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初期森田学説における「神経質」について

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(1)Title. 初期森田学説における「神経質」について. Author(s). 加藤, 敏之. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 51(1): 59-74. Issue Date. 2000-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/212. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (教育科学編) 第 51 巻 第1号. 2年9 月 平成 1. l of Hokk 1 ;mdo Uni iけ of Educanon@du Jou )VO ヱ = na {盟don vers ‐51 .1 ,No. Sept e 1 mber ,2000. 初 期森田学説における 「神経質」 について. 加. 藤. 敏. 之. 北海道教育大学釧路校教育心理学研究室. 1. は じめ に. 大正期から昭和初期にかけて精神科医森田正馬 ( } 1 が開発・完成した精神療法である 「森田療法」. はいわゆる神経症の 治療において優秀な治療実績 をあげてきた. しかも治療法が成立した初期の時 期からおよそ80年あまりの間, 森田本人を含め, 多くの治療者が治療成績を継続的に公表してきた 精神療法はおそらく他に例を見ない (大原, 199の. しかしながら, 森田正馬の弟子を中心とする高. 良武久ら慈恵医大の後継者たちやかつて森田の患 者だった水谷啓二や鈴木知準医師といっ た 「森田 学派」 とでも 呼ぶべきグループ以外で森田療法を 本格的に実施・研究する者がほとんどいない時期 はかなり長く続いていた. 理由は幾つかあるだろ うが, 治療者と患者が共同で生活する事を基本と. する治療技法であるがゆえに本格的な入院療法に は多くの困難を伴うことがその第1の理由であろ う. また, 仏教, 特に禅に由来する独特の用語が 人の理解を拒んできたという側面も無視できない. あるいは, 一 見風変わりな森田のパーソナリティ も普及を遅らせたかもしれない. だがここ20余年で状況は変わった. 森田療法学. 会の発足, 国際森田療法学会の開催, 森田療法普 及を目的とするメンタルヘルス岡本記念財団の設 立, 神経症者自身による 「森田療法」 学習と自助 活動の全国組織第2次 「生活の発見会」 の会員増. 見える. 今, 「森田療法」 を考えるとき, 高良武久を除 いて考えることはできない. 高良の業績は著作集 をはじめとしてその多くが, 森田療法に関わるも のである. 今日 「森田療法」 として広く知られて いるものの多くは, 高良によって整理されたもの であり, それは 「森田・高良療法」 と呼んだ方が 適切ではないかと思えるほどである. 森田の原法は, 記述相互で矛盾するように感じ られるところや未整理で煩強な部分を含んでいる ばかりでなく, 宗教語・日常語が使用されている のでややもすると浅薄・卑俗な印象を与えかねな い. 高良はこれを簡明で理解 しやすいものへと整 理・洗練した. 高良が森田学説普及の条件を整え たと言っ てもよいだろう. 当然のことながら, 高 良は森田学説を単に継承・整理しただけではない. 3 } 神経症発症の基盤とし 新しい概念も導入した( . ての 「適応不安」 症状固定化の際に現れる 「防 , 衛の単純化」 などがそれである ( 1986年の第4回 森田療法学会講演:高良, 1988 ) c . 高良以外の多くの森田療法家たちも 「森田療法」 の発展・拡充を様々に試みている. 従って森田学 説は森田死後, 高良らによってかなり変更が加え られたと言 えよう. 大原ら ( 1993 ) はこうした事 情をふまえて, 高良以後の 「森田療法」 を 「ネオ モリタセラピー」 と呼称することを提案している. 今日では高良以後の 「森田療法」 から, 森田の原. 加, 経済学者渡辺利夫 ( 1996 ) が書いた 「神経症 の時代 わが内なる森田正馬」 の開高健賞受賞な. 法へ進むことが多い. 森田を読む際には, ネオモ リタを下敷きにして解釈しないように注意する必. どを通して, 「森田療法」 は国内外に知られるよ うになっ てきた. 「森田療法」 の普及は, しかし. 要がある. 高良らが整理したも の・捨てたものと 新たに加えたものをできるだけ明確にして, 森田. 森田理解の上で問題を学んで進行しているように. 療法を立体的にとらえるよう努めなければならな 59.

(3) . 加. し、 .. 学説の継承に関わる問題と同時に, 森田自身の 変化についても考慮する必要がある. 模索期が約 15年, 一応の完成を見た1919年 (大正8年)◎ から 亡くなる19 38年 (昭和13年) までが20年である. 森田学説は35年の歴史を持っている. 試行錯誤の 連続だった模索期を別にすれば, 早期から完成度. 藤. 敏. 之. 本稿では以下の点を考慮して, 学位論文成立以前 198 8b のものを考えた. すなわち高良 ( ) が学位 論文の完成を学説の確立と考えていることに示さ れるように, 学位論文はそれ以前の森田の著書・ 論文に比べると神経衰弱説を脱却するなどして, 学説の構成が改変・整理され, 完成度が著しく高 くなった. 学説が面目を一新したと言ってもよい. こともあってか, 森田自身による学説の発展につ. だろう. ちなみにこれには呉秀三が深く関わって いたようだ. 1933年執筆の 「呉先生の思ひ出」. いては余り検討が進んでいないように見える. 例えば神経質学説の基礎概念である 「ヒポコン. 5d ) には, 呉が森田の学位論文を非常 (森田, 197 に気に入っ て, 「朱筆を加へ, それを消しては又. ドリー性基調」 の理解をめぐっては異論があり,. 加へられて, 紙面が真赤になる程に加筆して下さ ったのである」 と記述されている. 学説の以後の. 74 の高い学説であるとの評価が高い (大原, 19 ). 神経質の 「素質」 との関連などにも議論が起こっ て (北 西, 1989a , 岩 井 ら, 1975な ど) い る の だ. が, そこには多少混乱があるように見える. 原因 の1つは森田の言う 「素質」 の理解の仕方である.. 変化なども考慮しつつ, 学位論文が審査を終了し た1924年 (大正13年) 以前の学説を初期森田学説 と呼ぶことにした (注4参照) .. 森田の 「特殊療法」 が, 長期間の試行錯誤の中. 197 4 野村 ( ) は 「森田正馬評伝」 に森田の自著. から有効なものを選別し・取り集めて, それらを 総合して完成したものであることはよく知られて. 目録に加筆したものを掲載しているが, 論文の題 名等で全集との異同が多く, 信頼性に欠けるうら. いる. そのために森田学説は様々な要素を含んで おり, カテゴリーも簡明に規定されているわけで. みがある. また森田全集も著作を網羅しているわ けではないらしく, 野村の目録に掲載されていて, 未収録の論文等もあるように見える上, 執筆年順. はない. 用語も多様な内容を持っている場合があ る. 特に学説成立の時期にはこうした傾向が著し. の編集にはなっ ていない. 従って今のところ完備. い. 「素質」 ということばも先天的に規定された 精神病理学的な特質といった意味とは必ずしも一. した森田の著作目録はない. 本稿ではまず, 森田 1974 の初期著作に限って, 野村 ( ) の目録を森田. 致しているわけではない. 森田学説に固有のこう した問題を具体的に明らかにするなら, 混乱を未. 正馬全集収録文献と照合して, 神経質学説と関連 が深いと思える著書・論文等を初出年とともに整. 然に回避できるだろう. そのためには森田学説の 諸カテゴリーとその相互連関を学説の発展に沿っ. 理する作業から着手した. 以下にそのリストを示. て整理するいわ ば発生史的な検討が有効であろう.. 1974 なお野村 ( ) のリストと全集収録の文献名. 本稿では, 上記の立場に立って, 神経質にかか わる幾つかの基本カテゴリーの吟味と神経質の本. 等に異同がある場合は, 特に断わらずに全集に収 録されている名称等を記載した. カタカナで表記. 態にかかわる森田学説の構成についてその発展に. されているものとひらがなで表記されているもの. 即した検討を試みる. まず最初の取り組みとして, 学説成立の時期までを検討する.. があるが, 原表記に従った. ただし字体は新字体 に統一した. 本文を引用する場合にも同様の方針. 2. 「神経質」 に関する初期学説の文献について. でのぞんだ. 森田正馬全集での収録ページについ ては, 例えば森田正馬全集第1巻39頁から55頁の. す.. 55と 略記 した. 場合 は, 全 集1, 39 ‐. 森田正馬の 「神経質」 に関わる初期の文献, つ まり学説成立頃 (注1参照) までの文献として, 60. 1908年(明治4 1年) 精神療法. 『医学中央雑誌』.

