インドの家族関係
序
説
園田格
は し が き
財産法の分野では︑法律制度の変革に現実が順応してゆくことに︑比較的時間がかからない︒しかし︑家族法の分
野では︑わが国でもそうであったし且つ部分的には今なおそうであるように︑法体制の変革が現実を克服してゆくに
は相当の時間と困難が要求せられる︒財産取引の諸関係については︑一応合理的な処理のみが問題とされるのに対し
家族関係については︑国民が生れ︑育ち︑成長して来た家族の環境は︑歴史の重圧により︑また情緒の面から︑変化
は徐々にしか現われて来ない︒しかも民族の数と種類において豊富であった新生国家では︑国家法が制定されたから
といって︑暫らくは現実の家族関係はそのあり様を変えはしないであろう︒
インドにおいても︑右に述べたことはあてはまると考えられる︒なるほど︑憲法の制定により両性の本質的平等と
個人の尊厳という︑近代民主主義に基く家族関係のあり方が指示はされた︒けれども︑それはいまだ理念としての存
インドの家族関孫 一三五
研究年報
一 二二大在であって現実かちは程遠いところにあるといえよう︒そこで︑か\る理念を示されながらも急には動きを見せない
インドの家族関係について︑その一端を明らかにしてゆきたいと考えたわけである︒ 一
インドの家族関係を規律して来たものは︑大ざっぱにいえばカースト制度︵6鋤ωけ①︶と結合家族︵一9暮︐hΩ︒且ζ︶の
制度だといえよう︒前者がインドの家族関係のみならず︑インドの社会体制全体を支配して来たことはいうまでもな
いが︑まず︑これまでインドの家族において︑結婚がいかになされたか︑家族は如何にみられたか︑夫婦の関係︑親
子の関係などがどのようなものであったか︑ということから概観してみたい︒
ちなみに︑印度憲法では次の如き規定を設けている︒
>Hけ・Hα︵H︶急げ①ω叶白け①ωげ曽=ロOひα一ω〇二コ口一昌90一コ口σq鋤一旨ωけ鋤目賓O一二N①昌Oロαq円Oq口匹ωO旨一団﹃Φ=σq一〇ロ鴇円国OρO鋤ωけρ
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︾暮・ωo◎目7⑦ ωけ舞①ωげ鋤=ω霞ぞ⑦b同O︼βO酔①けげO 霜9hO円ΦOh けげ⑦娼①O冨①げ気 ω①Oロユロσq魍コα 娼HO什ΦO二昌σq 餌ω
①︷噺①〇二く①一く99ωヰヨΩo唄pρのゴ自ρ=一5粘◎鴨目90=叶ぴ①凶昌ω江酔O怠O昌ωO略コΩo江O弓①一=︷①︒
1日コゴ①畠QO口ω什一一=什一〇コO︷ 一コ匹凶O
インドは元来農業の国であるといわれる︒人口の七〇パーセント以上が︑直接であれ間接であれ︑農業に関係して
いる︒このことは︑インドの強みであると同時に︑弱点でもあると考えられる︒ある国において︑もし農業生産技術
が未熟で不充分なものであれば︑その国は遅れた状態に止まるほかないが︑インドにはまさにそのことがあてはまる︒
インドの農業は原始的な機具によって営まれ︑農民は教育が無く︑悲惨な状態にあり︑交通機関はあまり発達してい
ない︒配給機構は不完全であって︑農民の生活と財産は自然条件に支配されている︒気紛れに降る雨︑綿塵設備の欠
如︑市場の不足︑共同組織の未発達︑文盲︑偏見︑それに︑古い生産と交換の制度の上に興って来る都市経済の衝撃
などによって︑農民の生活様式が明白に浮び上って来た︒また︑インド国民の発展を数世紀にわたって妨げて来た生
活様式の典型も︑完全に把握されるようになった︒尤も︑独立後一〇ケ年の間に多くの前進がみられはしたし︑遠隔 の地においてすら前進の鼓動があり︑幾らかでも進歩はした︒けれども︑一般的には事情はそれ程変化せず︑魔術に
よるような工合には変化することができない︒
インドの家族生活は︑大きく分けて幾つかの人間関係によって構成されている︒しかも家庭生活は神聖で厳格なも
のである︒親子の関係︑兄弟の関係︑夫婦の関係などは︑単に同一の血族であるというだけではなく︑価値観と感情
においても持続的なものであり︑また本質的なものである︒ただし︑地方によりあるいは宗教の違いにより︑その質
と程度に差異のあることはいうまでもない︒インドの国民全体についていえば︑叙事詩が︑戦争や征服を大げさに
インドの家族関係 一三七
研究年報 コニ八
述べ国民の性格や行動が調和のとれていないことを誇張しているが︑それは偶然にすぎないものとみられる︒インド
において人間の絶対の理想は︑夫の妻に対する愛であり︑子がその父を尊敬し︑父に従順であるべきこと︑父や兄弟
に身を尽すことであり︑さらに血縁関係が超越的に緊密に結合され︑各々の地方への融合と愛をもつことである︒以
上に概観したことは︑今日インドが直面している様々の困難な問題の所在を示すための前提となるであろう︒しか
し︑インドの家族生活は外国人にとって不可解なものである︒ヨーロッパ人は︑インドの国民の価値観︑思惟の傾
向︑習慣︑行動が︑自分達のそれとは全く異なった型のものであることを知る︒その型は人間の内心的要求と行動の
