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日本統治時代中期の台湾糖業~品種改良を中心に~

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Academic year: 2021

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(1)日本統治時代 中期の台湾の糖業 ∼ 品種 改 良 を 中 心 に∼. 兵庫教育大学大学院学校研究科 教科 ・領域教育学専攻 MO7168G池. 原. 社会系コース 一磨.

(2) 台湾 糖業 地 図 (出典)r台 湾総 督府 の糖 業 政策 と糖業 連合会 の活動 一1895年. ベ イ ン. ・. か ら1914年. を 中 心 に 一 』(新 福 大 建.

(3) 目. 序章. 次. 研究 目的と先行研究. 1. 、. 7. 第1章. 台湾における糖業事業 0 1. 「 糖業改良意見書」と日本統治時代初期における台湾糖業. 第2節. 第2章. 門1. 日本領台前における台湾の糖業. 第1節. 品種 改良. 21. 第1節. 甘庶品種の変遷. 21. 第2節. ローズバ ンブー とジャワ細茎種. 25. 第3節. 甘薦 品種試 験成績 ■ ⊥ 9臼 00. 終章. 結論. L30. 大 目降試験場と各地試験場. 30. 環境 と甘庶品種. 37. 地方品種試験成績 と実際の甲当た り収量. 58. 70.

(4) 序章. 研究 目的 と先行研究. 研究 目的 これ ま で は 植 民 地 支 配 と言 え ぱ 「悪 」ω と い う イ メ ー ジ を持 つ 人 が 多 か っ た 。そ れ は 日本 の 台 湾 統 治 も例 外 で は な い 。 台 湾 の 人 々 に対 して の 抑 圧 が な か っ た と は 言 え な い 。 で な け れ ば30年 も の 長 い 間 、 武 装 抗 日 は行 わ れ な か っ た で あ ろ うω。 しか し 「善 」 の 部 分 も あ っ 'た と考 え る 。 経 済 面 で は 、 日本 本 土 と の 通 信 を 整 備 し、 台 湾 各 地 に 郵 便 局 と 電 信 局 を 開 設 し た 。 ま た 、 自動 車 が 通 行 で き る道 路 を 建 設 し基 隆 か ら高 雄 に 至 る 縦 貫 鉄 道 を 完 成 さ せ 各 地 を 結 ぶ 交 通 運 輸 を 改 善 し た(3)。教 育 面 で は 、1944年 う驚 くべ き 高 さ で あ っ た(4)。伊 藤 潔 氏 は 『台 湾 実 が な け れ ば 、1970年. の 学 齢 期 児 童 の 就 学 率 は92.5%と. い. 四 百 年 の 歴 史 と展 望 』 に お い て 「 教 育 の充. 代 以 降 の 台 湾 経 済 の 飛 躍 的 な 発 展 は な く 、 い ま少 し先 の こ と にな っ. て い た と 思 わ れ る 」 と述 べ て い る 。 農 業 面 で は 、 耕 地 面 積 を 明 らか に し、 新 た に 土 地 所 有 権 を確 定 し、 田 賦 の税 収 を大 き く増加 させ た。 また蓬 莱米 栽 培 の 成功 は、 台湾 の米 生 産 に さ ら な る 画 期 的 進 展 を も た ら した 。 糖 業 に つ い て も 甲 当 た り の 生 産 量 が 大 幅 に 増 加 し作 付 面 積 も拡 大 し た 。 製 糖 業 は 台 湾 で 最 も代 表 的 な 産 業 と な り 、 当 時 の 台 湾 の 製 糖 業 は 「糖 業 帝 国 主 義 」 と い わ れ た 存 在 で あ っ た ㈲。 しか し、 台 湾 で 最 も代 表 的 な 産 業 と な っ た 製 糖 業 を 深 く研 究 した も の は あ ま り見 られ な い 。 日本 統 治 時 代 台 湾 の 糖 業 を 研 究 して い る代 表 的 な も の に 、 矢 内 原 忠 雄 の 『帝 国 主 義 下 の 台 湾 』(岩 波 書 店1929)が. 挙 げ られ る。植 民地 時 代 の 台 湾 糖 業 の 発 達 と 現 状 を述 べ て い る. が 、 植 民 地 時 代 の 台 湾 糖 業 に 関 す る 概 略 を 述 べ る に 留 ま っ て い る 。 ま た 森 久 雄 の 「台 湾 総 督 府 の 糖 業 保 護 政 策 の 展 開 」(『台 湾 近 現 代 史 研 究 乱 創 刊 号1978)で 書(新. 渡戸 稲 造 の 「 糖 業 改 良 意見 書 」)の 骨 子 は農 事 改 良(と. は 、 著 者 が 「こ の 意 見. く に 品 種 改 良)に. あ り、 工 業. 面 で は 新 式 工 業 と 改 良 糖 廓(旧 式 糖 廊 の 甘 薦 圧 搾 過 程 の み を 部 分 的 に 機 械 化 し た 小 製 糖 所) の 折 衷 論 で 力 点 は 後 者 に あ っ た ⑥」 と述 べ られ て お り、 品種 改 良 の 重 要 性 を指 摘 して い る が 実 態 を 調 査 す る ま で に は 至 っ て い な い 。 先 行 研 究 で は 、 工 業 面 の 改 良 に つ い て 多 く述 べ ら れ て お り農 業 面 に 関 す る 実 態 は あ ま り述 べ られ て いな い。 農 業 面 に 関 す る 実 態 に つ い て の 調 査 研 究 と い え ば 、 呉 文 星 の 「日治 時 期 台 湾 糖 業 改 革 之 序 幕 」(『 (三)財. 団 法 人 陳 中 和 翁 慈 善 基 金 会1996)が. 高 雄歴 史 與 文化 論集 』. 挙 げ られ る く ら い で あ る 。. 日本 統 治 時 代 初 期 の 台 湾 の 糖 業 は 盛 ん に行 わ れ て い た わ け で は な か っ た が 、 台 湾 は 世 界 で も 有 数 の 天 与 の 好 糖 業 地 ω と言 わ れ て い た 。しか し土 木 関 係 の 賃 金 が 騰 貴 し低 賃 な 農 夫 の 多 くが 転 業 し た り 、 各 地 の交 通 の便 が よ くな り都 市 部 へ の 出 稼 ぎ が 増 え村 を 去 る 者 が 多 か っ た り と 労 働 力 の 欠 乏 が 大 き か っ た た め 、 台 湾糖 業 の 形 勢 は 良 い も の で は な か っ た ⑧。 こ の 形 勢 を 改 善 させ る た め に 、 台 湾 総 督 府 は台 湾 糖 業 を 厚 く保 護 し た 。 輸 出 税 の 廃 止 や 輸 入 税 の税 率 ア ップ 、外 国種 の導入 、新 式製糖 工場 の設 置 、糖 業 に関 す る試 験所 の設 置 な ど が 挙 げ られ る(9)。そ の 結 果 ・台 湾 糖 業 は 日本 に とっ て も 台 湾 に と っ て も重 要 な 産 業 と・ なっ. ・1・.

(5) た 。 そ の 中 で も 、 品 種 改 良 は 糖 業 の発 展 を見 る 上 で は 不 可 欠 な 点 で あ る 。 甘 薦 の 品 種 が 台 湾 の 土 地 や 気 候 に 適 応 しな け れ ば 生 産 量 は 増 加 し な か っ た の で は な い だ ろ う か 。 新 渡 戸 稲 造は 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 にお い て 、本 島 改 良 糖 業 法 の 第 一 と して 品種 の 改 良 を 挙 げ て い る 。 ま た 、r農 家 便 覧 』 で は 「 品 種 は 甘 藍 農 業 の 根 幹 を な す もの で あ っ て 、 本 島 に お け る そ の 変 遷 と甘 薦 農 業 の 盛 衰 は 、 明 らか に この 間 の事 情 を 物 語 っ て い る 」(10)とし て い る 。 台 湾 糖 業 の 発 展 を 見 て い く上 で 、 甘 庶 の 品種 改 良 は 非 常 に重 要 な 視 点 にな る の で は と考 え て い る 。 ま た 、 甘 薦 栽 培 に 関 して 日本 統 治 時 代 の 中期 と い う 時期 は 、 グ ラ フ1に. も示 し て い る よ. う に 、 ジ ャ ワ 細 茎 種 と呼 ば れ た 甘 薦 を栽 培 して い た 時 期 の こ と を指 す こ と とす る 。. 隔''. '. 250. r. 肩. `\. 、. 2⑪D. 声/ ﹂. 琴. イ ナ ー ー. 傷. ,'. 、. ∼ 多. O P 亀. ∵. 漸. ㌦. 産. '. ,. ず. 昭和 17 年. 昭和14年. 昭和11年. 昭和5年. 昭 和瞳 年. 昭和 2年. 釜13 離. 曳笹 釦年. 大正7年. 犬正4年. 明 沿36 年. ゴ 年. 礁. e. / へ. 5⑪. \. 概 干. ガ ド. 讐 距 騨100. ﹂. 、. 笹150. 、. ジ ャ ワ 大茎 種. !. ジャ ワ細茎 種. 明治42年. 薦. ロ ー ズバ ン ブ ー 大正元年. 竹. 【グ ラ フ1】 台 湾 に お け る 甘 薦 収 穫 高 の 変 遷 (出 典)台. 湾 総 督 府 官 房 文 書 課 『台 湾 総 督 府 統 計 書 』(11>,明 治36年. 総 督 府 殖 産 局 『台 湾 の 糖 業 』(1935)、 12号(1942)、. か ら昭 和17年. 、 台湾. 台 湾総 督府 糖 業試 験所 『 糖 業 試 験所 報 告 』. 台 湾 総 督 府 農 業 試 験所 『農 家 便 覧. 昭 和19年. 』(1944)よ. り池 原. 作成 先行 研究 (1)矢. 内 原 忠 雄 『帝 国 主 義 下 の 台 湾 』. 岩 波 書店1929. 植 民地 時代 の台湾 を総合 的に分析 している こと、台湾 における糖業の概略を述べて. ・2・.

