• 検索結果がありません。

<研究ノート>南北戦争の経済史的意義(1) : 研究史の整理

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "<研究ノート>南北戦争の経済史的意義(1) : 研究史の整理"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)く 研究ノートノ. 南北戦争の経済史的意義㈲. 一研. 究. 欄. 史. 井. の. 敏. テ ィ. 1. はじめに 本稿の課題 は ,南北戦争に関税した内外の 主な研究 を整理しながら ,今日的時点に立って,改めて ,その 経済史的意義を 問い直すことにあ る。 かかる課題を 筆 者に設定せしめた 事情は,およそ次の二つに絞られ. 整. 理一 朗. ペ ノ. ム. ガ. ス. ト. べ. ラ. ム. 前 体制」と「戦後体制」の 構造的対比が・ 19 世紀 ア メリカ資本主義あ るい ほ 民主主義の性格規定とのかか わりで問い直されねばならないことを 含意する。 いずれの課題も 決して容易ならざる 事柄であ るが, 以下研究史を 整理・検討する 形を取りながら ,課題そ のものを最小限具体化する 作業を試みてゆくこと @,ユ たい。. る。. 第一は, 1960 年を一つの 境 としてその前後から. , 合. 衆 国で,それまで南北戦争に関する 定説と看 徴 されて 来たビアード 夫妻の学説 (「第二アメリ 力革命論」 ) に 対する批判が 強くなり, 1980 年代半ぼの今日,当地で 書かれたアメリカ 経済史の標準的概説書で ,かれらの 学説がほとんど 取入れられなくなってしまったこと。 第二は,わが国のアメリ ヵ 経済史の研究が ,これと. ほとんど同じ 頃 から研究対象領域を 20 世紀初めまで 拡 げて来たこと。 したがって 19 世紀アメリカ 経済史 ( も つ と正確に云って 植民地時代末期から 第一次世界大戦 までのアメリカ 経済史 ) が,資本主義の 成立 - 発展 - 変. 質の過程として ,あるいはまたアメリカ 民主主義の成 正 - 発展 - 変質の過程として ,一貫した方法で 整序きれ ぅる 条件が整えられて 来たこと。 その結果,かって わ が 国で「封建制から 資本主義への 移行」あ るいは「市 民革命」視点から 取扱われた南北戦争の 経済史的意義 を, 改めて問い直してみなければならなくなったこ と. 。 以上であ る。 第一の事・ 清と 関係しては「ビアード. 学説」の今日的. 意義が問題にされなければならないし ,またそれとの 関係で ァメリヵ 経済史学界における 近年の南北戦争に 対する取扱いの 仕方が問題にされなければならない。 第二の事情と. 関係しては,南北戦争を 間に挟む. r 耳重用. 11.. 「ピアード学説」. (「 第 _. アメリ力革命論」. ). の 今日的意義. A.. 「ビアード学説」とその 形笘. 革新主義史学の 著名な歴史家ビアード. 夫妻. (Charles. A. Beard および MaryR. Beard) が名著 圧ァメ サヵ 文明の興隆 ] (T 梶 J<i5e が 且れ,rtzcaれ C わ田 zatio れ, 2vols, New York l927, 本稿では 1940 年出版の増補 改訂版から引用 ) で「第二アメリ 力革命」 (The Second American RevoIution) と 規定して以来,アメリカの 南北戦争 (American Civil War, 1861-65) は,研究 史上新しい意味をもつものとなった。 それはそれまで の政治史,憲法空,あ るいは軍事典研究から 新しい 視 座に移され,経済史,社会史,文明史上の 一大転換期. としても評価されるようになったからであ る。 わが国でもビアード 夫妻の影響は 大きく,かれらの 提唱した「第二アメリ 力革命論」を 文字通り受け 入れ るかどうかは 別にしても,かれらによる 独自なアメリ カ 史 整序は , 長らくわが国のアメリカ 史 研究の底辺を 支えて来た。 それはピアード 夫妻の著作がわが 国で次. ぎ次ぎと翻訳、されて来たことからも 容易に窺われる。 津村金次郎・ 松本重治調丁アメリカ 合衆国史』 上 , 下 (岩波書店, 1964 年 ); 松本重治・津村金次郎・ 木間 長.

(2)