強制によって造られたものである︒宗教の差異が血縁関係の新しい系統を生み︑また︑結合生活や結合崇拝を促進せ
しめ︑間接的な遠い目的のために一妻多夫制すら保障するのである︒したがって個人の人格の発展は︑背後におしや
られ︑社会の利益ということのために抑えられてしまう︒
農業社会の家族と工業社会の家族とを比較した場合︑そこには明らかな差異がある︒というのは︑農業そのものが
人間の行動をのろくさせ︑﹂節倹であること︑結合生活を営むこと︑を要求するからである︒生産技術の進歩ととも
に︑農業経済の必要と要求によって結合生活というものに結び付けられた家族は︑相当の意味と機能を果したわけで
はあるが︑生産方法の変革のなかで︑生活のテンポが大きく変化してゆき︑都市生活化と工業生活化とに影響され︑
インドの伝統的な社会生活の型を破壌して︑新しいものをもたらさんとしつつある︒個人の人格の発展を増進させる
ことが理想だと考えられるようになって来た︒既に西欧では確立された個人主義が︑教育の普及によってインドでも
造り上げられるよう努力が払われて来たのである︒
ところで︑農業を主とするような比較的に静態的な社会にあっては︑個人は︑その家族に︑その翁町所有の財産に︑
そしてその社会の構成員の考え方に依存するつこのことは︑家族の類型が個人の行動を大きく指導する力を持ち︑ま
た個人の考え方を支配することを示すものである︒農業が家族生活に安易さをもたらし︑その結果︑個人の独立は殆
んどみられず︑離婚もあまり行われないし︑早婚が望まれることとなる︒このことは︑農業経済にあっては家族が中
心的地位を占め︑家族が生産という面で一つの単位を構成することからくるものである︒各構成員は生産において或
る受け持ち部分を有し︑それについて責任を負わされる︒余暇と四季おりおりの祭が数多くあるために︑家族の構成
員は家庭の行動を共にすることが重視せられる︒仕事の性質上︑日々の接触と共同の成果を齎らすことを余儀なくさ
せられる︒
それに対して︑工業社会にあっては︑その必要から家族の機能は変りつつある︒家はアパートないしは家具を備え
た部屋になる︒女性は︑工場に出て働かない限り︑更に多くの暇がある︒歴史が今まで示して来た家族の機能︑すな
わち性生活の調整︑病気の看護︑料理と洗濯︑教育︑宗教的訓練︑そして外部からの防禦といったものは︑性生活と
育児は別問題に多分なるだろうが︑重要性を失う︒そうなると女性の地位は輝かしい変化を招来する︒もし女性がパ
ン切り専門となるならば︑その家族内での関係と機能は更に大幅に変化し︑心理的要素が極めて重要視されることに
なる︒ 今日︑インドの大黒の地方でそうであるように︑労働が男性のものである場合には︑工場生活の圧迫と圧力が家庭
生活の破壌点に達し︑遂には家族の存在がなくなってしまう︒人は生活に喜びを失ってしまう︒そこで︑情緒生活を
インドの家族関係 一三九
研 究年報 一四〇
飲酒と悼徳に求めて逃避し︑再び崩壌と社会病理的現象の発生を生ずることとなる︒西欧にみられるような小家族と
僅少の子供︑悪い住宅︑低い所得と会社︒仕事の沸湯︑無気力と栄養失調は︑精神の均衡をこわし︑神経の圧迫を促
進し︑ノイローゼを増加させる︒さらに︑廉い映画と卑俗な娯楽は︑牧入を流出させ枯渇させる︒かくては社会保障
もお手上げの状態になってしまう︒そして遂には破局に至るであろう︒利己主義︑惇徳への敗北︑疾病と売春︑これ
らは︑集中されることによって個人の価値と社会の価値とを全面的に変化せしめ︑家族の中での分裂を促すものであ
る︒その回復を回るためには︑若人が結婚ならびに家族という直面せる問題に︑自己の知識と信念によって責任を持
つよう訓練されねばならない︒それは危機への予防的治療にあたる︒都市生活は︑人間相互の人格的理解によって保
障される家庭内の行動によって打ち樹てられねばならない︒そして男性と女性とが平等な立場で交際できるようにな
らなければならない︒都市生活の騒音と塵埃の中にある人間は︑誠実と愛とを以て行動する家庭の平和が必要であり
家族生活に帰るべきである︒もしその理想と家族の機能を充分に理解するならば︑今日ではそのことが可能であを︒
家族は一つの弾力的な制度である︒吾々は︑家族が過去︑現在︑未来につながっていることを認識するならば︑こ
の家族の弾力的な性格を理解することができる︒社会の方向の転換を探求する場合に︑家族は社会変革において最も
有力な役割を演ずることに注意しなければならない︒過去は現在に生き︑家族生活の複合要素を明確にし︑当該時代
の社会経済領域の弾力的な要求に応ずるよう家族生活を変化せしめるのである︒もし家族が単に伝統をつなぎ留める
ための柱にすぎないならば︑家族はむしろ社会変革にとっては︑いわば機械の歯止め︑足止めになってしまうであろ
う︒家族は︑歴史に出現してこの方︑ただ性の無秩序と育児に備えるに役立ったのみでなく︑調和の精神と︑是弄善
