転換期の日本型鉄鋼システム
著者
十名 直喜
雑誌名
名古屋学院大学論集 社会科学篇
巻
32
号
1
ページ
15-71
発行年
1995-07-31
URL
http://doi.org/10.15012/00000791
Copyright (c) 1995 十名直喜
名古屋学院大学論集 社会科学篇 第 32巻 第 1号 ('95.7) 15
転換期 の 日本型鉄鋼 システム
十
名
直
喜
目次1.は
じ め に2.日
本型鉄鋼 システムの特徴 ― 「良循環」の構 造 と機 能一3.原
型 (骨格)の
形成・ 確立(1)戦
前の原型 と戦時下の変容(2)戦
後の原型の形成 と確立 4.「良循環」メカニズムの変質(1)「
良循環」 メカニズム(2)内
外環境 の変容 (3)システム疲労 と「悪循環」(4)鉄
鋼 メーカーの再編戦略 5。 お わ り に 一 システム変革 に向けて一1.
は
じ め
:こ戦後 日本経済の復興 。高度成長期 においては戦略的な中核産業 と位置付 け
られ
,「産業の米」としての基礎資材 を供給 して きた 日本鉄鋼業 は
,今
日
,構
造的な変革の岐路 に直面 している。
「鉄 は国家な り」 と豪語 し
,世
界最強の コス ト競争力を有 して
,安
価で高
品質の鋼材 を安定 して供給す るこ とによって 日本経済の発展 を支 えて きた と
い うキャッチフレーズは
,今
日ではほ とん ど聞かれな くなっている。逆 に
,「鉄 は コス トな り」 と椰楡 され るような様相 す ら見受 け られ る①。 この
20年
間 にわ た る円高基調,
と りわ け1980年
代後 半か ら今 日にいた る す さ ま じい円高 の進 行 は,
日本鉄鋼業 の コス ト競争 力 を根底 か ら突 き崩 して い る。 さ らに,ア
ジアの鉄鋼 中進 国の キャ ッチア ップ は,技
術面,品
質面 に お いて も顕著 にみ られ る。他 方,国
内 にお いて も,電
炉 メーカーの シ ェアが 高 ま り,こ
れ まで高 炉 メーカーの独 占品種 とされ て きた分 野 に まで進 出 を 図 って きてい る。 これ まで,
日本鉄鋼業 といえば,大
手高炉 メーカーの代 名詞 の ようにみな され て きた。 国 内 においては,原
料 購 入 か ら製 品販 売,技
術や 労働 な どに至 るまで諸外 国 に例 をみぬ強固 な業 界協調体 制 を構 築 し,国
家 との密接 な関係 で もってそれ を補 強 して きた。 さ らに,商
社 をは じめ,
自動車や 電機,造
船 な どの大 ロユ ーザ ー,資
材 や機械 の納 入業 者 な ど との密接 な長期継続取 引や 共 同開発 な どの仕組 み を も作 り出 して きたので あ る。一方,企
業 内 にお いて は,ハ
ー ド・ ソフ トの いずれ において も日本独 自の特質 を有 す る鉄鋼 生産 シ ス テム,お
よび それ を支 え るバ ックア ップ 。シス テム を作 り出 した。 そ して, 相互 には りめ ぐらされ た ネ ッ トワー クが,種
々の矛盾 を内包 しなが ら も,
日 本鉄鋼 業 の 「強 み」 と して,発
展 のバ ネ と して機 能 して きたので あ る。 以上 にみ る よ うな 日本鉄鋼 業 の構 造 と機 能 は,シ
ス テム的結合 の広 が りと 深 ま りが キー をな してお り,「 日本 型鉄鋼 シス テム」と して捉 え るこ とが で き る。 この 日本型鉄鋼 システム は,
日本型企業 システムの原型,先
駆 をなす もの とみ られ る。今 日,
日本型企 業 システムは根 底 か ら揺 らぎ,そ
の変革 を迫 ら れ て い るが,そ
の原型 と しての 日本型鉄鋼 システム もまた厳 しい変革 の波 に 直面 して い る。鉄 鋼業 を と りま く内外環境 の激 変 は,シ
ス テム を構 成す る諸 要 素,お
よび諸要 素間の関係 を変質 させ,シ
ス テム的 な機 能不全や硬 直化 を もた ら して い る。 ま さに,シ
ス テム的 な危機 と変革課題 に直面 す るに至 って (1)「 特集 鉄 はコス トな リーーイ面格破壊 に錆びぬ リス トラー 」『日経 ビジネス』1994年 7月 4日 号。転換期の 日本型鉄鋼 システム
いるといえよう。
小論 においては
,日本型鉄鋼 システムの特質 と全体像 を描 きだす とともに
,それが形成 されて きた環境条件やプ ロセスに もアプ ローチす る。そ して
,今
日
,い
かなる変革 に迫 られているかを明 らかにす る。
2.日
本型鉄鋼システムの特徴
―
「良循環」の構造 と機能
―
鉄鋼業 における企業経営のあ りかた
,
とくに企業 内における生産や販売
,雇用等の仕方
,
さらには企業間の関係や企業 と国家 との関係 な どを
,一
つの
システム としての視点か ら捉 えることがで きる。鉄鋼 に特有 なこうした企業
システムを
,「鉄鋼 システム」 と表現す ることに しよう。
鉄鋼 システム とい う視点か ら日本鉄鋼業 をみ ると
,
日本型特質が明瞭 に浮
かび上が って くる。 これ を「 日本型鉄鋼 システム」 と規定す る
(2)「日本型鉄
鋼 システム」の構造 と機能については
,そ
の全体像 を図
1の
ように素描す る。
「 日本型鉄鋼 システム」 とは
,
日本 に特徴的なハー ドウェア とソフ トウェア
を有す る生産 システム とそれを支 える企業 内のバ ックア ップ 。システムをも
ち
,政
府・官僚 との密接 なネ ッ トワークと業界内における共同的ネ ッ トワー
ク
,関
連業界や系列企業 などとの垂直的ネ ッ トワークといった社会的なバ ッ
クア ップ 。システムによって補強 されたシステムである。「 日本型鉄鋼 システ
ム」の特徴 としては
,次
の点があげ られ る。
第一 に
,業
界内における企業間の協調関係 の強 さをあげることがで きる。
それは
,新
日鉄 を頂点 とす る大手高炉メーカー間の協調関係 に他な らず
,そ
の秩序 を他のメーカーに受容 させ るもの といえる。
この高炉メーカー間の協調関係 は
,強
力な業界団体 を窓 日としセ ンター と
している
0。代表的な業界団体 としては
,総
合的なまとめ機関・窓 日としての
(2)「
日本型鉄鋼 システム」概念の提示については,十
名直喜「日本型鉄鋼システム と業 界団体」『名古屋学院大学研究年報7』 1994年12月。技 術 キャツチアップロ標 安全保障 日本型鉄鋼 生産 システ ム 製鉄原料 企 業 内 鉄 鋼 シ ス テ ム ′ヽ― ドウ ェア ソフ トウェア ・ 臨海立地 の大規模 な新鋭一貫製鉄所 。合理的 な工場 レイア ウ ト ・ 水深 の港運 設備 。大型専用船・ 兼用船 に よる原燃料輸入 ・ 製品 の効率的 出荷 ・ コンピュータに よるダイナ ミック制御 と一貫統 合管理 ・ 海外情報 を モ ニターす るマルチ・ チ ャネル ・ 現場 重視 の研究開発 と部 門間交流 ・ ジ ョプ oロ ーテーシ ョンと多能工化 ・ 自主管理 活動 に よる改善・ 啓発,教育効果 ・ 高い下請比率 と統合管理 ・ ジ ャス ト・ イン ●タイム納 入 システム 忠誠心 人事考課 システ ム 。ライン・ エ ン ド・ ス タ ッフ制 。作業長精度 ・ 能 力主義管理 企業別労働組 合 企業主導型 労使協 調 (賃金 で の「一発回 答」方式) 階層的労働 市場 。長期雇用 とその変 形 (出向,転籍) ・ 下請 との賃金・ 労 働条件 格差 企業 内パ ックア ップ・ システ ム 図1 出所 日本型鉄鋼 システムの構造 と機能 十名直喜「 日本型鉄鋼 システムと業界団体」(『名古屋学院大学研究年報 7」 1994年12月
