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南北戦争後の米国通貨論争

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南北戦争後の米国通貨論争 六六

南北戦争後の米国通貨論争

 南北全手のアメリカ経済に与えた影響は極めて大であった。その爲に起ったグリーンバンクス・インフレーシ.ンにつ         いては分析を進めて来た。戦拙後グリーンバックス回牧の問題より金本位立法制定迄の米国通貨、金融問題はインフレショ 昌ストとデフレシ・ニストの対立論争に終始した感がある。その間彼等の主張にはかなりの変遷が見られるのであるが、 以下立法、金融政策と関連しつつ、主なる論者の主張をとりあげ、当時の通貨論争の展望を行いたい。猶各論者に対する 精しい吟味、及び銀行理論の発展に関しては改めて論じたい。  所で、近時私の目的とする所は弗が如何にして国内的に整備されたか、いわば米国の独立より連邦準備制度成立迄にわ たる弗の国内変遷の過程を米国経済患想特に金融患想を背景として統﹁する事である。現在でこそ世界の通貨中代表的硬 貨である弗もその国内的整備、発展の過程は決して平穏なるものではなかった。独立以来の連邦主義者と非連邦主義者の 対立が通貨、銀行問題に入り込み、以後伝統的に米国金融問題は政治問題と密接に結びついていたのである。従って米国 の経済理論・経済思想という場合学者のそれより寧ろ政治家、知識入等の意見の方が強力なカをもっていた。それ故、弗 の国内変遷を研究する爲に米国経済思想を背景とする事は重要な視点を構成するであろう。国際金融論の一部門として取

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扱われるべき国際通貨一弗 −一を論ずる揚合、その国内的整備の過程を先ず研究する事が必要とされるであろう。 稿をもつて弗の研究を進めるにあたっての一手だてとしたい。 本 ① 拙稿﹃南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂﹄本誌四十号 、 二  戦争終結時の財務長官マカロック︵国.寓。O巳ざ号︶は牧縮論者であった。即ち経済的に有害な影響を与えないでグリーン バンクスを回窮する事を考え、四千四百万弗の回牧ほ安全であろうと考えた。然し戦後の反動と共に価格水準は下落し、 主として当時債務者階級であった農民の多い西部地域より反対が起った。当時の農民は彼等の狭い利潤の幅を増加する事 に失敗するや、農産物の価格を引上げ、流逓貨幣量を増大する事によって彼等の債務を低めんと努力した。 一方政府の牧 縮政策の結果、大量の失業を生じた爲、労働者も一八六八年全国労働組合︵ワ﹃騨酔一〇日P餌一 ピ騨ぴO扇 φ昼一〇β︶を組織し、所謂アメリ カ的金融制度︵b墓誉§留。。幹婁。出賢昌き。の︶として知られる女のものを主張した。即ち通貨は政府によってのみ発行され且        つ低利の公債にて償還される法貨︵両者の聞は相互交換可能︶のみが発行されるべきである、と。 牧縮に対する反対は所謂鉄鋼貴族︵H弓O︼P 騨腎臼 0鹿叶の①一H﹂O屑魁砿︶からも行われた。例えばペンシルヴァ昌アの企業家であり経済学 者であったH・C・クァレイ︵閏’oφo胃曙︶ は彼等の見解を最も明瞭に表明した。当時彼の主張は大きな影響を与えたの である。彼によれば、南北戦争の直前には米国は激しい不況に陥っていた。というのは正貨と銀行券が国内取引を遂行す るのに充分でなかったからである。企業は大なる利子を負担せねばならず、その爲生産を制限せざるを得なかった。然し ながら政府紙幣発行の爲不況は終り生産は加速度的に増加された。更に不換紙幣の増発は金のプレミアムを増大するであ ろうが・これは関税防讐して働くことにより企業家の助力・なるであろう、墓・      南北戦争後の米国通貨論射      六七

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南北戦争後の米国通貨論争 、馬   鞠、闘陶     ■辱●9●晒亡 国賜騒・一、         馬、       N一       も噺        一一一一一一一一一dtP一一t”一b一一

輔 枷蜘㎜ 励

1865 1866 1867 1868  1860=100 (半対数目盛) 銑鉄生産高 卸売価格 1869 1870 1871 1872 1873 1874 1875 Statistical Abstract of the United States, 1917, p.742より算出 W・ C一 MitchelL Gold, Prices and Wages under the Greenback Standard, 1908, p. 279 府をして低利の借款を得る事を可能にしたのである。 名誉をも失うであろう、と。ミルの見解は不換紙幣増発は何んら生産の増大をもたらさないという彼の正統派的立場を考 慮すれば当然であった。        六八 崩  此の様に戦争直後主として三者より牧宿反対、法貨賛成の意見が提出 されたのである。政府内にても議会の特別委員長︵留Φ。巨O。日巨。・臨。器屠︶        D・A・ウェルズ︵Hワ.b●司O印oo︶の報告に於いては高価格の原因を労 働の不足・不換紙幣・課税に置ぎ、課税の効果を最も重視した。 一方歳 入委員︵幻①くO昌β①OO日巨一襲田︶S・コルウエル︵鉾。。冒亀︶もグリーンバン           クスの存続を主張し、牧縮への一致した見解は見られなかった。  一八六八年の選挙戦に於いては、政府公債・証券を法貨︵グリーンバッ クズ︶正貨︵金貨︶いずれにて償還すべきかについて民主・共和両党は論 職を行った。南北職争期に発行された公債、証券は利子が正貨にて支払        れるべきものとされていたが、元金については規定されていなかっ た。民主党はあらゆるものにとって同一の通貨を主張し、共和党は公債 はそれが契約された法律の精棉に従って完全に支払れるべきであると した。後者はJ・S・ミルの支持にかなりの利益を見出した。彼はネイ         ション紙︵日野宮二丁︶に於いて次の如き見解を表明した。即ち利子を正 貨で支払う事は元金を正貨で支払う事を意味する。そこで此の含意が政   その借款が国を救ったが、今や民主党は此等の救済のみならず国の

