.通貨価値の維持と憲法第83 条... 184 2.「権力分立」と日本銀行の帰属問題 ... 186 結び ... 187 第 8 章 中 央 銀 行 の 債 務 構 造 と 財 務 の 健 全 性 ― 銀 行 券 、 準 備 預 金 および自己資本 ... 189 はじめに ... 189 第1節 銀行券の本質とその会計 ... 190 1.銀行券の本質 ... 190 2.銀行券の会計 ... 191 3.わが国の発券制度の沿革と課題 ... 192 第2節 準備預金の性格とそれを巡る誤解、準備預金への付利 ... 196 1.準備預金の性格 ... 196 2.銀行は金融取引により銀行部門全体の準備預金残高を変化させることが できるか? ... 197 3.銀行は準備預金を元手に貸出を行うのか? ... 198 4.準備預金への付利 ... 201 第3節 中央銀行の損失・インソルベンシーと自己資本 ... 204 1.中央銀行の自己資本の定義と役割 ... 204

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viii 2.中央銀行に資本は必要か - 会計上の資本とネットワース ... 207 3.中央銀行の損失・インソルベンシーの形態と通貨の信認 ... 211 4.中央銀行の損失・インソルベンシーへの対応策 ... 213 5.中央銀行の資本金制度 ... 216 結び ... 217 第Ⅳ部 金融調節と内生的貨幣供給 ... 219 第9章 日本銀行の金融調節と「日銀流理論」 ... 219 はじめに ... 219 第1節 金融調節の実際とその特徴 ... 220 1.日本銀行の金融調節と日本銀行 ... 220 2.資金需給 ... 221 3.金融調節の手段 ... 224 4.金融調節の1 日の流れ ―「シグナリング・オペレーション」と「ハウスキ ーピング・オペレーション」 ... 228 5.積みの調整 ... 229 第2節 短期金融市場を巡る新しい潮流と今後の課題 ... 231 1.レポ・オペの導入 ... 232 2.FB 市場の創設 ... 235 3.RTGS と金融調節 ... 236 4.小括... 238 第3節 いわゆる「日銀流理論」と内生的貨幣供給論 ... 238 1.小宮隆太郎の「日銀流理論」批判 ... 239 2.「日銀流理論」とマネタリーベースの「受動性」、「能動性」 ... 241 3.「日銀流理論」と内生的貨幣供給論 ... 242 4.「日銀流理論」の淵源 ― 深井英五の通貨調節論... 245 結び ... 247

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ix 終章 中央銀行の本質を再考する ― 中央銀行の公共性、銀行性、独立性 および一般原則 ... 248 はじめに ... 248 第1節 中央銀行の公共目的 ... 249 1.中央銀行の目的は何か ―「通貨の安定」の追求... 249 2.中央銀行は何を行っているのか ... 250 3.近年の中央銀行の政策枠組みとその評価 ... 256 4.小括... 259 第2節 中央銀行の銀行的性格 ... 260 1.中央銀行は銀行である ―「市場の中」の存在 ... 260 2.銀行券の債務性 ... 261 3.銀行券と政府紙幣の相違 ... 263 4.シーニョレッジ問題 ... 263 5.「最後の貸し手」機能 ... 264 6.中央銀行の自己資本 ... 265 第3節 中央銀行の独立性 ... 266 1.中央銀行の独立性を巡る近年の変化と挑戦 ... 266 2.対政府信用供与の禁止と財政規律 ... 267 3.中央銀行の憲法的位置付け ... 268 第4節 中央銀行の本質 ... 269 第5節 ハーヴェイによる中央銀行の一般原則 ... 271 第6節 中央銀行の一般原則 ― 結びにかえて ... 274 参考文献 ... 276

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序章

―中央銀行論の再構築をめざしてー

1.中央銀行論の再構築の試み 中央銀行は、その原型ともいえるイングランド銀行の設立以来長い歴史と伝統を 有しているが、近年のグローバリズムや情報通信技術の進展、さらにグローバル金融 危機を契機に再び大きな変貌を遂げており、過去に類を見ない未踏の領域に踏み込 んでいる。 近年のこうした大きな変化は、中央銀行について改めてその原点に立ち返り、中央 銀行の本質とは何か、その目的と業務は何かを考えることの重要性を示している。 本論文は、中央銀行のあり方が改めてクローズアップされる状況の中で、以下のよ うな視点から現代における中央銀行の本質とは何か、その解明にチャレンジするも のである。 第1 は、中央銀行の業務のうち最も本源的な銀行券の発行に焦点をあて、不換銀 行券の債務性、シーニョレッジを巡る諸問題、政府紙幣との違い、通貨(銀行券、貨 幣)の会計処理といった銀行券に関する根本的な問題を考察し、不換銀行券の本質を 解明する。 第2 は、中央銀行の金融システム安定化政策のコアである「最後の貸し手」機能 について、その金字塔といえるバジョット(Bagehot)の学説を再検討するとともに、 日本銀行法における同機能の位置付け、グローバル金融危機以降の同機能の拡張な どを考察し、「最後の貸し手」機能の観点から中央銀行の本質に迫る。 第3は、中央銀行の独立性と財務の健全性の観点から中央銀行の本質を考察する。 独立性の問題に関して統治機構に関する憲法の「権力分立」の原理にまで立ち戻って 検討を行うとともに、財務の健全性について中央銀行の債務構造の特質を踏まえた 上で中央銀行の損失・インソルベンシー、自己資本の問題を検討する。 第4 は、日本銀行の金融調節に焦点をあて、その実務の特徴を明らかにし金融調 節の観点から中央銀行の本質を指摘する。金融政策を正しく理解するにはその心臓 部ともいえる金融調節の技術的側面を知ることが不可欠であり、それを踏まえた上 で学界等からのいわゆる「日銀流理論」批判について検討する。

