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南北戦争期の「グリーンバックス・インフレーション」

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南北戦争期の一グリーンバックス・インフレーシ・ン﹂

【         合衆国の金融史上南北戦争といえばグリーンバックスと云われる程人口に黒海されている。然しその実、此の聞題を論 じたものは我国に於いては少い様である。  本稿に於いてはグリーンバンクスの発行過程及び当時連邦政府の財源として如何なる程度の働ぎをなしたかを最初に取         扱い、而して南北戦争期のグリーンバックス・インフレーションを悪性インフレとして挙げる立場もあるが、然しそれは 如何なる程度及び性格のものであったかを次に論じてみたい。  当期は合衆国が未成熟債務国より成熟債務国への移転段階に当り、その生産力も大いに伸張し、 一八七四年頃より入超 も出超に転じ、南北戦争こそ後期産業革命の一大推進力であったと云われている。而して此の発展に於いて指導的地位を        果したのは勿論北部︵困創Oや二一 憩帥螢辟Oo2︶であった。というのは連邦︵d毘爵︶より脱退した南部は南部連合︵O。郎津富蜀審ω§霧︶ を組織し財政手段として主に南部連合紙幣︵Oo臥09轟8冥9譲︶を発行したが、南部の敗退の為無価値となってしまった。 而して南部はその経済が元来北,部依存であり、自らは棉花、タバコを中心とする大土地農園奴.隷制度であった。従って戦 争による軍需品確保の為当時迄の貧弱な工揚を軍需向に切替えねばならず、又その上敗戦.の一主要因が食糧欠乏にあり、      南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーシ。ン﹂  ,      五九

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     南北戦争期の﹁グリーンバンクス・インフレーション﹂      六〇         その通貨価値の急激な下落、価格水準の激しい上昇の為悪性インフレに陥るとも当然であった。  然し戦時中グリーンバンクスの流通地域は北部に限られたのであり、従って一般にグリーンバックス・インフレーシ. ンと云う場合当然北部を指しているものと云えよう。    、

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正式の名称は合衆国紙幣︵目げΦ O︼P一輪①働 のひ餌叶Oごユ ZO⇔①6自︶である。裏面が緑色の為一般には此の様に呼ばれた。 例えば金融辞典︵東洋経済︶一=二頁。 北部は大平洋岸も含まれ二十三州.南部は十 州であった。 一八六五年越自県物価水準は戦前に比較して九二倍に迄急騰した。国■冨.常日①5..冒。暮ざ団民8㎝・騨難曲帥σqΦ砿ぼ夢⑦Ooほ巴Φ鎚畠・ 一。。2∼①U、.噛の目舘.q。霞●。隔国8昌。巨。。・層国①び.お伊90.N轟 猫当時の人名、事件等には原語を附する。 二 ▲  南北戦争の開始は一八六一年四月であった。然し五七年春の好景気を頂点とし、夏には恐慌が起り、為に政府歳入は直        ちに影響を受け、赤字が発生し、既に国庫証券、国債の発行によりそれを補わんとする状態にあった。          北部の財務長官チェイズ︵の●O冨。・Φ︶は六一年七月の特別議会の報告に於いて国庫は極めて不満足の状態にある事を主張 し、新会計年度の必要経費を三億二千万弗と見積り、その内約八千万弗を課税、二億四千万弗を借款による事とした。課         税に重点が置かれなかったのは六一年掛モリル関税法︵冒。H匹円浮足b&の効果が未だ不明であり、且つ戦争が短期であ         るという見通しによるものであった。更に合衆国では独立以来伝統的に国内税は賦課されていなかったのである。  チェイズの主張を基礎として六一年七月十七日国家借款法︵露華曾旨い8ロb3の制定を見た。本法は五千万弗を越えざ る低利又は無利子の要求払国庫証券︵]∪①置9口自 客O什Φ胆︶を含み七%利付二〇年国債、 七二二%利付三年国庫証券︵学$。。β昌        ロ。曇︶による二億五千万弗の借款を認めた。

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此の立法の下後者の三年国庫証券一億五千万弗の発行を銀行借款によらんとし、 第1表 (100万弗〕

資本金無慮額愚智劉鐵守

旧 銀 扇 67. 0 19.1 9.5 35. 0 10. O s. e 102. 0 29. 1 14. 5 69. 9 38. 2 1,1冒8

ニューヨeク

ン ト ス ボ フイフテルフイァ D・ C・ Barrett, The Greenbacks and Resumption of Specie Payments, 1862N1879,

1931, p. 12. , ,v

南北戦争期の﹁グリーンパソクス・インフレーション﹂       ニューヨーク、ボストン、フィラデル フィア各都市の銀行代表者の賛同を得た。然し此の額は当時銀行にとって過重であり、銀行 側は準備を守る為に右金額を銀行預金とする事を主張した。それにも不拘、チェイズは独立         国庫制度︵H口動①灯059の口酔 窪目Φ餌ロ2dF弓唄 oQ図ロユ“Oヨ︶を主張し、借款全額を銀行に預金する事を拒否した。 此の拒否は銀行に多大の動揺を与え、正貨支払停止の一因となったのである。  更に一八六一年初に勃発したトレント号事件︵日弓①︼P酔 畦㎞窪随弓︶1北軍による英船トレント 号に乗船していた南部連合政府官吏の逮捕−、及び上記各銀行よりの借款は一時的な方策 に過ぎず国債を基礎とする国法銀行を計画しつつありという十二月のチェイズの発表は銀行、 の動揺に拍車をかけた。トレント号事件の為に英国との戦争の危険が増大し、従って欧州特 に英国に於ける国債募集の可能性も消え、更に南部胸囲の分離に端を発して金融恐慌が起り 大衆は預金を引出し、正貨への転換が続発し、各銀行の準備も澗渇し、先述の国債、証券も 大なる割引なくしては売却不可能となった。  遂に十二月二八日、ニューヨークの各銀行はその対策の為の会合を開き、三十日より正貨 支払の停止を決定した。各州の銀行及び連邦政府もこれに従わざるを得なかった。  所でミッチェルに従えば先に触れたチェイズの十二月の報告が後の法貨案の基礎をなすの      であるが、彼は同報告に於いて次の六ク月間の予想赤字を二億一千四百万弗とし、これに対 処するに課税による五千万弗を除いて大半を借款によらんとした。叉彼は借款を容易にする 為に州法銀行の準備として国債の購入を要求し、以て州法銀行の国法銀行への改革を主張し       六一