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・       ・⑧  共和党の勝利は此の問題を解決には導かなかった。党自身がその問題について分裂を示したからである。民主党につい ても同様であった。当時の状況は銀行家であり、経済学者であったG・ブラドブオード︵9胃巴ま三︶に依ればこうであっ ⑨ た。実業に従事していようがいまいが、大多数の人汝は貨幣問題を支配する法則を殆んど信じていなかった。彼等はある 見えざる作用の結果として通貨膨脹と通貨牧縮、沈滞と恐慌を眺めたのである、と。

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ω.卜閑自ぎ貞ぎト鵯鴛寅昌O胃信。・巴ρ一〇悼ρサ。。O 国●〇一〇胃⑦ざ08茸き菖。ロg国々窪窪ざ鄭噂一。。ひρ破門℃ロび一ぼ︼︶①葺一一。。ひひ一日冨O自;昼寝£器怨op、一。。ひρぎ臼Uo臥目餌月日冨 国ooロ。目8寓ぼ恥ぎbヨ。ユ。僧ロQ守一嵩N餌獣。ロ噂﹁cOひαi一〇一cO闇く。ピ目︸一〇αごb娼.ひ一二 E・R・A・セリグマンに依れば亀ケァレイ︵一刈 Oω一一。。謬︶は元々自由貿易論者として出発したが、後保護貿易論者となり、正統派に反対した。当時与えた影響力は大であったが 後の世代の人々は、経済学に対する彼の貢献に於いて永続的な価値を殆んど見出さなかった。然し当時彼は一学派を形成したので あった。国・国・b・誓嵩瞬目騨♪国ω器岩ぼ国8昌。白塞”お悼⑨bや=一−悼 臼Uo臥日日戸。想・§こ題・。。1一〇ウェルズ︵一。。悼。。一一。。Oc。︶は化学者であった。後財政問題に身を投じ、国内歳入特別委員長となっ た。経済理論を解明するよりも経済事実を説明する傾向が強かった。国・国・b.弓α①目σq主僧昌讐。や臥酔こ娼サ一心Gnl一心ひ 侮・Uo臥目餌Pぎ建こ冒や。。1一〇 コルウエルはケアレイの学派に属するものであった。国曾鵠・b・q慶Φ目σq臼即腎置き崔二b・一心N 拙稿  前掲  六三頁 ..笥・の・自温言O・円ヒ。詳。昌.、”自鷲●一Q。”の㊦営.一。。ひ。。ぼU①§冨。目脂qD.旨日汁oρ国.宕。昌。戸団長8亀ぎσq。・o陶㏄ぎ寓器。・’国側守 工。筥。Ωo臥。¢<oピじ︵一〇一ひ一一刈︶㌦q■ψ寓巳。ロ窯三一〇ロ巴雪鉱跨、.日量口鉾︻o戸O。軟一ダ一G。ひQ。一ロ蝋■Uo跳日乗昌”o緊島酔こサ= q●ψ富︸芦℃ユ昌8覧霧O隔団9同邸。9国8βO日ざ一C。幽CQ一レω巨。嘱aこ一8ひ”︾釧㎝O 戸田訳 一九三−六頁 q.Uo臥筥餌Poサ。霊一b・=’ Φ.切弓豊門。巳−.甫冨日話三二唄切書。詳。。、、冒弓ぎ乞g昌bヨ①ほ。き國㊦<一①メ一。。刈ρ掛旨や80■ぎq.︼︶o臥ヨ鑓Pヨ達こ㍗= 三        ① 一八七三年の恐慌は通貨論争を激化した。 南北戦争後の米国通貨論争 先述の労働者及び農民の運動・は七四年の全国グリーンバック党︵客暮δロ巴Φで 六九

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     南北戦争後の米国通貨論争      七〇 ①窪無爵勺霧爵︶の結成に導いたのである。更に七八年二月のトレド︵目。一亀。︶大会にてグリーンバック運動は最高潮に達し        た。本大会に於ける主な決定は次の如くであった。即ち貨幣は国家の信念と財源に基礎を置ぎ且つ如何なる銀行機関の干 渉も受けず、直接に各人に配分され、公私を問わず全債務の支払に於いて法貨たらしめられる、と。  ニューヨークの金融界  C・ヴァンダービルト︵O. <鱒口切O弓び一一け︶によって率られた一は政府が流通界からひきあげた グリーンバックス再発行要求の先頭を切った。多くの批評家は恐慌が立法によって矯正し得ないという事を強調しだが、 その事が更にグリーンバックス再発行の要求に加速を加えたのである。 一般に銀行家は貸すべき貨幣がなく、債務者には        支払うべき貨幣が存在しないといわれた。 ︸八七三年議会が召集された時恐慌は恢復を始めていたが、通貨増大を求める 声は大であった。インフレ反対派はシャーマン︵q・ ωげ①同.目昌昌︶、サーマン︵b.Φ.弓げ弓言触︶、シュルツ︵O.ωげβ農︶によって 率いられたが対抗出来なかった。七四年三月下院は圧倒的な多数をもってグリーンバックスを三億五干六百万弗に迄減少 する法案を否決し、今更にそれを四億弗に迄増加する法案  インフレ法案竜華ぎ津津。ロ切δと呼ばれた  が西北部 の上院議員により持込まれ、三億八千二百万弗の額にて通過したのである。共和党出身グラント︵Φ茜曇︶大統領は通貨の 適度の拡張には賛成であり、右インフレ法案が提出された時、それは拡張を意味するものでもなく、又政府の信用に悪い 影響を持たないと説明した。然し一方では各地に於いてインフレ阻止の運動が保守的な人汝の組織的行動によって進めら れ、大統領に対してインフレ案阻止の強い要請が行われた。四月大統領は右法案に拒否権を発動した。パレットはこれを        もってインフレシ.昌ストの敗,北とするのである。  ︸八七五年にはインフレシ.晶ストに対する譲歩を伴ったが、正貨復帰法︵冨震質ξぎ屋ぎけ︶が通過したのである。その 主な内容は、ω自由銀行制度。圖新国法銀行券発行額の八0%迄グリーンバックスを回註する。それは後者が三億弗にな る迄継続する。樹小額紙幣を銀貨にかえる。四金貨に対する鋳造費の撤廃。陶一八七九年一月一日にに正貨復帰一であ