(4) . 初期森田学説における「神経質」について. 1917年 から1921・2年ま での時期 に発表さ れている.. 55 全 集1, 39 ‐. 第10号. 第 5巻. 2年) 精神療法の話 『婦人衛生雑 1909年(明治4. 誌』 233号. また学位論文起稿の1922年から審査通過の翌年 1925年までの数年間には神経質に関する文献が見. 71 全 集 1, 56 ‐. 『人性』 第5巻 第5号及び第6号 全集1,. られない G注8参照) . なお 「神経質ノ療法」 という同名の論文が1919. 72‐82. 年 と1921年 に発 表 さ れて いる が, 2つ は別 の も の. 2年) 神経衰弱性精神病性体質 19 09年(明治4. 19 17年(大正6年) 児童の恐怖 -精神病学的方 面 1916年(大正5年)第11回 日本児童学会総 ) 第21巻 第3号 5 会 宿題報告 『児童研究』{. である. 混乱を避ける ため に 「神経質ノ療法」 )と表記する◎. ) ぐ19 , 「神経質ノ療法」 ぐ21 3. 森田の初期著作における神経質論. 355 全 集 班, 343 ‐. 1918年(大正7年) 中学時代に多き神経病性苦悶 『児童研究』. 状態 号. 第21巻. 第11号及び第12. 神経質の本態に関わる記述を発表年順に見てい. 80 全 集 m, 72‐. 『成医. こう. まず1908年に雑誌 「人性」に発表された「神 82 経衰弱性精神病性体質」 (全集1, 72 )の神経 ‐. 『変態心理』 第. ) 質の本態に関わる記述を要約する (森田, 1974a .. 1918年(大正7年) 精神性心臓症ニ就テ 会月 報』 第442号. 全 集 皿, 81 87 ‐. 1919年(大正8年) 神経質の話 3巻. 神経衰弱性精神病性体質とはチーヘンの命名で. 95 全 集 1, 83‐. 第20号. a. 特 殊 療 法成 立 以 前 1909年. 『成医会雑誌』. あり, クレペリンは神経質又は先天性神経衰弱と して記述した. 次に, ジヤンドラシツクの先天性. 19 20年(大正9年) 精神療法ニ対スル着眼点ニ就. 神経衰弱説の解説をおこなった上で, 自身の見解. 全. を以下のように述べ た. 「神経衰弱性精神病体質. 1919年(大正8年) 神経質ノ療法 第452号. プ. 108 全 集 1, 96 ‐. 『医学中央雑誌』 第329号及び第330号. ノ ・殆 ド総テ生来性ニシテ, 己ニ小児期ニアリテ他. 127 集 1, 109 ‐. 19 20年(大正9年) ヒステリーの話 『変態心理』. ノ児童ト異ナル多少ノ病的状態ヲ現ハシ, 長ズル. 116 全集頃, 90 ‐ 20年(大正9年) 催眠術治療の価値 『変態心 19. ニ従ヒテ其病形ノ次第ニ発育スルラ見ルモノ多キ. 第6巻. 第2号及び第3号. 理』 第 6 巻. 6 ) 全 集 1 128 151 第36号{ ‐ ,. 『変態心理』. 1921年(大正10年) 精神療法の基礎 第7巻. 第39号. 全 集 工, 152 171 ‐. 21年(大正10年) 神経質及神経衰弱症の療法切 19 日 本 精 神 医学 会 発 行. 全 集 1, 229 506 ‐. 19 21年(大正10年) 神経質ノ療法 第20巻. 第 7号. 『神経学雑誌』. 全 集 1, 172- 175. 1 921年(大正10年) 神経衰弱症ノ本態 雑誌』 第20巻. 第7号. 『神経学. 全 集 1, 176 178 ‐. ) 日 本変態心 1年) 精神療法講義倦 192 2年(大正1 理学会. 全 集 1, 507 ‐637. 以後1925年の「サンデー毎日」の記事「神経質と はどんなものか」まで神経質を主たるテーマとし 9 } た 執筆 を行 っ て い ない( .. 神経質に関する初期の業績は1908・9年の時期と. コト」 . 「医術的教育若クハ療法ハ, 其年少ナルニ 従ヒテ成果益々大ナルモ, 年長ナルニ従ヒ益々困 難」になる. 神経衰弱症の特徴は, 刺激に対する反応過敏と 興奮した神経が疲労しやすくなっ ていることであ る. 種々の精神症状とともに運動・感覚・内分泌・. 植物性機能の障害が現れるが, 大いに精神作用の 影響を受けている. 精神の方面の症状は自家暗示 により生ずる. 「原因ノ ・遺伝体質, 小児期養育ノ 悪影響及ビ種々ノ疾病等主トナリ, 感動, 精神身 体過労等其発呈ニ機会ヲ与へ, 己ニ小児期ヨリ種々 ノ異常アリシモノ十五歳乃至三十歳ニ至りテー定 ノ 病 形 ヲ 完 成 ス ル ニ至 ル, 多 クノv慢性ナ リ」 .. この後症例の記述へ移り, 本態について更に次 の よう に述 べ る.. 神経衰弱の病的変化は疲労の生理作用の病的増 61.

(5) . 加. 進と固着ある いは勇気感覚の障害より生ずる疾病 恐怖の傾向であると諸家は述べている. 「固ヨリ. 藤 敏. 之. また簡単に触れられているにすぎないが, 治療 の性格が教育的なものであることをこの時から森. 病的疲労若シクハ病的有機感覚ノ障害ハ, 之ヲ承 認スル所ナリト難モ, 更ニ之ニ加フルニ 『ヒステ. 折りに触れて自分の特殊療法が再教育・教育のや. リー』 ニ於ケルガ如キ自家暗示ノ影響ニヨリテ病. り直しであると述べている (例えば1935年12月の. 的感 覚 ヲ起 シ, 又ノ・増 長 ス ルモノ」 で ある ことも. 第54回形外会講話;森田, 197 5b ) が, これは森. 「尋常ノ感覚ヲ病 的ノモノ ト解釈スルコト多キ等. 田学説が神経質を後天論的な文脈でも考えていた. ノ事実ヨリ」 知ることができる.. ことを示す重要なポイントであろう.. 以上の記述から幾つかのことが分かる. 第1に, まず森田は神経質の症状は神経系の疲 労あるいは神経系の障害から生じるという神経衰 弱説の立場に立っていること. つまり心理レベル. 田がすでに考えていたこともわかる. 後年森田は. b. 特殊療法成立時期 19 17年から19 19年 先のリストから分かるように神経質に関する森 田の仕事が表面上は見られない時期が続く. 次に 神経質に関係する論文が現れるのは19 17年 (大正. よりも生理レベルに原因を求める立場であること. 第2に, 神経質は先天的な体質によって生じると. 6年) である. 高島平三郎が主催する 『児童研究』. いう先天起源説の立場に立っ ていること. この2. 第21巻第3号に掲載された 「児童の恐怖 -精神. 点がまず確認できる. この立場は神経質の先天性. 病学的方面」 (森田, 197 5c ) は, 啓蒙的な色彩の. 神経衰弱体質説とでも呼ぶべきものであろう.. 強い文章であるが, そこに見過 ごすことのできな い記述がある.. しかし ・ながら第3に, 遺伝体質の他に小児期養 育の悪影響, 種々の疾病というような後天的な要. 神経質の原因に関する 「緒言」 と 「原因的関係」. 因も原因に追加されるとともに, 第4に, 自己暗 示の作用が症状を引き起こし悪化させるといった. の節の記述を以下に要約する. 恐怖感情の経験によって病的な症状が生起する. 心因的な要因のことも述べられている. つまり後. のは, 単に強い恐怖感情を経験したことから生起 するわけではない. 「生来性神経質 の素地の上に. 天論的な見方と心因論的な見方が先天性神経衰弱 説に付加された形, 幅較論的な立論になっている. 更に幾つかの特徴も見える. 第5には, 心因論. ものと考ふべからず, 唯生来性の神経質者は些細. といっても発症のきっ かけとなっ た感動 (強い恐. なる動機より第一印象 (もとは高島平三郎の用語. 怖感情などのこと:加蔑淘 はあくまでも機会的な. であり,、心に刻みつけられた強い情動的印象:加. 誘因であると述べている点は注意を要する. 心因. 藤) となり易く, 又生来健康なるものも或る刺激. 論ではあるが一過性の心的な現象を重視する立場. が激甚なる時は其児童の神経に深く刻印し第一印. ではない. 心因として重視されているのは自己暗 示に掛かりやすい (被暗示性が高い) といった持. 象となるべく, 則ち病者と健康者と其間種々状態. 続的な心的傾向・性格のことである. さらに第6に, 一般的な神経質と強迫観念をこの ころからすでに同じものと見なす見解であったこ. 起こる事多きものなれば常に之を純粋の後天性の. ありて決して一定の閥を設くる能はざるべきなり」 .. 「凡そ神経病性精神病性異常者に普通人の考ふ る原因として驚鰐其他の感動や疲労等の如きは寧 ろ之を誘因として見るべく真に其原因として重き. とも分かる. 要点をまとめて みるなら, 1909年の段階での神. をなすものは遺伝若しくは胎生期乃至幼児期に於. 経質の本態に関する森 田 ( 1974a ) の見解は, 先. 経衰弱症を後天性と先天性とに区別すれども其実. 天的神経衰弱説に後天説・心因説を加えた輯穣論. 際に必要なるは先天性神経質にして其の単なる後. 的見解であり, 強迫観念も神経質と基本的には同. 天性のものは, たとヘ重き誘因あるも容易に其健 康を恢復し其先天性のものは, たとへ軽き誘因た. 一 のも の で ある と考 え られ てい た. 62. ける疾病養育法等より得たる素質なり, 一般に神.

