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セントラル・バンキングとシーニョレッジ 32

はじめに

通貨発行権、いわゆる「シーニョレッジ(seigniorage )」については、通貨の本 質に迫る極めて重要な概念でありながらも、その定義や発生のプロセスなど必ずし も正しく理解されているとはいい難いほか、シーニョレッジの政府への納付問題な ど現実的にも多くの論議を呼んでいるテーマである。シーニョレッジは、信用通貨 の理論的本質、中央銀行の存在理由、政府と中央銀行の関係など、通貨に関する本 質的な問題と深い関わりを持っている。本章の目的は、このような通貨、中央銀行 の本質とも関わるシーニョレッジの問題について原理的な考察を行うとともに、そ の現実的な対応も俎上に載せることにより、シーニョレッジ問題を包括的に把握す ることである。

本章の構成は次のとおりである。まず第1節では、シーニョレッジ概念の歴史展 開を振り返った後、貨幣(硬貨)との比較を通じて現代の不換銀行券制下のシーニ ョレッジの発生プロセスを考察する。第2節では、改めてシーニョレッジの定義に 立ち戻り、2つの典型的な定義について検討するとともに、両者の関係を明らかに する。第3節では、銀行券および貨幣(硬貨)の具体的な会計方法を整理、検討す る。第4節では、シーニョレッジの大きさを具体的に確認する。最後に第5節で は、中央銀行と政府の関係、中央銀行の独立性の問題を踏まえつつ、中央銀行に発 生したシーニョレッジの政府への納付開題を検討する。

第1節 セントラル・バンキングの本質とシーニョレッジの歴史 1.シーニョレッジの歴史と会計

シーニョレッジ(seigniorage)は、歴史的にみると、「貨幣を鋳造する君主の特 権」を意味し、君主はこの権限をもとに貨幣発行の費用をカバーするとともに利益

32本章は小栗誠治(2000)、同(2006)、同(2015)を元に加筆、修正を行ったものである。

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を得ていた。中世の欧州では、貨幣鋳造権者が利益を得ようとして貨幣鋳造依頼者 に課した鋳造費用(brassage)を超える手数料のことを鋳貨税(seigniorage、droit

de seigneur)呼んでいた33。その後、金貨や銀貨といった硬貨に代り、銀行券が発

行されるに至り、通貨の発行権は国王や領主といった権力者の手から国家や議会に 移った。後述するように、銀行券と硬貨に会計処理の違いが存在するのは、こうし た歴史的事情を背景にしたものである。

今日ではシーニョレッジは「通貨発行に伴う利益」を意味し、通貨を発行する政 府や中央銀行に発生する利益を表している。歴史的に見れば、通貨が金貨や銀貨で あった時代には、政府が品位の保証を証明するため金や銀に刻印する手数料を徴求 する場合を除けば、硬貨の額面価値が貴金属の市場価格と完全に一致している限 り、硬貨の発行にシーニョレッジは発生しなかった。この場合、硬貨の価値は素材 の貴金属によって完全に裏付けられており、かつ硬貨は摩耗し消失することもほと んどないことから、政府が硬貨の返還を求められることはないだろうというのが、

硬貨発行の基本的な前提であった。このため金貨や銀貨は発行者の債務として認識 されることはなかった。現代では、金、銀、プラチナ等の硬貨が政府から記念硬貨 として発行されるが、その販売価格は貴金属の価値や販売コストをかなり上回りプ レミアムが付され、シーニョレッジが発生する。

一方、銀行券は、過去200年ほどの間に、徐々に高額面の銀行券が広く使用され るに至り、これに伴い銀行券は硬貨のように金、銀、銅という貴金属の素材価値に よって担保されたものというより、発行する中央銀行が保有する資産によって担保 された債務であると認識されるようになった。すなわち、銀行券を発行した場合、

中央銀行はバランスシート上に銀行券の額面価値を債務として記録するとともに、

同額の貸出や証券等の価値を資産として受け入れるようになった。このため銀行券 発行のシーニョレッジは銀行券債務に対応する資産の運用収入から銀行券の製造費 用等(銀行券の印刷や配送のコスト)を差し引いたネット収入として認識されるよ うになった。

中央銀行は、金融市場や通貨の流通の中心にあって「銀行業務(banking)」を営 んでおり、銀行券を自己の債務証書として発行している。銀行券も硬貨も同じく最

33 Harrod(1969)邦訳p.14.

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終的な決済手段として用いられるものの、銀行券は債権・債務関係に基づいて発行 された信用通貨であり、中央銀行が責任を持って回収しなければならないという性 格を有している。他方、硬貨は実物資産なので金属片自体を売却することができ、

銀行券のように中央銀行が自らの負債を貸し付け、回収する義務を負わない。

硬貨発行の利益も銀行券発行の利益もともにシーニョレッジと呼んでいるが、両 者のシーニョレッジは性格を異にしている。同じシーニョレッジでも、銀行券の場 合は「インカムゲイン」としてのシーニョレッジであるのに対し、硬貨の場合は

「キャピタルゲイン」としての古典的シーニョレッジである。銀行券を発行した場 合、「1万円札の製造原価は20円であるから、中央銀行は1万円札一枚を発行する ことによって9,980円の利益を直ちに得る」ことにはならないのである。

