永 井 健 夫
Ⅰ 消費者教育の法的位置づけ
消費者の利益の擁護及び増進のための行政機関の責務、消費者の役割、関連施策の 基本事項などについて定めた「消費者保護基本法」が1968
(昭和43)
年に制定され、消費者自ら消費生活に関する知識を学習すべきこと
(第 5 条)
、国として消費生活に関 する教育を充実すべきこと(第12条)
などが謳われた。2004(平成16)
年、同法は消費 者の権利の尊重と自立の支援を柱とする「消費者基本法」へと改正された。ここでも、消費者が自ら学ぶことの必要性が謳われ
(第 7 条)
、消費生活に関する教育の充実が求 められている。生涯にわたってあらゆる場所で学習機会が必要であり、国も地方公共 団体も消費者教育の充実に対して責務があることが記されているほか(第17条)
、消費 者団体の役割の一つとして「消費者に対する啓発及び教育」が明記されるなど(第 8 条)
、旧法と比べると「消費者教育」への期待が一段と高まった内容構成となってい る。そして、より重要な点として、消費者教育の機会が提供されることが消費者の基 本的権利の一つとして明記されており(第 2 条)
、この法改正は消費者教育の社会的意 義を一段と高めたと言えよう。とはいえ、基本法それ自体は、如何なる内容の消費者教育をどのように実現してゆ くかを具体的に規定するものではなく、この改正によって消費者教育の実際的状況が 直ちに改まったわけではなかった。そうしたなか、「国民生活の安心・安全」を掲げ る福田康夫政権の登場を機に、消費者政策がより積極的に展開されることになり、紆 余曲折を経ながら、2012
(平成24)
年に「消費者教育の推進に関する法律」(以下、「消 費者教育推進法」と略)
が成立するに至った(西村,2017,pp. 55─57)
。この法律は、消費 者教育の機会が提供されることが消費者の権利であることを基本的な前提として、消 費者教育に関する国および地方公共団体の責務や講じられるべき施策について具体的 に規定したもので、消費者教育が従来以上に積極的に行われることに対し法制度的な 根拠を与えている。この点だけでも画期的であるが、更に特徴的なこととして、この法は、消費生活に 関して自覚的な市民が公正かつ持続可能な社会の形成に積極的に参画する「消費者市 民社会」という社会理念を提示し
(第 2 条 2 )
、その実現に向けて消費者を育成するこ社会教育の主要課題としての消費者教育(Ⅱ)
──1960年代後半の議論の検討──
とを消費者教育の役割としている
(第 3 条 2 )
。つまり、消費トラブルの防止や経済的 損得という次元ではなく「他者への配慮や社会経済への影響力の行使、環境保全への 行動など、世代を超えて将来社会のための視野を広げた消費者力を育成すること」(西 村,2013,p. 16)
が目標として規定されているのである。その「消費者力」とは、公 正で持続可能な民主社会を担う市民的能力という意味でもある。その点に着目する と、「消費者市民社会」を目指す今日の消費者教育は、人々の市民的な資質や能力の 形成に関心を払ってきた社会教育と問題関心を緊密に共有できるように思えるわけだ が、では、過去においては両者の結びつきはどうであったのか。こうした関心に基づ く先の稿(永井,2016)
において筆者は、消費者教育の黎明期のうちの1960年代前半 に発表された論稿の幾つかを検討し、社会教育の文脈でも消費者の主体性の確立や社 会参画の重要性を意識した消費者教育論が試みられていたことを見出した。引き続き この小稿において、以下、1960年代後半における議論について検討を試みる。Ⅱ 1960年代後半の消費者教育論
1 ) 「消費者保護組織および消費者教育に関する答申」
高度経済成長の真っただ中の1965
(昭和40)
年10月に、内閣総理大臣(佐藤栄作)
か ら国民生活審議会に「社会開発の一環として消費者保護の強化および消費者教育の推 進をはかる」ための基本方策とそのための国、地方公共団体、生産者、販売者および 消費者の役割に関して諮問がなされ、それに対して同審議会が翌年11月に答えたのが この文書である(国民生活審議会,1966)
。その冒頭で答申は、販売競争や広告攻勢の激化により消費者の自主性が損なわれつ つあるなか、消費者は自らの利益・安全を守るための知識・判断力を培う必要に迫ら れるようになったと指摘する。そのうえで、経済社会の均衡ある発展に向けて消費者 行政がますます重要になっていると述べ、その在り方は「生活が経済発展の犠牲にな るのではなく、経済が生活に奉仕」
(p. 1)
する「国民生活優先」の理念に則って行わ れなければならないと主張する。そして、それを具体的に展開するために、消費者保 護の組織をどのように形成し、消費者教育を経済社会にどう適合化させるかについて 検討・提案するのがこの答申であると記されている。答申の後半にある「消費者教育について」の記述を見てみると、その最初のところ で、消費者教育が目指すのは「自主性をもつた賢い消費者を育てること」であると記 されており、より具体的な目標として「消費者として商品、サービスの合理的な価値 判断をする能力を養うこと」「消費生活を向上させる合理的な方途を体得させるこ と」「経済社会全体のうちにおける消費および消費者の意義を自覚させること」が挙
げられ、変動する経済的環境に対して「積極的に消費者がはたらきかけることをも消 費者教育において啓発」
(p. 10)
することが求められると指摘されている。ところが従 来の消費者教育は内容が一面的・断片的なものが多く、「積極的に経済的環境にはた らきかけることの意義と力を認識させるような消費者教育はほとんど見受けられなか つた」(ibid.)