)を
一部修正 した。 ・ 世 界 ト ッ プ の 技 術 水 準 ・ 高 い 生 産 性 ・ 高 品 質 ・ 高 歩 留 先進外 国企業 の存在 日米安全保障体制 海外製鉄資源 の開発 ・ 組織 へ の過剰 同調性 と官僚主義 ・「 能 力」評価 の主観 性・ 非 公開性 ・ 労働組 合 の 自立性 の弱 さ(企業依存 化) ・ 前近代的 な格差構造 ・ 周辺 労働 力・ 技能 の衰退化・ 政府 の役割 の変化 直接的 介入・ 指導 か ら「仲介機 関」へ ・ 業界 団体 を窓 口に政府 との定常 交流 ・ 行政 指導 に よる企業間協調体制促進 ・ 生産計画 ガイ ドラインに よる生産 調整 ・ 許認可権 を通 しての管理・ 調整 。「天下 り」 に よるイ ンフ ォーマル「 政策 ネ ッ 「 社会的 なバ ックア ップ・ システ ム ーーーーーーーーーー¬ 財政的支援 技 能 技 術 政策的支援 の相互育成 の 相 互 トワータ」 ・ 業界 の盟主 の存在 (八幡 →新 日鉄) ・ 政 府 との仲 介,業界 の協 調 。と りま とめ機 関 と しての業界 団体 (日本鉄鋼連盟,鋼材倶 楽部, 日本鉄鋼協会 な ど) ・ 主要分野 を網羅 す る協調体制 。海外製鉄原料の長期契約・ 共同購入方式 ・ 共同研究開発・ 技術交流・ 技能交流 ・ 各種調整 システム 生産計画,設備投資,販売 (価格・ 数量) 。労使交渉 ・ 商社 との多角的互恵取引 ・ 海外製鉄原料 の開発・ 購入 。製品の国内販売・ 輸出 ・ 各種情報 の マルチ・ チ ャネル ・ 大 ロユーザ ー との長期継続取引 ・ 共 同開発 ・「 ひ も付 き」契約 ・ 下請・ 関連企業 との ヒエ ラルキ ー連携 ・ 管理 の階層性 。フ レキシ ビ リテ ィ ・大学 との産学協 同 ・ 日本鉄鋼協会, 日本学術振興会 な どにおけ る活発 な協 同研 究 ・ 優秀 な人材 の供給 (鉄冶金工学 の講座 充実) 政府 とのネ ッ トワー ク ・ 協 調 と 競 争 の ダ イ ナ ミ ズ ム ・ 鉄 の 威 信 ︵﹁ 鉄 は 国 家 な り ﹂ ︶ 鉄鋼業界 内の水平的 ネ ッ トワーク 関連産 業・ 企業 との垂直的 ネ ッ トワーク ・ 同質化競争 の弊害 過剰 な設備能 力,採算割 れの過 剰品質志 向 ・ インフ ォーマル・ カル テルの体質化 ・ 新規参 入障壁 ・ 企業 の 自立性 の弱 さ(国家へ の依存) ・ 独創性,開拓者精 神の弱化
日本鉄鋼連盟 を中心 に して
,販
売分野 については鋼材倶楽部
,そ
の うち輸 出
関連 に特化 し分化 した 日本鉄鋼輸 出組合
,そ
して技術分野につ いては 日本鉄
鋼協会がある。その他 にも
,原
料分野 については海外製鉄原料委員会
,市
場
開発分野では
(すでに主要業界にまたが り経済団体 としての機能に発展 して
いる
)JAPIC,等
がある。これ らが主要領域 ご とに網の 目の ように組織 され
,さらに
,それ らを政府。
官僚のバ ックア ップ をも受 けつつ統括す ることによっ
て
,大
手高炉メーカー主導の業界協調体制が敷かれている。企業 間協調 は
,原料購入か ら生産販売
,販
売
,さ
らには技術開発や設備投資
,労
働
,IE,
自
主管理活動などにまで またがっている。
第二 に
,こ
の体系的な水平的カルテル ともいえる協調体制 は
,国
家 によっ
て支 えられ
,国
家 との緊密なネ ッ トヮークが補強材 として機能 して きた。通
産省事務次官の「天下 り」先は鉄鋼業界
(大手高炉メーカー
)が
最 も多ぃ
(4)。日本鉄鋼連盟や鋼材倶楽部
,日本鉄鋼協会 な ど鉄鋼の業界団体 と通産省 とは
,各種の定期的な会合や 「天下 り」等の多面的なチャンネル を通 じて濃密な交
流がなされている
(5)。ァゥ トロ
_で
ある最大手の電気炉 メーカーの東京製鉄
鉄鋼 関係の業界団体の構 造 と機能 につ いては,同
上参照。 1949年か ら93年までの通産事務 次官25人の うち10人が,退
官 後 に大 手鉄 鋼 メー カーに天下 ってお り,鉄
鋼業界が最大の受 け皿=「
天下 り」先 となってい る。 通産省 を交 えた業界メーカー,商
社 な どとの接触の場 については, きわめて多面的 に 設定 されている。 通産省業務課長が主催者の 「鉄鋼市況対策委員会需要部会」 は,毎
月1回,鋼
材の各 ユーザー部門の代表者 を集め,通
産省 と鉄鋼大手8社の常務 クラスが需要見通 しをヒア リングす る (仙波恒徳 「鉄鋼業 における行政指導 について (その3)一
その実態 と役 割一 」『大分大学経済論集』第41巻第1号,1989年
5月)。 1965年7月 以降,公
販制の市況対策委員会総合部会 にかわって,毎
週 月曜 日(第一 月 曜 を除 く)に
鋼材倶楽部 で開かれ る「月曜会」では,大
手高炉8社の販売担 当役員が, 通産省の鉄鋼業務課,鋼
材倶楽部 を交 えて,そ
の ときどきにおける情勢 をめ ぐり意見交 換 している。かつては毎週火曜 日に会合 をもっていたが,業
界活動での共同行為 につい て公 正取 引委員会 より調査 メスが入ったために,「火曜会」は一応解散 とな り,改めて「月 曜会」 として再発足 した ものである。 その他 に も,通
産省の同席 に よる品種別部会(厚板,薄
板,条
鋼,線
材の四品種),公
開販売協議会(先物品種の売 り出 し), 日本鉄鋼輸 出組合せの会 な ど,メーカーお よび流 (3) (4) (5)転換期 の 日本型鉄鋼 システム
は
,「いまの鉄鋼業界は
,完
全な行政指導 による各種規制
,網
の 目が縦横 には
りめ ぐらされてお り
,本
来の競争が全 く阻 まれている」 とい う。 また
,そ
の
他 に も「行政指導 とい う名 目での一種の闇カルテル体制」 との指摘 もみ られ
る
(6)。こうしたチャンネル を通 じて情報 を入手す る機会 を高炉メーカーが共有 し
ていることは
,不況対策や新規事業への進出などにおいて も利用 されている。
そ うしたことが
,新
規分野への進 出などにあたって も
,各
社横並びの一斉対
応 を促 し過当競争 を引 き起 こす原因になっているともみ られ る。
第二 に
,業
界内の水平的協調 を基礎 に して
,大
ロユーザーや商社
,納
入業
者等 との緊密な垂直的ネ ッ トワークが作 り出されて きた。 自動車
,電
機
,造
船 な どの大 ロユーザー とは
,長
期継続取引に基づ き量・価格 ともに安定 した
「 ヒモ付 き契約」販売
(7)がなされ
,ユ
ーザー・ニーズの変化 に対応 した新製
通業者 との接触は毎月相当数にのぼる。他の業界に比べて,そうした会合の多さが際立 っ ている点については次の指摘が興味深い。 「ある大手商社によると,鉄
鋼部門におけるこれ ら会合件数や各種関係組織への会合 などにつ きまとめたレポー トを,本社の管理部隊に手渡 した ところ,他営業部門の レポー ト枚数に比べ格段の厚 さ (多さ)だ
ったと,そ
の担当者は苦笑。」(田井中肇 『新 日鉄に おける失敗の研究』エール出版社,1987年
,58∼ 59ペ ージ。) (6)田 井中肇 前掲書62∼63ベ ージ。 (7)「 ヒモ付 き契約」販売 とは,鉄
鋼メーカー と需要家の双方が,鋼
