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長崎方言 による共通語助詞 ガの分析

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(1)

長崎方言 による共通語助詞 ガの分析

1.は じめに

2

. 日本語教育の多様性

2.

1

.

外 国人が直面す る多様 な日本語

2.2

.言語教育に関す る俗信

3

. 日本語教育 と文法

4

. 日本語教育 と方言

4.1

.外 国人学習者 と方言学習

4

.

2

.方言 と共通語

5

.長崎方言の現況

5.1 .発音 5.2

.文法

6

.長崎方言 における主格助詞の分布

7

.長崎方言 における敬意表現 と助詞ガ、ノ

8.

主格助詞ガとノ

9

.いわゆる対象語 ・目的語提示のガ

9.

1

.

研究史概観

9.2

.長崎方言 における対格助詞バの分布

9.3

.共通語助詞 ガの長崎方言 による置換 テス ト

9.4.

長崎方言 ノ、バ置換が示唆する もの

1 0 .

共通語助詞 ガの機能 11.おわ りに

1.は じめに

方言は国内の学校教育 においてはお ざな りに扱われ、外国人にたいす る日 本語教育 において もほとんど顧み られることがなかった。 さらに、最近では 映像 ・活字メデ ィアの普及 と学校 における共通語教育が方言その ものの駆逐 に相乗効果 を発揮 していると言われている 方言学者の中には、 日本 におけ

(2)

5 2

長崎方言による共通語助詞ガの分析

る方言学の未来 を悲観す る人 もいる。 しか し、皮肉なことに、共通語 をかな りの程度身に付 けた外国人が、 日本人 とのコミュニケーシ ョンを阻害す る要 因 としてまず第‑に方言 をあげる場合が多い 方言は健在 なのである

日本語教育 と方言の関わ りには、まず、外国人への方言教育の問題がある。

その際、 日本人 を対象 とした学校文法や国語教育が 日本語教育 にほ とん ど有 効でなかった と同様 に、従来の方言学 による方言の意味 ・用法の分析が さほ ど効力 を発揮で きない場面が予想 される。かつて、 日本語教育の隆盛 に とも ない、言語学の新たな知見 をとりいれた 日本語学 によって、 日本語の倉析 に 新 たな地平が拓かれたように、外 国語 としての方言教育が行 われるようにな

る と、方言の分析 に も新 しい世界が開かれる もの と考 えられる。

また、 これ まで共通語 と方言の文法の違い として片付 け られて きた方言の ある種 の表現が、共通語の分析 に有効 な役割 を果た しうる可能性 もある。現 在多 くの人が方言 と共通語の二重の言語生活 を営 んでいる。 日本語 を母語 と す る日本人 として、同一人物が共通語 を使用するときと、方言 を使用す る と きで事象の認知 に違いがあるとは考 えられない。例 えば、方言 と共通語で使 用す る助詞が違 っている として も、文法の異 なる外 国語ではな く同 じ日本語 を話 しているのだか ら、文中のある要素 を方言で話す ときは主格 として認識 し、共通語 を話す ときは対格 と認識 して話す ことな どあろうはず もない。そ こに共通語の分析 に方言が利用で きる可能性が生 じて くる。

そのような もののなかに、従来、主語ない し主格 をマークす ると言われて きた助詞 ガと方言の対応がある また、対格 を標示す る と言われる助詞 ヲと 方言の対応 もある 長崎方言においては共通語の主格助詞 といわれているガ は一般 にノと対応 し、対格 ヲはバ と対応す る しか し、ガについてはノを使 用せず、長崎方言において もガ しか使用で きない ことがある ノの使用、不 使用 を検討す ることによって、従来にない視点か ら共通語助詞 ガの考察がで きるのではあるまいか。 また、共通語の対格助詞 ヲが長崎方言 において例外 な くバ によって置換 されるとした ら、 これ も共通語の分析 に利用で きるので はあるまいか。方言 と共通語の対応 を日本語分析 の有効 な手段 として利用 し てみたい。それが本稿 における取 り組みである。

助詞ハの位置付 けが さまざまな変遷 を辿 ったのに対 し、ガは格助詞 として 早 くか らその位置 を確立 し、安定 していた。 しか し、助詞 ガに も間麓がない わけではない。助詞ハ と同様、助詞 ガの意味論的意味一つ をとって も、い ま

(3)

だに確定 した ものはない とい うのが実情である また、「水 ガほ しい

。 」

「英 語 ガ話せ る。」のような構文におけるガの帰属の問題があ る 古 くて新 しい 問題である 従来 この種のガは対象 を示す とされた り、主語であると吾 われ た り、 目的語 を提示するとされた りして きたがいまだに定説はない。助詞 ガ は帰属の分か らぬ部分 を抱 えたままである。

本稿では長崎方言 を試薬 として助詞ガの分析 を試みる 特に目的語、主語、

対象語 を標示す ると説が分かれているこの種のガに焦点 をあて、これ までほ とん どなされて こなかった手法による分析方法 によって、ガの帰属 を明 らか にしてみたい

2

. 日本語教育の多様性

2.1

.外国人が直面する多様 な日本語

日本語教育ではかつて 「です

「ます」の丁寧体の指導 に終始 していたが、

日本国内においては丁寧体だけでは不充分であることが認識 され、近年、普 通体の会話 も取 り入れた日本語テキス トが多 くなって きた。 日本人 と親 しく

なるため、あるいは親 しくなってか らの会話において、丁寧体だけでは用 を なさないのである。そのような場面において、丁寧体 はむ しろ親密感の阻害 要因 として作用することが多い。

日本人の言語現象 をみると、丁寧体 と普通体が臨模応変 に使い分け られて いる。 したがって、外国人 として丁寧体だけに精通 していて も、前面 は立派 だが背中のないスーツを着ているようなもので、実用 に供することは難 しい。

