マーシャルにおける余剰分析の研究
児 玉 元 平
.
本稿は主としてマーシャルの消費者余剰の概念を中心として︑彼の余剰分析の基本的性格を検討しょうとするもの
である︒マーシャルにあっては余剰なる概念は勿論消費者余剰に限定されておるのではなく︑もっと多義的に使用さ
れている︒例えば彼の﹁原理﹂第六編分配論の冒頭で︑余剰の概念を生活必要品以上に与ふる余剰︑即ち一般的生活
水準を維持してなお余りある部分を指し︑国民の間にこの余剰を分配する場合に支配する一般的諸原因が伺んである
か求める点に分配論の目槙をおいている︒そしてこの場合の余剰概念は︑マーシャルの有名な ﹁生活水準﹂
︵S
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つい
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る︒
その他余剰の概念は彼の原板の本文の随所に存在し︑或る時はリカー下の地代と同意義にSurp−usprOduceなる言
l葉を使用し︑或は原種附録Kで︑生産者余剰︑労働者余剰︑貯蓄者余剰等の概念を使用し︑余剰一般についても論述
している︒しかしマーシャルが余剰なる概念をいろいろの異った意味において使用しているけれども︑彼の最も詳細
な分析の対象となったのは︑消費者余剰の概念であり︑マーシャル経済学の重要な分析用具の一つである︒ミントは
次の如く言う︒﹁マーシャルの経済学分析の重要な寄与は︑彼の余剰の分析であって︑その分析は彼の経済学の一つ
の基調をなす古典派的な見解︵労働理論的な見解︶と︑功利主義的哲学を受入れることなくて厚生分析のきわめて有2力な用点として使用しうるものであ㌔﹂ヒックスは嘗って次の如く述べたことがある︒﹁もし経済学者が新しい醇
マーシャルにおける余剰分析の研究 三七
経 営 と 経 済
八 代に適した輝済政策の大砲をつくる上におりて︑彼等の役割を演ずべきであるならば︑消費者余剰の基礎の上にきづ
円J
かねばならぬ
Q
﹂確に右のヒツクスの言葉は︑彼の無差別曲線分析の手法による消費者余剰好析の精密な展開によっ て証明づけられるものである︒そしてまたヒツクス介析の展開においても︑
マーシャルの分析がその基盤を提供した 高︑証明しうることである︒本稿ではとツクス及び彼以後の消費者余剰分析の発展をかえりみることはしないであろ
A吐e
う︒ここでは消費者余剰概念の原型たるマーシャルのそれを考察することによって︑その厚生経済学的令析としての
戸h u
基本的性格を明らかにすることを目的とする︒
註ω K M
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消費者︐の余剰概念の分析用具としての有用問を主援するヒヲグスに対し︑リヲトルは杏定的な態度をとる︒
余剰はなんら実際的客観的基準をわれわれにあたえないという意味で無用な玩具であるという︒同・冨
‑u
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・参罰M リヅトルは消費者
凶ヒヲグスを中心とした消費者余剰理論の発展を取扱った論文に次の如きものがある︒黒岩洋昌﹁︑消費者余剰理論の展開︑国
民経済雑誌第九五巻第三号所政︒
同消費者余剰分析の先脂性はデユピイにあると言う見解がある︒
文を
参照
︒
消費者余剰のマーシャル以前における展開については次の論
戸巧
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判明
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まず マ
1
シマルの消費者余剰の意味から検討していこう︒消費者余剰とは消費者が財の購入からうる満足の余剰を
貨幣額で示したものである︒マーシャルは次のように定義する﹁彼がその物を求めずにおるよりは︑むしろ支払わん
と欲する価格は︑彼が現実に支払う価格に超過するが︑この超過部分は即ち右余剰満足の経済的測度である︒これを
唱i
消費者余剰と呼んでい勺﹂この定義のグラフ的表示は﹁原理﹂
一二八頁及び附録Hでなされている︒消費者がうる
余剰または福利
( Z 5 2
同﹀は彼の有する機会(︒︒︒
2Z
ミ﹀あるいは環境E
( g i g
ロ自
g⑦から牧める︒マ1
シヤ
ルはまた時速
( n
g 古
RE Bl
大坂氏の訳語による)という一言葉を使用している︒この言葉は︑技術的経済的社会的
ワM
