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Vol.23 , No.1(1974)007玉山 成元「浄土宗名越・白旗派論争の歴史的価値」

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浄 土 宗 名 越 ・ 白 旗 派 論 争 の 歴 史 的 価 値 ( 玉 山 )

一 中 世 に お け る 浄 土 宗 教 団 発 展 の 原 因 は、 正 統 性 を 主 張 す る 各 派 の 論 争 に あ る と 私 は 考 え て い る。 法 然 が 入 寂 す る と、 そ の 門 下 は 弁 長 の 鎮 西 義、 証 空 の 西 山 義、 隆 寛 の 多 念 義、 幸 西 の 一 念 義、 長 西 の 諸 行 本 願 義 な ど、 多 く の 流 派 に 分 か れ る。 法 然 は 特 定 の 後 継 者 を 定 め な か つ た。 そ し て 念 仏 を 称 え る も の が 後 継 者 で あ り、 念 仏 の 声 す る と こ ろ が 遺 跡 だ と い う 建 前 か ら す れ ば、 当 然 そ れ ぞ れ が 後 継 者 の 一 員 で あ る こ と に 相 違 な い。 け れ ど も 浄 土 宗 は 鎮 西 流 が 本 流 と な つ て 発 展 す る こ と に な る。 そ れ は 鎮 西 流 か ら 多 く の 高 僧 が 出 て 血 脈 を 不 動 の も の に し て い つ た か ら に ほ か な ら な い。 鎮 西 流 弁 長 を 浄 土 宗 の 二 代 と し、 自 分 を 三 代 と し て 宣 伝 し た の は 良 忠 で あ る。、 け れ ど も 良 忠 の 時 代 に は ま だ 公 認 さ れ な か つ た。 良 忠 の 三 代 が 決 定 的 に な る の は、 そ の 門 下 が、 名 越 派 ・ 白 旗 派 ・ 藤 田 派 ・ 一 条 派 ・ 三 条 派 ・ 木 幡 派 と 六 流 に 分 か れ、 そ れ ぞ れ が 自 派 の 正 統 性 を 主 張 し て か ち で あ る。 つ ま り、 こ れ ら の 六 人 が、 あ る い は 孫 弟 子 た ち が、 自 派 の 正 統 性 を 主 張 す れ ば す る ほ ど、 良 忠 の 三 代 は 不 動 の も の と な る。 そ し て そ の 論 争 が 激 し く な れ ば な る ほ ど 越 浄 土 宗 教 団 と し て は 伸 展 す る こ と に な る。 こ う し た 面 で 良 忠 門 下 の 中 で、 そ の も つ と も 激 し か つ た 名 越 派 の 尊 観 と 白 旗 派 の 良 暁 に つ い て 論 じ て み た い。 二 文 永 九 年 ( 一 二 七 二 ) 正 月 十 六 日、 良 忠 は 叡 山 で 修 行 中 の 良 暁 を 鎌 倉 に 呼 び、 自 坊 悟 真 寺 の 房 地 お よ び 武 州 鳩 井 免 田 を 譲 つ た が (﹃ 光 明 寺 文 書 ﹄ )、 さ ら に 建 治 二 年 ( 一 二 七 六) ま で の 七 年 間、 自 分 の も と で 修 行 す る こ と を 強 制 し た。 こ の こ ろ 尊 観 も す で に 良 忠 の も と で 修 行 を し て お り、 頭 角 を 表 わ し た、 一 人 で あ つ た。 そ し て 建 治 二 年 上 洛 す る 良. 忠 か ら 付 法 状 を 授 か り、 そ の 位 置 を 決 定 的 に レ た (﹃ 述 聞 副 文 ﹄ )。 良 忠 は 弘 安 九 年 ( 一 二 八 六 ) ま で 想 像 を 絶 す る 活 躍 を し て 鎌 倉 に 帰 り、 良 暁 に 多 く の 付 法 状 を 授 け た。 最 後 の 付 法 は 弘 安 十 年 六 月 の も の で (﹃ 光 明 寺 文 書 ﹄ )、