むろんそのようなスーツであって も、証明写真 をとる場合に役立ちはしよう。

だが、それで街中を気楽に歩 くことはで きないのである

教室 においては日本人か と思えるほど上手に日本語 を操 る留学生が 日本人

6

歳の男の子 と話す場 に居合わせたことがある。その とき彼 は教室 とい う フォーマルな場 におけると同 じ日本語 を使 って話 していた。それは映画の王 子 と従 臣の対話 シーンを努常 させ る光景であった。彼は長年 日本 に住み、 日 本語学習 にも熱心であっただけに、普通体での会話や場 に応 じた 日本語使用

の指導 を受ける機会 に恵 まれなかったのは彼のために残念であった。

長期滞在者で も、特 に理科系の研究者のように大半の時間を研究室で費や す 日本語学習者の場合、普通体での会話や場 に応 じた会話の自然習得 は困難 と考 えられる そのような学習者 には日本語指導者の方で機会 を捉 えて、少

(4)

54 長崎方言 による共通語助詞 ガの分析

な くとも母語話者 による場 に応 じた 日本語使用の実体 を紹介すべ きであろう

豊富 になった ビデオ教材 の利用 によ り、それはさほど難 しくはない と思われ

だが、折 り目正 しいテキス トの会話 に上達 し、友人 との くだけた会話 もで きるようになったか らといって 日本語はまだ充分 とはいえない。 さらに本稿 で取 り上げる方言が待 ちうけているのである 日本語でのコミュニケーシ ョ

ンに熟達するにはなんと手間のかかることか。その意味において 日本語は厄 介 な言語 といえる。

2.2.

言語教育に関する俗信

日本語教師はこの ように多様 な日本語 を外 国人学習者 に教 えなければな ら ないが、外国人に対する 日本語教育が盛 んになった今 日で も、 日本語教師 と 日本語教育に関する俗信 は跡 を絶たない。その第一が 「ある程度教養 のある 日本人であれば誰で も日本語 は教 えられる

であ り、第二が 「英語が話せれ ば 日本語が教 えられる」 とい うものである。 さらに、教科書 は小学 1年の国 語の教科書か ら始めた らいい とか、共通 に分か り合 えることば (媒介語)が なければ教 え られないな ど、枚挙 にい とまがない。

その裏返 しが 日本 人 の英会話学習法 であ り、 中学 ・高校 にお け る

AET

(英語指導助手)の処遇問題である。ネイテイヴ ・ス ピー カーで あれ ば教授 法 も知 らない素人であって も大金 を払 って先生 と崇め、会話 を習いに行 く日 本人が多い。教育学の訓練 を受けた人 しか語学教師になれない とい う意味で

はない。訓練 を受けて もいい教師になれない人 もいれば、その逆 もある。問 題 に しているのは、ネイテイヴ ・ス ピーカー即 ち語学教 師という俗信である。

私 的 な英会話講 師の選択 とい う問題 は純粋 に個人 的な もので あ るが 、

AET

に関する問題 はもっと深刻である。これには教 師 を選択 で きない中 ・ 高生 にとっての語学教育 とい う問題 と税金 とい う公金の問題が絡 んでいる。

留学生 として在 日中に日本語 を教 えた学生が大学卒業後 に

AET

となって再 来 日した り、来 日した

AET

に日本語 を教 える機会があって、彼 らか ら諸種 の話が耳 に入 って くる。その話か ら判断すると、 これ までの中学 ・高校 の英 語教育に風穴が開け られそ うなせ っか くのいい制度が充分 に生か されていな い とい う思い を抱か ざるをえない。

例 えば自国で教職の経験 もあ り意欲 もある

AET

や 日本で

2

年 間の経験 を 積 んでそれな りに語学教育の理論 も研究 している

AET

をテープ レコー ダー

(5)

代わ りに利用す ることしかせず、

AET

のやる気 をそ ぐことに尽力す る英語 教師がいた り、逆 に経験 も語学教育 に対する哲学 もない

AET

に授業 を総 て 任せ る教師がいた り、ティーム ・ティーチ ングが うまく機能 していない と聞 くことが多い。 また、

AET

は生徒 の英語教育 より、 日本人英語教 師の英会 話の相手 としてのほうが より貢献 しているとい う

AET

の意見や

、AET

は配 属校 のマス コッ トの役割 しか していない とい う意見 もある

さらに、ティーム ・テ ィーチ ングの 日本人相手教師を

4

タイプに分けてみ せた

AET

もいた。彼 によると、事前の共同準備 も綿密でテ ィーム ・テ ィー チ ングが非常 に上手 な先生、教室でただ通訳の役割 しか しない先生、後ろで 授業 を見物 している先生、授業 を任せ っきりにして教室 に来ない こともある 先生の

4

種があるという。以上 は

AET

の側か らだけの話であ り、 こ との真 偽 は定かではないが、せ っか くの制度が母語話者語学教師の役割 に対す る無 理解が もとで充分活用 されていない一面 をもつのは事実 と言 えそ うである。

次 に

AET

に関す る日本人の専門家のほうか らの意見がある 英語教 育 関 係の雑誌

(

r現代英語教育

」1 9 9 5

,6)

、AET

が英語発音の権威 となれるか 否か とい う論議があった それはネイテイヴ ・ス ピーカーで ある

AET

は夫 語発音のプロであるとい う主張 に論駁 を加 えた ものであった。専 門家の間に この ような議論があるとい うことは、日本人が語学教師としてのネイテイヴ ・ ス ピーカーをいかに捉 えているかが うかがえて興味深い。

これを翻 して見れば、 日本語の母語話者である日本人の 日本語の発音 は総 て手本 として完壁 といえるか とい う問題 にもつなが る 柴田 武 (

1 9 9 5)

に、

氏が愛知県出身 とい うことで東京風共通語のアクセ ン トに必ず しも自信が持 てない場合がある旨の記述がある 柴田氏 は方言学、言語学の権威 ともいえ る大家であ り、 日本語の発音 に関す る著述 も多い。氏の述懐 は発音 における 母語話者 の位置 を端的に物語 ってはいないだろうか。