(6) . 初期森田学説における「神経質」について. りとも其誘因と素因と交互に相扶けて其症状を顕. 俗に警へて見れば」 , 「普通七時間眠ればよいもの. 著にし治癒中々困難なり」 . ここで森田が述 べている原因論は, 「神経衰弱. が, 十時間も寝なければ頭がぼんやりするとかい ふ様なものであります. これが神経質の本態であ. 性精神病性体質」 で述べられた幅鞍説の立場と基. ります. 何か身体の或る機関に特殊の病的変化が. 本的に同じ立場で記述されている. ただこの文献. ある訳ではなく, 又同じ先天性の変質であっても ヒステリーの様に特殊の変態性状を持ったもので. では先天的素因 を重視した記述になっている. だがこの論文で最も注目すべきは, 原因的関係 の部分での 「素質」 ということばの使い方である.. はありません」 . これだけ読むと神経衰弱説・先天説の純度がむ. 遺伝・胎生期と幼 児期の病気・養 育法より得た. しろ高くなっているように見える. しかし論文を. 「素質」 という使い方には, 先天的・遺伝的なも のといっ た意味は含まれていない. この 「素質」. 読み進めていくと次第に様子が変わってくる. ま. ということばは, 遺伝的なものと後天的なものに よっ て形成された身体的精神的な傾向・質といっ. 「神経質と申しまするものは, 身体的精神的に 過敏なる体質を有するものでありまして, 私の考. た意味である. こうした意味で 「素質」 という語 を用いる場合があることは記憶されなければなら. えによりますれば, 前にも一寸申しました様に, 人の体質には其健康, 強弱の度に各差がありまし. え まし、 ・. て, 其健康と虚弱との間には決して厳格なる界は ないのであります. で神経質とはその体質が普通. 919年4月前後に執筆 次に特殊療法が成立した1 された論文である, 『変態心理』 掲載の 「神経質 の話」(森田, 1974b ) を検討しよう. 「神経衰弱症とは, ベアー ドの定義によります と, 神経系統の刺激性衰弱といふ状態にあるもの で, 神経機能が一方には甚だ興奮し易く, 同時に 一方には甚だ疲労し易いといふ状態にあるもので ある とい ふ の で あり ま す. - 中 略-. 今 日でも私. ず神経衰弱説に関わる部分を見ていこう.. 健康と認むるものの程度を逸したといふ迄の事で あります」 . 「諸種の症状は, 総て健康なる人が身 体的精神的に消耗, 疲頒する時には常に起こり得 るものでありまして, 其症状の多少と軽重とは, 各其本人の先天的素質の如何によって, 程度の差 があるのであります. 凡そ健康といふ人でも, 全 く此の神経質の症状が少しもないかと申しますれ. それで之に後天性と先天性とを分けまして, 先天. ば, 恐らくは決してあるまいと私 は考えるのであ ります. 則ち私は, 神経質といふものは, 人の生. 性とは, 生まれ付き些細な原因若くは認むべき原 因がなくて, 此の状態にあるもので, 後天的とは. 存に対する抵抗力の虚弱の体質でありまして, 或 いは之を疾病ではないといふ事が出来ようかと思. 何かの原因があって初めて起こるものであります.」. ふのであります. 只其余り症状が重くて, 生活に 困難するものを, 便利の為に, 疾病として, 取扱 ふべきでありま」 しよう. 「病の感じが過敏であっ. は此のベアー ドの説に賛同するものであります.. ところが後天性神経衰弱というのは身体が病気な どで衰弱していれば当然起こるもので, これにわ ざわざ病名を付ける必要はない. ヂエンドラシッ クなどもこれを否定します. 「先天性神経衰弱症. た時は, 眼険がピリ ピリするとか, 寝て居てピリ と脚を引きつけるとか頭がボッ とするとか, 時に. とは即ち神経質という体質であり」 , 「身体が虚弱. は普通生理的にも, ありふれの事をも, 之を病的. で, 従って神経系統の機能が健康な人に比して弱 い. 即ち人間の生活に対する抵抗力が弱い. 其体. に感 じて 取 越苦 労 を し, ヒ ポ コ ン ドリ ー になる の. 質の強さの程度に従って, 多少の身体的精神的原. でありまして, 之が神経質の特徴であり ます」 . 心臓の普通の鼓動を胸騒ぎがするといっ て訴えて. 常興奮性及び疲労性の増進した所の状態であり,. きた人があるけれども, 「斯の如く神経質は主観 的のもので, 実際身体精神が虚弱でない事が多い. 若くは其状態が起こり易いのであります. 之を通. ので」 , 「神経質者であって随分健康者よりも勝れ. 因により, 若くは一見認むべき原因がなくて, 平. 63.

(7) . 加. 藤. 敏. 之. たる成功をする事は有りがちの事であります」 . 当初の記述によれば神経質者は身体が虚弱の者. 之ニ賛同スル」 . 「神経衰弱症ノ学説トシテ ー中 略- 松原博士ノ ・之ニ過敏性体質説トイフモノラ. であったはずなのが, 後の方では身体精神が実際 には虚弱でない事が多いという記述になっている.. 立タガ, 余ノ ・大体之ニ賛同スルモノデアル, デ余 ノ ・神経質ノ ・生活ニ対スル神経性若クハ精神的抵抗. この記述全体を通してみると, 森田はまず虚弱が 相対的なものだということを述べた上で, 過敏と. 力ノ虚弱若クハ過敏ノ体質デアルト考ヘル, 従テ ベアー ド氏ノ刺激性衰弱ノ状態トイフ事ニ相当ス. いう概念を導入する. これによって森田は, 見か け上の虚弱という考えを展開しながら, 神経質の. ル」. 主観性という記述に取りかかる. 森田はここで,. 矛盾を感じて, 症状の主観性や健常者との相対性 を記述し始めたように見える. しかしこれは本態. 神経系の刺激性衰弱が神経質症状の本態であると. 森田は本態論の局面でまず神経衰弱説に限界と. の面からも・原因の面からも神経衰弱説を揺さぶ. いう神経衰弱説を実質上放棄するのである. しか しながら森田はそのことをどこまで自覚していた. ることになった. そこで過敏性体質説を取り込む. のだろ う か.. ことで此の限界に対応しようとしたのだと思える.. 191 8年(大正7年)の 『成医会月 報』 第442号に. つまり森田は, 神経衰弱説に松原の過敏性体質説. 掲載された 「精神性心臓症ニ就テ」(森田, 197 4故,. を補強することで, 刺激性衰弱の状態が患者の過 敏な反応によって必要以上に大げさに感じられて. 全集m, 8 1 8の と19 52号 19年 『成医会雑誌』 第4 - ▼ 19 の 「神経質ノ療法」( )(森田, 1974 c , 全集1, 96 108 ) にその問いを考えるさい見ておく べき記 ‐ 述 が ある.. 「精神性心臓症ニ就テ」では以下のように述べた.. い る とい う こと, こ こで は症 状の主 観性 とい っ た. 記述はないけれども, こうした現象を神経衰弱説 の枠内でなんとか説明しようと試みたのではない. 「余ガココニ述ペントスル目的ハ, 従来神経衰弱. だろうか. この時期には森田は精神的な原因から 神経質の症状が発生すると考え始めていたようだ. 症乃至神経質ノ本態ニ関シテ, 或ノ ・解剖学上ヨリ 或ノ ・生理病理学上ヨリノ観察ヨリ諸種ノ学説アリ. が, まだ心因を中心と した原因論を構成する段階 には至っていなかった. 後知恵で考えれば, 心因. ・余ノ治療上ノ方面ヨリ, 神経質ノ心 ト離モ, 余ノ 臓症ヲ神経性トイフヨリハ寧ロ精神性トイフ方ニ. 論の中核となる森田学説のキー概念である 「ヒポ. 適切ナルモノ多キラ見, 且ツ其他諸種ノ神経症モ 精神的原因ニ帰スルモノ多ク, 此着眼ニヨリ容易. の胎動の時期と言えよう. 森田自身, 自分の考え 方の全体をまだ十分に見通し得ていなかっ たので. ニ直シ得ベキモノナル事ヲ唱エント欲スルニ止マ. あろう. 心因論の展開はさらに次の節でも検討し. ル」. よう.. これを見るならすでに前年の1918年に, 森田は 神経衰弱説を清算していたはずである. しかし 「神経質ノ療法」 ぐ19 ) は 「神経質の話」 (森田, 1974b )と同様に以下のような記述から始まってい. コン ドリー性基調」 と 「精神交互作用」 登場前夜. 次に神経質の原因に関わる記述を再び 「神経質 の話」 (森 田, 1974b ) に戻 っ て 見て い こう・ .. 「之は遺伝に大なる関係があります. また子宮 内生活, 幼児の養育, 小児期の疾病, 小学校時代. 「先ヅ神経質ノ本態ニ就テー言シテ置ク必要ガ. の教育等みな関係がありまして, 其関係が悪かっ た時は, 生来健康なるものも, 神経質となり, ま. アル, 神経衰弱症トハベアー ド氏ガ今ヨリ30余年. た神経質は益々其不良の影響を受けるのでありま. 前, 刺激性衰弱即チ興奮性及ビ疲労性ノ増進ノ状. す. また後天的にも, 例へば産後の血の道などと 申しまするのは, 所謂神経質症状をいふものであ. る.. 態ヲ呈スルモノ デアルトイフ事ヲ記載シテ以来, 一般ニ学者ノ認ムル処トナッタガ, 今日ニ至りテ 、矢張り ハ之ニ対スル反対説モアルケレドモ, 余ノ 64. りまして, 之は身体衰弱に際する諸種の神経症状 を, 不適当なる処置或いは誤りたる治療から, 次.

