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フランスにおける責任保険成立過程  

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(1)

三  

︵こ 労働災害の忘の解決ほ加入九八年法を待たねばならなかったので︑それ迄の長い膵化期中︑学説および  それに追随した下級審判例が被害労働者の救済に努めたことは十分認められるが︑蒜険専門家の案出した結合団  

︵l︶  体保険︵−ぎs.雀ecti諾C︒mbin&がこの点の最も有効な対策となった︒  

ヽヽヽヽヽヽ  この案出老荘pp号teMares−aingは一八六年に彼のアイデアを具体化すべく災害危険相互保険会社−a  

Prかserくatri諾を創始した︒  彼の仕組によれほ︑雇主は自己の雇用する潜働者せ労働災害事故に対し付保する団体棟険証券鱒些著名した︒  

この保険は災害保険︵斎s・CO旨2−esaccid2n−s︶で濁るが︑労働災害に因り被害労働者が雇主へ行使する責任訴  求を雇主に付保する芸任保険を付属さ盲てい牒︒この二箇の保険契約が﹁結合団体保険﹂の名称の下に統盲れ︑  

︵2︶︑︑︑︐ 貴任保険と結合された壷の団体災害保険が契約される︒一般に簡単に団体保険とよほれているのがこれであり︑ ︵ 

汚︶ さら忙後置みるどとく実際上雇主のための責任保険と結合されない団体保険にでくわすことほなかった︒    第三十二奄第二号  

フランスにおける責任保険成立過程  

および被害者の直接請求権三︶  

岩  崎   ︵一八二︶ 五〇  

(2)

労災事故町費任保険を最初に適用した保険が︑付保者︵雇主︶を労働災害に由り被僻労働者から行使される資任  

追求に対して填補することを唯㌦の目的とした︑純粋かつ独立の責任保険でなかったことに注意しておくのはあな  

がち無益でない︒   

Ma記Sta−n粥の案出した組合せでほ責任保険ほ従物にすぎない︒その初期の約款が称するように︑責任保険は労働  

者災害団体保険の誉mp−かm2呈だった︒雇主ほ同時に自己の被備労働者の利益のために就労中に労働者に生じ  

うべき災害に対する団体保険を締結せずには︑自己の利益のため望見任保険を締結できない︒この結合が考えられ  

た所以は労働者にあらゆる場合に︑殊些展主の責任が生じない場合にさえ︑賠償金を保障しようという労働者への  

配慮によるとみられよう︒しかし本当の理由は責任保険の技術に見出される︒   

事実︑団体災害保険と結合された責任保険の保険料よりも純粋の責任保険料を決める方がずっと難かしい︒後者  

の奔走にほ︑前者の算定に必要な諸因子の他に︑とても難かしい統計的与件を決定しなけれぼならない︵殊に事故  

当時の現行法軋よる雇主有責事故と労働者の負担に留まる事故との産業別区別︶︒   

︵二︶ しかし実の所︑二八六八年ルーアンでこの種の純粋の責任保険を行う定額出資相互保険会社−aSau扁ga・  

︵4︶  昆edestra邑家宅Sが前蔵相憎○董eヮQ詩誌er軋よって創立された︒同社ほ加入者の建物内で加入者の被傭人に  

生じた災害に由り加入者が負わされる損害賠償責任を加入者に付保した︒出資額ほ産業種別の危険の大小により給  

料仙000フラン毎竺フランから六フラソの間に決められた︒それ故︑向社は別箇かつ独立の保険分野とみなさ  

れる責任保険を労働災害に実用したようであり︑そしてこの保険を保険証券の唯劇の対象とした︒   

けれども同社ほ孤立した二事例にすぎず︑同社自体創立後はんの暫らくで清算に陥ったから好禁緻を収めたとは  

思えない︒  

フランスにおける貰任保険成立過程および被害者の直接請求権︵二︶  ︵一八三︶ 五劇   

(3)

J一−1−−・−−1ll−  

︵一八四︶ 五二  第三十一巻 第二号  

へ5︶   仙般に︑フランスの企業主は被僻労働者よりの責任追及を付保するため紅ほ︑同時に労働者の利益のために団体  

災害保険を契約せざるをえない︒企業主の締結した責任保険は︑あくまで団体災害保険に付属した縫物にすぎない︒   

要する紅︑一八九八年法以前フランスには労働災害のための純粋責任保険が存在せず︑それほ団体保険と胎合さ  

れて作用したにすぎない︒当初の保険証券では︑この結合が別簡の約款を載せた二通の保険証券という形式の下に  

現われた︒盟二通は労働者の利益のための団体災害保険を対象とし︑第二通は企業主のための景任保険を対象とし  

ていた︒この結合は懲二道の軋は窺われなかったけれども︑責任保険用の証券軋は次の記載があった︒﹁滞二条︒  

︵6︶ この保険は団体保険証券のcOmp−かmentとしてしか締結されえない﹂︒   

︵三︶ 山八八五年以降︑この二通の保険証券はただ一通のかつ同山の保険証券に統合されている︒この融合は既  

︵7︶  に山八八五年に使用された新しい保険証券約款第一劃条の文面に表われており︑そこには責任保険が団体保険の﹁補  

充物﹂であるとする旧保険証券の条項に類以した条項をもほや見出せない︒これほこの澤の規定が存在理由をなく  

してしまったからである︒この種の条項は︑二通の証券が存する場合︑山方が他の従物であるこどおよび両者が〟  

方だけで存在しえぬことを十分に明示するためにのみ必要だったにすぎない︒   

労働災害に関する純粋の責任保険がフランスで行われていなかったことほ疑えない︒雇主責任を発生させる事故  

についての垂展主を付保する保険証券ほ︑相通も見出せない︒各保険会社ほ労災責任保険部門固有の技術的理由か  

ら︑雇主責任付保のため軋ほ︑同時に︑雇主責任を生じない事故に対して雇主の被僻労働者全部を付保するよう雇  

主を強制した︒雇主の利益は純粋責任保険によって十分カバーされたが︑雇主ほこの別筐独立のリスクをカバーす  

る保険者を見出せない︒   

この経済現象が看過されがちなことは︑後に﹁被害者の直接請求権﹂の学説史を説く際にみるように︑責任保険   

(4)

法および団体災害保険に関するフランスの二部学説が固執する矛盾が結合団体保険の右の経済作用を無視する故佐  

伯ならないことから明らかである︒   

この団体保険から生じる諸法律問題は仙八九八年法以前大いに裁判所を賑わしたが︑それ以後その実際的重要性  

︵8︶ は全く消失しないまでもうんと減少した︒  ヽヽヽ   ︵四︶一八九八年法により︑雇主ほ原則として事故が労働者の重過失から生じた場合でさえ就労中又は就労に際  

して雇主の被僻労働者に生じた山切の災害について︑芸を負わされている︒雇主が免責されるのは︑被害者の故意  

︵fauteinte已iOnnee︶ 軋よる場合のみである︒  

一八九八年臨以前なら雇主は自己の責任を生じさせない事故から無関係たりえた︒そして雇主が団体保険によっ  

てこの無関係な事故をカバーした場合でも︑殆どの場合彼がそれを免れる方法を見出さなかったが故に︑即ち保険  

者が雇主にそれを強制したが故に︑他ならなかった︒それほ雇主自身の責任保険契約のsinequanOnに他ならな  

かった︒しかし︑同法以後︑雇主自体の利益から︑不可抗力又は労働者の過失に因る事故をも︑︵責任保険でな  

い︶団体災害保険によ・つてでなく団体保険の従物たる責任保険よりも一般的な責任保険紅よって︑カバーすること  

が促がされるに至った︒   

それ紅もかかわらず︑労災団体保険は実際上︑∵切の労働災害について雇主への帰玉髄の如何を問わず賠償請求  

権を労働者に与える点で︑真正の糞任保険の作用を補完している故︑責任保険史上もやはり重要である︒   

︵五︶ 保険者がこのように自己の義務を拡大した理由と利益は何であったろうか︒それには労災責任保険者が嘩  ヽヽヽヽヽ  のどんな保険分野にも現われない詐欺の常用に脅かされていることを考慮しなければならない︒つまり︑他のあら  