(6) い る こ と、 植 民 地 時 代 の 台 湾 糖 業 の 発 達 と現 状 を 述 べ て い る こ と が 成 果 と し て 挙 げ ら れ る が 品 種 改 良 の こ と に関 して は 触 れ られ て い な い 。 一 方 で 薦 作 を 強 制 させ 、 高 額 な 地 代 を 徴 収 し 農 民 を 収 奪 した と指 摘 して い る 。 こ の こ と は 今 後 、 研 究 し な け れ ば な らな い こ とで あ る 。 (2)徐. 照 彦r日. 本 帝 国 主 義 下 の 台 湾 』 東 京 大 学 出版 会1975. 統 計 な ど の 資 料 を 用 い て 、 台 湾 に お け る 日本 の 植 民 地 支 配 を 明 らか に しよ う と し て い る 。 糖 業 に 関 し て は 製 糖 会 社 の こ とが 申 心 に 書 か れ て お り 品 種 改 良 に つ い て は ∼ あ ま り触 れ られ て い な い 。 ま た 、 「 台 湾 農 民 は 甘 薦 栽 培 を 強 制 的 に さ せ られ て い た 」 と指 摘 し て い る が 、 これ は再 検 討 の余 地 が あ る と筆 者 は 考 え て い る 。 (3)森. 久男. 「 台 湾 総 督 府 の 糖 業保 護 政 策 の展 開 」(『 台 湾 近 現 代 史 研 究. 創 刊 号 』1978). 台 湾 総 督 府 に よ る 糖 業 保 護 政 策 に つ いて 書 か れ て い る 。 農 業 面 で は 品 種 改 良 の 重 要 性 を 説 い て い る が 、 中 心 は エ 業 面 に 関 し て 述 べ られ て い る 。 (4)呉. 文 星 「日治 時 期 台 湾 糖 業 改 革 之 序 幕 」(『 高 雄 歴 史 與 文 化 論 集(三)』). 、 財 団法 入. 陳 中和 翁 慈 善 基 金 会1996. 新渡戸稲造 の 「 糖業改良意見書」提出以前の台湾総督府の政策 について記述 されて いる。台湾総督府 は 「同意見書」が提出される前か ら糖業政策 を行 って いた と述べ られて いる、 「同意見書』が出 され る前か ら台湾ではすで に何種類か の外国種 を輸 入 していたと指摘 している。 (5)新. 福 大 健 『台 湾 総 督 府 の 糖 業 政 策 と糖 業 連 合 会 の 活 動 一1895年 か ら1914年 を 申心 に 一 』 兵 庫 教 育 大 学 大 学 院 修 士 論 文2002 日 本 統 治 前 半 の 糖 業 政 策 と糖 業 連 合 会 の 活 動 に つ い て 述 べ られ て い る 。 新 渡 戸 稲 造 の. 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 が 提 出 さ れ た 後 の 、 臨 時 台 湾 糖 務 局 の 政 策 に つ い て 記 述 して. い る。 (6)新. 福 大建. 「 領 台 初 期 の 糖 業 調 査 ・政 策 立 案 につ い て 」 (『東 洋 史 訪 』 第9号)兵. 庫 教 育 大 学 東 洋 史 研 究 会2003. 『本 島 糖 業 調 査 書 』、 「 糖 業 改 良 意 見 書 」、 『台 湾 糖 業 旧 慣 一 斑 』 を基 に 領 台 初 期 に お け る糖 業 政 策 立 案 を調 査 ・分 析 して い る。 (7)新. 福大建 「 臨 時 台 湾 糖 務 局 の糖 業 政 策 」 (『東 洋 史 訪 』 第10号)兵. 庫 教 育 大 学 東 洋 史 研 究 会2004. 新渡戸稲造の 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 を基 に ど の よ う に 台 湾 糖 業 が 発 展 した か を 考 察 し て い る 。 新 渡 戸 の 提 言 に よ り臨 時 台 湾 糖 務 局 が 設 置 さ れ 、 エ 業 ・農 業 両 面 で 製 糖 業 の 改 良 方 法 が 述 べ られ て い るが 、 申 心 は 工 業 面 で あ る 。 (8).新 福 大 建 「 台 湾 糖 業 連 合 会 の 活 動 一1910年 (『現 代 台 湾 研 究 』 第26号)台. か ら1914年. を 中 心 と して 一 」. 湾 史 研 究 会2004. 台湾糖業連合会成立当初の活動の実態が明 らか にされて いる。著者 は、連合会が成 立 した ことによ り総督府の糖業の保護が縮小され、製糖業界 の自主的な活動で台湾. ・3・.

(7) 糖 業 を発 展 さ せ よ う と企 図 した と い う見 方 を して い る 。. 資料 (1)新 渡 戸 稲 造 「 糖 業 改 良 意 見 書 」(原 典)1901年. 総督 府 に提 出 。. (新 渡 戸 稲 造 全集 編 集 委 員 会 編 『新 渡 戸 稲 造 全 集 』第 四 巻. 教 分 館1969). 台湾糖業 の現 状を分析 し台湾糖業発展の基本方針の提案、糖業 改良後 の産糖塁な ど の予測 について記述 している。台湾糖業 を研究するにあたってベース となる資料で ある。 (2)台 湾 総 督 府 中 央 研 究 所 『農 業 部 彙 報 』 第8号 大 正9年. 同 研 究 所 出 版1923. に お け る地 方 品 種 試 験 成 績 の結 果 が ま と め られ て い る 。. (3)台 湾 総 督 府 中央 研 究 所 『農 業 部 彙 報 』 第26号 大 正10年. 同 研 究 所 出 版1925. に お け る 地 方 品 種 試 験 成 績 の結 果 が ま と め られ て い る 。. (4)台 湾 薦 作 研 究 会 『台 湾 薦 作 研 究 会 報 』 第3巻9号 大 正11年. 同 研 究 会 出版1925. の 各 製 糖 工 場 の 原 料 採 取 区 域 に お い て 、実 際 に 栽 培 され た 品 種 が 挙 げ られ. て い る。 (5>台 湾 総 督 府 中 央 研 究 所 『農 業 部 彙 報 』 第34号 大 正11年. 同 研 究 所 出 版1926. に お け る 地 方 品 種 試 験 成 績 の結 果 が ま と め られ て い る 。. (6)台 湾 総 督 府 中央 研 究 所 『農 業 部 彙 報 』 第35号 大 正12年. 同 研 究 所 出 版1926. に お け る 地 方 品 種 試 験 成 績 の結 果 が ま と め られ て い る 。. (7)台 湾 薦 作 研 究 会 『台 湾 薦 作 研 究 会 報 』 第4巻9号 大 正12年. 同研 究 会 出 版1926. の 各 製 糖 工 場 の 原 料 採 取 区 域 に お い て 、実 際 に栽 培 され た 品 種 が 挙 げ られ. て い る。 (8)台 湾 総 督 府 殖 産 局 『台 湾 糖 業 概 観 』 同 局 出 版1927 日本 が 台 湾 を 領 有 した 後 の 農 業 面 、工 業 面 に お け る 変 遷 、製 糖 会 社 の 設 立 に つ い て 書 かれ て い る。. (9)台 湾総督府中央研究所 『農業部彙報』第43号. 同研究所出版1927. 明治43年 か ら大正8年 までの大 目降試験場 における品種試験成績の結果が まとめ ら れ て い る。. (10)台. 湾 総 督 府 糖 業 試 験 所 『糖 業 試 験 所 報 告 』12号. 同研 究 所 出 版1942. 甘 薦 栽 培 の 農 業 面 を 中 心 に、 品 種 改 良 の意 義 に つ い て 書 か れ た 資 料 で あ る 。 (11)台. 湾 総 督 府 農 業 試 験 所 『農 家 便 覧. 昭 和19年. 』 台 湾 農 友 会1944. 昭 和 工9年 ま で の 台 湾 に お け る農 作 物 全 般 につ い て 、 品 種 や 病 虫 害 に 関 して 書 か れ て い る。. 上 述 の 先 行 研 究 、 資 料 を基 に 、 本 論 文 で は 、 低 迷 して い た 糖 業 が 日 本 統 治 時 代 に どの よ う に 発 展 し て い っ た か と い う こ と を 、 品 種 改 良 を 中 心 に 明 らか に し、 台 湾 の 糖 業 発 展 に お. 一4一.

(8) け る 品 種 改 良 の 意 義 に つ い て 明 らか に し て い く。 筆 者 は 、甘 薦 は 品種 によ って 地域性 や 気候 条件 、土 壌 の 性質 によ って適 切 な 品 種 が異 な る と考 え る 。 地 域 性 や 気 候 条 件 、 土 壌 の 性 質 に お け る 適 切 な 品 種 を 考 察 し 、 各 製 糖 工 場 の 地 方 試 験 成 績 と実 際 に 栽 培 され た 甲 当 た り収量 と を 比 較 し地 方 試 験 の 成 績 が 実 際 の 栽 培 に 反 映 さ れ て い る か を 見 て い き た い 。 こ こで 品 種 改 良 の 意 味 を 整 理 して お き た い 。r世 界 大 百 科 事 典 』(平 凡 社1972)「. 品 種 改 良 」 にお いて 、品 種 改 良 は 以 下 の よ う に説 明 され て い る 。. 生 物 の 持 つ 遺 伝 的 性 質 と変 異 の性 質 を利 用 し て 、 家 畜 ・作 物 な ど の 既 存 の 品 種 に つ い て 、 そ の 劣 っ た 形 質 を 改 良 し 、 人 間 の希 望 す るす ぐれ た 遺 伝 的 性 質 を も っ た も の に 改 良 す る こ と 。 す ぐれ た 形 質 と は 、 た と え ば 栽 培 ・飼 育 に つ い て の 容 易 性 ・耐 病 性 や 環 境 へ の 抵 抗 性 の 強 化 、 収 量 の 増 大 と安 定 性 、 生 産 ・収 穫 物 の 品 質 の 改 善 な ど。. 狭 義 で は 、 品 種 改 良 は 違 う 品 種 を交 配 し新 し い 優 れ た 品 種 に 改 良 す る こ と で あ る 。 しか 「し 、 筆 者 は 品種 改 良 を 広 義 で 捉 え る と 、 品種 試 験 も 含 ま れ る と考 え て い る 。 そ れ は 、 劣 っ た 形 質 を 改 良 し優 れ た 品 種 に 改 良 す るた め に は 、 優 良 な 品 種 を 交 配 しな けれ ば い け な い か らで あ る 。 そ の 優 良 な 品 種 を選 定 す る た め に も 品 種 試 験 は 品 種 改 良 に 欠 か す こ と の で き な い も の で あ る。 ま た 、 実 際 、 外 国 種 甘 薦 ・台 湾 在 来 種 甘 薦 の 品 種 試 験 を 行 い 、 台 湾 実 生 種 と い う新 た な 品 種 の 育 成 も行 わ れ て い た 。 そ の た め 、 本 論 文 で は 品 種 改 良 を 広 義 で 捉 え 、 考 察 して い く こ と とす る 。 そ こで 第1章. にお い て 台 湾 に お け る 糖 業 事 業 を 考 察 す る 。 まず 、 第1節. で は 「日本 領 台. 前 に お け る 台 湾 の 糖 業 」 と し て 、 日本 が 台 湾 を 領 有 す る 前 の 糖 業 を 台 湾 糖 輸 移 出 量 の 変 化 を基 に 明 らか に した い 。 次 に 、 第 皇節 で は 「「 糖 業 改 良 意 見 書 」 と 日本 統 治 時 代 初 期 に お け る 台 湾 糖 業 」 と し て 、 台 湾 糖 業 発 展 の基 礎 が 築 か れ た 時期 にお け る 糖 業 政 策 を 「糖 業 改 良 意 見 書 」 を基 に 明 ら か に した い 。 第2章 に お い て 品 種 改 良 に つ い て考 察 す る。 ま ず 、 第1節 で は 「 甘 薦 品種 の変 遷 」 とし ` て 、 台 湾 の 甘 蕉 品 種 が 日本 統 治 時 代 初 期 か ら植 民 地 支 配 が 終 わ る ま で どの よ う に 変 化 して い っ た か を見 て い き た い 。 次 に 、第2節. で は 「ロー ズ バ ン ブ ー と ジ ャ ワ 細 茎 種 」 と し て 、. 品 種 の 中 で も 特 に ロ ー ズ バ ン ブ ー と ジ ャ ワ細 茎 種 の 比 較 を 行 う。 これ は 、 筆 者 の 研 究 テ ー 、 マ で も あ る 日本 統 治 時 代 中 期 に お け る甘 庶 品 種 が ロー ズ バ ン ブ ー か ら ジ ャ ワ 細 茎 種 へ と変 化 し た た めで あ る 。 そ して 、 第3節. では 「 甘 薦 品種 試 験 成 績 」 と して 、 甘 蒜 品 種 試 験 の結. 果 を 踏 ま え て 各 製 糖 会 社 が どの よ う な 品 種 を実 際 に栽 培 し て い っ た の か 、 そ の 栽 培 状 況 と 一 選 択 理 由 を 明 らか に した い 。'. 以上の考察 を基 に、 日本統治時代初期か ら台湾経済 の中で糖業が大 きな位置を 占めてお り、中で も品種改良を中心に台湾糖業が改良されたことを明らか にしていきたい。. ・5・.

