奈良教育大学学術リポジトリNEAR
英語教育におけるパタン・プラクティス再考
著者 田島 穆
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 26
ページ 13‑24
発行年 1990‑03‑01
その他のタイトル A Reexamination of Pattern Practice in Teaching English
URL http://hdl.handle.net/10105/6718
英語教育におけるパタン・プラクティス再考
田 島 穆
(外国語教室)
要旨:本稿は、外国語教育(ここでは英語教育を対象とする)法としてのパタ ン・プラクティスベの批判に対して、外国語の習得にはパタン・プラクティス は必要であることを・言語の恣意性や、ことばの学習には模倣・反復練習が必 要なこと、母語の獲得にもパタンの認識と形成が必要であると見られることな どを論拠にして論じたものであ孔また、言語の創造的な面を養うためにも・
パタン・プラクティスによりその土台造りをすることが重要であることを述べ たものである。
キーワード:習慣形成、言語の創造的側面、母語の獲得過程
1、パタン・プラクティスに対する批判 外国語教育法の歴史を見るとそのほとんどがある時期 には重視され、ある時期には反対の評価を受けるなど、一定の変わらない評価を受けたものはな いと言ってよい。その理由は・一口で言えば・それぞれの方法論の拠って立っ理論的根拠が言語 理論や学習理論であっても、方法論として実験的に証明されたものでないことであろう。従って、
言語に関する理論や言語習得を含む学習理論が変われば、それらの理論と矛盾する理論を基にし た方法論もその価値が実験的に評価されることなく決められてしまうことになる。そしてこれが 実際の外国語教育法に対しでなされてきた評価の大方の歴史であったと言ってよい。もちろん、
実際に用いられた方法が旨く行かないで、その方法には欠陥があるとされたり、役に立たないも のと見倣されたものもある。オーラル・アプローチの中心をなすパタン・プラクティスは言語理 論、学習理論及ぴ実践の両面からその存在価値を否定するような評価を受けた方法の一つである。
パタン・プラクティスの拠って立つ言語理論と学習理論は、簡単に言えば、言語は習慣の体系 であり、学習はその習慣を形成することであるとするものであるが、この理論にいわば真向から 反対の理論を提唱したのは、いうまでもなく、N.Chomskyである。彼は、ハンプシャーとの対 談で、「現在行われている外国語教育は、言語とは実は習慣構造であり、かっ、言語は、技能の 体系であり、ドリルや、刺激・反応の連合を形成させることによって教えられるべきである、と 言う仮説に基づいているものです。そのような言語構造についての見方は、まったく誤りであり、
かっ、そのような見方によるのは、言語を教育するための方法としてたいへんまずい方法である 一疑いもなく、原理的な裏づけのない方法である一ということを示すきわめて説得力のあ
る証拠があるように思います。もしも、従来行われてきている見方による方法が、たまたま、う
A Reexamination of Pattem Pmctice in Teaching Eng1ish
Nara University of Education TAJIMA,Kiyoshi
まく働くことがあるとしても、それはなにか別の理由による偶然であろうと思われます。それが、
言語の本質に関する理解に基づいている方法でないことは、まったく疑いないと思います。さき に述べましたように、言語の本質をわれわれが理解するなら、言語というものは、習慣構造では なくて、一種の創造的特質をもち、抽象的な形式原理と複雑な操作に基づくものである。という ことを、非常に説樗力のある形で示すことができるように思われます。わたくし自身の印象では 言語の構成と、言語構造を決定する原理とに関するわれわれの知識からは、直ちに言語教育のプ
ログラムを組み立てることはできないように思われます。」■〕と述べている。
外国語教育の実践面からの、パタン・プラクティスに向けられている批判も、多く聞かれるが、
それらに大体共通していることは、学習者自らがことぱを使おうとする動機に基づいての練習で はなく、学習者に与えられる刺激に対して一定の反応ができるようにすることがねらいであるた めに、意味を持ったことぱの応答の練習というより単なることぱの形の機械的な模倣・反復練習 になってしまうということ、練習する文が次々に変わり、それらの間に意味上のつながりがない ので、文の形とその意味の結びっきができにくいこと、練習の時にはすらすらと反応するが、一 旦実際にその文を発話として使うとなるとほとんど役に立たないこと、また、機械的反復練習で あるために学習者が退屈すると言ったことである。