英米 をは じめ として英語圏か らの人々に日本語 を教 えていると、特 に初級 段階では英語で質問を受ける機会が多い。その とき痛感するのが、母語話者 における発音 の明断性の多様 さである 筆者の英語力 を基準 に しようとい う わけではないが、非常 に聞 き取 りやすい発音 もあれば聞 き取 りに苦労す る発 音 もある 程度の差 はあれ、 どうや らこれは母語話者 においても同様 らしい。

あるアメリカ人男性 は、長崎で出会 った同国人女性 と話 した ところ、癖 のあ る発音のせいで うま く聞 き取れなかった と語 り、発音 に問題のある彼女が 日

(6)

5 6

長崎方言による共通語助詞ガの分析

本で英語教 師をしているそ うだ と笑いなが ら付け加 えたことがある。

ネイテイヴ ・スピーカーの英語発音 を筆者の聴解力でとか くいうつ もりは ない。筆者にとって最 も聞 き取 りやすいのは日本人の英語であ り、筆者の耳 がその程度の ものであることは重々東知 している ここで言いたいのは、英 語教育の専門家の間にさえ、語学教師 としての母語話者に対する無批判な信 仰が存在するということである このことは語学教育のプロであるはずの中 学 ・高校の 日本人英語教師が英語教育において英語母語話者 であ る

AET

必ず しも活用で きない面があることとあいまって、日本におけるネイテイヴ ・ ス ピーカーと語学教育の関係 に対す る認識がいかなるものであるかをよく物 語 っているといえる。英語教育の専門家たちの間で さえこのようであれば、

日本語教育 と母語話者である日本人教師に関する一般の誤解は推 して知るべ Lといえよう。

3.

日本語教育 と文法

日本語教師が助詞ハやガの分析 などする必要はない とい うの も一般の謬見 の一つである 日本語教師は既成の文法書 を学習すれば指導で きるようにな るのであ り、 自前の文法研究など必要ないとい うのである。我が国には圏語 学の伝統があ り、学校 において も国文法は習ったはずだか ら、それを使って 教 えればいい とい うのがその論拠である。大半が自己の英語学習などの経験

か らでて くる意見である

た しかに通常の 日本人であればだれであれ 日本語 を教 えることはで きる。

赤 ちゃんと幼児の 日本語教師はまず母親であ り、 ときには父親である 教養 ある大人であれば児童、生徒の言葉遣いの乱れを指摘 し、ただす ことはで き しか し、大学の 日本語学習者は幼児ではない。 ものごとを論理的に考 え る習性 を身につけた大人である。必ず 「なぜ」 と質問 して くる。また、幼児 のようにゆっ くり流れる時間のなかで自然 に言葉 を習得 してい くので もない。

短期間に文法的、理論的に外国語である日本語 を身につけようとする し、ま た、そ うせ ざるをえない状況 に置かれて もいる

桜 ガ咲いています。」 と 「桜ハ咲いています。」のような文は日本語学習 の初期 に出て くるものであるが、そのような学習者か らこの

2

文におけるハ とガの違いについて質問が出た とき、 どのように説明すれば学習者 を納得 さ せ ることがで き、その後の学習に有効 に生かせ るようになるだろうか。

(7)

通常、 日本語教育では助詞 ガは主語 を示 し、ハは主題あるいは話蓮 をマー クす るといった説明をしている それで学習者が納得 したとしよう では次 の場合のガも主語 と言っていいのだろうか。

(1) 私 は水 ガ飲みたい。

このガ も主語 をマーク していると言えるとして、次のガとヲは どうすれば 論理の整合性 を失わずに学習者 を納得 させ る説明がで きるだろうか。

(2) あの人は上手 に漢字ガ書ける。

(3) あの人は漢字 ヲ上手 に書ける

柴田 (前掲 )にもあるように、「ある」 と 「いる」の使 い分 けは どう説 明 した らいいのだろう。通常、生物の存在 は 「いる

で示 し、無生物の存在は

ある」で示す とされる この ように説明すると、必ず と言 っていい ほ ど木 や花 はどうか とい う質問がでる。 さらに、車や電車、飛行機 などの乗 り物 に ついては 「ある」 を使 った り、「いる」 を使 った りするが、 その使 い分 けの 基準 は何か。エ レベーターやエスカレーターの場合 はどうか。難問続出であ る。それ を切 り抜 け られた として、「子供 さんがあ りますか。」 と 「子供 さん がい ますか。」 における 「ある」 と 「いる」の違いはなにか、 さらに、「昔、

お じい さん とおばあさんがあ りました。」 といったお伽噺 にお ける 「あ りま した」 について質問があれば、 どのように説明すべ きであろうか。

また

、「

〜のだ」 はどう説明 した ら学習者がその使い方 に習熟 で きる よう になるだろうか。「どうしたノデスか

おなかがいたいノデス。」あた りの ノデスは 「説明」 を求め、「説明」 しているので、ノダは説 明 に関す る表現

と解説で きそ うである。 しか し、田野相思温

( 1 993)

が指摘するように、

「ああ苦 しい。

「こんなにた くさん食べたか らだ よ。

における 「食べたか らだよ」 を 「食べたノダよ

に置 き換 えて もいい とは青 えない。では、 どう考 えればいいのだろうか。

このようなことは従来の学校文法では何 も説明 して くれない。 日本語教育 において学校文法はほとんど利用で きないのである このような 日本語教育 の実態 をあるノンフィクシ ョン作家が レポー トした ものがある1)。 日本語教 育機関をい くつか訪問 して、この作家は、「私は奇妙なこ とに気が つい た。

かつて国語の授業で さんざん聞か された動詞の五段活用 とか上一段活用 など といった文法用語がほとんど死語 になっている」のように日本語教育の場 に

(8)

5 8

長崎方言による共通語助詞ガの分析

臨んでの驚 きを表明 している。 これを読む と、 レポー トの作家がそれ以前 に 教育関係の ものを扱 っている人だけに、 日本語教 育 の内部 にい る者 と して