(9) 註 (1>徐 照 彦r日 本 帝 国 主 義 下 の 台 湾 』(東 京 大 学 出版 会1975)で 経 営=支 (2)伊 藤 潔. は 、徐 氏 は 「日本 の 植 民 地. 配 」 と 述 べ て お り、 「収 奪 」 「 搾 取 」 と い う言 葉 を使 用 し て い る 。 『台 湾 四 百 年 の 歴 史 と展 望 』(中 公 新 書1993)pp、97-98に よ る.1930年. に山. 地 先 住 民 が 日本 人 を襲 撃 す る と い う 「 霧 社 事 件 」 が 起 き た が 、1915年 に起 き た 「西 来 庵 事 件 」 を 境 に 、 台 湾 人 の大 規 模 な 武 力 抵 抗 は 終 息 した と され て い る 。 「 西来 庵 事件 」 とは 「 大 明 慈 悲 国 」 と い う 独 立 国 建 国 を な そ う と し た抗 日 運 動 で 、 台 湾 全 土 に広 が り10カ 月 と い う 比 較 的 長 い 期 間 に わ た っ て 続 い た 事 件 で あ る。 ③ 同 上,前 (4)同 上 ,前 (5)伊 藤,前 (6)森 久 雄. 掲 書,p. ,94. 掲 書,p,116 掲 書,p .93 「台 湾 総 督 府g糖. 業 保 護 政 策 の 展 開 」(『 台 湾 近 現 代 史 研 究 』 創 刊 号1978)p. (7)新 渡 戸 稲 造. 「糖 業 階 奮 談 」 『台 湾 農 事 報 』25号(1909年). (8)新 渡 戸 稲 造. 「糖 業 改 良 意 見 書 」(新. 渡戸 稲造全集 編集 委員 会編. .59. 『新 渡 戸 稲 造 全 集 』 第 四. 巻 教 分 館1969) (9>矢 内 原 忠 雄 『帝 国 主 義 下 の 台 湾 』(岩 波 書 店1929)pp. .344--346 (10)台 湾 総 督 府 農 業 試 験 所 編 纂 『台 湾 農 家 便 覧 』 台 湾 農 友 会1944p .147 (11)r台 湾 総 督 府 統 計 書 』 は 国 立 中央 図書 館 台 湾 分 館 に 所 蔵 され て い る 。 し か し、 近 年 は マ イ ク ロ フ ィ ル ム 化 され 、 兵 庫 教 育 大 学 付 属 図 書館 に所 蔵 され て い る 。. 一6・.

(10) 第1章. 台湾 における糖業事業. 第1節. 日本領 台前 にお ける台湾 の糖業. 日本 が 台 湾 を統 治 す る 前 に 、日本 の倭 逡 に 便 乗 し 中 国 人 が 台 湾 を侵 略 して い る ω。彼 らが 最 初 に 台 湾 島 に 移 植 し た 農 業 植 物 が 甘 蕨 で あ っ た と言 わ れ て い る(2)。 『台 湾 糖 業 概 観 』で は 、 台 湾 の 糖 業 は 、 日本 が 台 湾 を 植 民地 にす る ま で に 興 隆 の 初 期 、 発 展 の 第2期 衰 と い っ た3つ. 、 第3期. の盛. の 時 期 に 分 け られ て い る 。 同 書 に よれ ば 、 「 興 隆 の初 期 」 は 、 オ ラ ン ダ 人 が. 台 湾 島 に 初 め て 来 航 し た1624年. か ら鄭 成 功 に 敗 れ て ジ ャ ワ に退 去 した1662年. 年 間 と さ れ て い る 。 「発 展 の 第2期 」 は 、鄭 成 功 が 台湾 統 治 を 始 め た1662年 とされ て い る。 「 第3期. の 盛 衰 」 は 、1800年. 80年 間 と さ れ て い る 。本 節 で は 、 「 第3期. ま で の 約40. か ら約50年. 代 前 半 か ら 日清 戦 条 が 始 ま る1894年. 間. の70∼. の 盛 衰 」を 中 心 に 日本 領 台 前 の 台 湾 糖 業 を 見 て い. く こと とす る。 「 第3期. の 盛 衰 」 を 中 心 に見 て い くが 、 そ の 時期 と筆 者 の 研 究 テ ー マ で あ る 日本 統 治 時. 代 中期 の 台 湾 糖 輸 移 出 を 比 較 す る 。 先 に も述 べ た よ う に 、 『台 湾 糖 業 概 観 』 に よ れ ば 「 第3 期 の 盛 衰 」 は1800年. 代 前 半 か ら と な る が 、資料 が慶 応 元 年(1865)か. た め 、 こ こ で は 慶 応 元 年(1865)か. 【グ ラ フ2】. (出典)台. ら とす る 。. 日本 が 台 湾 を 植 民 地 支 配 す る前 の 慶 応 元 年(1865)か 明 治12年(1923)ま. らしか残 っ て いな い. で の 台 湾 糖 輸 移 出量 の 変 化. 湾 総 督 府 殖 産 局 『台 湾 糖 業 概 観 』(1927年). ・7・. ら 日本 統 治 時 代 中期 の.

(11) グ ラ フ2は. 、 日本 が 台 湾 を植 民地 支 配 す る 前 か ら 日本 統 治 時 代 中期 ま で の 台 湾 糖 輸 移 出. 量 の 変 化 を表 し た も の で あ る 。 そ れ を見 れ ば 、 日本 が 台 湾 を 植 民地 支 配 す る 前 と 日本 統 治 時 代 を 比 較 す る と 、 日 本 が 統 治 し て か ら 台 湾 糖 輸 移 出 量 が 増 加 し て い る こ とが わ か る 。 た だ 、 日本 が 台 湾 を 支 配 した の は 明 治28年(1895)で. あ る が 、台 湾 糖 輸 移 出 量 を統 治 し始 め. た 頃 と 領 台 前 とで 比 較 す る と、 あ ま り変 化 して い な い こ と を 読 み 取 る こ とが で き る 。 台 湾 糖 輸 移 出 量 が 増 加 して き た の は 、 明 治39年(1906)墳. で 、 日本 統 治 時 代 初 期 の 終 盤 辺 りか. らで あ る 。. ま ず 、 日 本 が 台 湾 を植 民 地 支 配 す る前 の 輸 移 出 量 を 見 て い く こ と に す る 。 輸 移 出 量 を 見 て い く 上 で 、 注 意 しな け れ ば い け な い こ とが あ る 。そ れ は 、 あ る年 の 輸 移 出 量 は そ の 前 年 の 砂 糖 生 産 量 に影 響 さ れ る と い う こ と で あ る。 日本 が 台 湾 を 植 民地 支 配 す る 前 に お い て 、 最 も 輸 移 出 量 が 多 か っ た 年 は 明 治13年(1880)で 万8600斤. あ る 。 明 治13年. で あ っ た(3)。『 台 湾 糖 業 概 観 』 に よれ ば 、 「明 治9年. の 輸 移 出 量 は1億614. に マ ウ リ シア ス(4)や西 印 度 諸. 島 の 甘 簾 並 び に 仏 蘭 西 の 甜 菜 が 凶作 の 結 果 、 台 湾 糖 の 輸 出 が 促 進 さ れ た 」 と あ る 。 明 治10 (1877)、11年(1878)と. 輸 移 出 量 は 落 ち 込 む が 、そ の後 輸 移 出 が 促 進 され 明 治13年(1880). に お い て 輸 移 出 量 が 最 も 多 くな っ た と考 え られ る 。明治17年(1884)か は 輸 移 出 量 が 大 幅 に 減 少 して い る 。 明 治17年. ら明 治18年(1885). に 清 仏 戦 争 が 起 き 、安 平 と高 雄 の両 港 は フ ラ. ン ス に よ っ て 封 鎖 さ れ て し ま う 。 そ の た め 、 台 湾 糖 価 は 崩 落 し輸 移 出 量 が 激 減 す る 結 果 と な っ た ⑤。そ れ 以 降 は 、 グ ラ フ2か い る 。 明 治19年(1886)に. らも 読 み取 る こ とが で き る よ ・ う に 輸 移 出 量 は伸 び 悩 ん で. 暴 風 雨 の た め 台湾 糖 は不 振 に 陥 り、 イ ギ リ ス 糖 商 は 台 湾 糖 か ら. 手 を 引 く こ と に な り、 ア メ リカ は 輸 入 糖 に 対 し重 税 を賦 課 し た た め 台 湾 糖 の 北 米 販 路 が 杜 絶 さ れ 、 台 湾 糖 の 販 路 は 日本 、中 国 及 び 香 港 のみ に局 限 さ れ た(6)。ま た 、 明治24年(1891) に は 台 湾 糖 に と っ て 最 大 顧 客 で あ っ た 日本 も割 安 な マ ニ ラ 糖 に 切 り替 え た た め 、 台 湾 糖 は 大 打 撃 を 被 っ た(7)。そ し て 明 治27年(1894)に. 日清 戦 争 が 始 ま り、 翌 年 、 台 湾 は 日本 の 植. 民 地 支 配 を受 け る こ と と な る 。 上 述 し た こ と が 、 明 治18年. 以 降 、 台 湾 糖 の輸 移 出 量 が 伸 び. 悩 ん だ 理 由 と考 え られ る 。 次 に 日本 統 治 時 代 初 期 に お け る 台 湾 糖 輸 移 出 量 を見 て い く こ と にす る 。 台 湾 統 治 を 始 め た 頃 は 、 台 湾 糖 輸 移 出 量 は伸 び 悩 ん で い る 。 台湾 糖 輸 移 出 量 が 増 加 し て く る の は 明 治39年 頃 か らで あ る 。 そ の 理 由 につ い て 、 第2章 ン ブ ー が}園. 第1節. で も述 べ る が 、 ハ ワ イ 産 で あ る ロ ー ズ バ. に 多 く栽 培 され 始 め た の が 明 治39年(1906)で. あ る 。そ の 結 果 、栽 培 量 も増. 加 し台 湾 糖 輸 移 出 量 も 増 加 して い っ た と考 え られ る 。一 最 後 に 日本 統 治 時 代 申期 に お け る 台 湾 糖 の 輸移 出量 を見 て い き た い 。 大 正2年(1913) に お け る 輸 移 出 量 が 最 も 少 な い こ とが わ か る 。大 正2年 の 台 湾 糖 輸 移 出 量 は1億577万7700 斤 で あ っ た(8)。こ の 量 は 台 湾 領 台 前 の 明 治13年 あ る 。 これ は 後 述 す るが 、 明 治44年(1911>、. に お け る 台 湾 糖 輸 移 出 量 よ り も少 な い 量 で 大 正 元 年(1912)に. 、 台 湾 に大 暴 風 雨 が 襲. っ て い る 。 大 暴 風 雨 の 損 害 は 非 常 に 大 き か っ た よ うで 、 甲 当 た り薦 茎 収 量 は4割. か ら6割. 減 産 し 、 台 湾 島 唯 一 と も い え る産 業 で あ る甘 薦 糖 業 に大 打 撃 を 与 え た と あ る(10)。こ の ζ と. ・8・.

