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カール・レンナー「民族の生い立ち」

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岡山大学経済学会雑誌32(4),2001,233-253

民族 の生い立 ち」

田 仁 樹

《翻

訳》

カ ー)レ ・レ ソナ ー 【訳者解題】 オース トリア第二共和国の初代大統領 カール ・レソナーは,1950年に死去 した。死後間 もな く3巻の 『遺稿集』が出版 されたが ,民族問題に関す る遺 稿 『民族 :神話 と現実』はそ こに収録 されなか った。この遺稿は,「偶然に本 を発見」に述べ られているような経緯で,1964年にジャック ・-ナクに よっ て編集 され ,出版 されたO ここに訳出 した 「民族の生い立ち」は この遺稿の 第一論文である.1899年

,

『国家 と民族』に よって,当時ではまった く独 自な 民族問題把握を提示 した レソナーの,最晩年の民族問題論 として検討に値す るものである。 この論文の理解を助けるもの として,-ナクに よる 「偶然に 本を発見」 と題す る解説 とレソナー自身に よる 「序言」をも訳 出 してお く。 訳 出 の底 本 は,KarlRenner,DieNation:Mythosund Wirklichkeit, Manuskriptausdem Nachlass,HerausgegebenYonJacquesHannak,Mit einerEinleitungYonBrunoPittermann,EuropaVerlag,W呈en,1964.であ

る。

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233-728 偶然に本を発見 この本 は ,全 くの偶然に よって成立 した。1963年6月30日か ら 7月 1日の 夜 ,カ-ル ・レソナー夫人のルイゼ ・レンナ -の91才 の誕 生 日の 5日後 で あ ったo彼女の娘 の レオポルデ ィネ ・ドイチ ュエ レンナ-ほ ,従来母 と共有 して いた シ ェー ンブル ク宮 殿地 区 の住 まい をたた ん で ,グ ロ ッグニ ッツ (ニーダー-スターライ ヒ) に移住す ることを決めた.家具 の移送 の準備 を しているとき, レオポルデ ィネ ・ドイ チ ュ- レソナ ーは ,長年 使 って いな か った机 の引 き出 しのなかに ,あま り重要でない他 の書類 の下 にな ?た父親 の草稿 を見つけた。彼女は調べ るように と私 にそれを渡 したが ,それが従来 まだ公刊 されていない ものであることは ,す く、、に判 明 した。 大部 分 が カー ル ・レソナーの手 に よる付加 ,挿入 ,訂正 でい っぱいの草稿が ,研究 のオ リ ジナル原稿 としての価値 のあるものであることは明 らかであったo Dr.ェ リザベ - ト ・シ ュピールマ ン夫人の感謝すべ き援助 を受 け て さ らに 調べ ると,も う全 くタイ ピングされている170ペ-ジにわ た る コピーが ,す でに1951年 以来 オース トリア国立 アル ヒーフにあることが明 らかにな った。 当時ルイゼ ・レソナーは夫 の全遺稿を私に委託 してお り- 3巻 の大 きな レ ソナー遺稿集がそ こか ら編集 された- ,約7000ペ ージの膨大な残余は国立 アル ヒーフに引 き渡 されていたので,私 は 自宅で も う一度調査 し,今度 は コ ピーを発見 した。 コピー しかなか ったので ,大量 の文書 と ドキ ュメン トの う ちの明 らかにすでに公刊 された著作だ ,と私 はその時に考 えた。私 は, レソ ナーの文筆活動 についてまず まず詳 しか ったので ,従来公に引用 された こと のない 「民族 :神話 と現実」 とい う標題 を見れば ,この草稿 は私の 目をひい たに違 いないO よ り広範 な遺稿集の編集に集中的に取 り組 まね ばな らなか っ たので,1951年 には ,私は よ り詳 しい研究をお こな うことが出来なか ったo それはおそ ら く失敗 であ ったろ う。 しか し,長 く得たねばな らぬに して も, 偉大 な ものは失われ ることはない。

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「民族の生い立ち」 729 カール ・レソナーは1936年以来草稿 を書 き,1937年 に終 えたOだか ら研究 の終了以来26年が経過 した。 4半世紀 以上である。 この ような時間的隔た り は ,平和 な時代 であ って も,世代交代があるだけで も現実性 と利益を損な う に違 いないほ ど大 きな ものである。最近 の25年 の転 換 と暴風 とは ,世界戦 争 ,破局 ,原爆 , ロケ ッ ト,工業革命 ,亜大陸の成長 とい う前代未聞の不安 に満ちている。1937年 の一文書 ,それは歴史以前の時代 の ものであるように 思われ るOだがそれはまさに ,カール ・レソナーの出版物 の奇跡 であるOそ の根本的認識が時間を超 えた妥当性 もつ ことを ,彼 は書 き,生涯 書 き続 け た。 出発点 と例示 は時代 に結 びついてい るだろ うが ,方法 と目的は永遠 の価 値 を持つ。それ らは ,あ らゆ る認識 ,あ らゆ る民族 ,あ らゆ る時代 に とっ て ,教訓豊かな手本 とな るものであ り続け るo レソナーの精神的活動全体を 貫 くものは ,ヒューマニズ ムであ り,憧憶 の精神 ,人類 の将来の幸福 の精神 である。 さらに ,彼 の文体 の明快 さ,比境的言葉遣いの豊か さ,主張の農民的健全 さの力がある。われわれは この遺稿文 で も同 じ喜びを味合 うだろ う。 あたか もそれ は一昨 日あるいは一昨 々日の ことではな く,今 日の こと, じかに現代 の ことであるかの ようである。そ して実際 ,この本 の教 えることは ,紛れ も ない現実性を持 ってい る。それはなお焦眉の問題 であ り,なお50年・60年前 と同様 の問題 が ,世界的パ ースペ クテ ィブにまで高め られているにす ぎない か らであるO例 えば ,カール ・レソナーが第一次世界大戦 の時に書いた ,当 時激 しく論争 された著作 『マル クス主義 ,戦争 とイ ンターナシ ョナル』を繰 り返 し引用す る場合 ,それは単なる過去- の回顧 ではない。彼 は本質的に当 時の見解 を しっか りと踏 まえ,しば しは新たな解釈を加 え,あち こちで訂正 し,補完 し,時宜 に適 った例証 を増や している。かつて激 しく論争 され ,拒 否 された ものが ,歴史- どんなに野 蛮 で ,裂 け 目の多 い ,混乱 した歴 史 だ った ことか- の検証 を受け ,現代的諸問題 の解決 あるいは少な くとも解 明に今 日なお大 き く役立 ち うる。 12 3 5