ゆる保険では事故発生の場合保険者はなるべく少額の支払で済まそうとするのに対し付保者側はなるぺく多額の項  

︵一八五︶ 五三   フランスにおける責任保険成立過程および被害者の直接請求権︵二︶  

(5)

︵一八六︶ 五四  第三十山巻 第二号  

補を得ようとするものである︒ところが︑責任保険でほ事情が異っているか或いは少くとも異っている筈である︒  

茸任保険の填補金は被害第三者に帰する︒保険契約者は従って︑少くとも理論上︑この頃補金額の多少に無関心であ  

り︑保険契約者が何よりも求めることは自分の総財産が減少させられないことであるという結果になる︒保険者が被  

害第三者と問う上に保険契約者の協力を求めている理由はこの点にあ一る︒いかなる場合にも保険者ほ︑保険契約者  

の支持を期待しないにせよ︑少くとも保険契約者が第三者の主張を支持しないことを望むのである︒そうしなければ  

保険者は事故の実情を解明する確実な手段を失いかつ保険者を二敵対者に立ち向かぁせる結果となるからである︒   

この保険契約者・被害者間の詐欺訴訟の危険は︑様ぎまな度合において︑すべての責任保険に現われるが︑保険  

契約者に課しうる失権は詐欺訴訟の実行を思い止まらせるに十分有効な制裁である︒   

しかし労災事故に関する場合事情ほ異る︒被害者は︑交通事故責任保険におけると異り︑もはや未知の第三者でな  

く︑その労働により従来企業の繁栄に寄与してきた労働者である︒雇主は仰切の事故に際して有資と宣せられる準  

備ができている︒というのは︑責任保険のお蔭でびた副文出さずに雇主は労働者に填補金を得させられるからであ  

る︒たださゝ笠屋主は少くとも被害労働者を団窮裡に放置すべきでないという道徳的義務を感じるのに︑雇主が被保  

険者であれば保険会社の負担において寛仁さを示す気になるのは当然である︒だから︑元来保険者は雇主貴任を生  

じる事故紅ついてのみ保険金支払義務を生じる筈なのに︑雇主が常に有責を自称する故に保険者応二切の事故に保  

険金支払義務を負わされることになろう︒この点にフランス保険者が︑責任保険技術が進んだ後も︑・結合団体災害  

ごこ 保険を固執し続けた動機があると考えられる︒   

︵六︶ 以上のような結合団体災害保険の存在理由はこの制度の経済的目的を完全に明白ならしめるのである︒し  

︵10︶  かしこの保険を取扱った学説・判例でこの存在理由に思い当っているものは︑Ⅰ・Miche−以外に︑費えない︒   

(6)

雇主が︑もし欲すれば︑白2の保険を純粋責任保険に限定できるか否かさえ問われていない︒それ所か︑雇主が  

︵11︶  この結合団体災害保険を欲する理由が求められさえしている︒たとえば︑﹁労働者募集の容易化﹂や雇主が労働者  

︵12︶  の費用で雇主固有の責任を付保できるという利益が挙げられている︒   

右のように判例・学説ほ雇主が団体災害保険を自己に有利と恩ケからこそ︑それを契約するのだと考えた︒この  

ことは事実であろうが︑一面において雇主が純粋な雇主責任保険をかけようとしてもそれに応じる保険者を見出せ  

︵13︶  なかった点も考え合わさわばならない︒   

前述したようにフランスの保険者が純粋労災保険を取扱わなかった理由がもっともだったことは︑この結合団体  

災害保険をフランス程強制しなかったドイツ保険者が非常に高価な代償を支払わねばならなかったことで実証され  

ている︒   

労災責任保険の従物であることほ責任保険の本質を変えるものでなく︑ただその従物性によって責任保険の存在  

と効力が団体災害保険の存在および効力に左右されるということにすぎない︒   

団体災害保険は産業界で大歓迎を受けたようであり︑そして非常に多くの相互会社および営利会社がこの業務を  

引受けた︒結合団体災害保険会社は一八八四年末パリに存在したもののみでlaPr訂er畠triceを始めとして仙九  

社であった︒フランス全国で山八八四年から山八九五年にかけで二三社が消失した挙句に︑仙八九六年にはもほや  

︵14︶ フランスの災害保険を行う会社ほーa Pr訂er畠trice以下十五社を算えるにすぎなかった︒   

︵七︶ 山八九八年法はいわゆる﹁職業危険﹂を雇主虹負担させている点で︑同法ほ労働災害責任保険に新たな質  

的発展をもたらした︒  

ヽヽヽヽ  同法以前労災事故軋ついて団体災害保険の角補充物︾又は従物でしかなかった貴任保険は︑同法以後︑厳密な意  

︵〟八七︶ 五五   フーアンヌにおける巽任保険成立過程および被害者の直接請求権︵二︶  

(7)

第三十一挙第二号  ︵﹂八八︶ 五六  ヽヽ  昧で︑災害保険と何ら結合しない︑主な・独立な一保険として行われるに至った︒もほや一八九八年法の適用範囲  

払おいては雇主責任を生じる事故と生じない事故とが区別されなくなり︑労働者の故意から起された事故を除く一  

切の事故が雇主︑阻ちより正確紅は産業界ぬ︑負担させられるに至った︒こうして責任保険ほ傷害保険が同法軋よ  

って失わされた全債分をそのまま譲り受けることとなった︒この意味で〟八九八年は責任保険がその成立過程を了  

え新次元の発展過程に移行する撃となった︒故にフランス茸任保険成立史も︑山応この年を以て終りとしてよかろ  

ちノ0   

︵八︶ 貴任保険生成過程上触れておかねばならないのは︑山九世紀末に生じた公証人・訴訟代理人︵aさuか︶・執  

ヽヽヽヽヽ  行吏などの職業上過失に因る責任保険と︑医師が患者に与えた傷害 ︵accidents cOrpOre訂︶ に因る内民事責任  

保険︶ とを区別するととの意義である︒これを混同又は同山祝することほ責任保険のメカニズムからみて不当であ  

ヽヽヽヽヽ  る︒後者において第三者に生じた損害ほ患者の傷害によって明白となるが公証人などの職業上過失によって第三者  

に生じた損害ほ行為無効︵n已litかde acte︶ によって明白となりそしてこの無効の実際的結果はこの第三者の一般  

財産に対する侵害︵atteinte︶ である︒   

右の差異は責任保険技術の見地からまた殊に保険者が付与する項補額の範囲の見地からみて非常に重要である︒   

第三者の損害が傷害によって明白となる責任保険においては︑保険者が十分な墳補額を付保者札付与しても危  

険はなかろう︒つまり保険者は付保老へ行使された責任訴求が付保者に生じた損害を︵最大限度額の範囲内で又は  

無制限に︶全部的紅賠償することを引受けてよい︒この場合に扱害賠償なる民事制裁に加えて刑事制裁が存する︒  

ところで︑被害者への損害賠償に関する限り刑事不法行為の金銀的結果を付保できるにせよ︑罰金その他仙切の刑  

事制裁を付保することは許されないから︑この保険ではこの刑事茸任により付保者の警戒心を十分喚起する点で彼   

(8)

