• 検索結果がありません。

マルサス価値尺度論の展開 : 1825-27年の資料を中 心にして

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "マルサス価値尺度論の展開 : 1825-27年の資料を中 心にして"

Copied!
57
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

心にして

著者 横山 照樹

雑誌名 經濟學論叢

巻 64

号 3

ページ 623‑678

発行年 2013‑03‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013749

(2)

【論 説】

マルサス価値尺度論の展開

―1825―27 年の資料を中心にして―

横 山 照 樹  

は じ め に

 マルサスは,1823年に『価値尺度論』1)を出版した後も,様々な機会に価値 尺度の問題についての議論を行っている.現在資料として残っている主なも のとしては,『価値尺度論』が出版された年の4月から8月にかけて手紙を通 じて行われたリカードウとの論争,1823,24年に『クオータリー・レビュー』

に発表された書評論文,王立学術協会で1825年に読まれた『商品の供給』, 1827年の2月に出版された『諸定義』,そして同じ年の11月に王立学術協会 で読まれた『商品の価値』がある.筆者は,これらの資料のうち,1823年と 24年の資料については検討したことがある2).本稿の課題は,1825年から27 年までの資料を検討することである3)

1 『商品の供給』における議論

 この節では,王立学術協会で1825年5月4日に読まれた,『商品の供給』

について検討する.マルサスは,この論文の目的について,冒頭で次のよう

1) マルサスの『価値尺度論』の議論の内容については,横山(2011)を参照.

2) 横山(2012)参照.この論文の「1 『価値尺度論』における議論について」で,『価値尺度論』

の内容の簡単な要約を行っているので,参照されたい.

3) この時期の資料としては,1826年に『人口論』第6版が出版されているが,この版での変更

は人口の状態に関するものが中心であったので,検討の対象にしなかった.Cf. Malthus(1826)

vol.1, p.8(訳,ixページ)

(3)

に言っている.

   「この論文の目的は,独占されていない,すべての商品の供給の自然的な,そし て必要な条件(the natural and necessary conditions of the supply)4)は,それが通常,

そして平均的に支配する労働によって表され,そして測定される(represented and measured by the labour which they will ordinarily, and on an average, command)という ことを,そして他のどのようなものも労働に代わることはできないし,あるいは,

商品の供給の自然的な,そして必要な条件を表し,そして測定することはできない ということを,示すことである.」(Supply, p.301;訳,225ページ)

 すなわち,商品が支配する労働によって,「商品の供給の自然的な,そして 必要な条件」が「表され,そして測定される」ということを示すことが,こ の論文の目的であった.

1. 1 最も単純な場合について

 マルサスはまず,野イチゴ摘みのように直接労働のみによって生産され,

すぐ市場に持ってこられるので,利潤がまったく含まれないという,「最も単 純な場合(the simplest case)」(ibid.;同上)を検討する.そして,ある量の野イ チゴが,1日の普通の労働によって獲得されるとすると,「供給の唯一の自然 的な,そして必要な条件は1日の労働の支配である」(ibid.;同上)と述べた後,

次のように言っている.

   「したがってこの場合には,供給の正確な条件は,1日の労働の,そして1日の労 働のみの支配であることは,まったく明らかである.そしてこの場合には,商品に

4) この箇所に付した注で,マルサスは次のように言っている.「商品の供給の自然的な4 4 4 4 44 4 4 4 4,そし4 4 て必要な条件4 44 44 4は,最も単純な要素に還元されたときの,生産の自然的な4 44 44 44,そして必要な費用4 44 44 44 4と,

全く同じである.しかし私は前者の表現を選んだ,なぜなら,費用4 4という言葉は,十分に用心 しないと,貨幣の44 4支出という考えを表すからである.」(Supply, p.301;訳,225ページ)

(4)

用いられている労働と,それが支配する労働とは,同じである.そして,もちろん どちらも,供給の条件を表し,そして測定するものとして,採用されてもよいであ ろう.」(Supply, pp.301―302;訳,226ページ)

 したがって,今想定されている「最も単純な場合」には,投下労働量と支 配労働量とは一致し,「どちらも,供給の条件を表し,そして測定する」こと ができるというのである.

 次にマルサスは,労働のみによって生産されるが,生産するのに時間がか かる商品を想定する.ここでは木を切ったりカヌーを造るための,石の斧や 他の道具が例としてあげられている.そして,そのような商品の供給条件に ついて,次のように言っている.

   「この目的のために20日の労働と3ヶ月の時間が必要であると想定すると,品物 が3ヶ月の終わりに完成したときには,それは,直ちに市場に持ってこられる20 日の労働の生産物よりも,交換においてより大きな値打ちがある(worth more in

exchange)ことは,全く明らかである5).もしそうでなかったならば,誰もそれを,

交換する目的で生産することはないであろう,そして供給の条件は満たされないで あろう.それらが交換においてより大きな値打ちを持つ割合は,直ちに市場に持っ てこられる同じ労働量の生産物に比べた,希少性の程度に依存するであろう.そして,

必要な労働に対する賃金が唯一の前払いされた資本であるので,利潤率はそれらに 用いられている労働量を上回る,完成されたときにそれらが交換されるであろう労 働の超過によって,正確に計られるであろう.もし20日の労働がそれらに用いられて,

それらが3ヶ月の終わりに21日の労働と交換されるのならば,利潤は四半期に対し

5) マルサスはこの論文の最後で,「この議論においては,価値という言葉を使うことを意図的に

避けてきた」(Supply, p.311;訳,236ページ)と言っている.そのためこの引用文でも,「価値

(value)」という言葉を使わないで,「値打ちがある(worth)」という言葉が使われている.以 下の説明では,価値という言葉を使った方が分かりやすい場合には,用いることにしたい.な お実際には,2カ所で「価値」という言葉が用いられている.Cf. Supply, p.305(訳,229ページ)

& p.309(訳,234ページ).

(5)

て5%,あるいは年に対して20%であろう.」(Supply, p.302;訳,227ページ)

 ここでのマルサスの主張は,次のようなことであると思われる.生産に20 日の労働と3ヶ月の時間が必要な商品をA,20日の労働のみによって生産さ れる商品をBとする.マルサスによると,Aの価値とBの価値が同じである ならば,だれもAを生産しようとしないであろう.したがって,Aの「供給 条件」は,AがBよりも「交換においてより大きな値打ち」を持つことである.

