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平 城 宮 発 掘 調 査 出 土 木 簡 概 報 国

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(1)

一九九七年一 一月

平城宮発掘調査出土木簡概報国

二条大路木簡七

付 平城宮発掘調査出土木簡概報II旧国訂正

奈良国立文 化財研究所

(2)

図版一

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し■ ."︱;べ出卜木簡︑

六九 1 政次洲杏SDじ 仁 政 じ 出L木簡

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(3)

図版二 第二L...次調査SE一Lぴし瓦・

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図版三  一一 条人路濠状辿構南SD八 二 〇〇 出卜木簡 二

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図版四

︒条人路濠状遺構南SD瓦一〇〇出L木簡..

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図版五  二条人路濠状遺構南SD八二〇〇出卜木簡言

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(7)

図版六  二条人路濠状遺構南SD瓦フOO出卜木簡四

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(I:1)

(8)

 この概報には︑一九九六年度に平城宮 京跡から出土した木簡︑及ひ

﹁二条大路木簡﹂の一部を収録した︒

 このうち︑﹁二条大路木簡﹂については︑その整理 解読の成果の一

部を﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄二二︑﹃同﹄二四︑﹃同﹄二九︑

 ﹃同﹄三〇︑﹃同﹄三一︑﹃同﹄三二において順次公表してきた︒本号

ては︑﹁二条大路木簡﹂と給称しているSD五一〇〇︑SD五三〇〇︑

SD五三一〇の三条の濠状遺構から出土した木簡のうち︑二条大路の南

端に掘られたSD五一〇〇出土の削屑の一部を中心に収録する︒本号て

 ﹁二条大路木簡﹂の概報は完結する︒

一︑木簡出土の地点と状況

T几九六年度の調査

第二六七次調査︵6AAW区︶

︵一九九六年四月〜七月︶

 この調査は︑いわゆる第二次朝堂院︵東区朝堂院︶の南限区画施設と

朝集殿院の東限区画施設の検出︑およひこれらに囲まれた朝集殿院のう

ち︑東朝集殿の北側の区域の状況の把握を目的としたものてある︒調査

面積は約二三〇〇「てある︒

 検出した奈良時代の主な遺構は︑奈良時代前半の朝堂院南限掘立柱塀

SA一六九六〇︑これを奈良時代後半に建て替えた築地SA一七〇一〇︑ 朝集殿院東面築地SA五九八五︑基壇建物︵東朝集殿︶SB六〇〇〇の他︑溝二〇条なとてある︒これらの遺構は︑下層の奈良時代前半のもの︑下層から上層へ建て替える時期のもの︑上層の奈良時代後半のものの三時期に分けられる︒ 木簡は︑東西溝SD一六九四〇から三点︵全て削屑︒釈読不能︶︑下層から上層への建て替えの時期の南北溝SD一七三五一とこれか東折した東西溝SD一七三五二のいすれも下層の砂層から計四五六点︵うち削屑四〇二点︶か出土した︒東西溝SDヱ︵九四〇 朝堂院南面掘立柱塀SA一六九六〇の南約一〇 五mの位置てこれに平行して朝集殿院内を東西に延ひる幅約一 五m︑深さ約六〇mの素掘り溝てある︒平城宮造営当初に掘られ︑短期間のう  ・ちに埋め戻されたと考えられる︒東端ては埋め戻し後に朝集殿院東限築 I地SA五九八五を造成しているか︑SD一六九四〇はこの位置て急に浅 ・くなっており︑東には延ひない︒水か流れた痕跡を示す堆積もほとんと見られないことから︑排水なとのための溝てはなく︑宮造営に伴う何らかの区画溝と考えられる︒南北溝SD一七三五一 朝堂院東限から西へ約一〇mの位置を南流する幅約一 五m深さ約六〇㎝の素掘りの溝てある︒北端は朝堂院南限より北約二mの位置から始まっており︑これより北へは延ひない︒人為的に一度に埋められた状況を呈しているか︑北端から約一五mの位置より南は埋め土の下に水流による堆積を示すとみられる砂層か検出された︒朝堂院南限区画施設との関係をみると︑SD一七三五一は朝堂院南限下層掘立柱塀SA一六九六〇の抜き取り穴およひ上層築地SA一七〇一〇の

(9)

¥一

第267次調査SD17350 ・SD17351 ・SD17352      小地区割と出土木簡点数

   (括弧内は削屑〈内数〉)(1 300)

図1

基壇積み土の少なくとも一部を切っているか︑築地北田落溝SD一七〇

一一には切られている︒従って上層築地SA一七〇一〇の築造過程て埋

められていると判断される︒

SD一七三五一

︵掘立柱塀SA一

は︑南端て西から流れてきた東西溝SD一七三五〇

○の南約フ几mの位置て東流する幅約一m深さ

約六〇㎝の素掘り溝︶と合流し︑東西溝SD一七三五二として東流する︒

合流点ては溝の底かSD一七三五〇の方か高く︑滝状に落ちている状況

かみられる︒

東西溝SD一七三五二

折したものて︑幅約二 SD一七三五

八m

一かSD一ヒ三五〇との交点て東

深さ約一mの素掘り溝︒SD

と同時に埋められており︑埋土下層にはSD一七三五一 一七三五一

と一連の砂層か

Y=‑18270   1 Y = ‑18280

X =‑145730‑一一‑

X=‑145740一一一一

SA17010

X=‑145750一一一一

X=‑145760

H5770

第267次調査遺構平面図(1 600)