2.必要論 上のような批判は多くの外国語教育の実践者が等しく感じていることのようである が、これらはパタン・プラクティスの本質的な欠陥であろうか。パタン・プラクティスならどの ように行っでもこのような結果になるのであろうか。また、パタン・プラクティスには、言語を 習榑するのに、絶対に必要と迄は言わなくても、効果的と言える面はないのであろうかという疑 問が湧いてくる。筆者は先に、言語には恣意的な側面一それは言語の記号としての側面にほ かならないが一があり、その側面は言語の習得においては習慣として形成されねばならない と述べた。2〕それは、語彙についても文法の面でも言えることである。語彙のそれぞれの形とそ の意味との結びつきは何ら必然的なものではないのであるから、それを記憶するには、個々の語 彙を特定の音形と特定の意味が結びついたものとして覚えなくてはならないし、文法の面でも、
英語の語順であれば英語独特の語111頁として、そのほか、時制のいろいろの形、複数形など、形の 特徴はすべて、それぞれの形がその意味を表わすのにそのような形をとらなくてはならない理由 はない筈で、その形と意味の結合は懇意的なものであり、それらの学習は習慣形成的に行われな けれぱならないことを示している。従って、パタン・プラクティスも、この面の学習方式として 最も効果的であるかどうかわからないが、少なくとも排除されるべきものではないであろう。む 同様の親方をしている論者も決して珍しくない。たとえば、Rivers(1964)は、主語と動詞の組 み合わせ、名詞と形容詞の一致、動詞の屈折語尾、時制の一致、否定や疑問文の型など機械的な 連合を習得するには、これらの形を直接に結びつける練習の妥当性を認めている。4〕Pau1ston
(1978)も、このような練習は言語の学習では必須の段階(a very necessary step in la㎎uage 1eami㎎)という。5〕Brown(1969)は ln Def㎝se of Pattem Practice で、題名通りパタン・
プラクティスを弁護して「言語行動は(実験心理学で用いられる厳密な意味での)一組の習慣
(a set of habits)と見倣すことはできないので、認識の産物と見倣す方がよいという事実にも
かかわらず、発話行為(spe㏄h act)は根本的に自動的な行動であることは動かない。」とし、
「パタン・プラクティスの理論的根拠が(現今の理論的知識では一筆者)正当化できないこと は事実であるが、パタン・プラクティスを現今の理論的知識に基づいて正当化することはできな いとするのは必ずしも正当でない。従って、パタン・プラクティスは、母語の習慣による干渉を 克服するために外国語の文法の型を過剰学習すること1こより外国語の習慣を確立するために開発
されたものであることを上で特に言及したのである。そして、たとえ、パタン、習慣、干渉とい う術語が定義された厳密な意味では無意味であるとしても、それらの術語とそれに伴う理論的道 具(apparatus)は、第二言語の教育で実際に遭遇する現象を説明するために考え出されたもの であることが事実であることに変わりはない。基礎をなす理論が不十分だからと言って、それが 現実世界の現象の存在に影響を及ぼすことはいささかもない。」とい㌧、更に、「パタン・プラク
ティスの考え方が現今の理論と矛盾しないことを示すためには以下の三つのことが弁護されねば ならない」が、それらは、「(1)パタン・プラクティスは母語からの干渉を克服する助けとなる。
12〕パタン・プラクティスは発話行為を自動化するのに役立つ。(3〕パタン・プラクティスは認識 の面での再組織化をするのに助けとなる。」であると論じている。」8〕筆者もこの論を支持したい。
言語の統語構造(表層の)に言語の記述上どれだけの意味を持たせるかによってもパタン・プ ラクティスの学習上の意義も異なってこよう。たとえば、Fi11moreの格文法では、文を産み出 すには動詞が中心になり、それぞれの動詞が意味の深層構造においてそれに関連のある名詞句の 申から特定の意味を表わすのに必要なものを選ぶという過程を提案しているが、Brown(1969)
のことばを借りれば、もしこのような文法の分析が正しければ、文法に句構造を設定する必要が 完全に消えてしまう。何故なら、文の構成上の、主語とか目的語とかいった概念がこのような深 層構造と関連がないからである。要するに、文の主語とか目的語というのは表層構造上の現象で あり、統語上のパタンの概念は言語の十分な記述を与えることが全くできないことになる。一〕従っ て、パタン・プラクティスは論外であることになる。
