水産統計から見た日本統治期の朝鮮・台湾の漁業
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(2) i第22表 漁業に関する登録事件表(昭和12年). 1第23表 漁業組合設立状況表 i第24表 地方水産事業費累年比較表 }附表1.まいわし生産統計. }附表2.重要水産物(五十萬圓以上)漁期、漁場及漁具 一方、同じく1937(昭和12)年の『台湾水産統計』の目次は次の通りである(3)。 図表 「水産高価額」「水産業者」「漁船」「水産貿易」. 概要 1水産業 E水産貿易 皿魚市場 統計表. 1水産業. 1水産総高 2水産業者 3漁船及乗組員 4遭難漁船隻数 5遭難漁船乗組員 6遭難漁船損害高 7水産養殖 8沿岸漁業 9遠洋漁業 10漁獲物累年比較 11水産製造物. E水産貿易. 12総高 13輸出品 14輸入品 15移出品 16移入品 ’. 皿魚市場. 17市場別取扱高 18魚価 19重要魚類別取扱高 両者を比較すると、漁獲高の表示が、朝鮮(「第1表 水産高一覧」)が砥表示なのに対し て台湾(「1水産総高j)が斤表示であるように、いくつかの相違点がある。しかし、「図表」 「概要」「統計表」といった大まかな構成は共通しており、日本統治期の台湾・朝鮮の漁業 を、ある程度、比較検討することができる。. H.水産業の規模の比較 両総督府の水産統計の図表の部分に共通して掲載されている「漁獲高」「製造高」「養殖. 高」の統計により、両植民地の漁業の規模を比較したい。まず、次の【表1】と【表2】 で漁獲高を示す。二つの表はともに漁獲高を示したものであるが、【表11は数量で、【表 2】は価格によるものである。 【表1朝鮮・台湾の漁獲高(単位:千トン)】 年. 1933年 1934年 1935年 1936年 唾937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年. 朝鮮. 1,007. 1,394. 1,503. 1,668. 2,667. 2,219. 2,626. 2,214. 1,714. 1,092. 台湾. 692. 725. 786. 1,080. 780. 725. 826. 1,091. 772. 552. 【表2朝鮮・台湾の漁獲高(単位:千円)】 年. 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年. 朝鮮. 51β78. 57,777. 65,966. 79β79. 89,920. 87,082 151,098 175,498 166,751 162,066. 台湾. 10,807. 11,452. 13,640. 14,935. 14,513. 15β70. 一99一. 25,奥83. 38,895. 37,196. 31,477.
(3) 朝鮮の漁獲高は台湾の漁獲高よりはるかに大きい。【表1】でわかるように、数量で見た. 朝鮮の漁獲高が最大となった1937年には、両者の差は3倍を越えている。特に1930年代 後半に顕著となった両者の差は、朝鮮の漁業がマイワシの豊漁を享受したことによる。マ. イワシは1923年に「突然東岸に来襲して以来、急速に発展し遂に世界水準に達し」、 1939∼40年頃を頂点として「急に衰微した」漁業であった(4)。. 【表2】の価格表示による漁獲高を見れば、朝鮮は台湾のおよそ5倍程度の漁獲高を得 ており、両者の差は数量表示によるものよりもさらに大きい。また、マイワシは魚肥や魚 油に加工されたため、次の【表3】でわかるように、製造高でも朝鮮は台湾を大きく上回 った。朝鮮水産業にとって重要な位置を占めたマイワシ漁業については次節でさらに検討 したい。. 【表3朝鮮・台湾の水産業製造高(単位:千円)】 年. 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 偲39年 1940年 1941年 1942年. 朝鮮. 35,589. 45,533. 65,013. 79,377. 93,447. 台湾. 1,909. 2,291. 2,291. 2,500. 2,324. 96,817 167,916 181,758 172,631 146,347. 2β59. 6,582. 6,719. 6,945. 7,769. 朝鮮総督府殖産局『朝鮮の水産業』では、朝鮮水産業の発展は次のように高く評価され ている。1911(明治44)年と1937(昭和12)年を比較すると朝鮮は、漁獲高で13.2倍、 製造高で35.2倍の増加であったのに対し、同時期の「内地」は漁獲高で3.9倍、製造高で 5.6倍であった。「朝鮮漁業進歩の速度は寧ろ内地に勝るものあるを見るべし(5)」。朝鮮水. 産業発展への自負は、『朝鮮水産統計』の冒頭に「帝国内外地水産業比較表」を掲げている. 点にも現れている。次の【表4】は「帝国内外地水産業比較表」から作成した「内地」お よび各植民地の漁獲高の比較であるが、植民地の中では朝鮮が突出した漁獲高を示してい るのがわかる。朝鮮水産業のこのような実績を、朝鮮総督府の水産行政担当者は次のよ・う に誇らしげに記している。 ママ 昭和11年世界水産額に付いて見るに、世界の漁獲高17,448(千トン)中、日本は其. の33.8%を占め世界第一位に在り、7.5%の漁獲高を以て米国之に次ぐのであるが、 朝鮮のみでも1,506(千トン)即ち世界の総漁獲高の8.6%を示し米国の夫れを凌駕し て居り(中略・筆者・)其の躍進振は何人も驚異とする所である(6)。. 【表4漁獲高の比較(単位:千円)】 博36年 1937年 1938年 1939年 「内地」 300,131 309,536 359,430 520,988. 朝鮮. 79,879. 89,920. 87,082 151,098. 台湾. 14,935. 14,513. 15β70. 25,183. 樺太. 2,417. 9,660. 13,194. 21,144. 南洋. 3,585. 6,862. 3,942. 5,254. 一100一.