それでは,どれだけAがBの価値を超過することになるかというと,AがB に比べて「希少性の程度」がどうかに依存するというのである.「希少性の程 度」が大きければ価値の超過は大きくなるし,「希少性の程度」が小さければ 価値の超過は小さくなるのである.この「希少性の程度」は,需要と供給の 関係に依存すると考えられるが,『原理』初版における言葉で言えば,需要の 強度6)を念頭に置いているのではないかと思われる.

 そしてマルサスによると,生産には労働しか用いられないので,利潤率は,

「交換されるであろう労働の超過」,すなわちAが交換において支配する労働 量が,それらに用いられている労働量,この場合では20日の労働を,どれだ け上回るかによって決まってくる.今の例では,Aは21日の労働を支配する から,利潤率は3ヶ月で5%になる.したがってこの商品の価値は,その生 産に用いられた20日の労働に,「労働の超過」の1日の労働を加えたものに なるのであった.

 このような議論の後,マルサスは次のように言っている.

   「この場合には,商品に用いられている労働は基礎であり,そして供給の条件の圧 倒的に最大の要素ではあるが,唯一の要素ではない.そして利潤のためにいくらかの 追加的な報酬がないならば,商品は供給されないであろう.」(ibid.;同上)

6) 『原理』初版における需要の強度の概念については,2章第2節(1st ed., pp.64―72)を参照.

(6)

 先に見た「最も単純な場合」には利潤が含まれていないので,その商品に 用いられた労働量も,商品が支配する労働量も同じであった.したがって,

どちらの量も供給条件を表すことができた.ところが商品に利潤が含まれる ようになると,商品に用いられた労働量以外に,利潤も商品の価値の構成要 素として入ってくるので,利潤も供給条件の一部を構成することになり,商 品の支配労働量のみが供給条件を表すことができるというのが,ここでのマ ルサスの主張であった.

 そして,この点について,さらにマルサスは次のように言っている.

   「商品が通常支配する労働は,他の情報がなければ,生産物が労働と利潤との間に 分割される割合を,実際示さないであろう,しかしそれは常に両者が一緒になった 結果(the result of two together)を示すであろう.したがって,もし上に述べた種 類の道具が,平均して以前よりもより少ない労働と交換されるようになったならば,

我々は,これが,労働の節約によるのか,あるいは利潤の下落によるのか,あるい は一部は前者に,そして一部は後者によるのかどうか,言うことはできない.しか し我々は確実に,供給条件が変化し,消費者に有利になったことを,推論できるの である.しかし,もし我々が,労働以外のある他のものによって供給条件を測定し ようと試みるならば,我々はそのような推論を引き出すことができない.もし道具 がより少ない量のビーバー,鹿,あるいは毛皮を支配するならば,これは,道具の 供給条件が変化したことの証拠ではなく,単に,ビーバーや,鹿や,毛皮を獲得す るためにより多くの労働が必要なために,起きたのかもしれない.」(Supply, p.303;訳,

226―227ページ)

 先の例では,道具の生産に必要な労働時間が20時間とわかっていて,生産 期間が3ヶ月の場合,生産物の支配労働量がいくらになるかを検討した.そ して,それが21時間の労働であるから,3ヶ月の利潤率が5%になるとわかっ た.それに対して,今の説明では,支配労働量以外の情報はないものと想定

(7)

されている.そして,たとえば商品の支配労働量が21時間から20時間に減 少したと想定してみよう.そうすると,支配労働量が減少した理由としては,

1)生産に必要な労働時間が減少したか,2)利潤が減少したか,3)両者が同 時に減少したかの,どれかの理由が考えられる7).そして,マルサスによると,

この3つの原因のどれであれ,「供給条件が変化し,消費者に有利になった」

ことを示しているというのである.

 それに対して,他の何らかの商品で測定した場合にはそのようにならない というのである.たとえばビーバーを例にとると,道具が最初21頭のビーバー と交換されていたが,後に20頭のビーバーとしか交換されなかったと考える.

この場合,道具と交換されるビーバーの頭数が減少した理由としては,道具 の「供給条件が変化し,消費者」,この場合にはビーバーの所有者,「に有利 になった」か,あるいはビーバーの「供給条件が変化し,消費者」,この場合 には道具の所有者,「に不利になった」かの,どちらもが考えられることになる.

そのため,道具と交換されるビーバーの量の減少は,「供給の自然的な,そし て必要な条件」を示すことにはならないのである.

 そして以上の分析の結論として,マルサスは次のように言っている.

   「したがって,我々が想定した場合においては,次のことはまったく明らかであ る,第1に,供給の自然的な,そして必要な条件は,もっぱら労働と利潤によって 決定される,第2に,商品が通常,そして平均して支配する労働は,労働と利潤を あわせたもの,あるいは供給の条件を,正確に表し,そして測定する,そして第3に,

どのような労働の生産物も,供給の条件の尺度としての労働に代替することはでき ない.」(Supply, p.303;訳,227ページ)

7) マルサスはこの3つしか指摘していないが,可能性としては,労働時間が増大したのに,そ

れ以上に利潤が減少したか,あるいは,利潤が増大したのに,それ以上に労働時間が減少した,

ということも考えられる.

(8)

 この3つの結論は,これまで述べてきたことをまとめたものに過ぎないの で,特に論評する必要はないであろう.

 それでは,このような『商品の供給』における議論を,『価値尺度論』の議 論と対比してみると,どうなるであろうか.

 マルサスは『価値尺度論』の初めの方の箇所で,次のような議論を展開し ていた8).まず,「常に価値において変化しない」物によって測られた商品の 価値を,「絶対価値あるいは自然価値」(Measure, p.181;訳,13―14ページ)と呼 ぶ.そしてスミスの自然価値の原理から,「大部分の商品の供給条件は,回収

(returns)がその生産に必要な賃金,利潤,地代を支払うこと」であり,自然 価値は「商品の自然的な供給条件と考えられる」(ibid.;訳,14―15ページ)と 述べられる.そして,マルサスはこの自然価値が,「労働と利潤より構成され ると仮定しても本質的に誤ってはいない」(Measure, p.182;訳,15ページ)と言 うのであった.

 この後,商品が労働のみによって生産され,販売される時間が無視できる 場合が考察される.この場合には商品の自然価値は投下労働によって決まる.

しかし,同じように労働のみによって生産されるが,生産に一定の時間がか かる場合には,自然価値の中に利潤が含まれることになるので,自然価値を 投下労働によって測定することはできず,支配労働によって測定されなけれ ばならないとして,マルサスは次のように述べている.