(12) よ り、 こ の 大 暴 風 雨 の影 響 で 、 大 正2年. に お け る輸 移 出 量 が 激 減 して い る 。 日本 統 治 時 代. 中 期 にお い て 最 も輸 移 出 量 が 多 か っ た 年 は大 正6年(1917)で. あ る 。これ は 大 正5年(1916). の 気 候 条 件 が 影 響 して い る の で は な い か と考 え る.大 正5年. の気候 は、雨 量が適 量 で、 日. 照 時 間 が 長 く 、 暴 風 雨 の 襲 来 が な か っ た 年 で あ っ た と言 わ れ 、 薦 作 に適 当 な 気 候 の 年 で あ り甘 庶 も豊 作 で あ っ た(11)。そ の た め 、 翌 年 の 輸 移 出 量 が 多 くな っ た 。 台 湾 を植 民 地 支 配 す る 前 と 日本 統 治 時 代 と を 比 較 す る と 、 台 湾 糖 輸 移 出 量 は 増 加 し て い る 。 そ の 理 由 と し て は 、 水 利 灌 瀧 設 備 が 整 っ た こ と 、 製 糖 会 社 の 発 展 、 耕 作 法 が 良 くな っ た こ と な ど を挙 げ られ る が 、筆 者 は 、 品 種 の 改 良 が 産 糖 量 を 増 加 さ せ た と考 え て い る 。 そ の 理 由 と して2点. 挙 げ られ る 。1点 目は 、 後 述 す る が 、 新 渡 戸 稲 造 が 「 糖 業 改良 意見 書 」に. お い て 品 種 の 改 良 を1番. に挙 げ て い る か らで あ る 。2点 目は 、水 利 潅 慨 設 備 に 関 して 本 格 的. に取 りか か っ た の は 明 治43年. 、 製 糖 会 社 や 耕 作 法 に 関 して は、 そ れ ぞ れ 明 治35年. 39年 で あ り、台 湾 総 督 府 が 初 め て 外 国 産 甘 薦 を 輸 入 した の は 明 治29年. 、明治. で あ り、品 種 の 改 良. に重 点 を 置 い て い た こ と が 考 え られ る か らで あ る 。 甘 庶 の 品種 に つ い て は 第2節. で詳 し く. 述べ る こ ととす る。. 註 ω 台湾 総督 府 殖 産 局 (2)同 上 ,前 (3)同 上,前. 『台 湾 糖 業 概 観 』p .1. 掲 書,p.1 掲 書,p.4. (4)現 在 の モ ー リ シ ャ ス 共 和 国 の こ と で あ る 。 ア フ リカ の 国 家 で あ り イ ン ド洋 に 浮 か ぶ 島 で あ る。 (5)府 殖 産 局,前 (6)同 上 ,前. 掲 書,p. ,4. 掲 書,pp,4-5. (7)同 上 ,前 (8)同 上,前. 掲 書,P.5 掲 書,p ,247 (10)台 湾 総 督 府 民 政 部 殖 産 局r暴 (11)台 湾 総 督 府 中 央 研 究 所. 風 に 対 す る 抵 抗 力 強 き 甘 薦 品 種 に つ い て 』P .8'. 『農 業 部 彙 報 』35号p. ・9・. ,17.

(13) 「 糖 業 改良意見書」 と日本統治 時代 初期 にお ける台湾糖 業. 第2節. 「 糖 業 改 良 意 見 書 」は 明 治34年(1901)に. 新 渡戸 稲造 に よって 台湾総 督 府 に提 出 され た。. こ こで 、r世 界 大 百 科 事 典 』(平 凡 社1972)を. 参 考 に 新 渡 戸 稲 造 と い う 人 物 を簡 単 に紹 介. す る こ と とす る 。新 渡 戸 は 明 治10年(1877)に. 札 幌 農 学 校 へ 入 学 す る 。そ の 後 、東 大 入 学 、. ア メ リカ 留 学 を 経 て ドイ ツ にお い て 農 政 学 を 研 究 した 。 明 治32年(1899)に 博 士 と な り 、明 治33年(1900)に. 日本 初 の 農 学. 当 時 の 民 政長 官 で あ っ た 後 藤 新 平 か ら の 強 い 要 請 に よ り、. 翌 年 か ら台 湾 総 督 府 に お いて 働 く こ と と な っ た 。 そ して そ の 年 に 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 を著 し 、 台 湾 総 督 府 に 提 出 した 。 そ の 後 、 東 京 女 子 大 学 学 長 、 国 際 連 盟事 務 次 長 な ど を 歴 任 し た の で あ る。 新 渡 戸 は 後 藤 に よ る 台 湾 招 聰 の 際 、一 度 、病 気 と任 官 資 格 を 理 由 に 固 辞 し て い る ω。 しか し、後 藤 は 病 気 に つ いて は執務 室 に 「 昼 寝用 の 寝 台 」 を 置 く こ と 、 ま た 任 官 資 格 に っ い て は 、 当 分 は 殖 産 局 長 「心 得 」 とす る こ とで 新 渡 戸 を迎 え て い る(2)。任 官 資 格 の 件 で あ るが 、 新 渡戸 は農 学博 士 で あ る とい うだ けで一 般の 民 間入 で あ った。 そ の民 間 人が いき な り 「 局 長 」 と い う の は 前 例 が な く、新 渡 戸 は 最 初 断 っ て い た 。 こ の こ と か ら も わ か る よ う に 、 後 藤 は 新 渡 戸 を 大 変 必 要 と して お り、 糖 業 の 発 展 に カ を 入 れ た い と い う 強 い意 気 込 み を う か が う こ と が で き る 。こ う して 新 渡 戸 は、破 格 の 待 遇 で 台 湾 総 督 府 へ 招 聰 さ れ た の で あ っ た 。 こ の 節 で は 、 新 渡 戸 は 日本 統 治 時 代 初 期 の 台 湾 糖 業 を ど の よ う に感 じ 、 考 え て い た の か を 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 の 内 容 を 中 心 に 検 討 した い 。. 1新. 渡戸 が考 える台湾糖業衰退の理 由. 新 渡 戸 は 「同 意 見 書 」 の 中で 、 「 朝 近 糖 業 の 形 勢歳 益 々 非 、 砂 糖 の 産 額 庶 園 の 地 積 共 に著 し く減 縮 す と 云 ふ に 在 り」 と述 べ て い る 。 そ の 理 由 と して 新 渡 戸 は 、 ① 地 方 豪 族 の 帰 清 ② 土 匪③ 労 働 の 欠 乏 ④ 日本 の 方 針 ⑤ 課 税 ⑥ 糖 価 の6点. を挙 げて い る。以 下 の各 要因 が糖 業衰. 退 に ど の よ う な 影 響 与 え て いた の か を 見 て いき た い。. ① 地 方 豪 族 の 帰 清 … 日本 の 領 台 後 、 多 く の豪 族 は 清 に 帰 国 し、 そ の 結 果 、 資 金 を 貸 して く れ る者 が い な くな った 。 ② 土 匪 … 土 匪 の 討 伐 の 際 に、 関係 の な い農 民 ま で殺 さ れ て しま い 、 田 園 主 を失 い 土 地 が 荒 廃 した。 ③ 労 働 の 欠 乏 …1疫. 病 が 各 地 で 流 行 ・蔓 延 し多 数 の 死 者 が 出 た 。. 2土 匪 討 伐 にお い て 、 誤 って 良 民 に 害 が 及 ん だ こ と が 少 な くな か っ た 。 3土 木 関 係 の 賃 金 が 騰 貴 し(3)、低賃 金 な 農 夫 の 多 くが 土 木 関 係 の 仕 事 に転 業 した 。 4各 地 にお け る交 通 の 便 が よ くな り、 都 市 部 に 出 稼 ぎ に 出 る 者 が 増 え た 。 ④ 日本 の 方 針 …1軍. 路 開 削 ・道 路 開 通 の た め に 庶 園 を 収 用 し た 。. ・10・.

(14) 2土. 匪 か らの 防 護 の た め に道 路 の両 脇70メ. ー トル 以 内 に お い て の 甘 薦 栽. 培 を 禁 じた 。 ⑤ 課 税 … 重 税 は 農 民 が 希 望 せ ず 、 甘 庶糖 業 の 発 達 を 大 き く 阻 害 した 。 ⑥ 糖 価 … 明 治32年(1899)当. 時 の糖 価 は 、6、7年 前 に 比 べ る と倍 とな っ た 。 普 通 で あれ. ば 糖 商 と 共 に 生 産 者 に 与 え る 利 益 が 大 き くな るは ず で あ っ た が 、 実 際 に は 糖 商 の み が 墾 断 し た た め 庶 作 を止 め る農 民 が 増 え た 。 ω. 新 渡 戸 は 順 意 見 書 」 にお い て 、 台 湾 糖 業 の 衰 退 を 分 析 しな が らも 、 そ れ で も 台 湾 糖 業 は 発 展 す る は ず で あ る と述 べ て い る 。 そ の1番. の理 由 としては 、 「 何 れ も 入 為 的 現 象 よ り来. れ る も の な ら ざ る な し」 と して 、 上 述 の よ うな 糖 業 衰 退 の 理 由 は甘 薦 そ の も の の 性 質 にお い て 変 化 が あ っ た わ け で も な く天 変 地 異 で 回 復 しな い わ け で もな く 、 人 為 的 現 象 が も た ら した も の で あ る た め 糖 業 政 策 に よ っ て 解 決 で き る は ず で あ る と述 べ て い る 。 ま た 、 当 時 、 欧 州 の 甜 菜 糖 が 盛 運 に 向 か っ て お り、1900年 ンの 中 、 そ の6割6分. す な わ ち530万. に お け る 世 界 産 糖 額800万. ト. トンを 甜 菜 糖 が 占 め 、 薦 糖 で は 甜 菜 糖 に対 抗 で き な. い と言 わ れ て い た(5)。し か し 、新 渡 戸 は こ の こ と に関 して も 異 を 唱 え て い る 。新 渡 戸 は薦 糖 が 甜 菜 糖 に 劣 っ て い る と は考 え て お らず 、殖 産 政 策 に よ り、 台 湾 の 気 候 ・風 土 の 条 件 下 で 目下 の 衰 退 を 未 来 の 盛 況 に 転 じさ せ る こ と は 決 して難 し い こ とで は な し1(6)と 述 べて い る。. 2台. 湾糖業 め改良方法. 続 い て 糖 業 改 良 方 法 を 考 察 した い。 こ こで も 新 渡 戸 の 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 を 基 に見 て い く こ と とす る 。. 1品. 種 の改良. 新 渡 戸 は 、 種 類 の 改 良 につ い て 以 下 の よ う に述 べ て い る 。. 本 島 で 従 来 栽 培 さ れ て い た甘 庶 は3種. 類 あ っ た 。 竹 薦 、 紅 庶 、 蝋 庶 で あ る 。 こ の3種. で 性 質 が 最 も良 い も の が 蝋 薦 で あ り紅 庶 、 竹 薦 と い う順 で あ っ た 。 し か し、 最 も耕 作 され て い たの は竹 庶 で あった。⑦. こ こ で ま ず 疑 問 に 思 う こ とは 、 な ぜ 最 も劣 等 で あ る とわ か っ て い る 竹 庶 が 栽 培 され て い た の か と い う こ と で あ る 。 そ の 理 由 は 、 竹 庶 は 肥 料 や 灌 慨 が ほ と ん ど 必 要 な い な ど粗 放 的 な 栽 培 に適 し て い る た め 、 収 穫 量 は 少 な い が そ の 代 わ り に手 間 が か か らな か っ た た め で あ る(8)と言 わ れ て い る 。品 種 の 改 良 と して 新 渡 戸 は 、ハ ワイ 産 の ラハ イ ナ 種 が 最 も良 い と主 張 して い る(9)。. 一11・.