のが現実であった。そこで答申は、今後、「静的な家事技術に関する知識」だけでなく、「経済構造全般の変化とそれが消費生活に及ぼす諸影響を的確にとらえ たうえで、それらに動的に対応する」
(ibid.)
ことが学ばれるような消費者教育が必要 であると主張し、その基盤として、生活の経営・設計について体系的に研究する「生 活経営学」を発展させることの必要を提起している(1)。その後、答申は「学校における消費者教育」と「社会における消費者教育」
(学校教 育以外の「組織的な消費者教育活動」のすべて)
の現状と課題を整理して示している。そ のうち後者については(2)、①国および地方公共団体、②民間消費者組織、③マス・コミュニケーション、④商品の比較テストに分けて記述されており、その要点は次の とおりである:
①国および地方公共団体
教育委員会所管の社会教育活動においては、明確に「消費者教育」として行わ れていない場合が多いものの、
(生活設計や商品知識などの)
消費者教育的な内容 が「婦人学級」や「成人学級」で増えてきた。ただし、それらの受講者は全国 で合わせて300万人ほどで、農村地域に偏っている。その他では、農林省によ る「農山漁家生活改善事業」の生活改良普及活動の一環として消費者教育活動 が行われている。また、31都道府県24市 2 町の地方公共団体で消費者行政担当 組織による消費者教育が行われている。これらは「全体的にみてまだ満足でき る水準に達しておらず、ことにこれら各種の教育事業の間に必ずしも密接な連 携がはかられていない点」(p. 13)
が問題である。②民間消費者組織
各種の消費者組織が
(社会経済的啓蒙、知識普及、家計簿活動など)
特徴的な活動 を行っているが、一貫性に乏しく「思い付き的」で、教育効果の浸透力が弱く、消費者教育に長けたリーダーが不在である。
③マス・コミュニケーション
新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどの消費生活への影響力が強まっているが、視 聴率やスポンサーとの関係といった制約があり、取り上げ方や内容にも問題が ある。
④商品の比較テスト
比較テストは、消費者教育に果たす役割が大きく、消費者に合理的選択を与え
るための「重要な武器」として評価できる。これには、国からの補助金を得て 日本消費者協会の商品テスト委員会が行うテストが『月刊消費者』で公表され ている例、民間の独立した商品テスト機関がそのテスト結果を『暮しの手帖』
で公表している例がある。課題としては、対象品目として取り上げられるもの が少ないことや、試験・公表に関する技術的客観性について問題が残されてい ることを指摘できる。
このように現状と問題点をまとめた後、答申は、「消費者教育体系の確立
(内容体 系・教材・教育方法などの総合的検討、生活経営学の推進、生活設計の基準の作成)
」「学校に おける消費者教育(教育的位置づけ、消費者の権利の考慮、教員再教育における指導啓発)
」「国および地方公共団体
(内容の体系化と情報提供、民間消費者教育活動への便宜提供)
」「民 間消費者組織(リーダー養成の体制整備、日本消費者協会と国民生活研究所の活動強化)
」「マ ス・コミュニケーション(消費者向け番組の充実、各機関間の協力体制)
」そして「商品 の比較テスト(技術的客観性の確保、設備や技術者の充実)
」などについての対策を取る よう提言して終えている。国民生活審議会のこの答申は、消費者教育の方向として「家事技術に関する知識」
だけでなく「経済構造全般の変化」を視野に入れた体系的なものとなることを求め、
その鍵として生活経営学に期待している。経済状況が複雑化するなかで、消費者は生 活を適切に管理・設計できる「自主性をもつた賢い消費者」となることが望ましく、
その能力形成の基礎を提供してくれるのが生活経営学であるというわけである。その 主張においては、経済発展の矛盾や消費社会の弊害を批判的に捉え直す視点は弱く、
ますます高度に発展する経済社会に如何にうまく適応すべきかといった、経済合理主 義的な発想が基本にあったと言える。そして、ここに示された、「賢い消費者」を育 てるための消費者教育という意義づけ方は、後述するとおり、その後の消費者教育論 においても継承されてゆくのである。
2 )「小さな論理」と「大きな論理」
a)「消費者教育の盲点」
社会教育に関する実践事例、理論研究、政策動向などについて積極的に取り上げる 専門雑誌として、『月刊 社会教育』
(国土社)
と『社会教育』(全日本社会教育連合会/日 本青年館)
がある。国民生活審議会への諮問が行われる少し前の頃、前者の 6 月号に、社会教育研究者の室俊司による「消費者教育の盲点」が掲載された
(室,1965)
。これ は、「消費者教育」をタイトルに含むまとまった論稿としては、『月刊社会教育』の歴 史において最初のものである。室は、従来の社会教育活動からすると「輸入品」である消費者教育がどのような性
