• 検索結果がありません。

八丈島の絹織物と手織機

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "八丈島の絹織物と手織機"

Copied!
40
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

八丈島の絹織物と手織機

著者 吉本 忍

ページ 439‑477

発行年 1991‑09‑10

URL http://hdl.handle.net/10502/5200

(2)

五 八丈 島 の 絹 織 物 と手 織 機

吉本忍

e 八丈 島 と絹 織 物

八 丈島の絹織物 と手織機

わがで生てきた伝のおな繊維素︑麻︑絹綿

しな八丈は︑これに知いるかぎにおいては︑からほとんど

*1の機織りがわれおりは今いたつね内有て重てきた︒

々からなわがのなで︑ように絹物ばかりがてきいう島は他に類八丈

こう﹁絹の島いうことできる︒て︑の島の間の大海は︑

︑特の絹に︑い時からいたものと推る︒た︑

こと︑島の名八丈わがで古から(反)というの長

に︑の代名詞てもてきことに由いるいうの妥︑裏るもでもる︒

シル経由て本送らた絹(七三)に京で刊た商

ぱんきんすぎわいぶく*3工業の手産業においてり︑にも八丈の絹

いとまがそうた名に高いもであかということ︑今いて

はちじよ八丈いえの人八丈の名るということからかが

八丈で織に送いたは︑二年(五七)に伊に流にさ

んぜいはちろうめとも*4西八郎八丈る説︑最のもであるがの真ほどる︒

(3)

ほうじし︑には後述に︑北条氏の貢ついて若の記の中

からは︑の出いたのと

た︑八丈の絹は︑に送︑近に服るまで︑にわ

いたくひ日常の衣ても使てきのよ絹織をもてあつかてき

衣生は︑よそるもであこうの特衣生のあよういては︑二年(

んおうこう)ごに刊﹃園の以の記にもにあされいる︒﹁比田原ノ遺ニヤ︑歳暮︑吉八丈ハン

ももひきはんしたハンテ/きやはんシ︑ハナユ︒マテハ︑綿

ようしもじもつとス︒ノ綾ニオ綿ン﹂

貢絹 の 歴史

八丈で絹になるが︑すに述ように︑の島の絹

は︑の中り出されたものとみらる︒ただ

から(八〜)いたの絹織の出︑貢に基の数

いたものとる︒は︑に産の乏い八丈ら︑の穀に代る租

て上てきたもであにわ半が貢絹かなわれてきた︒

の為せたいうの真にし絹織早くからて本の支に差

いにエ嶋

はな.ハ・リ

って﹃北

そうじなの時の内り︒は︑三年

 よりに︑に水︑秋の島る年の絹(﹃

(4)

条五代記﹄巻五の四八丈渡海の事﹂)

を織︑北貢絹さむる故にやよりは女て︑は入こな(同)

あるききおよとりのせ州賀の住人朝六郎云侍よりに当て島ひ︑に人

のしつより渡︑彼し︑の国の内

し告ならしむめな八丈に︑の国の郷

またげあるへからに今か孫兵庫行すの島

の貢おさる事万歳へし﹂(同︑巻五﹁江雪入道措き事付男女別事﹂)︒

ようからからの北八丈二年(

九〇)から六世の天八年(五九〇)かけて︑にないたことがかが

218上 納織 物 の機織 リ 八 丈記dに 描か れ た こ

し め なわ

の図 は,軒 に 注連 縄が 張 られ てい る こ とか ら,上 納織 物の 機織 り風 景 を描 いた もの であ るこ とが 明 らか であ る。 手織 機 の型 式は は っ き りしないが,

まね き そうこう

機織 り女 の前 に招 木 と綜続 をつ な ぐ紐 とみ られ る

じ ぱた

線が 描か れて い る こ とか ら,地 機 が使 われ て い る もの と推 察 され る。 八丈島歴史民俗 資料館蔵

の初の永

二年(五)

を支配す

いたらず北条

を支いた神

の奥には

氏が

てい

いた

の間にはこれ

にたいし個別

441

(5)

たと八丈のさの記に続て︑

のと一二ヨリヲ出

マデへ年

氏がは︑八丈いな貢絹

に途のとる︒

のちのは︑慶長七(六〇)家康八丈たと

から貢絹の歴は︑︑最

は︑二年(九〇九)に︑租がからに完に切て︑

*12

江 戸 時 代

の 絹 織 物

八丈は︑記﹄の貢記述はすに絹

ことはほかでるがの絹織物いかるもであかということ

442

は︑である︒

八丈の絹の種に知ことできのはに織いたもからであり︑の時

ひらしまおりあやつむぎ絹織は︑に述ようなどあげる︒

たん地縞平織の縞であに反て織いたのと︑縞の多

こうられるがからてきた︒のよのう反物され

*B*14いたのは﹁合と呼の商の着いは丹後と呼

いと

 る反は区てきた︒お︑丹後いは丹のうは︑使使用

(6)