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2 第5 は、以上の考察を踏まえ、中央銀行が政策や業務を実施する上で保持すべき 一般原則を提示する。中央銀行が未踏の領域に踏み込んでいる今日こそ、これまで受 け継がれてきた中央銀行の本質、行動の基準となる原則に改めて立ち返り、これを確 認することは極めて重要かつ意義のあることと考えられる。 本論文は、中央銀行の本質に立ち返り、その原理論を再検討することを通じて、21 世紀に相応しい中央銀行のあり方、言い換えれば「中央銀行論(セントラル・バンキ ング論)」の再構築をめざす今日的かつ野心的な試みである。 以下では本論への序章として、まず中央銀行の本質と伝統理念に関して簡潔に述 べた後、わが国の中央銀行である日本銀行について、その目的や役割を日銀法に則 して検討する。次にセントラルバンカーや識者の中央銀行に対する見解の紹介や検 討を通して中央銀行の性格や課題等を浮き彫りにする。最後に本論文の構成を説明 する。 2.中央銀行の本質と伝統理念 ― 市場の中の銀行 (1)中央銀行の本質 日本銀行はわが国の中央銀行として1882 年(明治 15 年)に創設され、現在約 140 年の歴史を有しているが、日本銀行の政策や業務を理解するには、中央銀行の 本質、特質とは何かを理解しておくことが不可欠である (小栗誠治(1998a)、西川 元彦(1984))。 中央銀行とは、金融市場や通貨の流通の中心にあって「銀行業務(banking)」を 営み、それらの業務を通じて「物価の安定」と「金融システムの安定」を追求し、 実現しようと努める各国にただ1つの中枢的な銀行である(ただし、欧州中央銀行 はユーロ圏19 か国の中央銀行である)。その意味で中央銀行は公共的性格を有して いる。とはいえ、政府とは本質的に異なっている。政府の場合は通常「市場の外か ら」市場に対して政策を実施するのに対し、中央銀行は、「市場の中にあって」市 場のメカニズムに即して機能する。中央銀行の最大の特質は「市場の中の銀行」と いう点にある。中央銀行の行動は、実務の面から見れば市場の中で「銀行業務」を 行っており、目的の見地からいえば「金融政策」を実施していることになる。この ように「銀行業務と金融政策の表裏一体性」というところに中央銀行が市場的である

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3 ことの本質が現れている。

中央銀行は銀行であり、市場の中で銀行業務を営んでいる“in the market”の存 在である。この点の認識が最も重要であり、中央銀行のこうした性格を理解するこ となくしては、中央銀行の本質を正しく把握することはできないといってよい。 (2)中央銀行の伝統理念 中央銀行の行う金融政策や銀行業務には中央銀行であるが故の特徴的な行動規範 や基本姿勢といったものが存在している。それは中央銀行の長い歴史と伝統の中で 自ずと醸成されてきたものであり、中央銀行の理念や信条といってよい。中央銀行 の伝統理念は、大きく括れば3 本の柱からなっている(西川元彦(1984))。 第1 の理念は、「自由な市場メカニズムを尊重する」ということである。中央銀 行が市場の中で生まれ育ち、“in the market” の存在であることを考えればこれは 当然といえよう。 第2 の理念は、「通貨価値の安定・維持を最重要視する」ことである。通貨の健 全性は、市場が健全であるための基盤を形成している。健全な通貨を追い求めてい るのが中央銀行である。 第3 の理念は、「政治に対し中立性・自律性を維持する」という点にある。これ は、一般に中央銀行の独立性といわれるものである。 重要なことは、これらの3 つの理念がバラバラにあるのではなく三位一体だとい うことである。中央銀行の国債購入を例にとれば、中央銀行が国債を購入するのは 通貨価値の安定という中央銀行の使命達成のために行うのであり、政治の介入によ る政府の財政ファイナンスを目的として行うものではない。また国債の購入は市場 メカニズムを通じた競争的金利により市場から購入するのであり、市場を介せず市 場金利から乖離した低金利で直接に引き受けるのではない。 3.中央銀行の目的・役割 ― 不易と流行 (1)日本銀行の目的と日本銀行法 中央銀行である日本銀行の目的は何か、これは本論文全体の土台となる論点なの で以下ではこのことを日本銀行法(以下、日銀法という。) に則して検討する。日本

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4 銀行に関する近年の多くの議論は、突き詰めれば日本銀行の目的に関わっているこ とが多いので、この点を正確に理解することが不可欠である。 1998 年(平成 10 年)4 月 1 日から施行された現行の日銀法では、日本銀行の目 的を次のように規定している(下線は筆者)。 (目的) 第1条 日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通 貨及び金融の調節を行うことを目的とする。 2 日本銀行は、前項に規定するもののほか、銀行その他の金融機関の 間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に 資することを目的とする。 (通貨及び金融の調節の理念) 第2条 日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図 ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念 とする。 イ.「物価の安定」と「信用秩序の維持」の関係 日本銀行の目的は、よく知られているように、1 つは「物価の安定を図ること」、 もう1 つは「金融システムの安定に寄与すること」であるが、一般に、組織を設置 するための法律の「目的」においては、その組織の機能を明定することが多いた め、日銀法においてもこれに倣い、日本銀行の目的として、「銀行券の発行」、「通 貨及び金融の調節」(これは金融政策を意味している)、「資金決済の円滑の確保」 という具体的な機能が3つ、まず第1条で規定されている。 これに伴い、金融政策の最も重要な目的である「物価の安定」については、第2 条において、「通貨及び金融の調節の理念」として掲げられている。また、「金融シ ステムの安定」については、第1条において、「資金決済の円滑の確保を図り、も って信用秩序の維持に資すること」という形に定められている。 「物価の安定」と「信用秩序の維持」の関係については極めて重要な論点なので、 もう少し踏み込んだ解釈を行っておきたい。中央銀行の目的は、「物価の安定」 と「信用秩序の維持」であり、これが車の両輪であるといわれている。しかし実

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5 際には、2つの目的は、単純な同列関係にあるわけではない。 日本銀行にとって「物価の安定」は金融政策を通じてとことん追求できるが、 「信用秩序の維持」に関しては、シスミック・リスクの回避という中央銀行らし い目的の達成はできるが、例えば、銀行救済のために収益支援等を行うことに は、日本銀行として自ずと限界がある。日本銀行は既述のとおり銀行であり、流 動性(liquidity)は供給できるが、資本(capital)を創造することはできない。この 意味で「信用秩序の維持」は、「物価の安定」とは違って、とことん追求できる というわけではなく、日本銀行の財務の健全性とトレード・オフになってくる。 この点については日銀法の条文上も書き分けてあり、両者は「段違い平行棒」 のようなイメージになっている。つまり、金融政策の目的は、「物価の安定」を 図ることを通じて「国民経済の健全な発展」に資する、という構造になってい る。一方、「信用秩序の維持」の方は、「決済システムの円滑な運営」を通じて 「信用秩序の維持」に資する、という関係にある。 日本銀行の目的は「物価の安定」と「信用秩序の維持」の2つであると一般に いわれるが、厳密にいうと「物価の安定」と「決済システムの円滑な運営」とい うのが次元としては対応しており、「信用秩序の維持」は「決済システムの円滑 な運営」の結果としてもたらされる、という位置付けになる。この意味で「物価 の安定」と「信用秩序の維持」は「段違い」の関係にある。この辺のところを日銀 法では「目的」と「理念」とにわざわざ書き分けてある。 ロ.「物価の安定」と「通貨価値の安定」の関係 金融政策の目的については、為替相場の安定を含めた「通貨価値の安定」と考え るか、それとも「物価の安定」と考えるか、という重要な論点があるが、現行日銀法 では、検討の結果、「物価の安定」と定められている。 すなわち、「金融政策の目標を、物価の安定ではなく、通貨価値の安定とする考 え方もある。しかし、通貨価値には、対内的価値である物価と対外的価値である為 替レートの2つの側面があり、こうした2つの目標を、金融政策という1つの経済 手段で追求する場合、利益相反が生じうることは、理論や過去の経験が示すところ である。したがって、金融政策の目標は、通貨価値の安定とせず、物価の安定とす ることが適当と判断」(金融制度調査会(1997))されたのである。