(3) 南北戦争の経済史的意義㈲ 説 ( ミネルヴァ書房, 1973 年 ) や鈴木圭介 アメリ カ経済史の基本問題』 (岩波書店, 1980 年 ) 第 3 篇第 2 章「南北戦争の 経済的諸結果」などに ,その影響は 』. ア. (245)@31. (欄井敏朗 ). をみることから ,問題の核心に 接近してゆくことにし よう。 、ンマーキーは. 次のように述べている。. ;. ヰ ソ. 明らかに影をおとしている。. 「南北戦争を 論ずるきいにピアード. 夫妻は ,. 戦. 「南北戦争は 端的にいって ,独立革命において未解 決 におわった市民革命の 任務をここで 完成し,資本主. 闘 の重要性を決定的に 極小化した。 かれらが 圧 劇的に力点をおいたのは ,この衝突のもたらした 経. 義の急速な発展を 可能にさせるべき 役割を担った」 (鈴木前掲 書 , 172 ぺージ ) という鈴木圭介の 評価と,. 済 上の諸成果であ った。 南部の栽植農園貴族制を 打 ち 負かし,勝利の 利権 を手中にしたのは ,他でもなく. ,,,。 ク ,. サイ. 菊池双掲書からの 前出引用文を 読み較べてみると , こ. の間の事情が 明らかにされうるであ ろう。 以上を要するに ,高木八尺はビアード 夫妻の業績を 高く評価しながらもビアード 的歴史観からかなり 自由 に「南北戦争論」を 組み立てた。 高木は南北戦争・ 再 建 期の 「革命的」ともいえる 諸政策を意識しながら も,これらをもって 南北戦争を「独立革命において 未. 解決におわった 市民革命の任務の 完成」とは理解せ ず,したがってまた 南北戦争を「第二アメリ 力革命」 と銘打つことほ 避けた。 他方,菊池に始まる一連の 研 究では,マルクス・エンゲルスの「アメリカ 南北戦争 したがってビアード 夫妻の著作 よ. りも, そのアメリカ・マルクス 主義的解釈であ る L. M.Hacke,,The. NewYork. れ eric 伽. Tn㎡um, タん 0/A,. l940( 中屋健一・三浦遊記. 丁. Capitalis擁 ,. 資本主義の勝. 利上,下山,東京大学出版会, 1953 年) に親近感をも. ち,前出マルクス・エンゲルス 午 アメリカ問題』「 解 説 」に見られる 南北戦争評価 (・・・・・・・・・・ アメリカ第二の 民主主 義 革命の挫折,双掲『選集』補巻. 1, 387 ぺージ ). と. 抱き合わせて 問題を探りながら ,それぞれに独自の南 北戦争論を書いた。 そこでわれわれはみずからの 研究の立脚点を 確認す るためにも,かかる 諸研究のいわば 出発点を形作った とも考えられるビアード 夫妻の「第二アメリ 力革命 論」をいま一度整理・ 検討した上で , 1960 年前後に合 衆国で始まった「ビアード 批判」の主なものを 紹介し つつ,今日的時点での「ビアード 学説」の意義を 考 し ておくことの 必要性を感じた。. そこで「ビアード 学説」を知るひとつの 手懸りとし て ,まず196C@ 年前後に「ビアード 学説」批判の 急先鋒 に立った R.P. シャーキー (Robert P. Sharkey) が, その ポ レミークな著作. 圧. 貨幣,階級・ 政党. 争および再建の 一 経済的研究 a れオん. Ⅰ. 奴 , Baltimore l967). 「第二アメリ. 南北 戦. Jl (.Mon り , C ね,,, で, ビアード夫妻の. 力革命論」をどのように 評価しているか. プラソチイソ. グ .アリス. @ クラシー. ロヒ部 ( 、。 ) と西部の資本家,労働者,農業者 であ った。 労働者と農業者の 幾分控え目な 利益にも叙述を 数節制 コ. きほ したが, ビアード夫妻がほとんど 専ら関心をもっ たのは,資本家の 利益であ った。 かれら ほ これこそが 決定的な問題だと 見たからであ る。 製造業に従事した 企業家にとって ,戦時契約,インフレーションがもた らすはかりしれない 刺激,強力な保護関税障壁の 設定 は 莫大な額の利益に 相当した。 銀行家や債権 者階級一 般にとって利回りのよい 巨額の連邦債の 創設と国法銀 行制度の設立は ,戦前期にほ思いも及ばなかつた 力を フアイナンス キヤビ / リスト 金融資本家に 与えた。 かくて資本主義の 勝利と プ. 論」に影響されて ,. ソ. ダ ラ. サ ブソ .プリ ソ シ フル. 農地に根ざす 諸原則の敗北こそ , ( ビアード夫妻のい. 欄井. う. コ. 『第二アメリ. 力革命 ] の精髄であ. った」. (Sharkey, ibid.,p,6)0 、ンャ一キ 一のこの評価 は, 後に詳細にみるビアード. 夫妻の「第二アメリ 力革命論」の 核心を的確にいい 当 てたものといえよう。 シャーキーは ,南北戦争に対するビアード 夫妻のか. かる理解を「経済決定論への e 。on 。miC. dete,minism). 偏向」. (predilectionfor. と述べている。 「経済決定. 論」といえば ,われわれは公式化されたマルクス 主義 歴史観におけるかの「上部構造」 ( イデオロギ一の 溝 造 ) と「土台」 (経済構造 ) の関係 (「土台」が「上部 構造」を一義的に 規定するというあ の考え方 ) を想起 するが, ここでシャーキ 一のいうところは ,. これとは. まったく無縁で , 精々「経済的解釈」重視といえるも のであ る。 かれら以前のアメリカ 歴史学が一般に 政治. 史 ,軍事史 ,憲法史への関心に限られていたのに 対し, ビアード夫妻ははじめて ,歴史解釈に経済的諸要因を 加味する必要性を 提起したものだったからであ る。 例 えばチャールズ・. A. .. ビアードの別の 著名な著作,. A れ官 CO れ 0 笏ァ C Ⅰ竹 e ゆ Ⅰe%a 0 れ (ダ んピ CO れド ぴ 0 れ qⅠ th ひれited States, New York l913, や Econo のん Ⅰ. 亡篠. とこⅠ. Ⅰ. ⅠⅠ. を. O ㎡g 妨s o/ ょe@crso ㎡ an. Dg. れ ocm. 1915, などを併せ参照されたい。. り,. New. York.

(4) 32 (246). 横浜経営研究. 第W 巻. 第. 3. 号 (19㏄ ) (Beards, Ri ㏄, Vol. D,. こうしてみると ,先に検討した高木八尺の南北戦争 理解は, ビアード夫妻以双の 伝統的な解釈の 踏襲であ. pp. 3-4. 6-10), ②「北部」と「南部」の. っ たと考えることも. ( チャールズ・サム. 出来る。. ビアード夫妻に 対するシャーキ 一等の批判は ,後段 で改めて整理・ 検討することにして ,. ここではただ. ヒ・. アード夫妻のアメリカ 歴史学界における 地位を批判者 の叙述を借用して 確認することだけに 留めておこう。 そして直接ビアード 夫妻の著作にあ たりながら,かれ らの主張に耳を 傾けてゆくことにしょう。 、ンャ一キ. 一の要約したかれらの「第二アメリ 力革命. の 農業的な経済制度の 対比. コ. 文明観の対比. ナ (CharIes Sumner) に代表され. る「奴隷制」Ⅰ「野蛮」を 論拠とする「北部」の 奴隷制 廃止論と,ジョン・C. 力 ルフーン (JohnC.Calhoun), ウィリアム・ハーパー (William Harper), ロバート・ トゥームズ (Robert Tooms), ジェイムス・ホルカム (James P. Holcombe) 等に代表される 黒人二劣等人 種を論拠とする「南部」の 奴隷制肯定論,あるいはま. 論」は『アメリカ 文明の興隆 コ 第 2 巻, 第 18 章の冒頭 にきわめて簡潔な 形で次のように 現われて来る。. た 「北部」の自由労働者より「南部」の 奴隷の生活が 保 護されていることを 論拠とする賃金労働 制 に対する奴 隷制の優位論 (高木・松本訴『アメリカ 精神の歴史 山. 中産階級が国王と 貴族階級の権 力を打. 113-139ぺージ ), そして,③「北部」と「南部」の政党. 破した諸行動が ,もし一括して清教徒革命として 知ら. 支持の対比 ( 農業重視的で 州 催主義的政党たる 民主党 に 対する「南部」の 支持と,工業重視的で連邦主義的. 「イギリスの. れうるものであ り,フランスのブルジュアジ. ー. と農民. コ. .. Ⅰ. 確れ北 正 が南 る. 最初のアメリ 力革命であ った。. はゆ. O. 戦争は,実際は けォ第二アメリ力革命,. と ね こ ]L. づ. 徴る 持た. 用義. じの. れわれ. た な. 変わ 天に 的上 会す 社期. 動を同. が国王,貴族制,僧侶の 支配を顛覆させた 一連の行為 が,もしフランス 革命と呼ぼれうるとすれば , ( アメ リカ の 北部と西部の (,。) 資本家,労働者,農業者が 南部 プ ブソブ イソ ダ ノジ ストク シシ ナツ テ ル .ガ グアノント の栽植農園貴族制を 連邦政府の権 力から駆逐 し. い や厳密にいえば. (Beards, Ri,e,. ・…‥」. 革,, ンれ命 タ一 リ 列車 一ゆ ュ肝 ム下 ピが. た ら. と 理解されているのであ. 持っ九社. 孝一. れを さ格 察性. て同 しと. ら命 照革. や. にス 史ン 遍う 普フ. て命. Vol.D,p.56.C J 内 ,・… " は楠井 ) 。 みられるように 南北戦争は, ビアード夫妻によっ. る。 この規定こそ ,第二次世. 界大戦後「封建制から 資本主義への 移行」を現実的課 題に据えたわが 国 マルクス主義歴史家に ,引用の有無 は別にしても 好意的に迎えられた 一つの決定的理由で あ ったといえる。. 以下,われわれは,『アメリカ文明の興隆囲および 『アメリカ精神の 歴史凹を手懸りに , もう少し突込ん. 法. 一 アド 一 ビア ﹁ビ. ド 学ま 説 夫﹂ の方. で「ビアード 学説」を検討してみることにしまう。. アソ テ ィ. @. ラム. ビアード夫妻による「戦双体制」の 構造分析の方法. コ. 政党たるホイッバ 党 - 共和党に対する「北部」の 支持. (Beard:S, Rise, Vol. D,. pp.. コ. 4-6, 1 ト 13) が,マック. ス・ ヴヱ一バ 一の「理俳型」分析をみるように 特徴的. に浮彫りされて 来る。 合衆国を構成する ,性格も方向性も 異なるこの二つ のセクションの 利害対立は,建国当初から 存在したが, 両者は連邦議会, とくに上院の 構成をバランスきせる ことでこれまで 均衡を保持されて 来た。 ビアード夫妻 によると,両者の 均衡破壊こそ 実は南北戦争の 原因で あ った。 均衡破壊の決定的要因は ,. ビアード夫妻によ. ると, 10 年毎のセンサスに 表現される「北部」の 経済 力の桁はずれた 発展であ った。 すなわち,諸産業の驚 くべき成長,鉄道の 急速な拡 延 ,地球の果てまでも 届 く 外国貿易の展開,「西部」の 農業地域の,運輸 と信 片手段による「東部」の 工業および金融中心地との 接 触,内地移住による 州 意識の破壊,覚国人移民の 流 入,人口の増加,「西部」での 新しい州の創設,川除 商業の国民的規模での 推進,などである (Bea,d,, Rise, Vol. D, p.6)0 センサスにみられるこれらの 指標が「南部」の 栽植 農園貴族に恐怖感を 与え,均衡維持を試みようとする 施策に彼らを 必死に駆り立ててゆくことになったとビ アード夫妻はい う 。 そして連邦権 力の存在形態を 強烈 に 意識する。 「南部」がこの 時期連邦権 力を掌握した のは何故か ,. と. 。. ここで合衆国憲法下の 連邦と 州 ,そしてこの関係を 通じて連邦とセクションの 関係が問題になる。 同時に セセ ノ シオン. 「南部」の分. 離の論拠と連邦維持を 至上課題とした.

