貨幣的過少消費説について
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(2) 268. ダグ. ラスの見解. ケイソズは古典学派のなかではマルサスが有効需要の不足という︸﹂とを考えたが︑かかる考えはその後完全に姿を. 消し去り︑マーシャル︑エヅジウォースおよびピグウの全著作においても現われることなく︑ひそかにカール・マル の クス︑シルヴィォ・ゲゼルやダグラス少佐などの見解のなかに生存していたに遇ぎないことを指橋しな. しからば︑上記のごとく︑ケイソズによって﹁有効需要の不足﹂という考え方をもつ一人とLて名を挙げられたダ グラスの見解はどんなものであろうか︒. ダグラスはエソジニアから経済研究家に転向した人で︑一九二〇年代のはじめに︑英国において杜会的信用︵ω9. ○邑s&6ということを唱えた︒彼は社会におげる購買力が財貨の全体を買いうるほど十分にならないことを説明 して左のごときことを述べている︒. 企業によって遂行される総ての支払いは次の二つのグループに分類される︒ A←賃金︑給与︑配当によって個人に支払われるもの︒. B←機械︑原料の買入れや銀行からの借入れに対する利子支払い等々で︑他の組織体に支払われるもの︒. 右のうち︑Aは消費者の購貿力を形成する一﹂とになるが︑Bはそのようにならない︒しかしAもBもともに企業に. とっては生産費であり︑従って消費財の価格のなかに含まれなげれぱならない︒すなわち︑消費財の価格はAプラスB. であるが︑購買力はAになる︒その結果︑もしもBに等しい購買カがつくられなげれば︑生産は停止Lなげれぱなら. なくなる︒これは︑ダグラスが一九二〇年に著わした﹃信用のカとデモクラシー﹄︵o屋事七〇奉脅竃︷∪①昌oo轟ξ︶ ︶ ⑫ 臼︺. 等において説明したもので︑一般にダグラスの﹁AプラスBの定理﹂といわれるものである︒. 460.
(3) 269. さて︑ダグラスによると︑現在の経済制度のもとでは︑経済の発展は中問生産物の増加を必要とするが︑生産され. る中間生産物が多くなればなるほど︑個人が消費すべき財貨の価格はそれだけ高くなり︑また︑生産要素としての労. 働の地位は相対的に︵すなわち資本と比較して︶低くなる︒すなわち︑上述したAとBとの企業の支払いで︑Aに比較. してBの地位が大きくなる優向があるから︑AプラスBとAとの開きも益々大きく︑しかもそれは累積的になってく. る︒そこで︑かかる開きを埋め合わすために購買力を増加しなげれぱたらたいのであるが︑ダグラスによると︑その. 購売力の源泉は貸付信周︵一〇彗o屋肇︶と輸出信用︵Φ老o昌o屋葦︶である︒しかし︑総ての産業国が輸出増加のた 4 めの競争をやれぱ︑その行きつくところは戦争であるといっている︒. しからぼ︑不足した購買力を貸付信用で埋めるとして︑それは具体的にいかにしたらよいのか︑この政策について. ダグラスは︑さほど明瞭なものを示してはいない︒彼は︑消費財の価格と購買力との差を銀行の信用にょって埋める. ︵2︶価椿を社会の人々の購買. ことも考えられるが︑銀行は私的機関で︑その行動目標が杜会のそれと必ずしも一致するとはかぎらないとして︑. ︵1︶大蔵省が購買力の不足分だけ政府顔幣を発行して︑これを消費老に与えるが︑. 力に等しいところまで引下げさせ︑本来の価格と購買力との差額を︑生産者に政府紙幣を与えることにょって補うべ. きことを提案した︒しかも彼はこの︵1︶と︵2︶のうち︑︵2︶の方がよいとしている︒というのは︑︵2︶による. と︑績果的にみれぱ︑社会の人々が欲した瞬問に購買力が与えられたと同じことになるし︑現代杜会の心理に照して も︵1︶よりははるかに適応性があるからである︒. ダグラスの見解は以上のごとくであるが︑これが余りにも幼稚で︑﹁AプラスBの定理﹂それ自体が誤っているこ. 旬 ︵. とは︑改めて説明を加えるまでもないであろう︒すなわち︑﹁経済組織は均衡状態にある限り︑購買力の不足は到底. 起り得ないのであるが﹂︑ダグラスの見解は﹁均衡がいかにして破壊されるかにっいてのなんらの説明を加えること. 461.