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愚 老 製 作 伝 通 記 以 下 文 釈 等、 関 東 下 向 之 処、 弘 安 九 年、 一 流 之 大 徳 寂 恵 房 重 伝 授 畢、 門 弟 中 令 レ 違 二背 此 義 勢 一者、 非 二相 伝 之 義 画 此 外 明 王 院 相 伝 釈 論 十 巻、 以 二抄 物 一已 伝 授 畢、 弘 安 十 年 六 月 日 良 忠 (花 押 ) と あ る。 そ し て 翌 年 七 月 六 日、 八 十 九 歳 で 入 寂 し た。 こ う し て 事 実 上 の 後 継 者 は 最 年 少 者 の 良 暁 と な つ た。 良 忠 の 直 弟 子 た ち も、 悟 真 寺 の 後 継 者 と し て の 良 暁 は 認 め て い た が、 伝 法 の 後 継 者 と し て 良 暁 を 認 め る こ と に は 異 論 が あ つ た。 と い う の は、 そ れ ぞ れ 良 忠 か ら ﹃ 授 手 印 ﹄ の 付 法 状 は 授 か り、 自 分 こ そ 正 統 な 後 継 者 と い う 自 信 を も つ て 弟 子 た ち に 付 法 を 行 つ て い た か ら で あ る。 そ の た め 良 忠 入 寂 後 の 鎮 西 流 は、 多 く の 血 脈 が 作 ら れ て い つ た。 仏 教 大 学 所 蔵 ﹃ 授 手 印 ﹄ の 奥 書 に は、 此 授 手 印 者、 以 二 鎮 西 上 人 御 自 筆 之 本 ↓所 レ令 二書 写 一也、 而 境 智 大 徳 依 レ 有 二 興 法 之 志 引 令 レ 伝 二 授 一 流 義 道 一者 也、 伍 拭 二 老 眼 一加 二 奥 書 一矣、 正 安 四 年 十 一 月 十 七 日 良 辮 ( 花 押 ) 源 空 ー 辮 阿-然 阿 -境 智 ー 事 圓 と あ る。 正 安 四 年 ( 一 三 〇 二 ) 十 一 月 十 七 日 尊 観 が 境 智 に 授 け た ﹃ 授 手 印 ﹄ に は ﹁ 以 鎮 西 上 人 御 自 筆 之 本 所 令 書 写 也 ﹂ と い い、 弁 長 自 筆 の ﹃ 授 手 印 ﹄ を 境 智 に 書 写 さ せ た と 力 説 し て い る。 つ ま り 自 分 の 伝 え る と こ ろ は 良 忠 か ら 伝 え た も の で あ る 瀞、 し か し そ れ は ま た 弁 長 か ら 伝 え た も の で あ り、 弁 長 か ち 良 忠 へ の ﹃ 授 手 印 ﹄ は 自 分 が 所 持 し て い る。 自 分 の 方 が 正 嫡 で あ る。 そ う い う 主 張 の も と に 弁 長 自 筆 の 本 を 境 智 に 写 さ せ ハ し か も そ れ に 奥 書 を 書 い て い る。 ﹃ 果 分 述 伝 集 並 裏 書 ﹄ に 記 し て あ る 如 来 寺 血 脈 に よ る と、 尊 観 は 正 和 二 年 (二三) 七 月 中 旬 に 明 心 に 付 法 を 行 つ た。 こ の と き 尊 観 は ﹁ 不 レ 残 二 一 紙 一 言 一 字 一下 候 ﹂ と 付 法 状 に 記 し ハ 元 亨 三 年 ( 一 三 二 三 ) 正 月 十 一 日、 明 心 が 妙 観 に 与 え た 付 法 状 に も ﹁ 若 有 二 虚 妄 一者、 永 漏 二 二 尊 教 意 嚇 沈 三 二 悪 一 無 二 出 期 こ と い つ て、 そ の 相 伝 の 確 か な こ と を 実 証 し て い る。 こ れ ら の 付 法 状 は、 い ず れ も 起 請 文 の 形 式 を と り、 名 越 派 に お け る 付 法 は、 単 な る ﹃ 授 手 印 ﹄ だ け の 相 伝 と は 異 つ て い た の そ れ に し て も 建 治 二 年 に 良 忠 か ら 授 与 さ れ た 尊 観 の ﹃ 授 手 印 ﹄ は、 そ の 後、 明 心 ー 妙 観 ー 聖 観 ー 祐 誠 -祐 山 -良 観-良 寿 ー 良 順 -頼 尊 ー 良 円-良 嘉 ー 良 朝-良 察 と 次 第 し て い つ た。 三 正 和 三 年 (二四) 八 月 五 日 付 で 良 暁 が 定 恵 に 宛 て た 付 法 状 (﹃ 光 明 寺 文 書 ﹄ ) に は、 浄 土 相 承 手 次 先 師 良 忠 状 以 正 本譲与了、 法 然 上 人 弁 阿 上 人 浄 土 宗 名 越 ・ 白 旗 派 論 争 の 歴 史 的 価 値 ( 玉 山 )