法律的諸条件の総計をい︑羽現在の与える環境或いは時述においてひとびとが牧める福利の意味での余剰はその性質 上絶対的な大きさのものである︒ところがマーシャルが消費者余剰において真に問題とするのは︑環境或いは時運の 変化にもとづく福利の意味においてである︒しかもこ
L
で環境或いは時運の変化は︑消費ずの購入する財の量価格の 変化を意味するから︑財の価格
l
数量の関係の変化から消費者が受けるところの損失︑利益を消費者余剰の損失叉は 増大と解釈される︒この意味の余剰は相対的な概念である︒マーシャルは﹁原理﹂附録
Kで次の如くいう︒﹁消費者
余剰は彼が消費者として環境或いは時速により受取るところの真正純福利である︒﹂そして﹁もし彼の環境が変化し て該貨物の供給を受け得ざるに致り︑これに費していた資力を己むなく他の諸貨物ーその価格において現在彼がこれ
円 ︒
以上の供給増加を欲せぬ物
l
に振り当てざるを得なくなれば彼はこの余剰を失うのである︒﹂右のマーシャルの文句 において環境の変化によって資力の振り向けられるべき他の貨物については既に消費の均衡が成立していることに注 意しよう︒従って他貨物への資力の転用からは何ら余剰は生じない︒失う純余剰は︑時速の変化によりで購入が不可
三九
マーシャルにおける余剰分析の研究
経 蛍 と 経 済
O 四
マーシャルは同じ個処で﹁消費者福利はまず最初個々の貨物と関係を有し︑こ
A吐の余剰の各部分は貨物取得条件に影響する時速の変化に直接の関係を有し︑これに応じて変化する︒﹂ところがその
附録
Kでマーシャルは余剰について次のことを指摘する︒﹁国民所得即ち国民分間分は悉く分即されて各生産要因の 能となった部分に関するのみである︒
所有者は限界率による報償を受けるにも拘らず︑なおこの所得即ち分配分は生産要因所有者に一の余剰を与える︒こ
FO
の余剰には二面がある︒この二面の各々は独立していないが全く別個の面である 4﹂その余剰の一面は消費者余剰で
マーシャルはこの生産者としての余剰を︑労働者余剰あり︑他の面は生産者として人が環境から受ける余剰である︒
と貯蓄者余剰に区別する︒方もこ
'A
で生産者とは広義に解釈されている︒即ち︑直接の労働によると︑その所有する
物的資力の蓄積によるとを問わないのである︒働労者が余剰を牧めるのは﹁作業が多くの積極的決楽を与うることあ
るにも拘らず︑彼の一切作業の報償率は︑作業最終部分l作業報償のために辛じて為さんと欲するに過ぎぬ部介lの
p o
報償率と同率だからであ向︒﹂そして資本家が余剰を受けるのは﹁彼の一切部分の貯蓄即ち待望の報償率はその一部
月il即ち貯蓄報償のために辛じて貯蓄せんと欲するに過ぎない部分lの報償率と同率だからであ吋匂﹂そうしてこれら
二面の余剰は各々独立的なものではない︒﹁これを計算する場合には同一物を二重に算入し易い︒蓋し生産者余剰を
計算する場合に︑生産者が労働または貯蓄から受ける一般賭買力の価値をもって︑これを計算するとすれば︑吾々は
既に暗黙の裡に彼の消費者余剰をも亦算入しているからである(但し彼の性格及び周囲の事情を与えられたものとす
n6
る)︒﹂そしてマーシャルはこの生産者余剰消費者余剰の聞に密接な関係があることを指摘し︑﹁ロピVヅV︑
ク Jレ
ーソ
1の生活の安楽苦痛を評定するに当っては︑彼の生産者余剰の計算中に当然彼の消費者余剰の全体も入るような
n u
方法をとるのが最も単純である︒﹂と述べている︒
この文脈から解釈しうる余剰の概念は情況の変化よりも現在.の情況において受けうる絶対的な余剰であるJマ1シ
ヤルの余剰の概念にはこのような二つの性格をもつものであるが︑彼の好析の中心は勿論相対的概念としての余剰に
ある
︒ しかも一財の価格変化に帰国する余剰の変化を測定するということであった︒元もマーシャルは﹁原理﹂の中
で)余剰を一特定財のみづなく全体としての社会単位でみた総余剰というものを考えないのではなかった︒例えば︑
﹁原理﹂の数学附録で経済的原因から社会が牧める総満足をH
の記号で示し︑努力とか犠牲等によって表わされる非
満足をV
の記
号で
一示
し︑
国l︿を社会にたいする総余剰と呼んでいる︒
しかしマーシャルはかかる社会的総計として
の余剰の正確なる計算は︑実際上は不可能であるとして﹁・:併し一切貨物の全部利用を合計して一切の富の全部利
用の総体を求めるということは︑最も綴密な数学公式のみの能くしうる所であってこれに工らねば不可能である︒こ れを用いてこの間屈を取扱わんとする一企図は先年行われた︒この企図によって著者はこれを理論上可能なりとして も︑その結果は多数の仮説を含み実際の役には立たぬと確信するに至った︒﹂更に
V︑即ち各財の生産にともなうと