(4) 日本「内地」にも対抗しうる「世界第二位の水産大国」という意識は、日本の統治終了. 後も南朝鮮・韓国の水産行政担当者に残った。例えば、1947年6月26日付『水産経済新 聞』に豊富な資源を持つ「水産を土台とする産業国家」建設を主張した京畿道水産課長金 承柞の主張が掲載された(7)が、そこでも「世界第二位の水産大国」という言葉が使用され ている。. 本節の最後に養殖高について検討したい。次の【表5】で示したように、1930年代末に 朝鮮の養殖業も飛躍的な発展を見せ、台湾を逆転した。 【表5朝鮮・台湾の養殖高(単位:千円)】 年. 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年. 朝鮮. 2,904. 2,846. 2,902 「4,747. 4,586. 5,924. 8,308 15,470 18,471 27,290. 台湾. 3,224. 2,890. 3,484. 4,545. 5,525. 6,582. 4,207. 6,645. 9,884 11,855. 朝鮮の養殖高が台湾を逆転したのは朝鮮の海苔養殖の発展によるものであった。次の【表. 6】を見れば、海苔養殖高が1930年代末に飛躍的に増加したことがわかる。そして、生 産された海苔の9.割以上が移輸出され、その移輸出先の9割以上を日本「内地」が占めて いた。日本という市場が近くにあったことが朝鮮の海苔養殖の発展を支えていた。日本の 統治終了後、朝鮮海苔の正目輸出の再開が朝鮮の海苔養殖業者の大きな課題となる(8)。 【表6朝鮮の海苔養殖高(上段)および製造高(下段)に占める割合(単位・千円)】 年. 生産高. 割 合. 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年 2,500. 2,477. 2β86. 4,200. 3,923. 5β79. 7β34. 14,494. 17,278. 25,896. 86%. 8796. 82%. 88%. 85%. 9196. 92%. 94%. 9496. 95%. 7%. 596. 496. 5%. 4%. 12%. 10%. 896. 10%. 20%. 台湾の漁獲高は1942年には1899年の85倍、製造高は38倍、養殖高は42倍の増加で あった(9)。このように著しい発展を示した台湾の水産業であるが、それを規模の面ではる. かに上回ったのが朝鮮の水産業であった。その発展はマイワシ漁業と海苔養殖の驚異的な 伸びによる所が大きかった。朝鮮総督府殖産局『朝鮮の水産業』(10)が1919(大正8)年. 分から1942(昭和17)年分までほぼ毎年発刊されたのに対して、台湾総督府殖産局『台 湾の水産』の刊行は1935年のみである。これも、両植民地の水産業の規模の違いに関係 すると思われる。. 皿.朝鮮のマイワシ漁業 両総督府の水産統計では、水産行政担当者にとってそれぞれ関心を持つ分野を「概要」. で言及し、特別の統計を組んでいる。朝鮮はマイワシ漁業であり、台湾は「遠洋漁業」で ある。ここでは、まず朝鮮のマイワシ漁業を取り上げたい。 吉田敬市『朝鮮水産開発史』によれば、朝鮮漁業の発展は次のように時代区分される(11)。. 第1期:日本漁業者による通信出稼ぎ時代(明治時代). 一101一.
(5) 日朝修好条規が締結された1876年前後が端緒。 第2期 :移住漁村建設時代(大正時代). 日韓併合の行われた1910年前後以後。 第3期:自由発展時代(昭和時代) 第一次世界大戦以後、1945年の日本の敗戦まで。. 本稿で検討しているのは上記のうち第3期の自由発展時代である。この時期には、それま での「政府または府県等の保護奨励の下に行われた零細漁業に過ぎなかった」漁業から脱 却して「漁船の動力化と共に漁港の修築となって、沖合漁業へと飛躍し、我が朝鮮水産開 発の最後の実を結ぶに至った」と『朝鮮水産開発史』で吉田敬市は記す。その自由発展時 代の代表的な漁業が、機船巾着(旋)網漁業を中心とするサバ漁業、海苔を中心とする養 殖業、そしてマイワシ漁業、さらには機船底曳網漁業であった。特に、マイワシ漁業は朝 鮮漁業において重要な位置を占めた。次の【表7】を見れば、1930年代後半にマイワシの 漁獲が頂点に達したことがわかる。. 【表7朝鮮のマイワシ漁獲高(単位 数量:千トン、価格:千円)】 年. 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年. 数量. 337. 580. 価格. 5,766. 9,170. 800. 634. 79. 16,638 26,811 34,193 22,863 54,780 64,222 41,781. 6,352. 988. 1,388. 975. 1,207. 961. そして、次の【表81で明らかなように、マイワシ漁業め朝鮮漁業における重要性は隔絶 したものがあった。. 【表8朝鮮の漁獲高に占めるマイワシの割合】 年. 1926年 1927年 1928年 1929年 1930年 1931年 1932年. 数量. 18.7%. 29β%. 30.6%. 39.7%. 34.7%. 36.1%. 23.2%. 価格. 8.1%. 12.8%. 14.3%. 20.0%. 8.9%. 9.9%. 6.6%. 年. 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年. 数量. 33.4%. 41.6%. 53.4%. 56.2%. 65.6%. 55.4%. 59.0%. 55.3%. 48.1%. 9.3%. 価格. 11.3%. 15.9%. 25.2%. 33.6%. 38.5%. 26.3%. 36.3%. 36.6%. 25.1%. 3.9%. すなわち、朝鮮の漁獲高が最大となった1937年には、数量で6割以上、価格で4割近く をマイワシが占めている。1926年の数量で21 ? 度、価格で1割程度に比べて大幅な伸び である。. さらに、次官の【表9】でわかるように、製造高に占めるマイワシを原料とする製品の 割合も高い。マイワシを原料とした「三大油肥工業」とされる魚肥・魚油そして魚粉は、 1935∼40年目は製造高の半分を超えている。マイワシ漁業は、朝鮮半島北部を中心に、「こ. れを基盤とする世界的規模の油脂工業を生成させ、日本の水産業における重要な位置を占 める(12)」に至ったのであった。また逆に、朝鮮半島北部で発展した油肥工業の原料とし. 一102一.