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   つた。然し㈲に関しては具体的方策は示されなかρた。バレソトは圖、団はインフレシ.ニスト、銀生産者に対する譲歩          であるとしている。          何故職争直後からの優勢な膨脹主義者がそれに対抗し得なかったかは必ずしも明白ではない。然しドーフマンに依れば 資産階級特に金融資本家は当時金にての正貨復帰に傾きつつあったのである。更に叉グリーンバック運動は主として農民 ・労働者によって推進せられ、同じく紙幣増発に賛成した産業資本家とは立場を異にするものであった。そして政府及び 北部の金融・産業資本家は当時既に欧州の主要国が金本位制を採用し、又それに傾きつつある情勢に注目していたに違い ない。 ︵桝えば一八六七年のパつ1国際貨幣会議に米国は代表を派遣したが既に各国代表により金本位制が勧告されたのである。︶ 明か に彼等と貿易関係を結ぶには金にての正貨復帰が好都合であった。例えば今やペンシルヴァニアの産業資本家はインフレ        ショ昌ストに攻撃を加えたのである。  先述の如く↓八七八年グリーンバック運動は最高水準に達した。グリーンバンク党の勢力は約三分の二が中部・西部、 一二 ェの︼が東部という適帰が可能であった。彼等は通貨発行は政府の︸機能であると考え、世界貨幣を否認したのであ る。又金融資本家に対しては彼等が公債を永続化し、その利子、元金が支払われねばならない通貨の価値上昇を目指して         いると激しく非難し、米国人は外国人の奴隷たるべきではないと云うのである。彼等の大統領候補者︵一八七六年︶P・ク ーパー︵やO。8需︶の論ずる所によれば、過剰生産は過少消費によって惹起せしめられたものである。即ち政府クレディ ト牧縮政策はあらゆる他のクレディトを牧署せしめ、これは企業を牧賀せしめ、従って所得の低下に導いたのであり、過         剰生産は表面目なものにすぎないとするのでる。然し一般にはグリーンバック運動の二二皿は農村であり、S.G・バック           がその著書に於いて、s・チェイズ︵の.o冨。・㊦︶の言葉−通貨を膨脹せしめよ、しからば小牛の価格を引上げ同時に債務 を支払いうるであろうrを引用する様にその理論は単純であった。 一八八○年の選挙職に於いても主要綱領は不明瞭で      .南北戦争後の米国通貨論争      七一

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あった。     された。  一方、  南北戦争後の米国通貨論争      七二 ただ金属であれ、紙幣であれ、すべての貨幣は銀行によってでなく政府によって発行され、 大統領候補者ウイーヴァ︵q. 回W。 ぐ﹃①沸く薗︶は三〇万票を獲得したのみであ.つた。 一八七八年より景気も転換に向い、欧州の凶作の爲穀物輸出は増大し、 価格は下落せず、農民は農作物を有利な価格にて売却する事が出来、 る。八○年並グリーンバック党は急速に瓦解して行った。 領選挙の時であった。︶そこに叉米国人のプラグマティズムの一面を見るのであるが、 共和党、 シ。ンであり、 従ってインフレーションの揚言、 を得ないのである。 法貨たるべしと主張               かなりの金が流入したのである。そして        彼等はインフレへの関心を失ってしまったのであ       ⑮       ︵政治上にてグリーンバック主義者が最後に出現したのは八四年忌大統        南北戦争及び其の後の再建によって、 民主党への投票の習慣が極めて強力に樹立されたのであり、叉一方グリーンバンク党の第︼の問題がインプレー            これでは当時の不満階級の全般的な支持を獲得しえなかった。更に当時の農民は自給自足的傾向が強く、        購買者としての困難な地位は相殺されるが、労働者の揚言は当然不利な立場に立たざる

①その原因については拙稿前掲七六参照    .

② 寓.の.薯昌創巨9戸富ob塁H鳶一葺ざロぎ臼⑦d伯州&ロp籟け⑦。。り一〇Nρや︻㎝O ’      ・ ③〇三鎚σq。炉ま薯ρ望冨悼も。=c。δ層冒臼U。臨巨呂し口.鼻二二ひ ④客。α.堵自画目き”寓8塁H罵一註。ロ貯鼻Φq巳叶巴の§①。・らマ§・㍗附ひO ⑤∪.O・田巨Φ罫日匿臼①窪び零霧薗ロ臼国Φ長日b日銭。自己Ωb鼠。並屋℃巳φ曇。。=。。ひ悼一あ刈O=8一層還・嵩。。IO ⑥∪●即∪署。ざ包轟蓉巨巨切酔。q。団爵①d巳“巴。Ω翼①㎝闇お旨讐薯・ω謬一⊂。 ⑦∪・O・切繕話罫。℃・。詳ごやあα立法についてはb・切・国①喜巨益O。暮①ω叶団。目ψ。目昌盛客。目。ざち8りな窟β巳図参照D   てはま箆二題.韻OlαひO ③・⑨㍉.∪。篤ヨ鋤戸8.舞‘唱■一ひ ⑩U.国.∪Φ碧ざ盟轟自巨閏同ω8昌︾ε噛葺こ題・ω刈Olc。一 本法につい