図2

(10)

堆積していた︒SD一七三五二を埋め戻した後に︑朝集殿院東限築地S

A五九八五か造られている︒

 なお︑SD一七三五〇とSD一七三五一 SD一七三五二の合流占いに

おける堆積状況からみて︑SD一七三五〇の方か他の二条の溝よりも先

に埋められているか︑ある時点まては同時に機能していたとみられる︒

これらは下層掘立柱塀SA一六九六〇の抜き取り後に掘られ︑上層築地

SA一七〇一〇の基壇築造過程のある段階まては機能していたか︑SA

一七〇一〇 SA五九八五の完成時点ては埋められている︒このことか

ら︑これら三条の溝SD一七三五〇 一七三五一  一七三五二は︑東区

朝堂院下層南門 掘立柱塀をすへて取り壊し︑上層の南門 築地なとを

造営している時期に︑朝堂院 朝集殿院の排水を行なうための溝てあっ

たと考えられる︒

第二六九︱五次調査︵6AFJ区︶

︵一九九六年七月︶

 この調査は店舗駐車場建設の事前調査て︑左京三条一坊七坪東辺部と

東一坊坊間路にあたる︒検出した奈良時代の主な遺構は︑東一坊坊関路

と東西両側溝︑七坪の東面築地︑西側溝から分流する斜行溝︑土坑︑溝

なとてある︒

 このうち木簡は東一坊坊関路西側溝SD七〇五〇からI〇点︵うち削

屑三点︶か出土した︒SD七〇五〇は幅約五 二〜六 〇m︑深さ約一

 三mの素掘り溝てある︒ 第二七三次調査︵6AAI区︶

︵一九九六年一〇月〜一九九七年二月︶

 一九九〇年の第二〇五次調査以来︑平城宮南面東門てある壬生門北方

て︑東側に式部省︑西側に兵部省の遺構︵いすれも奈良時代後半︶を確

認してきたか︑今回の調査区はその式部省の東方の官西区画にあたる︒

この区画ては既に第二二二 二三六 二五六次調査によって︑奈良時代

前半の式部省︑奈良時代後半の神祇官西院と推定される官西の遺構を検

出しており︑今回の調査はその東限の確認︑既発掘区と平城宮東面築地

の間の様相の解明なとを目的とした︒調査面積は約二四〇〇「てある︒

 検出した主な遺構は︑基壇建物二棟︑掘立柱建物一七棟︑門三棟︑掘

立柱塀九条︑溝二条︑暗渠二基︑井戸二基なとて︑これらの遺構はA期

︵奈良時代初期︶︑B期︵奈良時代前半︶︑C期︵奈良時代前半〜後半︶︑

D期︵奈良時代後半︶︑E期︵長岡京遷都後︶の五時期にわたる変遷か

ある︒木簡は︑井戸SE一七四八八から七点︵全て削屑︶︑井戸SE一

七五〇五から二言一点︵うち削屑二I○点︶の︑計ニニ○点か出土した︒

井戸SE一七四八八 D期の基壇建物北端の下層て検出した井戸︒A明

に設けられB期まて存続する︒方形横板組︵仕口は相欠き︶内法寸法二

三二心の井戸枠最下段のみか遺存し︑これより上部は抜き取られていた︒

木簡は井戸枠内から三点︑井戸枠抜取から四点︵釈読不能︶出土した︒

井戸SE一七五〇五 D期の二棟の基壇建物の間に位置する檜材▽不刳

り抜きの井筒をもつ井戸︒井筒は現存高さ約一 八m外径一  一m〜一

 三m材厚一〇〜二〇㎝︑一部に樹皮か残り︑この部分のサンフルによ

る年輪年代測定の結果︑養老七年︵七二三︶に伐採されたことか明らか

(11)

になった︒材の大きさからも転用材とは考えにくく︑設置は伐採から程

ないC期に遡る可能性か高い︒木簡は掘形から一点︑井戸枠抜取から一

四六点︵全て削屑︶︑井筒内から六六点︵うち削屑六四占ぃ︶か出土した︒

第二七六次調査︵6ALF区︶

︵一九九七年二月〜四月︶

 この調査は平城宮東張出部の南部にある園池︵東院園池︶の復原整備

事業に伴うものてある︒調査区は三ヵ所に分かれるか︑木簡か出土した

のはそのうちの一つ︑第四四次既調査区の精査︵約六八〇「︶及ひ第四

四次調査て未発掘の水田畦畔部︵約九〇「︶の調査を行なった部分て︑

南面大垣SA五五〇五の周辺の状況を解明することを目的とした︒

 検出した遺構はAO期︑A期︑B期︑C期︑D期︑E期︑F期の計七

期に分かれる︒木簡は︑南北溝SD五八三〇Bから七二九点︵うち削屑

六九七点︶か出土した︒

 SD五八三〇Bは︑上層の園池SG五八〇〇Bの排水を二条条間路北

側溝SD五二〇〇に流すE〜F期の南北溝てある︒C〜D期には︑上層

園池の排水溝としてSD五八三〇Aか機能していた︒これは現状て幅約

一 七m深さ約五〇㎝の素掘り溝てある︒溝底に五〜六mことに∇刀所︑

一対の横木か遺存しており︑横木の上に木樋を据えて暗渠としていたと

考えられる︒これかE期になると︑南面大垣の下の木樋暗渠を撤去し︑

石組溝SD五八三〇Bか設けられる︒木簡はいすれもこの部分の溝底の

堆積層から出土した︒

SX17504

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  レ`−一犬 ̄゛二回と二]肝

図3 式部省東自衝遺構変遷図     (B・C期を除O 図4 奈良時代後十の東院園池遺構概念図

(12)