(6) ての大量消費こそマイワシ漁業発展の重要な要因であった。 【表9朝鮮のマイワシ製造品の製造高に占める割合(1942年の「魚粉」は記録がない。)】 年. 紛33年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年. 魚肥. 16.1%. 21.3%. 21.9%. 23.7%. 272%. 19.9%. 22.0%. 20.6%. 16.6%. 3.1%. 魚油. 13.0%. 14.9%. 28.1%. 30.5%. 28.7%. 22.2%. 20.4%. 22.3%. 14.7%. 2.3%. 魚粉. 0.2%. 1.8%. 1.9%. 2.6%. 4.5%. 9.7%. 9.9%. 8.8%. 7.3%. IV.「遠洋漁業」の比較. 『台湾水産統計』では、漁業を、動力船を使用する「遠洋漁業」と使用しない「沿岸漁 業」に分けている。そしてさらに、「沿岸漁業」は定置、焚寄網、旋網、流網、刺網、地曳 網に分類される。また、「遠洋漁業」は、沖合漁業(旋網/流網1延縄!一本釣/鰹釣/突棒/其の. 他)、トロール漁業、機船底曳網漁業、珊瑚漁業、捕鯨漁業に分類さ図る。台湾の「遠洋漁 業」の発展は次のように高く評価された。. 台湾漁業における革命的事業は、昭和6年ごろから創始された遠洋漁業である。そ. の産額はその開始された当時の昭和7年六百余万円の漁獲高は昭和17年には実に二 千百余万円となって台湾水産の玉座を占めるようになった(13)。. 次の【表10】でわかるように、台湾の「遠洋漁業」の1930年代の発展は著しかった。台 湾の漁獲高が最高となった1940年には、.数量は8割近く、価格は7割を越えて「沿岸漁 業」を圧倒した。. 【表10 台湾の「遠洋漁業」の総漁獲高に占める比率((上段:数量下段:価格単位=96)】 年. 1931. 1932. 1933. 1934. 1935. 1936. 1937. 1938. 1939. 1940. 1941. 遠洋. 62.4. 61.3. 57.7. 59.9. 63.5. 65.1. 71.1. 69.7. 75.4. 78.4. 733. 65.4. 刹ニ. 66.9. ’67.1. 64.3. 63.2. 67.9. 68.7. 71.0. 70.2. 75.3. 73.1. 71.5. 67.0. 沿岸. 37.6. 38.7. 42.3. 40.1. 36.5. 34.9. 28.9. 30.3. 24.6. 21.6. 26.7. 34.6. 刹ニ. 33.1. 32.9. 35.7. 36.8. 32.1. 31.3. 29.0. 29.8. 24.7. 26.9. 28.5. 33.0. 1942. 一方、朝鮮の動力船を使用した漁業の比重は高くない。次の【表11】は、1941年の『朝 鮮水産統計』にある「漁獲高漁業別表」から「機船」を使用した漁業の漁獲高(価格)と 【表11朝鮮の「機船」を使用した漁業の漁獲高】 漁獲高(単位:干円). いわし機船巾着網. 総漁獲高の占める比率. 32,982. 19.8%. さば機船巾着網. 2,049. 1.3%. さば機船流網. 1,599. 1.0%. いわし機船流網. 2,013. 1.2%. 17,764. 10.7%. 機船底曳網. なかったとはいえ、朝鮮の動力船を使用した漁業の比率は合計しても3割強であり、台湾. 一103一.
(7) ほど高くないことがわかる。. そもそも、次に示す朝鮮総督府の水産行政責任者の回想にあるように、朝鮮総督府の方 針は動力船を持たない零細な沿岸漁業者の保護育成にあった。. 併合以後の産業に対する朝鮮総督府の方針は、大企業を呼び込むよりも、中小企業 や、零細企業を育てて行くということに重点を置き、漁業の場合もごく小さな漁業者 を保護育成するということを目的としてやり出した(14)。. このような方針の結果を、朝鮮と台湾の動力漁船数とその割合をまとめた次の【表12】に 見ることができる(15)。. 【表12朝鮮の動力漁船数(発動機船)とその割合】. 1934. 1935. 1936. 1937. 1938. 1939. 1940. 1941. 漁船総数. 5噸. 10噸. 20噸. 50噸. ネ上. ネ上. ネ上. ネ上. 朝鮮. 「満 223. 225. 743. 124. 3. 0. 43,149. 1,318(3.1%). 台湾. 200. 132. 367. 95. 50. 4. 4,367. 848(19.4%). 朝鮮. ’275. 246. 736. 148. 5. 0. 47,858. 1,410(2.9%). 台湾. 241. 152. 381. 60. 67. 4. 4,721. 905(18.3%). 朝鮮. 358. 326. 1,091. 235. 5. 0. 49,225. 2,015(4.1%). 台湾. 283. 168. 491. 53. 82. 4. 5,206. 1,082(20.8%). 朝鮮. 422. 548. 1,187. 357. 34. 0. 51,519. 2,548(4.9%). 台湾. 282. 167. 462. 46. 88. 8. 5,ユ30. 1,053(20.5%). 朝鮮. 525. 557. 1,187. 347. 65. 1. 55,883. 2,682(4.8%). 台湾. 303. 197. 492. 59. 135. 8. 5,210. 1,194(22.9%). 朝鮮. 648. 462. 1,188. 343. 76. 1. 57,246. 2,718(4,7%). 台湾. 369. 217. 575. 49. 139. 8. 5,141. 「 P,357(26.4%). 朝鮮. 721. 445. 1,229. 366. 89. 1. 58,885. 2,851(4.8%). 台湾. 477. 246. 563. 34. 151. 8. 5,467. .1,479(27.1%〉. 60,487. 3,020(5,0%). 5,831. 1,509(25.9%). 65,156. 3,277(5.0%). 7,002. 1,495(21.4%). 528. 260. 530. 32. 151. 8. 朝鮮 台湾. 562. 292. 449. 36. 148. 動力船総数 @(割合). 朝鮮 台湾. 1942. 蒸気船. 5噸. 年. 8. (1941年および1942年の朝鮮の頓別漁船数は不明なので空欄とした。). この表からは、朝鮮の動力漁船数は台湾の二倍程度であるが、朝鮮の総漁船数は台湾の十 倍程度もあるため、漁船の動力化率では朝鮮は台湾よりもかなり低いことがわかる。特に、. 50噸以上の大型漁船の数において朝鮮は台湾に劣っているのが注目される。すなわち、朝 鮮には台湾をはるかに上回る数の、動力漁船を使用しない沿岸漁業者がいたのである。 沿岸漁業者保護を主眼とした朝鮮総督府の方針がさらに明確なのは、「遠洋漁業」の中で. 一104一.
