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児玉元平

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(1)

ウイクセル資本理論の 基本的性格について

−現代資本理論の視点から−

児玉元平

1

ヒックスによれば,生産過程は投入の流れを産出の流れに転換するひとつ の組織である1)。この生産過程の時間的構造を資本分析の中心課題として取 上げた理論が,ベエーム=ウイクセルによって代表されるオーストリア資本 理論であった。資本の理論は,資本主義的生産の時間的構造に関する理論で あった。生産の迂回的方法,生産期問という概念は,時間の経過と資本主義 的生産との密接な関係を表示する基本概念であった。もっとも,生産の迂回 性,生産期問,投資期間という概念の使用については,現代の資本理論にあ っては否定的傾向が存在するにしても,これらの概念によって資本主義的生 産の本質を的確に把捉した点においては,今日の水準ですら,オーストリア 理論に代位する代系的な資本理論はいまだ見出されない。ヒックスの新しい 展開もこの事実の一面を示しているものと考えてよい2)0本稿は,現代資本 理論の視点から,ウイクセル資本理論の基本的性格を吟味し,その理論の持

っ今日的意義を明らかにすることを目的とする。

2

ヒックスによれば,ウイクセル経済学は価値の問題についてはワルラス派 であり,資本の問題についてはオーストリア派であった3)。確かに,ウイク セルは,その経済分析の一般的方法としては,ワルラス的一般均衡分析の線 上を歩むが,その資本分析においては,ワルラスから離脱し,ジェボンズ,

(2)

ベエーム・パヴエルクの線にそって理論を展開しているo そこで,われわれ は,ウイクセノレが,その資本理論の展開においてワJレラスより離脱した根本 的な理由乃至根拠について若干の考察をあたえようD そのことはまた,ウイ クセノレ資本分析の基本的性格を明確にするに役立つであろう。

ウイクセJレにあっては,資本理論の第一次的目的は,資本主義的生産過程 を分析する乙とであり,利子率,賃金率,地代と,生産の時間的構造との聞 の関係を明らかにすることであった。資本の理論は,資本主義的生産の理論 であった。乙こで資本主義的生産過程とは,資本を使用する過程をいうo イクセノレによれば,ワノレラスの理論は,たとえ耐久財をモデノレに導入してい るにしても非資本主義的生産の理論にすぎない4) o 乙のような反省は,ハイ エクにおいても存在するoハイエクによれば,資本理論が従来たんに利子率 の存在とその決定を説明する理論の付属物かのごとく取扱われてきたところ に,資本理論の発展に不幸な結果をもたらしたのである的。その反省が彼を してベエーム=ウイクセノレの線にそったと乙ろの資本構造の理論を展開せし めるにいたったのであり,資本と利子の理論は彼によれば生産の時間的構造 の問題と不可分的に結びついているのであるの。

ところで,ワノレラスの資本利子論が彼の一般均衡理論体系において占める 位置について, ヒックスは,つぎのような説明をあたえているo

i

ワノレラス の資本理論は,パレートによって簡単に無視された。それは,なんらの承認 されたロザーヌ的伝統とはならなかったし,逆に逸脱的なものとして排除さ れる可能性を含むものであるo それにもかかわらず,この資本理論は,それ が有用な理論となるためには,細部にわたって補修の必要があるにしても,

7)

長所をもっている

J

ワルフスが,彼の資本理論において取り上げた資本 は,固定資本財であり,それは虚構的な商品E,又は有価証券を想定すると とによって,永久的存在に転置せられる。而も,純収益率(利子率)決定に あたって取り上げられた資本財価格は,新資本財の価格であり,乙の価格が その生産費にひとしいという条件によって純収益率が決まる。新資本財市場 が問題となるから,この財にたいする需要として,純貯蓄の存在が必要とさ れるにいたり,乙乙

ζ l

,ワノレラスをして発展的経済の想定を不可避ならしめ

(3)

o Jレラスの分析にたいするウイクセノレの批判は,先ず乙の発展的経済の 想定を必要とするという点にあてられるoウイクセノレ自身のワノレラス分析に たいする攻撃は,彼の生涯にわたってかなりの変化をみているが,第一次的 には,利子率決定の問題ば,乙の発展的経済の想定の下でのみ取り上げるべ きであるかどうかという点であった。

ワノレラス資本理論が,ロザーヌ的伝統よりの逸脱であるという評価の理由 を,安井琢磨教授はつぎのように説明する。

r

ワノレラスの取扱いが,もっぱ ら,固定資本に体現せられた営利資本のもたらす利子,この意味においてベ エームのいわゆる耐久財からの利子に限られ,生産過程そのものから生ずる 生産利子,換言すれば,ベエームの所謂企業家の資本利潤にたいしてなんら の立言をもなしえないこと,乙れであるo後者こそ理論経済学上のもっとも 基礎的な利子範鴎であるにかかわらず,これに満足すべき解明をあたえなか ったところに,ワノレラスの利子理論がロザーヌ的伝統からの逸脱のごとく看 倣され,彼の系統を引く学者によってさえ従来重視されなかった一半の理由 が存するのであろうo そして,かかる欠陥を生ぜしめた原因は,彼が生産にお ける時間要素,すなわち,生産期間の意義を十分に把握しなかった事情に求 められるo約言すれば,ワノレラスの利子利論は,耐久財からの利子の説明と しても,固定資本の耐久期間を無視する点において不完全であり,企業家の 資本利潤の説明に関しては,生産期間を拾象することによって全く無力とな 8)