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-49-浄 土 宗 名 越 ・ 白 旗 派 論 争 の 歴 史 的 価 値 ( 玉 山 ) 良 忠 上 人 良 暁 良 誉 右、 当 流 者、 吉 水 正 流、 鎮 西 之 余 風 也、 師 資 相 承 之 旨、 柳 無 二 違 失 噛 早 任 二先 師 遺 誠 哨 可 レ 令 二 弘 通 両 先 師 相 伝 伝 通 記 同 譲 与 了、 伍 状 如 レ件 正 和 三 年 八 月 五 日 桑 門 良 暁 (花 押 ) 右 手 ( 手 印 ) 左 手 (手 印 ) と あ り、 良 暁 も ﹃ 授 手 印 ﹄ の 相 伝 を 行 つ て い る。 し か も 良 暁 は 尊 観 と 同 様 に 正 本 を も つ て 譲 与 す と い い、 こ の ﹃ 授 手 印 ﹄ こ そ が 本 物 で あ る と 主 張 し て い る。 だ か ら 当 然、 法 然 ー 弁 長 -良 忠 -良 暁定 恵 と い う 血 脈 を か き、 伝 来 の 経 過 を 明 ら か に し て い る。 と こ ろ が さ ら に 注 意 を す る こ と は、 こ の 他 に 良 忠 か ら 授 か つ た ﹃ 伝 通 記 ﹄ を 授 け た 点 で あ る。 ﹃ 伝 通 記 ﹄ は 良 忠 が 作 つ た も の で あ り、 こ れ を 良 暁 が 授 か り、 ま た こ れ を 定 恵 に 授 け る の は 不 自 然 で な い が、 尊 観 に は な い ﹃ 伝 通 記 ﹄ を あ わ せ て 伝 授 す る と こ ろ に 意 義 が あ る。 そ こ に は 良 忠 か ら 全 て を 伝 授 し た 良 暁 の 教 え こ そ 本 当 に 法 然 か ら 代 々 継 承 さ れ た 教 え で あ る こ と を 強 調 し、 自 分 こ そ が 正 統 な 後 継 者 で あ る こ と を 主 張 し た も の と 考 え て よ い。 こ の こ ろ 良 暁 は 下 総 船 木 の 中 務 禅 門 の 招 請 に よ り、 当 地 の 称 名 寺 で 談 義 を 行 い、 門 下 の 異 義 を 論 難 す る と 同 時 に、 自 義 の 正 統 性 を 主 張 し て ﹃ 口 伝 砂 ﹄ を 作 つ た。 中 務 禅 門 は こ れ を 書 写 し、 尊 観 の 直 弟 南 無 阿 弥 陀 仏 に 見 せ た。 彼 は す ぐ と ﹃ 口 伝 砂 ﹄ を 写 し て 尊 観 に 送 つ た。 正 和 三 年 十 一 月、 尊 観 は 早 速 こ れ を 読 ん で 良 暁 の 義 に 反 駁 し、 十 六 の 疑 問 点 を 指 摘 し て 一 巻 の 書 を 作 り 盛 蓮 房 に 見 せ た。 盛 蓮 房 は こ れ を 読 み、 良 暁 に 見 せ た 方 が よ い と い う。 そ こ で 尊 観 は さ ら に 五 か 条 を 追 加 し、 翌 十 二 月 に 良 暁 に 提 出 し て 解 答 を 求 め た。 こ れ が 有 名 な ﹃ 浄 土 十 六 箇 条 疑 問 答 ﹄ で あ り、 文 書 に よ る 正 式 な 論 争 は こ こ か ら 出 発 す る。 こ の と き 尊 観 は 七 十 六 歳 で あ つ た が、 論 旨 は さ え 一 歩 も 後 に ひ か な か つ た。 こ れ に 対 し 良 暁 は 十 か 条 か ら 成 る ﹃ 浄 土 述 聞 砂 ﹄ を 書 き、 良 忠 の 正 義 を 述 べ て 尊 観 の 義 を 論 難 し た。 