(5) 南北戦争の経済史的意義㈲. (247)@33. (楠井 敏朗 ). リンカーン政策の 論拠が問われる。 そしてその論理の. させたものは ,それでは一体,何だったのか。 ビアー. 延長線上で,連邦権力の「南部」の 栽植農園貴族から. ド夫妻は,これを ,合衆国憲法下の連邦と 州 , したが. 「北部」の資本家への 移行 ( 南北戦争での 乱軍の勝利 の 歴史的意義が 問題にされることになるのであ る。 南. ってまた連邦とセクションの 関係であ ったとみる。. 北戦争が, イギリスの清教徒革命やフランス 革命に比. を定めたが,上院は 連邦に加入した 全ての州を対等に 取扱い議員定数を 各州一律に 2 名と定めた。 したがっ てセクション 間の政治勢力の 優劣は,上院に占める奴. コ. 肩 されうる同性格の「社会革命」であ ったという先に. 見た評価は,かかる論理の帰結として 導き出されて 来 た 」 O. ビアード夫妻は 数字を挙げて 連邦権 力の構造分析を 試みる (Beards, Rise, Vol. I, pp. l9-20)0 第一 0 アンドゥリュー・ジャクソン (Andrew Jackson) の当選から A. リンカーン (Lincoln) の当選. 連邦下院は,人口に比例して各州選出の 議員の定数. 隷 州 と自由州の数によって 決まった。 1S20 年の「ミズ ーリー協定」と「 1850 年の妥協」に れ はテキサスの 連邦加入によって 奴隷 州 が優位に立ったため、 自由刑 としてカリフォルニアの 加入を認める 代りに,メキシ コからの併合領土 ( ネヴァダ,ユタ , コロラド,ニュ. まで実に 32 年間も民主党が 大統領職を掌握したこと。 ( この理解は明らかに 誤りで,実際は184 Ⅱ45 年はホイ ッバ党の W.H. ハリソン と J, タ イラ二 1849 巧 3 年は ホイッバ党の Z. テイラーと M. フィルモアが 大統領に. ーメキシコの 各准州コ では,連邦議会は,そこでの奴 隷制に関与しない「妥協」を 成立させた政治的取引 ) は ,奴隷州 と自由州の上院でのバランス 維持のために. 就任 。. 第二。 上院では 24 年間,下院では22 年間,連邦裁判 所では 26 年間も民主党優位が 続いたこと。 第三。 その間, 反 ジャクソンの 政党として成立した. したものは,人口数算定の 際に奴隷工人を 自由人 3/5 人と換算した 評価規定が,合衆国憲法にもり 込まれて いたからであ る。 ところで㎎冊 年代の変化は ,両者のかかる「妥協」. ホイッバ党から「南部」の 有力栽植農園貴族が 民主党. と均衡が合出国憲法の 解釈上の変化で 崩壊する兆候を. に移り,ホイッバ党の勢力が弱体化したのに 加えて,. 示したことであ る。 最高裁による 新しい憲法解釈 ( 「ド レッド・スコット 事件の判決」 コの 定立と,立法過程. コ. 「北部」の自由農業者も「分離」. か 「屈服」かの. 選択. に直面して カ を結集できなかったことから ,農業者と. 労働者の政党として 成立した民主党の 内部では,次第 に栽植農園貴族の 支配が確立したこと。 第四。 1850 年代にはかかる 民主党が行政・ 立法・司 法の全権 力を掌握してアメリカの 全政治風土を 一変さ せてしまったこと (以上, 珪 ards, Ri,e, VoI. D,pp. 19-20)0. 考案された重要な 措置であ った。 また奴隷制を 合憲と. における新しい 解釈の導入 ( 「カンザス ビ. -. -. こ. ネブラスカ 法 」. プルズ,,ヴァ。 ,ティ. の制定の際の「人 民 主義」の原理の 正当化 コが これであ る (Beards, Rise, pp.13-16)0 これによって ,連邦と何との法的関係において , 州. 催主義的解釈が 正当化された。 それまでも奴隷制を 容 認している諸州に 対する連邦権 力の介入は憲法違反で あ った。 しかし 准 州への奴隷制の 拡 延は ,いわぬる州 際 商業上の問題だったから ,介入は合衆国憲法上正当. ここで「アメリカの 全政治風土の 一変」とビアード 夫妻によって 把握されたものこそ ,周知の,奴隷制地 と看 徴 されていた。 ところが, いま,それが,連邦権 域の無限の拡張に. 展望を与え,商工業企業への. 連邦政. 府の経済援助の 打ち切りを宣言した 行政的,立法的, 司法的措置であ った。 「カンザス = ネブラスカ 法 」の制 定 1820 年の「、ズーリー協定」の 廃止 (1854 年 ), 「ドレッド・スコット 事件の判決」. (1857年 ),. 「逃亡奴. 隷法の強化」 (1859年 ), 「低関税法の 制定」 (1857年 ) 等であ る (Beards, Rise, Vol. D, pp. l0-19)0 経済面での「北部」の「南部」に 対する優位は ,か. くて,政治面での「南部」の「北部」に 対する優位に よってチェックされた。 かかる一連の 措置を「南部」の 奴隷所有者に 可能に. 力を掌握した 奴隷所有者によって 否定されることとな った。 このことは, 当然,国を挙げての 政治的,経済. 的,社会的衝突の対象事件となる。 ここでビアード 夫妻は, 「南部」の栽植農園貴族に. よって支配されたかかる 連邦権 力を打破する 政治勢力 の分析に移る。 奴隷制即時撤廃論者の 自由党, 准 州へ の奴隷制 拡延に 反対した自由土地 堂 01840 年代の動 向,. そして, 「カンザス. ニ. ネブラスカ 法 」の廃止,「逃. 亡奴隷 法 」の廃止,コロンビア 地区の奴隷制廃止をは っきり綱領に 掲げて成立した 共和党の分析がこれであ る (Beards, R¥ise, Vol. D, pp. 38-40)0 弱体化した.