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騨Uo篤目餌戸8’9f庵.一刈   , 尊慶.9ゆ琴﹃oサ臥fマOO      , 臼Uo臨日餌μ噂。サ臥酔こ噂‘一Q。 グリーンハック主義者の理論、主張については,O・旨・宮ロ切。♪弓ぎO器①ロげ薗爵。凄9昌Ω日ず①冒Uo。・ 霞ぽ①9一。。刈Q。があるo U.国●Uo胡。ざ07臼£弓庵●ω謡lQo       ・ ロαの暇・切信。貫8.9∼サOひ ∪騨8噂唱7εi8         四  所で銀問題は一八七四年又は七五年以前には存在しなかった。バックに依れば重要な地位を占めるに到ったのは︼八九         三年の恐慌以後の事である。︵後述の如く此の年を中心として最も激しい論争が展開された。︶七三年の鋳貨立法によって銀弗は 鋳貨リストより落されたのであるが、その当座に於いては非難は聞かれなかった。銀の生産も未だ急増を見ず野鼠弗は独

       

立以来殆んど流通した事がなかった爲一般人の注意を引かなかったのであろう。 ロンドン市場比価  1870 15. 57  1871 15, 57  1872 15. 63  1873 15. 93  1874 16. 16  1875 16. 64  1876 17. 75 Stat. Abst. o£ the U.S. op. eit., p.543 銀ロンドン市場価 格(オンス当ペンス) 1870 1871 1872 1873 1874 1875 1876 609/16 60i/2 605/且6 593/16 585/16 56ii/且6 53i/s ditto, p. 543

米国銀生産額

  (エ00万弗)

1870 16

1871 24

1872 29

1873 36

1874 37

1875 31

1876 35

ditto, p. 741  然しながら銀の市場価格下落と共に問題は重大となった。七三年の立法通過後シルヴァメンの勢力はかなり増大を示し た様である。というのは彼等に対処する爲、例えば同法関係者のスチュワート︵の匿謬3はその法案は故意に通過せしめら     南北戦魚後の米国通貨論争      七三

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     南北戦争後の米国通貨論争       七四 れもたのであるとし、又ケリー︵≦亀∪も国O昌畠︶もその原案は委員によって詳細に吟味されたとしているが、後銀が本位貨 幣より落された事︵H︾㊦日O団㊦げ一N鉾一〇口︶は自分にとって説明されざる不可思議であるという様な自己弁護を行ったのである。         これらはヘップバーンも指摘する如く、シルヴァメンのカの増大を示すものに外ならない。そして当時に於いては必ずし も民主党が銀に、共和党が金に結び付かず、寧ろ地域的対立が激しかった。  民主党は銀の本位貨幣よりの追放︵H冒O日O昌O鴬δ叶一〇口︶を共和党の強奪︵響窪窪。霞9ぎσ々。︶と非難したが、一八七七年銀の         本位貨幣への復位︵剴O日O昌①辟一N鉾一〇目︶を要求し、アイオワ、オハイオがその先導をとった。此の具な事情の内R・P・ブラ         ンド︵切■団■]W︸騨づ9︶は一八七六年六月磁路の自由鋳造︵一八三七年に認められた純度、重量︶及び無制限法貨たらしめる法案を 提出し、通過したが、上院にてW・B・アリソン︵奢■切.b自陣O口︶が右法案を変更し、自由鋳造の代りに﹁定額の地金と鋳 貨の購入を政府に勧告した。長期の討論の後、㈲自由鋳造の代りに毎月二〇〇万弗以上四〇〇万弗以下の銀弗の自由鋳造・ 囲銀弗預託に対し銀証券︵ロロ一︸<Φ目 Oゆ弓叶一団一〇帥け㊦ω︶発行の修正事項をもって七八年、大統領ヘイズ︵国事。。・︶の拒否にもかかわら ず、通過した。これは銀擁護者に極めて評判が悪かったが、今後自己の目的に向って努力する事を決め、賛成投票を行っ       たのである。  扱、銀の市揚比価下落を見て複本位論者はそれは金の価値上昇、 一方金本位論者は銀の価値下落にもとずくものである としたが、いずれにせよそれは動かし難い事実であった。銀生産者は七三年の立法がなければ十六対一の法定比価にて銀 を弗に鋳造する事により利益を獲得したであろう。従ってその繁栄が主に銀鉱業に依存していた西部諸膚の人々が、銀の        本位貨幣への復位︵國O目O口①叶一N鉾一〇昌︶を要求したのも不思議ではなかった。  先述のH・C・ケアレイは今や自由銀勢力に加わり、彼の弟子W・D・タリーも七六年ロンドン銀市揚の恐慌に鑑み、        一八七三年以前の複本位制︵銀弗の自由鋳造、比価+六対一︶を要求する法案を提出した。此の時議会は上院、下院より夫汝