ころの努力犠牲の合計は困難である︒﹁供給の諸力は殊に不等質複雑である︒これら諸カの中には︑凡ゆる積類の産
業階級に属する人・々の無限の努力︑犠牲l直接間接のl
が入っている︒故にこの説(社会の純総和としての満足極大 説)に具体的解釈を加える上に他に何等の障害なしとしても︑その中に能る仮定ほ既に一致命的障害となるであろう
ω
ーその仮定とは即ち小児の教育費養成費は機械設備費と同様杭測定し得るとの仮定である︒﹂
ピグ
Iもまた彼の﹁厚生経済学﹂の中でこのことにふれている︒かくてマーシャルは社会の総計的な余剰の計算を放
棄することによりて︑他の財の価格をコV
スグシトとする所謂部分分析の立場に立つことによって一特定財に関する
余剰の変化の問題に専念したのである︒
マーシャルの消究者余剰の分析はあくまで一特定財に関するものであり︑その分析の手法は所謂部分令析であり而し てまたその余剰の概念は相対的な概念であり︑価格の変化にともなう余剰の変化を介析することが彼の余剰令析の目
マーシャルにおける余剰分析の研究
四
経 営 と 経 済
四
的であった︒後年におけるヒツクスの研究をまたマーシャルの部分的余剰令析︑及び現実問題に対するその適用の間A切題から出発したものであっ九日︒
註ω
﹀・
富山
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む令大塚訳Iご五六頁
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¥N U
時︑理という言葉についてマーシャルは脚註で次の如く述べている︒
語であって英吉利経済学の痛切に感ずる必要に応ずる用語である︒ ﹁この用語は独乙経済学に於ては慣用の用
蓋し之が唯一の代用語たる﹁機会﹂﹁環境﹂とは時にや
L誤解に導くからである︒ワグナ
1
(者
おロ
2)
の一 一日 う所 によ れば 時浬 (の oロ }ロ ロ己 ロ円
︒﹀ とは
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︑経 済的
︑社 会的
︑法
律的諸条件の総計を意味する︒この時運は分業と私有財産l殊に土地その他の物質的生産手段たる私有財産lとに基礎をおく
国民 経済 (︿
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財の需要供給に従いその価値を決定する︒この決定は原則としては︑或は少なくも大
部分は所有者の意思に関係なく彼の活動と不活動とに関係はない︒﹂
同M
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・句 切口 大塚 訳間 四六 五頁
凶BE・司・∞匂大塚訳四四六六頁
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制
55
・HM・句旬︒犬塚訳拙四六五頁
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F∞
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大塚訳四四六五頁
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5・司・∞忠大塚訳叩四六六頁
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・MM・∞己大塚訳四四六七頁
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大塚
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22
・¥まも司・匂邦訳I六九頁︑ピグ1は次の如く述べている︒
﹁・
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1シ
ヤ ル の 示 し た 如 く
︑ 一 面 に お い て 補 完 的 商 品 お よ び 競 争 的 商 品 の 存 在 の ゆ え に
種々の困難が伴い︑これらの困難はたとえ精赦な数学の公式を用いて理論上は克服することができるにせよ︑実際上は確かに
打克ち難いものである︒﹂マーシャルの指摘する知く︑社会的総余剰を測定するコとの技術的困難から︑終にピグ
Jl
は余
剰と
いう概念を回避して実質国民分配分によって︑社会の経済的厚生を直接取り上げようとした︒しかしこの場合ピグ1
が問
題と
この方法で消費者余剰を合計する仕事には