(15) 【 表1】 明治30年. の台北付近における試作成績 1段(1。〉 歩 平 均 収 穫 茎 量(斤). 竹薦. 6000. ラハ イ ナ (出 典)新. 含有糖分(%) 6. 18000. 9(11). 渡戸稲造 「 糖 業 改 良 意 見 書 」(『新 渡 戸 稲 造 全 集 』 第4巻). 明 治30年. の 台 北 付 近 にお い て 試 作 さ れ た 甘 薦 の収 穫 茎 量 の 平 均 にお い て は 、竹 藍 と ラハ. イ ナ で は3倍. の差 が あ った 。 竹 蕪 と ラハ イ ナ の1段 歩 にお け る 平 均 製 糖 量 を 比 較 し て み る 。. 竹 薦 と ラ ハ イ ナ の 含 有 糖 分 が そ れ ぞ れ6%と9%で. あ る 。竹 薦 の 段 当 た り平 均 製 糖 量 は360. 斤 で あ り、 ラ ハ イ ナ の 段 当 た り平 均 製 糖 量 は1620斤. で あ る 。 これ ら の こ と か らも 竹 薦 と ラ. ハ イ ナ を 比 較 す る と ラハ イ ナ の方 が 、 成 績 が 優 良 で あ る こ と が わ か る 。 そ の た め 新 渡 戸 は ラ ハ イ ナ を 台 湾 に お い て 普 及 さ せ よ う と考 え た 。 し か し、 結 局 ラハ イ ナ は 台 湾 で は あ ま り 普 及 せ ず 、 同 じハ ワ イ 産 の ロー ズ バ ン ブ ー が 台 湾 全 島 に 普 及 す る こ と とな る 。 ラハ イ ナ は ロ ー ズ バ ン ブ ー に 比 べ て 病 害 に対 して 弱 か っ た た め 、 ロ ー ズ バ ン プ ー よ り も普 及 しな か っ た(12)。こ の こ と は 第2章. 2培. 第1節. で 詳 し く述 べ る こ と とす る 。. 養法 の改良. 新 渡 戸 は 培 養 法 の 改 良 につ い て 、 以 下 の よ う に 述 べ て い る。. 本 島 で 行 わ れ て い る 培 養 法 が 粗 放 で あ る こ とは 何 人 も認 識 して い る 。 元 来 、 利 益 の あ る 作 物 で な けれ ば 集 約 的 農 業 は施 さ れ な い 。 作 物 の 品 質 と集 約 法 と は 相 互 に 因 と な り 果 と な る も の で あ り、 作 物 が 良好 で あ れ ば 耕 作 集 約 とな り、 耕 作 集 約 で あ れ ば 良 好 な 作 物 を播 種 す る こ と は 自然 で あ る 。 そ の た め 、 本 島 甘 薦 を 改 良す る な ら耕 作 法 を集 約 的 に し 、 耕 作 法 を 集 約 的 にす る な ら甘 蕪 の 良 種 を 播 種 しな い わ け に は い か な い の で あ る 。 培 養 法 を 改 良 しな け れ ば 本 島 に 優 良 な 外 国 種 を導 入 し た と して も 多 大 な 利 益 を 得 る望 み は 薄 い 。(13). 「同 意 見 書 」 に お い て 、 ハ ワ イ に お け る培 養 法 改 良 の 効 果 と して4年. 間 に5割. 増 加 させ た と あ る 。そ れ は 、肥 料 が 年 々3万 トン 以 上 で あ りそ の 費 用250万. の産額 を. 円 を費 や して の. 結 果 で あ る が 、 培 養 の 方 法 が い か に重 要 で あ るか を う か が わ せ る 。 こ こで 各 国 の甘 薦1町 歩 の 平 均 収 穫 量 を表2に. 示す 。. 【 表2】 甘薦1町 歩 の平均収穫量 平 均 収 穫 量(ト ハ ワイ. 75. ジヤワ. 85. 台湾. 35. ン). (出典)新 渡 戸 稲 造 「 糖 業改 良意見 書 」 (『新 渡 戸 稲 造 全 集 』 第4巻). 一12・.

(16) 表2よ. り 、台 湾 が 他 国 の ハ ワ イ や ジ ャ ワ と 比 べ て い か に 収 穫 量 が 少 な か っ た か が わ か る 。. そ れ で も 粗 放 な 培 養 法 を 改 良 す れ ば 糖 業 は 必 ず 利 益 の あ る も の とな る と い う新 渡 戸 の 確 信 を もっ た考 えが あった 。 即 ち 、 新 渡 戸 は 、 培 養 改 良 の 当面 の 手 段 と して 以 下 の3点. を挙 げ て い る 。. (1)政 府 が 、 新 種 苗 を分 配 す る と共 に 農 家 に 栽 培 耕 作 方 法 を 教 え る 際 、 改 良 耕 作 法 を教 え ること (2)政. 府 の 手 で化 学 的 肥 料 を 購 入 し、 初 め の4、5年. こと (3)各. は 無 代 価 で 新 種 を耕・ 作 者 に付 与 す る. 腎. 地 の 適 当 な 箇 所 に模 範 薦 園 を 設 け 、 各 種 肥 料 の 有 効 程 度 を 人 民 に 示 す こ と. 新 渡 戸 は 「同 意 見 書 」 に お い て 、 「 机 上 で あれ こ れ 述 べ て い る だ け で は 何 も 始 ま らな い, 野 外 に 出 て 実 際 に 行 わ な け れ ば どの よ うな 結 果 が 出 る か わ か らな い 」と述 べ て い る 。即 ち 、 経 験 を 大 切 に して い る こ とが わ か る 。1. 3灌. 慨 を利 用 して 産 額 を 増 す 事. 新 渡 戸 は灌 慨 を 利 用 して 産 額 を 増 す 事 に 関 して 、 以 下 の よ う に述 べ て い る 。. 最 近 ハ ワ イ の 糖 業 進 歩 が 著 し い 最 大 の 理 由 は 灌 慨 で あ る 。 ハ ワ イ と 同 様 に 台 湾 で も灌 慨 に よ る 甘 庶 の 生 長 を 促 進 し 生 産 増 加 を考 え て い る 。 しか し 台 湾 に お い て 、 す ぐ に 同 じ方 法 で 同 じ成 績 が挙 げ られ る と は 考 え られ な い 。(14). 新 渡 戸 が 、 ハ ワ イ と 同 じよ う に灌 慨 を利 用 して もす ぐ に 良 い 成 績 が 挙 げ られ な い と考 え た 理 由 は 、 台 湾 と ハ ワ イ の 土 壌 及 び 気 候 の 違 い が あ る か らで あ る 。 ハ ワイ に お け る年 間 降 水 量 の500∼600ミ. リ メ ー トル(15)に対 し て 、台 湾 の 年 間 降 水 量 は1500∼3000ミ. リ メ ー トル. (16)であ っ た 。 甘 薦 栽 培 に は水 が 重 要 で あ る が 、 適 当 な 量 と い う も の が あ る 。 甘 薦 栽 培 に 最 も適 した 年 間 降 雨 量 は1500∼2000ミ. リ メー トル で あ る(17)。水 利 灌 慨 を設 備 し、 適 当 な 水. の 量 を調 節す る必 要 が あ る。 新 渡 戸 は 甘 薦 栽 培 に お い て 水 が 重 要 で あ る こ と を 「同 意 見 書 」 に 挙 げ て い る 。 あ る 薦 園 に お い て 乾 地 に あ る甘 庶 は 高 さが5尺. で あ るが 、 水 田 に近 い所 の 甘 薦 は高 さ が7尺. に生長. して い た 。 こ の こ と か ら も甘 庶 に は 水 が 必 要 で あ る と述 べ て い た(18)。 そ こで 新 渡 戸 は 灌 慨 に お け る 当 面 の 急 務 を3つ 挙 げ て い る 。 (1)灌. 慨 試験 を行 う こと. (2)小. 規 模 な 溝 渠 を 有 す る 者 に灌 概 設 備 の 設 計 に従 い 補 助 金 を下 付 す る こ と. (3)水 利 組 合 の 組 織 を 奨 励 し 、 な る べ く民 業 に よ り大 規 模 な 灌 慨 エ 事 を 行 わ せ る ζ と 台 湾 に お い て 薦 園 灌 慨 の 利 用 が どれ だ け 甘 庶 生 産 に有 効 な も の で あ る か に っ い て 調 べ た 実 験 で は 未 だ 確 認 は で き て い な い 。 従 っ て 甘 薦 灌 概 適 否 に 関す る 試 験 に 速 や か に 着 手 し、 そ の 成 績 を 明 らか に し農 民 に周 知 さ せ な け れ ば な ら な い と新 渡 戸 は 考 え て い た(19)。新 渡 戸. ・13一.

(17) は 、 台 湾 の 甘 薦 栽 培 従 事 者 に灌 慨 が 甘 薦 に と っ て よ い もの で あ る と信 じ さ せ る た め に も試 験 成 績 の 好 結 果 を提 示 す る 必 要 が あ る と考 え て い た こ と が う か が え る(20)。. 4既. 成 田 園 を 庶 園 に 替 え る事. 新 渡 戸 は 既 成 田 園 を 薦 園 に替 え る事 に 関 して 、 以下 の よ う に 述 べ て い る 。. 現 在 の 水 田 は 灌 慨 が 不 便 で あ り辛 う じて 米 作 を営 め て い る 状 態 で あ っ た 。 そ の よ うな 水 田 は 薦 園 に 転 じて 利 益 を得 るべ き で あ る 。 し か し、 強 引 に米 作 を 廃 し て 薦 作 に代 え ろ と言 うわ け で は な い 。 庶 園 の 面 積 を拡 張 す る 余 地 が あ る と い う こ と で あ る 。 こ こ で 問 題 と な る の が 本 島 の 習 慣 で あ る 。 水 田 を庶 園 に 代 え る こ と は 何 も経 済 上 の 収 支 よ り打 算 され た も の で は な い 。 米 作 は本 島 農 産 の大 宗 で あ り簡 単 に 棄 て られ る も の で は な い 。 水 田 を 庶 園 に代 え る こ と は100年. の 習慣 を 打 破 す る こ と で あ る 。(21). 新 渡 戸 が 台 湾 に 来 た 頃 あ る 老 人 に外 国 種 を見 せ そ れ を植 え る よ う に言 っ た が 、 先 代 よ り 栽 培 し続 け た 甘 薦 茎 と 大 き な違 い が あ り新 渡 戸 の 提 案 を 無 視 し た と言 わ れ て い る 。 ま た 、 外 国 種 が あ ま り に も大 き か っ た た め 甘 薦 とは 信 じ な か った と も言 わ れ て い る(22)。こ の こ と か ら も 台 湾 島 民 は 習 慣 に 固執 す る 傾 向 が 強 か っ た と考 え られ る 。 新 渡 戸 は そ の た め に 甘 薦 作 改 良 策 と して 、 以 下 の3点 挙 げ て い る 。 (1)集 約 的 薦 作 を行 い 、 そ の 利 益 が あ る こ と を 農 民 に わ か らせ る (2)習 慣 を 打 破 す る た め 、 農 民 に種 子 また は肥 料 の 付 与 な どの 特 典 を与 え る こ と (3)甘 庶 を 天 水 田 に植 え 付 け し、 甘 庶 栽 培 に灌 慨 の 利 が あ る こ と を 知 らせ る(23) (3)か. ら天 水 田 を利 用 す る 庶 作 に よ り甘 庶 栽 培 面 積 を拡 大 し、 生 産 量 を増 や そ う と した. と うか が え る 。 天 水 田 と は 、 雨 水 だ け に頼 っ て い る 田 あ こ と を指 す 。 天 水 田 と乾 燥 した 地 域 の 土 地 と を 比 較 す る こ と に よ り、 甘 薦 栽 培 に 灌 慨 の 利 が あ る こ と を 新 渡 戸 は わ か らせ よ う と し た と考 え られ る 。 上述 の3点. か ら も 、新 渡 戸 は農 民 の 意 識 改 革 が 大 事 で あ る と考 え て い た こ とが 読 み 取 れ. る 。 習 慣 に 固 執 す る 台 湾 農 民 に対 して 、 強 制 的 に甘 庶 作 を させ る の で は な く(1)∼(3) の よ う な 事 項 を 提 示 し 、 徐 々 に意 識 改 革 を さ せ よ う とす る新 渡 戸 の考 え が う か が え る(24)。. 5庶. 園 に 適 す る 土 地 の 新 墾 を 奨励 す る事. 新 渡 戸 は薦 園 に 適 す る 土 地 の新 墾 を 奨 励 す る 事 に 関 して 、 以 下 の よ う に述 べ て い る 。. ど こ の 国 に お い て も 開 墾 は 難 事 で あ る と い う こ と は 同 一 で あ り容 易 に そ の 事 業 を行 う 者 は い な い 。 特 に 台 湾 は 保 守 的 な 人 が 多 く 、 ま た 支 配 され 続 け搾 取 され 続 け た 過 去 を 持 つ 国 民(25)であ る 。 元 来 、 不 毛 の 土 地 を 開 拓 す る こ と は 目 の 前 の利 を 望 む 事 業 で は な い 。(26). ・14・.