材の販売価格,数
量, 品質など重要な取引内容について直接交渉を行ない,契
約の取 りまとめ と代金回収 を問 屋が引き受けるものである(今井則義編『現代 日本産業講座 II 鉄鋼業付非鉄金属鉱業』 岩波書店,1959年 ,213ペ
ージ)。 鉄鋼製品の販売契約形態には,メーカー と需要家 とが直接に鋼材の売買契約を結ぶ「直 売」 と,メ ーカー と問屋 (1次 間屋)と が売買契約 を結ぶ ものに, 2大
別される。 日本 では「直売」は極めて例外的で,鉄
鋼取引の大部分はメーカーと問屋 とが売買契約を結 ぶ形態 をとっている。後者の形態は,「ヒモ付 き」契約 と「店売 り」契約 とに分かれる(鋼 材倶楽部編 『鉄鋼の実際知識 第 5版 』東洋経済新報社,1980年
)。 「ヒモ付 き」契約の 占め る割合 は,国
内出荷分 の うち約70%,高
炉 メーカーで は 80∼90%と なっている。大 ロユーザー との間では,直売あるいはユーザー系列の部品メー カーまで合めた集中購買方式への指向が強まっている (『鉄鋼界』1982年8月号)。 「ヒモ付 き」販売の大部分は,図
2に 見るようにメーカーか ら需要家に「直送」され, 現物が問屋の手を経 ることも少ない。1978年 平均では,製
品輸送の85%が
「直送」で,(契約 の形 態) (輸 送形態) (最終 需要) 直 送 鋼 材 の販 売 お よび輸 送 形 態 鋼材倶楽部編 『鉄鋼 の実際知識 (第5版)』 東洋経済新報社
,1980年
,95ペ
ージ。 図2 出所 品や技術 の共 同開発が行 われて きた。それが また,ユ ーザ ーだ けで く鉄鋼 メー 残 りの15%は間屋倉庫経 由(倉入れ)になっている(鋼材倶楽部編 前掲書97ペー ジ)。 問屋 は,こ
の ような形でメーカー と需要家の間に介人す ることに よって,メーカーの 販売価格 に含 まれ る「内「1銭」 を受 け取 る。 この11銭は手数料 の ような ものであ り,そ
の限 りでは,間
屋 は,大
メーカーの営業部門の業務 を一部代行す るだけの存在である。 (今井則義編 前掲書,213∼ 214ペー ジ)。 内 日銭 は,1958年12月か ら直送3%,倉
入れ5%と
したが,取扱 い量の増加に より59 年 5月 か ら,それぞれ2.5%,3.5%と
した。その後,倉
入れの方は60年8月 よ り4.5%
となる。74年度以降は, ヒモ付 き直送3%,倉
入れ5%と
し,店
売 りは外 国銭 とされて いる (川崎 『 日本卿 業 一 その軌跡― 』酬 新 聞社,1982年
,410ペ
ー ジ)。 なお,問
屋が形式的 に介在す るにす ぎない「 ヒモ付 き契約一 直送」 とい う販売形態 は,日本 に特異な ものであ る。 と くに,総
合商社の鉄鋼取 引形態 は,大
口需要,「ヒモ付 き」契約 一 直送が中心である。鉄鋼受給の拡大 とともに総合商社の扱 い量が増加 し, 取 引比率 において も1965年の50%か
ら1978年には60%へ
と増 えている(鋼材倶楽部編 前掲書,98ペ
ー ジ)。 しか し,社
会的機能か らみれば,こ
うした販売形態 は「不合理」であ り,「さらに大 き な不合理 ない し不正 を生む温床 とな りうる」との警鐘 が,す
でに1950年代 か らな されて いた。他面 では,こ
れによって,大
メーカー側 では,問
屋 による金融 リスクヘ ッジや金 利負担 な ど,「間屋 の金融機能 を利用」す る。 こう した機能 は,専
門商社 に対す る総合商 直 売 も 付 き ︵ 先 物 契 約 ︶ 大 口 需 要 家 契 約 店 ︵ ま た は 営 業 倉 庫 ︶ 間 屋 倉 庫 店 姜π (随 時契 約) 需 要 家 小転換期の 日本型鉄鋼 システム
カーの品質や技術
,コス ト競争力のア ップや需要の拡大 につなが るとい う
「良
循環」 を生み出 したのである。
1950年
代か ら
60年
代 にかけては
,高
炉 メーカーのイニ シアテ イブでユー
ザー との共同研究が組織 された り
,複
数メーカー と複数ユーザー といった業
界同士のケース もみ られた。 しか し
,1970年
代以降になると
,鉄
鋼 メーカー
の企業 内技術開発体制が整備 されユーザー側の発言力 も相対的 に強 まるなか
で
,単
独のユーザー と単独の高炉メーカー との共同研究の比重が高 まる傾向
がみ られ る
(8)。一方
,海
外原料の開発・輸 入お よび製品の販売・輸 出 とい う入日と出 口に
おいては
,商
社 との緊密な取引関係が構築 されている。原料輸 入や製品販売
の契約ルー トが確立す ると
,製
品の「ヒモ付 き」販売 にみ られ るように商社
の タッチす る部分 は きわめて限 られ るが
,彼
らに支払われ る日銭 は新 日鉄だ
けで年間
500億
円に上 る
(9)。これは
,「眠 り口銭」ともいわれ
,
日米構 造協議
において米国側 か ら取 り上 げ られ ようと した もので ある
(1°)。今 日において
社の優越性 を高め るテ コになった (今井則義編前掲書,214∼ 215,282ペー ジ)。 なお,欧
米 で間屋 とい うのは, 自ら在庫 を持 っていて,そ
こか ら販売 を行な うス トッ キス トのこ とをいい,「ヒモ付 き」販売だけを行な うものは間屋 とは認め られていない。 また,欧
米 では,一
般 に専業間屋が主であって, :I本 の ように総合商社がその一部分 と して鉄鋼 を取 り扱 う業態 はほ とん どないようである。 米国では,「直売」分が80%と圧倒的 に多 く,大
日需要は「直売」で販売業者 は介在せ ず,現
物 は直送 され る。西 ドイツの場合, 日本 と同様 に「直売」,「ヒモ付 き」直送,問
屋の「店売 り」等が あ り,間
屋経 由は80%と高いが,間
屋組合 に加 入す る資格 と しては 在庫 を保有す るこ とが要求 され る点が異 なる(鋼材倶楽部編 前掲書117∼119ペー ジ)。(8)十
名直喜 「第二次大戦後 における日本鉄鋼業の技術開発体制一 [1本型鉄鋼技術 カル テル と技術水準の評価一 」『産業学会年報 第4号』1989年。(9)長
井 亨‐「鉄冷 えか らの脱出難 しい高炉業界」『エ コノ ミス ト』1994年4月 511号。 (10 1989年 7月,米
国通商代表部(USTR)の
ヒルズ代表 は,対
米鉄鋼輸 出の 自主規制協 定(VRA)の
延長について「過渡的 な措置」 と強調 し;鉄
鋼貿易に関す る種 々の障害 を 除去 す る国際的 な枠組 みづ くりに取 り組む とのべ た(読売新聞 1989.7.26付 け)。その後, ウ ィリアム ズ次席代表 は 日欧 の鉄鋼輸 出国 をまわ り, 自由化のための二国間協定案 (鉄 鋼 貿易 自由化提案)を
提示 した。 米国提案では, 日本国内の鉄鋼販売の大半 を扱 う総合商社 に対 し,鉄
鋼メーカーが││は
,こ
れ は高炉 メーカーが支 払 う商社 との緊 密 な関係 の維持 コス トと して, 鉄 鋼 市場 カル テル体制 を商社がバ ックア ップす る とい う機 能 をはた してい る。 重機 メーカー との関係 も,鋼
材 の大 ロユ ーザ ーで あ る とともに機械 設備 の 納 入者 で もあ る とい う,相
対 (互 恵)取
引が な され緊密 な関係 が成立 してい る。 その他,耐
火物や資材,国
内原料 な どの納 入業者 との関係 も,長
期 継続 取 引 が な され資本や 人材派遣,