格のものであるか明らかにしたいという目的のもと、当時の日本社会で展開していた 消費者教育を三つの「系譜」
(「市場開発の立場」「行政機関がおこなうもの」「市民の立場に たつもの」)
に分けてその特徴を記述したうえで、「働き・生活する者の主体性」の一 部分でしかない「消費」に関わるだけの消費者教育には、良いものを安くという「小 さな論理」での完結しか望めないと指摘する。そして、社会的な制度や構造について 問う「大きな論理」の解決のためには、「消費する者」ではなく、「生活する者」とし ての主体性形成を目指す社会教育活動こそが重要な役割を担うのだと主張している。「輸入品」という比喩により、室は消費者教育が社会教育にとって本来的なもので はないということを示そうとしている。彼は、言わば社会教育の主流に位置した研究 者であり、したがって、彼のこの捉え方は当時の社会教育関係者に共有されていた消 費者教育観でもあるのだろう。ただ、社会教育において消費生活に関する問題が扱わ れることに拒絶感が持たれたわけではなく(3)、社会教育の対象として「消費者」が強 調される点が問題視されていたようだ。たとえば、室は次のように述べている:
私たちはすべて、働いているのであり、生活しているのである。だから、働き・
生活する者としての消費者問題はあっても、消費者たるべく教育される存在では ないはずである。この基本的な観点は、社会教育関係者の常識であるが、消費者 教育に対処するときにも、首尾一貫して持つべきであろう。社会教育活動の対象 を消費者としてみるのでは、せいぜい「消費」の次元における主体性の形成が問 題になるだけである。
(p. 12)
要するに、室は、「消費者」とは「働き・生活する者」
(統一的・主体的な人間存在)
が「消費」に関わる際に置かれる一時的な立場に過ぎず、人間の存在様式としては周辺 的な意味しかないと捉えるのである。
1960年代当時は高度経済成長期にあり、日本社会は年を追って大量消費社会の様 相を強めてゆく時期にあった。日本の消費社会化は第二次世界大戦以前に始まってい たが、それは都市部の中流層に限られたものであった
(三浦、2012,pp. 14─18)
。それ が日本社会全体に広がったのがこの時期である。すなわち、家庭電化製品や耐久消費 財が大量生産されるようになり、スーパーマーケットが出現し流通革命が進展して いった結果、地方も含めた全国のあらゆる階層の人々にとって、商品やサービスを金 銭で入手して利用する「消費」は身近な行為となっていた。ところが室は、「消費」を人間的営為における脇役としてしか見ず、それは「社会教育関係者の常識」である とも言う。その頃、「消費社会化」が進展しつつあったものの、それまでの「消費社 会化以前」の文化や生活様式も根強く残っていたであろう。つまり、基礎的な必需品 を除けば、日々の「生活」において「消費」は依然として多少とも特別な手段であり、
当時の人々にとって、それは必ずしも「生活」の主役を演じるほどのものではなかっ たとも言える。このことを踏まえると、室の捉え方にも理解できる面がある。しかし ながら、この時期以降、「消費」を抜きには「労働」も「生活」も成り立たない状況 へと、日本社会が更に変貌し続けていったのは確かである。その流れの中では、「消 費」が「生活」の一時的な「部分」でしかなかったとしても、「消費」と「大きな論理」
との関係を問うことが迫られるようになるのである。
b)「消費者教育論の盲点」
上述の室の問題提起に対し、同じく社会教育研究者の山口富造は、幾つかの批判や 補足を示しつつも(4)、消費者教育の現状認識については同感であるとしたうえで、室 は「小さな論理」がどのように「大きな論理」に発展しうるか、具体的に何も示し得 ていないと批判する
(山口,1966)
(5)。更に山口は、室に限らず社会教育全体が「小さ な論理」の消費者教育・消費者運動に対して「『大きな論理』を対置してみせただけ にとどまった」(p. 74)
ままであると指摘する。そして最後に、消費者運動の限界を叱 るだけの議論なら、それは「消費者教育」ではなく「消費者教育論」の「盲点」では ないかと述べて稿を閉じている。仮に、「消費者としての主体性」よりも「働き・生活する者の主体性」のほうが重 要であり、国民的・社会的な課題の解決のためには「消費する者」ではなく「生活す る者」という立場から取り組むほうが望ましいのだとしても、消費者であることに意 味が無いわけではなく、誰もが最初から主体的な生活者というわけでもない。そうし たところに「小さな論理」と「大きな論理」という問題の構図を提示しても、それだ けで人々が主体性を習得できるわけではない。そこで、山口は室の論じ方を批判し、
「『暮し』の重みをもった婦人たちの家庭中心の閉じられた思考に広がりを与え、社 会的展望をもった『大きな論理』にまで高めるにはどうしたらよいのか」
(ibid.)