J

安井教授の説明は,ワノレラス分析のもつ欠陥を端的に指摘したもの であり,ウイクセノレのワノレラス批判も全くこの線上にあった。

資本理論においてワノレラスとウイクセノレが提起した問題意識は異質的なも のであり,ワノレラスでは,資本財価格,したがって,利子率の決定メカニズ ムの解明が第一次的問題であった。そのために,交換と生産の一般的均衡分 析を前提とした。ワノレラスの効用関数には固定資本財を永久的存在に転置せ しめる虚構的商品

E

が導入されており,資本財の売買は,どちらかといえ ば,消費者的立場から考察されているD ウイクセノレにあっては,企業家的側 面から生産における資本の根本的役割を分析することが第一次的課題であ り,生産プロセスの時間的変化と企業家利潤との関係を考察する乙とが資本

(4)

理論の基本的問題であった。

既述のごとく,ワノレラスは,純貯蓄が存在する発展的経済を想定するo ルラスは,消費者が供給する要素用役の価値が,消費者の需要する財の価値 をこえる超過額を,収入の消賀超過額という9)。ワノレラスは,この超過額の 正負の場合を考察するo個人は,その所有する用役を自分自身で費消する部 分をのぞいて全部売却するだけでなく,彼の資本財・の一部をも売却するもの と想定しなければならぬD これを資本の食い潰しというo この負の超過額が 個々人の資本財の総価値より大であるという乙ともおこりうるo

r

その場

合,われわれの個人は,自分自身の財産だけでなく,他の人々の財産をも浪 費している10)。」ここで三つの可能性が考えられる。

( 1 )

資本財の減価償却 と保険とをカバーするに必要な額に丁度ひとしい正の超過額。この場合,個 人は,その所有する資本財の呈を増減せしめることなくコンスタントに保有 する。

( 2 )

減価償却と保険に必要な額より小なる超過額。乙の場合,個人は,

その資本財の一部を賀消している口

( 3 )

減価償却と保険に必要な額より大なる 超過額。この場合,個人は,その資本財の量を増大している。生産者は,新 資本財を生産する口ワノレラスは,乙乙で貯蓄を定義する。

r

貯蓄は,所得の 消費超過額と本来の意味における資本の償却と保険をカバーするに必要な額 との正の差である11)

J

ここで定義された貯蓄は純貯蓄を意味し,所得の 消費超過額は粗貯蓄と解してもよい。以上の考察はミクロ的であるO 純貯蓄 が正であれば保有資本量は増大する。マクロ的水準に拡大しでも以上の推 理は妥当する。かくて,ワjレラスによれば,純貯蓄が正であれば,固定資本 量は増大し,乙の場合が発展的経済と定義されるO 静態経済では純貯蓄は零 で固定資本量はコンスタントである。ところで,ワノレラスはまたつぎのよう に述べているo

r

交換方程式の左辺には正の用役供給を,右辺には正の生産 物需要をおかねばならぬから,われわれは,後者の項目に新資本財需要を付 加し,乙れは常に正と仮定する。この仮定をおくことによって,われわれ

(5)

は,発展的社会における新資本財生産の研究に限定し,退歩的社会における 現存資本財の消耗に関する研究は省略することにする12) 

J

乙のワノレラス の文句について, リンダーノレはつぎのような批判をあたえている。

i

乙れは もとより誤りである。純貯蓄が正であるかぎりにおいてのみ,社会は発展的 であり,ワノレラス自身が注意したように,新資本財需要が,旧資本財の償却 や保険よりも大でないかぎり,正の純貯蓄は存在しないのである13)

J

とより, リンダーノレは, ワノレラスの分析を低く評価しているわけではない。

資本及び利子の問題を一般価格形成の問題と結び、つけた点でワルラスの功績 を高く評価しているo しかし, リンダールにあっても,ワノレラス分析の難点 は,生産における時間的要素の重要性を無視した点にあった。

i

ワノレラスの 資本の取扱いは,ベエーム・パヴェノレク学派のそれにくらべて洞察力におと o jレラスは,資本財の置換率,したがって,その耐久期間を与件と看倣 すことによって,投資期間の長さと利子率との聞の重要な関連に関する研究 の可能性を排除している14)口」

キューンもまたワノレラスの表現について同じような批判をあたえているo

「ワノレラスは,発展的状態の説明においてあいまいな分析の罪をおかしてい る。困難は彼の著書の

2 4 4 " " 2 4 5

頁における奇妙な文句にはじまるo そ乙で は,彼はつぎのような意見を述べているD 即ち,静態では資本財の販売と購 入は生じない。なんとなれば,かかる財は,その費用をこえる純収益の比率 においてのみ交換されるものであり,交換当事者のどちらかには利益は帰属 しないのであるO ワノレラスは,つぎのように仮定するD 資本財の置換は自動 的であり交換がなくても生起する。(またはかかる財は永久的であると仮定 するo ここでワノレラスは減価償却に関する議論を終了する。)さらに,利子 率が存在しうる以前には正の純貯蓄が存在しなければならぬという不必要な 条件をおいている15)