どの国の中央銀行も発行銀行券は負債として記録しているものの、バランスシー トの負債項目は銀行券のほかにもいくつかある中で発行銀行券に対応する資産を明 確に識別した上、これを表示している中央銀行はごく少数に過ぎない。その一例は カレンシーボード制を採用する中央銀行(例えば香港)であり、そこでは発行銀行 券を担保する外貨資産の保有が厳格に要求され、バランスシートに表示されてい る。また、イングランド銀行では銀行券を発行する部署が発行部として銀行部から 分離されており、同部の負債サイドは銀行券のみで、対応する資産は銀行券をカバ ーするためのものである。

シーニョレッジの発生形態には、上記と異なるやや特殊なものがある。それは、

通貨の失効に伴い発生する利益である。すなわち、中央銀行がある特定の旧い銀行 券の受入れを停止した場合あるいは新銀行券の発行に伴う新旧銀行券の引換期間終 了後に旧銀行券の通用を禁止した場合がそれにあたる。通用禁止となった銀行券は もはや中央銀行に返還されることはないので、その発行高に相当する金額は債務と して認識することを止め、バランスシートの負債から除去するとともに、同額を利 益として認識し、損益計算書に利益計上することも可能である34。しかし、こうし た対応をとるには、通用停止となった銀行券の返還や受取の責務が中央銀行から消 滅したことを示す確実な法的証拠が必要とされる。中央銀行が独自の恣意的な判断

34 中央銀行は通貨の信頼性を維持するため、通常、銀行券が通用禁止となった後も、当分の間、その銀行券の返還を受 け入れるのが一般的である。この時、通用禁止となった銀行券はすでにバランスシートから除去され負債として存在 しないため、返還を受けた銀行券は費用として会計処理される。

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に基づき銀行券債務を除去し、これを利益に計上することは、国際会計基準(IFRS) の下では有効とみなされない35

通用禁止となった銀行券に対し日本銀行は具体的にどのような会計対応をしてい るであろうか。法令の規定により強制通用力の効力を失った銀行券の発行高につい て、日本銀行はその金額を銀行券発行高から除去し、その発行高に相当する金額を

「旧銀行券未決済金」という特別の勘定を別途負債サイドに設けて区分整理してい る。この「発行高に相当する金額」は「発行銀行券」に代わる日本銀行の負債であ る。例えば、昭和29年の「日本銀行券預入令等を廃止する法律」、昭和28年の

「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」に伴い通用禁止となった銀 行券について、「旧銀行券未決済金」勘定に移し負債として整理している36

2.銀行券の発行とシーニョレッジの発生プ口セス

まず銀行券について、その政府による製造、中央銀行による引取り、市中への配 賦等一連の流れを会計的なプロセスに沿って述べよう37。銀行券は政府(印刷局)

において製造される。中央銀行は政府(印刷局)から銀行券を製造原価で購入し、

その支払資金を中央銀行にある政府預金に入金する。中央銀行は銀行から銀行券の 引出し要請があれば銀行券を券面価額で供給するが、その際、その金額を発行銀行

35 Lonnberg, A. and Sullivan, K. (2007) p.5.

36日本銀行資料(『本行勘定科目解説』1979年10月)による。

37中央銀行のバランスシートにおいて、「発行銀行券」「預金」(中央銀行にある「銀行預金」「政府預金」はいずれ も貸方科目であり、日本銀行では次のように勘定経理されている。

①「発行銀行券」・・・これは、銀行券の発行、還収が整理される勘定科目である。銀行券の支払いは、一旦「現金」

の支払いとして扱い、営業時間終了後、収納伝票によって当日の支払高総額を一括して「現金」に受入れ、「発行銀 行券」の発行として整理される。銀行券の受入れは、一旦「現金」の収納として扱い、営業時間終了後、支払伝票に よって当日の収納高を「現金」から払出し、「発行銀行券」の還収として整理される。この勘定の残高は、毎日の発 行高と還収高との差額の積み上げ計数で、銀行券の発行高を示す。

②「預金」・・・これは、金融機関からの当座勘定預り金が整理される勘定科目であり、この預り金は無利息である

(ただし、現在は、マイナス、ゼロ、プラス金利の三層構造)。この「預金」の受払いの内容は、現金の入金・支 払、当座勘定付替による振替入金・引落、為替決済預り金との相互振替、手形交換尻の決済、貸出金・買入手形・国 債等の他の勘定との振替等である。準金預金制度に基づく準備預金もこの勘定で取扱われる。

③「政府預金」・・・国庫金(歳入金、歳出金、預託金等)の取り扱いにより生じた政府からの預り金が整理される。

例えば、国庫金を銀行券で受け入れた場合は、一旦「現金」として受入れ、資産の「現金」と負債の「政府預金」が 対応しプラスとなり、営業時間終了後、支払伝票によって「現金」を払出し、資産の「現金」と負債の「発行銀行 券」が対応しマイナスとして整理される。なお、貨幣(補助貨)は政府が日本銀行に交付することにより発行される が、日本銀行のバランスシート上では、日本銀行が受け入れた時点で貨幣の額面相当額だけ資産の「現金」と負債の

「政府預金」が対応しプラスとして整理される。