とい う問題に社会教育が挑むよう期待するのである。こうして、消費者教育の限界に警鐘を鳴らす室と、その抽象的な論じ方を批判する 山口という相違を見て取ることが出来るのだが、消費生活に端を発しながら日常の次 元を超えた社会的・文化的なテーマの気づきとその課題への取り組みに至る
(「小さな 論理」から「大きな論理」に昇華する)
という学習過程を重視している点、つまり消費者 教育に市民的・公共的な次元を期待している点で両者は同じである。ただ、室の場合、企業や産業界とともに経済社会を構成する存在としてよりも、個々の企業や売り手に 対する「顧客」
(customer)
として「消費者」を捉えていたためか(6)、「消費者教育」よ りも「生活する者」の主体形成に取り組む「社会教育」のほうを上位に置こうとする。けれども、経済社会に対する権利・責任を有する市民として「消費者」を捉えるなら、
それは室の言う「働き・生活する者」と大差は無い。この点に着目すると、室と山口
の議論はどちらも、持続可能な経済社会の構築への消費者の主体的参画に重きを置く 今日の消費者教育論にも通じる議論と見なすことができよう。
3 ) 「国民生活と消費者教育」(特集)
『社会教育』
(全日本社会教育連合会発行)
の1967年 9 月号において、「国民生活と消 費者教育」という特集が組まれた。そこに掲載された 3 つの論稿を見てみよう(7)。 a)「これからの経済社会と消費者教育」これは、成蹊大学学長の野田信夫によるもので
(野田,1967)
、野田は、当時の社会 状況について次のように描写することから始めている。日本の経済は、10年間の平均 年率で10.8%という急激な成長を経て世界有数の大型経済となった一方、本格的な「連鎖組織」は無く、流通機構の大型化・近代化は遅れている。それでも、やがて総 合卸売センターやスーパーマーケットなどが発展し、薄利多売の大量販売が一般化す ることが見込まれる。そうなると、セルフサービス方式が普及し、消費者が自分で商 品を選ぶ機会が増えるため、メーカー側においては商品を消費者に知ってもらうため の広告が重要になってくる。そのような方向に経済や流通が変化しつつあるなか、「何 が何だか知れたものでない」ものも含め、次々と新しい姿や型の品物が発売されてお り、正確な商品情報を消費者に知らせることが必要になっている。
このように現状が描かれた後、話は消費者教育の方向性についての提言に進む。野 田は、総体としての「国民」を消費生活の面で捉えたものが一般的な意味での消費者 であると見なす。そして、消費者問題や消費者行政においては「消費生活を営んでい る個々の個人ないし世帯
(消費生活の単位)
」が消費者として扱われていることや、消 費生活と労働・生産活動が生活の中で近接しているかどうかにより消費者意識の強弱 も変わってくることを指摘している。すなわち、「消費者」といっても、その意識や 在り方は立場や職種によって多様であり、社会教育として消費者教育に取り組む場 合、「誰をどうしてつかまえるか」「何を教えたらよいか」が難しい問題となる。この 点に関して野田は、様々な立場があるなかで、主婦は「日常品の購買者」であり、自 由時間を多く持っており、消費と家計を管理する任務を持っていることなどから、主 婦が「差し当たりの目標」として妥当であると述べる。他方、農家は「生産者意識が 強烈であるばかりでなく、提供される生活物資の範囲も都市にくらべて単純」(p. 11)
であり、また、低所得者世帯への消費者教育も必要であるものの「その効果的方法を 考えると、現在の段階では、悲観的結論に達してしまう」
(p. 12)
ことなどから、教育 対象としては先ず「都市の知識層・中間所得層」を考えるべきだと主張している。こうして、教育対象とすべき立場と階層を絞り込んだうえで野田は、社会教育とし て実施すべき消費者教育の企画に必要な点として「消費者のための教育であること
