戦後カツオ・マグロ漁業の実態と展望
著者 柏尾 昌哉
雑誌名 關西大學商學論集
巻 創立七〇周年記念特輯
ページ 245‑271
発行年 1955‑11‑04
URL http://hdl.handle.net/10112/00022234
︵一︶日本漁業の上層建築と貧民窟
世界総漁湯の三分の一を占有し︑世界総漁業高の三分の一を産出し︑世界総漁業者の半分を数えた戦前の日本
戦後
カツ
オ・
マグ
ロ漁
業の
実態
と展
望︵
柏尾
︶
︻ 二
︼
展望を遠洋カツオ・マグロ漁業の分析をめぐつて解明して行きたい︒ カツオ及びマグロは現在において日本でサケ及びマスと並んで最も国際商品価値を有する重要な魚類である︒
戦後の日本漁業が幾多の矛盾を内包しつつもともかくもその繁栄らしい状態を回復することが出来たのは︑この
カツオ・マグロ漁業に寄与されるところが多かった︒この意味でカツオ・マグロ漁業の消長はそのまま日本漁業
のそれを代表しているものともいえよう︒従って又︑日本漁業における諸矛盾も戦後カツォ・マグロ漁業の動向
を通じて欄むことが可能である︒戦後の漁業独占資本︑中小漁業資本︑組合漁業︑沿岸零細漁家漁業等の実態と
戦前における遠洋カツオ・マグロ漁業の幻影
︻ 一
︼
序
戦後 カツ ォ・
マグ
柏
ロ漁業の実態と展望
尾
昌
哉
245
の伸やかな外観であった︒ 漁業は︑とかくの観点はあるにもせよ︑
ともかくも世界第一の漁業国であったことは間違いない︒それは︑アジ
ア大陸沿い水域︱
10
平方浬への進出はもとより南洋水域に南北米洲沖に南氷洋に印度洋にと侵略の魔手を伸ば し︑軍艦旗の護術による操業や奴隷的雇傭や牧奪︑更には驚くべき低賃銀や歩合︑板子一枚式の冒険的操業等々 幾多の話題を提供しつつ帝国主義的出漁を強行し︑犠牲を強いられた沿岸零細漁民の漁獲をも含めて遂には推定
五00
万屯に上る年間水産物を漁獲するに至ったのである︒
は︑あらゆる市場における強力な排斥にも拘らず強引極まるソツアル・ダンビングによってバクテリヤの如き強
靱さをもつてはびこり︑
ョーロッパ及びアメリカ魚罐詰市場を支配したのである︒これが戦前における日本漁業 併し︑このような華やかな上層建築の周辺には数え切れない程の貧民窟の存在していたことを忘れてはならな
い︒そこでの実状は決して華やかなものではなく︑むしろ矛盾に充ちた灰色の非人情的なものが旺溢しており︑
而もそこにこそ日本漁業の大きな特色があったことを知らねばならないのである︒この華やかな上層建築と貧民
窟との実態を観察しよう︒
漁獲高を甚準とした日本漁業生産力の歴史的発展は︑明治四一︳一年から始まつて昭和二年に至る第一の発展期と 昭和三年から八年をピークとして以後の横ばいを含みつつ一六年に至る第二の発展期と一七年から敗戦に至る衰 徴期とに分たれることは既に明瞭にされている︒大正年間を中心に展開された第一の発展期は︑資本制漁業を主 体とした沖合への進出を基軸としてくり拡げられたものであり︑第二の昭和期の発展は︑資本制漁業の遠洋への
そしてそのうちの罐詰製品︑
魚粉︑魚油︑鯨油等
246
か゜ 躍進と広汎な零細漁民層の一般的機動化による沿岸漁業の大型化能率化と部分的沖合進出とに結果したものであ
︵ 衷
1)った︒だから︑沿岸零細漁民を一時的にもせよ潤ったとすれば︑それは第二の発展期においてであった筈だ︒だ
が問題は昭和八年以降の横ばい現象である︒つまり全般的に見て︑漁業生産手段特に漁船の大型化及び漁網漁具
︵ 表
2)
︵ 表
3)
︵ 表
1)の高性能化が継続して行われたにも拘らず漁獲高が八年以降一向に増加しようとしなかった事実である︒例えば
漁船は︑昭和八年の漁獲高ピークには機動船約五万隻無機動船三二万隻合計約三七万隻︑総屯数にして約五0万
屯の漁船が存在し︑それは隻数面では徐々の増加でしかなかったが屯数面では急激な増加であり︑而もその傾向
︵ 表
2)は八年以降一六年迄続けられている︒即ち僅少乍ら増加傾向を示した隻数は一四年に一応三八万台に達し一六年