さ らには共 同開発 な どの緊密 な関係 を持 って い る。平炉 か ら転炉へ の転換 にあた って耐 火 レンガの開発 に迫 られ た際 には, 八幡製鉄 は黒崎 窯業や 九州 耐 火 レンガ との共 同開発 に よって乗 り切 った例 な どが み られ る(11)。 第 四 に,企
業 内の シス テム,す
なわ ち鉄鋼 生産 システム とそれ を支 え る企 業 内のバ ックア ップ・ システム につ いて も,
日本型特 質 がみ られ る。 まず, 鉄鋼 生産 システムのハー ドウ ェア につ いて は,臨
海立地 の大 規模 な銑鋼一貫 製鉄 所 が あげ られ る。欧米 の鉄鋼 先進 国 にお いて は,そ
れ まで原料 に近接 し た内陸立地 の製鉄所 が主流 で あった。戦後 の 日本 において一斉 に出現 した市 場指 向 の臨海立地 へ の転 換(12)は,他
方 にお い て遠 隔地 の海 外 原料 を大 型 の 専 用船 ・ 兼用船 で輸 送 し水深 の港湾 設備 を有 す る製鉄所 岸壁 よ り荷揚 げ し, 反 対 の岸壁 か ら製 品 を出荷 す る とい う,製
鉄 所 レイアウ トの転換 と輸 送革命 を もた ら したので あ る(12)。 製鉄 所 内 にお いて は,最
新鋭 の機械・ 装置体系が 合 理 的 な物 流 に そって 配 置 され,生
産 管 理 か ら販 売 出荷 に至 る まで コ ン 銭 の支払 いな ど「優遇措置」 を講 じる見返 りに,鋼
材輸 入 を制限 している と指摘 し,鉄
鋼 メーカー と総合商社の緊密な関係の見直 しを求めてい る。 これに対 し,大
手商社 は「デ ィリバ リーや クレーム処理 な どの対価 として受 け取 って い るのであ り,優
遇措 置ではない」 と反論す る。 しか し,実
際 には大手商社がほ とん ど 鉄鋼輸 入 を手懸 けてこなか ったの も事実である。 その背景 には高炉 メーカーの「暗黙の 圧 力」が強 く働 いて きた。例 えば,需
給逼迫時 に「一部商社が緊急輸 入に踏 み切 る時 に は,国
内メーカーに対 していちいちr解を求め るな ど,長
い付 き合 いか ら くる暗黙の圧 力 とい うのは厳然 としてあるようだ」 との指摘 がみ られ る (日本経済新聞 1989.8.12付 け )。 (■)レ
オナー ド・H・ リン『イノベーションの本質 ― 鉄鋼技術導入プ ロセスの 日米比較 ― 』遠田雄志訳 東洋経済新聞社,1986年
,72∼ 73ペ ーシ。0
ノヽ幡製鉄所は,国
内資源 (特に筑豊炭田)指
向を背景 としてその立地 を決定 したが,転換期 の 日本型鉄鋼 システム ォ_,●:″ トィッ 台湾 アメ ". イギリス ロ本 (199() メ ガ パ ィ ト / 1 . 0 0 0 人 従 業 員 帥 鰤 卸 図3 出所 各 国主要製鉄所 における コンピュー タ利 用 ① 日本鉄鋼連盟「わが国鉄鋼業の技術力」1992年 ピュー タ に よって 一 貫 した 総 合 管 理 が な され て い る。 各 国 に比 べ てコ ン ピュー タの導 入が きわめて高 く(図
3),ま
た ダイナ ミック制御 が進 んでい る の も日本 の製鉄 所の特徴 で あ る(13)。 人間の高度 な熟練や判断 の機 能 につ いて その操業 に至 るまでに有力な鉄鉱 山が発見 されず,稼
動 に際 して使用 した鉱石 は中国の 大冶鉱石や朝鮮 な どの海外鉱石 であった。 また,操
業開始後 まもな く,炉
内冷 固 に よっ て高炉作業不能 に陥 るが,国
内炭の品質 (粘結性不足)に
起 因す る ものであつた。1910 年 に中国の開平炭や本渓湖炭 を輸 入 して,こ
の問題 を解決 している。(山口貞夫『高炉工 場の立地 と変遷』大明堂,1988年
,30∼ 36ペー ジ)。 当初,“陸主海従"のレイアウ トを持 った人幡製鉄所 は,洞
海湾 中に築造 した洞岡工場 (1930年 に第1号高炉火入れ)によって,航
洋汽船 の接岸す る港 を中心 とす る “海主陸 従"の
大臨海工場へ と転身 したのである。 当時,欧
米では海 中に浮かぶ埋立地 にまで進 出 した鉄鋼工場 は まだ見 いだ されなか った。「鉄鋼工場の立地パ ター ンを再編 す るこ とに 成功 した」とい う意味で,「洞岡工場の出現 は,まさに驚異的であった。」(同上,46∼47 ペー ジ)。 1953年に第1号高炉 火入れの千葉製鉄所 は,従来 よ りはるかにコンパ ク トな配置で, 工場 全体が理立地上 に新規 に建設 され,はるかにその臨海度 は高 く,(同上,68ペ
ー ジ), その後 に相次 いで出現す る臨海立地製鉄所の先駆 をな し,モ
デル となった。 (1)日本の製鉄所 システムは,1欧米先進国向けに多 くの システム, ノウハ ウ輸 出や技術指 導の実績が あ り,「その内容,規
模共 に最高の水準 にある」とみな されてい る。 その背景 として次の点があげ られ る。 ① 新鋭製鉄所建設の際にコンピュータが導入 され,大
型化や合理化の方向が極 限に ま で高め られ る相 乗効果 を持つ ものであったこ と。 ② 国内では激 しい競争や厳 しいユーザーニーズがあ り, また製品のかな りの部分 を輸も
,コ
ン ピュー タ制御 に よる代替 が進 め られ てい る(14)。 第五 に,鉄
鋼 生産 シス テムの ソフ トウェア につ いては,多
能工 化 に よる少 数精鋭 主義,能
力主義管理等 において 日本の特徴 が際立 ってみ られ る。 多能 工 化 を図 るため に,
ジ ョブ 。ロー テー シ ョンが,現
場作 業,ホ
ワイ トカ ラー の いずれの分 野 にお いて も,そ
の範 囲が異 な る とはいえ,進
め られ てい る(15)。 出す るに伴 って多 くの規格や異 なった商慣習 に直面す るな ど,こ
れ らに対応す るため に もコンピュー タの機能が必要 とされたこと。 ③ 新技術の導 入に積極的で研究熱心であったこ と, また合理化の結果生ず る操業方法 の変更や省力化 に対 して も労組が 「協力的」であったこと,等
があげ られ る。 これ は,新
鋭製鉄所が少 な く,合
理化 に対 して労組の強 い反対 があって,「省力化」が 製鉄所の システムの 目的 とはな りえなか った欧米の状況 とは,対
照的 といえよう。 ただ し,製
品の輸 出比率が高 く,多
種少量の ロッ ト生産 を強い られているな どの共通基盤 を 持 つ ヨー ロッパの製鉄所 は,似
通 ったシステム構成 を もの も少 な くない(『鉄鋼 界』1979 年12月号)。 (10 1^名 直喜「鉄鋼業 における熟練・技能の特質 と継承問題 (上)(下
)」『名古屋学院大学 論集 (社会科学篇)』Vol.31 No.1, 2,1994年
7月,10月
。 (1, 大学卒の事務・技術系社員 につ いては,職
種 を全 く異 にす る部門 とか,製
鉄所 をまた が るような形で,できるか ぎ り広 い範 囲の ジ ョプ を経験 し,マ スターす るための ジ ョブ・ ローテーシ ョンが本社で統一的に行なわれている。 こう したゼネラ リス ト指 向の ローテーシ ョンが行なわれてきた背景 には,「一つ ひ とつ のセ クシ ョンの長 には必ず しも専門家がいな くて も仕事がで きるような仕組みになって いる」とい うシステム的状況がある。例 えば,鉄
鋼製品の販売 においては,「完備 した流 通機構が あ り,製
鉄会社の営業担 当者が実際 に売 り買いを してい るわけではない」か ら である。 一方,技