生成文法でもパタンという概念に一義的資格を与えないという。「パタンという概念は、変形 文法の基本にある規則の集合から、二次的、派生的、自動的に導き出されるものであるからであ る。」^〕パタンの形成ということは一定の範囲の範囲の型に言語の表現形式を限ってしまうこと になり、それは言語の創造的性質と矛盾するからであろう。しかし、言語の記述ということと実 際の使用過程とは必ずしも一致しないものであろうし、言語の習得過程はまた別の面を持ってい る筈である。言語の記述は、でき上がった能力知識をある形で表現したものであり、言語の習得 はその能力的知識をその表面の形とともに作り上げることであり、表面の形を知ることは必須の ことである。深層構造から表層構造への生成過程を重視する立場に立では表層構造が同じでも深 層構造が異なる文を同一文型に属するものとして練習することは非合理的であるということにな るのかもしれないが、表面の形は同じでも意味は異なることを学習者に理解させれぱよいことで あるし、同一の文型として覚えても、形が同じであるから、形の上での混同はない筈である。表 面構造が同じ二つの文、たとえば、a)He was difficu1t to mderstand.b)He was slow to
㎜derstand.のような文は果して意味が混乱なく理解されるのであろうかというが9〕、difficu1t
とs1owの意味を正しく理解していれば、つまり、両者のsyntactic propertyの違いを認識して いれば、これらの語のそれぞれの文の主語との意味上の関係の違いを感得できるのではないだろ うか、パタン・プラクティスは表層構造が同じ文をすべて同じものとして扱うというように考え ることも誤った見方であると言ってよい。大津(1989)には、a)John is easy to see.b)John iS eager to See.のような構文を、英語を母語とする子供がこれら二つのうちどちらを先に習得 するかに関する、C.Chomskyの研究(1969)や、他の同類の実験研究の結果が紹介され、決定 的な結論は出ていないが、a)構文の方が深層構造からの要素の移動を含み、複雑度を増すので、
b)よりも習得が困難で、習得が遅れるといえそうであるというm〕。パタン・プラクティスでは、
eaSyの部分に代入できるものとeagerの部分に代入できるものを別々に扱えぱよいのである。
子供が母語を獲得して行く過程を考えても、同じ表面構造の文に多く触れて、それらの間に意味 の遠いがあればその違いは経験的に場面などの文脈の助けを借りて、もちろん知的判断も常に働 くだろうが、その違いに気づくものと考えられ、文型練習でも、誤解の恐れがあるなら、別々の 機会に学習させれぱよいことであるし、たとえ同時に示しても対照的に示すことでその違いを明 確にすることができると考えられる。母語の場合に限らず、同一の形を持った二つのものが内容 的に異なるものであることに気づくのは、それら二つが同時に現れなくても、先に経験した一方 を記憶していれば、もう一方のものが現れた場合にそれと先に記憶しているものを対照させその 異同に気づく筈である。
3.言語の創造的側面 パタン・プラクティスは言語の創造的力を育てないと言われるが、果し てそうか。学習者がinputとしてパタン・プラクティスで与えられたものを記憶しそれをそのま ま。utputとして用いることができるようになることが学習者に期待される最終的言語能力一だと するのであれぱ、それは単に限られた数の文を記憶に貯えるに過ぎないことになるが、パタン・
プラクティスは、特定の文型を代表する文を代入、拡大、変形などで部分的に変化させてその文 型を認識させ沈澱させるのがねらいであり、この部分的変化によるだけでも文型上は同一の、か なり多くの文を作り出せるのではないか。「パタンはそれを習う立場から見るなら要素間の関係 が一定である(しかし個々の単語は千差万別である)発話、すなわちそれを背後で支えていると 考えらるものが同じであるような発話、を多く練習することによって、感得し習得することがで きるものである。さらに一定のパタンにいわば載せて発話を作り出すという面から見るなら、パ タンはフリーズも言っているように、それを盛り込みうる要素の数だけの多様な発話を可能にす
るものである。
The ca1二。aught the bird.
The bird caught the cat.
The cop caught the robber.
The robber caught the cop.
The polymorphism discombobulates the neophyte.