悪の観念を明確にすることに与って力があった︒生れた子供の哺育が婦入によってなされないと仮定するならば︑女
性の保護に加えて︑育児のための組織がいることになるのは当然である︒かくては︑男性は動物と同じように育児の
心配をしなければならなくなり︑人と動物との差異は︑単に経過の上のものにすぎないこととなる︒しかし︑社会の
構成単位としての家族は︑人聞集団の存続のために︑また人間の文化的遺産の維持発展のために働くものである︒そ
れは社会生活の脈絡において形成され︑その維持という課題となるのである︒そういった意味で家族はより重要な存
在であり︑意義を有するものである︒現在の事象は過去にぶち当り︑それを変えようとして動くものである︒吾々は
魅力ある過去から︑未来の文化のための手段を得るわけである︒
家族的血縁集団の構成の中での社会変化について︑インドでは一つの主要な形をとって来た︒すなわちそれは結合
家族の崩壌である︒崩壌の原因は様々であり︑それに各地方の文化の程度によっても異る︒ときには︑家族構成員の
一部の者が自分達の立場を主張ル︑結合の安定を壌すこともある︒このことによって構成員の間に紛争が生じ︑また
妻同志の間の争いが家族内の衝突の病的な要素となる︒かかる紛争がはっきりした程度に達すると︑崩壌した結合家
族から新しく家族生活を再編成する第一の段階は︑分離した独立の家族を作り上げることである︒けれども︑この分
離独立した家族も︑その生活が貧困である限りそれは一時的なものにすぎない︒たとえばある部族では︑一妻多夫制
が行われているが︑分離独立した家族では経済的にやってゆけないからという理由のために︑結局結合生活を営んで
いる︒結合生活が異常な程に営まれている下級のカーストの人間にとっては︑貧困のためにやむなく共同炊事をしな
ければならず︑同じ床で共同生活を送らねばならないものがある︒工業の発展による都市生活化と雇傭の拡大につ
インドの家族関係 ︑ 一四一
〜
研 究年報 一四これて︑分離生活が促進せしめられ︑遂には家族の独立がもたらされる︒もっとも︑すべての場合にそうなるとはいえないのであるから︑家族的結合関係の完全な解決を意味することにならない︒次に︑結合家族.の構成員各自の牧入の相違が︑家族的結合の分裂の一つの原因となることはあるが︑逆に︑独立の牧入と孤立レた生活が家族間の衝突を緩和し大きな共同集団の中の構成員としてそれと一体になることがある︒ 家族が結合し︐ていようと分離していようと︑結合生活の過程に現われた価値は依然として尊重される︒各構成員に分離生活の欲求が強いとしても︑結合家族の構成員の間の関係や︑結合することを本分と考える人々との間の関係では︑その欲求が弱められ調節されてしまう︒結合家族の誇りが独立の欲求を妥協させてしまうわけである︒個人の意志の社会化は︑それが民主的な方法で達せられるかあるいはその他の方法で達せられるかは別としても︑社会自体の進歩の必要によることである︒社会の変化進歩の萌芽は︑この結合家族そのものの中から見出されねばならない︒共同生活︑労働の分担とそれに応ずる報酬という雰囲気と様式の中で育成された共同と調和の精神の成長や︑構成員相互間の名誉の尊重︑犠牲的精神は︑結合家族の生活の中で教え込まれ︑これらすべては︑社会の進歩変革のために必要な要素として現われる︒たしかに個人は人格形成の過程にあるものといえる︒ところで︑結合家族生活で得られるものは全面的にいいとは考えられない︒そのいい点は︑多数の者と協和できること︑普遍性を有する事柄には容易にしたがうがうというところにあるかも知れない︒しかし︑もし結合家族が怠け者を造り出し︑個人の熱意と意欲とを締め上げてしまうなば︑不適当な誤った方向に
向うことになる︒今日でもそれが行われている︒そしてまた︑小さな家族という世界の中だけで調和と平等を保つに
すぎないものとなる.しかしながら︑この小宇宙的単位の中の訓練は︑インドの文化的潰産と社会進展の必要とにと
ってへ極めて有意義である︒レたがってこの点は︑インドの生活様式の変化と将来に対しては当面の問題と関係がな
いのだからというので︑見落されてはならないのである︒過去に帰ろうとすることは︑生活様式を逆の遅れた状態に
戻すことになろう︒しかしながら︑今では過去のものとなるべき結合家族によって達成せられた意志の社会化という
基盤にのっとって︑新しい生活様式をかちとることができるわけである︒
さて︑文化と社会変革を研究するに当って︑われわれは人間文化の自己陶冶の能力を考慮すべきである︒新しい構
成力が活動するようになったときは︑古い生活の編成は新しい型にとって代られる︒しかし人間の諸々の営みの最後
の目的は古いものを新しい様式に編成しなおすことである︒それは﹁誕生・崩壌﹂の過程ではなくして︑ ﹁誕生︒崩
壌・再生﹂の過程である︒われわれは後者の過程に意味を求めねばならない︒社会学者は︑人間の生活はもともと社