専 門家 の常識は一般の非常識」 とい うことをことさら痛感させ られたのだっ た。

一般の人々 とさほど関係のない特別な 「業界」あるいは領域であれば、そ れで も構 わないであろ う しか し、 ことは 日本語 とい う日本人が 日常的に使 用 している言語である。 しか も国際化 の進展 にともなって今後 さらに日本語 を話 した り、 日本語学習 を希望す る外 国人の増加が見込 まれている これは 長崎大学 における留学生の年々の増加 だけをみて も明 らかである。 これか ら は誰であれ外 国人 に日本語で話 しかけられ、 ときには 日本語 について質問 を 受ける可能性がある。 この ような時代であれば、 日本語教育 に携わる人々 も 単 に世間の誤解や無理解 を嘆いて、 ます ます閉鎖的 ・高踏的になるのではな く、一般の人々に向かって蓄積 されたノウハ ウを分か りやすい形で さらに積 極的に開示すべ きではあるまいか。

前述の助詞ハ とガの機能や

〜のである」な どについては相 当に研究 され ていて、いずれ もそれな りの説明はで きるが、 まだ決定的な説 はない とい う のが実情である。 日本語 を母語 とす る日本人であれば、通常間違いな く使用 す る日本語のなかで、意味や用法の違いについて説明 を求め られる と返答 に 窮す る ものは数えきれないほ どある。国広哲弥はその ように説明で きない も のに 「説明的未知」 と名付 けて解析 を行 っている2).例 えば、 日本 人が なに げな く使用す る 「雨が降 らない うちに」 などの

〜ない うちに

〜す る まえに」の意味 ・用法の違いを、捨ての例外がでない ように矛盾 な く外 国人 に説明で きる人が どれ くらいいるだろうか。この ような説明的未知 は非常 に 多い。そこに日本語教師が 自前 の文法研究 に取 り組む一つの理由がある。そ れぞれ研究成果 を発表 して検討す ることにより、 よ り分か りやす く、 よ り稔 括的な説明に到達 しようとしているのである ひいてはそれが 日本語の辞書 の改良に もつなが り、一般の人が外 国人 と話す ときの 日本語の説明に役立つ

ように もなるのである。

4.

日本語教育 と方言

4.1

.外国人学習者 と方言学習

日本語教育 において扱 うべ き日本語 は多様であるが、大学 においては普通

(9)

体 までの教育で手一杯の状態で、方言の指導 までは手が回 らないのが現状で ある。 ところが、方言学習に対する学習者の要望は予想以上 に大 きい

01 9 9 5

5

月に長崎大学外 国人留学生指導セ ンター と諌早市 にある長崎 ウエス レヤ ン短期大学の留学生 クラス、お よび私的な日本語教育機関において、 日本語 初級後期以降の学習者 を対象 に方言学習 に対するアンケー ト調査 を実施 して みた。す ると対象 となった

3 0

名のうち

9 0%

にあたる

2 7

名が方言学習 を希望 し ているとい う結果が出た。

学習者の方言学習 に対す る高い要望は他都市における先行調査 にも現れて いる

r方言 と日本語教育

」( 1 9 9 3)

によると、何 らかの程度 まで方言の指導 を希望す る学習者 は

、1 9 8 8

年の佐治圭三による関西 における調査では

8 7 %

1 9 9 1

年の福 岡における川辺 ・滝尻の調査では

6 2 %、1 9 9 1

年の近畿地方 におけ る備前 徹の調査では

8 7 . 2 %、1 9 9 2

年の東北 における大塚 徹 による調査 で

7 8. 9 %

となっている。

外 国人学習者 はなぜ方言学習 を希望す るのであろうか

。1 9 9 5

年度の調査で は 「方言 を聞いて分か りたい

方言が分か らな くて困る こ とがあ るとい う意見が多かった。調査対象が初級後期か ら上級 までの学習者であることか ら方言 と共通語の識別はかな り信頼で きると考えてよい この調査結果 は敦 室の外ではかな り方言が使用 されていることを物語 っているといえよう た田尻英三 (

1 9 9

1) も報告 しているように、留学生 は身近な人々の間で行わ れる方言混 じりの会話 に入 り込めず に疎外感 をいだ く場合があるとも考 えら れる。それまで親 しく話 していた人が、突然理解で きない外 国語で近 くの人 と話 し始め、その会話 に全 く入 り込めなかった とい う経験のある人な ら、周 囲の方言での会話に入 って行けない留学生の疎外感は充分理解で きるであろ

う 。

4.2.方言 と共通語

さらに 日本語 における方言 と共通語の境界の唆昧 さも間蓮である多少の アクセ ン トの違いを残 しなが ら、語柔の点で全国共通 に通 じる日本語 を共通 語 と規定する として も、一般の人が どれほど完壁 に共通語が話せ るかは疑問 である 長崎の人であれば、共通語 を話そ うとしているときであって も、鞄 を 「カバ ン」、 自転車 を 「ジデ ンシャ」 と発音することが多い し、「本 を借 り て来 る」が 「本バ カッテクル」 となって、誤解 を招 くことさえある。ちなみ に 「本 を買 って来る」に当たる長崎弁 は 「本バ コウテクル」 となる。 (本稿

(10)

6 0

長崎方青 による共通語助詞 ガの分析

では長崎方言の発音 はほとんど問題 に していないので、以下で も同様 に長崎 方言は漢字 と片仮名あるいは平仮名 を使用 して表記する。)

共通語 を話そ うとして も、方言 を完全 に排除で きないのは学生 に講義する ときの大学教官にもみ られるそ うである 田尻 (前掲)は鹿児 島大学での例 として、地元出身の教師の場合、「本人の意識無意識にかかわ らずか な り方 言が溝義の中に混 じり」、留学生 にとって 「ノー トが取 りに くい状況 であ っ た」ので、留学生 に方言教育 を行 ったが、鹿児島方言の音声 ・音韻 と共通語 のそれ との隔た りの大 きさのために困難が ともなった と述べている