これら五つの文の構造は、すべて、等しい。それはこれらの文に共通な文法的特性であり、たと えば、D N V D N \のような方式化が可能である。こういう方式は、Friesなら銭
型と呼んでよいものであり、この方式の、それぞれの位置を占めうる単語の数だけの文、つまり ほとんど無限に近く多種多様な文を、この方式は生み出すことができる。 9〕この場合語の入れ替 えだけを問題にしているが、上に述べた拡大、変形などを行えば更に文の数は増大することにな る。生成文法では更に複雑な規則の組み合せや繰り返し適用することを想定して創造的な面を説 明するのであろうが、パタ1/・プラクティスの目的はそのような創造的活動ができるようになる ための基礎を養うことにある。今迄聞いたことのない文を理解できたり、自らも新しく文を自由 に作ることができるといわれるが、文構造の面で各文に共通の部分がなければ意味は理解されな いであろうし、祝してや習得は不可能である。Steinbe㎎(1982)は、 SupposeIsay,〃㈹
Jψ4,Sω加扮㎝ゐ0oゐ 〃8απ8伽S切r劫απ8ω此㎜・r.Ina111iko1ihood,thisseロー
tence and the idea it expresses wouId be mvel for you. If so,then the idea formed in your
mind must be the result of hearing the senteIlce which I ut1;ered. Concerning that nove1
idea or thought conveyed by the senten㏄,it is important to note that it is mt the com−ponent1d6as and re1at1ons wh1ch are new but the1r umque arrangement The v㏄abu1ary
and stmcture were a1ready known. Thus,皿。ve1senten㏄s are created and ullderstood on the basis of what a speaker a1ready knows about the1anguage in terms of its syntax and
vocabu1ary And,1f new words are to be㎜trodu㏄d,they are expla1ned m terms of old㎝eS. 〕と言う。このような豊富な創造的な言語使用能力を習榑するには、パタン・プラクティ ス的な言語要素の操作の練習の価値を過小評価してはならないとして、RIvers(1972)は次のよ うに述べている
Mi11er,Ga1aIlter,and Pribram hav6proposed a modeI of1anguage production by which we se1ect a higher−1evo1P1an(or strategy)which sets in operation1ower1evo1p1ans(or tac−
t1cs,1e,comp1ete1y deta11ed sp㏄Iflcat1ons of every operatIon) In an act of commum−
cation,the speaker has a certain freedom of se1㏄tion initia11y(for the meaning he wishes to express he se1㏄ts a㏄rtain sentence−type,a time sequen㏄,and certain re1ationships and modifications within the sentence),but once this initia1se1㏄tion has been made there are choices he is ob1iged to mak6at1ower1eve1s of stmctur6b㏄ause of the rule system of the I〕articu1ar1anguage he is using(ob1igatory inflections,word order,function words,substi−
tutes)a11 of which devo1ve dir㏄t1y from his original sel㏄tion. It is at the1evel of stmte−
gy,or meaIling to be expressed,that the speakor exercises choice,tllat the nove1or creative
e1ement enters in,this choi㏄necessitating further choi㏄s of a more limited character(the tactics)which ob1ige the student to use㏄rtain elements in fixed relationships. Creative,
innovative1anguage use sti11takes p1ace within a restricted fmmework:a finite set of forma1arrangements to which the speaker s uttera皿。es must conform if he is to be compre−
hended and thus to communicate eff㏄tively.
We cannot,th㎝,mderestimate the importance of practice in the manipu1ation of1a皿一