ところで,ワノレラスは,発展的経済を想定したにもかかわらず,静態的な 均衡分析の用具を使用している。その理由はど乙に見出さるべきであるか。

jレラス自身の分析は一期閥単位に限定されており,そこで,ワjレラスによ れば,経済の与件が一期間不変とされるならば,その経済はその期間静態的

(6)

と看倣されるというのである

r

たとえ,経済が発展的となっているにして ら新資本財が,その考察期聞に続く期聞にいたるまでその経済になんらの 役割を演じていないという事実によって,経済はさしあたって静態的なので ある16)

J

ところで,ワノレラスにあっては,

I

既述のごとく,静態的な経済 においては新資本財の売買はおこりえないのである。かかる財の交換は費用 をこえる収益があってのみおこりうるのであり,資本財の売買,価格,した がって,利子率という現象をみるためには,発展的経済を想定すべきだとい うのである。資本変化の効果は動態的現象であることは勿論である。資本蓄 積は動態的に取扱わるべき現象である。しかし,静態においては,資本財の 生産したがって売買が存在しないという考え方は誤りであるo ワノレラスは,

資本財の売買をどちらかというと消費者家計の側面から考察しているo しか し,生産における資本維持という観点からいえば,資本の補填は必要であ り,したがって,資本の生産がおこなわれるはずである。固定的な資本財が 物理的に永久的な存在でなく,破壊消耗せられるものであるかぎり,静態に おいても資本の補填,資本財の生産があり,その生産費,価格も存在するは ずである。資本市場の存在を見るためには必ずしも発展的経済を想定しなけ ればならぬという理由はない。静態経済においても,資本が生産され,売買

され,使用されている限り,資本分析は可能となるo

乙乙で,ウイクセノレは,ワノレラスの発展的経済の想定を批判する

r

……

…この点で,わたくしは,以前ワノレラスにたいしてなした異議一一彼の利子 理論は必然的に発展的社会を前提とするということーーを撤回しなければな らぬD 事実,ワノレラス自身はそうのべている乙とだが,事の真相は,ワノレラ スの理論はまさに静態にも適用でき,また,それによって一層厳密さを増す のであるD 根本的仮定はこうであるD 生産要素は,将来においても現在にお いても同ーの相対価値或いは価格をもっという乙とであるo現実において,

乙れは静態にたいしてあてはまるo しかし,生産の均一的増加が想定されな ければ,これは発展的経済には妥当しない。厳密にいえば,生産の均一的増 加ということは考えられないのであるo なぜならば,自然力の総体は増加し えないからである17) 

J

ウイクセノレの資本理論は,勤学的な指向があった

(7)

にしろ静態経済の理論にとどまったのである。

ところで,現代の資本理論において,技術の再転換,資本の逆転の問題と 関連してウイクセノレ効果の問題が論議されている18) o 乙れらの論議は通常 ケンプリッヂ論争として知られており,また,ウイクセノレ効果については別 稿において詳細に論及しているから19) 本稿では,ウイクセノレの静態経済の 分析との関連において,このウイクセノレ自身によるウイクセノレ効果の指摘の 意味を考察する。ウイクセノレ効果という名称は最初ユーアによって使用され たが20) この場合のウイクセノレ効果は今日の使用方法では価格ウイクセノレ 効果をさす。静態的経済の下では,実質賃金率と資本産出比率との聞には確 定的な関係の存在することを示すことができるD 乙の資本産出比率は,生産 技術の変化と,資本財価格の変化を通じて,実質賃金の変化によって影響を 受けるo資本財価格への影響は,ウイクセノレ効果とよばれる。正常的には,

賃金率水準が高くなれば生産方法はより機械化され,資本産出比率はより高 くなるo 乙れは,ロビンソンの「資本蓄積論」において導出された命題であ る。この命題はその後,技術転換の問題としてはげしく論議されているもの である21)。この点で, ウイクセノレ効果はウイクセノレとロビンソンを連結せ しめる一つの媒介項であり,さらに進んで,ロビンソンでは[""蓄積ならび に賃金と利潤の決定の全理論にたいする鍵」でもあった22〉o ウイクセノレ自 身は,ウイクセノレ効果を,賃金率の上昇による生産期間延長の阻害効果,資 本の社会的限界生産物と利子率との聞の離反という側面から吟味している。

乙の問題提起の仕方は,根本的には, ミクロ経済分析とマクロ経済分析との 問に存在するギャップを指摘することであり,チューネンの限界生産力命題 にたいする批判として示されたものであった。乙の効果の指摘はベエーム資 本理論には全く欠除していたものであり,ロビンソンがウイクセノレ資本理論 を高く評価した理由の一半は, このウイクセノレ効果の指摘にあったのであ る。ロビンソンは,ウイクセノレ効果を生産費の側面から考察し,資本財の再 生産費とその歴史的費用との君臨としてとらまえるo今日では,ウイクセノレ 効果は価格ウイクセノレ効果と実質ウイクセjレ効果とに区分し,資本価値とそ の変化に関する測定問題として取り上げられているo

