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児 玉 元 平

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(1)

生産期間に関する覚書

かつては資本理論において最も論争され︑しかもその割合に論争の帰結が不毛的であった概念に生産期間という概

念がある︒この概念は︑ベエーム・バグエルクとウイクセルによって代表されるオーストリア学派資本理論の中心的

概念であり︑廃本家的生産には時間という要素が最も本質的な役割を演ずるという事実を強調するために使用された

l概念であっ㌔このことはウイクセルのワルラス分析に対するつぎのような批判において知ることができる︒﹁ワル

ラスが厳密に数学的な形態で展開した生産の理論は︑それがいかに巧妙なものに見えようとも︑その成果をして必ず

や虚妄な診ルめざるをえない一つの原理的誤謬を犯している︒即ち︑そこでは︑生産における時間の意義が全く無視2されているJ生産における時間的要素の意義が理解されなければ︑資本の本質は把握できないのである︒﹁ワルラス

の分析は︑何故に︑一定且且の現存社会資本が一定水準の利子率−−より高くまたより低くないところの − を生ずる

のであるかという問題になんらの解答をあたえないのである︒生産における時間的要素の重要性はワルラスとその学

派において決して適切に評価されておらない︒生産期間或いは資本の投資期間という考え方は︑ワルラス=パレート

(2)

/1

の理論には在在しないのである︒その理論にあっては︑資本と利子は︑土地と地代と同列なのである︒換言すれば︑

その理論は︑根本的には非資本家的状態のもとにおける生産の理論にすぎないのである︒たとえ︑耐久的な表面的に

οは破壊しえない手段が考慮されているにしても︒﹂ワルラスにしろウイクセルにしろ︑ともに資本の生産力的側面を強

調している︒しかし︑ヴイクセル或いは一般的にオーストリア学派の資本の生産力は時間の生産力︑待望の生産力︑

或いは時聞によって変形された本源的生産用役の生産力なのである︒しかし︑ワルラスにとっては︑この時間的側面

は意味はない︒資本はたんに他の生産要素と同列に並ぶ生産要素にすぎないのである︒もっとも︑ウイクセル自身は︑

との生産期間乃至投資期間の測定可能性については部分的には懐疑的であったように思われる︒彼にあっては︑とれ

ちの期間的概念は生産過程分析上の一用具であり︑﹁この生産期間といけ新しい概念は︑経済学の最も複雑な問題︑

dいままで説明されておらない問題を組織的に解明することを目的とするo﹂そして亦この概念は︑経済的諸力の働く一

般的方向について十分明確な見通しをあたえることを目的とし︑

dある︒﹂また︑ウイクセルはつぎのように述べている︒ ﹁なんらの量的評価を誌みているものではないので

﹁ある特定の消費財の生産にどれだけの労働と土地︑したがっ

て︑資本が投入されているかをを確定することは勿論容易なことではないし︑時には︑論理的にも不可能なことでも

dる︒各種の商品が一つの且同じプロセスの中で生産される場合︑常に困難が生ずる︒しかし︑このことは総流動資

円 ︒

本の量︑その平均投資期聞に関すする現論的研究をさまたげるものではない﹂計量性を重視する今日の傾向は︑必然

的に︑生産期間乃至投資期間という概念が従前資本理論において占めていた地位を哀失せしめるに到る︒今日︑代替

4的に資本産出比率︑実質資本比率というような概念が使用されている叫

生産期間に最も密接に関連した概念に︑待望︑毛色江口問或いは節欲与

EE 32

という概念がある︒この概念はお

そらく中世における高利に関する論争において既に使用されていた︒十九世紀末で資本理論において重要な位置を獲

(3)