第二七九次調査︵6AFF区︶

       ︵一九九七年一月〜三月︶

 この調査は分譲住宅建設に伴うものて︑平城京左京二条二坊十一坪に

あたる︒平城宮東張り出し部と西北隅を接し︑法華寺西南隅にあった阿

弥陀浄土院と二条大路を挟んて向かい合う︒検出した遺構は塀六条︑掘

立柱建物二七棟︑溝四条︑井戸一基︑土坑一基なとて︑大きくA〜Eの

五時期︵D期はDI D2の二小期︶に分けられる︒

 このうちD期︵天平年間初頭頃〜神護景雲年間︶には︑東西棟建物S

B六九五〇を中心に︑後殿SB六九九〇 六九九三︑東脇殿SB六九五

七か配置された︑コの字形ないし口の字形の左右対称の整然とした建物

配置を想定てきる︒同時期には南側の十二坪ても四面庇付き礎石建物を

中央に置き︑周囲を掘立柱の複廊て囲む極めて特異な配置の建物群か見

つかっており︑京内ては稀な施粕瓦の出土か顕著な点ても共通する︒こ

の時期の左京二条二坊十一 十二坪には︑宮的︑公的な色彩の強い共通

性のある造営 運営を認めることかてきる︒

 木簡は土坑SK六九五五からI〇点︵うち削屑二点︶︑D2期の掘立

柱建物SB六九九四柱掘形から二点︵うち削屑一点︶か出土した︒

この他の文字資料として︑SK六九五五から﹁限艶所﹂﹁上﹂﹁小便﹂

 ﹁主水﹂﹁下﹂﹁万﹂なとの墨書土器︑包含層から﹁大志/番﹂と記さ

れた墨書土器か出土した︒また︑文字は判読てきないか︑墨痕の認めら

れる小片の漆紙文書か一点包含層から出土した︒

 以上︑一九九六年度の発掘調査の詳細については﹃奈良国立文化財研

究所年報フ几九七−Ⅲ﹄こ九九七年︶を参昭︑されたい︒

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条乗間路

十四坤

1 4 5 1 0

五眸 東上坊坊間路

条大路

7 e e o 1 n 00

図5 第279次調査遺構平面図(1 500)

伴にー−−ト  ー一つ卜

図6 左京二条二坊1一坪・1一坪        遺構概含図

1 11

一一一一一

   [■Ja l

(13)