こ こ に は お 互 い の は げ し い 主 張 が 見 ら れ る。 こ う し た お 互 い の 批 難 は 教 義 面 ば か り で な く、 個 人 的 な 批 判 に も 及 ん で い つ た。 名 越 派 理 本 の ﹃ 十 六 箇 条 疑 問 答 見 聞 ﹄ に よ る と、 良 暁 は 若 い 時 分 に 勉 強 ぎ ら い で、 良 忠 か ら 見 放 な さ れ、 慈 心 に 付 法 状 を 授 け た。 そ の 後 良 暁 が 修 行 を 積 ん だ の で、 慈 心 は 付 法 状 を 良 暁 に 渡 し た と い う。 こ れ は 滑 稽 で あ る。 一 体 付 法 状 と い う も の は、 一 人 に の み 授 け る も の で は な い。 性 心 も 然 空 も 道 光 も そ れ ぞ れ 付 法 状 を 授 か つ て お り、 理 本 の い う よ う な こ と は 理 屈 に 合 わ な い。 問 題 は だ れ が 不 動 産 を も ら う か と い う こ と で、 後 継 者 と 付 法 状 を 混 同 し て は な ら な い。

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し か し 良 暁 が 不 勉 強 で あ る と い う 噂 が 立 つ た の は 本 当 で あ る。 そ れ に は 裏 が あ つ た。 良 暁 の ﹃ 述 聞 副 文 ﹄ に よ る と、 而 尊 観 云、 慈 心 者 予 弟 子 也、 有 其 状 云 〃、 此 条 難 信 用、 慈 心 為 先 師 一 室 同 宿、 受 学 三 年、 何 其 中 間 以 尊 観 可 為 師 匠 哉、 慈 心 乍 帯 先 師 付 属 之 状、 何 以 被 寄 置 之 仁 存 師 匠 之 義 哉、 労 以 不 審 也、 設 又 慈 心 錐 為 師 弟 之 約、 尊 観 已 下 先 師 被 寄 置 之 条 者 難 遁 者 也、 又、 先 師 上 洛 之 時、 尊 観 已 下 頻 乞 相 承 之 状、 先 師 不 許 之、 而 愚 身 云、 労 一 分 門 人 也、 錐 不 伝 素 意、 如 形 相 承 之 状 可 給 之 由 令 申、 乞 状 与 畢、 ( 上 下 略 ) と あ る。 尊 観 は 慈 心 を 自 分 の 弟 子 と い つ て い た。 し か し 慈 心 は 良 忠 の 弟 子 で あ つ て 尊 観 の 弟 子 で は な い。 そ れ ば か り か 良 忠 が 上 洛 す る と き、 尊 観 ら は 付 法 の 伝 授 を 良 忠 に 頼 ん だ が 許 可 し な か つ た。 し か し 良 暁 の 依 頼 に よ つ て 形 式 的 に 付 法 を 行 つ た ま で だ と 良 暁 は い つ て い る。 尊 観 に す れ ば、 良 暁 が 良 忠 の 後 継 者 で あ る こ と は 周 知 の 事 実 で あ る が、 学 問 的 に は 自 分 の 方 が よ り 正 統 な 後 継 者 で あ る と い う 自 信 に 満 ち て い た。 そ れ で 教 義 に 精 通 し た 学 者 と 噂 の 高 い 慈 心 を 自 分 の 弟 子 で あ る と 主 張 す る こ と に よ り、 自 分 が 優 位 に 立 と う と し た の で あ ろ う。 そ れ に し て も、 こ こ ま で 話 が 飛 躍 す れ ば、 お 互 い の 弟 子 た ち に 与 え る 影 響 も 大 き く な る こ と は い う ま で も な い。 ま す ま す 名 越 ・ 白 旗 両 派 の 間 は 険 悪 に な つ て い つ た。 元 応 二 年 (三一〇) 七 月 六 日、 良 暁 は 再 度 定 恵 に 付 法 状 を 授 け て い る (﹃ 光 明 寺 文 書 ﹄ )。 