   「したがって,同じ国において,そして同じ時期では,労働と利潤にのみ分解す ることができる商品の交換価値は,それらに実際に投下された蓄積労働と直接労働 に,労働で評価した全前払いに対する利潤9)の様々な量を加えることによって得られ る労働量によって,正確に測定されるであろうということは,明らかである.しか

8) 以下の議論の詳しい内容については,横山(2011)7ページ以下を参照.

9) 以下では,「労働で評価した全前払いに対する利潤」のことを,煩雑な表現なので,単に「労

働で評価した利潤」と呼ぶことにする.

(9)

し,これは必然的に,それらが支配する労働量と同じでなければならない,…….」

(Measure, p.188;訳,23ページ)

 すなわち,商品の自然価値10)は,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,

によって測定され,それが支配労働量と同じになるというのである11).そし てこの支配労働量は,商品の供給条件を表すとして,次のように言われている.

   「諸商品の供給条件は,……,それぞれが適当な自然4 4価値を保持すること,すなわ ち生産者に,生産し蓄積する力を引き続き同じ程度に与える物を獲得する手段を保 持することが,必要なのである.…….しかし資本家に特有の前払は服地ではなくて,

労働からなる.しかも他のいかなるものも与えられた労働量を表示しうるものでは ないから,この点では,労働がまったく独自の地位をしめるものであること,商品 の供給条件,または自然価値を表示しうるものは,商品が支配する労働4 4の分量であっ て,他の商品の数量ではないことは明らかである.」(Measure, p.189;訳,24―25ページ)

 すなわち,商品の供給条件はそれが「適当な自然4 4価値を保持すること」であり,

その自然価値は「商品が支配する労働の分量」,すなわち,蓄積労働+直接労 働+労働で評価した利潤,によって表すことができるというのである.

 したがって,『価値尺度論』における議論では,自然価値は商品の自然的な 供給条件であり,労働と利潤より構成されるということが,まず最初に述べ られる.その後,商品が支配する労働は,商品の供給の条件を表すと言われ るのであった.

 それに対して,『商品の供給』では,冒頭に述べられていたように,この論 文の目的は,「すべての商品の供給の自然的な,そして必要な条件は,それが

10) 本文では「交換価値」とされているが,これは明らかに「自然価値」を意味している.

11) マルサスは『価値尺度論』の後の箇所で,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,のこ とを「価値の自然的要素」(Measure, p.190;訳,26ページ)と呼んでいた.そこで,今述べた ような価値尺度についての考え方を,「価値の自然的要素についての議論」と呼ぶことにする.

(10)

通常,そして平均的に支配する労働によって表され,そして測定されるとい うこと」(Supply, p.301;訳,225ページ)を示すことであったし,またこの論文 の最後には,「この議論においては,価値という言葉を使うことを意図的に避 けてきた」(Supply, p.311;訳,236ページ)と述べられていた.そのため,『価値 尺度論』にあったような自然価値についての言及は,『商品の供給』では全く 行われていない.そして,次のように議論は進められていた.

 まず,生産に時間のかからない商品の供給条件は,生産に用いられた労働 と同じ労働量を支配することであると言われる.しかし,生産に時間がかか るようになると,利潤が生まれることになるので,この場合の供給条件は,

生産に用いられた労働よりも,より多くの労働を支配することであり,それ は生産に用いられた労働に,「それらが交換されるであろう労働の超過」を加 えたものになる.そして後者は利潤を労働で評価したものであるから,この 場合の供給条件は,『価値尺度論』の「価値の自然的要素についての議論」を 使うと,直接労働+労働で評価した利潤,ということになり,商品の支配労 働量と等しくなる.そしてその後,支配労働量が労働と利潤にどのように分 割されるかが分かっていなくても,支配労働量の変化が供給条件の変化を直 ちに示すことになると,述べられている.

 したがって,『価値尺度論』の議論と『商品の供給』の議論とを比較すると,

次のようなことが言えるのではないかと思われる.第1に,『商品の供給』では,

価値についての言及が意図的に避けられていることである12).第2に,『商品 の供給』での価値についての考え方が,まだ蓄積労働に言及してはいないが,

『価値尺度論』における「価値の自然的要素についての議論」と,同じもので あったと考えられることである.そして第3に,『商品の供給』では支配労働 が商品の供給条件を表すことが強調されていたことである.

12) 後に検討するように,その理由は,1827年の『商品の価値』の冒頭の箇所で述べられるこ

とになる.

(11)

1. 2 固定資本が用いられた場合

 さて,これまでの議論では固定資本が用いられないで,労働のみによって 生産が行われると想定されていた.次にマルサスは,固定資本が用いられる ようになった場合に,生産物の価値が支配労働によってどのように測定され るかが論じられる.そしてこの箇所が,この報告の中心的な論点と思われる.

 それをマルサスは,次の3段階に分けて議論している.まず第1段階では,

20日の労働が投下されて,生産期間3ヶ月で石の斧や他の道具が生産される.

1年間の利潤率が20%だとすると,道具の価値は,先に述べたように21にな る.ここまでが,これまで検討してきた箇所である.

 第2段階では,第1段階で生産された道具を使って20日の労働が投下さ れ,3ヶ月の生産期間で木材が生産される.この場合,道具の価値の損耗が なかったと考えられている.最後に第3段階では,道具と木材を使って,200 日の労働が投下されて,1年の生産期間でカヌーが生産される.この場合には,

道具の価値は,使い果たされると想定されている.第2段階においても第3 段階においても,1年間の利潤率は,第1段階と同様に20%と想定されてい る.第2段階も,第3段階も,基本的な考え方は同じなので,ここでは主に 第2段階の議論について検討したい.

 第2段階の生産物の価値がどうなるかについて,マルサスは次のように言っ ている.

   「木材と道具を合わせた供給の条件は,6ヶ月間の20日の労働の前払いを,3ヶ月 間の20日の労働の前払いに加えたものに,等しいであろう.各々3ヶ月の2つの継 続する期間で6ヶ月間前払いされる20日の労働は,もし利潤が年20%だとすれば,

225/100日であろう,そして,3ヶ月間雇われる20日の労働は21日の労働であり,合 わせて435/100に等しいであろう.」(Supply, pp.303―304;訳,228ページ)

 すなわち,道具については第1段階の終わりに21日の労働と等しい価値を

(12)

持っていたので,それが3ヶ月間,年20%の利潤率で生産に用いられるから,

その期間の終わりには3ヶ月間の利潤率の5%だけ価値が増加し,225/100日の 労働と等しい価値を持つことになる.また木材については20日の労働が3ヶ 月間投下されたのであるから,21日の労働の価値を持つことになる.したがっ て,道具と木材とを合わせた価値は,435/100日の労働になるというのが,上 の引用文でのマルサスの主張であった.