会生活として営まれて来たから︑そういう過程を辿るというであろう︒すなわちそれは集団生活としてであると考え
るであろう︒けれども︑そこには何らの文化的意義は存在しない︒われわれは社会科学者として︑インドの極めて重
大な社会変革が結合家族の崩壌の結果として考えられること葱指摘することで︑安易に満足するのであってはならな
い︒われわれは再編成と再生という差し迫った過程の意義をも指摘しなければならない︒そうすることによって将来
に対する計画を樹立することができるであろう︒
インドの家族関係一四三
研 究 年 同一四四
二
今日インドにおいては︑多くの家族の型があちこちに存在する︒家族は︑時と場所に応じてその型を変えて来た︒
古い結合家族や結合家族は︑同一の家屋を分けて使用するけれども︑台所は共同使用である︒幾つかの家族が分離し
て生活する場合でも︑土地と財産は共同所有であって︑農地は共同で耕作し︑結局のところ幾つかの家族は独立して
いないものと考えられるわけである︒そしてこれらは皆農村社会でみられるものである︒ 一般的に多夫制がとられて
いる地方では︑結合家族は普遍的な家族の型であり︑それは幾つかの多夫制家族から成り立っている︒そこでは二︑
三世代の者達が共に生活し︑同一世代の兄弟は一つのグルー.フをなし︑二人またはそれ以上の妻が︑特定の男子を夫
とみる排他的な権利を有することなしに生活している︒さらにまた︑同一世代の者は幾つかの小家族に分れて生活
し︑年長の世代の者は各人が妻を有し︑年少の世代の者は複数の妻を有しているのもある︒
家族的集団の様式ないし型が如何ようなものであれ︑家族集団は情緒的にも経済的にも深く緊密な連繋を略ってい
る︒家族集団の中での強力な情緒的な結び付きば︑個人の内心に潜み︑構成員を統一する︒結合家族が悪言したよう
にみえる場合にあってすら︑構成員間のつながりは完全には断ち切られない︒緊急な事態や危機が訪れるときには︑
相互のつながりが強調される︒しかもそのときには︑明白であれ暗々裡であれ︑嫉妬心と敵対心はそのつながりを妨
げることがない︒経済的共同が家族の構成員にとって必要であれば︑家族の機能はそれだけ重視されることになる︒
それぞれの家族にはある社会的地位が与えられ︑その地位に対する誇りから︑家族は︑不規則かつ異常な結婚がなさ
れることを排除しようとする︒家憲への厳格な服従によって他の家族に優越するよう努毒するのである︒
都市生活化は︑一面では︑人間を家族の伝統から解放して自由ならしめる方向を有する︒しかし百のうち九〇まで
は︑正統性が強調され︑慣習が顧慮されこれに拘束される結果となる︒ここに︑過去から現在への連続がみられ︑そ
れは現在を通して将来につながる︒祖先は家族の奉仕を受け︑祖先の名前は記憶に留められ︑社会的な儀式が行われ
る際にはそれが引用せられる︒そして祖先の善意と恵みは色々な儀式によって保持されてゆくのである︒妻は多産で
あることによって家族の有力な一員となる︒それは︑家族という一つの線が続いてゆくのは子供を通してなされるか
らである︒血統の型は家族的結合の大きな特徴であり︑経済的交流はなお血縁団体の紐帯の中で行われる︒
基本的な重要性をもつ集団としての家族の研究をなすに当り︑われわれは弾力性ある考察を加えて来たが︑その見
解は︑論理的にカーストの研究に適用されねばならない︒カーストは︑インドの社会生活においてもう一つの大きな
構成上の集団を形成しているものである︒インドにあっては︑カーストは社会的静態と殆んど同意義を有するのであ
るから︑このことは特に重要である︒カーストの研究について留意すべきことは︑社会学的な考察が倫理的な基調や
独断的な理論によって翠雲ならしめられていることである︒社会的な変革は動的な概念であり︑静的な考察の枠と混
同されてならないのである︒インドの社会構成は︑カーストという魔術的な言葉と相等しいものであるということが
できよう︒カーストはタブーやトーテムと同じものではない︒それは勿論複合的な現象であることに疑いないが︑弾
力的な過程を経て来ている︒カーストの歴史には三つのはっきりした時代があり︑充分考察の価値がある︒マヌ時代
のカーストは︑アヌロマ婚︵9︒づ菖︒ヨ鋤︶や︒フラテイロマ婚︵鴇乱臣︒日潜︶の脈絡の中で理解されるような︑過渡的な
インドの家族関係 一四五
研 究 年報 一四六
固定していない平面的な特徴をもつ流動的なものであった︒この時代はいわばカーストの構成の形成時代であった︒
次に中期のカーストは︑厳格な固定したものとなった︒その厳格さはむしろ分裂を招来はしたが︑それぞれの範囲を
限界づけたわけである︒カーストは宗教上の復興運動と覇を争ったが︑宗派之カーストのある型とがカーストの地位
を得んとする者を融和する動きを示した︒この時期のカースト構成は︑封建主義と宗教上の分派主義との交叉したも
のとして考えられるであろう︒現代のカースト構成は︑残存物との戦いを行い︑睡っていたし︑またばらばらであっ