を憤蜜ならしめる要素が存する︒   

逆に︑有形的事故によって第三者の損害が明示されない保険の場合︑保険者はもはや刑事責任を当にできない︒  

またこの場合︑保険者が完全な填補金を付与すれば︑保険者は付保者が絶対的にこの保険契約に依存するという非  

常な危険軋でくわす羽目になる︒この理由からこの保険でほ保険者は賠償すべき損害の靭紅限った項補額しか付  

︵川︶ 与しないのが通常であり︑そして付保険者をその残額紅︺ついて自家保険者に留まらぎるをえなくしている︒   

さらに︑保険者は彼の填補しない危険の山部を付保者が他の保険者に引受けさせることを琴止している︒この一  

部不填補強制条項︵殊に代訴人の職業濱任保険︶の効果は一八九六年来判例によって確認されている︒   

︵九︶ ドイツの場合災害保険法成立が貴任保険の大きな適用分野を失わさせたのに対し︑\フランスの山八九八年  

法は貴任保険発展の山大原動力となった︒その後︑公務員の不法執行や教師の貴任に対する貴任保険も次第に成立  

したにもかかわらず︑一九〇四年保険契約法草案に責任保険規定が皆無だったのに刺戦された咄九〇四年の社会保  

険協会保険契約草案中の責任保険規定がそのまま一九三〇年保険契約法に盛込まれるに至っ駕   

以上な以て一八九八年法以前のフランス責任保険成立史の考察をひ︑とまず終る︒なお追捕として対比の便宜のた  

めのドイツ責任保険成立史を次に付記し︑またフランスにおける責任保険と民事貴任の相互関係を補論として本稿  

末尾に収録しておく︒   

第二部では本稿の主眼たる﹁フランス責任保険における被害者の保険金直接請求権﹂を取扱う︒  

︵l︶ i‖Mic訂lも.芦本節はTarb︒u象chと工・Micbe−に負う所大きいが︑煩な避けるため特に必要なき限り叫一引用ほ  

しない︒   

︵2︶ 今らなおこの結合団体保険ほ㌻九四五年来の社会保障に服軍ない産裟分野︑即ち農林労働者について行われている︒  

︵山八九︶ 五七   フランスにおける貿任保険成立過程および被害者の直接請求権︵二︶  

(9)

︵一九〇︶ 五八  第三十一巻第二号  

︵3︶ Le Cha一語r︶−e L−く蒜d.〇r−nterコatiOコa−des assurances cit訂par ︸Mic訂−﹀ p・べN−・遜の団体保険に関する記述︒  

コa Pr恥se⊇atr仙ce杜創設者昌yppO−yt2冨ar2Staingほ同社創立に際して妥当かつ穏健な考えに従った︒彼ほ相互組織によ  

って別箇のかつ従来対立していた二利益をできるだけ最大限に保護することを思いついた︒その二利益とほ︑偶然の原因又  

は自己の不注意に因る災害にやられた場合の労働者の利益︑およぴ︑白己又ほ自己の雇人の行為が災害の原因となった場合   

の使用主の利益である︒  

この企画の実現が成功する迄︑多くの障害にぶっかったことはもちろんである︒同社創立当時︑この間題の研究ほ粗描だ・   

にされていなかったのが実情である︒様様な範疇の企業の災害数と性質を︑整然とかつ統計的方法監よって︑まとめること   

を誰も考えつかなかった︒経験表︵tab−esd村扁曾ience︶が欠けていたので合理的な保険料率を定められなかった︒  

この填補契約の確定および約款件成も劣らず困雉であった︒まずこの契約が同一保険証券により労働者の職業危険と雇主   

の民事責任を填補することを内容としているそもそもからして︑一体各当事者に衡平虹負担さすべき負担をどのよう紅区別   

するか︒他方︑周知のように企業内の労働者数ほいつも不定である︒正確たるのみならず簡単な方法で日日各賃金生活者の   

正確な就労期間を点検︒確知しうる仕組︵rO冨ge︶はどうすればよいか︒  

さらに何故この種の制度が唱えられないのか︒労働者側ほ別として︑使用主ほこの問題を解決しようとする関心な示さな   

ふった︒無関心な使用主ほその日暮しに各自の陣地で孤立しっつ︑事放のある毎にいっも裁判所で争い続けた︒使用者間で   

民法山王八二条以下に関する裁判所の解釈︵当時の判例ほ未だ使用者に彼の行為又は雇人の過怠ないし無思慮な行為に因る   

災害の責任を負わす域に止まっていた仁訳註︶紅敵意が抱かれていた︒  

こうした事情の実際的帰結ほ次のような次第である︒即ち︑災害被害者又はその権利承鉄人ほ常によかれ馨しかれ自己の   

主張の根拠を十分正確紅説明しないで司法扶助を求めかつ天体それを獲得して︑訴訟な提起した︒ところで工場主が有翼と  

宣せられかつ損害賠償支払と訴訟費用負担を命じられたとする︒場合によってはこの有責判決全体が被告使用者の事兼発展   

(10)

の障害とたりうる︵殊に新規釜者の場合︶誓い負望もなった︒逆に是慧棄却となった誓︑歪労働者︑未亡人︑   幼児および老親ほ悲惨警る裏襟に琵ない芸に誓った︒つ葛敗訴は労働者側に心底から深い苦難をもたらした︒   労働者側ほ彼らにとっ芸道雷撃任と判誓れた企彗が多分大利潤害えられる企業内で蒜の生誓段姦失しさ  

ったのである︒   このかくも痛み烈しい紛争に︑不明確かつ無規律に当著の妄又は他方に襲いかかる不幸に︑保険の制度の奈相争う   

二利益を考慮しっつ有効な救済を与え得たのだった︒   

三六年かかって木産業に関する相当多数の諸与件︵旨喜を旦︶を収集した後︑団体保険の方式をもちこんだーaPr賢宇   

trice創始者が最初に理解させようとしたのほ以上の点だった︒﹂  

︵4︶同社品する以→の記述すべては︑Mane⁝芸af−pf−icF−象cFe−ung盲eG2SCh蔓2古tschaft−ic訂匿eu言   

S・芸引かれたー蕾r盲2首竃2n看註er暑邑−ut2g2g2コ.qn2−註sf巴−2u已  un:ec蔓k.LeipNig︸−買  

︻n孟−idit聖⁚にょる︒  

︵5︶ドイツ吉保険史の票で触れるように︑・ドイツの保険者は結合琵保険を大い虹好んでいたけれども︑青白社顧客紅   純粋竪荏保険宗否しなかった︒そしてドイツの企業主は非藩政←疲しば結合団体保険よりも純粋責任保険を愛指した︒  

︵6︶⁚丁︼妄c匡p・誉s・に団体保険の墓約款およぴその莞物たる荏保険の総則︵c邑−iOn昔邑e︶条文が掲げ  

られている︒  aresren  

︵7︶ AArt・−・  

des acc乙ents  

i−訂ロtpO雲SOコ  

La g崇a已ie  

フランスにおける責任保険成立過程および害被老の直接請求権︵二︶   LaCOmpag〇ie笥anぎdans−es−2護Sde−aprかsen−epO−iceこesp2r−2Spぎniiq已監tt  cOrpOre−sdOntp2喜nt冨a−−2i旨−espe−S⁝2SSa−a款espar富s阜−OrSqu2CeSper筈neSt彗al  cOmptedans−2S蔓1issements壱trepris2SOuSeきesd富鼓a亡衰‖nOndi−iOnSparticu−i冨ci・ap野  ressO≡邑三者乙d2SaCCiden−slnFぎーa仁⁝isquesprO−esslOnne−sd2SSa−ari訂qu≡曹dde   

︵一九こ 五九   

(11)

第三十忘 第二号  ︵完二︶ 六〇   

C〜u⁝阜a針−erm2SdeニOisac−ue−訂me已2⁝−gueurこr2u⁝tengage=arespOnSabi−i−かci墓ede−訂息●∀  

︵cit曾parHamO戸p.霞デ  

︵8︶ ご八九八年法およびそれに続く仙連の労災法が農林労働を適用除外していた故に今世紀になお団体災害保険のこの二重性   

は裁判所に持ちこまれている︒︵Ciく・こ∽n05−害・D・り∴2∴・諾⁝欝ncyこNn芦−害−D・2∴2.N.−諾︶︒  

︵9︶ Ⅰ・MicFe︼−p・00↓参照︒  

︵10︶ ibid.p.笠.  