﹁二条大路木簡﹂に関わる調査

第二〇〇次調査︵6AFTよ区︶

第二〇〇次補足調査︵6AFTI区︶

第二〇四次調査︵6AFF区︶

二九八九年三月〜四月︶    ︵一九八九年七月︶ ︵一九八九年七月〜九月︶

 一九八六年からT几八九年にかけて行われたテ︵ート建設に先立つ調

査ては大量の木簡か出土したか︑平城京左京三条二坊八坪と二条二坊五

坪の間を通る二条大路の南北両端に掘られた三条の濠状の遺構から出土

した木簡を︑﹁二条大路木簡﹂と総称している︒出土点数は︑総計約七

四〇〇〇点にのほる︒本号ては﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄二二︑

 ﹃同﹄三〇︑﹃同﹄三一︑﹃同﹄三二に引き続き︑二条大路南端に掘ら

れた濠状遺構SD五一〇〇出土の木簡を中心に報告することとした︒

 SD五一〇〇から出土した木簡のうち︑削屑︵○九一型式の木簡︶以

外の木簡については︑既に﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄二二︑﹃同﹄

三〇︑﹃同﹄三一においてその報告を終えている︒また︑削屑について

もその一部を﹃同﹄三〇︑﹃同﹄三二に掲載した︒SD五一〇〇の調査

は︑第一九三次調査B区︑第一九七次調査︑第二〇〇次調査 同補足調

査の計四次にわたったか︑本号に収録したのは未報告の削屑のうち︑S

D五一〇〇中央の八一m︵UO一九〜四五︶を調査した第二〇〇次調査

 同補足調査︑及ひ出土調査次数不明の削屑てある︒二条大路木簡につ

いては︑本号をもって概報は完結となる︒  SD五一〇〇は︑二条大路の南端を大路に沿って東西に走る濠状遺構てある︒当初は二条大路の南側溝てはないかと考えたか︑この溝の二m南に南側溝SD五二⁚︶五を検出し︑それか東二坊坊関路西側溝SD四六九九へ汪くことか判明した︒一方︑SD五一〇〇の東端はSD四六九九の一 二m西て途切れ︑西端も一坪 八坪の境て止まる︒また途中て流入 流出する施設もなく︑濠状てはあるか流れた痕跡かない遺構てある︒幅二 六m︑深さ○ 九mて︑全長コーOmをほほ完掘した︒土層は四層に分かれ︑上から﹁暗灰褐色砂質土層﹂﹁炭層﹂﹁木屑層﹂﹁黒灰色粘土層﹂となる︒最上層の﹁暗灰褐色砂質土層﹂は埋め立ての土て奈良時代後半の遺物を含むか︑以下の三層は堆積土て︑木簡は全てこの三層から出土した︒木簡に記す年紀は和銅五年〜天平一 一年て︑特に天平七 八年か多い︒ SD五一〇〇出土の木簡の点数は︑表に示した通りてある︒SD五一〇〇全体て約三八〇〇〇点という概数に大きな変化はないものの︑今後も整理 解読の進展に伴って若干の変動か見込まれる︒  ﹁二条大路木簡﹂全体の性格について確言することは困難てあるか︑最近の検討により︑一応の結論に達している︵﹃平城京左京二条二坊三条二坊発掘調査報告﹄一九九五年︶︒それによると︑木簡は基本的に南の左京三条二坊と北の左京二条二坊から廃棄されたものて︑遠方から運ひ込まれたとは考えられない︒従って︑その内容は南北に隣接する場所の性格と密接に関連する︒従来より木簡の内容については︑天皇 皇后なと公的色彩の強い一群と︑貴族の家政に関わる一群とに分かれると考えてきたか︑この点は継承すへきてある︒但し︑点数的にはこれまて

(14)

4)

点)

表1 SD5100出土木簡貞数表 1997年11月現在

地区

1(193次調査B区 第197欠調査 第200欠調査 第200欠補足調査

木簡 削屑 木簡 削屑 木簡 削屑 木簡 削屑

uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo uo

 12  29  52

161 110 102  72  18  21

 37  149  46

2030  870  434  45   7   9

342 276 285

768 877 741

1 29 19 165 121 156 140  85

137 162 122 178 315 194 487 634 451 439 278

6 2 11  3  3  7  6

51 750 348 432 238 349 512 340 333 328 287 966 660 1044 1880 3076 2458 2168 1636

 12  71

106  11

234 03

 4  17  9

219  98  53  11  2  3

 9  5  20  7  8  14  38  93

104  54  59  35  50  65  42  47  49  40

114  97

123 236  71  90  60  91  11  15  02

577 36Z7 903 2386 5017 18718 189 418 31835

uoz 木簡585削屑5851 6436

総計 4204 3289 23735 607 38271

X UOZには 各欠奴の一査及び調査次数不明のものを含む

0       30m

図7

二 条 大 路

第200次補足

、ua2s

表2 SD5300 ・5310出土木簡貞数表          1997年11月現在

地区

 M198欠調壷B区

ニぶI mm

第204欠調査

木蘭 削屑

 JF  JF  JF  JF  JF  JF JF1

=J  JD  JO  JD  JD  JD  JO  JD  JO  JD  JD  JD  JD

17

  254   355   327   347   514   245    29

一一

1819 3354 3761 6421 2675 1887  178

311 140  74  30  35  88  53

191 122 103 191 415 U59

1813  368  193  346  170  399  172  711  503  637

1047  791

1728

 JD34  JD35

‑ −  JFZ  JDZ

274  18

 361   74

一一−

 165

  635    92

一一   733   234 48 685

69

2119 20780 3573 9478 35950

SD5300木簡5331*削屑29658‑^ ‑t34989c^

S05310木簡292点削屑435々l+7274

不明木簡69占削屑1654 J234φ

二条大路l状遺構北総計35950'*

二条大路−状遺構南総計38271や

(つ

(つ

屑30 屑31

二条大路木簡総*+74221=S (っち削yS61258点)

第198次A区

第193次B区

2 5 8

0 0 0

SD5100 ・ 5300 ・ 5310の平面図と小地区割

(15)

考えていたよりは前者の比率か高いものと判断した︒そして具体的には︑

前者は衛府なとか守衛すへき場所の木簡群てあり︑内容からこれを皇后

宮の木簡と結論つけた︒そして︑それらは南の遺構から廃棄されたと見

るへきてあり︑恭仁遷都以前の左京三条二坊一 二 七 八坪︑つまり

長屋王宅の跡地は光明皇后の皇后宮てあったと推定した︒一方︑後者の

貴族の家政に関わる木簡群については︑従来の見解を踏襲し︑兵部卿藤

原麻呂家の木簡とみて︑その邸宅を北の左京二条二坊の地に推定した︒

 なお︑﹁二条大路木簡﹂に関連する発掘調査の成果の詳細については︒

﹃平城京左京二条二坊 三条二坊発掘調査報告﹄を参昭︑されたい︒

二︑凡  例

︵こ木簡は内容により︑文書︑付札︑その他の順に排列するのを原則

  とした︒

︵二︶SD五一〇〇出土の﹁二条大路木簡﹂の削屑の収録及ひ排列は︑

 次に掲ける基準によった︒また︑その他の調査て出土した削屑につ

 いても︑概ね同様の基準によった︒

  ①四字以上︵疑問の残る文字を含む︶判読したものは全て収録する︒

  ②判読した文字か三字以下の場合ても︑次に該当するものはてき

    るだけ収録する︒

     a︑文書様式 b︑官職名 c︑位階 d︑人名 e︑地名

     f︑年号 日付 g︑その他汪目すへきもの

     なお︑人名は原則として姓または名か完存するものに限る︒

     ﹁麻呂﹂または﹁万呂﹂とのみ残るものについては︑完存か

     否かの判断か困難てあるのて収録しない︒

  ③排列は概ね次の順序に従い︑関連する内容のものは適宜類収し

    た︒また︑削屑に限り︑占ぃ数に鑑みて特に三段組とした︒

     a︑文書木簡の削屑 b︑勤務評定に関わる木簡の削屑

     c︑官職名 d︑位階 e︑人名 f︑地名 g︑物品名

     h︑名数 ︱︑習書木簡の削屑 J︑横材木簡の削屑

︵三︶釈文の漢字は概ね現行常用字体に改めたか︑﹁龍﹂﹁廣﹂﹁賓﹂

(16)