したのは経済的厚生の大きさそのものでなく︑国民分国分の変化による経済的厚生の変化の問題であった︒このことはマ1シ
ヤルが消費者余剰を絶対的大きさとしてでなく︑価格の変化による余剰の増波︑という測定でとりあげた方法と同じである︒
間マーシャルははっきりと次の如く述べている︒﹁消費者余剰学説の主要な応用は︑問題の貨物が通例価格の近接点において
微動する場合に伴って生ずる消費者余剰の変化に関連する︒﹂
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二七
六頁
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主ト
マーシャルの若名な茶の購入例によって個々人の消費者余剰を考察する︒
﹁今或る人の場合をとる︒この人は茶の 価格が一封度二十志ならば辛うじて年.々一封皮買おうとし︑価格が十四志ならば辛うじて二封度買おうとし︑価格が 十志ならば三封度︑価格が六志ならば四封度︑価格が四士山ならば五封度︑価格が三志ならば六封度を買おうとし︑事
1i
実としては価格が二志であって彼は七封皮を買うものとする︒﹂
右のマーシャルの文句をグラフで一示すと茶に対する或る個人の右下りの需要曲線がえがかれる︒この需要曲線は勿論 消費者の趣味︑所得及び他財の価格をコンスタシトと仮定してえがかれるものである︒最初価格を二十志と仮定しこ
L
から出発する︒もし価格が十四志に下落するならば︑二十八志で二封度を買う︒しかるに消費者は最初の一封度分 については二十志支払ってもよいと考えていたのであるから︑第一封度分については六志の余剰をうることとなる︒
マーシャルにおける余剰分析の研究
四
経 営 と 経 済
四四
これをこの場合の消費者余剰というのであるしそしてこの余剰は一封度購入の場合における全部満足叉は利用と︑二
封度購買の場合にうる全部満足叉は利用との差である余剰満足の貨幣額にほかならない︒価格は茶の限界利用を測定
する︒価格が十四志で彼が二封度購入するということは︑十四志が第二封度分の利用にあたるのである︒価格が十志
に下落するとすれば︑消費者は茶の限界利用が十志に相当するまで茶の購買入を増加すると仮定されておるから︑第
三封皮の茶が少なくとも十志に値するならば︑三封度を購入する︒現実に支払ろ価格は全部で一二十志︑ところで彼が
コ一封度の購入による全部満足又は利用の貨幣額は四十四志に相当し︑消費者余剰はこLで十四志となる︒このように
価格低落のプロセスを継続して︑いま価格が二志に低落したとすると消費者は価格が二十志の最初の状態に比較して
四十五志の余剰を獲得することになる︒しかしこLに一つの仮定がある︒十四志の現実支払によって︑四十五志の余
町剰をうるというのは他財の支出他財の支出においては既に均衡にあるということを意味する︒﹁彼は十四志を他の貨
物の購入の小増加のために投ずることも出来るが︑彼はこの貨物の現行価格においては購入を増加しても牧支償おう
ワ 臼
とは思わず︑この価格においての賭入増加は彼にとって少しも消費者余剰を生ぜぬ状態にあるとす匂﹂以上は高い
価格から低い価格への変化の場合であるが︑これを逆に二志の低い価格から出発し︑二十志の高い価格までの価格変
化による消費者余剰の喪失を考えても︑二十志の価格の状態では最初の二志の価格状態に比較して四十五志の消費者
余剰の損失を受くるのである︒しかし需要曲線上を左上から右下へ移動する場合と︑右下から左上へ上昇移動する場
合とで測定された消費者余剰が同じだという結論には︑貨幣の限界効用がコV
スグ
Vトだという仮定が必要となる︒
ヒツクス的分析手法でいえば代替効果のみが考慮され︑所得効果を考慮に入れる必要のないほど一財にたいする支出
が全部所得の中で僅かの比重を占めている場合に外ならない︒一般的に消費者余剰の測定には貨幣の限界効用がコV
n a
スグシトとする仮定が必要だということはマーシャル自身十分に認めているところであり︑マーシャルの所得効果の
無視についてヒアクスが﹁彼がそうしたことは全く充分な理由があること︑貨幣の限界効用の不変性は実際巧妙な単
純化であって︑マーシャルがみづからそれに与えた適用の大部分に対しては全く無害であることが後でわかるであろ
dせう︒しかしそれは必ずしもすべての適用に対して無害ではない︒﹂﹁マーシャルは所得効果を無視したのである︒彼
はそうするのに貨幣の限界効用を不変として取扱ってよいという仮定をもってしたが︑これは彼が価格の変化から来
る実所得の変化の︑需.要に及ぼす効果を無視したことを意味する︒多くの目的にとってはこれは全く正当な単純化で
あっ
た︒