(8) も大型漁船を使用する底曳網漁業に対する施策である。底曳網漁業は効率性がよいため資 源を枯渇させ、沿岸漁業者との係争を明治時代から日本でも起こしてきた。そして、1戦後. の日韓・日中・日台の漁業紛争の焦点となったように、東アジアの近現代史において重要 な位置を占める漁業であった(16)。朝鮮・台湾両総督府は、この漁業に対して対照的な方 針をとった。. 台湾の底曳網漁業は200噸前後の漁船を使用するトロール漁業、および.50噸前後の漁 船で操業する機船底曳網漁業からなる。次の【表13】および【表14】でわかるように、. 1930年代末に台湾の底曳網漁業は頂点を迎え、特に台湾が最大の漁獲高を記録した1940 年には、数量で見た台湾の漁獲高の半分以上を底曳網漁業が占めた。台湾に50噸以上の 大型漁船が多かったのは底曳網漁業の発展のためであった。 【表13台湾の底曳網漁業漁獲高(上段:重量(単位=千斤)下段:価格(単位:千円))】 1931. 年 ト ロ. [ル 機船 皷g. 1932. 1933. 1934. 1935. 1937. 1936. 1938. 1939. 1940. 1941. 1942. 2,823. 2,636. 3,766. 5,022. 4,937. 5,419. 6,894. 10,207. 15β02. 24,839. 12,886. 19,484. 381. 366. 369. 409. 467. 470. 528. 1,164. 2β74. 3β18. 2,571. 4,493. 16,367. 14,189. 21β52. 25,821. 38,167. 37,086. 42,878. 45,426. 50β63. 70,365. 34,264. 14,802. 1,586. 1β49. 1,757. 1,684. 3,182. 3,443. 3,664. 4,445. 7,549. 10,213. 9,051. 5221. 【表14台湾の漁獲高に占める底曳網漁業の割合(%)(上段:重量下段:価格)】 年 トロー. 1931. 1932. 1933. 1934. 1935. 1936. 1937. 1938. 1939. 1940. 1941. 1942. 3.4. 3.0. 3.3. 4.2. 3.8. 4.2. 5.3. 8.4. 11.1. 13.7. 10.0. 21.1. 4.5. 4.0. 3.4. 3.6. 3.4. 3.1. 3.6. 7.4. 9.4. 9.8. 6.9. 14.3. 機船底. 19.9. 16.4. 18.5. 21.4. 29.1. 28.5. 32.9. 37.6. 36.6. 38.7. 26.7. 16.1. g. 18.7. 14.7. 16.3. 14.7. 23.3. 23.1. 252. 28.4. 30.0. 26.3. 24.3. 16.6. 台湾におけるトロール漁業の開始は1912年であるが、不況の影響を受けて廃業を繰り 返し、結局経営が軌道に乗るのは1927年以降であった。特に1939年にそれまで4隻だっ たトロール漁船が一挙に13隻にまで増加したことは注目される。台湾における機船底曳 網漁船の操業は1919年に開始され、その後順調に発展した。機船底曳網漁船も1930年代. 手に増加し、1938年の78隻から1939年には101隻へ、さらに翌1940年には136隻へ と漁船数は激増した(17)。. 一方、朝鮮の底曳網漁業の漁獲高を示す「漁獲高灘業別表」が残されているのは1941 年と1942年の『朝鮮水産統計』のみである。それを次の【表15】でまとめた。 【表15 朝鮮の機船底曳網漁業の漁獲高】 従業船釣. 漁獲高(千円). 漁獲高に占める割合. 1941年. 223. 17,764. 11.0%. 1942年. 224. 16,355. 9.8%. 朝鮮の機船底曳網漁業の漁獲高は台湾の2∼3倍程度であるが、総漁獲高に占める割合. 一105一.
(9) は10月前後で、台湾に比べてかなり低い。底曳網漁業に関して朝鮮総督府は、沿岸漁業の 保護育成を目的として、トロール漁業を許可せずまた機船底曳網漁船の大型化を許さない など、台湾総督府とは違い、消極的な姿勢をとった(18)。. 後に韓国政府は、「韓国水産業を萎縮させ、更に現在の韓国には近代化した漁船が殆どな いという事実でも知悉し得る韓国水産業界を原始状態に放置したく19)」と朝鮮総督府の漁. 業政策を非難した。しかし、朝鮮総督府の下で朝鮮水産業は日本「内地」を上回る発展を 示したのであり、大型の動力漁船が少なかったのは沿岸漁民保護のためであった。韓国政 府の非難は誤解に基づくものといわざるをえない。. V.台湾の民族二水産業者統計 【表16①台湾の水産業人ロ(分野別)】 1933. 1934. 1935. 1936. 1937. 1938. 1939. 1940. 1941. 1942. 漁 労. 84,489. 86,989. 87,717. 93,687. 92,438. 89,901. 93,295. 93,274. 89,138. 92,492. 養 殖. 28,478. 26,919. 27,047. 28,670. 26,013. 23,516. 20,654. 21,560. 19,483. 19,763. 製 造. 4,414. 4,463. 4,607. 4,511. 4,530. 4,550. 4,511. 4,689. 5,880. 119,345. 113β10. 年. 水産業人ロ. 117,381. 118,371. 119,321. 126,868. 122,981. 117,967. 4221 ,. 118,170. 118,135. 【表16②台湾の水産業人喰(民族別)】 内地人. 5,060. 5,310. 5,316. 5,885. 5,905. 5,887. 6,577. 6,510. 6,206. 6,366. 本島人. 111,796. 112,573. 113,606. 120,585. 116,358. 111,241. 110,805. 112,173. 106,627. 111,110. その他. 525. 488. 449. 398. 718. 839. 788. 662. 477. 659. 水産業人ロ. 117,381. 118,371. 119,321. 126,868. 122,981. 117,967. 118,170. 119,345. 113,310. 118,135. 上記【表16①】で示したように、台湾では、十年間で養殖業従事者は三割減少したのに対 して漁労従事者は一割増加した。また、【表16①】によれば、「本島人」すなわち台湾人水 産業者の数に大きな変化はないが、「内地人」すなわち日本人水産業者は二割以上増加して. いる。それでも、日本人は台湾の水産業者人口の5%前後にすぎない。さらに、漁労・養 殖・製造の各分野を民族別に見れば次の【表17】のようになる。. 【表17台湾水産業者の民族別割合】 年 漁労. 養殖. 製造. 1933. 1934. 内地人. 5.7%. 5.7%. 本島人. 93.8%. 93.8%. 内地人. 0.1%. 0.1%. 本島人. 99.9%. 99.9%. 内地人. 5.8%. 6.1%. 本島人 92.0% 91.7%. 1935. 1936 1937. 1938. 1939. 1940 1941. 1942. 6.0%. 6.2%. 6.4%. 6.4%. 6.7%. 6.6%. 93.9% 93.7% 93.3%. 0.1%. 923%. 92.6%. 92.7%. 92.7%. 0.1%. 0.5%. 0.1%. 0.2%. 0.2%. 99.5% 99.8%. 99.7%. 99.7%. 4.6%. 3.5%. 5.0%. 94.3% 94.7%. 96.5%. 943%. 5.8%. 0.1%. 5.9%. 0.1%. 0.1%. 99.9% 99.9% 99.8% 99.8% 6.6%. 6.4%. 5.9%. 92.1% 91.2%. 90.9%. 91.8%. 5.5%. 5.1%. 漁労分野で日本人の比率に微増が見られるものの、漁労・養殖・製造の三分野すべてにお. 一106一.