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     南北戦争期の﹁グリーン式ックス・インフレーション﹂       六二 た。然し当時州法銀行の勢力は強くチェイズの計画実行の可能性は薄かった。  彼の十二月の報告は下院対策委員会︵日﹃㊦ OO巨馨一“けO① O㎞堵餌団重畳日月9 寓O餌昌¢︶借款担当部門に附託せられた。右部門の議長は 法貨に対する強い賛成者であり、法貨の父ど云われたスポウルディング︵国・O﹁の可騨蛸︸9一昌σQ︶であった。  然し六二年↓月、二回にわたる先述三都市銀行代表と政府側の会談でば国法銀行案は認められたが、法貨発行に訴える         べきでないとし、特に右銀行代表は低利又は無利子の国庫証券及び法貨の発行に対して強い反対を表明した。  所が右借款担当部門より法貨案が提出されるや今迄反対を続けて来たチェイズは危機打開の為止むを得ざる処置である とし、今迄の自己の立場を逆転した。元来彼は硬貨派のジャクソン︵鋭酌爵。。o目︶、 ベントン︵bd。暮。冨︶の強い影響を受け         ていたが、財政上の経験も無く、あまりにも軍事面に精力を傾けたという非難がある程であった。その上頭初北部にとっ て戦況も思わしくなく、国庫も逼迫し、且つ叉ボス・﹁ン市各銀行が一月の会談に於ける銀行代表者の決定に従わなかった         事が彼に影響を与えたのである。  法貨案に関する最初の議論はスポウルディングによって六二年 月末に開始され、法貨発行に関する指導権は全く彼の 手中に帰してしまった。法貨発行反対論者の論拠は主として過去の悲惨な経験及びその憲法上の疑義に置かれた。後者に 関しては、憲法は各州の法貨発行を禁じていたが連邦政府及び議会にその権利が与えられているか否かに関しては明白で       はなかった。  一方要求払国庫証券は正貨支払停止の為償還不能であり、国庫証券及び国債も大なる割引無くしては売却不能であり、 国庫は急迫した。従って法貨発行は必至の方策であって選択の余地がない事態に到ったというのがスポウルディング、ス        ティブンズ ︵已.の8<Φ塁︶、フェセンデン︵堵’型霊。・。・Φ昌窪︶等の最も有力な賛成論者の抗弁であった。 彼等の主張は説得 的でなく激しい論争を展開したが事態の緊急性の為遂に議会を通過する所となった。

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 斯くして最初の法貨立法の成立は戦争開始以来十ク月以上を経過した六二左・二月二五日の事であった。即ち一田一億五千 万弗の合衆国紙幣︵哩け① q昌一け①働 の什餌瞥Φqを 三〇酔Φo自︶  グリーンバックス  の発行。囲それは法貨たる性質を持つが輸入税及び 国債、証券に対する利払を除く。偶右法貨は五%の利子にて預託証券︵oΦ噌。強§窪9∪9塁山け。・︶と引替に国庫に預託が可能        であり又要求にもとずき五∼二〇年六%利付国債への転換が可能である。此の様にグリーンバックスは最初間接血汐が可 能であり、.一方輸入税、国債、証券の利払には正貨が使用されたのである。  不換紙幣の発行は継続され易い。以上の額の発行及びその他の借款も思わしい成果をもたらさず、結局七月更に一億五 干万弗が発行されるに到った。今回の発行に関しては反対者もあったが、スポウルディング、エドワード︵β言国雪母q︶ の如く国庫の音入確保手段として国債、証券を大なる割引価格にて売却するより法貨発行を選ぶとの意見も強く、結局長         い討論は浪費であるとして、初回程は論議されなかった。  同年七月より国庫はやや好転を見せたが、戦況北部に楽観を許さず、更に軍隊の増強が必要とされ、その家族への支払 等の要求も加わって六三年一月より第三法貨案が問題となった。仮令グリーンバックスの減価があるとしてもそれは銀行 券等、の過多によるとか、商品価格も実質的に上昇しなかったというチエイズの主張、叉借款を容易にする為にはインフレ        ーシ.ンは必要であるというスポウルディング、ホートン︵ノさ ヒd●国O圏骨O昌︶の意見も起った。三月の立法によれば、ωグリ ーンバックス一億五千万弗、吻一〇∼四〇所論%利付国債、㈲利子率六%以下の三年国庫証券四億弗の発行が認められ、 以上三者合計は九億弗を起える事は出来ない事が決定された。 一方、本法に於いてグリーンバックスの五∼二〇二六%利 付国債への転換が廃止された。というのはそれより低利の国債売却を困難にするというチェイズの異議によるものであっ ⑰ た。然し此の為グリーンバックスの間接免換の道が閉され国債価格が上昇した時、それを流通より濡鼠し、短期に正貨と         等価にもたらす自動作用の停止を意味したのである。      南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂      六三

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     南北戦争期の﹁グリーンバンクス・インフレーシ。ン﹂      六四  以上の如くグリーンバックスは南北戦争期には都合三回発行されたが、国庫に対して迅速な援助効果をもたらさなかっ た。それは止むを得ざる最後手段として使用されたのである。       ⑲  更に戦争後半に於いては政府支出は初期に比べて遙かに多額であったにも不拘、グリーンバックスを更に発行する事を        ⑳      ⑳ 避け得たのである。というのは能率的な国内課税制度の確立、一般国民が納税を避けず進んで果そうとする傾向の生じた 事、私的銀行家クーク︵9000ぎ︶ による五∼二〇年六%利付国債の売却が極めて成功的であり、六四年一月並に三男六         の 干万弗の売却に成功、北軍勝利の確信、六三年二月、六月に国法銀行法が通過し、整備された事等が大ぎな役割を果した からである。          一方議会に於いても更にグリーンバンクスを発行する事は好ましくない結果を生ずるとの意見も優勢となって来た。ク ークによる売却は大きい成功をおさめた。然し国債を政府の直接統制外の機関を通じての売却は投機家等に乗じられ易く         又彼が不当な利益を得ているという批判が激しく起った。為にチェイズはクークによる売却を止め、国法銀行による売却 を企てた。猶、五∼二〇%利付国債を更に条件の悪い一〇∼四〇年五%利付国債に変更した為に売行きは不振となった。         此の失敗に徴して彼は各種の短期借款によることとし、一年及び二年五%利付国庫証券、三年六%利付複利証券︵o。喜。・ g昌置醇㊥。・“客。曇︶一年六%利付債務証書︵OΦ国骨陣記田〇叩けΦロ O㎞ H目口Oび骨Φ諸口Φ砿。自︶が発行され、六四年一月∼六月にかけての利付法         貨の発行は一億六千三百万弗にも達したのである。  此の様な情勢の内、六四年六月末、発行さるべぎグリーンバンクスは四億弗を起えざる事、 一時借款償還の為の五千万 弗を附加して四億五千万弗を越えざる事が決定された。.  此の時には上述の如く既に不統一の州法銀行券を安全且つ統一的銀行券に改め、同時に戦争に融資する事を主目的とし た国法銀行が成立していた。即ち通貨検査官︵O。目。町費霞。由O霞ぎ昌。ヤ︶に払込資本額の三分の一︵三万弗を下る事を得ず︶の

