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密教文化 Vol. 1951 No. 13 001栂尾 祥雲「喇嘛教と日本佛教 (上)――特に密教を中軸として―― P1-21」

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( 特 に 密 敏 を 中 軸 と し て )

一 歴 史 上 に 於 け る 概 観 酉 藏 を 中 心 と し て 、 そ れ を 取 巻 く ブ ー タ ン 、 シ ツ キ ム v ネ パ ー ル 、 カ シ ユ ミ ル よ り 、 遠 く 外 蒙 、 内 蒙 、 満 洲 、 北 支 等 の 廣 大 な る 地 域 に 於 て 、 大 約 一 千 萬 の 信 徒 を 支 配 す と 構 せ ら れ る も の が 痢 嚇 教 で あ る 。 そ れ は 埜 ず れ 竜 酉 藏 に そ の 源 を 護 し 、 ﹁ 嘲 嚇 な く し て 佛 教 な し ﹂ と い う 立 場 か ら 、 佛 陀 よ り も 痢 嚇 を 基 本 と す る 佛 教 の 流 れ に し て 、 普 通 に こ れ を 痢 嚇 教 も し く は 西 藏 佛 教 と 呼 ん で い る の で あ る 。 こ の 西 藏 佛 教 す な わ ち 痢 嚇 教 は 西 暦 七 世 紀 の 中 葉 、 西 藏 の ソ ン ヅ ア ン ガ ン ボ 君 主 、 隻 賛 甘 普 王(Srong-btsam-po ) の 時 、 印 度 並 に 中 國 よ り 移 植 せ ら れ た も の と 構 せ ら れ て い る 。 さ れ ば そ れ を 、 わ が 日 本 佛 教 の 傳 來 に 比 す る と 、 大 約 百 年 程 の 後 の こ と で あ 溜 。 日 本 佛 教 は 連 綿 た る 皇 室 に 庇 護 せ ら れ て 、 曾 て 屯 断 す る よ う な こ と は な か つ た け れ ど も 、 酉 藏 佛 教 は 移 植 以 來 、 大 約 二 ラ ン ダ ル マ 百 年 を 経 た る 第 九 世 紀 の 中 葉 、 佛 教 嫌 い の 朗 逡 磨 (Glam-d harma) が 即 位 す る や 、 極 端 な る 破 佛 を 行 い 、 そ の た め に 西 藏 佛 教 は 一 時 そ の 中 央 地 方 か ら 影 を 没 す る に 至 つ た の で あ る 。 こ の 破 佛 を 境 と し て 、 嘲 臓 教 を 前 傳(Sga-dar ) と 後 傳 (Phyi-dar ) と に 分 つ の で あ る 。 ソ ン ツ ア ン ヂ 前 傳 の 劇 嚇 教 は 讐 賛 王 (Srong-btsan -sgam-po ) の 移 植 と 提 ツ ア ン 賛 王 (Khri-srong-Ide-btsan) の 庇 護 培 養 と に よ り て ﹂ 第 九 世 レ バ ヂ ヤ ン 紀 の 初 葉 、 す な わ ち 徐 巴 謄 王(Khri-ral-pa-can ) の 時 、 前 代 未 聞 の 黄 金 時 代 を 現 出 し た の で あ る 。 こ れ わ が 推 古 朝 に 於 て 、 深 く 大 地 に 根 を 下 し た る 日 本 佛 教 が 、 奈 良 朝 の 開 華 期 を 経 て 正 し く 挙 安 朝 に 入 り 、 、傳 教 、 弘 法 の 二 大 師 に よ る 佛 教 と し て 結 實 し た 時 代 に 相 當 す る の で あ る 。 ラ ン ダ ル マ ァ し か も こ の 前 傳 鋼 嚇 教 の 黄 金 時 代 も 、 一 瞬 に し て 朗 達 磨 王 の 破 佛 と な レ て 挫 折 荒 塵 し 、 爾 後 大 約 七 十 年 間 、 全 く 西 藏 佛 教 の 暗 黒 時 代 を 現 出 し た の で あ る , そ の 朗 達 磨 王 -は 聞 も な 鋼 臓 教 と 日 本 佛 教

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-1-密 教 文 化 く 、 ベ イ ド ル (Dpal-rdo-rje ) に よ り て 斌 せ ら れ た け れ ど も 、 そ れ 以 後 の 西 藏 は 國 内 織 れ て 群 雄 割 擦 の 情 勢 を 呈 し た る が 故 に 、 佛 教 を 復 興 す る に は 至 ら な か つ た の で あ る 。 か く て 第 十 一 世 紀 の 初 に 至 り 、 西 部 西 藏 の ガ リ (Mnah-ris ) ( こ 地 方 に 朗 達 磨 の 後 蕎 と 総 脚せ ら れ る イ シ オ ヱ (Ye-ces-hod-智 光 ) あ り 、 大 に 佛 教 の 復 興 を 計 ら ん と し て 、 寳 賢 (Rin-chen-bzang -po) 等 の 十 四 人 を カ シ ユ ミ ル (滴 g。 輸 鼠 こ や 中 印 度 等 に 派 遣 し て 佛 教 を 學 ぱ し め た 。 業 成 り て 麟 り 來 れ る 寳 賢 は 密 教 を 中 心 と せ る そ の 當 時 の 佛 教 を 傳 え て 盛 ん に 未 傳 の 経 曲 ハを 醗 繹 す る と と も に 、 佛 教 特 に 密 教 の 再 興 を 圖 か つ た の で あ る 。 こ の 寳 賢 傳 來 の 密 教 が 在 來 の も の と 少 し く 趣 き を 異 に す る 上 よ へ 二 ) り 、 こ れ を 薪 密 教 (Sains-riag-gsan-ma) と い う の で あ る 。 さ ら に こ の イ シ オ ヱ へ 智 光 ) の 招 贈 に 慮 じ て 入 藏 し 、 大 に ア チ 佛 教 を 革 新 し 、 後 傳 喇 嘛 教 の 興 起 に 與 つ て 力 あ る も の に 阿 提 シ ヤ 沙 雰 江 塩 ) が あ る 。 彼 は 顯 密 二 教 に 通 じ 、 そ の い す れ も が 佛 の 教 読 な る が 故 に 、 一 方 に 偏 す べ か ら す と し て こ れ を 合 一 し 、 こ の 顯 密 共 行 を 以 て 自 己 修 養 の 資 と し た の で あ る 。 か く て 成 立 せ る 彼 の 宗 派 を カ ダ ム パ (Bkah-gdams-pa ) と い う の で あ る 。 カ ダ ム パ と は 教 読 派 と い う こ と で 、 顯 密 教 の す べ て を 佛 説 と し て こ れ を 信 奉 す る 教 徒 と い う こ と で あ る 。 ア チ シ ヤ こ の カ ダ ム パ 派 は 阿 提 沙 の 高 弟 、 ド ム ト ン パ (Hbrom-ston -pa ) に よ り て 大 成 せ ら れ た の で あ る が 、 こ の 顯 密 共 行 を 立 場 と す る 派 に 封 し 、 密 教 を 中 心 と す る 在 來 の 西 藏 佛 教 を ぱ 、 古 派 、 す な わ ち ニ ム マ パ 派 (Rnin-ma-pa ) と い う の で あ る 。 思 う に こ の 西 藏 に 新 し く カ ダ ム パ 派 の 興 起 せ る 時 代 は 、 恰 も わ が 李 安 朝 に 於 け る 藤 原 氏 の 撮 關 蒔 代 に 相 當 し 、 人 心 が 漸 く 沈 滞 せ る 貴 族 佛 教 に 飽 き 、 正 に 次 の 時 代 に 於 け る 浮 土 、 日 蓮 等 の 新 興 佛 教 に 移 ら ん と し て 、 そ の 風 雲 を 孕 ん だ 時 で あ る 。 ア チ シ ヤ 西 藏 に こ の 薪 興 の 一 派 を 開 き た る 阿 提 沙 の 顯 密 共 行 思 想 に 影 響 せ ら れ な が ら も 、 こ れ に 廉 ら ず し て 、 三 度 ま で も 印 度 に 遊 學 し 、 密 教 の 躰 験 者 た る 超 巖 寺 (Vikrama-cila) の ナ ロ バ (Naro-pa ) に つ き て 大 印 (Maha-mudra ) の 秘 法 を う け 、 西 藏 に 露 り て 一 派 を 建 て た も の に マ ル パ (Mar-pa ) が あ る 。 こ の マ ル パ を 組 と せ る 宗 派 を ヵ ル ギ ユ ー パ (Bkah-rgyud-pa) す な わ ち 教 勅 傳 承 派 と い 、 籔 力 に よ り て 大 印 の 教 勅 を 傳 承 す る こ と を 主 眼 と す る 教 派 で あ る 。 こ の 派 は マ ル パ の 高 弟 た る ミ ラ レ パMi-la-ras-pa ( A 、 D 、 一 ○ 三 八 ) に よ り て 大 成 せ ら れ た の で あ る 。 こ の 美 レ パ に よ る と ・ ﹁ カ ダ ム パ は 教 を 持 つ つ て い る が 眞 實 の 教 陵 持 つ て い な い ﹂ と い 、 カ ダ ム 派 が 口 舌 布 教 に 重 黙 を 置 く の に 封 し 、 冥 想 の 躰 験 に よ る 眞 智 の 獲 得 を 強 調 し て い る の で あ る 。 し た が つ て 、 ヒ の 派 は 灘 寂 な 叢 林 や 高 山 の 洞 窟 に 住 し て 冥 想 を 專 ら に し 、 ヒ マ ラ ヤ (Himalgya ) ( 四 ) の 山 國 た る ブ ー タ ン な ど に 優 勢 を 占 め て い る の で あ る 。 こ の カ ル ギ ユ ー パ 派 に 極 め て よ く 類 似 し 、 喩 伽 の 苦 行 を 事 ( 五 ) と し な が ら 、 特 に い す れ の 派 に も 屡 せ な い も の に シ チ ヱ パ