(6) 34 (248). 横浜経営研究. 第Ⅵ 巻. ホイッバ党,民主党のなかで 反 奴隷制を主張する 人 々,それに自由土地党を 基盤に成立し , 1860 年の大統. 第 3 号 (1985) 済的 ,政治的論拠であ る。 第三は,南北戦争の 歴史的評価であ る。. 領選挙で民主党を 打破した政党こそ ,共和党であった (Beards, Rise, VoI. D, pp.21-22)0 プ ブソテ イソ グ. イソ. (ィ ). / レスト. 栽植農園利害の 指導者たちは ,この新しい動きを 無視できなかった。 かれらは, この動きに対応して ,. 「南部」諸州の 分離 = 南部連合の成立を 条件づけ. た法律的・経済的・. 政治的・外交的論拠. 1860 年の大統領選挙で 共和党の エイ ブラハム・リン. こと細かに彼らの 経済的・政治的計画を 策定した。. カーンが当選したことは ,「南部」の栽植農園経営貴. 20 数年間のアジテーション によってすでにこの 国で馴染になっていたもの ぽ かり であ った。 高率保護関税反対,海運業への 補助金打切. 族にとっては 決定的な打撃であ った。 リンカーン自身. 「経済的計画なるものは・. ソキ ソダ. .ヰソ. ド. .. ガ. ンソシ- . ツメテム. ,全国共通の銀行制度および 通貨制度反対,要する にビジネス企業が 進展するに必要と 考えられる一切の り. 措置の否定であ る。 ・…‥かかる 目的を達成するために 策定された者計画は , 1860 年 5 月 24 ∼ 25 日の両日採択 された一組みの 上院決議のなかに 南部出身の有能な ス. が,奴隷制の即時撤廃には 遼巡 しながらも, 准 州への 奴隷制の拡 延 には明白かつ 積極的に反対の 姿勢を示し. たこと,加えて,関税,通貨,銀行,自営農地問題に 関しては,「南部」の要求に真向から 対立し (良 a,ds, Rise, Vol. D, pp. 32-33), 奴隷制農園の 現活動領域 への限定と,資本主義の 急展開の条件整備の 考え方を 明確に打ち出していたからであ った。. ポークスマンによって 立案された。 ( すなわち柄井 奴隷制は憲法上すべての 准州 で合法的であ る。 連邦議 会も地方議会も 准 州 での奴隷制を 廃止できない。 連邦. 髪を入れることなく 合衆国から分離し. 政府は, 准州 において, 別 形態の財産保有者に 対する. であ った (良 ards, Rise, VoI. Ⅱ, pp. 58- ㏄ ) 。. コ. と 同様,奴隷所有者を 保護すべき義務を 有する。 いか なる州もいかなる 市民連合も,他州の 内部制度に千 渉 するのは憲法の 侵害であ る。 ・…‥ 准 州の住民は,連邦. したがって「南部」諸州は , リンカーンの. その憲法. リンカーンの 当選に間. 1861年 3 月の 大統領就任前に 南部連合を成立させたの. (モンゴメリー. 憲法 ) は,国家機構につい. ては大部分の 点で合衆国憲法と 類似した。 大統領制を. 。本オ,. に加入するさい ,将来奴隷制を承認するか否かを 自ら 決定することを 許される。 逃亡奴隷法の 厳格な執行が 誠意と憲法の 諸原則にしたがって 要求きれる。 ・…Ⅱ (曳 ards, Rise, VoI. Ⅱ, pp.2%29)0. こうしてビアード 夫妻は南北戦争が 実は准州への 奴. 隷制の拡延の 成否をかけた 政治闘争であ ったことを論 証する。 それは他でもない ,「南部」の奴隷所有者た る 栽植農園貴族と. ,「北部」の資本家,自由な農業者,. 労働者との不倶戴天の 利害対立であ った。. 南北戦争の原因,そして 性格をめぐる 周知の「ビア ード学説」は , こうして導き 出された。. (2) ビアード先主 の 「南北戦争 像. 」. ビアード夫妻は 南北戦争を次の 三つの観点から 分析 しつつ独自の. 南北戦争像を 構築してゆく。. 第一は「南部」諸州の 分離 才 南部連合 (The Con.. ederate Statesof America) の成立を条件 づ げた法律 る。 的 ,経済的,政治的,覚交的論拠であ. 第二は,南部連合の 独立国家としての 成立を承認せ ず,これを叛乱者と 規定しながら ,連邦 (Union) の 維持を最重要課題としたリンカーン 政権 の法律的, 経. おき,二院制を採用した。 しかし南北間の 長年の経済. 的対立を反映して ,議会から重要な 権 限を剥奪した。 内部開発 (inte,㎎ l improveme 甜 s) 推進への予算計 上 ,私的企業への奨励金の賦与,あ る産業分野育成目 的でなされた 輸入関税の設定など ,これらすべてが禁 止されたのであ る。 そして各州がそれぞれ 主権 をもち. 独立した行動をとりうることも 明文化された。 しかし 南部連合憲法の 隅の首 石 といえるものこそ ,黒人の差 別を正当化し ,奴隷制を黒人の 自然かつ正常な 条件と 看 倣す 思想の容認であ った (Beards, 磁se,VoI. Ⅱ,. p.68)0 分離の法律的論拠は 州 催 主義であ った。 彼らは分離 が合衆国憲法で 保証された権 利だと考えた (Beards, Rise, Vol. D, p,60) 。 ビアード夫妻は 連邦法に対す る個々の州の 無効宣言の例 (対英戦争時のニュー・イ ングランド諸州の. 連邦分離論, 1832 年関税法に対する. サウス・カロライナ 州の無効宣言,「逃亡奴隷 法 」に. 対するウィスコンシン 州の抵抗 ) を挙げ (Beards, 穴 is,, Vol. D, pp. 40-41), 州 と連邦との関係を 規定 した憲法解釈が 時代により,個々のケースにより ,あ るい ほ また個々の州の 立場により,時代とともに 変遷 して来た事実を. 示しながら,いずれにもせよ「南部」.