を最後に下向はするが︑而も猶この増加は機動船のみによってもたらされたものであったのだ︒
ち小型漁船の動力設置の時期は一応昭和一0年頃迄に完了しているからそれ以後の隻数増加は資本制漁業の沖合
遠洋用漁船の増加であり︑屯数指数の大巾な向上はこの事実を裏付けている︒従って八年以後も資本層のもので
はあったが︑漁船の機動化大型化は継続されたのである︒にも拘らず八年以後漁獲高は向上しなかった︒
とこ
ろが
︑
︵ 衷 1)る︒だから︑資本層の沖合及び遠洋漁業に関する限りでは漁船の高度化と漁獲高増加とは八年をピークとするこ この漁獲高の減少は︑実は沿岸漁獲高の減少であって沖合及び遠洋のそれは逆に延びているのであ
となく一六年の戦争突入迄相携えて上昇したのである︒他方︑沿岸漁業は沿岸漁民の一般的機動化の時期に漁獲
高を大きく延ばしたが略々機動化の完了した八年頃から漁獲高は下降線を辿り始めるのである︒何故であろう
戦後カツォ・マグロ漁業の実態と展望︵柏尾︶ 一般的機動化即
2‑47
(表1)日本の沿岸、沖合及び遠洋別漁獲高推移(単位万屯)
ゞ ‑‑‑‑‑. :::‑‑年‑‑度
」
1(9大154年) 1(9大209年)(119昭305年)l119昭338年)(19昭3914年)(119昭4116年)(119昭4520年) 1948年種 別 (昭23)
総 漁 獲 裔 218 4941 462 仰 230 310 消 岸 漁 獲 高 184 391 315 260 182 蕊9
彩 92 76 68 59 78 77
沖 合 及 び 遠 洋 漁 獲 湛
,
102 147 180 48 71%
,
25 32 41 22 蕊G.H.Q. 「日本の農林水産費源」、水産庁「漁獲物累年統計表」、東洋経済「経済 年鑑」昭5年一昭15年版、より作襲。内水面漁業は除外した。
(表2)日 本 漁 船 隊 推 移 指 数
~ 2 L J ! ! 隻 鑽 霧 鯖 I1, 函昭100•年JI竺,,... 昭1本 竺9371年12)竺寧(昭14年)1竺(1四駆16年)11竺(四昭18年)1
賛
(1四昭19年)1岳
1(幽昭幻年)I1, 幽昭21年)無機動船 100 100 99 99 98 97 88 数 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑
計 100 101 106 108 103 95 82
屯 数 I100 I 103 I 106 I 138 I 189 I 137 I 111 I 91 I 164
「農林省統計表」より作製、但し昭和19年及び20年の数字は概算であるから指 数も正確とはいいがたい。
(表3)船 型 別 動 力 漁 船 推 移 指 数
‑ ‑ ‑
区‑
別―‑‑‑‑‑:ロ~I 醤38叶醤rzjl 憫腐情関 I~醤。~1 営閉ミ
10: ;
屯未潤:~I:::::
100 166 270 236 89 288「農林省統計表」より作製、昭和19年、 20年は概算数字
24、8
(表4)主要国漁業比較(戦前最盛期)
\ 国別区‑‑‑‑‑分、I日 本Iア メ リ カIイ ギ リ ス1‑‑ド‑イツ‑‑
漁業者数(万人) 153.0 13.0 5.0 2.0 一人当漁獲高(屯) 2.2 11. 6 22.2 34.0 漁 船 数 ( 万 隻 ) 36.6 7.7 1. 3 1.2 ー船当漁獲高(屯) 9.3 19.7 85.3 56.6
除野信道「経済地理学概況」資料より作製
一方において沿岸漁業のもっ半封建的性格が生産力向上に対して阻止的で
あることがあげられ︑他方資本漁業による沿岸漁業への侵入とそれに伴う沿
岸漁業資源の枯渇化があげられる︒とあれこの減少しつつある沿岸漁獲をめ
ぐつて漁業経営体の九割以上を占める二四万戸の漁家がひしめき合っている
のである︒而もその沿岸漁獲も三割は資本層によって侵されているから漁家
の分け前は一層小さいものとなる︒そしてこれ等の漁家は半封建的漁場制度
によって沿岸漁場に緊縛され︑その因襲的封建的歩合制度は漁家の極度に低
︵ 表