Js

N

lA・マーシャル等の理論において︑生産期間中資本家が消費を節制すること

口 ︒

にたいする報酬として利子と利潤を定義しようとする点に乙の概念の意味があたえられ九利子を待望の報酬である

という考え万を最も明確に示したのはカツセルボある︒﹁いま︑労働者が家屋を建築したと考えよう︒彼等自身は︑

将来の長期間にわたって︑その家屋の使用が年年もたらすであろう貨幣を待望するかもしれない︒しかし︑彼等はそ

うするのを欲しないかもしれない︒彼等は︑むしろ直にその労働の報酬をえたいと欲するかもしれない︒この場合︑

彼等は︑他の人が自分達の代りに待望という仕事を引つぐことを欲していることを知る︒そ乙で︑この人は家屋を購

入する︒労働者は即時に彼等の賃金をうる︒買手は待望することに落着く︒このことは︑待望は︑経済生活の全く別

個の仕事であることを示している︒この仕事はどの人でも選択し行うことができるが︑誰れかがこの仕事をなさねば

QU  

ならぬ点については疑問はないd﹂カツセルはこ乙では︑資本財は︑その在続期聞にわたってその建設費以上の余剰を

生ずるということを指摘しているのにすぎない︒乙の余剰が利子である︒資本の所得である︒もし利子を資本の所得

と看倣せば︑それは資本を消費しないことにたいする報酬である︒資本を消費しないことを待望と同意義だとすれば︑

利子は待望の報酬と考えてもよい︒しかし︑待望という行為自体が独立的な生産要素だということにはならない︒待

望を独立的な生産要素と看倣すには︑待望を労働要素と同列におきうるような量的評価にたえうる次元におかねばな

0ドルフマンは︑最近︑本源的要素としての労働にならぷ生産要素としての地位を待望にあたえて︑オーストリ

ア的な資本理論における生産期間乃至投資期間の量的測定の可能性を証明している︒

いま︑消費財をY︑労働量をL︑生産期聞をPで示すと︑生産同数として︑

JH(HhwMM)

/

・司,晶

'

収穫逓減を仮定すると︑

生産期聞に関する覚書

(4)

Cl)1Cl)  司│ベ

Cl)1Cl) 

~I

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C

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司I~

( M )  

( ω )  

t

( )

ζ乙で︑労働の賃銀率は労働の限界生産物にひとしいとすると︑余剰S

は ︑

ω

( )

となる0ドルフマンによれば︑乙の余剰が待望に対する報酬である︒これは︑勿論︑資本使用に対する支払というこ

ともできるであろう︒経済が消費財生産部門からのみなりたつと考えれば︑資本は未完成消費財のストックである︒

そこで︑生産期間を延長せしめることによってのみこの未完成消費財のストックの増加が可能であれば︑その場合︑

待望にたいする支払がなされると考えてもよい︒待望によって増加したのは資本ストックである︒生産要素を待望と

(5)

するか資本とするかは用語の問題である︒ドルフマン自身︑待望を資本(彼の場合機械)に体化せしめることによっ

て測定の問題を解決している︒ウイクセルが資本を貯積された労働と土地用役と定義したのと類似した手法である︒

後節でドルフマンモデルを吟味するであろう︒

利子は待望或いは節欲にたいする支払いであるという見解は︑これを投資によって創造された生産要素の使用にた

いする支払いであるという考え万に代替されるとしても︑生産期間という概念は︑これを資本理論より排除すること

用性について最も否定的なのはナイトである︒ はそれほど容易なことではない︒過去におけるこの概念をめぐる論争の不毛性がそれを証明している︒乙の概念の有

﹁生産と消費との間にはなんらの時間的間隔は存在しない︒いかなる

生産行為或いは支出といえども︑常に︑消費される用役の形でか︑或いは財産即ち資本の純付加の形でか︑生産それ

自身と絶対的同時性でもって瞬間的にその結果を生ずるものである︒使用されるすべての設備の完全な維持(置換え

を含めて)は経常的に消費される用役の生産の一部分であるよさらにナイトはいう︒﹁物理的生産物を含む意味にお

いて生産と称せられるすべてのことがらは︑臼明的に資本財の置換えか総ストックの純付加かいずれかを示している︒

一つの関係では生産期間は零であり︑他の関係では︑全体としての社会の清算とともに終るという意味で生産期間は

無限大であ向︒﹂生産用役はそれが帰属すれば必然的に消費される︒そして用役が発生すればそれは消費されるだけで

なくまた生産される︒生産と消費とは同時的な過程であり︑その意味で生産期間は零である︒しかし︑資本主義経済

を歴史的にみれば新資本を作り出す生産用役は︑決して成熟して消費財となることはない︒けだし︑資本は決して社

会的には清算されることがない︒乙の意味でナイトは昼産期間は無限大だという︒そこで︑生産期間は︑既存資本を

(6)