 そしてこの後マルサスは,第1段階には20日の労働が投下され,第2段階 でも20日の労働が投下されたと考えるのではなく,第2段階で労働が一度に 投下されたと考えることもできるとして,次のように言っている.

   「さて,この労働と利潤の合計額が,もし我々が道具の供給条件,あるいは,それ に含まれている蓄積された労働と利潤を,それが支配する労働によって評価し,そ してこの労働を木材を切るのに雇用された労働に加え,全体が3ヶ月の間前払いさ れたと考えるのと,まったく同じであるに違いないことは,明らかである.かくして,

道具が完成したときに支配する労働は21日であり,20日に加えられると41日にな るであろう.そして,3ヶ月の間の41日の前払いは,435/100日に等しいであろう.」

(Supply, p.304;同上)

 すなわち,第1段階が終わった時点で,道具の支配労働量は21日であった.

そこでこの21日と第2段階で実際に投下される労働量の20日を加えて,41 日の労働が投下されたと考えたらよいというのが,ここでのマルサスの主張 であった.そして,四半期の利潤率が5%であるから,生産物の価値は435/100

日の労働と等しくなるというのである.

 先に検討された,生産に労働だけが用いられた場合には,商品が支配する 労働が,それに含まれている労働をどれだけ上回るかによって,すなわち「一 定の期間に,実際に雇用された労働の賃金の支払いに当てられる,全生産物 の割合」(ibid.;同上)によって,利潤率が決まってきた.固定資本が用いられ

(13)

た場合にも,今述べた方法を使うと,同様に割合によって利潤率が決まると 考えることができるとして,マルサスは次のように言っている.

   「この割合によって利潤率を評価するためには,労働のさまざまな部分が前払いさ れた時間を,ある一定の期間に還元することが,明らかに必要である.そしてこれは,

最も単純な方法で行われる,そして,ある種類の資本を生産するために必要な蓄積 された労働と利潤を,それを正確に表し,そして測定する直接労働(the immediate labour)によって評価し,そしてその後,全体を,最後の資本家が彼の資本を使って いる間前払いされた,直接労働と考えることによって,供給の条件の量は正確に維 持される.…….したがって,もし我々が,道具の供給条件を,21日である直接労 働の価値(value)によって評価するならば,そして合わせて41日が3ヶ月間雇用さ れると想定するならば,その時にもし道具と木材が合わせて435/100日の労働を支配 するならば,利潤率が四半期に対して5%であり,そして1年に対して20%である ことの証拠である.」(Supply, pp.304―305;訳,228―229ページ)

 

 今の引用文で,「資本を生産するために必要な蓄積された労働と利潤を,そ れを正確に表し,そして測定する直接労働によって評価」すると言っている が,すぐ後のところで,「道具の供給条件を,21日である直接労働の価値によっ て評価する」と言っているので,「直接労働によって評価する」とは,資本の 価値を支配労働量で測定することであると考えられる.上の例で言うと,道 具の価値の21日ということになる.それに,最後の資本家が雇用した直接労 働,上の例で言うと20日,を合わせて41日の労働が3ヶ月間雇用されて木 材が生産され,それが「435/100日の労働を支配する」ならば,利潤率は年率

で20%になるというのである.

 したがって,固定資本が用いられていても,それを支配労働量で評価して,

直接労働と見なし,最後の資本家が用いた労働に加えることによって,「全体 を,最後の資本家が彼の資本を使っている間前払いされた,直接労働と考える」

(14)

ことが可能になるので,その値を,生産された商品が支配する労働と比較す ることによって,利潤率を決めることができるというのである.

 これまで,第2段階におけるマルサスの議論を検討してきたが,そこでの 内容は,『価値尺度論』の先に引用した箇所で述べていた,「労働と利潤にの み分解することができる商品の交換価値は,それらに実際に投下された蓄積 労働と直接労働に,労働で評価した全前払いに対する利潤の様々な量を加え ることによって得られる労働量によって,正確に測定される」(Measure, p.188;

訳,23ページ)という主張のうち,固定資本のように過去の蓄積労働と利潤を 含む商品の価値を,どのように直接労働に還元するかという方法を示してい るものと考えられる.したがって,この第2段階における議論は,『価値尺度 論』における「価値の自然的要素についての議論」をより具体的にしたもの であると考えられるであろう.

 第3段階の議論は,これまで見た第2段階と同じ考え方であるので,結果 だけ紹介すると,次のようになる.第3段階では,第2段階までで生産され た道具と木材を使って,200日の労働が1年間前払いされて,カヌーが生産 される.年の利潤率は,これまでと同様に20%と仮定されている.マルサスは,

第2段階で生産された道具と木材の支配労働量が435/100日の労働であるから,

その労働が第3段階で使われる200日の労働と一緒にされて,2435/100日の労 働が1年間使われたと考えたらよいと言っている.その場合生産物の価値は,

29166/100になる.

 その後マルサスは,今度は例を変えて,1,200日の労働を支配するモスリン の生産について論じているが,これまで検討してきたカヌーを生産する場合 と同じ考え方なので,その紹介は省くことにしたい.

1. 3 国内の労働者数が増減した場合

 『商品の供給』では,このような議論の後に,労働者数が増減して,労働が 正しい尺度ではなくなる場合について議論されている.この問題については,

(15)

すでに『価値尺度論』やリカードウ宛の1823年7月21日付と8月11日付の マルサスの手紙で議論されていたが13),この論文でも取り上げられるのであ る.マルサスは,次のように言っている.

   「労働の量が,ある他の商品と同じように,突然に増減するかもしれないと言われ てきた,その場合には労働は供給条件の正しい尺度ではないであろう.我々は,ペ ストが国の人口のかなりの部分を突然破壊し,労働を非常に希少にするかもしれな いことを知っている.そして,労働者の突然の移入が,労働を過度に豊富に,そし て安価(cheap)にするかもしれないということは,蓋然性(probability)とまではい かないが,可能性(possibility)の範囲内である.」(Supply, p.309;訳,234ページ)

 すなわち,マルサスは,「ペスト」や「労働者の突然の移入」によって,労 働の量が増減し,その結果労働の価値が変動し,労働が「供給条件の正しい 尺度」ではなくなることを,「可能性」としては認めているのである.しかし,

このような状態は長続きしないとして,労働が希少な場合について,次のよ うに言われている.