(18) 即 ち 、 土 地 を新 墾 す る と い う こ と はす ぐに は利 益 を 上 げ られ る こ と で は な い と い う こ と で あ る 。 ま た 、 台 湾 の 人 た ち は搾 取 され 続 け た 国 民 で あ る た め 、 す ぐ に利 益 を 上 げ られ な け れ ば 反 感 を 買 っ て し ま う と考 え られ る 。 で は 、 ど う い う と き に 不 毛 の 土 地 を 開拓 す る の で あ ろ うか 。 新 渡 戸 は 、 例 を3点 いる 。. 挙 げて. ・. (1)経 済 が 進 歩 して い る時 代 (2)土 地 の 豪 族 が 黄 白 の利 を期 待 せ ず た だ 自分 の 家 の 威 力 を見 せ つ け る と き (3)貧. し い 農 民 が 多 く、 労 銀 が低 く衣 食 に 困 り土 地 を 開 拓 せ ざ る を得 な い と き(27). 明 治34年(1901)当. 時 、台 湾 は 各 地 に 不 毛 未 墾 の地 が 散 在 して い た が 、 上述 の よ うな 状. 態 に は な か っ た 。 そ の た め 新 渡 戸 は新 墾 の た め に次 の4点. を 提 言 して い る 。 、. (1)開 墾 に 適 す る 土 地 を選 定 し これ を 人 民 に 周 知 させ る こ と (2)法 律 を も っ て 奨 励 法 を発 布 し開 墾 成 功 者 に は無 代 価 で そ の 地 の 業 主 権 を 付 与 す る こ と (3)奨 励 法 に よ り薦 苗(ロ ー ズ バ ン ブ ー 種 、 ラハ イ ナ 種)及 び 肥 料 の 下 付 を行 う こ と (4)一 定 面 積 以 上 を 開 墾 す る も の へ そ の 地 の 形 状 に従 い 灌 概 排 水 の エ事 費 を補 助 し 、 ま た 1開 曳. 墾 の 後 、 そ の 地 に 建 設 す る製 糖 エ 場 に対 し特 別 保 護 を 与 え る こ と(28). と 以 上 の よ う に 、新 墾 す る こ と によ る 農 民 の 利 点 を挙 げ て い る 。(1)∼(4)全 利 点 で あ る 。 しか し、(4)は. て は農 民 の. 「 そ の地 に 建 設 す る 製 糖 工 場 」 と あ る よ う に 、 新 渡 戸 は 従 来. の 改 良 糖 廓 に変 わ る製 糖 工 場 の 建 設 を期 待 して い た も の と考 え られ る 。 以 上 は 主 に新 渡 戸 の 甘 庶 農 業 に関 す る事 項 を 見 て き た 。 次 に 甘 薦 糖 の エ 業 生 産(製 糖 業) に 関 す る 事 項 を 見 て い き た い 。 た だ 新 渡 戸 は 、 工 業 面 が し っ か り して も結 局 は 農 業 面 が し っ か り し て い な い と発 達 しな い た め重 き を 農 業 的観 察 に 向 け て い た の で あ っ た 。. 6製. 造 法 の 改善. 新 渡 戸 は 台 湾 の 製 糖 業 に 関 して 、 以 下 の よ う に述 べ て い る 。. 昔 日の 製 糖 事 業 は 農 閑 の 副 業 と見 な さ れ て い た 。 そ の た め 品 質 が 不 一 定 で あ っ て も特 に 落 胆 す る こ と は な か っ た 。 しか し 、 純 然 な エ 業 と な り砂 糖 を 商 品 と し て 扱 う今 日 に と って 品 質統 一 は緊 要 の一条 件 で ある。 台湾糖 の製造 は粗 放 で あ り品質が 不 一定 で あ る た め 、 内 地 に お い て 精 製 の原 料 を 近 い 台 湾 か ら移 入 す る の で は な く、 爪 畦 や 呂 宋 に 求 め て い る の で あ る。(29). 当 時(1901年)、. す で に砂 糖 の 商 品価 値 は 非 常 に高 か っ た こ とが う か が え る 。外 国 の歴 史. を 見 て み て も砂 糖 が 国 と重 大 な 関係 を持 っ て い た こ と につ い て 、 新 渡 戸 は い くつ か 例 を挙 げ て い る 。 例 え ば ナ ポ レ オ ン 時 代 の フ ラ ン ス で あ る が 、 フ ラ ン ス が 帝 国 を 建 設 し世 界 の 覇 権 を握 っ た の は 軍 備 拡 張 が 大 き か っ た と も 言 え る が 、 砂 糖 政 策 で イ ギ リ ス を 肉 迫 した た め. ・15一.

(19) で も あ っ た 。 ま た 、 ト リ ニ ダ ー ド ・ トバ コ や ジ ャ マ イ カ は イ ギ リ ス の 植 民 地 で あ っ た が 、. 植 民地 政 策 は 失 敗 して い る 。 そ れ は 糖 業 政策 の 過 ち に 外 な ら な い と新 渡 戸 は 述 べ て い る 。 以 上 か ら 、新 渡 戸 は 糖 業 が 国家 の 命 運 を握 っ て い る と考 え て い た 。 そ こで 新 渡 戸 は 製 糖 法 改 善 の た め に まず や らな け れ ば な らな い と考 え て い る こ と を3点 挙 げ て い る。 (i)政 府 自 らが 外 国 製 の 小 型 機 械 を 購 入 し これ を糖 廓 主 に無 料 で 貸 し付 け ま た は 低 利 の年. 賦還納法 によ り売 り渡す こと (2)大 規模 な機械 を備え製糖工場を新設する者へその程度 に応 じ適宜の方法 によ り相 当奨 励 金 を下 付 す る こ と (3)耕 作 者 を勧 誘 し 団 体 を作 りか つ 団 体 共有 の糖 廓 を 設 立 させ 耕 作 者 と製 造 者 の 利 益 の 一 致 を 計 る こ と(30) (1)か. ら は 、 政 府 自 ら外 国 製 の 小 型 機 械 を 購 入 す る と い う と こ ろ か ら、 砂 糖 の 品 質 を 一. 定 に し 、 再 び 内 地 が 台 湾 糖 を移 入 で き る よ う に した と考 え られ る 。(2)か. ら新 渡 戸 は 糖 廊. に 代 わ る 大 規 模 な 製 糖 工 場 が で き る こ と を期 待 して い た こ とが わ か る 。(3)か 者 の 団 体 に よ っ て 糖 廊 を設 立 さ せ る こ と に よ り、 台 湾 糖 業 が 衰 退 した 理 由 の1っ. らは、耕 作 で もあっ. た 製 造 者 の 利 益 の 墾 断 を 防 こ う とす る 新 渡 戸 の 意 図 が 読 み 取 れ る 。. 7圧. 搾 法 の 改良. 新 渡 戸 は 圧 搾 法 の 改 良 に 関 して 、 以 下 の よ う に述 べ て い る 。. 本 島 で 行 わ れ て い る圧 搾 法 で は 、搾 取 す る糖 汁 の 量 は42%以 し て50%で. 上60%以. あ り薦 茎 の 半 量 に過 ぎ な い 。 成 績 佳 良 な も の で も6割. 下 で あ る 。平 均. を超 え る こ と は 稀 で. あ る 。 し か し 小 規 模 な 洋 式 圧 搾 機 械 を用 い た だ け で 、 ラ ハ イ ナ 種 は 原 動 力 に 異 同 な し で 糖 汁68%を 比 べ1割. 得 る こ とが で き、 少 な く と も60%は. 得 られ る 。 一 方 、竹 薦 で も在 来 法 に. 多 く搾 取 で き た 。現 在 、竹 庶 が 一 段 歩 収 穫6000斤. 圧 搾 す れ ば糖 汁3000斤. と仮 定 し、 こ れ を 在 来 法 で. とな る 。 一 方 で 小規 模 な 洋 式 圧 搾 機 械 を 用 い れ ば3600斤. る こ と が で き る 。 す な わ ち2割. の 増 加 に 該 当す る 。 これ は 機 械 の効 力 よ り生 ず る も の. で あ る 。 今 も し新 機 械 を 全 島 で 採 用 す れ ば 、本 島 産 糖 を7000万 に1400万. を得. 斤 と 見 な し立 ち ど こ ろ. 斤 の 増 加 を見 込 め る 。(31). 新 渡 戸 は 、 圧 搾 機 械 を 改 良 し、 搾 り粕 に 含 ま れ る 残 っ た 薦 汁 の 量 を で き る だ け 少 な くす る こ と で 、 製 糖 に 用 い る 糖 汁 の 量 が 大 幅 に 増 加 す る こ と を 予 想 して い る 。 圧 搾 法 の 改 良 に 関 して は 、 す で に 小 型 の 洋 式 圧 搾 機 械 を 導 入 して い る 。 これ は 、 新 渡 戸 が 「 糖 業 改 良意 見 書 」 を 提 出 す る 前 か ら導 入 して い る と い う こ と で あ る 。 新 渡 戸 は 、 こ の 小 型 洋 式 圧 搾 機 械 は 農 家 で も 購 入 で き る と 考 え て お り、 で き な くて も 糖 廓 と 共 同 作 業 を 行 い糖 汁 の 量 を増 加 き せ る こ と を考 え て い た 。. ・16・.