用いておこなわれる経常的用役の生産を考える場合には零であり︑新資本を生み出す生産用役の投資期間を考える場

合には無限大である︒われわれはこの小論で︑生産と消費とは完全にシンクロナイズされているという観点から︑生

産期間の概念の資本モデルに持込むことについて拒否的であったJB

lクやナイトの所説を吟味する余裕は

ない︒最近デユiイはナイトとは異なった観点から生産期間という概念を資本理論より追放すべきであると主張して

いる︒彼は︑生産期間という概念は︑資本財評価について︑また資本蓄積と技術進歩や節約を規制する要因を追求す

るには有効な概念ではないとし︑利子の取得︑資本財の生産性の問題はもはや生産期間を資本理論に導入せずともと

きうるという︒おそらくこのデユlイの考え方は今日資本問題を取扱う人々にとって共通的傾向であるかもしれない︒

相対的に結実性のすくない生産期間という概念を迂回してより容易な途をとりながらも︑より深く資本問題を追求し

うる分析用具を見出する傾向が今日存在するといってよい︒ロパ!ト・ソロlの近著﹁資本理論と収益率﹂もその代

表的なものと看倣してもよいであろう︒ところで︑デユlイ自身は︑生産期聞に資本理論で一つの地位をあたえてい

る︒それは︑資本の限界生産力と投資の限界生産力との区別に役立つからである︒﹁いま︑今日投資された所得の増

分が後日にいたるまでは所得の流れにたいして付加分を生じ始めないという意味での生産期間があるとしよう︒このYK前提で︑投資の限界生産力は資本の限界生産力と生産期間の函数である︒﹂資本の限界生産力をAE︑投資の限界生産

力をZ︑上述の意味での生産期聞をtで示そう︒投資の限界生産力は投資によりて可能となった将来所得の和をして

その費用(犠牲にされた消費)にひとしからしめる割引率である︒いま︑投資から生ずる所得が年々相ひとしく︑今

日なされた投資から第一回目の所得支払が今日より一年後になされるとすると投資は即時的にその収益が生ずるとい

ってもよいであろう︒なんとなれば︑投資もその収益も同じ計算期聞に関係しているからである︒そとでこの場合t

はーである︒そこでn00

(7)

h v J

+N)

hvJ

( +N) hvJ

h v J

+:

+

Il

il

ju

li

( +N)N

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ζ

¥

1 N

となるo

V

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( +N)

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N I  ー 占

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炉晶

、、ー/

( )

の式より︑投資の限界生産力は資本の限界生産力より小となる︒投資の限界生産力はデユlイのモデルでは利子率を

U示している︒利子率と資本の限界生産力との離反は所謂ウイクセル効果という問題である︒デユlイモデルではこの

3 1 1

YKウイクセル効果の問題は殆んど吟味されておらないが︑彼は︑生産期間カ短しカきりA

Zの代理として使用

しうると考えている︒資本の限界生産力は生産函数から直接計算しうるのに反して︑投資の限界生産力は︑犠牲にさ

れる消費の量︑消費の犠牲が可能ならしめる付加的な所得の流れ︑ζの流れがいつはじまるかが明らかにされないと

計算しえないという点に両者の差異が在在する︒

υドルフマンは生産期間を算定するに際し︑浴槽定理σ

FZ

σ5

82

B

と称せられるものを使用する︒各一滴の水

が浴梢の中に残る平均時間の長さは︑毎時の水の流出入量と浴槽の大きさに依存する︒乙の定理によれば︑所興の大

きさの水槽において︑水の平均滞留時間は︑貯水量を毎時の流入量(これはまた流出量にひとしいとして)で除した

商にひとしい︒例えば︑浴槽に一0ガロンの水が入っているとして︑流入量が毎時二ガロンであると︑一滴の水の平

生産期間に関する覚書

(8)

