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〔1〕各回の検討文献・論評者

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〔1〕各回の検討文献・論評者

第1回(4/27)山住正己「学ぶことと教えることの文化    史」(論評者:坂本旬、高橋智)

第3回(5/26)茂木俊彦「予後の軽快した自閉症青年の    事例」(坂元忠芳、徐和子)

第5回(6/23)三上和夫『学区制度と住民の権利』(荒井    文昭、佐藤広美)

第6回(10/13)(1)佐藤隆「戦前・郷土教育連盟の活動の         意義と限界」(大串隆吉、田久保清志)

       (2)荒井文昭「1970年代における教育政治         の展開(佐藤広美、志摩櫻)

第7回(10/27)田久保清志「集団づくりと日本的和の世

   界(1)」(黒崎勲、宮崎康則)

第8回(11/10)茂木俊彦・高橋智・平田勝政「わが国に    おける『精神薄弱』概念の歴史的研究1」(越野和

   之)

第10回(12/1)(1)山住正己『日の丸、君が代問題とは何         か』(佐藤隆、高橋智)

       (2)荒井容子「社会教育実践における職員         と住民参加の問題」(柿沼秀雄、松浦         勉)

第1回(1988年4月27日)

 今回は山住正己(教員)の論文「学ぶことと教えるこ との文化史一一問答体の系譜をたどる一一」(『岩波講座

教育の方法第1巻学ぶことと教えること』所収)の 検討を行った。コメンテイターは高橋智(教員)と坂本 旬(院生)である。

 まず、高橋は山住論文の特徴として、中・近世や幕末

・明治前半期の人物・思想・教育文化・子育て習俗につ いての幅広い知識と教養に裏付けされており、素材の選 択もユニークであると指摘した上で、以下の問題を出し た。(1)今なぜ「問答」なのかに関わって、20年前の大田 尭の指摘の援用で十分か、また、「問答」のできなくなっ ている教師と子どもの状況・原因・可能性をどのように 把握しているのか、(2)教育技術としての問答の意義と方 法について、同巻所収の中内敏夫論文「教えるという技 術の成立」は 学習(論)の重視、教授の否定・軽視 の風潮の中で、あらためて教授技術の成立の可能性につ

いて論じているが、その問題意識は山住と共通ではない か、(3)明治10年代の開発主義教授法の導入と普及の過程 の解明が、今日の「問答」をめぐる問題状況を考える重 要な資料になるのではないか。

 次に、坂本は山住論文も取り上げたガリレオの天文対 話から読みとれるように、問答が緊張感を持つための必 要条件として、異質なものがぶつかり合うこと、科学的 真理への探求心がお互いにあることの2点が挙げられる

と言う。また問答が成立した社会背景も読みとれるので はないかと述べた。その上で、このゼミでは、現代の問 題から過去を見て言えることを出し合おうという討論の 提起を行った。

 2人のコメントを受けて、山住から回答がなされた。

まず、大田の指摘について、これまで大事だと言われな がらっ突っ込んだ検討がされてこないまま今日、問題は さらに深刻化しており、もう少し踏み出して歴史的検討 を試みたのだという。

 次ぎに、中内との問題意識の共通性という高橋の指摘 は的を射ていないと述べた。むしろ仮説実験授業から法 則化までどう教えるかを問うものが多いというのである。

つまり、 学習(論)の重視。教授の否定・軽視 の風 潮という中内の指摘にも疑問が残るということであった。

以下は出席者による討論である。この中でもいくつかの 新たな論点が提出された。

 第一は検討対象になる問答の範囲である。山住は問答 体で書かれた文献に限って検討を加えていた。これに対 して坂元はそれだけでは不十分だとのべた。自己問答や 手紙のやりとりも間接的な問答であり、そこまで幅を拡 げる必要があるというのである。小沢はこの違いを、問 答の存在と問答体の文章の存在という言葉で表した。こ れに対して、黒崎は同様に探求的仕事はすべて問答を含 むが、それらが問答体で表現されるとは限定しないと述 べ、むしろ、それゆえに対象を問答体に限定しないと拡 張してしまうと指摘した。

 第二は、問答の質に関してであった。坂元はこれにつ いて、宗教上と芸術上の問答の違いを指摘した。布教に 使われるためにどちらかが必ず勝つ前者に対して、そう

とは限らない後者に、坂元はより大きな意義を見出すと

(2)

いう。

 第三は、現在の学校での問答についてであった。福島 は間者である教師は答者である生徒・児童とは異なり、

「正しい」答を予め持っており対等でないと指摘した。

したがって、そのような前提を問うことなしに本質的な 改善はできないと言う。また、小沢は問答の在り方の検 討が授業方法の革新と結び付き、さらに学校論にまでい きつく必要があるとのべた。一方、村上は間者としての 子どもという点に着目し、その場合、問と答の間より、