(商品宣伝との区別)
」「苦情を持ちよるだけでは教育にならないこと」「一般的常識教育と専門的教育とは区別すべきこと
(専門的に教育された常置的モニターの養成の必要)
」 そして「実物・実地について解説・比較・関連事項などを教えること」を挙げる。ま た、一般消費者に知らせるべきこととして「商品についての安全・衛生知識─自己防 衛」および「商品選択の基準─自己啓発」を忘れてはならないと強調する。更に、こ れら 2 点に関する情報をもたらすものが科学的な方法による商品テストであること や、商品に関する正確な情報資料の提供が消費者教育として重要であることを指摘す る。そして最後に野田は、進みつつある「資本の自由化」(貿易や国際的な資本取り引き に関する規制緩和)
について、商品・サービスに関する競争を呼び、消費者に選択の幅 の拡大をもたらすと評価して終わっている。以上の議論において特徴的であるのは、消費者教育の対象を絞り込もうとしている 点である。野田は、「消費者とは主婦のこと」というわけではないし「農村を軽視す るのではない」と言いつつ、都市部中間層の主婦を優先して論じている。今日、消費 者教育を主婦向けのものと見なす風潮が消え去ったわけではない。しかし、たとえば、
消費者教育推進法のなかで「幼児期から高齢期までの各段階に応じて体系的に行われ るとともに、年齢、障害の有無その他の消費者の特性に配慮した適切な方法」が要請 されていること
(第 3 条 3 )
に表れているとおり、少なくとも政策的には、誰もが消 費者教育の機会を享受すべきという発想が基本である。執筆者の野田は、経済企画庁 の前身である経済安定本部の元副長官であり、日本消費者協会(1961年設立)
の初代 理事長でもあった。当然、国内外の消費問題や消費者運動に関する諸事情に精通して いたはずであるが、当時の日本社会においては、その野田でさえ対象を主婦に絞らざ るをえないほど、消費者教育は女性の側に追いやられていたわけである。換言すれば、その頃の消費者教育は女性の社会的位置づけや性役割を再生産する装置として機能し ていたということでもあろう。
もう一つ指摘すると、発展し複雑化する経済社会がもたらす消費者問題に取り組む という文脈にあるはずなのに、野田の議論には産業・経済の発展の弊害や問題を問う 視点が弱い。彼は、経済社会の仕組みや矛盾を問うことなく、発展する経済社会に適 応して合理的な消費行動が取れるための知識の習得とその支援を消費者教育の中心と 捉えているようだ。その合理的方法について詳述するのが、次に取り上げる議論であ る。
b)「生活構造の変化と生活設計」
これは福祉社会学の研究者である山手茂と山手秀子によるものである
(山手・山手,
1967)
。山手らは、複雑化・多面化した現代の生活の問題を正しく把握するには、「生 活のさまざまな側面を総合的・統一的に認識し、『構造』として把握すること」(p.
15)
を可能にする「生活構造」の概念が有効であると主張する。そして、生活構造論の基本課題は生活の全面的な再検討と向上を目指すことにあり、生活構造論と生活の 段階的変化について検討する「生活周期」の議論とを連関させることが必要であると 述べる。そのうえで、現代社会における生活構造の変化として、家事労働の企業化・
機械化・合理化が進み余暇時間が増加したこと、また、前近代社会では自給自足的生 活の単位であった家庭の諸機能が社会的な集団・制度に吸収されてきたことを指摘し ている。
家庭の生活構造がこのような変化の中にあることを確認した後、山手らは生活設計 において特に次の 3 つの点が問題であると論じている:
①家庭経済・家計管理
「豊かな生活」の実現と「健康で文化的な生活」の維持のためには「妻も積極 的に就労し、家計収入を増加させる生活設計を考えること」
(p. 17)
が必要であ り、消費行動の在り方として「真に必要な商品を賢明に選択すること」(ibid.)