(4) 270. ⑯ なく︑従ってその主張は漢然たる推測に基づくものといわざるをえない﹂のであり︑︑ミイド︵−甲旨塞宗︶にいわ つ ︵ せれぱ︑﹁まったく信じ難いものである﹂︒. しかし︑クライン︵F声冒①ぎ︶は︑一九三一年にダグラスが著わした﹃デモクラシ・−への警告﹄︵オ費邑轟UO■. 昌o實ξ︶において︑ダグラスが﹁AプラスBの定理﹂におげるBの内容を︑企業が準備のために行なう引当金︵主と. して減価償却費︶に限定したことを指摘し︑更に︑もしもダグラスがBの内容を︑企業家の置換えや更新のためにおこる 割 経常支出に対応したいところの金融的準備に限定していたら︑﹁ケインズの貢献の一先駆を彼に見出すことができる﹂. としている︒すなわち︑ここにケイソズ﹃一般理論﹄における使用老費用︵豪震8邑の概念に近いものが見出され るわげである︒. なお︑ダグラスの見解の背後には︑彼が元来︑技術家であったためか︑杜会の停滞の原因の一つとして︑産業の能. 率を考え︑﹁その焦点を現実の生産量が潜在的生産量に較べてどうなっているかという点に合わせ︑⁝⁝われわれの. 経済体制が無能カで︑消費者をして市場の商品を一掃させるに充分在購買力を分配する−﹂とができないという理由か 釧 ら︑われわれは常に潜在的能力をはるかに下廻わる生産を行っているのだLという思想があったこと︑そして︑彼が ⑩ 産業の能率を上げるために︑生産遇程の技術的改善と太陽ユネルギーの利用を唱えていることも注目すべきである︒. Ol籟. Uo目Oq茅眈一〇﹃oまけ−勺o峯①H鶯昌O. ∪o昌oo﹃凹oきH㊤〜9ヲN一. 註ω一−一昌.宍①︸冒轟一↓−嵩ΩO目竃巴弓−OO員O︷向昌亘O︸冒O目戸家箒冨9顯目O雲O昌①5H㊤ω90︒ωN一邦訳四〇頁O ②. ρ声UO目魁鶉一〇PO津.一P轟1. 図形による説明茄行なわれているo. ③ ここの定理は彼の多くの著書で説明されている︒たとえぱ﹃信用の独占﹄︵↓ぎ⁝9名o気o︷9&芦H㊤曽︶の三一頁では. ④. 462.