4)い生産力と相連なって巨大資本に安価な労仇力を提供している︒ここにこそ
日本漁業の貧民窟二四万戸の漁家一四0万人に及ぷ漁夫の群が存在する基盤
が見出されるのである︒
このような半封建性のまつわる日本漁業の貧民窟は︑政府の漁業秩序維持
の基本政策に沿つて強力に存置され︑そこからの安価な労仇力は資本層による海外への軍事的侵略的漁業の生贄
に供されたのである︒そしてこの生贄の上に発展し開花したのが巨大資本の遠洋漁業であった︒日本遠洋漁業は
( 1 )
政府の強い庇護のもとに北洋を中核として発展した︒即ち︑北洋初期の発展に資金的背景をなした問屋的高利貸
的商業資本は網元及び漁民層の上向化漁業資本化を圧え乍ら逆に漁業権を通じて半封建的牧奪を極度に強化しつ
つ北洋の奥深く侵入し︑更には財閥の勢力争いも加わって︑華々しい独占的漁業資本の斗争となり︑遂には国家
戦後カツォ・マグロ漁業の実態と展望︵柏尾︶
249
︵二︶遠洋カツォ・マグロ漁業の役割 手を経なければならなかったのである︒かくて︑サケ︑ 日本漁業の中核は既に巨大資本漁業にあった︒遠洋漁業のすぺてと沖合漁業の八割と沿岸漁業の三割とを占め
た巨大資本を頂点とする漁業企業体群は︑その数こそ漁家の一割にも満たないが漁獲では五割以上を占めたので
ある︒その生産力の高かったことはいう迄もないが︑冷凍及び罐詰加工比率も遥かに高く︑特に巨大資本に至っ
ては殆んど一
00
彦近かった︒だから中小資本及び沿岸漁家の漁獲物も貿易のルートに乗るためには巨大資本の
を通じてヨーロッパ罐詰市場を独占し︑
市場を支配したのである︒
カツ
ォ︑
マグロの加工物は大洋漁業の手で三井物産を通じてアメリカ魚 これが日本旅業の華やかな上層建築の実態であった︒
マスの鮪詰は日魯漁業が︑カーーは日本水産が︑三菱商事 権力を背景とした三菱財閥日魯漁業の数次にわたる集中独占によって北洋の覇権は決定したのである︒北洋を閉め出された他の巨大資本の動きはどうであったか︒日本水産は日魯及び大洋︵林兼商店︶の対立の間隙を利用しつつ屁船式カーー漁業の独占を決定的とした︒又︑三井財閥系大洋漁業は主力を南方漁場に指向してその占有権を確保した︒捕鯨は日水︑大洋二社で分割し︑北海道を日水が握れば大洋は山陰九州の大型定置を占領し︑又台湾朝鮮は二社が分割独占したようにこれ等巨大資本の独占は内地沿岸の優良漁場をもくまなく覆う程のものであった︒このように日魯︑日水︑大洋の資本三社による国家権力を媒介とした内外漁業独占は完了し︑それは更に三
社による製氷部門︑加工部門︑貿易部門の独占的支配と連なって日本漁業において決定的強さをもつに至った︒
2~0
戦後カツォ・マグロ漁業の実態と展望︵柏尾︶
万貰で九番目に頻を出している︒カツオは全体の三彦︑ あろうか︒以下分析を進めて行きたい︒
その国際商品化に至ってはむしろイワツを凌ぎサケ︑
マ
H本漁業の部麗な上府建築と瑚惨な貧民窟とは︑少数の巨大狩本漁業と幣だしい零細漁家群とによっておりな されていたことは既に判明した︒然らばこのような日本漁業の中においてカツオ漁業及びマグロ漁業が更にはそ の最も発展した形態である舟船式遠洋カツオ・マグロ旅業が如何なる役割を演じどのような地位を占めていたで
先づ
︑ 日本漁業を彩どる主要魚類を︵表
5)
によって観察しよう︒実数でイワンが七一千万貫に上る漁獲高を 示し総漁獲魚類の半分を占めていることは近世以降変らぬ日本漁業の特色の一つであるが︑次いではニツン︑
ラ︑
サケ
︑
ス︑
タラ
︑
マス
︑ サバと続き︑第六番目に三千万貫の実数を有するカツオが登場し︑
グロはイワツに次ぐ日本漁業を代表する魚類であり︑
夕
マグロに至ってはニ・四千
︵ 表
5)
マグロは二形で︑両方合しても僅か五%に過ぎない︒と ころが︑これを価格計卵して見ると︑イワンの五六百万円に次いではマグロの二六百万円が続き三番目にはカッ
オの二0
百万円が連なっている︒即ちカツオとマグロは他の魚類より価格が高い訳である︒故に︑
カニ等の北洋魚と並んで海外市場を左右するものであった︒
当時既に日本漁業の中核は内地沖合及び遠洋において行われる資本制漁業であった︒