がみられるような︑ そしてそれは確かに彼の理論を著しく単純化したのである︒まことにそれはマーシャルにおいて幾多の実例
天才的な単純化の一つである︒経済学者達はこの種の単純化を利用しつやつけるであろうが︑しか
戸 ︒
し彼等にしても自分の無視しているのは何であるかを正確に知っているならば︑進路は一層安全となるのであ到︒﹂
と述べている如く︑この仮定は事実的に許される仮定であった︒
一個人の茶に対する需要曲線がえがかれるならば︑前述の消費者余剰の需要曲線下にえがかれる三角形の面積で測定
しうる︒そして茶に対する凡ゆる消費者の需要曲線を集計して茶にたいする市場需要曲線が求められるならば︑同様
0' P D
x
に茶にたいする全消費者の余剰は市場需要曲線下の一角形の面積で示される︒
D W Uは 需
︒
︒
要曲線を示し︑価格がω
の高さにあるとき賭入竺両はであればロ
KF
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0
は茶の消費に
よる満足の総長の貨幣額を示し︑消費者がその満足をうるためには支払ってもよいと考
える貨幣額である︒ところで現実に支払う貨幣額は同MO﹀MoOであるからその差
ロk r p
の面積は消費者余剰を示す貨幣額である︒即ち︑消費者余剰は与えられた需要函
。
数に於て
マー
シャ
ルに
おけ
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剰分
析の
研究
四五
経 色 と 経 済
四六
。~圃ー、
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h匂・
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O
N
O
で求められる︒これは価格がきわめて高く上昇して︑茶を市場で購入しうる機会を失った場合に生ずる消費者満足の
損失を意味するものであるが︑いま面各かれより
Pに上昇した易合こ主ずる消費者余剰の損失は
HJ
回﹀司oの面積
ィ ー
o o
︐
: l
いづれにしても消費者余剰は︑二つの状態における比較を前提としている︒しかしマーシャル
で一
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︒ は 指 摘 す る
︒ の 近 接 点 を 除 い て は 著 し く 憶 測 的 で あ っ て
︑
p o
る物の利用の金量如何について吾々の為しうる最善の評定と雄も誤差あるを免れない︒﹂そこでマーシャルの消費者
余剰の分析は主として通例価格の近接点における微小な変化のある場合であって︑図で一云えばベA点で示された価格
水準において︑価格に微小な変佑があった場合に生ずる消費者余剰の増減を問題とするものである︒ ﹁吾々の需要価格表は通例価格(ハ
US ZB RM 1p ro )
或
註ω k r
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ω円ω E =
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・ 同
M・ζ u
大塚訳I二五八頁
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・M M
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大塚訳I二五九頁
岡山
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・∞芯大塚訳I二七四頁︑四一ニ二頁M
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古封
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邦諦I三八頁
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邦訳I四四頁
附
55 MM
・L N
1 H V
・ ゐ 凶
四
次に生産者余剰にうつろう︒マーシャルは﹁原理﹂の本文では生産者余剰の概念については説明しておらないが︑
第四編生産要因に関する部分の脚註で︑この概念の定義をあたえている︒
賠入分の対価として正に支払はんと欲する価格をもってその全部の購入を行うならば︑彼は最終購入分以前の諸購入 ﹁若し或る人が購入を行う場合にその最終