(5) 271. 一三六頁o. 峯■肉昌ぎ一〇ユ窪ω印目OO着−①9岩oo9や旨︒邦訳=二五頁︒. 亭−戸や彗・邦訳. −.向.竃o顯邑o⁝Oo昌ω目員δHω︑OH①庄寓剋目Oζ目o目筍−o㌣昌5目戸−⑩㏄oo1勺Ho︷胆o0. F界匿Oま一↓︸①丙毫篶色︸目穴望O旨ユOPO︒−§.邦訳一八一頁︒ 旨巨 o.H賃.邦訳一七九頁o 〇一国一Uo自閑5ω一〇po岸.︑〇一違一. ニ フオスターとキャッチングスの見解. く.. 推し進めるか︑遅らせるかによって貨幣流通に影響する諸要因について論じている︒そして︑この場合︑物々交換経. 叙述したのち︑かかる遇程で︑販売に提供される財貨への一定の需要がつくり出されること︑および︑かかる需要を. が消費財市場から出発して︑そこから生産財市場に入りこみ︑最後に原始的生産手段の所有者に帰着していくことを. この書はその大半を貨幣の流通量とその率が市場に及ぽす影響を取扱ったものである︒そして︑彼等は︑貨幣の流通. かで彼等の考え方が最初に明瞭に描き出されたのは﹃貨幣﹄︵旨o竃︸︶と題して一九二三年に出版されたものである︒. フオスターとキャヅチソグスはポラヅク財団の援助によって︑共著の形で多数の論文や著作をあらわした︒そのな. とになる︒次に彼等の考え方を説明しよう︒. の条件を吟味し︑そ−﹂からいかに不均衡が購買力の不足という形をとって起るかを説明している点で︑一歩進んだト﹂. てフオスターとキャッチングスが挙げられる︒しかも彼等の見解は上記のダグラスの場合とは違い︑経済の均衡状態. 同じく貨幣的過少消費説でも︑消費不足の根本的原理を︑貨幣ないL信用そのものの性格に帰する学者の代表とし. ⑩(9〕(8〕(つ(6)(5〕.
(6) η2. 済においては需要と供給は一致するげれども︑貨幣の出現はかかる均衡を援乱しうることが示される︒何故なら︑彼. ﹁商品の消費に支出される貨幣は︑産業のあらゆる棲構を動かす要. 等にょると︑生産が既存の水準を保つことが出来るのは︑生産者が︑受取ると同じ率で貨幣を支出する場合だけに可 龍だからである︒彼等は次のごとく述べている︒. 困である︒かかる要因が販売に提供される商晶量と正しい関係を緯持するときに景気は着実に進行する︒商品が小売. 市場に到達するよりもはやく貨幣が支出されるときに好況がやってくる︒貨幣が支出されるときよりもはやく商晶が. 小売市場に到達し続げるときには景気は緩慢になる︒景気を乱すことなく︑年々商品を動かすには︑ドルごとに︑総 刀 ︵. ての商品とつり合うだけ十分な貨幣が︑消費者によって支出されなげれぱならない︒しかも十分以上でもいげない﹂︒. 上述のごときフオスターとキャッチングスの見解は︑三年後に出版された﹃利潤﹄︵軍o津︶によって理論的に集大. 成された︒この書において彼等はまず理論を展開する揚として︑次のごとき仮定を設ける︒すたわち︵1︶一国だげ. ︵3︶物価水準は安定し︑貨幣量は一定であるとする︒この. の全企業を取上げ︑これが垂直的ならびに水平的な統合によって一企業形態にたっており︑︵2︶社会の所得の源泉と しては賃金︑配当金︑および絵与だげがこれを構成L︑. ような仮定のもとで︑もしも財貨が生産されると同じ期間内に賃金および給与が受取られ︑かつ支出され︑他方︑か. かる財貨は次の期聞で売却され︑しかもその結果生れた利潤も同じ期間に分配され︑且つその受領者によって支出さ. 到 ︵. ﹁企業は︑その生産物の販売価格によって消費者から受取った全貨幣を或る方. れるとし︑この遇程が連続的に続いていくものとす︒れば︑そこでは生産された財貨を売ることの困難は存在しないこ とになる︒すなわち︑−﹂の場合には︑. 法で消費者に返還し続げ︑消費者はその受取った総ての貨幣を支出する⁝−﹂ことになるからである︒. しかし︑フオスターとキャヅチングスによると︑上述のごとき過程は実際には簡単に破られてし童う︒たとえば︑. 企業はその利潤の一部を留保して︑それを資本設備の改善に使用したらどうであろうか︒彼等の考え方では︑増加し. 464.