むしろ大多数の子どもの課題は、まず漠然とした疑問を 問として表現することだという。さらに、田久保は今日、

受験産業において問と答の間が、異常なまでに短くされ ていると指摘した。

 以上の発言・討論に対して山住からコメントはなされ なかった。出された問題は今後研究を深め、次回の執筆 に生かしたいということであった。

 今回のゼミでは、ここで紹介しきれなかったが活発な 発言がなされた。まとまった討論とはならなかったが、

それぞれの専門・問題意義にねざした発言が多く、それ だけ広い視野を持った検討ができたとも言えよう。(文 責 宮沢康則)

第3回(1988年5月26日)

 茂木俊彦(教員)の論文「予後の軽快した自閉症青年 の事例」(『人文学報』Nα.2011988年3月)の検討を行 なった。コメンテーターは徐和子(D2)、坂元忠芳(教

員)。

 徐は、茂木論文の特徴として、1事例の特性(大学を 卒業していること、改善の方向に向っていることなど)、

ll self−insightを通して自分自身をみつめていけるよう な訓練で、障害の改善をはかろうとしている点、m事実 に基づいた研究、という3点を挙げた。そして徐の質問 は主に自閉症の障害とおよび自閉症の治療・教育の見通

しについてであった。以下、その主なものを挙げると、

①ウェクスラー法は自閉症児がもっとも欠けている言語 の領域に依存したテストであると批評されているが、こ の方法を採用した意図はなにか、②「自閉症児の全般的 転帰は楽観的なものではない」といっているにもかかわ らず、Kにたいして楽観的な見方をしているのはなぜか、

③自閉症についてはその原因・治療方法がまだ充分に明 らかにされていないが、その中で本事例についての臨床 方法の展開をどのように考えているか、④「母親との緊 密な結合関係からの離脱」(P85)が必要であると考え

る根拠はなにか。

 茂木は①について、ビネーと比較すると言語性・動作 性の両方を測定することができるのでこれを採用したと

答えた。②については、普通この年齢では色々な矛盾が 吹出してくるのに、Kにはそれがない。経験的にいって 退行現象やてんかんなどはありえないだろうと考える、

と答えた。③④については、Kは現在安定状態にあり、

さらなる発達のためには、それを1度つきくずす必要が ある。とくに対人関係で言えば、母親との関係が緊密に なっており、母子ともども相手を客観化してみることが 現在非常に大切になっている。具体的にはKを同年齢の 青年集団の中に入れることが必要になっている。また、

今彼に勉強を続けさせるよりも、就職させて新しい世界 の中に入れたほうがいいのではないかとも考えている、

と答えた。

 坂元はまず最初に、本論文を茂木自身の教育実践をと もなう教育心理学的研究と特徴づけ、実践と研究の両者 を追求しつつ統一しようとする茂木の態度・努力に敬意 を表すると述べた。その上で坂元は次のようなコメント をした。①これからの茂木の研究の展望と、その中での この事例の位置付けはどのようになっているのか、②研 究のアプローチがやや主知主義的ではないか、感情の問 題をどうするのか、③Kの大人性に対する考慮が不足し ているのではないか。

 ①にたいして茂木は、知的発達と人格発達の関係の問 題を、障害者(児)を研究対象として考えていきたいと 思っており、本事例ではその研究に適した事例であると 述べた。②については坂元の指適を認めた上で、感情の 問題を研究対象・成果にしていくのは非常に難しくそれ はこれからの課題だと述べた。③については、Kは知的        の 発達と人格のずれが見受けられ、Kの大人性は形式的な それとして考えられる。Kの知的発達と人格発達の関係 が確定できず、そのためKの大人性は今のところ確定で きないと述べた。この他ゼミ員からは、どうやって大学 を卒業することができたのか(小沢)、Kはどんなこと に興味をもっているのか(福島)、自閉症が男性に多い のはなぜか(佐藤隆)、といった質問が出された(文責

鈴木忠行)

第5回(1988年6月23日)

 三上和夫(中京大学)著r学区制度と住民の権利』(大 月書店、1988年)の検討。コメンテーターは、佐藤広美

(教員)、荒井文昭(D院生)。コメンテーターは三上氏 の出席を前提とした報告を用意したが、当日は三上氏を 呼べず、著者不在の討論となったのは残念であった。

 はじめに佐藤が、本書は三上が「協働的社会化の主体 の組織過程を歴史的に実証」しようとしたものであると

し、三上が設定した第一部の課題は、①従来の国家批判

(3)