この ように留学生が否応 な く接触する大学の教官や事務官の共通語 にさえ 方言が混 じる可能性があるのは、 日本語 における方言 と共通語の境界の唆昧 さのせいである。備前 徹 (前掲)は留学生 に対する方言教育の必要性 を説 き、「日本語の場合、方言 と標準語 との区別 ・交替があ る段 階で完全 に線 引 ので きる明確 なものではな く漸次的な ものである」 ことを留学生 に説明する 必要があると述べている

この ような現象が生 じやすい原因については柴田 (前掲 )が分か りやすい。

それを紹介するまえに、方言 とい う語 にふれてお きたい。一般 に方言 とい う と長崎方言の中のバ ッテ ン (けれ ども,だけど,けど)、 ヨカ (いい) な ど のように、その地域特有の語尭ない し表現 と捉 えられているが、学問的には その地方の特色 をなす単語は僅 (/里)言 と言われる 方言 とは他の地方 と の差異 をもつある地方の言語現象の全体 をさす ものである。

この前提の もとに柴田は

4 7

都道府県 にそれぞれ 1点 を与 え

、4 7

点の語 を全 国語、多数決の原理 により

2 4

点以上 を共通語 として、い くつかの語 について の調査結果 を発表 している。すると多数決原理が横能 しない場合があるとい う。例 えば、 トウキビは29点、 トウモロコシは23点であるのに、一般に トウ モロコシが共通語 として認め られるのは、共通語の認定に多数決 とは異なる 基準 も働いているか らだ というその基準 とは首都の青葉であるか否か、す なわち 「みや こ語」であるか否か とい う基準である共通語の認定 には事実 を基 に多数決によって客観的に決め られる部分 と、首都の言葉であるか否か とい う価値 を伴 う基準のいわばダブルスタンダー ドが存在するわけである。

外国人 を対象 とした 日本語能力試験の聴解テス トの練習に関西、九州では東 京の地域語 としか考えられていない

〜チ ャツタとい う表現が平気で使わ れるの もこの現れであろう。

(11)

共通語が この ような基準で認定 されるとすると、全国語でない ものを共通 語 と認めるには個人差が生 じる可能性がある。 また、首都の言葉 を尊 Lとし

ない人々の共通語意識 も自ず と分かって くる 筆者 自身、東京のある大学で その大学出身の教官であ りなが らコテコテの関西弁 を使用す る先生の講義 に 出席 したことがある 標準的なテキス トで 日本語 を習得 した留学生 はその よ うな講義 をどの程度理解で きるであろうか。留学生 に対するある程度の方言 教育が必要であると同時に、留学生 と接触のある教官のほうで も共通語 と自 己の使用す る日本語の再確認が必要 なのではあるまいか。

日本語 を勉強 した英国人 ビジネスマ ンが、 日本人は日本語で外国人 と話す ことに慣れていない ようだと語 ったことがある 彼 によると、英国人であれ ば相手が英語 をよく解 さない外国人 と分かると、ス ピー ドを落 としてはっき

り発音 しようと心がけるのに、 日本人は逆 に早口にな り、その結果、それま で少 しは分かっていた ものまで全然分か らな くなるとい うのである。 これ と は反対 に、相手が 日本語 を解 さない と分かると、抑揚やアクセ ン トを不 自然 に変 え、助詞 をほとんど省略 して外国人の 日本語はこの ようであると思い込 んでいる話 し方、いわゆるフォーリナ‑ トークに切 り換 える人 もいる。いず れ も日本語で外 国人 と話す ことに不慣れな場合 に生 じる現象である

4.3.

方言教育の問題点

留学生の 日本語がテキス トの 日本語だけでは充分用 をなさない場合、ある 程度の方言教育が必要 と考えられるが、これには大 きな問題がある。誰が教

えるか とい う問題である 前述 したように教養ある 日本人であればだれで も 日本語教師は務 まるとい う謬見が広 まっているところか らすれば、方言教育 も、母方言話者 ならだれで も務 まる、あるいは日本語が多少で きるようにな れば周囲か ら自然 に習得で きるとい う意見が大勢 を占めるものと考えられる

その ような意 見 に対 して外 国人 学 習 者 の立場 か らダニ エ ル ・ロ ング

( 1 9 92)

は警告 を発 している。「自然習得 には長時間を要 し、時間を無駄 に し やすい。誤 った語嚢や文法形式の解釈 を身につけることがある。方言の意疎 の誤解だけでな く、方言形式 と標準語形式 との対応の しかたが分か らないた めに標準語 に対 して方言か らの干渉が生 じる。」以上

3

点 をあげて 日本語教 育関係者 に方言の体系的指導の必要 を説いている 特 に、最後の標準請‑の 方言干渉 は標準語‑の体系的指導ので きない素人の方言話者が 日本語学習者 に方言 を教 えた場合 に起 こりやすい と述べ、「日本語が話せ る人 イ コール 日

(12)

6 2

長崎方言 による共通語助詞 ガの分析

本語教師でない と同様 に、方言が話せる人イコール方言が教 えられる人では ない」 という生越直樹のことばを引用 している まさにその通 りであろう

例 えば長崎方言にタイ、バイという終助詞があ り、次のような使い方をす る。

今 日ハ寒 カバイ

アン人ハ今 日東京カラ帰 ッテ来タ トタイ

これについて上村孝二

( 1 9 8 3)

に 「肥筑のバイ (わ)・タイ (の よ) は有 名だ。バイはワイよ り転 じ、タイは トワイに由来す る」 とあ る。 また柴 田 (前掲)には 「バイ、 タイは、九州方言 として有名 な終助詞 で、東京語 の

「よ」 ぐらいの意味である」 という記述がある。 ともにバ イ、 タイの分析 を 目的 とした箇所ではないが、このような説 を無批判に方言指導に使用すると、

例 えば次のような 「タイ」に出会 って身動 きが とれな くなるおそれが生 じる。

A :

今 日ハ寒ウシテタマランバイ

B :

ソイケ ンソング ンヨケイ着 コン ドッ トタイ

最後のタイは相手の状態 を確認するために使用 されていて、いい共通語訳 が捜せないが、ここでは 「だか らそんなにた くさん着込んでいるワケナンダ ?」ぐらいになる

「のよ」や 「よ」では説明がつかないのである

このように、外国人への方言指導 において も通説だけに頼 っていては解明 で きない ものがあ り、言語学 を応用 した日本語学の手法による従来にない分 析が必要である。そ うでなければ学習者の方言による共通語への干渉 を教師

自身が促進することにな りかねないか らである

5.