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6 したがって、為替レートの安定は金融政策の直接の目的ではない。為替レートは 基本的に自由な変動に委ね、その上で為替変動の影響も含めた国内物価の動向に着 目するというのが金融政策運営の基本的な考え方である。 ハ.「物価の安定」と「国民経済の健全な発展」の関係 日銀法第2条では「物価の安定」と「国民経済の健全な発展」がともに規定され ているが、この両者がどういう関係にあるのかも重要な論点である。これについて は、日銀法において「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資す る」(下線は筆者)と書かれていることから分かるように、物価の安定に力点を置いた 表現となっている。つまり、やや強い表現を用いれば、日本銀行は「物価の安定」 を犠牲にしインフレを増進させることにより国民経済の発展を図ることは法律上で きないのである。 ボルカー元米国連邦準備制度理事会(FRB)議長の次の言葉は、けだし至言であ る。 「何が危険かといえば、切羽詰まったあげくにわざとインフレを起こすことで 実体経済の問題を解決・・・しようとしても、少々のインフレでは役に立たな いとすぐにわかることだ。・・・独立した中央銀行がひとたび政策手段としてイ ンフレを引き起こせば、それを退治することは非常に困難となる」(Volcker, Paul A.(2011))。 (2)日銀法の先見性 ― 白川方明日本銀行総裁(当時)の見解 日本銀行の白川総裁(当時)は、現行日銀法は時代を先取りした優れた中央銀行法 であると評価している。どういう点に日銀法の先見性があるのか見てみよう(白川 方明(2010b))。 日銀法の先見性の1つは目的規定にある。日銀法第2条において「物価の安定」 と「国民経済の発展」の関係が規定されているが、日銀法の先見性は、金融政策の 目的がバブルや金融危機の発生の可能性という事態をも想定した規定となっている 点である。欧州中央銀行(ECB)やイングランド銀行(BOE)の場合、金融政策

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7 の主要な目的は「物価の安定」であると規定されており、少なくとも法律上は経済 活動の安定に言及した文言はない。 日銀法の第 2 の先見性は、金融システムにおける中央銀行の役割や責任を明確 に規定していることである。危機の発生を防ぐうえで中央銀行の役割は極めて重要 である。この点、日銀法第1条において、「金融システムの安定(信用秩序の維 持)」が段違い平行棒の関係にあるとはいえ「物価の安定」とともに中央銀行の目 的であると明確に規定されている。また中央銀行の「最後の貸し手」としての業務 を遂行する観点から、取引先金融機関に対して考査を行う契約を締結できることも 明示的に規定している(日銀法第 44 条)。諸外国をみると、金融システムの安定が中 央銀行の目的として挙げられていない国も少なからず存在する。また、金融の規 制・監督に関与していない中央銀行では、個々の金融機関の資産内容をはじめ金融 機関のミクロ情報を直接入手することもできない。 以上のように、白川は現行の日銀法はかなり先見性を持ったものであると評価す る一方、近年の世界の中央銀行の潮流が中央銀行の業務を金融政策のみに純化し、 その目的を「物価の安定」のみに絞る傾向にあったことに対し、今次のグローバル 金融危機の教訓を踏まえた時、こうした傾向は問題があったのではないかと指摘す る。その上で白川は、中央銀行の存在意義は「安定的な金融環境(stable financial environment)の実現を通じて持続的な成長を達成すること」にあると強調する。 これは、金融政策の目的を「物価の安定」だけに限定せず、「安定的な金融環境」 を実現することにあると主張する点において、これまでの目的規定の解釈よりも柔 軟で幅広い解釈を提示したものとして注目される。 白川は、「物価の安定」は金融環境の安定を構成する重要な要素であるが、これ だけに限定されるものではなく、むしろ、短期的な物価の安定に釘付けになると、 究極の目的である「経済の持続的成長」を困難にする可能性すらあると指摘してい る。 (3)セントラル・バンキングの新しいフレームワーク ― ジャック・ド・ラジエール元フランス銀行総裁の見解 ジャック・ド・ラジエール(Jacques de Larosiere)元フランス銀行総裁は、これま で支配的であった金融政策のモデルが、今次のグローバル金融危機の中で適切に対

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8 応できないことが明らかになったと指摘している(Jacques de Larosiere (2011))。 金融の世界は急速に複雑化してきた一方、中央銀行の政策手法は極めてシンプル 化するという逆方向の流れを辿ってきた。すなわち、中央銀行の金融政策は「物価 の安定(しかも一般的には消費者物価の安定)」という単一の目的に絞られ、これ を達成する手段も「政策金利」という唯一の手段により実施されてきた。 しかし、歴史を振り返れば、金融政策に関するこうしたシンプルな世界的な合意 は高々近年のものに過ぎず、中央銀行の歴史を顧みれば、もっと包括的な目的を持 ち、多様な手段を提供していたことが理解される。 このような考えの下、ド・ラジエールはセントラル・バンキングの新しいフレー ムワークとして、これまでの単一目的(物価の安定)、単一手段(政策金利)の政策運営 を退け、以下のような幅広い枠組みを提示している。 ・「金融システムの安定(financial stability)」は「安定的な金融情勢(stable monetary conditions)」を促進するいう目的の重要な構成要素である。 ・「資産バブル」を認識することは可能であり、最終的には中央銀行がそれに対し 行動を起こすべきである。 ・「信用」の増大は注意深く監視すべきであり、必要があれば抑制すべきである。 ・行動を起こすのは、早ければ早いほどよい。 ・政策手段は多様であるべきだ(例えば、金利、準備、規制の変更など)。 ・長期的には「インフレ期待」を安定化させることが最も重要である。 ド・ラジエールは、こうしたフレームワークを採用しても中央銀行の独立性が弱 められることにはならず、むしろ中央銀行の目的を包括的に定めることによってこ そ中央銀行の信頼性を高めることができると主張する。 セントラル・バンキングの本質を熟知した白川とド・ラジエールという両セント ラルバンカーが、今次のグローバル金融危機の教訓を踏まえ、中央銀行の目的や金 融政策のあり方に関して、期せずしてほとんど同じ考え方に到達しているのは大変 示唆的である。