﹁嶋

L_﹁寵﹂なとについては右の字体を使用した︒

︵四︶釈文に加えた符号は次の通りてある︒

     木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒

 o   木簡の上端もしくは下端に孔か穿たれていることを示す︒

口口口 欠損文字のうち字数の確認てきるもの︒

口口U 欠損文字のうち字数か推定てきるもの︒

口 口 欠損文字のうち字数か数えられないもの︒

口 口 記載内容から︑上または下に一字以上の文字を推定したもの︒

     同一木簡と推定されるか直接接続せす︑中間の一字以上か不

     明なもの︒

 一一﹂ 抹消により判読困難なもの︒

 〜〜 抹消部分の字画の明らかな場合に限り︑原字の左傍に付した︒

 ﹁ ﹂ 異筆︑追筆︒

 ﹁   合点︒

 ﹁ 一  校訂に関する註のうち本文に置き換わるへき文字を含むもの︒

 ︵ ︶  右以外の校訂註およひ説明註︒

 一×一  文字の上に重書して原字を訂正している場合︑訂正箇所の

     左傍に を付し原字を上の要領て右傍または左傍に示した︒

 カ   編者か加えた註て疑問の残るもの︒

 マヽ  文字に疑問はないか意味の通し難いもの︒

︵五︶釈文下の上段のアラヒア数字は︑木簡の長さ 幅 厚さを示す

  ︵単位は四︶︒欠損 二次的整形の場合︑現存部分の法量を括弧つ

きて示した︒なお長さ 幅は木簡の文字の方向による︒ ︵六︶釈文下の中段に現在の遺存の形態を示す型式番号を記した︒型式

 番号は次の通りて︑四桁の数字を用いているか︑本概報ては時代を

 示す干の位を省き︑下三桁の数字て表わした︒なお端とは︑木簡を

 木目方向においた時の上下両端をいう︒

目に型式

目ぶ型式

目笛型式

目旨型式

目回型式

目μ型式

呂池型式en

CAコ Qコ

舌怠型式目だ型式

目台型式

長方形の材のもの︒

長方形の材の側面に孔を穿ったもの︒

一端か方頭て︑他端は折損 腐蝕なとによって原形の失わ

れたもの︒原形は6011 6015 6032 6041 6051型式のいすれ

かと推定される︒

小型矩形のもの︒

小型矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒

長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたもの︒方頭

圭頭なと種々の作り方かある︒

長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたもの︒

長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他端を尖らせ

たもの︒長方形の材の一端の左右に切り込みかあるか︑他端は折損

腐蝕なとによって原形の失われたもの︒原形は6031 6032

 6033‑6043型式のいすれかと推定される︒

長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状に作ったもの︒

長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状にし︑左右に

切り込みをもつもの︒

長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状にしているか︑

(17)

      他端は折損 腐蝕なとによって原形の失われたもの︒

否認型式 長方形の材の一端を尖らせたもの︒

6059型式 長方形の材の一端を尖らせているか︑他端は折損 腐蝕な

      とによって原形の失われたもの︒原形は否胎目巴型式の

      いすれかと推定される︒

§認型式 用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒︵ ︶内に製品名

      を註記した

否呂型式 用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒

否β型式 折損・割截 腐蝕その他によって原形の判明しないもの︒

否β型式 削屑︒

括弧内の番号は︑二次的整形の場合に推定てきる原形の型式を表わす︒

︵七︶釈文下の下段に出土地点を示す小地区名︵アルフアヘソト 数字︶

  を記した︒zは地区不明を示す︒複数の地区から出土した破片か接

  続したものは地区名を併記した︒

   なお︑SD五一〇〇出土の削屑には紙ラヘルの溶解に起因する地

  区不明の木簡か多数含まれるか︑今回報告分は︑出土調査次数不明

  として別に項目を立てたものを除き︑全て第二〇〇次調査︵SD五

  一〇〇中央のUO一九〜UO四五︶出土てある︒

︵八︶釈文の出土地点の下に付した﹁″﹂印は︑口絵図版に写真を掲けた

  木簡を示す︒例えは︑﹁芯﹂は﹁図版三﹂に対応する︒  木簡の釈読にあたってば︑﹁長屋王家木簡検討会﹂ ︵堀池春峰︑岩本次郎︑鬼頭清明︑東野治之︑綾村宏︑舘野和己︑寺崎保広︑渡辺晃宏︑古尾谷知浩︑山下信一郎︶の成果を取り入れ︑また鷺森浩幸 鈴木景二 吉川聡 吉川敏子氏の助力を得た︒また︑編集に際しては︑岩田敦子 大山綾子 神棒景子 北村有貴江 中岡泰子 南島真理子 八木典子氏の助力を得た︒写真は佃幹雄 牛嶋茂の撮影による︒ 本書の編集は古尾谷知浩 渡辺晃宏か担当した︒

10

(18)