長崎方言の現況

日本語教育 と方言の関係は上述のように外国人学習者の要望 に基づ く方言 教育の側面 と、共通語の中の説明的未知の解析 に方言 を利用する方法の二面 が考えられる。後者はこれまで言語学による日本語の分析 に際 して時折言及 されることはあったが、体系的に利用するということになるとほとん ど手が けられたことはなかった。それが有効性 をもたないか らか、方言学 と日本語 教育における日本語の分析 は接触 をもつべ きでない異分野で、接点はどこに もない という考えか らか分か らない。その意味では本稿 はやや冒険になるか もしれないが、一つの新 しい試みにはなるものと考えるO

本箱 は長崎方言の助詞の用法を共通語の助詞 ガの分析 に利用す るものであ

(13)

その前 に、長崎方言の現在の概況 に触れてみよう ここでい う長崎方言 は長崎市の中央部 を中心 とす る旧長崎市 とその周辺の一部を含むものである。

長崎方言は九州 を代表す る肥筑方言に属 し、福 岡、佐賀、熊本方言 と共通す る点が多い。以下 に発音、文法の順で現在の長崎方言の概要を述べてみよう

5.1

.発音

アクセ ン トは長崎音調 といわれるもので、平山輝男の命名 になる二型音調 である。 2音節語 において前高か後高のアクセ ン トをもち、助詞 ガ (後述の ように長崎方言ではほ とん どノとなる)がつ くとアクセ ン トが

1

音節づつ後 ろへずれるとい う特徴 をもつ。

発音 のうえで特徴的なのはり音便の多用である これは形容詞 に多いが、

動詞 に もみ られる 形容詞のテ形 (連用形)は次の ようにり音便化す る。タ コウシテ (高 くて)、サムウシテ (寒 くて)、イソガシュウシテ (忙 しくて) サ ビシュウシテ (寂 しくて)、 ヨウシテ (よくて)などの ようになる。動詞 では前述のコウテ (買 って)の他 に、ウ トウテ (歌 って)、イウテ (言って)

クウテ (食 って)、モロウテ (もらって)などがある。

かつて長崎方言の発音の特徴 と言われていたシェンセイ (先生 )、 ジェ ン ジェン (全然)などのシェ、ジェ音 は若者層か らほとん ど姿 を消そ うとして いる ある小学校の先生 に小学生 におけるシェ音の有無 について伺 った とこ ろ、最近の子供たちか らシェの発音 を聞 くことはない とい う答えであった。

これにはテ レビの影響が もっとも大 きい と考 えられる。子供時代 にテ レビが ほ とん ど普及 していなかった

5 0

歳代ではまだかな りシェ、ジェ音が聞かれる が、年齢が下が るにつれてその使用者 は激減す る 現在の小学生の親の世代

はシェ、ジェ普消滅への過度期 にあたっているか ら、テ レビが親子二世代 を 通 じて長崎方言か らシェ、ジェ音 を駆逐 して しまったといってよい。

かつて特徴的であった発音で今 まさに風前の灯 といった状態 にある発音 が ある クワ

〔 kwa

〕、グヮ

〔 gwa〕

の発音がそれである

。2 0

年 ほ ど前 まで高齢 者か らクワジ (火事 )、 シ ャクワイ (社会 )、 クワイギ (会議 )、 グワイ コク

(外国)などかな り頻繁 に耳 に していた発音が、最近はほ とん ど聞かれ な く なって しまった。現在の

6 0

代の人に極めて少数ではあるが この発音 をもって いる人がいる それ より高齢の人で もこの発音 を使用す る人は非常 に少 ない ので、 この発音が長崎方言か ら完全 に消滅するの も時間の間蓮であろう

。2 5

年ほ ど前の調査 において、この発音 は少年層ではほとん ど聞かれないとある。

(14)

6 4

長崎方言 による共通語助詞ガの分析

当時の少年は現在中年であ り、中年層からこの発音が聞かれない という筆者 の観察 と一致 している

ヰ ンピッ

〔 j e mpi t s u

〕(鉛筆)、ヰ ビ (海老)などのヰ音は最近ほとんど聞 かれないが、筆者が留学生に聞 き取 りの形式で単語 を教えていて、やや大 き く、ゆっ くり 「えき」 と言ったとき

、〔 e k i 〕

ですか

〔 j e k

i〕 ですか と聞 き返 されたことがある。このことか ら筆者 ぐらいの年代 まで どこかにヰ音の名残 をとどめているもの と推測 される

ジ、デ、ズ、ヅの発音 を使い分ける 「四つがな」は九州にかな り広 く分布 していると言われるが、長崎方言にはこの発音はない。ジとズ を使い分ける だけの、柴田 (

1 9 8 8)

に従えば東京 ・京都 と同 じ 「二つがな弁」 に属 してい

5.2 .文法

一部の動詞に共通語 と活用が異なるものがある例えば 「する」の命令形 はセロであ り、否定形はセンである 動詞の否定形はセンに限 らず、総て古 語ヌの名残のンであ り、「起 きない」は起キン、「書かない」は書カンとなる。

勧誘の 「しようか」はス‑カ、「食べ ようか」はタブーカ、「出ようか」はズー カが今で も使われることがある

敬語は 「行 きナ

飲みナル」のように動詞+ナルが普通であるが、全 国的に人を敬わない風潮が広 まったせいか、若年層か らこの表現 を聞 くこと は稀であるなお、この敬語表現は後にガの分析 に使用する。