た力を動かして来た︒その斗争は既に終ったけれども戦いの結果はあまりにも将来に対して早計であった︒カースト
の社会的機能に︑政治経済的な機能がからませられ︑それは︑禁断の果実を生ずることを知っていたカーストの申か
ら現われたものである︒
上級のカーストと下級のカーストの間にはっきりした分界線を引くことは極めて難しいことである︒両極の間には
中間︐のカーストが存在するし︑下級のカーストも今日では︑存在価値が明確になりつつあるのであって︑身分的な差
異が消失して来た︒彼らは一つの平面を動いているように思われる︒社会的な隔りが少くなってそれと分るようにな
った︒このことはカースト制度の将来にとっていいものをもたらすこととなるであろう︒
三
インドには婚姻生活のあらゆる型態がある︒すなわち︑母権制的な一妻多夫︑あるいは兄弟の一妻多夫︑
カーストにみられる如き一夫多妻︑あるいは妻を獲得する他の様々の方法がみられる︒ 後進的な
ヒンヅーの立法者は︑八つの異った婚姻形式を認めた︒ブラーフマ形式︵b口幅嘉吉9︶においては︑娘の両親が教育
のある有徳の青年を招き︑その娘を︑衣類と装飾.品を持たして彼にしたがわしめる︒ダイヴァ形式︵O避く陰︒︶にあっ
ては︑花嫁の父が義牲の儀式を行い︑儀式の司祭をつとめた有識の青年がその報酬として︑金銭は支払われないで︑
その花嫁が引渡される︒ 彼女は普通は飾りの宝石をちりばめている︒ 以上の二つの妻どりの形式は神聖なものであ
り︑神の与えるものとして受けとられている︒ そしてそれは望ましいものと考えられているのである︒ アールシャ
︵﹀目ωケ㊤︶と呼ばれる婚姻の形式は︑物々交換の制度に根ざすものである︒花嫁の父が若者から一番いか二番の家畜
を受けとり︑その代りとして自分の娘を若者に与える︒プラージャパティや形式︵℃円90﹂口bOけ団笛︶では儀式は何も行わ
れない︒花嫁は若者の選択にしたがって与えられる︒ただ︑結婚生活の徳を賛美し︑二人の結合が幸福と繁栄を得る
よう祈られるだけである︒アースラ形式︵︾ωロ鎚︶では︑それは今日ですら原始部族の間では行われているものであ
り︑また遅れた社会でも行われているものであるが︑花嫁の近親者が花婿から金銭を受取るものである︒もっとも支
払われる金額に関しては制約はない︒アースラ婚は︑物々交換の性質をもつアールシャ婚とは異るものである︒とい
うのは︑アールシャ婚では花嫁が一番いか二番いの家畜を受取るのだが︑アースラ婚では花嫁の価格は当事者間で決
定せられ︑そこにはかかる交換を規制する慣習がないからである︒ガーンダルヴァ形式︵Ωきき母くロ︶は︑当事者相
互の選択による結婚であり︑両親の権力の範囲から離れて︑その保護者に相談することなく自分達だけで結婚するこ
との意思を決定する︒ラクシャサ ︵児玉犀ωげ餌◎o潜︶ という婚姻形式は︑誘拐によってなされる︒それは時として注意深
く計画的になされることもあるが︑法典によって保障されている形式である︒集団間の対立や敵対と同じく︑掠奪生
インドの家族関係 一四七
研究年報 一四入
活もその間に恒常的な戦争状態を招来する︒その場合︑侵略する集団は侵略される集団を圧服させ︑男子を殺し女子
を連れ去る︒その結果が男女の結合を必然なものとするわけである︒かくしてそれは合法な婚姻形式と認られて来る
ようになる︒最後に︑パイシャーチャ︵勺餌一ωげ麟Oげ︶という婚姻の形式がある︒ それは強奪された女性がある社会的
地位を与えられることによって成立するものである︒睡眠中の女性を強奪した男性や︑あるいはその際彼女が自らを
ずることのできなかった場合には︑その女性を自己の合法的な妻として得ることが許されるのである︒
ヒンヅー社会は今日右に述べた八つの形式のうち︑二つのものだけを認めている︒すなわちそれはブラーフマとア
ースラである︒上級のカーストでは前者が好まれ︑下級のカースでは後者が好まれる︒もっとも︑上級のカーストで
もアースラがあちこちで行われ︑全く消えてしまったわけではない︒場合によっては︑その娘達を装飾品で飾り︑あ
るいは自分達の家で婚姻させることによって他の階層との結婚を阻止しようとすることもある︒また︑娘達を金に換
えようとしたり︑儀式婚をなすために娘を婿の家に送るものもみられるである︒
マヌ法典第三章によれば⁝⁝田辺繁子訳・マヌの法器沿︵岩波文庫︶⁝⁝次の如くである︒
二〇 さて︑四姓にとりて︑現世及び死後に︑幸或は不幸のもたらす以下の八︵種の︶結婚形式に関し︑約︵述︶
するを聞くべし︒
一二 ︵そは︶ブラーフマ婚︑ダイヴァ婚︑アールシャ婚︑プラージャパティや婚︑アースラ婚︑ガーンダルヴァ
婚︑ラークシャサ婚︑及び第八にして最も低きパイシャーチヤ婚なり︒ 以下略
四
インドの大低の地方で︑原始部族の間では︑結婚は簡覚な事柄であり馬特に儀式が行われるということなしに当事
者の二人が夫婦として生活するに至る︒殆んどの部族において︑結婚についてお互いの選択によって配偶者を見付け