均滞留時間は五時間である︒同様の推理で投入物が企業内に凍結する平均時間は︑投入物と産出物の流量と︑利用し

うる資本の量に依存する︒もし︑投入量が産出量にひとしければ︑所興の設備規模で企業の平均生産期間は︑その設

備に投資された資金の総価値を︑毎年の投入量の価値で除したものにひとしい︒記号的には︑Kを貯水量或いは資本

ストックとし︑ーを流量或いは投資水準を示し︑Tをもって水の平均滞留期間或いは投資期間を示すと︑浴槽定理に

H同¥同

(

)  

の関係が示される︒

乙乙では投入は資本消費に相当する︒労働者は継続的に消費財のストックを

消費し︑同時に消費財は継続的に補充される︒いま︑資本家の消費を無視すれば︑資本消費率は加であるo

wは実質賃金率を示す︒そこで上述の定理により︑平均期聞を求めると︑ 定常的経済では︑純投資は零であり︑Lは経済の所興の労働量︑

1 1  

F

d

(

)  

で一示される︒乙れをベエ!ム・パヴエルク的モデルにそくして考えると︑商品の生産が開始され︑最後にそれが消費

されるまでの期間(絶対的生産期間)をでt示すと︑各商品の生産に労働が均一的に投入されている場合には︑労働

諸単位の投資期間はぐNとなり︑これは水の平均滞留時間Tに相当する︒そこで︑

ー..... 

C

、.../

ζ

NII~

¥ ¥  

14 i¥ N 

(9)

ベエl

ム的モデルにおける技術的諸関係はつぎのととく示される︒労働者一人あたり年間産出物をQで示すと生産力

函数をつぎのととくあたえうる︒

H

(

)

'

F

"

乙の函数ではで(仲

)v pt

件)八︒と仮定される︒賃銀率を所与とすれば︑(

資本家は労働者一人当り年利潤率を極大化すると想定しよう︒ 生産期間の長さが決定せられる︒

HU

( N )

tについて微分して︑

~ 炉内

f

~ "

者│巧

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I

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L.......J 

1 1  

c

( ω )

1 1  

h ( ) l

( ) +

M

1 1  

c

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)

︿)

+L 乙の式がr極大の条件である︒ーは時間の限界生産物であり︑円は単利で計算された労働者一人当りの時間の帰属総

干 ・&

ι t

価値である︒そこでω式の左辺は産出物の価値の時間の総帰属価値に対する超過分を示し︑均衡では賃銀率にひとし

い ︒ ω

生産期聞に関する覚書

(10)

t+ 

M‑

1 1  

NI~

(↓印)

M

( )

44 

( 一 ∞ )

ζでマクロ水準に移行する︒社会の実質資本はK︑労働者をL

KLは所与とする︒仮定により労働者一当

人りの資本は側式より︑者同¥N総資本が完全乙利用されるため乙は︑同

u l

であらねまならぬ︒乙れが通常新

t t M l  

と賃銀基金説とよばれる賃銀決定の仕方を示している︒即ち︑との式では︑賃銀水準は全労働者数と生産期間のり

(投資期間)の積でもって生存基本を除した商として規定せられる︒これが古き賃銀基金説とことなると乙ろは︑生

産期間乃至投資期間という資本家的生産プロセスに関連する概念が陽表的にとり入れられているということであって︑

賃銀率が単に固定的な数量の商としてきまるのではなくて︑あくまで︑資本家的行動の様式に依存するという関係を

明らかにしているのである︒ところで︑ベエlムにしろウイクセルにしろ︑社会的資本Kは一つの与件として取扱わ

れている︒ここにルツツの批判が成立する︒﹁生存基本の価値はむしろ生穿基本から生ずる将来収益の資本犯によっ

てのみ取得しうるものであり︑こうした資本佑には利子と生産期間の長さが要件となる︒したがって︑生在基本の価

値は一つの未知数である︒ところがベエlムの体系では︑乙の未知数を決定するに必要な方程式がつけ加えられてい

ないのである︒﹂ルツツによれば生存基本の価値は均衡においてはじめて決定さるべきものである︒このようなルツツ

の批判と同じような批判は既に早くハイエクにおいてあたえられている︒﹁それが与件として存在する形態における

非耐久的資源のストックは一定量の資本ではない︒なんとなれば︑資本は︑それを構成する諸要素の相対価値が決定

された後においてのみ︑単一の大きさとして表現しうるからである︒そして︑このような相対価値は︑明らかに︑投

(11)