分について満足.の余剰を収める︒何故かなれば︑彼は買わずにいるよりはむしろ支払うにしかずとする価格以下をも
ってこれらの賠入分を購入するからである︒同様に若し彼が何等かの作業を為す対価として受ける価格が彼の最も忌
避する作業部分に対する十分の報償であるならば︑叉若し一般に起る通り彼がそれ程忌避せず彼にとっての実質費用
もそれ程でない作業部分に対しても同じ価格が支払われるならば︑その時は彼はこの部分から生産者余剰を牧め引﹂
この意味の生産者余剰は消費者余剰と殆んど同じように説明されるものであって附録Hで生産者余剰を併列してグラ
ワ 白
フで説明している︒この場合の生産者余剰は主として企業者の生産費条件の相違による現実の超過貨幣牧益である︒
向附録Kでは生産者余剰のもう一種として労働者余剰︑貯蓄者余剰の説明がある︒この種の余剰は︑生産費の相違よ
の兵ったものである︒ りも︑努力︑貯蓄の限界非効用逓増の原則にもとづく余剰満足を示すものであって︑狭義の生産者余剰とは少し性格
マーシャルは生産者余剰を特殊余剰︑労働者︑貯蓄者余剰を一般的な余剰と看倣している︒さ
てマーシャルが原理附録Hで三角形の面積で求めた場合の生産者余剰について少しく考察を加えよう︒まずマ1
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ルの図を第二図にかかげる︒
∞ は 需 要 曲
線印︑曲線は特定費用曲線ω
日出の高さが決定すれば︑消費者余剰はり﹀司︑生産者の総牧入は
OE
kr
司︑総費用は︒出
﹀印︑従ってその差出
P ω
がH生産出量より生ずる生産者余剰を生じ︑A点では限界費
︒
用は価格にひとしく︑消費者生産者の両余剰の合計はこLで極大となる︒この釘が上
昇的となるのは差別利益の所有者を左から右ヘ利益の大なるものから順次に並列するか (同ば一円片山2Z円
23 58 23
0﹀
︑ホ
︿点
Aで価格
経 蛍 と 経 済
四 八 そこでこの釘曲線は一般に限界費用曲線たる正常供給曲線そのものではないのである︒特定費用曲線の
場合は︑曲線の全範囲にわたって生産スケール増大から生ずるところの外部経済を固定的なものと考えているのであ ら
であ
る︒
るが正常供給曲線の場合はそうでない︒そこで特定費用曲線の場合でま生産量がMからHまで増大したとしてもー
0 0 第伽呑単位の生産者の生産費は不変だと仮定され℃いる︒そうして
Pま常こHよりわさい︒このことは一財が
M 7 v l A /
牧穫逓増加の傾向にあると︑逓誠の傾向にあると関係はない︒しかじ王常供給曲線の場合には︑牧時逓増の傾向にあ
る財についてまH土Pよりトとなるであろう︒生産スケール増大による経済の変化をとり入れた正常供給曲線で
? v A l M /
もって︑︐生産者余剰をグラフで一不すことは不可能である︒第四節で考察する如く︑牧出向逓減の傾向を示す商品につき
生産者余剰は全ての生産量にとってマイナスとなり︑商W曲線を産業の限界費用曲線として示せば右下りとなり︑
品︑は全然生産されないことになるであろう︒マーシャルが︑産業に対する課税奨励金の下附の効果を分析する際に︑
専ら消費者余剰の変化から考察し︑生産者余剰を無視したのは一つは︑生産スケールの変化から生ずる経済と︑生産
者余剰との関係をグラフで示すことが困難である理由にもとづく︒
註ω
﹀・
富山
門印
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訳
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頁 ω F
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5という用語を使用する︒そして斯る己
余剰は︑需要と供給とが完全に弾力的である場合以外に︐発生する現象だという︒戸国o
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五
マーシャル経済学の美事な果実は︑消費者余剰の概念を利用した厚生増加の条件に関する令析に見出される︒
『ず
シヤルの消費者余剰の概念を明らかにした今︑われわれはこの概念による応用的測面におけるマーシャルの寄与を明
らかにしよう︒彼は次の如き有名な命題を樹立する︒﹁政府は牧碍逓減の法則に従う貨物に課税して︑その祖税の一
部を牧穫逓増の法則に従う貨物の奨励金に充てるは社会の利溢である﹂消費者余剰の点から祖税及び奨励金の効果に
ピグ
1は消費者余剰概念の代りに︑理想的生産量と関するマーシャルの分析はまたピグーによって継承せられたが︑