   「しかし,このような事物の状態は,非常に短い時間しか続かないのはまったく 明らかである.生産は,商品を生産するのに必要な労働を働かせ,いくらかの利潤 が資本家によって得られないならば,続けることはできない.想定された場合には,

財と物的な資本は労働に比べて豊富であり,しばらくは損をする価格で販売される であろう,しかしこの相対的な豊富さは,まもなく消滅するであろう,そして新た な労働(fresh labour)14)が,新しい資本と新しい財を生産するために雇用されるよう

13) 横山(2012)14―18ページを参照.

14) この「新たな労働」はどこから来るのであろうか.労働が希少で,「財と物的な資本は労働

に比べて豊富」なのであるから,当然実質賃金は高いことが考えられる.それによって人口が 増大し,「新たな労働」が供給されるということが,考えられていたのではないかと思われる.

しかし,ここでは一時的な労働不足が問題にされているのであるから,このような人口の増大 を考えることには,疑問が残るかもしれない.

(16)

になった時には,これらの財は,必然的に,新しい利潤率を支払い,そして資本家 が事業を続けるのを奨励するような追加分と一緒に,それらに用いられた労働を償 うのに十分な価値を持つであろう.」(ibid.;同上)

 すなわち,一時的に労働が希少になり,高価になることがあるかもしれな いが,「財と物的な資本」は豊富なので,「新たな労働」が供給されると,労 働の価格は低下し,利潤率は上昇して,資本家は平均的な利潤を得て,生産 を継続することが可能になるのである.この場合には,労働は「供給条件の 正しい尺度」となるのであった.したがって,非常に短い期間を取った場合 には,労働が価値尺度としてふさわしくないような事態が起こりうるかもし れないが,「新たな労働」の供給が可能なような一定の時間を考えると,労働 は価値尺度になり得るというのが,ここでのマルサスの考えであった.

 そして,次のパラグラフでは,労働者が輸入されて労働の価格が半分になっ たような場合を想定し,このような状態は長くは続かないとして,そのよう な極端な場合は,「我々の命題の範囲には入らない」(Supply, p.310;訳,235ペー ジ)として,次のように述べている.

   「その命題とは,何らかの種類の独占がないような商品の供給の自然的で,そして 必然的な条件(the natural and necessary conditions)は,それが通常そして平均的に 支配する労働によって表され,そして尺度されるというものである―その命題は,

自然価格が,事物の通常のそして自然の状態において生産の費用を支払うものであ ると述べている,自然価格に関するアダム・スミスのものと類似のものである,そ してこの命題は,商品を再生産するのにしばしば十分ではない,そしてしばしば十 分以上である,商品の市場価格の偶然的な,そして一時的な変動によって,異議を 唱えられるとは決して考えられなかった.」(ibid.;同上)

 スミスは自然価格を中心価格として考えており,市場価格がそれを上回っ

(17)

たり下回ったりすることはあるが,その場合には,土地や労働や資本が移動 することによって,市場価格は最終的には自然価格に一致することになるの であった15).マルサスは,価値が支配労働量によって表されるのは,「事物 の通常のそして自然の状態」のもとにおいてであるというのである.そして,

労働量の突然の増減によってその命題が当てはまらなくなることがあるかも しれないが,スミスの市場価格の場合に経済の調整メカニズムが十分に働い たときには,市場価格が自然価格に一致することになるのと同じように,マ ルサスが価値尺度として選んだ労働も,経済が異常な状態から「自然的でそ して必然的」な状態に復帰すると,不変の価値尺度としての機能を取り戻す ことになるというのである.すなわち,スミスの自然価格についての議論と 同様に,労働についても一定の価値を保つようなメカニズムが経済の動きの 中に組み込まれているというのであった.

 非常に短い期間を取ると労働の価値が変動する場合があり得るが,一定の 期間を取るとそのようなことがあり得ないという考えは,1823年8月11日 付の手紙におけるものと,同じであると考えられる16).しかし,手紙での議 論では,単にそのように主張されるのみで,それがどのようなメカニズムに よってそうなるかについての説明は,行われていなかった.それに対して,

今検討している論文では,スミスの自然価格と市場価格の例に言及すること によって,労働の価値を一定に保つようなメカニズムが経済の動きの中に備 わっていることを明らかにしているのであった.その意味で,マルサスの分 析が,手紙における段階よりも,より進んでいることを示しているものと考 えられるであろう.

 この節では,1825年の『商品の供給』について検討してきたが,固定資本 が使われるようになった場合,生産物の価値を支配労働によってどのように

15) スミスの自然価格の考えについては,Smith(1776)p.75〔『国富論(1)』108ページ〕を参照.

16) マルサスはその手紙の中で,労働の価値に影響するような急激な人口の増減は「例外的な非 常に激しい突然の変化」であり,「1年にもわたることは滅多に」(Ⅸ, p.336)ないと言っていた.

この手紙の内容については,横山(2012)17ページ以下を参照.

(18)

測定すればよいかという問題や,労働者数の増減が労働の価値に影響するの ではないかという問題について,『価値尺度論』における議論よりは,より発 展した見解が示されていた.しかし,基本的な考え方は,『価値尺度論』にお ける「価値の自然的要素についての議論」と同じであると言えるのではない かと思われる.そして,この論文では,『価値尺度論』における,「不変価値 を例証する表についての議論」にはまったく言及されていなかったことは,

注目しておきたい.

2 『諸定義』における議論

 マルサスは1827年に『諸定義』を出版する.書名は『諸定義』となっているが,

経済学上の言葉の定義は「261ページの本のうち単に27ページをしめるだけ で」,多くの部分は,スミス,セー,リカードウ,ジェームズ・ミル,マカロ クそしてベイリーに対する,「いくらかの言葉の暖味な,そして矛盾した用法 についての批判に集中している」17)のであった.そして,ベイリーを批判した 第8章「『価値の性質,尺度および原因に関する批判的論文』の著者の,述語 の定義と使用について」18)では,ベイリーの著書を取り上げて批判し,また第 9章「価値の尺度に関する追加的定義を採用する理由の要約」では,第8章 の議論を受けた形で,労働を価値の尺度として採用する理由について論じら れている.この節では,この2つの章でマルサスが価値尺度についてどのよ うな議論を展開していたかを検討することにしたい.

17) James(1979)p.410.