が思想的主張でしかなかったゆえんの解明②戦後改革期 とその後の教育学との「教育認識の方法についての不連 続」の摘出であるとまとめた。つづいて佐藤があげた疑 問・問題点の主要なものは以下のとおりであった。

a 三上による国家批判の論拠である市民生活と生活文  化の自律的圏域の究明こそ正面にかかげるべきではな  かったか。宗豫や五十嵐のあれこれの「暗示」の呈示  にとどまったのではないか。

b三上が評価する宮原・大河内の「教育と社会・経  済」把握は、総力戦体制を問う中で、改めて検討すべ  きではないか

c 宗像検討の妥当性・必要性

d 歴史研究(その方法論)批判をなぜしなかったか e 堀尾輝久は歴史認識において「教育の社会的定位」

 についての認識の自覚をもちえないがゆえに「思想  的」国家批判に終わっているのだと、三上の主張をと  らえてよいか

f 黒崎勲は「資本による社会化VS協働的社会化」の問  題を解きえないというのが、三上の黒崎批判のポイン  トととらえてよいか。

 次に、荒井のコメントは、とくに宗像誠也をめぐって、

「教育実践概念」の社会的主体を検出できないままに国 家批判を行なってしまった(とされる)原因を、三上が どのように明らかにしているのかを究明しようとしたも のであり、対象を第2章に限定していた。荒井は、第二 部のモチーフを読者に伝えるはずの第一部で、宗像に関 しては、宗{象が「社会的主体」を検出できなかったゆえ んを、三上が明らかにしえたかという点について疑問を 表明するものであった。

 討論では、第一部と第二部との間にずれが見られるこ とが指摘された後、三上が第2部の方法で、現代におけ る制度や実践をめぐる問題に、ラディカルな切り口をつ けているか否か、すなわち我々が発展させるべきモメン

トが存在するか否かを判断しなければならないというと ころからはじめられた。坂元は、「新しい協同性」の物質 的基礎が明らかでないのではないかと述べ、未来の構想 が読み取れるかということについて疑問を示した。続い て黒崎は、三上が「協同化」の主体の定義を明らかにし ておらず、組織展望が理論的課題だと述べた。小沢は、

新しい生活と自律のコミュニティを今日の時点で再生し ようとするなら被差別部落をあつかわざるを得ないとい う観点から、認識の枠組の問題を指摘した。

 佐藤は、松浦が学区を論じる意味を問うたのに対し、

日教組第二次教育制度検討委員会の「校区からの教育改 革」や「自由化」論のように、ある圏域への注目がみら

れるなかでそれに歴史的検討を加えた三上の意義は大き いとした。佐藤はさらに、歴史研究の部分は説得されて 読んだとしたが、黒崎は三上が提示した、学校を自分の 財産にしようとする運動・抵抗について、それはたまた ま学校をめぐる論争であったにすぎないか、教育的なも のかどうかについての吟味が不足しているのではないか と述べた。坂元も、三上においてこの運動が教育的なも のであったと実証されえているかについては、疑問が残 るとした。また、佐藤のe・fについて黒崎は、現代的 意義を持つ抵抗の存在を明らかにすることにのみ歴史的 研究の意義をみようとするのは妥当でないと述べた。

 三上の五十嵐・宗像把握の妥当性については、事実と して五十嵐が宗像にどのような批判をしたのかという点 で黒崎から疑問がだされるなど、コメンテーター以外か らもさまざまな疑義が述べられた。

 坂本旬は、宗像が価値観的立場を個人の夢厳・実践者 の主体的立場に求めたのに対し、五十嵐は方法論の中・

対象に移行させたということが、三上の述べたかったこ とではないかという見解を示した。

 佐藤のfについて黒崎は、自由民権運動で「決着」が ついたあとに、三上のいうような意味で現実的な選択肢 があったとは思えないと述べた。佐藤はそれに対し、市 場的支持か国家的支持かという選択の問題は大正期にあ り、それが現在の問題に続いていると述べたが、これに ついて十分な検討をおこなう時間的余裕はなかった。

(文責 志摩櫻)

第6回(1988年10月13日)

 前半では、佐藤隆「戦前・郷土教育連盟の活動の意義 と限界一滋賀県・島小学校の郷土教育実践の検討を通じ て一」(『教育科学研究』第7号、1988年5月)の検討。

評者は大串隆吉(教員)、田久保清志(D院生)。

 はじめに、評者によるコメントが行なわれた。まず、

田久保は(1)論文の構成と(2)論文の内容について以下のよ うな疑問及び意見を述べた。(1)全体構成に難点がある。

①第一章の比較検討が有機的に生かしえていない。②結 章の「暫定的な検討」には中途半端な印象をもつ。これ は、「本稿の第一の課題」と「本研究での主たる関心」の 関係、特に後者の位置付けが曖昧なため、課題設定が不 明確になったからではないか。(2)①第一章は結章に組み 込んで展開すべきである。②第二章について。なぜ、19 28年から島小が郷土教育実践に本格的に取りくんだのか。