資期間を決定すると同じ均衡をもたらす諸力の結果なのである︒われわれが出発点としなければならぬ最初の与件は︑

端的にいって︑この非耐久的資源ストックを構成する要素の目録であり︑Eつそのすべての技術的特性の目録な切で

一つの価値量としての資本の量は︑投資期間と全く同様に︑与件でなく︑決定せらるべき未知数に属するよ

総産出量をY

H 5 1

に ( 仲

)

H

( h m l

)

(一吋)

Lについて微分すると︑

Ci>1Ci> 

者│同~IN

~

~I民

/ 戸 『 ¥

引問~IN

、 ‑ /

(

) l

( )

( 一 ∞ )

となって︑労働の限界住産物は賃銀率にひとしい︒つぎにYKについて微分しよう︒wを一定とすれば︑

l H F T

(

)l

(

)

(

l)

1 1  

( ) dJ

( 一 ∞ )

となり︑資本の社会的限界生産物は利子率にひとしい︒しかし︑この場合︑われわれはwをコンスタントとしている︒

しかし︑労働室を一定として︑社会的資本の培加は賃銀率を上昇せしめる︒マクロ的水準では賃銀率を変数として取

(12)

J¥ 

扱わねばならぬ︒賃銀率の変化は資本価値を変化せしめる︒これがウイクセル効果である︒このウイクセル効果によ

り︑マクロ的水準では︑社会的資本の限界生産物と利子率との離反が生ずる︒このような効果をはっきりと分析の表

面で解明したところにウイクセルの重要な寄与があった︒ロビンソンは述べて

zaJ5

︐ ︐ ︐ . ︑ ︐ ︐  

は逆関係を示す︒賃銀率が上昇すれば︑ 1

20

ph

v

4'﹁ウイクセルが指摘するのは︑生産期間の長さはそれ自身では︑資本の

一定の生産方法に必要な労働に対する比率を決定するものではない︒けだし︑

資本の価値は︑実質賃銀率に依存するからである︒という乙とである︒これは︑

生産期間の長さは実質資本比率を示す過度に単純化された方法であるという反

t, 

論以上に︑ベエlム・パヴエルクの理論に対するはるかに根本的な批判である9

このウイクセルのこの点乙そ︑資本の蓄積及び賃銀利潤の決定に関する全理論

の鍵で仇︒︒﹂ミクロ経済の水準では︑賃銀率の上昇は最適生産期聞を延長なら

しめる︒しかし︑マクロ経済水準では︑資本歪の増加は︑賃銀の上昇に部分的

に吸収されるととによって(ウイクセル効果)生産期間の延長はそれだけ阻害

t

される︒それ故に︑生産期間の長さは資本価値の正確な指標とはいいえないの

である︒われわれは︑ウイクセル効果については別稿において詳細に論及した

からここではこれ以上ふれないでおこう︒

lムのモデルはつぎのグラフで説明しうる︒生産力画数は仮定により上

方に凸形となる︒曲線開

¥F

は直角双曲線となり完全一雇用の仮定ではwt

Kによりて供給される消費財の流れはより大なる率で減退し︑生産期間は短

(13)

縮する︒労働の限界生産物曲線はつぎのようにして求められる︒たとえば︑生産期間を任意の点hでえらぷとしよう︒

この点より上向きに垂直線をえがき︒生産力曲線との交点E点を求める︒このE点で生産力曲線との接線をとり︑こ

れが︑縦軸と交わる点を町としよう︒

(

)l

f

(

f)

om

点より垂直線恥に向って横軸に平行な直線をえがき︑これがれ山線と交わる点をe点とする

om

の高さが

U

hに対応する労働の限界生産物であるoこのようにして各庄産期間に対応するe点の軌跡が附曲線をあたえる o

グラフにおいて札口で示される賃銀水準は開示曲線と即曲線との交点より求めた賃銀水準一wより高い︒引の賃銀水

準では︑個別的な企業にとってはhで示された生産期聞が最適であることは明らかである︒したがって︑企業者の合

理的行動を仮定するかぎり生産期間hを選択しようとするのであろう︒確に賃銀率の上昇は他の条件を不変とする限'

