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〈実践・事例報告〉保健体育科教員の成長プロセスに関する事例研究-自らのライフヒストリーの振り返り-

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近畿大学経営学部教養・基礎教育部門 〒 577-8502 大阪府東大阪市小若江 3-4-1 General Education Division, Faculty of Business Administration

3-4-1 Kowakae, Higashi-Osaka, Osaka, 577-8502, Japan 連絡先:橋本 剛幸 ✉yhashimoto@bus.kindai.ac.jp

保健体育科教員の成長プロセスに関する事例研究

−自らのライフヒストリーの振り返り−

橋本 剛幸

Case study on the growth process of health and physical education teacher

− Review of life history of one’

s own −

Yoshiyuki Hashimoto 1.はじめに  著者は過去 27 年間,中学校,高等学校の保健 体育の教員として学校現場で生徒たちと接してき た.自身のそのライフヒストリーを振り返り,学 校における教員としての立場とクラブ指導の中の 指導者としての立場に分け,これまでに,指導者 の立場に着目して,指導者としての成長に対して その支障となるものや契機について,今後につな げるための考察を行っている.(橋本,2019)教 師のライフコース研究,ライフヒストリー研究, ライフストーリー研究の中では,研究者が教育実 践者より様々な手法でこれまでの実践経験を調査 し,考察を加えることにより,教師教育研究の広 がりと深さをもたらしてきている.その中で,教 師が自らの教育実践の軌跡と生き方(ライフコー ス)をロングスパンで振り返ること,教職経験を 大局的に把握しそれを意味付け再構成すること, いわば,教師が当事者としての教育実践の「物語 を紡ぐ」ことは,教師のライフコース研究におい てどのような位置を占めるのだろうか.(大脇, 2018)本稿の自身のライフヒストリーの振り返り は,このチャレンジの一つとして考えている.今 後の教師のライフコース研究において,ライフス トーリー・インタビューで語られたものを教師の ライフヒストリーとして検討していくために,聴 き手として研究者の在り方の中に,教育実践者で ある自らの振り返りは重要なものと位置付けてい る.教育実践の経験がある教師のライフコース研 究者として,教師のライフストーリーとして語ら れたものを,聴く側が感じ取り,聴く側自身の教 師としての考えを持ちながら紡ぎあげていくこと が必要であると考えているわけである.「ライフ ストーリー・インタビューで語られる話は,過去 の物語であるとともに,今ここで語られるという 意味で,現在の物語でもある.さらには,語り手 の物語であるとともに,聴き手との相互作用の中 で生み出されるという意味で,協働の物語であ る.」(高井良,2015)自らのライフヒストリーの 振り返りは,今後多くの保健体育科教員を対象と する研究のためには必要なことであろうと考え る.  朝倉は,保健体育科教員に対する質問紙調査, インタビュー調査を行い,定量分析,質的研究 法,ライフヒストリー,ライフストーリーなどの 方法による研究により,体育教員の「信念」はど のように形づくられ,維持・強化されるのか,そ して,どのように揺らぎ,変容するのかを「経 験」との関係に着目して明らかにしている.(朝 倉,2016)また,木原らは,ライフヒストリー研 究により,小学校における教員の体育授業の力量 形成がいかになされているかを明らかにしてい