(10) いて台湾人の割合は圧倒的である。特に、養殖業は台湾人が独占していた。そして注目す べきは、次頁の【表18】で示すように、漁労と製造の両分野に民族別統計に業主と被用者 の数値が残されていることある。. 【表18① 台湾水産業者のうち漁労従事者の内訳】 1933. 年. 1938. 1940. 1939. 1942. 1941. 761. 774. 693. 709. 675. 637. 640. 646. 727. 被用者(B) 4,050. 4,255. 4,271. 4,850. 4,872. 4,910. 5,634. 5,635. 5β65. 5,368. 5.59. 5.52. 7.00. 6.87. 7.27. 8.84. 8.80. 8.30. 7.38. B/A. 5.52. 業主(A). 本島人. 1937. 734. 業主(A). 内地人. 1936. 1935. 重934. 25,887 27,912 28,150 30,392 30,985 29,647 31,783 31,832 30,290 33,044. 被用者(B) 53,390 53,678 54,188 57,439 55,290 53,953 54,481 54,547 52β84 52,740. B/A. 2.06. 1.92. L89. 1.92. 1.78. 1.82. L71. 1.71. 1.73. 1.60. 【表18② 台湾水産業者のうち製造業従事者の内訳】 年 業主(A). 内地人. 被用者(B). B/A 業主(A). 本島人. 1933 1934 1935 1936 1937 1938 1939 1940 1941 1942 46. 49. 45. 49. 47. 41. 32. 33. 26. 29. 210. 225. 209. 247. 242. 227. 182. 176. 136. 203. 457. 4.89. 4.64. 5.04. 5.15. 5.54. 5.69. 5.33. 5.23. 7.00. 1227. 1,524. 1,412 1,357 1,334. 1102 ,. 1,051 1,045 1ρ37. 1126 ,. 被用者(B) 2,649 2,736 2,908 3,014 3,067 3,131 2,944 3,148 3,300 4,096. B/A. t88. 2.02. 2.18. 2.74. 2.92. 3.00. 2.83. 2.80. 2.69. 2.69. 漁労・製造の両分野で共通するのは、日本人の被用者の割合が台湾人よりも高いことであ る。日本人水産業者は企業的経営のもとで働いていた人々が多かったのではないかと推測 される。. このような台湾における日本人水産業者の実態について、やや詳しく見てみたい。次頁. の【表19】は台湾の漁獲高が最高を記録した1940年における地域別の日本人水産業者の 統計である。. この表でわかるように、日本人漁業者が際だって多いのは台北州と高雄州であり、被用 者の比率も他の地域よりも高い。台北州にあった基隆と高雄州にあった高雄が、企業的経 営によって行われる底曳網漁業の根拠地であったことが関連すると考えられる。また、水 産製造業に従事する日本人女性が多いのも、両州の特徴である。他に日本人漁業者の多い. 地域としては、台東庁・花蓮二丁・膨湖庁がある。台東では1932年から1938年まで70戸 の「内地漁民招致」が「経費の全額を補助し」て行われ、花蓮港でも1938年から「五か年 計画百戸招致を目論見、計画過半の招致を了した」と記録にある(20)。このような台湾総. 督府による日本人漁業者の移民奨励策が、これらの地域の日本人漁業者の多さの背景にあ ったと推測される。膨湖庁で日本人漁業者の多い背景については不明である。. 一107一.