(8)

われわれも,ロビンソンと同様に,乙のウイクセノレ効果の指摘こそ,ウイ クセノレ資本理論をして,たんなるベエーム資本理論の数学的定式化という水 準を遥かにこえた高い水準に上昇せしめた要因のーっと考える。

r

ウイクセ ノレは.生産期間の長さそれ自身では,労働にたいする資本の比率を決定する ものではないことを指摘するO なんとなれば,所与の生産に必要な資本の価 値は実質賃金率に依存するからである。このことは,生産期間の長さは,実 質資本比率をあらわす過度に単純化された方法であるという反論以上に,ベ ェーム・パヴエノレクの理論にたいするはるかに根本的な批判である23)

ここで, ウイクセノレ効果の吟味が, ウイクセノレの資本分析に内蔵されていた 問題の性格を明確ならしめるにいたった。本来,ウイクセノレの資本分析は比 較静学的であった,完全雇用の静態的経済が想定された。ウイクセル効果の 指摘も乙の仮定の下でなされた。これに反して,ロビンソンでは,ウイクセ ノレ効果の問題は,資本蓄積過程において生起する動態的な問題であった。ウ イクセノレ効果という名前で知られているこのパズノレ的性格の問題は,ロビン ソンにあっては,深化的投資,資本労働比率,資本産出比率の上昇,技術の メカニゼーションの程度の上昇,生産期間の延長化を含む経済の発展に関連 する問題であった。

r

このプロセスが進行するにつれて労働の実質賃金率が 上昇し,資本利潤率は低落するD 乙のパズルは,乙れらの変化が資本設備の 項目の価値に及ぼす影響に関するものであるD 問題の背景は最高度にアカデ ミック的である24)

J

ロビンソンでは, ウイクセノレ効果は一方において資 本蓄積と賃金利潤決定理論の鍵であるとともに.他方において,ウイクセル 効果は,パズ、ノレ的な性格を持つ高度にアカデミックな問題なのであるO 乙こ に,スワンのロビンソンにたいする批判が生れるO 即ち,負のウイクセル効 果は正のウイクセノレ効果と同様に生起し易く,そのこと自体は決してパズ、ノレ 的性格のものではない。むしろ,パズノレなのは資本財と生産物との閣の相対 価値が予測しえない方向にシフトする可能性を,ロビンソンが蓄積及び賃金 利潤決定理論の鍵となみしたかということであった25)。スワンによるウイ クセノレ効果の解釈は,資本ストックの再評価の問題であり,価格ウイクセノレ 効果である。したがって,スワンによれば,資本増加を賃金と利子率の変化

(9)

にもとづく価値的側面を除外するように側定するならば,ウイクセノレ効果は 解消する。乙のスワンの仕方については,ウイクセノレ自身オーカーマン問題 に関連してその可能性を認識していた

26)

。し「かし, このオーカーマン問題 の考察においてウイクセ

j

レは,逆のウイクセノレ効果(彼自身の表現では,資 本の社会的限界生産物が利子率より大である

o

)の可能性を認識するにいた った。1"わたくしは,もはや,乙のきわめてパズル的な定式の説明に入るこ とができない。おそらく,それは,勤学理論の分野にぞくする。そこでは,

二つの異なった均衡の比較に限定することはできない。一つの均衡から他 の均衡への移行過程を研究しなければならない

27)

J ウイクセル効果の吟 味が,ウイクセノレをして,彼の資本分析のもつ静学的性格の限界を認識せし め,勤学理論への志向を生ぜしめるにいたったのであった。しかし,ウイク セノレは,ついに資本の勤学理論を展開するにいたらなかった。

ヒッグスのいうごとく,生産は時間的過程であり,資本(資本勘定)はそ の過程の現在の状態に関する報告書であるという考え方はオーストリア学派 特有のものでないかもしれない

28

に ま た , 資 本 と 時 間 と は 密 接 に 結 び つ い ているという思考で分析をすすめることは,それ自体必ずしもオーストリア 的分析方法をとるということを意味するものではない。

29)

しかし,生産過 程における時間的要素の重要性はウイクセノレ理論,一般的にオーストリア学 派の資本理論が最も強調するところであった。ウイクセノレがワルラスから離 れた最大の理由は,ワノレラスにおけるこの時間的要系・の無祝にあったとつ J 5 え られるのである。この点を再びウイクセノレの分析にそくして吟味してみよ

つ 。

ウイクセノレは,彼がワノレラス的分析より自 t l 脱した理由をまずつぎのように

説明する。1"ワノレラスは,以前の交換現象と同じ原理にしたがって,財・の生

産現象を実際的な方程式で要約するというきわめて宍誌に値する試をおこな

った。彼によれば,経済的生産は,生産物と労働,土地,資本の生産用役と

(10)