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9 (4)変化する中央銀行の役割 ― グッドハート教授(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、イングラン ド銀行金融政策委員会元委員)の見解 中央銀行論の大家であるグッドハート教授によれば、中央銀行は、その生誕以 来、基本的には、物価の安定と金融システムの安定という目的を追求してきたもの の、中央銀行の役割は時代とともに大きく変遷してきたと指摘している。その変遷 は次の3 つの安定した時代に分けることができる(Goodhart, C.A.E.(2010))。 第1 は「ビクトリア時代」である(1840 年代~1914 年)。ビクトリア時代は、金 本位制と金融の安定を両立させることが重要な課題であった。この時期は、度重な る金融恐慌の中で中央銀行の果たすべき役割が大きく問われ、中央銀行の政策目標 も、現在のような物価の安定よりも「最後の貸し手」機能が重視された。金融学説 として真正手形原則が評価された時代であった。 第2 は「政府コントロールの時代」である(1930 年代~1960 年)。大恐慌と金本 位制の崩壊は、中央銀行の失敗を意味していた。この時期の中央銀行は政府の従属 機関となり、政府が政策金利の設定など金融政策の実質的権限を握った。当時の中 央銀行の役割は、政府への政策アドバイス、政府コントロールシステムの管理、市 場の運営などであった。 第3 は「市場勝利の時代」である(1980 年代~2007 年)。1980 年代以降、2007 年にサブプライム危機が表面化するまで、金融市場の自由化が大きく進展した。同 時に、一国の政府、中央銀行で対応できない問題も表面化した。この時期、中央銀 行はインフレーション・ターゲティングを政策目標として採用した。 現在は2007 年のグローバル金融危機以降の第 4 の新時代に入っており、再び 「政府コントロールが重視される時代」に至っている。しかし第2 の時代と異な り、現在は政府と中央銀行が対等なパートナーとして活動することが求められてお り、中央銀行の独立性のあり方も含め政府と中央銀行の新たな関係の構築が模索さ れている。独立した中央銀行が物価安定のために行う「金利の設定・誘導政策」 と、他方、中央銀行と政府が協調して金融システム安定のために行う「流動性の供 給政策」という2 つの政策をどのように位置付け、どう制度設計するかが大きなテ ーマとなっている。 グッドハート教授によれば、中央銀行が行う「金融システムの安定と流動性の管

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10 理」こそ第4 の時代のセントラル・バンキングの課題であり、そうしたフレームワ ークの下で中央銀行は金利を設定する権限を与えられていると指摘している。グッ ドハート教授のこうした主張は、目的として物価の安定、手段として金利政策を最 優先してきたグローバル金融危機以前のセントラル・バンキング論と明らかに異な っている。グッドハート教授はグローバル金融危機の経験と教訓を踏まえ、特に中 央銀行の「マクロ・プルーデンス政策」の重要性を強調し、そのための中央銀行の 組織の見直しや新たな政策手段の開発の必要性を強調している。 (5)1 つの使命(「英国民の利益の増進を図ること」)、1 つの銀行 ― カーニーイングランド銀行総裁(当時)の見解 2013 年 7 月にイングランド銀行総裁に就任したカーニー総裁は、2014 年 3 月の 講演において、イングランド銀行の使命について同行の設立当初にまで遡って考察 した上、同行の運営方針を明快に述べている。その内容は金融危機の経験を踏まえ た21 世紀の中央銀行のあり方を考える上で大変示唆に富むものである。以下、そ の概要を説明しよう(Carney, M.(2014))。 中央銀行は設立当初から通貨の信認の守護神として行動する責任を有してきた。 これは中央銀行が通貨の独占的発行権限を持っていることによるものである。こう した行動責任を果たすため、中央銀行には通貨と金利のコントロール、すなわち金 融政策を実施する役割が与えられるとともに、「最後の貸し手」機能という金融シ ステム安定のコアとなる業務を実施する役割が自ずと与えられるに至った。 カーニー総裁は、イングランド銀行の使命は唯一つ、「英国民の利益の増進を 図ること(promote the good of the people of the United Kingdom)」であると断言 する。これは設立以来現在も変わることのない使命であるが、この使命を達成する ためイングランド銀行が行うべきことは時代とともに進展してきた。1694 年の設 立時にイングランド銀行が行うべきことはフランスとの戦争遂行のための資金を政 府へ融通することであった。グレート・モダレーション(Great Moderation)の時 代のそれは「物価の安定」を図ることであった。そして現在のそれは、金融危機の 教訓を反映し「通貨の安定と金融の安定」を維持することへと変化してきた。 中央銀行の目的を物価の安定に絞り込み、インフレーション・ターゲティング 政策によりその目的を達成するというグレート・モダレーション時代の政策手法

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11 は、物価の安定を図ることこそ中央銀行がマクロ経済の安定に貢献する最善のやり 方であるという信念の反映であった。これはそれまでの古いセントラル・バンキン グのモデルが崩壊したことを示すものであった。 しかし、カーニー総裁は、伝統的インフレーション・ターゲティング政策は今や 「危険な邪魔者(dangerous distraction)」になったと断じている。物価安定という 単一目的政策は全く有効といえなくなった。物価安定という単一目的政策の下で は、金融システムの安定が物価の安定と同様にマクロ経済政策の重要な目的である ことを認識することができず、金融システム安定と物価安定の関係が軽視されてき た。 金融危機を経験した後、イングランド銀行にはプルーデンス政策が正式な職務と して議会から与えられた。最後の貸し手、最後のマーケット・メーカー、マクロ・ プルーデンス政策の企画・運営、金融改革の勧告、破綻金融機関の処理等は今や全 てイングランド銀行の職務となった。カーニー総裁は「イングランド銀行にこうし た広い役割が戻ってきたことを歓迎する」と述べている。 今やインフレーション・ターゲティング時代の終焉する時期が到来するととも に、イングランド銀行の重要な目的として金融システム安定策がクローズアップさ れる時を迎えたのである。これに伴いイングランド銀行と政府の関係、イングラン ド銀行の独立性の内容もまた新たな変化を遂げていくこととなろう。 以上、中央銀行の目的や役割に関連するいくつかの論点について述べてきた。わ が国では日本銀行が2013 年以降、正式にインフレ目標(消費者物価の前年比上昇 率2%)を追求する金融政策を実施している。しかし、世界的にみると、上記で見 たように、1990 年代以降インフレ目標を採用した大半の国は、金融危機の経験の 反省から、現在ではインフレ目標のみを追求する金融政策は危険だとの認識でコン センサスを形成している。とりわけマクロ・プルーデンス政策の重要性が強調され ており、金融政策とマクロ・プルーデンス政策をいかに整合的に運営するかが大き な課題となっている。理論的には、「物価や経済の安定」と「金融システムの安 定」という2 つの目的に対し、金融政策とマクロ・プルーデンス政策をそれぞれ割 り当てるポリシーミックスを実行すればよい。しかし、金融政策とマクロ・プルー デンス政策は相互に繋がっている面があり、両者の分業のあり方はそう単純でな