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(Shi-byed-pa) が あ る 。 こ の シ チ ヱ パ と は 能 滅 派 と い う こ と で ﹂ 鍮 伽 の 密 法 を 以 て 能 く 苦 拶 を 除 滅 す る 派 と い う こ と で あ る 。 こ の 派 の 開 組 は パ ダ ン パ 、 サ ン ゲ (Pha-dam-pa-sams -rgyas ) に じ て 、 西 暦 第 十 二 世 紀 の 初 に い く た び も 西 藏 に 來 た の み で な く 、 瀞 力 を 以 て 中 國 へ ま で 飛 來 し た と 稻 せ ら れ て い る 。 西 藏 人 は こ の 派 の 人 を 聖 者 と し て 奪 信 し 、 來 世 に は 必 す 佛 に な る 人 だ と し て い る 凄 し か し こ の 派 、は 、 い ま で は 全 く 勢 力 な く 、 殆 ん ど 繕 滅 に 瀕 し て い る と い う パ ( 六 ) か の カ ル ギ ユ ー パ 派 の 組 、 マ ル パ が 死 ん で か ら 六 十 二 年 目 . ( A 、 D 、 一 ○ 七 二 ) に シ ガ ツ ヱ (Shi-ga-tse ) の 西 南 、 ネ パ ー ル (Nepal ) の 國 境 に 至 る 中 途 の サ キ ヤ (Sa-skya ) に 大 信 院 が 創 立 せ ら れ 、 こ の 僧 院 を 中 心 と し て 一 派 が 成 立 し た 。 こ れ が サ キ ャ パ 派 (Sa-skya-pa ) に し て そ の 開 魍 は コ ン チ ヨ ク 、 ギ ャ ル ポ (Dkon-mchog-rgyal-po ) で あ る 。 こ の 派 は 血 統 相 承 を 基 本 と し 、 代 々 そ の 地 の 領 主 に し て 、且 つ 教 主 と な つ て 居 つ た ( 七 ) の で あ ゐ 。 こ の 開 組 の 曾 孫 に ク ン ガ ー 、 ギ ャ ル ツ ア ンKun-dgah-rgyal-mtsan の き ( A 、 D 、 = 入 ニ ー ) が あ る 。 彼 は 印 度 に 留 學 し て 博 學 の 碁 れ 高 く 、 曾 て 蒙 古 に 布 教 し て 元 朝 の 録 依 を 得 た 。 そ の 甥 、 ド ゴ ン パ ク パHgro-mgon-hphags-pa ( A 、 パ ク パ ク D 、 = 一 三 九 1 = 一 入 ○ ) い わ ゆ る 護 思 巴 が ま た 元 の 憲 宗 や 忽 ビ ラ イ タ 必 烈 の 信 任 を 得 て 、 獲 思 巴 文 字 を 創 製 し 、 蒙 古 文 化 の 畿 展 に 寄 與 す る と こ ろ が 多 い の で あ る 。 そ こ で 元 の 世 魍 、 忽 必 烈 は 自 ら 占 領 せ る 中 部 西 藏 の 主 棲 を と の 獲 思 巴 に 與 え た の で 、 と に こ の サ キ ャ パ 派 の 當 主 が 政 教 爾 構 を 掌 握 す る 西 蔽 の 王 位 に 即 き 、 サ キ ャ 王 朝 が 成 立 し た の で あ る 。 こ れ ら が 鎌 倉 時 代 に 於 け る 執 椹 時 宗 の と き に 當 り 、 忽 必 烈 の 大 軍 が わ が 本 土 に 襲 來 し た 弘 安 四 年 前 後 の こ と で あ る 。 こ の 西 藏 の サ キ ャ 王 朝 も 、 そ の 後 い ろ い ろ の 内 部 的 闘 争 の た め に 勢 威 な く 、 そ の 政 擢 獲 得 以 來 、 大 約 七 十 五 年 に し て 、 ( 入 ) 軽 元 の 順 宗 の 至 正 五 年 ( A 、 D 、 ︼ 三 四 五 ) 途 に 崩 壌 し て 了 つ た の で あ る 。 す べ て こ の サ キ ャ 派 に も せ よ 、 カ ル ギ 辛 ー パ 派 に も せ よ 、 密 教 的 躰 験 を 最 後 の ,讃 模 ど し て 、 あ ま り 戒 律 な ど の 宋 節 に 拘 ら な か つ た が た め に 、 次 第 に 種 々 の 弊 害 が 綾 出 し 、 後 に は 全 く 救 う べ か ら ざ る に 至 つ た の で あ る 。 ア み ド 時 に 青 海 の 東 南 、 安 土 (Amdo) の 地 に 宗 喀 巴Tson-kha-pa ( 九 ) ( 一 三 五 七 、一 四 一 九 ) が 現 れ 、 喇 嘛 教 の 屡 頽 せ る 室 氣 を 一 掃 の ラ ツ サ す る た め に 、 一 大 革 新 を 企 て て 成 功 し 、 つ い に 拉 薩 (Lha-sa ) の 東 方 三 十 哩 の 所 に ガ ン デ ン 寺 (Dgah-ldan-pa) を 建 て 、 こ を 根 本 道 場 と 七 て 革 新 喇 嘛 教 を 宣 揚 し た ・の で あ る 。 そ こ で ζ

穿

派 (Dge-lugs-pa) す な わ ち 徳 行 派 と も い う の で あ る 。 奮 來 の 喇 嘛 教 が 紅 衣 紅 帽 を 着 す る に 封 し 、 と の 派 で は 繹 尊 當 時 の 制 ひ 規 に の つ と り 、 黄 衣 黄 帽 を 用 う る の で あ る 。 し た が つ て 、 こ の 派 を 黄 教 も し く は 黄 帽 派 と い 、 、 ﹁醤 派 を ぱ す べ て 紅 教 も し く は 紅 帽 派 と い う の で あ る 。 鋼 騰 教 と 臼 本 佛 教

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-3-密 教 丈 化 こ の 黄 帽 派 の 新 に 興 り た る 時 が 、 わ が 吉 野 、 室 町 時 代 に 相 當 し 、 日 本 佛 教 で は 灘 宗 が 最 も 隆 盛 を 極 め 、 浮 土 宗 に は 了 碁 聖 門 上 人 出 で そ の 宗 の 深 義 を 嚢 揚 し 、 眞 宗 に は 蓮 如 上 人 出 で -嚢 微 せ る 教 勢 の 再 興 に 專 念 レ 、 日 蓮 宗 に は 日 像 上 人 出 で 初 め て 京 都 に 教 線 を 張 り 、 そ の 宗 西 漸 の 端 緒 を 開 い た の で あ る。 ま た 眞 言 宗 で は 東 寺 に 頼 寳 、 呆 寳 、 賢 寳 の 三 學 匠 あ り 、 根 來 に は 聖 憲 、 聖 融 、 高 野 山 に は 長 畳 、 宥 快 等 あ り て 、 各 々 に 教 相 義 學 の 大 成 を 見 た の で あ る。 ツ オ ン カ び さ ら に 西 藏 で は 宗 喀 巴 の 高 弟 に 、 ゲ ー ヅ ン 、 ヅ ツ パ (Dge-ラ ヅ サ hdun-grub-pa ) あ り て 、 拉 薩 に ポ タ ラ 寺 (Potala ) を 構 え 、 サ キ ャ か ら 遠 か ら ぬ シ ガ ツ ヱ に タ シ ル ン ポ 寺 (Tashi-lhun-po ) ( 二 ) を 建 て に 黄 帽 派 む 隆 盛 を は か り 、 ゲ ー ヅ ン 、, ギ ヤ ム グ オ Dge-hdun-rgya-mtsh o ( 一 四 七 五 -一 五 四 一ご ) を 経 て 、 三 代 目 の ン ヱ ナ ム 、 ギ ャ ム ツ オBsod-nams-rgya-mtsho ( 一 五 四 三 オ ル ド ズ ー 一 五 八 九 ) に 至 り 、 こ の 喇 嘛 が 内 蒙 古 の 螂 爾 多 斯 地 方 に 巡 錫 し て 大 に 教 線 を 張 り 、 こ の 地 方 に あ り し 紅 教 を し て 悉 く 新 興 の 黄 教 に 轄 派 せ し め た の で あ る。 第 五 世 ロ ブ サ ン 、 ギ ャ ム ッ

壷。

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ホ シ ヨ ドト ク シ カ ン ダ ラ イ 附 近 に 根 擦 を 有 す る 蒙 古 の 豪 族 、 泓 碩 特 部 の 固 始 汗 よ り 達 獺 ク シ カ ン ユ ト な る 尊 號 を う け 、 こ の 固 始 汗 の 力 を 借 り て 、 西 部 西 藏 の シ ガ ク シ カ ン ツ ヱ に 紅 教 を 奉 す る 豪 族 を 繊 滅 し 、 固 始 汗 の. 武 力 に よ り て 干 定 せ る 全 西 藏 の 主 灌 を 學 げ て 第 五 世 喇 嘛 に 献 じ た る が 故 に 、 ダ ラ イ こ の 黄 教 の 達 獺 喇 嘛 が 教 樺 と と も に 政 椹 を も 掌 握 し て 酉 藏 全 土 に 君 臨 せ る の み で な く 、 内 外 蒙 古 等 の 廣 域 に わ た わ て 教 櫨 を 撰 大 す る に 至 つ て い る の で あ る。 ま た こ の 黄 帽 派 は 清 朝 の 雍 正 帝 や 乾 隆 帝 の 露 依 を 得 て 、 北 支 や 満 洲 方 面 に 地 歩 を 占 む る に 至 つ た の で あ る が 肉 そ れ は わ が 徳 川 時 代 に な つ て か ら の こ と で あ る。 ' 註 ( 一 ) 朗 達 磨 王 の 死 後 、 國 内 蹴 れ た る た め 、 そ の 子 孫 は 西 部 西 藏 に 移 住 し 、 と に そ の 絵 喘 を 止 む る に 過 響 な か つ た の で あ る。 ( 二 V こ の こ と に つ き て は ス ン バ 、 (Supa)のPag-son-zang p.182 参 照; ( 三 ) チ ヤ ル ス ベ ル 著 、 橋 本 光 寳 課 ﹁ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹂ 一 七 ○ 頁 参 照。 ( 四 ) 同 上 書 一頁 参 照。 鋼 ( 五 )L.A.Waddell Lama p.74.

Sat chra das;A Tetn-Eish-dcty

( 六 ) 、橋 本 光 寳 謬 ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 一 一 六 頁 参 照。 ( 七 ) 外 務 省 調 査 部 謬 、 ジ グ メ ナ ム ヵ 著 ・﹃ 蒙 古 喇 嘛 教 史 ﹄ 一 三 一 頁 以 下。 並 に 寺 本 腕 雅 氏 の ﹃ 喇 嘛 教 教 理 概 説 ﹄ ( 大 谷 學 報 第 十 一 雀 第 三 號 八 二 頁 以 下 ) 参 照。. ( 八 ) 橋 本 光 寳 謬 ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 一 三 1 一 二 四 頁 参 照。 ( 九 ) 邦 謬 ﹃ 蒙 古 喇 嘛 教 史 ﹄ 一 九 四 頁 参 照。 ト ゴ ( 一 ○ )Dgah-ldan-pa と は 梵 語 の 目 陰 一富 即 ち 都 率 天 を 意 昧 し, ・こ の 天 に 佳 す る 彌 勒 菩 薩 の 璽 感 に 墓 き て 開 き た る 汲 な る が 故 で あ る。 豪 -冨 ら と は 初 は 都 率 天 ( 忌 暮 鑓 を 希 求 ナ る 教 徒 (Lugs ) を 意 昧 す るDgah-lugs-pa な 勢 し が ( 後 に は 韓 じ

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てDge-lugs-pa 即 ち 徳 行 汲 と い う こ と に な つ た の で あ る 。 (Lamaism.P.61 ) ( 一 )L.A.Waddell; Lamaism p.233. ( 一) 拙 著 ﹃ 秘 密 佛 教 史 ﹄ 一 五 一ご 頁 以 下 滲 照 。

ニ.