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国債を預託し、その霧価格の九〇%に誘い︵但し額面の九。%を越年ず︶銀行券を受け取る黍決定さ錫・即ちその 資本額を増加する為には国債の保有を増加する事が必要となり、国債の販路は拡大されたのである。  然るに或る政治上の事件の為チニイズは職を辞し、上院財政金融委員会︵OO白巨騨貯ΦΦ O巨 屠一口一口O①︶委員長フェセンデン ︵ぐ﹃.団。岡㊦砂。Ω①口自㊦郎︶によって六西年七月引継がれた。彼は種愚なる証券、国債によって打開を試みるに過ぎなかったが、 六五年三月就任の彼の後任マカロック︵同肖◎置OQ弼一一〇〇ぽ︶は有能な銀行家であり且つ通貨検査官であったので、彼は再びクー クを通じて七・三%利付三年国庫証券五億三千万弗の売却に成功した。  此の時には戦争も終結に近ずき、情勢は好・転していたのである。    腱N辮    ,       醸  嬰  罵  讃  蛾  ︾       ︹一8畢瑚ゆ騰︺ 図無禽煕. ︾

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      南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂       六六  以上の簡単な展望を通してもグリーンバックスは国庫に対して迅速有効な歳入手銭たり得なかった事は明かである。そ れが最も大きな役割を果したのは、 一八六三会計年度のみであり、同年全歳入の約四割を占めていた。他は戦争前半も、 特に後半に於いては殆んどその意義を.失ったのである。

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やωε9塁鳳国’匡国呂。・σ。曽臣昌窪昌£舘口坊8蔓。野壷①d巳8Ω馨9霧﹁一⑩紹噛戸一票 彼は財政上の仕事には未経験であり、叉進んでその地位を引受けたのでもなく、戦争も短期にすぎないと予想されていた。宅.ρ 旨埠二巴rb国静8胃団。隔鈴﹃ΦQ臣。口び器冨・おOω層噂.轟。O・国●Uo名㊦ざ国ぎゆ昌a黒︼円♂什8ヤ。隔嘗㊦d巳8qoD磨けΦ。堕.おPヂ唱唱・NN轟∼q 彼は元来硬貨派であり、後年法貨立法の合憲性が論議せられた時主任判事として平時に於けるその違憲性を主張した事によっても 知りうる。国.宅.囚Φ日目O器ン冒O昌㊦ヤ・一q⊃ω9ヲN①① 当関税は国内産業保護よりも財政牧入を目的としていた。∪■国.U⑦薯畠‘。写。罫咀唱.固い㊤ ﹂∪・翻﹂︶Φ類畠L三自・﹁噂●DN① ∪・ρヒdp。肖Φ暮響日匿Q冨Φβげ毬匿塑爵Ω國雷門日O註。詔。ぬωb。aΦ岩窟日㊦ロ訂魍一。。①M∼おNq⊃噛おωご、唱冒至∪●即∪Φミ昌’号皆・一徳PNN零・ 図Φヨ日霞のぎO戸O含二9nωP 本制度は一八三七年始めて提案されたが、実現を見たのは四〇年であり、政府が自重の資金を確保する事を主目的としていた。‘翌 四一年に廃止せられ,四六年に再び復活を.見た。]︶.切・∪の周ωざoP臥“二月緊障ωU∼凶戸障ω㊤噛署.NUN∼伊 名.O●寓詳魯oFε。9け二題.ωN∼Q。       , 堵.O・冒騨魯巴到ま昌二℃。轟轟 国●名・国φ日日窪曾嘘8.9什二℃■悼ω9∪.ρヒd繧器算.oや9酔二Ψ霜 ∪●国●∪Φ貞畠嘲Oダ。陣“二隠■障≧∼研 砂冨巳含口僻邑於け。曼。南什﹃㊦冨⑬国警霞Ω霞や議長寓。昌¢望蜀尊・肖巴q霞ぎ⑯嘗ΦO身固け國φび①巳。戸一。。①q⊃噂題■ホ∼①ぽd●ρヒd簿ほ①雰■ oO響。律こb●一〇。 その他政府、議会は信用証券を法貨たらしめる明白な権利を持たないし、認められた権利の中にも含まれぬと引る意見、憲法が明 白に禁じていなければ如何なる事でもなしうる事となるというクリスフィールド︵q  どく  O潤目しロ四一Φ一軒︶の意見.等が違憲論者の中に見

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      ヒ られた。堵.O・鼠詳昌①戸。弓.o騨こ℃噌UP国●ノ<●内。目ヨの奉ぴづO・o銃℃b■酌轟轟       喫 その他、議会は商業を規制する力を持っている。債務三雲にあたり、何を法貨と為すべきかは此の規制に伴う必要の手段であると いうビンハム︵9唐ヒd甘讐塑ヨ︶、国庫証券を法貨とする事は借欺を行う為の必要にして正当な手段であるというハワτド︵き鼠. 国。名鍍魁︶、シャーマン︵H・のげ。目巨餌昌︶があったQ宮・ρ冨詳。げ㊤rヨ建二唱●Uω 五年後償還.二〇.年月支払の国債の事。b.切.国9び日戸Q。巳。雪隔。目。α。値山鼠。昌串・おOω・サUOO 均・ρ客詳魯ΦFo緊。騨二唱も.8∼N ≦.O■冒騨昏巴ド陣窪自二壌●一一ドゴヂ ︼︶・即UΦ名。ざ。鯵。騨二緊障巴 團●名●国①唐含窪①弓.O隔.O騨二やN轟① 三、第6表参照 葡●ρ寓ぎ冨=嘘oP簿一づ●蔦ご∪・ρ⇔d帥尾。拝。隔.聾二署■⊂D。。∼9∪■即∪Φミ畠噂8乙鳥二螂弓.ω8.ω二. 借欺と課税の比率は六一∼二年の八・五こ.弗対一弗より、六三∼六四年には三二二八弗対一二、六四∼六五年には二・九五弗対一 弗と進展を見せた。∪◎國・∪①名亀し甑9b.圏⑩ クリτンバックスの減価の為国債購入が有利となった事も好都合であったが、彼はあらゆる手段にて宣伝を行い、国債売却に努力 した。聞.乙ρεΩO塁眠卸国.国.円H呈石包,OやO茎噛電.5ω∼轟 宮・ρ寓騨呂9﹃8.9戸.OO.一国∼M         . ∪・即U①≦畠圃8.曝け二やω=.言国一身・噛日﹃oO碧暮9寓宥閃3一NQQq⊃∼一Qo①9①二項ぎ霞ΦΦ3名画げ。ぬ芸のbヨΦ巳$目秤8岩巨図魍亀 菖国・斗邑ご日のO蚕酌目O亀二お望噛㍗卜。2.塑ロΩε9①ロ。・貯一節国・国■国H易砿.Ob.。罫置酒ワニUω. ∪匿即∪Φ名亀嘘9﹁臥酔二題.ωお∼轟 P⇔d.閏Φ℃9毎■臣自蓉。昌。剛O口肖自畠同巧。d昌騨&oロ暖色こ・二㊤園曽唱.一⑩N       − 一八六三年及び四年の立法参照。跨即自Φづぴ口目色Oo暮。蓉騰。胃oDo馬弓負冒。昌のヤ甲。や9酔二や望9弓やUδ∼N曜Oや望。。∼㊤ 南北戦争期の﹁グリーンバンクス・インフレーション﹂ 六七