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12 い。 このように、中央銀行の目的や役割をどのように考えるべきかという、中央銀行 にとって原点ともいえる課題が、現在、大きなテーマとして再び検討されるべき時 代状況にある。 4.本論文の構成 本論文の構成は、以下のとおりである。本論文は序章、4部9章、終章からな る。第Ⅰ部は第1章から第4章までの各章で構成され、不換銀行券の本質を探る観 点から銀行券の債務性やシーニョレッジ問題を考察するとともに、政府紙幣や MMT 等通貨を巡る現代的展開を検討する。第Ⅱ部は第5章と第6章から構成さ れ、中央銀行の金融システム安定化政策のコアである「最後の貸し手」機能につい て考察を行う。第Ⅲ部は第7章と第8章から構成され、中央銀行の独立性と財務の 健全性について検討する。第Ⅳ部は第9章から構成され、日本銀行の金融調節と 「日銀流理論」批判について検討する。終章では、本論文全体を総括する観点から 中央銀行の本質を再考し、中央銀行が保持すべき一般原則を提示する。 各章の詳細は以下のとおりである。 第1 章では、中央銀行の業務のうち最も本源的な銀行券の発行に焦点をあて、不 換中央銀行券(以下、「銀行券」または「不換銀行券」と言う。)の本質を考察す る。ここでは、不換銀行券の債務性を巡る諸見解を検討することを通じて、不換銀 行券が中央銀行にとってなぜ債務なのか、不換銀行券の支払約束とは何かを究明す る。本章では銀行券の債務性を巡り、①銀行券の無形資産見合い論(日本銀行の見 解)、②銀行券の信用通貨論(銀行券の債務性の理論的根拠)、③不換銀行券=フィ アット・マネー論(従来の通説)、④不換銀行券=現在財論(ミーゼスの見解)、⑤ 銀行券の特殊債務論、⑥銀行券の形式的債務性、実質的非債務性、⑦不換銀行券= 商品貨幣としての信用貨幣論(不換銀行券の債務性論のフロンティア)の7つの見 解を検討する。その結果、①、②および⑦の主張が、それぞれに重複や異同は若干 あるにせよ、銀行券の本質や債務性を的確に把握した内容を備えているものと評価 する。 第2章では、通貨や中央銀行の本質と関わるシーニョレッジの問題について原理

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13 的な考察を行うとともに、その現実的な対応も俎上に載せ、シーニョレッジ問題を 包括的に把握する。まずシーニョレッジ概念の歴史的展開を振り返った後、貨幣 (硬貨)との比較を通じて現代の不換銀行券システムにおけるシーニョレッジの発 生プロセスを考察する。次にシーニョレッジの2 つの典型的な定義(「マネタリ ー・シーニョレッジ」と「機会費用シーニョレッジ」)について検討し、両者の関 係を明らかにする。続いて銀行券および貨幣(硬貨)の実際の会計方法を検討する とともに、シーニョレッジの大きさを具体的に確認する。最後に中央銀行に発生し たシーニョレッジの政府への納付開題を検討する。考察の結果、現代の不換銀行券 システムのもとで中央銀行に発生するシーニョレッジは「機会費用シーニョレッ ジ」であり、貨幣(硬貨)にみられる古典的な形の「マネタリー・シーニョレッ ジ」ではないこと、「機会費用シーニョレッジの現在割引価値」が「マネタリー・ シーニョレッジ」に等しいことから銀行券のシーニョレッジを「マネタリー・シー ニョレッジ」として捉える見解は信用通貨に基づいた金融政策論として問題がある こと、シーニョレッジの政府への納付にあたっては、財政のディシップリンを維持 するため、その支出先を限定するなどの工夫が必要であること、などが示される。 第3章では、通貨の会計的側面に焦点をあて、通貨をどのように把握し会計処理 すべきかについて検討する。まず信用貨幣論の観点から銀行券の本質はその債務性 にあるとの認識のもと、中央銀行の発行する銀行券と政府の発行する硬貨を統一的 に処理する筆者の会計的枠組みを提示する。次に金貨・兌換銀行券と不換銀行券を 同一のフレームワークの中で統一的に把握する方法を提示したバーグルンドの見解 を検討する。続いて銀行券は債務性と資本性を併せ持つという銀行券の「二重性」 に着目した筆者の思考実験を提示する。最後に銀行券は債務でなく資本であるとの 認識のもとに「貨幣の会計ビュー」を主張するボッソネ=コスタの見解を検討す る。 第4章では、概念上銀行券の対極に位置する政府紙幣を採り上げ、両者を比較す る形で政府紙幣の特質を浮き彫りにする。また政府紙幣と同じ範疇のヘリコプター マネー、さらに近年注目を集めている現代貨幣理論(Modern Money Theory< MMT>)といった通貨を巡る現代的な展開について検討する。考察の結果、政府 紙幣は、同じ通貨であっても、信用(債権・債務)関係の有無、発行が外生的か内 生的か、行政行為かビジネス行為かといった点において、中央銀行券とは全く質が