の聞の交換に外ならず,そして,最終的には,生産は,これら生産用役自身 の聞の交換ですらあると考えられるのであるo この分野では,ワノレラスの研 究は,おそらく,経済問題について今日まで書かれたもののなかで最も抽象 的且つ難解なものであるo 乙れらの問題に関する彼の仮定の重要性と彼の結 論の正当性を正確に評価することは決して容易な仕事ではない。しかし,わ たくしは,彼の生産理論は,資本の概念に関する彼の古風にして且つ一方的 な解釈一一それは,彼の表現の徹底的な改訂によってのみ除去されうるもの と考えられる一ーに関連した根本的な誤謬におかされていると確信すること ができた。それ故に,わたくしは,ワノレラスを去って,もっと最近の資本理 論ーーその出発点は既にヂェボンズに見出されるが,ベエーム・パヴェノレク の優れた労作「資本の積極理論」において十分に展開されたーーをとるよう になった30)

J

さらに,ウイクセノレは批判するo 1"ワノレラスが,厳密に数 学的な形態で展開した生産の理論は,それがいかに巧妙なものに見えようと も,その成果をして必ず虚妄ならしめざるをえない一つの原理的誤謬をおか しているD 即ち,そこでは,生産における時間の意義が全く無視されてい 31)

J

生産における時間的要素を無視するならば,資本の本質は把握で きないのであるo 1"ワノレラスの分析は,何故に一定量の現在社会資本が一定 水準の利子率一ーより高くまたより低くないところのーーを生ずるものであ るかという問題になんらの解答をあたえないのであるo生産における時間的 要素の重要性は,ワノレラスとその学派とによって決して適切に評価されてお らない。生産期間又は資本の投資期間という考え方は,ワノレラス=パレート の理論には存在しないのであるD その理論にあっては,資本と利子は,土地

と地代と同列なのであるO 換言すれば,その理論は,根本的には非資本主義 的状態の下における生産の理論にすぎないのであるD たとえ,耐久的な市も 表面的には破壊しない手段が考慮せられているにしても32)

ワノレラスにしろウイクセノレにしろ,共に資本の生産力的側面は強調されて いる。しかし, ウイクセノレ或いは一般にオーストリア資本理論における生産 力は,時間の生産力,待望の生産力,或いは時間によって変形された本源的 生産用役の生産力なのである。しかし,ワノレラスにあっては,乙の時間的側

(11)

面は意味はない。資本は単に他の生産要素と同列の要素にすぎないのであ D ウイクセJレは,ベエーム・パヴェノレク資本理論を更に前進発展せせしめ て,資本主義生産における時間乃至資本の時間的構造を特に強調した結果,

資本の時間的成層化,資本の水平的ディメンジョンと立体的ディメンジョ ン,資本投資の重心という概念を使用して,資本変化が賃金地代 a利子にあ たえる効果を,この両ディメンションの側面から考察している33)。リンダ

‑)レは,乙の分析こそ,資本理論におけるウイクセノレの最大級の重要な貢献 であると評価している

I

この基本的命題(資本の量が増加し,利子率が低 下するとき,概して,長期的投資は短期的投資よりも大なる割合で増加する という命題)は,ベエーム・パウ。エノレクにおいては判然といていない。彼 は,ただ全体としての社会の平均生産期間を考えていたのにすぎず,どのよ うにして,平均時間が,長さを具にした各種の投資から調合されているかと いう問題を無視しているoその統果として,彼にとっては,資本の増加は平 均生産期間の延長化をともない,それは事例の佐賀如何によるものだといい うるにすぎないのであるD そして,投資の延長化は,また個人の立場からし て,いかにして有利なものとなるかということを説明しているのにすぎない のであるD さまざまな現存資本投資は比例的に増加せず,比較的長期的投資 が有利となり,このことを通じて,資本増加にもとづく賃金その他の本源的 用役の価格上昇が中和されるという命題を明確に公式化した功績は,事実 上,ウイクセノレにあたえられるべきものと考えられる。それは,おそらく,

資本理論におけるウイクセノレの最も重要な業績であるといってもよい34)

この点で,ウイクセノレの使用した生産関数はきわめて縦断的な性質をおびて いるものと考えてよい。

ウイクセノレ資本理論の基本的性格を明確にするためには,その資本理論の 展開過程を見る必要があるo彼の資本理論は,三つの発展段階を経過して展 開されているo

第 1

の段階は

I

価値,資本及び地代

J

(1

8 9 3 )

で展開され

(12)

た理論であるo 乙こでは,消費財乃至生存基本で示される流動資本を中心と して,生産期間乃至投資期間と利子率,賃金率,地代との関係、が吟味されて いる。単利計算モデノレで分析が展開されており,乙の段階の資本理論は,ベ ヱーム・パヴェノレク理論の数学的展開及びその修正と考えられており,一般 的に,ベエーム=ウイクセノレモデ、ノレとして総括されているo しかし,この段 階の資本理論においてさえ,ウイクセノレの分析はベエームをこえて前進して いるO ウイクセノレ効果が既に明示的に考察されているのであるおに