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る.(木原ら,2016,2017,2018) 体育の教員と してのアイデンティティ形成について,ライフヒ ストリー,ライフストーリー研究によって迫るこ とは重要であり,本稿の自らの体育教員としての 振り返りは,今後多くの体育教員のライフヒスト リー,ライフストーリーの分析を行う上で大きな 意義があると考えている.  中学校,高等学校の保健体育の教員は,保健体 育の授業や校務分掌,クラス担任など学年での業 務に加えて,クラブ活動での指導を行う教員がほ とんどである.保健体育の教員にとって,学校に おける教員としての立場とクラブ活動の指導者と しての立場は,両輪となってその教員のアイデ ンティティを形成していると考える.先の研究 では指導者の立場に着目して考察を行った(橋 本,2019)が,本稿では,そのもう一つの立場で ある,保健体育科教員のライフヒストリーを振り 返り,自分なりの教師としてあり方,その成長や それに至るきっかけなどを省察することで,今後 さらに多くの教員から語られる物語の聞き手とし て,教育実践の経験がある教師のライフコース研 究者の在り方を模索することを目的としている. 「教師アイデンティティ」の形成と保健体育教師 の成長について検討を加えるための一助とした い. 2.研究方法  著者は,1987 年(昭和 62 年)に大学を卒業し たが,当時,公立学校の保健体育教員の採用は 非常に狭き門であり,2 年間の講師生活を送って いる.1 年目は大阪にある母校の中学校で非常勤 講師として勤め,2 年目は奈良県で,4 月から 8 月までは特殊教育学校,9 月から翌年 3 月までは 県立高校でそれぞれ常勤講師として勤めている. 1989 年(平成元年)4 月,和歌山県にある私立の 中高 6 年一貫教育校に採用され,2014 年(平成 26 年)3 月まで,25 年間勤務した.  本稿では,若年期(1987 年∼1999 年),中堅期 (2000 年∼2014 年)の 2 つの時期に分けて教育実 践を描き,各時期における実践事例を取り出して 省察することにする. 3. 保健体育科教員としての歩み−自らのライフ ヒストリーの振り返り− ⑴授業スタイルの確立:若年期 ①母校での講師としてのスタート  1980 年代後半から 1990 年代初頭にかけ,日本 は「バブル時代」と呼ばれ,好景気の時期であっ た.著者の大学時代から卒業当時がその時期にあ たるが,就職については好調な時期であった.し かしながら,教員の採用については,それまでの 時代に多く採用者を出しており,厳しい時代にあ たり,公立学校の採用試験は倍率が高く,教員に 採用されない時期であった.そのような中で教員 を目指し,教員の採用試験は大阪府を受験した が,不合格になっている.不合格の連絡を中学時 代の恩師にしたところ,母校の中学校で欠員があ り,1 年間だけなら非常勤講師ができるというこ とで,1 年間恩師の許で教員生活を送ることがで きた.自分がその先生にあこがれてめざした教師 への道であったため,その期間は学ぶことが多 く,充実した 1 年間であった.恩師は,陸上競 技部の顧問であり,また保健体育科の教員とし て,生徒たちに興味を持たせるために多くの工夫 や仕掛けのある授業を展開し,生徒たちに慕われ る教師であった.また,クラブ指導においても, 部員の考えを尊重し,決して高圧的ではない指導 を行う指導者であった.著者が,体育系の大学を 目指し,体育の教員としてクラブ指導を行いたい と考えたのも,この恩師との出会いがあったから であった.教育大学の附属中学ということもあ り,教育実習生の受け入れや研究授業など,授業 に対する研究や研修が盛んに行われており,身分 としては 1 年間の期限付きの非常勤講師というこ とで,経済的にも精神的にも安定したものではな かったが,毎日が教育実習のような緊張感と,後 輩を指導できるクラブ指導は,以後の教師として の成長に大きく影響している.  そこで出会ったのが,「課題発見・解決型授業」 である.当時,その中学校では,課題解決的学習 を体育の授業に導入し,研究授業や教育実習生の 指導においても実践研究として行っており,さら にその課題をいかに生徒に見つけさせるかを重視

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した「課題発見・解決型授業」が行われていた. 初任者とはいえ,給与を得て,仕事として授業を 行う立場なのだが,次々とやってくる教育実習生 と同じように,共に学ぶことが多く,緊張感を 持った 1 年間を過ごした.その当時,教育実習生 の指導に同席した際に記録していたノートの中に 次のようなものが残されている.  授業の中で行われる学習活動を理解するための 模式図であるが,今までの著者の考えを大きく変 えるものであった.体育の授業においては,一斉 授業で,運動技能を教師から学ぶことが当たり前 と思っていたのだが,学習者が教材から学ぶこと が重要であり,その方法として課題発見・解決的 な学びが必要となることを学んだのである.ここ での経験が,その後の授業スタイルの原点となっ ている.