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14 異なるものであること、ヘリコプターマネーは本来財政政策の範疇に属するもので あり、金融政策ではないこと、MMT は信用貨幣論に基づき内生的貨幣供給論を展 開しているものの、まず国定貨幣論を論理的に先行させ、その中に信用貨幣論を組 み入れる方法をとっていることに加え、租税のような権力関係に基づく債務(国定 貨幣)と私人間の自発的な取引に基づく債務(銀行貨幣)を同じ性格の債務とみな している点に理論的な問題を内包していること、などが示される。 第5章では、中央銀行の金融システム安定化政策のコアであり、市場での実践の 中で大きく進化してきた「最後の貸し手(Lender of Last Resort、以下 LLR と言 う。)」機能について考察を行う。とりわけ中央銀行の LLR 機能に関する金字塔と もいえるバジョットの著書『ロンバード街―金融市場の解説』の学説に立ち戻り詳 細な検討を行う。まずLLR 機能の根拠とモラルハザードについて理論的に整理す る。次にLLR 機能のあり方に関する代表的な 4 つの見解を紹介し、検討する。そ の後、LLR 機能に関する「バジョット原則」に焦点をあて、ソルベンシーの識別、 優良担保、高金利(ペナルティ・レート)の各論点について詳細な分析を加え、筆 者の解釈を示す。 第6章では、前章に引き続きLLR 機能について考察を行う。まず日本銀行法に おけるLLR 機能の位置付けや日本銀行原則とバジョット原則の比較等を行い、日 本銀行のLLR 機能に対する考え方を検討する。次にグローバル金融危機以降、金 融資本市場の深化とグローバル化を背景に実践してきた「最後のマーケット・メー カー」、「最後のグローバルな貸し手」という新たなLLR 概念について検討する。 最後にLLR 機能の観点からみた中央銀行の本質と課題を指摘する。考察の結果、 主要国の中央銀行は「最後の貸し手」機能の実施にあたりバジョット原則を基本的 な拠り所としていること、バジョットの金言(dictum)を念頭に置いた時、中央銀行 は問題先金融機関のソルベンシーを識別する能力およびシステミック・リスクの顕 現化を評価する方法に磨きをかけることが不可欠であること、これらはいずれもセ ントラル・バンキングの本質に基づいた業務運営上の基本姿勢であること、などが 示される。。 第7章では、中央銀行の独立性を、わが国の統治機構の中でいかに位置付けるか について考察する。わが国の中央銀行である日本銀行の独立性の問題は、憲法第65 条の「行政権は内閣に属する」の解釈の問題、すなわち日本銀行の業務は行政権の

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15 行使か否かとして議論されることが多い。しかし、中央銀行の独立性を考察するに あたり、統治機構に関する憲法の「権力分立」の原理にまで立ち戻れば、中央銀行 と行政府という単線的な関係ばかりでなく、中央銀行と立法府・司法府や国民との 複線的な関係まで視野に入れることが可能となる。本章では、まず中央銀行の独立 性の法的な規定内容について検討を行うとともに、独立性を巡る近年の状況変化を 指摘する。次に中央銀行の独立性のうち最も重要な政府財政からの独立性を採り上 げ、中央銀行による対政府信用供与の内容と問題点を検討する。続いて1997 年の 日本銀行法改正時に活発な議論が展開された日本銀行の独立性と憲法第65 条の問 題を検討する。さらに憲法第83 条へと検討の幅を拡げ、同条が通貨価値の安定を 規定していると読み込むことにより中央銀行の憲法的位置付けを明確にする。その 場合には、通貨価値を維持する権限は内閣でなく国会に帰属することになり、たと え中央銀行を内閣の統制から切り離した形で設置するとしても、それが通貨価値の 安定の要請に適っている限りで憲法違反にならない。 第8章では、中央銀行の債務構造の特質を分析するとともに、通貨価値の維持お よび中央銀行の信認確保の観点から中央銀行の財務の健全性について考察する。ま ず中央銀行の2 大債務である銀行券と当座預金(準備預金)の特質や会計方法、準 備預金を巡る誤解、準備預金に対する付利の考え方を検討する。続いて中央銀行の 自己資本の意義、中央銀行の損失・インソルベンシーと財務の健全性の問題を考察 する。中央銀行の信認は、債務構造の根幹である銀行券と準備預金の弁済性を保証 することや財務の健全性を維持する努力の結果として確保されることを確認する。 第9章では、日本銀行の金融調節の実務を説明し、その特徴を明らかにするとと もに、学界等からのいわゆる「日銀流理論」批判について検討する。日本銀行の金 融政策の正確な理解には、その心臓部ともいえる金融調節の実際の姿を知ることが 不可欠であり、そのためには「資金需給表」の読解がポイントとなる。小宮隆太郎 東京大学教授(当時)を始めとする学界からの「日銀流理論」批判も、元を辿れば 資金需給表をどう理解するかが焦点であった。金融調節という技術的操作の細部の 検討を通じて中央銀行通貨の本質や理論的性格を把握することが可能になる。本章 では、銀行券や日銀当座預金が中央銀行の債務であり信用貨幣であること、その供 給は受動的性格を有していること、言い換えれば、金融調節による中央銀行通貨の 供給は信用貨幣に基づく内生的貨幣供給論の系譜に連なるものであることを明らか

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16 にする。 終章では、本論文全体を総括する観点から中央銀行の本質を再考し、中央銀行が 保持すべき一般原則を提示する。ここでは中央銀行を「公共・ ・目的・ ・を使命とする政府 から独立・ ・した銀行・ ・」であると概念規定した上で、まず中央銀行の公共目的に焦点を あて、中央銀行の目的、中央銀行が行う金融操作の実態、近年の中央銀行の政策枠 組みとその評価について論じる。次に中央銀行の銀行的性格、銀行券の債務性や政 府紙幣との違い、シーニョレッジ問題、「最後の貸し手」機能について検討する。 続いて中央銀行の政府や政治からの独立性に関する近年の変化や憲法との関係につ いて考察する。その上で中央銀行の本質あるいは中央銀行の哲学を改めて確認す る。最後に中央銀行が政策や業務を実施する上で保持すべき一般原則を提示する。 それは次のようなものである。①中央銀行は政府に対し直接の信用供与を行っては ならない。②中央銀行は財政政策の領域に踏み込んではならない。③中央銀行はイ ンソルベント(insolvent)な先への信用供与を行ってはならない。④中央銀行はシ ステミック・リスクの防止に努めなければならない。①、②は中央銀行と政府の関 係、③、④は中央銀行と民間の関係における一般原則である。