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-730 悪い ものであれ ,よい ものであれ , レソナーの言葉 は ,古典家 の ものであ るので ,どの場合に も不変 の教義 として妥 当性 を もつ結論を引 きだす ことが 出来 るかの ようである。だが レソナー自身は,その ような無理な要求を拒否 し,噸笑 した第一 の人であろ う。 もちろん ,この本 について もその ことは妥 当す るo レソナーの民族理論 は 「人間社会 の全体か ら空間的に分離 され ,特 別 の歴史 ,言語 ,文化 に よって分け られ る人間集団を ,諸民族 に」認め る。 しか しレソナーは次 の ように付け加 えている。 「民族 は 自然 科学 的 な概 念 で もない し,民族学的な概念で もない し,社会学的な概念で もない,それは政 治的な概念である。」言語-文化共同体 であるに もかかわ らず ,それ につ い て ,例 えばスイスの ドイ ツ人やベルギーのフランス人は ドイ ツ民族 ない しフ ラソス民族 に結 びついてい るとは感 じず ,自分の国家領域 で独立 した民族 で あることを望み ,またそ うであることは ,確かに可能 である. レソナーの よ うに,その生 き様 が全生涯 にわた って多民族 国家 (Nationalitatenstaat) の 「経済共 同体」 の理念 に沿 っている人な ら,言語 ・文化 の教義が要求す るの だか ら, ドイ ツ人オース ト1)アを多民族 国家 (Vielvolkerstaat)か ら抜 き取 る意図を持 っていた と,死後 に不当に推測 された りすれば ,謹 んで謝絶す る であろ うQ レソナーがなおわれわれ とともにあるな ら,オース トリアの人民 (Volk)に固有の一民族 (Nation)の地位 を与 えることをいささか も蹟躍す ることはないであろ うo レソナーの言い方 は何 も変わ っていないO レソナーが1937年 に語 った時局 の説 明のための編者 の注記 は,決 してそれほ ど多 くは必要 ではなか った。 レ ソナーの詳論 は ,歴史的な知識 にかけ る者に も容易に理解す ることが出来 る だろ う。注記が編者 の ものである場合には,(j.h.)で示 され る. カール ・レ ソナーの この (おそ ら くは最後 の)遺稿 を ,彼 の仕事の最良の ものだ とみな しうるとい うしっか りとした確信を もって ,この前書 きを終 えることがで き る。

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ウィーン 1964年 7月 「民族の生い立ち」 731 ジ ャ ック - ナ ク 序言 ナシ ョナ リズ ムは ,野蛮 な情熱を もって ドイ ツ民族 を新 たにつかんだ。全 ての近隣諸民族 は ,それに よって同 じ興奮の反響を起 こした。 ヨー ロッパの 諸民族 の民族意識 の過熱 は ,新たな破 局 の脅威 を この地域 に もた ら して い る。それに較べれば ,世界戦争 の惨禍 さえ慎 ま しやかな前触れに過 ぎなか っ た。批判的な思慮が必要である。 と りわけ諸民族 の意志疎通に献身す る誠実 で犠牲的な仕事- これほ どの民族 に とって も真の献身である- を ,民族 感情 の常軌を逸 した昂進 に よって妨げ られ ,脅威を うけている者は,世界 で 民族運動が とっている方 向について明確 な認識 を得ねばな らないO この研究は ,特 に民族間題 の法的側 面 を際立 たせ る ことを 目的 に して い る。だか ら,民族運動 の経済的 ・社会的規定根拠については ,注釈的にのみ 言及 し,読者には著者 の同 じ対象についての他の著作を参照す る ように指示 す るに とどめた。法学 のなかに民族 を導入す るとい う目的にそ った方法は新 しい もので ,その結果に よって有効性が判断 され るだ ろ う。同時にそれは, 人間社会 の物質的基礎 とそのイデオ ロギ ー的な反映 とのあいだの重要 な領域 の体系的な連関を明 らかにす るとい う試みで もある。私 の確信す るところに よれば,それは ,西欧の文化世界が歩 も うとしている道 に明るい光を投げか け るであろ う。 ウィーン 1937年 2月 カール ・レソナー 民族 の生い立 ち 民族 は ,神秘 に満 ちた神話的な粋 に よ り結 びつけ られている ようにみえる -2371

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732 人間の集合である。それは多 くの個人を仲間に し,全体 として人間社会を形 成す る無数 の結合の一つである0人間の類的生活には,その胎内か ら数千年 を経て,一時的な徒党か ら持続的な社会 まで,た とえば同 じ学校 で学んだ も のが互いに接近す る同 じ考えのゆ るい粋か ら,戦場で一つの連隊に結びつい た固い志向性に至 るまで,多様な形態の共同体がある。 しか し,個 々人のこ の ような集団形成を引 き起 こす粋の持続性 と強度 とは,必ず しも決定的な メ ル クマールではない。 まず ,かな り長い期間 ,法や慣習がそれをつかまえ, 是認 した り,否認 した り,強め支えた り,闘った り,抑圧 した りす ることな く,事実上存在す るにす ぎない集団観織があるO こうして,社会的権力 とし ての慣習や法が成立 し出現す るはるか以前の原始時代に,ほ とん ど純粋心理 学的な基礎の うえに,秤 (Horde)の内部の血統関係が確立 し,後には じめて 家族 とい う法的刻印を受け取 るのである.家族が徐 々に一緒に居住す ること で,法律で区切 られ ,自分の法を持ち,団体 として組織 され る町村が ,今 日 なお生成 している。大工業は,なんらの共同体制度 もな しに,初めて-経営 内に労働者群を集めるO法秩序が- 相当に遅 く- この新 しい集団をつか まえて ,経営評議会や工場共同体に よって ,事実上お よび法的な存在を保証 す る。 この現象は次の ように特徴づけ る ことがで きる。 人間 の共 同体生活 は,常に新 しい純粋に事実的な集団を土台 として生みだす。後か ら法はそれ を法的諸関係や法的諸制度 とい う規範に よって解釈 し確定す る。通常 ,事実 上の発展は,まず土台あるいは基体 (Substrat)をつ くり,後に法はそれ を 法制度に高める。 しか し,法的に確定 された基体 とともに ,法の外部に,め るいは法に逆 らって,多少 とも権力のある集団がなお存続 し続け る。 ときお りそれは法の圏域に入 り込み,そ こで一時 もち こたえ,再びそ こか ら抜け出 る。数世代にわた って,決闘は単なる法 の外部 の純粋 な社会学 的現象 で あ り,封建時代に法的秩序が現れ ,市民 的立法 に よって法 の圏域か ら歩 み 出 て,法律外の名誉 ある正当防衛 ,あるいは不法行為 と説 明された。 どの よう な法的制度 も,その人頼学的 ・社会学的基体をもち,経済的基体を もつ o L