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        旧名、専門家二人よりなる八人委員会を任命し、報告書を提出せしめたが、多数報告は複本位制に賛成であった。彼等に よれば、銀の価値下落は銀の生産の急増によるのではなく、欧米諸国によって銀を本位貨幣より転落せしめた事︵U窪呂− ㊦彊餌§︶にもとずくものであった。叉商業取引増大にもかかわらず、貨幣不足の爲に価格が下落し、その結果資本家は生 産費をカバーし得ない。従って貨幣を投資するより保藏に使用している、と。同様の理由にもとずき企業家は借入れをな す事を恐れている。そして以前の彼等の債務は破壊的な程の負担となっている。その爲企業は沈滞し、労働者階級に恐る べき結果をもたらしている。複本位制は貨幣価値安定をもたらすものである。金銀法定比価と市揚比価との小なる乖離が 安価な方の金属に対して一定の需要を造り出すであろう。それによって高い金属に対する需要を停止せしめ、両者の等価 が恢復せられる迄、世界市場に高い方の金属の供給を行うであろろう。かくして複本位制は価値の唯一の要因である需給 にもとずいて働いたのである、と。然しグリーンバックス発行に対しては共鳴を示さなかった事は注目すべきであろう。 これに反し、小数報告はグレシャムの法則の爲複本位制維持は不可能であると論じた。多数案の考えは政治記者の間に多 くの支持を得たのである。          更に又、G・P・フィリップ Q﹁℃.℃巨与︶は複本位制度の原則はすべての将来の契約に於いて、 金銀が夫λ半法貨 ︵尊Ω①巳冨σq普日。監霞︶となさるべきである。即ち半分を金弗にて、他の半分を銀弗にて支払れるべきという所謂合成本位制 ︵二日筥。琶野白︶とも云うべき考えを主張した。又複本位制が銀貨のみの流通に導いたとしても可とするT・W・オルコッ          ト︵日.嵩噸98δ等が輩出した。  米国の豊作、欧州の凶作より起った一八七九年より八0年にかけての好景気は終り一八八四年には再び恐慌が起ったの である。  然し一方、八六年大統領に就任したクリーブランド︵Ω7 0一㊦<〇一帥口幽︶は民主党出身ではあウたがブランド.アリソン法を      南北戦争後の米国通貨論争     ,       、       七五

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     南北戦争後の米国通貨論争      七六 否認せんとする態度をとった。ヘップバーンによれば彼の党の一部に徹底的な銀反対者が居り、 ︸方西部の党員は銀に反        対しない態度をとる様要請したが、彼は金融恐慌は銀鋳造の継続によるものであるという信念を強く表明した。彼は右立 法が銀弗の八五%をも国庫に蓄積し、銀弗は主として租税による政府受取として使用され、同時に銀証券も政府の金債務 及びグリーンバックス回牧の爲に役立っ国庫の金を排除したし、且叉排除しつつあるとし、銀弗鋳造停止案を下院に提出         したが、否決される結果に終った。  八五年以後三、四年間は好況であったので銀証券はかなり吸牧され、その結果金を駆逐する事は少かった。︵一八八三年        二月には金準備は二二一千九〇〇万弗迄増加︶此の様な状勢の下に才二の銀立法ーシャーマン銀購入法︵ロΩゲ霞ヨ§醜穿霞勺q琴 霊器ぎ静︶が︷八九〇年成立した。本立法成立の一因として吹の如き事情がある。即ち共和党出身ハリソン︵H桝即丁目一ロ喰O口︶大統 領がマッキンレイ︵考●自O]囚一昌ざ団︶と共に大統領選挙職に於いて最大の問題となった関税問題を重視し、銀の自由鋳造を避 ける爲、叉関税立法成就の爲に馨る銀立法が必要であると考えていた。大統領は銀の基礎に危険をもたらす事なく銀の使         用を増加する立法が必要であると宣言した。いわば自己の目的を得る爲の一手段となしたのである。財務長官は毎月四百 五〇万オンスの銀地金の購入が要求せられる。銀購入に対して発行される国庫証券︵冑①霧β員累9。。。︶は要求にもとずき金         銀貨にて償還され、回牧されたものは再発行が可能であり、前罪立法の銀証券と違って無限法貨たらしめられた。  更に世界的にも一八七八、八一、九二年中複本位制について国際会議が主に米国の主唱の下に開催されたが満足すべき        結果は得られなかった。  ①QQ●覧bd昌。F。や簿ご題.一韻1ひ  ②拙稿﹃弗発展前史i米国複本位制度一﹄六甲台論集三巻二号八三頁以下  ③Pヒ⇔.国¢暮霞pb■国翼8嘱。団爵㊤O珪唇昌ミ冒嘗Φd昌一8qψ藝φ。・LO5Ψ悼Oω

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④映切.国㊦暮弩pb国蓉。噸。論O霞富ま¥。プ鼻こサト。刈。。 ⑤拙稿弗発展前史前掲八五頁参照 ⑥犀毒・図霞日霞零︾旨。冨団=Oωダやωま ⑦召ロ.q・切ぎぎ8●簿;賢笏刈 ⑧・⑨q.∪。属日餌♪8.。同汁;署・一。。一一〇 ⑩・⑪∪§Pワ一〇

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⑰ 映切●国。喜類Pb国響。蔓。隔O霞目8畠層8●舞こサP8 輿笥・国①百目電Φ♪oや。罫噂眉.ω。。一       , P切.国89唇︸臣巨ω8高。隔O霞富まざ8.騨こ娼.ωOO d奪ρサωOP 国’名・国ω言目母窪噂﹂ob.9け二b℃.⊂。c。ω1♪b・]W.閏Φ喝ぴ霞目Oo曇①ω叶筋。りOao口昌衛旨。ロ①ざ。サ巳酔こ魯隠口衛餌b●日露,市場価格にて購 入。但し、一銀弗が含む純銀ωごも団﹀。。グレインが一概を越えぬ価格。 P切■国8げ口弓戸b国翼。量ohO霞弓§。ざ8■9け二嬉.PO一1Nωミ● 五  大衆の不満は人民党︵団O眉償一一〇〇酔層節弓貯︶の結成に於いて頂点に達した。 党は主として、西部、南部に於いて最.も優勢であ り、農民を中心としたものであったが、それに限定されたものではなかった。それは以前の農民運動の流れを汲むもので あったが、貨幣に関する主張は異ったものを持ったのである。 一八九二.年の党の最初の全国.大会に於ける綱領は次の如き ものであった。即ち政府のみによって発行される安全にして健全、且つ伸縮的な通貨iそれは全債務に﹁対して完全法貨         ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  へ たるべし−又はよりよい制度は十六対二の法定比価に於いて銀及び金の自由にして且つ無限の鋳造であり、 一人当五〇        ロ    弗となる迄流通手段を増加する事であった。 ︵傍点筆者︶ドーフマンも貨幣増大を求める彼等の一般的な要求はその基礎      南北戦華後の米国逼貨論争       七七