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南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレτシ.ン﹂ 六八 ● 三  インフレーシ.ンは不換紙幣の過剰発行に原因を持つ。 一般に金に対する過剰に重点を置くのが金属主義下立揚であり 購わるべき財貨の存在量に対する過剰を重視し、好況の急ぎ過ぎとして捉えるのが名目主義的立直であるが、インプレー        シ.ン理論の多様性は簡単な区分を許さない程である。  一方悪性インフレーションに関してもあまり説得的な定義は与えられていない様であるが、例えば拡張再生産に伴う通        貨膨脹を好況インフレ、縮少再生産の過程を辿る揚合を悪性インフレ︵Φ箋。窟轟H鳶美堀8︶と定義する見解、更に又イン フレーシ.ンを狭義即ち悪性インフレに限定し、好況とインフレを峻別し、前者が物価騰貴←︵生産︶利潤増大←拡張再        生産、後者は物価昏昏←利潤減少←縮少再生産という理念型をとるとの説を考慮すれば、悪性インフレの揚合生産縮少の 形態をとる事は否定出来ないであろう。尤も此等の説は金属主義的立場であり、而かもインフレは戦争と関連して起り、         軍需品は再生産過程よりの脱落と考えるのであるが、北部の揚合は後述の如くかなり考慮すべき事情があり、叉軍需部門 が一般消費財部門に圧迫を与え、その結果消費財価格の実質的な騰貴が必要とされるであろう。  第一次世界大戦後の独逸インフレーシ.ンが強制貯蓄により生産を刺戟した事を主張するブレシャ昌・トロー二もその         末期に於ける生産減退効果を認めたのであり、事実、戦前と比較すれば生産は大きな減退を示しているのである.而かも 強制貯蓄の効果が重視されるのは悪性インフレ以前の段階のみと解すべきであろう。というのは実質賃銀の急激な低下は 労働意欲を減退せしめ、能率を低下せしめ、生産縮少に導くからである。  南北戦争期における北部のインフレーシ.ンは如何なる程度及び性格のものであったろうか。以上の如き諸点及びその 他の事情をも考慮しつつ分析しよう。

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 扱、一八六〇年は概して好況裡に終ったが、翌年戦争が勃発するや、東部、西部は激しい恐慌に見舞れた。戦争勃発当 時南部は東部に対して約三億弗の債務を持っていたが、前者の不払の結果全く北部の損失となり、多くの銀行は倒産し、 不安の為預金引出しが続発し、それらは西部の山猫銀行︵奢萱09ヒd窪目︶等によって拍車をかけられ、論章で述べた如く 同年末には正貨支払が停止された。従って此の時期は不完全雇傭の状態にあったと云って良いであろう。  間もなく政府による軍需の増加と共に産業は活況を呈した。先ず製造工業についてみると、その好況と拡大は六一年に        設定された保護関税と軍需によるものであった。フォークナ:も云う如く﹁当期に合衆国の製造工業が顕著な進歩を印し         たという事は重要な事実﹂であった。此の点につきファイテも﹁製造工業に未曾有の活動が生じた﹂と述べている。例え ば最も好況を示した毛織物転業は戦争最盛期には平時の年当八千五百万封度に比べ約二億封度が消費された。その内一億        三千八百万封度が一般需要であった事は南部の分離による棉の減少を考慮しても民需が激しく圧迫された様には見えな い。一方綿織物工業は大打撃を受けた。然し戦争末期には政府監督の下に南部との取引が行われ恢復を示した。生産減退 にも不拘利潤は高かった。叉ミシンの採用により靴工業は工揚蓋へと進歩し、皮革工業も同様好況であった。  更に重工業部門に於いても急激な進歩が見られた。即ち銑鉄、鋼鉄の産出はべセマー法︵HWO疏酸①冒PO弓 ︼刃腎OOの0202︶ 及び鉄道建 設による刺戟を受けて活況を呈し、特に中心地たるピツバーグには一年内に六個の大鉄工揚が設立された。基本的鉱産物 たる鉄、石炭は戦時中自己消費の分は確保され、石油についていえば、それは六〇年には全く輸出されなかったが、六五        年に到り輸出品の第六位を占める程となった。製造工業の最大の中心地であったフィラデルフィアには、六二年には六五 の薪工揚が建設された。、その他例えば以前穀物、家畜の中心地であったシカゴ.が工業都市に転化した。製造工業の此の様        ‘な活況は保護関税及び軍需の外にファイテの指摘する如く、五七年、六一年の恐慌の為断る程度工業産物が不足していた 事、更に叉政府の買付が高価格で行われた事もかなりの力を持ったのである。      南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂       六九

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腰ω辮 南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーシ・ン﹂ 詩 三 斜斌叫鞍慧麟料ごエ︹ご000縄旨ぐHぞ︺ ウ   織 目︶ひび∩C 二・・胃 壁ω B。 σミ 一〇。9 一対 一 8ω τ・・①ω 一お ωωN τ・・2 δO 轟望 一・・切三一・・①÷・・㎝÷・・①三一・⋮u7・・8 CO卜QO) 4X ω① 一。。一 。。

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生 産 量 (%e) 860 Lt61−L”.1862 i,1863 1 1864 i ls6s i 1866 1 ls67 第4表 266 210 159 669 257 199 14r 720 236 163 101 500 204 162 126 423 a76 146 102 522