(8) . 初期森田学説における「神経質」について. 第に主観的病的感覚の精神的に執着固定するに至. 然一致するという訳には行かぬ」 . 神経質は表面. るという事から起こるものであります. 」. は刺激性衰弱の状態であるが, 深く観察すれば実. 神経質の原因論はここでもやはり遺伝的・先天. 際に生活機能 が弱いのではない. 本人が自分の抵. 的なものと後天的なものとが幅蒙的に作用 して形. 抗力が弱いと感じ, 其の結果として刺激性衰弱の. 成された心身 の性向がその原因であることになっ. 種々の症状を現すのである. 神経質は仮性刺激性. ている. ここでも先天的な素因のみが考えられて いるわけではない.. 衰弱である. 森田はここでも神経衰弱説を支持するとはっき り述べている. しかし記述をたっ どっていくと神. c. 著書 「神経質及神経衰弱の療法j 前後 1920 1年 年から192. 経衰弱説は逐次否定されてゆく. まず後天性神経. )の 「神経質及神経 衰弱の療法」(森田, 1974e. 衰弱が退けられる. ついで先天性神経衰弱につい てのベアー ドの規定を論じ, この規定が後天性神. 増補以外の部分から神経質の本態論に関わる部分. 経衰弱には当てはまる が, 先天性神経衰弱=神経. ) を要約 しよう (全 集 1, 239一241 .. 質には当て はまらないと結論する. 結局 「神経衰. 神経衰弱とはベアー ドがはじめて用いた名称で. 弱」 概念は最終的には全て否定されてしまう. 単. ある. ベ アー ドの定義によると, 神経衰弱とは神. に見かけの症状として刺激性衰弱を現すにすぎな. 経系統が刺激性衰弱 - 神経の機能が一方では異 常に興奮しやすく, 他方甚だ疲労しやすい - と. いと結論する. その結果 「神経質は仮性刺激性衰. いう状態にあることである. 反対説もあるが余は 概ねこれに賛同する. ベアー ドはこれを先天性と後天性に分ける. 後 天性は何らかの原因で生じたもの. 先天性 は生ま. 弱である」 という規定だけが残った. 仮性の刺激 性衰弱 という新しい考 え方を手に入れたことで現. 象を記述する上でも, 従来以上に正確な表現が可 能になり, 神経衰弱説は森田にとって不要になっ たのであるが, しかしまだ完全に捨てられていな. しかし後天性神経衰 れつきで, 特に原因がない.. 弱は余は不要であると思う. 刺激性衰弱とは身体. し、 .. が疲労しているときには常にこの状態を呈するか. 田の態度を検討しよう.. らである. 然るにこれは疲煙状態と何ら変わる と ころがない. 身体が衰弱すれ ば刺激性の衰弱つま. 次に松原の神経衰弱症過敏性体質説に対する森 松原は神経衰弱は過敏性体質という体質異常か. り神経衰弱 が必ず起こっている. すなわち肺尖カ. ら生ずると主張している. 虚弱な病的素質という ようなものであろう. 松原は過敏性体質について. タル, 胃腸病の起こるとき神経衰弱も必ず生じる. 重病や疲億の結果必ず起こるのであるから特定の. 様々な生理的特徴, 例えば皮脂の分泌が多いとか 発汗過多であるとか扇桃腺炎等を起こし易いなど. 病名をつける必要はない. 「神経質とは, 一口にいへば, 従来一般に所謂. の特徴をあ げて説明している. 「余は此の過敏性. 先天性神経衰弱症といふ素質を有する体質であっ て, 表面的には所謂刺激性衰弱の状態にある. 即. ら其の全部ではない. 一部分である. 同氏は主と して身体的の異常体質によって, 神経衰弱症の精. ち身体精神が虚弱で, 従って神経機能が健康な人. 神的方面を悉く説明せんとし, 精神的素質の方に. に比して弱い」 . 「一見認むべき原因がなくて, 平. 常其の生活機能の興奮性が過敏で且つ疲労性が強. は余り重きを置かれぬように推量されるのである. 思ふに松原博士のいふやうなものは, 当然生活に. い状態にあり, また其の状態の起こりやすいもの で ある」 しかしながら 「余の意見 に従 へ ば,. 対する抵抗力が弱く, 種々の病的異常を起し易く, 一口 にいへ ば虚弱である. でも若し単にこれのみ. Bea rdの刺激性衰弱という語 は, 所謂後天性神経 衰弱には当てはまるけれども, この神経質には全. によって見るなら ば, 所謂先天性神経衰弱症の内. 体質といふ事に於て松原博士に賛同する. 然し乍. 単純なる症状を呈するもののみとなる. 則ち若し 65.