guageelem㎝ts which㏄㎝r in fixed re1ati㎝ships in c1ear1y defined c1osed sets.、.. 川〕要するに、パタン・プラクティスが完全に創造的ではないと言って、初めからそれを排除するのは賢 明でない。創造は無からは生じないのであり、言語の創造的活動は部分的改新であるから、必要 に応じて改新ができるような土台を作ることが必腰である。同時に、規則の適用ができれぱすぐ 創造的活動ができるというものではない。それには、「かなり多量にのぼる多様な知識が蓄積さ れている必要があるということは当然である。こういう一定の必要量は、明らかに、瞬時的な蓄 積を許すものではない。一定の時間的経過の中で・順次、蓄積されるに至るものであ孔(中略)
ここに言う一定量に達しない限り、英語使用の創造的側面は発動しないということは、いわば、
貯水池の水が一定の高さにまで達しないと発電できないというのと平行的な現象で、極言すれば、
その一定の高さに達するまでは、貯水量の多い少ないにかかわりなく、年月の長短、方法のいか んを問わず、等しく、すべて無効であるということになる。こういう意味における一定量である なら、その細目は別として、これを英語の基礎学力と名づけても、それほど不当ではあるまい。」I5)
文法規則が適用できれば文法的な文を作ることはできようが、他の点で発話としての許容性を 欠くものになる可能性があることにも注意しなくてはならない。Richards(1985)は英語の文法 規則を基に作った文に実際に使われることがないものがかなり多くあることを次のように示して
いる。 The fact is,however,that only a fraction of the sentences that couId be generated by our grammatica1compet㎝ce are actua11y ever used in communication.Communication
1argely consists of the use of1anguage in conventiona1ways. There are strict constraints imposed on the creative−constmctive capacities of speakers,and these1imit how speakers encode propositiona1meanings.In te11ing the time,for example,we can say,〃8肋。∫orり
。r∫ピ8tωeηtツfo tんrθe,but not〃 8tんreeπ一{π口8εωeπξソ,〃 3 e〃αゾεer ωo んかtツ,or〃 8
e塘〃ア沁e8α∫εer肋eπり.If I want you to mai1a1etter for me I may say,〃eαse mα〃肋た 如此er∫or㎜e or Woα〃ツ。口mi肌一㎜α批π8肋た脇εθr∫or㎜e,but I am un1ikely to say,∫
rθqωe8εツ。α o㎜α〃肋た加 er or∫ε必mツdesかe肋ω肋な加批er be㎜α{ ed bツツ。 . A1−
though these senten㏄s have been constructed a㏄ordmg to the ru1es of Engllsh grammar,
they are not conventiona1ways of using Eng1ish. Though they are grammatically correct
sentences, they have no status as potent1a1 utterances w1thm d1scourse,smce they wou1d never be used by native speakers of EIlglish.岨〕規則を適用して新しい文を作る場合のもう一つの問題はその適用範囲を知ることである。既知 の構文の文と類似の文構造の文を変えて新しい文を作る場合、元の文に当てはまる規則が同様に 当てはまるとは限らないからである。たとえば、NP−Verb−NPの構造の場合、verbがどんな 動詞の場合にも受動態ができるわけではないので、より精密な規則の適用範囲を知る必要がある。
このような例は枚挙にいとまがなく、文法規則だけでなく語彙の用法にも亘る細則と言ってよい。
パタン.プラクティスでは、規則を集約的にパタンで示し、いろいろに形を変えて新しい文を示 すのであるから、それぞれの新しい文が容認できるものかどうかを学習者に認識させ、規則の適 用範囲を比較的容易にわからせることができる筈である。
創造的側面についてもう一っ言えることは、ことばで表わせる内容が多種多様であり得るのは、
ことばを発する際に表わそうとする意味を生じせしめる原因となる刺激がその発話の場に存在し なくてもよいという、 刺激から自由な (stimulus free)性質があるからである。パタン・プラ クティスはこの性質を逆手にとって利用することもできよう。パタン・プラクティスでは、練習 する文が次々に変り、場面と結ひつけ難いので、理解を妨げられ、意味と形の連合ができにくい という批判があるが、場面や機能を中心とする行き方の場合も多かれ少なかれ場合から遊離する ことを免れないので、パタン・プラクティスでは逆に学習者の想像をかきたて、ある程度空想的 な内容の語彙を含めたいろいろの語集の入れ替えにより多様な内容の文を作らせることができよ う。ことばの練習が常に具体的な場面と結びついている必要があるなら、言葉の創造性を自らし ぱることになりかねない。