(7) 273. た生産物が市場に到達するや否や︑消費者の手中になる支払手段が︑かかる生産物を引き合う価格で吸収するには不. 充分たことになる︒もっとも︑かかる消費者の購買カの椙対的不足はただちに起るものではたい︒彼等は︑投資の過. 程が進行し続げていくかぎりはいか次る困難も起ら淀いという︒何故たら︑利潤の一部が留保されただげ配当は滅る. が︑留保されたものが生産拡張を遂行するのに要する労働者数の増加から︑賃金増加が起って︑配当の減少は賃金の. 増加によって補填され︑生産量と阜︑れに支出される貨幣量との間の関係は不変のままだからである︒だが︑このよう. た遼当の購買力が存在する状態は一蒔的の︸﹂とである︒上記のごとく︑時が経って追加的な生産物が市場に現われる. や恐慌が起ることになる︒すたわち︑従来通りの財貨量に追加された財貨量がプラスされるのに対し︑消費老の購買. 力の方は従来通りであるから︑既存の物︒価水準のままでは︑総ての財貨は買われないことになるのである︒. さて︑フオスターとキャヅチソグスは︑以上の如くして起る購買力不足をいかにして解消しうるかを間題にする. が︑この場合︑理論展開の前提とした﹁物価水準の安定﹂と﹁貨幣量の一定﹂という枠をはずす︒. さきに述べたところでも明らかなように︑たとえ杜会の貨幣所得量が変化しなくとも︑物価水準が引下げられれ. ば︑いままでよりも多量の財貨が購入されることになる︒そこで彼等は︑まず︑物価水準を下落させた場合にどうた. るかを間題にする︒彼等によると︑物価の下落は企業をして新しい水準で生産を維持させることを不可能にする︒す. なわち︑物価下落は利潤を消滅させ︑従って生産維持に対する意欲を失わせるからである︒物価が下落するときには. 生産費も低下するから︑生産拡張は可能ではないかとも考えられるが︑彼等によれぱ︑これは全く机上の空論で︑結. 局︑物価水準の引下げは常に生産を減退させる−﹂とになり︑なんら間題の解決を導くものではないのである︒. しからぱ︑購買力不足を補うために︑貨幣量一定という仮定を撤廃したらどうか︒フオスターとキャヅチソグスに. よれぽ︑ただ単に︑ ﹁全体の貨幣量を増加しただけでは︑かかる目的にとって十分ではたい︒新しい貨幣の流れが消. 465.
(8) くないことを指摘する︒すたわち︑彼によると︑貯蓄が賃金支払に向けられたときは間題はないが︑もしも貯蓄が耐. ところでは︑企業利潤の一部が生産拡張に使われた場合に︶︑その貯蓄額だげ生産費も増加するのであるが︑これは正し. ハイエクは︑まず︑彼等の理論においては︑生産拡張のために貯蓄が投資に向けられた場翁に︵すなわち︑既述した. る批判を通して出てきたものであり︑その理論展開の方法においても︑両考は非常に似ているからである︒. のそれに触れることにしよう︒ハィェク理論︵なかんずく﹃価格と生産﹄︶がフォスターとキャッチソグスの理論に対す. さて︑フオスタiとキャヅチソグスの見解は多くの学者によって批判されたが︑われわれは︑ここでは︑ハイエク. なかりた︒ただ︑これが公共事業と租税の減少とに関連して工夫されるべきであるというヒソトを与えたのであり︑ 勾 ︵ この点では﹁彼等はケイソズ経済学の政策的措置の先駆者であった﹂ともいえるわけである︒. えられるべきことを唱えたのである︒しかし︑彼等はこれが具体的にいかに行なわれるべきかについては明らかにし. ヅクの増減を基準にして信用制限が行なわれるような主張があれぱ︑それは有害であるとし︑消費老へ信用が直接与. 制限せられ︑それだけ事態が悪化することになるからである︒かくして︑フオスターとキャッチソグスは︑財貨スト. 要に応じて行なわれるので︑消費老需要の低下が現われたときに︵消費着への信用供与が必要なときに︶︑一般に信用は. 要なときでも︑その供給が行なわれたい結果が出てくる︒というのは︑貨幣の追加は︑通常︑生産拡張の活気ある需. を通して貨幣供給が行なわれ︑生産者の支払いによって消費老に貨幣が渡ることになるやり方だと︑貨幣の追加が必. は︑貨幣は消費者に直接与えられることなく︑銀行を通して生産者に直接与えられるからである︒しかも︑生産信用. しかし︑彼等はかかる貨幣の流入が円滑に行なわれるとは考えない︒何故なら︑現在の貨幣および信用制度の下で. 費者の手中にはいり︑それが︑そのとぎの小売物価水準で測った価値からみて︑消費者市場への新しい財貨の流れと 劃 ︵ 等しくなるようなやり方で︑貨幣が流通界にはいり込まなけれぱならないのである﹂︒. η4. 466.