︵11︶ Tユb・de宕rsaiuesこごa〇こ00声D・P.−0000∽.ドー∽.参照︒   

TarbO亡riecF Desass・C邑re−esaccldentsdu−−a邑−﹀已乱se・出2San巾Onこ00∞¢﹀㍑由e−N∽A︒本件を始め判例に現わ   

れた事件はすべて労働者の給料からの天引で保険料が支払われている︒  

︵12︶ C︒︒rdePar昇ふnOく・㌫芦Dら・−00芦NJN二この判例の評釈がDupuicF nO訂aロD.Pいー∞芦N.山笠によって  

なされている︶︒  

バツ控裁は雇主が労働者の給料天引による保険料で自己の被傭労働者を団体付保する行為により︑無償で自己を着任付保   

することで雇主が実現する利益に真の理由を見出せると考察している︒﹁雇主がこの天引を課していたとしてもそれはもっ   

ばら彼の労働者の利益のためにであるということはまず認容し難い︒その労働者ほ自ら直接に契約しうる筈である︒また労   

働者ほいかなる利益にも与からず︑かついかなる利益をもひきださない﹂︒Dupuichは冷徹に︑﹁このように過半の雇主は   

彼らの労働者へのこの便益を怒書的考えで提供しているのでなく︑この便益から雇主白身の利益をひきだす意図で提供して  

いるのである︒﹂  

︵13︶ 初期の労災貢任保険証券約款に次の条項がある︒ALesO宏C︻ipteur ne b賢覧ciera des dispOSitiOnSde−apr恥sen訂   

assur︒宍eque i︒rSq5−aurasatisfaitau舛C︒邑i雷ns鷲琵邑es⁝par芳已i㌢esde iapOごce邑lecti声V︵Art.ひ︶   

(12)

︵u︶︼紆mOコも告N遠nダーesOri昔sdesc音p普eSd富11−anCefO邑ese⁝−anCede号s−e⁝;冨  

jusqu﹀少nOSjO已訪L苦○︶p.い∽¢ets・参照︒  不幸にも︑フランスの保険会社ほ会計上茸任保険と損害保険を区別していないので︑保険者の帳蕾上の数字ほ薯任保険の   

重要性を殆ど示さない︒なお︑さらに災害保険と茸任保険との混合︑はこの方式を採る会社にもこの両保険各自から得られる   

状況および成果の正確な報告を得られないという遺憾な結果窒じている◇保険会社笑ざっばな全体の成果の吾判断紅   

甘んじるしかない︒こうした理由から保険者の営業成績の統計を掲げても無益であると判断しておく︒なお災害保険会社の   

諸社の保険料率表︵第三者に生じた肉体的災害について︶ほⅠ小Mic貫p・∽示〜−○芸収録されている︒  

︵望COnf・BOrdeaきN⁝ars−畢ひ・P﹂軍N・Nの︒この問題について保険者が苦した様々な企画紅ついてほ︑Manes・   

琶tpf巨t責S告er亡串S.−N㌻.参照︒なお︑ドイツ保険契約法審議に際して︑公序上の利益のため全額責任保険を   

禁止しかつ保険局に強制不噴補部分を決定する権限を留保させようという提案がなされた︒しかしこの提案は採用されなか  

った︒保険者の利益ほ︑付保者の過怠1署利たらしめることのないよう︑保険者が填補額を付与しうる限度を保険者紅指示   

することで十分で計る︑と表に解された︒さらに完○蒜五月⁝日法により︑必要とあれば保険局ほ保険会社の保険   

営兼が公序に反する一切の場合に干渉する権限を付加された︵En−wurf eines Geset琵旨rde⁝ersicherungs責tra拍  

て∽NAbs・P﹂厨︼・M︒ti諾dazuこ当P︶︒  

補  ⊥   追  

フランスとの対比上ドイツの責任保険成立史を粗描しておくのがこの追補の目的であるが︑これについては既に中西学兄の簡要  

︵1︶ な論及がなされて晋︑それ冷加する所皆無な何ら生産性のない粗描でしかないが忘本稿の叙述を補完する必要上取上げてお  

く︒ドイツ茸任保険成立過程は三段階に分けられる︒  

︵工︶ 軍 一 期  

フランスにおける貴任保険成立過程および被害者の潰接請求権︵二︶  ︵劇九三︶ 六〟   

(13)

竺十壷第毒  ︵畠︶六ニ   

へ1biS︶  ドイツでも海上保険における讃任保険の綜跡は古くからあるが︑これが責任保険の制度としての発展から隔絶した存在であるこ  

とはクランスと同様である︒ドイツで貰任保険が明確かつ独立の保険部門として知られるに至ったのほ通常Haf−pf−ichIgese−zと  

へ2︶  称される山八七山年六月七日帝国法であり︑ドイツの責任保険を発生させたのはいわは同法自体であり︑臼aftpfHcht諾rSic訂岩n恥  

︵3︶ の名称にしてから同法から生じたのに他ならない︒ドイツ立法者は職業危険の問題の解決を目的として同法を施行した︒同法規定  

の不十分さに窺える立法者の㌢芸素朴さのため︑同法ほやがて労働災富強別保険を創始した山八八四年七月六日法に補充されざ  

るをえなかった︒   

まず労働災害問題がドイツ普通法でどのよう紅扱われてきたかをみよう︵但しこれは労働災害に特別なものでなく︑民事責任の普  

通法である︶︒ドイツ普通法ほ少くとも雇主の被傭人の誰かの過失によって生じた事故に関する限り︑フランス民法典よりもはるか  

に労働災害に対し労働者を保護すること少かった︒フ民法.一天二・二三八三両条の過失責任度則︵およぴそれによる過失立証責  

任︶ほドイツも同様であったが︑事故が被傭人の誰かの過失によって生じた場合︑ドイツ労働者ほ雇主から賠償を得るためには︑  

雇主自身がその被傭人適任払おいて過失を犯した︵cu首a in−igend︒︶ことを立証しなければならなかった︒フランスの労働者と  

異り︑ドイツの労働者は雇主に対する過失推定を利用できなかった︵但しナポレオン法典が施行されていたライン地方の労働者の  

みほフランス民法一三八四条による雇主の過失推定の利益を睾けた︶︒   

こういうのが責任法施行時迄の一般事情たったけれども︑ドイツにおける近代産業資本的株式制炭の発展を開始させることにな   

︵4︶  ︵5︶ った鉄道敷設が始まった翌翌年︑プロイセン国家とブルジョアジーの一致した利筈に基いて制定された Pre雇Sisc訂sGe邑N  

︵6︶ 旨erdieE仙senb︒F︒unter完Fmungen苫m∽ぎくembe:00ぷは︑不法行為の普通法に対する特別を設けていたり即ち鉄道会社が  

事故は不可抗力︑或いは被筈者の過失によって生じたことを証明しない限り︑営業に際して︑労働者又は第三者であれすべての竃  

に生じた︑ナ切の事故の賠償義務を同法は鉄道会社に負担させたのであった︒   

ス七二竺帝国昔任法ほ︑竺に︑右の山八三八年プロイセン鉄道企業法中の不法行為特別をドイツ連邦全体に拡張したものに   

(14)