第 2

の段階は,彼の「経済学誌義

J

(1

9 0

1)で展開された資本理論であ O 乙の段階では,資本構造乃至生産構造と賃金,利子率等との関係が体係 的に考察されており,ウイクセノレの資本の取扱いは,直進的に限界生産力分 析を呈示している。分析は複利計算モデソレで展開されているO また,ウイク セノレは,資本理論と分配理論とを接合するにあたり,生産関数という概念を 明示的に導入しているD 而も,一次の同次性を仮定した生産関数が既に分析 舞台に登場し,後年多くの経済学者が使用し,また誤用したダグラスタイプ の生産関係が使用されているなど,この段階におけるウイクセノレの資本分析 は,今日の水準においてもきわめて近代的な性格を持つものと考えてよい。

しかし,この段階ではまだ資本は流動資本であって,耐久的な固定資本は分 析の対象となっていない。

第 3

の段階は,ウイクセノレが,オーカーマンの「実物資本と資本利子」の 論評として発表した論文(1

9 2 3 )

において展開された資本分析である。ここ では,固定資本を中心として資本財の耐久期間と賃金率利子率との関連が分 析されているD オーカーマン=ウイクセノレモデ、ノレとして総括されるO この段 階における資本分析の特色は,既述のごとく,逆のウイクセル効果が成立す る可能性を指摘し,その結果として,勤学的分析の必要性が認識されるにい たったことであるD ソローはこのウイクセノレモデノレを使用して,固定資本財 の耐久期間と所得分配率との関係を吟味した36)

ところで,ウイクセノレの初期の分析では,賃金と地代にたいする前払的基 本としての資本の性格が強調されているo

r

消費しうる財,即ち,制限的な 使用行為の系列の中で,その全有用性を消尽するような財が,また,資本主

(13)

義的に使用され,したがって,その全価値が所有者によって貯蔵され,彼に 所得をあたえることができるという一見逆説的な現象一一経済メカニズムの この恒久的運動が,われわれはここで深く考察しようとする資本理論の真の 核心をなすものなのである37)

J

こ乙で,資本のもつ賃金,地代にたいす る前払金基本の性質から,ウイクセノレは,ワノレラスを批判してつぎのように 述べている

i

jレラスは,ただ耐久資本財のみを資本とよび,これを取扱 い,原料,半完成品,労働者の生存手段を資本として取扱わない口流動的な 資本の所有者が,労働者,地主に前払いするものを,ワjレラスは全く資本と して取扱わない。それ故に,ワノレラスにおいては,労働者と他の生産者は,

生産期間中に自分自身で扶養し,その生産的用役にたいする報酬は,生産の 完成後においてのみ,当該生産物の売上代金より受取ると暗黙的に仮定され ている。このことは明らかに誤りである。この解釈では,生産における資本 の真の役割が完全に看過される。かかる看過の必然的な統果は,これらの生 産と交換の方程式は利子率の水準についてなんらの知識をあたえることがで きないという乙とであるD もし,耐久財のみが資本とみなされるならば,あ る地代は上述の方程式によってこれらの各グノレーフ。にとってきまるが,財の 資本価値自体,したがって,利子率はきまらない。このことは,ワJレラスに よってはっきりと認められているD しかし,ワノレラスは,利子率水準をきめ るには,静態経済の吟味からその資本価値が生産賀から決定されるような新 しい利子生み資本財が生産されると乙ろの発展経済の吟味に転ずることが必 要であると主張するD これは確かに誤りであるD 静態経済においてもーーた とえ生産手段のすべてが破壊されるものと仮定しても一一流動資本の利子率 は疑いもなくきまるo なんとなれば,より長期の生産方法が有利であること が証明されるからであるo それ故に,ワノレラスの生産と資本の理論は誤まっ た仮定に依拠し不明確である38)

(14)

既述のごとく,生産期間という概念は,ベエーム=ウイクセル的資本モデ ノレでは中心的な分析概念であったD ウイクセノレによれば「この生産期間とい う新しい概念は,経済学の最も複雑な問題,いままで説明されておらない問 題を組織的に解明することを目的とする39) 

J

この概念は,経済的諸力の 働く一般的方向について十分に明確な見通しをあたえるととを目的とし,

「ある特定の消費財の生産にどれだけの労働と土地,したがって,資本が投 入されているかを確定することは勿論容易なことではないし,時には,論理 的にも不可能であるo各種の商品が一つの且つ同じプロセスの中で生産され る場合常に困難が生じるo (マーシヤノレ的用語でいえば結合供給の場合)し かし,この乙とは,総流動資本の量,その平均投資期間に関する理論的研究 をさまたげるものではない40) 。」計量性を無視する今日の傾向は,必然的 に,生産期間乃至投資期間という概念が,従前資本理論において占めていた 地位を喪失せしめるにいたったが,他方において,この概念のもつ経済的意 義を再認識する試みも存在しているoたとえば, ドノレフマンは,本源的要素 としての労働にならぷ生産要素としての地位を待望にあたえ,オーストリア 的資本理論における生産期間乃至投資期間の量的測定の可能性を証明してい o ドノレフマンは,生産期間の概念を浴糟定理の比愉をもって積極的に活用 している41)。また, ヒックスも,一般的にオーストリア理論のめざすもの は,生産計画の性格を示す指標であって,平均生産期間,投資期間という概 念は,その分析用具のーっとして,彼等の取り扱った単純な事例においては 有効であったとし,利子と生産計画との関係、をより有効に分析するためには 余剰流列の平均期間という概念を代替的に使用して,オーストリア学派の人 々が真に求めていたものはこれであると述べている42) o ヒックスにおいて は,この思考の展開は,資本の新オーストリア理論として結実するにいた