(11) 【表19 台湾在住日本人水産業者の地域別統計】 漁労業主 漁労被用者 漁労計. 州庁. 女. 男. 女. 男. 女. 男. 製造業業主 製造業被用者 女. 男. 女. 男. 製造業計 女. 男. 0 3β43. 1. 10. 0. 56. 49. 66. 49. 150. 0. 3. 0. 6. 5. 9. 5. 0 3,493. 1. 13. 0. 62. 54. 75. 54. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 5. 0. 6. 0. 0. 0. 6. 0. 5. 0. 0. 0. 5. 0. 6. ・ 0. 0. 0. 6. 0. 専業. 1. 0. 0. 0 ・ 1. 0. 1. 0. 1. 0. 1. 0. 兼業. 16. 0. 0. 0. 16. 0. 17. 0. 17. 0. 17. 0. 計. 17. 0. 0. 0. 17. 0. 18. 0. 18. 0. 18. 0. 専業 1. 4. 0. 23. 0. 27. 0. 10. 0. 35. 0. 45. 0. 兼業. 1. 0. 0. 0. 1. 0. 3. 0. 0. 0. 3. 0. 計. 5. 0. 23. 0. 28. 0. 13. 0. 35. 0. 48. 0. 専業. 131. 2. 1,967. 0 2,098. 2. 9. 1. 30. 6. 兼業. 12. 0. 187. 199. 0. 1. 0. 6. 5. 7. 5. 計. 143. 2. 2,154. 0 2,297. 2. 10. 1. 36. 11. 46. 12. 専業. 36. 0. 190. 1. 226. 1. 39. 0. 195. 3. 234. 3. 兼業. 4. 0. 11. 0. 15. 0. 4. 0. 11. 0. 15. 0. 計. 40. 0. 201. 1. 241. 1. 43. 0. 206. 3. 249. 3. 専業. 28. 0. 54. 0. 28 54. 0. 0. 2. 0. 2. 0. 花蓮港 兼業. 38. 0. 2. 0. 40. 2. 1. 1. 0. 0. 1. 1. 66. 0. 56. 0. 66 56. 1. 1. 2. 0. 3. 1. 専業. 1. 0. 60. 0. 61. 0. 1. 0. 1. 2. 2. 2. 兼業. 1. 0. 6. 0. 7. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 計. 2. 0. 66. 0. 68. 0. 1. 0. 1. 2. 2. 2. 台北. 専業. 321. 1. 3,022. 兼業. 38. 0. 112. 359. 1. 3,134. 専業. 0. 0. 兼業. 5. 計. 計. 新竹. 台中. 台南. 高雄. 台東. 計. 影湖. 0. 0. 7. VI.朝鮮の民族別水産業者統計 一方、『朝鮮水産統計』にある朝鮮の水産者人口の民族別統計は、次頁の【表20】のよ うな概括的なものしかない。. 下記の表によれば、十年間で、朝鮮人水産業者戸数は四割近く増加したのに対して日本 人水産業者の戸数は三割近く減少した。日本人水産業者の減少は、台湾とは対照的な現象 である。. 一108一.
(12) 【表20朝鮮の水産業人ロ】. 内地人 戸数. 1936. 1937. 1938. 1939. 1940. 1941. 1942. 4,472. 4,632. 3,671. 3,465. 3,589. 3,670. 3,232. 141,931 151,161 155,268 162,850 170,220 168,542. 175,043. 182,222. 20. 53. 3. 146,362 155,481 159,750 167,329 174,956 172,233. 178,561. 1933. 年. 朝鮮人. 4,424. 水産業人ロ. 1935. 4,295. 7. 外国人. 合計. 1934. 5. 4,469. 13. 7. 4. 188,545 196,814 3. 2. 185β14 192,218 200,048. 350,455 339,083 349,224 382,108 396,042 396,541 410,837 431,212 469,521 493,022. 上記表中の水産業人口の民族別構成は不明であるが、朝鮮総督府の水産行政責任者は、太 平洋戦争当時の朝鮮の水産業者を43万人として次のように回想している。 日本人の漁民は二万何千人かでその人達がやはり経営上、指導上の立場にいました ので、結局約二万人遅日本人漁業者が、大体四十万見当の朝鮮人漁民を養っていたと も言えましょう(21)。. 「経営」の中心にあった日本人が朝鮮人を「指導」して朝鮮水産業を支えたというこのよ うな評価を、後に韓国の水産業研究者は厳しく批判した。次は『韓国水産発達史』(1966 年)の一節である。. (次頁の【表21】にあるように(筆者一補註・))韓国人は日本人に比べて出漁船囲. において二倍から四倍に達し、従業員数も数倍に達している。しかし漁獲物販売金額 は両者が対等でむしろ日本人のそれが多い時もある。(中略一筆臭うこのように里民. 族間で生産力の格差が大きかったことは近代化された能率的な大規模漁業は主に日 本人が経営したのに対して、韓国人は大部分が零細な漁業を経営していたことに起因 する。(中略・筆者・)韓日合邦以後韓国人漁業戸口の逓増、在来式漁具の数量的増加. および改良、能率的な日本式漁具・漁法の普及等で韓国人の漁業も着実に発達したこ とは否定できない事実だ。しかし韓国人の漁業は、韓海における日本人の漁業と歩調 を合わせて近代化の道を歩むことはできなかった。韓海漁業は、沿岸性の落後した零 細経営を主体とする韓国人漁業と、資本制的大規模経営を主体とする日本人の漁業の 間に不均衡的発達をもたらし、その結果漁業経営構造は二重的構造を持つことになつ た(22)。. 上記文中の「資本制的大規模経営」とは機船巾着網・機船底曳網・捕鯨漁業などの「遠 洋漁業」、そして潜水器漁業や沿岸定置網漁業をさすとされている。これらを日本人が独占. したのに対して、朝鮮人は零細な沿岸漁業に甘んじ、低収入を余儀なくされたと批判して いるのである。さらに『現代韓国水産史』(1987年)では、「日帝時、植民地搾取の手段と. して制定された朝鮮漁業令・朝鮮魚族蕃殖保護取締規則の施行結果は我が漁民の遠洋漁業 への進出を封鎖させて沿岸漁業だけに執着させることになり、沿岸漁業もまた少数の資本 家の手によって二二されて多数の漁民は搾取だけを受けてきた」と、朝鮮総督府の水産政 策は非難されている(33)。. 一109一.