こ の 中 で 良 暁 は 良 忠 か ら 授 け ら れ た と き に は な か つ た ﹁ 当 流 者、 吉 水 之 正 流、 鎮 西 之 余 風 也 ﹂ と い う 字 句 と ﹁ 四 代 之 相 承 ﹂ と い う 文 句 を 使 用 し て い る。 つ ま り 自 分 こ そ 法 然 の 正 流 で あ り、 そ し て 弁 長 が そ の 確 か な 継 承 者 で あ り そ れ を 良 忠 が 相 承 し て 自 分 が ま た 良 忠 か ら 相 伝 し た と い う の で あ り、 そ れ を お 前 に 授 け る か ら よ く 弘 通 す る よ う に せ よ と い つ て い る。 こ れ は 単 に 形 式 と い つ て 片 付 け る 問 題 で は な い。 自 分 の 流 れ こ そ 正 流、 す な わ ち 嫡 流 で あ る こ と を 決 定 す る た め に い つ た 文 句 で あ る に 相 違 な い。 こ の 後、 元 亨 二 年 (三一二) 二 月 八 日 寂 仙 に 授 け た ﹃ 授 手 印 ﹄ が 敦 賀 西 福 寺 に 現 存 す る が、 こ れ に は ﹁ 授 手 印 並 決 答、 以 二 口 伝 相 承 旨 ↓ 授 二 弟 子 寂 真 一 已 畢 ﹂ と あ る。 つ ま り 寂 仙 に は ﹃ 授 手 印 ﹄ と ﹃ 決 答 授 手 印 疑 問 紗 ﹄ を 授 け て い る が、 そ の 際、 自 分 が 良 忠 か ら 授 か つ た 口 伝 を も 合 せ て 援 け て い る。 こ こ に は 然 空 や 尊 観 な ど に は 見 ら れ な い 自 信 に 満 ち た 態 度 が み ら れ る。 こ の 年 十 月 八 日、 良 暁 は 浄 土 宗 の こ と 以 下、 十 一 条 の 口 伝 を 述 べ て ﹃ 浄 土 述 聞 砂 追 加 ﹄ を 作 り、 そ の 奥 書 に ﹁ 右 任 二 先 師 相 承 之 旨 一 所 レ 詮 也、 早 守 二 相 伝 一莫 レ 令 二 違 失 哨 伍 為 二 後 日 之 証 誠 一 所 レ 録 如 レ 件 ﹂ と 記 し て い る。 た と え 尊 観 が 入 寂 し て も、 良 暁 が ど れ ほ ど 尊 観 の 質 問 に 気 を 配 つ て い た か が 推 察 さ れ る。 そ れ に し て も 良 暁 の 表 面 に 出 し て い る 主 張 は、 い つ で も 先 師 良 忠 か ら 相 伝 し た も の と い つ て 良 忠 を 立 て、 自 説 の 裏 づ 浄 土 宗 名 越 ・ 白 旗 派 論 争 の 歴 史 的 価 値 ( 玉 山 )

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-51-浄 土 宗 名 越 ・ 白 旗 派 論 争 の 歴 史 的 価 値 ( 玉 山 ) け を 正 統 化 し て い る。 こ の 後 元 亨 四 年 九 月 四 日 に は 清 源 に ﹃ 浄 土 述 聞 見 聞 ﹄ を 口 授 し て 宗 義 三 十 か 条 を 明 か し、 さ ら に 十 一 か 条 の 口 伝 を 述 べ た ﹃ 浄 土 述 聞 口 伝 切 紙 ﹄ を 撰 述 し て い る。 い ず れ も ﹃ 浄 土 述 聞 砂 ﹄ ﹃ 浄 土 述 聞 砂 追 加 ﹄ に 述 べ き れ な か つ た こ と を 詳 説 し た も の で あ る が、 一 途 な 良 暁 の 態 度 を く み と る こ と が で き る。 良 暁 の 立 場 を 考 え れ ば 当 然 の こ と で あ る が、 彼 を そ こ ま で 追 い 込 ん だ 当 面 の 原 因 は、 彼 の 門 下 に 対 す る 疑 問 を 晴 ら す だ け で は な く、 名 越 派 に 対 す る 意 識 を も 考 え て み な け れ ば な ら な い。 い や 名 越 尊 観 の 主 張 が あ ま り に も 大 き な 反 響 を 呼 ん だ た め、 尊 観 の 主 張 と 決 着 を つ け て お か な け れ ば な ら な か つ た。 