能系社員については,担
当 している職務 を軸 としてこれが広が りを持 たせ て い くとい う形での ジ ョブ・ ローテーシ ョンが大部分である。 しか も工場 (課)単
位 ある いは係単位で,定
期的 にまたは適宜 それぞれの所属 長の判断 と責任 において実施 されて いる。 これ を作業現場では,「組替 え」 とか「定期配置換 え」 と呼んでいる。 鉄鋼の生産工程 は,一
つの工場 (課)の
中に も数 多 くの工程があ り,生
産 を遂行 して い くうえで 自分の担 当職務だけでな く,前
後の工程 につ いて も熟知 し,経
験 を積 んでお くことが,品
質向上, コス トダウンに も大 きく影響す る。 したがって,必
要 に応 して前 後工程 の職務 も経験 させ て工場運営の効率化 を図 ってい くこ とが必要 となる。このため, 現場の工場長や係長な どが,か
な り自由にジ ョブ 。ローテー シ ョンをや っている (田中 博秀「 日本的雇用慣 行 を築 いた人達― 小松廣氏 に聞 く(3)」『 日本労働協会雑誌』277税
1982年4月)。転換期の 日本型鉄鋼 システム
また
,企
業 内教育が昇進・昇格管理 と結び付 け られ体系化 されて
(16),能力主
義管理が強化 されている。「 自主管理活動」が作業現場 を中心 にほ とん どの職
場で小集団単位 に網の 目の ように組織 され
,各
工程や作業の継続的な改善
,情報 交流や技 能継 承 の場 とな り
,企
業 内教 育 を補 完 す る もの となって い
る
(17)。現場重視の研究開発や研究所 と生産現場 との 日常的交流・接触な どに
よって
,現
場 に密着 した技術の開発や改良 。応用が進め られている
(18)。さら
に
,海
外 における鉄鋼関連の技術動向や資源
,市
場 などの情報 を
,商
社
,政
府機関お よび業界団体 を重要な担い手 とす るマルチ・ チャンネル・ システム
によってキャッチす ることによって
,カ
バー している
(19)。また
,製
鉄所 にお
ける下請化率が高いの も日本の特徴であ り
,親
会社 との賃金 。労働条件の格
差構造の上 に統合管理 されている
(20)。 (16)「技能系社員の人事管理のかなめ」をなす作業長制度 は,1958年
か ら62年にかけて, いち早 く新鋭製鉄所 に導入 され,続
いて63年か ら66年にかけて既存製鉄所 に導 入 され た。 この作業長候補者教育 を媒介 に して,企
業 内教 育の体系化が図 られてい く。 その重 点 は,「ライン・エ ン ド・ スタ ッフ制 に対応 した階層別教育 を中心 とした体系」であ り, これ らの教育が昇進管理 と結び付 け られていった。 例 えば,作
業長の選定 については,次
の4つのステ ップニーヤ)工場長の推薦者 を対象 に した選抜試験,(口)4カ 月間 にわたって会社的 に統一 して行なわれ る作業長専科教 育, 内作業長候補者研修 と卒業試験,(二)作業長発令― があ る。まさに作業長候補者教 育は, 作業長への昇進す るうえで不可欠なステ ップ として位置付け られてい る。 1960年代後半には,「階層別教育の全盛 の時期」を迎 える。「能力主義的管理 に基づ く 処遇系列が設 け られ,一定の教 育 を昇進 の資格要件 とす る」方向が さらに強め られていっ た。(田中博秀 前掲 イ ンタビュー,お
よび道又健治郎編『現代 日本の鉄鋼労働 問題』北 海道大学図書刊行会1978年 ,160∼ 162,191ペー ジ, 日本鉄鋼連盟『鉄鋼十年 史一 昭 和43∼52年 一 』 日本鉄鋼連盟,1981年
,633∼ 634ペー ジ)。 (lη 少数精鋭主義の追求 によって,「 0。 J・Tは
ギ リギ リの要員のために充分 なかたちを とりえな」くなる矛盾 に直面す る。 この中で企業 は,「自主参加の専門教育」と自主管理 活動 に よって,そ
れ を補完す るようになった。(道又健治郎 。木村保茂・藤沢健二 『鉄鋼 業の「合理化」と企業 内教育1-北
海道大学教育学部産業計画研究報告書第11号一 』 1974年,218ペ
ー ジ)。 (10 『鉄 と鋼』等の専門誌 に発表 され る技術論文は,研
究所 と製鉄所 の人間の連 名に よる ものが多い。 これは,現
場への適用段階 において製鉄所の技術者 に強力 をあお ぐこ とが 多いか らであ る。研究所 と事業部の技術者 は, 日常的 にコンタク トを取 ってい る。製鉄第六 には
,鉄
鋼生産 システム
,
とりわけその ソフ トウェアを支 える企業内
のバ ックア ップ システム として
,人
事考課 システムや企業内労働市場
,企
業
別労働組合があ り
,
日本的な特質が顕著 にみ られ る。 人事考課 システムにつ
いては
,日
本的な修正 を施 した
(21)作業長制度や ライン・スタッフ制度の下で
能力主義管理が導入 されたお り
,
きめ細かな個別管理に基づ いて企業への貢
献性や個別 目標管理 による査定が貫かれている。
次 に
,企
業 内労働市場 については
,下
請企業 との賃金や労働条件の格差が
所 には毎 日の ように研究所の人間が入 りこみ,検
査や現場観察,会
議 な どを行なってい る。(川瑞望 「B製
鉄所技術開発本部 ヒア リング記録」『大阪市立大学経済研究所 ワーキ ング・ペーパ ー』No.9401 1994年
12月)。 (19 レオナー ド・ H・ リン 前掲書,166ペ
ー ジ。 (20)鉄 鋼大手の下請企業 は,1まとん どその全作業が構 内作業であって,製
鉄所の作業体系 のなか に完全に組 み込 まれてお り,鉄
鋼大手企業別 に「専属状態」 にある。製鉄所 は, 「下請企業群 を統制管理 し」,そ
こでは「競争 にかわって統制が支配 している」(鉄鋼労 連・労働調査協議会編『鉄鋼産業の労使関係 と労働組合』日本労働協会,1980年,175∼178 ペー ジ)。 1960年代以降,新
鋭 製鉄所の建設 を基軸 とす る設備の近代化 。大型化 に伴 って,製
鉄 所 における外注 。下請化が進め られた。新 日鉄室蘭製鉄所の例 をみ ると,下 請化率は1955 年の20.2%から76年には50.2%に増大 している。1976年の平均 下請化率は,全
鉄鋼企 業 (46社 )で43.8%,鉄
鋼大手5社の新鋭製鉄所 では57.1%と なっている。下請企業の 労働条件 は本工 と比べ て歴然 とした格差が あ り, 3K職
場 で低賃金に よる長時間労働の 下 におかれている。基準 内賃金が本工 に比べて6∼ 7割と低 いため時間外労働 に よって 補瞑 し,月 間50∼60時間 も長 く働 いて も,なお絶対額では本工の8∼ 9割に とどまって い る。(石田和夫編 『現代 日本の鉄鋼企 業の労働』 ミネル ヴ ァ書房,1981年
,91∼92, 232∼234ペー ジ)。 の 米国の フォアマ ン制度では,「工場ではフ ォアマ ンが各担 当セ クシ ョンについては採 用 か ら解雇 にいた るまでは とん ど完 全に近 い人事権 を もっていた」。また,フォアマ ンの権 限 を明示す る とい う思想が強 く,「決定」す る とい う文言が非常 に多い。 これに対 して, 日本の作業長制度 においては,採