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授業の中で行われる学習活動を理解するための模式図であるが、今までの著者の考え

を大きく変えるものであった。体育の授業においては、一斉授業で、運動技能を教師

から学ぶことが当たり前と思っていたのだが、学習者が教材から学ぶことが重要であ

り、その方法として課題発見・解決的な学びが必要となることを学んだのである。こ

こでの経験が、その後の授業スタイルの原点となっている。

②私立中・高等学校の保健体育科教師として

奈良県での1年間の講師経験を経て、和歌山県にある私立の中高

6 年一貫教育校に

採用され、和歌山での生活がスタートする。結果として現在まで

30 年間和歌山県に住

むこととなり、人生の半分以上の年数を和歌山県で過ごしている。赴任した学校は、

進学校を目指し、

1983 年(昭和 58 年)に開校した 6 年目の新しい中高 6 年一貫教育校

であった。自分自身が中高

6 年一貫教育校出身であることや、進学だけでなくクラブ

活動にも力を入れている学校であったため、理想的な学校で仕事ができる喜びの日々

であった。

中学校、高等学校の保健体育の教師は、自分の専門種目があり、授業だけでなく、

クラブ活動を指導することが一般的である。特に私立の中学校、高等学校では、学校

の特色としてクラブ活動を強化して有名になっている学校も少なくない。また、進学

図 1. 課題発見・解決型授業模式図

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②私立中・高等学校の保健体育科教師として  奈良県での1年間の講師経験を経て,和歌山県 にある私立の中高 6 年一貫教育校に採用され,和 歌山での生活がスタートする.結果として現在ま で 30 年間和歌山県に住むこととなり,人生の半 分以上の年数を和歌山県で過ごしている.赴任 した学校は,進学校を目指し,1983 年(昭和 58 年)に開校した 6 年目の新しい中高 6 年一貫教育 校であった.自分自身が中高 6 年一貫教育校出身 であることや,進学だけでなくクラブ活動にも力 を入れている学校であったため,理想的な学校で 仕事ができる喜びの日々であった.  中学校,高等学校の保健体育の教師は,自分の 専門種目があり,授業だけでなく,クラブ活動を 指導することが一般的である.特に私立の中学 校,高等学校では,学校の特色としてクラブ活動 を強化して有名になっている学校も少なくない. また,進学校として受験に特化して,独自の教育 実践を行う学校も多い.そのどちらをも目指す学 校もあるのだが,その多くはコースを分けて募集 し,それぞれのクラスで指導を行っていることが ほとんどである.ところが,採用された学校は, スポーツなどのクラブ活動と学習のどちらにも力 を入れており,コース分けや推薦入試は行わず, まさしく個人における「文武両道」を目指した学 校であった.保健体育の教員は 12 名おり,それ ぞれの専門のクラブを指導し,どちらかといえ ば,授業よりクラブ活動に力を入れている教員が 多く,全国大会に出場するなど,実績を上げてい るクラブも多数あった.著者自身も専門である陸 上競技のクラブ指導を行っているが,「クラブよ り授業」という気持ちが強く,「課題発見・解決 型授業」を積極的に実践していきたいと考えてい た.母校での講師経験の中で,「課題発見・解決 型達授業」は附属学校のような生徒が均一で指導 しやすい学校では効果的であるが,すべての学校 で効果的かというとそうではないのではないかと の議論があった.実際,奈良県での学校において は,思うような授業展開にならず,変更を余儀な くされ,かつての一斉授業に頼らざるを得なかっ た.そのような状況の中で,採用された学校は自 分自身にとっては理想的な環境であり,様々な教 材(スポーツ種目)で,「課題発見・解決型授業」 を実践していくことができた.  その学校では年に数回,授業改善のための取り 組みとして,教科を超えて一つの授業を参観し, その後「合評会」を行う「研究授業」が行われ ていた.初任者ということもあり,11 月に早速, 授業の公開を行っている.高校 2 年生のラグビー の授業において,「課題発見・解決型授業」を行 い,「ゲインライン突破ゲーム」と名付け,ラグ ビーのゲームの 1 局面を簡易ゲーム化してチーム で取り組ませ,課題を発見,それを解決するもの であった.(資料 1 参照)授業の中では,チーム でのミーティング時間をとりながら作戦を立て, 実行する中でいかにゲインラインを突破するかを 工夫し,その中から個人の技能的な問題点や課題 を見つけ取り組むものであった.授業ではチーム に 1 冊のノートを持たせ,ミーティングの中で記 録をさせる方法で内容を残させていったが,他の 保健体育の教員からは運動量を確保するという観 点から,授業の中でのミーティングや記録の時間 が長く,生徒の身体活動を増やす方が良いのでは ないかという意見や,授業計画の最初からゲーム を行うよりはパスやキャッチなどの技能練習を十 分に行ってからゲームを行う方が良いのではな いかという意見など反対の意見も多く出された. (資料 2 参照)その学校では,これまでの体育の 授業は一斉授業による指示的な授業がほとんどで あり,技能練習を十分に行ってからゲームに移行 するという授業形態が当たり前とされていた.授 業計画の最初からゲームを行い,その中から生徒 自身が課題を見つけ,解決していくために技能練 習を行っていく授業展開は,当初は他の教員から は理解されにくかった.  そのような中でも,従来からの一斉授業で運動 技能を教員から学ぶ形態から,学習者が教材から 学ぶ課題発見・解決的な形態への改善を働きかけ ながら,バレーボールやバスケットボールなど他 の教材でも授業実践を進めるうちに,理解する教 員も増え始め,1997 年(平成 9 年)には,2 人の 教師と共にバレーボールの授業において,外部の