(20) さ ら に新 渡 戸 は 上 記 の7つ. の 提 言 の 外 に も 台 湾 糖 業 改 良 に つ い て 、 以 下 の よ う に述 べ て. い る。 (1)関. 税 輸 入外 国糖 の 関税 率 を高 め、間接 的 に内国糖 を保護 す る。. (2)戻. 税 鹿 児 島 県 と沖 縄 県 の 糖 業 会 社 の 輸 出 糖 に 対 して 、保 護 金 と して100斤. 当 た り50銭. を. 払 い 戻 し 、 糖 業 を保 護 す る 。 (3)運. 搬 の開 通 糖 業 の 原 料 、 燃 料 、 肥 料 、 機 械 な ど は皆 運 搬 に 費 や す こ とが 多 い た め 、 運 送 しや す くす る 。. (4)販. 路 の拡 張 需 要 地 の 状 況 を 審 案 し これ を糖 業 者 に紹 介 し有 利 な 販 路 を 指 導 す る 。. (5)庶. 価 の公定 甘薦 の時価 を公定す ることは製糖業を庇護 し原料買 い入れ を容 易にする。. (6)糖. 業 の教 育 簡 易 な 甘 庶 栽 培 法 、 製 糖 法 を教 習 して 糖 業 の 知 識 を普 及 さ せ る 。. (7)産. 業組 合 の準 備 純 然 な 営 利 団 体 と して 糖 業 経 営 資 本 融 通 の機 関 に す る 。. (8)出. 版 物 の配 布 耕 作 法 及 び 製 造 法 改 良 の利 益 を 周 知 させ る た め に 印刷 し1広. (9)甘. く 民 間 に配 布 す る 。. 薦保 険 の設 備 甘 薦 は 風 水 害 及 び 虫 害 の 恐 れ が あ り、 庶 園収 穫 保 険 の方 法 を 講 ず る べ き で あ る 。. (10)牛. 畜 の保 護. 在 来 製 糖 機 械 の原 動 力 は 牛 で あ る 。 原 動 力欠 乏 の 恐 れ をな く な らせ る必 要 が あ る 。 (11)副. 産 物 の奨励 糖 業 の 副 産 物 と して. 「ア ル コ ー ル 」 「ラ ム 」 な ど を 発 達 さ せ る 必 要 が あ る 。(32). 以 上 、新 渡 戸 稲 造 の 糖 業 を 改 良 す る た め の方 法 を大 き な7点. と付 属 と して の11の. 見 て き た 。以下 よ り 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 の 政 策 的効 果 を見 て み よ う。. ・17・. 方法を.

(21) 【 表3】. 「 糖 業 改 良意 見 書」 の政策 効果 、 産 糖 額(単. 砂 糖 消 費 税(単. 位:1,000斤). 新渡戸予想 (平均). 実際額. 位:1,000円). 新渡戸予想. 実際額. 明治36年. 78,365. 75,834. 742. 761. 37年. 117,775. 82,632. 1,060. 1,454. 38年. 167,325. 127,388. 1,459. 1β66. 39年. 201,775. 106,46乎. 1,737. 2β99. 40年. 212,025. 109,201. 1β20. 2,000. 41年. 223,625. 203,879. 1,913. 3,502. 42年. 235,225. 340,401. 2,007. 5,467. 43年. 246,825. 450,564. 2,100. 12,117. 44年. 260,500. 292,645. 2,210. 10,715. (出典)森 久 男 「台 湾 総 督 府 の糖 業 保 護 政 策 の 展 開 」(『 台 湾 近 現 代 史 研 究. 新 渡 戸 の 見 込 み と 実 際 額 を表3に. 表 し た 。産 糖 額 の 方 は 、明 治42年. 創 刊 号 』1978). に初 め て新 渡戸 の予. 想 を超 え た 。 即 ち わ ず71)N6年 で 新 渡 戸 の 予 想 を超 え た こ と にな る 。 一 方 で 砂 糖 消 費 税 の 方 は 、1年. 目の 明 治36年. か ら新 渡 戸 の 予 想 を上 回 って い る 。 表3を. の 後1度. も産 糖 の 実 際 額 が 新 渡 戸 の 予 想 を下 回 っ た こ と は な い 。明 治36年. 砂 糖 消 費 税 の 実 際 額 が 最 も多 か っ た 年 は 明 治43年. 見 て もわ か る よ う に 、 そ か ら の9年 間 で 、. で あ る が 、新 渡 戸 の 予 想 額 よ り6倍 近 く. も多 か っ た 。. 新 渡戸 が 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 を 提 出 し た 後 で 児 玉 源 太 郎 総 督 と面 談 した 際 、 総 督 が 「 僕 は この 糖 業 意 見 書 を 見 た 。 しか も二 度 繰 り返 して 見 た 。 一 体 わ が 輩 は 書 類 を二 度 も 繰 り返 す こ と は しな い男 だ が 、 台 湾 財 政 独 立 の 基 を築 く根 底 論 で あ る か ら念 を 入 れ て み た(33)」と 述 べ て い る 。 この こ と や 本 節 の 冒頭 で も述 べ た 後 藤 が 新 渡 戸 を破 格 の 待 遇 で 招 聰 し た と い う こ とが ら も 、児 玉 や 後 藤 が 糖 業 に 力 を 入 れ て い た こ とが わ か る 。 ま た 、彼 ら に と っ て 「同 意 見 書 」 が 非 常 に 興 味 深 い も の で あ った こ と も 明 らか で あ る 。 台 湾 総 督 府 の 糖 業 政 策 の 根 底 に は 台 湾 財 政 独 立 が あ り、 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 を基 に 改 良 が 行 わ れ て い っ た の で あ る 。 「 糖 業 改 良 意 見 書 」 にお い て 、 台 湾 糖 業 の 改 良 方 法 は農 業 面 、 エ 業 面 と い う2つ. の面か. ら述 べ ら れ て い る 。 新 渡 戸 は 、 農 業 面 で は 特 に 品 種 改 良 に つ い て 述 べ て お り 、 新 渡 戸 は 品 種 改 良 が 重 要 で あ る と 考 え て い た こ とが う か が え る 。 これ 以 後 、 ハ ワ イ だ け で な く ジ ャ ワ か ら も多 く 品 種 を 輸 入 し 、 産 糖 量 を 増 や す こ と に な っ た 。 エ 業 面 で は 糖 廓 に 変 わ る新 式 製 糖 エ 場 が 登 場 し、 大 仕 掛 機 械 を用 い て 砂 糖 を 製 造 し た 。 産 糖 量 の 急 増 は 内 地 精 製 糖 業 へ の 原 料 糖 と し て の 供 給 を しな くて は 台 湾 産 糖 量 を 消 化 で き な い まで に な っ た(34)。こ の 「 意見 書 」 が 台 湾 糖 業 に 大 き な影 響 を 与 え た こ とが 明 らか で あ る 。. ・18一.

(22) 註 (1)伊 藤 潔r台 湾 四 百 年 の歴 史 と展 望 』 中公 新 書(1993年)P.93 (2)同 上 ,前 掲 書,p.93 ③ 土 木 関 係 の 賃 金 が 騰 貴 した 理 由 は 、 日本 が 台 湾 を 統 治 した 結 果 、 鉄 道 な どの 土 木 工 事 が 頻 繁 に行 わ れ たた めで ある。 新渡戸稲造 「 糖 業 改 良 意 見 書 」(『新 渡戸 稲 造 全 集 』 第4巻1969年)P.170 (4)① ∼ ⑥ は 同 上,1前 (5)同 上,前. 掲 書,p. (6)同 上,前. 掲 書,pp. (7)同 上,前. 掲 書,P. 掲 書,pp.169-171 .172 ,172-173. .192 湾 総 督 府 の 糖 業 政 策 と 糖 業 連 合 会 の 活 動 一1895年. (8)新 福 大 建r台. か ら1914年. を 中 心 に 一』. (兵 庫 教 育 大 学 大 学 院 修 士 論 文2002>p.22 (9)新 渡 戸,前 掲 書,p .193 (10)1段=O .1町=0。1甲=10a甲 は 台 湾 で 用 い られ て い る 面 積 の 単 位 で あ る 。 地 積 を表 す の に用 い られ る 。 (11)ラ ハ イ ナ の 含 有 糖 分 は 最 も 少 な く て9%と. い う こ と で あ る 。ハ ワ イ で は19%な. い し20%. に 及 ぶ 。 (12)台. 湾 総 督 府 糖 業 試 験 所. (13)新. 渡 戸 ,前. (14>同. 上 ,前. 『糖 業 試 験 所 報 告 』12号p. .26. 掲 書,pp。198-199. 掲 書,pp.200-201. (15)12号,前. 掲 書,p. ,45. (16)同. 上,前. 掲 書,p. .58. (17)同. 上 ,前. 掲 書,p.36. (18)新. 渡 戸,前. 掲 書,p201. (19)同. 上,前. 掲 書,p. (20)同. 上,前. 掲 書,p.201. (21)同. 上 ,前. 掲 書,pp.204-205. (22)新. 渡 戸 稲 造. (23)新. 渡 戸,「. (24)こ. の 改 良 策 を見 て わ か る よ う に. .201. 「糖 業 懐 蕾 談 」(『 台 湾 農 事 報 』25号1909年). 意 見 書 」,p. ,206 「強 制 」 す る と い う 言 葉 は 出 て い な い 。 し か し 、 徐 照 彦. 氏 は 『日本 帝 国 主 義 下 の 台 湾 』 に お いて 、 「 新 渡 戸 は 、 糖 業 改 良 を促 進 す る た め に 、 保 守 的 な 農 民 を相 手 に 国 家 の 強権 を用 い る こ とが 不 可 避 で あ る こ と を と く に 強 調 して い る 」 と 述 べ て い る 。徐 氏 は 『 新 渡 戸 稲 造 全 集 』 第5巻 に あ る 、新 渡 戸 と 当 時 の 台 湾 総 督 で あ っ た 児 玉 源 太 郎 と の 会 話 にお い て 新 渡 戸 が 発 した 「フ レデ リ ッ ク大 王 が プ ロ シ ア農 政 改 革 実 行 の 為 に 、 時 には 警 察 権 を 用 い 、 時 に は 憲 兵 の 力 を か りた り して 、 な か な か 手 き び し く や り ま し た 。 しか る に こ こ に糖 業 を基 礎 と して 台 湾 の財 政 独 立 を 計 る に は 、 フ レデ リ ッ ク 以 上 の 決 心 を要 す る も の と思 い ます 」 と い う 部 分 を根 拠 に挙 げ て い る 。 しか し、 糖 業 改 良 を 促 進 す る た め には 、 フ レデ リ ッ ク 大 王 の よ う な 強 い 気 持 ち が 必 要 で あ る と い う 助 言 を して い る だ け で あ り、 徐 氏 が 述 べ て い る 甘 薦 作 に お い て 農 民 に 「 強 権 を用 い る こ と を と く に 強 調 して い る 」 と い う点 は 再 検 討 の 余 地 が あ る と筆 者 は 考 え る 。 (25)伊 藤 ,前 掲 書,pp.17-18に よれ ば、 「 オ ラ ンダ 統 治 時 代 は 鹿 の 捕 獲 が 奨 励 され 捕 獲 器 具 に 税 金 が 課 さ れ た 。 そ の た め 台 湾 の鹿 が ほ とん ど絶 滅 状 態 と な っ た 。 台 湾 に お け る オ ラ ン ダ 統 治 は 重 商 主 義 時 代 の植 民地 経 営 そ の も の で あ っ た 。 あ ら ゆ る 生 産 と消 費 に 対 し て 重 い 税 金 を 課 し 、 新 た な 移 住 民 か らは 人 頭 税 を 取 り立 て た 」 と さ れ て い る 。 ま た 、P.33に よ れ ば 、 「 鄭 氏 政 権 は 財 政 確 保 の た め 台 湾 住 民 か ら の徴 税 に腐 心 し 、 そ れ は オ ラ ン ダ 支 配 以 上 に苛 酷 で あ っ た 。 オ ラ ン ダ の 人 頭 税 を踏 襲 した ほ か 、 固 定 資 産 税 に あ た る 家 屋 税 を 新 た に設 け 、豚 舎 や 鶏 舎 に ま で課 税 した 。(中 略)住. ・19・. 民 に課 せ られ た 税.