島小に実践をめぐる地域の現実状況を描き出すことに

よって、実践の成り立ちとその後の変質過程の叙述に精

彩が加わるのではないか。実践対象者の具体的な様子と、

(4)

前期の島小が、実践結果をどのように総括したかの記述 が欲しい。③結章について。「島村では階級・階層差が それほど意味をもたなかった」という断定は、注記だけ では説得力に欠ける。その断定に基づき、「生産の共同 化・合理化を中核とする新しいコミュニティづくり」の 条件が島小にあったと結論することには疑問が残る、な

ど。

 次に、大串は田久保の(2)②③の指摘に賛意を示した後 で、(1)佐藤論文が明らかにしたこと、(2)学校と地域の関 係をめぐっていくつかの疑問を述べた。(1)本論文は、

「昭和恐慌」期から戦時体制期における学校と地域の問 題を郷土教育連盟の主張と行動にみる課題を追求したな かから、地域の政治・経済改造センターから村住民の訓 練・教化機関に転化した事実と、この転化の過程を島小 の教師たちが連続したもの、自らの主張の発展したもの としてとらえていたことを読みとれる。この点は、現代 の生涯学習体系への移行において学校と地域の関係を考 える点で意義がある。(2)①マルクス主義陣営の学校と地 域の関連についての主張にはどういう問題があったのか

②島小の教師は、なぜ連続したものとしてとらえたのか。

それを明らかにする際に、恐慌とそれに続くファシズム 下の戦時体制の時期の特徴をとらえた上で、「生産の合 理化」等の中味の前・後期の相違を明らかにすることが 必要ではないか。③筆者は学校が地域の政治・経済改造 センターとなるべきと考えるか。「学校中心自治民育」

以来、学校が地域住民に対する文化的・イデオロギー的 中心になることは政府の期待するところであったことか らみて、「連盟」の前・後期の学校と地域の関係のとら え方についての歴史的評価にもうひとひねり必要ではな

いか。

 両者のコメントに対して佐藤は、田久保(1)②の説明お よび(2)②の事実経過と資料の制約等について述べる以外 は、その指摘の正当性を認めたが、さらに、前期の島小 は地域の生産改造の中心センターといえないのではない か(大串)、(1)②について「本稿の主たる関心」=「本稿 の方法」である(佐藤隆)というのならば、それを方法 として論文構成がとられるべきだ(田久保)、という指 摘がなされた。

 その他に主として富田充保、松浦勉、佐藤広美から意 見が出された。富田は、まず、十分な根拠はないけれど も、前期と後期が変質したのではなく、むしろ後期には 村の改造センターとしての学校の役割が軌道にのったの ではないか、前期の教育行政への批判は画一性に対して であり、出発点の主張のなかに経済更生運動にのれる要 素が含まれていたのでは、と発言した。さらに、階層差

が少ないということと階層差が意味をもたないことは別 ではないか、と疑問を出した。松浦もまた、変質過程が 明瞭に描かれていないという立場から、次のような根拠

となる指摘を行なった。①「連盟」に結集した教師たち が「農村はなぜ貧乏するか」に注目させたことだけでは、

その実践が階級社会の現実を認識させようとしたものと はいえない。②前期島小教師が行なった教育行政批判の 質の検討が必要。③「科学的」、「自治」の中味を分析す べき。④筆者の主張である階層差が意味をもたないとい

うのは、当時の行政官僚の主張そのものではないか、な ど。さらに松浦は、「連盟」の活動の意義は歴史の課題に どうこたえたのかという観点から論ずるべきなのではな いかと意見を出した。また、佐藤広美は、精神主義的側 面と生産の合理化の側面をもつ経済更生運動を構造的に 把えてほしいと述べた。

 以上のことをうけて執筆者の佐藤は、松浦の指摘①に ついて内容紹介が不十分であったことを述べた後で、今 後の課題として2点あげた。第一に、経済更生運動と地 域という問題を具体的な実践を含めて分析することに よって、郷土教育がどういう役割を果たしていたのか明 らかにしたい、第二に戦後初期に「連盟」にみられる実 践に似たものがくり返されるので、それとのつながりを 戦中も含めて明らかにしたい、ということを述べた。

 後半では、荒井文昭「1970年代における教育政治学の 展開一rシステム論』に対する批判的検討一」(r教育科 学研究』第7号)の検討。評者は佐藤広美(教員)、志摩 櫻(M院生)。

 志摩は、①論文構成が複雑。特にボールズらの議論を 扱うところから難解。②システム論の特徴、意義、限界 について整理が不十分。③システム論に対して起きた批 判的な議論の中で、教育政治学の固有性の問題について 示唆するものは何かが不明瞭。特にボールズらの議論を どのように固有の方法論の理論と結びつけているのか、