4.模倣と反復と心的活量カハタン・プラクティスは考えることをしない、ことばの形の機械的 な模倣反復に過ぎないと批判されるが、果して必ずそうなのか。パタン・プラクティスは模倣反 復とともに心的活動も要求するのではないだろう加。Stevick(1982)はパタン形成過程を内省し て次のような図式でそれを表わしている:
3 1Linguistic 左の図式の中の数字によって示される矢印は
{≒一一■ ←
Ru1e 4 pattem 2 Image RuleとPa枇emとLIFとの間の相互作用を
一一一≒■ →
Fmgmen毛 表わしていて、その内容は次のとおりである。
1.私は心の中にいつも無数のイメージがあ
(Auditory,visuaI and/or kimsth6tic)
り、これらのイメジを形成しているもののい
くつかは語・句・文の視覚的か聴覚的か筋肉運動知覚的な㏄hoであるが、もし私が覚えようと している新しいパタンを用いようとして実際にそうした場合それらのechoの一つに一致するも のを産み出すと、私はその新しい型を使うことに自信を持つであろう。2.1とは逆に、誰かが 言った語をくり返したり、本の中の一文を書き写したりするか、または、聴覚的か視覚的か筋肉 運動神経的イメジの断片を私の長期記憶から呼び起こすかもしれないが、いずれの場合も、その イメジ断片は、私が自信を持っているパタンと一致すれば強化されるであろうし、一致しなけれ ば弱められるであろう。3.もし私がある一つのパタンがどう機能するのがその規則を覚えれば、
そのパタンの例文を自分で産み出したり、理解する助けとして用いる時、その規則を呼び起こす 私の力は強化されるだあろう。4.ある一つのパタンをしばらく使い、しかも旨く行ったことが あると思うパタンにっいてことぱで明確に述べることはそのパタンを明確にし、自分が用いてき た他のパタンとどのように関連するのが理解する助けとなろう。これらのいずれかの、または、
すべての点で規則はパタンを強化すると思われる。そして、自分の経験に基づいて、この図式は いずれかの点ですべての学習者に当てはまると信じている。岬〕パタンの形成には心的活動が必要 なことがわかる。学習者の理解力に応じてパタンから規則を意識させたり、パタンどうしの関係 を理解させることもできる筈である。また、Stevickは実際のブラクティスでは学習者は次のよ
うな能力を要求されるという:1.個々の文が理解できること、2.それらの文の間の関連がわ かること、3.文を完全に模倣して言えること、4.cueと文を模倣し、かつ、組み合わせること
ができること、5.全文(whole s㎝t㎝㏄s)が思い起こせること、6.既知の文に独自の適切な部 分的変更ができること、などである。そして、この場合学習者のinitiatiVeは依然として教師の 与えた枠内に留まっているが徐々に増加しているという旧〕。逆に言えば、そのinitiaもiVeが学習 者に移って行くには学習者にそのような活動を行わせることが必須条件であり、その条件を満た
して初めてパタン・プラクティスは次の段階への足場となる。
パタン・プラクティスは機械的になり易いということに対しては、ことばの使用には機械的に なる程習熟していることが必要な面があることを強調しておきたい。われわれは母語のように熟 知している言語の発話を聞く場合、発話の途中で次にどんなことぱが来るのか予測できることは 珍しくない。内容については常に予測活動をしていると言えるが、そのような予測力を働かせる にはかなりのスピードが要求されるので、語の意味を熟知しているだけでなく、語と語の多様な 結合様式とその意味が融合状態になっていることが必要であり、それには、パタン・プラクティ スは有効である。発話の際のperceptmaI motor ski11sを発達させるにも必要な練習である。
5.母語種得過程における模倣・反復
子供の母語獲得は模倣によるだけでなくその言語の規則を自分で引き出すことによって行うも のであるというのが定説的になっている。たとえば、Steinberg(1982)は、子供の発話に.No p1aythat,.Nothes㎜shi皿e, Wegowhen?のような例をよく耳にするが、これらの発 話を子供が初めて発する場合は、それらは、模倣とか強化とか一般化とかに基づいて産み出され
た筈はない。何故なら、大人はそのように話さないし、子供がそのような発話にふれることはな いからであると言っている19〕。確かにその通りであろうが、模倣ということも重要な仕事ではな いだろうか。Steinberg(1982)はそのすぐ前で、子供には並みはずれた記憶力があるのでこと ぱの獲得という大仕事をやってのけるのであるが、ことばの獲得のためには、子供は多数の語、
句、文をそれらが起こった文脈(物的・心的)とともに記憶しなければならない。何故なら、子 供が聞いたそれらの語、句、文を覚えていなかったら、それらから規則や意味を引き出す土台
(base)をほとんど持たないからであると言い、更に、子供の年令別の語彙の知識の量について の研究の示すところでは、その数が大変大きいものであることから、また、子供が多くの慣用表 現を句や文の形で覚えることが知られていることから、子供は多数の普通の句や文も覚え記憶に 貯える(leam㎝d store in memory)筈であると述べている別〕。意味や規則の帰納には記憶が 欠くべからざる条件であろうが、ことばを使うということになると、模倣と繰り返しが、その量
は千差万別であろうが、必要になって来よう。それは集中的に行われることもあれぱ長い期間に 亘ることもあろう。発音に限ってみても、子供が母語を初めて発するのは全く初めての形の音を 発音することであり、その言語の決まった形の発音ができるようになるには相当の模倣訓練が必 要であろう。外国語音の場合も、聴覚像として記憶している音でも、練習しない限りその音を発 音できないことはよく経験することである。子供が模倣し反復することはLado(1988)も力説