し か も こ の ﹃ 述 聞 副 文 ﹄ は 起 請 文 の 形 式 を と つ て 定 恵 に 授 与 さ れ、 康 安 元 年 ( 一 三 六 一 ) 八 月 三 十 日、 定 恵 は さ ら に 良 順 に 授 与 し て い る。 こ れ を み て も 名 越 ・ 白 旗 の 論 争 が い か に 激 し か つ た か が わ か る。 四 一 念 業 成 を 主 張 し、 最 後 ま で 良 暁 と 論 争 を 展 開 し た 尊 観 の 弟 子 の う ち、 目 立 つ た 存 在 と な つ た の は 慈 観 と 明 心 で あ る。 慈 観 は 正 応 三 年 ( 一 二 九 〇 ) 八 月、 名 越 宗 要 と い わ れ る ﹃ 浄 土 宗 問 答 集 ﹄ を 書 い て 口 決 の 重 要 性 を 主 張 し、 正 中 二 年 ( 二 二 二 五 ) に は 江 州 河 瀬 の 報 恩 寺 で ﹃ 十 六 条 事 ﹄ を 書 い て 鏡 智 に 与 え て い る が、 慈 観 は 尊 観 の 説 が 白 旗 良 暁 の 主 張 す る 多 念 業 成 と 本 質 的 に は 変 ら な い と 主 張 し、 両 流 の 会 通 を 計 つ て い る。 こ れ に 対 し 信 州 善 光 寺 南 大 門 に 住 ん だ 明 心 は、 尊 観 の 口 伝 を よ り 強 調 し て そ の 位 置 を 不 動 に し、 多 く の 門 下 を 集 め て 布 教 に 専 念 し た。 元 亨 三 年、 妙 観 は 善 光 寺 に 参 詣 し て 明 心 の 門 に 入 り、 五 年 間 勉 学 の 後、 嘉 暦 二 年 ( 一 三 二 七 ) 十 月、 奥 義 を 伝 授 さ れ て 郷 里 の 奥 州 石 川 に 帰 り、 の ち 矢 の 目 ( 現 い わ き 市 ) に 如 来 寺 を 建 立 し て 名 越 派 発 展 の 基 礎 を 築 い た。 明 心 の 主 張 は、 浄 土 宗 で 大 切 な も の は ﹃ 選 択 集 ﹄ で あ り ( こ の 意 に よ つ て い ろ い ろ な も の を 解 釈 す る こ と が 肝 要 で あ る と い う 正 伝 の 特 色 を 出 し て い る。 そ の た め 名 越 派 伝 書 の 中 に は ﹃ 選 択 集 ﹄ に 関 す る も の が 多 い。 ﹃ 選 択 口 筆 ﹄ も そ の 一 つ。 そ れ に し て も 明 心 作 と い わ れ る ﹃ 口 伝 題 下 ﹄ ﹃ 開 題 考 文 抄 ﹄ ﹃ 果 分 不 可 説 ﹄ な ど、 す べ て 口 筆 の 多 い こ と が 目 立 つ。 良 暁 も 肝 要 な 点 は 良 忠 の 口 伝 と い つ て 師 説 を 表 面 に 出 し て い る が、 名 越 派 の 尊 観 ・ も 明 心 も、 さ ら に は 妙 観 も、 こ の 傾 向 は 著 る し い。 そ れ は と も か く 名 越 派 で 注 意 し な け れ ば な ら な い こ と は、 教 団 の 組 織 が か な り 整 備 さ れ て お り、 ・ 修 行 の 方 法 あ る い は 態 度、 布 教 の 実 践、 奥 義 の 伝 授 な ど が 規 則 化 さ れ て い た。 妙 観 が 修 行 後 す ぐ 郷 里 に 帰 つ た の も、 聖 観 が 折 木 檀 林 を 開 く 基 礎 を つ く つ た の も、 す べ て こ の 規 則 に し た が つ た も の と 考 え て よ い。 名 越 派 が ﹃ 授 手 印 ﹄ の 相 伝 を 付 法 の 一 つ に お く こ と は 白 旗 派 と 同 様 で あ る が、 師 説 を お ぎ な う 口 伝 を 伝 え、 奥 義 を 秘 密 化 し て い つ た。 と く に ﹃ 果 分 不 可 説 ﹄ は 一 念 業 成 の 意 義