いう概念を利用し︑供給価格が逓増する産業は︑理想的生産量より過多であるから︑課税によって生産拡張は阻止叉
は縮少さるべく︑供給価格が逓減する産業は︑理想的生産量より過少であるから奨励金の下附によってその生産の拡
ヮ
且つ供給価格不変の場合にのみ理想的生産量は実現すると述べてい引︒この場合の理想的張は奨励さるべきであり︑
生産量とは結局私的限界純生産物と︑社会的限界純生産物との一致する生産重であり︑か
'A
る理想的生産量より離反
生産資源の誤った配分が存在することを意味する︒私的限界生産物と社会的限界生産物の離しているということは︑
反という問題はピグ1厚生経済学における最も量要な課題をふやすものであり︑生産資源の最適配分における自由競
争体制の限界を明確にしたものである︒此の問題の考察はやがて学界に不完全競争理論の展開の途をひらいた事は周
向 ︒
知のとおりである︒しかしピグlのこの課題に対する基本的な態度はまた師マーシャルのものであり︑消費者余剰分
析のうちに看取されるのである@そして生産資源の配分に関する国家統制の必要がこLから出て来るのであるが︑マ
ーシャル(そしてピグ1も﹀は右のような命題それ自休が政府干渉の正当な口実在あたえるものでないことを附言す
A吐る要心をおこたっていない︒マーシャルのかLる慎重さは原理の各所で示されているが︑例えば右の問題に関連して
も新国の幼稚産業保護の政策について﹁・:併し新国においてさえ︑この政策は往々その本来の目的を脱して︑特定制
民U度の拡張のために悪用されム﹂また租税と生産奨励金下附の問題についても﹁併しかLる方策をとる前に社会が考慮
しなければならぬ事項があるであろう︒それは吾々の当面の一般理論の範囲内には属しないが︑実際上は極めて重大
マー
シャ
ルに
おけ
る余
剰分
析の
研究
四
ブL
経 蛍 と 経 済
五O
な事項である︒即ち徴税と奨励金運用とには直接間接の費用を要すること︑租税の負担と奨励金の利益の分回の公平
を得るは困雑なこと︑詐欺腐敗の機会の多いこと︑奨励金を得ない生産業及びこれを希望した生産業に属する人は︑
自家の企業の経営に用いるカを殺いで︑奨励金管理者の操縦に力を注ぐに至るおそれあること等の諸点である︒社会
は先ずこれらの点を考慮しておかねばならぬであろう︒これら半ば倫理的の問題以外に厳密に経済学性質を帯びた間
題も起るであろう︒それは都会又は田舎で問題の貨物の生産に順応せしめである土地の地注の利害に対してある特定
p o
の租税叉は奨励金が如何なる結果を及ぼすかの問題である︒之は看過してならぬ問題である︒﹂
さてマーシャルの分析にうつろう︒まず牧穫不変の法則に従う商品の場合から出発しよう︒第3図で示される如く供
c d
給曲線
N3
は水平的となる︒需要曲良をDとすもま︑伯品賞者余刻まAで示される︒こまh
i D t I V L D 税が商品に課されたとしよう︒供給曲線は上昇してばとなる︑新しい均衡点 消費者余剰は蜘
の距離にひとしい租
(ロ
ロ︑
を不
変と
して
)は
ω
とな
り︑
に減少し︑余剰の損失は
g k r m
で示される︒他方︑租税牧入は課税により産出量は侃からぬに
減少するから︑g同ωとなる︒図では
gk rω
Vg間切であるからその差
m手間は社会の純
損失を示す︒この面積主同の大さは他の事情等しい限り需要曲線上の仏部分の傾斜
に依存することは明らかである︒その傾斜が急であればω﹀同は小となり︑急でなけれ
x
.
/
p b
S
そこで一股的に牧穫不変の法則に従う商品にたいする課税は消費者余剰の
損失をして租税牧入より大ならしめるけれども︑ ば
大と
なる
︒
生活必要品に課税する方が蓉修品に課
税する場合よりも社会的純損失州長岡を小ならしめるであろう︒次に奨励金下附の効果
よ り 釘 に 低 下 す る が
∞ 曲 線 不 変 と す れ ば 新 し い 交 点
A︑産出量はぬ
し︑消費者余剰の増分は
g k r m
︑奨励金下附録は
ω F K F ω
︑故
に︑
を見ょう︒供給曲線はば
か ら 聞 に 増 加
与﹀
ω v g k r ω
で消費者余剰の増分は奨励金額より
小である︒もし奨励金を社会の費用とし︑消費者余剰の増分を社会の牧入と看倣されるならば︑この場合
ωF
﹀面積
だけ社会の純損失と考えることができる︒
牧麗逓減の法則に従う商品に対する課税︑奨励金下附.の場合にうつろう︒課税は第4
図において供給曲線をばに上昇 にせしめ︑価格を高める︒商品一単位に対する課税は組︑価格の騰貴は白︑そこで
ω開﹀めの租税牧入額はg
開 句 ︑
消費者余剰の損失は
gk
のである︒そこでr
ω戸
Nゎ開閉司に従って租税牧入が消費者﹀
x..