(23) 負 担 は ま さに苛 敏訟 求 の極 みで あっ た」 とされて い る。 (26)新. 渡 戸 ,「 意 見 書 」,p.206. (27)同. 上,前. (28)同. 上 ,前. 掲 書,p208. (29)同. 上,前. 掲 書,p. (30)同. 上 ,前. 掲 書,pp.211-212. (31)同. 上,前. 掲 書 ,pp212-213. (32)同. 上 ,前. 掲 書,pp.217-219. (33)鶴. 見 祐 輔. (34)新. 福,前. 掲 書,pp206-207. .209. 『後 藤 新 平 』 第2巻 掲 書,p. (勤 草 書 房1965年)p.284. .38. ・20・.

(24) 第2章 第1節. 品種 改良 甘庶 品種 の変遷. こ の 節 で は 、 台 湾 に お け る 甘 薦 品種 の 変 遷 を 歴 史 的 に 見 て い く。 台 湾 に お け る 品 種 変 遷 の 歴 史 を 見 る と 、 竹 簾 時 代 、 ロー ズ バ ン ブ ー 時 代 、 ジ ャ ワ細 茎 種 時 代 、 ジ ャ ワ 大 茎 種 時 代 の4つ. の 時 代 に 分 け る こ と が で き る ω。台 湾 にお け る 甘 薦 品 種 の 変 遷 を 台 湾 総 督 府 農 業 試 験. 所r台. 湾 農 家便 覧 』 と台湾総 督府 糖業試 験所 『 糖 業 試 験 所 報 告 』12号. 、 台湾総督 府 殖 産局. r台 湾 糖 業 概 観 』.を基 に 、 時 代 別 に述 べ て い き た い 。 こ こ で 、 甘 庶 の 品 種 の 説 明 を簡 単 に し て お き た い 。 ま ず 竹 庶 で あ る が 、 台 湾 の 在 来 種 で あ り、 庶 茎 は細 く1本. の重 量 も軽 い が 旱 魅 に 強 く痩 薄 な 土 地 に も よ く生 育 す る 。 ロ ー ズ バ. ンブ ー は 、 ハ ワ イ 産 の 甘 蒜 で あ り灌 概 の 便 否 に 関係 な く生 育 す る が 風 害 に耐 え る 力 は 弱 い 。 ジ ャ ワ細 茎 種 、ジ ャ ワ 大 茎 種 は 番 号 の前 に 「POJ」が 付 く。これ は 、後 述 す る がrProefstation OostJava」. の 頭 文 字 を 取 っ た も の で あ る 。番 号 が ど の よ うな 順 番 で 付 け られ た か は 手 元 に. あ る 資 料 で は 確 認 で き な か っ た 。 ジ ャ ワ 細 茎 種 は ジ ャ ワ大 茎 種 と 比 琴 る と茎 が 細 く 、 黄 條 病 に 弱 い 。 ま た 、 ジ ャ ワ細 茎 種 の 中 にB6Miい る36POJが. う品 種 が あ る。 こ れ は 、 ジ ャ ワ細 茎 種 で あ. 変 異 し た 品 種 で あ る 。 「Mi」 の 意 味 は 不 明 で あ る。 ス トラ イ プ ドチ ェ リボ ン と. い う 品 種 も 出 て く る が 、 これ は ジ ャ ワ大 茎 種 の1種. で あ る 。 台 湾 実 生 種 は 番 号 の 前 にrF」. が 付 く。 これ は 「Formosa」 の 頭 文 字 で あ る。Formosaと. は 台湾 の別 称 で ある。 台 湾 実生. 種 の番 号 は 育 成 され た 順 番 で あ る。 他 に本 論 文 で は 、D1135、EK6、H146と 出 て く る 。D1135の. 「D」は 「Demerara」. の 頭 文 字 で あ る 。 「Demerara」. い った 品種 が とは南 米 の 国で. あ る ガ イ ア ナ 共 和 国 を 流 れ る デ メ ラ ラ川 の こ とで あ り、 デ メ ラ ラ川 沿 い で 栽 培 さ れ た た め に 付 け られ た 名 前 で あ る。EK6の. 「EK」 は 「E.Karthen氏. 人 物 が ど こ 出 身 で ど の よ うな 人 な の か は 不 明 で あ る 。H146の. 」 か ら付 け られ て い る 。 この 「H」 で あ る が 、 こ れ は. 「Hawaii」 の 頭 文 字 で あ る 。 イ エ ロ ー カ レ ドニ ア は 茎 葉 の 外 皮 が 硬 い た め 病 虫 害 の 影 響 を 受 け る こ と が 少 な く 、 ま た 燃 料 に 適 して い る。 しか し、 根 を深 く地 中 に 進 入 す る た め 旱 魅 の 被 害 は 少 な い が 、 糖 分 の 低 さ が 欠 点 で あ る。 ス トラ イ プ ドシ ン ガ ポ ー ル は ハ ワ イ の 原 産 で あ る 。 肥 沃 の 土 地 に 多 量 の 肥 料 を施 し て 栽 培 す れ ば 収 量 は 多 い が 、 糖 分 は 低 く 町 当 た り 可 製 糖 量 を 減 らす 欠 点 が あ る。. 【 表4】 品種別 の薦園 にお ける面積歩合か ら見 る普及状況. 竹庶. 明 治35年 36年. ロー ズ バ ンブー. ジ ヤ ワ 細 茎種 歩 合(%). 台湾実生種. ジ ヤ ワ大 茎 種. 歩 合(%). 歩 合(%). 99.72. 0.28. 一. 一. 一. 98.89. 1.12. 一. 一. 一. ・21・. 歩 合(%). 歩 合(%).

(25) 37年. 96.80. 321. 『. 一. 『. 38年. 92.66. 7.44. 『. 一. 一. 39年. 73.46. 26.54. 『. 一. 一. 40年. 40.71. 59.29. 『. 一. 一. 41年. 28.73. 71.27. 一. 一. 一. 42年. 15.48. 84.53. 一. 一. 一. 43年. 6.59. 93.41. 一. 一. 44年. 5.05. 94.45. 一. 一. 一. 3.81. 96.19. 一. 一. 4.50. 95.50. 一. 一. 一. 3年. 5.15. 94.85. 一. 一. 一. 4年. 5.19. 94.81. 『. 一. 一. 5年. 6.19. 93.81. 一. 一. 一. 6年. 7.86. 8L72. 10.4. 7年. 7.97. 62.59. 29.4. 8年. 7.92. 45.25. 46.8. 9年. 4.54. 22.74. 68.0. 10年. 3.64. 12.30. 78.7. 11年. 3.35. 8.48. 12年. 3.31. 13年 14年. 大正元 年 2年. ,. }. }. }. }. 一. 一. 一. }. 一. 一. }. }. 84.2. 『. 一. 6.45. 85.5. 0.03. 一. 2.10. 6.13. 86.3. 1.04. 0.23. 226. 2.40. 80.5. 4.07. 7.52. 2.13. 0.61. 66.2. 7.37. 20.56. 2年. 1.57. 0.07. 36.9. 7.45. 48.83. 3年. 一. 一. 16.1. 5.98. 75.76. 4年. 一. 一. 42. 2.04. 91.92. 5年. 一. 一. 0.5. 1.14. 97.29. 6年. 一. 一. 『. 99.32. 昭和元年. (出典)台. }. 湾 総 督 府 殖 産 局 『台 湾 の 糖 業 』(1935)、. 告 』12号(1942)、. 台 湾 総 督 府 糖 業 試 験 所 『糖 業 試 験 所 報. 台 湾 総 督 府 農 業 試 験 所r農. 一22・. 家 便覧. 昭 和19年. 』(1944).

(26) 【グ ラ フ3】 品 種 別 の 藤 園 に お け る 面 積 歩 合 か ら見 る 普 及 状 況 (出典)台. 湾 総 督 府 殖 産 局 『台 湾 の糖 業 』(1935)、. 告 』12号(1942)、. 台湾総 督 府 糖業試 験 所 『 糖 業 試験 所 報. 台 湾 総 督 府 農 業 試 験 所 『農 家 便 覧. ま ず 竹 薦 時 代 で あ るが 、1661年. 昭 和19年. 』(1944). 頃 台 湾 の対 岸 福 建 省 地 方 よ り多 量 に 輸 入 さ れ 、300年. く栽 培 さ れ て い た(2)とい う記 録 が あ る。 竹 薦 は 収 量 が 少 な く 甲 当 た り収 量 は3、4万 で あ っ た と言 わ れ て い る(3)。収 穫 量 が 非 常 に少 な か っ た た め 明 治29年(1896)か. 近. 斤ほ ど らハ ワ イ. よ り ロー ズ バ ン ブ ー や ラハ イ ナ と い っ た 外 国種 を輸 入 す る よ う に な っ た と考 え られ る 。 し か し 、r糖 業 試 験 所 報 告 』12号 に よ れ ば 「 病 虫 害 の被 害 は 非 常 に 少 な く、 台 湾 の 気 候 風 土 に も適 して お り、 経 済 的 に 品 種 の 改 良 を迫 られ な か っ た た め300年. もの長 い間、 一 一 寿 命 を維 持. す る こ と が で き た 」 と言 わ れ て い る 。 これ が 、 品 種 が 改 良 さ れ て も一 部 の 庶 園 で 竹 蕉 が 栽 培 され 続 け て い る 理 由 で も あ る と考 え る 。 次 に ロ ー ズ バ ン プ ー 時 代 で あ る 。 こ の 品種 は ハ ワ イ の 品種 で あ る 。 ロ ー ズ バ ン ブ ー を 初 め て ハ ワ イ か ら輸 入 し た の は 明 治29年 は 栽 培 面 積 が 伸 び な か っ た が 、表4よ し、 わ ず か15年 か ら、 明 治39年 (1906)に. で あ っ た(4)。ロ ー ズ バ ン ブ ー の 輸 入 を 開始 して 数 年 り、明 治40年(1907)に. 栽 培 面 積 が 全 島 の6割. に達. で 全 島 の 薦 園 に お い て 栽 培 され る よ う に な っ た こ とが わ か る 。 ま た 、 表4 に 前 年 よ り栽 培 面 積 が3倍. 以 上 に な っ て い る こ とが わ か る 。 明 治39年. 栽 培 面 積 が 大 幅 に 増 加 した の は 、明 治39年. 以 来 、官 営 で 庶 苗 を養 成 しそ れ ら を. 農 家 に無 償 配 給 し、 あ る い は補 助 金 を下 付 し栽 培 普 及 を 図 っ た か ら で あ る(5)。ま た 、ハ ワ イ か ら輸 入 さ れ た 品 種 は ロ ー ズ バ ン ブ ー だ けで は な か っ た 。 ロ ー ズ バ ンブ ー の他 に ラハ イ ナ 、 ス トライ プ ドシ ン ガ ポ ー ル 、イ エ ロ ー カ レ ドニ ア の3種. も明 治34年(1901)に. ハ ワイか ら. 輸 入 して い る(6)。しか し 、 こ れ らの 品 種 は 数 量 が 少 な く一 般 に普 及 しな か っ た(7)。こ こで 、 ロ ー ズ バ ン プ ー の 甲 当 た り庶 茎 収 量 を 明 治38年(1905)か. ・23一. ら大 正3年(1914)ま. で の消.

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