(9) 久的た資本財︵機械や設備︶への投資に向げられたとしたら︑或る期間の生産物の費用は︑その資本財のその期問に. おげる消耗部分だけ増すことになる︒しかも︑ハイエクは︑彼等によると新投資によって生産費が増加する場合に︑. かかる新投資が起らない以前と同じ方法で生産が遂行されることになっているが︑かかることは︑或る一個の企業を. 取上げたときには肯定される場合もあるが︑企業全体をとれば︑通常︑新投資が遂行きれるときには生産方法の変化 5︶. を伴い︑経済は一層資本家的︵o岩一邑一堅o︶ないし迂回遇程︵Ho冒麸げo鼻君o8窒窪︶にはいることを強調している︒. 更にハイエクは︑貯蓄が投資に回って新しい生産財が生産される場合に︑フオスターとキャヅチソグスでは全く見. 逃がされてしまっていることだが︑いままで消費財の生産に雇用されていた原始的生産手段の一部が生産財の生産へ. と移行し︑従って一時的に消費財の供給が低下することもありうること等を指摘する︒また︑ハイエクは︑一概に投. 資といっても︑それが固定資本の新投資か︑流動資本の新投資かによって経済への影響が違うのであるから︑投資の 6︶ 種類を二つに分げて考えることの必要性を説き︑簡単であるが︑それぞれの場合を分析している︒. 以上でフオスターとキャッチソグスの理論に対するハイエクの批判の主要な点を挙げた︒かかる批判のうち︑われ. われはとくに︑彼等が投資の遇程で新しい生産方法が入ってくることを認めないという点に注目Lたい︒何故なら︑. ハイエクの批判のように︑もしも投資の過程で生産方法の変化があり︑従って価格の低下が企業の利潤減少をもたら. さないことが認められれば︑必ずしも消費不足は起らないからである︒要するに︑フオスターとキャヅチソグスの見. 幸−弓■句og0H與昌匝幸.O顯けo江−目閑ω⁝︸Hoφ冨︸HΦ〜90.﹈.−.. 註ω オー↓.句O段彗彗Oミ一〇娑9ぎ窃一呂O竃メ事庁庄O戸H竃O〇一七一Sメ ②. 46フ. 解では︑貯蓄と投資の遇程が十分に分析されておらず︑そ︸﹂で所得形成についても︑﹁彼等はわれわれの経済体系の つ ︵ 棉互関係を見逃していた﹂といわなげれぱならない︒. 275.