(7) 南北戦争の経済史的意義㈹ nl 州が合衆国から 分離して南部連合を 成立させた論拠. が 州権 主義であ ったこと,そして 連邦に残留した 23 州 と軍事的対決することになった 南北戦争が,かかる論 争 (州 催主義 か 連邦主義かの 論争 ) に事実上の決着を つけた事件であ ったことを明らかにした。 南北戦争の 憲法史的ないし 政治史的意義は , 何よりもこの 点. 一. (249)@ 35. (楠井 敏朗 ). 実を指摘している。 第一に,「ゴヒ部」の実業界が 関税 同盟の維持を 熱望していたこと。 第二に,ニュー・ヨ ークの商業・ 金融界だけでも「南部」に 対して少なく とも 2 億ドルの債権 を保有していたこと , これであ る. (Beards,Rise, VoI. Ⅱ, p.64) 。 その限りで商業およ び 金融の両面から「南部」は ,「北部」の資本家にと. 州 権 の抑制と連邦権 の強化に求められたといってよ. って経済的に 不可欠の存在であ った。 実業界の一部に. い。. は, リンカーンや「西部」の 自由農業者の 意思に反し て,「ミズーリー協定」線が太平洋まで 延長されても よいと主張するものもあ った (Beards, 人is , VoI. Ⅱ,. 分離の経済的論拠については , 「南部」の「綿花王国」に. ビアード夫妻は ,. 対する過剰な 自負心と ,こ. ピ. p.64)0. こからもたらされた 楽観的展望に 求めている。 「南部」の栽植農園貴族は , ゴヒ部」の諸産業に 必要 なこの商品作物 (綿花 ) を支配することで ,「ゴヒ部 の製造業に破滅的恐慌を 与えうると確信していた。 か れらはまた, ミシシッピ河ロニュー・オルリーンズの 「. 」. 掌握で,オハイオニミシシッピ 渓谷全域を南部連合の 支配下におけると 考えていた (Beards, Ri, 。, Vol. 1, pp.55-56)。 資本主義生産を 基軸に編成された 世界市. 連邦維持の政治的論拠は 奴隷制問題とかかわってい た。 リンカーンを 始めとして「北部」の 多くの人々 は, 准 州への奴隷制の 拡 延 さえチェックされうれば , 既存の奴隷制に 干渉する意思をもたなかった (Beards, Rise, Vol. Ⅱ, pp.64 Ⅱ 5) 。 したがって奴隷制の 拡 延 によって自由労働 制 が侵害されないことが ,政策的に. 保障される限り ,連邦の維持は政治上の争点にはなり. 場では,経済発展の推進力はもはや 素材産業にでなく 機械 制 工場下の製造業にあ ることを理解していなかっ. えなかったのであ る。. たことと,. 社 会 革 命としての南北戦争 以上整理・検討して 来たところから 明らかなよう に, ビアード夫妻によって 描き出された 南北戦争 像 は ,結局のところ州 催主義と奴隷制という 二つの大間. 1 組 0 年代末以降急激に. 整備された東西間幹. 線鉄道の果す 経済的役割をまだ 十分に理解できなかっ たためであ る。. 分離の政治的論拠は ,南部連合憲法に謂 い上げられ た 資本主義の発展に 阻げられることのない 独立した奴 隷制共和国の 建設という幻想であ る。. 外交的論拠は ,「綿花王国」に対する過信から 導き 出された英仏両国の 政治・経済・ 軍事的支援への 期 待,あるいはこれら 二国による独立国としての 承認 期 待 であ った (Beards, フれ 5g, Vol. Ⅱ, pp.56, 85-88)。. ソ. -. シ ャ @f. レヴオサ. ユ一ション. (ハ ). 題を. ,法律的,経済的,政治的争点、 として争われた 南 Ⅰ. ソフ. U クト. 北画セクション 間の衝 突であ ったということにな る。 その結果もたらされたものは , 州 権 の抑制と連邦 権 の拡張・強化であ り,奴隷制の 廃止であ った。 ビアード夫妻はつぎのように 叙述している。 ッ ビル. ス. 「大まかに見て. ・。 ,,. 南北戦争の最大の 成果は,かつて北. メカニ ソクス. 部の農業者と 職 人の援けを借りて 一世代に 亘 って実 連邦 (Union) の維持を最重要課題としたリン カーン政権 の法律的・経済的・ 政治的論拠. 質的に合衆国を 支配して来た 栽植農園貴族制の 崩壊. アメリカ合衆国新大統領エイブラハム・リンカーン は ,一貫して連邦維持の 立場を堅持しそのことに 最 大の努力を払った。 連邦維持の法律的論拠は ,連邦は. 勢力,すなわち,北部の資本家と 自由な農業者の 疑 う 余地のない勝利であ った。 この連合勢力はこの 闘争. (日). であ った。 その成果の一つの 系は新たな. Ⅰ. ソビ. ネイション. 連. 合. .. オ. プ . メ Ⅰ 一. のなかからいままでよりもより 豊かにより数多く 登場.