カツオ及びマ
︵表
6)
はこのような視 点からカツオとマグロを捉えたものである︒即ち内地沖合及び遠洋総漁獲高のうち実数ではカツオが六痴︑
マ グロが四彩を占め︑沿岸をも含めた︵表
5)
のときの二倍に上昇し︑価格に至ってはカツォ︱︱百万円マグロ一
0
百万円と一位二位を占め︑両者で総価格の三
0
%を占めるという大漁業であった︒つまり日本漁業の中核であ
2lll
る沖合及び遠洋漁業において価格の上で第一等の地位を占めたものがカツオ及びマグロ漁業であった︒カツォ旅 獲高の推移は︑大体において日本総漁獲高の推移と軌を一にしており︑大正年間の沖合進出による急激な発展は カツオ漁獲高を大きく上昇せしめ︑それは昭和初頭の若千の停滞をも遠洋進出によって拭い去り再び隆盛を取返
︵ 表 7)
したのである︒而もその昭和初頭の停滞ということこそカツオ沿岸漁業の弔歌をかなでるものであった︒因に︑
昭和以降のカツオの沿岸施獲は全体の二割にも足らないではないか︒要するにカツオは沿岸ではもう獲れなくな つていたのである︒とすると沿悴におけるカツオ漁業は︑カツオが如何に高価であってももはや重要な地位を占 めるものではなく︑零細漁民府の副次的漁業に転落せざるを得ないのである︒岸沿苓細旅家は既にカツオ漁業を
(表5)主要魚類漁獲高
1936年(昭11)
~ , 疇(万貫)1彩 ィ ヮ ッ n, 192 I 52
I
二 シ ン 11,978
,
夕 ラ 10,027' 7
サ ケ ・ マ ス 6,2871 5
サ ,, 4,905 4
力 ツ オ 3,171 I ' 3
カ レ イ ・ ヒ ラ メ 2,629 I 2
サ メ ・ フ カ 2,575: I 2
マ グ ロ 2,3581 2 ア ヂ 1,355 , ! 1
グ チ 1,355 , 1 そ の 他 14,846 I 11
計 138, 725I '100
「農林省統計表」及び水産庁「漁獲 物累年統計表」より作製
(表6) 魚種別内地沖合及び遠洋漁獲高
1935年(昭10)
魚ぐ種 数撮(万貫) % 価格(万円)1 %
イワン 1. s16 I 30 577 8
夕 ラ 2,032
,
351 4カ ツ ォ 1,652 7 1,089 16
カレイ 1,269 6 532 7
サ パ 1,095 I 5 347 4
フ 力 1,049 5 295 3
マグロ 912 4 1,025 15
その他 8,196 34 3,210 43 計 21,723 100 7,426 100
「農林省統計表」及び水産庁「漁獲物累年統 計表」より作製
252
(表7) ヵ
ツ オ 漁 獲 高 指 数 推 移 戦
後カツォ・マグロ漁業の実態と展望(柏尾)
‑‑‑‑‑‑‑‑‑区分‑‑‑年 ̲度、̲ ..‑ ̲le19明0位9)年l1e9大165年)l1e9大2115年)l1e9大2615年)l1e9昭305年)l1e9昭3510年)
I
1(9昭3914年)11(9昭4217年)消 岸 漁 獲 高 400 561 459 221 167 165 213 200 劣 80 61 38 22 17 15 15 16 沖合及び遠洋漁獲高 100 365 739 784 837 899 1,166 1,060
% 20 39 62 78 邸 85 85 84
ム ' 計 lsool 92611,19811,00511,004, 1,0叫1,37911,260
「農林省統計表」及び「農商務省統計表」より作製
(表8) 沖合及び遠洋別カツオ漁獲高推移 (単位万貫)
‑ ‑ ‑
区 分‑ ‑ ‑
〜`‑年‑‑‑‑‑‑度 11(9大2110年)11(9大2615年)11(9昭305年)11(9昭3510年)11(9昭3914年)I
1(9昭4217年)沖合及び遠洋漁獲高 1,359 1,441 1,538 1,652 2,143 2,003 沖 合 漁 獲 高 1,311 1,299 1, 町2 1,001 1,148 (927) 劣 96 90 83 61 53 (47).