議した︒  

右の鉱山業界?琴質を理解するには︑この時期にほ資任保険がドイツで存在する所か知られてさえいなかった至大も考慮されね  

ばならない︒結局︑山八七年のドイツ立法者は過失推定原則をなぉ鉄道業に限超せざるをえなかった︒結局︑鉱山・採石場・托  

さく英工場において生じた災害につい七は︑帝璧荏法は雇主の被傭人の過失責任を雇主に負担させるフランス民法一三八四条の  

過失推定を第二粂で定めたにすぎなかった︒   こ空軍二条で注意されるのは︑罪蒜被傭労働者に生じた災筈のみならず他のすべての警一者に生じた災害にも適用された点︑  

および︑常二に制限的に列挙された菜秘についてのみかつ人の死傷の場合の︑みに適用されるにすぎず従って物に生じた聖ロに通用  

されなかった点である︒この物的轟翌日の見地で帝璧月任法はフランス民法ニ八四条よりもなお限定されていた.  

責任法第幽条は︑被害者たるぺき者に災筈保険が付保されている場合︑雇主がこの保険の保険畢又払竺三賞二以上を負担して  

いたならば︑雇主の負う損害賠償額から右被害者へ支払われる保険金額を差引けることを規定した﹀いわばこれほ雇主が被傭労働  

者に災害保険者促しておく︒との有利さ姦芙ヰ不した指摘に他ならなかった︒  

機械蓋の急速な発達の鰭果苦る事故の頻繁化覧処して帝攣岸法が産藁に課した計担ほドイツ資任侠険を誕生させるこ  

とになった︒   

同法可決と共に一八七左中に相互保険会社三社が設立され︑帝堅農法により開かれた新しい保険部門の営業を行うことにな  

︵山九五︶ 六三   フランスにおける茸任保険成立過程および被軍者の直接請求権︵二︶   ︵7︶ 他ならなかった︒即ち同法竺条は鉄道営業において人が殺傷された場合︑企業者はその事故が不可抗力又ほ被害者自らの過失虹  よって生じたことを証明しない限り︑その結果生じた損害につき茸任−智負うと定めた︒実の所︑同法紅よっても職業危険ほ雇主の  負担とされておらず︑単些展主への過失推定が生じたのにすぎなかった︒  一八七山年法の立法者は一八三八年プロジャ鉄道企業法の原則の地域的適用範閣を拡げる他に︑事項的適用範甜拡大も考えてそ  れを鉱山共に適用しょうと望んだけれども︑鉱山巣者および工来者たちはそのような負担を課せられるのなら廃案してしまうと抗   

︵8︶  

(15)

第三十一巻 第二号  ︵一九六︶ 六四   

った︒そのうち︑Ai肯eRe訂e Unfa︼冒ersicbe⁝讃S訂罫;Leip2igほ数ヶ月経たない内に全関係者に不満を抱かせる羽目になっ  

た︒同社は︵︵U已a−才e邑c訂rung︶︶と自称しながらも︑加入者に純粋の責任だけを付保しようと欲した︒しかし企業主と労働者の  

どちらも︑あらゆるケースに区別なく︑殊に雇主の責任が普通法および膏任法によって生じる場合に限らず︑填補請求権を有する  

と考えた︒しかし ︵二般災害銀行︶︶ の約款ほ事故が労働者の過失︑偶然事叉ほ不可抗力によってまたその他二切の不明原因にょ  

って生じた場合︑つまり要するに雇主責任不発生の場合︑労働者に填補金を支払う義務を何ら約しなかった︒   

その正確な説明は一般に行われないながらも︑茸任保険と災害保険との差異が現われだしたのはこの暗からである︒雇主の責任  

不発生の場合紅労働者を付保するためにはフランスで﹁結合同体保険﹂の名で行われている方式によるぺきことが理解された︒し  

かし一切のありうべき混乱を粛ける目的から同社は加入者自身の票任保険のみを付保し続けたが雇主責任不存在の場合のために同  

︵9︶  社ほDeutscbe Unfa〒undln志−idit警諾rSic訂ru占S閃enOSSenSC訂ftin Leip已gを設けた︒  

一八七則年に設立された他の二相互会社︑Ge鴨enSeitige Lebens−Inくa註it警s・und亡nfa苦ersic訂rungsgese−−scbaft P岩met㌣  

eus Berliロと亡已茎くerSic訂ru扁SgeコOS∽e房C訂ftin Ch2月nitNは加入者に加入者の選択により讃任保険又ほ結合団体災害保険  

のいずれかを付保することにしていた︒一八七五年に A−tgemeiner Deuts訂l宕rsic訂r≡義勇蒜rein in Stまtgartが設立された0   

営利会社もこの新保険部門の営業を目的として相互会社粧後れず設立された︒山八七二年にErste Deutsc訂Unfa〒undTraO∽−  

pOユ完rSicher喜g−Aktieng・in D蒜Sdenが設立され︑相互会社が社員の竃任を無制限に填補したのに対し︑同社は填補額を被害  

者一人当り一五〇〇〇マルクに限定した︒それでも同社は数年後破産した︒一八七二年に Ma乳eburgerA−訂emeぎe宕rs山c富r−  

ロコg毒・が全額払込済資本三百万マルクの株式会社として設立され︑純粋蛋任保険又は結合団体災害保険のどちらかを提供したが︑  

同社ほ団体保険の方を好んでいた︒同社ほ一万五千マルクに填補額を制限していた︒同じく一八七二年に︑ScEesiscFの.くers仙cF  

erungsg・in冒es−aロとR訂コaniaくersicFer呂g竿Aktieロ甲 f琵丁岩n竃Ort und Cnfa亡in只監n am Rhein が設立された︒   

その他︑多くの同英傑険組合が相互佐原別に基いてその産業部門に属する業者を付保していたが︑活動範囲が地域的に限定され   

(16)

ているこの保険組合には触れない︒  

︵10︶  なお︑スイスの会社LaSOCi註a冒nymedへassu⊇ロC2Sdu−ranspO−−e−c邑r2−2SaCCld2n−sd2NurlcFがドイツで︑雇主が  