(13) 【表21「民族別出漁船数、従業員数および漁獲高」】 年. 1912. 1914. 1916. 1918. 1920. 1922. 1924. 1926 1928. 1930. 1932. 民族別. 出漁数. 従業員数. 漁獲高. 韓国人. 10,502隻. 160,809人. 朝鮮人. 5,653隻. 韓国人. 一隻当たり漁獲高. 一人当たり漁獲高. 4,829,853円. 459,9円. 30.0円. 22,488人. 3,636228円. 643.2円. 164,1円. 22,158隻. 177,781人. 5,615,459円. 253.2円. 31.6円. 朝鮮人. 11,135隻. 42,451人. 6,449,226円. 579.2円. 133,1円. 韓国人. 34,627隻. 216,295人. 7,960,982円. 229.9円. 36.9円. 朝鮮人. 10,621隻. 63,186人. 7,994,940円. 752.7円. 126,5円. 韓国人. 39,000隻. 272,077人. 14,670,068円. 229。9円. 53.9円. 朝鮮人. 10,621隻. 74,349人. 18,193,334円. 1,288.6円. 244,7円. 韓国人. 40,664隻. 265,962人. 20,207,482円. 496.9円. 79.7円. 朝鮮人. 12,667隻. 65,519人. 19,067,163円. 1,504.5円. 290,7円. 韓国人. 45,371隻. 324,685人. 23,985,180円. 506.6円. 73.9円. 朝鮮人. 15,032隻. 78,142人. 23,550,901円. 1,566.7円. 301,4円. 韓国人. 41,509隻. 313,725人. 24,828,038円. 598.1円. 79.1円. 朝鮮人. 19,947隻. 76,296人. 27,169,883円. 1,362.1円. 356,1円. 韓国人. 48,886隻. 327,272人. 25,888,266円. 529.6円. 79,1円. 朝鮮人. 14,224隻. 78,896人. 27,854,601円. 1,958,3円. 353,1円. 韓国人. 56,816隻. 391,981人. 32,994,631円. 580.7円. 84.2円. 朝鮮人. 14,224隻. 83,050人. 33,11,421円. 2,312.3円. 386,7円. 韓国人. 62,357隻. 389,150人. 26,543,663円. 425.7円. 68.2円. 朝鮮人. 13,846隻. 80,908人. 23,585,365円. 1,703.4円. 291,5円. 韓国人. 62,249隻. 361,557人. 25,583,409円. 411.0円. 73.5円. 朝鮮人. 14,744隻. 81,465人. 20,680,183円. 1,402.6円. 353,9円. 一方、『朝鮮水産開発史』を著した吉田敬市の日本統治期の朝鮮漁業に関する見解は次の 通りである。. 邦人の鮮海漁業開発(中略・筆者・)の進行と共に日鮮両国人の間に於て経営の分化. 作用が起り、二者の経営分野は大体に於て分離するに至った。その著例はマイワシ及 ゲ、サバ巾着網漁業、機船底曳網漁業である。これ等企業的漁業は資金・技術等の面 から朝鮮人の進出が遅れたので、最後まで殆ど邦人の独占的経営であった。一方、朝 鮮人は(中略・筆者・)最後まで大体に於て零細的漁業の圏内から脱出する事は出来な かった(24九. 吉田敬市は、日本人の「企業的漁業」と朝鮮人の「零細的漁業」の分化を、「資金・技術等. の面」からおこった一種の「棲み分け」と見なしている。このような吉田の見解と、漁業. 一110一.
(14) 者間の格差の要因を日本の支配に求める韓国の水産業研究者の批判とは鋭く対立する。た だし、漁業者間の格差は戦前の日本「内地」でも見られた現象であった(25)ことは、吉田 の見解の背景を考える際には必要であろう。. なお、日本の統治が終了した後も、「絶対多数の漁民が従事していながら漁船および漁具 の貧弱と前近代的な生産方法を踏襲」しているという『現代韓国水産史』の記述のように、. 沿岸零細漁民の状況は変わらなかった。’同書では1950年代の沿岸漁業者について、「漁船. は隻数面では全体漁船の95%以上を占めているがトン数においては70%未満に過ぎず、 一隻当たりの平均トン数は3トン未満で零細性を免れていない。また沿岸漁船中約90%が 無動力漁船で、沿岸漁業が小規模の無動力船に依存して零細漁業を経営していることを端 的に表している」と記されている(26)。沿岸漁業者救済のため韓国政府は、1965年の日韓 国交正常化とともに導入された「請求権資金(日本からの経済援助)」で漁船を建造し、. 1972年からは漁村を経済的・社会的・文化的に向上させようとする「漁村セマウル運動」 を展開したのである。少数の水産業者の「企業的漁業」と多数の沿岸漁業者の「零細的漁 業」の格差は、日本統治期の朝鮮に特有の現象ではなかったのである。. ところで、前述の『韓国水産発達史』で朝鮮総督府の水産施策批判の根拠となった【表. 21】は『昭和七年朝鮮総督府統計年報』(1934年3月)中の「出漁船及漁獲高」の統計 から作成されたものである。『昭和七年朝鮮総督府統計年報』では、この他に、「漁具類別」 「水産業者用船舶」「漁業出願及免許件数」「漁獲高種類別」「水産養殖別面積及生産高」「水. 牛製造物」の項目が、「内地人」「朝鮮人」に分類されている。興味深いのは、翌年すなわ. ち昭和8(1933)年から昭和17(1942)までの『朝鮮総督府統計年報』ではこれらの民 族別統計がないことである。この十年間は筆者が本稿で検討してきた時期であるが、『朝鮮 水産統計』にも詳細な民族別統計がないことはすでに述べた通りである。. この十年間に、朝鮮総督府が水産業の民族別統計をとっていなかったわけではないこと は、「遠洋漁業」に関する朝鮮総督府の元官吏の次の回想で明らかである。. 終戦当時に於いて見るに 業種別. 日本人経営数. 総数:. 朝鮮人経営数. 機船底曳網漁業. 197統. 166統. 31統. 機船巾着網漁業. 86統 23隻. 77統 23隻. 9統. 185隻. 173隻. 12隻. 捕鯨漁業. 潜水器漁業. 以上のようにその80%以上を日本人で経営し、動力付漁船にしても約三千隻の内 60%は日本人のものであり、今日の価格ですれば、日本入の水産投資額は概算二百 億円を遙かに凌駕するものと推定される(27)。. 民族別統計が『朝鮮水産統計』や1933年以降の『朝鮮総督府統計年報』に記載されなか った理由は明らかではない。. 一111一.