(9) . 加. 藤. 敏. 之. 之に神経質といふ素質がなかっ た時には」 単に腺. ヒポコンドリーという言葉は従来は病名のよう. 病性乃至移出性体質ということになる. 一方複雑. に扱われていたが, 今では症状あるいは状態と見 なされている. ヒポコンドリーとは呉先生が心気. 頑固な神経質者の中には松原が指摘するような過 敏性体質の特徴を全く示さない身体壮健な者も多 い. 松原の 「着眼点には大いに賛同するが, これ が神経質の全部であるかどうかといふ事に就いて は, 疑を存するものである」 松原の過敏性体質も一応は支持するのだが, 生 理学的レベ ルでの原因論であることに不満を表明 している. 結局のところ, 過敏性体質であっても. 神経質という精神的 「素質」 がなければ単なる生 理的な体質異常に止まるのではないかという指摘 は, 神経質の 「素質」 こそが神経衰弱・神経質の 第1の原因であると主張していることと異ならな い で あろ う.. 症と訳された. これは病を気に病み, 死を恐れ, 病を恐れ, 毒物を恐れ, 感覚の不快, 心の苦痛を 苦にして, あげく煩悶恐怖を取り越し苦労する. これが神経質の精神的基調である. 他の傾向ヒス テリー等の傾向とは異なっているが, 互いに複雑 に混合している. 「神経質はヒポコンドリ ー性の傾向, 若し くは . 精神的又は感触的基調があるから」 , 眼験がピリ ピリ癌撃するとか心臓の鼓動が響くとか, 常人で あれば誰にでも生ずることを病気ではないかと疑 い, 疑えば注意が其の方に向くので感覚は鋭敏に なる. すると益々頻繁にそうした感覚を感じ, た. そしてこれに続いて, いよいよ自説の説明には いる. 神経質の 「ヒポコンドリ ー性基調」 説であ. と注意とが益々募っていく. いわゆるこの精神交. る.. 互作用によって, ついには此を病的 と信じ, 感情. めに注意は一層其処に向けられる. こうして感覚. 「神経質は身体的乃至精神的に過敏なる体質素. はこれに固着して憂慮・恐怖・不安となる. 普通. 質の所有者であって, 之にヒステリー等の特性と. の人ならこうしたことがあってもありふれたこと. 異なるヒボコンドリー即ち心気性といふ精神的傾. だと考えて其れを心に留めることはない. 心に留 めないから直 ぐに忘れてしまって, 何事もないの. 向, 若しくは特質を持っ ているといふ事から神経 質の種々の症状が発展する」 . 精神的外傷とか身. で ある.. 体の異常を機会的動機として発症することが多い.. 思春期には様々の心の動きが起こって, 人生の. 過敏性体質とは, 刺激に対して過敏に反応する 体質である. この過敏と謂うことも 「健康」 な人. 危機をなす. 「特に神経質即ち神経的精神的に生 存上抵抗力の薄弱なる性質の人」 には軽微な原因. でも身体的精神的に疲労消耗するなら常に起こり. から神経衰弱に躍る事が多い. しかし中には往々. うるものであるが, 先天的素質の如何によって程 度の差がある. 健康という人でも, 全くこの神経. 生来強壮で他に認むべき神経性症状も過敏性体質. 質の症状のない人はいない. 神経質というものは. 生活に対する身体的精神的抵抗力の過敏の体質で. 質の症状を起こすことがある. ここに至って森田学説の基本カテ ゴリーである. あっ て, これは或いは疾病ではないと言えるかも. 「ヒポコン ドリー性基調」 と 「精神交互作用」 が. しれない. 症状が重くて生活上の困難のある人を 便宜的に疾病として扱っ‘ ているのである. 神経質. 登場する. 1909年に 「神経衰弱性精神病性体質」 を発表してから1 2年にして, 森田学説の神経質症. の体質は過敏性体質の上に精神的傾向 - ヒ ステ. 状発生機序を構成するの2つの基本概念がここに. リー等とは異なる - ヒポコンドリー的素質を持っ. 揃っ たことになる. これによっ て森田は神経質症. ているもののことである. 過敏性体質が強 ければ ヒポコンドリー的傾向が弱くとも神経質の症状を. 状の発症機序を心因論として構築する事が可能に. 示し, 過敏性体質が弱くともヒポコンドリー的傾. 症状の 「精神的」・「主観的」 あり方をより正確に. 向が強ければ込み入った神経質者が出来上がる.. 記述し, 矛盾なく説明可能な手段を手に入れたこ. 66. もないのに些細な精神的外傷が機会となって神経. なった. それは森田の言う仮性刺激性衰弱という.

(10) . 初期森田学説における「神経質」について. とを意味したのである.. 両者の相対性・連続性が説明されている.. 神経質の人は, 神経的精神的に生存上抵抗力の. さらに神経質の病類位置と分類についての記述. 薄弱な人であると森田は言う. 神経的精神的と2 つ並べ られているとはいえ, 「仮性刺激性衰弱」. の中にも本態に関する記述があるのでそこも見て. と言う規定やヒポコン ドリー性基調が精神性の強. おこう. 長くなるが, 以下に要約・紹介する. 余の見解は, 身体的ないしは精神的過敏の素質. い規定であることを合わせて考えるなら, 実質上. とヒポコン ドリー性基調という二つの条件が神経. は神経的ということばは意味を失っているといっ. 質の発生条件である. 「多くの学者は遺伝負因の有無を以て, 神経衰. てよいだろう. 後の森田学説から見れ ば, 神経的 ということばは取りそこなったしっ ぽのようにも 見える. 抵抗力が薄弱であると自ら誤って判断し, そう思いこんでいる人, 或いはそう思いこんでい. 弱を先天的と後天的とに分けるのであるが, 余の 意味する素質といふ事は, 親からの遺伝と特に幼. るが故に抵抗力が薄弱になっている人という心因. 年期に於ける身体を虚弱にする事情, 疾病等から 得たものを加え, 又長じて後にも例へば卵巣切除. 論的な神経質症の記述が可能になった.. 術をやってからその後過敏性体質を得る事もある.. その他にも注目すべき点がある.. 是等を総て共に神経質に発展する素質と考へるの. ヒ ポコ ン ドリ ー は, 病 を気 に病 み, 死 を恐 れ,. で ある」 .. 病を恐れ, 毒物を恐れ, 感覚の不快, 心の苦痛を 苦にして, あげく煩悶恐怖を取り越し苦労する精 神の状態つまり心配性のことであり, 神経質はこ の心配性が昂じたものである. これは疾病を指す. 身体過敏とは血管運動神経が刺激過敏である等 であり, 精神的過敏とは些細なことを気にすると か自己の精神活動の状態に細々と気がつき意識に. 言葉であると言うよりも, 精神のある状態を指す. 上りやすいと言う素質である. ヒポコンドリ ー性傾向とは様々の精神的傾向の. 言葉であると森田は述べる. この考え方は後に, 学位論文の中で重要な意味を持ってくる. 学位論. 一つである. 総括的に言えば病の感じが強い. こ れを分解すれば, 死を恐れ, 有害を恐れ, 身体的・. 文 はヒ ポ コ ン ドリ ー につ い て, 「ひ ぽ こ ん どり い. 精神的異常の現象を強く感じ, これを病的と解釈. トノ ・ , 心気症即チ疾病恐怖ノ義ニシテ, 人間ノ本 性タル生存欲ノ現ヘレナリ」 (森田, 197 1 4 0 と述. する も の の こと で ある.. べることで, 次への重要なステッ プを上る. つま り従来から森田が指摘していた神経質と健常とが. リー・狭義の精神的変質 (加藤:今日よく使われ. 相対的なものであるという考え方を理論化する際, 神経質者と健常者との差異を質的差異の局面から. ることが文脈から理解できる)に分類できる. 神. 量的差異の局面へと移行させることをヒポコンド リー性基調なる概念を使うことで可能にしている ように見えるのである. とはいえ一般に認められ る心性としてのヒポコンドリ ー性といわば神経質 的傾向であるヒポコン ドリー性基調の区別 (大原 ら, 199 3 ) を森田が実際にはどのように行い, ま. 精神的変質はその状態に応じて神経質・ヒステ る 「性格の偏り」 といっ たことばと同じ意味であ. 経質は先に述べた特質を有する精神的変質の一つ と見倣す. これら変質は精神病と健康との中間状 態として論ずることが出来る. これらの精神的変質の素質は誰にでも認めるこ とが出来るものであり, 例えば顔面の左右不均等 という変質徴候が程度の差はあれ, 誰にでも認め. た関連づけていたかは本稿の検討の範囲を超えて. られるのと同様である. 「斯くて総ての人が神経質の素質を持っ て居ると. いるので今はこれ以上立ち入らない. しかし学位論文執筆以前のこの時期には, 健康. いう関係から, 総ての身体病には必ず多少に拘わ らず神経質の徴候を加味して居る. 之が医者の不. と神経質との相対性を記述する要の位置に, 過敏. 治の病と診断したものが」 , 「奇跡的に治癒するこ とのある理由であることは前にも述べた, 又前に. 性体質説が置かれていた. 過敏性の程度によって. 67.