その被傭労働者および被傭者全部を最低年総額の四倍に当る保険額で災害付保していれば同社は無償かつ無制限にその企業主を一  

切の責任追及に対して付保する︑という興味ある結合団体災害保険を営巣していた︒   

以上にみたように︑フランスの事情と逆に︑ドイツでは純粋責任保険によって労働災害責任保険が始められたが︑はんの数ヶ月  

内にその欠点が認識されて︑労働者災害団体保険との結合を考慮しなければならなくなった︵但し純粋責任保険の取扱が止められ  

た訳ではなかった︶︒   

非常な勇気を以ってこの新保険部門に乗出した以上の会社すべてが失放した原因としては劇般にほ次のような点が挙げられ態﹀   

山︑各社が営業計算の基礎に用いた諸統封は公式のものだったにせよ︑現実を反映するに程遠かった︒事故の届出が法律で義  

務づけられていなかったので︑この種事故の多くが届出られなかった︒従ってこの統討に基いて定められた保険料ほそれ故  

現実の事故数に比べて余りに低すぎた︒   

二︑競争に強いられた各社は最高填補観を増大し︑果てほこの最高限を廃止し\て付保者の式任を無制限に填補する匹至った︒   

三︑責任法ほ物凄く多数の訴訟を生じさせた︒災害を受けた労働者のすべてが自分の事件は雇主有責のケースに含まれると主  

張した︒このことから︑多くの場合支払無儲力でかつ司法扶助の便宜を認められた敗訴損害膳侶請求原告から徴収できない  

訴訟費用が相当に上った︒   

四︑責任法に関する裁判所の非常配慮格な解釈が保険会社の引受けたリスクを大幅に加重した︒   

他方︑団体災苫保険と結合されない純粋責任保険ほ労働界から歓迎を受けなかった︒というのは︑純粋芸任保険は雇主を十分保  

障するけれども︑労働者を何ら保障するものでなかったからである︒だから純粋茸任保険ほあらゆる点を捕えて攻撃された︒その  

社会的圧力と自社の採好から︑保険会社も結合団体保険のカを好んで︑企業主紅被傭労働者全部を災害付保するよう圧力をかけた︒  

フランス払おける責任保険成立過程および被害者の潰按請求権︵二︶  ︵山九七︶ 六五   

(17)

︵.一九八︶ 六六   第三十二替第二琴  

若干の保険会社ほ純粋の責任保険が存在しないのであれば企業主ほ全労働者の災害保険を契約せざるをえないだろうと考えた︒  

︵12︶  だから或保険会社は山八七八年に責任保険を反公序として禁止するよう請願した︒  

この請願文にh﹂の保険金杜の商業主義的行動が見られる︒つまり同社ほ責任保険靡止に伴い企業主が雇主責任の生じる又は生じ  

うぺき場合についてのみならず劇切の事故に対して被傭労働者全部を付保せざるをえなくなろうと考え︑またこうして純粋責任保  

険のため保険会社が蒙った損失を挽回できると考えたのであった︒さらに︑この請癒着した会社ほ一八八〇年以降もはや結合団体  

災害保険しか契約しなかった︒  ヽヽ   ともかく責任保険ほ全関係者に不満を抱かれ︑この不満が延いては責任保険を鋳造し望月任法に対する非難となった︒この不満  

が改革の必要さを全関係者に覚らせると同時に国家による強制保険の観念が明示され︑そして既に一八七九年に多くの改革案が帝  

国議会に提出された︒   

このような改革案の根拠として挙げられる主なもの恨次の諸点であった︒   

二﹀ごく僅かな業種の企業主しかこの保険な利用しないため︑当時の労働者の大半は法律上式任が生じない企業主転対して仙  

切の訴求を奪われるか又ほ企炎主が京任を負う場合でも支払無能力雇主にぶっかる危険にさらされていた︒   

二︒企業主が付保されている場合は訴訟が不可欠だった︒というのは︑保険約款が事故被害者との示談を企業主に禁止してい  

たからである︒また被害者の請求ほ彼が保険会社を相手とすることを知った時常に誇張された︒   

三︒官庁統計および保険会社の観察によれは︑当時の現行法上企業主の式任が発生する場合ほ五%にすぎなかったことも指摘  

︵㍑︶   された︒また企業主の音任が生じる場合においてさえ︑なお被害者による企業主又はその雇人の過失の立証がしばしば重要  

だった︑といわれる︒  

四︒責任法の解釈上同法の対象となる産業に関する解釈が行語りをみせた︒  

︵し  要するに︑﹁責任法施行と共にドイツ責任保険が始まった﹂けれども︑かかる責任厳格化を直接・間接に負担することが資本家   

(18)

階級の不満を招き︑他方でほ同法が公共的被害を牲じやすい業種のみを対象とししかも同法が規定する望慮償の種類と範囲がご ︵托︶ く限られたものにすぎないことが労働者階級の不澗を招いた︒  

な空八八四年以前にほ責任法およぴそれに関連し窺警から生じる以外の着任規定の結果に対する保険もまた内部的疾病や  

︵16︶ 物的損害や財産的損害仙般から生じる責任に対する保険も存在しなかった︒  

以上のような状況裡竺八七=年貢任法の不十分さが認識され雷で︑ドイツ立法者ほ︿フランスでも同じくス八〇年来解決  

の努力を看ねられてき︑佗︶︑いか賢て労災被筈者に事故が彼の故意に因る場合以外の苗の場合に賠償金を保障するか︑という重  大問題に直面していることを今更気づかされた︒  

ドイツ立法者ほ個人の自由をフランス程重視せず公序の理由を遠視していた︵また国家権力内でのプル誓アと地主とめ対乎  

緊張関係も諒となった︶ので︑企業主の多少とも加重された責任原則を労働者の利益のため︵究極的にほ総資本と国家権力のた  

め︶の企業主による労働災害強制付保原則におきかえるぺきだと考えた︒  

この原則がス八四年七月六日じ已a斎rs−c許ungsg・︵災害保険法︶に結実された︒同法成立の大きな慧謁背点となった当  

︵17︶ 時のドイツの社会政彗■派とその役割紅ついても触れるぺきだが︑本稿の枠外の事としておくC同法が企業主に課した強制保険は  事実上責任保険の経済的作用を充したが︑理論上この強制保険はあくまで労働者の利益のため企業主が義務的に締給した災害保険  でしかなかったから︑本稿は同法の規定には立入らない︒  

ちなみにフランスでもス九八年四月九日法の採用迄相次いだ諸案の論議中にこの点の国家干渉の是非が大いに論じられた際︑      ︵ 17biS︶  この点のドイツの一八八四年以来の経験を大い紅利用することができた︒   劇八八四年災害保険法と共に責任保険ほ新たな発展段階に突入する︒  

︵Ⅱ︶ 第  二  期  

労災貴任保険が当時ドイツで知られていた唯言責任保険だったから︑   

フランス紅おける責任保険戎立過程および被害者の通津請求権・︵二︶   一八八四年災害責任保険法ほ就労中の労働者紅生じうぺ  

︵一九九︶ 六七   

(19)