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「民族の生い立ち」 733 か しどの基体 も法的制度 に連す るわけではない といえる。 この点については ,事実婚が興味深い例 を与 えて くれ る。古代 の ローマ法 では ,それは法的には とるにた らぬ もので ,法的関係ではない。後期 の ロー マ法では ,共棲 として保護 され る法的関係である。教会時代には不法 で,犯 罪的で さえある関係であ り,市民の時代 には,再び純然た る法律外 の関係 と な ることが多 く,社会立法 の初期には ,多 くの国の社会立法において ,再 び 法的関係 となる (「生涯 の伴侶」 の生活諸要求)0 われわれは基体 と制度 との区別を重視す るので ,また別 の例を挙げ よう。 労働者 の組合は ,元来は刑法に よって重 く罰せ られ る不法 な共 同体 である。 市民的な結社 の 自由の獲得 に よ り,それは法 の圏域にいわば一歩を踏み入れ たOそれは合法化 され ,結社法や特に英国法では珍 しくない特別立法を基礎 としているO Lか したいていは ,この合法 化 は物 事 の半 分 で しか な いo 通 常 ,市民的権利能力お よび組合 の決議や締結 され る契約 の強制力は与 えられ ないままであるo最近 の立法において ,組合に集団的契約を結ぶ権限が与 え られたので ,組合 の法的な存在が重みを増 した。それは決 して法人格 ではな く,後 にフ ァシズ ムの諸 団体 においては ,もちろん基本諸機能が奪われては い るが ,ほ とん ど国家機関に高め られているのが兄いだ され る。そ して特徴 的なのは ,魁合 の合法化 と国家化 とが再 び国家 の内外 で労働者 の非合法な闘 争諸 団体 ,法 な き基体 (!)をただちに生みだ した ことであるo この例は ,純然た る事実的 ,自然的な基体 と法的制度 との矛盾がいかに法 の歴史を彩 ってい るか ,それが現代を理解す るのにいかに寄与す るかを ,十 分に明 らかに して くれ る。 最大規模 で歴史的に最 も価値 のある社会学的集団は ,い まで も民族 (Na -tion)である019世紀 の初めには ,法的に無 であ ったが,19世紀を通 じて ,氏 族 は事実上ほ とん どすべてにな ってい る。法学的思考 に とって非常に興味深 く教訓的な現象は ,どの ように民族が ,徐 々に多様 な回 り道を しなが ら,負 初は受動的に ,最後 には能動的に ,法 の圏域 に入 って きたのか ,どの よ うに

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-734 民族が,初めの衣装を徐 々に脱 ぎ捨て,ついに 自分の名前で世界の舞台で法 的制度 として登場 し,歴史に残 るようになったのかであるO この法学的側面での発展を解明す るのが ,この研究の第一の対象である。 それに もかかわ らず ,この発展は決 して完成 していない。われわれが示す よ うに民族的理念は法の分野でなお進行中である。 しか し,それが どこに進む か とい う方 向は これ までの経過か ら読み とるべ きことであるoそれについて 明確な ことは何 もないOそれを獲得す ることが ,実践的に最重要な ことだ と 思われ る。 私法 ,国法 ,国際法 ,どの法的秩序 か らも離れ て ,近代 の民族 は成 長す る。民族の起源 と成長を追跡 し,なかで も法学者の眼で吟味す ることは,今 日なお決着のついていない民族概念 の必要な解明とい う点で も有益である。 知識 と実践の他の分野で,この分野におけ るほ ど意識的に作 られた多 くの望 ましくない混乱が支配 している分野はない。 この分野におけ るほ ど,科学的 認識方法が素人的に扱われて,神話を もって認識に代えることが可能な分野 はない。 第一に,人間は自然科学 の研究対象であるo 自然科学者は,人間のなかに まず 「ホモ ・サ ピエ ソス」 とい う動物学的種を兄いだ し,その肉体 と生命機 能を研究す る。解剖学者 と生理学者である。 自然科学者は,肉体 とな らんで 人間が生 きている土台を研究す る。植物的お よび動物的な環境 ,この環境に おけ る生命 と繁殖の生理学的経過 ,種 の適応 , 自然淘 汰 と遺伝 ,骨格や筋 肉 ・神経観織の相違 ,様 々な髪や皮膚の色に よる変種の形成である。彼 の観 察 と記述 の成果は,個体の解剖学や生理学 とともに,人種の確定 ,様 々な人 種 ,亜人種 ,種族 の区別 ,お よび人種や種族の混合の証 明である。 人文地理学は,空間的区分 ,地域的混合 ,この混合物 の絶え間ない移動に ついての錯綜 した像を幾分か解 明 している。適応 と淘汰に よって発展 し,過 伝に よって確定 され ,闘争 と略奪 ,奴隷制に よる移動 と混合に よ りさらに混 乱 させ られ る人種 ,種族 ,混合人種 ,混合種族は,全 く自然科学的,動物学