43)

生産期間をめぐる長き論争に或る意味で終止符をうったと考えられるカノレ ドアは,平均生産期間は或る場合には意味ある概念であるが,それは,動態

(15)

的な経済には不適切な概念である乙とを指摘している。そして,カノレドアは いう。

i

迂回性の法則は,それ自体不比例的収穫の一般法則か派生したもの にすぎない44)

J

そして,さらに

i

投資期間分析の目的は,生産関数を 二つの変数に縮約し,すべての生産された(可変的な〉要素の用役を待望で 代替せしめ,利子をもって待望の価格として取扱うととである。乙の方法 で一ーしかもこの方法でのみ一一資本を資本として労働と釣り合いのとれた 生産要素として取扱う乙とができるのである45) 。」カルドアはまた投資期 間がたとえ測定可能な大きさでないとしても,そのことは,ナイトが,しば しば主張したような,投資期間の概念が全く意味のない概念であるというこ と,即ち,投資期間の概念は資本の量と利子率とはなんらの相関関係をもた ないという乙と,とは全く別の乙となのであると述べている「迂回性の程度 について一つの指標をあたえることが可能であるかぎり,資本の増加は,よ り低い利子率と結び付くならば,必ずやより迂目的生産過程を採用せしめる ことを示すことができる46)

いづれにしても,この長き論争の不毛性がかえって経済学者の関心をし て,経済学の他の分野に転換せしめ,資本理論軽視という不幸な結果を招来 せしめたととは疑いない事実であった。勿論,とのととは,必ずしもオース トリア資本理論そのものの不毛性を意味するものではない。過去現在を通じ て,資本理論ほど難解且つ論争的な分野は他になかったと考えてよい。資本 理論という地塙は, リカルドの機械論以来不断ににたぎってきたのであっ た。或る意味で,多面的な資本現象の全てを説明するような資本の一般理論 は不可捻であるかもしれない。ウイクセノレを頂点とするオーストリア資本理 論もその意味で,一つの特殊理論と考えてもよい。しかし,資本と時間との 関係を明確にし,資本の時間的構造を的確に把握した点で,資本理論の内包 的基本性格を明示している47)

1 )   J .   R. Hicks ,  C a p i t a l  and T i r n e ,  1 9 7 3 .   P .   1 4 .   2 )   J .   R. Hicks ,  C a p i t a l  and T i r n e ,  1 9 7 3 .  

R.  M. Goodwin ,  E l e r n e n t a r y   Econornics  f r o r n   Higher  Standpoint , 

(16)

1 9 7 0 ,  P. 6 6 .  

3 )   J .   R. Hicks

, 

Value and C a p i t a l

, 

1 9 5 0

, 

P .   1 1 7 .  

4 )   Knut W i c k s e l l

, 

Lectures  on  P o l i t i c a l   Economy

, 

Volume  One

, 

1 9 3 4

, 

P  . 1 7

1. 

5 )   F .   Hayek

, 

The Pure Theory o f  C a p i t a l

, 

1 9 5 0

, 

PP.  4 . ‑ . . . . ‑5  .  6 )   F .   A. Lutz

, 

Z i n s t h e o r i e

, 

1 9 5 6

, 

S .   5 4 .  

7 )   J .   R.  Hicks

, 

"Leon Walras

" 

Econometrica

, 

1 9 3 4

, 

P .   3 4 5 .   8 )  

安井琢磨著「均衡分析の基本問題

J

(1

9 5 5 ) 2 7 ' ‑ " " ‑ 2 8 頁 。

9 )   L. Walras

, 

Elements  o f   Pure  Economics

, 

t r a n s l a t e d   by W. J a f f e

, 

P .   2 7 3 .  

1 0 )   L .   Walras ,  i b i d . ,  P .   2 7 3 .   1 1 )   L.  Walras ,  i b i d . ,  P .   2 7 4 .   1 2 )   L .   W  a l r  as ,  i b i d . ,  PP. 2 7 5 . ‑ . . . . ‑ 2 7 6 .  

1 3 )   E.  L i ndahl

. 

S t u d i e s   i n   t h e   Theory  o f   Money  and  C a p i t a l

, 

1 9 3 9

, 

P .  2 9 4 .  

1 4 )   E. L i ndahl ,  i b i d . .   P .  2 9 5 .  

1 5 )   Robert E.  Kuenne ,  The Theory o f   General  Economic  E q u i l i b r i u m ,  1 9 6 3 ,  P .   2 2 7 .  

1 6 )   L.  Walras i b i d . ,  P .  2 8 3 .  

1 7 )   K. W i c k s e l l

, 

Lectures

, 

Volume One

, 

PP. 2 2 6 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 2 2 7 .  