動詞来ルを英語の

c o me

のように 「聞 き手の もとに行 く」 という意味で使 用する

明 日ノ会合ニハカナラズ来ルケ ン」(明 日の会合 にはかな らず行 くか ら)や 「チ ョット待 ットッテ、スグクルケン」(ちょっと待 っていて、

す ぐ行 くか ら)のように使 う

可能表現は能力可能 と状況可能を使い分ける 能力可能は〜キル、〜エル、

〜ユルが使用 されるが、〜キルがやや庫勢であろ う。 「英語バ話 シキル。 (英語 を話す ことができる。)のように使 う状況可能にはレル、ラレルを使 用する。「今 日ハ車ヤケ ン酒ハ飲マ レン」(きょうは車だか ら酒は飲めない) のように使 う両者 を

1

文の中で使 うと、「酒ハノミキルバ ッテ ン、今 日ハ 車ヤケ ンノマ レン」のようになる。

既然相 と進行相の区別があるの も特徴の一つである。進行相には通常 ヨル を使い、既然相 には トルを使 う。「雨ノフリヨル」(雨が降っている。)は現

(15)

在雨が降っている状況で言い、「雨ノ降 ッ トル」は道な どが濡 れてい るの を 見て雨が降った ことを知 ったような ときに言 う

接続 は逆接 に〜バ ッテン、理由の順接 に〜ケ ンを使 うのが特徴的である。

今 日ハ 日曜 日バ ッテ ン、仕事二行 カンパ」(今 日は日曜 日だけ ど、仕事 に 行かなければな らない) と言い、「飲 ミスギタケ ン、頭 ノイタカ。」のように

ニ ヽi∃つ。

動詞の否定の 「ない」が ンとなるのに対 し、形容詞の否定 は次の ようにイ 形容詞ではり音便 をともなって〜ナカとなる。「安 ウナカ」(安 くない)、「 ウナカ」(寒 くない)。一方ナ形容詞の否定は次のようにジヤナカの形をとる。

元気 ジヤナカ」(元気ではない)、「静 カジヤナカ」(静かではない)

。また、

存在の否定 も 「眼鏡 ノナカ」(眼鏡がない)の ようにナカとなる

その他様 々な特徴があるが、本稿 は長崎方言の考察が 目的ではないので、

他 は割愛 し、ガの分析 に必要な次の

2

点 をあげて現況の報告 は終わ りたい。

一つは主格 の多 くをノ (会話ではンとなることが多い)で表 し、対格 をバで 表す ことである

主格 ノは次の ように使 う

本 ノナカ

」(本がない)、「ア ソコニ桜 ノ咲 イ トル」(あそこに桜が咲いている)。なお、準体助詞 ノには、 「アオカ ト」

(青いの)、「手耗バ出ス トパ忘 レタ」(手紙 を出すのを忘 れた) の ように ト を使用する 共通語の村椿の助詞 ヲは次のようにバ となる

水バ飲 ンダ。

(水 を飲 んだ)、「手紙バモロウタ」(手紙 をもらった)

0「ナンバ食べ タ ト。

(何 を食べ たの)

6.

長崎方言における主格助詞の分布

助詞 ガは一般 に格助詞 に分類 され、主格 とされている これには異論 もあ り、筆者 もその異論のほうに加担す る者であるが、 ここでは混乱 を避けるた めにこれ までそ うして きたようにしば らく通説 に従 って主格 とい う語 を使用 す ることにする

上述 した長崎方言の格助詞 を利用 して、これか ら助詞 ガを検証 してみよう

長崎方言 において主格 は通常 ガではな くノで表す とされている。なお、 くだ けた会話の場合、ノはンとなるのが普通であるが、 ここではやや改 まった感 じのするノを使用 して表記す る また、総てにやや上品な表現 を採用す る

まず、文 をその生命である述語の性質によって通説 に従い次の

3

種 に分け

(16)

6 6

長崎方言による共通語助詞ガの分祈

述部の中心が動詞であるものを動詞述語文、形容詞であるものを形容詞 述語文、名詞であるものを名詞述語文 とする ナ形容詞 (形容動詞)は形容 詞述語文のなかに入れる 以下それぞれ助詞ガとノの分布 を調べてみ よう

特別な断 りがない場合、上 に格助詞ガを使用 した共通語の文 を提示 し、そ の下 に長崎方言 による同意の文 を提示する ここでは方言の文 も共通語の文 との対比が明瞭になるように助詞 ガ ・ノを除いて共通語 と同 じ表記 とする

共通語 においで も問題 にしている助詞は片仮名で示す。方言の文頭 につけた

*、 ?、 ??の記号は次のように用いる。長崎方言の助詞 ノに関 して、 *は 誤 り、 ?はやや不 自然であるが誤 りと明言で きない もの、 ??はか な り不 自 然であるが完全な誤 りとは断定で きない もの とする。長崎方言においてノの 使用 に問題のある箇所 は総てガが使用 されている。

a.

動詞述語文の場合

( 1 )

あ した山田さんガ京都 に行 く

あ した山田さんノ京都 に行 く

(2) きの う山田さんガ来た。

きの う山田さんノ来た。

(3) 山田さんガ本 を読んでいる。

?山田 さんノ本ば読み よる。

(4) 山田さんガ食堂で昼 ご飯 を食べ る

?山田 さんノ食堂で昼 ご飯ば食べ る

(5) 山田 さんガ食堂で昼 ご飯 を食べていた。

?山田 さんノ食堂で昼 ご飯ば食べ よった。

(3

X 4 X 5 )

において多少の違和感 を覚 えるのは、「山田さんノ本

「山田さんノ

食堂」が、「山田さん所有の本

や 「山田さん所有の食堂」 と紛 らわ しいか らであろう 談話や会話の当事者たちが山田さんを見なが ら発話す るといっ た文脈があれば不 自然ではないだろ うが、孤 立 した文 においては行為者 が

「山田さん」以外である可能性 を否定で きないか らである これ は次 の

( 6 ) ( 7 )

(8)の ように 「山田さん」 と後接する名詞 との間に他の語 を挿入 させて所有関 係の意味が入 り込む可能性 を断ち切 って しまうと何 ら不都合 を生 じない こと