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的 ,人類学的な概念である。それ らがそ こに限定 されている限 りは ,これ ら 学 問分野はそれを越 えていかなか った。その学問領域には,民族 とい うよう な概念 は席を持たない0人種 とい う契機 に最 も重 きを置 く者は ,いまだ決 し て民族 と見な され るべ きでない全 く未開で野蛮な部族を例外 として ,おお よ そ純粋に人種的な民族 (Volker)は存在 しない こと,人種 と民族 (Nation)は 概念的に同一 の認識面にあるものではない とい うことに異論はない。

地表 の多少 とも区切 られた部分に居住す る種族集団 (Volkerschaft) は , 歴史以前 お よび歴史時代 の混合を基礎 に している.民族誌 (Ethnographie) と民族学 (Ethnologie)が ,それについて研究 してい る。それは,種族集団の 今 日の人間社会 に至 るまでの上昇 と地球 の表面全体への移動 とをあ とづけ , その未開の共 同生活 を記述 し,風習 と制度を描写 し,種族集団が群か ら簡単 な国家形態に移行す る段階で見放すO この段階で ,人間社会は特別 な研究 の 対象にな り,社会学者に出番が来 るよ うな諸 形 態 を とる。 しか し社 会学者 は ,民族学者 の手か ら種族集団を受け取 り,よ り一層 の発展 の道を拓 いた。 社会学者は経済的 ,家族的 ,法的 ,国家的な諸関係を徹底的に研究 し,人間 の共同関係 と共同行動 の基本諸形態 ,支配 と服従 ,労働共同体 と分業 ,共有 と分有等 々,を確定す る。社会学研究 の次の対象は国家に構成 された種族集 団である。 その際 ,この学 問の どの後継者 も先行者を基礎 とし,その成果を受け入れ 継続す るとい うことは当然 の ことであ る。 多 くの種 族 (例 えば ,ブ リ トン 人 ,ザ クセ ン人 ,ノル マ ン人)か ら,国家的組織 のつなが りに よって一つの 民族 (Volk)が どの よ うにで きるか ,民族が奴隷制 の法的整備 に よって異部 族や人種 の一族 を どの ように受け入れ ,解放 とい う法制度に よって同化す る のか ,に社会学 は注 目す る。今 日では疑 い もな く一つの民族 (Nation)で あ るイタ リアの住民は ,古代 イタ リア人だけでな く,共和国の拡大時代や初期 の帝政時代に古代 の奴隷市場か ら補充 されたすべての人種 の成員を原構成員 に しているo後者は ,解放 と,後 にはキ リス ト教化 に よ り,融け込 んでい っ -24 1

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-736 た。 ロー ドス島の奴隷市場 では ,ローマ共和国の最後 の世紀以来 ,戦争捕虜 としてあらゆ る人種 のオ リエ ン ト人や アフ リカ人だけでな く,イベ リア人 , ケル ト人 ,ゲルマ ン人の奴隷がいて , ローマや属州 の権力者や富裕者 に 買われ ,彼 らの家や ラテ ィフ ソデ ィアで こき使 われ ,互 いに混 じ り合 い , - ス ラの コルネ リアの ように- ,数万人が解放 され ,その子 どもは ロー マ市民にな る。帝政 の初期に ,数十万のオ リエ ン ト人が ,当時知 られていた ヨー ロッパにあふれ ,土着民 と混 じり合 う。彼 らの伝来 の人種的特性 と血縁 的特性 は,キ リス ト教 の中で解消 し,カラカラ帝 の下 での帝国の全 自由民へ の ローマの市民権 の賦与に よ り,最終的に消失す る。北部 でのゲルマ ン人の 侵略 お よび南部での ノルマ ン人 とアラブ人に よる侵略に よ り,別種 の血が こ れに加 え られた。確かに ,イタ リア人が今 日一つの民族 であることは ,誰 も が認め るに違 いない し,それを否定す る者は誰 で も笑 い物 にな るだろ うが , イ タ リア人その ものが限定 された意味で一つの人種 であるとい うことは否定 されねばな らないo だか ら社 会学 者 は ,民族

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と混同 しない よ うに用心 し,同時に ,諸種 族 集 団 ,諸種族 ,諸人種 の存在を無視 しない よ うに用心 してい る。人類学者は , 第- に血縁共同体に 目を付け ,そ こか ら出発す るO彼 は ,チ ンギス- ソが世 界を征服す るのに出発 したモ ンゴル軍団が大体において血縁共同体をな して いた ことを確認す るだ ろ う。民族学者は ,それ とともに居住共同体に も注意 を払 い,在住 のケル ト-イ タ l)ア人 と,流入 して来て定住 したポー平野 の ラ ンゴパル ド人 とが混 じり合 ったので,単一 の血縁共同体 は もはや問題 にな ら ない ことを ,は っき りと確認す るであろ う。だか ら社会学者が研究す る課題 は ,一方 では ,どの ように して血縁的 ・血統的特性が ,居住共同体 に よって 徐 々に解体 され るのか (例 えば ローマにおけ る貴族 と平民),他方 では ,例 え ば国家共同体は ,今 日のイ タ リアでは ,南部のシチ リアや北部のアル プス周 逮 ,従 って異質な定住地域を統一 し,移住や通婚に よって徐 々にその住民全

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「民族の生い立ち」 737 体 の中で調整を とってい るのであるが ,どの ように してその国家共同体が , 居住的特性 を徐 々に架橋 しているのか ,とい う問題 である。 国家の創設に よって ,今や 「国家領域 (Staatsgebiet)」 とい う法的な名辞 を持つ地表 の一部分の住民は,「国家人民 (Staatsvolk)」,ローマ式 では 「人 氏 (populus)」 とな る。国家領域 と国家人民は ,ここでは国家概念 の二つ の 非常 に 目立 った標識 である。 国家人民は ,例外的には- チ ンギス- ソの軍団の ように- ただ一つの 種族集 団か らな ってい るが ,通常は複数 の種族集団の混合 ,-種族集団の他 の種族集団に よる征服か ら出発 してい るであろ う。それはいつ もただちにそ の土台か ら浮 き上が り切 り離 されている法的形成物 である。 国家領域で出会 い,国家主権 に よって国家成員 として組 み入 れ られ る者 が ,国家 人民 に属 す。啓蒙的な説 明は ,数千年 にわた って, ローマの市民権の拡大を教えてい るOそれは ,もともと十中八九貴族に制限 されていた ものが ,徐 々に平民に 広げ られ ,その後都市 の 自由民全体 に ,さらに中部イ タ リアの ラテ ィウムや イ タ リアの諸 州 に ,紀 元3世紀 には世 界 帝 国 の全 自 由民 に広 げ られ る。