ソ ン ツ ア ン 西 藏 に 佛 教 が 移 植 せ ら れ た の は 鍵 賛 王 の 時 で 、 そ の 王 に 嫁 し た る ネ パ ー ル の 公 主 畠 國 の 途 釜 と が 、 い す れ も 嚢 信 者 な り し が ゆ え に 、 そ の 妃 の 力 に よ り て 佛 教 が こ の 國 に 傳 播 す る こ と に な つ た と 総 せ ら れ て い る. し か し 、 そ の 當 時 に 於 け る 西 藏 の 文 化 は 極 め て 低 く 、 こ れ ( 二 ) を 記 録 す る た め の 丈 字 さ え も な か つ た の で あ る か ら 、 深 遠 な る 哲 理 に 基 く 佛 激 の 弘 布 は 中 々 に 難 事 で あ つ た に 違 い な い 。 し か の み な ら す 、 西 藏 に は 已 に ボ ン 教 (Bon-pa ) な る も の が あ つ て 、 魔 紳 を 崇 拝 し 究 禁 を 事 と し て 吉 凶 禍 輻 を 占 い 、 佛 教 な ど に 極 力 反 抗 し て 居 つ た が 故 で あ る 。 ソ ン ヅ ア ン 隻 賛 王 の 寂 後 十 年 程 し て 、 唐 の 景 龍 三 年 ( A 、 D 、 九 ○ 九 ) 、 中 ( 三 ) ツ ア ン 多 宗 の 女 と し て 金 城 公 主 が 西 藏 の 賛 答 王 (Btsan-brtan) に 嫁 し 、 ( 四 ) デ ヅ ア ン こ の 賛 答 王 と 金 城 公 主 と の 間 に 生 れ た の が 提 賛 王 (Lde-btsan ) で あ る 。 こ の 王 の 時 に 至 り 、 佛 教 が 初 め て 上 流 杜 會 の 問 に 次 第 に 浸 潤 し て い つ た よ う で あ る 。 ( 五) 酉 藏 史 家 の 傳 う る 所 に よ る と 、 こ の 提 賛 王 ( A 、 D 、 七 二 入 -( 六 ) 七 入 六 ) の 時 、 マ シ ヤ ン 、 (Ma-shan ) と い う 有 力 な 大 臣 が あ つ た 。 ( こ れ が ボ ン 教 の 信 者 で あ つ て 、 極 力 佛 教 に 反 抗 し 、 中 國 や 印 度 か ら 來 た 僧 侶 を 放 途 し 、 多 激 の 経 典 を 中 國 か ら 輸 入 し て も 、 そ れ を 宣 布 す る こ と が 出 來 な か つ た 。 そ の 時 、 王 は 佛 教 を 信 す る 他 の 大 臣 と 謀 つ て 、 つ い に こ の マ シ ヤ ン を 墓 の 中 に 生 埋 め に し 、 か く て 佛 教 の 興 隆 を は か つ た と い う 。 と れ わ が 朝 に 於 け る 崇 佛 派 の 蘇 我 氏 と 排 佛 派 の 物 部 氏 と が 相 封 立 し て 抗 争 を 事 と し た 時 、 聖 徳 太 子 が 蘇 我 氏 を 助 け て 物 部 氏 を 亡 し 、 こ れ に よ り て 佛 教 を 興 隆 し た 事 蹟 に 類 似 し て い る , し か し わ が 朝 の そ れ は 第 六 世 紀 の 末 葉 、 す な わ ち 敏 達 、 用 明 二 朝 の こ と に し て 、 そ れ か ら 約 二 百 年 を 隔 て た る 第 八 世 紀 の 後 牛 、 漸 く に し て 酉 藏 に こ れ が 現 出 し た こ と に な る の で あ る 。 提 賛 王 は こ の 機 運 に 乗 じ 、 印 度 、 申 國 、 カ シ ユ ミ ル 等 に 使 ( 七 ) を 遣 し て 佛 教 僧 を 招 請 し 、 特 に そ の 當 時 、 令 名 の あ つ た 印 度 ナ ラ ン ダ 那 瀾 陀 寺 の 學 僧 、 寂 護 (Canta-raksita ) を 迎 え る た め に 、 圏サ ン シ ( San-shi ) を 使 者 と し て 派 し た の で あ る が 、 , そ れ が 幸 に も ネ パ ー ル 國 に 於 て 、 當 入 の 寂 護 に 遙 遁 し こ れ を 屈 請 し て 來 た の で あ る 。 趣 ( 八 ) そ の 寂 護 は 中 道 派 の 學 者 で も あ り 、 同 時 に 律 僧 で も あ つ た ( 九 ) ら し い 。 そ こ で 彼 が 西 藏 に 於 て 佛 教 道 徳 を 読 い て 布 教 を 初 む る や 、 不 幸 に も 落 雷 や 水 害 等 の 天 災 が あ り 、 佛 教 反 封 の 臣 民 嘲 嚇 教 と 日 本 佛 教

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-5-密 教 丈 化 等 は こ れ を 以 で 、 地 元 の 瀞 が 佛 教 輸 入 を 激 怒 せ る 結 果 な り と し て 王 に 反 抗 し た 。 そ こ で 止 む な く 、 寂 護 も 一 時 ギ パ ー ル 忙 退 く に 至 つ た の で あ る 。 し か も そ め 後 、 間 も な く 呼 び 戻 さ れ 、 こ の 寂 護 の す め に よ わ ノて 、 印 度 よ り 蓮 華 生 (Padma-sambhava ) を 招 聰 し 、 こ の 蓮 華 生 が 密 教 の 立 場 よ り 酉 藏 在 凍 の ボ ン 教 を 包 容 し 、 民 聞 信 仰 に 即 す る 密 教 的 通 俗 佛 教 を 宣 傳 し ,た め で あ る 。 、 こ れ が 功 を 奏 し て 、 佛 教 が 次 第 に 廣 く 一 般 に 滲 透 し 、 西 紀 ( 一 ○ ) 七 四 九 年 、 印 度 に 於 け る 互 刹 、 オ ー タ ン タ プ リ (O-tamta-puri ) ラ サ び 大 伽 藍 に 模 し て 、 拉 薩 の 東 南 三 日 程 の 庭 に サ ム ヱ (Bsam-yas ) 寺 が 建 立 さ れ 、 そ れ を 西 藏 佛 教 の 根 本 道 場 と し た の で あ る 。 ( 一 ) こ の サ ム ヱ 寺 の 道 場 に 於 て 、 印 度 よ り 招 請 せ る 読 一 切 有 部 律 の 僧 十 二 人 が 集 ま り こ 、 に 寂 護 を 長 老 と す る 檜 伽 (Smgha ) が 成 立 し た の で あ る 。 そ こ で 先 す 一 西 藏 人 を 得 度 し て 、 秘 密 吉 鮮 音 (Sba-dpal-dbyans ) と い う 僧 名 を 與 え 、 さ ら に 六 入 あ 酉 藏 人 を 得 度 せ し め た と い う , ( 二 ご ) も し こ の 僧 伽 成 立 の 時 を 、 酉 藏 史 家 の 論 に よ り て 、 丁 未 の 亀 年 す な わ ち 西 紀 七 六 七 年 な り と す る と 、 わ が 敏 達 天 皇 の 十 三 シ マ 年 ( A 、 D 、 五 八 四 ) に 初 め て 司 馬 達 止 の 女 、 ﹁ 島 ﹂ を 度 し て 善 海 尼 と 名 け た 時 よ り 藪 え て 百 八 十 三 年 後 の こ と で あ り 、 孝 謙 天 皇 の 天 卒 勝 寳 六 年 ( A 、D 、 七 五 四 ) 漿 箕 和 術 が 東 大 寺 に 初 め て 戒 壇 を 設 け 、 天 皇 、 皇 后 、 皇 太 子 以 下 諸 臣 に 菩 薩 戒 を 授 け ら れ た 時 よ り は 僅 か に 十 三 年 後 の こ と で あ る 。 し か る に 、 そ の 當 時 、 西 藏 の 上 流 杜 會 に 一 大 勢 力 を 占 め て ( 鳳 四 ) い た 中 國 の 學 儒 等 は 、 箪 刀 直 入 に 人 心 の 奥 底 に 参 到 す る を 主 眼 と し 、 戒 律 な ど の 末 節 に 拘 泥 す る を 屑 し と し な か つ た の で 、 戒 律 嚴 守 の 印 度 系 の 僧 伽 と 相 和 せ す 、 常 に 抗 事 を こ と と し 、 紛 擾 が 絶 幻 な か つ た よ う で あ る 。 そ こ で 借 か に 印 度 系 の デ ツ ァ ン 持 律 僧 に 韓 依 せ る 提 賛 王 は 、 印 度 に 人 を 派 し て 因 明 に 通 ぜ る 寂 護 の 弟 ヂ 、 カ ヤ ラ シ ﹂ ラ (Kamala-cila) を 招 講 し 、 こ の カ マ ラ シ ー ラ を 印 度 僧 伽 の 代 表 と し 、 大 乗 和 樹 を 中 國 學 檜 の 首 領 と し て 、 こ れ を サ ム ヱ 寺 に 召 集 し 、 こ 、 に 提 賛 王 は 各 自 の 抱 持 せ る 主 張 を 論 職 せ し め 、 ﹂そ れ に 勝 利 を 得 た る も の の み を 西 藏 佛 教 の 正 統 派 と す る こ と に し た の で あ る 。 ( 一 五 ) 論 如 意 樹 史(Pag-sam-jon-zang ) に ょ る と 、 こ の 時 、 大 乗 和 樹 は 多 く の 中 國 學 櫓 を 率 い て 、 中 央 に 於 け る 王 座 の 右 側 に 坐 し 、 . カ マ ラ シ ー ラ は 同 じ く 印 度 僧 團 を 具 し て そ の 左 側 に 列 し 、 中 央 座 に あ る 王 自 ら が そ の 論 職 の 審 判 に 當 つ た の で あ る 。 ( ハ ) そ こ で 先 す 訳 乗 和 尚 が 説 を 立 て 、 ﹁ 善 業 や 悪 業 に よ り て 天 上 に 生 れ た り 、 地 獄 に 喰 し た り す る け れ ど も 、 ご れ は い ず れ も 輪 廻 を 解 脱 し た も の で は な い 。 却 つ て 佛 智 を 開 見 す る た め め 障 り と な る に 過 ぎ な い 。 恰 も 雲 は 白 く て も 黒 く て も 倶 に 日 月 を 覆 い 階 す よ う な も の で あ る ぐ た ゴ 無 念 無 想 の 眞 智 の み が

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輪 廻 を 解 晩 す る こ と が 出 來 る 。 し か る に 有 念 末 笛 を 本 と す る 戒 律 法 門 の 如 き は 、 ま つ た く 假 り の 世 の 教 で 、 恰 も 猿 が 樹 上 を 見 か け て 下 か ら 上 に か け 登 つ た 所 で 、 大 地 の 根 底 を 離 れ 得 な い よ う な も の で あ る 。 こ れ に 比 す る と 、 わ が 無 念 無 想 の 絶 待 界 の 法 門 は 、 あ た か も 虚 室 か ら 鳥 が 樹 頂 に 降 る よ う な も の で 、 極 め で 自 由 で 診 る ﹂ と い つ た の で あ る 。 (一七) こ れ に 封 し 、 カ マ ラ シ ー ラ が 反 駁 し 、 ﹁ 大 乗 和 尚 の い わ ゆ る 鳥 の 磐 喩 は 適 切 で な い 。 そ の 鳥 は 虚 室 の 中 で 忽 然 と 翼 が 出 來 て 樹 頂 に 降 り て 來 た の か 、 そ れ と も 岩 の 上 に あ つ た 鳥 が 翼 を 撲 げ て 樹 頂 に 降 り た と い う の か 、 若 し 前 者 な り と せ ぱ 、 あ り 得 べ か ら ざ る こ と で あ り 、 若 し 後 者 な り と せ ぱ 、 却 つ て そ れ は 差 別 界 を 誰 す る 喩 に な る , 汝 の 喩 が 誤 つ て い る 如 く に 、 そ の 義 も ま た 誤 つ て い る 。 す な わ ち 已 に 無 念 無 想 と い な が ら 自 か ら そ れ を 思 念 し 分 別 し て い る の は 何 事 ぞ 、 分 別 は 一 方 に 封 す る も の な る が 故 に 、 虚 室 と い う も 分 別 で あ り 、 樹 立 で あ る 。 軍 な る 無 念 無 想 は 睡 眠 や 昏 迷 ど 同 じ こ と に な る 。 も し 本 當 に 無 念 無 想 と い う の な ら 、 汝 自 ら が 無 念 無 想 と い う こ と を 思 念 し 観 想 す る こ と を 先 す 捨 て ね ば な ら ぬ 。 そ の 結 果 は 妙 観 察 智 も 、 室 性 に 悟 入 す る た め の 智 も 悉 く 捨 て 、 、 た ゴ 獣 念 と し て い る 外 は な い ﹂ と 難 詰 し た の で 、 大 乗 和 荷 は そ の 答 辮 に 窮 し 、 ま っ た く 惨 敗 に 終 つ た の で あ る 。 ( 一 八 ) こ の 法 職 以 來 、 中 國 學 信 は 一 時 に 勢 力 を 失 墜 し 、 ま つ た く 、 西 藏 か ら 影 を 渡 し た と い う わ け で は な 、い け れ ど も 、 そ の 指 導 的 地 位 を 印 度 偲 に 譲 り 、 そ の 下 風 に 立 つ の 止 む な き に 至 つ た ( 一 九 ) の で あ る 。 提 賛 王 は こ れ 等 の 印 度 僧 の 協 力 に よ り て 、 ,十 二 の 佛 教 學 院 や 修 繹 道 場 を 開 い た の み で な く 、 ざ ら に 、 中 國 、 印 度 、 ネ パ ギ ル 、 カ シ ユ ミ ル 等 よ り 學 僧 を 招 請 し て 繹 場 を 開 設 し 、 西 藏 の 繹 官 僧 パ ル チ ヱ ク (Dpab-lrtsegs ) 、 ル イ バ ン ポ ー ( Kluhi-dban-po ) 等 を そ の 監 督 に 任 し た の で あ る 。 さ ら に 提 賛 王 は 密 教 に 令 名 の あ る 佛 陀 輩 晒 耶 (Buha-gua o r Buddha -gupta) を 招 請 す る た め に 、 パ ル チ ヱ ク (Dal-bgs ) 等 に 多 く の 金 鑓 を 持 た せ て 、 印 度 に 汲 邉 し た の で あ る 0 そ の 佛 陀 嬰 晒 耶 は 老 齢 の 故 を ,以 て 招 請 に 鷹 じ な か つ た け れ ど も 、 ( 二 ○ ) 密 教 に 關 す る 自 か ら の 著 書 と と も に 、 ﹁ 西 藏 の 王 臣 奪 者 等 に 途 る 書 ﹂ を 裁 し て 、 こ れ を 使 者 に 托 し た の で あ ゐ 。 そ れ に よ る と 、 初 に 提 賛 王 の 徳 を 賛 賞 し た る 後 、 ﹁ 汝 は 功 徳 に 恵 ま れ ≡ な い 自 か ら の 領 、土 を 成 熟 せ し め ん が た め に 、 あ ら ゆ る 聖 な る 更 住 を 求 め て い 届 . そ れ が た め に 、 遍 照(Vairocana ) と パ ル チ ヱ ク (Dpal-brtsegs ) と ル イ ギ ャ ル ッ ア ン (Kuhi-ral mtshan ) と イ シ ヱ デ (Ye-ces-sde ) と ア が マ ン ジ ユ (Aro-mu ) 等 に 、 金 銭 等 の 多 く の 富 を 持 た せ て 、 印 度 の 國 の 妙 法 を 講 來 す べ く 派 遣 し た 。 こ れ 西 藏 に 於 け る 黒 暗 の 窓 ロ を 開 い て 、 生 命 の 水 、 生 命 の 力 に 鰯 れ し め ん が た め で あ る ﹂ 等 と 説 い て い 、 る 。 こ れ に よ り て 見 る も 明 か な る 如 く に 、 酋 藏 に 佛 激 が 榮 え た , と い つ て も 、 そ れ は な お 幼 稚 な も の で 、 佛 陀 盤 晒 耶 の 如 き は 嘱 號 教 と 日 本 佛 教