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石三石 Statistical Abstract of the United State$,1917 PP.739,741∼2 より算出 南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレ︸ション﹂ ρ カークランドも本格的な産業革命は寧ろ南北戦争後に於いて強力に進められたとさえ見る事          ⑲ が可能であるとする。  所で分裂時に於ける人口の比率は七対三即ち北部二干二百万、南部九百万であり、製造工’        業の九割は北部によって支配されていたのであり、モノカルチュア地帯たる南部へ穀物、鉱 工業産物の相当量が供給されていた。従って分裂後北部に於いてそれらは相当余剰の生じた 事は否定出来ない所である。主要産物の増加率は第4表の示す如くであるが、戦時中の農産 物、製造工業産物の全国及び北部統計は共に公表されていない。.戦時中の南部.の状態を考慮 すれば殆んど北部による産出と看徹し得るであろう。  上述の如く製造工業、農業は好況であった。例えば毛織物工業は一∼四割の配当を行っ た。彼等の利潤上昇は商品価格騰貴による部分もあったろうが、大なる利益が流通過程より 得られるとすれば生産への投資も行われず、産出高も増加しなかったであろう。  一方、 一般労働者の賃銀は上昇が遅れた。此の事実に対しては労働節約機械の採用、婦女 子、移民、黒人労働雇傭等を加味.せねばならぬ。男子労働者の九割が戦時中二∼一〇割の賃 銀増大を享受じたが、女子は一∼五割程度であった。更に又紡績、毛織物等の工揚には多く の女子労働が使用され、競争関係の為男子の賃銀上昇率は低くく、上下熟練労働者のそれは         熟練労働者を認る程度上廻る状態であった。此の事は当時より機械が使用され手工業的熱練 労働を必要とする程度が減少した事にも原因を持つであろう。然し一般には労働者の実質賃 銀の低下は否定出来ない所であるがファイテは非熟練労働者の賃銀はその質から見て高い状       七︸

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第5表 南北戦争期の﹁グリ1ンバックス・インフレーション﹂ 118・・1 18・q 18621 1863{ 186娼 18651

1867 % 金 100 100 113 145 203 157 141 138 卸売価格 100 97 103 133 180 185 177 162 小売価格 100 104 115 143 170 176 180 172 生 計 費 100 103 112 123 156 168 170 168 賃   銀 100 100 101 112 130 150 161 168 W一 C・ Mtichell, Gold, Prices and Wages under the Greenback Standard, 1908 p, 279       七二         態にあったとし、彼等にとっては戦争は神の恵︵び歪。・ぎ⑯︶であったとさえ云う。       ゆ  此の期間には種汝の重要な発明が行われ、労働節約機械使用の為生産能率は上昇こそ        すれ低下しなかったであろう。又当時課税を避ける傾向がなかったという事は労働者の 状態を示す一証左であろう。          所で7りードマンによれば南.外戦必中には北部の国民所得の短期変動に関する満足す べき資料は見出されないとするが、彼は幾らかの散在せる証拠をもって、貨幣所得は価 格と同程度叉は少し高い割合で上昇した。即ち実質所得は不変か叉は少汝上昇した事を 示しているとしている。五心によれば、南北戦争、第一次世界大戦、及び第二次世界大 戦に於いては戦争開始より最高価格迄騰貴率は夫汝約二倍にて、第二次大戦り歩合のみ 貨幣所得は三倍に上昇、従って実質所得は五割上昇、第一女大戦では不変なる事を示し た。此の様な状態では悪性インフレとは云い得ない。然し上述の如く賃銀水準は一般的 に低位にあった。従って実質上高水準の所得を享受したのは新興産業資本階級であり、        彼等は一般労働者、更に叉債権者の犠牲に於いて発展したのである。即ち強制貯蓄が戦 後合衆国工業の飛躍的発展を可能にした重要な原因である事は明白である。然し農民の 場合には価格騰貴より直接益する所は少かった。即ち戦時中農民は彼等自身地主であり         資本供給者であると共に労働者であったからである。  今政府支出に目を転ずると軍事支出は全支出の九割を占め、第二次大戦に匹敵する状 態であった。就中六五年度が額から云えば最高であり、北部の粗国民生産物の二割三分

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U・0 おO ①堕.① ヨ。。二 一。。 フ① 認①し 一ω ヨ﹄ 紹・轟 ①ド⑩ 幅’① 一ご轟 望㊤.O  δO + O﹄ (100万弗) 第7表 国法銀行の合衆国国債及び証券保有額 む。y菖ω餓。巴﹀びω霞陣90出件ケ①d巳90ω欝什090寧島けごO℃■﹃8’謡O卜σ讐陛        ⑳       ⑳        ∼五分を占めたのである。尤も一九四五年には四割七分に達している。支出の急増は戦争後期に於

鰯 鎚細

  42 掘  いてであり、その調達は前章の示す如く主として国債及び国庫証券によって行われたのである。即     脱ち前者に関してはクークの努力により長年万事約三億李駆落が売却され・一方又国法銀行の

蕪 灘雛藤 撚灘灘雛  簿

    焔瓢 に四億六千万弗売却した。戦争開始時に於ける州法銀行借款失敗後、直接銀行引受けという方法は

肥肝警蘇蝶撫嫉籔肋藤騎蔀疑雛鑛舞戸饗

  南北戦争期の﹁グリーンバンクス・インフレ1ション﹂      七三

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第8表 南北戦争期の﹁グリーンバックス・インァレーション﹂ 860 1861 i 1862 1 1863 1 1864 i 1865 1 1866 161 123 129 167 211 149 173 136 167 212 樽7 197 182 158 205 85

猪Q四髄

93 W2 W7

r鵬

95 W2 U9

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leoe/e lOO lOO lOO lOO

麦“毛肉品

 ろ  貨

 猛

小と羊牛雑

180 小売価格 100 104 115 1 143 1 170 176 *4 T tt R.W.Babson, Business Barometers, 1925 PP・86∼8より算出 W・CE Mitchel! A History of the Greenbacks, op. cit., p.262 W・C・ MitcherL Gold, Price$ and Wages, op・ cit・, p」 279 第9表 利 子 率

***→→曾

1 8,65 862 1863 1864 1861 860 6. 1 10. 2 8. 2

建脇助

    .