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第Ⅰ部 銀行券の債務性とシーニョレッジ

第1章 銀行券の本質と債務性

1 はじめに 1970 年代以降、世界経済は長らく本来の貨幣と目されてきた金との制度的なつ ながりを絶った通貨制度へと移行した。金との制度的な交換性を喪失した不換銀行 券はもはや貨幣の支払手段とはいえず、政府紙幣と同じであるとの見解は一般に多 い。本当にそうであろうか。こうした不換銀行券制度下の現代においてこそ、現実 に流通している不換銀行券の本質は何か、現代の不換銀行制度をどのように読み解 けばよいのかを考察することは重要な意義を有するといえよう。さらに、不換銀行 券の発行主体である中央銀行は、近年のグローバルな経済・金融危機を背景に、伝 統的な金融政策に加え、ゼロ金利政策や量的緩和政策等様々な非伝統的金融政策を 実施し、その役割もダイナミックに変容を遂げつつある。 本章の目的は、こうした認識のもと、改めて中央銀行の原点に遡り、不換中央銀 行券の本質を考察することにある。具体的には、不換中央銀行券の債務性を巡る諸 見解を検討することを通じて、不換中央銀行券(以下、単に「銀行券」または「不 換銀行券」と言う。)が中央銀行にとってなぜ債務なのか、不換銀行券の支払約束 とは何かを究明する2。本章の構成は以下のとおりである。銀行券の債務性を巡り、 第1節では銀行券の債務性を認める見解を採り上げ、「日本銀行の見解」と「銀行 券の信用通貨論」を検討する。次に第2節では、これと反対に銀行券の債務性を認 めない見解を採り上げ、「不換銀行券=フィアット・マネー論」、「不換銀行券=現 在財論」を検討する。さらに第3節では銀行券について「通常の意味での債務性に 疑問を持つ見解」を検討する。第4節では「不換銀行券=商品貨幣としての信用貨 幣」を主張する債務性論のフロンティアを検討する。最後に第5節では、上記の諸 見解の評価を行うともに、不換銀行券における支払約束とは何かを確認する。 1 本章は小栗誠治(2010)、同(2015)を元に加筆、修正したものである。 2 日本法(「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」)では、1 万円札などの日本銀行券を「銀行券」、100 円玉など の政府発行の硬貨を「貨幣」、以上の両者を含めて「通貨」という。 本章では、こうした区別に加え、経済学上の一 般的概念として「貨幣」の語を用いる場合もある。

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18 第1節 銀行券の債務性を認める見解 1.銀行券の無形資産見合い論 ― 日本銀行の見解 わが国で唯一の発券銀行である日本銀行は、2020 年 3 月末時点で 109 兆 6,165 億円の銀行券を発行している。発行した銀行券は日本銀行の債務として認識され、 貸借対照表上の負債に計上されている3。銀行券はなぜこのように負債に計上される のか、すなわち銀行券は中央銀行にとって債務か否かという問題は、通常ほとんど 意識することがないかあるいは見落としがちであるが、そこには中央銀行の本質に 迫る問題が潜んでいる。 以下では、銀行券の債務性を巡る諸見解を検討することを通じて、銀行券は中央 銀行にとってなぜ債務であるのかを明らかにしたい。 まず、銀行券の発行主体である日本銀行の見解から検討しよう。銀行券が日本銀 行の貸借対照表の負債の部に計上されていることについて日本銀行はどのように考 えているのであろうか。日本銀行の説明は次のとおりである。 「歴史的にみると、日本銀行が設立された当初、日本銀行の発行する銀行券 は、金や銀との交換が保証されていました。こうした制度の下で、日本銀行 は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀 行券発行高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられて いました。このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す『債務証書』のよ うなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシートの資 3 内田眞一(日本銀行理事)の次の発言は、日本銀行が不換銀行券を債務と認識していることを端的に示すものであ る。 「現在の仕組みでは、中央銀行は、自らの負債を銀行券という紙の形で、人々が広く使える『お金』として提供す るとともに、デジタルベースの中央銀行負債である中央銀行当座預金を、取引先の金融機関に提供していま す。・・・中央銀行の仕事である『金融政策』も『最後の貸し手機能』も、突き詰めれば、どうやって中央銀行負 債を提供するかの問題です」(「ポストコロナの『お金』の姿」決済の未来フォーラム デジタル通貨分科会におけ る挨拶、2020 年7 月30 日)。

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19 産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。その後、金や銀の保 有義務は撤廃されましたが、一方で、銀行券の価値の安定については、『日本銀 行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適 切な遂行によって確保されるべき』という考え方がとられるようになってきま した。こうした意味で、銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない 『債務証書』のようなものであるという性格に変わりはなく、現在も負債とし て計上しています。なお、海外の主な中央銀行においても、こうしたバランス シート上の取り扱いが一般的となっています」4 わが国では、明治30 年(1897 年)に公布された「貨幣法」において「純金の量目 2 分(750 ㎎)をもって価格の単位となしこれを円と称す」と定められ、円という 貨幣名は金と結びつき、銀行券は1 円=金 750 ㎎で兌換される兌換銀行券であっ た。しかし、昭和17 年(1942 年)に銀行券は金との兌換が停止され、さらに昭和 63 年(1988 年)に公布された「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」により「通 貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は一円の整数倍とする」と定められた ことにより、円という貨幣名も金の重量とは関係ない名称になり、円は金から完全 に切断された。 このように銀行券はかつては金との兌換に応じるという義務があり、その意味か ら銀行券の債務性は明らかであった。しかし、現在は銀行券に金との兌換の義務は なく、代って日本銀行は適切な金融政策を遂行することによって銀行券の価値の安 定を図り、銀行券のもつ購買力を維持する「責務」を負っている。この場合、銀行 券の債務の意味する内容は「適切な金融政策の遂行」といういわば無形資産である。 これが銀行券の債務性についての日本銀行の見解である。銀行券債務に対応する資 産は、金本位制時代の「金」という「実物資産」から、管理通貨制時代には「適切 な金融政策の遂行」という「無形資産」に移ったのである。しかし、銀行券が債務 であるという性格は以前と変わることなく保持されている。「インフレ目標2%の 達成は中央銀行の責務である」と主張する中央銀行「ミッション論」は正にこうし た「無形資産論」の考え方に基づくものである。 4 日本銀行「日本銀行の目的・業務と組織」日本銀行ホームページ。