(8) 36 (250). 横浜経営研究. 第Ⅵ 巻. 第 3 号 (1985). 喪失,一言でいえば貴族層の財産の 喪失を意味し ,. 歴史家に よ る外在的批判であ り,いま一つは ,二分法. 第二にそれを 支えて 禾た 黒人奴隷の解放を 意味する (Beards,Rise, Vol. Ⅱ, pp.l0 件 105)0 資本家の勝 利 とは,第一に ,農業よりも 機械 制 工業が優位に. によりながら「北部」と「南部」を 構造的に相異なる. ヰ. シーソ,イソダストウ. 立った経済構造が 成立したこと。 第二に戦時中に 連邦 政府によって 発行きれた長期 債 と紙幣がビジネス・ ェ ンタープライスに 資力を提供し ,その拡大に寄与した. こと。 第三に高率保護関税制度が 確立したこと。 第四 に 国法銀行制度が 設立されたこと。 第五に商業の 発展 に必要な内部開発に 対する連邦政府の 物惜しみしない 援助政策が成立したこと。 例えば大陸横断鉄道の 建設 メ. シ. フイクク. .. ノイル. Ⅰ. 一ド. 認可とそれに 対する連邦政府の 援助。 第六に自営農地. 法の成立。 同時に鉄道への 公有地の無償払下げと 農科 大学等設立援助のための 諸州への公有地の 無償払下. げ。 第七に移民法の 制定で,. 社会組織と理解し ,その" ランスの上で 連邦権 力の構. リ. 高 賃金緩和のための. 政策. の執行であ る (Beards, 人 ise, Vol. D, pp. 105410) 。. 造と性格を把握しつつ. ,南北戦争の歴史的意義を 両者. の矛盾・対立の 揚棄とおきえるその 方法論への内在的 批判であ る。 以下,両者を紹介し,検討してゆきた い 。 色). トマス・コクランの「ビアード 学説」批判. 計量経済史等からませられた. 外在的批判は ,. Thomas C . Cochran, Did the Civil War Retard Indust,ialization? 肋む si$sめがⅡ りルノ E むto ㎡。ぱ人か 0i9%, XLVII1, 睡 pt, 1961,pp.197づ 10 ,から始まり, Ralph Andreano, ed., T ん e Ec0 れ。笏 ic Ⅰ笏タグ to/ 妨を 且移e ㎡切れ Ci碗 Z 耳伍r, Camb. MasS. 1962, を経 て, David T. Gilchrist and W. David I鴉 wis, eds.,. Eco れ 。篠わ C 材 nge 施 e C んガ耳伍 9 挺 , Pro. 自由農業者の 勝利とは,第一に自営農地法の 制定によ る潜在的農業者への 公有地の無償払下げと ,第二に, ㏄タ% 肪9s o/ な Con ナgr 伽cg o/ 九%ericd れ Eco 0% わ Znnstituti ㎝㎡ C 肋 nge, 7850- 873, d れイサルょ% タ㏄ z 農産物価格の 急騰による利益の 収得であ る (Beards, 甘み. Ⅰ. れ. Ⅰ. Hg㍑ピ M 沖幼 ュ 2- Ⅰ 4, Ⅰ 964, Greenville, Delaware l965, で一応完結する。 0/ 鹿 CiviZ War. Rise, Vol, Ⅱ, pp. 114-115)0. C.. Ⅰ. 「ピアード学説」の 今日的意 珪 -半 -Ⅰ. 若干の批. このうち最後の 著作については ,拙稿「D ルクリスト /W.. 一. .. T .ギ. D . ルイス 編 『南北戦争期の 経済的. 以上考察して 来たところから 明らかなように ,南北. 変化Ⅲ 千 経済学論集コ (東大 ) XXXII/2, 1966 年, でかなり詳細に 論じたことがあ るので,ここではこの. 戦争に関するビアード 夫妻の学説は ,今日わが国歴史. ことを指摘するに 留めて, コクラン論文の 要点のみに. 学でも定説となっている「南北戦争. 言及しておきたい。. べてと重なり 合っているといえる。. 像 」のほとんどす 「ビアード学説」. の 影軽 がいかに大きかったかを 物語る事実であ ろう。 もしいくらか ズレ があ るとすれ ば ,政治史家が連邦制. の確立の方により 力点をおき,経済史家が 奴隷制の廃 止の方にウェイトをおいたことからもたらきれた ズレ だといえよう。 それではかかる「ビアード 学説」にまったく 問題が. コクランの批判は ,. ビアード夫妻の 前掲書の公刊後. に発表された 一連の重要な 著作, 例えぼ , Homer C. Hockett and Arther M. Schlesi㎎ er, Sr 。 ムd れオ 。/ zAe Ereg, 人文。れはん to り 0/ サ尼 A 庖ゼ㎡6% R 。ナル, New. York. れ 。れわぱ. 「. l944 ; H. U. Faulkner, Ame ㎡cd れ Eco. $to ひ , 7th ed Ⅰ New. York. Ⅰ. 954; Richard. なかったかというと 決してそうではない 0 ビアード夫. Ho 魚tadter,WilliamM Ⅲer, and DanielA せ ron, T 穣 ひれizeイ 5%zes, T 穣 H szo り 0/ ロ Re 件 坊 fわ , E ㎎ le.. 妻の研究が最初に 発表されてからすでに 60 年近く,改. wod. 「. 訂増補版が出てからでも 45 年を経過した 今日,その方. O 酊 , N. J. 1957,などでは,ビアード夫妻を無 批判のまま踏襲して ,南北戦争がアメリカ 産業革命を. 法は ついても,あるいはそれによって 描き出された. 惹き. 「南北戦争 像 」についても , いくつかの問題点が 指摘. S . Bureau. されるようになっている。 方法論に関する 問題点は主として 経済史. 妨 g ひniz材ざ 古屋㏄,1789 つ 975, Washin 離 on 1949 ; (金融 史 ). 起こした重要な 画期だと評価されている 点を,U. of the Census, ぽ sto ん ぬ S 癩 zi$t;cs ヶ Ⅰ. 「. ditto, ぱ sfo バ。7 位 defszics がⅠ庇ひ 竹 iteオ S Ⅰれ地 s, 「. 0 分野から提出されている。 一 つは 計量経済史家,経. CoZo れゐZT. 営史家,金融史家を中心とする仝日の 合衆国の有力な. Bureau. Ⅰ. 佛㏄. 古. 0. ofEconomic. Ⅰ. 95Z,Washin Research,T. 幼 on lg ㏄ ;National ㌃. 伽桶Ⅰ 肪. Ⅰん. e 力笏 そ れ. ・.