が求められる。また、主体性のある消費者になるには、科学的な商品知識と家 族の要求の理解が必要である。
②消費の内容のバランス
宣伝・広告によって大量生産の商品が「売り込まれている」状況があり、主体 性・合理性のない消費態度は反省されるべきで、食生活・住生活を重んじ、子 どもだけでなく親の教育費・文化費も重視するべきである。
③生活時間と生活空間
現代では、家庭外で過ごす時間が増大しているため、家族が家庭で一緒に過ご せるよう計画することが必要であると同時に、空間的には家族それぞれの個室 が持てるような住居設計が必要である。
これらの問題点を提示した後、最後の部分で山手らは、女性の生活周期の変化、つ まり戦前と比べ「子女養育期」が著しく短くなり中年期・老年期が極めて長くなって いることに焦点を当てる。そこでは、女性にとって中年期以降の生活設計の在り方が 課題となってきており、「主婦は、自分自身の人生を充実させるためにも、家計の長 期計画をたてるためにも、中年期の就労について設計することが必要」
(p. 19)
と指摘 されている。商品経済が発展し、生産・消費に関する問題が複雑化する当時にあって、生活構造 の実情を把握して生活設計や家計管理を的確に行えるための知識・能力を習得するこ とは、市民、特に家計を直接預かる主婦の立場にとっては重要な必要課題であった。
したがって、山手らが提示するような生活設計論に消費者教育関係者が注目するのは 必然的なことであったろう。ただ、全体としてその論調は、産業化や消費革命が進む
状況に対して如何に生活設計を合わせてゆくかという、言わば適応の論理に従ってい る。個々人が主体的・合理的な消費者となり、それぞれの家庭における家計管理や生 活設計がうまくゆくようになったとしても、生活構造の変化をもたらしている社会の 在り様を問うことが伴っていないという意味で、先述した室の言い方を借りれば、山 手らの議論は「小さな論理」の次元での解決に止まるものであったと言えよう。
c)「消費者教育はどのように行なわれているか」
後に国立婦人教育会館の館長となる、文部省婦人教育課の志熊敦子が執筆したこの 稿
(志熊,1967)
は、「社会教育における消費者教育をすすめるうえでの素材提供」を 主目的として、消費者教育に関する政策文書、教育機会の状況、関連行政機関の事業 内容と予算などについての情報を整理して提示している。単に情報を紹介するだけでなく若干の分析も試みられており、たとえば、通産省の 産業構造審議会消費経済部会による答申
(産業構造審議会,1965)
と経済企画庁の国民 生活審議会による答申(国民生活審議会、1966)
について、志熊は、「消費者行政の柱 として『消費者保護』と『消費者教育』をおき、消費者の利益を守るための消費者保 護と消費者が主体的に賢い消費者になるための消費者教育というふり分け方をしてい る」(p.21)
点が共通していると指摘している。また、志熊は「消費者教育」の在り方に関して、知識・情報の習得だけでなく「自 らの生活を主体的に安定、向上させていくという積極的な活動」
(p. 21)
が望ましいと 主張し、学習内容に関する課題としては「体系化」が必要であることを指摘する(8)。 そして最後に「体系的な学習と実際生活をとおしての消費者運動との関連で、成人教 育の分野として今後より拡充されること」(p. 25)
を期待して結んでいる。4 )『消費者教育の意義と内容』
消費者教育の意義と内容に関する参考書や副読本を求める要請に応えるため、国民 生活研究所が作成したのがこの報告書
(国民生活研究所,1968)
である。これは、先述 の国民生活審議会答申において提起された「生活経営学」の研究成果を踏まえて作成 されたもので(p. 1)
(9)、答申が要請した「消費者教育の目的意識を明確にし、その内 容の体系化をはかること」への取り組みの一つと位置づけられている(p. 5)
。全体は 80ページから成り、「消費者教育の意義」「わが国の経済社会の現状と消費者」「消費 者問題と消費者行政」「生活設計と生活経営」の四部に分かれている。ここでは、消 費者教育の意義づけや捉え方に関して記述されている部分を中心に見ておく。報告書は、まず、今日の経済社会における消費者の立場について次のように説明し ている。かつての自給自足的な経済の社会においては、生産と消費は同一の経済単位
(家族)
で行なわれていた。交換経済が発達し、自由主義・資本主義の経済体制になってくると、生産の場と消費の場は分離し、生産者は市場に向けて財・サービスを引き 渡し、消費者は市場から財・サービスを購入するようになった。その市場で行なわれ る自由競争によって生産者は淘汰されるが、それを決定するのは消費者の商品選択で あり、この「生産者に対する投票」が適正に行われるかどうかが経済的民主主義を左 右することになる。つまり、「生産者に対する消費者という地位の確立、すなわち『消 費者主権』を基礎原理とする」
(p. 9)