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( 一二 ) 西 藏 を 以 て 佛 教 國 と 認 め て 層 ら ぬ 形 跡 が 窺 れ る の で あ る 。 思 う に 提 賛 王 の 繹 経 事 業 の 如 き も 、 次 の 時 代 へ の 準 備 工 作 と も い う べ く , こ の 提 賛 王 の 意 志 を 縫 承 し て 、 さ ら に 一 段 の レπ パ チ ヤ ン ( ご 二 ) 光 輝 あ ら し め た も の は 徐 巴 膿 王 Khri-ral-pa-can ( A 、 D 、 八 ○ 六 -八 四 二 V で あ る 。 こ の 徐 巴 謄 王 は 即 位 後 、 間 も な く 、 課 維 事 業 を 盛 ん に す る た め に 、 さ ら に 印 度 、 カ シ ュ ミ ル 等 よ 、 り 多 く の 學 僧 を 屈 請 し 、 こ れ に 鷹 じ て 入 藏 し た も の に 、 シ 3 ( 一 三 ) レ ン ド ラ ・ ボ ー デ イ (cilendra-bodhi ) 、 ス ー レ ン ド ラ ・ ボ ー デ イ 、 (Surdpara-bodhi) ジ ナ ミ ト ラ(Jina-mita ) ダ ナ ・ -シ ラ (Dana-cila ) 、 ボ ー デ イ ・ ミ ト ラ (Bodhi-mitra) 等 が あ り 、 提 賛 王 の 末 年 よ り 棟 巴 謄 王 の 時 代 に 活 躍 し た 酉 藏 人 の 課 官 に 、 パ ル チ ヱ ク 、 イ シ ェ デ 、 ー ド ハ ル マ タ ー シ ー テ ( ︼) 7 鐙 筥 鉾 鋤 嶋 圃ご V 等 が あ る で あ る 。 こ れ 等 の 學 匠 を は じ め 、 そ の 他 の 協 力 を 得 て 、 繹 場 を 開 い ( 二 四 ) た の で あ る が 、 そ れ に は 先 す 從 來 の 綴 字 法 や 繹 語 が 鳳 豚 で あ つ た の を 整 備 し 、 梵 本 に 於 け る 経 名 、 要 語 、 術 語 等 に 各 々 精 練 せ る 適 切 な 西 藏 繹 語 を 制 定 し て 、 こ れ を 謬 経 の 基 準 と し 、 ( 二 五 ) こ の 基 準 繹 語 を 集 大 成 し た も の が 、 い わ ゆ る ﹃ 翻 繹 名 義 大 葉 ﹄ で あ ゐ 。 こ の 基 準 語 に 基 づ く 精 練 の 鐸 語 に よ り て 、 前 代 の 繹 経 を 歌 訂 し 、 前 代 未 課 の 多 く の 維 典 を つ ぎ つ ぎ に 翻 繹 し た の で あ る 、 し か し て そ の 當 時 に 翻 繹 せ ら れ た る 経 論 が 、 王 の デ ン 功 ル 宮 殿 (Pho-bran-ldan-dkar ) に 保 存 さ れ 、 こ れ を パ ル チ エ ク (Dpal-brtsegs ) や ナ ム カ イ 昌 ン ボ ー 日 曇 餌 嘗 snin-po ) が 整 理 し で 、 偶 歎 並 に 毬 藪 等 を 詳 記 せ る 目 録 を 作 製 ( 二 ハ ) し た 。 こ れ が ﹃ デ ン カ ル 目 録 ﹄ に し て 、 現 存 せ る も の 中 で 最 も 古 い 経 録 で あ る 。 、 ( 二 七 ) こ の ﹃ デ ン カ ル 維 録 ﹄ を 以 て 提 賛 王 の 時 代 の 作 製 と す る 竜 の も あ る け れ ど も 、 い ま こ れ を 現 存 せ る も の に っ き て 考 う る レ な パ ヂ ヤ ン ロ に 、 こ の 経 録 中 に は 篠 巴 謄 王 時 代 に 入 藏 し た 戒 主 畳 (Ciledra-b o d hi ) 、 ゴ入 主 轡 乃 (Surendra-bodhi ) 、 臨勝 友 (Jina-mitra ) 、 施 戒 (Dana-cila ) 等 の 繹 維 が 多 い こ と 、 提 賛 王 の 著 書 が 含 ま れ て い る の み で な く 、 こ れ を 基 準 繹 語 に よ り て 改 訂 せ る も の 七 部 、 レ ヒ バ ヂ ヤ ン 未 改 訂 の も の 十 一 部 等 と な つ て い る こ と 、 さ ら に 棟 巴 謄 王 の 初 期 に 現 存 せ る も の と し て 、 ﹃ 翻 課 名 義 大 集 ﹄ に は た ズ 一 百 ぢ 蝕 部 を 暴 げ て い る に 過 ぎ な い の に 、 こ の デ ン カ ル 維 録 に は 七 百 飴 部 が 學 つ て い る こ と な ど か ら 考 え て も 、 こ れ が 棟 巴 謄 王 時 代 に 屡 す る こ と は 明 か で あ る 。 そ の 徐 巴 謄 王 の 何 年 に 出 來 た も の か 、 経 録 に は た ゴ ﹁ 辰 の 年 の 編 纂 ﹂ と あ る の み で 、 十 ( 二 八 ) 干 が 附 し て な い か ら 明 了 で な い が 、 ﹃ 唐 書 ﹄ に あ る よ う に 、 徐 巴 謄 王 の 即 位 を 憲 宗 の 元 和 十 一 年 ( A 、 D 、 八 一 六 ) と す る と 西 紀 八 二 四 年 の 辰 年 か 、 同 八 三 六 年 の 辰 年 か で な く て は な ら ぬ 。 こ れ ぞ 次 の 辰 年 た る 八 四 八 年 に は 、 巳 に 王 は こ の 世 に な か つ た か ら で あ る 。 し て 見 る と 、 こ の ヂ ン カ ル 維 録 は 西 紀 八 二 四 年 と 八 三 六 年 と の 間 、 ず な わ ち 、 わ が 淳 和 天 皇 の 天 長 元 年 か ら 仁 明 天 皇 の 承 和 三 年 に 至 る 十 二 年 間 の い す れ か で 、

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-8-わ が 弘 法 大 師 の 晩 年 に 作 製 せ ら れ た も の と い う こ と に な る の で あ る 。 こ の ヂ ン カ ル 経 録 に あ る 経 論 部 歎 等 に つ き て は 、 曾 て 立 花 ( 二 九 ) 秀 孝 氏 が ﹃ 現 代 佛 教 ﹄ 誌 上 で こ れ を 獲 表 せ ら れ た の で あ る が 、 い ま こ れ を 高 野 山 圖 書 館 所 藏 の も の に つ き て 精 査 す る と そ の 部 目 な り 部 歎 な り の 上 に 多 少 の 齪 臨 が あ る よ う で あ る か ら 、 改 め て 左 に そ の 部 目 、 部 激 等 を 掲 げ る こ と に す る 。 一 大 乗 般 若 部 一 四 部 一 一 大 乗 華 嚴 部 六 部 三 大 乗 寳 積 部 四 八 部 四 大 乗 雑 経 部 ハ 五 部 五 大 経 部 九 部 六 申 國 重 課 大 乗 経 典 部 ご 四 部 七 小 乗 経 典 部 ・ 四 三 部 八 秘 密 部 一 七 部 九 薙 児 部 一 ○ 二 部 一 ○ 百 入 名 部 ・ 九 部 一 一 雑 賛 部 一 八 部 一 二 難 願 部 ご 一 部 一 三 吉 慶 部 七 部 一 四 戒 律 部 ご 三 部 一 五 読 一 切 有 部 九 部 一 六 大 乗 経 羅 部 五 一 部 一 七 中 國 謬 経 繹 部 八 部 一 入 中 襯 部 、 三 二 部 一 九 静 慮 部 , 入 部 二 ○ 唯 識 部 四 一 部 ー 二 一 大 乗 難 論 部 三 一 部 二 ご 小 乗 論 部 ・ 九 部 二 三 因 明 部 、 二 五 部 二 四 提 禁 所 作 部 一 八 部 ( 未 改 訂 二 一 部 珠 訪 二 部 ) (合 計 七 三 ○ 部 ) 以 上 .、 経 録 の 示 す 如 く に 、 小 乗 の 経 律 論 三 藏 は 勿 論 の こ と 、 大 乗 経 典 に 於 て も 、 般 若 、 華 嚴 、 寳 積 、 法 華 等 す べ て 椹 要 な 経 論 は 大 抵 み な 鐸 さ れ て い る 。 梵 本 に な い も の は 漢 繹 の も の か ら 重 繹 さ れ 、 樗 伽 経 . 浬 梁 維 . 金 光 明 経 等 を 始 め 、 解 深 密 経 繹 や 法 華 玄 賛 ま で が 、 巳 に 西 藏 語 繹 に な つ て い る の で あ る 。 こ れ を 現 存 の デ リ ゲ 板 西 藏 大 藏 経 に 牧 載 せ る 四 五 六 九 部 に 比 較 す る と 、 僅 か に そ の 六 分 の 一 に も 充 た な い け れ ど も 、 佛 教 の 基 本 典 籍 は 殆 ん ど こ の 時 に 充 足 さ れ た と い つ て よ い の で あ る 。 わ が 國 に は か 、 る 繹 維 事 業 は 興 ら な か つ た け れ ど も 、 そ れ は 中 國 に 於 て 翻 繹 せ ら れ た る 経 論 を そ の ま に 利 用 す る こ と が 出 來 た か り の こ と で あ る 。 そ の 中 國 課 の 経 論 等 五 千 蝕 巻 が 巳 に 聖 武 天 皇 の 天 李 七 年 ( A 、 D 、 七 三 五 ) 、 玄 肪 に よ り て 請 來 せ ら る や 、 こ れ を 普 及 す る た ぬ に 政 府 事 業 と し て 完 備 せ る 爲 経 所 が 設 け ら れ 、 少 く と も こ の 棟 巴 朧 王 乏 時 を 等 う す る 亭 安 朝 の 初 期 に は 歎 千 の 佛 教 典 籍 が 普 及 せ ら れ 、 こ れ 等 の 典 籍 嘲 臓 教 と 日 本 佛 教