などの問題点を述べた。続いて佐藤は、細かな疑問も含 め多くの指摘を行い、大きな問題としては3点ほどあげ た。①題材・視点が一定していない。例えば、荒井が指 摘する3点の弱点をなぜシステム論がもつのかという課 題に対してデーピスを用いているが、有効な議論が展開 されていない。②「固有性」「独自性」の中味が不明確。

③教育政治学にシステム論を適用すると、どのような教 育政治学が生じるのか。また、その理論的中心人物であ るワートの理論をもっと追求すべきではないか、など。

 これらのコメントのなかに論点となる問題が両者に含

まれていた。論文構成の問題にも関連する教育政治学の

固有性にかかわる問題がそれである。荒井は論文構成に

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ついて主として応えた。すなわち、皿(3)ではアメリカ国 内でのシステム論批判は改良的と把え、根本的批判を 行っなているのはニュージーランドのデービスであるの でそれを(4)で紹介し、さらにデービスが依拠したのはア メリカのボールズらの研究であったため関心をもち皿で 検討をしたと述べた。

 それに対して黒崎勲は、なぜ国内・国外と分けて把え、

ひと回りして国内に戻ることになったのか、荒井が教育 政治学の領域内と領域外の人を分けて把えてボールズら を領域外においたからではないか、このような論理構造 には問題があるのではないかと指摘した。さらに、それ に関連して黒崎は次のように述べた。ボールズらの議論 を根拠に新しい固有性をもつ教育政治学を確立するとい う立場に荒井が立つことには基本的に問題ないが、ただ しその場合には政治理論と教育理論が分けられるわけで はない。このことは教育参加と政治参加を別のカテゴ リーにすることができるのかということに関連し、両者 を別のカテゴリーにするにはボールズらを根拠にするだ けでは不十分である、と。続けて黒崎は、教育政治学は 教育と政治を規範的に区別しないところから始まった学 問であるのに、荒井がそれらのカテゴリーを区別してい る点に大きな問題があると指摘した。教育政治学は固有 の学問でなければならないと命題をたてて荒井は議論し ているので、ボールズらの議論にでてくるカテゴリーの 理解に正確さが欠けているのではないかとも指摘した。

 その他に参加者から出た質疑としては次のようなもの があった。坂本旬から①システム論を教育に導入したら

どのような新しい見方が出てくるのか②ハウリーのいう

「教育の独自性」と荒井の考えるそれは同じものか、同 じならば本当に独自性といえるのか③ボールズらのいう

「参加」とは具体的に何に参加するのか、また荒井のい う参加の質はそれと同じものか、と質問が出された。大 串隆吉からは、日本の教育行政における教育の独自性の 議論では、現在の生涯学習政策の問題を解明することは 不可能だと自分は考えるが、その点についてどう荒井は 考えるか、と発言があった。

 以上の議論を受けて荒井は、今後の課題を二点あげた。

第一に、システム論の検討をきちんと行うためにシステ ム論の元にある構造論というパーソンズの理論の検討を 行いたい、それによってボールズらへの見方も変化する のではないかと述べた。第二に、教育参加と政治参加と の関係を理論的にどうとらえるのかという問題は指摘の 通りであり、今後それを具体的に中野区準公選運動と区 長選挙との関係を解明しながら教育参加と政治参加の問 題を考えていきたいと述べた。(文責 浅野かおる)

第7回(1988年10月27日)

 田久保清志「集団づくりと日本的和の世界(1)一日本的 和の世界の原理とその精神一」(『教育科学研究』第7号、

1988年5月)の検討。論評者は黒崎勲(教員)と宮沢康 則(M院生)。両者とも、田久保論文について、社会科学 の諸分野における研究の成果を精力的に学んだ論文であ るという印象を述べたうえで論評を行なった。その主な 点および田久保のコメントの要旨を示す。

A.本稿の研究課題に関わって

1.社会科学の成果に対する「教育実践研究という独自 の立場から」の再構成について、その成否ないし妥当性 の判断は、で日本人の人間・集団像と対比される学級集 団づくりのめざす人間像が示されるまで待たねばならな い(黒崎、宮沢)。「独自の立場からの再構成」が何を目 指したものであり、本稿の独自の意義は何であるのかを

もっと意識的に明らかにすべきであった。

2.「序」からは、本稿の課題が川上信夫、藤本卓によっ て規定された「日本的和の世界」概念の深化であるよう に読み取れる。本稿の最後でrr日本的和の世界』と名付 ける」と言うことは「序」の記述と矛盾するのではない か(宮沢)。(田久保一藤本も川上も明確な概念規定を行 なってはいない。本稿は概念の深化ではなく確定を目指

したものである。)