三︑釈 文

第二六七次調査

南北溝SD一七三五一 ︵6AAW区︶

高椅武蔵志

口  口

﹇鴨力一 口部麻呂

   ﹇年力﹈

 神亀元口

東西溝SD一七三五二︵6AAW区︶

式部召土師宿祢大麻呂

口口  口口口口口 依口

養老六年十月十二日従七位下行大口

        T百舟二人料力﹂ 散事已下口女已上口口口口口口

       口口

 ﹇秦力﹈ 口口人刀良

﹇大力一  口初位下口

︵↑S︶30 4   081    ﹂B14

en W C4⊃ en 0   065   ﹂B14

091   KR14

164 (15) 4   081   KRU   *1

N)

︵︶︶(29) 3   081   KRll

こ︵︶こ︵に︶一w ︵︶巴 函は

︵1︶18 10   019   KRll

︵コ︶(14) 2   081   KRll 口 口口口口口口口口口百寮家共臨口 ﹇省 属 曽カ一  ロ ロ

 霖

口口

翻■[

[収や]

ヨロ[

司噸口

 に

 [姉や]

屡口[

 に口  拿 ぺ■口

      口 口

         ﹁口口﹂

之 之之 九十九九十

      口口

口旦旦旦旦 口 口口

口 口 之

勅延

口口

玄蕃寮

口 口

to en

ご︵ごふ ︵︶印 回は

[トト旬晦 ギ]口

!記邸口 串川

 ○

︵コノ他削り残りノ墨痕アリ︶

      口  o

 口口口口口口口束五把﹂

      ︵削り残り︶

︵S︶(384) 4   065   KRU    *1

︵右側面︶

︵表面︶

︵左側面︶

︵裏面︶ ︵穴ざ︶(14) 3   065   KRIO   *1

 口口      ︵右側面︶

之九十九十   ︵表面︶

 口口      ︵左側面︶

口口口口口口  ︵裏面︶︷︸§︶︵S︶い 呂丿 莞邑 皐

︵天地逆︶

t£)

KRll

091   KRll

(19)

  ﹇廣力﹈

口連口口

桑原

第二六九一五次調査

東一坊坊関路西側溝SD七〇五〇︵6AFJ区︶

口口︵右側面 左力天︶

諸陵寮  ︵表面︶

田欧口

口口

︵左側面︶

︵裏面︶

︵上端木口︶

口  口右大秦乙万呂

第二七三次調査 091    KRll

(⊃

C£) トー・

KRU 一錯カー

ロ壱寵  ︵荷札木簡ノ削屑力︶

口口兵主神社

井戸SE一七五〇五井戸枠抜取︵6AAI区︶

口奉御口座口口

口郷家口

︵脇︶函︵ぶ︶ つに 弓に 皐  井戸SE一七四八八井戸枠内︵6AAI区︶

      ︷券力一

 (248)︵ぶ︶︵ご 品︷ 宅に   口書

井戸SE一七五〇五井筒内︵6AAI区︶

       一斤カー     ロ四口口口四升腹三斤拾両 堅魚六斤五両海藻六斤五両譜﹂斗五口

競四口坏八口塩四升口口︵木簡ヲ刀形二 I次的二整形ノタモノカ︶

      ︵↑呂︶24 2   061    B﹂26    *2 第二七六次調査石組溝SD五八三〇B︵6ALF区︶

万口口田部常万呂口 口

 一竪力一内口口 ︵︶旨︵039)    B﹂26    *2

C£⊃

トー‑・

B﹂26    *2

Q£)

B﹂26

︹︺91   B﹂26

Q⊃

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〜ヽ1 函§

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︵ほう︵呂︶J ︵︶沢 i回

︵123) (9) 3   059   AH22

12

(20)

口口口 五稲人

 口口 ﹁口﹂大万呂 ﹇二力﹈

﹁口﹂川成 ﹇ニカ﹈

八月下番口

口口  口口口  I舎人力I

   ﹁平神護二年カー

左京天口口口口口

口番長口 口

 年

口二月十日

  一班力﹂

夕百口 一去カー

ロ上

年舟二

﹁天カーロ平口 ︵脇︶︵S︶2    081    AH22︵邱︶︵こ︶に ︵受 i回

091    AH22

091    AH22

091    AH22

⊂) (;Q

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CO

AH22

il

CO t、3

091    AH22

Q:⊃

AH22

091    AH22

二︵カー ロ位上 二︵カー ロ位下口

従八位上大蔵  T止カ﹄元位口支里散位﹁吉カコ黄力一口弥侯口第二七九次調査土坑SK六九五五︵6AFF区︶ 口 口合伍人o 口

若狭国遠敷郡遠敷郷皿E雛︵丿

     天平賓字六年九月

 口 口

 口口口  ﹇僣龍力﹈

建物SB六九九四柱掘形︵6AFF区︶

 進進数 口意 091    AH22

q⊃

トー‑ふ

AH22

091    AH22

Q⊃

AH22

091    AH22

091    AH22

︵︷呂︸Sふ ︵︶笛 呂忿

べ1 CX)

CO C力 en

C4コ

呂呂

穴37 20言3   033 呂69

091   EA70

13

(21)

二 条大路木簡 ︵七︶

第二〇〇次調査 同補足調査 符 口牒 奴口口

二条大路濠状遺構南SD五一〇〇 ︵6AFI区︶ 牒

 一申カー       ﹁寅カー

口口酉戌亥子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥子孔ロ ーロ府奏       ︵函︶︵ご︶ ︵︶印 呂回