るためには︑充分の自由が与えられている︒たとえ表面は両親が準備したような場合でもそうで︑最後の式のときに
意見が求められる︒部族によっては︑青年が彼の恋入の家で数週間ないし数ケ月一緒に住むことを許されるところの
観察婚︵鴇09江︒ロ︒曙ヨ鋤鼠潜σq①︶が行われる︒この場合は︑その後で彼等が一緒にやってゆけると考えるならば︑
結婚に合意し夫婦となるが︑お互いにうまくやってゆけないと考えるに至ったならば︑結合は破壊される︒但しこの
ときは︑青年は娘の両親に一定の金額の金銭を賠償として支払わねばならない︒
部族社会での結婚は︑ヒンヅーの間にみられるようなサクラメントでもなければ︑実生活に溶け込んでいないもの
でもない︒素朴な社会においては︑家庭生活の中で夫婦が摩擦を起す機会のあることを承認し︑それを如何に処理す
べきかを考慮している︒すなわち︑夫または妻としての適格性を欠くこと︑残虐なこと︑遺棄や姦通に対しては︑離
婚と別居が認められている︒このような限定があるために離婚という現象はそうざらにはみられない︒しかも離婚し
た者は︑夫であれ妻であれ︑社会的地位を失い︑また社会的な評価を下げてしまう︒そして︑夫が妻に奉仕しないと
きには︑夫は加害者とみられ︑世論は被害者たる妻に同情を集める︒女性はかなり広範囲の行動の自由を有し︑夫は
妻を自己と同等の者として取扱わねばならないのである︒しかしながら︑カーストの影響が浸透しているところでは
インドの家族関係 一四九
研究年報 一五〇
女性の行動の自由は制限され︑他との交際の機会が失われて︑女性は男性に従属する地位に制しめられている︒
の自由の制度が一夫多妻制を助長し︑そのため家庭内の紛争の起ることが屡々である︒ 女性
五
姦通は原始部族の殆んどのところで︑社会規範によって処罰せられる︒したがってかかる行為はそうぎらに起るも
のとは考えられない︒部族の統一がそれ程阻害されていないところでは︑当事者に対する破門と応報が姦通の生ずる
ことを抑止する︒しかし︑統一が崩落の過程にある部族にあっては︑部族的な監督と見張りでは姦通を抑止すること
は困難である︒そして結局︑追放という手段もかかる社会的な推移を防止するものにはならない︒しかも部族の長老
はかかる罪や社会的圧力について︑当事者から社会的自由を奪うことによって部族の統一を図ろうとしたが︑大耳の
場合に大した効果をもたなかった︒姦通した者が罰を課せられた時代には︑社会の慣行や規則を破り犯した者がそう
したように︑行為の結果から逃避するために︑彼等は自殺という方法を選ぶのであった︒それが社会を災厄から守る
ことになった︒今日では︑姦通した者は賠償として金銭を支払い︑また部族に御馳走を提供する︒もしそれで不充分
であるときは︑彼は一年間かそこら部落から離れる︒そのことによって人々は彼の社会的存在を忘れることになる︒
女性が優越した地位を占め︑結婚において配偶者を選択する力を有するところでは︑姦通ということが屡々起り得
る︒この際に︑部族の長老は行為者の罪を確定し処罰を定めるために︑会合を開く︒しかし︑告訴は事件によって夫
または妻たる女性は普通の犯罪の告訴と同様になし得るが︑夫は彼の友人達の助けと協力を得ることができなければ
その妻を告訴することができない︒すべての部族は姦通に対する処罰の権限を有している︒部族によっては︑姦通を
非常な恐怖の眼を以てみるものがある︒部族の神が汚されたと信ぜられ︑また不幸が関係した家.族の上に訪れるもの
と考えられている︒女性に対してかなりの自由を認めている遊牧︑放浪の部族ですら︑かかる社会的堕落についての
罪に関しては︑強い強制力を有する法を備えている︒・
部族によってはまた︑その部族内における道徳の弛緩や惇徳を許しているのもある︒しかし他の部族や他のカース
トに属する人間との聞のかかる行為は許さない︒この点で女性には厳しい干渉が加えられる︒よそ者と危険をおかし
て︑誘惑したりされたり︑親しくなるとすれば︑その女性は自己の罪を告白することが要求せられる︒性の弛緩に関
する部族の法を侵すことはできないのである︒このような事柄についての分界線がひかれ得るのは︑信頼の問題とい
うことになろう︒部族の長老の前で証明された姦通事件では︑当事者は︑苦痛を与えられた夫あるいは妻に賠償せね
ばならない︒そして部族民は長老のために提供された宴席に出席したり︑宴席の準備に立ち会ったりする︒ある部族
では︑罪ありとされた相姦者が夫婦として生活することを許すこともあるが︑大聖の場合︑彼等は敵対感情をもち隣
人達の間で︑自分達だけでやりくりしてゆくことになってしまう︒
部族社会で性的弛緩が認められているものがある︒かかる部族にあっては晩婚が通常であり︑処女性は結婚にとっ
て本質的なものではない︒ムンダ部族の間では︵導量鐙︶︑娘達と青年達は自由に交際することが許されているが︑