用・解雇 に関す る人事権 は人事・労 働部門 に集中 されてい る。 さらに,「作業長職務 明細書」に提案義務 が多 く課せ られてい るように,「決め られたことを決め られた とお り正確 にや る とい うこ と以上 に,何かプ ラ ス・ アル ファを生み出すための役割 を期待 しようとした ところに最大の狙 いがあった」 (「日本的雇用慣 行 を築 いた人達一 小松 廣氏 に聞 く(2),()一―」『 日本労働協会雑誌』 276,277号,1982年 3,4月
)。転換期の 日本型鉄鋼 システム
つ くりだ され
,そ
の上 に親企業の長期雇用や企業内福祉がなされて きた
(22)。正社員の中で も
,女
性 は事務の補助
,早
期退職 を前提 に採用 され
,年
功制の
枠外 とされバ ッファー とされた
(23)。この仕組みは
,1980年
代後半以降の減量
経営 「合理化」の もとで
,下
請企業の選別・淘汰や中高年層や管理職層の出
向・転籍の拡大 によって大 き く変容す るに至 っている
(24)。系列企業や子会社
へ個別にあるいはグループ単位や部門ごとに移 されるというや り方が拡大 し
ている。 こう して
,こ
れ までの長期雇用 は
,同
一企業での雇用契約 という枠
02)鉄
鋼大手の各製鉄所 は,各
地域社会 のなかで きわめて大 きな比重 を占めてお り,企
業 城下町的な様相 を呈 している。 フ リンジ・ベ ネフ ィッ トの中心 をなす持家政策 に より, 会社の融資で会社の造成 した分譲地 にマ イホームを持 ち,事
業所 を中心 に「ムラ」 を形 成 している。企業 コ ミュニテ ィにおいては,「責任の体系」に基づ き企業官僚制が現場の 末端 まで貫徹 されている。そこでは,「職業生活の 目標 が昇進 におかれ」てお り,競
争的 昇進制度が労務統括機構 の中心 となっていて,「昇進 コ ミュニテ ィ」とも呼ばれ る(鉄鋼 労連・労働調査協議会編 前掲書,154∼ 159,178∼ 179ペー ジ)。99
住友金属工業の女性社員7人に よ り,「昇進,賃金 な どの待遇が男性社員 に比べ て著 し く低 い」との労働省への訴 えに よる と,勤
続19∼35年の同 じ高卒男子 に比べ て年収 レベ ルで2倍近 い格差 が生 じている (読売新聞1995年2月 21日 付 け)。 20 1985年 9月 のG5(五
ケ国蔵相会議)に
おけるプ ラザ合意 を契機 に,急
激 な円高・ ド ル安の局面 に突入 した。 これに よって鉄鋼産業の構造不況が増幅 され深刻化す る中で, 鉄鋼大手各社 は1986年11月か ら1987年2月 にかけて相次いで「中期経営計画」を発表 し,戦
後最大の「合理化」 に着手 した。高炉の体止 (5社合計 で8基)や
圧延設備の体 止 な どを合み, 4万
4,300人 (5社合計)に
のぼ る要員削減 をいずれ も2年か ら4年で 行なお うとす るものであ る (『経済』1991年6月 号)。 その結果,在
籍 人員は,18.10万
人 (86年 3月 末)から13.79万人 (90年 3月 末)へ
と減少 している。 この間 に,出
向者 の数 も3万人近 く増加 してお り,人
員削減の主要 な方法 の一つであったこ とが うかが え る。 円高が進行 し鉄鋼不況が長期化す る中で,1993年 3月 か ら10月 にかけて,高 炉大手各 社 は経営計画の見直 しを発表 した。 この中で,各
社 は,ホワイ トカラー を中心 に95∼ 96 年度 までに要員 を10∼20%削減す るこ ととしている。さらに,95年
3月 に,各社 はこれ らの要員削減計画 を前倒 し, または上積 み を発表 した。 とりわけ,管
理・ 間接部門の簡 素化 に よる「小 さな本社」の実現 に向けて,高
炉5社では,こ
の3年間で8,900人の ホ ワイ トの削減 (削減率20%)が
計画 されてい る(『鉄鋼のIE』 1995年 1月号)。 なお,高
炉5社の要員削減数は,こ
の3年間で2万 5,500人が計画 されてい る。出向社員の「転 籍」,早
期退職者優遇制度の拡充 な どあ らゆ る手が打 たれている (日本経済新聞1994年 11月 9日 付 け)。組 み を も外 し
,系
列・ 子会 社 な どを合 め て何 らかの雇 用の場 を提供 す る とい う形 に変質 して きて い る。高度成長期 に採 用が拡大 した女性 につ いて も,減
量経 営 「合理化」 に よ り大幅 に削減 され,派
遣社 員 に よってカバ ー され る傾 向が 目立 って い る。 以上 にみ て きた鉄 鋼 の企業 内 システムは,高
い忠誠心や モ ラール を引 き出 し,高
生産性や 高品質,低
コス ト化 を実現 させ て きた。 さ らに,社
会 的 な鉄 鋼 のバ ックア ップ・ シス テム に よって,鉄
の威信 が確保 され,協
調 と競 争 の ダイナ ミズム を生 み出 したので あ る。 しか しなが ら,こ
の鉄鋼 システム は,他
面 か らみ る と大 手高炉 メー カーの 協 調 型 支 配体 制 に好 都 合 な もの で あった こ と も否 め な い。独 立 系 電炉 メー カー に とって は高 い参 入障壁 をつ くり,ま
た輸 入鋼材商社 に とって も,高
炉 メー カー に よって常 に監視 され大 ロユ ーザ ーヘ の参 入 を阻 まれ る とい う制約 の高 い システムで もあった(25)。 後 発 の高炉 メ ー カー に とって も,高
度成 長期 には既存秩序 を守 るこ とが強制 されてお り,い
わ ゆ る住金事件(1965年
)(26)ID
鉄 は国内産 を利用す るのが常識 とされた時代か ら鉄鋼輸 入 を手懸 けて きた輸 入商社 に とっては,こ
れ まで苦難の連続 であった とい う。 横 山守雄 「 日本鉄鋼輸入協会」会長・大成通商社長は,輸
入鋼材 を始めた1970年代 当 時 を次の ように振 り返 る。「鋼材が陸揚 げ された港 か ら顧 客の手 にわたるまでのルー トを すべ て監視 された」。購入 していることをつ きとめ られたユーザーには「なぜ輸 入鋼材 を 使 うのか」 と圧 力がかか り,輸
入商社 は「国賊扱 い され た」 とい う。 輸 入商社の仕事がや りやす くなったのは円高基調 に転 した1981年頃 との こ とである。 その後,三
菱重工業,三
菱 自動車な ど三菱 グループ を中心 に輸 入鋼材の動 きが広が る中 で,鉄
鋼輸 入商社 は「ようや く我 々の仕事が認め られ る ときが きた」 と意気込む。1994 年 6月,「日本鉄鋼輸 入協会」の例会 が初めて東京都 内で開かれた。 高炉大手の営業部隊 が活発に動 いている東京で例会 を開 くこ とは,こ れ まで考 えられ なか った とい う。(日経 産業新聞1994年7月 27日 付け)。 米国通商代表の94年報告(「外国の貿易障壁」)では, 日本の鉄鋼 の流通が商社 によっ て扱 われ,これ ら商社 は しば しば輸 入鋼材 を扱 うの を拒否 してい ると指摘 す る。商社が 拒否す る理由は, 日本の主要 な総合鉄鋼 メーカーが,輸
入鋼材 を扱 う商社 との取 引 を減 ら した り中止 した りす る恐れがあるか らだ といわれている(日本経済新聞1995年3月 2 日付 け)。16)1965年
11月 ,通 産省 は住友金属工業 に強権 を発動 した。市況悪化で大手鉄鋼 メーカーに もみ られた ように通産省 による許認可権 を楯 に した制裁措置の脅 しによっ
て最終的には妥協す ることを余儀 な くされて きた。
高度成長下で機能 して きた競争的協調体 制 は
,1970年
の新 日鉄 の成立 に
よって寡 占的側面が強化 され
,
さらに石油危機以降は鉄鋼需要が低迷す るな