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づ け だ け に、 注 釈 書 も 多 く、 名 越 派 に お け る 大 き な 比 重 を 占 め て い る。 そ の 最 大 の 貢 献 者 は 三 世 妙 観 で あ る。 妙 観 の 主 張 は い ず れ も 師 明 心 の 説 を 前 面 に 出 し て の 註 釈 で あ る こ と を う た い、 さ ら に は 明 心 の 師 尊 観 の 口 伝 で あ る こ と を 意 義 づ け て い る。 け れ ど も 妙 観 が そ う 主 張 し な け れ ば な ら な か つ た 背 後 に は、 か な り 疑 問 を も つ た 人 々 が い た こ と を 忘 れ て は な ら な い。 し か し 自 信 に 満 ち た 妙 観 は 師 説 に 名 を 借 り て 堂 々 と 自 説 を 主 張 し、 有 利 に 論 を 展 開 し て 名 越 派 興 隆 に 尽 力 し た。 こ う し て 名 越 派 は 妙 観 の 時 代 に 一 応 の 組 織 が で き 上 つ た と 考 え て よ い。 妙 観 の 門 下 か ら は 聖 観 ・祐 誠 ・十 声 ・ 聖 円 な ど が 出 て、 教 線 の 拡 張 を 計 つ た。 祐 誠 は 如 来 寺 の 二 世 と な つ た が、 十 声 は 如 来 寺 の 近 く 山 崎 に 専 称 寺 を 建 立 し、 聖 観 は 折 木 に 成 徳 寺 を 建 立 し て と も に 学 問 所 と し、 現 福 島 県 の 南 海 岸 を 中 心 と し て 強 力 な 勢 力 圏 を 作 つ て い つ た。 こ の よ う に 東 国 で は、 鎌 倉 に 基 盤 を も つ 白 旗 派 と、 石 城 を 中 心 と す る 名 越 派 が 対 立 し、 互 い に 論 争 を 交 え な が ら 教 線 の 発 展 に つ く し て い つ た。 五 法 然 が 入 寂 す る と、 浄 土 宗 は 多 く の 流 派 に 分 か れ て い つ た。 九 州 に 基 盤 を 固 め た 鎮 西 流 も そ の 一 つ で あ る。 と こ ろ が 僅 か 数 年 の 師 事 で は あ つ た が 良 忠 が 鎮 西 流 弁 長 の 後 継 者 と な り、 関 東 を 教 化 し て 鎌 倉 に 本 拠 を お き、 鎮 西 流 の 中 心 は 鎌 倉 に 移 つ た。 良 忠 は 八 十 九 歳 の 生 涯 を 終 る ま で、 法 然 -弁 長 ー 良 忠 と 相 伝 す る 浄 土 宗 の 正 統 を 主 張 し 続 け た が、 対 外 的 に 公 認 さ れ る ま で に は ゆ か な か つ た。 浄 土 宗 三 代 が 確 立 ざ れ た の は、 良 忠 の 教 え を 布 教 し た 直 弟 た ち の 時 代 で あ り、 孫 弟 以 後 に な る と、 そ れ が 不 動 の も の と な つ て、 鎮 西 流 が 浄 土 宗 の 本 流 と な つ て い つ た。 と こ ろ が 三 代 は 確 立 し て も 四 代 を だ れ に す る か と い う 難 問 が 残 さ れ た。 良 忠 か ら 付 法 状 を 伝 授 さ れ た 多 く の 弟 子 た ち は、 自 分 こ そ 後 継 者 で あ る と い う 意 識 が 強 く、 孫 弟 た ち は さ ら に そ れ に 拍 車 を か け て い つ た。 こ う し て 良 忠 入 寂 後 は 多 く の 流 派 に 分 か れ て、 そ れ ぞ れ 自 派 の 正 統 を 主 張 し 続 け た。 そ の 最 も 著 る し か つ た の が 名 越 派 尊 観 と 白 旗 派 良 暁 の 論 争 で あ る。 教 義 は も ち ろ ん の こ と、 個 人 的 な 批 難 ま で お わ ま ぜ、 感 情 的 な 面 に ま で 及 ん で い つ た。 