「ローマの人民 (populusromanus)は ,近代的な意味での国民をなすのでは な く,ただ国家人民をなす のである。然 り,古代 ,中世 ,初期近代はただ国 家人民を知 っているだけである。中世 の批判的学説 は ,世界を包括す る一つ のキ リス ト教 とただ 「市民 と王家」だけを知 っているOそれは,「諸民族上 種 々の民族 が住 んでいる都市支配 と領域支配であ り, ローマ帝国に適 当な も

のである。後 に見 るよ うに ,近代 の始 ま りが ,初めて近代的な意味での国家 を作 り出すO言葉 の特殊 な意味 での諸民族 (Nationen)は ,だか らヨー ロッ パ史 のず っと新 しい形成物 であ り,類似 の ものが過去にはなか った。 しか し なが ら,一般的な語義での国家 は よ り古 く,我 々はその言葉 で,今 日の国家 の先行物 を まず問題 に しなければな らない。 古代初期か ら中世 キ リス ト教社会 の歴史は ,すでに諸 国家 の歴史である。 それは ,狭 く限定 された都市国家 と近郊を含む都市国家 (アテネ ,最初期の -243

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-738 ローマ,スパル タお よびマケ ドニア)か ら途方 もな く拡大 した ローマの世界 帝国までの,非常 に多様 な形成物 の多彩 な見本帳である。 これ らの諸 国家は 明 らかに法 の形成物 ,国法 と国際法 の形成物であ り,その基本標識 は ,区切 られた国家領域 の中で一つの公的な権力の下 で法的に統合 されている一つの 国家人民であるO この法形成物 は 自由な空気 の中を漂 っているのではな く, 固い基礎 あるいは基体に基づいてい る。法以前の 自然的事実や基体 として , 従来数え上げ られていた地理学的 ,民族誌的お よび社会学的なすべての基礎 がそ こに入 り込 んでい る。それ らは ,あ る部 分 は法 的 な刻 印に よ り固定 さ れ ,ある部分は改変 された り新たに作 られ ,ある部分は否定 された り無効を 宣告 されてい る。 国家 と法が企 てた鋳直 しと刻印の過程 は ,次の例で示 され るだろ う。貴族 の血をその血管 に持 っていた り,ローマで生 まれた り,そ この出身であった りす る者は ,今や 「ローマ人」 ではな く- 血縁共同体 と居住共同体は法律 に よって無効であると宣言 されている- ,例 えば同化 した ケル ト人である ヴ ェルギ リウス,パ ウロの よ うなユダヤ人 ,セム系 の出 自の ローマ皇帝- リ オガパルス,イ l)リア人の血統 のユステ ィニア ヌスの ような ローマの市民権 を持 ってい る者が,「ローマ人」なのである。歴史 の どこかの段階で ローマ人 を民族 (Nation)と特徴づけ るな ら,言語的 ,論理的 ,歴史的に正 しくないで あろ う。 同時に ,国家 とは最高の歴史的な完成 ではな く,血縁共同体 の最終 的否定宣言であるとい うことがわか る。 ローマ帝国の中で ,その国家的装置 の表面 の下 で ,実効法 の外部で ,それ に逆 らって新たな社会形成がお こなわれ る。それは全 く新 しい性格 の社会形 成であるOそれは ,居住共同体 に も,血縁 ,人種 ,種族集団 ,国家 人民の共 同体 に も基づかず ,何 らかの他 の従来か らの基礎 に基づ くもので もない。従 来か らのあ らゆ る共 同体形態に反対 し,あ らゆ るものを爆破す る。それは地 球 のすべての民族 に呼びかけ ,国家人民 を知 らな い。 それ は国境 と関 係 な く,人の住む地球全体 ,経済共同体 の中に ,自分の帝国を見 出す。それは ,

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「民族の生い立ち」 739 世俗 の権力 としての既存の公的な権力に対 して,神の,彼岸の,精神的な権 力を対置す る。か くしてそれは,人間の精神生活の中に,1500年の間克服 さ れ ることのない一つの分裂を持 ち込む。地上の,世俗 の,あるいは仮の,此 岸の世界 と,神 の,聖なる,永遠の,彼岸の世界 とである。原始キ リス ト教 の共同体は彼岸の世界を生 き,初期には此岸の権力 としての法や国家 とは無 関係である。 法史家に とっては,どの ように この共同体が,その存在の一定の段階で, 最終的に法化 され ,国家化 され るのかを観察す ることほ ど興味深いものはな い。それは,200年後 に法の外部の存在か ら法制度になる一 つ の基体 の最 も 印象的な見本である。若干の反動の後 ,ビザ ンチン帝国においては,教会は まった く国家の制度 とな り,教会 ヒエラルキーは,長官 ,騎士 ,収税吏の文 官官僚層お よび職業的に養成 された将校団 と並んで,まった く統一的公権力 の一部門 となるO現代 の冷静な眼で判断すれば,ビザ ンチン時代には,今 日 では文部大臣や社会行政福祉大臣 とともにその役人に帰せ られ る国家業務部 分を,聖職者が担 っている。教会は本来国家秩序の外にある単なる信仰 ・祭 把共同体であるが ,国家的な祭柁 ・教育 ・福祉行政官庁 となる。礼拝を度外 視すれば,コソスタソテ ィヌス以前の国家 は人間の共 同生活 の この側面 を まった く看過 し,ほ った らか しに しておいたのであるか ら,大変な進歩であ るoそれは国民学校 も,公的な貧窮者 ・病人保護 も知 らなか ったのであるO ローマ帝国-のゲルマン人の侵入は,帝国の国家制度を破壊 し,新 しい国 家形儲 ,と りわけ新 しいタイプの土地制度をつ くる。新 しい支配者は,公的 権力その ものの一部である軍事 ・裁判 ・徴税主権 しか握 らない。それは教会 ヒエ ラルキーの機能をそのままに してお くO祭把 ・文部 ・福祉機能は,教会 ヒエラルキーに残 され ,なお も国家 とい う名称がつけ られ る別 の権力 と並ん で,公的権力 ,公法の権能 として残 る。宗教改革 まで ,- 国家権力の統一 を 自明なこととみな している今 日では,ほ とん ど理解できないが- 公的権 力の この分裂は維持 され ,聖界 と俗界の二つの剣の理論の中で,基本的 ・法 -24