3.「このような家族制度(明治民法が規定した『家的家 父長制』)のなかに生まれ、そこに生きる人々がrこの家 族制度に固有なものの考え方、固有な行動様式に拘束さ れる』という事実」を特に「重要なこと」だと述べてい るが、これは家族を問題にする場合、普遍的な前提では ないか(宮沢)。(田久保=事実としては普遍的だが教育 学のなかでは家族とそこでの人格形成に注目した研究は

少ない。)

B.本稿の研究方法に関わって

1.「日本的和」の把握方法として歴史的考察や社会心 理的考察など異なる方法を採用しているが、これは「日 本的和」の歴史的把握と文化類型的把握=超歴史的把握 の不整合、およびイデオロギー的把握と「文化的事実」

とする把握の不整合を招いている。この点を追求しない と、歴史的条件の異なる現代において「日本的和」がな ぜ可能かつ必然かを解明できない(黒崎)。(田久保一日 本文化思想研究では「日本的なるもの」は近代のはるか 以前から形成されてきたとされている。これが本稿で参 照した歴史学の分野の研究成果とどのような関係にある か、研究上の大問題だと思う。)

2.「民主的・近代的社会関係」が「日本的和」に対置さ

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れているが、「民主的・近代的社会関係」は「西欧」社会 において事実なのか。むしろイデオロギーだったのでは ないか。「所期の目的を達するため…近代主義の立場を とった」と言うが、この場合の「所期の目的」とは何か をより鮮明にすべきだったのではないか(黒崎)。

C.具体的な内容に関わって

 明治初期から敗戦までの村の性格を静止した状態とし て述べているが「日本的和」の「上からの教化」が段階 的に進められたのに対応して「下からの拡大延長」にも 歴史的段階性があったのではないか。また、「下から」の なかに「上から」のものが既に含まれていたということ はなかったか(宮沢)。(田久保一村や町の家族主義的性 格は、歴史的にかなり変化したと思われるが、いまだ解 明されておらず研究課題である。この解明が進めぼ

「上」と「下」の関係把握もより実態を反映したものに

できる。)

 論評の後、B−2で指摘された問題に対する議論がな された。田久保は「所期の目的」の内容に関して、現代 日本の状況について、企業などにおける「日本的和」の 変形とその利用が学校をも巻き込んで日常生活を規定し ていると述べ、全生研は前近代的人間の克服と近代的個 人の克服をともに目指す集団主義の立場に立っていると

したうえで、二つの課題を区分けし前者について中心的 に検討するのが本稿の「所期の目的」であるとした。「民 主的・近代的社会関係」については、資本主義的諸事実 を見れば確かにイデオロギーだが、日本の状況において は一定の進歩的な意味をもちうるのではないかとした。

松浦勉は「民主的・近代的社会関係」の思想が西欧で成 立したという事実には現実的な基盤があるはずで、単純 にイデオロギーでしかないとはいえないのではないかと

述べた。

 次にA−1の問題と関係して「教育実践研究という独 自の立場」からの研究であるなら先行研究の整理を通じ て全生研の教育実践の課題と方法を提示すべきではな かったか(松浦)、「日本的和」の教育学のフィールドか

らの解明と、その視点からの先行諸研究の再検討こそ課 題ではないか(坂元忠芳、黒崎)という趣旨の発言がな

された。また十分な論議には至らなかったが、以下の発 言があった。前近代性の問題の重要性を主張するのであ れば、近代の克服こそ重要だとする藤本卓を厳密に批判 する必要がある(佐藤広美)。田久保が引用している全 生研の研究課題については、それが60年代の半ばに出さ れたという歴史的性格を問題にする必要がある。つまり

「日本的和」が、戦前の日本の帝国主義的な海外侵略と どう関係していたのか、またそれがアメリカ占領以降、

さらには60年代以降どう変化していったのかを明らかに すべきである(坂元)。近年の全生研の「方向転換」は現 に存在する「日本的和」をすべて否定したところには実 践が成立しないという自覚の表われであると理解できる

のではないか(茂木俊彦)。これらの論点は続稿の課題 を指摘した発言でもあった。(文責 越野和之)

第8回(1988年11月10日)

  今回は、茂木俊彦、高橋智、平田勝政の「わが国に おけるr精神薄弱』概念の歴史的研究1一雑誌『児童研 究』の分析を中心に一」(r教育科学研究』第7号、1988 年5月)を検討した。コメンテータは越野和之(M院

生)。

 まず、越野はこの論文の成果として、(1)戦前の「精神 薄弱」概念の変遷のアウトラインをつかむことができた

こと、(2)1953年の文部省通達(「判別基準」)については、

その生成過程とその対抗理念の存在を明らかにすること によって歴史的に相対化できたことをあげた。しかし、

問題点として、(1)本論文は事実の指摘にとどまっており、

筆者らの「精神薄弱」概念にたいする独自の観点が打ち 出されていないこと、(2)前稿(「障害概念の教育学的検 討」r人文学報』171号、1984年)で提起された障害と障 害者の概念を明確に区別することという問題意識との関 係が不明瞭であるとの指摘がなされた。また、質問とし て、(1)「精神薄弱」に関する用語について「多種多様な 用語の登場」とあるが、それらの意味内容は同じか、