1 8 )   G.  C.  Harcourt ,  Some Cambridge  C o n t r o v e r s i e s   i n   t h e   Theory o f   C a p i t a l

, 

1 9 7 2 .  

T. K. Rymes

, 

On Concepts o f  C a p i t a l  and Technical Change

, 

1 9 7 2 .   M. Blaug

, 

The Cambridge

, 

R e v o l u t i o n

, 

1 9 7 4 .  

1 9 )  

拙著「ウィクセノレ資本理論の研究

J

(昭和

4 2

年初版,昭和

4 7

年第

2

版〉

2 0 )   C.  G.  Uhr

, 

"Knut  W i c k s e l l

, 

A C e n t e n n i a l   E v o l u t i o n

, 

American  Economic Review

, 

December

, 

1 9 5 1 .  

2 1 )   J  oan Robinson

, 

The Accumulation o f  C a p i t a l

, 

1 9 5 6

, 

P.  1 0 9 .   2 2 )   J .   Robinson

, 

The Accumulation

, 

P .   3 9 6 .  

2 3 )   J .   Robinson ,  The Accumulation ,  P. 3 9 6 .  

2 4 )   J .   Robinson

, 

C o l l e c t e d  Economic Papers

, 

1 9 6 0

, 

P .   1 8 5 .  

(17)

2 5 )   T. W. Swan ,  "Economic Growith and C a p i t a l  Accumulation , "   Economic  Record ,  1 9 5 6 ,  P .  3 6

1. 

2 o )   K. Wickse

1 l

Lectures

, 

Volume One

, 

P .  2 9 2 .   2 7 )   K. Wickse

l1 

i b i d . ,  P .   2 9 3 .  

2 8 )   J .   R. Hicks ,  C a p i t a l  and Time ,  P .   1 2 .  

2 9 )   C.  J .   B

1i

s s

, 

C a p i t a l   Theory and t h e   D i s t r i b u t i o n   o f   Income

, 

1 9 7 5

, 

P.7. 

3 0 )   K. Wickse

 l1

Value

, 

C a p i t a l  and Rent

, 

1 9 5 4

, 

PP. 2 0 " " " ‑ " 2

1. 

3 1 )   K. Wickse

1 l

Value

, 

C a p i t a l  and Rent

, 

P .  9 5 .  

3 2 )   K. Wickse

l1 

Lectures

, 

Volume

, 

One

, 

P .   1 7

1. 

3 3 )  

拙著「ウィクセル資本理論の研究

J 7 3

頁。

3 4 )   E. L i ndahl

, 

S t u d i e s  i n   t h e  Theorγof Money and C a p i t a l

, 

1 9 3 9

, 

P .  3 1 0 .   3 5 )  

拙著「ウィクセノレ資本理論の研究

J 1 3 " " " ‑ " 2 8

頁。

3 6 )   R. M. Solow ,  "N  o t e s   Towards  A  W i c k s e l l i a n   Model o f   D i s t r i b u t i v e   Shares , "   The  Theory  C a p i t a l ,  e d i t e d   by F .   A.  Lutz  and  D.  C. 

Hague ,  1 9 6 1 ,  P .  2 4 5 .  

3 7 )   K. W i c k s e l l

, 

Value

, 

C a p i t a l  and Rent

, 

P .   9 9 .   3 8 )   K. W i c k s e l l

, 

i b i d .

, 

P .   1 6 7 .  

3 9 )   K. W i c k s e l l ,  i b i d . ,  P .   1 3 0 .  

4 0 )   K. W i c k s e l l

, 

I n t e r e s t  and P r i c e s

, 

1 9 3 6

, 

P .   1 3 0 .   4 1 )   R.  Solow ,  C a p i t a l  and the Rate o f  I n t e r e s t ,  1 9 6 3 .  

Donald Dewey ,  Modern C a p i t a l  Theory ,  1 9 6 5 .  

R. Dorfman ,  "Waiting and the Period o f  Production , "   The Quarte

r1

y  Journal o f  Economics

, 

1 9 5 9

, 

P .   3 5 3 .  

4 2 )   J .   R.  Hicks ,  Value and Capita   , l PP. 2 1 8 " " " ‑ " 2 2 0 .   4 3 )   J .   R. Hicks

, 

C a p i t a l  and Time

, 

Preface

, 

v i  

4 4 )   N. Kaldor

, 

Essays on Value and D i s t r i b u t i o n

, 

1 9 6 0

, 

P .   1 7 4 .   4 5 )   N. Kaldor

, 

i b i d .

, 

P  . 1 8 9 .  

4 6 )   N.  Kaldor ,  i o i d . ,  P .   1 9

1. 

4 7 )  

リンダーノレによれば,経済学者としてのウィクセノレの貢献は,今日においてもな お,正しく且十分に評価されていないのである。乙の乙とは,特に彼の資本理論

(18)

についてあてはまる。

K.  W i c k s e l l ,  S e l e c t e d   P a p e r s   on Economic Theory ,  e d i t e d   w i t h   an 

l n t r o d u c t i o n  by E .   Lindah   , l 1 9 5 8

, 

P .   4 4 .  

参照

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