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-9-籍 亀藪 丈 畳 贅 料 を 咀 囑 し て 、 こ れ を わ が 國 情 に 融 合 し 、 傳 教 、 弘 法 の 二 大 師 が 薪 た に 日 本 佛 教 を 建 設 し 宣 揚 し つ あ つ た の で あ る 。 ( 三 ○ ) 傳 う る 所 に よ る と 、 西 藏 の 徐 巴 謄 王 は 戒 律 を 主 と す る 純 眞 の 佛 教 を 宣 揚 す る た め に 、 .粗 野 淫 蕩 な る 密 教 維 典 の 翻 繹 を 禁 じ た と 稔 せ ら れ る 。 し か し 正 當 な る 密 教 の 翻 繹 ま で を 禁 じ た の で な い こ と は 、 巳 に 須 彌 山 頂 櫻 閣 陀 羅 尼 を 始 と す る 九 五 部 の 雑 兎 経 典 な り 、 大 日 経 、 蘇 悉 地 経 等 の 十 七 部 の 密 教 経 曲 ハな 砂 が 翻 課 せ ら れ 、 こ れ が デ ン カ ル 経 録 に 列 ね ら れ て い る に よ る も 明 か で あ る 。 、 い ま そ の 當 時 に 於 け る 密 教 の 基 本 経 典 の い か な る も の が 繹 せ ら れ て 居 つ た か を 知 る た め に 、 そ の 十 七 部 経 典 の 偶 歎 、 巻 歎 並 に 誰 者 名 を 左 に 列 ね る こ と に す る 。 括 弧 内 の 数 字 は ヂ リ ゲ 板 東 北 大 學 目 録 の 経 典 番 號 で あ り 、 S は 偶 数 、 V は 巻 数 で あ る 。 一 不 空 羅 索 経 ( 六 八 六 )7800S.28V . 鐸 者 欠 ご 最 上 朗 児 経 ( 七 四 六 )4500S.15V. 期弾 者Vidyakara-prabha,Dpal-brtsegs. 三 金 鰯 手 灌 頂 経 ( 四 九 六 )3600S.12V. 識 者Cilendra-bodni,ye -ces -sde 四 蘇 悉 地 翔 羅 経 ( 八 ○ 七 )2100S.7V. 鐸 者 、欠 五 大 日 経 ( 四 九 四 )1950S.6V. 十150S. 細 者Cilendra-bodhi,Dpal-brtsgs. 六 墨人 日 経 一嬰 義 仙樺 ( 二 六 山ハ ニ )2300S.7V. 十200S. 著 者Buddha-gupta 遡砕 者Cilendra-Dpal-brta-raksita. 七 一 切 悪 趣 浄 除 威 光 経 ( 四 八 一ご )700S.2V 十100S. 堀 者 .Canta-watueree-raksita. 八 亜 心趣 一海 除 義 評 羅 竹 ( 二 六 ご 四 )3000S.10V. 繋 者 Wddha-gupta 翁自 謬 一者 欠 九 妙 壁 菩 薩 所 問 纏 ( 八 ○ 五 )3500S.1V 十50S. 繹 者 欠 、 一 ○ 妙 腎 菩 薩 所 問 纏 語 義 註 繹 傭 忘( 二 ハ 七 二 )1500S .SV. 著 者 並 に 課 者 欠 、 一 一 綾 輝 定 品 ( 八 ○ 八 )150S.1V . 課 者 欠 一 二 、績 蒲 岬宗 μ晶 門廣 檸 ( 二 六 七 ○ )900S.3V. 繭者Bhddha-gupta 謬 者Viyakara-prabba.Dpal-brtsegs ご 、 大 孔 雀 纏 ( 五 五 九 )700S.2V 十100S. 課 陣者Cilendra-bodhi,jnana-siddhi etc. 一 四 守 謹 大 千 國 土 纏 ( 五 五 八 )600S.2V. 謬 者 .同 上 一 五 大 随 求 朗 妃 纏 ハ 五 六 一 )44S.1V 十140S. 課 者Jina -mitra-cila,depa-ces-sde. 一 六 大 寒 林 経 ( 五 六 二 )280S.1V. 諜 者Cilendra-bodhi,jnana-mitra etc. 一 七 賃 言 随 持 纏 ( 五 六 一ご )1400S.1V. 繹 者 同 上 ( 以 上 ) こ れ た 雑 兜 経 血 ハ 一 ○ 二 部 を 加 え る と 、 一 一 九 部 の 密 教 経 典 レ ト パ チ ヤ ン に な り 、 練 巴 謄 王 と 時 代 を 等 う す る 弘 法 大 師 が 中 國 よ り 請 來

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せ る 録 内 儀 軌 一 八 ○ 部 三 二 四 巷 の 密 教 経 典 に 殆 ん ど 匹 敵 す と い つ て よ い。 し か し こ の 時 代 に 於 け る 西 藏 の 密 教 は 軍 な る 翻 繹 密 教 に 止 ま り 、 こ れ を 浩 化 し 活 用 し て 酉 藏 の 國 情 に 適 す る 正 統 密 教 を 、建 設 す る ま で に は 至 ら な か つ た の で あ る。 こ れ こ の 王 の 嗜 妊 が 專 ら 戒 律 佛 教 と 學 解 佛 教 と に 傾 き て 、 あ ま り 密 教 に 關 心 を 持 た な か つ た 故 で あ る ら し い。 し か し て そ の 時 代 の 西 藏 一 般 の 人 心 が 何 等 か の 瀞 秘 力 に 縄 り そ 慰 安 を 求 め ん と す る 傾 向 の あ る の を 無 覗 し 、 た ゴ 佛 教 保 護 の た め に 寺 院 を 建 て 佛 信 を 寵 遇 し 、 人 民 は こ れ が た め に 重 レ ロ バ ギ ダ ヤ ン ラ ン 税 に 苦 し む こ と に な つ た る 結 果 が 、 練 巴 謄 王 の 後 を 襲 え る 朗 ダ ル マ 達 磨 王 の 排 佛 と な り 、 折 角 、 隻 賛 、 提 賛 、 擦 巴 謄 の 三 代 に 築 ぎ 上 げ た 偉 業 は 崩 壌 し た。 こ 、 に 初 傳 喇 嘛 教 の 幕 を 閉 じ 、 爾 後 七 十 年 間 、 西 藏 佛 教 の 暗 黒 時 代 を 現 出 す る こ と に な つ た の で あ る。 , 註 亀 ( 一 ) 丈 成 公 主 が 嫁 し た の は ﹃ 唐 ・書 ﹄ に よ れ ば 貞 鶴 十 五 年 ( A 、 D. 六 四 ︼ ) で あ る。 ( 二 ) ﹃ 唐 書 ﹄ 巻 一 = 六 に よ る と 、 ﹁ 文 字 な く し て 縄 を 結 び 歯 木 を も つ て 約 と す ﹂ と い う。 ( 三 ) 詳 か に ほ 提 乞 喋 答 (Lde-Khri-btsartsan) じ と い う. ( 四 ) 詳 し く は 乞 喋 讐 提 賛 (Khri-srong-lde-ogs) と い う. ( 五 ) こ の 年 代 は チ ヨ ー マ (Csoma ) 氏 の ﹃ 西 藏 文 典 ﹄ 一 入 三 頁 に 牧 鎌 せ る ﹃ 白 瑠 璃 ﹄ (Vaidurya-dkar-po ) に 基 づ く も の で あ る。 そ の 他 、E.Schlagintwei 氏

のDie konige von

蒙 糞 参 照 胎 ボ ( 六 ) ﹃ 如 意 樹 史 ﹄ (Pag-san-jon-zong ) 一 七 ○ 頁 並 に チ ヤ ル メ 、 ベ ル 著 、 橋 本 光 寳 謬 ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 六 ○ 頁 滲 照。 ( 七 ) 同 上 ﹃ 如 意 樹 史 ﹄ 一 七 ○ 頁 並 に ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 六 ︼ 頁 参 照 ( 入 ) 寺 本 腕 雅 謬 ﹃ タ 弓 ラ ナ タ 印 度 佛 教 史 ﹄ 二 七 七 頁 参 照。 ( 九 ) ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 六 ご 頁 勢 照。 ( 一 ○ ) ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 許六 五 頁 、 並 に ワ ツ デ ル (Waddel ) の Lamaism p.576. ( 一 一 )Lamaisra Waddel,Lamaism ( 一 二 ) ﹃ 如 意 樹 史 ﹄ 一 七 一 寅 に ょ る。 ( 二 二 ) ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 六 五 頁 に は 第 五 世 蓬 癩 喇 嘛 の 著 た る ﹃ 歓 樂 の 宴 ﹄ を 引 き て こ れ を 設 明 し 、 ま た 寺 本 腕 雅 課 、 智 瞳 (Ye-ces r gyal-mtshan) の ﹃ 戒 律 源 流 ﹄ ( 大 谷 大, 學 内 佛 教 研 究 會 の 難 誌 、 佛 教 研 究 第 一 巷 第 一 號 七 一. 頁 ) に も こ れ を 未 年 と し て い る。 ( 一 四 ) 同 上 ﹃ 戒 律 源 流 ﹄ 七 一ご 頁 参 照。 ( 一 五 ) ﹃ 如 意 樹 史 ﹄ 一 七 三 頁 参 照。 ( 一 六 ) 同 上 書 一 七 三 一 七 四 頁 参 照。 、 ( 一 七 ) 同 上 書 一 七 四 頁 参 照。 ( 一 八 ) 中 國 曾 が 全 く 西 藏 を 去 つ た わ け で は な い 事 は 、 申 國 か ら の 経 論 を 重 課 ず る 場 合 に 、關 係 し て い る こ と か ら 推 す も 明 か で あ る ( 一 九 ) ﹃ 如 意 樹 史 ﹄ 一 七 三 頁 参 照。. ( 二 ○) デ ル ゲ 板 西 藏 大 藏 経 通 秩 二 七 五 、 第 四 一 九 四 號 に 牧 載 せ ら れ て い る。 ( 一 )W.W.Rockhill;Life Buddha. ( 二 二 ) こ の 王 の 年 代 はE.School.Die koniga. 購 嚇 教 と 日 本 佛 教