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教員を招いて行う教科研究会での授業発表を行う までになった.また,当時の教頭が保健体育の教 師であり,よき理解者として助言,協力をしてく れたことも力強いことであった.さらに,他教科 の教師でありながら著者の授業への取り組みを評 価してくれたのが当時の教育研究部長であった. 教育研究部は,1993 年(平成 5 年)に,校内分 掌として新設され,教員研修や研究授業などを担 当する部であった.著者は,それまで教務部に所 属をしていたが,新設されると当時に希望して所 属し,部長も初年度から務められていた.数学の 教師で,公立高校の教師,教育委員会を歴任し, 経験豊富な先輩教師であったが,著者の体育の 授業に興味を持ち,何度か授業参観をする中で, 「生徒たちがこんなに生き生きとした目で体育の 授業を受けているのを初めて見た.」と,高い評 価をしてくれていた.その言葉通り,先輩教師や 同僚の理解者だけでなく,一番背中を押してくれ たのが生徒たちの姿である.はじめのうちは生徒 たちも今までの授業と違うやり方に戸惑いを見せ ていたが,慣れてくるとこちらが想像もできない 発想をして,新しい練習のアイデアが生まれた. その練習を試し,ゲームの中でそれが生かされ, 結果につながると,チームで嬉しさを爆発させる 様子を何度も見ることができた.体育という教科 の本来のねらいである「スポーツを楽しむ」とい うことを伝えることができる授業が,できた喜び を感じる瞬間であった. ③クラス担任として  授業への取り組みだけでなく,クラス経営にも 力を注いでいる.赴任して 2 年目に高校 3 年生 の担任を任され,その後 1 年おいて 1992 年から 11 年間連続で担任業務を行っている.とにかく 赴任して 2 年目での高校 3 年生の担任では,戸惑 うことも多く,苦労の連続であったが,学年主任 や同僚の協力もあり何とかやり遂げたという感じ であった.進学校を目指して設立された学校では あったが,まだ 6 期生ということで様々な生徒が おり,進学どころかクラスから 6 人の卒業延期者 を出すこととなった.毎日のように家庭訪問を続 け,家庭で勉強ができない生徒の数人を,一人暮 らしをしている自分の部屋に連れてきて,勉強を させて単位を取らせたこともあった.大変な 1 年 間であったが,教員としてのやりがいを感じた 1 年間であった.  その後,クラス運営についても評価され,学校 創設以来最初の 6 年間のクラス持ち上がりを行っ ている.中・高 6 年間一貫教育の学校であった が,中学 1 年生から高校 3 年生(学校内では中 学 6 年生と呼んでいた)までのクラス担任の持ち 上がりには賛否両論があり,これまで実施されて いなかった.著者自身が 6 年一貫教育校の卒業生 だったこともあり,初めて著者が持ち上がること になった.その際に 6 年間を初めて持ち上がった 教員として自主的にレポートをまとめ,学校に対 して進言を行っている.(資料 3 参照)これをた たき台として様々な改善が行われ,その後はほと んどの中学 1 年生の担任が高校 3 年生まで持ち上 がっている. ⑵ ミドルリーダーとして:中堅期 ①学年主任から生徒指導部主任へ  6 年間の持ち上がりを終え,2000 年(平成 12 年)には,また中学 1 年生の担任を就いている. さらに,これも開校以来,初めての試みとして, 学年主任の兼務を行っている.当時,中学校は 1 学年 3 クラスであり,学年主任といってもそれほ ど大きな負担というわけではなかったが,今まで のように一人でクラスを思うように運営してきた のとは異なり,他の 2 クラスも見ながら全体をま とめていくのはやはり勝手の違うやりづらさが あった.主任としての保護者への対応や学年の方 針をめぐる学校との交渉など,今までとは違った 仕事に戸惑いの連続であった.3 年が過ぎ,その まま 6 年間持ち上がると思っていたが,学年を離 れ,生徒指導部の生徒会主任として仕事の形を変 えることになった.  当時,学校開校 20 周年を控え,記念行事を計 画する必要があり,その役を任されることになっ たのである.生徒指導部は,それまで部長の下に 生活指導主任が配置されていたが,そこに併設 して生徒会主任がおかれ,2 名の主任の体制とな