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5-740 的な定式を得 るのである。聖界 の剣 は教皇がふ るい,俗界 の剣は皇帝がふ る う。 キ リス ト教世界全体 は ,教皇権 と皇 帝権 とい う二 つ の頂 点 を持 つ政 治 的 ・法的な統一体 である。 中世社会 の この秩序は ,近代国家を構成 している もの (最高権力の単一性 と至高性) とは非常に異な っているので ,留保 をつ けてのみ国家 と呼ぶ ことがで きるのである。 この 「キ リス ト教社会」総体 の 内部で ,種 々の種族集団 (氏族) が存在す るが ,それは徐 々に法的には無効 な ものになる。ゲルマ ン諸種族 は 「諸種族J,諸氏族 として ,遠征や侵略地域 の支配を始め ,種族法を もた らす。- 種族 の数だけ ,異な った法がある ! - これ らの法 も記録 され , ローマ法に従 って生活を続け る被征服者 の中に かな り長期間残 っていて ,徐 々に衰退 し,忘れ去 られた。それは隷属者 の血 の中で征服者の 「血」が薄 まってい くの と同 じであるo居住共 同体は血縁 の 特性 を克服 し,新 しい国家 は新 しい法をつ くる。新 しく生成 した国家 は ,辛 リス ト教世界 とローマ帝国の内部では ,その領域において皇帝の家 臣 として 俗界の剣をふ る う 「市民 と王家」 にす ぎない。 しか し今 日の意味では ,それ は国家でない し,その住民 も民族 (Nation)ではない。 いつ ,どの よ うに して ,い ったい諸民族 は歴史 に登場す るのか ? 西洋全体を支配す るこのシステムの表面 の下 で ,植物が成長す るように , 新 しい共 同体 の基礎が ,今や また徐 々に成長す る。千年 の過程 の中で ,ラテ ン語 を祭柁語 とす る中世教会 の普遍的共 同体 か ら,イ タ リア人 ,フ ラ ンス 人 , ドイ ツ人等 々の巨大な民族社会が解 き放たれ ,独 自な存在 として 自覚 し 始め る。 この発展 の動力は ,疑 い もな く言語 である。一社会全体 との個人の どの よ うな結 び付 きも,どの よ うな集団形成 も,意志疎通 の手段 を必要 とす るO この意志疎通 の手段 は ,第一 の社会形成要 因であるOそれは ,ある個人 の意識か ら他 の個人の意識-架け られ る橋 であ り,労働が肉体的 ・物質的結 合手段 であるよ うに ,精神的な結合形態であるo に もかかわ らず ,話 し言葉 は ,個人間の意志疎通 の手段 の未発達な形態にす ぎない。記憶 の中に とどめ られ ,文書に確定 され ,印刷 されて永遠化 されて ,は じめてすべての個人の

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「民族の生い立ち」 741 行 ったすべての経験 ,獲得 した認識 ,習得可能な熟練 と技術 の宝庫 となる。 ある言語に熟達す ることは,この宝庫の鍵を所有 していることである。そ し て この宝庫は,その言語を話す者が数百年 の間共有 してきたすべての文化財 を秘蔵 している。言語共同体は,同時に文化共同体である。 教会が僧侶階級を ,軍国主義が将校団を養成す るように,この言語共同体 もその ヒエラルキーを養成す るo素人 ,達人,高位者 ,最高位者 ,知識階級 の ヒエラルキーであるo Lか し,大 きな民族語の生い立ちは,非常に込み入 っている。民族移動以 後の人種 お よび種族 の混沌の中で,こちらでは ラテン語の基礎の上にゲルマ ン語を混ぜて,あちらではゲルマ ン語の基礎の上に ラテン語を混ぜて,地域 的に相互移動す る多数の地方的な方言が形成 された

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・1

2

世紀以来 ,文学 と著作に よって,大 きな経済的 ・政治的な中心地の方言が,取引 ・通信制度 の中で確定 した。持続的な淘汰 と融合の過程が,個 々の方言に優越 と優位 と を与える。再び開花 した都市 の高度な文化的才能を持つ都市市民は,封建支 配の狭い限界を越えて,交易 と取引に よ り互 いに結 びつ き,新 しい民族語 (Volkssprachen)の担い手になる。そ して民族 (Nation)が,まず純粋に受 動的で純粋に事実的な,政治的にはまだ力 のない言語共 同体 として現われ る。それは徐 々にその土地のすべての身分 と階級を融合す るだけでな く,そ の地蟻- 言語地域- のすべての人種 と種族を一つに融合す るO従来か ら の地域的単位- 種族共同体 と居住共同体- と並んで,今や新 しい単位 , 言語地域が現われ る。 この融合過程に とってほ,当然 ,土地 と住民 の政治 的な運 命が重要 であ り,この運命が ,話 され る言語だけではな く,話 し考えることの内容を も規 定す る。歴史は諸言語の性格だけでな く,それを話す諸民族 (Volker)の性 格を も形成す る。民族 (Nation)は運命の共同体に よっても確かに成長す る が,この共同体は何 よりも同 じ言語 と言語で媒介 され る文書 と文化的特性に よって理解 され るのである。運命は,言語 と文書が確定 していなければ,潤 -2 4 7