り︑最適生産期聞を延長せしめる︒しかし︑マクロ水準では︑社会的資本Kは一定という制約がある︒そこで︑w川 の

水準では生産期間らである場合にのみ資本ストックの存在量は完全雇用をあたえる︒W川で﹁八

fであるから労働の

超過供給が生じ賃銀率は低落する︒もし一w以下の賃銀水準では︑労働の超過需要が生じ賃銀率は上昇するであろう︒

w

と 一

tとが均衡賃銀率と均衡生産期間を示す︒均衡賃銀率は生産力函数を所与とすれば一人当り資本の量が大であるも

ほど高い︒利子率は︑

7 M M

(

)¥

] ) H

(M O)  

である︒賃銀率水準が高ければ生産期間はより長く︑利子率の水準はより低くなる︒このことはベエi

n w  

した算術例ではつぎのととく示される︒Kを一五O

L

は 一

000

Kは一五O万の企業に

生産期聞に関する覚書

(14)

平等に分配されているとすると各企業の所有資本は一万グルデンである︒賃銀率が一二

O

Oグルデンであると︑各個の

企業にとって最も有利な生産期間は三年であり︑利子率は五一%となる︒

i l ‑ f 1 1 ‑ f l T l  

E

」問団│利子吋」錨1;鋪│ 1E40劃人I15f0l

21  3fll33.661 5mf01  33.3%31  4l355fH16.331‑2mfl ll=13mfl 501  ‑1  1530: 22.221 2301  51.111i  5301  11.111  ‑701  ‑115301 13.331  3014  4 [ 5801  16. 66[  280[  46.67[[ 580[  8. 33[  ‑20[  ‑[[  580[  10  [  80[  8 [  5 620  13.33  3201  42.67  620  6.66  620  8  120  9  6 650  11.11  350  38.89  650  5.55  5012.77  650  6.66  150 10  7 670  9.52  370  35.22  670  4.76  670  5.71  170  9.7  32.08  685  4.16  8513.54  685  5  185  9.2  9 6951  7.401 395  29.25  695  3.70  ~~i~'~~ 695  4.44  195  8.7 

10  7001  6.661 400  26.67  700  3.33  100:3.33  700  4  200  8 

各個の企業における労働需要は二二・二二人であり︑総資本一五O

ルデンでは︑三︑三三三万人である︒労働の需要超過を生じ︑賃銀率を

上昇せしめる︒賃銀率が六

O

Oグルデンでは︑各個の企業にとって最も

有利な生産期間は八年で︑利子率は一二・五四%となる︒総労働需要は六

二五万人となり︑労労の超過供給が生じ︑賃銀率は下落する︒それ故に

O

Oグルデンの賃銀水準では均衡は成立しない︒このような模索の結

果︑賃銀率が五

O

Oグルデンとなったとしよう︒各個の企業で最適生産

期間は六年で︑この場合︑労働の需給は一致し︑完全雇用均衡は成立す

る︒利子率は一

O M

m

(

OW

¥

¥ N H

一 切 ︹

)O

(

)

N問 ︑

( 同 ) ¥

当 日 ︒ ︑

賃銀は前払であるから各労働者は利子率で割引かれた労働の限界生産物

にひとしく支払を受ける︒労働の限界生産物は︑

80 2+

・ c0

cI

vu

oo

年当り平均生産物は六五Oグルデンであるから六年間で三九

O Oグルデ

一人当り支払賃銀は三000グルデンとなる︒ところでω

より明らかであるごとく︑

問 ︑ (

)

V O

即ち生産期間の延

(15)