遠 洋 漁 獲 高 48 142 266 651 996 (1,076)
彩 4 10 17 39
(53)
「農林省統計表」より作襲、 100屯以上の船のカツォ漁獲高を遠洋漁獲高とした。
なお( )は推定数字。
躍進を示し︑昭和一0年以降は四割一五年
以降は五割近くの漁獲高を挙げるようにな
10
0屯未満の漁船の大部分は協同組合或 に︑沖合カツオ漁業に従事する五屯ないし その経営担当者を漁船の点から考察する つてカツオ漁獲高増大に寄与したのであ
G表8)
る ︒ 滞状態に入るが︑遠洋のそれは目覚ましい った︒併し︑沖合カツオ漁獲高はその後停 合及び遠洋漁獲高の九割は沖合のそれであ の天下であった︒大正末期においてすら沖 ろうか︒大正期は問題なく沖合カツオ漁業 と遠洋とでは如何なる関係が見られるであ 洋カツオ漁業がそれである︒ところで沖合 ツォ総漁獲高の八五斧を占める沖合及び遠 も失ったのである︒カツオ漁業の中心はカ
258
(表9) 経営形態別沖合及び遠洋カツオ漁船推移(隻)
文•区、〜分、‑ ‑‑年‑‑‑‑‑‑‑‑度1 1(9大2110年)I 1(9大2615年). I 1(9昭305年)I 1(9昭3510年)I 1(9昭3914年)I 1(昭94217年)
5屯 漁 家 407 336 337 228 203 49
I 組 合 及 び 中 小 会 社 1,080 779 650 628 545 399 100屯 大 会 社 8 12 14 13 10 8 100屯 漁 家
゜ ゜ ゜ ゜ ゜ ゜
組 合 及 び 中 小 会 社 2 4 4 5 6 2 以 上 大 会 社 2 19 19 53 58 68
彎
「農林水産統計」及び「漁船統計表」より作製。
大正以来のマグロ漁業の発達はカツオ漁業を遥かに上廻るものであっ た ︒
︵ 表
9)
は中小資本の所有に属している︒これは所謂沖合カツオ漁業の主体が中小 資本及び協同組合と一部の一般漁家層にあったことを物語っているが︑昭 和以降その漁船数が漸減しているのは一
00
屯近くへの大型化傾向がある
とはいえ︑中小資本以下の沖合カツオ漁業の力が逐次後退しつつあったこ
10
屯以上の遠洋カツオ漁船は︑大0
正一
0年には僅かに四隻に過ぎなかったが昭和以降は急増し︑而もその八
︵ 表
9)
割以上が大会社の所有に属していた︒つまり︑遠洋カツオ漁業の主体は大 洋漁業を先頭とした巨大資本層であり︑それは昭和一
0年日魯漁業の北洋 独占完了による大洋漁業の南方進出によって決定的となった︒
この巨大資
本による遠洋カツオ漁業への進出は︑卓越した生産力と優秀な生産手段を もち而も国家権力すら背景にして開始され︑中小資本の沖合から遠洋への 伸張を阻止するとともに忽ちにしてカツオ漁業の決定的地位を奪ったので ある︒そしてこれ等巨大資本遠洋カツオ漁業においてマグロとの合同が行
われ︑より生産力の高い所謂遠洋カツオ・マグロ漁業が誕生したのであっ とを示しているといえよう︒他方︑
25‑4
(表10) マ グ ロ 漁 獲 高 推 移 (単位万貫)
戦 後 カ ツ オ
・ マ グ ロ漁業の実態と展望(柏尾)
, ~ 区分ー一←‑‑‑‑‑‑‑年度、 1(9大154年) 1(9大2615年)I 1(9昭305年)I 1(9昭3510年)I 1(9昭3914 年)I‑‑‑1(昭9421 ‑7年)
総 漁 獲 高 493 1,180 1,683 2,085 2,291 1,256
消 岸 漁 獲 高 397 451 555 830 922 377