(9) 南北戦争の経済史的意義㈹ Ⅰほ %. Eco/10. 笏ノ劫坊. 肋血 co7P灰 1960 ,. an. e JVi れ 6%6. れⅠ. ん Ce れ Ⅰ ぴ Ⅰノ [Sz ぴイ ie$. Ⅱ佗㎡ 肪 , Vol. XXIV],. み. R . E . ゴールマンの 論. とくにその中で 重要な. 文, R ,E.Gal ㎞ an, Commodity. Output, 183 匹 1899,. によりながら 批判し「南北戦争はアメリカ 長を遅らせた」と ,. Phnceton. 産業の成. ビアード夫妻とほまったく 逆の結. 論を導き出した (Cochran, Gvil War, p.205) ところ に ,研究上の意義が求められている。 それは,先に要 約したビアード 夫妻の「資本主義の 勝利」に関する 諸 命題の全面否定であ った。. (楠井. 敏朗 ). (251)@37. イギリスの清教徒革命 (あ るいは名誉革命 ) もフラ ンス革命も,やがて 資本主義の順調な 発展を担 う こと. になる中産的生産者層を 絶対主義権 力から解放し ,彼 らが自由に活動し ぅる 経済的,政治的,宗教的,社会 的,法律的基盤を整備した変革であ ったからこそ ,後 世 市民革命と呼ぼれうる 社 会 革 命だった。 した がって,もしコクランコロストウの 結論が事実に 照ら して正しいとすれば ,南北戦争はアメリカ 合衆国にお いて社会革命などではなく ,まったく不毛なセクショ ン間の衝突に 過ぎなかったと 結論されてしまう。 コク ランの研究は 言外にはっきりとこのことを 表現してい ソ. シ ヤル.. レヴワ. リターク. ヰン. もちろんこのコクラン 論文に対しては ,その後面ち に 合衆国でも,統計的データの 利用法などで 問題点が 多いという P. ヴァータニアンの 批判 (Porshlng. た. Vartanian ,. 一一その内在的批判を 検討しておく 必要に駆られる。. The@ Cochran@. Thesis:@ A@ Critique@ in. 化 ri㏄れ H. 「. s.. 決定的論文として ,研究史上画期的な 地位を保持して いる。 彼の論文でわれわれの 注目を惹. く. 事柄は,第一に,. イソダストウリアリズム. 初期の産業主義の 輿揚を示す指標としてコクラン. ここでわれわれは 再びロバート・. P. .. シャーキ一の 著. 作に立ち戻らねばならない。. 北り 絡草 車. foり , LI/l, June l964) が提出されたが ,こうした 批判はほとんど 無視され,この論文 は ビアード批判の. 下 @ 玉@. StatisticalAnalysis,T 鹿 Jo%rnoZ o/ A. そこでわれわれはいま 一つの「ビアード 学説」批判. 揚 朗 1ト テ を 8 さ, れ, たダ. の ム口 済 @ こ 経期. が ,工場制 工業と機械化された 運輸の発達の 事実をあ 持 た. のし こ現. め,咄 求,ヵ 年 7テ 社 ュ に会・ソサ づⅣ ・ 業 め月産. 興け ム口 統 景気 インチダ ので 初国 最衆. げていること。 第二に, この指標に照らして ,合衆国. 結論づけていること。 そして第三に ,統計数値から みて,南北戦争双後の 10年間には,ビアード夫妻の評 と. 題名および構成から 窺えるよ. う. に,この著作は,金. 融史の領域で 南北戦争臣再建期の 経済分析を試み , 「ビ. ォルター,W. 年代に「離陸 期 」が始まり。 1860 年頃 に完成をみたと. たよ う に,二分法によりながら「北部」と「南部」を 構造的に相異なる 社会組織だと 理解し,両者のバラン. いう結論 (W.W.. スの上で連邦権 力の構造および 性格を把握しっ つ ,南. .. ⋮. 価 とは逆に・合出国経済の 成長率に相対的な 低下が認 められる事実を 指摘していることであ る。 この結論は,彼自身も 認めているように ,有名なウ ロストウの結論. アメリカでは 1840. Rostow, T 穣 S 柘9 ㏄。 / Eco. れ. o ガzic. GroW 切, Cambridge 旧 ngland] 1960 , p. g5) と符節 を合するものであ る。. われわれの観点からすれば ,議論のスレ違いだけが 目につく。 が,それはともかく , コクランのこの 論文. がそれでもなおわれわれの 関心を惹 く 理由は, コクラ ンコロストウの 結論がもし正しければ ,「戦双体制」で のアメリ ヵ 経済の発達を 支えた原動力が 一体何であ. アード学説」に 内在的批判を 加えたものであ った。 ここで「ビアード 学説」の内在的批判とは ,先にみ. 北戦争を両者の 矛盾・対立の 揚棄だとおさえるかれら の方法論と, これに基づいて 描き出されて 来る南北戦 争Ⅰ再建像への 批判を意味する。 シャーキー は ケインズ貨幣理論によりながら. ,「貨. 幣」を取引用の 貨幣 (通貨 ) と保 蔵 される貨幣 (保蔵 者の意思によって「投機」にも「投資」にも 出動でき るがゆえに利子率の 決定に重要な 役割を演ずる 貨幣 ). ,「南部」の奴隷制はかかる 工業化にとって 一体ど. の両面から考察し ,かかる「貨幣」の 階級的掌握の 仕. のような関係に 立ったのかを ,改めて考察し直す機会 をわれわれに 提供してくれたからであ る。. 方 如何で, したがって政府の 貨幣 亡 信用政策の如何で ,. り. 国民経済の性格. (質的構成 ). が異なって来ると. 認識し.

(10) 38 (252). 横浜経営研究. 第 3 号 (1985). 第W 巻. て ,貨幣テ信用政策を軸に南北戦争姉再建期の. 階級配置 を検討し,共和党の 諸政策を分析したのであ った。. ス 制度の発達等 ) を前提にし,その 順調な発達を 阻害. した,経済的にみて 非合理的な, ジャクソニアン 硬貨 主義の産物であ る独立国庫制度のなし 崩し的に解体を ところで一見「ビアード 学説」とまったく 無縁に見 えるシャーキ 一のこの研究が , 「ビアード学説」に 対 要求し,こうした形での戦費調達に 協力しようとし して内在的批判になり 得たのは,それが「ビアード 学 た。 また再建 期 には合衆国紙幣の 早期回収 (長期 債へ 説 」を支えていた 基本的枠組み ,すなわち,セクショ の 転換 ) 政策を支持してインフレ 鎮圧と金プレミアム ン二階級対立観を 土台にした南北戦争Ⅰ再建期の 分析を の 解消 一ョ 金本位制の採択 (国際金融 ヘ コミットする 踏襲したものであ ったからであ る。 この点でシャーキ 条件の整備 ) を希求した。 第三に貿易政策では ,急進 一の研究は,経済成長あ るいは経済発展という 別の枠 的な保護貿易政策に 徹底して反対して ,むしろ戦前か 組みを用いて「ビアード 学説」を批判したコクラン 等 らの自由貿易政策に 親近感を示しさえした。 の 批判とは,明らかに 列次元のもであ った。 、ンャ一キ. 一の批判の核心を 一言でいえば ,. 要するに「南部」の 奴隷制はかれらにとって 決して ビアード. 夫妻によって 一枚岩のように 把握され,「南部」に 対. アソ テ ィ. ベラム. 発展の栓 桔 ではなかった。 したがって「戦双体制」の セセソシコ. 維持こそが,したがって「分. ソ. 離」でも「革新」でも. ,,ォ ・,. して一体となって 対決したように 取扱われた「北部」. なく連邦の維持こそが 最大眼目であ り,それゆえにこ. が , 実は決して一枚岩の 利害状況にあ ったのでなく ,. そまた「西部」の 諸利害の主張する 急進的な改革要求. 戦争期も再建朗も ,それを構成した「東部」と「西 部」の 雨 セクションのあ いだに決定的な 対立が見られ たというものであ った。 例えばピッツバーバ 中心の製鉄業とニュー・インバ. ランドの木綿工業のあ いだには,貿易政策にも ,貨幣 ヰ. 信用政策にも , 対 「南部」再建政策にも 根本的とい. ってよいほどの 相違が見られた。 またビアードが 一枚. 岩のように把握した 資本家階級それ 自体も,産業資本 家と銀行家とのあ いだに, さらにはまた 同じ銀行家の 間でも,「西部」のそれと「東部」,とくにニュー・ヨ ーク市のそれ (投資銀行家を 含む ) とのあ いだに,決 定的な利害対立がみられたし ,「西部」の自由な農業 者と ニュー・. インクランドの 綿業 資本家, さらに 二ュ. ヨークの銀行家の 間にも,利害の決定的な絶縁が 見られたのであ るも. と. ,決定的に対決したのであ った。. これに対して「西部」は ,製造業者も銀行家も農業 者もおしなべて 革新的であ った。 第一に,奴隷制に対 しては種々の 立場に 岐 かれたが,即時撤廃論の 支持者 も 多く,再建期 には,栽植農園貴族の 土地没収とその フリードメン 解放民への分割を 含む急進主義的政策を 支持した。 第 二に ,貨幣幸信用政策では,資本家階級と 自由な農業 者階級で立場が 分かれた。 自由農業者はインフレ 政策 を支持し,合出国紙幣の 発行あ るいは増発は 容認した ものの, ジャクソン 期 以来の銀行批判の 立場を堅持し て, 国法銀行制度の 成立と発展には 批判的であ った。 彼らは貨幣串信用の 国家管理を望んだ。 したがって再 建期の合衆国紙幣削減政策. に. も断固反対した。 これに対して ぺ ンシルヴェニア 州の. 製鉄業者. 総じて,「東部」は,製造業者も 銀行家も,おしな. (長期債への転換政策 ). ( ピッツバーバを. 行の意識が希薄で ,. 中心にしたそれ ) は, 反 銀. したがって自由な 農業者の主張す. べて資本家階級は ,改革に保守的であ った。 第一に, 奴隷制に対しては 一貫して穏健な 態度をとり続けた。 すなわち,戦前・ 戦中を通じて 奴隷制の拡 延 には反対 の 立場をとりつつも ,奴隷制の即時撤廃には 耳を傾け. 利 になる経済的効果をもった てカ ロックの通貨削減 政. なかったし,「南部」再建に 際しても, リンカーン. ジ. 策には自由な " 。農業者と同様反対したが ,その方向は異. ョンソンの「寛容政策」を 支持した。 第二に,貨幣ミ. なり,合衆国紙幣の 増発よりも国法銀行券の 増発の方 を選好した。 第三に貿易政策では ,はっきりと 急進的. ニ. 信用政策では「健全通貨主義」の 立場に立ち続けた。. る 貨幣幸信用の. 国家管理には 批判的であ った。 再建 期. には, 金 プレミアムを 低下させ, を 引上げ,国産品の. ドルの 対 ポンド相場. 輸出に不利,覚国製品の 輸入に有 Ⅰ. ソトノクシヰソ. ,ポ. そして,戦争期 には合衆国紙幣の 発行にも国法銀行 制 度の成立にも 批判的でにれはとくにニュー・ヨーク. な保護貿易政策を 支持した。 製造業者も自由な 農業者. 銀行界で強力 ), 自然発生的に 発達して来た 戦前期の. この「東部」と「西部」の 利害対立が,戦中・ 戦後. 金融制度 (州法銀行制度と ,ニュー・ヨーク 市の銀行 を中心に編成されたこれら 州法銀行間の 全国的コル レ. の共和党の政策を 一貫性に欠くものにしたし , とくに. もであ る。. ポス. ト. .. べ ラム. 再建 期 には,「戦後体制」をど う 構築するかをめぐる.