釦留鷲

協硲胴

M㏄驕

譜餌η

貸 座 当 貸平  低 月最月  高ケ ケ最二  当, こ月均 VV ・C・ Mitchell, A History of Greenbacks, op・ cit・・p・ 367       七四 合先述の如き事情を加味すべきである。 一方又、軍事支        出め大きい事は連邦政府による高価格の買付にも原因が あった。然し、若し消費財部門の生産が激しく圧迫され ている状態にあれば更に物価水準は上昇したであろう。  猶、インフレも進行を示すも換物運動が激しくなり、 その為通貨が不足し、従って利子率の急激な上昇が見ら れるのであるが、第9表の示す如ぐ北部では此の様な状 態に迄突入していなかった。  扱、合衆国の国際牧野を簡単に眺めると、南北戦争期 はサミュエルソンの分類によれば、 若年債務国︵団。置目σq 9呂O岩鼠罐∪魯8弓Σ9氏。昌︶の末期に該当し、正常的に は入超であり、資本輸入国の段階である。合衆国は一八 五〇年頃より入超を示している。勿論北部のみの国際牧 支は見出し得ぬが、ソーマズは北部は戦争により国際分 野に於いて強化されたと主張する。即ち英国への食糧輸        出が増大し、輸入は減少したという。更に資本移動は商 品移動をもって完成されるのであるから入超を示すのは 正常でもあろう。一八六〇年並に四億弗の資本輸入が行

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〔100JEi弗〕 860 i 1861 1862h863旨864h86511S66 i 1867 蜘0表        ⑳

烈∴鷺鵠雛額翻構灘銀緯攣籍難懇鵬杁舗

一 +  副  示した。然し若し北部が激しいインフレの襲来に苦しんでるとすれば英国等の資本家は対米投

為お臨資を露したであろ先     、

︻ + p撫

糊糠軽棚編議魏雑転籍翔れ疑識詳解藻繋転子険舗翻

瞬繕霧藤織膿漏繋雛蕪識重

壁課義講韓磐は過大簾を持。ていた為雑な饗籠とはならなかった墨筆好影響

藩農築曝翻騨講棚購灘総懸翻い臨

曇  瞬篶瓢勤鞘鷺嬬鰻誕﹄㍑躾

    *→  業の破産数及びその負債額も第11表の示す如く例えば戦争開始年度である六﹁年に比べて遙か * ゆ     に少額であり、又銀行の借款、割引額、及び手形交換高も﹁減少していない。 南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂      七五

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南北戦争期の﹁グリーンバンクス・インフレーション﹂ 企業破産数と、負債額 〔1865迄北部,以後全国〕 185・}1858D85gい86・1186申862旨863 劉1表 O.5 1.7 5, 9 2. 7 3,0 3,1 4, 3 破産数(1000) 7. 9 73,6i 61.3i 61.7i 1了8・6】2e・ oi }負灘臓)1 26S・ S ls64 1 ls6s 1 ls66 1 ls67 1 ls6s 1 ls6g 1 ls70 ] ls71 1 ls72 4. 1 2. 9 3. 5 2. 8 2. 6 85.21 121.1 2. 8 96. 71 63. 71 75. 01 ’88. 2 1.5 O.5 C. 5 53. 8 IZ6 8. 6 1865迄W.C. Mitchell,. A History of the Greenbacks, op. cit., p 389. 1866以後“R.W. Babson, Business Barometers, op、 cit., pp 149∼55,251.       尊 第12表     二=・・r一ヨーク手型交換高   〔200万弗〕 1865 1864 1863 1862 1860 1861 26. 0 24.1 14.9 6. 9 5.9 7. 2 869 1870 1871 1858 1867 1866 29. 3 27. 8 28. 7 1 28.7 1 28. 5

1

37. 4 Stat一 Abstract of the U一 S一 op・ cit., p. 707 第13表 全銀行の当座貸越を含む借款及び割引額〔100万弗〕 ls60 1 ls61 bs62 1 ls63 l ls64 i ls6s l ls66 1 1s67 691.9] 696.81 646.71 654.il 554. 7] 517.5 L 682.3i 709.3 Historical Statistics of the United States, 1789n−1945, ep.. cit., p,263     七六  然しクークによる北部太平洋鉄道 ︵20目什ずΦ胃β b餌O凶隔一〇︶株操作失敗に端を 発せる恐慌が一八七三年に起り、更 に不況は数年継続したが、その最大 の原因は鉄道に対する過大投資によ るものであると各論者は指摘し.てい    る。而かも同恐慌は世界的性質を持 つものであり、欧州の正貨本位国特 に独逸、婆国は過大投機の為激しい 恐慌に見舞われ、而かも独逸の投資 家は一八四〇年頃より対米投資に注        目しっっあったのである。従って七 三年の恐慌も南北戦争の直接の反動 ではなかった。価格水準は下落した が産出高は急速に伸張を続けたのである。 ① ② 新庄博教授﹁通貨安定の研究﹂三三頁以下、 ﹁インフレ理論の近代化﹂ ヨン論争L世界経済評論 一九五六年十一・十二月号参照 金融辞典 前掲  一一三頁 エコノミスト35ノー2五二頁          へ 岡橋⋮保一教授﹁インフレーシ