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20 なお、日本銀行は、かつては銀行券の債務性を説明するのに上記の「無形資産見 合い論」よりもむしろオーソドックスな「信用通貨論」に沿って説明してきた。そ の場合には、日本銀行の見解は次に述べる「2、銀行券の信用通貨論」の範疇に入 れた方がより適切といえる。しかし、これら2 つの見解は別々に存在するのではな く、実際には、両者が一体となって現実のセントラル・バンキングの中で主張され てきたと考えることができよう。 後者の「信用通貨論」に基づく日本銀行の説明の典型は、銀行券を政府紙幣と対 比することにより銀行券の債務性を主張するものである。すなわち、政府紙幣の発 行は行政行為に基づくものであるのに対し、銀行券の発行は本質的にビジネスとし ての行為であり、貸出や証券の購入と引き換えに中央銀行は自己の債務証書たる銀 行券を発行しているとする見解である。この指摘は銀行券の本質を突いている。 「そもそも中央銀行の発行する銀行券は中央銀行の債務証書であり、信用通貨 に外ならない。・・・銀行券の発行は信用に基づくものであり、政府紙幣の発行 は強権即ち行政権に基づいている。即ち中央銀行のバランスシートにおいて、 負債勘定の銀行券発行高に対し、同額の資産が資産勘定に確保されているとい う仕組を通じて銀行券の発行が信用に基づくものであるという実体が示されて いる。之に反し政府紙幣は国家の債務証書であるという点において国債に似て いるが、但し国債と異なり、支払われる約束のない(支払期限なし)、しかも無 利息の債務である。したがって政府紙幣の発行は強権によらざるを得ず、その 行為は行政権に基づく行為、即ち行政行為であり、私法上の原則を無視して行 われる。・・・銀行券の発行が行政行為ではなく、本質的にビジネスであること は明らかであろう」5 これは、銀行券と政府紙幣の本質的な違いに基づき銀行券の債務性を説明した ものである。中央銀行が政府と異なるのは、政府の場合は通常「市場の外」から政策 を実施するのに対して、中央銀行は「市場の中」にあって市場のメカニズムに即して 政策を行うところにある。中央銀行は「市場の中の銀行」であることが大きな特徴 5 日本銀行(調査局)(1955)pp.547-549.

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21 であり、銀行券が政府紙幣と本質的に異なるのはこの点に由来する6 2.銀行券の信用通貨論 ― 銀行券の債務性の理論的根拠 次に、セントラル・バンキングの本質に遡り、銀行券は中央銀行の債務であると 説く見解を検討しよう。民間銀行の預金の場合、預金は発行銀行にとって債務であ り、預金者にとって債権である。預金については、現実的に銀行券によって引出さ れ、弁済されるので、預金の債務性は明らかである。しかし、中央銀行の発行する 不換銀行券の場合は、現実的に弁済されることがないにもかかわらず、債務と認識 されている。これは何故であろうか。西川元彦は銀行券を中央銀行の債務とみる立 場から、銀行券の弁済性について、次のように論じている。 「預金通貨が銀行券により現実に弁済(引出)されうるのに対し、弁済されるこ とのない不換銀行券がなぜ負債であり、流通しうるのかということについて一 言しよう。・・・仮に不換銀行券を実際に弁済すると空想してみよう。その場合 は、再割引した手形(保証物件)の弁済を求めざるをえず、商業銀行から問屋や メーカーに弁済請求が順次及んでいく。最終的な姿は、・・・最初の買い手から 商品を取り戻し、それで銀行券所持者に弁済することになる。実際には、そん な不便な回り道をせず、銀行券所持者は市場で商品を買うことによって、銀行 券という債権の弁済を受けたのと同じ結果を得る。市場でその商品を売った人 の手に渡った代金は、最終的には当初の借入(手形割引)の返済に充てられ、中 央銀行の勘定の上でも、実際に、割引債権と銀行券という債務の双方が消滅す る。空想上の弁済と同じことが間接的には市場取引で実現するわけである。こ れが『信用通貨による交換経済』の機構であり、銀行券発行の全経済的な『仕 組み』なのである。金による弁済を行わなくなった不換紙幣にも一種の弁済性 があるといってよいだろう」7 6 白川方明(前日銀総裁)は、経済学の中の中央銀行像と実際の中央銀行像にはいくつかの感覚のズレがあると指摘 し、その1 つとして経済学においては「中央銀行の仕事は、行政的な指示や命令ではなく、あくまでも具体的な取引 を通じて実行されているという点に関する認識が不十分で、銀行業務の視点が全体的に乏しいことです」(齊藤誠・ 白川方明(2014)p.67.)と述べている。 7 西川元彦(1984)pp.47-48.

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22 西川は、「空想」と断った上で、銀行券の弁済は中央銀行が取得した保証物件た る見返り資産の弁済を通じて行われると説明する。すなわち、銀行券所持者が中央 銀行に銀行券の債務の弁済を要求した時、中央銀行は民間銀行に対し見返り資産と して保有している割引手形の弁済を求めたとしよう。中央銀行から手形の弁済を求 められた民間銀行は、さらにその手形を持ち込んだ企業に弁済を請求する。こうし た弁済請求が順次関係者へ遡及されていき、最終的には一連の流れの始発企業から 中央銀行は商品を取り戻すことになる。最後に、中央銀行はその商品を中央銀行へ 弁済を請求してきた銀行券所持者に渡し、これによって銀行券の弁済が完了する。 しかし、こうした「空想」とは別に、「実際」には銀行券の所持者は中央銀行に 弁済を求めることなどしなくても所持する銀行券で市場から商品を買うことがで き、「空想上」の弁済を受けたのと同じ結果を得る。このように「空想上」の弁済 と同じことが「実際」の市場取引では日々行われており、以上のような信用通貨た る銀行券による交換経済の機構を捉えて、西川は、「一種の」と断りつつも、金に よる弁済がなくなった不換銀行券にも「弁済性がある」と主張している8 筆者も不換銀行券は単なる紙片と捉えるべきではないと考えている。不換銀行券 は債権・債務関係という信用関係の中で発行される中央銀行の債務である。中央銀 行は、銀行券を発行する場合、保証物件・見返り資産を取得する形で中央銀行の外 との間で債権・債務関係を形成している。中央銀行が市場の中でセントラル・バン キングを行う意味合いもそこにある。このため、銀行券債務に対しては、金や銀な どとの兌換が行われなくても、割引手形、貸付、国債等の保証物件・見返り資産が 資産として対応しており、もし銀行券所持者が銀行券の弁済を求めてきたとしても 上述したような形で弁済が行われることになる9 よく「中央銀行は輪転機を回して無制限にお札を刷ることができる」と表現され ることがあるが、中央銀行を無から有を生み出せる「打ち出の小槌」のような存在 だと過大評価してはならない。中央銀行が銀行券を発行する場合、民間銀行から割 引手形、貸付、国債等の債権を受け取り、代わりに銀行券を供給するという等価交 換を行っているのであり、銀行券だけを一方的に移転しているのではない。中央銀 8 西川元彦の見解については泉正樹(2011)pp.130-134.が詳細な検討を行っている。 9 Mehrling, Perry(2000)、Sproul, Michael(2010)も参照。

参照

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