同 % 81 認 31 37 33 30
沖 合 及 び 惹 洋 漁 獲 高 96 729 1,128 1,255
1,3:~I 898
同 彩 19 62 69 63 70
「農商涵省統計表」及び「農林省総計表」より作製。
(表11)沖合及び遠洋別マグロ漁獲高推移 (単位万貫)
‑‑‑‑‑‑‑区分‑ ‑ ‑ ‑ ‑年 度 11(9大154年) 1(9大2615年)11(9昭305年) 1(9昭351年0) 1(9昭3914年)1四(昭217年) 沖 合 及 び 遠 洋 96 729 1,128 1,255 1,369 878
沖 合 94 664 969 753 697 435
同 彩 98 91 85 61 53 45
遠 同 % 洋 2 2 66
,
159 15 502 39 673 47 蕊「農商務省統計表」及び「農林省統計表」より作襲。 100屯以上の緯の漁獲高を 遠洋漁獲高とした。
グロ漁業と残りの七割を占め而もアメリカ しない︒かくてマグロ漁業は︑依然として へ移り漁獲高も急増し大正期の重要な沖合漁業の一っとなったが︑カツオの場合と違つて沿岸漁獲がさして衰えず日本漁業全般
︵ 表
1 0)
の傾向と軌を同じくしている︒昭和初頭の
マグロ漁獲高の絶対的増加がこれをよく物
︵ 表
1 0)
語っている︒だが︑それにも増して沖合漁
長し︑昭和八年以後も全く停滞傾向を現出
全体の三割を占める大型定置による沿岸マ
市場に直結する沖合及び遠洋漁業とに分た
れるが︑沖合マグロ漁獲が昭和八年頃から 既にマグロ漁獲高の六割を漁獲する迄に成 業は大正後半から急速に躍進し同末期には 漁船の一般的機動化による五年以降の沿岸 た︒明治末年以降マグロ漁業も中心が沖合
2/SIS
(表12)経営形態別沖合及び遠洋マグロ漁船推移(隻)
‑
‑
‑
、
区 分 ‑‑‑‑年~、It悶器11926(大15年)11930(昭5年‑) 1(昭93510年) 1(昭93914年) 1(昭94127年)5屯 漁 家 390 888 336 325 312 262
― ー 組 合 及 び 中 小 会 社 734 1,287 1,444 1,4汲 1,009 619 100屯 大 会 社
,
14 19 15 15 8 100屯 漁 家゜ ゜゜゜゜゜
組 合 及 び 中 小 会 社
゜
4 4 6 10 3以.J:. 大 会 社 4 16 31 75 79 90
「農林水産統計」及び I漁船統計表」より作製。
なかったのである︒マグロ沖合漁業は大体において一
00
屯未満の漁船そ 力に推進されていたことを考え合わすと︑ 停滞するのに対して同年頃から飛躍的に発展した遠洋マグロ漁業が引続い
︵表 11 )
て向上している事実は︑マグロ漁業の中心が遠洋に移ったことを示してい
然らばマグロ漁業の担当者はどうであろう︒マグロ漁獲高の三割を占め
る大型定置による沿岸マグロ漁業は︑主として東日本で操業されたのであ
るが︑この漁業においても大日本水産会社を始め他の中小資本の独占が強
一般漁民層のものは殆んど残さ
れていないことが判明する︒極めて多大の資本を要するマグロ大型定置
は︑少くとも中小資本か協同組合漁業でなければ経営は困難であっただろ
ぅ︒従って沿岸零細漁民は沿岸マグロ漁業の利益すら享受することは出来
れも二〇屯ないし五0屯の漁船が圧倒的に多くその所有者の八割近くが中
︵表 12 )
小資本及び協同組合であることから︑その担当者はカツオと同様に中小資
本及び協同組合経営が中心であり︑恐らくはかなりの部分がカツオとの兼