八丈島の絹織物 と手織機

の縞

は︑の縞のほどすは︑であたと︑綾

*15︑・・

﹁綾いず

の商った

くずまゆは︑綿からかれ使織物る︒の紬は︑いたのと

ようひら﹁上(上紬)﹁中の着使てきた反丹後いだ

とびる︒︑上納反は.の違いにて︑いまいない白︑黄や鳶の無の色

丹後のうは︑の無の白のほに︑地縞丹後に含

る縞紬織いた︒のほに帯に︑に模めを﹁菊田摺

呼ばるものもた︒

ずねがきおけひかお︑菊田摺いては︑二年(七四九)に︑田摺

つて*16に縫ほめ以摺︑其た草の汁ほりいるこれは︑

うしようらい締め絞ともる︒し︑=(八三〇)に著には﹁昔の菊

*17えず︑実されいことからの詳ついていな

精錬の絹糸(生糸)を使て織た織であいたもいて

すずみらるがは縞には八丈の名に黄

きじや*Bり︒にもも今こしうすし﹂と紹される︒

たてうねひも田織は︑に経の細織物る︒サナダ使てき

(7)

219経 畝 二重 組織 の 断面 この よ うな 経 畝二 重 組 織 で構 成 され る カ ッペ タ織 の模 様 には イチ マ ッがあ り,そ の機織 りには2本1組 の 開 口保持 具 と,

りん じよ う

経 糸の上 下 に3枚 ず つの 輪 状 綜iflLを備 えた カ ッペ タ織 機が 使用 され る。

のとられる︒田織は︑に︑二色の経に使い分て︑

ちゆうやの色たもであみらるがるよに︑

*19にも二重組で幾を織り出ッペタ織ことはま

る︒

貢租 の 種類

と上納織物

江戸丈島ら幕し出された租は︑

うぜの年夫役と雑これは︑の反

かえいた︒に代は︑﹁村々夫紬﹂

かつおぶくわいた︒た︑は︑の葉椿の実

うんじようもぬしかわ﹁椿

付きに取た者に課﹁御いして課

﹁山紬﹂(二八)に︑の領

﹁上ミ﹂二人の女の扶田畑せら

ようかみちぎうかちまに相(両賀美)紬(付加税︿地方税﹀種)と

口紬の費にあ﹁品々出

*20のなどがた︒

これの名た織には(上紬)

いえげん田摺てらた︒のうであ三代(元和慶安四年︿一二

かり*21)の時に桑の紬の後の紬

なん

 た︑の縞いて(三)に︑はじ﹁御

ようにないた﹁御相違とがた︒め︑

表 す る縞 織 物 の流 行 の 一 翼 を 担 う と と も に︑ 江 戸 文 化 の粋 を 形 成 す る う え に 少 な から ぬ役 割 を は た し てき た こと はまけうちがいのないところであり︑八丈島は︑本土以外で中央の染織文化にかかわった︑稀有の機業地として位置づける ことができる︒黄八丈の染色八丈島で織られてきた絹織物の色彩としては︑おそくとも江戸時代から︑黄︑鳶︑黒の三色が代表的なものであった︒これらの色彩をおもな色目とした八丈島の絹織物︑あるいは絹の縞織物は︑それぞれ﹁黄八丈

参照

関連したドキュメント

第三十八

In order to study the relationship between fabric shear and bending vibrational properties and beautiful appearance of clothes, correlation coefficients between those

長氏は前田家臣でありながら独立して検地を行い,独自の貢租体系をもち村落支配を行った。し

We traced surfaces of plural fabrics that differ in yarn, weave and yarn density with the tactile sensor, and measured variation of the friction coefficients with respect to the

小田25)は「デトラヨ■一ドフエノールフタレンナ

PAR・2およびAT1発現と組織内アンギオテンシンⅡ濃度(手術時に採取)の関係を

参考資料ー経済関係機関一覧(⑤各項目に関する機関,組織,企業(2/7)) ⑤各項目に関する機関,組織,企業 組織名 概要・関係項目 URL

EUで非原産材料の糸から製織した綿製織物(第 52.08 項)を使用し、英国で生産した 男子用シャツ(第 62.05