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O・︼W審。ワ。遺命桜見q諺。巳一 円ぽ①国oo昌。日ざ㎝o隔Hβ酋警ざ員由三牲陣営自陣け辺 おωご箸●一〇。①∼N冒可鵯.曽9轟Oω. 東銀集会所訳  一五七b 同.右書 四九.五.九.頁、金融辞典  ︼一三頁 新一比  払削掲書  二六頁 一八四.四二〇頁 O■閑弓①舩O猷昌伸一日障目目Oロ押甘一含・O娼・一頓N∼轟 訳本一山ハ三∼六六頁 一八六二及び六四年に関税が国内課税相殺の為に賦課された。夫等は国内製造業者にとって六一年のモリル法より更に保護的な役 割を果したQU甲閑.U①類Φざ蜀ぽ餌ロ包鈴国一警O受噛Oや9け二二.ωON∼升国■薯●日9庫蛍雪日量円薗電鍵缶謬けO昌O扇芸①d註8勲ω鐙8の嘘一 の悼ω.燈マ一α障∼轟 団 ●一q■頃騨葺一州昌Φ噌.b巨O臨O騨昌國QO︼PO日写頃諾酔O翅曽一〇轟9眉●ωω0︼︶’冒.国O玉目Φ目Φ帽鱒寓.国.]円詳昌昌Φ5国OO50白ざ国誹酔O同やO隔けごOd目騨①9 の辟騨けΦ孕 一⑩伊春りやNω 国eU’國騨Φ櫨ωOO露一塑昌9H昌伽詔蓉菖鑑OO昌9律ご昌ω一昌け﹃①客O含7q葺瓢ロ㈹什ぽΦ名魯5一雪O鯛Oやcoω∼轟■ 團・︼︶.閏騨O脚一び陣自二℃・○◎恥 国。d一團即詔一げ昌㊦目噛b目①ユO騨昌国OO昌O日陣O閏置けO昌♪O娼.O詳二娼。ω=. 自.一︶■周騨①.のOa舘即昌9H昌9β己αけ巨箪OO昌び騨陣O昌砿・O娼.O騨二男.の① 国.q“周勲5一吋昌①弓哺b唐①巳O即昌国OO昌O山け国冒叶O目繁曽Oづ.O騨二噂.ω障⑩噛b.ρ]出コ一昌二曲げΦ國演①O肋b目O匡O即西国OOロσ目ざ皆紅9ω梶勲二㊦Ω・ 一㊤口α眉●ω轟轟 国.d.蛸僧β目吋5①同卿一ぴ同9二娼.ωωP国.O■日払①7のOO帥9一塑昌動H昌9躍ωけ弓一騨一〇〇昌塾陣江05詔旨讐Oづ■○饗二噂℃・M∼ム● 国・∪.岡律㊦”謬一含二娼.障障響陶OOけ昌O酔9国.d■岡幽詔一評口O目響ま一画二噂。GOωO <.02■O国目ぎ︸園置“O目繁O南嵐塑5葺陶餌暮夏型①む2一鵠酔げΦd昌津①9ω叶聾叶塁一一CQ①0∼一〇Q燈ωψ一⑩PO㊦9二や轟O ]円.φ■周騨β一同昌Φづ臣BΦ謡O同盟国OO昌O匿ぎ霞目酔O国ざO噂■O騨二Hp冒⋮O唱一口OO算.国OO昌O巨同OUΦ<巴O眉吾O昌“O南叶げσd昌#O動の叶暮塞層一㊤NgO.ω伊① 芝・智.蝋㊤昌昌陣口⑯ご2噌b]口話汁O目やO島国OO昌O巨ざ℃弓〇四周O霧一月目げΦdづ騨①qωけ幽け①ψ噛画りn9やAN閏 国.O﹂内ぜ倒きPb国璽。贔。南b葭㊦二。導国8巳筥ざゴ嵩①艘お望ω島.ΦPや#ω一合衆国の初期産業革命については簡単に喝碧涛器渥 臣§Φ艮。幽昌国。野ざ巴鏑昌qω09巴国凹。。8周ざω昆亀二お恥ω”鳴や沁U轟’UにありQ    南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂       七七

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⑳ ⑳ 南北戦争期の﹁グリτンバソクス・インブレーション﹂ 七八 国.d響国餌信貯郎の♪b旨宵ざ塑昌国8口。膏帥。螢脚け830ゆ。霊.も.ωNN 嶺.Q.鑑穽。犀Φ戸b団置8弓蟹ohφ目oo昌び騨。犀。2讐。や。陣“二噂やM田ドω9∼D 国●∪.腎騨Φ噛ω09黒帥目qHロ自口馨覧註OO昌a鮎O昌52’OO.O騨二やお㊤ 冒・∪●冑客①圏陣甑Ω二や一〇轟 ∪.切.UΦ周①賢.頃一昌ρ⇔鼠毘国一斡O弓望唱Oづ■O詳二〇b.ωOO吻ωO轟 冨’閂巳aヨ暫戸.勇鉱oρH昌8日Φ餌昌画寓。昌9鴛団Oけ岱昌鳴確ぎ目算oo虫拳註導Φ旭①匡。駿..・b臼㊦鳳鍵目匿3昌■劉Φく●お﹂P・冒騨やや虫ω ミッチェルも指摘している。嵩●O.旨詳。国巴Pb国.。28蔓。隔Φ話Φ昌びき認。や。一五二やωUO 尋●O●寓騨O評巴ピき碧二娼・ωCgQ◎ 國.国・冒霞菖βは当時のGNPの概算を約五四億弗とする。︵国・OQけ炉ユO昌確留具欝国﹁国.内目OOこΩ■周一β帥昌臥藻国謎けO目望巳O℃噸O埠二つ◆一伊ω論OO叶βO宮︶ 一八五九年に全産出額の%が北部によるものであった。 ︵国・q.閣騨菖界昌Φ5b目Φ巳O滴剤自OOロO目瓢虫謎叶O弓ヤ.Oや.O諜二も■ωNN︶軍事費 のGNPに対する割合はこ割一分子であるが、南部の戦時中の状況を考慮すれば、右GNPの殆んどが北部によるものと見てよい であ、ろう。従って九割を占めたとuて二割四分弱である。       − GNPは二二ω.①び日・︵客幽鉱。当歳H昌oo日ρおσ轟.d.乙D.UΦ窯■o論Oo冨夏霞09や一①ω︶国防費は舶一〇P轟び萬・︵b.馨麟画φβ敬巴齢国. 国●国目O器”O緊O騨二や轟轟轟︶       .      . ∪.國。U①司Φざ蜀一目聾ロ。一跳口.己。け。円ざOや。騨二やω蔦 一︶●団.∪Φ類Φざま一q二弓・ω一轟 国・∪.聞詳PωO臥緯帥口画H郎qq。慶酔臥普OO目蝕酢O目可。響O亨O詳二噂●田① 国寓.の餌目自①尻O登国8肖O百皆㌍お◎ω帽曽自・巴二や㎝障O O●匂・切絵聞OO犀’笥●国.首一目陣ゆ筥弓廻り國.の.日営O屏Φぴ円ぼΦ切暫一日昌80隔日属幽画OO用酔﹃①d﹁昌圃酔①9のけ暮①0ユ“驚けO国Φ<.O属国OO詳噂己慶辟准二一の一頓.<O一● ゴも﹄国 国.冨.ωO巨目①話讐日国Φb①篤O目窪営門80恥汁げ①卜白①臥O帥昌團oO昌O巨団。慶沖昌8一〇〇①P注目巴網一昌酔げ①O閑O宮叶ぽO幽幽げ①b日①且。餌目明OOロ巨ヤ①9 び団︺口■国.老昌財塑巨のO旨’一ひ2け①動二一頓轟9℃.N④図 O・臼切葺 Oo﹃9]國.均昌一貯唐。壁。零二月じ①ヒ⇔鎮9昌80幡日目幽動ρOや。詳二重障nω      、