(15) おわりに. 本稿において筆者は、日本統治期の朝鮮・台湾の水産業について、漁獲高の比較、朝鮮 のマイワシ漁業、台湾の「遠洋漁業」、両植民地の民族別水産統計などについて検討してき. た。現在の筆者の関心が日韓関係にあるため朝鮮の水産業の検討により力点を置くことに なったが、言うまでもなく、さらに検討すべき課題は多い。日本内地の水産業との比較、. 日本政府の水産政策と植民地行政との関連、そして水産物の流通や消費そして輸移出の構 造の究明などである。これらの課題への取り組みについては他日を期したい。. 註. (1)筆者が所在を確認している両総督府の水産統計は次の通りである。 朝鮮総督府による『朝鮮水産統計』(カッコ内は刊行年月日). 昭和10年(1937年3,月3月31日)!昭和11年(1938年3月3・1日)1昭和12年. (1939年3月31日)1昭和13年(1940年3月31日)1昭和14年(1941年3月 31日)/昭和15年(1942年3月31日)1昭和16年(1943年3月31日)1昭和17 年(1944年3月31日) 台湾総督府殖産局水産課によ.る『台湾水産統計』(カッコ内は刊行年月日). 大正8年度(1921年3月31日)ノ昭和3年(不明)/昭和4年(1930年9月20日) ノ昭和5年(1932年1月30日)/昭和6年(1933年1月20日)1昭和7年(不明) 1昭和8年(1934年10月31日)/昭和9年(1935年9月24日)ノ昭和10年(1937. 年1月31日)ノ昭和11年(1938年3月26日)ノ昭和12年(1939年3月26日)/ 昭和13年(1940年2月28日)1昭和14年(1941年2月27日)ノ昭和15年(1942 年3,月11日)/昭和16年(1943年3月8日)1昭和17年(1944年2月10日) (2)「帝国内外地水産業比較表附朝鮮内原始産業生産高比較表」は昭和10年の統計に はない。「水産高一覧」は昭和10年・昭和11年の統計にはない。「水産貿易総括表」. 「水産物種類別輸移出高望」「水産物種類別製移入高表」は昭和15年・昭和16年・. 昭和17年の統計にはない。「まいわし生産統計」は昭和10年・昭和17年の統計に はない。. (3)昭和10年の統計では、図表は「図面水産高水産業者及漁船」となっている。昭和. 16年・昭和17年の統計では図表に「魚価」が加わっている。なお、昭和17年の み台湾総督府農商局水産課発行である。. (4)『朝鮮水産開発史』(朝水会下関 1954年5月)333頁。 (5)朝鮮総督府殖産局『昭和十三年朝鮮の水産業』(1939年3,月)3頁。 (6)岡信堆糞「躍進途上の朝鮮水産業」(朝鮮総督府『朝鮮』305号1940年10月)。岡 信侠助は朝鮮総督府殖産局水産課長であった。. (7)「京畿道水産課長金承柞氏放送要旨朝鮮水産業の現段階世界第二位を占める水産国. 一112一.
(16) 地理的条件で資源豊富水産を土台に国家建設」。『水産経済新聞』(ソウル)は朝鮮. 水産業会の機関紙であった。朝鮮水産業会は日本統治期の1944年4月に水産関係 団体が統合されて生まれた統制団体であり、日本の統治終了後に南朝鮮を統治して いた米軍政庁は同志を政府の「代理機関」と位置づけていた。大韓民国政府成立後. の1949年1月からは韓国水産業会と改称した。 (8)拙稿「戦後日韓貿易における海苔問題一1949年の日韓通商交渉を中心に一」(兵庫 教育大学東洋史研究会編『東洋史訪』7号 2001年6月)参照。 (9)外務省条約局法規課『外地法制誌第三部の三日本統治下五十年の台湾』(1964年. 9月)424頁。 (10)昭和17年と昭和18年の『朝鮮の水産業』は朝鮮総督府殖産局ではなく朝鮮総督府. 農林局の発行である。これは、1942年11月1日に行われた朝鮮総督府の機構改変 により水産課が殖産局から農林局に移管されたことによるのであろう。 (11)『朝鮮水産開発史』158∼159頁。. (12)岡本信男『近代漁業発達史』(水産社東京1965年3月)95頁。 (13)前掲註(9)424頁。. (14)穂積真六郎『朝鮮水産の発達と日本』(財団法人友邦協会 1968年12月)44頁。 (15)酒中の漁船総数には、水産統計には記載されている、朝鮮の運搬船および台湾の竹 筏は含まれない。 (16)拙稿「日韓漁業問題の歴史的背景一旧植民地行政機関の漁業政策比較の視点から一」. (東アジア近代史学会編『東アジア近代史』52002年3月)」、「李承晩ライン 宣布への過程に関する研究」(『朝鮮学報』1852002年10,月)、 「戦後日台間の漁業. 交渉について」 (兵庫教育大学東洋史研究会編『東洋史訪』92003年3月)。 (17)拙稿「『支那東海黄海漁業協議会』と台湾」 (兵庫教育大学東洋史研究会編『東洋. 岬町』112005年3月)。 (18)前掲註(18)。. (19)「李承晩大統領宣言にたいしての日本政府からの抗議口上書にたいする韓国政府か. らの回答覚書(昭和27年2,月12日干)」(『レファレンス』33(国立国会図書館調 査立法考査局 1953年11月))。 (20)前掲註(9)426頁。 (21)前掲註(14)41頁。 (22)水協中央会漁村指導課『韓国水産発達史』(水産業協同組合中央’. ?@ソウル1966年. 4,月)376頁。. (23)『現代韓国水産史』(社団法人水子会 ソウル1987年12月)338頁。このように日. 本の統治を非難したにもかかわらず、1953年9月に韓国政府が制定した水産業法は 1929年1月に公布された朝鮮漁業令およびその付属法令を「編成と制度面」で「大 幅に参考にした」ものであったと同書にあり(345頁)、矛盾した記述になっている。. 一113一.
(17) (24)吉田敬市「朝鮮近海の漁業と日韓漁業問題」(『地理学』第1巻5号(梶谷書院東 京1953年6月))。 (25)近藤康男『日本漁業の経済構造』(東京大学出版会東京1953年1月)27∼40頁。 (26>前掲註(23)413頁。. (27)川谷遊亀(元朝鮮総督府水産理事官)「大韓畏国の独立式典に当たりて」 (『朝水』第10号朝水会下関1948年10月). 一114一.
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