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密 教 丈 化 Tibet に よ る 。 多 田 等 襯 氏 は そ の 著 ﹃ チ ベ ツ ト ﹄ に 於 て ( A 、 D 、 入 一 四 ー 八 三 ハ ) と し て い る 。 ( 二 三 ) ﹃ 如 意 樹 史 ﹄ 一 七 五 頁 参 照 。 ( 二 四 ) ナ ル ダ ン 新 版 骨 珠 爾 目 録 並 次 呂 徴 著 ﹃ 西 藏 佛 教 原 論 ﹄ 二 四 頁 参 照 。 ( 二 五 ) デ ル ザ 板 西 藏 大 藏 輕 通 秩 三 ○ 六 、 第 四 三 四 六 號 牧 載 。 わ が 國 に 於 て 出 版 せ ら れ た る も の に 榊 亮 ミ 郎 著 ﹃ 翻 謬 名 義 大 集 ﹄ 並 沢 萩 原 雲 來 著 暴 漢 封 謬 、 佛 教 僻 典 ﹄ が あ る 。 ( 二 六 ) デ ル ゲ 板 西 藏 大 藏 纏 通 秩 三 ○ 九 、 第 四 三 六 四 號 牧 載 。 ( 二 七 ) ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 六 八 頁 参 照 。 ( 二 八 ) ﹃ 唐 書 ﹄ 巻 一 六 下 五 右 七 行 並 にW.W.Rock life of the Brooleta p.223 ( 二 九 ) 雑 誌 ﹃ 現 代 佛 教 ﹄ 第 一 一 入 號 二 八 頁 参 照 。 ( 三 ○ ) 寺 本 娩 雅 謬 ﹃ 戒 律 源 流 ﹄ 並 に ﹃ 西 藏 の 喇 嘛 教 ﹄ 七 三 頁 参 照 。 三 寳 賢 の 新 密 教 と 日 本 密 教 ラ ン ダ ル マ 朗 達 磨 藷 排 佛 以 來 、 攣 年 に し て 、 讐 犀 に 遁 れ た る 比 丘 が 、 青 海 の 東 南 、 安 土 ( 臣 塁 d ) に 集 り て 戒 律 佛 教 の 復 興 を 企 て 、、 そ れ に 鷹 す る か の 如 く に 、 西 部 西 藏 の ガ リ ( 竃 鍬 マ . 一の ) 地 方 に 極 め て 熱 烈 な 佛 教 の 保 護 者 が 現 れ た 。 そ れ は 朗 達 ( ご ) 磨 王 の 後 喬 と 稻 せ ら る イ シ オ ヱ (Ye-ces-h o d ) 王 に し て 、 彼 は 破 佛 を 事 と せ る 組 父 の 非 行 を 償 わ ん と す る 念 願 も あ つ た で あ ろ う と 思 わ れ る が 、 自 か ら 都 せ る ト ー リ 払 (Tho-lire ) に 寺 院 を 建 て 、 佛 教 を 宣 揚 し 、 後 自 か ら 出 家 し た る が 故 に 尊 喇 嘛 イ シ オ ヱ (Lha-bla-maol,Ye-ces-h o d ) と も 稻 せ ら れ て め る 。 彼 が こ の 地 方 に 獲 存 せ る 佛 教 の 浮 化 革 薪 を 計 ら ん と し て 、 , ( 三 ) 先 す 少 年 檜 の 教 育 に 專 念 し 、 年 齢 十 歳 の 少 年 七 人 を 選 ん で こ れ を 手 許 に 置 い て 自 か ら 教 養 す る と と も に 、 父 母 の 許 し を 得 て こ れ を 出 家 せ し め 、 そ の 長 す る に 及 ぶ や 、 各 々 に 二 人 の 侍 信 を つ け て 、 こ れ 等 を カ シ ュ ミ ル (Kacmira ) や 摩 掲 陀 (Ma q m d ) や 、 そ の 他 の 地 方 に 派 遣 し て 大 に 正 統 佛 教 を 研 究 せ し め た の で あ る 。 し か る に 、 こ れ 等 の 學 徒 は 不 幸 に も 胎 ん ど 凡 て が 風 土 病 や 蛇 に 噛 ま れ た り し て 死 し 、 た ゴ 僅 に 寳 賢 (Rin-cettlmo-po ) と 外 一 人 が 成 功 し て 露 つ た に 過 ぎ な か つ た の で あ る 。 ( 四 ) そ の 寳 賢 は 三 度 ま で も カ シ ユ ミ ル 國 に 留 學 し 、 七 十 五 人 の 學 者 に つ き て 深 く 顯 密 の 佛 教 を 究 め た の み で な く 、 梵 語 を も 充 分 に 學 習 し た の で あ る 。 そ の 師 事 し た る 七 十 五 人 の 學 者 の 中 で は 、 信 相 鎧 (crddl-vrman) と 蓮 護 (Kama-guta ) と 勝 友(Jina-mita) と が 最 も 勝 れ そ 居 つ た と い う 。 特 に 寳 賢 は こ の 信 相 鎧 に つ き て 、 そ 當 時 カ シ ュ ミ ル 國 に ま で 流 布 せ ( 五 ) る 超 巖 (Vikrama-cila ) 大 學 系 の 密 教 を 研 究 し た よ う で あ る 。 そ れ で こ の 寳 賢 が 五 十 五 歳 の 時 、 す な わ ち 、 西 紀 一 ○ ○ 二 年 に 、 信 相 鎧 等 が 入 藏 し 來 り た る を 機 と し て 、 こ れ 等 の 人 と ( 六 ) と も に 、 多 く の 経 典 を 翻 繹 し た の で あ る 。 そ の 中 に は ﹃ 現 観 荘 嚴 論 明 繹 ﹄ 等 の 如 き 、 顯 教 に 屡 す る も の も あ る け れ ど も 、 そ の 大 孚 以 上 を 占 む る も の が 密 教 経 論 で 、 大 約 百 一十 部 程 に

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な つ て い る 。 い ま そ の 主 要 な る も の を 墾 げ る と 、 左 の 如 き も の が あ る 。 括 弧 内 の 藪 宇 は 東 北 デ ル ゲ 板 目 録 の 経 曲 ハ番 號 で あ る 。 一 初 会 の 金 剛 頂 経 、 鄙 ち 一 切 如 來 眞 實 癩 現 謹 大 教 手 経 ( 四 七 九 ) 二 右 経 に 対 す る 繹 迦 彌 恒 羅 (Cakya-mile ) の 繹 ( 二 五 ○ 三 ) 三 同 じ く 慶 喜 藏 (Ananada ) の 廣 繹 ( 二 五 一 ○ ) 四 慶 喜 藏 の 著 、 金 剛 界 大 曼 茶 羅 儀 軌 一 切 金 剛 出 現 ( 二 五 一 六 ) 丑 同 著 、 降 三 世 曼 茶 羅 儀 軌 聖 賃 性 集 恒 特 羅 擁 ( 二 五 一 九 ) 六 同 著 、 惧 特 羅 大 壬 幻 網 廣 繹 ハ 一 一 五 一 三 ) 七 寂 友 著 、 恒 特 羅 大 王 幻 網 難 語 繹 ( 二 五 一 四 ) 八 第 六 会 の 金 剛 頂 経 、 麹 ち 最 上 根 本 大 樂 不 空 三 昧 大 教 王 纒 ( 四 八 七 ) 九 右 経 に 対 す る 慶 喜 藏 の 廣 縄 ( 二 五) 一 ○ 同 駐 繹 ( 二 五 一 一 ) 一 一 第 十 五 会 の 金 圓 頂 経 、 鄙 ち 一 切 如 來 金 剛 三 業 最 と 秘 密 大 教 王 経 ( 四 四 二 ) 一 二 右 経 に 対 す る 且 繕 の 繹 ( 一 七 八 五 ) 一 三 覧佛 読 喩 伽 大 教 王 経 ( 四 六 六 ) 一 四 吉 鮮 月 密 明 融 大 恒 特 羅 王 ( 四 七 七 ) 岡 五 、一 切 秘 密 最 上 名 義 大 教 王 纏 ( 四 八 一 ) 一 ハ 聖 一妙 士 口 鮮 焔眞 實 名 ﹂経 ( 一ご 六 ○ ) 一 七 、 右 纏 に 対 す る 妙 吉 群 友 の 註 縄 ( 二 五 三 二 ) 、 一 八 稠 妙 吉 鮮 穂 の 廣 繹 ( 二 五 三 四 ) 一 拠 青 衣 金 剛 手 調 伏 三 界 恒 特 羅 ( 五 ○ 一 ) ○ 龍 樹 の 五 次 第 (Panc-krama ) へ 一 八 ○ 二 ) 一 因 陀 羅 部 底 著 、 一 切 佛 李 等 喩 伽 恒 特 羅 難 語 繹 ( 一 六 六 一 ) 一 一 同 著 、 智 慧 成 就 法 ( 二 一 九 ) 三 童 子 月 著 、 金 剛 怖 畏 恒 特 羅 難 語 繹 ( 一 九 七 三 ) 工 四 一 切 悪 趣 清 浄 曼 茶 羅 儀 軌 ( 二 六 三 五 ) 二 五 大 日 経 供 悲 ハ法 儀 ﹂軌 ( 二 六 六 四 ) 二 六 上 愈 者 チ ヨ ヤ ク (Btso-yags ) 著 、 秘 密 虞 言 理 趣 光 ( 三 七 一 ○ ) 七 信 相 鎧 著 、 無 上 喩 伽 恒 特 羅 義 入 集 ( 三 七 一 三 ) ご 八 同 著 、 嘱 噸 迦 清 浄 ( 一 四 八 一 ) 二 九 同 著 、 金 剛 念 講 廣 繹 ( 一 七 八 八 ) 三 ○ 同 著 、 曼 茶 羅 尺 度 略 搦 ( 二 五 ○ 五 ) 三 一 同 著 、 三 中 分 儀 軌 ( 三 七 七 四 ) こ れ に よ り て 見 る も 明 か な る 如 く に 、 寳 賢 は 金 剛 頂 系 に 屡 す る 殆 ん ど 凡 て の 経 軌 や 註 繹 を 講 來 し 翻 課 し た る の み で な く 、 こ の 金 剛 頂 維 を 基 本 と し て 、 さ ら に 護 達 し 展 開 せ る 秘 密 経 曲 ハ の 主 要 な る も の 殆 ん ど す べ て を 傳 え て 居 る と い つ て よ い の で あ る 。 こ れ を わ が 弘 法 大 師 當 時 の 日 本 密 教 に 比 較 .し て 考 う る に 、 金 剛 頂 部 の 纒 つ た 経 典 と し て は 、 た ゴ 初 會 の 金 剛 頂 経 の 略 出 た る ﹃ 金 剛 頂 経 略 出 経 ﹄ 四 巻 と 、 初 會 の 金 岡 頂 経 の 初 分 の 一 品 を 不 室 三 藏 の 謬 し た る も の 、 す な わ ち ﹃ 金 剛 頂 一 切 如 來 眞 實 撮 大 教 王 経 ﹄ 三 巻 等 を 僅 に 傳 え た に 止 ま り 、 こ れ に 封 す る 註 繹 な ど は そ の 當 時 う 中 國 に も 傳 つ て 居 ら な か つ た の で あ る か ら 、 こ れ を わ が 國 に 請 來 す る よ し も な か つ た の で あ る 。 そ の 後 、 中 國 に 於 て は 、 こ の 寳 賢 の 謬 経 と 殆 ん ど 時 を 同 じ 嘲 嚇 教 と 目 本 佛 教