(「性格異常児」が「精神薄弱」概念から分離するといっ たような概念の外延における変化はほかになかったのか、

(2)川田貞治郎の「精神薄弱」概念と発達保障論にもとつ く「精神薄弱」概念の異同を論ずるためには、川田の発 達概念の検討が必要ではないか、(3)「精神薄弱」という 用語が外国関係の資料と日本関係の資料の間に対照的な ずれがあると指摘されているが、その検討はどこでなさ れているのか、という問題がだされた。

 高橋智(教員)は、(1)育児施設(教護施設、少年院な ど)にも「精神薄弱」児が入っていたが、総体としては 少なく、そうした領域においては「精神薄弱」概念の検 討が問題になるまでにはいたらなかった、(2)川田の評価 をするならばもっと他の論考をという指摘は正しいと答 えた。また、仮説的にでも独自の概念を打ち出せば焦点 化できるだろうが、それ自体が医学、心理学、教育学な

どの領域で現在も論争中の問題であり、そううまくいか

ないだろうということ、その点で戦後の研究動向のレ

ビューをつけると論争点をよく示すことができるだろう

し、これは次の論文で行いたいと述べた。茂木俊彦(教

(7)

員)は戦後の「精神薄弱」概念について、知的発達の障 害だけで「精神薄弱」の問題をみるのは間違いで人格全 体で捉える傾向があると述べた。

 また、松浦勉(D院生)は「精神薄弱」という言葉が 定着することによって障害者がどのように排除されるよ

うになったのかあるいは、ならなかったのかという問題 を提起した。これにたいして高橋はそういう言葉ができ たから排除するようになったということはない、もとも と排除されていたし、1920年以降は「精神薄弱」概念の 明確な定式化によってむしろ障害児教育・福祉の対象と して取り組まれるようになったと述べた。黒崎勲(教 員)はこれにたいして30年代にこの言葉が定着したこと の意味は何かという問題を出した。高橋は「教育・福祉 の拡大」のようなプラスの面と「断種」や「優性法」な

どのマイナスの面があると答えた。

 最後に坂元忠芳(教員)が日本にフランスの文献があ まり紹介されていないのはなぜかと質問をした。それに たいして高橋はビネーの紹介はされているが、医学、心 理学が「精神薄弱」研究を主導したのでドイツ語圏の文 献が圧倒的に多いと答えた。(文責 坂本旬)

第10回(1988年12月1日)

 今回の総合ゼミでは、山住正己『日の丸、君が代問題 とは何か』(大月書店、1988)と荒井容子「社会教育実践 における職員と住居参加の問題」(教育科学研究第一号、

1988年5月)の検討が行われた。

 はじめに山住の本について検討をした。コメンテータ ーは佐藤隆(D院生)、高橋智(教員)であった。

 佐藤は本書の特色として、学校行事へ「日の丸」「君が 代」を国旗、国歌として持ち込もうという働きがつよ

まっている今日こそ「日の丸」「君が代」の歴史を明らか にし、それを若者に教える必要があると説いていること を評価した。また、本書によって知らされた事実として

(1)「日の丸」「君が代」を国旗、国歌とする法的根拠はな いこと、(2)祝日の「日の丸」掲揚指示に対する民衆の不 満、批判があったこと、(3)文部省は「君が代」をまず、

祝日大祭日唱歌として公式にとりあげ、ついで日清戦争 の切迫によって愛国心がたかまるなかで学校に対する国 家統制を強め、この学校を強力な媒体として「君が代」

を広め、いつのまにか大衆にもこれを国歌と思い込ませ るようにしたのである。そしてそれによって天皇への忠 誠をもった人間を育てていこうとしたこと、(4)オリピッ

クが終わったとき、「君が代」や「日の丸」は為政者たち が期待したほどには、国民のなかに浸透していなかった

ことをあげた。L

 本書が指摘した事実の評価をめぐる若干の議論として、

(1)「国民的確信」を前提とする習慣法一「習慣法なるも のについての精緻な議論」の必要性を述べる意味はなに か。(2)明治期「民衆の不満、批判」を小川為治の『開化 問答』に代表させるだけでよいのか、つまり明治期以来 戦前、戦後をつうじて、民衆の抵抗の歴史をより豊かに 掘り起こしていく必要があるとの指摘があった。