長が生産的であるかぎり利子率は零とはならない︒零より大となる場

ω

合の方がより高いから︑労働者は資本と協働する乙とにより﹄頃本の蓄積により利益をうけることが明らかである︒

MWウイクセルも﹁資本家的貯蓄者は根本的には労働の味方である﹂といい︑資本の増加は︑その効果が急激な労働力の

増加をともなわないかぎり︑資本利子の低落と賃銀率の上昇を惹起せしめるといっている︒もっとも所得の分配率と

賃銀率は生産期間が零の場合よりも︑

いう点からいえば資本蓄積の効果はそれほど簡単なものではない︒賃銀率の上昇は必ずしも労働所得分配率の上昇を

意味するとはかぎらないのである︒資本蓄積と所得の絶対的分配と相対的分配との関係を吟味し︑資本理論と所得分

配理論とを綜合せしめた意味でウイクセルの資本理論は近代マクロ的分配理論への一つの出発点とも考えるべきであ

AMW 

前日刷

る ︒

lム・パヴエルクは︑経済を単一の消費財部門よりなるものとして︑資本を完成への途上にある未成熟財のス

トツクとして取扱った︒そして仮定により︑

問 ︑ (

) V

O

そこで資本ストックの大きさにかかわらず︑利子率は︑零と

はなりえない︒しかし︑二部門経済をとりあげ︑たとえば機械が消費財生産のみならず機械自体の生産にも使用され

(

) V

O

であっても︑利子率を零にまで低落せしめる可能性は考えられる︒資本の増

分は︑正の産出量増加を生ずるとしても︑増分は逓滅的である︒しかし︑資本維持の費用はコンスタントである口そ

乙で︑資本の組産出物が丁度減価償却費にひとしくなる時点が到来する︒その点で資本の純生産物は零となり︑正の

時間選好がない場合には︑利子率は零になるであろう︒

空産期間という概念は︑資本がもっぱら流動的な資本から成立っているような場合には比較的単純な概念であるが守

生産部門が多数化し︑各部門が他部門の産出物を投入物として使用し︑且耐久的な機械の生産と使用とがおこなわれ

るような経済では︑生産期間の正確な測定は︑きわめて困難となる︒クラiクやナイトは固定資本と流動資本について

(16)

平均生産期間は特殊な場合以外は算定不可能であり︑計算しても無限の長きとなると主張した︒

生産期間は絶対的生産期間と平均庄産期間に区別して考えられ︑また投資期間という概念が関連的に使用される︒

これらの概念は単一の生産物︑単一の生産要素︑或いは全体としての経済に適用される︒最終生産物に適用される場

合には生産プロセスの結果から開始に向って回顧的にながめている︒また生産要素に適用される場合には︑投入のは

じめからプロセスの完成に向って予見にながめているのである︒ベエlム・パヴエルクはどちらかというと生産物の

回顧的な見方をとり︑ウイクセルやハイエクは生産要素の予見的観点をとっている︒以下においてベエlム・パヴエ

ルク自身による生産期間の算定方法について若干の考察をおこなう︒

iム・パヴエルクは絶対的生産期間についてつぎのように述べている︒﹁消費財の生産期間は厳密にいえば︑

その最初の中間生産物の生産に着手された瞬間から︑消費財自体の完成にいたる点まで計算さるべきである︒資本を

使用しない生産が殆んど全くなくなってしまい︑且亦一代の人々がそれ以前の世代の人々がつくった中間生産物にた

よっているところのわれわれの時代では︑厳密に計算すれば︑ほとんどすべての消費財の生産期間の始点は旧き過去

の数世紀にまで遡るであろう︒いま︑彼のナイフで柳の枝を切断する子供は︑厳密にいえば︑数世紀前にそのナイフ

の刃のための鉱石を採堀すべく竪坑をほるためにはじめて鋤を使った坑夫の仕事の継続者にすぎない︒勿論︑その数

世紀前の最初の労働のうち︑無限に小さい︑計算しえない且亦とるにたらぬ部分のみが今日の完成生産物に役立つに

すぎない︒それ故に柳の校に支出された資本性の程度を︑労働の最初の投下部分と︑仕事の完結その問の絶対的期間

(17)