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-742 減す るものであ り,記念 とな る対象 とな らなければ ,単な る記憶 の表 出にす ぎない。著作 は運命の記念碑 である。数知れず突破 された血縁共同体 の基礎 の上に ,居住共同体 の終わ りのない移動 を通 じて ,勝 った言語共同体 の数百 年 の発展の中で,民族 (Nation)は文化共同体 に成長す る。 この状態で政 治 的に地位 を得 ることがなければ ,それはなお長 ら く単な る 「基体」に とどま る。その場合 ,われわれのなかの最 も賢 明な者が言 った ように ,民族 は単に 「植物的な (vegetativ)存在」である。それは事実上存在す るが ,法的には 存在 しない。 この文化共同体は ,三つ の方 向で支配的権力に反抗す る ようにな る。第一 に ,すべての民族 を超 える普遍的支配に こだわ り,それを打 ち立 て よ うと努 力す る教会 とローマ皇帝に反抗 し,それゆ え中世的普遍の理念に反抗す るo Lか し第二に ,文化共同体 は無数 の小国家 の支配権力に も反抗す る。その権 力は中 ・西欧全体に広が り,膨大な数 の中小国家に ,言語 ・文化共同体 の一 つの身体を分散 させてい るのである。第三 に ,文化共 同体 は中世的な身分理 念に反抗す る。その理念 に よれば ,すべての言語 の聖職者層 は一つの共 同体 なのである。すべての国の貴族層は ,その もとで同等であるが ,固有の言語 を もつ市民や農民に関 してはそ うでないの と同様 であるo教会-皇帝の普遍 国家 と領主 の分立国家 に対す る二重 の闘い と身分的分離 の克服 の中で ,初め て近代的な民族感情が ,積極的で有効 な意志 とな り,政治的力 とな り,近代 の政治的民族が登場す る。その特殊 な性質 は ,まず政治学 の対象である近代 市民国家に対す る民族性 (国民性)(Volkheit)の関係に よって,われわれに 解 明され る。民族 は ,- あ らゆ る前段階が とけ込 んでいるに して も- 自 然科学的概念 で も,民族学的概念で も,社会学的概念 で もな く,政治的な概 念である。 政治学は ,一方で上述 の諸学 問に基礎 を置いているが ,民族 (Nationen) の中に ,人間社会総体か ら空間的に区別 され ,特別 な歴 史 ,言語 ,文 化 に よって切 り離 され ,相並 び相対立 して,権力を熱望 し,権力を行使 し,意欲

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「民族の生い立ち」 743 し,行動す る単位 として現われ る人間集団を見出す。共同権力の行使はすべ ての政治のまった く固有の対象である。今やすでに民族は純粋に物理的なも の (血縁共同体 と居住共同体) と個性的一精神的な もの (言語共同体 と文化 共同体)お よび単に受動的な共属感覚 (民族感情)の領域か ら,自ら意識 し た決定 (民族意識)の領域へ と上げ られ るQそれは世界舞台で振 る舞 う者 と して現れ ,従来か らの俳優たち,国家や教会 と張 り合い,それを取 り巻いて いる対抗者すべて と張 り合 う。 しか しなが ら,民族は政治的に 自ら意識 した ものとなっても,一つの民族 的国家制度に具現 されない限 り,実効 ある法に依拠す る法律家に とってはな お不可視で,法的思考に とってはなお超越的な力のままである。諸民族が行 動す る者 として登場 しようとす るやいなや ,すでに示 されている二重の対立 の中に入 る。諸民族は教会 と世俗皇帝の普遍主義に対抗 して立ち上が り,上 に向か っては,キ リス ト教世界の集合概念 か ら精神 的 お よび政治的 に離れ る.宗教改革 とノ\ブスブル ク帝国に対す る闘争である。下に向か ってほ,請 民族 は地方分立主義 ,司教区,自由都市 ,権力保持身分に反抗す る。そ して 民族は,なお 自分の名前で権利の担い手 として振 る舞 うのではないが,-領主や身分議会はそれを支持 した り反対 した りしているので,すでに精神的 お よび政治的な勢力 とな っている。民族 の この純粋に政治的な上昇過程その ものが数百年続 くQ中世的な普遍 の完全 な解体 と民族 の力 と名 に よる身分 的 ・地方分立的な分散に対す る反抗 とは,近代的な民族国家(Nationalstaat) を完成す る。民族その ものが今や国家である。 これが近代的な民族の発生過 程である。ついには,民族 は始 ま りと違 うもの とな る。マイネ ッケはその違 いについて次の ように指摘 している (『世界市民 と民族国家』7ペ ー ジ)0「し か しこの以前の時代の文化民族に関 して言えば,国家民族 とな り,それを含 む一つの民族国家を創ろ うとす る衝動をまった く持たないことに,すでにそ の植物的 (vegetativ)性格は示 されている。それは民族の出来 るだけ力強い 形態 と活動形態を追求す るよ りも,文化的民族 としてのその存在に満足す る -249

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-744 ことが出来たであろ う

」(訳注 1) 民族の政治的な理念は,フランス革命 の勝利 に よってそ の定式 を見 出 し た。革命が宣言 したのは 「人民主権 (Volkssouveranitat)」ではない。もしそ うだ った ら,ヴァンデ-のすべての人民はその地域で主人であると宣言 し, 自分の論拠に よってパ リの権力保持者に対す る独立を正当化す ることが出来 たであろ う。 主権は,統一的で不可分な ものであ り,完全な主権は民族 (Nation)に帰 属す る。 別の言い方をすれば,民族だけが,世界で 自己の意志で振 る舞 う権利 と権 力を持つ。聖界のであれ ,俗界のであれ ,その上には どんな権力 も存在 しな い。その下にあるものは,それか ら授与 され るか ,容認 され るか して初めて 権力を もつ。民族は国家をつ くるのである。 人民 (peuple)の主権の理論は世界の民主主義運動を惹 き起 こすo Lか し 人民 とい う概念は,空間的な区分に無 関心 であ るo ル ソーに とって ,ジ ュ ネーブ市の住民は,大帝国の住民 と同様に人民であ り,民主主義をつ くり上 げ るのに十分である。 この主権概念は,身分的お よび君主政的支配形態に対 して確かに革命的である。それは国家公民の統一に よって身分的分散を克服 し,人民共同体 (Volksgemeinshaft)に対 して支配者の公的権力を委託す る か らである。 しか し,「民族 (国民)主権 (SouveranitatderNation)」とい う 概念 も国際法 (Volkerrechts) とヨー ロッパの国家体制 の基礎 の上 で革命 的 である,すなわち政治地図の上で革命的であるOそれは ヨーロッパの測 り直 しを要求す るものであるo つ ま り,それ までは国家を別様に把握 してきたC例 えば,土地所有のあ り 方に応 じたある王朝の合法的所有物である (-ラー) とか ,キ l)ス ト教 の世 界秩序の保持のための神 の道具である (シュタール)- 言語の統一ではな く信条 の統一が本質的であるとい う- とか ,人倫的理念 の実現 (- -ゲ ル)- これは決 して居住境界や言語境界や信仰境 界 に結 びつ いていない