(11) 南北戦争の経済史的意義㈲. (253)@39. (楠井 敏朗 ). 共和党内部の 派閥抗争を導き 出したのであ った。 かくてビアード 夫妻が,資本家と 自由な農業者の 連. 学説」のこと。 欄井 コが ,アメリカ史 編纂でなぜかく. 合勢力の疑う 余地のない勝利の 指標とした南北戦争期. 察しておいた 方がよかろうかと は、う 。 この考え方は ,. の諸政策,例えば,高率保護関税政策,国法銀行制度. もちろん革命的諸変革を 説明するマルクス 主義者の理 論的枠組みに 合致する。 しかしそれはもともとマルク. の成立,合衆国紙幣の 発行, 自営農地方の 制定等は, シャーキ一によれば ,利害を異にする諸階級のまった く一貫性を欠いた 妥協的政策と 評価さるべきものと 理 解された。 シャーキーは , このような視点からとくに 分析の重. 点を再建 期 におき,結局のところ 南北戦争が急進的変 革を達成することもなく ( これは「南部」のその 後の 黒人問題の処理や ,「西部」の農業問題の取扱いに 典 型 的に見られる , ニュー , ヨークを中心とした「 東 部 」の銀行家,これと 結びついた鉄道資本, さらにこ れと不即不離の 利害関係をもつことになる「西部」の 鉄鋼資本とその 関連利害の利益に 沿って「戦後体制」 コ. も確固たる地位を 獲得したのかという 問題について 考. ス 主義の影響からまったく 独立して受け 入れられたも. ののようであ る。 ・…‥きちんとした 時期区分を求める 教師たちの要求が , 恐らく教科書のなかにそうした 解 釈を大急ぎで 取り入れた強力な 要因であ ったろ. う. 。 か. くて 1860 年までは農業国, 1865 年以後は工業国という. 図式が出来上がる。 しかし近年のアメリカ 文化論の研 究は,これとはまた別の理由づけを 示唆している。 ほ とんどの観点から 見て南北戦争は 国民的悲劇であ っ た。 しかしアメリカ 人は, 自分たちの歴史を 楽観主義 と. 進歩の面から 見たがった. と. 0 ( ビアード夫妻により. ながら,稲井 南北戦争は,黒人の解放を達成したの コ. が構築されてゆくダイナミズムを 明らかにしたのであ. に加えて,産業の進歩をもたらしたがゆえに 善であ っ. った。. たと見ることで・. 恐らくそれはアメリカ 文化に適合し た展望を与えられたのであ ろう。 (Cochran, 色 vil 」. その後の合衆国の 研究 史 をふりかえっておくと ,次. war.. p. 2 Ⅰ 0). の事実が特徴的に 浮かび上がってくる。 まず, シャー. キ一の系列をひく 研究が必ずしも 十分な展開を 見 ていないこと。 IWin. Unge,,. T ん e Gr 。。免 & ばん Em,. P,inceton, N.J. 1964, がその直後に 公刊され,政治 史の分野で殆どシャーキーと 同じ視点から「ビアード 学説」の書き 換えを迫ったのが 目につく程度であ る。 これに反して 第二に,コクランの研究はその後も 高 い評価を与えられ 続けた。 合衆国における 経済史研究. ところでわれわれの 残された課題は ,これらの批判 を適切に受けとめながら ,南北戦争について,われわ れ独自の意義づけを 試みることでなければならない。 そのことによってはじめて. ,われわれは,「ビアード. 学説」の研究史上の 意義を正しく 理解することが 出来 るし同時にこれに 大きく影響されたわが 国の「アメ リカ南北戦争 像 」を検討し直すこともでき ,かつ経済. 層大きな関心を 示したからに 他ならない。 コクラン論. 成長あ るいは経済発展の 観点から整理されつつあ る 近 年の アメリカ経済史の 諸研究に対時して ,われわれの. 文の締めくくりの 次の段落は,この間の事情を窺うの. 19 世紀アメリカ 像を描き出すことができると 考えるか. にいくらか参考になるだろう。. らであ る。. が 構造変化よりも 経済成長あ るいは経済発展に ョリ 一. イソダストウリアセ. -. シ Ⅰ. 亡続コ. ソ. 「最後に,ひとは,南北戦争の 産 業 化に及ぼ した役割に関するこの 誇張された考え 方 ( 「ビアード. (. くすいとしろう. 横浜国立大学経営学部教授. コ.

(12)

参照

関連したドキュメント

この発言の意味するところは,商工業においては個別的公私合営から業種別

     南北戦争期の﹁グリーンバンクス・インフレーション﹂      六〇

(4)センは,農村から都市への労働移動が社会全体の貯蓄あるいは消費に与え

ブルジョワジー」となった。

民に存すとの意見の排斥,および論議の解決 である。 ルソーは,グロティウスが 真の原理

)

日本の敗戦に対し台湾人は複雑に反応した。ある者は台湾の支配階級に属

)