そ の た め こ の 論 争 は 弟 子 た ち に も 多 く の 影 響 を 与 え、 互 い に 教 線 の 拡 張 に つ と め て い つ た。 白 旗 派 は 鎌 倉 佐 介 谷 の 蓮 華 寺 を 中 心 と し た が、 や が て 太 田 に 法 然 寺 を 開 き、 さ ら に 爪 連 の 常 福 寺、 飯 沼 弘 経 寺、 江 戸 増 上 寺 と 教 線 を 拡 張 し て 三 河 に 進 出 し、 大 樹 寺 ・ 大 音 寺 ら を 中 継 地 と し て 京 都 に ま で 進 み、 複 雑 な 状 態 に あ つ た 知 恩 院 ・ 知 恩 寺 な ど に 駒 を 進 め て い つ た。 一 方 名 越 派 は 鎌 倉 名 越 の 善 導 寺 か ら 奥 州 石 城 の 如 来 寺 ・ 成 徳 寺 ・ 専 称 寺 を 中 心 と し て 基 盤 を 固 め、 未 開 拓 の 東 北 各 地 に ど ん ど ん 教 線 を 拡 張 し て い つ た。 そ れ ば か り で な く、 良 栄 の こ ろ に な る と 白 旗 派 の 本 拠 に 近 い 浄 土 宗 名 越 ・ 白 旗 派 論 争 の 歴 史 的 価 値 ( 玉 山 )

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-53-浄 土 宗 名 越 ・ 白 旗 派 論 争 の 歴 史 的 価 値 ( 玉 山 ) 大 沢 に 円 通 寺 を 創 建 し、 東 国 方 面 へ の 教 化 を 計 つ て い つ た。 良 忠 の 一 番 弟 子 で あ つ た 性 心 の 藤 田 派 も 東 国 浄 土 宗 発 展 の 一 助 と は な つ た が、 名 越 ・ 白 旗 の 二 派 と は 比 較 に な ら な い。 六 中 世 に お け る 関 東 浄 土 宗 発 展 が、 想 像 を 絶 す る 早 さ で 行 わ れ た 理 由 は い ろ い ろ 考 え ら れ る が、 対 外 的 に は 虎 関 師 練 の ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に 対 す る 学 問 的 な 風 潮 で あ つ た こ と も 事 実 で あ る。 し か し、 こ の 時 代 に は 浄 土 教 そ の も の が 民 衆 に ゆ き わ た り、 布 教 し や す い 状 態 で あ つ た こ と を 忘 れ て は な ら な い。 確 か に 平 安 時 代 よ り は 鎌 倉 時 代、 鎌 倉 時 代 よ り は 室 町 時 代 の 方 が 浄 土 教 に 対 す る 意 識 は 高 い。 け れ ど も そ う し た 意 識 を ふ ま え て 布 教 発 展 に 尽 力 し、 さ ら に そ の 意 識 を 高 め つ つ、 教 線 拡 張 の 原 動 力 と な つ た の は、 宗 内 的 な 派 閥 争 い で あ る と 私 は 信 じ て い る。 お 互 い が 自 信 を も つ て 主 張 し た 正 統 性 の 争 い は、 不 毛 の 地 に 浄 土 教 を 浸 透 さ せ、 必 然 的 に 教 線 の 拡 張 と な つ て い つ た。 そ し て そ れ が 広 い 意 味 で 浄 土 宗 の 発 展 に な つ て い つ た。 こ う し た 問 題 は 教 義 の 優 劣 で 片 づ け ら れ る 問 題 で は な く、 教 団 の 歩 み、 流 派 の 発 展 の 上 か ら と ら え る と こ ろ に 意 義 が あ る。 そ れ に し て も 名 越 ・ 白 旗 両 派 の 論 争 は、 単 に 東 国 に お け る 問 題 で は な く、 浄 土 宗 発 展 の 上 に 大 き な 貢 献 を し た と い わ な け れ ば な ら な い。 そ こ に 私 は 歴 史 的 な 価 値 を 見 い 出 し た い と 思 う。

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