 高橋は読後感として (1)「日の丸」「君が代」は国歌、

国旗ではないことが豊かな歴史的事実によって実証され ていること、(2)アジアに視点を移して「日の丸」「君が 代」問題をとらえ直していることの重要さを述べた。ま た質問点としては、(1)「大日本帝国国旗法案」の廃案理 由はなにか。(2)普遍人類的な「ラ・マルセイエーズ」の 評価、著者のアメリカの国旗、国歌に対する評価や、国 旗、国歌は不用であるという主張と少々矛盾するのでは ないか。(3)「日の丸」「君が代」問題の核には天皇制問題 があると思うが、天皇制への歴史的、現在的な言及が少 ないために、読者には「日の丸」「君が代」問題の本質に ついてわかりにくくなっているのではないかと疑問を提

出した。

 以上のコメントに対して、山住は全体的に頷いた上で、

国旗、国歌は不用であるという信念をもっているが、も しあるとすればラ・マルセイエーズのような歌ガ望まし いと解答された。また「大日本帝国国旗法案」の廃案理 由は「1931年59回帝国国議会は政府側の提出した法案の 審議だけで国会期間が切れてしまって、大日本帝国国旗 法案など議員個人が提出したものは審議できなかった」

という事実が、宮沢の持ち合わせた「PLAYBOY」誌

(1988年9月号)によって明らかになった。

 全体の議論では、第一に「日の丸」「君が代」問題は天 皇制の問題をぬきにはしては充分に検討できない(茂木、

高橋)、第二に国旗、国歌は国家の象徴という意味では なくなっても、民族、組合などにとっての旗(シンボ ル)のもつ意味がある(大串)、不平等、抑圧に対する闘 いまたは団結をはかるためには旗(シンボル)は必要で はないか(坂元)等が出された。

 次に、荒井容子論文「社会教育実践における職員と住 民参加の問題」を検討した。コメンテーターは松浦勉

(D3院生)と柿沼(教員)であった。

 コメンテーターから提出された本論文に対する論点は

次の諸点であった。まず、課題と方法にかかわる問題点

として、松浦は以下の3点を提出した。(1)「職員と住民

参加の問題」を理論的に整理するにあたって、筆者は特

徴的な社会教育実践概念に依拠して実践史における「問

題」の理論史的展開だけを基本的にフォローしている。

(8)

こうしたアプローチは、総体としての戦後日本の社会教 育史における「問題」を軸としたトータルな理論史の把 握を保障するものといえるだろうか。

(2)(1)のような問題点は藤岡貞彦に代表される「社会教育 実践」概念を分析・評価の基本点として60年代、70年代 の代表的理論・提言(だけ)を直接の検討対象にしたこ とがあげられよう。

 しかも筆者は自身の方法論の意義と限界について必ず しも自覚的でないように思われる。(3)職員と住民参加の 問題を軸とする理論史の整理を主要な課題としているに もかかわらず、いまなぜ「問題」を中心的視点とする職 員論ないし社会教育実践論なのかという、筆者の研究課 題の意義と有効性についてほとんど論じられてないと指

摘した。

 分析内容については、柿沼は社会教育職員の存在意義 が問われている状況から出発して同じ問題へ行きつく循 環論になっているので、なぜそうなってしまうのかが一 番大きな問題であると批判した上で次の3点を指摘した。

(1)「自己教育運動と社会教育職員の仕事との緊張」「大 衆運動と社会教育職員の仕事との緊張」この緊張を現実 の構造として、また社会理論の問題としてダイナミック に描き出すことが不可欠であること。(2)共同学習論への 反省が指導者(論)の欠如、系統学習の欠如(軽視)と いう視点から反省された旨の記述(P48左)があるが、こ の反省はその後の社会教育理論の現実にまで影響を及ぼ

しているのかどうか。(3)マス化された社会の成熟という 状況のなかでの社会教育の中心課題は何か。

 以上のコメンテーターから出された問題点については、

充分に議論が行われなかった。しかし柿沼の、「社会教 育実践において、住民が自主的に企画、活動できる文化 の水準に達した場合、社会教育職員の存在意義はないの ではないか」という意見に対して、荒井容子は「例えば、

住民の文化の水準が高まったとしても、さらに文化を発 展させるための契機として社会教育職員を位置づける」

と答えた。また、「社会教育実践」概念についての議論も あったが論文の検討時間が特に限られていたため、充分 な討論時間が持てなかった。(文責 梁戊煕)

さらに議論せねばならない問題が残されている、という 発言があった。

 p.114左1.12→第2の点については、討論の中で坂元 忠芳(教員)が、「実際の青年の自己形成史からズレをも たらすような歴史研究」であってはならないし、「遺産 史が顕彰史にならないために」もそれはむしろ「遺産史

として追求しなければならない」という原則的な指摘を

行なった。

訂 正

本誌第6号に以下の誤記がありました。ここに次のよ うに訂正します。

p.114左1.5→もう一つには、大串がこの論文をまとめ

るにあたって、対象とした水海道地域の当時の関係者と

参照

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