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     南北戦争後の米国通貨論争       七八         をグリrンバックスより銀に転じたものであるとしている。例えば一八九六年の大統領候補者として彼等はグリーンバッ        サ ク主義者から選ばれたS・F・ノートン︵ψ● 岡■ZO尾叶O昌︶を拒否し、自由銀を主張したW・G・ブライアン︵白・臼切蔓き︶ を推したのである。  所で︸八九三年を中心として欧州を始め、米国に恐慌が襲来した。国庫の状況、西部、南部の農業不況、八0年代の過         大投資、英国の恐慌等が原因となったのであるが、 ︸億弗以上の外資が引揚げられた。九三年再び大統領に就任したクリ ーヴランドはシャーマン法に激しい反対の態度をとり、恐慌は銀購入法の爲であると非難し、両党夫汝内部分裂を示す程         であり、激しい議論の後、右法を廃止したのである。  然しながらその方策は恐慌を阻止する事が出来なかった。いわばクリーヴランドの貨幣政策は自由銀勢力の爲に弾薬を          提供したのである。再び議会の内外にて複本位制への動きが強くなった。大統領は正貨支払復帰準備の為﹂・Pモルガン ︵臼勺.旨。茜碧︶及びA・ベルモント︵b.bゴ巴日。艮︶を中心とした公債引受組合︵oα着q冨け㊤︶による三〇年四%利付公債引受        の結果約六干五百万弗の金を獲得したのである。これに対し銀擁護者及び米国労働総同盟︵AFL︶はウォール街の為に祖 国を裏切ったものであると非難した。通貨問題に関して極めて激しい論争が起った。         B・アダムス︵ヒd.卜網野ω︶は以前十年問に於いてはグリーンバック主義者を激しく攻撃したが、今や彼は自己の立場を 変えた。即ち生産階級は銀行家によって打撃を受けている。後者は世界の金を独占したのであり、立法によって金を唯一 の価値尺度としたのである。銀の鋳造を停止すれば、通貨は非弾力的となり、供給を制限された商品の価値の如く、貨幣 価値は操作され、人類は彼等の臣下となってしまう。その為に銀行家は借款を縮少し、金を引上げ、恐慌を促進せしめる        のである、と。更にA・キソトスン︵b. 中門⇔ωO昌︶は次の如く主張した。即ち自・田銀鋳造は犠牲にされた国家の独立を再び 確保せしめるであろう。それは貨幣量を増加し、債務者の債務展行を可能にするであろう。金か債務をつくり、人証をし

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てその支払を不可能にしている。その為人類は永久の束縛の中に置かれている、と。       ヨ         ..Ooぎ、、野差扇として知られるW・H・ハァーヴェイ︵考.H肖■国餌遍く①図︶の主張はこうである。経済学に関するあらゆる 記者は貨幣数量説を認める。若し貨幣数量が大であるならば、世界の財産の価値は弗又は貨幣単位であらわして同様に大 となろう。而かも最終的に償還可能な貨幣︵暮雪ミ。隔葺ぎ器器9日目窟ざロ︶即ち基本的な貨幣︵謬ざ唐自亀︶のみが価値に 影響を与えるのである、と。本書はかなりの反響を呼び、例えば銀行家のG・E・pバート︵Q冒手淫。び。邑は銀行家の立           揚より反論を行った。即ち困難な時代は認めうる。然しO。貯氏も彼の煽動派も過激な変更を加える事により更に困難な 時代を創出している。疑わしい通貨立法程、あらゆる人々が待ち望んでいる恢復を遅らすものはあり得ない。彼等によっ て提出された考えのすべては以前使用されもし、又非難されもして來た。金融界は此等の理論を信用しないのみならず、 強く否認するのである。理論家に景気恢復を認めさぜるだけでは充分でない。資本所有者に安全に見せる事が必要でありh 彼等の信任と協力無くして景気恢復を図る企ては馬鹿げている、と。  一方クリーヴランド内閣はA・D・ペリー︵Pピ。℃霧崎︶ に銀擁護に対する短いが鋭く、理論的にして且つ平易な否認         を準備する様に要求した。又、議員のM・D・ハークi︵蜜.Hγ 国簿目什O尾︶はα・ホプキンズ大学のD・C・ギルマン︵,O璽         毎巨窪︶にグレシャ.ムの法則を立証するあらゆるケースを挙げる様に依、幸した。反銀論者の最も強力な経済的議論は自由 銀が弗の価値を六〇仙迄切下げ、経済に概乱を生じ、それからの恢復はあり得ないというのである。 一八九六年の大統領        選挙戦はドーフマンに依れば、米国の歴史上経済理論に中心が置かれた最初であウた。共和党は彼等の側に多数の有名な        経済学者を擁したが、民主党は数多くの新進経済学徒及び年長の保守的な学者の一人M・ウィルソン︵自。 ぐ﹃山岡一〇ロO昌︶を持っ たのである。  共和党はW・マッキンレイを候補に推したが、民主党の全国大会は反クリーヴランド派の支配する所となり、人民党と      南北戦争後の米国通貨論争      噛       七九