営であったのだろう︒他方︑
10
0屯以上の大型漁船を有しての遠洋マグ
ロ漁業の主体は大会社経営であり︑而もその殆んどはカツオとの兼営で︑ るといえようか︒
256
りその上層建築の中にこそ重心があったのである︒ 所謂遠洋カツォ・マグロ漁業がその経営形態である︒そしてこの遠洋カツォ・マグロ漁業は昭和六年頃から急激に増加する︒つまり日魯漁業会社から北洋の閉出しを食った大資本が南海を中心にしてカツオ・マグロ漁業に進出し小漁民層の自己資本蓄積による内部発展的上向化を上から阻止したのである︒
以上のように︑
行され︑あまねく公海にカツオ及びマグロを追つて漁期による制限を乗り越えて一年中何時でも漁獲することを
可能ならしめ︑ カツオとマグロの合同は︑大資本による遠洋漁業において最も完全に︑そして最も効果的に遂
カツオ及びマグロ漁業の覇権を掌握するに至ったのである︒極めて能率的な大資本漁業に対し
て︑沿岸的制約に緊縛された小漁民層や資本力の弱い中小漁業は対抗すべくもなく︑而もその漁獲するカツオ及
びマグロも加工及び流通過程において大資本の系列に引込まれざるを得ない実状においてそれはなお更のことで
あった︒因に︑昭和一六年の統計数字は︑日本のカツオ及びマグロ漁獲高が第二位のアメリカの二七疹を遥かに
上廻る六ニ・三斧を占め︑而もその四割が世界最大のマグロ消費地アメリカに大資本会社の手を通して輸出され
たことを示している︒かくして︑カツオ及びマグロ漁業の中核である遠洋カツオ・マグロ漁業は巨大資本によっ
て余すところなく独占され︑而もその独占は単に遠洋のみにとどまらず︑国家独占資本主義移行の過程とともに
沖合から沿岸に迄も侵入し始めたのである︒これは︱二年日本が日華事変の渦中に投じ戦時体制がしかれるに及
んで決定的となった︒こうしてカツオ及びマグロ漁業における巨大資本の遠洋漁業における主動的地位は︑
日本
漁業の華やかな上層建築を代表するものであることが明らかとなった︒そしてカツオ及びマグロ漁業に関する限
戦後
カツ
オ・
マグ
ロ漁
業の
実態
と展
望︵
柏尾
︶
2.117
︵一︶生産手段の喪失
日華事変以後戦争経済は急角度に進みその矛盾は益々蔽いがたいものとなり国家独占資本主義は急速度に成熟
し︑遂には必然の過程として太平洋戦争に突入した︒もともと遠大な戦時消耗を伴う所謂総力戦的戦争段階にお
いて戦争経済が国家独占資本主義的戦時統制経済を要請するのは当然の帰結であり︑低位産業である漁業はもと
より農業とともにその中心的地位を占めた︒かくて戦争は︑先づ第一に中小漁業及び零細漁家に対する国家統制
による徹底的牧奪となって現出しこれ等の層を甚だしい窮乏化の淵に投げ込むとともに︑他方では巨大資本に対
して中国沿岸漁業権下附とか漁業資材の本省直接割当とか国外市湯喪失に代る軍用罐詰の買い付けとかの優先的
庇護を与えその独占利潤を保証せんとした︒だがこのような政策も激しい戦時消耗に打克つことは出来ず一七年
からの衰退は蔽うぺくもなかった︒特に遠洋漁業に重心のあったカツオ及びマグロ漁業においてその衰退は恐し
<顕著であった︒その原因として第一に考えられるのが漁業生産手段の牧奪である︒
戦争による産業構成高度化への強制的再編成は構造自体の矛盾激化と連なって漁業労仇力及び漁船の徴用とな
つて直接に具現した︒
註 (3) (2) (1)
近藤庶男編﹁日本農業の統計的分析﹂二八九ーニ九0頁
拙稿﹁北洋漁業の生成と発展﹂︵関西大学経済論集第四巻第三号︶
水産庁﹁*産統計﹂︵昭和一七年版︶参照