(10) p−杜o︑邦訳一七八頁o. 産構造は非資本家的になって︑恐慌は激しくたることを説き︑その立場としては︑結局︑過少消費説とぱ逆の過剰投. 資説になったことは一般の認めるところである︒ハイエク理論についての吟味はここではしないが︑筆者はいハイエ. クが﹃貨幣理論と景気理論﹄および﹃価格と生産﹄で展開した理論では︑︵1︶完全雇用が前提とされていたこと. ︵もっとも彼は未使用資源の存在が銀行信用の膨張を正当づげる唯一の事実であると屡々考えられるから︑自分の分析をかかる前提. のもとで拡大することが必要であるとしているが︶︑︵2︶利子率が安定的均衡をもたらす有力た要因となっていること︵こ 2︶ の点︑ソルニエル等も指摘している︶︑︵3︶貨幣の流通速度や取引係数が貨幣量の変化と直接的関係をもたないこと︑. 等をその特色として指摘してよいと考える︒また更に︑信用供与政策に反対した背景には︑貨幣量さえ一定にしてお. 468. 亭ご二〇.ωoべ一. ■.内.宍5ぎ一↓︸o丙o︸目霧甘印昌内①くo;饒opH虐. 句・>・︸ξOご..↓ざ勺彗邑冥O︷ω婁5胴.︐Hデ軍O津ωL津O篶9顯■OH婁窃片自9サH竃ρやNOM1 茅5一−OPNω切INト9. ハイエクの考え方とケインズ﹁一般理論﹂. ピ︒勾・ら9三ε.9ゴや−8︒邦訳一七七頁o. 三. るためには︑消費者がそれに応じて比例的に大きな貨幣所得を受取らなげればならないことを論じている︒しかし︑ 1︺. においては︑フオスタ︑.氏とキャヅチソグス氏は︑新貯蓄の助けで生産されて増加した消費財の販売を可能ならしめ. フオスターとキャヅチソグスの見解を批判し︑その足らざるところを補ったハイエクは︑﹁近年︑アメリカ合衆国. (つ(⑤(5)(4〕(ε). もしも彼等の提案が遂行されたとしたら︑どんなことが起るであろうむと述べ︑もしもかかる政策が採られると生. 276.
(11) ハイエクが︑みずからの理論が不完全展用. けば︑調整過程が進んで︑やがては均衡状態に落ち着くようた弾力性をもつ経済︵すなわち価格や所得の璽置性1︑営姜㌣. 1のない経済︶を想定していたことを指摘しうる︒しかもまた︑筆者は︑. 状態を前提としても正当であることを主張した﹃利潤・利子および投資﹂も︑その取扱った局面は﹁好景気の末期﹂. であって︑不完全雇用といっても︑恐慌ないしその後の不況期におけるような失業状態を意味しているものでなかっ. たし︑また︑この論文では︑利子率よりも利潤率に重点がおかれたとはいえ︑利潤率の背後には常にこれをチエヅク. し秩序を与える利子率が考えられていたことも注目すべきであると考える︒すたわち︑ハイエク理論が全体的な俸系. において︑ケイソズのいう古典派に属するものであることは聞違いないわけである︒. さて︑完全雇用を前提とした古典派体系に反対したケイソズ﹃一般理論﹄がいかなる体系を︑もつかの説明もこト﹂で. て︑支持的な立場にあったものの︑﹁実践的にわたくし︵ケイソズー筆者︶がこれらの諸説と別かれるのは︑ただ彼等. ︵過少消費説を唱える人々1筆者︶が投資の増加によって得られるべき杜会的利益のなお多く存在するときに︑おそら. く消費の増加にやや過大の力点をおくと考えるからである︒しかしながら︑理論的には彼等は産出高を拡張する二つ 到 ︵ の方法︵消費と投資−筆著︶の存する事実を無視している点において挽判されるべきである﹂と述べている︑﹂とは︑注. 意すべきである︒すなわち︑経済の水準ないし雇用の水準が投資によって決定されることを強調するケインズにあっ. ては︑過少消費説のごとく︑消費の増加のみを完全雇用達成の手段とすることはできなかったのである︒しかし彼に. おいても︑周知の通り︑投資がいかほど波及的効果をもつかを決定するのは限界消費性同であり︑また︑とかく度を. 遇して一方にかたよりがちにたる経済に対し︑これを調整する有力次要因の一つが消費の動きなのであるという意味. で︑消費の増加は投資の増加と両立しうるのであった︒要するに︑ケイソズはハイエクによって否定された遇少消費. 469. 改めてする必要はない︒だが︑彼が︑既述したダグラスやフオスターとキャヅチソグスのような遇少消費説に対し. 277.