しているが2 〕、Peters(1983)ば、1才9ケ月の子供に The cow jumping over the room. と いうことばが書いてある、三か月の上を牛が半跳びの状態にある絵を与えた処、子供はその絵に
格別興味を引かれたらしく、そのことばの初めと終わりのシラブルを引き出して CoW mO㎝
を作り、その後更に cow mo㎝daddy に拡大し、このことばをある時少なくとも50回繰り 返し言っているのを耳にしたという観察を報告している認〕。Sanbom(1971)は、Bmwn&
Be11ugi(1964)による、子供の統語構造の習得過程の研究で、三つの主要な統語構造の発達過程
(thethreemajorpr㏄essesinsyntacticdeve1opm㎝t)としているものをあげているが、その 内容は、1) Imitati㎝㎜d Reduoti㎝ 2) Imitati㎝㎜d Exp㎜si㎝ 3) Inducti㎝of Latent stmcture と呼ばれるものである。1)の過程では、子供は母親のことばを模倣するが、
その長さには限度があり、 Wait a mi㎜止θ. はそのまま繰り返したが、 It s not the same dog as Pepper. は Dog Peppor. に短縮され、子供自身が作った Throw Daddy. , Put
tmck window. の発話と同じく、電報文スタイルに短縮されるという。2)の過程では、子供と対話している大人が子供の発話を、その語順を保ちながら、より文法に適ったものに拡大する 傾向があることが注目された。たとえば、子供が Pick the g1ove と言うと、母親が Pick the g1ove up. と応えるような場合で、これは、おそらく子供が統語的意味を習得する一つの 方法であろうとこれらの研究者は指摘しているという聰〕。この場合、子供との対話者が子供の発 話にある語を加えて適切な発話にし、(子供の発話を)確かなものにしようとするもので、大人 の方が子供の発話を拡大する形で模倣のモデルを示していると見ることができよう。1)におい ても2)においても模倣が重要な役割を演じていることがわかる。2)の場合のように、子供の発 話に対して、母親のような。aretakerがそれを繰り返したり、拡大したり、語句の入れ替えその 他の変更を加えることは、子供が、聞いたことぱを分割したり、frame(型)をつかむのに理想 的な材料であるとPeters(1983)は言う。これは、子供自身が同じ活動でできるようになるた めのモデルとなる筈である。臨機応変にパタン・プラクティスを自然の言語獲得の過程で行って いると言えよう。
6、母語獲得過程と文法の形成5.で既に母語獲得過程を参考にして言語学習に模倣・反復の 必要性を述べたが、更に、根本的に子供が文法をどのように形成して行くのか、その過程がわか れば、外国語教育においてもそれを基にして教育方法を考えるとか、今迄行われてきた方法の評 価ができると思われるので、パタン・プラクティスにそういった母語の文法の形成過程に類似す
る部分があるのか見ることにしよう。
もとより、母語獲得の過程と第二言語ないし外国語の習得過程には異なる点が多いと考えられ る。先ず、母語の場合は初めて言語を覚えるのに対して、外国語の場合は既に母語を所有してい る。知能の発達程度も大いに異なる。記憶力にも差があろう。これに対し、両者に共通する点は、
いずれの場合も形と意味の連合と文法を知ることで、これはことぱを習律することにほかならな い。相違点は学習者の内的習得条件の違いである。学習者の内的条件が違えば習得方法にも違い が生じることは当然予想されるので、母語獲得の過程を理解してもそれがすぐさま外国語習得に プラスになるとは限らないが、それを参考にすることは決してマイナスにはならないであろう。
考察の対象とする、母語の文法の形成過程に関して適切な知識を提供してくれるのはA㎜M.
Peters:τ加砒舳soゾ加π8㎜geαcψな伽。π.CambridgeUniversityPress,1983.であると 考えられるので、その内容に沿ってごく簡単にその過程を見ることにする。
子供が母語獲得過程の初めから周りから聞くことぱは、単語の場合もあろうが大抵は二語以上 からなる発話であろう。初めの問は子供は二語以上の発話を単語などの構成要素に分析し認識す ることはできないので、発話の途中のポーズによる切れ目に気がつかない限り一つの単位として 聞きとるであろうが、次第に増加してくる、周りからの発話を理解したり、自分でも多様な表現 ができるようになるには、そのような発話の構成要素をとらえ、それらを入れかえたり、その言 語の組み合わせの型に従って組み合わせたりすることができる必要があるので、そのような理解 や表現の単位の発見は子供のことばの獲得にとって重要な仕事である。そこで、子供は、初めは 一語のものはもちろん二語以上からなる発話も分析し(でき)ないまま一語として記憶に貯える であろうが、次第に、いつも同じ形で現れる、spe㏄h fomu1asほかに、Hoωαrり。山十time phrase(today,this moming,etc.)(このような表現をPetersはformu1aic constmctionと呼 ぶ)のように一部分が違った形(この場合time phraseの部分)で現われることのある発話に気 づき、それらの発話の同じ部分を抽出し(一時的にあるいは最終的な)単位として記憶に留める
ものと考えられる。そして、そのように繰り返し現われる発話の同一部分を手掛りにして発話を 短い単位に分割して行くが、その過程はそれらの下位単位を産み出すだけでなく、その発話の基 底構造についての情報も産み出すので、それらの単位の結びつきの型を知るようになる。その過 程は、初めは、α〃8㎝e,α〃伽㎝8ゐ,α〃ωe のように同一の単位で始まる(又は終る)単位に 分割されたものの連続体(segm㎝ted sequen㏄s)をいくつか集めることができれば、それらを mit+㎜itとしてとらえている状態から㎜it+liSt(すなわちα〃十C工eαπ,d㎝e,g㎝e,