かで「秩序」維持型協調
,す
なわち「協調的寡 占体制」 をより鮮明に してい
く
(27)。そ うしたなかにあっては
,価
格面での強固なカルテル体制の下で
,非
価格競争が強 まる。鋼材 に対す るニーズが高度化・ 多様化す るなかで
,一
方
では省エネ・省資源化の技術開発や設備化 を図 りつつ
,他
方では「高級鋼化」
路線への傾斜 を強めていった。 こうして
,大
ロユーザー との共同研究の活発
化や技術開発投資の拡大
,ユ
ーザー・ニーズの きめ細かな対応
,ジ
ャス ト・
イン・ タイム納入などが進め られた。
鉄鋼 中進国の台頭や国内における電炉メーカーの躍進 は
,低
価格化 と品質
面での急速なキャッチア ップ に よるものであ り
,総
合デパー ト的な高炉メー
カーの市場支配に風穴 をあけた。 そ うした動 きが また
,高
炉メーカーの「高
級鋼化」路線への傾斜 を強め させ る方向に作用 した。「バブル経済」下 にあっ
ては
,大
ロユーザー との密接 な交流
,情
報交換がユーザー・ ニーズ対応型の
多様 な規格 に見合 った新製品の開発 をもた らす とともに
,そ
うした成果 をテ
が一斉 に減産 に向か う中で,住
金 は通産省の粗鋼減産指導 に異 を唱 えた。通産省 は「言 うことを聞かないな ら粗鋼生産用の原料炭輸 入割 り当てを削減 す る」 と通告 した。事件 の背景 には,粗
鋼生産 シェアをめ ぐる八幡,富
士製鉄 の先発組 と住金,川
鉄 な どの後発 組の争 いがある。 しか し,一
段の市況悪化 もあって,住
金 は同年 12月 末 に矛 を収 め,通 産省の指導 を受 け入れた。(日本経済新 聞1994年11月 6[1付け)。0
新 日鉄の出現 に伴 い,「かつての通産省主導型・競争的寡 占型か ら,新
H鉄主導・協調 的寡 占型に,鉄鋼 界の体質は変化の一歩 を踏 みだ した」(『エ コノ ミス ト』1970年12月 15 日)。 また,新
日鉄成立以前における鉄鋼企業間の協調行動 は,「行政主導型(よ り正確 にい えば通産省主導型)の
カルテルー 行政指導 をか くれみの とす る一 」 ともみ られ る。 新 日鉄 という圧倒的 なガ リバ ー企業の登場 によって,「通産省の積極的 な行政指導 を鉄鋼 業界が必要 としない状況 となった」 とされている (仙波恒徳 前掲論文)。 しか し,新
日鉄成立後 も「官民協調 カルテル」 は機能 し,石
油危機や急激 な円高 に伴 う鉄鋼業界の「経営危機」 に対す る救済 型あるいは政策支援型の性格 を強めてい く。コにユ ーザ ー との イ ンフ ォーマル な共 同関係 の強化 も進 んだので あ る。
3.原
型
(骨格
)の
形 成・ 確 立
(1)戦
前の原型 と戦時下の変容
戦前の 日本鉄鋼業 は
,植
民地 。半植民地の原料資源 に依存 し
,膨
大 な軍需
に支 え られて発展 した。銑鋼一貫の官営八幡製鉄所 を頂点 に
,平
炉・単圧 メー
カー主体の民間企業 とによって構成 され
,
さらにその底辺 に広範 な植民地圏
の資源 と製鉄事業が存在 した
(28)。民間の財閥企業 のほ とん どは
,資
金事情や
鉄鋼資源確保の困難 な事情か ら
,外
国銑 とスクラップの使用を前提 とす る平
炉メーカー として出発す る
(29)。銑鋼一貫作業の立 ち遅れに伴 う銑鉄の不足 は
,低
廉 なイン ド銑 と植民地銑
(特に鞍 山銑
)に
よってカバ ーす るが
,や
がてはこの安価 なイン ド銑 と植民
地銑が民間製銑企業 を破綻 に追い込んでい く
(30)。_方
,鋼
材 については
,製
鋼 。圧延技術の遅れが鋼材の コス ト高 を招 き
,品
質的に も機械工業 に必要な
鋼材 を自給す るの を困難な らしめていた
(31)。また量的にみて も
,官
営八幡の
鋼材 はまず軍需
(兵器素材
)に
向けられ
,一
般鋼材 は輸入に依存す る体制で
ぁった
(32)。鋼材の生産が輸 入 を上 回 り
,定
着す るに至ったのは
,表
1に
み る
ように
1925年
以降の ことである。
この原型は
,戦
時体制が進む中で大 きく変容 してい く。第一次大戦後の恐
慌 に直面 して
,国
家の奨励の下 にカルテルの組織化が進み
,主
要品種 ごとに
販売・ 生産カル テルがつ くられていった。その後
,カ
ルテル体制が強化 され
ク8)山
田盛太郎 F日本資本主義分析』岩波書店,1934年 ,117ペ
ー ジ。 (29)今 井則義編 前掲書,34∼ 35ペー ジ。00
南克 巳「戦後重化学工業段階の歴史的地位」『新マル クス経済学講座 第5巻 戦後 日 本資本主義の構 造』有斐閣,1976年
,31ペ
ー ジ。 01)「 鋼材 においては,製
鋼,圧
延技術の立 ち遅れのために, 日本の価格 は欧米 よ り高 く, 大正10年12月 の棒鋼価格 をみ ると,アメ リカ69円 ,イギ リス88円, ドイツ90円 ,ベ ル ギー73円に対 し, 日本 は 126円 であった。」(今井則義編 前掲書,44ペ
ー ジ)。 (32)南 克 巳 前掲論文,19ペ
ー ジ。転換期の 日本型鉄鋼 システム 表
1
官営時代 における銑鉄・ 鋼材 の生産 。輸入推移 トン) 鋼 材 暦 年 rl 率 % 4 % 29 % 43 % 一 % 28 給 明 ⑭ 側 0 大 0 O m 昭 O Q 0 343 76 4 6 71 168 533 ],043 1,921 2,792 3,322 出所:川地 F日本鉄鋼業一 その軌跡― 』螺 新聞社,1982年 ,14ペ ージ て い くが,世
界恐慌(1929年
)に
よる鉄鋼業 の危機 は,カ
ル テルや関税等 に よる保護策 で は解消 で きず,国
家 トラス トと して 日本製鉄 の成立(1933年
) をみ るに至 る。 日鉄 中心 の鉄鋼 行政 に よって,ア
ウ トサ イダー企業 の高炉建 設 が抑 制 され る中で,銑
・ 鋼 の ア ンバ ラ ンスが一層拡大 し,イ
ン ド銑 と植 民 地銑 さ らには米 国ス クラ ップ の輸 入が増大 す る(33)。 銑 。鋼 ア ンバ ラ ンスが極 大 化 し,原 料基盤 におけ る植 民地 へ の資源 。銑鉄 の依存 と欧米 圏への ス クラ ッ プ の依 存 とい う二重の依 存が深 化 す るので あ る(34)。 戦 時体 制が強 まる中で,一
方 にお いて は銑鋼一貫体 制創 出策へ の転換 が図 られ る とともに,他
方 にお いて は国家統制へ と展 開す る。1941年
4月
には鉄 鋼 統 制会 が他業種 に先駆 けて設立 され た。 同年8月
に 「重要産業団体令」が 発令 され,統
制会 は他産業 に拡大 されて い く。統 制会 は計 画遂行の管理 とモ ニ タ リング を行 う機能 をビル トイ ン した指令的計画経済 システムであ り,戦
後 にお け る政 府 と業 界団体 の政策策 定,遂
行 にお け る分業 関係 の原型が成立 した(35)。 また,1938年
には国家総動員法 が制定 され,企
業 間 の労働 移動 の制00
今井則義編 前掲書,48∼ 52ペー ジ。00
南克 巳 前掲論文,32∼ 35ペー ジ。 (3' 米 倉誠一郎「業界団体の機 能」『現代 日本経済 システムの源流』日本経済新聞社,1993
年,191∼ 192ペー ジ。 銑 鉄 全 国 生 産 八幡 釜 石 中国 その 地 方 他 輸 移 人 自給 率 国 産 全 生八
幡釜
イ
i地 ;;亀の