のが今日の交換経済・自由経済なのである。このように、「消費者」の本質として、受け取る商品・サービスに対して対価を支 払う「顧客」ということだけでなく、生産活動の流れに影響を与えうる「経済的主権 者」という意味合いがあることが、最初に前提として確認されている。そのうえで報 告書は、消費者教育の意義について次のように指摘している。本来的には消費者のほ うに主権があるべきだが、実際のところは、販売促進技術の高度化や流通過程におけ る自由競争の排除などにより、企業による「市場の支配」が進んでいる。そのことと 商品の技術的な変化・進歩の激化が相まって、消費者主権が成り立ちがたい状況が生 じている。そこで「消費者保護」と共に求められるのが「消費者教育」である。それ は「自からを『賢い消費者』たらしめるための多面的な知識を持つ」
(p. 10)
ための活 動であり、「現代の経済社会において、ともすれば侵され勝ちである『消費者主権』を守るための、消費者自からの教育活動である」
(p.11)
ところに基本的な意義がある。しかしながら、「消費者問題
(consumer problems)
」という言葉があまりに広義に用い られすぎているために、消費者教育の意義も曖昧になっているという。消費者保護と 消費者教育は「消費者問題」に対処するためのものであるが(10)、物価問題、誇大広 告、消費者団体の活動、商品テスト、等々、消費に関わるあらゆるものが「消費者問 題」と呼ばれている。この状況に関して、報告書としては、「基本的な経済原則であ る『消費者主権』が現代においては往々にして侵害されようとする傾向があり、この 傾向をめぐって生ずる様様の社会的経済的問題を総称」(p. 22)
したもの、要するに、消費者主権の侵害と擁護それぞれの間で生じる問題が「消費者問題」であると主張す る。これに基づくなら、商品の質・量の適正さが問われる「価格問題」は「消費者問 題」であり消費者教育の課題となるが、経済全体の状況との関係で決まる「物価」は それと異なる性質のものとなる
(p. 14)
。ところが、日本の消費者運動においてはこ れらが混同され、そのために消費者教育の意義が不明確になった面があるとされる(pp. 11-14、p. 30─32)
。こうして、「消費者主権」をめぐる問題
(消費者問題)
に取り組むことを消費者教育 の中心課題として設定したうえで、「自主性を持った賢い消費者」の育成に向けた教 育内容として「経済社会全体における消費者および消費者の意義を自覚させること」「消費者として商品・サービスの合理的な価値判断、選択をする能力を養うこと」「合 理的に消費生活を向上させる方途を知らしめること」を提起している
(p.27)
。以上のとおり、この報告書は、消費者主権を強調し、それが脅かされることが本来 の消費者問題であると捉え、経済的民主主義の健全さ・公正さが保たれるための拠点 としての消費者教育に期待している。そこには、消費者市民社会の理念、つまり消費 行動の社会的・世代的影響の自覚と持続可能な社会づくりへの参画を求める考え方に 通じるものが認められる。ただし、目指されている「体系化」の支えとして期待され ているのは「生活経営学」であり、消費者教育の内容論に相当する第Ⅳ部の解説は、
「生活設計」「家計予算」「商品選択」「上手な買いもの」など、技術的な次元に留め 置かれている。
また、別のところでは、次のような言及がある:
往々にして消費者運動や組織が、何らかの政治的運動であると誤解するむきがあ ることであるが、これは次元の異なる問題を混同しているものであり、第三者に おいてもまた主体の側においても、消費者運動・組織はあくまで消費者問題の一 環として存在するものであることを認識すべきであろう
(p. 32)
ここで言われている「政治的運動」は特定の党派や勢力と結びついた運動という狭い 意味で用いられているのであろうから、それと消費者運動が同一視されることへの危 惧が持たれるのは自然なことかもしれない。とはいえ、消費者主権の経済社会を構築 するためには、合理的な商品選択ができるようになるだけでなく、消費生活に影響す る政策や制度をめぐる問題に関心を持ち、場合によっては共同で解決の方法を探って ゆくというような、より広い意味での「政治的運動」に参加することも、むしろ必要 であろう。それを否定して「消費者主権」と言うなら、少なくとも言葉の上では、「主 権者」に非政治性を求める矛盾に陥ることになるのではないか。
Ⅲ 消費の社会的次元
本稿の初めのところで触れたとおり、消費者市民社会の考え方を核とする今日の消 費者教育が目指しているのは、「消費」に関わる個人的な権利と利益を確保する力を 養うことと、「消費」を支え「消費」に影響される他者・社会・自然への責任を果た す力を培うことである。端的に短く表現すると、消費に関する個人的能力と社会的責 任力の育成である。代金を支払って商品を我が物とするという点では、消費活動は個 人的な経済行為であり私的なことであるのに、なぜ、消費者教育は社会的責任という 問題に関わらなければらないのか。それは、商品が社会的に構成される産物であるか らだ。原材料の調達、商品の企画、設計、製造・加工、流通、広告、販売、廃棄など、
商品には様々な仕組みや人々が関わっており、事故やトラブルが伴う場合もある。要
するに、一つの商品を入手するということは、無数の関係性の複合体を選び取るとい うことにほかならない。このような消費の社会的次元を重視しようとしているのが、
現代の消費者教育であると言える。
本稿で検討した1960年代後半においても、社会的次元に注目する議論は確かに見ら れた。国民生活審議会
(1966)
は「経済構造全般の変化」と「消費生活」の相互関係 に注意を促していたし、国民生活研究所(1968)