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     南北戦争後の米国通貨論争       八○ の提携が企画され、W・J・ブライアンが候補者に指名された。彼はマッキンレイとは対照的に最初から自由銀を主張す         る事が自分の目的であるという立揚を一貫してとって来た。彼は多くの経済学考の論法を使用した。当時最も良く知られ た法期は需給の法則であり、此れに立脚して彼の議論を進めた。即ち我汝が貨幣量の減少が弗の購買力を引上げるであろ うど.云う時には需給の法則を銀に適用しているのである。世界の人汝は本位貨幣の量を増加する金融制度を要求する。又 金本位制は保蔵を奨励する。というのは貨幣価値が騰貴し、産業は沈滞し、企業を麻痺せしめるからである。これに反し 複本位制の下では価格が上昇し、貨幣は銀行に眠ってはいられない。彼の最も有名な言葉は、労働者に金の針の冠をかぶ させないし、又入類に金十字架の苦難を受けさせはしないというのであった。         一方マッキンレイは、元は銀擁護者であった。此の時迄には既に金本位制度が経済繁栄に必須のものであるという主張        が実業界の最も有力なグループに於いて見られたのである。ドーフマンに依れば、実業界の此の意見の一致の多くは、マ ソキ、ンレイのブレインとも云うべき皿・ハンナ︵寓.国華§︶に負うものであった。彼の指導の下、大企業はマッキンンイ を好況の先発員︵蕾巴く寒。Φ遷①馨。白煙。。。冒の蜂冒︶として支持した。そして相当の資本家は今や民主党の支持を放棄したの である。民主党の指導者は党がすべての大トラスト、大企業、シィンディ.ケイト、銀行等によって攻撃されていると不平    @ を述べた。  然しながら南阿、アラスカに於ける金の発見は、青化法採用と共に、その産出の急増をもたらし、更に一八九八年の米       ゆ 西載争及び九七年置関税改訂は好況の波をもたらした。又戦争により国内世論は統一され、金本位制確立への疑問は消え       ゆ 去った。此等の事実は銀擁護者にとって恢復出来ない程の打撃であった。  ここに一九〇〇年金本位立法が制定され、弗は金と結びつく事となった。即ち純度9一10の金二五・八グレインの弗をも って価値の標準とし、米国に−よって発行され又は蕗造されるあらゆる形態の貨幣は此の本位と等価に維持され、合衆国紙

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米国金生産額

 (DO万弗) 36 @40 47 53 57 64 71 79 79 80 74 80 88 94       0

㎜脳舳陥甜脇舳㎜衡肥㎜甜陥凹

Stat. Abst. o£ the U. S. 1917, op. eit., p. 740 幣、国庫証券は要求により金で償還されることが決定されたのである。  一九〇〇年の選挙戦に於いては民主党は米西戦争に関連して帝国主義を主要問題としたが、その綱領には猶銀の自由鋳 造を含んでいた。ブライアンは一八九六年末の金生産増大がその問題の重要性を減少した事を認めたが、全くそれを放棄 する事は出来なかった。然し一九〇六年迄には彼も全くあきらめざるを得なかった。即ち彼の云うには、金生産の予期せ ざる且つ未曾有の増大は両者に勝利をもたらしたのである。即ちそれは金本位制度を確保せしめ、同時に複本位主義者        の目的であった貨幣の位給量増大を確保せしめたからである、と。

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⑳ ⑳    南北戦争後の米国逓賀論争      八二 b’国詳ωOロ噂bω9Φ昌自腔。の。︸β菖O昌O㎞けげφ寓O昌O図の信。㏄㌶O昌一一cQO9一ロ㍉●]︶O戸.h目即目一〇㍗臼eご弓.盛物﹂ひ 零.国.悶荒く。ざO。冒.。・頃ぽ餌昌9舘oQ魯oo剥一。。OG心噌ぎ白Uo篤巨帥♪。℃・。罫”軍P覧当時貨幣数量説論者の代表者としてS・ニュー コム︵OQ● り臼O賃OOヨぴ︶、反対の立場に立つ代表者としてJ・L・ローリン︵㍉・U・じ讐⑳巨ご︶が挙げられる。﹄・U曾.h唐餌P。や聾こ 題.c。ω1即唇●培一一心.参照 Q・国■國。ぴ電FQo冒暮の畠09ぼ国ぎ岱昌。9一。。OGn冒∪含酢PワB刈﹁猫、H・ホワイトも反論している。国田斎会3Qo津.ω周ぎ僧ロ臥鉱 蟹OO一一 一。◎O㎝ 国.O・国日の同﹃噌の一国O<δ≦O隔b.国用のOロ鴇。コの。冨肖寓津。ω9β菖OβO隔けげの寓O昌O網8偉φω江Oロ”噸.℃O一詳8覧0寓Ωロ88葺塑同室尾一図層UOO.一cQ¢G︹咽Ψ刈ωω 一昌q●]︶O弓胸巨餌ロ一〇も.O騨.︸b.悼NcQ 白.UO同南冒騨口讐一び一q・一b・悼悼cQ U寒ρウイルドマンも自由銀運動は学会の支持を大いに受けたとしている。旨.oQ・葛=黒日§一。や騨こ唱やp21p 自・芝昌訪Oβ一目﹃OH酬OO9“O℃目OしσbO胃罫や僧ロ自℃げ障Oo慶O弓一一団O陶⇔d一日の響一員ヨ一一cOOひ =切塚賢塑昌.ω団一ρOΦ一昌国冨評O目気.、一目げO国9ロ評①o脅、ω旨帥晦9巴昌O層2d︿●一〇PFb娼りひO一−悼 妻曹q.切属団剛比響。ロb80ロOo。O隔均・笥・切弓唄9昌一一〇一ωΦP<O一層一直やNひDlP刈愈19刈¢一目q.]︶O幅鴇目窪昌ピOや。詳こ︾PP¢ =切罵網餌β曽ω℃一塑O①一ロ国ゲけO腎唄噌”噂Oも’O罫■−冒●ひO一 q●︼︶O目隔日餌目噛Ob。O一甘︸も・帥し心O 周・O・︼円。朝ρ日げOOOβ隔のωo。ざロO隔餌罰簿O同日①♪一〇悼μゼ・一心メq.国・OOヨ日Oロω噂寓団器周り︸OGo♪噂やcOP−cQこゆ一口p侮﹂︺O屑㎞ヨ餌ロ一一び昼●甲bbωO 喝●国隣ぴぴΦロ闇円財Φ聞ΦΦ二Φ藪。ω﹃Φ幾Φ♪一〇P即唱’悼Oご]口・円・国①O犀−日周ゆ富帯団①9憶qaO幽⇔ぽOH鮮9ロげにO一cQQQ⊆﹁1一〇〇ωηb’σ=騨一昌監’UO層㎞巨餌昌℃ 一び一9ご昼.口⑪O       . ディングレイ︵∪訂σQξ︶関税法、五七%引上 b冒じ⇔噂国の喜毎ロ’b国匿。噸。hQβ尾Φまざ。や。壁一薯・ω刈心一⊂・一閑・雪国胃きP6冨∪。に舘闇一〇㎝ρb.謬’訳本三四頁、q・U。眺− 日9昌りOb幽O騨こb.悼ωO 毛●蝋・︼W曼き”oロ陽。§。り・o隔貞噸9鴨竜諺鴫く。︼■閏,︾●誤ぎ臼∪9ら臼舘ごε.。一fや8一