︵二〇〇︶ 六八  要一キ一巻 第二号  

き劇切の災害に対する被傭労働者の付保を企業主に強制することにより︑一八八四年法はひいてほ責任保険仙般に最後の・二撃を加  

えたようにみえた︒同法九五条によれば︑事故被害者又はその権利承継人は企業主如故意に事故な牲ぜしめたことが刑事判決によ  

って確定されない限り︑企業主紅対する損害賠楷詣求醸なもたない︒それ故企業主が締結を強制されるものは讃任保険でなく自己  

の労働者の利益のための災害保険であり︑また企業主の労災事故に由る民事嘉任ほ白己の政志に因る場合以外廃滅されたといえ  

︵18︶ る︒   

さらにこの強制災害保険な株式・相互いずれの保険企業とも締結できず︑ただ災奮保険法転よって創始・規整される公法上の和  

紙たる企壁土の属する業種の同菜団体としか締結できなくなった︒かくして誰もが劃八八四年法と共に私営責任保険の最期がやっ  

てきたと思い︑今後もはや自社の存在理由がないと考えて解散した会社も多かった︒茸任法より他に式任保険の対象をみないこと       ︵ 

l−仙︶  に馴れていた当時︑責任保険とほ労災寅任保険そのものだと考えられていたからだった︒   

ただその推二の例外として︑血八八〇年プロシアのスレスブィヒ・ホルスタイン紅つつましく設立された養蜂家保険組合があっ  

.氾︒この相互組織は組合員に︑蜜蜂に生じた岬切の損害に対して︑他方で蜜蜂によって人叉ほ物に生ぜしめられた損害に因る切  

の責任追及をも保障した︒この姫合が歴史的に興味をもたれる所以ほ同組合が〟八七山年責任法と全く無関係であり︑かつ人の傷  

害の魂ならず物に生じた損害に因る式任追及なも付保した点にある︒この帝蜂家観合の保険に竃任保険が脚八八四年以後その発展  

方向を見出すジャンルが示唆されていたのであった︒   

全般的失意のさ中堅別記スチエットガルト一般保険相互社は同社取締役M各の創意のお蔭で責任保険の行末に楽観論を抱き︑  

そして同社の競争相手中最強カな二枚が清算転入った紅もかかわらず︑同社は完全な熱心さで仕事ぬたち追って自社の事業に新し  

︵1!I︶  い技術的基礎を与えた︒   

同社はまず︑山八七一年責任法が〟八八四年法によって廃止されなかったこと鱒着目して﹁胃P認p買c芝resteへ責任残部︶﹂と称  

されるもの︑即ち企業主が労災公営強制保倹によってカバーされない責任︵殊に傷害保険が強制されない被傭人又は経営に無関係   

(20)

な者に生じうる事故に因る︶のケースを採上げた︒  

︵20し   同社はこの﹁責任残部﹂に対する責任保険の提供を始め︑二八八六年の同社加入者中工菜家脚五〇八人を静えるに至った︒   

しばらくして私営保険ほなお式任保険において企業主﹁責任残部﹂以外鱒広大な適用領域をもつことが理解されだし︑数社の外  

国会社に続いて︑兼務を休止していたドイツ諸社が活動を再開し︑また新しい保険会社も設立された︒   

責任保険のいやます拡大という考えを発生させたのほこの﹁茸任残部﹂であり︑そして﹁いったん去任法の君臨から解放される  

︵飢︶  や﹂︑董任保険は﹁企業主が今も付保されるのみならず︑更に他のあらゆる階層と職種にも開始されるに至り﹂今日まで進歩に進歩  

︑加ご を重ねてきたしもはや責任保険はもっばら人に生じた事故に因る爵任追及を付保するだけでなく︑物に生じた損害に由る汁封任追及  

をも付保した︒さらに︑フランスにおけると同様︑ドイツでも第三者虹鴎じた損害がその肉体や具体的所有物に生じないでu旨er・  ヽヽヽヽヽヽヽヽ  註aヱurisとみなされるその琴一高の総財産に実現される責任保険の第三種︑たとえば公証人の業務上過失に因る岩任追及に対す  

る保険︑も出現するに至った︒   

なおどの保険者も他の保険部門と並んで貴任保険を営んでいたととほフランス同様だったが︑この第二期における責伍保険は第  

一期監是だっ′た団体災害保険との結合型はごく稀だった︒また軍一期と同じく最高限付保額がますます増大していく傾向がみら  

れ︑副八九〇年頃のこの平均額ほ岬事故当り六万マルク︑かつ被害者一人当り二万マルクである︒よく保険者ほ保険契約者幣﹂の  

額の限度内ですら︑事故の都肢予かしめ定めた胡を出指させるか或いは劇定割合で自家保険者たらしめるか︑したけれども︑暗と  

共にこの二制限ほ減退して︑或場合にほ消失しさった︒   

受任保険史上仙つの重要な位置を占めるのは保険契約者団体である︒保険契約者は団結してこそ保険会社の全能に抵抗してより  

有利な条件をかちとれた︒この点警﹂く興味保い社会現象が存し︑かつこれは日本やアメリカのように約款が殆ど唯劇の責任保険  

契約法となっている国では殊に有用な示唆を与える︒   

保険契約者個体の中で第⊥の地位を占める甲ほ元商相M望訂rを創立者の山人とし▲てス九二年創立されたD邑s︒ど㍑H訂ftpT  

︵二〇こ 六九   フランスにおける貴任保険成立過程および被害者の直接請求権︵二︶  

(21)

堅一宇一巻 第言で  ︵二〇二︶ 七〇  

−i︒ht望旨≡t当︒rba邑モあり︑これは第一に責任の過大な拡張︵解釈︶に反対して闘うことおよび可能な範臨で有貴者を一八八四年  

法の拡張解釈および同法による強制災害保険によって救済することを目的とした︒さらに︑この団体が会員のためにより有利な保  

険山般約款を得る目的で保険会社と交渉することを目的とした点に本稿の興味が唆られる︒この団体ほ保険会社数社にこの団体が  

作った模範山般約款を押しっけるのに成功した︒またその会員ほこの数社に対し一般保険契約者に同社が適用している約款よりも  

厳格でなくかつ有利な条件を自分に適用するよう要求する権利を得た︒   

同時に従来ばらばらだった保険会社はこの事態が︑彼ら相互の激しい競争と相侯って︑自分の不利に働らくことを見抜かざるを  

えなかった︒保険契約者の団結に暫時抵抗できたところで︑それほどの保険会社も責任保険を付属的営業としていたにすぎないか  

らだった?事態は進んで一八九五年に責任保険部門を営業する保険者全部の連合窒息図した交渉が始まり︑一九〇〇年くe旨a邑  

derinDeutsch−a邑abr2itend2nUn蛋l扁rSicF2ru義SgeSeHschafteゴ創立をみた︒この団体は災害保険および責任保険に関する限  

・ り全加入祉共通の利益を代表した?このレンヂケートは山九〇四年に統一模範一般約款と統﹁保険料率を大半の保険会社疫採用さ  

せるのに成功した︒  

︵Ⅱ︶ 第  三  期  

厨GB施行期日一九〇〇年劇月劇日と共に責任保険史上の新紀元が始まった︒BGBの民事責任規定は一八七一年責任法のどとき特  

別法でなくすべての老にその作為又は不作為の責任を契約上たると否とによらず従来以上に厳格かつ大きく課する普通法である故  

に︑﹁奄a富f−ic旨echt︶一の形態と範囲に常に依存する﹂責任保険ほ資本制社会のBerec訂nbarkeitを安定させるという制度的志  

︵24blS︶  義をより鮮明に表わす発達を示す匿至った︒こ′の質的・塩的発達は割愛する︒   

ちなみに︑連邦内でBGB施行前フランス民法が施行されていたライン地方において保険会社は顧客にドイツ普通法およびプロシ  

ア法が施行されていた地方で徴収していた保険料よりも高い︵通常こ○%︶保険料を請求していた︒ナポレオン法典がより厳格な  

︵25︶ 去任論を採っていた故保険会社の引受けたり女クもそれだけ大きい訳だからこの保険会社の態度ほ正当だったといえる︒   

(22)