輸 入 輸 出 % 54 % 12 % 10 % 31 % 48 1 14 167 66 輸西 19 24 389 57 11 15 400 63 318 77 8 49 125 188 521 685 1,162 1.437 1,728(部単位) (課単 位) (掛 単位) 図
4
八 幡 製 鉄 所 産 業 報 国会 組 織 図 出所:飯田賢― 。大橋周治・ 黒岩俊郎編 『現代 日本産業発達史 (IV)鉄鋼』交詢社 出版局, 1969年,370ペ
ージ。限 も強 まるなかで
,図
4に
み るように産業報国会が職場 ご とに組織 され職 。
エー体の組織的運動の下で企業一家的労務管理が浸透す る。 こうした状況下
で
,1939年
以降には賃金統制下の例外的部分 として付加的諸手 当給の比率が
高 まり「生活保障的給与」へ と性格が変化す る
(36)。1940年
頃には 日本製鉄 に
おいて
,定
期昇給制度が事務職員だけでな く傭員 にいたるまで確立す るに至
る
(37)。00
飯田賢―・大橋周治・黒岩俊郎編 『現代 日本産業発達史 (IV)鉄鋼』交詢社出版局, 1969年 ,368∼ 372ペ ージ。 本 部 部 会 部 会 会 部 会 部 会 部 会 部 部 支 分 会 分 会 分 会 班 班 班表
2
鉄鋼 にみ る対 日賠償計 画の推移 48年 5月 発表 シ ョ ン ス ト ン 報 告 圧 延 銑 鉄 452万 トン を 残 置撤 去 な し 鋼 塊 803万トンを残置 撤よはなし 1.093″トンを残 晨撤ムはなし (注)現有生 産能 力 は ス トラ イク報 告 に よ る。 出所:毎日新 聞 1978731付。(2)戦
後の原型の形成 と確立
第二次世界大戦後 には
,GHQ占
領下 において,日 本国憲法が制定 され
,労
働立法や教育基本法
,独
占禁止法 な どがつ くられた。労働組合が合法化 され
,教育改革や農地改革が進め られた。「過度経済 力集中排除法」によって
,
日本
製鉄 は
1950年
に八幡製鉄・富士製鉄 に分割 され
,
日本鋼管 も合めて高炉メー
カーの競争条件が生み出された。 さらに
,鉄
鋼統制会 は解散 され
,新
しい組
織へ と衣替 えす る。
日本経済の戦後復興 については
,
日本経済が軍事的脅威 とな らない ように
GHQか
ら強い制約がはめ られていた。鉄鋼生産の規模 も表
2に
み るように
当初は
200∼300万
トン以下に抑 えられている
(38)。また
,海
外の植民地資源 を
喪失す るも
,国
内原料のみによる鉄鋼生産 という占領軍の方針 を反映 して
,海外原料の輸入は抑 え られた。復興 にあたっては
,国
家統制の下で傾斜生産
方式が採用 され
,鉄
鋼業 は最重点の戦略産業 として位置付 け られた。 また
,傾斜生産方式の実施 を契機 に
,
日本政府 は鉄鋼用重油 をは じめ とす る鉄鋼燃
料の輸 入許可 を
GHQか
ら獲得す る
(39)。ここに
,国
内資源 による鉄鋼生産 と
い う占領 当初 に
GHQが
想定 していた枠組み を超 えて
,海
外の原料資源 に依
存す るという生産体制の端緒 となった。統制 においては
,戦
前の鉄鋼統制会
00
田中博秀 前掲 イ ンタ ビュー (「[連載 イ ンタ ビュー]日本 的雇 用慣 行 を築 いた 人達 一 小松廣氏 に聞 く(3トーー」)。 (38)飯 田賢―・大橋周治・黒岩俊郎編 前掲書,387ペ
ー ジ。 (39)同 上,394∼ 397ペー ジ。 46年 11月 発 表 48年 2月 48年 2月 1945年 12月 46年 5月 -12月 最 終 米国務・陸・海 =省委員会案 (ストライク報告A部) ス ト ラ イ タ 案 (ストライタ報告B部) 現有生産 能 中 ‖, 案 会 案 員 委 間 東 餞 中 200万トンを残置 100万トンを撤去 452万 トン を 残 置撤 去 な し 452万トン 200万 トン 以li の能 力 を撤 去 50万トンを残置 500万トンを撤去 350万トンを残置 290,'トンを撤去 803″トンを残置 撤ムはなし 800,トン 350万 ト ン以li の 能 力 を撤 去 225万トンを残置 900万トンを撤去 撤 去 対 象評価 額 は3億9,031ガ 4千1:1(1939年 円) 1.093万トンを残 置 撤 ■はな し 1.093万 トン 生 産250万 トンを超え る全鉄繊加 11能力を賠 償 として撤 去 277万 5千 トン以 卜の 能 力 を撤 去 150万トンを残置 600万トンを撤去 265万トンを残置 155,,トンを撤■の人脈や ノウハ ウが継承 され る。 米 ソ対立 を軸 とす る冷戦 体 制 に移行 す る中で
,米
国の対 日占領政 策 は軍 事 力 とその経済 的基礎 の解体 か ら育成 。強化へ と漸 次 変化 して い くが,朝
鮮戦 争 を契機 に して決 定的 に転換 す る。極 東 ア ジアの前線基地 と して 日本経済 を 復興 。発展 させ るため に,そ
れ までの制約 が外 されてい った。米 国の軍事, 技 術,資
金,市
場 な どへ の依 存 が強 まる。対 日政 策 の転 換 は,戦
略産業 と し ての鉄鋼業 において顕著 に現 われ た。米 国政府 に よる日本鉄鋼業 の育成政 策 は手厚 い もの とな り,米
国鉄鋼 業 の技 術や管 理 シス テムが導 入 され東 南 ア ジ ア な どの鉄鋼 資源 の開発条件 が整 備 されてい く。 以上 にみ る ように,第
二 次大戦後 におけ る内外環境 の変化 の下で,
日本鉄 鋼業 の戦 後 シス テムの原型 が復興期 か ら高度 成 長期 に形 成 され て い った。戦 後 に出現 した新 しい内外 条件 と して は次 の点 に集約 で きる。 一 つ は,冷
戦 体 制 の下 で米 国の対 日政策 が転換 し,極
東 の前線基 地 と して 日本経済 を復興 。発展 させ るべ く,そ
の戦 略産業 と して鉄鋼業 の育成 に力 を 入れ た こ とで あ る。戦前 。戦後 の膨大 な軍需 を失 った 日本鉄鋼業 は,国
内の 民需 と輸 出 に依 存せ ざるをえな くな る。朝 鮮戦 争 を経 て,米
国 の対 日単独講 話,「 日米経済協 力」の具体 的方針 が明確 に され てい く。 日本鉄鋼業 は,世
界 市場 との関連 で圧 延設備 の近代化 と技 術導 入 を迫 られ,「 トップ 。レベル調査」(1951年
)を 経 て,第
一 次合理化計画へ と連 動 してい く。1951年
のGHQ経
済科 学 局長マ ー カ ッ ト声 明 にお いて,「 製 品の質 と価格 競争 の基礎 」に立 つ な らば米 国 お よび世 界市場へ の参 入が可能で あ るこ とが示 され,国
際競争 力 を 確 保 す るこ とが至上 命題 とな った(40)。 二 つ は,鉄
鋼 原料 資源 をめ ぐる環境 の変化 で あ る。敗戦 に よって,戦
前 の 日本鉄鋼業 の有利 な条件 で あった近 隣植 民地 。大陸 の鉄鋼 原料 との結合が切 断 され た。 しか し,他
方 で は,戦
後,民
間 開放 運 動 が世 界的 に高場 し植 民地 が相 次 いで独立 してい くなかで,経
済 自立 に向 けて新興独立 諸 国の資源 開発 意欲 が高 ま り,米
国系鉱業 資本 の進 出が活 発化 す る。 それ まで,欧
米 の鉄鋼 (40)同上,424ペ
ー ジ。転換期の 日本型鉄鋼 システム 先進 国内部 の開発 に とどま り枯渇化 の傾 向 を見せ ていた鉄鋼 資源 の開発分 布 状 況 は