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r民族の生い立ち」 745 - とか ,ここでは関係のないなお多 くの他 の言い方がある。 この要因 と理 念 のすべては今や退 き,民族 (国民)が世界史的人格であ り,国家は この人 格 の権力機関にす ぎない。 民族的理念 の展開は ,国家学を くつがえす。過去数百年 ,数千牛 ,国家概 念 の中に一体何 を入れ ,そ こか ら一体何を引 き出 したのか ! この概念はい ま一度単純化 され ,説 明 されねばな らな いo 国家 は ,観 織 され た民族 (国 氏)が もっぱ ら自分のために要求す る地球表面の一部であ り,彼 らは 自由な 決定 に よってそ こに公的権力を建設 し,この地表部分を経済的 ・文化的に秩 序正 しく利用す るのである。地理的基礎 を度外視すれば ,国家は言語共同体 と文化共同体その ものを与 える自由な阻織 であ り,よ り狭 く言えば ,この組 織その ものに よって設置 され る公的権力である。それに よって,国家概念か ら生ず るすべての神秘主義 は追 い払われ る。外的に見れば ,居住者が同様 に 一部の土地を排他的に加工 し,内的に観察すれば ,多 くの人 々が同様 に連合 し,自ら政府 とな る。国家 とい う現象は ,実現の規模 で区別 され るだけの も のである。 ナポ レオ ン時代 の戦争 とウィーン会議 は ,この精神的な成果を も う一度消 し去 るoウィーン会議 は ヨー ロッパの国家秩序を,「正統性原理」の上に再建 し,それは1848年 まで持続す る。 しか し,民族 国家思想は,19世紀 に中 ・西 欧に徐 々に浸透す るO マ ッツ ィ一二は ,次 の二重 の要 求 を もつ 民族 性原 理 (Nationalitatenprinzip)を掲げ る。すなわ ち,どの民族 も一国家 を- 民族 全体がただ一つの国家に ! (民族的統一 と自由) この原理に背馳す る従来 か らの支配 は,武力 に よって抑えつけ られ , ドイ ツ帝国が民族 国家 として創 設 され (1866年,1870年),このシステムの中に存在 の余地を見 出さなか った カ TJ)ック教会 国家が ,政治地図か ら消 された。 なお も世紀 の半 ば頃には ,東方的 ,半宗教的 ,半封建的な ,ツアーと-ブ スブル クとスル タンの君主国が存続 したが ,世界戦争がそれ らを転覆 させ , その土地 の上に多数 の民族 国家を設立 して ,仕 事 を完成 す る。民族 国家群 12 5 1

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-746 は ,北海か ら南はペル シ ャ湾 ,アジアの東部 では太平洋 にまで広が る。 政治的思考 の変革 と民族 国家理念に よる世界の新建設は次 ぎの ように年代 的に表示 され る

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年 ,フランス人 ボダンの 「主権」についての著作が出 版 され る(柑 2)

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年 ,イギ リス人 ホ ップズの 「リヴ ァイアサ ン」が出版 さ れ る。両著者 とも- 臣民の民族的な存在 を問 うことな く- なお領主や国 家 の絶対的主権 を国家学 の支配的な思想に掲げている。それに対 して

,1

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午 ,フ ラ ンス大 革命 は宣 言 す る。す べ て の主権 の担 い手 は民族 (国民 ) (Nation)であるとO続 いて今世紀 の前半 に ,ギ リシア,セル ビア,ル ーマニ ア,ブルガ リアが ,最初 の民族的な独 自存在 の基礎 を置 いた後

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年 ,

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71年 に, ドイ ツとイタ リアが続 く。世界戦争 の後

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年 の講和 条約締結 は ,その指導理念に従 った ヨー ロ ッパ と世界の半分の新測量を もた らすO領主主権 の宣言 と民族 (国民)主権 の宣言 との間にはお よそ

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5

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年があ り,民族 (国民)主権 の宣言 と実施 との間には

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3

0

年 が横たわ る。これ らは一 つの理念 の行軍の時間的里程標 である。 しか しそれ と同時に ,最高 の文化的 ・歴史的な意義を もつ発展過程 ,単な る感情共同体 の法律外的で純粋 に 「植物的」な性格か ら,意識的な文化的 ・ 政治的な共同体を経て ,世界の大部分を活動領域に してい る,主権を もつ国 際法上 の法人格-の ,民族 の展開が生ず るO基体 は制度 とな り,法 の歴史 の 専門用語 で表現 され る。政治的な言い方 では,「言葉が肉体にな る」とい う聖 書の言い方 は次 の ように言いかえ られ る。 「民族が国家になる」 と。 しか し,しき りに次の ような考 えが浮かんで くるo この変革 の全 内容 は こ のス ローガ ンで汲み尽 くされ るのだ ろ うか ? そ して この変革 は頂点に達 し たのだ ろ うか ? この頂上 の向 こ う側には何があるのか ? 人は,最近 の国 法 と国際法 の発展において勝利 を収めている理念複合を 「ナシ ョナ リズム」 と呼ぶのに慣れてい る。 ナシ ョナ リズ ムは発展 の究極の言葉 なのだ ろ うか ?

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「民族 の生 い立 ち」 747

[訳注]

(1)FriedrichMeinecke,Weltburgertum andNationalstaat,Berlin,1908.邦訳 『世界市 民主義 と国民国家1』 (矢 田俊隆訳 ,岩波書店,1968年)では,8-9頁に相当す るoた だ し,この邦訳は1928年 の原案第7版か らの翻訳である。 (2) ここで上げ られているボダソの著作 は,『国家論』LessixlivresdelaR6publiqueの ことだ と思われ るが ,だ とすれば出版年についての記述 は疑問である。この書物はフラ ソス語版の出版年 は1576年 ,ラテ ン語版のそれは1586年であ り,ボダソ自身は1596年に 没 しているか らである。 -

参照

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