(11) . 加. 原因の処で述べた様に, 疾病その他の種々の機会 から神経質の起こるのも同様の関係である」 . 「余は特に治療上の関係から, 神経質を身体性. 精神性及び強迫観念性神経質に分けてはどうかと 思うのである」 . 身体性神経質は, 松原氏の過敏 性体質であって, 過敏性であるからと言ってかな. 藤. 敏. 之. 表面から消えてしまうのだが, 健康と神経質の相 対性連続性の1契機として, また精神交互作用発 端の刺激への定位の契機として, ヒポコンドリー 性基調説の中に取り込まれているように見える. さて ここで 1つ 注 意す べ き 点 が ある. 森 田 はこ. の 「神経質及神経衰弱の療法」 の段階ではヒポコ. らずしも神経質ではない. ヒステリー傾向等であっ て神経質の傾向でなければ, 過敏性であっても神. ンドリー性基調を 「生の欲望と死の恐怖」 から説. 経質にはならず単に虚弱過敏というにすぎない.. 調から普通の感覚や考慮を病的と見なしてしまう. 精神性神経質は体質は壮健で, 所謂刺激性衰弱の. という筋道の記述は沢山あるが, ヒポコンドリー 性基調を説明するものとして用意されているのは. 状症を認めないもので, 主として精神的過敏でヒ ポコンドリ ー性の強いものである. 強迫観念性神. 明 して い ない こ と で ある. ヒ ポ コ ン ドリ ー 性の基. 素 質 で ある. こ の 時期 には, ヒ ポ コ ン ドリ ー性 基. 経質は単に従来の名称を用いたまでで, 精神性神. 調を発生的に説明することはまだあまり考えられ. 経質から起こる心的過程が複雑に発展したものに. ていない. 「神経質はヒポコン ドリー即ち病を恐 れ死を怖れるといふ事の著しいもの」 という記述. 過ぎない. 長い引用と要約になったがここに至って森田は, 完全な心因論の立場で神経質を語り始めた. 過敏性体質とヒポコンドリー性基調の二要因で. あるいは強迫観念が実現不可能な 「過大な欲望」 から生じるといった記述が見られるだけである. 「ひぽこんどりいトノ ・ , 心気症即チ疾病恐怖ノ義 ニシテ, 人間ノ本性タル生存欲ノ現ヘレナリ」. 神経質を説明しているように見えるが, ヒポコン ドリ ー性基調が神経質の第一のそして決定的な規. 1 (森 田, 197 4 0 と い っ た ヒ ポ コ ン ドリ ー 性 基調 と. 定因であると考えていたことがこの記述からも分. 生存欲を結びつける発想はここでははっきりとは. かる. 精神的過敏はもう一方の要因と述べられて はいるが, 精神交互作用による感覚の鋭敏化とい. 見られない. なお学位論文の生存欲は後の 「生の 欲望」 ほど広い意味は持っていない. 生命を維持. う説明を考えると精神的過敏性体質の重要性は相. し健康を保つために必要な欲求・欲望という程度. 対的に低下する. ではなぜ 「過敏性体質」 にこだ わっているのだろう. それは過敏性体質説がヒポ. の意味である. 「生の欲望」 については稿を改め て論じたい.. コンドリー性基調・精神交互作用説を補足する役. また先の引用から, 森田の言う素質はこれ以前 の論文におけると同様に, 「先天的素質」 を示す. 割を担っているからではないか. 精神交互作用が 生じる前に, 何らかの刺激に対して前もって定位 していることが必要になると考えるなら, 過敏性 の傾向 -. 普通の人があまり気にならない刺激. にも感応する繊細さ. 一. ものではないことがはっ きり分かる. 更に第4章 「神経質の原因」 には以下のような記述もある. 「ここに神経質がある時, そこには必ずしも血. は大事なものとなるだ. 統に神経質乃至其他の変質のある事を要しない」・. ろう. 交互作用の発端にヒポコンドリー性基調と 精神の過敏性が構想されているのである. これが,. 「神経質の子は遺伝と養育との二重に神経質にな. 「感覚過敏といへば, 小人は利 に悟り君子は義に. 失不良の癖等に対して, 濫に謎責し懲罰を加ふる のは, 徒に神経質を増悪せしめ, 又健康なる者を. 悟る, といふ 風 に. - 中略 -. 神 経 質 はヒ ポ コ ン. ドリーであるから, 病というものに関連したこと. に過敏で」(同 「神経質及神経衰弱の療法」) あ る とい う記 述 につ な が っ ていく の で ある.. 先回りしていえば, 過敏性体質説は森田学説の 6 8. る」・「児童の恐怖性を徒にあざけり鼓舞し, 又過. も神経質とするも のである」 こうした記述をみるなら 「素質は精神的傾向で ある, これは先天的であるが固定的ではなく, 環 境の変化とともに変わりうるものである」 という.

(12) . 初期森田学説 における「神経質」について. 19 93 大原ら ( ) の記述以上に, 森田は後天論的要. 身体的 (過敏性体質) 松原氏 惨出性体質. 素を重視していたようにみえる.. 神経性体質な ど. さて, こ の段 階で ヒ ポ コ ン ドリ ー 性基調 説 と 精. 神交互説が森田の神経質学説の根幹であり, 神経 質というものが森田にあっては, 疾病概念と言う. 精神的 (仮性刺激性衰弱). よりは精神の機能的失調が固着した状態を表現す. 先天性・体質内因性神経衰弱症. る 「状態概念」 に近いものであっ たと言うことが. ヒ ポ コ ン ドリ ー. 分かってくる. また素質概念もこと ばから受ける. 苦悶神経病. 先天的なものという印象とは異なり, 後天的な意. 強迫観念症等. 味合いが非常に強いものであって, 持続性の精神 199 3 的な特質あるい は大原ら ( ) が指摘している. 「神経質及神経衰弱 の療法」 では過敏性体質. とおり精神的傾向といった意味であることが分か. は, 新たに精神過敏性素質が追加され, 身体過敏. る. また神経質も強迫観念も, どちらも本態は基 本的に同一であって, それらの症状の違いは単に. 性体質と2つ 分けられた上で両者があいまって神. 表面的現象的な差異であり, 異なる疾病と して分. 衰弱症ノ本態」 では松原の過敏性体質は仮性刺激. 類する必要 はないと森田が一貫 して考えていたこ. 性衰弱とは分離された上に, 神経質の主な下位分. とも明らかである. 「神経質及神経衰弱の 療法」 から2か月 後の. 類とは関係しない事 になっ た. 上の表記では省略. 経質を構成すると考えられていた. しかし 「神経. 4d 「神経衰弱症ノ本態」(森田, 197 ) で, 森田は. したが, むしろ後天性神経衰弱と一緒にくくられ て刺激衰弱としてまとめられ, 「神経質」 とは異. 更に変化する. 過敏性体質説が神経質学説から実. なるものであることが強調されている. またいず. 質上除外されたのである. 「神経質及神経衰弱の療法」 では神経質と過敏. れの表記でも先天性ということばで神経質が表現. 性体質等の関係は以下のように記述されていた.. されており, 後天的素因と先天的素因の複合した 素質によって神経質症状が生じるという森田の考 え方がこれだけでは見えない書き方になっている.. ・後天性純粋神経衰弱 (1)心身疲億状態と. 森田の先天性という語の使い方にも問題 があるよ うだ.. (2)心気性誤想 以上の複合 神経質先天性体質性神経衰弱 (1)身体過敏性体質と (2)精神過敏性素質 心気症並びに強迫観念症 以上の複合 それが 「神経衰弱症ノ本態」 では変更になった.. 一部を簡略化して示す. 4. まとめと討論 以上に見てきたように学説成立までの時期 はい わば模索が続いていた時期といってよいだろう. 1919年には治療法が成立したが, 理論面では模索 が続いていたことがわかる. この3年後に学位論 40 が最 文 「神経質ノ本態及 ビ療法」 (森田, 197 終的に審査を通過する. 本稿ではその前の時期ま で, 本態論を中心に森田学説の成立経過を追った. そ の結 果 と して 以 下 の こ と が明 らか にな っ た.. ・後天性神経衰弱 症(急性・慢性虚脱, 心身疲億). 1, 森田学説の本態論は, 神経系の刺激性衰弱を. 本態と考える神経衰弱説に心因論を加味した立場 ・神経質 (先天性). から, 神経系の見かけ上の衰弱と精神的観念的作 69.