(12) 278. 説の主張を再び近代的な埋論において復活したといえる︒もっとも︑これは︑上記したところでわかるように︑単な. る復活ではなく︑既述のごとく︑俸系的にはハイニクのごとき完全雇用に立脚した古典派批判を通して行なわれたわ. けである︒この点の一端を明瞭にするために︑ハイエクとケイソズの数量説に対する考え方の相違について;請触れ ておくことにしようo. ハイエクはフイヅシャー流の機械的数量説に対し︑一﹂れが一般物価水準の変化のみを閲題にし︑価格と一般物価と. の関係をないがしろにすることを非難し︑価格聞の差を変動の動機とする理論を展開したのであるが︑貨幣の量を考. えるとき︑その流通速度や取引係数を絶対額に加味すべきことを説き︑また︑流通速度や敢引係数の変化が貨幣量の. 変化によって補整されるべきであるという考え方をもっていたが︑既述のごとく︑流通速度や敢引係数は貨幣量とは. 直接関係がなく︑それは支払方法の変化とか企業の合併や分裂などによりて左右されるものと考えていたのである︒. すなわち︑このことは例えぱフイヅシャー流の数量説において︑▽がMの変化に直接関係をもたず︑Mの増減がVに. 影響するのはPの騰落を媒介にしてであると考えたことと根本的には同じであり︑従って︑ハイエクは数量説を批判 しながらも︑同じ体系のもとに立っていたといえる︒. −﹂れに対しケイソズにあっては︑貨幣は他の資本資産と同様に︑それ自体の限界効率︵昌胃口q一;−⑦雷〇一g2︶をも. っているのである︒従ってケイソズにょれば︑古典派は貨幣に対し︑それが自治的なカ︵印巨昌o旨o易巨害豊8︶を. もっていない︵すなわちそれ自体で表わされる限界効率をもっ.ていない︶という理由で︑各種資産の隈界効率の共通価値を. 決定する要因とは無関係であるという考え方をもち︑重た︑﹁価格は貨幣の限界効率︑すなわち利子率が︑貨幣以外 勾 の要因によって決定される他の資産の隈界効率の共通遇値と同列に並ぶまで動く﹂という考え方をもっているが︑彼. 自身は︑古典派のごとき・﹂とがいえるのは或る特定の場合だけで︑一般的には﹁貨幣の限界効率は︑なかばそれ自体. 470.
(13) 279. ︺ 6 に適用される要因によって決走され︑しかも︑価格は他の資本の限界効率が利子率と同列に並ぶまで動くのである一. という︒すなわち︑ケイソズが数量説的考え方から全く脱却している−﹂とが明らかになったであろう︒. −.ξ.丙黎自鶉一↓プoo①冒實巴↓まoミg向昌旦o︸昌o箏戸−算雲①g団昌匝竃o目毫一H竃9p曽血i 邦訳三九三頁︒. カー−ω雪■己鶉一〇〇目8旨七〇墨ξ竃o目g弩︸↓す⑦oq一︷睾艘①o. ﹃>一匡印︸①斤一〜ユO鶉団目O勺﹃OO冒9ざP詔8目具屋ま血OO顯昌O①邑胃OOO匝OP一崖ω切一や8.. 2︺ ︵. ﹄.竃−内毫冨ω一.︑弓序↓ぎO︷O︷婁O寄冨亀H鼻實霧戸︑.岩ω OL§. 註① 3 ︵. 岩ミ一〇.〜§.. 4 蒙巳一一ラ崖o〇一. す. ︺ 5 ︵. む. 本稿は遇少消費説に対する筆考の研究上の覚書の一つであり︑従ってそこには詳細に亘っての理論的分析は行なわ. れていない︒ことに過少消費説に対するハイエクとケイソズの批判や︑両考の体系上の相違点などについては更に深. い叙述を必要としなけれぱならない︒本稿は貨幣的過少消費説の流れをたどるとき︑それを理論的にいかに解釈した. らよいかということの一つの途を明らかにしようとしたメモであり︑その内容的た裏付げについては別の機会にゆず る次第である︒. 471. び.
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