余剰の損失より大'または小となる︒そこで牧穫逓減の傾向の作用が極めて微々たるもの
であるならば︑即ちg曲線がA点の近傍で殆んど水平的であるならば︑
きわめて小となり︑わ問問一司は 円 ︑ u
ω H h k
より小となることが理解される︒r E K
マ ー シ ャ ル は 次 の
の距離は
ように結論した︒即ち牧穫逓減産業の場合には︑租税の租牧入は課税の結果たる消費者
余剰の損失より大となるかも知れぬ︒そしてもし牧穫逓減の法則が鋭く作用して消費の
僅かな減退が︑租税以外の他の生産突を著しく減少せしめるならば︑租税牧入は消費者余剰の損失より大となるであ
︒ 河 川
ろうb︑奨励金下附の効果は明らかである︒既述の如く牧穫不変の場合消費者余剰の増加は︑奨励金額より小であっ D
P
た︒そこで収穫逓減の場合は更に小となる︒なんとなれば奨励金下附によって価格は低落するがその価格低落の程は
牧穫不変の場合よりも小であるからである︒図で見ょう︒奨励金下附以前の供給曲線はば︑下附後のそれは釘 すれば単位当りの奨励金也︑価格の低落は
U︑消費者余剰の増分は
gR
︑奨励金下附額は旨﹀のである︒
こで
確に
︑問
︑吋
﹀の
﹀g﹀のである︒最後に牧侵逓増の法則に従う商品の場合を考えよう︒
と そ
課税効果を見ょう︒先に
牧能不変の場合は︑課税は消費者余剰の損失をして租税牧入より大ならしめた︒故に牧穫逓増の場合には課税は消費
者余剰の損失を克に大ならしめる︒図を見ょうog曲線を課税以前の供給曲線とし︑QM
課税以後の供給曲線をば
と
マーシャルにおける余剰分析の研究
五
経 蛍 と 経 済
五
コι
する
︒
一単位あたりの課税額は日
消費者余剰の損失はg
﹀の
とな
り︑
であるが課税による価格の騰貴はQ
とな
り︑
のの
V
消費者余剰の損失は租税
幻牧入より大である︒かくて課税の場合の効果は明確である︒
H t 物に対する租税は︑牧穫不変の法則に従う貨物に対する租税よりも消費者に有害であ
L n k u
4刻︒﹂次に奨励金下附の場合を見るに︑供給曲線は低下する︒図で奨励金下附以前の供
︒ 給 曲 線 を
w︐
とすれば奨励金の下附は供給曲線を釘に低下せしめるとしよう︒ゎ
ω﹀
の
は消費者余剰の増分︑奨励金下附総額は岡︑円
k r p
図では
g k r
ゎ﹀河吋﹀のである︒即ち消費者余界の増分は︑国家が
生産者に支払う額を超過する︒ムんもg曲線の傾斜によってこの関係が修正される︒もし曲線がA点附近で殆んど水QU 平的であれば︑既述の如く牧穫不変の場合の商品に対する奨励金と殆んどかわらないから︑奨励金下附総額が消費者
﹀ 戸 租 税 牧 入 は
g
何 一司 ・
﹁牧穫逓増の法則に従う貨
p
p
余剰の増分より大なるかも知れない︒しかし牧穫逓増の法則が鋭く作用している場合には︑奨励金下附は︑消費者余
剰の増加をした社会的費用としての奨励金額より大ならしめ︑結局社会的純利得をあたえることは確かである︒
以上の分析は専ら消費者余剰の変佑という観点からのみ為されており︑供給曲線は商品の産出量が変化した場合︑
消費者が支払わねばならぬ価格を示すものであって︑生産者余剰の変化を示すものではない︒われわれが生産者余剰
の説明において使用したグラフにおけるg曲線は特定費用曲線であって正常供給曲線ではなかった︒特定費用曲線
QM
は生産スケール変化による経済をコYスグシと仮定してえがきうるものであったし︑この曲線が右上りとなるのは牧
穫逓増と牧穫逓減とには関係はないものであった︒而して特定費用曲線が右上りの場合に生産者余剰が発生した︒生
産スケール変一佑による経済に基く牧穫逓減牧穫逓増の傾向と生産者余剰との関係をグラフでえがくことは困難なこと
であった︒これがマーシャルをして謀税及び奨励金の効果に関する分析において生産者余剰を視点の外におかしめた