山九〇一年五月一二日の G・きe︻die pri表tenく・・unternehm喜gen︵保険業法︶は私保険の組織・作用および保険局︵A已sT  

cbtsamt︶による監督を規整し︑山九〇八年五月三〇日保険契約法︵くくG︶は責任保険一般をも規定した︒   

さらに仙九〇九年G.各erdeコ 宕rkeFrmit只︻aftfaFrNeugen︵自動車交通法︶は自動車芸任を規範づけたが︑同法の重要な  

︵26︶ 新味ほ自動車所有者の損害賠償義務額の範囲を限定した点にあった︒   

最後にドイツ芸任保険の当時の発展ぶりを示す統計指標を掲げておこう︒フランス同様ドイツの統計も必ずしも災害保険と責任  

保険を区別する境界線智確立していない.︒しかし次は劇九﹂一年度について保険局出版物から得た責任保険についての数字であ  

︵野︶  る︒保険局監督下のドイツ各社が発行した保険証券数は二六万二千百三十に上り︑前年分を山四万百三十七上廻った︒この増加  

率ほ一九〇六年以来それぞれ八・七︑六・四.七・六.七・二︑六・二%だった︒保険証券一適当りの平均保険料は二五マルクだ  

った︒  

以上を以てフランスのそれとの対比上敢行したドイツ責任保険成立史粗描を終る︒従来フランスを主としてきた私にとってこの  ヽヽ  追録は参照も不十分であり︑創造性は皆無である︒ただ後日各国の本格的な責任保険法発展史の発表を課題とすることによって・の  

み︑この追録の発表も幾分か少くとも私にとっては意義あるものとなろう︒   

︵1︶ 中西・フレヒトハイムの貿保請求権論︵こ︒香川大学経済論叢三〇巻四号五京〜仙一曳︒   

︵1biS︶Mane∽u宕rsic訂ungs焉SeコuPAuf:¢NN−S・−○のなおマーネスは火災保険において古くから行われている付保省が  

第三者に支払義務を負う救蓮費用を保険者が負担していたことも責任保険紅他ならないとする︒   

︵2︶ Reic訂gesetN−bet−effenddie宕rbi已−ic芹eit zumScFadeコ2rSa︷N f彗die bei dem謬t計beヨn′Eisenbahnen・  

Bergwe宗en宏W.berbeigef旨rtenT芝u品e□u已K賢peヨer−etNu点eヲ︵Reich品eS2tNbiatt Nr・N∽S・∽のN︶   

︵3︶ 中西・前掲一〇京の註︹2︺に示きれたHa駕nの説明参照︒  

だから︑﹁生産の維持のための経済的必然物︵爵OnOmisc訂NOtWe已i各eit2ur Aufrec芝e旨a−tun叫der PrO旨賢On︶﹂た  

︵二〇三︶ 七劃   三浦源蔵﹁蟻製秘録﹂  

(23)

第三十一巻 第二号  ︵二〇四︶ 七二   

る保険基金の形成が資本主義下では剰余価値からの控除を通して行われることを指摘して︑マルクスが﹁磨祝の填補とも︑   

維持および修繕の労働とも全く異るものは︑自然的異変︑火災︑洪水等による破壊に備える保険である︒これほ剰余価値か   

ら補償されねぼならないものでそして剰余価値からの山控除を成す︵岩波﹁資本論﹂六︑四二頁︒Da∽只api邑.Band戸   

Beユin−¢∽∽・S・−↓N︶﹂と資本論第二巻で述べた際︑芸任保険なるものが彼の意識に存在しなかったことほ確かであろう︒  

︵4︶ Mart仙コPOSCF Kapit巴assO已atiOneコ︶ Beユin﹀−苫∽−S.−↓ffいMa完S︶くersic訂ru点∽WeSen.u.auf−﹂¢NN.戸SLOひ   

参照︒仙八二五年迄にプロイセンで設立された株式会社ほ二〇祉︑その合計資本八百万余タレールで︑過半ほ保険会社であっ  

た︒その後主として劇八三六年から劇八四七年の問に百余の株式会社が設立され︑その資本合計は劇億三千万余ダレール   

だった.その殆ど1丁が鉄道株式会社であり︑資本合計の2了以上を占めた︒プロイセン国家の銀行独占政策ほ︑資本主   

義的信用制度の展開を妨げかつ株式制度および株式投機の発展を困難たらしめ︑プロイセンにおける投機銀行はやっと一八   

五三年紅発生した︒﹁他の収益力ある資本投資の欠炊が鉄道敷設をドイツにおける支配的な産業部門たらしめた ︵M.−E..  

Di2Deu訂cFe−deO−○惣eu Be昌#−誤∽V S.∽−∽︶﹂︒   

︵5︶ M.POSCF﹀ a.a.〇● S.−P  

︵6︶ Ges・・S・−00声S・NO∽∽f誉︒当時鉄道延長百五十八粁にすぎなかったプロイセンのこの法律は漸次各州の倣う所とな   

り∵遂に一八七一年帝国責任法となった他︑血八六九年三月五日オーストリイ鉄道責任法︵物の損害についてほ二八五四年   

鉄道認可法が既に存した︶︑スイス山八七五年鉄道汽船及郵便責任法によって倣われた︒この規定の精神は実に数万粁の鉄   

路上紀伝播した訳である︒内容的にも本来私立鉄道に関するものだった同法は漸次適用を拡げていった︒なお POSChによ   

れは︑同法は国家認可による鉄道株式会社設立および鉄道会社の無記名株式の譲渡の法的可能性を創りだすこと重要な目的  

とした︒   

︵7︶ 同法の内容紅ついては︑中西・前掲六頁参照︒   

(24)

す︶ ス七二年法可決後四年経った侍︑当時の大会社Mag露点erA宥mei記者sic訂仁扁Sg・社取締役は貿任保険が全   

く新しい創造物であると考えまたフランスでは茸任保険が全然知られていないと思っていた︵An邑endesgesamten宥・   

sicherungsweseコSuのja瞥gan閃︸ n︒−︶︒  

︵9︶ Ma完S.Haftpf−ich富rsic訂rungこ筈N︼S・−:f・  

︵10︶他賢イスのーaS邑冨a⁝ymeSulss2d穿u−anCeSdeWin−er−hur︑ベルギイのーaROya−e宣geがドイツでこの団   

体災苫保険と結合した責任保険を営業していた︒  

︵11︶中西・前掲・七墓贈じな璧荏訟は付与さるぺき璧晶償の種類と娩出を限定していた︒即ち︑死亡の場合笠出され   た治猿費および葬儀費の賠磯︑および死者が病治中収稼無能力又は収稼能力減少に由り蒙った財産的翌日の賠償用死者が死   

亡時に誰か他の者の扶養義務を法律により負っていた場合︑これら扶養請求権者は自己からその死亡に因り扶養を奪いさら   れるに至った限りの聖晶償監課しうる︒傷害の場合︑治療費の賠償および被害の結果生じた一時的又は永続的収益知能   

力又ほ収益能力減少を受けたことに由る財産的損害の陪磯である︵Manes・ヂwe琵・a・a・〇⁚S・−○のによる﹀︒  

︵ピ この請願文の原文については︑Manes︸HPくりa・a・〇・S・NA参照︒  

︵13︶ EFre〇NWeigsAssekuHanZ︼la冒bucF−0000㌣S・−翠  

︵14︶ ManesVく.・W2Sen︸a・a・〇・︸S・−声  

︵15︶ 前註︵7︶参照︒  

︵16︶Manes−ヂ宅eS2⁝・a・〇・SJO↓︒なおI・く・Gierke︵Die宅⁝ndib−22賢きZf芦Bd・芦S・ニf・︶は   

この竺期の責任保険の特長を次のように説く=︑資任法の生んだ結実である貴任保険は同法所定の産米のみを付保し︑   

かつこれら産業そのものについても責任保険は同法所定の責任についセしか填補しない︒ところで︑同法は右産業上経営上   

告た死傷についてしか語らず︑物的損害には触れない︒保険者はこの物的損筈虹ついてほ填補しない︒二︑保険者ほ顧客   

︵ニ〇五︶ 七三   フランスにおける責任保険成立過程および被害者の直接藷求樺︵二︶  

参照

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