18) この第8章におけるマルサスの議論について,ジェームズは次のように言っている.「マル

サスの評判について,さらにより不幸であったのは,ベイリーの『価値に関する批判的論文』

に対する長くて辛辣な攻撃であった.人は,マルサスが過去の世代のすべての経済学―ベイ リーによって,彼とリカードウとは同じように,事実上役に立たないだけでなく,知的にも擁 護できない,価値の理論によって取りつかれているとして,その中に一緒に分類されていた

―を擁護しようと努めているという印象を持つので,読むのが苦痛である.」(ibid.

(19)

2. 1 『諸定義』第8章における議論について

 マルサスはこの章で,主にベイリーの価値の考え方を批判していたが,そ の終わりの方の箇所で,ベイリーの著書の第7章「マルサス氏の提案する価 値の尺度について」を取り上げて,反批判を試みるのであった.そして,そ の過程で『価値尺度論』における議論に,これまでとは違った角度から考察 を加えることになる.

 マルサスは,『価値尺度論』の中の「労働の不変価値とその諸結果を例証 する表」を批判するベイリーの文章を引用した後19),「表の基礎となる前提」

(Definitions, p.88;訳,142ページ)について,次のように言っている.

   「前提は,大多数の商品の供給の自然的な,そして必要な条件,あるいは換言する と,それらの基本的な生産費(their elementary costs of production)は,その生産に 必要な蓄積労働および直接労働に,それらが前払いされている時間についての,前 払い総額に対する通常の利潤を付け加えたものであるということ,そして,異なっ た時期の商品の通常の価値は,最も慣習的な用語法にしたがうと,それらの時期の 基本的な生産費によって,すなわち,それらの商品に含まれている(worked up)労 働と利潤によって,決定されるということである.」(ibid.;同上)

 ここでマルサスは,表の前提として2つのものを挙げている.第1の前提 は,『価値尺度論』で言われていた,いわゆる「価値の自然的要素についての 議論」,すなわち,商品の価値が,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,

から構成されるという議論と,同様なものであると思われる.ただし,『価値 尺度論』ではその議論は,労働が不変の価値尺度であることを論証するため の議論として述べられていたが20),この『諸定義』では,表の議論の前提と

19) Cf. Definitions, p.88(訳,141―142ページ).マルサスが引用しているベイリーの文章につい ては,Bailey(1825)p.145(訳,126―127ページ)を参照.

20) この点については,横山(2011)9ページ以下を参照.

(20)

されているという違いがあることには,留意すべきであろう.

 また第2の前提は,商品の価値が労働と利潤とから構成されるということ であり,これも『価値尺度論』において,議論の前提として述べられていた ことである21).そして,この2つの前提をもとにして,マルサスは次のよう な議論を展開するのであった.

   「一定量の労働の可変的な賃金は常に同一量の労働を支配するであろうと単に言う のは,疑いもなく,不合理な同語反復の自明の理(an absurd tautological truism)で あろう.しかし,もし商品の支配する労働量が,その商品に用いられた労働量に,

前払に対する利潤を加えたものを正しく表わし,したがって供給の自然的な,そし て必要な条件,すなわち価値を決定する基本的生産費を,実際に表わし,かつ測定 するということが,前もって明らかにされたとすると,この場合には,一定量の労 働の可変的な賃金は常に同一量の労働を支配するという自明の理は,一定量の労働 の可変的な賃金を生産する基本的費用はつねに同じでなければならないという,重 要な真理を必然的に含むにちがいない.」(Definitions, p.89;訳,143―144ページ)

 すなわち,「一定量の労働の可変的な賃金は常に同一量の労働を支配する」

ということは,「不合理な同語反復」のように思われるかもしれないというこ とを,マルサスは一旦は認めるのである.しかし,「商品の支配する労働量が,

その商品に用いられた労働量に,前払に対する利潤を加えたもの」,すなわち

「供給の自然的な,そして必要な条件,すなわち価値を決定する基本的生産費」

を表すということが「前もって明らかに」なっている場合を考える.これは,

先に見た第1の前提にあたる.この場合には,「不合理な同語反復」のような 表現が,「一定量の労働の可変的な賃金を生産する基本的費用はつねに同じ」

である,したがって,労働の賃金の価値は常に一定であるという「重要な真理」

21) 『価値尺度論』の最初の箇所で,議論の前提として2つのことをあげているが,これはその

1番目のものに当たる.横山(2011)4ページ以下を参照.

(21)

を表すことになるというのである.そして,すぐ次のパラグラフで,以上の ことを説明して,次のように言っている.

   「所与の人数の賃金の不変の価値を示す第7列の一定の数は,中間の段階がなくて も,まったく確実に述べられたであろうということは,表を見れば誰にでも明らか なことである22).しかし,もしそのように述べられたとすれば,このような賃金の 価値の不変性についての結論を引き出すことはできなかった.すべての商品の価値 を決定すると以前に示された原因によって,10人の賃金の価値が,そこでは測定さ れているということを示す中間の段階のみが,第7列の一定の数が賃金の価値の一 定性を意味するという結論を,保証できるのである.」(ibid.;訳,144ページ)

 今の引用文の冒頭にある,「所与の人数……明らかなことである」という文 章は,先の引用文の,「一定量の労働の可変的な賃金は常に同一量の労働を支 配する」という文章と,同じ内容であると思われる.したがって,第7列の 値が常に10になるということは「不合理な同語反復」と取られる危険性があ る.そのためマルサスは,「賃金の価値の不変性」という結論を,直ちに引き 出すことはできないと考えるのである.それでは,どのようにしたらそのよ

22) ここで言う「表」とは,『価値尺度論』における「労働の不変価値とその諸結果を例証する表」

のことである.表は14行からなっているが,表の5行目までを下に掲げておく.なお表の詳 細については,横山(2011)31ページ以下を参照.

1 2 3 4 5 6 7 8 9

10人が生産 する穀物量,

すなわち土 地の様々な 肥沃度

(クオーター)

需 給 によっ て決 定され た各労働者 の穀物年賃

(クオーター)

穀物賃金の前 払い,すなわ 10人 の 労 働を支配する 可変的生産物

(クオーター)

前述の事情 のもとにお ける利潤率

(%)

前述の事情 のもとで10 人の賃金を 生産するの に必要な労 働量

労働の前払 いに対する 利潤量

一定の人数 の賃金の不 変価値

仮定された 様々な事情 のもとにお ける穀物100 クオーター の価値

仮定された 事情のもと に お け る,

10人 の 労 働の生産物 の価値

150 12 120 25 8 2 10 8.33 12.5

150 13 130 15.38 8.66 1.34 10 7.7 11.53

150 10 100 50 6.6 3.4 10 10 15

140 12 120 16.66 8.6 1.4 10 8.33 11.6

140 11 110 27.2 7.85 2.15 10 9.09 12.7

労働の不変価値とその諸結果を例証する表

(22)

うな結論を引き出すことができるのであろうか.