(13) . 加. 藤 敏. 之. 用による症状形成の立場つまり心因論の立場へと. 覚への定位という契機としてヒポコンドリ一説の. 徐々に移行していった.. 中へ受け継がれたと考えることもできる. 7, 森田の特殊療法は成立の時期から治療を教育. 2, 1921年の段階では, まだ神経衰弱説の立場を 完全には離れていないとはいえ, 森田学説の根幹 をなす 「ヒポコンドリー性基調」 と 「精神交互作. の文脈で捉えていることが分る (注5参照) . こ れは森田が当初から, 神経質発現に後天的要因が. 用」 による神経質症状の発生機序という心因論的. 関与していると見ていたことを示すものである.. な基本構想は既に定ま っ ていた. 高良 ( 198 8a ). また森田が日本児童学会と関係が深く, 知的障害. がかつて 「疲鯨説と純粋な内因説の否定の上に,. 児の療育等に関心を持っていたことや特殊療法に. 新しく神経質症状が心因性反応の一型である」 事. 関する記述の中にモンテツソリー教育が取り上げ. を森田は既に大正10年以来発見して主張している. られているなど, 特殊療法の成立に教育・発達分. と述べたのはこうした事情を踏まえてのことであっ. 野が何らかの影響を与えていた可能性がある.. たのだろう. 同じ論文の中で高良は神経質が心因 性のものであることの発見を画期的なこととして 高く評価している. 森田の心因論への移行は長期 間にわたる探求の結果, 到達したものであること が明らかになった.. さ て こ こ で, 「は じめ に」 で 触 れ た 議 論 につ い. て検討しておこう. 岩井ら ( 1975 ) は森田と下田 のヒポコンドリ ー性基調の素質をめぐるやりとり を次 の よう に述 べ る.. 森田は神経質の先天性素質説にどの程度確信を. 3, それまでは別の分類として扱われることもあっ. 持っていたのか. という点について, 森田の学位. た強迫観念症と神経衰弱症を森田は研究の最初期 から基本的に同じ本態の疾患として扱っていたこ. 論文を参照して, 森田は素質説を強く主張した訳 ではなく神経質は後天的にも起こる可能性も認め. とも 分 か っ た.. ていたと結論づ けた. しかし下田光造と森田の素. 4, 更に森田の 「神経質の素質」 概念は少なくと もこの時期までは常に, 先天性の素因と後天性の. 質論をめぐる議論を紹介して, 下田が森田の素質 論に反対したのに対して森田は, ヒポコンドリー. 素因2者の複合的な生成物のことを意味しており,. 性基調の主要な条件は先 天性素質であるが, 「然. 素質ということば自体に森田は必ずしも先天的と. るに一方には下田光造博士の主唱するやうに, 生. いう意味を持たせてはいない. 時により, 先天的 な意味合いが強い場合とそうした意味が含まれて. 後の環境・養育から此性格を獲る に至るものが固. いない場合がある. 特殊な用語法と言うべきであ. 応え, 先天後天の問題には明快な答えが出なかっ たと解説した.. ろ う.. 5, また森田の先天性という用語の使い方も単純 ではなく, 「先天性神経質」 といっ た場合は 「性. I }と より多かる べきは想像に難くない事 である」Q. これまでに紹介した森田の諸論文から分かるよ. 格に起因する神経質」 とでも表現する方が誤解が. うに, 森田の下田に対する答えは実は従来からの 森田自身の考え方を述べたものであることが分か. 少ないように思う. その結果, 先天性神経質は 「素質」 によるといった記述が現れることになり,. る. 森田は少なくとも初期学説においては, 先天 か後天かといった問題を鋭く提起することはせず,. 混乱や誤解を生む原因の1つになっている.. 先天後天幅鼓論とでもいうべき立場をずっ と探っ. 6, 過敏性体質説は, 神経衰弱説を補完する役割 をもって, 療法成立の直後に学説に導入されたよ. ていた. 下田に対する回答を書いた19 32年 (昭和 7年) にも, 森田はこの立場を捨てていなかった. うである. しかしヒポコンドリー性基調説と精神 交互作用説が形を整える中で急速に位置が低下し,. と考えるべきであろう.. 実質上否定された. しかし健常と神経質の連続性 また精神交互作用の発端における刺激あるいは感 70. 次に例えば北西( 1989a )は以下のように述べる. 「森田はヒポコンドリー性基調」 に 「後天的な 影響を認めたものの, 最終的に素質に規定される.

(14) . 初期森田学説における「神経質」について. ものとした」 「森田説におけるヒ ポコン ドリー性. ) に見えるが, 前後の記述から見 (森田, 1974g. 基調の重視は」 , 1)神経質の発生機序を安易に素 質論に結びつくこと, 2)治療目標のヒポコン ド. てこれは弟子の宇佐玄雄の論文の題名等を借用. リー性 基調陶冶の意味が暖昧になること, 3)生. 199の によれば, したもののようである. 大原 ( 森田の死後, 弟子たちが 「森田療法」 と呼称し. 育歴上の検討がおろそ かになること, 4)神経質. は じめ たも の だ と い う.. の葛藤のあり方や性格の把握が暖昧となり治療的. 本稿では森田正馬自身の原法を 「神経質の特殊. 課題を明確にできないことといつた問題をはらむ.. 療法」 あるいは 「特殊療法」 と呼ぶ. 「森田療 法」 ということばは, 森田正馬の原法と森田以. 北西がここで述べている1から3の問題点は森 田には当てはまらないことは明らかであろう. ヒ ポコンドリー性基調は素質によって規定されると. 後に発展・変化した療法との両者を含む場合に. 森田は確かに述べている. しかし問題はその 「素. (注2) WHOのエCPIOおよびアメリカ精神医学. 質」 の内容であることは先の検討から明らかであ. 会のDMSWには神経症という言葉 は採用され. る.. ていない. しかし今日でも一般的に使用 されて いるので, 本稿では神経症という用語を使用す. 森田が自身の治療を教育のやり直 しだと考えて いたことは先に紹介した. このことは何よりも森 田が後天的に形成されるものを重視していたこと. 用 いる.. る.. (注3) 高良は森田から多くの用語を引き継いで. 的に形成された何に向けられていたと考えればよ. 用いているが, 森田と高良の間では意味が異なつ ている場合がある. 例 えば 「あるがまま」 をめ. いのか, また森田自身はどう考えていたのかにつ いてさらに探っ てみる必要がある だろう.. 8り は, 「あ ぐる高良と鈴木の差異 (鈴木, 19 るがまま」 の理解が高良と鈴木では非常に隔たつ. 森田の歴史に即して発生史的な視点で初期の森. ていることを示す ばかりではなく, 森田の 「あ. 田学説を検討する事で, 森田学説の違つた面が見. る がまま」 概念 に加 えた 高良の改訂, 北西. えてきたと言えるだろう. 森田学説を完成したも のと見るのではなく, 発展変化したものであると. 1989b ( ) の記述にならうなら, 症状の苦しみを. いう立場で検討を加 えることが, 学説の内包する. 神経症的な表面の欲求ではなく自己の内なる真. ものを明らかにする上で有効であると考える. もっ とも現実の 「神経質」 の本態・発生機序或. の欲求に従う 「あるがまま2」 の側面を区別す ることは決して小さな改訂でなかったことを再. いは療法の実際の作用がどのようなものであるの. 認識さ せてくれる. 「あるがまま2」 の内容を. かは, また別の問題であり, 全く異なる検討を要 することは当然である.. 否定するものではないが, しかし 「あるがまま」. をはっきりと示している. 森田の治療行為は後天. 苦しみとして耐 える 「あるがまま1」 の側面と. 概念をいわば拡張するという点については検討 すべき課題だと考える. また鈴木 ( 198乃 のよ. 注. うに森田の 「あるがまま」 を 「現在只今になり きつた心の状態」 という一点に集約してとらえ. (注1) 森田自身は 「森田療法」 という名称は使っ ていない. 多くの場合 「神経質の特殊療法」 或 いは単に 「特殊療法」 と呼んでいた. 個人名を. 冠した精神療法の呼称は極めて珍しいと大原 199の は言う. ただ近いことばとしては, 「森 (. 田氏神経質療法」 「森田法による自覚療法」 等 が1926年刊行の 「神経衰弱及強迫観念の根治法」. る立場も森田の 「あるがまま」 を単純化しすぎ て いる よ う に思 う.. (注4) 森田療法が成立した時期については幾つ かの考え方があり, 必ずしも一致しているわけ ではない. しかし, 「余が此治療法を行ひたる 者は, 大正八年四月 から大正十五年五月 に至る 七年間に」 といっ た1926年刊行の 「神経衰弱 及 71.