ANW によって評価せんとするならば︑きわめて誤まった観念をあたえることになるであろうに絶対的生産期間を最も厳密

に解釈すれば測定不可能であるかも知れない︒しかし︑通常の意味で︑一生産プロセスの始点と終点とが明らかであ

れば絶対的期聞を計算することはできる︒

l

ム ︑

モデルでこの絶対的生産期聞をtで示した︒そし

て投入がその期聞に均一的に配分される場合︑平均生産期間は絶対期間の丁度12となった︒ところで︑ベエl

は平均生産期間を﹁どの仕事にしろ連続的に使用さ仰る労働と土地用役のような本源的生産力の投入と︑完成消費財

VHの産出との聞に︑平均的に︑経過する時間﹂と定義しこの期聞を重視する︒ベエlムの例をあげよう︒消費財の生産

にまず三単位の本源的要素としての労働が二年間︑ついで二単位の労働が一年間投入されるとする︒平均生産期間は︑ω×

N + N  

I q

‑ ‑

∞として算出される︒この方法で算定されると︑先に投入された労働単位は︑後に投入されたものより

も︑乙の平均期間の長さに対してより大きく影響している︒いづれにしても労働が毎年非均一的に投入されると︑投

入に日付をつけウエイトをつけなければならぬ︒加重算術平均として求められている︒ところで︑もし労働が異質的

であり︑その報酬率も異るならば︑投資期間は投入単位数でなく︑その総価値でウエイトをつけねばならぬ︒ベエl

ムは労働単位は同質的と仮定しているからこのような問題は勿論おこらない︒ベエlムの算数例をあげると︑或る消

費財の生産に一

0

0日の労働が必要とする︒そのうち一日の労働が九年前に︑さらに一日の労働が八年前に七年前・:

:一年前に投下され︑残りの九O日の労働が仕事の完了する直前に投下されるとする口加重算術平均で︑

1 1  

(

×

(

)

×

)

+:

×

)

+(

ωO

×O

)

)+

O

H

0ω ω

(M

)

平均生産期間はO︑五五年である︒もう一つの例は︑十年聞に一

0

0日の労働が必要とするが労働投入率が異なる︒

即ち︑最初の年に二O日の労働を︑第二年に二O日の労働を︑第三年から第一O年まで五日の労働を︑残りの二O

生産期聞に関する党書

(18)

の労働を仕事の完了直前に投入するとする︒

U

1 1  

(M

O×

)

+(

MO

×

)+

(

×

)+

:

+(

×

)

+(

MO

×O

)

{

O

‑ m

( MM )

 

平均生産期間は五︑六年となる︒平均を構成する要素の大きさが非常に異なる場合には︑平均値自体は選択される平

均化の仕方によって影響をうける︒何故に平均期聞を算術平均で計算するのか︑幾何平均や調和平均で計算しないの

か︑加重幾何平均では︑前者の例では︑

o +

+ +

 ( 札 明

i ) 3 1

ω

(M ω)  

となる︒零の幾何平均をさげるために一日の製作期間を仮定しなければならぬ︒もしベエlムの例に同一のことを仮

定すると算術平均では一︑四五年となる︒一般的にいって︑幾何平均よりも算術平均を選捌すべき理由はない︒しかも二つは常に異なった結果をあたえる︒このことは︑フイッシヤーがベエlムの方法に対して設問した点である︒ベ

lム自身はこのフイッシヤlの疑問には答えなかった︒もっとも︑平均生産期間は︑資本の主と構造の相違により

て特徴づけられるそれぞれの均衡状態を比較する資本集約皮の指標をあたえることを目的とする︒との目的には︑比

較の途中で平均の方法会変更しないかぎりどの平均も役立つ︒しかし︑ベエlムの計算には丞大な欠点がある︒ウイクセルも指摘するととくベエlムの計算は単利計算であり複利計算では異なった結果が生ずる︒投入物が利子を取得

するという事実はベエlムの例には陽表的にあらわれていない︒これは利子要因は︑投入物が単利を取得する場合に

は︑常に相殺してしまうからである︒例えば︑年一単位の労働が二年間投入され︑さらにもう一単位の労働が一年間

参照

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