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り,生徒会主任が記念行事の委員長を兼務するこ とになった.その後,25 周年の記念誌発刊の委 員長を務め,2008 年(平成 20 年)に生活指導主 任に就いている.こうして学年主任,生徒会主 任,生活指導主任とミドルリーダーとしての任に ついてきたが,年齢的には学年主任に就いたのが 37 歳の時であり,私立学校においては教員の異 動がなく,年齢構成から見るとまだ若い方であっ た.学校全体を見渡すことの必要性を感じ,その 重要性を理解しつつも,クラス担任から離れた寂 しさを感じることが多かった.生徒たちと最前線 で接することが,自分自身の教員としての喜びで あり,それが教師を目指した原点であったため, その寂しさが大きかったのかもしれない. ②ホームグランドとしてのクラブ指導  今考えると,その寂しさを埋めてくれたのがク ラブ活動であったように思っている.「クラブよ り授業」と,授業改善にウエイトを置きながら取 り組んできたが,クラブ活動についても自分な りに精一杯力を注いでいた.その結果,2014 年 (平成 26 年)の退職までに,陸上競技部で直接指 導した生徒のうち,のべ 17 名が全国大会に出場 している.若年期では,クラブ指導においてもま だまだ未熟で,手探りの状態であったが,少しず つ成果が出始め,指導を受けたいと他のクラブか ら変わってくる生徒や遠くから高校を受験してく る生徒も増えてきた.このような生徒たちとの出 会いもモチベーションを上げる要因になってい る.クラブ指導のためにグランドへ出ると,自分 のホームグランドに戻ってきたような安心感があ り,クラブ活動で自分が以前に見ていた夢を,同 じように追っている生徒たちと過ごしている時間 は充実した楽しい時間であったことを記憶してい る.(橋本,2019) ③授業改善へのさらなる進化  もちろん,学校での立場がさまざまに変化する 中でも授業への気持ちは変わらず持ち続けてい た.ラグビーやバレーボール,バスケットボール など集団的スポーツの球技系の教材に加え,克服 的スポーツである陸上競技や器械運動などの個人 的スポーツでも「課題発見・解決型授業」を取り 入れる試みを行っていた.(資料 4 参照)陸上競 技では,短距離走やハードル走など,授業が単調 で生徒にとっては楽しくない授業になりがちで あったが,3 秒間走などの教材化の工夫や自己点 検ノートの導入など,様々な方法で生徒たちが楽 しく取り組める授業形態を模索していった.運動 量の確保と授業内でのノート記入時間の確保は大 きな課題であったが,ノートの記入方法の変更や 説明の簡略化などで改善を行った.器械運動の授 業は,運動能力の個人差が出る教材であり,授業 形態に工夫をしなければ,生徒たちの取り組みに 大きな差が生じ,モチベ―ションの差も大きく なってしまいがちである.(資料 5 参照)生徒一 人一人にノートを作成し,それぞれができている ことをチェックし,自分の問題点や到達段階を可 視化し,それぞれのレベルに応じて個人的に取り 組める工夫を行い,ひとりひとりに達成感を感じ させながら授業を進め,時には先に進んでいる生 徒が苦手な生徒の指導を行ったり,お互いに技を 見てもらって評価しあうことで協働して学ぶ機会 を作り,お互いの課題を見つけ,解決する過程を 共有することで学びを深めていった.マット運動 や鉄棒などは,苦手意識を持つ生徒も多い.(資 料 6 参照)運動に対する苦手意識が,体育嫌いの 生徒を生む原因になっていることが多くみられる (橋本・永浜,2013).身体運動における成功体験 や達成感を感じさせることが体育の授業では重要 であり,楽しい体育授業を行うことが自分自身の こだわりであったと感じている.  学校の保健体育科としても,楽しい体育授業を 進めるために大きく舵を切ったのは,選択制授業 の導入であった.当初は評価法の困難さや授業担 当者の問題などで,検討から実施まで数年の期間 を費やしている.特に評価法については,以前か らの技能テストが,採点者の主観に影響されにく く,クラス間格差を生じさせにくいことから大勢 を占めていたが,教材から主体的に学び,楽しい 体育を求めていくには,技術の出来る,出来ない だけでなく,取り組みや積極性などを評価すべき であろうという結論から,これまでの技能テスト に頼らず,個人ノートやチームノートなどを採用