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-13-密 教 丈 化 ( 七 ) う し て 、 宋 の 太 組 の 太 亭 興 國 五 年 ( A 、 D 、 九 八 ○ ) 印 度 よ り 天 息 災 、 施 護 、 法 賢 等 の 三 藏 が 來 宋 し 、 先 す そ の 年 に 施 護 三 藏 ( 八 ) ( 九 ) ( 一 〇 ) が 第 十 五 會 の 金 剛 頂 経 と 鍮 伽 大 教 王 経 と 一 切 秘 密 最 上 名 義 大 教 王 経 と を 繹 し 、 次 い で 眞 宗 の 成 亭 四 年 ( 一 ○ ○ 一 ) 法 賢 三 ( 二 ) 藏 が 第 六 魯 の 金 剛 頂 経 を 、 さ ら に 大 中 鮮 符 八 年 ( 一 五 ) 、 施 護 三 藏 が 初 會 の 金 圃 頂 経 全 部 を 翻 課 し た 。 こ れ 等 が 開 雛 せ ら れ て 廣 く 世 に 流 布 す る と と も に 、 わ が 國 よ .り 入 宋 せ る 僧 ( 二 一) 成 尋 が 紳 宗 の 熈 寧 六 年 ( 一 ○ 七 三 ) す な わ ち 、 わ が 後 三 條 天 皇 の 延 久 五 年 に 、 こ れ を 印 経 院 で 購 払 、 わ が 國 に 逡 つ て 來 た の で あ る 。 し か し こ れ 等 の 経 典 に 封 す る 印 度 學 匠 の 註 繹 類 は 途 に 中 國 に も わ が 國 に も 傳 ら な か つ た の で あ る 。 こ に 於 て 、 西 藏 の 後 期 に 勃 興 せ る 寳 賢 の 新 密 教 は 、 わ が 日 本 密 教 よ ケ も 印 度 密 教 、 特 に 超 巖 大 學 系 の 密 教 を 理 解 し 移 植 す る 上 に 於 て 、 一 頭 地 を 抜 い て 居 る と い つ て よ い の で あ る , L か も 寳 賢 が 自 か ら 翻 繹 せ る こ れ ら の 密 教 経 典 に つ き 、 そ の い す れ を 中 心 と し 、 そ れ を 自 己 の 信 奉 す る 基 本 経 典 と し て 居 つ た の か 、 つ ま グ 密 教 に 樹 す る 寳 賢 め 基 本 思 想 い か ん と , い う こ と に つ き 、 寳 賢 自 か ら の 著 作 が な い の で 、 確 然 た る こ と は 言 え な い が 、 少 く と も 彼 が 自 か ら 師 事 し 、 且 つ そ の 庇 護 の も と に 密 教 経 並 ハを 翻 課 せ る 、 , か の 信 相 鎧 (Craddhakara-varman) ど 同 一 思 想 、 同 一 信 念 を 以 て 、 第 十 五 會 金 剛 頂 維 を 中 心 と す る 無 上 鍮 伽 を 奉 じ て 居 つ た こ と を 知 り 得 る の で あ る 。 い ま デ ル ゲ 板 の 西 藏 大 藏 維 に 徴 ず る に 、" 少 く と も 信 相 鎧 に ( 一 三 ) は 八 部 の 著 書 が あ る 。 特 に 寳 賢 と 共 繹 せ る ,﹃ 無 上 喩 伽 旭 特 羅 義 入 集 ﹄ に よ る と 、 佛 教 を 聲 聞 乗 と 縁 畳 乗 と 菩 薩 乗 と の 三 に 分 ち そ の 菩 薩 乗 を さ ら に は 波 羅 蜜 乗 ( 顯 教 ) と 金 剛 乗 ( 密 教 ) と に 分 つ の で あ る 。 そ の 中 、 金 剛 乗 に 入 る た め の 門 と し て 四 種 が あ る 。 そ れ は 作 ( 国 二 旨 ) 恒 特 羅 と 行 (Careywae) 恒 特 羅 と 喩 伽 (Yoga ) 恒 特 羅 と 大 鍮 伽 (Mahoded ) 但 特 羅 、 す な わ ち 無 上 喩 伽 (Anutta-yoga ) 恒 特 羅 と で あ る 。 し か も 作 と 行 と 喩 タ ン ト ラ 伽 と の 三 恒 特 羅 は 第 四 の 大 喩 伽 す な わ ち 無 上 鍮 伽 に 入 る た め の 準 備 工 作 に 過 ぎ な 逼 の で 、 あ ら ゆ る 外 の 形 式 を 超 越 し て 、 内 観 鍮 伽 の み を 主 と す る 無 上 鍮 伽 に よ り て の み 、 初 め て 心 統 一 の 妙 境 に 達 し 、 こ に 大 樂 を 實 現 す る こ と が 禺 來 る と 強 調 し て い る の で あ る 。 思 う に こ れ は そ の 當 時 の 印 度 に 於 け る 佛 教 哲 學 が そ の 背 景 に な つ て い る の で 、 中 観 思 想 の 眞 室 俗 有 と い 、 、 唯 識 思 想 の 内 有 外 室 と い 、 い す れ ,も こ の 現 實 の 外 界 を 以 て 内 心 の 幻 影 と し 、 た ぜ 迷 の 中 の 存 在 に 外 な ら な い と す る の で あ る 。 こ の 幻 影 思 想 は た ゴ に 佛 教 哲 學 の み で な く 、 印 度 の あ ら ゆ る 方 面 に 通 す る 思 想 と も い う べ く 、 冥 想 生 活 、 内 面 生 活 を 樂 し む 印 度 人 に と り て は 、 極 め て 根 抵 の 深 い 思 想 と い つ て よ い の で あ る 。 そ の 結 果 が 理 想 を 遠 く 彼 岸 に 求 め て 、 こ の 現 實 世 界 を 輕 観 し 夢 幻 化 し て 、 逃 遜 生 活 を 事 と す る よ う に な り 、 途 に は そ

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-14-の 國 家 の 存 立 を 危 く す る よ う な こ と に も な つ て く る の で あ る 。 こ の 無 上 喩 伽 の (密 教 と い つ て も 、 こ の 将 内 を 出 で な い の で 、 内 面 の 精 紳 力 、 も し く は 一 境 に 集 中 せ る 念 力 を 以 て 紳 通 を 逮 得 し 、 こ れ に よ り て 外 界 の あ り と あ ら ゆ る も の を 、 自 由 自 在 に 支 配 す る こ と が 出 來 る と の 偏 見 に 陥 つ て い る 。 勿 論 、 内 と 外 と は 一 躰 の も の で あ る か ら 、 内 面 の 精 紳 力 が 外 の 現 象 む に 影 響 し 、 外 の 世 界 の 刺 戟 が 内 面 世 界 を 支 配 す る よ う に な る の は 當 然 で あ る 。 し か も 内 と 外 と は 爾 者 相 待 つ て 初 め て 完 壁 た り う る の で 、 印 度 思 想 の よ う に そ の 内 面 に の み 開 じ 籠 ら ん と す る の は 一 種 の 謬 見 た る を 菟 れ な い 。 こ の 印 度 に 於 け る 謬 見 を 是 正 し た も の が 中 國 に 獲 達 せ る 法 . 華 一 乗 や 華 嚴 一 乗 な ど の 一 乗 佛 教 の 思 想 で 、 理 想 を 遠 く 現 實 の 外 に 求 め な い で 、 そ の 理 想 を 現 實 化 し 同 時 に 現 實 を 理 想 化 し て 、 一 方 に 現 實 を 超 越 し な が ら に 、 一 方 で は 現 實 を 生 か さ ん と す る 所 に 力 黙 を 濤 い て い る 。 わ が 國 に 於 け る 弘 法 大 師 の 密 教 は 遠 く 印 度 の 密 教 を 諸 來 し た の で あ る け れ ど も 、 そ の 短 所 を 是 正 す る に 中 國 の 一 乗 思 想 を 以 て し 、 さ ら に 生 成 獲 展 を 希 求 す る わ が 画 民 性 を 生 か し つ も 、 眞 俗 不 二 、 内 外 一 如 の 宗 教 を 建 設 し た 所 に そ の 、立 場 が あ り 、 特 質 が あ る の で あ る 。 こ れ を 他 の 観 黙 か ら す る と 、 作 と か 行 と か 鍮 伽 之 か 無 上 鍮 伽 と か い う よ う に 、 四 種 恒 特 羅 に ま で 分 化 し な い 以 離 の 渾 一 密 教 を 基 本 と し 、 そ の 當 時 の 大 日 経 と 金 蹴 頂 経 と を 所 依 の 根 本 維 曲 ハ と し て 、 こ れ を 日 本 化 し 、 印 度 密 教 や 中 國 密 教 に 見 る こ と の 出 來 な い 鎭 護 國 家 の 宗 教 と し て の 精 華 を 嚢 揮 す る に 至 つ た の が 、 い わ ゆ る 弘 法 大 師 の 日 本 密 教 で あ る 。 さ ら に こ れ を そ の 傳 系 に つ き て 考 う る も 、 わ が 大 師 の 旧 本 ( 一 四 ) 密 、教 は 印 度 那 欄 陀 (蕎 冨 巳 節 ) の 大 乗 佛 教 を 背 景 と せ る 當 時 の 密 教 で 、 こ れ を 善 無 畏 、 金 剛 智 の 爾 三 藏 が 中 國 に 傳 え 、 不 室 、 恵 果 を 経 て 、 こ れ を 弘 法 大 師 が わ が 國 に 請 來 し た の で あ る 。 ( 一 五 ) し か る に 印 度 の 密 教 は を の 後 、 商 迦 羅 (Cankara ) や 鳩 摩 羅 梨 羅 (Kumara-goy ) 等 の 出 現 に よ る 印 度 教 の 勢 力 に 墜 倒 せ ら れ て 亥 第 に 印 度 教 化 し 、 そ の 印 度 教 化 せ る 密 教 、 特 に シ ヤ ク チ (cakti ) 汲 に 融 合 せ る 密 教 の 中 心 地 と し て 榮 え た の が 超 巖 大 學 で あ る 。 こ の 超 巖 (Vikra-cila ) 大 學 系 の 密 教 を 傳 え た る 寳 賢 の 新 密 教 と 那 欄 陀 系 の そ れ を 傳 え た る 日 本 密 教 と が 、 自 か ら 立 場 を 異 に す る に 至 つ た の は 當 然 で あ る 。 こ の 寳 賢 の 新 密 教 が 超 巖 大 學 系 の そ れ を 傳 え た も の で あ る と は 言 え 、 そ れ は 次 代 の 喇 嘛 教 が 陥 つ た よ う な 左 道 的 な も の で は な く 、 陰 陽 佛(Yab-yum ) の 崇 拝 の 如 き も 殆 ん ど 見 當 ら な い よ う で あ る 。 そ の と と は 西 部 西 藏 の 國 境 に 滑 い 、 サ ト レ ヂ (Satlej ) 河 や X ピ チ (Spiti) 河 の 漢 谷 を 経 て 北 方 カ シ ユ ミ ル の レ ー (Leb ) か ら ア ル チ (Achi ) に ま で 延 び て い る 地 方 の 至 る 所 に 、 寳 賢 の 創 建 に か る 寺 院 が あ り 、 そ こ に 残 存 せ る 歎 多 の 密 教 佛 や 、 壁 に 画 か れ た る 各 種 の 曼 茶 羅 な ど に 徴 嘲 嚇 教 乏 欝 本 佛 教

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-15-密 教 文 化 し て 窺 う こ と ﹁が 出 來 る の で あ る。 ( コ ハ ) 一 こ の 方 面 の 遺 跡 に つ き て は 、 西 紀 一 九 ○ 九 年 に 英 國 の フ ラ ン ヶ(Astedee-waste) 氏 が 考 古 學 の 立 場 か ら 六 ヶ 月 間 に 亘 り ( 一 七 ) て 調 査 し 、 、亥 い で 伊 太 利 の ツ ッ チ (G.Teteswest ) 博 士 が 再 び こ れ を 精 査 し て 、 そ の 域 果 を ぱ 三 巻 の ﹃ 印 度 西 藏 ﹄ (Indoatedt ) と し て 護 表 し 、 特 に そ の 第 二 春 は ﹁ 寳 賢 の 行 蹟 と 西 藏 附 近 に 於 廿 る 佛 教 の 復 興 ﹂ と 題 し て 、 寳 賢 の 行 蹟 を 各 方 面 か ら 研 究 し て 居 ら れ る の で あ る。 こ れ 等 の 調 査 研 究 に よ り て 示 唆 さ れ て い る 如 く に 、 そ の 壁

( 一 九 ) 一 切 智 毘 盧 遮 那 (Sarvavited-goav ) の 曼 茶 羅 や 、 初 魯 の 金 剛 頂 経 ーに よ る 大 日 (Mahavair-gude ) の 曼 茶 羅 が 主 で 、 特 に カ ( 二 ○ ) シ ュ ミ ル の ア ル チ(Alchi ) 三 層 寺 に あ る も の や 、 ス ビ チ 河 の ( 一 二 ) 漢 谷 ナ コ (Nako ) の 寺 院 に あ る も の な ど は 、 全 く 弘 法 大 師 の 講 來 せ る 金 剛 界 成 身 會 の 曼 茶 羅 と 同 一 の も の に し て 馬 少 し く そ の 表 現 形 式 を 異 に し て い る と い つ て よ い の で あ る。 要 す る に 、 寳 賢 の 新 密 教 と 日 本 密 教 と は 各 自 そ の 立 場 を 異 に す る も の が な い で は な い け れ ど も 、 元 來 が 同 一 根 源 か ら 流 れ 出 た 分 れ に 過 ぎ な い の で あ る か ら 、 極 め て 類 似 の 黙 多 く 、 こ れ を 比 較 し 研 究 す る こ と に よ わ だて 、 互 に い ろ い ろ の こ と が 啓 護 さ れ る の み で な く 、 ま た 各 自 の 短 所 を も 補 い 得 る こ と が 出 來 る の で あ る。 註 ( 一 ) ﹃ 如 意 樹 史 ﹄ 一 七 九 頁 参, 照。 ( 二

)S.peed-gou wote in the of snow woce

pp.51. ( 三 ) 同 上。 ( 四 ) ﹃如 意 樹 史 ﹄. 一 八 二 頁 参 照。 ( 五 ) 同 上 一 輔 三 頁。 並 に 拙 著 ﹃ 秘 密 佛 教 史 ﹄ 七 二 頁 滲 照。 ( 六 ) 、デ リ ゲ 板 東 北 目 録 通 峡 一 八 七 、 第 三 七 九 一 號 牧 載。 ( 七 ) 拙 著 ﹃ 秘 密 佛 教 史 ﹄ 二 五 頁 以 下 参 照。 ( 八 ) 大 正 一 入 、 四 六 九 頁 牧 載。 ( 九 ) 大 正 一 八 、 五 五 九 頁 牧 載。 ( 一 ○ ) 大 正 一 入 、 五 二 ハ 頁 肱収 載。 ( 一 一 ) 大 正 八 、 七 八 六 頁 牧 載。 ( 二 一) 成 尋 著 ﹃参 天 台 五 墓 山 記 ﹄ 第 八 並 に ﹃ 元 亨 繹 書 ﹄ 第 十 六 参 照。 ( 二 ご ) デ リ ゲ 東 北 目 録 通 秩 一 八 ○ 第 三 七 一 三 號 ( 一 ○ 四 左 一 一 一 五 右 七 ) 参 照。 ( 一 四 ) 拙 著 ﹃ 秘 密 佛 教 史 ﹄ 八 九 頁 以 下 参 照。 ( 一 五 ) 寺 本 碗 雅 課 ﹃ タ ー ラ ナ ー タ 印 度 佛 教 史 ﹄ 二 四 三 ﹁ 二 四 四 頁 参 照 ( 一 山ハ

)A.W.Fncke Heise of e Tet;

Calcutta;1914. ( 一 七 )G.Ticco;Indo-Tibe,1293-5. ( 一 八 ) デ η ゲ 東 北 目 録 通 秩 八 四 、 第 四 八 三 號 牧 載。 ( 一 九 )G.Tearc;Indo -Tibe III.p.59.TAV.LXXIX. ( 二 ○ )

︾A.E.Fe;Anuit of Indian Tibe.pp.88.

plate XXITX. ( 一 二 )G.T.tueai III.p.168.LXXX.