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A

 以上南北戦争後より金本位制定迄に亘る期間の通貨問題を当時の通貨思想、金融政策、立法等に関連せしめつつ追求し て来た。此の期闇は大きく云って戦争直後より六八年額の綿縮問題、七三年より八○年に到るグリーンバンク主義運動、 一一噛隔■k      NN.一 sN     [    一    、    、   、   、   、  \  、 、 、 、 ..t−N tt/v ’!  ,’

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  ’    ,’     鳳 200    0       0    rD       O 南北戦争後の米国通貨論争 1860 1861 1862 1863 1864 1865

1 

¥c糞翻

1866 1867 1868 1869 1870 W・C一 MitchelL Gold, Prices and Wages under the Greenback Standard, op・ cit. pp. 29, 23Ni4, 279より算出 及び七四、五年より始まり九三年を頂点垂する自由銀運動に分類し得 よう。載争直後、牧縮反対は農民、労働者、産業資本家より起ったが グリーンバック運動は主として農民及び労働者によって進められた。 彼等はグリーンバックス増発を唯︼の主張としたのであり、彼等の理 論は単純であった。そして一八八○年の農業好況により潰滅してしま った。 一方、自由銀運動はその流れを汲むものではあったが、かなり の学者の支持を受げたのである。特に九三年の恐慌を中心とした自由 銀運動には最も多くの入六が議論に参加したのであった。代表的論者 の主張、理論は上掲文献入手困難の為、主としてドーフマンの著書に よったが、更に研究を進﹂めたい。  扱、金融資本家は大体最初より金本位制に賛成であり、 一方産業資 本家は最初は通貨牧縮に反対した。それは不況と密接な関係を持って いた。又通貨価値下落は一種の関税として働くと主張した。後に到り 世界状勢及び主要貿易国との関係上、金本位制に傾いた様である。そ       八三

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f      南北戦・争後の米国通貨論争      八四 の場合為替相場は固定されるので朋かに通貨価値を下落せしめても関税の機能を果さない。通常インフレーションの初期 に於いては為替相揚下落が国内物価騰貴に一時置に先行を示すのである。即ち為替ダンピングの機能を果す事は︸般に認        められている。然しインフレの牧束又は悪化と共に両者の乖離は縮死するのであり、米国の冷酒も六四年を頂点としてイ         ンフレ装束と共に却って右図の如く逆転を示している。通貨価値下落が果して当時関税としての機能を果したかは疑問で あろう。六四年.の如く、保護関税も強化されているのである。又労働者にしても後半には、東部にては銀弗に反対であっ         た。銀弗はその地域には豊富でなかった。  所で銀鉱代表者としての眞のシルヴァメンの勢力は大であった様には見えない。何故ならば銀の比価は下落してい.るに もかかわらず、好況時には銀運動は弱まり、一九〇〇年以後才一次大戦迄はそれが見られなかったからである。寧ろインフ レ論者とデフレ論者との闘争と看徹しうるであろう。その点は先述のブライアンの言葉からもうかがい知り得るのである。  上述の如く通貨拡張の要求がグリーンバックスから銀に移った事、而かも金でも多ければ良いという考えは一般の硬貨 に対する強い執着心、所謂硬貨派の強力さを示すものと云えよう。此の事は米国銀行論の発展を研究した上でなければ断 定出来ないが、連邦準備制度成立迄云うべき中央銀,行は存在しなかった事、又過去の金融恐慌による免換停止を考慮する 事によっても理解し得るであろう。  ①09国暮。二Φ5U自ぼ討雪暮一。口舘Φ属弩号劃6G。⊆。訳本﹁二三b=﹁五頁墨客円げ8H.網焦H馨霞自警。富口唇.賎①︵国賀脳狂犀日寅霧●帥 ② @@ 涛Φ<謝巴︶ちOひ噛唱唱.O一一悼

当時の為既墾∼・・ルに吉際・れてい・。︵・ン・・当六・贔享形価格三。・盤鶉藁蕪皇・壷β

ホミω魚︶貞.O・舘ぎ冨肩Ω9P国。奮ωき画零9σq。ω訂巳曾夢②Φ塗撃蜜昏。Ω¢邑舘P8■。ξサ℃緊悼詔き9陶P右手形価絡は短期 聞のみ示されて居り.英・米物価指数と比較出来ないので、相場の変動を表わすものとして金の価格をとる。 寓.砿●白ロq巨餌Poや包け■讐刀■8刈 南北戦争以前、既に﹁八﹁四年には銀行、政府により、三七年には銀行により免換停止が行われた。∪・切■OΦ毛⑩ざ書.騨二寒.一ホbOO

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