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し,その取り組みやノートの記入などを中心に評 価する方法で行われることになった.また,低学 年では技能の習得や体力の向上を重視する目的か ら,高校 3 年生のみでの導入となった.著者が長 年取り組んできた方法が,部分的に認められ,取 り入れられることになった.  母校での講師経験の中で,恩師から「体育と は,身体活動を行う中で生じてくる諸問題を努力 と工夫で解決する教科である.」ということを学 んだ.これは,単に体育という教科だけにとどま らず,日常生活の中においても必要なことであろ う.人は困難や壁にぶつかったとき,それを乗り 越えるために努力や工夫を続けることが重要であ る.その疑似体験としてとらえるとすれば,体育 という教科は,非常に大切な体験を与え,学ぶ機 会を与えていると考えられる.体育が他の教科よ りも低く見られ,体育教師像が情熱や親しみやす さとともに,権威主義的な性格,知性のなさ,単 純さ,体罰など一般的・社会的なイメージとして 描かれること(朝倉,2016)を,体育教師の取り 組みで変えていく必要があるだろう.これは,著 者にとっての体育の教師としての誇りにつながっ ている.「信念」ともいうべきこだわりと,「誇 り」は体育教師の成長や学びにとって重要な要 素である(朝倉,2016:木原ら,2016:2017: 2018).教師としての初年度に素晴らしい学びの 経験をし,その学びを自らの教育実践に生かし, 授業実践として取り組めたのは,よき理解者で あった先輩教師や同僚,そして何よりも生徒たち の取り組む姿のおかげであった. 4.終わりに  「教師のライフコースは学校,教師集団,学級 集団をはじめ,地域,社会,時代の中で,個人 的・集団的に育まれており,複層的で多様性に満 ちている.まさに,人間関係と社会関係の集合体 としての織物といえる.それを切り開くために, 「教育実践の山脈をつなぐ」ことを基軸とした教 師のライフコースの実践研究に取り組んでいる. このチャレンジが,教師のライフコース研究に新 たな地平を築くことになることを願っている.」 (大脇,2018)教師が日々の忙しい生活の中で, 自分の過去の教育実践を振り返ることは,そう容 易にできるものではない.しかし,その振り返り を,もう少し長いスパンでとらえ,自分なりの教 師としてあり方を見つめなおすことは,その後の 自分自身の教師としての成長につながることにな るであろう.本稿の自らの振り返りの中で,先輩 教師や同僚教師との出会い,そして生徒たちから の学びが自分の教師としての成長につながってい ることが改めて確認できた.教育実践の中で,結 果はすぐに出るものではないが,自分の信念を持 ち,継続していくことが理解者を生み,少しずつ 好転していくことも感じることが出来た.「多く の教師たちは日々の教育実践に対する省察をもと に,自らの教師としてのアイデンティティ,すな わち存在証明を模索している.」(高井良,2015) 著者は過去 27 年間,中学校,高等学校の保健体 育の教師として学校現場で生徒たちと接してき た.現場を離れ,あらためて自身のライフヒスト リーで振り返りができたことは,今後につながる 有意義なものであった.「体育教師の現実的な職 務は多岐にわたっており,とりわけ運動部活動や 体育的行事,担当することが多い生徒指導その他 の対象についても,信念を保有している.」(朝倉, 2016)それぞれの役割の中で,体育教師の信念の 問い直しと成長があるに違いない.今後,多くの 保健体育教師から語られる物語を,「教師アイデ ンティティ」の形成と保健体育教師の成長につい て検討を加えるため,ライフストーリー研究,ラ イフヒストリー研究を進めていきたい.