       司進上

玖頭

C4⊃じ︵9) 1    081   UOZ

×以下ノ木簡は何レモ○九一型式ニツキ 型式番号ノ註記

 八省略ス

        ー請カー

     謹解申口口

口口

I謹解カー ロロ

ー衛カー ロ府移 口務省

符口

符口

目色

⊂コ

⊂)

CND べ1

呂s 芯

⊂コ 6コ CX⊃

⊂コ

しこ)

進上

申進

申宿

召 口    一病カー

ロ属忽得口

   一部カー

右得所口口

 I廿力﹂

右口人口火急

⊂コ C、)

若急〜者

目色 芯  口恐〜謹

(コ

()

Q)

工1・

jしゝ  七

∞ 芯  口牟可比為豆口口

         口  口

 呂台

      比止比乎口

 uoz        口      判口口

⊂コ en

U044   *3

⊂コ (⊃

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⊂コ CO

目路

(コ

⊂) t>a

目路 判口中善四惟裕鷹口起去口恩口﹁高 行幸力﹂口円口口上門

 T工力一

井口

目路

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図太

只︶た ぷ

図太

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CO Q£)

図太目`

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Cコ 卜μ

CAコ

図太

目色

14

(22)

宿直資

   一名カー

ロ等歴口    一ヰカー

食米合一口

升 内資人四升 口口

 I龍カー 真ロー升   口口

 I坂カー 忍口乙万呂八合 口

一枝カー ロ部黒万呂一升二合

﹁廣椅ハカー ロロロ合

     一合力I 凡口万呂六口

口万呂八合

合 充口 口 口 充丈部大 カー 大原口

口合 充忍海口

Cコ

⊂)

6⊃

C£)

図太

⊂二1 OJ

目路 芯 正六位上大伴首名E︵︵十         一夜力﹂口平二年上等上日弐伯天平六年上等 U041    *3 T工力﹂ 口日弐伯弐拾捌

目`  上日弐伯弐

UOZ   *3  上﹇口弐

      一参カー

上等上日弐伯口拾捌 夜弐伯壱拾伍 右口      UOZ   *3

目路 ︷捌カー平力︸    口 天口

⊂コ CAコ

目訟

⊂コ

⊂コ (⊃

Dこ) C乃

T上カー  ロ等 上日

口上等 T上カー

ロロ等

    等 上日弐伯弐

呂回  一等カコ弐カー    ロ上日口口口口口

目路

目旨

J

上日

一等カー ロ上日口

呂μ  口口上日 uoz目`目`uozuoz三§弱詞

⊂コ

()

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uoz 日弐伯壱拾漆一日 伯カー

ロ弐口 一弐伯弐拾肆 夜カーロロロロロロ ロ

フ沼弐拾カー 一伯 拾弐カ﹂

 口口口 夜弐口壱口口

夜壱仔

夜弐伯壱拾

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夜弐

夜壱夜壱 uozuozuoz目`uoz⊂ ]

に ヽ ヽ a

Cコ むヽa (コ

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⊂ コ

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に ヽ ヽ a

⊂ コ

l ヽ ヽ a

uoz⊂]

にS

三祠

15

(23)

口 夜弐伯壱拾陸

一弐伯壱拾カーロロロロ

   TTカー

日百六口口口 日百二

口口日百 一浦カー

タ百六口︵右卜同一木簡ノ削屑カ︶

日五十二口

夕百七

夕廿夜百

夜五十

夜廿九 目`  五考上等    ﹁五力J T工力一目`  口考上等口

⊂コ (⊃

りヽa

目色

目色目吊

目吊 五考  一中カー 一考口一×二Iロー考考上等  ︻選力一口成口

    ﹁勤力I 一衛如力I  ︷馬カー

図太  口謹慎宿口口法便習弓口

    一謹慎カー

(コ C)

bヽa

U042

目色

合;

⊂コ

()

口口宿衛  口︵重不書キ︶

宿衛如法便習弓馬

一如カーロ法

     ﹁解力﹂職掌元失雖口

口番上

⊂コ

むヽa 芯     左京 に呂  年冊

    口口人

uoz 右京  口

⊂コ C)

CS3

t ヽ ‑ a

 一壬力一

王口百嶋大倭国

口口口口三田麻呂  一宿祢カー

uoz  口

uoz

uoz⊂コ│

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  一国力I

   干    足 r"・

大口 l j

UOZ   *4  口一匹カー

目た  口 年柑九口口国葛濃郡 ﹁背カー年口年舟三

UOZ   *4  大政 口

目`  中心Jカー

回心︵︶ 芯

⊂コ

⊂)

目色 芯

⊂コ

目色 芯

⊂コ

宍︶心︵︶

I弓13    *4

目路

16

(24)

蔵寮

人寮一散カー

ロ位寮主殿

衛府内兵庫

政所

酒司口 口口

  口 ﹁膳司カ﹂ 口口 口

大允

奉膳  一生カー

ロ史口 U044   *4

⊂コ

Ⅸ⊃

自営 芯

こ1 Cり

⊂コ C) CO (y⊃

大_.