 先に述べたように,ここでの議論の第2の前提は,「異なった時期の商品の 通常の価値は,……それらの商品に含まれている労働と利潤によって,決定 される」ということであった.したがって,「賃金の価値の不変性」という結 論を引き出すためには,賃金「に含まれている労働と利潤」によって,表で 言うと第5列と第6列の数を合計することによって,第7列の数が一定であ ることを証明する必要があるということになる.このような,「中間の段階の みが,第7列の一定の数が賃金の価値の一定性を意味するという結論を,保 証できる」というのが,マルサスの考えであった.

 マルサスが表の議論について「不合理な同語反復」のように思われるかも しれないと言っていることから,一見すると,ベイリーに譲歩したように思 われるかもしれない.しかし基本的な議論の内容は,『価値尺度論』において,

「労働の不変価値とその諸結果を例証する表」からの第1の結果として述べら れていることと,同じ内容であると考えられる.というのは,マルサスはそ こで次のように述べていたからである.

   「この表で説明された第1の,かつ最も重要な事実は,価値が労働と利潤とに分割 されることと,利潤が常に計算される方法とから,必然的に次のようになるというこ と,すなわち,一定の人数の賃金を生産するのに必要な労働量23)に,労働で評価した これらの前払に対する利潤24)を加えたものは,常に賃金が支配する労働量と正確に同 じでなければならない,そして,第7列にあらわれる不変量を,一緒になって常に形 成しなければならない,ということである.」(Measure, p.200;訳,39―42ページ)

 したがって,ここまでの議論について言うと,基本的な内容は『価値尺度論』

における表の第1の結果と同じであったが,表の2つの前提条件が明確にさ

23) これが表の第5列になる.

24) これが表の第6列になる.

(23)

れているというところに特徴があったと考えられる.ところが,『価値尺度論』

においては,表の議論の前提として強調されていたのは,「もし2つの可変量 XとYの価値が,一定の価値Aに等しいならば,XとYに起きるあらゆる変 化において,Xが得るどのような価値もYにおいて失われねばならず,そし てYが得るどのような価値もXにおいて失われねばならない」(Measure, p.195; 訳,35ページ)という,マルサスが「補償の原理」(Measure, p.193;訳,30ページ)

と呼ぶ考えであった25).したがって,表の前提が『価値尺度論』と『諸定義』

とでは変更されていることになる.

 さて,マルサスは,上に述べたような考えをもとにして,リカードウの批 判に向かうことになる.マルサスは,次のように言っている.

   「リカードウ氏は,労働の賃金の価値が社会の進歩につれて必然的に騰貴するに ちがいない,と繰り返し説いた.実際,氏はその利潤理論を,労働の価値の騰落の 上にきずいているのである.表は次のことを,すなわち,もし我々が,それに含ま れている(worked up)労働によって,つまり価値の一要素によって,賃金の価値を 測定するならば,リカードウ氏は正当であり,そして賃金の価値は,より劣等な土 地が耕作されるにつれて実際に騰貴するであろうが,しかし,もし我々が,それに 含まれている労働および利潤によって,つまり価値の2つの基本的な要素によって,

賃金の価値を測定するならば,賃金の価値は依然として同じであろうということを,

示している.」(Definitions, pp.89―90;訳,144ページ)

 すなわち,リカードウは『原理』で,社会が進歩するにつれて賃金が上昇 していくことになると述べているが26),マルサスによると,それはリカード

25) この点については,横山(2011)27ページ以下を参照.

26) リカードウは『原理』の中で次のように言っている.「社会の進歩とともに,労働の自然価

格はつねに騰貴する傾向を持っている,なぜならば,その自然価格を左右する主要商品の1つ が,それを生産することの困難が増大するために,より高価となる傾向を持っているからであ る.」(Ⅰ, p.93)

(24)

ウが賃金の価値を「価値の一要素」によって測定しているからである.その 場合には,賃金の価値は劣等地耕作が進展するにつれて騰貴することになる.

マルサスの『価値尺度論』における表でいうと,第5列の値だけを見ると,

劣等地耕作が進展すると,「10人の賃金を生産するのに必要な労働量」が上 昇していくことになる27)

 しかしながら,賃金に含まれている「労働および利潤によって,つまり価 値の2つの基本的な要素によって,賃金の価値を測定する」と,「価値の一要 素」の上昇分を,第6列の「労働の前払いに対する利潤量」の減少が相殺す ることによって,第7列の「一定の人数の賃金の不変価値」は一定の値,10 に止まることになるのであった.したがって,ここでのマルサスによるリカー ドウに対する批判は,賃金の価値の変動は,それを構成する「労働および利 潤によって,つまり価値の2つの基本的な要素によって」測定しなければな らないのに,リカードウが「価値の一要素」のみによって測定している,と いう所にあった28)

 このような『諸定義』におけるリカードウ批判に対して,『価値尺度論』に おいてはどうであったろうか.これまで見てきたように,『諸定義』において リカードウ批判の根拠となっていたのは,表からの第1の結果であった.と ころが,『価値尺度論』においては,リカードウ批判の根拠となっていたのは,

表からの第3の結果,すなわち「労働〔の価値〕は一定なので,……利潤が 入るすべての商品は,利潤の下落によって下落するに違いない,そしてこれ らの中にはもちろん,金属貨幣が見出されるであろう」(Measure, p.201;訳,43―

44ページ)という考えだったのである.マルサスは,それに基づいて,リカー ドウを批判して次のように言っていた.

27) たとえば表の第1行と第4行とを比較すると,穀物賃金は同じであるが,生産量が150クオー

ターから140クオーターに減少すると,第5列の「10人の賃金を生産するのに必要な労働量」

は,8から8.6に増加している.

28) 『原理』第2版第3章第8節においても,同じような観点からリカードウが批判されること

になる.横山(2007)31ページ以下,および横山(2010b)49ページ以下を参照.