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  堵.ρ嗜ぎ匿FO99準一。宏僧髭≦窪窪雪白。尾爵ΦO。・量器閃響き岩鼻おO。。層娼,N紹∼ω ⑰   当時如何なる額の通貨が存在したかは不明である。六五年には正貨︵主に金貨︶二千八首万弗.小額幣二千五百万弗、州法、国法 ⑳   銀行券二億八千五百万弗、グリーンバックス四億三千百万弗.利付法貨たる国庫証券︵六三年の一、二年、五%利付︶、複利証券   ︵三年.六%利付︶二億三千穴百万弗が存在し、 他に債務証書を含み、 種々の国庫証券八億三千三百万弗が存在した。 ︵薯●ρ   気血昏。拝卜目蓉。昌。肋O圏⑦魯びき舘申。や簿二や一お︶ミッチェル、パレットも夫等が宣る時には相当通貨として使用されたと主張す   る。 ︵名.q寓騨。﹃①戸旨蜀二二■一蓋∼。。・∪・ゆ強豪掌噛日冨Q旨①口ぴ鴛閃孕。Ψ9け二籍.NN∼c。︶更に二億弗以上の金が銀行準備等と.し   て使用された事は疑いえぬ。ジョンソンも主張している。 ︵9勾し。巨。・旨・寓昌亀gqO零話ロ畠骨壷ごやN翼︶戦時中の金流出  鴨   と産出は略等しい。 ︵馨讐.bび蓉錘90閏夢①q・oQ・oや鼠“二〇やコN・翼0より概算。︶   国.句Φ蚕:卜厳Φ託鍵唇腕塁ぎΦ差身90。q噛一Q。8∼、O、、讐白日霞吟團8昌鶉。<●笥暫膨Φ一りUド覧やQQQo一∼轟 ⑳   志儀長 恐慌論  一三七∼八頁 薯。旨.勺。塗。崖・団・鷺・円信算一9国・頃ユ。闘①昌・切口石、ぎ塁砿騨下働岡ぼ9。昌9鑑Ooβ縁寓。ロ。。mo目。貞ぎ鳴芽Φ ⑳   Oぞ凶宮母ぎ叶冨dロ騨巴oD鈴99。。■弓冨切。<.oh園oo昌.馨餌ρおP9のβづ且㊦目Φ暮や一U   9即名四涛霞隔日冨頃胤。。由bヨのユ爵βO巷霊気於ヨ噂お轟90﹄δ.∪・国■U。毒畠.蛍β薗昌9陰野蓉oq噛。や9⇔二やNgb.臼団。βロ碗。。oロ @   bd弓。司P直角b目。島。二目翻8昌。ヨ3一。。①O∼お轟9⑩望 渡辺訳﹁アメリカ資本主義発達史﹂一七三頁 国■勾㊤。・層トヨ①臥爵ロ切房ぎ。。・。・   O岩ざ辺甲。や葺二b■ω轟。。   寓●口峯ざ日﹃㊦O巷霧箪寓胃騨㊦け二No。0∼一Q。①σ﹂昌盛Φ¢目。類爵。隔b冨①猛s自国8ぎヨざNβΩ&二8.鼻二蘭島3.宮・寓.頴屡。塁9ρ 、⑫   じd塁汐舘硬帥昌匙團義目㎞更08籍艶。募幽遠。鉾讐やひ宮●ρ蜜ぎぼ亀.Q。算憎匡8砿薗昌籍豊津Φ孕86。鍔.やMQ。悼 四  以上最初にグリーンバックスの発行過程を回顧したが、それは連邦政府の財政手段として有効且つ重要な役割は果さず 寧ろ最後の手段として用いられたのである。        ① レ当時合衆国は立法上複本位制度をとり、而かも金に有利な比価の時代であった。然し、不換紙幣発行の為表面的には太      南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂       七九

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     南北戦争期の﹁グリーンパソクス・インフレーション﹂       八○ 平洋岸を除き金貨は排除されたが、実際には銀行準備忙してかなり利用され、国債、証券の利払、輸入税の支払には正         貨が使用されたのである。一方正貨の鋳造も相当額行われ、全くの不換紙幣の時代ではなかった。先述の如く価格上昇率 についてもフリードマンの云う如く、第一次、第二次大戦と同程度であり、又南北戦争以前の合衆国史上に於いても節売        物価水準について云えば、独立戦争に於ける方、が凌駕していたのである。         ウオーカーは北部に於いてはインフレは適度に起ったとすら云うのである。後期産業革の出発点とも云うべき南北戦争 は合衆国の産業発展速度をはやめたのである。当時の不換紙幣発行、価格上昇が投機的、非生産的刺戟を与えた事は事実 であるが、それ以上に生産への効果が強調されうるのである。価格水準も戦前と比較して年平均には二倍を越えず、 一八         世紀末の仏国アッシニヤ紙幣が二百五十分の一に減価し、南部の価格水準が九二倍にも上昇したのと全く対照的であっ た。而かも南部の破壊にも不拘、戦後の反動も小であった。  更にグリーンバックスの回牧は銀問題と錯綜し、改めて取上げねばならぬ問題であるが、実際には斜なる回牧は行われ ず、三億五千万弗内外が長期に亘り流通を続け、七三年には更に発行されるという状態が見られた。  南北戦争期の北部には悪性インフレは起っていないと云えるであろう。ここに三冬に産業資本が確立せんとし、豊富な 資源を持ち、本格的発展を開始せんどしていた若き資本主義国の担手たる北部の特色を見出しうる。 一方叉、真の意味の 悪性インフレは資本主義も一般的危機に入った第一次大戦以後のものを指して云うのが適切であろう。  ともあれ、 ﹁此の進歩と繁栄は経済的浪費という狂宴︵o弩垂泣&のもたらしたものでも叉その間接的な産物でもなかっ        た。夫等は寧ろ︸八五七年の不況に対抗する経済力の勝利を示すものである云汝﹂というV・S・クラークの︸旬は味う べき意義を持っている。  ①拙稿弗発展前史1、米国複本位制度一、六甲台論集三ノニ参照

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同論文参照 此の時代は金に有利な比価の複本位制の為、銀弗は流通より俳除され、実質上の正貨は金貨であった。 同論文八九頁註参照。 蟹豊胃鎮国Φ。。霞く㊦Ω日鴛駐。口切僧β瞠O三門甘自。ロ¢嘱悪善。。・帥昌臼切賃砲ぎ窃訟.一89娼.一8       口 きゆ●毒巴ぎジ日冨国誉oo隔b巨㊦二s昌O暮罵箪ヨ目讐。℃・働け二ξ・δ9一総。 司勘宕.団¢凄。壽客ρ切葺三口雷。・鑓冨臼頃冒塑昌9舘O。日義けご謬。・嘘。喫茶け二箸●U∼N参照、著者達は国民産高の増大を強調する。 国・葛・国Φ菖日胃。き鷺8塁曜。℃・o画叶二〇.一。。O <■ψ9鎚劉団δ⇔o奨。㎞寓即昌自器ε器90や臥ダやお0 7 h 「 南北戦争期の﹁グリーンバックス・インフレーション﹂ 八一

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