は経済的民主主義を重視し、消費者 主権に資する消費者教育を主張していた。しかしながら、それらの言説は原則論の域 を出ず、消費者教育の具体的内容として論じられているのは生活設計、家計管理、商 品選択など、「賢い消費者」となるために必要な能力・知識に関するものが大半であ り、その土台には「生活経営学」が据えられていた。実際のところ、そのような消費者教育を求める一般のニーズも高かったと思われ る。たとえば、1967
(昭和42)
年10月から1970(昭和45)
年10月にかけて、日本教育テ レビ(NET/現テレビ朝日)
が『賢い消費者』という番組を放送した。これは「みんな が、かしこい消費者になるためには、どんな能力を持たなければならないか、どんな 生活態度を身につけたらいいのか」(宇野・正木・酒井,1970,p. 255)
を考える番組で、放送回数は143回に及んだ。こうした番組が成り立った背景として、日々の生活の中 でどのように経済や消費に向き合っていけばよいか、多くの人々が迷ったり不安に感 じたりしていたという状況があったのであろう。
このように、消費者教育が「賢い消費者」を目標とすることは、言わば時代の要請 でもあったと言える。複雑化する経済社会の中で、自らの権利と健康を守るために、
消費生活に関する知識・能力を習得する必要があった。その内容の多くは対症療法 的・技術的であり、学びの成果は個人的な次元の問題解決が中心となる。その傾向を
「小さな論理」と捉えて批判し、消費の問題を社会の制度・構造に関わる「大きな論 理」の次元に繋ぐことを重視したのが室
(1965)
と山口(1966)
である。両者とも、私事としての消費の問題解決に資するだけの消費者教育ではなく、消費をとおして社 会的・公共的な問題に向き合うようになる消費者教育を求めていた。つまり、消費の 社会的次元に重きを置いていた点で、彼らの議論も今日の消費者市民社会論の遥かな 先駆けと見ることができよう。
〈注〉
⑴ 取り組むべき研究の具体的な内容として「消費経済学」「生活設計」「家庭管理」「食生 活、住生活、衣生活、育児等の知識と技術」「商品」「消費者信用」「消費者保護の法律制 度、苦情処理手続」が例示されている(国民生活審議会,p. 11)。
⑵ 学校教育における消費者教育に関しては、高等学校と中学校の「社会」「家庭」「商業」
において、「経済社会の理解に関するもの」「商品知識に関するもの」「家庭生活に関する
もの」などの消費者教育的な内容が扱われていることに触れたうえで、問題点として、
①独立した科目も各教科にわたる体系も無く、消費者教育を積極的に実施しようとして いない、②消費者概念が明確に打ち出されず、消費者としての権利・責任を自覚させる ものとなっていない、③商品知識や家庭経営は「家庭」や「商業」で扱われるだけで、
受講者の範囲が限られてしまっている、そして④教職員に消費者教育に関する知識や意 欲が不足している、といったことを指摘している(ibid., pp. 11─12)。
⑶ 室も「生活改善」の社会教育活動について触れ、そこに消費者教育のために学ぶべき「遺 産」があることを認めている。実際、この活動の系譜にある「新生活運動」が展開する なか、1960年代半ばから全国各地で開設された「生活学校」は、地域住民が社会や生活 をめぐる諸問題について学ぶ場として機能し、商品経済や社会システムの在り方を問う ようなアプローチの消費者教育も実践されたようであり(井上,2004)、そこにも多くの 示唆的な「遺産」が期待できる。なお、新生活運動の展開過程を詳しく検証したものと して、大門(2012)がある。
⑷ 山口が指摘するのは、「系譜」のうちの「市場開発の立場」に日本消費者協会が挙げられ ていることへの異論、地方における消費者行政の混沌ぶり、「市民的立場」であるはずの 消費者教育に「市場開発型」への十分な対抗力が無いことなどである。
⑸ 山口は、この後の1970年代前半、同じ『月刊社会教育』の誌上で消費者教育論を展開す る(山口,1971,1974など)。
⑹ たとえば、先に引用した室(p. 12)の文中にある「消費者たるべく教育される存在では ない」という主張は、「顧客」のイメージで「消費者」が使われていると考えれば、より 理解しやすいだろう。
⑺ 本稿では取り上げないが、他に地婦連・生活協同組合、兵庫県生活科学センター、消費 生活コンサルタント、および婦人学級についての「事例研究」と、「西ドイツ・スイスの 消費者教育」の記事がある。なお、先に検討したとおり(永井,2016)、『社会教育』誌 は1963年 7 月号においても消費者教育に関する特集を組んでいる。
⑻ その「体系化」に含まれる学習内容として、神奈川県による試案が参考として掲載され ており、そこには「生活の合理化」「法令制度の理解」「消費者の自覚」の基本分類が提 示されている。
⑼ 「はしがき」によると、執筆に当たったのは佐原洋(調査研究部次長)と青山三千子(専 門調査員)である。なお、この研究を推進する「生活経営学研究委員会」の主査は、先 述の野田信夫(成蹊大学学長)である。
⑽ 消費者が被害を受けたり受けそうになったりしたときに守ること(治療・予防)が「消 費者保護」であり、知識・情報を学んで被害に遭わないようにすること(健康維持)が
「消費者教育」であるという(国民生活研究所,p. 26)。
引用・参照文献