で も明 らかである

(6) 山田 さんガあそこで本 を読んでいる

山田さんノあそこで本 ば読み よる

(17)

(7) 山田さんガあ した食堂で昼 ご飯 を食べ る。

山田さんノあ した食堂で昼 ご飯 ば食べ る(8) 山田さんガきの う食堂で昼 ご飯 を食べていた。

山田さんノきの う食堂で昼 ご飯 ば食べ よった。

孤立 した文であって も、「山田さんノ、食堂で昼 ごはんば食べ よる。」の よ うに、ノのあ とに1拍休止 を入れると不 自然ではな くなることもこれを裏付 ける。この現象 は助詞 ノが助詞ハに もやや近い機能をもっことも示 している。

次 に

( 3 X 4 X 5 )

を尊敬語化 してみ よう 比較のために、「召 しあが る」 の使用 を避 けることにす る

(9) 山田さんガ本 を読んでい らっしゃる

山田さんノ本ば読みよんなる。

(10) 山田さんガ食堂で昼 ご飯 を食べておいでになる。

山田さんノ食堂で昼ご飯ば食べ よんなる

山田さんガ食堂で昼 ご飯 を食べておいでになった。

山田さんノ食堂で昼ご飯ば食べ よんなった

ここで も長崎方言での違和感が消失 して しま う これは尊敬語化 され た

食べ よんなる

読み よんなる」の敬意の対象 は 「山田さん」であ り、けっ して 「山田さんの本」や 「山田さんの食堂」ではあ りえないか らであろう。

ただ し、行為者が他 にある場合の所有のノを排除す るわけではない。

以上の ように主格 ガに名詞が後接 し、そこに所有関係 を疑わせ る可能性が ある場合 は長崎方言ではノの使用 を避けて、ガを使用す る これは歴史的に ガとノの分化 を推進 した力の一つ と考 えられるが、その ような視点か らの考 察は機会 を改めて行 うことに したい。

b.

形容詞述語文

(1 りんごガおい しい。

りんごノおい しか (13) りんごガおい しかった。

りんごノおい しかった

(14) 日本語 ガむずか しい。

日本語 ノむずか しか。

この りんごガおい しいO

?こん りんごノおい しか。

(18)

6 8

長崎方言による共通語助詞ガの分析

( 1 6 )

あの りんごガおい しかった.

?あん りんごノおい しかった

( 1 カ

りんごはこれガおい しいO

*りんごはこれノおい しか。

(

Wか ら(14までは日常使用 されるが、a7)のノは不 自然である。(19と(16)のノは ハに近 く、共通語のガと完全 に対応 しているとは考えに くい。助詞ガ、ノと もに述語の主体 を特定する横能を担 っているが、87)のようにある有限数 を感 じさせる対象の中か ら

1

つ を選出するときは長崎方言 において もガを使用す このことか ら、ガには述語の主体 を強 く特定するという横能があるとい える。 これは次のように強い特定 を要求する文ではノは姿 を消 し、ガの一人 舞台 となることで も分かる。以下は方言による会話である。

(1

A

.・こっちのおか しとそっちのおか しと、 どっちガおい しかね。

B:

こっちのほうガおい しかばい。

(19

) A :

スポーツのなかで、なんガ一番お もしろかね.

B :

野球ガ一番お もしろか。

a#19)ともガをノに起 き換 えると不 自然 になるO ガには強い特定横能があり、

ノにはそれがないことが よく分かる. これは共通語助詞ガの性質の一端 を表 す と考 えられる 次に述語がナ形容詞 (形容動詞)の場合 を見てみよう

山田さんガ元気 だ.

山田さんノ元気か。

山田さんガ元気 だった。

山田さんノ元気かった。

e2) 山田さんと森 さんでは、山田さんガ元気だ.

*山田さんと森 さんでは、山田さんノ元気か。

¢ 3

) 会社では山田さんガ一番元気だ。

*会社では山田さんノー番元気か。

ナ形容詞 (形容動詞)において も通常はノが使用 されるが、物C3)に見 られ

るように、特定横能が強 くなるときはノは使用 されず、ガが現れる。

a

の動 詞述語文において助詞ノに名詞が後接するとき属格 との紛糾 を避けるという 理由か らノは使用 されず、ガが使用 されることを見た。形容動詞の語幹は名 詞性 を持ちうるが、CZ)におけるノの不使用 は、属格 と一線 を画すためではな

く、強い特定機能のためガが要求 されたものである

(19)

C.名詞述語文

山田 さんガ社長だ。

*山田さんノ社長だ。

CS) これガ和食だ。

*これノ和食だ。

6) あれガ病院だ。

*あれノ病院だ。

q7) 読書 ガ趣味だ

*読書 ノ趣味だ。

伽‑即か ら名詞が後接 して属格 と区別 しに くい ときは長崎方言 において主 格助詞 ノの使用 は避 けられることが分かる。

以上の ように長崎方言 における主格 ノは名詞が後接 し、属格 と紛 らわ しい 場合 は使用 されず、また強い特定機能が要求 される場合 も使用 されない。 こ こで、述語の種類 による分類 を離れ、問題 とな りそ うな諸種 の文 におけるノ の使用 について検討 してみ よう。

d.

疑問詞のある疑問文 誰 ガ京都 に行 った。

*誰 ノ京都 に行 った。

位g) 今何 ガ来た ? 今何 ノ来た ?

00)何 ガ一番お もしろい ?

??何 ノー番お もしろか ?

Cu)スポーツのなかで何 ガ一番お もしろい ?

??スポーツのなかでなんノー番お もしろか

?

8Z)桃 とみかん と梨のなかで何 ガ一番高い ?

*桃 とみかん と梨のなかでなんノー番高か ?

03) 桃 と梨 とどち らガおい しい ?

??桃 と梨 とどっちノおい しか

?

0 4 )

人口はどこガ‑番多い ?

*人口は どこノ一番多か ?

05) うなぎはどこガおい しい ?

*うなぎはどこノおい しか ?

参照

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