必ずしも結婚するわけではない︒彼らが十代を過ぎてすら結婚しない︒独身の青年や娘が同じ家で生活するところで
は︑性的訓練が伝統的な方法で伝えられ︑男女の若者達は︑彼らが夫婦として生活するために結合する以前に︑性の
インドの家族関孫 一五一
研究年報
一五二﹁
秘密を知るのである︒今や変貌した社会に適応するように部族の慣習が修正されたところでは︑性的弛緩は祭やある
儀式の間だけは許される︒しかし祭や儀式が終了すると直ちに幕が降され︑かかる弛緩は閉ぢられてしまう︒
多くの部族は︑ある意味ではより高い社会的地位への要求として︑幼児婚を行って来た︒ヒンヅーと隣り合せの部
族の間では実際に行われて来たものである︒また幼児婚は一面では性的な弛緩を引き締める手段としても考えられて
いる︒部村の長老連や主だった家族が︑その弛緩を引き締めるために幼児婚を普遍的なものたらしめんとするのであ
る︒もっとも︑これらの部族においては︑幼い妻が計画的な出奔という手段で︑後になって夫の家での生活を拒絶す
るという形で︑行動の自由が得られることになった︒ある地方では︑幼児婚とはいっても︑彼女がある財産を取得す
るときは︑必ずしもその夫と一緒に生活しなければならないことを意味しない︒婚資︵ぴ円一畠O b目一〇①︶その他の費用
を返還することによって︑少女は婚姻の義務から解放されて自由になることができる︒
六
ムンダの全部族および他の地方でも︑結婚に当って婚資を支払わねばならない︒古い時代には︑貨幣経済が発達し
ていなかったのだから︑恐らく家畜でこれを支払っていたに違いない︒今日では家畜と貨幣の両方で支払う︒ムンダ
部族では貨幣で支払う︒中には︑主要な部族の階層であるが︑贈り物︑衣類などが多少はそれに加えられることはや
むをえぬものとされているのもある︒共同経済組織が発達しているところでは︑結婚はさほど困難なことではない︒
というのは︑婚資は部落によって調達された共同の資金のなかから出される︒その資金は自分達の拠金によって準備
されたものである︒少し前の時代には︑各々の家族がその義務を果すために別途に家畜を保有しているのが常であっ
た︒今日でもその義務の存在は認められているが︑生活への欲求と個人主義的傾向のために︑その慣習の機能は確か
に変化したにもかかわらず︑その形式は依然として残っている︒一そこで今日では︑︐貧しい村人が妻を得る手段を準備
するには︑各自がそれを他の援助なく行わねばならない︒
主要な﹁文化人すなわち村の首長や僧侶も︑村民や自己の土地の集団に奉仕するとすれば︑婚資として二︑三百ルビ
ーの金銭を費す︒ある人はさらに多くの金銭を出す︒幾らかの階層の人々の間や︑殊に都市の中心に近く住んでいる
人々の間では︑ヒンヅーの上級のカーストとの接触によって影響を受け︑しばらく前の時代には︑新しい傾向が顕著
であった︒そのために︑家族的結合に入らんとする家族の間で贈り物をやりとりするようになった︒婚資は金銭︑家
畜︑宝石などで支払われたが︑娘の両親もまた花婿に何がしかの贈り物をなすのである︒そしてそのような地位にあ
ることを示すことを誇りとしたのである︒低いカースト階級では︑普通の人は婚資を得ることは大変困難である︒ム
ンダ部族の人々にとって結婚はさらに困難なものである︒一部分では幼児婚が行われているが︑貧しい人々の間では
堪えられぬ状態が出来上りつつある︒
ムンダ部族の間の結婚は関係した若者達に行われる︒誰と結婚するかをお互いに決意した当事者は︑一族によって
準備された家畜を婚資として支払いさえずれば︑若者達にとっては結婚生活に入るのに大した障害はない︒結婚の儀
式の部分は極めて簡単である︒部族の祝宴や友人達の訪問は︑二人の結合を固め印象的なものである︒花婿の方のグ
ループは花嫁の村のはずれに集り︑花嫁の方のグループはそれを待つ︒そこで花婿︑その友人達︑親戚の者が誇らし
インドの家族千丁 一五三
研究年報 一五四
げに花嫁の村に入り︑懇切な尊敬すべき態度で二人を祝福するのである︒
貨幣経済の導入とその共同経済組織への影響により︑若干の変化がみられた︒大鷲のムンダ部族は保護行政制度の
下に︑一定のきめられた地域で生活していたからである︒しかしヒンヅーの婚姻に関する思想と︑社会的適応性のた
めに原始的な農耕生活が一般的であった︒両者は︑娘を彼らにとっては極めて高額の婚資を獲得するものとして結婚
させることを恥じるようになって来た︒ところが両親の欲望が増加するにつれて︑娘達は最も高い値段で買い取るも
のに売られ︑その結果両親は世間からは卑しいものと目された︒そのため両親は高い婚資が得られるとしても︑かか
る結婚を娘にさせることの意思を積極的には示さなかった︒たとえその結婚がある社会的地位を約束することが分っ
ていてもそうであった︒そこで結婚の申込は花婿の方から来ることになった︒結婚の取引的交渉という方法が導かれ
たのである︒今日︑多くの家族がその支払った婚資の額を記憶しており︑若い男女すらその両親が結婚のために支払