(15) . 加. 藤. 敏. 之. 強迫観念の根治法」( 1974g ) における第十七章. の中に谷田部某という女性の強迫神経症患者を. の記述や 「此月 (大正8年・1919年4月のこと:. 家に入院させて治療したことが療法完成の基礎. 加藤) , 松永看護長ノ久シク神経衰弱ニ悩メル ラ余ノ家ニテ静養セシメテ軽快ス. 従来余ノ ・神. となっ たのではないかという推測を述べたくだ. 経質患者ヲ近隣ニ下宿セシメテ之ヲ治療セ ルガ, 此事アリテヨリ自宅ニ神経質ヲ治療スル便ヲ知 り, 次第ニ入院ヲ許シ, 此年十人ノ入院患者ア リタリ. 後藤師郎ノ精神病恐怖, 根岸ノ赤面恐 怖, 柴田ノひぽこんどり一等ヲ全治セシメタリ. 之し赤面恐怖ノ ・治癒セザルモノトアキラメ 居タ ルコト多年ナリシニ初メテ之ヲ全治セシメタル 第一回ナ リ シナリ」 という 森田 ( 19759 の 「我が家の記録」 の記述などからみて, 森田自 身は大正8年 ( 1921年) 4月 を療法成立の画期 と考えていたようである. しかし療法の総体が 姿を明確にするのは, 森田が自身の治療法を体 系的に記述しようと試みた第一著書 「神経質及 神経衰弱症の療法」( 1 921年初版) である. こ の出版をもって成立の時期と考えることもでき るだろう. 森田の弟子で森田の評伝を著した野 村恒章 ( 1974 ) は, 森田の日記などを参考にし. 1986 りなどがある. 鈴木 ( ) も下田の 「精神衛 生講話」 の中の記述として同じ内容の文章を引 用している. この間の事情について多少の混乱 があるようなので, その経緯についての私見を 述べておく. 1974 野村 ( ) によると矢田部某という婦人は, 21年初版の 「神経質及神経衰弱の療法」 (森 19 74e 田, 19 ) に症例15及び症例38として記述さ れた57歳の女性不潔恐怖患者であるという. 「神経質及神経衰弱の療法」 の症例38の記述に よれば, この患者は大正10年10月 に退院したと ある. 下田の記述した谷田部と野村のいう矢田 部(症例15・38の患者) とは, 入院までの経過・ 治療過程ともよく似ており, 同一人物である可 能性が高い. 1975e 次に森田 ( ) が亡き妻のことを綴っ た 19 37年初出の 「久亥の思ひ出」 には以下の記述. ながら療法の成立を大正8年と述べている. 一. がある. 「其頃 (大正8年のこと:加藤) , 巣鴨 病院の看護婦長が, 長く神経質 に悩んで居たの. 方, 岩井・阿部 ( 1975 ) は第一著書の成立を重 視する立場をとっている. 他に例えば196 5年に. を, 余は妻と相談して, 其人に 『転地保養の積 もりで, 余の家に来てはどうか』 と勧めた. そ. 発表された 「森田療法」(高良, 1988b ) を見る と, 高良は学位論文 「神経質ノ本態及 ビ療法」. して其人は, 余の家の二階に同居して, 一カ月 余りも, 家庭の人と同様に, 掃除など手伝って. の完成を療法成立の時期と考えているようであ. 居る内に, 不知不識の間に, 症状が軽快して, 勤務に耐えるようになッた.. る. ただ学位論文完成の時期にっては高良に誤 認があり, 実際よりかなり早い時期であること にな っ て いる. 本 稿 で は, 1919年 (大正 8 年). 21年 (大正10年) に森田 に治療法が成立し, 19 学説が成立, 更に1924年 (大正1 3年) に学位論 文が完成して, 森田学説は面目を一新し, 確立 したと考えておく. 森田学説確立以前, 1924年. これが動機になッて, 余の家庭的療法を思ひ 付いたのである. -中略- 創業時代は, 中々 妻の働きの必要があった. 特に不潔恐怖の患者 は, 必ず一度以上は, 妻に叱られ・泣かされて, 初めて治癒の緒につくとかいふ事が多かッた.. 五十七歳の不潔恐怖の婦人は, 発病以来二十. までの学説を初期の森田学説と呼ぶことにする. ところで治療法成立の転機となった患者として,. 二年で, 所々の精神病院にも入院したが, 余の 所へ入院中, 手を洗ひふける時, 妻に洗面器を. 強迫神経症の矢田部という看護婦長のことを記. 取り上げられて. -後略- 」. 載している文献 (大原ら, 199 3 ) やこれとはや. これを先の 「我が家の記録」 (森田, 197 50. や趣が異なるが, 九大医学部精神科主任教授で. と合わせて考えるなら, 「久亥の思ひ出」 にあ る巣鴨病院の看護婦長は松永看護長のことであ. あっ た下田光造 ( 1975 ) の 「森田博士の追憶」 72.

(16) . 初期森田学説における「神経質」について. り, 大正10年初夏に退院していると考えるのが 至当であろう. また矢田部 (谷田部) は松永と. 追加を行うことにした旨の記載がある. はっき ・増補した事が分かるのは, 第10章 「終結」 りと. は別人で, 同じ大正10年秋に退院した患者であ ることが推測できる. 従って, 森田が療法の成. の後ろに全集の頁数にして約50頁分付け加 えら. 立の画期と考えた患者は松永であると考えてよ. の部分への追加・増補について は残念ながら識. いだろう. しかし矢田部某も下田が述べたよう に, 森田にとって重要な患者だったようだ.. 別できない. ただ当時の印刷事情から考えて,. (注5) 『児童研究』は児童学者高島平三郎が創刊 した‐ 海外の研究の紹介をはじめとして, 研究・ 12年 啓蒙活動な どを旺盛に展開した. 森田は19. れた独立した増補部分である. しかしそれ以外. 第1版本文にあたる部分への追加等が行われた 可能性は低いと推測している. (注8) 野村の目録によると, 「精神療法講義」 1年3月 から6回に分 は雑誌 『変態心理』 に192. , 5月 より児童学会の評議員である. ちなみに呉. けて掲載されたとの記載があるだけで, 著書と. 秀三も評議員として参加していた (『児童研究』. して発行されたという記述はない. 『変態心理』. 復刻版による) . 森田は, 特殊療法を説明 する 際, モンテツ ソリーの指導法を例として取り上. は当時月刊だっ たようなので, 毎月連載された. げたり, 『児童研究』 に知的障害に関する論文 等を執筆するなど教育分野にも関心が高い. さ. のならば1921年に完結したはずである. 全集で は雑誌に連載された旨の記載 がなく, これを著 書 の よう に扱 っ て, 1922年 発 表 と して いる.. らに1929年に森田が組織した患者会形外会の例. (注9) 野村の目録に掲載されているが全集で確. 1933年10 会で高島平三郎が講演を行っている (. 認できなつ かた文献の内, 神経質学説に関連す. 月. 413 第37回 形 外 会, 全 集 V, 402‐ ) . 二人の. 親密な交流が伺わ れる. 森田と教育分野との結. ると推測できるものが3編あった. 以下に示し て おく.. びつき はも っ と注目されてよいと思う. モ ンテ ツ. 20年(大正9年) 小児の神経衰弱と母親の注 19. ソリー教育と特殊療法との関連, 例えば活動を. 意. 制限した際に表れる自発的活動や 「不問」 的態. 1920年 ・1921年(大 正 9 年・10年). 度などとの関連は検討すべき課題の一つであろ. 物質療法 『霊の研究』. う・. 1921年(大正10年) 赤面恐怖の治癒の 一例. 『親のため』. 精神療法と. 『変態心理』. (注6) 全集表記のまま. 「ヒステリーの話」 が 1920年8月 と9月の 『変態心理』 第6巻 第2. ) と「神経衰弱症ノ (注10 ) 「神経質ノ療法」 ぐ21. 号と第3号に掲載 され, 「催眠術治療の価値」. 本態」は対をなす論文で神経学雑誌の同一の号. は 同10月 同誌 へ 掲 載 さ れた こ と にな っ て いる の. 1974 に掲載されており, 野村 ( ) の目録では両 者を併せて一つの論文のように表記している.. で, 第 6 巻. 第 4 号掲 載 と なる と ころ だ が が,. 『変態心理』 はこの号から通巻号数表記になっ た よう で ある.. ここで注目すべきはこれら2編の論文にはとも に末尾に 「呉教授在職二十五年祝賀ノタメ起稿. 年 (大正10年) 6月 に刊行された. しかし森田. セ ルモノナリ」 という但し書きがあり, 「神経 衰弱ノ本態」 の末尾但し書きには,. 正 馬全集に集録されているのはこの版ではなく,. 尚ホ詳細ナル事ノ・近六月 発行ノ余ノ「神経質. 2年 (大正11年) に刊行された増補第2版 翌192. 及 ビ神 経衰弱ノ療法」(全集の表記のまま:加. である. 全集巻末の解説等には, 初版と増補第 2版の異同について特に記載がない. 森田の第. 藤)ニ於テ多クノ実例ヲ挙ゲテ 之ヲ説明セリ. 2版前書きでは, 第1版は色々と不備な点が目 に付くので改版したいのだが, 今回は単に補充・. 論文は 「呉教授在職二十五年記念文集」 第二巻. 21 (注7) 「神経質及神経衰弱の療法」 初版は19. との表記が見える. 周知のように, 森田の学位 1928年) に収録 されており, 学位論文起稿が ( 73.

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