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5.引用・参考文献 朝倉雅史著(2016 年)体育教師の学びと成長− 信念と経験の相互影響関係に関する実証研究 −,学文社 大脇康弘(2018 年)教師のライフコース研究へ の挑戦−教育実践の山脈をつなぐ−,スクール リーダー研究 11,001-002 木原成一郎,林俊雄,大後戸一樹(2016 年)授 業の力量形成に関するライフヒストリー研究− A氏の体育授業を中心に−,学校教育実践学研 究 22,217 − 227 木原成一郎,林俊雄,大後戸一樹(2017 年)授 業の力量形成に関するライフヒストリー研究 (その 2)−A氏の体育の「授業スタイル」を 中心に−,学校教育実践学研究 23,81 − 91 木原成一郎,林俊雄,大後戸一樹(2018 年)授 業の力量形成に関するライフヒストリー研究 (その 3)−B氏の体育授業を中心に−,学校 教育実践学研究 24,149 − 156 高井良健一著(2015 年)教師のライフストー リー−高校教師の中年期の危機と再生−,勁草 書房 橋本剛幸,永浜明子(2013 年)児童生徒のアン ケート分析からみた学校体育カリキュラムの研 究−生涯スポーツにつながる授業を目指して −,大阪教育大学紀要 62‐1 橋本 剛幸(2019 年)指導者としての成長 : 自ら のライフヒストリーの振り返り,近畿大学教 養・外国語教育センター紀要.一般教養編 9 ⑴,1-8 令和2年 9 月 25 日受付 令和3年 1 月 28 日受理

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【資料 1】

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【資料

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参照

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