ったものが何であるかを心の中では知っているのである︒婚資を支払わないで結婚した男女︑あるいは充分な婚資を
支払わなかった男女は︑そのことを恥としているが︑婚資を支払うことなく結婚した家族は数多く存在する︒
婚姻が婚資の支払を当然含むのであるから︑中庸をとる人は︑同盟を欲する家族の間で交渉をするし︑主だった文
化人や部族の役付の人々の間では予定婚が慣習となって来た︒普通の人は結婚するためには他の方法を見付けねばな
らない︒そこで部族社会は結婚の例外形式を認める︒さもなければ部族の構成は回復どころか破滅に瀕するに至るか
らである︒かくして部族社会は婚姻の例外形式を保障しなければならなくなる︒もっとも︑長老連は自分らの儀式や
祭をいいものとして考えるであろう︒そうすることによって隣人たるカーストの人々と同列に位することになるから
である︒ 部族集団が社会というピラミッドの底辺にあるとはいっても︑ある集団は他の集団と異った特色を有し︑それぞれ
の規則にしたがう︒しかし他方︑部族集団が明確なカーストに属する慣習や特色を適用することはあり得るが︑不明
確なカーストとの接触によってはそれ程影響を受けない︒
ムンダ部族の間には妻を獲得する様々の方法がある︒その方法は︑各々の文化程度に必要に合致するように分れて
いる︒部族の経済は進んだ集団との接触に拡がってゆく︒ある種の支払いは再び金銭でなされるようになり︑貧しい
家族を助けるために︑一族や部落から若者に与えられる任意の援助は︑もはや義務でもなければ︑それで充分だとい
うこともない︒かくしてムンダの娘達の結婚はむやみに約束されることはないようになった︒けれども青年達にとっ
ては結婚生活を営むことは極めて困難になった︒両親が生きている限り未婚の娘を保持してゆくという問題は生じな
いが︑未婚の娘達が兄弟や養女達と暮しを別にせねばならなくなると︑その間の争いが時には結合生活を不可能なら
しめることも起り得る︒ムンダの言葉の中には︑年頃の娘達に捧げられた毒茸という数の歌がある︒それは兄弟の妻
の横暴やわがままを歌ったものであり︑若者の関心を惹くためのものではない︒兄達の妻や義母の嫉妬が︑ムンダ地
方一帯で娘達に唱われている︒
かくして次第に︑金のかかる結婚の形式や部族内での高い地位を与えるような慣習に代って︑結合の例外形式が認
められることになった︒ムンダ部族では二つの形式が普遍的である︒結婚したいと望みながらも婚資を得られない若
者や自分の選んだ娘と結婚したいと思いながらも︑部族の事情や個人的な都合でぞうできない若者は︑その選んだ娘
インドの家族関係 一五五
研 究 三朝⁝ 一五六
を強奪せんと計画する︒もしその際娘が大声で助けを求めないとか︑若者の差出す食べ物を受取ることを拒否しなか
った場合には︑彼女は彼の適法な妻として留まることになり︑婚資は支払われなくともその結合は有効な結婚とみな
されるのである︒場合によっては︑強奪について責任のある若者は娘の両親と交渉して︑両親が一般に受取るべき婚
資を置くことがある︒このようにして結婚の例外形式に適法性が与えられるわけである︒今日でも掠奪婚が自然に計
画され実行されているところがある︒そしてこの場合は如何なる犯罪動機も否定せられる︒
もう一つの例外形式では︑その得たい選択した娘の誘拐の計画と実行は花婿たるべき者の方にあるが︑彼女が熱烈
に愛する男性の妻となるについてイニシァテイヴを有するのは娘の方である︒その実行がなされた後︑彼女が直観的
に若者の両親に好まれていないと知ったときも︑彼女の決意は結局家族の者に受け容れられて努力が報いられる︒そ
して彼女が家族の中で︑その息子の適法に結婚した妻として留まることが認められる︒初めは︑彼女は家事の手伝い
として生活する︒すなわち賦役が課せられる︒だから彼女は自分に反感を持っている家族のために働くことになる︒
しかも彼女が選んでゴールインした当の若者は︑彼女を避け︑両親が家族の指導権を持っている限り︑その息子が自
分達の歓迎していないメンバーと家の中で親しくすることを望まない︒もし若者が娘と既に親しければ︑彼等は彼女
の部屋で逢瀬をぬすむ︒しかしこれは両親に知られてはならない︒この場合︑娘にとって彼と︑両親に知られずに済
ますことは困難である︒したがって百中︑九十九までは若者が彼女に同情し︑彼女の希望を達成するために必要な勇
気を鼓舞する︒
右にみたようにして︑両方の例外的結婚形式はともにムンダ地方では合法であり︑生活の困難な条件からの打瀾を
なし︑結局︑高い婚資と不都合からのがれることができる︒かくして古い時代からの結婚問題の解決が得られるので
あるが︑それはヒンヅーが婚姻型態として八つのものを認めていたためであるといえる︒ムンダはまた同じようなや
り方で社会的危機を乗り越えて来たわけである︒
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