(25)

   「リカードウ氏が,彼の体系において非常に大きく依存している,労働の価値4 4の 必然的な上昇と考えたものは,利潤の下落によって引き起こされた,労働の貨幣価 格のこの上昇である.しかし,もし,これまでの推論が十分に根拠のあるものであ るならば,この上昇は,労働の価値4 4における上昇ではなく,貨幣価値の下落である,

ということになる.」(ibid.;訳,44―45ページ)

 すなわち,利潤の下落によって貨幣価値が下落し,その結果として貨幣賃 金が上昇したのを,リカードウは「労働の価値4 4の必然的な上昇」とみなして いると言って,批判していたのである.そして,リカードウは賃金が上昇す ると利潤は下落するという,いわゆる賃金・利潤の相反関係論を展開してい たが,マルサスによると,利潤の下落によって貨幣の価値が下落し,その結 果として貨幣賃金が上昇したのであって,リカードウの言う因果関係とは逆 になっているのである29)

 したがって,マルサスが,『価値尺度論』の表の議論に基づいてリカードウ の賃金論を批判するさい,『価値尺度論』では表の第3の結果によって批判し ていたが,『諸定義』では表の第1の結果を使って批判するというように,違 いが見られるのであった.

 次にマルサスは,ベイリーが著書の第7章の最後のパラグラフで,「ざっと した論評が明らかにしていることは,表における数字の恐るべき配列は一片 の新しい,または重要な真理をももたらすものではない,ということである」30)

と述べているのを取りあげる.それに対して,「私がそこで価値の問題につい て,また労働をその尺度として採用する理由について取った見解は,その多 くの点において,本書刊行の1年前には,自分にとってまったく新しいもの だったことは確かである」(Definitions, p.90;訳,145ページ)と述べて,マルサ

29) このような観点からのリカードウ批判は,『原理』第2版第3章第3節の,第2版で新たに

追加された脚注の中でも,繰り返されることになる.Cf. 2nd ed., p.129.また横山(2005)40ペー ジ以下を参照.

30) Bailey(1825)p.150(訳,131ページ).

(26)

スにとっては「まったく新しいものだった」考え方として,3つのものをあ げている.その第1のものとして,次のように言っている.

   「まず第1に,私は,1商品が支配する労働の通常の量(the ordinary quantity of labour which a commodity will command)が,それに投じられた労働量に利潤を付加 したものを表示し,かつ測定せざるをえない,という叙述にこれまで出会ったこと がなかった.しかしながら,私の注意がこの真理に強く引かれると,1商品が通常支 配するだろう労働(the labour which a commodity would ordinarily command)は,新し い見地であつかわれることとなったのである.それまでは労働を,交換にさいして 与えられるすべてのもののうちで最も一般的な,かつ最も重要なものとして,また したがってある1対象物の持つ一般的購買力の最良の尺度として考えていた.だが,

1商品に含まれている(worked up)労働に利潤を加えたものを表示することによっ て,その供給の自然的な,そして必要な条件(the natural and necessary conditions of

its supply),すなわちその基本的生産費を表示するということを知るようになってか

らは,尺度としてのその重要性が,私には大いに増したように思われたのである.」

(ibid.;訳,145―146ページ)

 この引用文では,『価値尺度論』以前の考えも同時に示されていた.すなわ ち,マルサスは次のように言っていた.「それまでは労働を,交換にさいして 与えられるすべてのもののうちで最も一般的な,かつ最も重要なものとして,

またしたがってある1対象物の持つ一般的購買力の最良の尺度として考えて いた」と.

 この言葉は,『原理』初版第2章第6節の,次のような言葉を念頭に置いて いたのではないかと思われる.

   「我々が労働を,アダム・スミスによって最もしばしば用いられた意味で,価値の 尺度と考えるときには,すなわち,ものの価値が,それが支配できる一定の種類の

(27)

労働(たとえば普通の日雇労働)の分量によって測られるときには,それは疑いも なく,ある1商品の中で最良のものであり,そして,交換価値の真実尺度と名目尺 度の性質を,他のどれよりもよりよく,結合しているように思われるであろう.31)

(1st. ed., p.119)

 すなわち,『諸定義』で示された『価値尺度論』以前の考えでは,労働が「交 換にさいして与えられるすべてのもののうちで最も一般的な,かつ最も重要 なもの」だから,価値尺度として採用されたと言い,『原理』初版では,労働 が「ある1商品の中で最良のもの」だから,価値尺度として採用されたと言っ ているのである.したがって,どちらの考え方でも,労働が価値尺度として 採用されたのは,必然的にそうなったのではなく,いわば便宜上,労働が他 の商品に比べて優れているから,そうなったと言っているのである.

 それに対して,『諸定義』で示された『価値尺度論』における新しい考え方 として,先の引用文では,次のように言われていた.すなわち,「1商品に投 じられた労働に利潤を加えたものを表示することによって,その供給の自然 的な,そして必要な条件,すなわちその基本的生産費を表示するということ を知るようになってからは,尺度としてのその重要性が,私には大いに増し たように思われたのである」と.

 したがって,労働を価値尺度として採用し商品の価値を測定すると,それ は「供給の自然的な,そして必要な条件,すなわちその基本的生産費を表示 する」ことになるから,労働が不変の価値尺度として採用されるべきである というのである.したがって,ここでは労働が価値尺度として採用されるのは,

それが便宜であるからというのではなく,商品の基本的生産費を表示するた めには絶対的に必要になってくるからであった32)

 そしてマルサスは,『価値尺度論』の「価値の自然的要素に」ついて議論す

31) この文章は,第2版ではかなり変更されることになる.Cf. 2nd ed., p.78.

32) この点が,先に検討した1825年の『商品の供給』で専ら強調されていたのであった.

参照

関連したドキュメント

The edges terminating in a correspond to the generators, i.e., the south-west cor- ners of the respective Ferrers diagram, whereas the edges originating in a correspond to the

H ernández , Positive and free boundary solutions to singular nonlinear elliptic problems with absorption; An overview and open problems, in: Proceedings of the Variational

An easy-to-use procedure is presented for improving the ε-constraint method for computing the efficient frontier of the portfolio selection problem endowed with additional cardinality

Keywords: Convex order ; Fréchet distribution ; Median ; Mittag-Leffler distribution ; Mittag- Leffler function ; Stable distribution ; Stochastic order.. AMS MSC 2010: Primary 60E05

In Section 3, we show that the clique- width is unbounded in any superfactorial class of graphs, and in Section 4, we prove that the clique-width is bounded in any hereditary

Inside this class, we identify a new subclass of Liouvillian integrable systems, under suitable conditions such Liouvillian integrable systems can have at most one limit cycle, and

Then it follows immediately from a suitable version of “Hensel’s Lemma” [cf., e.g., the argument of [4], Lemma 2.1] that S may be obtained, as the notation suggests, as the m A

[Mag3] , Painlev´ e-type differential equations for the recurrence coefficients of semi- classical orthogonal polynomials, J. Zaslavsky , Asymptotic expansions of ratios of