伽㎝助,ωe )としてとらえることができるようになろう。しかし、このリストのそれぞれの組 み合わせが個々に習得される特定の項目の閉じたクラスである限りこのパタンは生産的ではなく、
次の階段への進行がおそらく初期の統語構造の習得上最も重要な抽象、すなわち、㎜1t+(C1oS ed)listからunit+(open)classへの一般法則化を含むであろう。この進展は、また、listの メンバーに共通の特徴の認識とその特徴を共有するunitならいずれもその一定の(C㎝Stant)
㎜itと結合できるという認識を伴っており、この抽象作用に成功すると、constant+variab1e typeのパタンが形成される。このvariab1eの箇処は同じ機能を持っ他の㎜itで入れ替えでき るs1otである。そして、やがて。㎝st㎜tも同じくslotになり一つのframe(パタンと言って よい)が形成される。このようにして習得したframeを更に未知の構造の発話を分析する手助 けとして用い、構造の違った新しいframeを認識し習得して行くという。frameに共通の性質 を持つ要素を入れ替えできるSlotが含まれていることが、子供が多様な内容の発話を発するこ とができるようになることに通じるという。
このような観察が、複雑な言語構造の認識と使用能力の形成に働くと考えられる。子供の心理 の複雑な働きの過程を十分に説明しているとは言えないであろうが、少なくとも、子供が与えら れる発話にパタンを認識し、それらを使用できるようになる基本的な過程を示していると言えよ う。これにパタン・プラクティスを照らし合わせてその意義を考えてみると、パタンの認識とぞ
れを定着させる目的のパタン・プラクティスは、より自由なことぱの理解と使用の基礎を養う方 式として必要なものと考えられる。パタン・プラクティスで行う模倣と反復もそのようなパタン の定着に必要な活動で、それらによる型の記憶がなければ多様な表現形式の理解と使用ができる ようにはならないであろう。学習者が退屈するとか、意味を考えない学習活動になるということ はパタン・プラクティスの本質的欠陥ではない。
柱
1)アラスデール・マキンタイア.1970.「ノーム・チョスキーの言語観」マーク・レスター編 著 安井総監訳『応用変形文法』東京:大修館,1972.pp.13卜5
2)田島穆,1973「The Audlo−Lmgual Appmachとthe Rat1㎝allst Approach」『外国文学』
21号 鍋島能正教授退官記念号,宇都富大学文学研究会,pp.39−42
3)太田朗ほか.1980.『新しい英語学習指導 中学校から高校へ』リーベル出版などはパタン プラクティスの必要性を認めている代表的な学習指導吉である。
4)Wi1ga M.Rivers.1964.肋θρ8ツ。ん。1og虹α〃肋e/oreな肌一bπ8ω8e提αcん肌 Chicago:
The University of Chicago Press. p.47
5) Ch.B.Pau1sto皿,1978. Structwa1pattem dri11s:A c1assification. E,G.Joiner&
P.B.WestphaI(eds.)Deueユ。p加g com㎜凹π加 ㎝s棚k Rowley,Mass:Newbury House,pp.21−31.
6) T.G.Brown. 1969. In defense of patt6m practic6. 工απ頼ge工eθπ一加8XIX,Nos.
3&4,pp.191−203.
7) pp.194−5.を参考にした。
8)安井稔.1988.『英語学と英語教育』東京:開拓社 p.210
9)佐々木昭・小泉保編.1977.『新言語学から英語教育へ』東京:大修館,p.201
10)大津由紀雄.1989.「心理言語学」柴各方良ほか『英語学の関連分野』東京:大修館,pp.
818−361,
11)安井稔.1963.『構造言語学の輪郭』東京:大修館,pp,169−71 12)安井稔.同書 pp.173−4.
13) D D Ste111berg 1982 Psツ。ん。J㎜g口耐エ。s Zαπ8阯α8e,M㎞απd Wor〃 NewYork
Longman,p.116
14)WMR1vers1972助eα冶肌8㎜mα〃 ㎝8雌s2ndEdRowley,MassNewbury
House,pp.81−2
15)安井稔.1988.注8)と同書 p.122.
16) J.C.Rich町ds.1985、珊e co航e批ψ勿π8ω8eεeαcん加& Cambridge:Cambridge Univ.
Press,P.86.
17)E.W.Stevick.1982.%αc加πgαπ〃eαm{π8あπ8ω8es.Cambridge:Cambridge Univ.
Press,pp.32−3 18)P.99
19)D.D.Steinberg.1982.上掲書 pp.162−3.
20) pp.161−2
21)R.Lado.1988.τeαc物8肋8肱んαcros8㎝舳res.New York:McGraw−Hin,p.4工 22)A.M.Peters.1983.珊e 肋so/工απ8㎜8eαcq口お脇。π.Cambr三dge Univ.Press,pp.
55−6
23)D,A.Sanbom.1971.肋e地π8ω8e〃㏄ess.The Hague:Mout㎝,p.78 24)A.M.Peters.1983上掲書 pp,62−3.
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