口舎  力  −

舎人口口

兵衛元位口

中衛

      口中衛

目` 芯 マ甲衛カー       ロロ

目函 芯

目路

図太

図会

回路

U045   *4

呂呂

 ﹁衛カー中口       ﹁歴力一ロロロ右中衛口

番長     一将監 伯カー 七位上守口口佐口口 I監カー ロ動十二等笠 権将曹 一府カー ロ生∇人

Cコ C4⊃

      二肘力I目`  口口口生

呂函  仕丁口口

J 芯  口坦四 ︵右卜同一木簡ノ削屑︶

        ︵マこ 昌路  小子三七人     ﹁馬曳口  口﹂

 uoz

     人 奴五

目色

⊂コ むヽl

三人 婢

        口王作

   目色

        口麻呂列口

   U033

        従五位下口

目38    *4

        五位上

 目` 芯 一五位下カー

        ロロロ

C。コ

⊂二1 C)

CO

口正六位上動九等

   ﹁下力一従六位口

⊂コ (⊃

CO

⊂コ ドμ

呂念

こ]

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N)

図会

昌台

⊂ ]

む ヽ ■ a

U037目色

⊂コ C)

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目函

目色

⊂コ

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17

(25)

﹁従 位カー

ロ六口   ﹁位 美努カー ロ六口下口口口

従七七位下丹比口

    一神 績こ従八位上口麻口庭少口

従八位 一従力﹂ 口八位口

   口口 口口口口口口   ﹁従八位カー

ロ ロハ位上

 一ハカー

ロロ位上行大口

八位  一位力一 八口

   口胆カー

 大初口上

﹁ 図太

目色回向

⊂二]

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CO

只︶台 芯 ﹁大初位上

 一初位力﹂大口口上

  ﹁位カー

大初口口大初口

 ﹁初カー

大口口

    ﹁回`  少初位上石口口真

⊂コ (⊃

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少初位上御口

      ﹁目色  少初位上

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呂忿貝に

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   ︷位力I

﹁少初口下

少初﹁

口初位上雲口

 口口上口口  ﹁初位カー

一初位上カー ロロロロロ

呂忿Cコ

目は

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CO (X)

回心︵︶

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目色

⊂コ tS3

﹁初位カー ロロ上口

﹁初位下口

一初カーロ位下口口

﹁初位下カーロロロ  ロ

  r ̄ ̄・

口元位生 カー

 一位カー元口

口位上周口

口位上川口

 一部カーロロ大白﹃口戸口丈部人足口口

 I瀬力﹄口口王

口王

︷雲力一口宿祢﹁口﹂ に回目色

uoz

目陥

⊂ コ

t ヽ ‑ 3

uoz

目台

目た

目弓

目訟

⊂コ

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CO

18

(26)

阿奈豊麻T入 部カー

ロ田口大原史口

大宅朝 呂 刑部五百足

一他力I口田口

忍坂口口

    I海カー

ロロ 忍口

一貴力I口山君口

 口 解一尾力一

口張連猪村

 T不カー

葛口口鴨朝

 川  内

﹁雀部カー

ロロ 目`  口内馬養呂胎  口紀朝臣口

⊂コ

tN3

黄連

回台  日下部

       ﹇﹇口力﹈

回向  口下部

⊂コ

U042

目路

倉垣忌寸   一呂力﹂前東麻口口枝部根万

坂上口

目だ  白猪

     T工力一目色  口口蘇宜口口

    I高力一目函  口椅口

目色  高市口

目食  口君八十 竹田麻呂 uoz  腹部

目弓 芯

呂た

呂胎

呂た

目色

こ1 CS3

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目た

⊂コ

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   多冶口口  口口

 ﹁辺力﹂田口法

 一辺力二田口

丈部大

丈部口口

﹁丈力﹂ 口部

 口口口口口部

 一丈カー

 ﹁部力﹂

丈口 一浄カー

秦口足秦子口

 口 口口秦口

  一月力一

図太  秦真虫

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目陥

回`

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く⊃

C。コ CX⊃

U042

U026   *5

⊂コ N)

ヽa

目次

呂呂

19

(27)

口秦矢口

﹁口口口口秦口    ﹁位上カー

﹁口位上秦口口

秦口

秦口秦口

口受船掘江忌

       一羅力一

   口志 依口

口宅三使 上口一三カ一

一物カーロ

ロ部知 ﹁部力一物口

丸木連君連

⊂コ

⊂コ C、⊃

Q⊃

同︶台 口井猪養背忌寸大村        ﹁麻呂力二口口口口代忌寸口口口

    一湯カー目陥  口坐宿口

⊂コ

⊂)

CO C乃

目色

呂回

回向

⊂コ

()

CO

姉女伊万呂二百口口口  口

L」

石 勝

牛養枝女

目色  奴男君

      一呂力一

目路⊂コ

C) C4⊃

(X)

図会  乙万口フ万呂カ﹂口口口 ﹁門部カーロロロロ

⊂コ C4⊃

(J

⊂コ

μ

⊂コ CO

口口浄麻 口口

国足 国足口口

目色  海部  ︵右卜同一木簡ノ削屑︶

⊂二1 CO CJl

目弓

目路

昌た

U027   *5

⊂二1 vQ C乃

⊂コ (⊃

6⊃

C乃

史国持

国持

子嶋   一呂力一

口古麻口 ︷古麻呂カー

ロロロロ ﹁讃カー

 ロ人給

口足麻口    ︷呂力一

﹁直常麻口

呂`  ﹁ 口口

目弓

目だ

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⊂二]

図会

目色

目旨

⊂二]

CO (7)

呂た

巨大

20

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