︻‑
︱︱
[︼
大戦と敗戦に伴う崩壊
一 五 0万を数えた漁業人口はそのうちから成年男児を三分の一以上奪い去った︒又︑人員
258
註④G•H•Q・天然査源局「日本の農林ホ産贅源」三九六頁 物資を運搬する輸送船の不足は漁船の徴用牧奪となり而もそれは戦争の進展とともに益々増加し再び漁業に帰る
( 4 )
ことはなかったのである︒機動漁船の八〇彩︑而もそのうち大型漁船は殆んど撃沈されてしまったのである︒遠
オ・マグロ漁船は一九年には僅か一割そこそこの一六隻を余すのみとなった︒加えて軍需産業中心への産業構造
の高度化は︑漁業再生産の基幹である生産手段生産を事実上停止せしめ︑あらゆる漁業用資材は不足を告げ︑石
( 5 )
油事情は極度に悪化し︑輸送機関及び冷蔵冷凍施設販売施設等は寸断されたのである︒かくて一八年頭初遂に遠
( 6 )
洋カツオ・マグロ漁業はその姿を消したのであった︒
︵二
︶漁
崩壊の第二の原因は漁場の喪失である︒特に遠洋漁業が既に決定的な比重をもつカツオ及びマグロ漁業におい
て広大な南方漁場の喪失は極めて大きい打撃に違いなかった︒戦争初期の段階においてこそむしろ若干の漁湯拡
大すら見られたが︑それは勿論部分的且つ短期的なもので一八年頭初には早くも姿を没してしまった︒時間的空
間的広がりをもつ近代戦の渦中では遠洋漁場は完全に戦場化されていたのである︒かくて遠洋漁場のすべてを含
む喪失漁場は戦前の九割以上に及び︑ここに日本漁業の崩壊が決定的となったのである︒
こうして戦前の華やかな日本漁業は︑
ところに一場の幕を閉じたのであった︒ その上層建築が多数の貧民窟をも引き込み乍ら音を立てて崩壊し去った
戦後カツオ・マグロ漁業の実態と展望︵柏尾︶
場 の 喪 失
洋カツォ・マグロ漁船も勿論その例外となり得る筈はなく︑一六年に一五0隻有余を数えた一
00
屯以上のカッ
2ll9
(‑︶従属的漁業上層建築の再建
戦後
︑
拙稿﹁太平洋戦争時における崩壊期日本漁業の実態﹂
水産庁﹁水産業の現況﹂︵一九五0年︶参照
占領下における日本漁業の蘇生
日本漁業は完全にアメリカの支配下に包摂された︒
進基地を牧奪し遠洋漁場を制限したアメリカは︑日本漁業をその沿岸の狭い範囲内に封鎖し自らの好む形におい
て日本漁業の蘇生を企図したのである︒而もその蘇生は急を要することでもあった︒即ち戦争破壊のもたらした 極度の食糧不足は国民大衆の食糧要求の高揚となり内外支配階級を恐怖させつつあったのである︒この恐怖をと り除くためにも派業生産の回復が急がれねばならなかった︒ここにアメリカ占領軍による日本漁業の蘇生が急ピ ッチで遂行されるのである︒而もその特徴は漁業独占資本を中心とする日本漁業の再編成とそのアメリカヘの従 属性とそれを軸とする旅業全体の植民地的軍事化とであり︑戦後日本政府の漁業政策は忠実なそれへの実行者と 戦争が日本漁業にもたらした結果が︑巨大資本に独占支配されていた北洋︑南海︑東海︑黄海︑朝鮮近海の植
民地的海外旅場の喪失と︑鋼鉄漁船の九0彦以上木造漁船の二七%及び数十万に及ぷ旅業人口の生命喪失とであ
ったことは既に述ぺた︒而もマ・ラインの制限によって操業水域は日本沿海に限定され戦前の一
0分
の
lに
なっ
しての点数かせぎであった︒蘇生の実態を見よう︒
(6) (5)
︻ 四
︼
( 7 )
マッカーサー・ラインの設定によって旧来の漁業前 ︵関西大学経済論集第四巻第六号︶参照
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