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佛 教 を 顯 と 密 と に 分 つ こ と は 印 度 や 中 國 に な か つ た わ け で は な い け れ ど も 、 こ れ が 極 め て 明 噺 に 分 判 せ ら れ た の は 、 わ が 弘 法 大 師 の -﹁ 辮 顯 蜜 藪 論 ﹂ で あ る 。 そ れ に よ る と 、 顯 と は 普 通 一 般 の 大 小 乗 教 を 指 し 、 密 と は 眞 言 陀 羅 尼 を 基 本 と す る 特 殊 佛 教 の こ と で 、 喇 嘛 教 に い わ ゆ る 顯 密 と い う も の 、 大 躰 に 於 て こ れ に 合 致 し て い る の で あ る 。 そ こ で こ の 喇 嘛 教 が 普 通 一 般 の 大 小 乗 、 並 に 眞 言 秘 密 の 特 殊 佛 教 を い か に 観 察 し い か に 取 扱 つ て い る か 、 且 つ そ れ が い か に わ が 日 本 佛 教 と 關 蓮 し て い る か と い う こ と が 問 題 に な る の で あ る 。 前 傳 喇 嘛 教 に お け る 顯 密 観 が い か な る も の で あ つ た か を 明 確 に す る 積 極 的 な 資 料 に 乏 し い け れ ど も 、 大 躰 そ の 當 時 の 喇 嘛 教 は 印 度 の 翻 繹 佛 教 に 過 ぎ な か つ た も の で あ る か ら 、 恐 ら く そ の 當 時 の 印 度 に お け る 顯 密 観 が そ の ま 喇 嘛 教 を 支 配 し デ ツ ア ン て 居 つ た こ と 思 う 。 こ の 意 味 に お い て 、 西 藏 の 提 賛 王 (Lde-btsite ) が パ ル チ ヱ ク (Dpal-briteste ) 等 を 遣 わ し 、 ツ ツ ダ グ ヒ ヤ 入 藏 を 懇 講 し て 果 さ な か つ た 佛 陀 崔 晒 耶 (Buddhai-goge-guya ) の 思 想 な ど が 、 も つ と も 支 配 的 で あ つ た に 違 い な い 。 (1 ) そ の 佛 陀 崔 咽 耶 の 著 書 た る ﹁ 大 日 経 要 義 繹 ﹂ の 如 き は 、 巳 に パ ル チ ヱ ク が 請 來 し 醗 繹 し て こ れ を デ ン カ ル 経 録 に 載 せ て い る 。 ま た ﹁ 大 日 経 廣 繹 ﹂ の 如 き も 、 パ ル チ ヱ ク が 翻 繹 し た (2 ) け れ ど も 未 校 訂 の ま に な つ て い た の を 、 西 暦 第 十 五 世 紀 の 末 葉 、 青 冊 (Yoge-weterwced ) の 著 者 た る 童 子 吉 祥 (3 ) (Cshon-weter ) が こ れ を 校 訂 し て 西 藏 大 藏 経 中 に 牧 載 し て い る 。 セ の 大 日 経 の 廣 繹 並 に 要 義 繹 に よ る と 、 佛 教 に は 布 施 等 の 波 羅 蜜 (Paetl-wtdcne ) を 修 し て 礪 智 の 資 糧 を 積 集 せ ん と す る 波 羅 蜜 乗 た る 顯 教 と 眞 言 陀 羅 尼 を 中 心 と し 、 人 天 の 幸 幅 を 享 受 し な が ら に 、 大 日 の 位 に 到 達 せ ん と す る 眞 言 乗 、 す な わ ち 密 教 と が あ る 。 こ の 顯 教 と 密 教 と の い す れ に も 、 有 所 ト得 の 樹 立 世 界 を 基 本 と す る も の と 、 甚 深 廣 大 の 無 限 世 界 を 中 心 と す 、 る も の と が あ る 。 そ の 中 、 ,封 立 世 界 を 基 本 と す る 顯 教 に 小 乗 の 経 律 論 が あ り 、 無 限 世 界 を 中 心 と す る も の に 十 地 経 や 華 嚴 経 等 の 大 乗 教 が あ る 。 ま た 密 教 の 中 に お い て 、 封 立 世 界 を 基 本 と す る も の に 、 蘇 悉 地 経 等 の 作 (Iriya ) 但 特 羅 が あ り 、 甚 深 廣 大 の 無 限 世 界 を 中 心 と す る も の に 、 初 會 の 金 剛 頂 経 の " 如 き 鍮 伽 但 特 羅 (Yoga-taeet ) が あ る 。 し か し て こ の 喩 伽 但 特 羅 と 作 恒 特 羅 と の 爾 者 に 通 す る も の に 大 日 経 が あ る の で あ る 。 つ ま り 、 顯 教 に は 小 乗 と 大 乗 と が あ り 、 密 教 に な 作 但 特 羅 と 喩 伽 恒 特 羅 と 、 こ の コ 種 に 通 す る も の と の 三 種 が あ る の み で 、 未 だ 無 上 喩 伽 但 特 羅 (Anutta-weter ) の 存 在 し な か つ た こ と が 窺 わ れ る の で あ る 。 そ れ が 後 傳 喇 嘛 教 の 魁 を な す 寳 賢 の 時 代 に な る と 、 そ の 密 教 の 内 容 が 薯 し く 進 展 し て い る 。 そ れ は 寳 賢 の 師 に し て 且 つ (4 ) 共 繹 者 た る 信 相 鎧 の ﹁無 上 喩 伽 但 特 羅 義 入 集 ﹂ や 、 寳 賢 が そ 嘲 嚇 教 と 日 本 佛 教

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密 教 文 化 の 著 を 繹 し て い る こ と か ら し て 、 恐 ら く 同 時 代 の 外 國 人 と 思 (5 ) わ れ る 寳 生 寂 (Rin-chinere-gets-shi-ba ) の 三 乗 建 立 ﹂ な ど に よ り て 知 る こ と が 出 來 る 。 ま す 賛 生 寂 の ﹁ 三 乗 建 立 ﹂ に よ る と 、 佛 教 は す べ て 聾 聞 乗 と 縁 畳 乗 と 甚 深 廣 大 乗 と の 三 乗 に な る 。 そ の 甚 深 廣 大 乗 を 開 く と 、 輩 に 甚 深 の 理 趣 を 論 く 普 通 の 大 乗 孟教 と 、 甚 深 の 理 趣 と と も に 印 眞 言 等 の 廣 大 の 方 便 を 読 く 秘 密 大 乗 教 と に な る 。 し か し 、 い ま は こ れ を 撮 し て 三 乗 と い う の で あ る 。 そ の 三 乗 の 外 に 一 乗 教 を 立 て る も の が あ る け れ ど も 、 そ れ は た ゴ 法 界 は 一 で あ る と か 、 い す れ も が 佛 に な る こ と を 目 的 と し て い る と か い う よ う な 工 合 に 、 果 を 因 に 寄 せ て い る だ け の こ と で 、 實 際 に 存 在 す る の で は な い. 現 實 問 題 と し て は 、 九 想 観 や 十 編 庭 観 等 を 修 し て い る 小 乗 教 等 が 現 存 し て い る の で あ る か ら 、 そ の 現 存 を 無 観 し て 、 唯 有 一 乗 法 、 無 二 亦 無 三 な ど と い う ヒ と は 出 來 な い 。 そ れ を 敢 え て す る も の は 外 道 の 見 に し て 佛 読 で は な い と い う の で あ る 。 さ ら に 信 相 鎧 の ﹁ 無 上 喩 伽 恒 特 羅 義 入 集 ﹂ で は 、 佛 教 を 聲 聞 乗 と 縁 畳 乗 と 菩 薩 乗 と の 三 乗 と し 、 そ の 菩 薩 乗 を 波 羅 蜜 乗 た る 普 通 の 顯 大 乗 と 、 金 剛 乗 た る 秘 密 大 乗 と に す る の で 、 名 目 上 に 多 少 の 異 り が あ る に も せ よ 、 そ の 義 趣 の 上 か ら は 、 全 く 寳 生 寂 の そ れ と 同 一 で 、 そ れ か ら 後 に 獲 達 せ る 喇 嘛 教 と い え ど も 隔 佛 教 を 聲 閣 、 縁 畳 、 菩 薩 の 三 乗 と す る こ と は 、 い す れ も そ の 揆 を 嶋 に し て い る の で あ る 。 た ゴ 菩 薩 乗 か ら 分 開 せ る 眞 言 秘 密 乗 の 分 野 に お い て 、 前 傳 喇 嘛 教 當 時 で は 、 輩 に 作 と 喩 伽 と 、 そ の 二 に 通 す ,る も の と の 三 種 但 特 羅 に 過 ぎ な か つ た も の が 、 信 網 鎧 の ﹁ 無 上 鍮 伽 但 特 羅 義 入 集 ﹂ で は 、 作 と 行 (Carya ) と 喩 伽 と 大 喩 伽 竜 し く は 無 上 喩 伽 の 四 種 に な つ て い る と と が 異 つ て 払 る の で あ る 。 こ の 僑 相 鎧 な ど と と も に 、 薪 密 教 を 強 調 し た 寳 賢 に つ ぎ て ア チ シ ヤ 西 藏 に 戒 律 佛 教 を 宣 揚 し た 阿 提 沙 (Atica ) の カ グ ム 派 (Bkahe-(6 ) gdams-ges ) で は 、 こ の 密 教 の 分 署 を さ ら に 擬 大 し ﹁ 智 慧 金 剛 普 集 恒 特 羅 ﹂ に 謹 (Rtpg-pa ) 但 特 羅 、 爾 倶 (Cnis-pa ) 但 特 羅 な ど が 読 か れ て い る の を も 擾 取 し 、 す べ て の 密 莱 を 分 (7 ) つ て 、 作 と 行 と 讃 と 爾 倶 と 喩 伽 と 大 鍮 伽 と 無 上 鍮 伽 と の 七 類 と す る の で あ る 。 へ (8 ) こ の 阿 提 沙 の カ グ ム 派 に 封 す る 古 派 、 す な わ ち 轟 ン マ 派 (9) Rnin-geiiet ) 並 に 薩 迦 派 (Sa-skya-get ) の 顯 密 観 は 大 躰 た 於 て 合 致 し 、 顯 密 合 せ て 九 乗 と す る の で あ る 。 す な わ ち 、 顯 き ロ 菩 縁 聲 薩 畳 聞 乗 乗 乗 慮 昇 羅 迦 所 説

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